はてなキーワード: トップクラスとは
風俗に行った時の話なんだけど、騎乗位素股というプレイがある。
これは本番行為といわれるチンコをまんこに入れることが禁止であるヘルスなんかで行われているプレイで、
女の子が上になって、男のチンポをまんこでこすったり手でこすったりして疑似挿入感を与えるものだ。
俺はこれがそんなに好きでない。
疑似挿入に対してうまく感情移入できないのだ。
だからその日も女の子が騎乗位素股を始めようとしたとき、あーこれ要らないんだけどなと思った。
マジか?
生だぞ。
若い頃なら、ちょちょちょちょっと待ってと病気のことが心配で生は止めるところなんだけど、
もう最近ではすっかり無敵の人になってしまった俺はそのとき止めなかったし、
何より最高に気持ちが良くてそれどころでなかった。
会った瞬間、この子当たりだわ、
今までで遊んできた中でトップクラスにキレかわいい女の子だわって思ってた女の子のまんこの中に俺のチンコが入っていて、
それも生で入っていてメチャクチャ気持ちいいんだ、止めれるかよ。
でもこれすぐイクかもな、と思ったんだけど、
その日はバイアグラのジェネリック飲んできてたから、チンコがカチカチだったの。
男ならわかると思うけど、チンコカチカチになると感度が少し下がってそのぶんイキにくくなる。
気持ちいいし、イキそうにないし、俺は思う存分セックスを楽しんだ。
さっきも書いたけど、俺は実質童貞なの。
ソープとか、ちょんの間とか、本番ありの違法中国エステとかに、
何度も通ったんだけど挿れたら中折れしてしまってまともにセックスをしたことがなかった。
バイアグラ飲んでカチコチになったチンコを挿れようとした瞬間にヘナったとき、俺は風俗で童貞を捨てるのを諦めた。
経験のある人ならわかると思うけど、バイアグラ飲んでるときに性的興奮をしていて萎えることなんてありえないの絶対に。
それを超えてくる、過剰な自意識の持ち主である俺は風俗で童貞を捨てることは無理なのだと悟ったの。
それ以来本番系風俗には行かなくなった。
が、しかしだ、それがこの思いがけない展開だ。
そしてチンチンはカチコチのままだ。
俺は上になると、ベロチュウしながら夢中になって腰を動かした。
女の子がなんで生挿入なんてことをしてくれたのかは、よくわからない。
察してくれてると思うが、俺はキモいおっさんで金持ちでもない。
女の子がセックスがしたかっただけか、手とか口とかで射精させるより、
セックスのほうが楽だという考えの持ち主で客全員と生セックスをしているのか、
ただの気まぐれか。
正常位でセックスを続けていると、流石に射精しそうになってきた。
もっとセックスを楽しみたい、俺は腰を動かすのを止めようとした。
俺は腰を動かす。実直なライン工場のロボットアームのように規則正しく腰を動かす。
グラインドするように実直に動かす。
でも、イキそう。
でも、我慢しなければ。
そのとき。
女の子が予想外の大きさで嬌声を、部屋に響き渡るほどの勢いで。
俺もイッた後(きちんとおっさんらしい冷静さで外出しできた)、タイマーが鳴り始めた。
でもふたりとも放心していてなかなか体が動かなった。
そのうちに女の子のスマホが店からの電話で鳴り始めて、あわてて二人でシャワーを浴びてホテルを出た。
ちょっと俺の給料では月に何度も通えるようなお店ではないんだけど、迷わずすぐに来るぞ、と思いながら女の子と別れた。
その日の写メ日記という、女の子の営業用ブログに今日で引退しますと書かれていた。
俺はすごく残念でひょっとしたら他店に移籍してるのでは(移籍はしません完全引退ですと書かれていたが)と執拗に風俗サイトを探したが、その女の子が見つかることはなかった。
あちこちでゲームのウマ娘の話題を見てるとサイレンススズカの天皇賞秋のトラウマを思い出して胸が痛くなる
でもふと、そもそもなんでこんなに、いうても馬ごとき(失礼)でトラウマになるんだろうと思い、考えてみた
サイレンススズカに惚れ込んでた私や同じクラブの友人達は、当日のあの時間を無理言って空けさせてもらい、10分~15分だけラジオを持って集まって実況を聞くことにしてた
そしてあの不調、予後不良
と当時こんな状態だったのを思い出した
これ、社会人の今で考えると、頑張って仕事を一日だけ空けて好きなアイドルなりアーティストなりのライブに、久しぶりに会う趣味仲間と一緒に参加したら、その場でメンバーの一人が倒れてそのまま亡くなったというのに近いんだなと
そりゃトラウマになるわ
まだサイレンススズカもライスシャワーも手元には来てないので、実際に彼らを育てることになったときに自分がどうなるか分からない
しかし、あまりに昔のトラウマに囚われて新しいものに触れられないのはもったいないので、もし手元に来たら、ゆっくり進めてみたいなと思う
https://anond.hatelabo.jp/20210228234557
を読んで,じゃあ准教授になるとどうなるのか書いてみよう。
コピペですむ部分はそのまま利用している。
40代前半で旧帝大の准教授 (任期有→もうすぐ任期無になる予定)。この業界ではそこそこ勝ち組と呼ばれる部類だと思う。
日本トップクラスとも言えるこのポジションで、私が普段何をしているのかを書いてみたい。
准教授とはいえPIなので在籍する研究室に居る学生のうち10名ちょいに対して研究指導を行っている。各人に対し、一対一のミーティングを月に 1 時間行うため、トータルで週3~4時間くらい。
それに学会論文チェックなども入るのでトータルだとこんな感じかな。
学生の研究の進捗を研究室メンバー全員で確認するための会。実質的な研究指導はここでおこなわれる。
学部生,大学院生向けの講義を週に平均すると2コマくらい受け持っている。
実際には前期後期で異なるので必ずしもこのとおりじゃないけど。同じ専攻の中では多いほうだと思われる。
数は少ないが非常勤などもそれなりの数あるので実質はもうちょっと多いか?
