はてなキーワード: 変人とは
都内私立に入学して「大学教授」と呼ばれる職業の人たちと出会い、憧れ、あんな風になりたいと思った。どうすれば大学教授になれるのかと思い、職業ガイドみたいな本を読んで、博士号を獲らないとなれないと書いてあった。姉に話すと猛反対され、就職することにした。猛勉強をして新聞記者になった。給料は良かったし、いわゆる「社会的地位」も高い。どこへ行っても「記者様」扱いをされる。でも、この仕事に興味は湧かなかった。新聞記者になればどんな有名人にも会える。総理大臣にも会える。権力が好きな人に新聞記者は向いている。自分はそういったことに興味はなかった。偉い人に会いたいとか、有名人に会いたいとかそういう欲求が少なかったから、新聞記者の仕事に夢を感じなかった。出世することにも関心はなかった。組織の中で上に行くことにどういう意味があるのか、それで心が満たされるのかと言えば、そんな風には思えない。多分、自分は変人の部類に入るのかも知れない。いわゆる「お勉強」が好きだったし、多分「お勉強」しか向いている分野がなかったから、社会人としてのスキルとかそういうのは身につかなかったし、身に着けたいとも思わなかった(社会人失格とか、社会不適合とか言われれば、受け入れる)。多分、大学の自由な雰囲気が好きで、そこに身を置きたいという欲求だけが続いたんだと思う。
30代になって会社を辞めて「お勉強」する目的で海外に留学した。最初は語学学校で、そのあと修士課程に入って、博士課程に入って気づくと40代になっていた。博士号はまだ獲ってないし、お勉強と研究は別物なので、実はあんまり研究には向いていないのかも知れないけれど、博士論文のテーマは一応決まったし、想像していなかったようなきっかけで研究予算をもらえたので、「研究しなければならない」という逼迫した立場になったけど、研究については今まで怠けていたとも言えるので、自分を訓練するいい機会になったと思って毎日資料を読んでる。
留学を始めたばかりのころは新聞社の給料が良かったから貯金がなかなかの金額になっていて、それで賄えた。修士課程、博士課程では返さなくていい奨学金がもらえた。運が良かったと思う。今は奨学金はなくなって、貯金も底をついたけど、大学で非常勤で何コマか担当させてもらえるようになって、大学生と同じか、それよりもうちょっといい生活ができる。40代の収入としては笑えるほど低くて、普通の人なら絶対にやらないと思う。大学で大学生相手に仕事をしていれば、自分の生活水準が低くても気にならないから自分は収入の低さはあまり気にならない。非常勤の講師でも初めて講義をさせてもらえた時は感動した。自分が大学生だった時に憧れた職業の最底辺の隅っこの下座も下座とはいえ、入り込めたと思うと泣けてきた。あと、口座に「給与」が払い込まれることにも泣けてはきた。「給与」を受け取るのは、新聞社を辞めて以来のことだった。最近、担当するコマ数が増えた。体力的にはそれだけ厳しくなるけど、生活費は楽になる。大学生と同じ生活をするのなら、少し貯金できるかもしれないくらいにはなった。後で聴いた話によると、少子化なので今後は新規の採用はしない。とのことで、それでも時々辞める人はいるから、結果として今すでに隅っこに入っている自分に担当が回って来たということらしかった。運が良かったと思う。もうちょっと遅く博士課程に入っていれば、非常勤の講師にすらなれなかった。非常勤の講師はアカポスとすらも言えないくらいの立場だけど、自分はそれになれたということにやはり今書いていていても感動してくる。
40代の大学の非常勤講師といえば悲惨な人生の典型例のように言われる。無駄に高学歴で、驚くほど年収は低く、いつ切られるか分からないからだ。そういうのが悲惨で耐えられないという人は、大学院には行かない方がいい。理系は企業に雇ってもらえるけれど、文系博士は大学の教師になる以外に道は残されていない。文系の博士には「著述」という道はあるけど、著述はけっこうしんどい上にあまり金にはならない。それでもいいやと思える人にしか勧められない生き方だけど、自分は大学という場の雰囲気に馴染みやすいと思うから、それでもいいやと思える。教授様になれるとは思っていない。老後のことも分からない。ある人は「詰んでいる」と言うかも知れない。でもやっぱり新聞社にいるより、今の方がいい。姉の反対がなければ人生の途中で新聞社に就職することはなかったと思うし、それがなければ学問の世界のキャリアをもっと積むことができて、もしかしたら教授様も狙えたのでは...と思うこともある。でも、会社を辞めて自分の願望を目指したのは次善の策だったと思う。あと、新聞社にいた時は贅沢な生活はできた。でも、今の生活の方が自分の好きな空間にいられる分、別の意味で贅沢できていると思うし、美味しいものを食べたり、高い服を買ったりするのは若いうちにさんざんやったので、今はあんまりそういうことにも興味はない。贅沢は若いうちにやっておいた方がいい。年を取ると無駄に目や舌が肥えて来るので、無駄な贅沢をしてしまうと思う。若いうちに贅沢しておけば、飽きが来るのでちょうどいい。
