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はてなキーワード: 大学受験とは

2021-06-03

残酷大学受験勉強のために置き去りにしたもの

残酷大学受験勉強のために置き去りにしなければならなかったもの 

ーほんとうに納得するまで受け入れないこと 

ーほんとうに納得するまで考えること  

ー粘り強く疑問をもち続ける心  

問題の設定自体を疑うこと

 

中国少子化対策は正しい

なぜなら先進国少子化Over-educationが原因だから

中国子供3人作ったら子供大学受験で50点プラス、4人作れば1人は最高学府入学できる制度を開始へ

2021-06-02

日記を書こう

日記を書こうと思った。

好きなバンドマン日記を書いてたから。

書いてて理由しょうもなすぎてげんなりしてくる。

これだから女は、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、

売れないって内容の曲歌ってるバンド見てバンド憧れるのっておかしいかなあ、バンド辛いって歌ってるの聴いてバンドしたいなあって思うのおかしいよな、、、普通に、、

音楽は好きだし、歌うのも好き、軽音みたいなのでみんなで演奏すれば楽しい、けど、売れるために音楽したら音楽嫌いになりそうで怖いなあ

人間として自分にそんなに魅力があるとは思えないし、音楽センスも兄の方が良くて兄が嬉しそうにlogicの画面見せてくるたびに尊敬すると同時に「あ、、私って何、、、」という気持ちになってしまう。

でも一生に一回ぐらいは本気でバンドやってちっさくて良いから、ツアーとかできなくて良いから、自分音楽お金払ってくれる人できたら嬉しいけどなあ、、、、、、、、、、、

まあ行動しないことには何も変わらないんですが、、、、

そうなんだよな、私の悪いところって憧れて始めるのは良いけど、唐突になんの計画もなしに始めるから一瞬で終わる、今だってそう。

これでもADHDじゃないって言われるから困ったな、、もうむしろADHDって言ってくれよ、、、、、、、

私が母にADHDからアスペから仕方ないか!って罵られたのは何だったんだよ、、、、、、、私ただの物忘れ多くて物覚え悪くて空気読めない健常者かよ、、、、、、

現実って感じするな〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜泣けてくるぜ

来年には大学受験が控えているので本当に、本当に今のうちにできること、やりたいことをやっておかなければならない、、

仮に大学落ちたとして、浪人してまで大学に行きたいか、まあ答えはイエスなんだけど、普通に浪人したら全てにおいてやる気無くしちゃいそうな気がしてる、、、、何としても現役で大学に入りたい。

お父さん、いつも高い予備校費を払ってくれてありがとう、娘は何も頑張っていません、大学に行くかすらわかりません、大学出たとしても就職するかもわかりません、就職したくないとすら思ってます、ごめん、お父さん。

お母さん、かわいい顔に産んでくれてありがとう。顔のおかげで幾分か世界が優しいです。

犬、猫、あんたらはかわいい、私より長生きしてくれ、私が早死にするから

書きたいこと書きたいと思った時に書いたらまじでやばい文章になってきたな。あとブラインドタッチが上手くなりました。

支離滅裂なんで読まなくて良いですよ。もっと有益もの読んでくださいね

明日も書いてたら良いなあ。頑張ってくれ明日の私。明日バイト頑張れよ。

anond:20210602190907

100000000000000000000000000000%その通りだよ

 

けど大学受験と同じでどうしようもない毒親+生まれつきメンタル弱いの組み合わせが

とんでもない悲劇を起こしたりはしてるな

辟易したりはするけど失われて良い命などない

江戸時代やら発展途上国に比べたらハイパーイージーなんだろうけど

ぶっちゃけ日本身分制度がまだ残ってる感あるよな

江戸時代やら発展途上国に比べたらあるなんて言っちゃいけないレベルフリーダムなんだろうけど

 

ネットやってるとマジでいっさいの苦労をしたことのない温室育ちの糞ボンボン

努力だの生きているだけで偉いだのやってるのが目に入って、正直、胸糞悪い

 

こいつらガチ上級国民でもない限り、

自分自身が恵まれている温室育ちだってこと永遠に無自覚のまま『フツー』や『努力家』を自称して生きていくんだろうな 

オメーのぬるま湯ライフは下々の者ではないのはもちろんのことフツーのカテゴリーにすら入らねぇから自覚しろボケ

 

精神のタフさって生得的なレジリエンス問題で他の要素は補足的なものに過ぎない派で

まれつきのもだから後天的にどうこうっていうものではない派だけど

こーーーーーんなぬるま湯で生きてきていればそりゃ何かあった時に簡単に折れたり病んだりもするわなって思う

せいぜい大変だったのは大学受験だったり友達に意地悪言われた程度なんだから

いやはやお貴族様よ

 

そしてよくよく考えるまでもなくバリバリ稼ごう出世しようってタイプぬるま湯お育ちのお貴族様は少ないというか

自分自身の周りでは見ないことに気づいた

まぁそりゃそうだよね

 

 

anond:20210606174307

2021-05-30

下々の者が生まれながらにして持っているもの、それはタフさ。と言うかそれがないヤツは日本であっても天寿を迎える前に物理的に死ぬ

ボンクラボンボンもの人生で最も大変だったことは大学受験からな  

そら下々の者とフィジカル面でもメンタル面でも話は噛み合わないだろうよ

 

あとな?

自分に酔ってる意識高い系ビジネスSNS芸人が言いがち

ビジネス書やサクセス系のマンガドラマありがちな

努力で圧倒的な結果を出して認めさせる』

 

あーーーーーーーはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはい

はいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはい

はいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはいはい

 

営業ならまだしも誰が自分より若くて有能なヤツを引き立てるっつーねん

自分自身の立場が危うくなりますやん バカなの???????????

 

というか営業でも社内営業怠ってるヤツは圧倒的な成績をだしていても

社内での立場微妙って本当にありふれた日常

 

必要なのは圧倒的な結果ではなく "社内営業" 下々の者と見えている世界が違い過ぎて震える

この世界にはどこまでもぬるま湯かつ清く正しい世界もあるんだなぁと素直に羨ましく思う

 

下々の者は圧倒的な結果とやらを出したくなったら(社内営業疲れたら)起業しま

なぜなら会社未来・在り方は従業員ではなく経営者が決めるものからです

金を出してるのがボスであって組織にたくさんのボスは要らん

もっとも下々の者が起業したところで下働きから逃れられないことの方が多いがの

ただ結果を出してる人もおるっちゃお

 

なお、 社内営業が最も大事世界的な企業所属しても外資所属してもこの傾向は変わらんかったで?