ちなみに講義の準備は一度したら終わりと思われがちだけど、意外なことに毎年それなりの時間をかけてアップデートしています。
月1~2回の会議が6~7個、一回2時間程度あるので平均するとこのくらいかな。
大学院、学部などの組織ごとに、運営、教育と異なる目的で会議が行われるのでかなり多い。
とはいえ、昨年はオンライン化されたおかげで自分と関係ない業務の際には全力で他のことができたのはありがたかった。
今後もこのまま進めたい。
うちは事務補佐員がいるので、基本的に雑用は全部お願いして週1回打ち合わせをするだけですんでいる。
補佐員を雇う前は週4時間くらいは領収書の処理とかをしていた気が。
ただし、事務補佐員は外部資金で雇うため、外部資金が切れるとまた事務作業との戦いになるので、
研究を継続するためにも研究費を切らせられないのでかなりつらい。
学会の運営 (研究会の準備など) は主に大学教員がボランティアでやっている。元増田には
とあったが、学会関連の雑務はステージが上がると異なる雑務が降ってくるだけな気もする。
助教氏は査読に結構時間をかけてくれているようだけど、その査読の割り振りなどが今度は仕事になってきたりする。「割り振りだけなら楽じゃない?」と思われるかもしれないが、結局論文を読まずには割り振れないので、論文を読む数は増える。
もちろんそれ以外にも研究会の運営やら学会の理事会やら・・・色々あります。学会運営委員とかなると、もう。
助教氏は書いていなかったけど、様々な研究プロジェクトに参加することが多いので、それに相当時間がとられる。
プロジェクトなら研究だろ、と言いたいところだけど、報告書の執筆やプロジェクトメンバーとの会議などを含めると相当時間を取られる。
大体いつでも本だの依頼原稿だのが2、3個はスタックにたまっている気がする。
それにプラスしてマスメディアからの取材とか、国や企業からの相談とかインタビューとかがある。
そして、講演。企業や団体からの講演依頼にこたえていくと結構時間がとられる。講演そのものは1時間くらいだけど、その準備になんだかんだ時間がかかる。
というわけで、トータルだとこのくらいになる気がする。
ということで、以上の項目の合計で 42時間。1 週間の所定労働時間 (8時間×5日 = 40 時間) はすでに赤字である。
え?自分の研究?もちろん、実際には(12時間×5日 = 60 時間)くらい仕事しているので、18時間くらいは何とか確保していますよ。
コロナ禍のおかげで移動しての会議が無くなったのでオンライン化最高だと思わざるを得ない。
最後に、助教氏は雑務をあまり押し付けられなかったとのことですが、うちの元ボスもそんな感じだったので、それを見習って若手のためにもなんとか雑務は自分たちで止めておきたいところですね。
その結果、その分自分の研究できなくなって老害とか言われるようになるのかもしれないけど。
そして、うちには助教いないけどな!