今後のことだけど、取り敢えず博士号は獲っておきたい。その後のことは分からない。いずれ帰国したいとも思う。帰国してアカポスに就けるほど甘くはないと思うから、生き延びるという点では今の大学にしがみつき続けるのがベストなのかも知れないけど、もし切られたら帰国するしかないなあとも思う。帰国したらどうしようか...ということは全く分からない。先が見えないという意味ではしんどい生き方かも知れない。でもやっぱり、牛のようなのろい歩みでここまでやれたことは正直に嬉しい。
俺の住む町にはシロクロと呼ばれる人物がいる。
その名の通り白黒のツートンカラーを好み、あいつの着ている服はいつだってその二色のみで構成されている。
その上、言動は不可解。
控えめに言って変人というやつだ。
だが、そんなシロクロに対して、この町は暖かく包み込む。
およそ2年前、あいつはこの町に出没し始めた。
どこの誰かは知らないが、誰もがみんな知っていた。
割合としては悪目立ちの成分が多めだ。
とは言っても、ジョギングしている人がいれば全力疾走で追い抜いて唐突に勝利宣言をしたりとか、せいぜいその程度のことだ。
意味が分からないと思われるかもしれないが、そもそも意味自体あるのかどうかすら本人に聞いても要領を得ないのだから、他人が理解できないのも当然だ。
俺が把握している限りでは、シロクロのせいで誰かが何らかの実害を被った話は聞かない。
だが、奴の不可解な言動は周りには実害同然だったのかもしれない。
世間だとか他人だとか言ったものは、そういった人間に対して思いのほか冷たい。
シロクロの友人である弟たちは、世間の風当たりの強さをどうにか出来ないか考えていた。
過激派がシロクロをこの町から追い出そうと画策しているという話を耳にしたからだ。
それだけならまだしも、戦闘集団である自治体まで動き出すという噂まで出てきている。
今のところは大人しい自治体だが、もしも本格的に動き出したとなったら有無もいわさず排除されるだろう。
「俺、なんだか悲しいよ。確かにシロクロはちょっと変な奴だけど、こんな扱いをされるような悪人じゃないのに」
「しょうがないよ。僕たちはシロクロとそれなりに長いから理解を示せるけど、傍から見れば害虫が人間の形をしているようなものだから」
「ちょっと、その言い方は最低だわ。アレよ、アレ」
「非人道的……?」
「そうよ、非人道的。仮にシロクロが概念的公害だからって、こんな扱いは不当だわ」
「今のままだとシロクロが可哀想なのは同感だ。なんていうんだっけ、アレだよ、アレ」
「差別的……?」
「そうそう、差別的とかそこらへんに該当する可能性がなきにしもあらず」
「私もそう思うけど、シロクロを邪険に扱う人々にそんな言葉はもはや響かない所まで来ているのよ」
弟たちは揃って頭を抱えて、うんうんと唸る。
人道的な言葉で周りを諭すことが大して役に立たないことを弟たちは知っていた。
そんなことで解決するなら、弟たちがこうして心を痛めるような事態にまではなっていないからである。
シロクロに対して周りが今よりも寛容になれる、それが自然と受け入れられる方法でなければいけなかった。
「兄貴、何らかの案はない?」
話の輪に入ってもいないのに、いきなり話を振られて俺はギクリとする。
「んー……要はシロクロを常人目線で評価してしまうから、世間は変な目で見てしまうわけだろ。だったら、その目線を変えてやるよう促すことが必要なんじゃないか?」
「なるほど~、さすが兄貴。俺より早く生まれているのは伊達じゃないね」
だが妙に得心した弟たちの様子を見て、俺は少し不安になった。
似た作品はあるけど、ああやってちゃんと真面目に構成してるの珍しい気がする
ファンタジーにしては風呂敷も広げすぎてないし、割りと贅沢に設定消化していく
ゲームやアニメの原案とかやってる人が漫画書いてるみたいな贅沢感ある
(てか実際やってるんだっけ? あと本作には原案あるっぽいから、そういうのもあって上手く出来てるのかも?)