 

 

anond:20210605011659

anond:20210606175219

2021-05-25

anond:20210523222916

まったく似たような経緯で高卒フリーターをしていたけど、ふと思い立って昔やってみたかった業種の資格勉強をしている。

地頭がいいか捗るし、勉強楽しいという感覚を初めて知った。

昔の自分は「努力していないか落ちこぼれている」ふりをして自尊心を保っていた。

努力できている理由は、学ぶ過程を楽しめているからだ。幼い頃から興味のあった職種でもあるし、内容が専門職に近いから新鮮だし、一応日常生活で役に立つこともある。

努力する理由自体過程にあると、大義名分的にも「努力しても出来ませんでした」ではなく「出来なかったけれどこれだけの努力しました(キリッ」になる気がする。これは気の持ちようでもあるが。

昔は身を入れて勉強をしなくても結果がでる以上、過程はただの単純作業しかなかった。

増田大学に行く目的がわからない以上下手なことは言えないけれど、大学受験じゃなくても何でも楽しいと思えることをした方がいい。運動関係は難しいと思うが、座学ものならIQが高ければ素人からでもなんとかなる。

成功するか失敗するかどうかに重きを置かなければ努力できると思う。が、なにもしなくても成功してきた以上それが難しいのも充分にわかる。

増田の健闘を祈っている。

anond:20210524173550

親戚が同じこといってて

高校マナーうるさい系全寮制にいく

こりゃだめだと高卒でお坊さんになる。えらいおやまに修行にいってもどってきていろいろ

おやまはよかったけどもどってきて地元のお寺の馴れ合いで一生すごすのがもう志とはちがたので

カウンセラー資格を取りたくて大学受験。しらべたら教育学部とな

社会人枠は障害教育をしたい障害もちの方とか本当に必要な方が使うので受から

普通に受験して二十代後半の大学生

子供キャンプにいくボランティア活動も平行。

カウンセラー資格にはあまりいい印象をもたなかったようだ

お経のよめる高校教師、部活指導とか進路指導とか日々いろいろしてます←いまここ

ちなみに結婚して日本国民3人くらい増やしてた

あと最初のころ進路について生徒に話してくれって呼ばれたことがあるけど最近はもうよばれなくなったね

自己消化できたっぽい?

2021-05-24

転落弱者男性が一番つらい

地方国立大から一部上場の電機メーカー研究職~営業部署がかわっても勤めてきたが、

数年前(コロナ禍前)に早期退職した。

会社の業績はコロナで一層ひどくなり、会社に残っていた同僚も、今回の早期退職に応じたようだ。

ニュースでも見た)

ニュースについているコメを見ると、退職金がもらえてうらやましいなどと書かれているが、

ここからがつらいんだよ。

再就職もなんとかなるだろうと思っていたが、なんともならない。

もう50だしなと自分ではおもっているが、あたらしいことができるとは思えない。

最後営業職だったのが幸いして、なんとか地元製造メーカーに転がり込んだかが、

給料は半減である

でもローンは半減しないし、子ども学費はこれから大学受験で、どんどん消費は増えていきそう。

これからどうしようもない人生よりも転落がわかっているほうがつらいんだよ。

2021-05-23

発達の偏りというか短期記憶問題がある気がする

以下はチラ裏身の上話なので時間無駄になる(予告)

自己判断だけどなんとなく自分はややADHDっぽい性質があると思ってる。20年ぐらい前に安易リタリン出すタイプ精神科医生活上の困難を相談したら、あんまり深く検査もしないでADHDでしょうねとか言われたことがあったレベル。でもセカンドオピニオンを求めてちゃん検査する大学病院行ったらリアルに鼻で笑われたから投薬とか受けてないけど。

社会人になってからタスク管理全然できなくてミスして怒られてばっかりで、鬱っぽくなって自分ADHDかも?と疑って受診したのが始まり。何も覚えていられないから細かいタスクまで全部テキストに書いて毎日何度も見返してた。時間感覚全然ないことにもその頃に気づいて、自分がさっきまで何してたのか、何でこんなに時間たってるのか分からないこともしょっちゅうあった。何時までに何をどれだけやるのかっていう計画性とか時間見積をする習慣が本当に全くなくて、これを少し身に着けて日々繰り返すことで少しずつ普通にこなせるようなってきた。(でも休日になると子供の頃と同じ暮らしに戻る)

自分場合はよく過集中しちゃうんだけど、それって「今は先に○○しなきゃ」っていう短期記憶がすぐに揮発しちゃうのも一因かなと思ってる。視界に入ってないものは何でも本当にすぐ忘れる。本読むのが苦手で、前のページまでに何書いてあったか覚えてられなくてストーリー全体像が頭に入らない。深く練られた物語とか伏線とか推理小説とか大抵くみ取れない。1日3回飲んでる薬があるんだけど、さっき飲んだのかどうか思い出せないことがしょっちゅうあって、飲んだ記憶がさっきなのか昨日なのか本気でわからないなんてのもザラにある。深夜になって、今夜の夕飯が何だったのかを思い出すのも10秒ぐらい悩んで頑張ってようやく思い出せる。

仕事の打ち合わせなんかしてるとき、細かいToDoとか懸念点とかの話がたくさん出てくるけど、3つ目ぐらいになるともうワーキングメモリからあふれるのが分かる。最近では「あっ今何か忘れた」って感覚すらある。(シナプスが切れた感覚とでもいうのかな?)怖くてひたすらメモするからメモが大量に膨らんでそれの整理に追われて疲れ果ててる。毎日何も抜けないようにするなんて無理で周囲からトレースに物凄く助けられてる。

でもなぜか学歴はそんなに低くなかった。子供の頃は勉強する意味も分かってなかったし授業も一切聞いてなかったし、なんか怒られるからただやってた。テストでいい点とりたいと思ったことも無かったか万年学内で劣等生だったけど、高校卒業してから仕方なく大学受験のために自分参考書買ってマイペースで独学したら結構楽しくて、人並み程度の点は取れるようになって一浪してちょっとましな大学入った。みんなが言ってる勉強ってこういうこと頑張ってたんだなってここで初めてちゃん理解した。

思い起こせば幼稚園から大学卒業まで、犬猫みたいに瞬間瞬間を主観的直感的に本能で生きてて、同級生がそれぞれどんな性格の人だったかほとんどわかってなかったことにも気づいた。他人にも感情があって、他人立場から見て自分の振る舞いがひどいものだ、っていうことを理解したのは社会人になって数年たったころだった。孤独耐性がかなり強いし友達と呼べる人は今はいなくて、大学の知り合いと年に1回連絡とるかとらないかぐらいしか関係は残ってない。

こういう頭の悪さって家庭環境とか遺伝関係あるのかなと思う。父親はかなりアスペ疑惑の強い友達いない嫌われ者だし、母親は部屋散らかってて掃除しないAC気味で離婚した。兄弟DVキチガイでこれまたアスペ疑惑20年ぐらい毎日自分が殴られてた。こんな家庭出身自己肯定感は地に落ちてるし子供とか死んでも要らない。相方はいた方がいいとおもうけどまあどうでもいい。生きていくのしんどすぎわろた

