はてなキーワード: メンクリとは
どうも自分は4月頃から性格が大きく変わってしまったようである。
ひとつめは、性欲が殆どなくなってしまったこと。中学、高校時代は女のくせに人一倍性欲は強いほうだと思っていたが、4月頃からそれが途端になくなってしまった。まぁ、自分はSNSで知り合った異性に会う勇気もないしコロナで大学もなくなって人にも会えないので好都合だなと思っている。ストレス発散方法が無いのは少し辛い。
ふたつめは、好奇心旺盛でチャレンジャーだった性格が無気力で消極的な性格になってしまったこと。
勉強ばかりしてきた中高時代は、大学生になったら、芸能活動・海外留学・ヲタ活・同人活動・サークル活動など、本当にやりたいことがたくさんあった。実際受験が終わって3月に声優系アイドルのオーディションを受けたら合格してアルバイトとして仕事をしていたがいじめがあったことやコロナのせいもあり、今はもう殆ど仕事をしていない。海外留学も費用が高いだけで親に迷惑かけるのも嫌で諦めてしまったし、高校時代あんなに熱を入れてたヲタ活も熱が冷めてしまって(ライブもないし)何もしていない。
3つめは、鬱になる機会が増えたこと。中高時代から軽度ではあるがその気はあり(PMSかもしれないということで)取り敢えず親と相談して産婦人科でピルを処方してもらって飲んでいるものの、最近は気がつけば受験に失敗したことを後悔したり、地下アイドルの仕事の時にあったいじめや過去の出来事を掘り返して自分は異性とも同性とも上手くやっていけないんだと悲観的になってしまう、仕事も含め自分は何をやっても駄目だと思う、こっちはずっと家にいるのに外で遊んで楽しんでる同級生が羨ましいとか、そういうことを考えて何もできなくなる日が増えた。寝ていれば治るときもあるけど、基本的に気分が良い日より鬱になる日のほうが多くて疲れる。たまに死にたいとすら思う。
メンクリに行くのにも遠い、人混みを電車で移動しなければならない、予約が取れない、この先ずっと薬を飲み続けなければいけないのかなどと考えると、なかなか予約を入れるきにもなれない。親は外に出てないから、運動してないからそうなるんだとしか思っていない。
大学だって来年の春、いや、来年の秋、もしくはそれ以降といつまで家で授業を受け続ければ良いのかわからないし、その間に何をすれば良いのかわからない。高校までは勉強や生徒会活動などに一生懸命励むのが「自分にとっての正解」だったから、そうやって忙しく過ごして充実して満足だった。でも今は何をしてら自分にとって正しいのか本当にわからない。
そして鬱の原因がわからない。いじめが原因の一つかもしれないけど、仕事を始めたのが5月で、4月から上記の症状はあった。しかも大げさに言うような酷いことをされたわけでもないし、ハズレのバイト先を引いた友達(パワハラ上司がいるなど)でも半年ぐらいバイトを続けていたから、これぐらいで音を上げるのは自分でもどうかと思っている。
とりあえず、明日のことも明後日のことも何もわからないし、何もしたくないし、多少はアニメを見れば気が晴れるけど、一瞬だけで、また虚無な日々が始まる。
目標もなく、楽しみもなく、自分にも将来にも期待できない自分はどうしたら良いのだろう。
親に相談しても無駄だったので取り敢えずネットで相談するのが一番かと思って、ここに書き込んでみた。
追記: 想像以上に沢山の方に見ていただけて感謝しています。私はまだ未成年ですし、親はただの甘えだと思っているし、こんな風に考える自分はただのメンヘラ・現代病のようなものだと心の中で思ってしまっていて、でなかなか病院に行く踏ん切りがつかなかったのですが、やっぱり時間がある時に病院へ行ってきます。