という一方で、全ての設定がロリショタケモをいじめたり優しくしたりする為だけに存在しているようにも見えて面白い
2つの才能とは言うけど、両者はやっぱ密にくっついてるんじゃないかと思った
片方だけではあそこまで到達できない
変人じゃなきゃ深層に至れない、白笛みたいな感じ
全10話を視聴。
勢いあるコメディー調でテンポがいい。携帯ゲーム機片手にでも、さらっと見れる。
なんだコイツ?というドラマにありがちな非現実的すぎる嫌な変人が出ない。人間描写には基本的にリアリティがある。
主人公達が過剰にモテないリアルなところもいい。安心して見れる。(登場人物を信頼できる、というのも一つの良さだと思う)
★こういう人には向かないかもしれない★
ラブコメ然としたライバル登場からの事件の連続による激しい揺り戻し、二人を引き裂く過酷な試練などはない。
最終回まで上り調子のため、あっさり終わるのが我慢できない人は向いてないと思う。
★まとめ★
短所はすべて長所の裏返しだと思うので、一つの方向に向かって毎回亀梨君が奔走するという基本的方針に沿って、あっさりしたコメディードラマをゆるりと見たいなら見る価値はある。
そうか これは呪いなのか
「音楽なに聴いてるの?」とか
「映画好き?今度観に行かない?」とか
正直 ほっといてくれとしか思えない どうせ言ってもわからないだろと
今度から「呪いにかけられてるから話しかけないで」と言おうかな
いっそのこと変人扱いされるほうがよっぽど気が楽だ
https://anond.hatelabo.jp/mua111/20170710
表示が切れたので前回の続きという形で二つに分けておきます。
・遅れてきた大手病の亡霊たち
web系での大手、というとまぁいろいろありますが、この業界、というかSI含めてですが大手だからと言って一生楽できるなんてことがありうるわけがありません。
仮に大手にいたとしたら…(推敲前は下品な罵詈雑言の嵐が1000文字くらい続くようになっておりましたので、削っておきます)
さて、一生勉強といっても、まぁSIならPMやら人纏める立場になれば、Excel方眼紙いじくりまわして、ユーザーとくっちゃべってるだけでもお銭がいっぱいもらえる楽な商売もがんばれば運よくあるでしょうが、web系は断言しますが不可能です、オールド・スネークの如く身体が衰え始めても、新進気鋭のニューカマーエリート以上の成果が「常に」求められます。
というか、大手に幻想を持ってる人たちに問いたい、あなたは技術者として技術が好きでこの世界に来て、何故大手に執着するのでしょうか?
結局、訳知り顔できれいごとをほざいたところで、あなたが求めているのは金と待遇でしょ?銭と社会的地位でしょ?ブラックカード作りたいでしょ、ブラック業界なだけに。
ローン一発で通したいでしょ?合コンでメッチャ食いつかれたいんだけでしょ?
上でも書いたように、web系全体の気風として「プロ野球」に近いと書きましたが、もっと言えば「Jリーガー」に近いです。能力や技術が遅れたり、使い物にわずかでもならなくなった時点で容赦なく切られます。解雇規制?正社員利権?なにそれおいしいの?がこの業界です。(その分自由と福利厚生、給料が高めという部分があり、もっともアメリカ的という感じです、一長一短ともいえます)
そしてモニターの前で仕事サボって見ている意識高い系エンジニアの皆さん。
あのね、本当に技術だけで食いたいというのなら、何故技術力を売りにしているベンチャーに入らないのか(具体的な例を挙げるとアレなので控えますが)、お言葉を返すとそれは「入れるだけの能力がない能無しだから」でしょ?
これからこの業界に入ったり、脱出したいという方は、IT業界と他の業界の慣習を一緒にすると、痛い目をみる、ということだけは頭に入れておきましょう。
・端的な現実
「web系で自社開発とか書いてあったのにいきなり客先常駐へ飛ばされるブラック企業だった!」「自社開発はしてたが景気も悪く売れないのでとんでもないフルイニング出勤のブラック企業だった!」「そもそもweb系とかいいつつ、使う言語もフレームワークもDBもバージョンが二つも三つも前のものばかりで、全然新しくない!」「凄い勢いで毎月社員が回転寿司のように入れ替わる!給料が安い!」「入って半年くらいで会社が急速に傾いて潰れた!」「というか毎月福利厚生がどんどんなくなっていく!」「自社内がなんか臭い!(※アロマとか焚いていて、冷蔵庫に入れっぱなしにして一か月くらいたって黄緑色になったご飯みたいな異臭をおしゃれと思って使ってるとかがありえます)」「社長や技術者がはしゃぎすぎた陰キャみたいで公衆の面前での振る舞いが奇矯過ぎて恥ずかしい!」「なれ合いがひどすぎて休日プライベートの何もない!」「勉強会主催してやってると思ったらホントにただのお茶会だった!」「そもそも激務過ぎて勉強会にでれねぇ!遊びに行けねぇ!」「会えなくて気が付いたら彼女(彼氏)が自然消滅と思い込んでて、他のイケメンや女の子と付き合ってて、何事かと様子を聞きに行ったらストーカー扱いで警察呼ばれた!」「というか休日も自室で仕事だわ…」「え!?こんな高難易度なタスクを!?できらぁ!(といわないとクビ)」「え!?同じ規模なのに納期が半分!?できねぇー!(←クビ)」etcetc…