子育て中の親が「うちの子脱線ばっかりして宿題しない」とかいうのを目にすると、例えばこんな感じで無自覚記憶が飛んでるのかなと思ってる。自分がいつもどんな行動パターン時間無駄にしたり何かを忘れたりしているのかを、まず本人が時系列で振り返って自覚したり、それを改めたいと自発的に思わない限り改善は難しいんじゃないだろうか。

anond:20210523070011

トップレベルの優秀層に中学受験大学受験受験用の勉強させるのは時間無駄

開成筑駒あたりでは18で大卒資格、そこから東大京大に進学したら22で博士とれるようにしてやればいい

飛び級は目立つの日本には向かない

2021-05-22

なぜ他人はホイホイ結婚できるのか全然からない

ただ他と比べて母親がクソだと認識するのが遅かったのが原因かもしれない

ワガママなクソが普通母親だと思ったのが間違いだった

他人母親はそんなんじゃないと認識したのが成人してからだったからかな

大学受験合格したとき他の家は家族でお祝いした話を聞いたときウチは違ったと思ったとき

母親から愛されてなかった

思えば高校受験ときに送ってくれたのは父だったし帰りは担任先生だった

中学卒業式で親同士が楽しく話している集団があったがウチの母はいなかった

就職がうまくいかなったとき悩みをきいてくれなかった

私のために頑張ってほしいとズレたことを言っていた

お前は母であって結婚相手ではない

母は自分幸せしか興味なかったのだと思う

母は変わり者だった

変わり者なだけならよかった

自分しか興味のない変わり者だった

から愛されてなかった

きょうだい全員愛されてなかったと思う

父親の母の悪口を言っていた

死んでからも言ってるし今も言っている

おばあちゃんはこんな家事もできないのよ、と

父親の父の悪口もいまだに言っている

おじいちゃんは○○をしてくれなかった、と

これが母の人格なのだ

母は他人を愛することを知らないのかもしれない

から愛されてなかった

母のような人とは絶対結婚したくないと思う

そう思うと怖かった

好意を持った女性が母みたいだったらどうしようと

たぶんこれが私が結婚できない理由

もし母のような女性だったらと思うと恐怖しかない

2021-05-21

人生を左右するのは主に運だということがわかった。

であるからには大学受験も5割は運の問題にするべき。

具体的には、適当乱数ハッシュ関数の16進数表記の一桁目を当てる問題かにしよう。

2021-05-13

anond:20210513133714

大学受験なので高校数学

公式は覚えられるので単元ごとならそこそこできるが、入試問題になると何を使えばいいかからなくなる

2021-05-04

俺は家だと何もできない男。

大学受験に失敗し、高卒

リモートワークは一秒も仕事せず自ら中止を懇願

コロナのせいでカフェ勉強できないか

ネカフェに来たりオートキャンプ場に行ったりしてる。

何でなんだろう。

おかしいのかな。病気なのかな。

2021-04-29

国公立大学への進学者のうち、高校入学から受験勉強スタートした人が半数超に【東進調査

大学受験勉強高校入学前にスタートした人のうち、国公立大に進学した生徒は50.2%に達する一方、高校3年からスタートした人のうち、国公立大に進学した生徒は33.8%に留まった。

受験勉強高校入学前にスタートした人のうち、国公立理系に進学した生徒は35.1%で、受験勉強スタート時期が遅くなるほどその割合は減少する。しかし、私立文系スタート時期が遅くなるにつれて割合が増加し、高校3年スタートでは43.9%に達している。

https://www.toshin.com/news_release/uploadFiles/NewsReleases/6d3da61829255931a419da4497f05f949a6a6682f71786df9198af6ce601b92920210428104210.pdf

2021-04-28

首を吊ってる母親を、自分の手でドアから降ろした話。

これも結構前の話になる。

「そういえばあの時、どんな気持ちだったっけ?」と思い返す機会があったので、折角なので文字に書き残しておきたい。

そうすれば胸に落ちるものも、もしかしたらだけど多少はあるんじゃないのかな?って感じで。

内容が内容なので、少し長くなるかもしれないけど、お暇な方がいらっしゃいましたら読んでやってください。

あんまり仔細に年月日を狭めすぎるとアレなので、時期は今から7年ほど前。

ちょうど今のような、若干寒さも落ち着いてきたかな?ってぐらいの春頃のお話だと思って下さい。

当時の俺は大学入学したての、ピカピカの一年生でした。

兄の方がとても優秀だったんで、随分と見劣りはするけれど、俺の通っていた高校レベルからすれば「まあ頑張ったんじゃないの?」程度の大学へと入学

その筋のマニアには結構有名な、二郎インスパイアの名店が近くにある登り坂の長い大学ですね。

あれは本当に数少ない良い思い出です。メチャメチャ美味かったな。店狭いし、オッサン怖いし、汚いけど。

オススメは小ラーメン・麺少なめ・ニンニクマシ・アブラシマシです。

しか高校まではチャリ通で10分だったところが、電車を乗り継いで1時間半になったのは本当によくなかった。

職場学校は、絶対に自宅から近い場所を選びましょう。近い場所にないのなら、あなた引っ越ししまいましょう。(経験則

そんなこんなで深夜までゲームやらアニメうつつを抜かしては、中途半端時間に目覚めて、一限は余裕でアウト。

気付いた母親に叩き起こされて、仕方なく起床。もそもそと着替えて、遅刻前提の移動。

それで素直に大学まで向かえばいいものを、「途中で行くのも面倒くせえな」と地元カラオケで朝割フリータイムしてたり、本屋立ち読みしてたり。

入学当初からそんなんだから、とにかく授業内容は良く分からないし、眠くて眠くて仕方なかった。

何よりも人見知りだったもんで、良くも悪くも自由大学形式の授業とサークル活動に、いまいち馴染めずにいた。

大学は少中高と違って、能動的に働きかけないと友達はできないもんなんです。あの頃の俺に教えてやりたい。本当に。

夢見ていた大学生活は、俺にとってはただの眠気との闘いに成り代わっていたのである……。

そんなんで仲の良い友達全然いないもんだから、授業サボりまくって、図書施設ビデオ設備で「ロード・オブ・ザ・リング」とか「戦場のピアニスト」とか見てたな。

いや、完全に余談でした。すみません

とにかく、こんなカスの具現化みたいな大学生活を送らないよう、新入生の皆さんは頑張ってください。

話を戻します。

俺が小学校に上がるぐらいの前に、うちの母親は一度離婚している。だから俺は種親の顔をほとんど覚えていない。

自分ママとパパと話すけど、ふたり全然しゃべらないなぁ」とか「やたらと関西実家に行ったり、親戚の子がうちに来るのはなんでだろ?」とか。

そんなことを子供ながらに思ってたんだけど、今思い返せばそういうことだったんだと。

そんなこんなで気付いたら第一父親が消えて、俺が小学校二年生ぐらいの時に、新しい父親が来た。

第二の父親は、俺は子供ながらに「良い人」だと思った。

そりゃ向こうも腹を据えて、血の通ってない兄弟二人を抱えるわけだから、多少の上っ面は確保してくるには違いないんだけど。

一緒にお風呂に入れてもらったことが嬉しかったのを覚えてる。そんな第二のお父さんの背中には、ご立派な龍のモンモンが彫られていたけど。

仮初でも、その人は優しくて良い人で、色んな場所に連れていってくれたりした。なんかホテルが多かったな。海ほたるとかもよく連れていってもらった。

多分これまでの人生25年、その人が来てからの数年が一番幸せだったんじゃないかな?

