はてなキーワード: メンクリとは
専門学校を卒業した後、その道に進む覚悟が無かったことが理解できたのでフリーターから派遣、その後やっと正社員になりほっとしたのも束の間。
給料は情熱価格、メンタル病む人間続出でもれなく私もメンクリコース。現在は傷病手当金をもらいつつ、自己研鑽は向いてないので今まで蔑ろにしていた生活環境を見直している。
情熱価格で働き、買い物や外食で浪費していたのに比べると、入ってくる金額は下がるもののずっと生きやすい。
現状だけで考えるならとても幸せだ。
下手というよりは素人目だがセルフネグレクトに近い状態だと思っている。
調子の良い日は床の見えない母親の部屋を深夜まで付き合って片付け、ゴミを毎日だし、リビングが家族で食事をとれるようにした。
家族もメンタル弱めだが、最近は奮起する気力が弱いだけで、一緒になって一度きれいにすれば気持ちがあがるし、仕事のモチベーションもあがっていいことづくめだった。
片付けをしなければならない理由が子供部屋おばさんにはあった。
2時間ほど前に、引越しにむけて洋服の整理をしなければならないのに体が動かず、絶望感が襲ってきて抗不安薬を飲んだ。
絶望した気持ちを増田にぶつけようとした瞬間、彼氏から昼休みの連絡がくる。
それだけで、がんばれなくても幸せになった。
昼休みになんとなく話したいなと、思ってくれる存在があることが嬉しい。
すぐ調子に乗るので、ラインした後はスーパーに引越し用のダンボールをもらいにいった。
互いに大切にしている友人もいるが、私の存在をわかりやすく認められたい。
とりとめのない文章が続くが、
私の両親は離婚しており、その当時は家庭環境も良いとは言えない、金銭的にも厳しい生活だった。
男性は怖い、男女の仲も醜く壊れるのならばなりたくない、そう思って生きてきた私にとってそれはもう、怖じ気づくしかないだろこの状況!!
世の中には様々なブルーがあるらしく
引越しブルー、同棲ブルー、マリッジブルーなど一通り検索した。
検索したところで、そういうもんがあるんだな程度の感想にしかならないが、新しい環境へ一歩踏み出すことができた自分を褒めたい。
進撃の巨人が好きだった。
高校デビューを機にもう同人誌を買い漁るのはやめようと決意を固めたはずの私を、また腐女子の沼に突き落として来たのが進撃の巨人だった。
難しい考察記事からネタ動画に感想スレ、BL小説にエロ漫画。最新話が公開されるたびに1週間ぐらい噛み締めて、残りの3週間はネットに転がるいろんなものを夢中で見ていた気がする。
小学生の頃からルーズリーフに色々書いてたはいたが、とても人に見せられるクオリティではなかった。
そんな私がB5ノートに20ページ。それを推敲しながらタイピングし、一応読めるだけの話に仕上げた。
国語力が死んでるのでちゃんとしたものを一本書き上げるのは大変な苦労だった。
高校で、初めて告白してくれた男の子を「私にはエルヴィン団長がいれば十分なのであなたとお付き合いはできません」と振った。
結局半年粘られて根負けして付き合ったけど、最終的にエルヴィン団長が死んで撃沈してる間に浮気されて振られた。
あの2年間はなんだったんだろう。
寂しさを埋めるために好きでもない男と付き合った。
束縛の強い彼は私がBL小説を書いていると構えと言って邪魔をした。
結局耐えられなくなって別れた。
もう彼氏はいいやと思いながら、でも、もう前ほどの情熱で進撃を読む元気もなくて、学業に励んだ。
あんなに夢中だった進撃の巨人も毎月最新話を読むだけになった。
2期が終わった頃は待ち遠しくてたまらなかった筈のアニメの3期も、なんとなく見る気にならなかった。全部完結したら見るんだ、それまでとっとくんだって言い訳した。
夢中で追わなくなってから、話の筋がだんだんわからなくなっていった。
前はどの部隊がどこにいて、誰がどこで何をしたか。台詞の隅々まで覚えてたのに。
そのまま私は大学院生になり、大学院生あるあるだが病んで不登校になり、しかしまあこれもあるあるだがそれなりに立ち直り、それなりに就活した。
エントリーシートを粗方出し終えた4月9日。進撃の巨人が完結した。
読んだ。読んだけど、私はそれを噛みしめる元気がなかった。高校生の頃の私ならもっと泣いたはずだ。
就活のせいで元気がないだけで、内定が貰えればまあ気持ちは上を向くだろうと切り替えて、面接に挑んだ。
特に嬉しいとも思わなかった。
6月、続々と内定承諾書が届いても私はベッドから起きる気にもなれなくて、内定者面談は寝転がって受けた。「すみません、カメラの調子が悪くて。」って適当に嘘ついた。
SNSのタイムラインは最終巻の加筆、Endingの話題で盛り上がっていた。
私も読みたいと思った。本屋に足を運んで買いたかった。でも外に出られない。出る気にもならない。
仕方ないから通販にしようって思ったけど、Amazonのページを開くと、なんのためにAmazonを開いたのか忘れてしまう。びびる。馬鹿か。
しばらくして思い出すけど、その頃には注文したい気持ちが消えている。
そういうことばかり繰り返しているうちに、一週間が過ぎた。
今まで欠かさず発売日に買ってたのに。
ずっと待っていたはずの最終巻なのに、何もする気にならない。
なんかもう10年弱待ってた漫画の最終巻出たのに買えないの、マジでどうしようもない。
夢中で読んでいたあの頃は、まさかこんな自分が状態で完結を見ることになるなんて思いもしなかった。
悲しいし、情けないし、とても残念だけど、まあ、しょうがないとしか言いようがない。
希死念慮が元々あったんだけどここ最近本当に酷くてメンクリ行ったらどうにかなるかなと思って予約して行ってきた。
