はてなキーワード: 校正とは
「インターネットよりも情報が遅い」だ「何故報じていないんだ」とか、「大事なのに報道しないマスゴミ」って言うのを目にした。
報じる分の情報量を確保する必要があるだろうし、今回は国外。現地の支局があるなら、そこから送られてくる情報をまとめる必要(もしかしたら現地側でまとめてるかもしれない)があるし、
言語が違う分、翻訳だったり文章校正にも時間がかかると思う。メディアが個人では無い分、どういった報じ方をするのか決定をする段階もあると思う。
こういった事を踏まえても「報道をする」という事は時間も正確さも大切な要素の1つになっているのは明らかで、きっと報じる段階でいかに時間をかけずに
正確な情報が流せるかってのは、国や地域、言語に関わらず各メディアで当たり前の様に努力しているはず。
それでも流さないって事は情報に不備があるか、そのメディアの限界とも言える。そこに固執する理由はあるの?
スポンサーでもなきゃ、見なければ良い話ではないのか? 報道するメディアなんて数多くあるし、どこもニュースバリューを考えて報道しているから、
今回のテロも遅かれ早かれどこでも報じると思う。
特定メディアが事件・事故を報道しないからといって情報が得られない訳では無いし、情報が遅いというのなら見なければ良い話。メディアの規模とか関係ない。
今回はフランスのテロ事件だった訳だから、フランス語が分かるのであれば現地のメディアを見るのも良しだし、フランス語分からない自分はBBCとかCNNの英語圏向けライブ、
Google翻訳使ったネットの英語記事、Redditの/r/wordnews、日本のサブレディットの/r/newsokurを見ていた。何が起きたのか分かったし、特にredditなんかは
自分が手に入れた情報を流す情報元を色々な人に広める事も出来る。
ちなみに国内でも早いところはあって、ハフィントンポストの日本語版のライブ記事がかなり参考になったし、今も情報が続いて入ってきてる。
言いたかったのは、メディアのあり方について批判するなら、大事が起きて落ち着いてきた後でやって欲しい。かな。マスゴミマスゴミ言っている連中も、
出来事がリアルタイムに更新されている中では、情報を得ようとする人々からするとデマの次ぐらいにノイズでしかない。スルーされる可能性も高い。
収拾付いた後に「あの報道の仕方は~」とかは言ってもらった方が、「ここは参考にならないんだな」と判断出来るのでそうして欲しい。
今回はテレビが情報遅いと言われていたので、「テレビのニュース番組がいかに努力してるのか」というのと「番組(テレビ局)という組織で報道する事の難しさ」を表した動画を紹介しておく。
ニュースを伝えている人も伝える情報を集めている人も情報を伝えたいのに伝えられないよ!って時はあるんだね。
東日本大震災山田アナウンサーの絶叫 https://www.youtube.com/watch?v=upf49bY5Oh4
ネットの外で、つまり、人との対面的状況で「会話」ができる、という事態が、理解できない。
下書きもないし、校正もできないのに、どうやって文を組み立てているのか。
もし、意識というか自我というか、心に浮かんだ言葉をそのままアウトプットしていたら、
いわゆる統合失調症の「言葉のサラダ」みたいになって、人に理解ができる文の形にはならないのではないか。
あるいは、そもそもぼくなんかは、感じていることや考えていることを、単語レベルであれ「言葉」に変換するのに相当時間がかかるわけで、
思っていることを話してください、とか言われても、非常に困るというか、
何も思っていませんとしか言いようが無い(何も思っていないというより、求められていることがまだ言葉にはなっていません、というのが正確だけど)。
任意の場所に出かけて行って、あらかじめ話すことを決めていくのであれば、まだ、何を言うべきかに困らないかもしれないけど(原稿をつくればよいので)、
会話って、アドリブというか、インプロビゼーションでやっているのでしょう? 知らないけど。
それって具体的に、どうやるのでしょうか。
基本的に、これまで僕は匿名で文章を書くということをしてこなかった。
パソコン通信にしろブログにしろmixiにしろTwitterにしろ、誰かと議論したり何かを主張したりするときは、常に素性をオープンにし続けてきた。腰をすえて議論する気もなく匿名で書き逃げするような連中に、僕自身、さんざん苦しめられてきたから、同じようにはなるまいと思っていたのである。