中学に上がる前ぐらいの、それぐらいの間。ホント幸せだったと思う。ボンボンボンボンで、当時Xbox360COD4ネット対戦してたの俺だけちゃうレベルで。

母親も、その時が一番楽しかったんじゃないかな?

俺も兄貴母親父親も、心から「家族」を感じてた最後の瞬間だったと思う。

で、俺が中学に上がった頃に、第二の父親が手掛けていた事業が一気に傾いてしまったと。

これは直接見たわけでもなんでもないけど、父親の元同僚の方に聞いた話なんで、間違いないことだと思います

首の回らないレベル借金も抱えることになったと。

そっからの酒乱っぷりたるや本当に凄くて、中学生ぐらいになると俺も兄貴も(特に俺は)夜更かしをするようになってるから

ベロンベロン状態で帰ってきた泥酔親父に、子供相手に何を言い出すねんみたいな絡み方をされだして。

うわぁ、イヤやな……って、毎日夜になる度に鬱になってたのを思い返します。寝てたら寝てたで起こしにくるし。逃げようないやん。

そんな紆余曲折を経る中で、第二の親父が俺に放った言葉

「お前なんて、オレの本当の子供じゃねえんだからな?」

この一言が本当に忘れられなかった。シグルイのあの人ばりに、(この傷は二度と戻らんな)と泣きながら感じたのを覚えてます

しかもこれ確か、母親の目の前だった気がするんですよ。なんか二人で揉めてて、俺が仲裁に入るじゃないけど、間に入ろうとしたらこうなったみたいな。

酔うと貯め込んだ本質が出るタイプの人っているじゃないですか。つまりはそういうことだったんだな、と。

それ以降、父親と心を通わすことは一切なくなった。もちろん話したりってことはあるけど、他人みたいなことで。

そんなこんなで、それでも気付いたら中学生になって、高校生になって。

第二の父親は家からはいなくなって、お金だけを入れながら、たまに連絡を取るぐらいの関係になって。

こっからはもう蛇足なんで、ちょっと飛ばし飛ばし

小中校まではすごい楽しかったんですよ。面白い友達もいたし。なんで急に大学ダメになったのか、不思議だなぁ。

母子家庭あんまり余裕のある生活じゃないけど、塾にも行かせてもらって、奨学金も出る。

大学にも行けるんだと思えば、ちょっとぐらいの家庭内のゴチャゴチャがあるぐらいで不幸ぶんなよ、俺よりひどいやつなんて山ほどおるぞと自分自分を戒めたりもして。

そして母親の様子がおかしくなりだしたのは、このあたりだったと思います。ちょうど俺が大学受験を終えたぐらいの時分。

深夜、お腹すいたなーと思ってリビングに行くと、母親ワインと大き目なビニール袋みたいなんを用意してて、一人で黙々と飲んでて。

で、ちょっとなんか変な感じがして、母親の目から。据わってるって言えばいいのかな。とにかく、明らかに普通じゃないけど、普通を装うとしているのが伝わってくるような、そんな感じで。

無言でいるのも変なので、「なにこれワイン?家での飲んでるの珍しいね、いいやつなの?」みたいなことを訊いた覚えがあります

うちは父親の件もあったので、母親とはすごく仲良しだったから。

思い返せば、極度のマザコンだったんだと思います特に兄貴が遠方の大学にいってからは、実家には俺と母親の二人だけだったから。

とにかく変な雰囲気だったから、「お酒家で飲むの初めて見たかも!俺もひとくちもらおっかなぁ」みたいな、おどけてなんとかしようみたいなムーブをした記憶があります

「いいよいいよ。飲んでみな」と、母親が余裕で許可をくれたことも結構意外でした。酔ってたのかな?分かんないけど。

ド深夜、テーブルライトだけつけたリビングの机、ワイングラス、謎の大きなビニール袋。

なんかすげえヤバイことになってんのかな?と。

なんでだろう、このあたりから薄々感じ取り始めたというか、そんな気がしました。今までにこんなことなかったよな?って。

そして寝て起きたら、横に母親がへたりこんでるんです。体育座りを右斜めに崩したみたいな恰好で。

俺は一瞬、本気で死んでると思った。でも慌てて抱き付いたら、ちゃんと体温も呼吸もしてたので、本気で安心したのを覚えてます

えっえっ?ってなって、どうしたん?って聞いたら「いや、ちょっと……」みたいなことで、手元を見たらスカーフ?とハンカチを束ねて作ったような、首吊り用の縄?があって。