全て私自身の経験というわけでもなく、間近でこんなことになった同業者たちの話も入っております(ハッキリ言えば自然消滅云々の恋愛ごと)こんな面白おかしい、キャピタル・ウェイストランドの如く狂った世界でお仕事したい変人でしたら、どうぞ遠慮なく就職なさってください。
ハッキリ言って、4~5年前ならうま味もあったブルーオーシャンだったのかもしれませんが(実際4~5年前は割と天国ホワイトが当たり前でした)過当競争が過ぎた今となっては、必要な業務や知識に対して、割りがあわないほど待遇が悪いとか、将来性がないとか、こんなのが当たり前です。
さて、こんな世界になんて行きたくねえ!と思ったあなたたちは、凄く大人です。web系はワンダーランドでネバーランドでウェイストランドなのです。大人になれないピーターパンや荒野に明日を夢見るワンダラーたちがたくさんいるのです。
大人になってください。現実を考えて、自分の人生に真摯に向き合ってください、別に技術職なんて、他にいくらでもありますし、IT系の技術は趣味で続けることだってできますからね。
胃袋が穴あきチーズみたいになって、ストレスで頭が月の表面のクレーターみたいな500円玉大のハゲが爆心地の如くボコボコできて、30過ぎなのに70歳くらいに見えるほどストレスで老化し、命を燃やし40で墓に入ってしまいそうなほどの激務とストレスと将来性のなさで、ようやく600万だか1500万という世界に行くくらいなら
安くてもいいから、男の人も女の人も、心の平穏を大事にしましょうね。体と心を大事にしましょう。夢破れたところで元気で生きていればいつか夢や恋も花咲くでしょう。
これを読んだ非IT業界で働いている普通のサラリーマンの方々は、こんな世界があるということを見て、周りの人達や会社に感謝し、家族や恋人、子供や妻や夫のために頑張って幸ある人生を築いてください。そして、よく教育してあげてください。プログラミングやITの知識はこれからとても必要ですが、それでご飯を食べるなんて、容姿がいいから娘をAV女優にしようだとか、自分はモテなかったから息子をAV男優にさせてあげよう!とかイカれ狂ったことをしているのと同義です、考えているのなら速攻でやめてください。
わかりやすく例えると、モテることは大事な資質ですが、それそのものでご飯を食べるなどということは決してロクでもないことなのです。
この業界で「稼げている人」が語る常識は「イチローや室伏ができて当たり前のことを常人に求めている」ようなものです、99%の人間はできません。それが普通なのです。
SIから「オオカミは生きろ!豚は死ね!」の要素をブチ込んだのが、web業界と言えますので、虎がライオンと戦い、横合いからホオジロザメが乱入して、空からナイルワニが襲撃してきて、海外からティラノサウルス軍団が上陸してカチコミかけてくるレベルの熾烈な競争社会の様相を呈しております。
これで、外資系企業のように年収数億だとか稼げるのなら、まぁわからんでもないですが、どこまでいってもせいぜい1000万とかですからね、割に合わないにもほどがあるでしょう。
そんな現世に表れた修羅地獄のような世界に、大事な子供を放り込もうなんて冷血非道なことを、あなたは果たしてできますでしょうか?
わかりやすく端的に言えない無能などと、意識の高いことをおっしゃる意見も多いのでまとめますと
今のweb系業界は少し前に比べて、会社同士の過当競争が行き過ぎ、それに従って技術者の人事的な評価基準もドラゴンボール並のインフレを起こしており、技術のサイクルが常人ではキャッチアップできないほどになり、それに伴いそこそこでまったりやってるところがなくなりつつあって
結果としてとんでもない薄給ブラックか、雲の上のメガベンチャーの二極化が極まりつつありますので、大半の「普通の人達」(web系の意識高い思い上がりも甚だしい人たちから言わせれば無能というらしいです)が行くような世界ではありません。
そして、結局は不安定なサービス業ですので、今日はよくても明日はどうなるかわからないのが当たり前です、よって待遇や福利厚生も数か月後どうなっているかわかりませんし、来年会社があるかどうかもわからないような状況で、仕事をすることになります。(メガベンチャー以外)
また、自分の子供にそんなところ行かせたいのなら、プロ野球選手やオリンピック選手でも目指させた方がいいです。
今からこの業界に入りたいなどと夢を持ってる人たちは、自分が本当に天才であるか、仮面ライダード〇イブに変身できるレベルの超人であるかどうかという身の程をよく考えてから、この業界に入ってください、以上。
僕は人間じゃないんです。
本当にごめんなさい。
そっくりにできてるもんで、
よく間違われるのです。
まわりは普通にみんないいひとばかりです。
絵を描くことと工作だけは大好きで、
発明クラブに入りました。
