はてなキーワード: ジャンケンとは
カプコンのアクションゲームに胸を熱くさせ、任天堂で育った人間だ。
それでもまだまだ新作PVを見ては心ときめかせて、今はFF7Rを少しずつ進めている。
歳のせいか、リメイク版ではクラウドが可愛くて仕方ない。そんなゲーマーだ。
格闘ゲームを初めて触ったのは、ストリートファイター2だ。
幼少期、友達の家でわちゃわちゃ騒ぎながら対戦した。
波動拳を打つことができるTくんが猛威を振るったが、友達同士の対戦は無性に楽しかった。
負けるたびにコントローラーを交代して、みんなで打倒Tくんと、一丸となった。
キングオブファイターズ、ギルティギア、鉄拳やバーチャファイターなど、
ただ、どれもひとりで遊んだことはない。
友達の家や、ゲームセンター。あくまでも、その場で遊ぶだけの対戦ツールとしての楽しみ方だ。
だから、ひとりでうまくなるために一生懸命努力したことはなかった。
昔から勉強も、授業を聞いているだけでそれなりにテストの点は取れたから、
きっと、似たような感覚だったのかもしれない。
もちろん新作が出ると手を出して、オンラインで対戦したこともあったけれど、
画面の向こうの誰かの存在を感じることができず、
「昔遊んだ格闘ゲームとは、なんだか違うゲームだな」と首を傾げたりして、
それよりデビルメイクライでお手軽簡単なかっこいいコンボを試したり、
無双シリーズでバッタバッタとザコ敵を薙ぎ払うほうが、遥かに楽しくて、気持ちよかったのだ。
そんな折、『グランブルーファンタジーヴァーサス』という格闘ゲームが発売した。
ソシャゲのグラブルを題材にした、2D格闘ゲームだ。(ストリートファイター2みたいなやつだ)
格闘ゲームは自分にとって敷居の高いものだと思っていた私だが、
グランブルーファンタジーヴァーサス(以下GBVS)については、ちょっと手を出してみようかな、と思った。
理由は3点。
ひとつはネット上の付き合いのある友達が、何人かプレイすること。
近年はDiscordなどのボイチャ環境が整ってきたため、小学校の時のあの間隔を味わえるのではないか、と淡い期待を抱いたのだ。
これなら格ゲーの浅瀬をちゃぷちゃぷしていた自分でも、そこそこ戦いを楽しむことができるのではないだろうか。
3点目。これが大事だった。そもそもグラブルをやっていた自分にとって、
あのかわいいキャラを操ることができるのは、非常に楽しそうだったのだ。
ジータちゃんが最初から使えないことには憤慨したものの、それはじゅうぶん手を出すに足る理由だった。
プレイするたびにすぐ辞めるのが、いつもの私の格ゲーにおけるパターンだ。
今回もそうなるんだろうな、という予想が、どこかにあった。
ともあれ「またすぐ辞めてるw」と友達に冷やかされるのも、悔しいので、
続けるための努力はするべきだろう。
さて、始めるとなれば、キャラ選びだ。
これが大事であるということは、今まで数多くの格ゲーに挫折していた私は痛いほど知っている。
まるで永遠の伴侶を決めるかのように、慎重になるべきだった。
私はペルソナ4が大好きで、その格ゲーが出るということで、狂喜乱舞したことがある。
その際は、最愛の伴侶として千枝ちゃんを選んだ。千枝ちゃんと添い遂げようと思ったのだ。
けれど……私は、挫折した。
キャラ愛だけではどうしようもならない壁が、そこにはあった。
私は千枝ちゃんを愛することができなかったのだ。
その反省から、今回は好きなキャラにこだわるのはやめよう、と思った。
できるだけ気楽にお付き合いができるような、そんな人だ。
私は『カタリナ』という女騎士を選んだ。
本家グラブルにおいて、カタリナさんはそれほど人気の高いキャラではない。
女性キャラとしてはむしろネタ枠で、グラブル内で連載されている4コマ漫画でも散々弄り倒されている。