正直ワインときから厭な予感はしてたから、メチャクチャ驚いたし、なんで?ってなった。

「それはだめだって、それだけはだめだよ。これからどうすんの?」って泣きながら問い詰めた記憶があります

人間、本当に近しい人であれば、ちょっとした行動から、「なんとなく自殺しそうだ」というのが分かるものなんだって思いました。

マジでここらへんの記憶が、ずっと頭からこびりついて離れない。身体を下ろした時よりもキツかったかもしれない。

未だに良く分からない。要するに母親は、部屋のドアノブに縄を引っかけて、首吊り自殺をしようとしたんだと。

しかも俺の部屋のドアノブだった。誰のだったらいい、ということじゃないけど。この時には、兄貴はとっくに外に出ていたはずなのに。

首元を見たら、真っ赤っていうか、うっ血したようなアザになっていて、「失敗しちゃった」みたいなことを半笑い、作り笑いで言っていたような記憶があります

未だに後悔しています

あれだけ明確に希死念慮を見せていたにも関わらず、なにもできなかった。

母親がこのとき、俺に助けを求めていたのかは分からない。あるいは本当のショックを与える前に、「私は死ぬからね」という予告をしたのかも分からない。

兄にも周囲にも連絡をしなかった自分の愚かしさ。せめて身内だけには言うべきだった。

でも、言ってもどうにもならないんじゃないか、言われた側に負担を強いるだけになるんじゃないかと、どこかで想ってしまっていたのも事実です。

母親自殺をするかもしれない。どうか助けて下さい。」この言葉を俺はいったい誰に伝えればよかったのか、いまでもわからない。

救い方があるとしたら、それは俺がどれだけ母親が好きで、愛していて、感謝しているかということを、心変わりするまで何度でもいうことしかなかったんじゃないかと。

ある日、大学に行った。四月の上旬。はっきりと覚えてる。

ちょっと早めに授業が終わったのか?サボったのか。正直どっちでもいいけど、俺は家に帰った。

なんだかすごい胸騒ぎがしてた。兄も俺も家にはいない。家にいるのは母親だけ。

ただいまとドアを開けた瞬間、やはり自分の部屋の前で、足元に椅子を置いて、スカーフで作った縄を首にかけて、うなだれて扉にもたれかかる母親を見つけた。

凄まじい衝撃と同時に、「やっぱりこうなった」とどこかで思う自分がいた。

首にかけているスカーフ素手では取れなかったので、キッチンからハサミを持ってきて、片方の刃で切り落とした。

抱き抱えた母親身体は、思い返せば想像よりもずっと軽かった。

「誰か、誰か助けてください」と今までにいったことのような言葉を金切り声で叫びながら、居間の上にあおむけにさせて寝かせた。

そして震える指でスマホをうって、まず兄にコールした。

兄は大学二年生で、本来なら学生寮にいたはず。この日はたまたま里帰りをしてきて、何かを読みに本屋にいってくるといっていた記憶がある。

しかすると母親は、この日を待っていたのかもしれない。兄弟が揃う日じゃないと死ねないと思ったのか。分からない。

ママが首を吊ってた。いま俺が下ろしたけど、意識がない。救急に連絡するから、すぐに帰ってきてほしい」

と言って、すぐに電話を切った。兄は「わかった」とだけ言っていたような気がする。

家の場所を伝えて、どうか助けてくださいというと、すぐに救急車と救助隊の方々が来た。

俺は人命救助の方法とかがまったく分からなくて、もしかすると心肺蘇生とか、胸骨圧迫とか、本当はいろいろなやりかたがあって、

待っている間にそれができていれば、母親を助けられたんじゃないかと思う。

でも本当に現実現実として受け止められてなかった。頭がヘンに冷静だったのは、「こんなことになったけど、きっと助かるよな」と無根拠に信じ込んでいたからだと思う。

ここではどうにもならないから、と救急車に乗り込んだ。

ハサミで深く切った指から血が流れていることに気付いた。痛みはまったく感じなかった。

俺「こんなんなっちゃったな」

兄「俺、これからどんな顔して顔あわせればいいかわかんないわ」

俺「そうだなぁ」

こんな会話を、兄弟で悠長に会話していたのをハッキリと覚えています

ここまではすごくハッキリ覚えているのに、ここから先があいまいなのが不思議で、不思議で。

確か夜の病棟に運ばれて、「自意識が戻る可能性はない」と言われたこと以外は、実はほとんど覚えてないんです。

翌日の病室の面会で、意識のない母親を前に過呼吸になるぐらいに泣いてしまたことを覚えてます

そして「自意識が戻る可能性はありませんが医療を続けますか?」というような旨を医師の方に伝えられて、「もういいです」と伝えたことは覚えてます

そしてずっと病院に居るわけにもいかいから、家に戻って、母親のいない家で過ごして。

三日後か四日後、電話の連絡で「お母さんは亡くなりました」と同僚の方から連絡をいただきました。

母親の死に目に会わなかったのは、自分にとって幸運だったのか、不運だったのか、未だに分からずにいます

からない、本当に今でもわかりません。

あのワインの日から自分に何が出来たかをずっと考えています

間違いなくサインとなっていたあの日ちょっとでも行動を起こす勇気自分にあったのなら、もしかすると母親は今も生きていたのかと。

2021-04-24

動画を見ないと情報が得られない

就職氷河期40代独身だが、Youtube大学受験動画を見たり、就活動画を見たりしている。

さらながら知ることのできるテクニックなどがあり、感心する。

公立中学出身なので、中学受験に関する動画を見たりして、大変だなーと思ったりする。

ところで、こういうYoutubeで得られるHowTo情報、意外とググっても出てこないのだ。

グーグル検索でヒットするのはWordpressで作られたアフィリエイトリンクの貼られたブログが多く、

かにエクセルの使い方など、マニュアル的なものを探すにはとても便利だが、

口コミ的(当事者本音的)HowTo情報って、インターネット上の文字情報あんまりなっていない。

あとYoutubeには専門家が顔出しでいろいろ専門的なことをアドバイスしている動画が多いが、

グーグル検索では専門家が書いている情報はあまりヒットしない。

ブログ情報はどこも同じようなことが載っていて使い回しているかのよう。

15年前は、2ch過去ログを見ると、いろいろ口コミ情報が載っていたが、

いまその立場にあるのはYoutubeだよなあ。

でも動画は見るのに時間がかかるのが難点。

2021-04-23

anond:20210423035354

実験/実習が重い理系学科は以前からそんなもんでしょ(少なくとも国立はそう)

GMARCH理系なら地頭勝負文系就職大手企業は厳しいから、メーカー行くしかない

メーカー行ったら地方工場勤務の可能性が高く、会社によっては3交代勤務もある

開発部門に行きたければ、そのまま院進よりは東大東工大に院ロンダするべきだろう

開発部門ブラックなところも多いけどね

研究職は、大学受験で最低でも旧帝受かってないと無理

2021-04-22

偏差値60のそこそこ上手くいく人生の果てに、つまら大人になりそう

合法的自分語りをしてもいい場所だと聞き、俺のことをまったく知らん他人自分人生を見てどう思うか気になったので、初めてこの場を借りてこんなのを書いてます。そういうつもりは毛頭ないんだけど自虐風の自慢みたいな話にガチギレして憤死しちゃうような方は自衛してくれ。

まず現状。

マーチ下位レベル大学3月卒業したばかり。就活はかなり上手く行った方だと思う。大手優良企業代表格みたいな大企業から内定をもらい無事就職、このまえ初任給を受け取ったぐらい。同期は数百人いて、大半は顔も名前わからん大手特有のアホみたいな福利厚生で、自己負担3万でそこそこの広さで一人暮らしを始めた。

続いて今までの話。

まれも育ちも東京。両親メガバン銀行員のクソお堅い家庭に生まれ幼稚園小学校と社宅住み。きょうだいは姉1人。チビのころはセミ取りとかが好きなヤンチャで割とクソガキだったと思う。ただ環境的に中学受験者がほぼいなかったのもあって勉強小学校の中ではたぶん一番か二番ぐらいには出来てた。中学受験にてそこそこ東大を出す私立中高一貫男子校合格偏差値59〜63ぐらいでイメージしてもらえれば。