行ってみてまず思ったのは待合室が広い。どこに座っても人と人との間隔が確保される。変に緊張せずに待たれるからありがたいな〜と思った。初診の場合は今どんな症状が出てるかとかそれがいつ頃出たか等の質問をまとめた紙が渡されて診察を受ける前に書かされる。それと別に今なにが辛いかを自分でまとめたメモあったら便利かなと思ってスマホでメモしてた。結局来てから30分後ぐらいに呼ばれた。
診察では最初に何が辛いかについて聞かれた。頭の中で整理しながらもゆっくりと答えていった。それを説明してる中で行きたい分野の大学は親に反対されて親が納得するような分野の大学に進んだこと、学びたいと思ってる分野の勉強じゃないから苦痛に感じてることを話した。するとお医者さんは自分が元々行きたかった分野についての質問をしてきた。素直に答えると突然就職についての話をされた。
「今学んでる分野とやりたい分野を組み合わせたような職業もある」
という話をされた。私の物事の考え方が0か100しかないのでそれを治した方がいいという話に持ってくためにしたようだった。この話をされてる時私は「??」が止まらなかった。就職がきびしいことももちろん知っていた。また、今考えてる就職先が学んでる分野の職種が無理だと悟ったので事務にしてるという話もした上でこの話をされた。反論したかったがなぜか私は泣いていたので泣き止もうとするのに必死だった。
お医者さんは終わらせようとしてた。お薬が処方されればいいなと思ってきたのだが、私の症状は薬も処方されないし次の来院の予定も無くていいらしい。私が希望すれば薬も処方されるし次の来院の予定も決めることができると付け加えてた。私はこの時点で絶望した。今の就職の話を聞いてどう自分で立ち直ればいいんだと。なので自分でどうにも出来ない症状のひとつである嫌な出来事がフラッシュバックした際におきる自傷行為と「自分しねばいいのに」と自分に向かって言ってしまう暴言について尋ねたが、結局それも考え方を治せばいいという話をされてしまった。あっこの人に伝えるのはダメなんだともう諦めてしまった。今考えると、首を吊ろうとしてしまうことやお風呂や食べることが億劫になってしまうことについてもお話すれば良かったのかなと思う。他に言うことはないですと言って出ようとした時に「○○さんの今の症状が決して軽いと言ってる訳では無いです。」と言ってくれたが正直自分には響かなかった。言葉だけのお礼を言った。
結局2000円払って終わった。家帰ってきたらまた涙が止まらなくなってしまった。正直どういう涙が本当に自分でも分からないからビビる。今考えれば考えるほどちゃんともっと自分の症状言っとけばなんか変わったのかな〜とは思う。結局スマホのメモ見ないでお話してたし。自分の症状が鬱かどうかも言われずに終わった。まあ、症状が決して軽いと言ってる訳では無いですって言われたからなんかしらの病気なんだろうと自分で思っとこ。
あと2週間たってももう1回あの病院行くか!ってならなさそう。予約とかちょっとめんどくさかったしまたあの感じのお話始まるならもういいや。そして早速自傷行為してしまった。これを治したくて行ったんですけどね。
小中学校はずっといじめられてた。みんなが当たり前にできることができなくて、どうして自分にできないのか理解もできなくてパニックになってよく泣いていた。勉強はできなくもないけれど得意な訳でもない。板書が極端に遅くて、授業後はいつも黒板消し係の人に急かされていた。運動は目も当てられないくらいできなくて、友達も少ないから体育の授業の「二人組をつくって〜」で余るのが常だった。中学くらいになるとそういう時に相手を探す行為自体が無意味だと悟ったのでただ時間が過ぎるのを待っていた。そして先生と組む。
学校生活がうまくいかなくても頭がバカなので不登校という発想がそもそもなく、あと学校に行かないと親にクソほどキレられるので学校がある日は半泣きになりながらも登校していた。学校が嫌いだったから勉強も好きになれず、でも勉強しないと親に怒鳴られるので勉強は大嫌いになった。
勉強はしたくなかったから高校は普通科ではない少し特殊な学科を選んで入学した。これがたまたま合っていたのか、成績はクラスでも上位に入るようになった。授業は楽しいしクラスメイトも優しくて、初めて学校でいじめられなかった。高校を卒業したら同じジャンルの専門学校にでも行こうと思っていた。が、ある時担任にこの成績なら大学も視野に入ると言われ、それを親に話したところいつのまにか第一志望が大学になっていた。高三の頃には中学のいじめのフラッシュバックでメンタルが限界を迎え、卒業式も保健室で迎えた。遅刻も多かったけれど成績は維持できていたので、地元のそこそこ良い大学へ指定校推薦で進学した。
大学生活は大変だったけれど今までで一番楽しかったかもしれない。
勉強の習慣がなかったから毎日の予習復習ができるようになるまで二年かかった。基礎もできていないから授業にもついていけない。それでも、今まで学んだことのなかった社会学、心理学、哲学、法律、外国の文化、歴史、英語以外の外国語… 高校でやった普通科目がかなり少なかったのもあるのか、俺は義務教育でやったような国語算数理科社会みたいなやつだけが学問だと思っていたからとにかく衝撃で、全てが新鮮だった。
人間関係は相変わらずカスだったが、何とかグループに入れてもらってその人たちと一緒にいくつか講義を受けたりした。大学は一人でも勉強できる環境はあるけれど、「あの先生の講義は楽」
だの「この授業が面白かった」「課題の提出期限が変わる」「今度こういうイベントがあるらしい」とかの情報があると段違いで勉強しやすくなるから友人はいた方がいい。
大学三年のある日、そのグループの人たちに合わせて一緒に取っていた言語学関係の講義で発達障害の存在を知った。
俺のことかと思った。
俺が発達障害?