それがSF小説の批判だったらなおのこと。自分の愛するジャンルであるからこそ、逃げも隠れもせず持論を述べ、反論を迎え撃つ――それが本来の筋だと思う。
しかし今回は、自分の名前を出して発言するのはあまりにリスクが大きいと判断して、不本意ながらこういう形を取らせてもらった。実は匿名で書くことにすら尻込みを感じている。
なぜなら僕が今から批判しようとしているのは熱狂的なファンを多くもつ作家――伊藤計劃氏の作品だからだ。
2009年に亡くなった伊藤計劃氏だが、いまだにSFマガジンで特集が組まれたり、映画が3作も公開されたりで、その人気はとどまるところを知らない。
僕が始めて読んだ氏の作品は、『虐殺器官』だった。新人のデビュー作ながらその年の、SFが読みたい! の1位を取ったというので、期待をもって読み始めたのだ。
しかし、あまり感心しなかった。なぜなら作中のメインアイデアである「虐殺の文法」というものが、言語SFの歴史の中ではさほど捻ったものではなく、更に2005年に別の日本人作家が発表した短編とも酷似している。プロットの方も、ミイラ取りがミイラになってしまったというありふれたもの、逃げのようなもので、短編ならともかく、長編としてはガッカリするような結末だった。だもんで、個人的には年度ベスト1位を取るほどの作品とは思えなかった。
年刊日本SF傑作選『虚構機関』に収録されている「The Indifference Engine」をたまたま読んだ時も、僕の評価は覆らなかった。
舞台を紛争地に置き換えてはいるものの、アイデアから構成からテッド・チャン「顔の美醜について」にそっくりで、決して独創的とは思えなかったのだ(余談だが、「顔の美醜について」は、世間で変に高評価されている「あなたの人生の物語」よりもよほど構成のちゃんとした、優れたSFだと思う)
出版されるSF作品の数も、世間のSFファンの数も膨大なので、僕が好きではない作品や、アイデアが目新しいとも思えない作品が、評価されたりランキングの上位にのぼることもある。とはいえ、趣味に合わない作家を追い続けるのもあまり建設的ではないので、僕はその後、伊藤氏の作品をずっと読んでこなかった。
だから、もしかしたら永久に他の作品を手に取ることもなかったかも知れない――
2014年に、伊藤氏の『ハーモニー』が、日本SF長編部門オールタイムベスト1位を取らなければ。
いくら避けてきたとはいえ、傑作『百億の昼と千億の夜』の牙城を、2000年代に発表された作品が崩したとなれば、さすがに読んで確かめざるを得なかった。
大きな戦争のあと、生命至上主義によって、医療技術が高度に発達した世界。
人間は16歳になると健康管理用のナノマシン群「WatchMe」を体内にインストールし、その恒常性と健康を、常にモニタリングされる。
健康に生きることを強いる社会に反逆するため、御冷ミァハ、霧慧トァン、零下堂キアンの3人の少女は、餓死による自殺を試みるが、失敗した。
その十数年後、ミァハは、新たな目的をもって暗躍をはじめ、その結果、トァンの目の前でキアンが犠牲になる。
ミァハの願いは、Watchmeに組み込まれていた自意識喪失プログラム「ハーモニクス」を発動させ、人間たちの意識を奪うことだった。
最終的に、ミァハはトァンに殺害されるが、ミァハの計画は実現し、全人類がハーモニクスされた結果、そこには誰もが意思を持たない完全に調和がとれた世界が誕生する……。
この結末を読んで、僕はひっくり返った。
ちょっと待て、「ハーモニクス」できるのは、WatchMeを体内にインストールしている人間だけじゃなかったのか!?
確か作中では、人々がWatchMeをインストールしていない地域のことも書かれていたはずだ。
そして何より――子どもたちのことはどうなったんだ?
16歳未満の子どもには、WatchMeがインストールされていない。WatchMeを入れられたくないからこそ、ミァハたちは16歳になる前に心中しようとしたはずだ。
つまり、16歳未満の子どもはハーモニクスすることが物理的に不可能である。
にもかかわらず、エピローグでは、全人類の意識がハーモニクスされたように書かれている。作中の設定どおりなら、こんなことはあり得ないのだ。
この作者は、自分が書いた設定を忘れている!
