はてなキーワード: 青いバラとは
俺もそれ系の代表選手としてよく挙がるシュタゲとか色々やってきたけどさ。
俺は昔からその「記憶消してやり直したい」って発想にならないし、意義がよくわからんのよね。
物語の背景を走っていた葉脈を知り、作品を理解するということは、一プレイヤーとしての進歩だろ?
なぜ巻き戻して同じことを繰り返し、同じ感動を得ることに意義があると思うんだ?
そんなポルノのようにゲームを消費しようと思うことは、醜悪な懐古主義か、知的ボーダーじみた仕草でしかない。
俺だったら、むしろ逆。
「完結までやったあとに、全部理解してる状態で一からやりたい」。
そう思えるくらいに、細部まで伏線が張り巡らされ凝った世界観で作られたゲームをやりたい。
買い切りのゲームだと単に2周目に突入すればよく、容易に実現可能だから、この「やり直したい」ネタにはならない。
必然、こういう感想を持つべきなのは、非常によく作られ長年続いてきた運営型ゲーム、ということになる。
サービス初期からあった設定が何年越しで解説されて衝撃が走ったり、はじめは意味が分からなくて適当に読み飛ばしていたり。
そういったものを、年月を越えてやり直すことでより高い解像度で味わい直すことができるのは、有意義だろう。
例えば7年くらいかけて第一部が完結した暁には、新規サブ垢で半年くらいかけて駆け抜ける、みたいな感じになるはずだ。
ただ、俺はオンラインゲームは月額が主流だった00年代頭頃から、あらゆるオンラインゲームをやってきたが、
そういう欲求が湧くくらい精緻に作られていると感じた運営型ゲームはほとんど出会わなかった。
物語が素晴らしいと感じるネトゲ・スマホゲに出会っても、まず完結することがなく、売り逃げのような業態が常だった。
99%の運営型ゲームは、収益を得続けることが至上命題になってしまうから、挑戦的で刺激的な物語を定期的にアップデートしていく、ということは二の次になる。
質を求めるほど更新頻度は下がり、代わりに課金欲を煽るようなものや、物語の展開にあわせた実質上位レアリティのキャラや装備の追加、そして膨大な反復作業コンテンツ……
そういったもので物語の空白を繋ぎ止めることが常態化しており、いずれ「慣れた」ゲーマーの大半は物語をスキップし、数字を増やす遊びしか気にしなくなる……
そうしてスカスカな作りになるのが運営型ゲームの限界だと思っていた。
ところが最近になって、運営型ゲーム業界にイレギュラーが現れた。
原神やスターレイルなら、この調子でいけば、「完結までやったあとに一からやりたい」運営型ゲームになる予感がある。
一応同社の崩壊3rdもサービス開始当初からやっていたが、ローカライズに不満がありブランクを空けていた時期が俺は数年あったため、理解も半端だ。
7年を経て到達した第一部・第1.5部の完結に立ち会って、いたく感動こそしたものの、それでも「一から振り返ろう」という領域には個人的には一歩及ばなかった。
この作品はSF的なテイストと難解な設定で雰囲気は非常によく作れているものの、話の脈絡としての精緻さはあまり重視されておらず、
ご都合主義とまではいかないまでも、どちらかというとノリで強引に納得させられている印象が日本語版ユーザーとしては強かった。
こういったノリに頼りがちになるのも、柔軟に作って継続させていかなければならない運営型ゲームの「縛り」要素ではある。
この「縛り」を目立たなくするために、物語を実装地域ごとに完結するオムニバスのように細かく区切ることもできる。
実際MMORPGなどではそうした形態で作られるものがほとんどだ。だが、それでは物語を貫く背景を掘り下げていく部分がどうしても手薄になり、深みが出せない。
膨大でカッチリした物語的構造をあらかじめ練って、10年くらいのスパンを見据えて確実に開発運営していける大資本でなければ、
おそらく物語の面で品質と誠実さを備えたコンテンツ開発ができる段階には至らないのだろう。
例えば、物語は優れていたのにサ終で打ち切って、クラファン小説とグッズ製作のファン商売だけで4年近くIP展開を続けている、ららマジのようなやり方さえ、ゲーム発のIPビジネスとしては一つの正解なのかもしれない。
ただ、このWFSのやり方は俺は誠実だとは思えない。ちゃんとゲームとして続きを作ってほしいし、初出のゲームの作りが古くなってきたなら、グラブルリリンクのように立派に別の形で作り直すのが誠実だと俺は思う。
結局のところ資金力の問題なのだろうが、そういった難しい問題を抱えるからこそ、「優れた物語の運営型ゲーム」は青いバラのように求める価値があることだと思う。
何の話だ。しらんけど。
俺もそれ系の代表選手としてよく挙がるシュタゲとか色々やってきたけどさ。
俺は昔からその「記憶消してやり直したい」って発想にならないし、意義がよくわからんのよね。
物語の背景を走っていた葉脈を知り、作品を理解するということは、一プレイヤーとしての進歩だろ?