気になるとそのことしか考えられない。
数日後には県内の発達障害を扱うメンタルクリニックを予約していた。初診は1ヶ月後しか受け付けていないと言われたがメンクリでは珍しいことではないらしい。素直に1ヶ月待つ。
「恐らく、自閉症スペクトラムと呼ばれる発達障害の可能性があります」
絶望した。
自分が障害者なのかあんなに知りたかったのに、いざ面と向かって発達障害だと言われるとそこには絶望しかなかった。
俺は「あなたは発達障害ではありません」と言われたかったのかもしれない。自分は普通なのだとその証明を医者から貰いたかったらしい。そのことに、発達障害だと診断されてから気付いた。
今までできないなりに努力もしたつもりだったけれど、お前の能力では努力してもどうにもならないのだと、現実を突きつけられた気分だった。
医者に進められるがままにwaisというIQテストを受けることになった。
waisの結果は最悪だった。
総合的なIQは平均以下の90、特に低い処理速度が65、作動記憶が70。
自分のできないことが数字として可視化され、心理士に読み上げられる。情けなくて悔しくて、でも誰にもこの感情をぶつけることができなかった。
それから投薬が始まって、聞いたこともない名前の薬が沢山出された。
一番飲んでいた頃は一日で
インチュニブ2mg
コンサータ18mg
ルネスタ3mg
レンドルミン0,25mg
を飲んでいた。ストラテラのせいで異様に目が覚めるから睡眠薬で無理やり寝て、それでも3-4時間で起きてしまうから毎日睡眠不足だった。卒論がうまく書けなくてそれを主治医に言ったらこうなった。
大学卒業後、よりによってアスペに不向きな接客業に就職してしまったので結局ストラテラは減らせなかった。仕事はできない上に人間関係も上手くいかなくて、薬を減らしてもっと無能になるのが怖かった。夜は眠れない。朝が来たら仕事に行く。
その状態で一年働いて、心身共に限界がきてついにこの前仕事を辞めてきた。
ストラテラもやめた。
もう嫌なんだよね、俺が何かするたびにおかしい目で見られて、俺が喋ると会話が止まるの。仕事ができないのも悔しくて、だって俺さ、接客業やりたかったんだよ。この仕事に就きたかったんだよ。バイトで接客業やってさ、楽しいなって思って就職して、でもできなかった。やりたいことだったのに、好きだったのに、できなかった。
普通じゃないってなに?
数が多いってだけでお前らが正しいの?
指摘されたこととか、怒られたことを思い出して俺の何がダメだったのか、どうすればよかったのか考えてるんだけどさ、
もう何も考えたくない
何も考えたくないよ
貯金が尽きるまでは本を読んで、ゲームをして、アニメを見る生活を楽しもうと思う。
鬱病で毎日死にそう弱ってる人がいて、フォロワーなので見守っている。しかし「今メンクリに向かうバス。近くに在日チョンがいる。いやもうこんな日本で生きていく力がないよ。死にたい。本当に死なせてくれ」
他にも「平日の昼間からバスに乗っている自分が恥ずかしい。無職かシフト勤務の底辺と思われてるんだろうな。」とか、特定業種の人をを差別している発言もあった。
鬱病の人といえばかわいそうランキング上位だが、そんな人がかわいそうな発言(希死念慮)と一緒に差別発言をしているのはなかなか興味深かった。かわいそうで模範的な鬱病患者ばかりでもないんだなーと。せいぜい鬱で苦しめと思われるような鬱病の人もいるんだなと
上京して一人暮らし、鬱で家を出られないほど衰弱して3年勤めた仕事を辞めた。
お金がないので実家に戻ってきて、時間通りに行動できないのでメンクリに行けず。逐一私の行動を監視する親の目に嫌気が差し、めでたく引きこもりになった。
大学生の頃から鬱の気があったので、完治せず悪化したものだと思う。
色々あった。
思い通りに動かない私にカッとなったのだろう、「本当は鬱じゃないんじゃないか」と罵る父親と口論の末取っ組み合いになり、父親の首を絞めた。
父親は母親や私に結構手を上げるタイプだったので、正当防衛をしたつもりだった。
でももう、60こえたジイさんなわけですよ。父は。
老人は非力だから、その気はなくとも手を出したらポックリ逝くよ。みんな気をつけてほしい。
目を見開いたまま動かなくなって、母親が半狂乱になって「もう終わりだ」って叫ぶしここが地獄かぁ〜って思った。
生まれて初めて人工呼吸した。
幸い、父は息を吹き返して何ともなかったようだった。それからもう干渉されなくなった。
部屋で毎日、何もせず生きながらえてる。
スイスの安楽死の施設?調べたけどクリア条件のハードルが高すぎるわい。私みたいなケースじゃ絶対OKしてもらえないし。
27歳処女金無し引きこもりに人権なんてないし、可愛くもなければ頭も良くない。
労働して毎日自分の仕事の出来なさを嘆きながら、動かない体と吐き気と動悸の激しさに悩まされるくらいなら死んだ方が断然マシ。
父親に首締めた後「あのまま殺してくれれば良かったのに」って笑って言われた娘の気持ちよ。
テメーが私を殺してくれたら、喜んで死なせてやるよ。
深夜テンションのポエムだ。メンヘラの戯言だ。つまらん。自分語りに終始して客観性の欠片もない。まとまりも何も無い。吐きたいだけだ。書いていいか?ありがとう。
恐らく、そんなに不幸ではない。
関東の外れの地方都市で育った。自分、妹、弟の三姉弟。上二人と弟の父は違う。
母はパチカスでアル中だった。高校の三者面談の後、ちょっと買い物に行くから待ってて〜のテンションで駅前のカフェに娘を放置して4時間パチ屋に居る人間だ。まあ頭がおかしい。