30代前半で旧帝大の助教 (任期無し)。我ながら、この業界では勝ち組と呼ばれる部類だと思う。
日本トップクラスとも言えるこのポジションで、私が普段何をしているのかを書いてみたい。
私の在籍する研究室に居る学生のうち 8 名 に対して研究指導を行っている。各人に対し、一対一のミーティングを週に 1 時間半行うため、トータルで週 12 時間となる。
基本的に、私がやれば 2 週間で片付くような作業に 2 年くらい費やす学生が大半だ。旧帝大とは言え、自力で英語論文の読解や、プログラムのバグ取りができない学生の方が標準的なので、これはまあ仕方がない。これで賃金をいただいている以上、真摯に取り組む他ない。
専門書を学生だけで読むのはハードルが高く消化不良にしかならないため、解説役として教員が参加する必要がある。私は 2 種類の輪読会に参加し、各 1 時間半を費やしている。
学生の研究の進捗を研究室メンバー全員で確認するための会。他の教員から指導学生のテーマについて意見をもらう貴重な機会。
学部学生向けの実験科目を二つ担当している。各およそ 4 時間で、週 8 時間。午後が丸々つぶれて体力的にもしんどいが、これで賃金をいただいている以上、真摯に取り組むしかない。
なお、昔は助手二人で一つの実験だけ面倒を見るという体制だった (らしい) のが、いまは助教一人で二つ担当しているので、負担は 4 倍になっている。
大学学内には教員でローテーションしている様々な雑務が存在する。例えば広報なら、ホームページ管理からオープンキャンパスの準備まで幅広いお仕事がある。これで賃金をいただいている以上 、真摯に (以下略
研究室の環境整備は若手教員の仕事である。実験ハードウェア・ソフトウェアの調達やメンテナンス、学生の使用物品やアカウントの管理などなど、細かい仕事がいろいろある。
学会の運営 (研究会の準備など) は主に大学教員がボランティアでやっている。もちろん実行部隊は若手である。昔と違って若手が少ないので、所属する複数の学会で運営の雑務をこなさなければならない。私の 3 時間/週はかなり負担の軽い部類と思われる。
査読付き学術誌の品質を担保しているのは当然、ボランティアの査読者である。基本的に、自分の論文が掲載された論文誌からの査読依頼は、引き受ける道義的義務があると思う (自分の論文もボランティアで丁寧に査読してもらったわけなので)。
毎週あるわけではないが、月に 16 時間くらいは査読に費やしている (これは少ない方だと思う)。
ということで、以上の項目の合計で 1 週間の所定労働時間 (8 時間 × 5日 = 40 時間) は終わりである。
毎日 3 時間ずつ残業して、土日も 8 時間ずつ出勤すれば週に 31 時間は研究時間が確保できますよ。いつも脳みそクラクラで死にそうになるけどね。
上記を読んで何か違和感を覚えなかっただろうか。そう、私は若手助教にも関わらず、「教授の雑用」を押し付けられていないのである!
これは私のボスが聖人君子 (SSレア) なので、「若い人は研究時間を確保しなさい」と言って、雑用を全部自分でやってくださるのである。
多くの助教は、教授に押し付けられた雑用で残業時間を食いつぶしてしまうらしい。しかし、これは決して教授がサボっているというわけではないということを強調しておきたい。そもそも教授自身も異様に忙しいので、並みの事務処理能力では、手助けなしに雑務をこなしきれないという悲しい現実があるのだ。
中学高校のころから勉強が得意で、成績はつねにトップクラスだった。
大学もいわゆる難関大学にいった。必死こいて勉強したわけでもなく案外すんなりと入れてしまったので「人生ぬるゲーだな」と思っていた。
ところが、だ。
社会に出ると途端に形勢が変わった。
企業に入るとどうしたって人とコミュニケーションを取らざるを得なくなる。完全に一人だけ単独で進められる仕事なんて皆無で、たいていは上司に許諾をとったり、社内外の人を説得して協力をあおいで物事を進めたりする。
できないというか、人とコミュニケーションをとって調整に調整を重ねるという行為自体に苦手意識がある。できることならやりたくない。
仕事ができる、と言われる人はたいがいコミュニケーション力に長けたやつだ。
ここでいうコミュニケーション力とは、会話が面白いとかナンパが得意とかそういうことではなくて、
「人を巻き込んで、人をマネジメントしながら、人を動かすことができる力」だ。
人にお願いをしたり、依頼をしたり、指示をしたりすること自体に抵抗感がある。「面倒だと思われてるんじゃないか」という不安感もあるし、単純に「人と関わりを持つこと」自体がダルい。
その点、大学までの勉強はよかった。全て自分一人で勧められた。一人で問題集をとき、一人で暗記をしていればよかった。全て一人で完結できた。人を巻き込む力なんて皆無でよかった。それでも「優秀」だった。
社会人になってそこそこの年数が経つが、このギャップに悩まされることが未だにある。
本音を言うと「受験勉強をするように一人きりで成長することで稼ぐ」ことができないだろうかといつも思っている。
デイトレーダーとかがそれになるんだろうか。
人と関わらずに、生きていきたい。
お金も一番かかる。
高校受験で偏差値70は才能がなくても努力だけで絶対到達できる。
それも中学受験みたいに馬鹿みたいなお金かけたブランド塾代も不要。
先取り学習で中学校ではトップクラスを維持し、高校受験で公立ナンバースクールか早慶MARCH関関同立付属私立を狙うべき。
特に地方で将来も地元に残る事を考えるなら公立ナンバースクールを卒業することは人脈の点で超有利。
今は先取り学習やってくれる塾もあるけど、なければ英検の塾と公文でOK。
とりあえず小6までに英検3級と公文Iまで目指そう(Hでも十分無双出来る)。
小5からゆっくりゆっくり始めても十分すぎるくらいに間に合う。
大丈夫、一定以上に頭が切れる子はみんな中学受験に行ってるから全然トップクラス取れる。
公立中学って親世代と違って絶対評価だから、体育(ラジオ体操だけ頑張ればいい)・家庭科&美術(提出物の締め切り守ればいい)も先生に歯向かわず休まないで手抜きせず頑張ってればどんなにスポーツテスト雑魚や下手くそな絵でも絶対3以上になる。
https://anond.hatelabo.jp/20210220173238
言われてみると、他の人が書いてる通りで優等生の人間の自尊心をくすぐられたから、なのかな?