なぜ巻き戻して同じことを繰り返し、同じ感動を得ることに意義があると思うんだ?
そんなポルノのようにゲームを消費しようと思うことは、醜悪な懐古主義か、知的ボーダーじみた仕草でしかない。
俺だったら、むしろ逆。
「完結までやったあとに、全部理解してる状態で一からやりたい」。
そう思えるくらいに、細部まで伏線が張り巡らされ凝った世界観で作られたゲームをやりたい。
買い切りのゲームだと単に2周目に突入すればよく、容易に実現可能だから、この「やり直したい」ネタにはならない。
必然、こういう感想を持つべきなのは、非常によく作られ長年続いてきた運営型ゲーム、ということになる。
サービス初期からあった設定が何年越しで解説されて衝撃が走ったり、はじめは意味が分からなくて適当に読み飛ばしていたり。
そういったものを、年月を越えてやり直すことでより高い解像度で味わい直すことができるのは、有意義だろう。
例えば7年くらいかけて第一部が完結した暁には、新規サブ垢で半年くらいかけてメインシナリオを駆け抜ける、みたいな感じになるはずだ。
ただ、俺はオンラインゲームは月額が主流だった00年代頭頃から、あらゆる運営型ゲームをやってきたが、
そういう欲求が湧くくらい精緻に作られていると感じた運営型ゲームはほとんど出会わなかった。
物語が素晴らしいと感じるネトゲ・スマホゲに出会っても、まず完結することがなく、売り逃げのような業態が常だった。
99%の運営型ゲームは、収益を得続けることが至上命題になってしまうから、挑戦的で刺激的な物語を定期的にアップデートしていく、ということは二の次になる。
質を求めるほど更新頻度は下がり、代わりに課金欲を煽るようなもの、物語の展開にあわせた実質上位レアリティのキャラや装備の追加、そして膨大な反復作業コンテンツ……
そういったもので物語の空白を繋ぎ止めることが常態化しており、いずれ「慣れた」ゲーマーの大半は物語をスキップし、数字を増やす遊びしか気にしなくなる……
そうしてスカスカな作りになるのが運営型ゲームの限界だと思っていた。
ところが最近になって、運営型ゲーム業界にイレギュラーが現れた。
原神やスターレイルなら、この調子でいけば、「完結までやったあとに一からやりたい」運営型ゲームになる予感がある。
一応同社の崩壊3rdもサービス開始当初からやっていたが、ローカライズに不満がありブランクを空けていた時期が俺は数年あったため、理解も半端だ。
7年を経て到達した第一部・第1.5部の完結に立ち会って、いたく感動こそしたものの、それでも「一から振り返ろう」という領域には個人的には一歩及ばなかった。
この作品はSF的なテイストと難解な設定で雰囲気は非常によく作れているものの、話の脈絡としての精緻さはあまり重視されておらず、
ご都合主義とまではいかないまでも、どちらかというとノリで強引に納得させられている印象が日本語版ユーザーとしては強かった。
こういったノリに頼りがちになるのも、柔軟に作って継続させていかなければならない運営型ゲーム特有の「縛り」要素ではある。
この「縛り」を目立たなくするために、物語を実装地域ごとに完結するオムニバスのように細かく区切ることもできる。
実際MMORPGではそうした形式で作られるものがほとんどだ。だが、それでは物語を貫く背景を掘り下げていく部分がどうしても手薄になり、深みが出せない。
膨大でカッチリした物語的構造をあらかじめ練って、10年くらいのスパンを見据えて確実に開発運営していける大資本でなければ、
おそらく物語の面で品質と誠実さを備えたコンテンツ開発ができる段階には至らないのだろう。
例えば、物語は優れていたのにサ終で打ち切って、クラファン小説とグッズ製作のファン商売だけで4年近くIP展開を続けている、ららマジのようなやり方さえ、ゲーム発のIPビジネスとしては一つの正解なのかもしれない。