父は技術職で、雑誌に載っただのコンテストに出ただの聞いた覚えがあるので結構腕は良かったんだと思う。機嫌が悪いと殴るし、会話はほぼ無かったが、少なくともパチカスアル中よりはマトモだ。
父母が離婚する事も、母が再婚して父が変わることも、新しくできた子と折り合いが悪くなることも、よくある話だ。こういう場合、養父とは仲が悪いのがテンプレだろうが、…いや仲は良いとは言えないが、極悪でもない。少なくとも憎んではないない。厳しいが筋の通った人で、尊敬している。好かれてはいないだろうが、キチンと高校を出るまで面倒見てくれた。ありがたい。
実父の事は顔も知らない。声も年齢も知らない、名前は忘れた。母は実父に大層惚れていて、よく2人きりになると実父とのエピソードを話した。酔った母に付き合わされ、夜中の2時だか3時まで何度も聞いた実父との惚気話を聞かされるのはキツかった。勿論内容は覚えていない。
母と自分と妹を捨てた実父をどうしてそこまで褒めそやし、今養ってくれている養父をどうしてそこまで貶すのか分からなかった。
父は仕事で、母はパチで、平日の二階建て3LDKにはほぼ子供しかいなかった。
保護者がいない空間で末子は大いに調子に乗り、殴られたり蹴られたり包丁で刺されかけたりフライパンで殴られたりライターで髪を焦がされたりマ○コや胸にイタズラされたりしたが、5つも離れている子供に何をされても少しでもやり返せば叱責は年長者が受ける。なんでや。納得できないが、大抵は黙ってやられていた。
自分は多少勉強ができた(本当に多少。商業クラスで得意教科なら上から3番目には入る、不得意教科は下から数える、くらいのささやかさだ)
末子はひらがなの書き取りで躓き、2桁の足し算で躓き、勉強というものを憎んでいた。
母の「勉強出来るんだから少しくらい教えてあげなよ」の一声で家庭教師の真似事をしたが、下に見ている女に教わるのが屈辱だったんだろう、母が見えないところで殴られるので数日で辞めた。
極力関わりたくなかった。
サッカー部に入りそこそこ鍛えていた末子と、中高6年文化部で育ち運動神経の欠片も無い自分。力では到底勝ち得ない。
性的いたずらは回数を増していた。
事務は向いていたし職場の風通しは良くとてもいい会社だった。が、家に帰れば性的いたずらに怯え家事に追われる日々。普通にメンタルをやられ、出社できなくなる。半年もしない内に辞めてしまった。会社と高校には本当に申し訳ないと思っている。
会社を辞めてから紆余曲折あり家を出た。このまま家に居たら死ぬと思った。
家を出る前、母に性的いたずらがあったことを打ち明けたが何だかんだ言って弟を庇っていた。
父には言ってないが、口の軽い母なので多分漏れているだろう。どうでもいい。
一人暮らしを始め2年は順調だった。派遣だが事務職で採用され、それなりに仕事をして、恋人もできた。
だが、コロナが流行りその不安から精神的不調に陥って就業できなくなった。もう一年近く無職だ。恋人とは疎遠になってきた。母は頻りに実家に帰れと言うが、多分帰れば昔以上の暴力といたずらでは済まない性的接触が待っている。無理だろ。帰らないならなんの支援もしない、縁を切るらしい。命が貞操か選ばされるならデリヘルででも働いた方がマシだと思う。
一時間で書ききれる人生で笑ってしまった。上記の通り、多分結構限界だ。来月には貯金も尽きるし、生活保護は通らなかったし、メンクリに通う気力も無い。
近いうちに、実家を出た時と同じように、逃げるように死ぬだろう。ダサいけど、この窮地から抜けたところでまた今以上の窮地がくればおしまいだ。来ても対処しきれない。鬱になって動けなくなって死にたいと思い続けるくらいなら、死ねる内に死にたい。死にたくないが、多分死んじゃった方がマシなのだ。
こういう人間が居たってだけだ。長々と申し訳ない。読んでくれた人がいるなら、ありがとう。
妹よ、幸せになってくれ。
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覚えている限りでは幼稚園の時から人間関係でつまずくことが多かった。
確か習い事でも同い年くらいの子に失礼なことをして泣かせたことがある。
勿論母には怒鳴られたが、
同じことが起きたらとりあえず取り繕うことはできる、と思う。
母に勧められて絵や工作を習い始めたが、
心の中の燻りが消えていく気がした。
それは難しいと母に言われた。
小学校でも中学でも対人関係が上手くいかず勉強に集中しきれなかったので、
高校に入ってから母に言われるまま目標もなく予備校に通い始めた。
今考えると、もしかしたら地元の高校じゃなくても対人関係は上手くいかなかったかもしれない。
当時の学区内で上位3位くらいに入る高校に在籍していたので
予備校での3者面談で具体的に志望校を決めないといけなくなった。
スクールカウンセラーになりたいとうっすら考えていたので、心理学科のある大学を希望した。
摂食障害になったりもしたが、留年することなく4年生まで進級できた。
飲食店には向いていなかったようで受験勉強を理由に3ヶ月で辞めた。
ここで働くまで、自分が飲食店で働けない人間だとは知らなかった。
他にもデパートで接客をやってみたが、覚えが悪く、しょっちゅう社員さんにフォローしてもらっていた。
2か月くらいで辞めたと思う。
母は公務員を強く薦めてきた。
母のビジョンでは、私は大学在学中に資格を取るはずだったらしい。
文学部だったのだが、司書や学芸員の正規採用の倍率を知らなかったのだろう。
1年生の時に先輩から聞いて知っていたし
一度社会人になってから大学院に行ってまでスクールカウンセラーになりたいとは思わなかったので、