関西トップクラスの進学校の中で中間くらいの順位というポジションでした。
私には有馬君やら雪乃のような青春は全くなくて灰色の学生生活を送ってました。
学校内ではパッとしないけれど、それでも進学校の生徒であるというプライドだけは中途半端に持っていて、
羽目を外して遊んだりみたいなことができなくて悶々としてたのね。
リアルは充実どころかプアだった。
色々と自分を押し殺しながら、未来の目標に対して頑張らないとって鬱屈した学生生活を送ってたの。
だから、雪乃が優等生であることのコンプレックスを他人と共有して、
そこからは自分を解放していく展開は、灰色の学生生活を送っていたものとしてはすごくキラキラしたものに見えたのよね。
ちなみに、たぶん作者さんは進学校に通った経験がないんだと思う。
本当に進学校の中でもトップの優等生だった人にとってはばかばかしいって思うような作品なんじゃないかな。
私みたいに進学校には通ってるけど中途半端なポジションにいたり、
自称進学校ではそこそこ頑張ってた優等生とかに刺さってたんじゃないかな。
うちの高校でトップの生徒はむしろ高校生活エンジョイしまくってたから。
自分を押し殺して高校生活勉強と文化部を行き来してただけの高校生活を完全に後悔してるわけじゃないのだけれど
あの時自分がその気になればこんな生活も送れたのかなって可能性を夢想するきっかけにはなったよね。
きっと私みたいな感覚の人多かったと思うよ。
もちろんだけれど、後半の方が好き。
まさか有馬君側が単なる雪乃にとって都合のいいだけの男じゃなくてむしろこっちがメインだなんて最初は想像してなかったなぁ。
ちなみに、エヴァみたいだって言ってる人が多いみたいだけれど、私はその意見は全くピンとこないです。
意味不明な思い込みでトップクラスのクリエーター集団に攻撃を加えた人間ということで、世間的にはものすごい叩かれている
でも、じゃあ俺が青葉ちゃんの能力・人格で青葉ちゃんの環境に生まれたとして、ああならなかったのか?って話なんだよな
誰も無能になりたくてなるわけじゃないし、性格破綻者になりたくてなるわけじゃないし、貧乏に生まれたくて生まれるわけじゃない
賢くて、努力ができて謙虚で、恵まれた家庭に生まれられるんならそうしたいはず
実際、環境要因に関しては世間の人もそれなりに同情をしたりするんだけど、これが能力とか人格とかになってくると、突如「自己責任」の雰囲気が出始める
他責的なのも怠惰なのも過度に繊細なのも、全部そうなりたくてなったわけじゃないと思うんだよな
たとえ本人がそうなりたいと思っていたとして、じゃあなぜそうなりたいと思うのか?っていう、もう一段メタなところで考えると、やっぱりそれは生まれつきの人格が影響していると言わざるを得ない
同じ人格で同じ環境に生まれたとしてもなにか差が生まれて、それが自由意志だ!っていうんだとしたら、自由意志なんてただの乱数みたいなもんじゃんという話になる 乱数を理由に人を責める気には俺はなれない
世間的に「どうしようもない人間のクズ」と言われるような人であればあるほど、俺はどうしようもない絶望感に襲われる
だって、どうしようもないじゃん
カスみたいな人格で、それを矯正してくれない環境に生まれて、何ができるっていうんだよ
もう少し想像力を持つことはできないのか?
パクリ元→ https://anond.hatelabo.jp/20210212080317
だって楽しそうだったから...(自分は文学的な教育は受けてないし、誰かと読んだ本の感想を共有することなんてないので、元増田に文学サークルとか友人とか出てくるのがうらやましい)
ネタバレありだけど、ちゃんと確認せず書いてるので記憶違いがあるかも。あと、後半になると全然読んでなかったわ。
オデュッセウスがトロイ戦争から帰る途中で船が難破して右往左往頑張るのを眺めるお話なのだけど、勇敢で直情的な普通のおっさんなので苦労するところは苦労してて良い。あと、イリアスと比べても昔の神話らしく出てくる人物とか神様の類がガチで理不尽なので良い。話がズレるけど、イリアスにはディオメデスというやつが主人公然として出ずっぱりなのだけど、オデュッセイアの回想には全く出てこないし、アガメムノンとかアイアスとかと違って他の作者の物語にも出てこないのだけど、あいつなんなん?