ただ、このWFSのやり方は俺は誠実だとは思えない。ちゃんとゲームとして続きを作ってほしいし、初出のゲームの作りが古くなってきたなら、グラブルリリンクのように立派に別の形で作り直すのが誠実だと俺は思う。
結局のところ資金力の問題なのだろうが、そういった難しい問題を抱えるからこそ、「優れた物語の運営型ゲーム」は青いバラのように求める価値があることだと思う。
何の話だ。しらんけど。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 117 | 13365 | 114.2 | 36 |
01 | 53 | 6896 | 130.1 | 43 |
02 | 47 | 7403 | 157.5 | 72 |
03 | 32 | 8050 | 251.6 | 64.5 |
04 | 14 | 1699 | 121.4 | 60 |
05 | 10 | 2295 | 229.5 | 39 |
06 | 31 | 1820 | 58.7 | 32 |
07 | 52 | 4349 | 83.6 | 34.5 |
08 | 105 | 8524 | 81.2 | 43 |
09 | 104 | 11879 | 114.2 | 49.5 |
10 | 150 | 14847 | 99.0 | 53 |
11 | 129 | 10906 | 84.5 | 43 |
12 | 161 | 12159 | 75.5 | 32 |
13 | 198 | 10453 | 52.8 | 33 |
14 | 162 | 17115 | 105.6 | 42 |
15 | 155 | 13945 | 90.0 | 36 |
16 | 180 | 14410 | 80.1 | 39 |
17 | 109 | 9804 | 89.9 | 41 |
18 | 131 | 22488 | 171.7 | 46 |
19 | 132 | 10353 | 78.4 | 36.5 |
20 | 125 | 10667 | 85.3 | 35 |
21 | 141 | 11200 | 79.4 | 29 |
22 | 125 | 14527 | 116.2 | 28 |
23 | 126 | 10162 | 80.7 | 37.5 |
1日 | 2589 | 249316 | 96.3 | 38 |
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ライスシャワーは仏教徒じゃないかもしれないとか、バラは棘があるからとか、花言葉とかどうでもいいんだよ。キリスト教はバラはOKですとか知らないわよ。
なんとなくこれはマズイなと本人が分かっていながらも承認欲求のために慰霊碑の上に二次元キャラクターを見立てたとわかるようなグッズ(今回は青いバラ)を置いて、写真を上げる行為が「オタクはさあ」って言われるんでしょうが。
「他の人があげた写真がバズったあれは自分です! みてこの写真! すぐ片したけど!」みたいな写真、なんでTwitterにあげちゃうの? ウマ娘のお友達だけのLINEでもいいから内輪でやればいいじゃん。
競馬好きだからちゃんとやった上でウマ娘ってコンテンツがあまり魅力的ではないなって思ったんだけど、今回の一件でこんな人ばかりが競馬場に増えるならちょっと嫌だなって思ってしまった。
ウマ娘のユーザーが言うには、きっと他の馬主もウマ娘に出させてくださいって土下座しにくるんだって。
金子オーナー、Cygamesに土下座してアパパネ出しますか? エロ同人誌にされちゃいますけど。(Cygamesが禁止してるけど、ゴールドシップのエロ同人ふつうにネットにありますよね)
問題は記念碑の上にバラのっけて撮影とかいう慰霊のいの字もない行為だと思うんだけど
別にバラ備えてもいいじゃんとかに話がずれてるのは意図的なのかな?