とりあえず就活を片付けることにした。
就活は難航した。
やりたいことがわからなくなった。
電話応対や来客対応も無く(そこに居続けたらいずれ任されたのかもしれないが)
単純作業のみで敵羽も悪くないと直属の上司に褒められたのが嬉しかった。
半年の試用期間が終わる頃、
社長から勤務態度の悪さを指摘され、正社員として採用されなくなってしまった。
なのでアルバイトとして約2年働き続けた。
親には、なんで正社員になれないの?と詰められた。
勤務態度の悪さというのは、気が利かないということだったと思う。
うろ覚えだが、社会人としてのマナーが身についていないということだろう。
あと乗せられて言った私の軽口を社長が真に受けていた。
ミスの尻拭いを従業員全員にやらせる社員をいつまでもい座らせていた。
そこで週3日程アルバイトをしつつ正規の仕事を探すと親には言ったが、
就活が怖くなった私にそんなことはできなかった。
親は私に「何かやりたいことはないのか?資格を取れ」と強く薦めた。
何を今更と思ったが、
私は職業訓練でHTMLとillustratorとPhotoshopの勉強をして、デザインの仕事を探した。
半年間の職業訓練が終わりに差し掛かった頃、正社員として希望の仕事の内定を頂いた。
職業訓練ではデザインについてそれほど詳しく勉強したわけではないので、
それよりも私がこの仕事をする上で致命的だったのは、
それで、納品物が納期ギリギリになっても完成せず、先輩にほとんど作成してもらった。
上司に「貴方は頼まれたことはきちんとやってくれますよね」と言われたのは何だったのか。
これは裏を返せば言われたことしか出来ないということになるんだが……。
この仕事は5か月で辞めた。
そして以前通っていたメンクリで知能検査を受けたが、正常の範囲内とのことだった。
私はただの出来の悪い人だということがわかった。
色々なところに応募しては落ちてを繰り返し、1年程間を空けて受付事務のパートをすることになった。
私を採用した人は、なんでこんなこともできないの?と不思議に思っているようだった。
なんでって……こっちが聞きたいが。
貯金が少なく焦っていたが、半年後に、派遣社員としてOA事務の仕事をすることになった。
ここが一番働きやすかった。
手順書があって、成果物はクロスチェックされ、電話は決まったところからのみ。
そこで働いて2年程経った頃、親に「今の職場で正社員になれないのか?」と訊かれたので
それをそのまま上司に伝えた。
「誰でも勧誘しているわけではない」と回答された。
居心地の良い職場にギリギリまでいたかったので、次の仕事は全く探していなかった。
この会社の派遣期間が満了する頃になると、国内で新型コロナウイルスが流行り出した。
傍から見たらぜんぜん頑張ってるように見えないと思うけど、もう親含めて他人の機嫌うかがうの疲れた。
大学生の期間すっ飛ばして、社会人になってからできた3人の彼女たち、その中の1人に私は心をかき乱されていて、つらい。
過去は過去だし、そもそも私の心をかき乱している女性と交際していたのは2年前とかそのくらい前なのに、私はその人のことを考えると精神不安定になってしまう。
日頃彼氏に女の影などはなく、浮気なんて疑ってなかったし、ただ「Twitterでどんなツイートしてるのかな〜」くらいの気持ちで覗いてしまった。
LINE、インスタのDM、アプリ一覧、Twitterのツイート、ありとあらゆるものを見たけど、女の影どころか私以外の人間と定期的に連絡をとっている様子すらなかった。
画像フォルダをかなり遡ると、女の子とのツーショットが出てきて、直感で「ああ、元カノだなあ。」と分かった。
でもそれ以外の女の子との写真はなくて、ただ消し忘れたかのように数枚その女の子との写真が残っていた。
私とのツーショットの写真は、LINEで送っても保存しないのに元カノとのやつは残してあるんだね とか
ツーショットの中に1枚だけ元カノのエロい自撮りがあって、「人に画像フォルダ見せてるときに出てきたら気まずいから」って理由で私とのハメ撮りとかは撮らないのに残してるんだね とか
元カノ、かわいいなあ。雰囲気似てるから、私のスーパーアップデート版だなあ とか
そういうこと考えてしまい、その日は眠れなかった。
その日からしばらく経つが、私は依然として精神が不安定で、とうとう数年ぶりにメンクリに行って安定剤をもらってきた。
安定剤を飲んでも、ぼんやりと元カノの顔を思い出してしまい、眠れない。
私より愛されてた気がする元カノを思い出しては、憎み、嫉妬し、悲しくなって、涙がとまらなくなる。
早く楽になりたい。
もうこのまま前みたいに付き合えないんじゃないか。
疲れてるんだよ メンクリいって軽いの処方してもらえ
自分も増田と近い世代で、だんだん自粛がキツイなってなってきた人間。
都内で一人暮らし、業種的にも昨年2月からずっとリモート主体で働いていて、年末くらいにメンクリ通うようになった。弱い人間なので。
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ゲームだったり絵をかいたり動画見たりとインドアオタクな趣味も多いし、余裕やろ^^むしろ嬉しい^^と思ってた。半年くらいは。
それでも、ライブに行けないだとか、おいしいもの食べに出歩くとか美術館行くのをやめたりとか小さなストレスはためてた。
最初の4、5か月くらい、秋口にはちょっと収まるかなと楽観視しながらも、
家族友人には一切会わず、たまに必要に駆られて出社するのと生活必需品の買い出し以外での外出を大真面目にやめていた。