さて、自分は受験生となってもやりたい事が全く思いつかず、遊んでばかりいた成績の大変悪い高校生だった。進路がマジで決まらず(本当に勉強しない)(宿題をまともにやらない)(日本史以外赤点ぎりぎり)当時の高校の担任教師に「あんた教員あってるんじゃない?」と何故かすすめられ、そこからまあ色々あって真面目に勉強して、卒業すれば9割は教員となる教員養成系の大学に合格した。受かった報告をすると数学の先生に泣かれた。いつも20点台、調子良くて30点台のやつが受かったらそりゃ泣くよなと教員を経験した今は思う。
そうして絶対なりたいという思いがあるわけでもなかったが、せっかく免許が取れる学校だからまあなるかと4年間過ごし、教育実習もしてああ教員になるのも悪くないかもなと思って受けた採用試験に見事に落ちる。ですよね〜
教員は慢性的人手不足なのでとりあえず登録すれば臨時採用はほぼ確実、というわけでここにクソ意識低い系教員は爆誕した。
→1年目でだいたい月手取り20くらいもらってた、ボーナスは50くらい
・夏休みに連続20日とか休みとれる(ただし本採用だと出張が多いから取れて10日くらい)
→ただし長期休み以外はお察し
→朝はやくて夜遅いので時間外勤務と呼んでほしいと思う。だいたい1日13時間労働だった。たぶん場所によるけどこの業界で時間外勤務が月40以下のとこなんてファンタジー、架空の世界。定時なぞない。
→端的に言うと敗北してメンタルぶっ壊れて教員辞めました。南無。
・9割はヤバい人
→1年目のとき先輩に教わった。「この業界は9割はヤバい奴で1割はめっちゃいい人だから1割を探し出せ。」これから教員目指してる人とか初任の人は頭に刻みつけるんだ。
もちろん楽しい事も無かったわけじゃないけれど、だんだんと思考と心と身体がバラバラになっていった。本当につらかった。
じゃあ親しい人や家族に相談すればええやんと思う人もいると思う。自分にはできなかったのだ。
卒業したら9割は教員になる大学ということで周りの友人は小さい頃から教員を目指していたものばかりなので意識が違うのだ。みんなこういった不満を覚悟で生き抜いてるので「どこもいっしょ」みたいなのが根底にあった。
家族、誰も教職がいない。つらいつらいと漏らすと「全く分からない仕事なのに聞いてるこっちがめんどくさい」と突き放された。それから相談するのはやめた。あまりにメンタルボロで限界過ぎてメンクリでもらった薬飲んでたらバレて何故かこんなもの飲むなと怒られた。解せぬ。
にっちもさっちもいかず、どうしても限界すぎて教員を辞めて無事転職。給料は決して良くないけど毎日がメチャクチャ楽しい。定時に来て定時で帰れる喜び。帰ってからこうして文章が打てるくらいには元気。
ただ、教員を今でも続けている友人たちや頑張っている人たちは本当にすごいと思う。今もコロナの分散登校や今後の対応に追われる中必死に子どものために生きているのだ。だからもし先生っぽいなと思う人がいたらどうか優しくしてあげてほしい。9割のヤバい人かもしれないけどヤバい人にも人生があってきっと何か疲れてるところもあるだろうからね。あ、学校の先生なんか嫌いだ!無理!って人はそうなる理由があったんだろうからまあ寝言だと思っといてくれや。君にも君の人生だったり思いとか考え方があるしな。
教員を目指している人へ、ボロクソ言ったけど別に教員になるなというわけじゃない。楽しい事もあるし、嬉しいことももちろんある。ただキツい現状があるのも確かなので慎重に。なにも教職だけじゃなくてどんな仕事にも言えるけど仕事選びは真剣にね…ほんとうに……