いっぱい賞をとりました。
本当に本当に楽しかったです。
けれどいつもひとりぼっちでした。
中学でも高校でもそんな感じでした。
挨拶、返事、愛想笑い、そんな当たり前のことができませんでした。
うわべだけの付き合いがどうしても無理でした。
おもしろい返しができませんでした。
どうやって自分は生きていけばよいのだろうか。
なんのために生まれてきたのだろうか。
何になるのだろうか。
そんなことを考えながら本を読んでいるうちに、気がつくと高校を卒業していました。
高校を出て予備校に通いました。
いっさい勉強に身が入らず、集中できず、予備校に行かずに本屋に通っていました。
そのうち家に引きこもって勉強するようになりました。
気がつくと二度目の受験がやってきて、全く勉強してない僕はもちろんどこにも受かりませんでした。
そうして、僕はニートになりました。
本当に、本当に、孤独になりました。
求人情報誌を買っては電話をかけ、ことごとく面接で落ちました。
なんとか決まったネットカフェでのアルバイトは1ヶ月半で退職しました。
そうして、またニートになって、いてもたってもいられなくなって家を出ました。
北海道の片田舎から東京に出て、本当に、本当に、本当に孤独になりました。
「ネットカフェ難民なんて甘ったれた奴ら。山谷にいけば仕事も寝床もあるのに。甘えるな。」
甘ったれた僕は家に戻りました。
甘ったれた僕は一回2万円の家庭教師についてもらいました。親の金で。
甘ったれた僕はその家庭教師に2ヶ月でやめてもらいました。金がもったいなくなって。
甘ったれた僕は親にそのことは言わずに参考書を買いあさりました。けど全然勉強してない。
甘ったれた僕はセンター試験で昨年と変わらない点数をとりました。
甘ったれた僕は国立なんか鼻から行く気もないのに国立に向けて数学とか勉強してて私立対策は一切してませんでした。私立目指すのは家の経済事情的にはありえない選択。
甘ったれた僕は親に全ての金を払ってもらい私立を受けまくり早稲田大学に30万円お布施しました。
甘ったれた僕はたまたまなんとなく運が良くて慶應義塾大学環境情報学部(SFC)に受かりました。お布施はしてないのに。
甘ったれた僕は甘ったれて大学に入りました。すべて親の金で。母がコンビニでパートして働いて稼いでくれた金で。
僕は2年間の孤独を取り戻そうと、必死に必死に友達を作ろうとしました。
でも、僕の顔はやつれていました。
20歳なのに30歳くらいの顔になってました。
ああ、人は人と関わらないと人を遠ざけるような顔になるのです。
友達はできたけど、すぐ離れていきました。
好きな人はできたけど、すごく嫌われました。
バイトははじめても、すぐに辞めることになりました。
自分では普通に挨拶してるつもりなのに、感じ悪いとか無視してるとか言われるようになりました。
そうやって言ってくれる友人も、次第にいなくなりました。
すべてを悪いほう、悪いほうに考えるようになりました。
僕は実家に帰りました。
精神科をぐるぐるぐるぐる回りました。
反響を呼び、年間35位くらいになりました。
ひとは、ひとの不幸が好きです。
自分を切り売りしてやっと私は誰かの価値になりました。
「普通の人」より「変な人」のほうが価値はあると思っていました。
いろんなバイトをやりいろんな研究室に入りいろんなことを学ぼうとしました
けれども全く集中できない、続かない。
あーやっぱり俺はそういう「タイプ」の「人間」なのかな。信じたくないけど、そうなのかな。
そんなことを考えてときどき鬱になりました。
頭の中での口癖でした。
けれども、行動しなきゃ始まらない。
けれども、行動しようと思って1日が過ぎ、1週間が過ぎ、1ヶ月が過ぎ、4年が過ぎました。
ホリエモンに憧れて
全然起業できませんでした。
金も人も僕には集まりませんでした。
一つのサービスを作る能力を身につける集中力すら、ありませんでした。
芸人養成所に入りました。
バイトも長く続かなくて金のない僕は、
その他もろもろの器用さが一つもありませんでした。
なにもありませんでした。
プログラミングをさもバリバリしていたように(本当はprocessingで講義で出た課題を適当にいじるぐらいしかできません。)
アルバイトをたくさんやったのは人生経験を積むためのように(本当は続かなかったりクビになったり)
芸人養成所では確固たる実績を残して卒業したように(解散した後、年明けから行かなくなりました。)
ESでは適当に嘘を並べました。
大学4年間で頑張ったことなんか何一つないので「考えること」を頑張りました、とか書きました。
コミュ力なんて一切ないのに芸人をやってたとうそぶいてコミュ力アピールをしました。
するとどの企業もいい感じのとこまで行きました。
ゲームなんて一切やらないのに任天堂やスクエニは最終面接まで行きました。
本なんてほとんど読めないのに文芸春秋社や3大出版社も3次面接くらいまでは行きました。
一切興味もないのにドコモも最終面接まで行きました。
でも結局落ちました。
当たり前です。