ちょっと辛いな…となってきたのが8月頃、感染者数的にはやや落ち着きも見えてた頃だったろうか。
給付金ガー!みたいなあれで各業界もそれぞれの立場でつらさを訴えていた。
結局のところ、どこもかしこも痛み分けで共倒れしかなくない?と思い始めた。
閉店する近所の定食屋を目の当たりにして、一人では喫茶店くらいは行くようになった。
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感染の拡大を防いで医療の危機を回避するという大義は頭では理解するものの、
そのために衣食住や生命にかかわること以外をほぼ制限して、命を守る、に 正直100%で価値を見出せるかと言ったらノーなんだわ。
それをやっていいと思えることがあるとすれば、その制限がちゃんと意味があって終わるのならという条件付き。
ズルズルいってる現状、もう歯止め効かなくなっちゃってるでしょ。
個人によって守りたい命はあると思うし、自分だって大事に思う人はいる。
でも、それを「守るため」と言って一切会えない生活を続けるの、あんま意味なくない?
いつまで続けるの?コロナ以外でも人は死ぬよ?コロナのリスクもわかるよ?どうしてこれを耐えれば報われるんだって信じられるの?
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そうはいっても自粛を結局やや優先しているんだけど、正直その理由は感染のリスクよりも他人との分断をさけるのが大きい。
出かけてもいいと思うよ、と言ってた知人が感染者に対して遊んでるから…と手のひら返してるの見て怖くなっちゃったもん。
医療関係の仕事の知人もいるけど、ラインで連絡取ろうとも思えない。なんとなくの申し訳なさで。
このメンタリティで生きてると、そりゃあ病むんですわ。楽しくねえもん。
非難されない状況でなら、いっそ感染してもあんま苦しみとしては変わらんて。
(こういうと、じゃあ後遺症で苦しめ^^って言われるんでしょ、知ってる)
この災禍で経済がつぶれるならそれまでだ、命があることだけが一番大事、なんて思えねえよ。
その命で何をするか、だろ。やりたいことが奪われて戻ってくるとも限らないなら、命や健康が戻ってこないのとさして変わらんよ。
生きててほしいと願う相手だって、ただ存在していてほしいだけじゃなくて楽しく生きていてほしいよ。
非難しあうのは、楽しくない。つらい。
エゴ爆発させて遊んじゃいたい。遊んでる人自体を非難はできない。
マスクして手指消毒こまめにして…自分で気を付けられることはいくらでもやるけど
他人にどうこうっていうのは無理だよなってことだけはわかる。
対策は理論と根拠に基づいて行うべきだとは思うが、人間はしょせん感情の生き物なのだ。
不条理があったとき、その感情の向け先がどこに行くかは一つの分かれ道だし、
そんなややこしい生き物が多数集まったこの社会をどう舵取りしていくのか、それが政治だったりするんじゃないかね。
難しいね、とりあえずつらい。
朝が弱いのでとにかく職場の近くに住むぞ、と決めてアパートを借りた
駅まで徒歩50分、駅直通のバスは一日3本という立地に若干の不安を覚えたが、
最寄り駅から政令指定都市までJRで3駅だから田舎じゃないし、車あるから余裕だし、毎日ギリギリまで朝寝できるし十分お釣りが来るレベル、と思っていた
新しい土地、慣れない運転、さてどこへ出かけようか、なんて考える余力は無い
車で近場のコンビニに出かける気力すら無く、一日グッタリして過ごす
そんなことやってるうちに夕方になり、何とか近くのコンビニやスーパーへ車を走らせる
やっと趣味を楽しめる程度に元気になったと思ったら、もう風呂に入って寝る時間だ
学生なら平気で夜更かしするところだが、社会人は翌日の仕事のために寝なければならない
一人暮らしは初めてでは無かった
だが、今までのアパートは徒歩でコンビニやスーパーに行けたし、駅までどんなに遠くても徒歩20分程度だったので、全く状況が違った
選択肢は二つ、朝一の駅直通バスに乗って帰りはタクシーに乗るか、
最寄り駅近くのコインパーキングに車を置いて、帰りはタクシーに乗り、翌日以降に車を回収するかだ
一度終電になった時は、駅のタクシー乗り場で1時間立ちっぱなしだった
学生の頃より稼げるようになったのに、一人でフラッと飲みに行くことも出来ない
車→電車で出かけて、その場の雰囲気でちょっとだけ飲むなんてことも出来ない
コインパーキングに置いた車の中に自宅の鍵を忘れ、アパートの扉の前でマジ泣きしたこともある
息抜きするために使うエネルギーがデカすぎて、息抜きまでたどり着けないか、息抜きしたはずが逆に疲れたということばかりだった
そんな暮らしに必死でしがみついてたら、1年と経たずに鬱になりましたとさ。
まあ病んだのは仕事自体との相性もあったが、もう少し交通の便がいい環境に住んでたら病む前にもう少し何とかなったんじゃないかと思ってる
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 116 | 12433 | 107.2 | 34 |
01 | 81 | 6802 | 84.0 | 49 |
02 | 38 | 5637 | 148.3 | 55 |
03 | 33 | 2166 | 65.6 | 35 |
04 | 18 | 1090 | 60.6 | 37 |
05 | 36 | 3610 | 100.3 | 36.5 |
06 | 61 | 3782 | 62.0 | 32 |