途中で読むのをやめた記憶がある。
エディプスコンプレックス(父親に対向心を燃やし、母親に恋慕する、的なやつ)の語源だと聞いて読んだら、全然そういうノリの話じゃなくて「へぇ」ってなったやつ。オイディプス自身は預かり知らぬところで運命に弄ばれて、最後にはすべてを理解してしまって絶望する可哀想な話なのだけど、どうでもよいことで人を殺したことがトリガーでもある(それも運命ではあるのだけど)ので、自業自得感もある。気楽に人を殺してはだめ、絶対。シェイクスピアの悲劇とかもだけど、「100%落ち度がない悲劇の被害者」ってあんまり昔の物語には出てこないね。
タイトルすら知らないやつ、その1
いまいち印象に残ってないけど、なんかずっと酒を楽しんでて幸せそうだなって思ったような気がする。
地獄編の半分くらいまで読んだ。作者(ダンテ)が古代の詩人だか哲学者だかに褒められて地獄めぐりを導いてもらうところから始まって、自分の嫌いなやつ(政敵とか批判者)が地獄で苦しんでるのを巡ってはひたすら口汚く罵って回るという、その性格の悪さというか根暗さに嫌気がさして読むのをやめた。原文だと詩的というか言語的な美しさとかあるらしいけど、こちとら娯楽としてしか本は読まないので日本語で読むからそんなん知らん、こいつは陰湿。
確か冒頭に「酒でも飲みつつゲラゲラ笑いながら聞くためのもんだから」みたいな説明が入るのだけど、そんな感じ。すごいでかい巨人の話だけど、家を椅子にしたと思ったら小便で洪水を起こして家を押し流したりするので、巨人としてのサイズも大概統一性がないんだったはず。なんか「人間の絆」だったかで、大真面目なキャラがラブレーを手放さなかった、みたいな描写があった気がするのだけど、ニュアンスがわかるようなわからんような...と思った記憶がある。
シェイクスピア作品は、意図はどうあれよく「様々な作品の元祖とも言えるものなので、読むと後続の作品がより楽しめる」的に紹介されるのだけど、普通に単体で楽しめると思う。そもそも、別作品を読んでて「あ、これシェイクスピアで見たやつだ!」ってなったからって楽しいか?という感覚が個人的にはある。ひとつ上にラブレー云々も別に良い要素だと思わなかったし。で、ハムレットはシェイクスピアの戯曲の中でも登場人物の精神性の完成度が一番高いと思っていて、劇的さでは「オセロー」とか、キャラクターの鮮烈さでは「リチャード三世」とかには劣るかもしれないけど、舞台装置としてのキャラクターではなく、"異なる価値観、教育etc...の元に自分で考えて行動する登場人物たちがつくる物語"としての面白さが本当に高いと思う。歴史的価値とかは忘れろ、楽しめ。
パルケエスパーニャにいた。
巻末の解説すら読まないことが多いので、アイルランド云々の話をパクリ元で見て「そうだったんだー」ってなった。それぞれの国には短編小説くらいの分量しか滞在しないので、それぞれ短編SFとか的なノリで読んで面白かった記憶がある。自分は自然科学系の研究者なので、科学なき探求(無為)をひたすらやってる国の印象が強い。なんかおまじない的なやつで作物の収穫量が増えるのでは?ってそれを試してるんだけど、当たり前に効果はまったくないし、それを評価するというプロセスが存在しないので無限に無為を繰り返してた。
タイトルすら知らないやつ、その2。
「目玉の話」は読んだけど、その結果として「悪徳の栄え」は読まなくて良いかな。ってなったやつ。
最強天才のファウスト博士が悪魔と契約して、「悪魔の力で楽しませてやる代わりに、人生楽しみきって満足したら魂もらうからな」って契約をする話なのだけど、すべての学問を修めた最強天才のはずのファウスト博士は普通に精神的に未熟なおっさんなので、酒飲んで暴れたり恋愛ごとやったり神話的な体験したりと色々していくなかでの言動がいちいち子供じみてるのが面白い。最後の理想国家のために働く的なパートでいきなり聖人的になってたり、全体の流れが説教臭いのが多少鼻につくのだけど、ラストシーンの迫力は自分の読書歴の中でトップクラスだと思う。ちなみにこの作品は「時よ止まれ、お前は美しい」って言葉の元祖なのだけど、これってファウスト博士からの「この世界を楽しみ尽くして満足した。これ以上の瞬間などこれ以降はありえない(だからもう魂を持っていって良いよ)」という悪魔への宣言で、なんかラブロマンス的なシーンで使われてるの見ると、「ん?」てなるんよね。
「面白かったな」という感想を持った記憶はあるのに内容はまったく思い出せない。なんか年上美人と若者が恋愛する話だったと思う。多分登場人物が本気で生きてる感があって各シーンは面白いって読めたけど、全体の流れにはさほどの興味が持てなかったタイプの話だと思う。