最後になんとなく教員になろうとしている人へ、考え直すなら今のうちだ。教員じゃなくてもその免許を活かせる仕事はたくさんある。なんとなくならやめておいたほうがいい。
大学・大学院とのんびりと生きてきた。その後シンクタンクに就職したが出来ない仕事を振られ精神的に摩耗し精神病を発症。
最終的に復職できずそのまま解雇され、実家から離れた遠い東京砂漠の片隅で親の経済的支援と公的保障で何とか一人暮らししながら食いつないでいる(無職)。
結局自分は失敗作だったんだなと。誰の期待にも応えられていない。親に経済的負担ばかりかけている。
『月刊少年ガンガンJOKER』を近所の本屋で買うという禁忌を犯したし、もうだめです。
今日メンクリ行ってふと思ったんだけど、薬を飲み始めてから少し自分が変わったような気がする。
前はなにかあるとすぐに自分が悪いんだとか自分なんてクソだとかいなくなればいいとか思ってた。
そんな価値のない自分が「本当の自分」だと信じて疑わなかった。
どうして自分はうまくできないんだろうもっとがんばらないといとってずっと頭のなかで考えてた。
自分だけが悪いんじゃなくていろいろな要素が絡み合ってそうなってしまったかもしれないこと。
うまく言えないけど自分の心に余裕ができて初めて気づいた。
自分の事を少し理解できて初めて自分という存在に愛情を持つことができた。
もしあのときメンクリに行かなかったら一生こんな気持ちにはならなかったかもしれない。
いい先生に逢えてよかったと思う。
誰も待っていない、あの時の話の後半をようやく書く気になった
何人かにはありのままをもう話してしまったので今更驚きもないかもしれないが備忘録として残しておく
兎にも角にもセックスのしたかった私はとりあえず探した、今年25の女の検索履歴に「女性用 性感マッサージ 無料」が残ったのは末代までの恥とするが私が末代なので問題はない。
やってみればわかるが実際そんなに完全無料なんてものは見つからなかったわけで、つかどれも嘘くさい、ネズ公系にしかみえない
わたしがセックスしようとしたらツボ買わされた話もそれはそれで面白いかもしれないが、今回はセックスに重点をおきたかった、で見つけたのが
「中イキしたい女性のためのプライベート性感エステリップス」だった
そこはどうやら代表1人でやっているらしく、サイトから今回応募した理由を送り、その返信でラインやらを交換の流れだった。
その時点で深夜2時半、どうせ返事など来ないだろうと思っていたがまあ問題なく来る、トントン拍子に話は進み、朝を迎える頃には1ヶ月後に「6千円払ってセックスをするために幕張本郷まで1時間強エンヤコラ」する予定ができていた。私は迷いなく、ポピと共有していたカレンダーに「パーソナルトレーニング」の予定を入れた、嘘は書いていないと今でも思っている。
ここまで書いておいてあれだが、今回は真面目に行為中の話なんかは書かずリップのレビューを書こうと思う。
・必要以上の連絡はない
ラインを交換した時点でもしかしてこれから毎日連絡しなきゃいけないのかとげんなりした面もあったが、現実は前々日あたりに一言
「こんばんは★
もうすぐ11日ですね!
「いい感じです!
「それならムラムラもストレスも両方解消しましょうね(//∇//)
リップスでも推奨している中イキ用の玩具が明日にはラブコスメから届くのですが、良かったら軽くお試しがてら使ってみますか(//∇//)?」
「いいんですか!?是非お願いしたいです!」
「良いですよ!
せっかくなのでお試しがてら使ってみてもし、良かったら購入検討してみるのも良いかもですね(笑)
コンビニでも受け取られるみたいなので(*´▽`*)」
「俄然楽しみです!