私自身も、ヴィーラさんは好きだったけれど、カタリナさん自身にはいい印象も悪い印象も、なにも抱いていなかった。
なので「まあ、ジータちゃんが追加されるまで、お付き合いをお願いします」という気分で、彼女の手を取った。
彼女はこんな不誠実な私にも、「よろしくな」と微笑んでくれた。
交際を始めると、カタリナさんは確かに動かしやすいキャラだった。
必要なパーツはなにもかも揃っている。炊事も洗濯も掃除もできて、さらに素直な性格だ。
実際、カタリナさんはどのプレイヤーからも「強いキャラ」と言われていて、
自分がうまくなればなるほど、誰にだって勝てるポテンシャルを秘めているらしかった。
一緒にゲームを始めた、格ゲーに詳しい友人は「君がカタリナを選んでほっとした」と言ってくれた。
間もなく、格ゲーにおいて、操作が簡単である、ということの重要性を私は初めて思い知ることとなる。
少し話は変わるけれど、
誰もがグー、チョキ、パー以外に、
ギョス、メランダ、ポポポチーノ、アラモ、ショポーリ、スイギョー(適当)などなど、
30個ぐらいの手をもっている。
スイギョー、ショボーリ、パー、ニャフ、など4つの手に勝てる。他の24個の手とはあいこだ。
こういったことを、毎瞬毎瞬、頭の中で考えながら、試合を進めていくゲームだ。
難しいのだ。
複雑なルールが覚えられない私にとって、カタリナさんは救世主だった。
カタリナさんは、グー、チョキ、パーの三つさえ覚えれば、だいたいなんでもできた。
他キャラが30個の手を使いこなしてくる中、カタリナさんの手は三つで足りた。
初めて見る相手に、「えっ、なにその技!? どうやって対応すればいいの!?」と度肝を抜かれる攻撃をされても、
自分で調べてみれば、「なるほど、これは実はチョキで勝てる手だったのか……」とすぐに答えが用意されている。
対戦して、一方的にやられて、自分で調べ物をして、そしてまた対戦をする。
すると今度は、相手のゾゾゾジゾという手に勝てるチョキを用意した私が優勢に戦える。
対戦相手も私がチョキを連発するようになると、そのチョキに勝つ手を用意してくる。
これを繰り返していくと、私はいつの間にか、さっきまで手も足も出なかった相手と五分に渡り合えるようになった。
楽しい。
楽しくて、毎日GBVSをやった。
昨日あれほどボコボコにされたフェリに対して、一晩練習しただけで、それなりに勝てるようになるなんて。
すごい。
どんなに強い相手でも、カタリナさんがいれば「いずれは勝てるようになるかも」という希望を抱いた。
今まで私は格闘ゲームを誤解していたんだ、と気づいた。
私は格闘ゲームはゲームの上手い人がやるゲーム、という認識でいた。
バイオハザードでゾンビに一度も捕まらないようにスイスイとプレイする人が遊ぶものだと思っていたのだ。
けれど、違った。
格闘ゲームというのは、非常に複雑なジャンケンで、相手の行動に対してこれをすれば勝てる、という手を用意しておくゲームなのだ。
こんなにシンプルなゲームだったのか……と目からウロコが落ちた。
もちろん、それを教えてくれたのは、カタリナさんだった。
「カタリナさん、本当に強いね」
「なあに、私を上手に操ってくれる、キミがいてこそだよ」
カタリナさん……。
いつの間にか、私にとって彼女はかけがえのない大切な存在になっていた。
よくよく見れば、顔もめちゃくちゃ美人だった。
(余談だが、先日本家グラブルにおいて開催された水古戦場においてカタリナさんが使えて嬉しかった)
私はカタリナさんとともに、反復練習、そして調べ物を続けた。
負けては調べ、負けては勝てる手を考える。
少しずつ成長していった。
共に初めた友人はSSランクというメジャーリーグみたいな場所に旅立っていったけれど、