うだつの上がらない貧乏役人のおじさんが一念発起して外套を新しく買うのだけど、可哀想な目にあう。っていう胸糞の悪い類の話。どこかユーモラスなので面白がりつつも、「可哀想じゃんヒドイよ!」って思いながら読んだ。みじめな人間をみじめな人間の視点で描ききるって案外すごいことだと思う。でもゴーゴリのナンセンス小説ならもっとポップな「鼻」のほうが好きだし、大真面目な雰囲気でナンセンスをやっている感のある「死せる魂」も良い。死せる魂は未完だけど、なんだかんだ一つのエピソードがちゃんと完結してるので、未完だからって敬遠しないで良いと思うよ。
タイトルとあらすじを知ってて、なので読んでいない。
主人公の女性の半生記的なところがある物語なのだけど、主要登場人物であるキャサリン(主人公)やヒースクリフの主観的感情があまり描写されない(まったくされない?)ので、なんかヒステリックで意味不明な言動のキャサリンと内心が読み取れないヒースクリフが読者を置いてけぼりにしながらすごく力強くて迫力があって得体のしれない物語を作っていく話だったと思う。主観的情報がないからこそ感じられるキャラクターたちの感情の力強さってなんかあるよね。
クジラに関する雑学(どう考えてもガセのものがある)がしょっちゅうはいってくるクジラ漁船の物語(体感で全体の3割)。エイハブ船長とクイークエグのキャラクターの良さを傍観者主人公の視点で楽しむ感じだった気がする。ラストシーンの映像的な迫力は「ファウスト」のラストシーンの迫力にも匹敵するものがあると思う。文章の映像的迫力ってなんよ?って自分も思うけど、なんかそういうのはあるんだ。多分。
間違えなく読んでるし、面白かったと思った記憶もあるけど内容が思い出せないやつその2。多分、貴族の恋愛ものってジャンルはいろんな作品があるので、自分の中でごっちゃになってるところがあるんだと思う。あらすじを読むとなんとなく思い出すのだけど...
ディズニーの映画って、ノートルダムの鐘とかを筆頭にとんでもなく改変されてるもんだけど、不思議の国のアリスについては、その「不思議の国」感は素敵に映像化されてると思う。一方で、原作の「ひねくれイギリス人が伝わるかどうかは無視してそのアイロニーを子供にぶつけてる感」はなくなってるので、そういうひねくれたおっさんのノリのために読んでみても良いと思う。
ドストエフスキーはノイローゼ(死語)患者の独白を描かせると人類史最強だと思っているのだけど、この作品でも割とそういうところがある。ノイローゼ感のヤバさだけなら地下室の手記とか白夜でも良い。でも個人的には「罪と罰」の主人公の単純なノイローゼ患者ではないせめぎあい感が一番好き。
由緒ある一家が没落していくんだけど、正常化バイアスなのかなんなのかどこか他人事で、お母さんなんて特に事が進む毎に悲しんではいるんだけど、一切その精神性が変わらなくて(成長しなくて)、「多分この人死ぬまでこうなんだろうな...」感があってすごい。ラストにお年寄りの使用人に対する家族全員に関するシーンがあるのだけど、それがすごい印象的で、チェーホフの他の作品や戯曲を抑えてこれが良く代表作として出てくるのはこのシーンのせいだな、って個人的には思ってる。自分はチェーホフは戯曲より小説のほうが好き。
5冊だか6冊だかにのうちの一冊目だけ読んで続きを読んでなかった。忘れてたわ。
読んだけどあんまり好きになれなかった記憶がある。カフカは基本的にキャラクターに人間味がないのが面白いところなのだと思っているんだけど、「変身」とかの短編ならともかく、「城」とかこれくらいの分量になると、人間味のないお話は自分には楽しめないのだな、と思った。
読んでないけど、なぜかあらすじは知ってる。
読んでない。「ダブリン市民」があまり楽しめなかったという記憶があって手を出していない。ダブリン市民はどんな話だったか覚えてない。
結核患者の療養施設であるところのサナトリウムで生活するおっさんの話。ワナビー小説家だか学者だか(主人公ではない)のエピソードや、立派な紳士とその子供の印象的な挿話があったかと思うと主人公と別の患者の哲学かなにかの論争がてんやわんやあったり、女性患者との恋愛未満関係の話があったりと色々な要素がある。ただ、どの部分でも人物の精神性についてバリエーション豊かで不思議なリアリティのあるキャラクターが独特な言動をするので楽しめた。でも、突然こっくりさんをはじめたときは「作者どうした?」って思ったよ。なんなら今でも思ってるよ。
タイトルすら知らないやつその4にして作者名も知らないやつその2。
タイトルすら知らないやつその5にして作者名も知らないやつその3。自分は1900年あたりを境に新しい作品に苦手意識があってあんまり読んでないんだなって実感する。
このへんはすごい現代的なんだけど結構好き。現代的というのは勝手な自分の定義なのだけど、この辺の世代になるとやっぱり文章が少なからず技巧的になって、観念的な表現とか比喩とかが増えてくるので、「うるせぇ、自分の感情はもっとわかりやすく説明しろ!」って要求をしたくなるのだった。でもこの話は割とそれでもなんだかんだ心理がわかるので楽しめた。