特筆すべきこととしては、小3で父親が急死。急な心停止=ほぼ原因不明みたいな感じ。母親曰くほとんどそんなことは今までなかったらしいんだけど、前日クソ酔っ払って帰ってきて、朝にはもう亡くなってたらしい。その日の朝は寝てると思って誰も気付くことな小学校に行ってたけどね。

続いて小6の終わりごろ父親の働いてた銀行の社宅を出て近くに戸建てを立てる。人生初の引っ越し。推測でしかないが、たぶん総額1.2億ぐらいはかかってる。遺族年金とかそれまでの積み立てとか諸々を合わせてキャッシュ一括ノーローンとかいうおよそ母子家庭とは思えないイかれた家の買い方をしたうちの母親の度胸は素直に尊敬する。そのあと生活が苦しいとかもなく、流石にFP2級とか持ってるだけあるわとかは思う。

割と余談だけど、それだけの貯蓄があったこととか葬式の名簿とかみる限りはうちの父親は社内でもかなり強烈に優秀だったっぽい。今となってはいなくなってからの方が長いもんだから他人感すげえんだけど。

続いて中高時代

通ったことある人は割と同意を得られると思うんだけど、中堅進学校って上と下の能力差がすごい。俺は勉強は嫌いだったから下から数えた方が早いような落ちこぼれ一歩手前といった立ち位置

上を見るとほんとにイかれた連中で、俺はここで本当にすげえやつってのは世の中にいるんだなと体に刻み込んだね。真面目なだけで東大に行く奴ももちろん中にはいるけど、その上に狂気的な勉強マシーンとか、スーパーハイスペックの頭おかしい奴(だいたいギャグ方向におもろい)とか、そんな連中も普通に生息してるような環境

これは普遍的にそうだと言えるのかはよくわからんけど、面白いのがそういう連中と俺みたいな勉強できない層が普通に仲良くよろしくやっていられる環境だったってとこ。だから勉強できるやつに僻みとか覚えたことは一度もないし、まあアイツらはちょっと普通じゃないから追いつけんわとか勝手に思ってた。

一度もないはウソだわ。テスト前は僻んでたような気がする。

そんな環境で6年間過ごした。男子校はアホすぎておもろい。二度目があったら通わないけどな。大学受験は私文志望でやる気はあんまりなかったけど、流石に3年の12月ごろにケツに火がついて、第一志望ではないものマーチの下位学部合格し進学。

周りの進学実績は東大とかの国公立15%、早慶55%、マーチ15%、あとはほぼ浪人みたいなイメージ体感いか勉強せずにそこそこいい学歴をつけるかをだいじにしてたもんで学歴コンプはなし。そもそも早慶受けてないし。

薄々気づいてるかもしれないけど、あんまり努力をしないでここまできた。要するにペラ人間が出来上がりつつある。これ、実はもうちょっとだけ続くんじゃ。

大学時代

基本的に私文は大学に行かないみたいな都市伝説があるらしいけど、普通に2/3は出席しないと単位くれない授業が多いもんでわりと大学には行ってた。サークルガチャには成功し、割と力を入れて色々やったりしながら入り浸っていたのもある。もともとあんまり母親とは考え方が合わなくてあまりきじゃなかったこともあって平日はほぼ大学にいて、休日は家にいるみたいなスケジュール多め。例のウイルス流行る3年生まではだけど。

就活ES四通しかさない最強のコスパ就活になった。内定二つに一つ選考辞退、一個webテストでお祈り。落ちたところは第二志望だったしその時点で一個内定持ってたか別に気にはならなかったけど、どうせなら全部通ってたほうが話のタネになんのになあとか今でも思ってる。

最終的に決めた企業経団連ルールを遵守して6月から選考が本格スタートするところ。これだけで特定されたらちょっとやだな。

ES添削だけ同業に入った先輩にお願いした以外は特別なことはなんにもしてない。面接対策特にしなかった。面接官と雑談してたら選考が進んだって感じ。正直自分スペックでは受かる訳ないと思っていたので流石に内定もらった時は驚いた。母親自分の100倍ぐらい喜んでいたので、それを見てちょっと冷めた。顔も知らない奴に優しくするつもりもないんで譲ってやりたいとかは無いけど、流石に俺が受かってる裏で超真面目にOB訪問とかしてるような層も含めて万単位学生がお祈りもらってると思うとごめんなって気もする。

長くなって申し訳ない。で、無事に実家も出て、一人暮らしをする1人の大人デビューをしたというのが現在までの人生の経緯。

ここから会社の話。

ほぼ全部の企業がそうだろうけど、絶賛研修間中

全員を観察したわけじゃないから一概にそうだと括るのも流石に雑かなとも思うけど、ずいぶん人気企業として名を馳せている割には、面白い人間はいなさそうだなというのが正直な感想。もちろん自分のことは棚にあげてます。この会社にいるのはお勉強のできそうなマジメちゃんか、要領が良くてなんでも70点出せるようなタイプ。悪く言えばクソ真面目なやつと薄っぺらい奴だけ。

中高時代にいたようなイかれた連中はここにはいない。国内トップレベル大手にいないんだから、たぶんそういう奴は別のキャリアを歩んでるんだろうなと思う。

ふと自分に立ち返って考えると、自分だってその一員だということに気づく。人生経歴から言ってどちらかと言えば比較的要領がいいペラペラ層にあたるようで、自分が嫌いな"つまんねえ大人"にどうやらなってそうだという気づきがここ最近自分トレンドです。

ガキの頃は置いておくとして、中高時代学校に行けば何かしら面白いことは起きたし、大学時代サークルにそこそこ心血を注いできたからやることに困ることなんてなかった。

今、社会人になって、俺は何をする人間なのかが分からなくなりつつある。仕事して、寝て、休みの日にはダラけてるだけって虚無じゃね???あれ???

と、思ってクソ長い自分語りをしてみた。ここまで読んでくれた暇な人、ありがとう。今後の生き方の参考になりそうならするので、悪口でもなんでもいいんでこういう人生感想を残していってくれると嬉しい。

2021-04-21

センター9割取ったけど駅弁大学の授業についていけなかった話

小学校の頃は勉強に関しては困ったことがない。

テストは大体100点だった。

ただ友達付き合いが壊滅的に下手で、中学に入ったこから学校に居場所がなくなり、年単位不登校になった。それはここでは省略する。

高校からは真面目に登校し、友達もできて、勉強も遅れを取り戻すことができた。

高3になり、大学受験に向けた模試では毎回旧帝薬学部が狙えるレベルだった。

緊張して臨んだセンター試験は9割。正直、自分スゲエと浮かれた。

旧帝薬学部が十分射程範囲に入るのだ。

でも待てよ、と立ち止まった。

もし落ちたらどうなる?