私もAランクというマイナーリーグでそこそこ戦えるようになっていった。
なによりも、自分が徐々にうまくなっていくのが楽しかったのだ。
私の実力があがると、カタリナさんはますますその力を発揮し、期待に応えてくれた。
いや、違う。私がカタリナさんの期待に応えれるようになったのが、嬉しかったのだ。
私のそばでは「キミは日々強くなっていくな」とカタリナさんが微笑んでくれていた。
彼女は出会った頃よりわずかに……いや、明らかに綺麗になった。(私は強めの幻覚を見るようになった)
途中のバージョンアップでもともとの本命であるジータちゃんが追加されても、
私はカタリナさんのまま、GBVSを続けていった。
「本当に、私でいいのか……?」と恥じらうカタリナに、私は大きくうなずいた。
「当たり前だよ。私にとって、カタリナさんがグラブルなんだ」
社会人ゲーマーになると、とにかくゲームの時間を捻出するのが大変だ。
積みゲーもたくさん増えてきた。
そんな中、回転寿司のように、次々と新しいゲームに手を出してはクリアーしていくのが、私の最近のスタイルだった。
ストーリーのないゲームに時間をかけるのは、無駄だと思いこんでいた。
けれど、GBVSは違った。
それだけ多くの時間、私はカタリナさんと共に過ごした。
そして、4月28日。
バージョンアップの日がやってきた。
先に言っておくと、カタリナさんは確かに強かった。
「仕方ないさ。格闘ゲームというものは、バランスが大事なんだ」とカタリナさんは寂しそうに微笑んでいた。
だから、ある程度の弱体化が入ることについては、私も納得していた。
「しょうがないよね。調整ってよくある話だし」
といっても、これは『頭で』納得していた、というだけの話だ。
よく格ゲーでは「修正しろ」だの「弱体化はよ」だの、声が多く上がる。
実際に私も、スマブラDXで友人のフォックスに宇宙の果てまで蹴り飛ばされた際には「修正しろ!」と叫んでいた。
だけど、私は本当の意味での『修正』という言葉を知らなかったのだ。
なぜなら今まで、本気で格闘ゲームに向き合ったことなどなかったからだ。
カタリナさんが弱体化された。
私の顔はたちまち青ざめた。
唖然とした。
メインで使用する近Bがなによりも、破格の弱さになっていたのだ。
近Bという技は、どんな状況でも万能に使える最強のチョキであった。
多くの手に勝つことができて、コンボでも重要な役割を担う、カタリナさんの愛刀であった。
なによりもモーションがかっこいい。レイピアを高速で振り下ろすと、空気を切り裂くようにそのしなりが見て取れる。
カタリナさんの力強さ、そして剣に懸ける想いがこれでもかと伝わってくる、袈裟斬り。それが近Bだ。
その近Bが、死んでいた。
『硬直を増やしました』『認識間合いを狭くしました』というそのたったふたつの言葉で、
カタリナさんの手触りはまったく変わっていた。
私は震える声で問いかける。
「カタリナさん、カタリナさん、大丈夫……?」
するとカタリナさんは笑顔でこう言うのだ。
そう、気づいた。
たったひとつの技が弱くなったそれだけで、カタリナさんは、
私が2000試合も共に歩んできたカタリナさんは、
まったくの別物になってしまったのだ。
私の結婚したカタリナさんは、もうどこにもいない。
これからは近Lという、漫才のツッコミみたいに手の甲をぺちっと突き出して柄で殴る技を、メインに使わなければならない。
「近Bか? しかしあの技は、使ったところで仕方ないだろう」
このカタリナは苦笑いをする。
「ガードされて1フレーム不利だ。立ち回りで振るような技じゃない。私はそういう戦い方はしないんだ」
違う。私のカタリナさんはそういう戦い方をする人だった。
私のカタリナさんはどこにいったの?