だいたい、ミァハの目的については、健康な世界に苦しむ、「意識」ある子どもの自殺をなくす、というのも書かれていたはずだ。
にもかかわらず、彼女の行動で出来上がったのは、「先進国の大人だけが意識を失い、先進国の子どもたちや、一部地域の人間は意識を保ったままである世界」だ。 子どもの自殺はなくならないだろう。出発点と正反対だし、エピローグの、全人類が意識を失った調和の取れた世界、という光景は有り得ない。はっきり言って無茶苦茶である。
そう、『ハーモニー』という長編は、その評判とは裏腹に――完全に破綻しているのだ。
作家というのも一人の人間である。あまりに大きなミスとはいえ、病床の伊藤氏が見落としてしまったのも仕方ないのかもしれない。
情けないのは早川書房だ。自分で書いたものをそのまま世に出してしまえる同人誌と違って、商業出版には校正という作業が存在する。誤字や誤植のほか、作中の矛盾などを指摘して、作者に修正を促す大事な行程だ。 『ハーモニー』のこの矛盾は、プロット自体を完全に崩壊させる、校正が厳格な出版社だったら絶対に許さないようなミスだ。これが講談社や新潮社のように校正がしっかりしている出版社だったら、こんな欠陥を抱えたまま作品が世に出ることはなく、伊藤氏も、恥をさらさずに済んだだろう。
それに輪を掛けて情けないのがSFファン。
けれど、その作品のプロットや構成が、最低限成立しているかどうかくらいは、アイデアの好き嫌い以前に、ちゃんと見極めるべきだ。
ちなみに、僕は『ハーモニー』のアイデアも独創的だとは思わない。
ユートピアを追求したら自由意思の存在しないディストピアになってしまったという結末は、星新一や、アシモフの代表作のほか枚挙にいとまがないし、クラークの某長編をはじめとする「人類補完もの」のバリエーションのひとつとも読める。 また、ラスト以降の世界が、「自由意思を失った大人が、自由意思をもった子どもたちと暮らしており、子供も大人になると自由意思を失うことになる」、というものであれば、ほぼ、『キノの旅』1巻の重要エピソードである「大人の国」と同じ世界になる。
ともあれ、これほどまでに構成の破綻した作品を日本SF大賞の受賞作にしたり、オールタイムベストの1位に選んでしまうのは問題だろう。
考えてみて欲しい。SFというジャンルに興味を持ってくれた人が、こういうランキングを参考にして、まず第1位の作品から読み出したとき、「SFって、こんなにいい加減なプロットの作品を評価しているんだ」と失望してしまったら? 「SFなんて適当な構成でも許されてしまう、低レベルな小説ジャンルなんだ」と思ってしまったら?
それはきっと、SF作家たちとジャンルにとって大きなダメージになるだろう。
この文章を書いている途中で、僕は奇妙なことに気づいた。
SFマガジンのような活字媒体と違って、WEB上では、この大きな穴について言及している感想もぽつぽつ見かける。だが、そういうミスを指摘できているのは、SF作家やSFライター、SF評論家ではなく、ごく一般の読書ブログをつけているような人、「SF界とは繋がりが薄そうな人」ばかりなのだ。
そこでふと思い至った。
いくらなんでも、あれだけ多くのSFファンやSF評論家が持ち上げているのに、誰一人として欠陥に気づかないというのは、どう考えてもおかしい。
みんな、欠点に気づいていながら、それを指摘してしまえば伊藤氏のファンから一斉に反発を食らってしまうために、沈黙しているのではないか?
あるいは、伊藤氏が亡くなってしまっていて、作品の欠陥を指摘したところで訂正の機会がないから、批判するのは忍びないと感じているのではないか?
だとすれば、これはまるっきり、童話の「裸の王様」だ。みんなで持ち上げるうちに引っ込みがつかなくなって、誰かが声を上げるのを待っている。童話と違うのは、誰ひとり「王様は裸だ!」と言う勇気がなくて、とてつもない歪みが生じていることだ。
僕は、この歪みが決定的な打撃をもたらすのは、『ハーモニー』の映画公開時だと睨んでいる。「夭逝の天才が残した傑作SF」の評判を聞き付けて、SFファンや伊藤氏のファン以外にも、たくさんの観客が訪れるだろう。その時、プロットがぐちゃぐちゃに壊れているのを発見した観客たちによって、「さよならジュピター」なみの珍作として扱われることになるのではないか。
誤解しないで欲しい。僕は何も、伊藤氏の人格を貶めようとしている訳ではないし、『ハーモニー』を賞賛するのはやめよう、と言っているわけでもない。