07 | 50 | 6531 | 130.6 | 41.5 |
08 | 99 | 11212 | 113.3 | 47 |
09 | 141 | 11023 | 78.2 | 41 |
10 | 123 | 12744 | 103.6 | 51 |
11 | 133 | 8549 | 64.3 | 37 |
12 | 187 | 15377 | 82.2 | 33 |
13 | 92 | 9757 | 106.1 | 34.5 |
14 | 112 | 6894 | 61.6 | 30 |
15 | 132 | 17050 | 129.2 | 41 |
16 | 85 | 7642 | 89.9 | 43 |
17 | 110 | 6969 | 63.4 | 38.5 |
18 | 91 | 8689 | 95.5 | 38 |
19 | 138 | 15990 | 115.9 | 37 |
20 | 170 | 10280 | 60.5 | 33 |
21 | 196 | 18533 | 94.6 | 28 |
22 | 210 | 13966 | 66.5 | 27.5 |
23 | 157 | 16708 | 106.4 | 34 |
1日 | 2609 | 233434 | 89.5 | 35 |
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医者に行かないだけじゃなくて、自分を大事にするために金を使うということができない。ちょっと高いけど暖かい服を買うとか、ちょっと高いけど美味しいものを食べるとかそういうのができない。作り手にお金を払うという観点でならできるんだけど、「自分のため」にはお金が払えない。
異様に自己肯定感が低い。
酷い扱いを受けたのは自分が価値の低い人間だからだ、という趣旨のことを言う。
ここから先は邪推だが、周りの人間(特に親)のこと嫌いになりたくなくて、自分のことを「存在しているだけで自然と虐待される」ような、いじめられて当然の人間なんだと思い込もうとしているんじゃないかと思う。
虐待するべきでない人間を虐待する人間だと思ってしまうと、親のこと嫌いになってしまうから、自分は虐待されて当然な価値の低い人間なんだと思おうとする。
でも、価値の低い人間なら虐待されて当然だというルールは本人も本人にしか適用していない。人間に価値の高低があるという概念も自分に対して以外はあんまりなさそうに見える。
自分の思考が歪んでいることにはうっすら気付いてるらしいんだけど、自分の思考がおかしいと認識するのはすごく恐ろしいみたいで、どうにかして話題を打ち切ろうとする。
今回は私やほかの友達のために医者に行ってほしいという形で医者に行ってくれたけど、自分を自分で大事にできるようになって欲しい。自分と四六時中一緒にいたり自分のことを気にかけられるのは自分だけだし…
メンクリには長年通っていて、でもカウンセリングは高くてやってないみたい。
理解のある彼くん/彼女ちゃんが現れないかなと思っている。親以外の新しい家族ができてはじめて、親のことを酷い人間であると認識してもメンタルが崩れなくなるのではないか。
ここ数年人に「結構すごいこと言いまくってるから一回診てもらった方がいい、でないと人が離れていく」というようなことを言われていて、増田にドバッと吐いたら増田でも病院に行くべきだと言われたので、流石に行くかと。ちょっとした躁鬱?を繰り返しながらたまに連絡を取ろうとして、でも自分は病気だなんて認めたくないのもあってやめたり迷ったりしている。
関東在住、都内ではない。心療内科はいろいろあるみたいだがとりあえず2軒あたった。
電車で一駅。駅ビルの中にあって、知人にメンクリに来たとはバレにくい(重要)連絡したのは春頃。
平日の午後に電話して、予約を試みた。
「混んでて1ヶ月は空かないんです、一応半月後に新しく受付を始めますが、先着順です」とのこと。loppiじゃないんだぞ。私は今辛くて辛くて仕方がないのに、半月なんて待ってられるかよ死ぬぞ!と怒鳴りたいのを堪えて、なるべく丁寧に電話を終えた。怒鳴ったら次恥ずかしくて電話しになくなるから…。結局今電話して、また同じようなことを言われると思ったら今度こそ我慢できるか不安で、電話できていない。
B心療内科
最寄駅近く。歩いて行けるのは悪くない、悪く無いんだが外に面しているので、ここに入っていくところを近所の人に見られでもしたら終わる。友人が世話になったことのある医院だそうで、予約の電話を入れた。
「混んでいるが、平日の朝なら空いてる」
なんかわかる気がするが、平日の朝は私だって働いているので、土日の朝にしてもらえないか聞いてみる。
「休日の朝は混んでいるので、初診は受け付けていない」
ちょっと気が遠くなった。心療内科にかかるというのは私にとってほとんど敗北宣言と一緒なのだ。自分が負け組なのを確かめるために有給を取るのはつらい。というかいきなり言われても取れない。限界でなんか文字もろくに読めなくなって焦りながら電話するけど、誰も私の焦りなんか気にしてないのだ。当たり前です。どうしてよどうしてよどうしてよなんで私ばっかり!と叫び出したいのを飲み込んで電話を切る。叫んだら電話しにくくなってしまう。
と、そんな具合でなかなか病院に接続できていない。みんな簡単に心療内科にかかれとは言うが、実際無理じゃ?と思う。私はまだ自分で探して自分で電話をかけてられる分それなりに元気なんだろうと思うが、本当に希死念慮の塊みたいになっちゃってる一人暮らしはどうなっちゃうのかなと思った。都内はもっとあっさり行けるのかな?