ちょっとずつヒット確認ができるようになっていった遠Cが弱体化されたことなんて、どうだっていい。
色んな所からヘイトを集めているJUなんて、削除してくれたって構わない。
だから、近Bを、近Bを返してくれ。
せめて微不利じゃなくて、五分にしてくれ。
私のカタリナさんは、2000試合で少なくとも近Bを2万回以上は振り回した。
その技が、処刑されたのだ。
格闘ゲームの『調整』がどれほど恐ろしいものなのか、私は初めて味わった。
セーブデータが消えるんじゃない。自分が今まで積み上げてきた『努力』が無かったことにされるのだ。
ただ受け入れることしかできない突然の交通事故に遭ったような気分だ。
有名プロゲーマーが「なによりも調整を恐れている」という発言をした際に、私は「そういうものか」と思っていた。
弱くなったキャラを捨てて、すぐに強いキャラばっかり使う人のことを「キャラに愛着がないんだなあ」と思っていた。
バカだった。
私のカタリナさんは、間違いなく近Bを主軸に攻め込むカタリナさんだった。
だけどもう、そのカタリナさんはどこにもいない。
別物だ。
「でもどうせ弱体化されるんだろう」という想いを抱いて、遊んでいくのだろうか?
ただ、ひとつだけ言わせてほしい。
ありがとう、カタリナさん。
あなたのおかげで私は、強くなるために努力することの大切さを知りました。
あなたのおかげで私は、格闘ゲームの楽しさを初めて知ることができました。
あなたがいなくなったグラブルを愛せるかどうかは、まだわかりません。
もしかしたら別の恋人を見つけて、恥知らずにグラブルを続けるのかもしれません。
ありがとう、カタリナさん。あちらへいっても、元気に近Bを振り回してください。
まあいうて、新しいカタリナさんでも、それなりに戦えそうではあるんだけどね……。
操作感が変わる調整は、やっぱつれぇわ…………。
おはおはおっはー!
なんだかやっぱり寒いのかしらって思うほど恋しいカーディガンを羽織りたいところなんだけど、
結局は羽織りつつ、
私は今柚子茶をしばいてるところなの。
私たちはきっと雰囲気でお茶をしばくと言ってるだけだと思うから、
美味しい柚子茶には変わりないんだけど、
さて、
私はと言うと、
本館を凌ぐほど立派な別館も両館閉まっていて、
なんとなく緊急事態感を感じつつも
食材を求めるには近所のスーパーマーケットに行ってきた訳なの。
どちらかと言うと
なにせ私の家からけんけんぱ、
もしくはジャンケンで買った歩数だけ歩けるでお馴染みのパイナップルぐらいの歩数で行けるぐらい近いから、
そこに行ってるのよね。
閑散としているというわけではないんだけど、
私もパスタを買おうと思ったけど、
イタリアのおやっさんも「第二次世界大戦のときもこんなパニックにはならなかった!マンマ・ミーア!」って言いそうなぐらいなのよ。
でもなぜか他の棚はそこそこに充実していたりと、
乳製品もいつも通り、
それはともかくとして、
以前作っていた手順をすっかり忘れていて、
塩コショウにつけ込んだ後、
塩抜きするのをすっかり忘れていて
出来上がった鶏ハムは、
インスタグラマーが憧れる鏡映しみたいな塩湖の写真の塩湖を囓ったような塩っぱさで塩辛いったらありゃしないのよ。
ご飯が進むってレヴェルじゃなくて塩よ塩!
なんで塩辛いのか一瞬、
塩の量間違えたのかってレシピを見たけど、
私は手順通りにやったのよ。
そこで力尽きているの!
犯人は明らかに「塩コショウ」ってなるレヴェルのそれ1行しか書いてなく、
あとの手順はどうだったっけ?って全く書いてなかったのよね。
今度は全員が塩味に気付くまで味付けした後、
滝沢カレンさんが言いそうなことを一生懸命考えて私も言おうと思っても、
全くもって出来てないことに全員が気付くぐらいの塩味になれば成功!