そうだとしたら最低だけど
自分の先祖の墓に誰かがバラを備えてたら不快になる?ならないでしょう
仏教的にバラは不適切とか、入院患者にツバキはダメとか、そういうのって迷信や宗教的な意味合いなので、それを知らないだけで、誰かが気持ちをもってやってくれたことに不快になることはないでしょう
ライスシャワーに青いバラは不快ってのは単純にマンガとかオタクへのヘイトからくる感情でしょ
それは生者同士で快不快を懸けて争えばいいだけの話で、死者への接し方に対してこちらこそが正義だ、って話はそもそもナンセンスだよ、って話
僕は大阪でもトップクラスに有名なお寺でしばらく働いていたことがある
それまでは宗教的素養はゼロで、なんとなくお寺やお坊さんはありがたいもの、的な感覚があるだけだったんだけどね
どうか皆様はその楽しみを助けてあげてください」
年を取ると、親も兄弟も配偶者も旅立っている方は多く、亡くなった方達のためにできる数少ないことのひとつが、お彼岸のお参りであり、先祖回向なわけだ
でもそのうち、親しい人は皆あっちにいて、あちらの世界がこちらより身近になってくる
そんな方は、お参りに来ることをとても楽しみにしているのだ
働いている者達は知っているんです、その値段が違っていても、同じお坊さんに同じようにお経をあげてもらっていることを
何も違わないことを
同僚が、参拝者に、この値段は何が違うの?と聞かれたとき、彼は、いや同じですよと答えて、上の人に怒られたことがあった
確かに同じかもしれない、しかし、そういうときは、「お気持ちです」と答えなさいと指導されていた
そして参拝者は、「気持ちはあるから3千円でええわ」と答えていた
坊さんの控室がある
同じところで我々も休憩して、お弁当を食べる
お坊さんは何人かくるけど、みなさん、ずっと不倫相手とメールしたり、スロットを回したりしていた
お経を読むときも、休憩している坊さんに、いまあいつ、アーばっか言うてサボってるよwとか言われていた
お経あげてると思ってたらアー言ってるだけの時もあるらしい
正直にいうと、一般人の方がよほど清いと思うくらいに坊さんは尊敬できない方ばかりだった
もちろん全員がそうじゃないのは当たり前だけど、逆に、お坊さんだから無条件にありがたいわけでも、救済があるわけでもないことはわからされてしまった
お参りとは何なのか?考えざるを得なくなった
坊さんという存在やお経の言葉が、薬のようにたちまち死者への救済をもたらすわけではなかったのだ
当たり前かもしれないけど、行為や作法そのものに意味なんてないのだ
大事なのは、指導で言われたように、参拝者自身のお気持ちなのだ
そのお気持ちというのは、ただ静かに死者のことを想うだけでももちろんいい
それだけではなく、わざわざ有名なお寺に出かけて行って時間を使うのもまたお気持ちの表れだ
わざわざ、死者のために1万円使うのもお気持ちだ
死んだ人にプレゼントをあげても喜んだ顔を見れないから、せめて先祖回向をわざわざすることで、喜んだ顔を想像することしかできない
だから、それをする
それをすることが喜びになる
それが、楽しんでお参りにくる、という中身だ
忙しくて回向に来れなかった方が不義理なわけでもお気持ちがないわけでもない
それと同時に、「わざわざ」があればそれもまた気持ちの強い表れと言える
わざわざ、とはつまり、時間的、経済的、肉体的なコストのことね
例えばライスシャワーの慰霊碑にわざわざ出向き、わざわざバラを買って、わざわざそれを備え、わざわざそれをSNSにあげること、それは全て、死者へのお気持ちの表れだ
大切なのは、各自のお気持ちを死者へ向けることであり、他者のお気持ちを自分の正義感や自分の信じる作法から批判することではない
1万円で回向する人が、3千円で回向する人のお気持ちを否定するようなことは決してないし、あってはならないことである
死者を思い、楽しんで慰霊碑に来られた方の気持ちを否定することは、宗教に携わった立場からするとあまりいいこととは思えない
投稿から悪ふざけに見える要素があるかどうかと、思い立ってからバラを買い慰霊碑に向かうまでの間にわずかでも死者を想う気持ちがあったどうかは、決して結びつくものではないと思う
死者のためにできることはない、全て生者のためだ、って言っているブコメが多いけど