と体調のお伺いがある限りでそれ以外は全くなかった。
今回私は3時間ほどサービスを受けたが、その1/3程度はカウンセリングに近いものだった。インポの彼氏をどうしたらいいのか、インポの彼氏とどうすればうまくいくのか、私に問題があるのかなどたくさんの質問を横になりながらゆっくりと話をしてもらった。ソファーでペッティングからの風呂場、ベットその流れの合間に、相談を挟む。それが時間を買ってセックスしている、という異常空間への緊張なんかをほぐすためもあるんだろうなと漠然と思った
・2回戦というコスパのよさ
タイトルにも入れたが6千円で3時間2回戦、このとてつもないコスパの高さ、男性諸君には信じられないことだろう。あまりにも夢のようで、正直最初の時点でここまで素晴らしいサービスを受けられるとは思わなかった。だから私はこの帰り道に一ヶ月後の予約を入れた、そしてまたカレンダーに「パーソナルトレーニング」と入力した。ポピからは
「ジム熱心に頑張ってるね!」
とてつもなく、うまい。興奮するとかそういう問題ではなく技巧が素晴らしい。一度はプロのお世話になっておくのも知見として必要だと意識が変わった。っていうか4年ぶりだったからより、絶品に感じたのかもしれないが、それにしてもたまらなかった。
セックスってこんな楽しかったっけという感覚と、一度のセックスで与えられる満ち足りた感、明日も頑張ろう、インポの彼氏に対しても努力して友好関係を築こうという気持ちになった。その数日後、よっしゃたまには私からインポに優しくしたろかな!と舐めたが、先に寝らたので、このあたりから終わりは見えていたといえる
とまあ仕事に心を壊され、リボステに行けず、泣いていたわたしがこれを書いてるのは、次の予定が来週あるからで、でもそれ生理被りそうで最悪だなということで。
インポの彼氏とも無事円満に別れ(この話もまたいつか書くかもしれない)、完全なフリー、空き家になった私は生理が来なければ次は男性が泣いて喜ぶような技を教わろうと画策しているので、もしいい感じに学べたら是非誰かやりましょう
教育熱心で説教が長くて自分の面子が大事で度々手を上げるおとんとどこまでも優しい良いお母さんけど最終的にはおとんの味方しかしないおかん
俺の大学の学費、前期後期それぞれ25万ずつなんだけど、おかんおとん、出してくれてありがとう。
仕送りもしてくれて、まあ俺も自分でバイトしなきゃ食えない額ではあるけど感謝するしかない総額を俺に注ぎ込んでくれたんだな。
ありがとう。感謝ついでに言うけどそんなにお金お金言うくらいなら生まないでほしかったな。
学校サボってメンクリ通ってたら母親にバレて実家に数日引き戻された。
俺が限界になってるの見てひょっとして今度こそ俺の話を聞いてくれるんじゃないかと期待したが、全然そんなことなかった。
元気付けたいんだと思うけど父親に数時間に渡って俺を育てる苦労話された。
お金かかったんだね。俺を育てるの大変だったんだね。そんなに苦労して製造した息子が大学も卒業できない失敗作になっちゃってごめんねって感じだった。
父親は「自分の親に『計画的に生んでエリートにすべく育てた』って言われるのが嫌だった」って教えてくれたけど、「お前は出来ちゃった婚の産物」ってバラされるのもなかなか辛いものがあったよ。
なんだよ、俺お前らの無責任中出しで誰にも望まれてないまま出来ちゃった上に金かかっただけのお荷物じゃん。
本当はちょっと休学の相談をさせてほしくて実家に帰ったんだけど、休学のきの字も言わせてもらえなかったし、「今年卒業する以外は一切認めない」とか言われちゃった。
俺だって別に是が非でも親の金で留年したい!なんて思ってなくて、「経済的に無理なので自分でどうにかしてくれ」と言われるならそれでよかった。ただちょっとでも休学したいくらいつらいと言わせてほしかったし、せめてどうしたいのかだけでも聞いてほしかった。聞いた上でそれは無理だと言ってほしかった。
自腹切って休学するのも許されなくなっちゃった。
俺の心は値段にして25万の価値もないっぽい。仮に休学させてもらえたとして最低限ドブに捨てたことになる前期の学費25万円。これが5月くらいの話。