僕はサラリーマンになりたくなかったし、なれるような人ではなかったし、なるべきじゃなかったから。
ゲームを作りたいんじゃなくて、ゲーム会社の社長になりたかった。
(小学校の卒業文集にそう書いてた。それをESに書いたら任天堂の人が会社員になることは社長になることと真逆だとか言ってって僕は萎えた。)
編集者になりたいんじゃなくて小説家になりたかった。漫画家になりたかった。
そもそも就活なんてするつもりもなかったし、したくなかった。
してはいけないと思っていた。
でも起業も芸人も自分で稼ぐことができず、金もなかった僕はするしかなかった。
だから、適当にした。なめてた。OB訪問もしなかった。そもそも僕は人間じゃないから人間の話を聞いても参考にならないと思っていた。
だから、たくさん落ちた。
そして、いくつか受かった。
誰にも負けないことはなんですか、と聞かれ、
「体力」と「コミュ力」です、と答えた。
やりたいことはなんですかと聞かれて、
「人の心を動かすものをつくりたいです」と言った。
本心だった。
「それはちがう。そもそも根本から間違っている、我々は人の心じゃなくてクライアントの要望を叶えるためにやってるんだ。・・・・」と言われた。
5分くらい説教をされた。
受かった。
そうして内定を抱えて僕は大学生活を終えた。
ちなみに卒業論文は書いていない。
白紙で出した。
中退するつもりで出した。
ただ少し皮肉として「大学は意味がなかった(僕にとって)」と書いた。
なぜか認められた。
認められたくなかったので、大学ともめた。
僕は卒業した。
何も修了していないのに「学士」になった。
当然のごとくトラブった。
全てをぶち壊し、いろんな人を不幸にし、迷惑をかけ、去った。
また僕は引きこもりになった。
そうして僕は、また、また、孤独になった。
研修でまたトラブった。
でも、まあいいや、そう思った。
僕は5年前、死のうと思った。
周りに迷惑をかけ続けるぐらいなら、そうしたほうがいいと思った。
でも、自分は悪くないと思った。
自分の伝え方は誤解をうむ。それは間違いないだろう。
けれど、本当の本当は自分は悪くないと思っている。
だから、僕はこうして今まで生きてる。
ジョブズもホリエモンも一サラリーマンならすごく、迷惑な奴だと思う。
でも、彼らは能力がある。
僕はたぶん、ない。(客観的に見て)
僕は人間だから。(僕は人間じゃないんですということにしている、人間だから。)
明日には、1ヶ月後には、1年後には
すべてが報われるような気がして、生きている。
でも会社辞めたら死んじゃう。どうしよ、詰んだ。藤井4段もびっくりの詰将棋だ。
あった期間が1度もない。
せめていま500万あれば。だれか援助してくれないかな。
ま、たぶんどう頑張ったって変わらない(と言われるだろう。)
だってあなたは人間じゃないんですから。(と思われるだろう。)
人間じゃないことを、アドバンテージに生きるしかないじゃない。
ちなみにやりたいことはたくさんあるし、なりたいものもたくさんある。
俺はもうやりたいことしかやらない。
金があったらね。
金の呪縛に縛られてるだけ。
ただそんだけ。
大学で受けた授業で一番感動したのは、ホリエモンだよ、本当に。
この匿名ダイアリーが反響をよんだら、誰か連絡してくれないかな。
それで何かが変わらないかな。
結局人まかせだな、俺は。
だれかの何かに残れば、それでいいと思う。
そんなことでもいいと思ってしまう。
僕は人間じゃないんです。
本当にごめんなさい。
そっくりにできてるもんで
バッタもんのわりにですが
何度も諦めたつもりでも
人間でありたいのです
追記
はてブって返信できないのね。
これこそdisコミュニケーションな気がするのだが。
ご指摘いろいろあるので誤解ないように書くと、
思考の中心にそれはない。
友人が欲しいとかそういう悩みはプライオリティ的には低い。
そもそもいわゆるマスコミ業界に就職している時点でうわっつらのコミュ力はある。
今悩んでいるのはずばり、金だ。
やりたいことをやらず、いままでと同じような人生を歩むのであれば、
一体何の価値があるのか。
金というのは信用の対価なわけで、
信用は人間に付随する。
人間でない(とされている)僕は、金がない。
姓名判断でも一生金に縁がないとされている。
福沢諭吉の大学出たのにね、まあそのせいで金がないとも言える。
そしてやりたいことについてだけど、
コメントにもあった通り、
「やりたいこと」が本当にやりたいこととは限らない。
実のところやりたいことが絞りきれてない時点で、その通りだと思う。
今まで金を言い訳に、やりたいことをやる前に考え、何もしてこなかった。
実に無駄に過ごした時間だった。
それでいて、やりきっていないと一生やりたいことに対する執着は消えないのだと思う。
だから、僕は全部やるしかないと思った。
金をある程度得たあとにやりたいことは、それこそやりたいことではない。
やりたいことを全部やってみて、違うと言い切れるまでは、この呪縛、堂々巡りから逃れられない。
それを金のせいで諦めるのは、非常に辛い。死んだほうがましだ。