この行いを、あの人がもし見ていてくれるなら少しは喜んでくれるのかな、と思えるから生者の救いになるわけで
無になったもののためにできることはないと完全に割り切るなら生者への救いもまたないのだよ
この場合、記念碑の管理者(この場合は京都競馬場)の定めたルールに沿っているかが重要で、それから逸脱していれば実在のライスシャワーに手を合わせていようがアウトだし、それに沿っていればウマ娘のライスシャワーを通して手を合わせていても問題ない。
献花者の内面によって条件をつける権利は、少なくともただの競馬ファンが持ってるはずもない。
そして一般的に考えて青いバラが供えてダメなものに分類されるはずもないので、キレてるやつの過剰反応。
競馬ファンであろうがウマ娘ファンだろうがルールに沿ってるかどうかの1点で判断するべきで、他者の内面を忖度してその自由を制限しようとするのはダメだよ。
それ以上でも以下でもない。
くだんのブログ主は
現実の競走馬に対する敬意がないという点で、青い薔薇献花した人物は、タイキシャトルのたてがみ切ってメルカリで売り捌いていた人物と同一レベルとしか思えない
嫁と伊集院光の影響であつ森を始めたはいいが、1か月もたなかった。
箱庭ゲームというものをあまりよく理解していなかったからだろうが、このゲームの良さには最後までたどり着けなかった。というのはちょっと違って、楽しむだけの度量と優しさがなかった。
一切の知識を仕入れずに頑張ってきた。カブや青いバラのシステムが面白いとあったので、早々にほかのゲーム仲間とつるんでコミュニティに入ったりもした。
この手のゲームで必須であろう材料集めと周回作業を日々淡々とこなしていった。借金を返済しては新しい借金を作り、星に願いをこめ、他人の土地を探検もした。
だけどやっぱり駄目だった。なによりこのゲームで苦痛だったのは住人との会話だ。
よくあるRPGのモブならば一期一会の精神で彼らとの会話を楽しむことはできる。だけどこのゲームでは常に住人と接触して会話をしなければならない。毎日ある周回作業の合間に長ったらしい会話をするのは苦痛だった。
さらにコマンド選択が非常に冗長。やりたい選択肢にたどり着くにはかなりのAボタンを押す必要があった。それが最初の数回ならまだわかるが毎日・毎回はやめてくれ。しかも上記の長い会話を間に挟むのがもう無理だ。結局、フクロウやタヌキチのような表情豊かなモブキャラには多少愛着は沸いたけど、会話を毎回するほどではないなと思ってる。ほかの住人に関しては話しかけることすらやめた。
彼らがかわいく見えないのだ。話したところで何が楽しい?彼らの何が魅力なの?
そして、箱庭ゲームなのに家具や様々なアイテムにほとんど興味がない。洗濯機をもらっても広場に放置して何もすることはない。花壇を作りはしたが、途中で飽きて完全に放逐状態。島を作り変えることができるらしいけど、そもそもどんなものを作りたいのかすら思いつかない。
ほかの人は思い思いに街並みを作っているけど、俺にとっては1年たっても初期状態で一向に構わない。だからすべての家具・家電は廃棄か売り払ってしまった。空っぽの家と広場に橋がかかってる程度。
だけどほかの人々は違うらしい。動物たちは人身売買するほどに人気で、現実の街並みを再現している人もいる。前者はよくわからないが、後者は楽しそうだ。でもそこまでするこのゲームに飲めりこむことができなかった。動物たちとの触れ合いが俺には空虚すぎる。
嫁に聞けば「動物たちと触れ合うゲームなんだから当たり前でしょ」という。仲間も似た感じだ。
大してしてやることがないので、あまり好きではない周回作業ばかりしていた。木を切ってカブ価をチェックして、売れるアイテムを作り、化石を掘る。コインを稼げばいい。ただそれだけ。橋もかけてみたけど移動を楽にする以外の要素はない。確かに最初こそやってみたいことはあった。原生林の区域とより人にとって住みやすい区域を混在させてみようなどという。だけど周回作業効率を上げる以外のことは最終的に何も考えなくなっていた。すべてにやる気が起きない。
俺はたぶんおかしいのだ。全人類が大絶賛するものを受け入れられない度量の低さと優しさの欠如した人間だ。
俺には華やかなあつ森の世界の住人にはなれなかった。