実家帰った間ずっと何かしらの説教されててつらかったなって思って、東京に帰るために母親が駅まで車で送ってくれてる間わんわん泣いちゃった。母親に甘えたかったのかもしれない。
その母親と先日久々に会って、尋問されたので今でもうまく学校に行けてないことを正直に言った。おかんは俺のことをいたく心配して、「今から一緒に実家に帰ろう」とか言い出した。決定的だった。俺はこの優しくて浅はかなお母さんに勝手に絶望した。俺あなたの目の前で泣いたじゃん。帰らなければよかったって言ったの聞いててくれてたじゃん。「あなたにとって家に帰るのはあまり良いことではなかったんだね」とまで声かけてくれたじゃん。何それ。
母親に心開くのをやめた。この人に何かを期待しても僕がしんどいだけだと結論づけたので、家族カテゴリから他人のフォルダへ存在を移行させた。目先の優しいポーズをするのだけが好きな人なのか、単に頭が悪いのか。多分後者なのだと思う。頭の悪さで人を傷つけるだけで、他は絵に描いたような良いお母さんだった。
母親が家族ではなくなったので、俺の対人関係のフォルダにおいて、全てが他人に統合された。考えてみれば当然だと思う。家族だからとか友達恋人だからとかで甘えた態度を取って訪れるのは不快感に耐えかねた破滅だけだもん。親しき仲にも礼儀あり。ただでさえ価値のない俺の本音とやらは人に迷惑をかけるだけなのでこの先誰にも言わないようにして生きていきたい。否、死にたい。
今日そのおかんから電話がきた。クリスマスだから何か送ってあげようか?だって。本当にありがとう。でもごめんなさい。他人からは現金以外受け取りたくない。だって貰ったら大事にしなくちゃいけないじゃん。自分を大事にするのもめんどくさいのに。大事にするってなんだ?わからん。
一時期は「毒親」って言葉にも興味を持ったけど、最近は俺が恨むのはお門違いだと感じている。おかんもおとんも悪いことはほとんどしてないと思う。そりゃ人間だからたまに失敗するだろうけど、そんな些細な失敗で巨額投資先が丸ごとつぶれてんの本当に可哀想で申し訳ない。強いて言うなら出来ちゃった俺なんかは生まないで堕ろすのが正解だった。
社会に出られない。学校に行けない。バイトも受からなくなった。必死になって就活エージェントとやらにメールして面談約束しては当日怖くて泣いてしまって外に出られずドタキャンするのを繰り返している。12月。文章も上手く書けなくなった。好きだった音楽がうるさくて聞けなくなった。映画も本もごちゃごちゃして見られなくなってきた。
どうやって死のうかな。俺を売ってできた25万円で、俺が生まれてきたせいで負担がかかった他人のみんな、せめて焼肉とか食べて幸せになってくれないかな。あ、25万しないんだっけ。
一応、メンクリにも通っている。
とはいえ、癇癪持ちと気づいたのはほんの数時間前で医者とも話せていない。
何故、癇癪持ちと気づかなかったかというと、我慢していたからで、また、普段は怒るということがないため何かおかしい、なにか嫌な気分だと思っていたからだ。
周りのちょっとしたことでボルテージが上がっていくのが分かり、奥歯を噛み締めているのが分かる。口を開けば唇が震えている。いつ「あぁ!?」とキレるか分からない(キレたことはない)
とにかく、今は怒り(今までは嫌な気分と思っていた)を抑えることに必死でスマホを見たりして気を逸らそうとしている。
今日は昼間から妻と出かけていて、癇癪スイッチが夕方から入ってしまった。
だからあまり話しかけないで欲しいと言ったのだが、妻はケンカになるような事を言わなければ済むと思っているのか食事のときも、一緒にいるときも普通に話しかけてくる。
内容は全くトゲのない普通の内容なのだけど、自分にはいちいちシャクに触り、怒りのボルテージがガンガンに上がるのが分かる。
誰か助けてくれ
(追記)
無事、帰宅。
すぐにシャワーを浴びて、ルネスタとロラゼパムとカルシウムを飲んでベッドにいる。
多分、目が覚めたらこの気分も楽になると思う。
皆様、お騒がせしました。
2012年頃、大人の発達障害者への治療薬が適用になったこと、発達障害が話題となったことがありました。その当時、ネットの発達障害チェックをうけると「その疑いが強い」の判断があり、