そう、自分自主勉が嫌いなのだ

学校や塾で授業を聞くのは苦ではないが、一人で勉強するとどうしてもすぐネットに手が伸びて1時間時間が溶けてしまう。

コツコツ一人で机に向かうことが本当に苦手だった。

からもし浪人すると絶対ネット漬けになり、ダメになってしまうという確信があった。

選んだのは合格確実な地元国立駅大学の非薬学部

親元から遠くなるのに不安を覚えたから、地元から出なかった。(これは正解だった。のちに引きこもりになり生活習慣も精神的にも不安定になったので毎週実家に帰って会話する相手がいてかなり救われた)

当然合格し、駅弁大学入学。どうやら50人以上の学科入試の成績が一位だったようで、表彰もされた。

入学するとオリエンテーションサークル勧誘で異性からたくさん話しかけられた。

新入生の女ならちやほやされて当たり前なのだが、こんな私でもリア充になれるかも?と少しだけ夢を見させてもらった。

しかしその少し後に、私は衝撃を受けた。

教授講義で話してる内容がまったく理解できなかったのだ。

どこがわからないのか考えても、一から十まで全部としか言いようがない。

からないところがわからない、お手上げ状態である

何せいきなり理解不能な単語概念が当然のもののように出てきて、それを前提にどんどん講義が進んでいく。

その専攻は高校では好きな科目だったはずなのに、しょっぱなから高校までで習ったことは嘘です。本当はこうなっています意味不明説明)」と打ち砕かれる。

極めつけは実験科目で、実験器具を目の前にして何をどうしたらいいのか教科書を見てもまったくわからず固まってしまい、「あ、これ無理だ」と確信してしまった。

授業にもついていけないし、人間関係も、最初同級生と仲良くできたものの一歩踏み込んだコミュニケーションが取れずに徐々に距離ができていった。

次第に私は大学に行かなくなった。一人暮らしアパートに引きこもってネットゲームに明け暮れ、昼夜逆転生活を送るようになった。

土日や長期休みには実家に帰ったりアルバイトをしたりして、そこでだけ人と会話できた。

当然、単位が足りず留年確実になった。

このままではいけない。なんとかしなければと学生支援センターのあたりをブラブラ歩いていると、入学後でも専攻が変えられることを知った。

これだ、これしかない。

私は文系学部試験を受けた。普通入試と似たようなもので、英語小論文があったと思う。

無事に合格し、心機一転、同じ大学で二度目のキャンパスライフスタートした。

この学部でも専門科目はわけがからなかったが、前の専攻とは違ってまだ理解の糸口がつかみやすかった。

また文系マンモス学部なので講義で人と関わることはほぼなく、かつ編入生という明確な立場の違いがぼっち安心材料になって、余計なストレスを抱えずに勉強できた。

あとはここで躓いたら二留か最悪中退するしかなくなるので、授業も試験も頑張るしかなかった。

幸いなことにその学部卒業要件がゆるく、ゼミはあるもの卒論すら不要だった。また、私が選んだゼミはゆるさで有名なゼミで、ぼんやりとしたテーマでなんとなく発表する程度で許されたのも運が良かった。

かくして引きこもりぼっち大学生は、一留したものの専攻移動という手を使ってなんとか卒業までこぎつけたのだった。

ちなみに授業と並行して資格試験学内講座も受けたが、そちらは教えるプロ試験突破目的とした講義をしてくれるので非常にわかやすく、自分が得意だった大学受験までの「お勉強」と似ていた。

そのため資格試験の方は余裕で合格し、無事に就職できた。

大学卒業して長いこと経つが、いわゆる優等生の方だった自分大学でなぜあそこまで躓いたのだろうとたまに考えることがある。

1.大学講義をするのは研究プロであり高校までの教えるプロとは異なるということ。

2.高校までの参考書パラダイスと異なり、底辺大学生に一から理解してもらうための参考書が乏しいこと。(当時の私も一生懸命探したが自分の専攻では見つけられなかった)

3.高校までは「AはBのためCになる」のようなシンプル絶対事実をいくつも積み重ねて理解を深めていくが、

 大学ではAからZやそれ以上のあらゆるパターンが先に出てくるばかりで絶対事実に辿り着かず、「結局確実に言えることは何なの?どこから覚えたらいいの?」と地に足がつかないままどんどん先に進んでいくこと。

 (よく考えたらお勉強ではなく学問研究世界なので当たり前である

など色々あるが、結局、答えの用意されたお勉強が得意だっただけで、答えのない学問を追究すること、つまり大学進学自体そもそも向いてなかったのだろう。

高校までのお勉強大学で学ぶことは全く異なるということは全高校生に知ってもらいたいと思っている。

ここまで読まれた方は、私は発達障害だと思うかしれない。診断は受けてないが傾向があることは自覚している。

しかし「高校までの勉強が余裕だったのに、大学の授業が全く理解できなかった」という話は発達障害界隈でもあまり聞かない。私だけなんだろうか。

2021-04-19

不登校対処メモ(ADS)

今回はなんとかしたのはどうやったかの話を伝えたいとおもいます

以前も投稿したのでカブるかもしれません。再投稿じゃないから甘えじゃないけど。

 

・1つめ、まずは登校しない子を否定しないようにしました。

とくに、体調が悪いということを、本当に体調が悪いとしてうけとめます

発達障害のせいかわかりませんが、体の調子や心の調子にとても鈍いところがあるんで、聞いても伝わりません。

「どこがいたいの」「どういうふうにつらいの」というのが詰問になってしまうので、とりあえずは「じゃあ今日は休もうか」とせかさずに言えるようにして、家を味方のいるシェルターにしてあげないとまず話になりませんでした。まあ高校2年半それがほぼ毎日つづいてしまったわけですが。

の子父親はずっとこの子といろんなとりひきをしてなだめすかそうとしていました。

今日休んだらテストの日は学校にいけるのなら今日休んでいい」。

「いい成績をとったら希望通り○○してあげる」。

学校いかないのなら小遣いなんか、旅行なんか、動画なんか、オフ会なんか全部いらんだろう。」

でも体調が悪いのは本人のせいじゃないんですよね。

人間とは病気とは取引できないんです。

なので全部基本的人権としてかんがえ、娘が(思い切って)何か希望したらそれは生きるのに必要なんだと考えてなんでもOKにするよう少しずつでも説得しました。

今も留年就職活動ができないとつたえるたびに父親は渋い顔をしますが、子供が怯えていたよ!嫌われるよ!病状が余計悪化するよ!と伝えています

・次に、この子はなんとか病院につれていって適応障害によるうつ病発達障害と診断されました(それも1・2件目の精神科では門前払いされたので、3件目のメンタルクリニックで。精神科はすごいお年寄医者でその後すぐに廃業したところと、重症しかみていない大学病院でした)。