このお話はすごい好き。南北戦争前の南部(黒人がバリバリ奴隷として使われてる時代・地域)のある町にトマス・サトペンというヤバげなおっさんがやってきて領地を開拓し、南北戦争を挟みつつ色々する話なのだけど、時系列で出来事を追っかけずに何人かの周囲の人達の回想などでだんだんとそのおっさんの人生の全体像を見せてくる構造になっていて、ただのヤバげなチンピラおっさんだったサトペンが、相応の過去と野望をもったクソチンピラになっていく(自分の中で)のがすごい迫力満点で面白かった。この作者の有名どころの読みにくさは、「響きと怒り」>「アブロサム、アブロサム!」>「八月の光」なので、この逆順に読むのがおすすめ、短編集から読むのも良いけど、「ウォッシュ」だけは「アブロサム、アブロサム!」のネタバレだから後に回すのがおすすめ。
タイトルすら知らないやつその6にして作者名も知らないやつその4
そこまで好きにはなれなかった。説教臭さとも違うなんか面倒臭い思想みたいなものが全体に漂ってる感じで、個人的にはそれが鼻に付いたんだろうなぁって思う。
読もうと思ってたけど読んでなかったのを思い出した。読もう。
なんか意味がありそうで(少なくとも自分が考える限りは)何も意味がないという、意味ありげさで成り立っている戯曲。ただ、それぞれのシーンが映像としてかなり印象的なので、その力でのめり込みながら読んた。で、読んだあと思い返すんだけど、結局何がなんだったのかイマイチわからないのだった。偉そうなご主人様とその奴隷のシーンとかあったけど、結局なんだったんだあいつら。
タイトルすら知らないやつその7にして作者名も知らないやつその5
読んだはずだけどちょっと印象が薄い。同じ作者の「愛人」がそうだったと思うのだけど、登場人物の心情描写が変に淡々としていて、でも行動はどこか直情的で不思議だなぁと思いながら読んだ気がする。その不思議さを楽しむのかな。なんか村上春樹の小説の登場人物の行動を感情的にしたような感じ。
タイトルすら知らないやつその8にして作者名も知らないやつその6。自然科学の研究者なのにSFは全然読まないのだった。でも、SFに興味のない研究者って外部の人が思うよりは多いと思うよ。そもそも本を読まない人をおいておいたとしても。
ラテンアメリカの文学って魔術的リアリズムとかなんとかって、「なんかありそうにない魔術的なシーンだけど、不思議とリアリティがある」みたいな評価がされてるらしいのだけど、それってヨーロッパ人の感性で日本人はヨーロッパ文学も大概魔術的なものとして受容してるところあるよなって思う。ただ、それはともかくとして、この作者の作品ではその言葉がしっくりくるとは思う。同じ作者の「族長の秋」とか短編の「エレンディラ」とかは割とお話全体のストーリーが意味と(場合によっては)ある種の寓意を持っているのだけど、この作品だけは全体の流れとかはあまり意味ないんじゃないかと個人的に思う(何度も読めばなにか見えるのかもだけど...)。それぞれのシーンをただただ楽しんでいたら、読む前に覚悟した長さの4分の1くらいの体感長さで読みきっていた。
タイトルすら知らないやつその9にして作者名も知らないやつその7。なんかすごそうなあらすじだね。
詩はたしなまないから知らない。ツエランはなんか親が読んでて好きだと言ってた気がする。ブレイクって多分宗教画を描く人でもあると思うんだけど、この人の絵はどっかで見てすごいなぁって思った気がする。
ちなみに、「哲学・思想」のパートと「日本文学」のパートは両方合わせても5~6作品しか読んでなかった。多分後30年経ってもさほど増えないだろうなと思う。
「なぜ日本は先の大戦と同じような失敗をコロナで繰り返すのか?」みたいに言われるんだけど、日本って敗戦はしたけど失敗はしてないんだよね。
負けたのになんか上手いこと世界でトップクラスの経済大国になれたし。
戦争の時にあった色々な失敗は失敗と考えられていないのだと思うんだ。
そんなの、一昔前なんかステマされてた現役女子高生社長みたいに、ふたを開ければ親が経営者とか親族から強力なバックアップがあるとかいう、生まれついて恵まれている人間は除外するとして
若いから当然それほどお金もなければ、社会知もそれほどあるわけでもないのが当然である、男女意識高い系ネット民が狂ったように連呼する若者が起業してほんの少しでも一番高い確率で、元手をかけずにかつ普通の企業では入ってこれないブルーオーシャンで凄い利益と金やおっぱい大きくて家柄最高の美少女女子高生やイケメン男子を社会的を得られる起業やビジネスモデルなんていったら
だって、経験も社会知も資本もない若者が、経営でまっとうに成功するには、総合商社か銀行に入ってトップクラスに下働き4~5年仕事をこなし、狭き部門に入って、2~3年、ようやく経営者として子会社とか資本提携してる会社の経営者として送り込まれて、そこから社長の勉強が始まるってレベル、この時点でもう22歳で大学出たとして29歳~30前半よ?もうオッサンオバサンに片足突っ込んじゃってんじゃん。男も女も007とかゴルゴ13に出てくるヤバいフリーランスの殺し屋みたいな能力と実績持ってないと美少女や若いイケメンと付き合うなんて絶対不可能じゃん