でね、
だんだんと私も昔の勘を取り戻してきたの!
塩抜きしなくても水洗いで塩が取り除けるぐらいの適量の塩加減にしてみたら、
私の鶏ハム思い出してきたわ!って腕まくりしたい気分を抑えつつ、
今度は火入れ!
沸騰した鍋に鶏肉をいれて、
私の場合は1~2時間程度おいていれば丁度いいぐらいに火入れが出来るから、
最近は本当にヒマを持て余すほどではないけど、
どんどん出荷しないといけないのよね。
きっと切れ端を食べたときの味見は
ちょうどいい塩加減だったから、
やっぱりレシピは見ずに適当にやるのが一番美味しく出来る気がするわ!
初めて作った料理を適当につくって美味しく出来たのは良いんだけど、
次にそれをまた作ろうと思ったとき再現できないぐらい美味しいのよ。
でね、
全く同じ手順調味料の量なのに
レシピ見ないで適当に作る方がよっぽど美味しいってわけなのよ。
今はまた美味しい野菜の旨味が溶け出したスープストックを作っているところなの。
意外とトマトも良い味出してくれる役者だから大根との役者とも相性が良いし、
ごめんごめん専門用語言っちゃった、
どんな野菜でも結局は上手くまとまるような気がするわ。
とりあえず
シーダーもとい出汁を取って満足している場合じゃない!ってそう思った感じでもあるわね。
うふふ。
お昼お弁当作ってくるとお昼が楽しみなように、
私の特製コンビニのカップほうれん草とタマゴのスープが美味しい組み合わせが最高にマッチするんだな、
私の鶏ハムと。
グレープフルーツが安くって1玉98円と言う超とまではいかないけど、
そこそこのリーズナブルな値段だったので、
ご機嫌ね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
毎日毎日くらいコロナのニュースばかりで楽しくないしあんまりで歩いてもいないんだけど、
おうち時間ということで、
家でインターネッツを開いても遅いような気がするのは
全国テレワークでネットにつないでる人が多いからってことなのかしら?
いつにもましてネットの速さがもっさりしてるような気がするの。
とおもって例のパケット使いすぎ問題で月末出汁って思って管理画面を見てみても、
ぜんぜn使ってない先月の繰り越しすらまだ使い切ってない感じで
もうさやることなさすぎて、
そうそう!
私聞いてみたの店員さんに、
そしたらその店員さんも
知ってるのか知らないのか本当は知らないけど、
いつからどのぐらいの規模で改装になるかって知らないらしいのよ。
店員さんなのによ。
これってもしかして、
竹内まりやさんもビックリするような毎日がスペシャルやでーって言いそうな、
どっちでもいいけど、
するならするしないならしない!ってどっちかに決めてもらわないと私も行きたいところのマーケットでフレッシュ生マッシュルームとホワイトアスパラガスが買えなくなるじゃない?
これは問題よ!ってことで、
まあ実際のところ
お惣菜がいまいちなその改装するする詐欺セールを開催しようとしているこのマーケットは
なんか負けてる気がするけど、
何が良いかって、
そりゃ~さ、
ジャンケンしてパーで買ってパイナップル!の歩数で家からお店まで
便利なのは便利なのよ!
近いってだけに尽きるわ!
そんでもってお気に入りのフードコートの本格インネパ系のカリー屋さんも2年の更新を機に閉店してしまったし。
もう私はこのマーケットに足繁く通う理由がなくなってしまったけど、
相変わらず、
ジャンケンでパーで勝ってパイナップル!で行けるような近さの距離だから
ついつい行っちゃう訳なのよ。
どんどんテナントが減っていって
もうあまりに書店が近くてアマゾンのサイトにアクセスするよりも、
ジャンケンのパーで勝って余裕で県検波でも行けるパイナップル!の歩数で
その書店に本を買って来た方が早いのよ!