けれど、サラリーマンをしていたところで、手取り17万の現状、
日々金と引き換えに若き人生の時間を消費している。
この悶々とした日々が、あまりにも苦しく、つらい。
ふつうのひとはある程度割り切るのかもしれないが、
それができない僕はやはりふつうではないのかもしれない。
600万の起業資金を彼女の親に出してもらうような麻雀がプロ並みの東大生ではない。
どうすればいいのか、それをこの5年ずっと悩み続けていた。
けれど、答えは出ないまま、卒業した。
だから今僕は刑務所にいるような気分で、これを塀の中から書いている。
今すぐ脱走したい。
脱走する気力がなくなれば、結末はいわずもがな。
僕は人間じゃないんです。これは特別な人間という意味ではない。
だから、諦めて並み以下の生活を送りましょうって言われましても、
僕はそれを望んでいません。
参考URL
結婚。価値観の異なる異性と生活を共にする。考えただけで鳥肌の立つ制約だ。なんでそんなものに手を出すのだろう。さっぱりわからない。みんなは一体どんなモチベーションを持ってるのか。
まず最初に思い浮かぶのが性欲。だけど普通に風俗で満たせるし、というかゴッドハンドとエロコンテンツと妄想が最強だし(風俗嬢のプロの姉ちゃんよりも断然。まして素人にこれを超えられるとは到底思えない)、で結婚にこだわる必要性がない。
奥さんを支えたいという庇護欲?人間なんて複雑で面倒な生き物を選ばなくてもペットを選べばいい。ペットなら複数持てるし。
奥さんを支配したいという征服欲?Sじゃないのでよくわからん。
漠然とした寂しさ?趣味のコミュニティに顔出せばいくらでも紛らわせるし、そもそも多趣味なので寂しさを感じてる時はほとんどない。
将来的に楽するために子どもが欲しい?そういう投資をするよりは自分に投資した方が安上がりだと思うけども。
・・・てな感じで、わざわざ結婚という面倒くさそうなモンに手を出す必要性、必然性というものがさっぱりわからない。なのに世の中には結婚してる男女で溢れてるし、してない人達の中にもそこ目指して進んでる人が多い。不思議でならない。何がそんなに面白いんだろうか。この趣味は依然として大人気を続けているから、その根源を知りたいというか、気になって仕方がない。調べても答えは見つからないし、訊いても適当にぼかされたり感性で理解不能なこと喋られたりしまいには変人扱いしてきたりするし、で未だにわからないでいる。
とりあえず試そうかなとも思ってるんだけど、手軽に試すにはコスト高すぎし、相手も人なんで「もういいです」でやめるわけにもいかないだろうしで試すわけにもいかず。ふーむ。
10年以上前から今に至るまでブックマークし続けてる変人もいるらしい
罪深きブクマカには罰が与えられねばならない
私、増田は気づいたのだ。
神はもはや地上には降りないのだ
神は我々に期待している
罰を与えるのだ、と
善良なる増田達よ、
ブクマカたちが10年以上前にした恥ずかしいブクマコメントにスターをつけるのだ
星をつけられた哀れなブクマカは若かりし自分と今の老いた自分のギャップに苦しむだろう
自分が書いてしまった恥ずかしいコメントをもういちど年老いた哀れなブクマカは読むだろう。
罪深きブクマカの1日も、10年間も臆面もなく恥を晒し続けた痛みと、10年ものあいだ何をやっていたのだろうという後悔に満たされるだろう
星は珍しいほどに良い。彼らが通知画面を確認したとき様々な色に輝く喜びの星を与えよう。そのとき彼らの落胆は大きくなるのだから。
あーこれ言う。哲学とか文学とか宗教には言わないけど、いわゆる固有名詞に付いてる権威とかヒエラルキーとか金銭感覚とか、そういう世間知的なことには疎くて、右から左にスルーしてるから。その割に変なことだけ滅茶苦茶詳細に覚えてたりして、世間相場から外れてる自覚あるので、「ありがちな世間話とか話題の共有とか全然出来ないので、微妙な空気が流れる前に自己申告しときます。変人ですんません。」的な心理で言う。
「理系だから」じゃなくて「アスペだから」と言ってみた方が、自分の言いたいところが伝わるんじゃないかとも思うけど、差別的に取る人もいるかもしれないので言えない。変人の自己申告は難しい。
それと理系の結構な割合の人は、哲学とか文学とか宗教どころか、法律(学)みたいな実学に対しても充分懐疑的だと思うよ。ただ世間の大多数は増田みたいなスタンス(役に立ってんだからいいじゃんとかそれがなきゃ回らないじゃんみたいな、功利主義的なあれ)なのを知ってるから、うっかり口を滑らして機嫌を損ねるコースに突入したくないので、その話題とは距離を置きたいのだと思う。そんな牽制してないで嘘も方便で話合わせときゃいいんだけど、それが出来たら理系やってないと思う。
ブコメにもあったけど,高専から大学への編入組は大変優秀な学生が多い.東大の場合,大学院から早稲田や慶応などの私立または他の国立大学から来る学生も多いが,彼らの優秀さは東大生の優秀さとそれほど変わることなく,ヤベー感はない.よくある優等生といった感じだ.