でも、世間で言う起業の成功なんか学生起業か、20真ん中くらいでって基準でしょ?ならもうこれは前人未到のブルーオーシャンで経営するしかないわけで、これはもう法律そのものが規制して市場を形成をあえてさせてない、犯罪行為の向こう側にしか存在しない。
なんでみんな男女の平均寿命について触れないんだろう
基本的に先進国では女性の寿命の方が長いけど、日本は特に長い(男女の差が大きいという意味で)
男性と比べ妊娠出産という「命がけ」のイベントを経験し、犯罪被害にも会いやすく、ジェンダーギャップ指数先進国中最低水準で
女性がめちゃくちゃ生き辛いはずの日本が女性自身の平均寿命も、男性との平均寿命差も世界トップクラスなのは何故なのか
もちろん長生きできてるので差別は無いはずだなんて言う気はないけど
文字通り「生き辛い」なら早く死んでいるはずなんだよね
平均寿命が全てじゃいけど、平均寿命って特定の属性の「生き辛さ」を顕すスゲー客観的な指標の一つだと思うんだよね
アメリカで黒人と白人の平均寿命差が縮まってるのも象徴的だよね
繰り返しになるけど、平均寿命差が大きいから女性差別がないって言うわけじゃないよ
別に日本の平均寿命差の原因が「日本人男性がクソ雑魚過ぎてイージーモードのくせにハードモードの女性より早く死ぬ」ってのが答えでもいいんだよ
でも、平均寿命を無視して男女差別について語ってるの見ると、本当に肝心な部分に触れないで議論が進んでいくような気がするんだよな
日本とスウェーデンでは残存歯の数に大きな違いがあって、それは予防医療の普及度合いの違いから…らしいけれど。
どうも調べると、19歳までは無料で20歳以上でも控除が大きく自己負担率は少ないらしい。
日本も予防歯科に力を入れようって行ってる歯科医師とか色んな人達が言ってるけれど、
日本で予防歯科が普及しないのは国民の意識の問題なんだ、もっと啓蒙しようとかそういう主張ばっかりでまったく理解できない。
なんでスウェーデンのように無償化しようとか自己負担分を下げようとかそういう提案はしないのか謎。あと水道水へのフッ素とか。
それどころか保健医療が安いから悪いんだとか言い出す始末。その逆でしょ、もっと保険適用の範囲を広げて矯正やインプラントも保険適用で当たり前にすべきと主張すべきじゃないの?
日本人がなかなか歯医者に行かないのは予防意識の不足じゃなくて値段が高いからと、行っても酷い態度を取られたり悪くされそうで歯医者への信頼が置けないからでしょ。
スウェーデンだって1970年代までは日本よりも悪い状況だったらしいから、日本だって本腰を入れて政策転換すれば出来る筈なんだけどなー
何故かスウェーデンのように有効な提案をしようとしないで、国民個々人の意識の啓蒙に終始し自己負担を増す方向の提案しかしないよね。頭来るわーー
https://style.dental/dstyle/list/work/515/
スウェーデンでは、年間の治療費35,000円までは患者がすべて自己負担しますが、35,000~180,000円の場合は国が50%、患者が50%負担します。
これが180,000円以上になると国が85%、患者が15%の負担となり、患者の経済的な負担がかなり軽減されます。
さらに、スウェーデン国民は歯科検診や治療を、19歳まですべて無償で受診することができます。また、2019年には年齢が24歳にまで引き上げられるようで、ますます国民にとって手厚い支援となることが期待されます。
https://magokoro-dental.jp/blog/%E4%BA%88%E9%98%B2/563/
スウェーデン政府は、この結果を受けて、1970年代に予防歯科の一大プロジェクトを行いました。
それまでは虫歯になったら『治療』することが当たり前だった時代に、虫歯を『予防』するという考え方を国の政策として取り込んだのです。そして、国民に定期的な歯科健診を受けることを促し、本格的な予防歯科の取り組みを行いました。現在、スウェーデンでは20才未満の国民は、歯科検診と治療を無料で受けることができます。スウェーデンでは、子どもの時から歯科健診の習慣が身についているため、大人になっても歯科検診を受けることが当たり前になっているのです。
そのため、歯科医療が19歳まで無料で受けられるスウェーデンでは75歳で20本近く自分の歯を残している人が多くいます。それに対して日本では、80歳で平均6.8本しか歯を残すことが出来ていません。逆に、アメリカでは日本のような健康保険が無いため、虫歯にならないように気を付ける習慣があるようです。
http://www.hmdental.jp/blog/2017/11/post-188-540608.html
今日は日本と海外の歯科事情の違いについてお話させて頂きたいと思います。
snowまずは歯科先進国と言われているスウェーデンから見てみましょう。
歯科先進国の中でもトップクラスのスウェーデンですが!なんと歯科治療は