こんな風になかなかうまくいかないと、就活していた頃のことを思い出す。書類で落ちたことは一度もないのに、面接に入った瞬間バンバン落ちた。ブスだからか、声が悪いのか、答えを考えてもどうしてもうまくいかなかった。面接官と話が盛り上がることもあったが、なんとなく「あ、これ機嫌取られてる」ってわかった。私と面接官の間にはゼラチンの塊みたいな透明の壁があって、言うことは何にも伝わっていないのだ、みたいな感覚が常にあった。ちゃんとキャリアセンターで面接を練習してるのに、「態度も言うこともきちんとしてて悪いところなんて一つもない」って複数人に言ってもらえたのに通らない。グループディスカッションだって「まず人を褒めて、意見を付け足す」のを徹底して協調性のある良い人をやった。バカじゃねえのと思っていても顔に出さない練習をした。それでもダメで、なにがどうダメなのかわからなくて毎日泣いて、目の前の文字が読めなくなったり急に涙が出てくるのを皮膚毟って誤魔化したり、それでもアルバイトなんか全然動けなくなって鍵穴に鍵を差し込んでどっちに回したらいいかわからなくてなってパニックになったり、気がつけば裏方仕事しかさせてもらえなくなっていた。そらそうだ。そんな恥ずかしいこと友人はともかく家族にも絶対言えなかったが、涙だけはボロボロ出て、「いい歳して情けない」とか言われて、本当その通りで何しても止まらない涙やわけのわからない妄想に困り果てていた。ヤバいのが「私は小説家になるので働いてる場合じゃない」何言ってんだ?この思想がポンとバイト中に出てきて、真っ当な人間になれそうにない、終わりだ、と思った。結局めちゃくちゃよく喋る社長がものすごい勢いで楽しそうに話すのを聞いて面接が終わったような会社に入って、そのまま田舎で過ごしているような状態。だけど心が就活中のままなのかもしれない。選ばれないことが苦しくて辛くて悔しくて、何かの調子に頭まで就活してた頃にパン!と戻る。普段バネを引っ張って目の前のものに集中してるフリをしてるが、少しを気を取られるとすぐにバネが戻って頭と心があの頃に戻ってしまうのだ。最近のトリガーは結婚。結婚したいだなんてひとつも思っていないのに、知人の結婚の報せを聞くとバネが大暴れして大変なことになる。結婚するための努力を何ひとつしていないのが唯一の救いだ。何かしてたらもうヤバかった。誰のことも好きじゃないのに、誰か、これも誰でも良いと言いつつも私が定めた「普通」の人に一度は選ばれないとダメ、みたいになっている。就活も結婚も、人生の途中経過を答え合わせしていると思ってしまうのだ。スムーズに良い会社に就職できなければ0点。ちゃんとした人に一度も選ばれなければ0点。このまま0点が続いて頭がおかしくなりそうだ、みたいなことを自虐っぽくツイートして、それで傷つく人がいることを考えられない。今は一時的になんてバカなことしてるんだろうと考えられるけど、ツイートしてる時はそれどころじゃない。表に出せない激情みたいなものを全部吐き出して人を傷つけて、また好きなものがひとつもない日常に戻る。一人暮らしだけど、ひどい時は殺されたくて鍵を閉めないで寝てしまう。田舎だから何も起こらず普通に朝。
ぼくも仕事とかで病んじゃったしメンヘラには基本寛容なスタンスだし、困ってる人がいたら助けてあげたいけど、ぼくやぼくの友人に迷惑かけてくるなら話別ですからね。治るならちゃんとメンクリいってほしいし、根っこから腐ってるやつはもう知らん。関わってこないでくれと。
https://twitter.com/otaku_dead4545/status/1296644215347150848
迷惑をかけてこないメンヘラならOKという考えかた、現実にはほぼメンヘラNGってことなんだよな。これがメンヘラやら貧乏人やらをなんとかしてやろうとすることの難しさ。
医学的な障害の定義には「それで本人や他人が困っている、迷惑を被っていること」が含まれるんだよね
腕が無い人は正常じゃない! 障害だ! って訳じゃなく「腕が無いことで困っている」というのが障害
換言すれば「そいつが今いる環境で自分・他人に迷惑をかける・迷惑がかかる・迷惑を止められない・迷惑を顧みられないこと」そのものが障害で
まあ迷惑なんだけどね