自分も発達障害であるのかど強く悩み、予約不要のメンタルクリニックを行くことがありました。しかし、そこの病院は大変に混雑していて、当時は相談することを断念しました。
そもそも冷静に考えてみたら当時の私にはいろいろな抵抗感がありました。
しかし、今年の1月末頃『宇宙よりも遠い場所』の主人公の玉木マリの「何かをしたいけど一歩踏み出せない」という人物像に共感を抱くようになり、次第に作品に嵌まるようになりました。しかし、彼女たちは南極へ行きたいという夢を実現するのに自分は余りに変わらない事に愕然として、次第に深酒をしないと眠れず、毎日耐えられない不安に襲われるようになりました。
しかし、最初はうつ病を疑ったこともあり、律儀に二週間様子を見ようと思ったことと繁忙期だったこともあり実際に病院への受診を決断したのはさらに一月遅れることとなり、2月20日頃病院に電話をして、5日後に受診の予約を取り付けました。
こうした状況になるおよそ半年前の昨年8月に遡らなければなりません。絵を描くことが趣味だったこともあり「1番目は時間配分を変える。2番目は住む場所を変える。3番目はつきあう人を変える」という経営コンサルタント大前研一の言を間に受けてSNSのフォロワーをがらりと変えたことがあったのです。しかし、彼らの素晴らしい実績を裏腹に自分は何も変わることも無く、ものすごい物をインプットし続けて次第に疲れていったのか、時間だけがいたずらに過ぎていく日々が過ぎ、夏コミの本を整理していると「もう半年経ったのか」という時間の経過に愕然とするようになりました。
先生は普通には白衣だろうと思っていたのですが、普段着だったことに驚きました。ただ、そこの病院は正直その先生の物腰は優しいのですが、しばしば話が噛み合わず「あった先生」とは言えませんでした。そこの病院は先生が一人で臨床心理士が居なく発達診断の診断は出来ないので他の病院を探してくれ(おいおい紹介しないのか?)と言われる始末で、自分で今度受診する病院を探し、二ヶ月後に予約を取り付けましたが、それでも、抗不安剤と睡眠薬で随分私を救ってくれました。
今回、精神科医療における一番のハードルは親でした。すぐにキレる。お前は生きる価値がない等の暴言を繰り返す親である以上、病気への理解が全く皆無であるとしか思えなかったのです。診療を秘密にして自分のお金だけで受診をすることを本気で検討したこともありましたが、治療費を考え断念したこともありました。先述のメンクリの先生に(親の説得材料に)「診断書出してくれ」といっても「紹介状あるんだからいいだろ」の一点張りで結局自分でカミングアウトすることになり、それが一番のハードルでしたが、もともと思い当たる節があったのか、案外優しくむしろ繁忙期に病院に同行する事へのいらだちの方が多かったのです。
結局、自分だけで悩むと1年以上時間を無駄にしてしまいました。生きるのは厳しいかも知れませんが、しかし手を差し伸べれば差し伸べてくれるだけの手はあるのです。もし、今後(治療方針や検査など)が不安というならまず近くのメンクリで抗不安剤だけ貰うというやり方もあると思います。検査は25日でまだ自分がどういう精神状態なのかが解りませんが、一人でも多くの人が救われることを願っています。
どこかは伏せるけど有名なところね。
最近絶望感とか気落ちが半端なくて、かといって衝動的に泣きそうになるのも飽きてきてた。
少し体動かしてるとまだいいんだけどね。
もうこの先ないのかと思って絶望感がいっぱいなの。
こんな状態に自分がならないように頑張ってきたけど、もう限界とか初めて思った。
いい加減よくならないかな、これってうつ状態だよな、と思ってGoogleで「うつ 良くなる」で検索したら
今回行ったメンクリが出てきた。うは、俺とうとうこの年にしてメンクリデビュー。
待合室とか個室になってるのかと思ったけど、ふつーの待合室っぽい空間にソファーがオシャレというか、人と目が合わないように配置されていた。そうそうメンクリまでのビル内の塗装もなんか気持ちいい感じの森の絵が壁いっぱいに描かれてた。
予約して行ったから初診の患者さんには絵を描いてもらってます、って白い紙と鉛筆渡された。