発達障害といっても薬を飲むほどではないので、うつ病の薬をのみました。でも未成年のうちはつかえる量が少なすぎて全然効かないのですが、

うつ病・発達診断の診断書がもらえたことはものすごく助かりました。いろんなところに提出しました。

まずは父親にこれは医者のいうとおりの病気からうるさくいっても治らないということをいってガミガミをやめさせました。

そして学校先生学年主任)には診断書といっしょに、「発達障害(ADS)ってなぁに?」という絵本も買ってわたし先生はその診断を出した医者面談してうちの子発達障害理解してくれ(ウルサイのが本当に死ぬほどダメだということ)卒業までの特別な利便をはかってもらいました。

また父親お金のことをうるさくいわれたため、娘は「余計なお金がかかるのなら疲れる病院になどいかない」といいはって家で泣くか寝るかしていたので、市から自立支援医療補助というのをもらいました。これでメンタルの薬も医者無料になりました。骨折治療とき受診料は払っていません。

また大学受験ときも、センター一次については診断書をそえることで発達障害配慮というのをもうしこんでうけてもらいました。静かな部屋で個人うけられ、親がつきそいでき、テスト中は別室だが、休憩時間飲食物や薬をあたえてよい。本人の手足が動かないほどぐったりしている場合車椅子ではこびこみができるし、車も校舎にじかづけしていい。(ただ、やっぱり志望校には一次でさえ点数がたりなかったので二次はうけていないのですけどね。)

さら最近ではn級障害者手帳をとったので電車などの市内移動に交通費がかからず、障害者年金を月にm万もらって小遣いがわりにしています動画にでてくる人のグッズ(同人誌かばんなど非常にひかえめに)買って、あとは貯金すればといっています若いだけにいろいろ欲しくてネットでしっかり検索して安いところで買うように工夫してもギリギリみたいです。アルバイトができない大学生活、リップクリーム一本も、新しいかばん1つも買えないなんて辛いにちがいありません。

旅行代金や服をちゃんと親にねだってくれるようになりました。水商売犯罪に1回も手を出さないでいてくれてありがたいとおもっています

話がそれましたが、うつ病の薬は今かんがえれば最初から対象外未成年でも怖がらずにもうすこし飲んでおいたほうがよかったのかな?とはおもいます

・3つめ。人とのつながりが大事なのでそこは切らさないようにしました。

本人には高校時代にも何度も「転校しようか」「退学して大学検定にしようか」という話をしました。でも本人にとって命より大事なのが中学出会った気の合う友達カラオケにいく時間でした。ですので、無理をして同じ高校卒業させて、大学でも友達をさがさせました。

ちなみに、成人式にも出場させました。2次会もでられればでたいといっていましたが、やはり体力的に無理でしたが、親としては子供が成人したと一緒にみとめられてうれしかったです。

・4つめ 薬に頼る

20歳までは少なめのうつ病薬+貧血の鉄剤(生理が重いとき生理を止める低用量ピルも)+39種類のビタミン剤ディアナチュラストロング」でだましだましやっていました。鉄剤、ビタミン剤は自腹です。20歳をすぎてうつ病の薬を増やしてから目に見えて心の調子がよくなってますとはいえ筋力を超えるほどの肥満があるので体の疲れはどうしようもないとおもっていたのですが、それもメンタル医者からすすめられて動かなくてもやせるGLP-1という食欲をなくすホルモン糖尿病専門のクリニックで受けています。これはどうしても自家診療なのでかなりお金が高いのですがうちの場合はよくきいていて必要経費とおもっています。(骨折血液検査による脂肪肝などですぐ処方してくれた)

でもこれは息子さんの場合肥満への対処ではなく痩せへの対処必要だとおもいますが、ずっと寝ているとどうしても体の不調はでがちなので、プロテインザバスのだとビタミン剤も兼ねられます。うちの子チョコシェイク味が好きです)を足すなどしてあげてほしいです。

・5つめ

なにか得意なことをみつけてほめる。

うちの場合は車の運転です。色々習い事をしたいといいだしてはやはりやめることの繰り返しもありましたが、友達も通っているということで普通免許をなんとかとらせたところ、自動車運転だけは疲れが少ないようです。薬をのんでいて反応もやや鈍いはずなのですが、慎重さは運転にはとても向いていたようです。

 

実はこれはママ友へのメールから抜粋です。

私と仲良くしてくれるママ友はたいていが真面目かつ正直すぎてお子さんの対処もいい加減にできなくてひたすらに困ってる人が多いので世の中の私と仲良くできるタイプママさんんのお役にたてばいいなとおもいます

2021-04-17

大学受験が嫌すぎる

今年高3

夜まで勉強詰めてると趣味の絵も描く気力をなくすし、そもそもまとまった時間があまり取れない

一年後には絶対下手になってるよ…

大学の志望理由って何書けばいいんだろう 大学生になって遊びたいけど志望大学は周りに流されて選んだ(同級生はそこを目指す人が大半)

だれか元気に受験生を乗り切る方法を伝授してください

どこまでも中途半端

上役と延々話していると明らかになる事がある。

大学受験に失敗し、浪人たかったが親に反対されてFラン大学に進学した。

当然学生時代ITで食っていこうなんて毛程も思ってなかった。その無計画性が今になって如実に経歴に現れている。

気付けば、自分はもう若くは無く真剣試験に臨んだ人達と、経験年数がかけ離れてしまっている。

それから礼儀の無くコミュニケーション下手な若手に思いの外苛ついていたが、それも全部筒抜けになっていたようだ。

相手視野が広くて、こっちは目の前の仕事で精一杯だ。

周りを見る程羨ましくなって、自分器用貧乏評価されてないんだと改めて感じる

近い年上がおらず、認めてくれる人なんていない

教えなくても覚えるだろう、もしくは愛想が悪いからメインには据え置きたくないというのが見え見えである

勉強すれば上に行ける仕事だとは分かった。結局、モチベーション次第なんだろう。

でも、そもそも流れ着くままに請負った仕事だ。長居するつもりはないのに面談で「5、6年働いてくれ」と言われた。

この悪待遇で?こうやって差別化された環境で?

スキルアップにはつながらない事は相手承知の上だろう。前任者も同じ気持ちを抱いたのだろう。

人と話し合いなんてしたくない。自分情報が引き出され、誰に伝わるか分からいから。

2021-04-16

anond:20210415103732

もしお金時間の工面がつくなら、本当に大学受験からやり直してみるというのもいいんじゃないでしょうか?

一回目の大学生活と、見えるもの全然違うと思いますよ!

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