ただ、彼の作品を持ち上げようとするために、SF読者、それもジャンルにどっぷりつかっているような人間たちが、構成上の欠陥に対して目をつぶり、盲目的になってしまうのは、SFの未来を考える上で、間違っている、と主張したいのだ。もしも、「この『ハーモニー』という作品は、これだけ小説としては崩壊しているけど、それでも僕は好きなんです」と言える読者がいるのなら、僕もそれは否定しない。作品の出来不出来と、個人的な好き嫌いは必ずしも一致するものではないからだ。 僕だって、出来は悪いけど好きだと胸を張って言えるSF作品は沢山ある。
たとえ何年か後、オールタイムベストの上位から滑り落ちたとしても、今のように、宗教的で無批判な礼賛ではなく、伊藤氏のファンが「こういう風に壊れている部分もあるけれど、好きな部分もある」という主張を大っぴらにできるようになったら、その時はじめて、『ハーモニー』は、正当な評価を受けられるのではないか、それこそが伊藤氏のためになるのではないか――僕はそう信じる。
言い訳:チラ裏 校正ゼロ 手すさびにうんぬん 平成同人サイトBBS的な言葉で言えば乱文長文お目汚し失礼しました><ってやつ
どうでもいい 酒タバコ車家オーディオゴルフ時計映画スーツほか服飾含むもろもろ
何にどう金かけるか? 少しでいいからリスクリターン考えてできれば家計簿つけて支出管理しててくれ 欲張り?うーん。そうかもしれん。
端的に言ってあのおじさンが「世間的に同定された『大人の男』の概念はこうだよ」としか言ってないし、
「じゃあ何に金かけろってんだよ」みたいな反応する人はむしろあの手の知識人系おじさンが何を基準にもの考えて人を評価してんのか考えたことないのかって感じだ。
権力のありか気にしたことないの?ステレオタイプなところだったら大体わかるだろ。いわゆるちょっと前に「洒脱」とか言われてたようなとこに金かけろってことだよ。
スマートな暮らし、とか上質な空間でラグジュアリーなひとときを、とかそういうハイブロウなアレだよ。
ちょっとカッコつけみたいな、今はなんか「意識高い系」とか「量産型サブカル」とか揶揄されてっけど結局そこら辺の人が真似してるのはそういう感覚のとこだよ。
ごめんちょっとそういうの興味あった 平凡というには意見が偏ってた
ああーーーーーもーーーーー石買おうが握手券買おうがなんだろうがそいつの勝手だ
「ソシャゲやんないからこの人の話わかんないや、絵がきれいだね」
「アイドルわかんないからこの人の話よくわかんないや、頑張ってるポーズを応援するって気分いいよね」ってなったら
積極的に話さないだけで(実際にはなんとか話合わせようとするけど)。
これは人格否定というよりは個人的な「親密に付き合う相手」の取捨選択だし、
「そういう価値観持つ人とは話出来なくてもいい」
「相手にされなくてもいい」
「むしろそんなスノッブな連中と付き合うつもりない(見下してる)」ってんならそれでいいんだよ。関係しないから。
何かを消費することで得る快楽と、何かを作ることで得る快楽と、何かを他者と共有することで得る快楽と、
あと何らかのカテゴリーで相対的に高い地位を得たと感じることで得る快楽と、
大体4つあるじゃん。なんか似たようなツイート前に見たんで勝手に改変だけど。
自分が大事にしてる快楽ジャンルが、知識人みたいなそういう「自分が勝手に相手を上だとみなして卑屈になる」相手にあれこれ言われたからって
勝手にルサンチマン爆発してクソリプ爆撃してんなよ。つまんねえ。TLだりいし寝るか。
と言いつつも布団の中でTL監視。星飛ばす。
けど上記のことを言ってもぶっちゃけ毎日ルサンチマン爆発してる。
クソ絵描いたり俳優追っかけてミーハーに騒いでるからやっぱり色々「アメコミ女子(笑)」「絵師(笑)」で揶揄されるんで、
「うるせえバーカ消費者め」と「いいじゃねえか洋ドラ見て騒いだって人に迷惑かけてねえよ(RPSは性質上やっかいなのでちと論点から除外します…)」と
「しかしもう少し世間並みな趣味も持っとかないといけないよな」と「外見にも気を使うようにしないとな…ブス辛い」が同居してるし、
件の話についても矛先が変われば我が身なので全然えらそうなことは言えないのであった。まる。
おわり
そんなことで誤字がなくなるなら校正は要らん。
もともとが「小説家になろう」っていう小説投稿サイトに載ってた作品らしいから。それから、いじらない!って、意識的にやってるのかも…普通なら恥ずかしくて修正しちゃうだろうし。
横だけど、句読点の使い方がおかしい文章に対しては「校正」を入れるのではなく、「編集」を「加える」のだよ。
校正は用語の誤り、関係性のおかしさなどを指摘することで、文章全体を直す仕事ではない。
業界外の人なんだろうけど、玄人ぶって馬脚を現すとはこのこと。
>ただのおまえの願望じゃねーか
どうして自分の信じている方向に転がると思っているんですか?