このゲームは人を選ばない。だからこそそこにいけない自分は人類じゃないんだろう。
-------------
続きです
だがいま、辞表を書いている。
子供の頃から自分は何のために生まれてきたんだろうとかずっと考えてた変な奴だったが、
30歳を目前にして、再度同じ問いが脳裏から離れなくなった。
おそらくこのままだと、結婚して子供作って家のローン繰上げ返済がんばって
ちょっとは出世してすこし恰幅が良くなって子供もなんとか大学に入れて、
2040年ごろに退職して送別会でもらった青いバラの花束を抱えながら山手線に揺られて帰宅して
子供も就職したので、ちょいと旧式リニアでのんびり京都行ったりして妻とセカンドライフ楽しんで
年甲斐もなく妻に内緒で高級セクサロイド買ったりなんて冒険もして
下流層と違って抗加齢手術受けるだけの貯えは用意してたから死ぬ直前まで若々しく楽しんでて。
人生の流れはたぶんこんな感じだろう。2050年のありきたりな中流階級。
ちょっとは面白いかもしれん
でも、自分がありきたりな人生に落ちつくだろうと想像すると胸が苦しくなる。
そりゃ未来の子供もかわいいだろうし未来の奥さんとも仲良くしたいし仕事も面白いかもしれん。
だけど、自分はなんで生まれてきたの?ていう問いに真正面から向き合ってないのでは?と疑問をもってしまう。
自分はこんなことのために生まれてきたわけじゃない。そんな気がする。いや、常にそう頭に浮かんでくる
これは中ニ病?脳の病気?「自分探し系OL」病か?それとも「自分だけは特別」病か?
わからないけど、どうにも我慢できない。
You、宗教にでも入っちゃいなよ、とたまに考える。神様か仏様か大作様に悩みを引き受けてもらいなよ、と。
だけど身に付いた懐疑主義のせいで宗教にはまることができない。
物価の安い国に早期リタイヤして人生を楽しめ、これもたまに考える。だけど、それはあからさまな逃げだ。今よりひどい。
今のままではいけないことは直感で理解している。惰性に流され、日常に沈んでいくだけ。
別に貧しくてもいいから、できたらなにかに向き合ってから死にたい。解決策を考えたけど思い浮かばない。とりあえずボーナス後の辞表は確定。
妥協案をふたつ思いついたのだが、どうだろう?すくなくとも問題を回避したり先延ばししたりはできる。
◎資格を取る。
喰いっぱぐれのない資格で収入だけは確保しつつ自分の時間を作る。弁護士・会計士・医療関係?そんなところか。そんで大学の哲学科にでも入って勉強しなおす。創作活動に集中するとか?
◎我を忘れて仕事に打ち込む。問題を回避。
今の仕事は楽すぎ。生きるために必死になれるように、会社作って仕事に没頭。理想は「気付いたら死んでた」
この妥協案のどちらかを実行することになりそう。惰性に流され、日常に沈む恐怖よりは幾分マシだ。
誰か助けてくれ。 とりあえず外出て酒買ってくる。
【追記 05/29 13:30】(書くべきことをまだかけてないのにとやかく言うのはあれだけど)
anond:20070526132630とか書いたとき、トラバくれただけでもうれしかったのに、ブックマークつくとなんか嬉しいんだな、最初だけは。
この68usersという赤文字、mixi開いたときに新着○○!の赤文字が出た時の嬉しさと似てる。なんでだろ?ってんで思い当たったのは進研ゼミの赤ペン先生。「赤ペン先生が返事くれると嬉しい→赤文字に期待感」。これが日本の「みくしパブロフ犬・はてぶパブロフ犬」の源流だろうか?
まぁいいや。
で、そこのはてなブックマーカーさん方、きみらはのんびり「上から目線」だなぁ?冷静なコメント、かっこいいな。
でもね、いつまでもそうして高いところ飛んでられっと思うなよ。
こっちまで降りて来い、なんてこた言わねぇ。(救えるもんなら俺を救ってみろ、とは言ってみたい、心の中で)。夏休み、アリンコを虫めがねで観察してるうち、太陽と焦点合わせてジュッて焼く遊びを憶えた頃を思い出した。今はアリンコの気持ちさえわかる気がする。
「やりたいことは既に心が知っている」みたいなことをどこかのCEOがスピーチしてたな。自分の心にもそれがあるのはわかる。ただし自分の心が読み取り辛くて、現代語訳しても「血迷え!」という言葉にしかならないんだよ、まだ。