ここで気づいたけど絵心ナッシン。子供の頃あんなに好きだったのに今見たら全然絵って描けないのな。
へったくそな絵を描いて受付のお姉さんに渡した。
周りの患者さん見ると、まあ気弱そうな人とかおかしな恰好した人が来てるのかと思いきや
メンクリに対して偏見があったんだろうけど、風邪で内科に行くのと微塵にも変わらない雰囲気。
ただし患者同士は目を合わせない。みたいな。
異常なまでに人当たりよさげというか、商売人のようなうさくさげな医師が座ってて
こいつがマスクしてるのにぼそぼそと話してるから何を話してるのかわからない。
メンクリの医師って位だから初対面で安心感とかあるもんなのかと思ったけど普通に考えてもそんな事なくて、
普通に淡々と状況を話して、治療方針は投薬だけじゃなくて投薬+カウンセリングにすることにした。
カウンセリングがマッサージ屋並みにたけえwwいい商売ww とか思ったのは内緒。
カウンセリングメインで治って行きたかったけど、投薬でよくなる人もいるのは知ってたのでお守り程度の薬も頂くことにした。
最初常薬出されかけたけど、常薬飲む程自分がセーブできていないつもりはなかったので
頓服の処方を希望。頓服も最初中度に強いのを出されそうになったんだけど、出来る限り弱いにして出してもらった。
とりあえず話は通じてるようでよかった。
副作用(眩暈。意識混濁)とか超怖いのでもらった薬は休みになる昨日の夜就寝前まで飲まなかったけど
昨日飲んで今朝目が覚めて世界が随分変わってた。
記録代わりに箇条書きしていく。
・ 睡眠時間が大体3時間から4時間で目が覚めてたのが8時間寝られた。テラ寝坊www
・ 朝起きた時のどうしようもない不安感とか絶望感というのが無いのが久しぶり過ぎて、これがふつうだったのとか忘れてた。
・ 朝の動きが遅いのはあまり変わらないんだけど、気持ちがいいからいつもよりも動けちゃう、ウハ。みたいな。
・ 朝食が気持ち悪くていつも野菜齧ってそれで一杯、って感じだったんだけど、今日はパンに目玉焼きにカリカリベーコンに味噌汁までつけてしまった。
・ 首の凝りというか、首を回したときの違和感があったんだけどそれが随分軽くなった。これって心理的なものだったのか。
・ 首に伴って目の周りの筋肉も元気になったみたいで、目がいつもよりも大きく開いている気がする。
・ 頭の左側が軽い。どう表現すればいいのかわからないけど血が滞ってたのが一気にそっちに流れ込んでいるというか。
・ 呼吸がしやすい。鼻の奥の方が重力で落ちてて呼吸がしづらい感じがずっとあったんだけど、昨日までの呼吸は何だったのって位
息するのが楽。
・ 物事するのが億劫だったんだけど、てきぱき動けてる。
新しい事があった時、今の状態をどこかに書き留めておこうかな、って思っていつもそのまま忘れちゃうんだけど
すくなくとも増田を開いて書き出す位にやる気が出てる。(普段はEvernoteに書くのも億劫。ひどい。)
・ とにかく頭がクリア。普段うつっぽくなる前から集中するためには少し作業して2,30分位経った後に頭の中が動いている感じがするけど、
そんなエンジン温めるような時間なしで、最初から集中状態がデフォルト。
でもいい事ばかりじゃなくて
・ 食後少ししてから眠さがぶり返してきた。⇒強めのコーヒー飲んで15分位寝たら、さっぱり収まったけど。
・ ちょっと視界が落ち着かない感じはある。。かも。
という感じ。今これ書いているので投薬後12時間。いつになったら効果がなくなるのかは不明。
結局何が言いたいかっていうと、
うつだの、気落ちしてる状態だの、そのうち良くなる、と思ってほったらかしにしてたんだけど、
薬を飲んで、たまたまその薬が体に合ったから一日でこんなに劇的によくなってる。
うつとか気づく前、億劫に感じるより前は、健康に動けてたし考えられてたし、何より楽しかったかを思い出した。
少々の疲れはしょうがないけど、本当に体が疲れてるのか心が疲れてるかのジャッジが出来てなくて、
体は元気なのに心が元気じゃなかったせいでもったいない時間の使い方しちゃってたなと。
薬に頼らない生活にしたいけど、今日の自分だけ省みてると行ってよかったなって思ってる。
また辛抱堪らなくなったら飲むけど、暫く大丈夫そう。