そしてジャンルの有り方や見られ方について話をするのは
どうしてまだ訪れてもないあなたの望む結果を元に、話をしているんですか?
あなたがラノベは校正されなければいけないと思いそういう風にネットで声が上がり?
そして?ラノベを出版している会社は?すみませんでした?校正します?
・・・?
どんな妄想をすればあなたの望む結果になるのかわかりませんが、
このジャンルはこうなる(こうなってほしい!)みたいにいくらわめいても
御自身のことをそこまで未来が読めると思っているようでしたらきっとこの先輝かしい未来を生きていけるでしょうね。
自分の歩く足元を見ずに、ね。
>悪文すぎて分かりませーん。校正入れてくださーい。
あなたはお金の流れが理解できない子どもだから人の気持ちも理解できないんですねー
ってこと。
ライトノベルが社会的に校正を他のジャンルのようにしっかりと入れる必要性があるのなら、
それは社会がそう判断して結果として商業的にうまくいかない事態に陥り、
ようするに不平不満が結果として還元されるので現状のラノベ全体の質でも商業として成り立つ以上、
ユーザーの大部分が校正を入れてまでコンテンツのサイクルを落としたり、
冊子の値段を引き上げるなどの対応を望んでいないという間接的な総意とも取れるわけです。
これはお金を軸にして動く社会ならごく当たり前のことであって、
だからこそ売り手側の要求が通りやすい業界や業種というのが強いとされているわけです。
ここまでわかりますか?
悪文すぎて分かりませーん。校正入れてくださーい。
あなたは人と会話してるつもりでいつの間にか自分の話たい内容に挿げ替えて
話し合っているようでその実、一人でしゃべっていることにまだ気づかないんですか?
オタクに有りがちな勝手に一人でテンション上がって聞きたくもないのに壊れたプレイヤーみたいにしゃべり続けていることがわかりますか?
ライトノベルが社会的に校正を他のジャンルのようにしっかりと入れる必要性があるのなら、
それは社会がそう判断して結果として商業的にうまくいかない事態に陥り、
ようするに不平不満が結果として還元されるので現状のラノベ全体の質でも商業として成り立つ以上、
ユーザーの大部分が校正を入れてまでコンテンツのサイクルを落としたり、
冊子の値段を引き上げるなどの対応を望んでいないという間接的な総意とも取れるわけです。
これはお金を軸にして動く社会ならごく当たり前のことであって、
だからこそ売り手側の要求が通りやすい業界や業種というのが強いとされているわけです。
ここまでわかりますか?
なので売り手側の要求の1つである校正かけてたら高くつくから安くしたいという要求を
買い手が飲み続けている以上、ラノベというジャンルでは校正をしっかりいなくてもいいという意思表示であり現状そのものなんですよ。
現実としてそれがまかり通っている以上、それを認めようとしないのはただの反社会主義やそりっ返りでしかないわけです。
何がどうあれ、とここでわめいてもただの戯言にしかすぎません。
何の力もない戯言です。
あれだって出た当初は日本語としてダメだろってさんざんこき下ろされたけど
模倣いっぱい出て最終的には名作扱いされたしな。
正しいかどうかなんて小説としては些末事。
最底辺よりも一銭も稼いでこれないあなたよりは100倍マシなのが資本主義社会なので安心してください。
口でどうこう言っても結局は金を稼いだ方が勝ちなんです。
もう少し現実を見てしゃべったほうがいいですよ。
毎日の食事代くらい稼いだら何かわかるかもしれませんね。
ではなぜ、ライトノベルにまともな校正が付かず、文章力も低いのに
そのライトノベルを購入する客がいて
ごめん何が言いたいのか全然伝わってこない
ラノベみたいに入口が広くて内容の薄い作品を大量生産して当たりが出ればラッキーみたいな商売で
しっかりとした校正を新人全員に行ってたら回収に対してコストが重くなるから
ライトノベルなんだから内容が多少酷くてもいいかという擁護の元、校正にコストを掛けないという商法なんだよってことはわかる?
女って「私友達いない……」などという割に、定期的に遊ぶ人はいるし、一緒にご飯を食べる人はいるし、当然のように彼氏はいるしで、一体どこに孤独感を感じているのか。
「一人でいて寂しい奴って思われたら嫌だし」……て、なぁなぁで付き合ってる方が余程寂しい奴だと気付け。
もう修復できないレベルで嘘つきまくりだろ。付き合いも面倒くさいし。まともに相手をした方が馬鹿を見る。
こういう女ホント嫌い。「私サバサバしてるし大丈夫」って思ったそこのお前、ぜんっぜんそんなことねえから。十分面倒くせえから。