一方で,高専からの編入組は基本的にヤベー感が高い.ゲームで言えば初期パラメータの振り方,偏りすぎてません?という学生が多い.そういう学生が研究室での研究テーマと合致するとものすごーーーく成長し,バリバリと研究成果を生み出していく.(合致しないと辛いことになるのかもしれない)
おもうに高専編入組の優秀さの源泉は.通常の大学生が1-2年生のときに体験するサークル・飲み会などの乱痴気騒ぎと無縁であるからではないだろうか.ある意味で変人を変人のまますくすくと育てられるのが高専の良さでもあるので,偏った人の強みを育ててあげてほしい.数学大好き魔人とか組み込み大好き魔人とか.
目が笑ってないように見える顔つきなのもわかる
だけど、たったそれだけの理由で
サイコパスだ殺人鬼だ、って何万という集団でキャラ付けしてコラージュを作るのってどうなの?
こいつの顔って殺人鬼みたいだよなーーー!って学生のいじめっ子が言うような弄りを
照英のクソコラへの対応を見ると、名誉毀損で訴えられるのはレアケースで
黙認か、過剰な弄りだけはやめてくださいってアナウンスするだけだろうね。
・だってそういう顔してるし
・みんな楽しんでるし、面白がってもらえて宣伝にもなるし本人も許してくれる
そんな人たちでも上記みたいなことを言ってこの行為を「ただの遊びでしょ」と笑ってる。
「こいつのファン見たことないんだけどwwwww」という人が複数いることに気がついた
「こいつのファンはTwitter民とは層が違うだろwww」というのも
ようするにあれでしょ?
ナオトインティライミ、とそのファン、親族を「自分とは同じ土俵にいない人間」だと思ってるんでしょ?
自分と違う層の人間だからいくら傷つけてもなんとも思わないんでしょ?
そりゃーーーこの世からイジメなんてなくなるわけないですよねーーーー
もううんざりだ。
生きることに悩んでいる人の苦しみがネット上で吐露されると「あなたはもしかすると発達障害の可能性があるかもしれません。心療内科を受診しましょう。」という趣旨の書き込みがなされることが多々ある。
実際に病院に行ったことで、原因不明だった生きづらさが何なのか解明する手がかりを掴む人も確かにいるはずだ。
だが発達障害というものはここ10年ほどの間で、その名前だけが世間に認知されていった。
その定義も特徴も曖昧で難解なこの障害を説明することは容易いことではないのだ。
マスメディアを通じこの聞きなれない障害を知った人々は、ネット上で絶えず繰り返される人生の悩みと、それに対し発達障害を疑う返答というやりとりも幾度となくみてきた。
俺が指摘したいのはこれによって発達障害=変人・無能という誤った認識をインプットしてしまった人が多いのではないかということだ。
学校に馴染めない。虐められる。
このような悩みに発達障害の可能性を指摘する書き込みが寄せられるイメージにより、逆説として発達障害は、集団に溶け込めず一般的な事務的労働をこなすことができない人間が抱える障害と捉えられてしまってはないだろうか。
集団に溶け込めず一般的な事務的労働をこなすことができないということは個人的体験であり、発達障害の特徴を端的に表した事象とは言い難い。
発達障害者には特有の苦手なことがあり、不幸にもそのために悩みの語り手はトラブルに巻き込まれてしまったのである。
発達障害者だからといって皆が皆総じて友だちがうまく作れず仕事ができず社会から孤立しているわけではない。
定型発達者の中にもうまく社会生活が送れていない人がいるように発達障害者の中にもそういった人がいるというだけではないか。
悲惨な状況にいる発達障害者ばかりが可視化されてきたことで、どうも日本では発達障害というものに過度にネガティヴなイメージがついてしまったのではないかと思う。
発達障害者を「協調することができず通常の業務を遂行することもできない人間」というふうに捉えてしまえば、配慮して共生していこうという寛容を保つことも難しくなってしまう。
最近では変わった人や冴えない人を蔑むためだけに発達障害という言葉が投げかわされているよう見える場面に出くわすこともあるようだ。
せっかく生きづらさを抱える人に発達障害というヒントが提示されても、発達障害者として生きることが世間の好奇と侮蔑の眼差しに苦しむことになってしまっては意味がない。
これからの時代に必要なのは、発達障害者の社会参画を特に知識や経験のない一般人にイメージしてもらうために、実際に活躍する障害者をロールモデルとして紹介していくことではないだろうか。
障害者にも感情や慈愛はあるし、彼らは彼らが持つ道理にしたがって行動しているわけで決して思慮の浅い人間というわけではない。