自分プレミアム会員って超特急で届くんだからって自分で買いに行ってるんだけどね。
だから本当に
決めてほしいものよ!
うふふ。
なんかいまいちな味で、
これってもしかして匂いが分からない?味が分からない?症状なのかしらと思ったけど、
ヒーコーは相変わらず美味しくダバダッといただけたので、
どうぶつの森でお友だちのところに行ってわざわざ100ベル出してお水飲んでる場合じゃないからね
搾ってよろしよ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
人数を合わせるため、俺たち兄弟は一蓮托生ということにした。
「じゃあ、マスダが4位の場合は弟くんも4位ってことか」
「そうだ。3位以上は買出し組になる」
「え、それでいいの?」
「まあ……元はといえば、今回の集まりもこっち側の提案だし、それ位の“ハンデ”は背負うさ」
俺はあえて歯切れの悪い物言いをした。
「マスダたちが3位の場合は? ジャンケンで兄弟どちらかが残るって感じ?」
「んー、そうだな……」
ちゃんとした台本が用意してあるわけじゃないので、このあたりはアドリブ次第である。
「“なしなし”がいい?」
「いや、“ありあり”でいいだろう」
「じゃあ、サイコロ振って」
麻雀の取り決めには様々な“あり”と“なし”があるが、仲間内のお遊びでこれらを細かく確認することはない。
“ありあり”とした場合、面倒なので他のものも“あり”とするのが俺たちの中で暗黙のルールだった。
例えば、頼りない照明しかない、このような場所で麻雀をやる場合は“イカサマもあり”となる。
つまり今回のルールは喰いタンあり、役の後付けあり、赤牌あり、ピンヅモあり、喰い替えあり、イカサマありの“ありありありありありあり”……
舌を噛みそうなので、俺たちは気取って“ブローノ・ルール”と呼んでいる。
ちなみに、ここでいう“俺たち”とは“俺と弟のみ”を指す。
もちろん“イカサマあり”を知っているのも“俺たち”だけだ。
麻雀をやったことがあるならば、誰しも一度は考えたことがあるだろう。
運要素の強いこのゲームで、果たして打ち手の強さがどれほど関係するのか。
一説には、麻雀に勝つのに必要なのは運であり、負けないために必要なのが実力だ。
そのどちらもコントロールできるのがプロだが、素人の俺たちはもっと泥臭くやるしかない。
「カン……よし、ドラ4だ」
牌のすり替え、積み込み、出来ることは何でもやった。
少し練習した程度の拙いものだったが、この暗がりだからバレることはない。
更に、みんな夜更かししているから頭が回らず、視野も狭まっている。
多少、露骨にやっても誰も気づかない。
「それロン」
「えー、マジかあ」
「マスダ早いなあ」
もしバレた場合、交友関係に新年早々ヒビが入るという相応のリスクを背負っているからな。
それに、これはこれで神経を使うし、楽勝ってわけにもいかない。
あんまり目立つような勝ち方をしたら疑われるので、適度に手を抜く必要がある。
そのためには、相手の手牌を把握することが肝要だ。
「あ~暇だな~」
俺たちが打っている間、弟は退屈そうに、いかにも落ち着きのない子供といった感じで山内を歩き回る。
「日の出まだかな~」
その手には双眼鏡が握られているが、覗き込んだところで見えるはずもない。
「ねー、次は打たせてよ……」
「……この局までは待ってろ」
こうして相手の手の内を見たら、俺たちにしか分からないサインでそれを知らせる。
傾向さえ分かれば十分だ。
「ちぇ、そっちがきたか……マスダ、それロン」
そんな調子で派手さこそないものの、終わってみれば俺たちが1位だった。
何らかの自治体がどこからともなく駆けつけてきて、あれよあれよという間に撤去される。
或いは、日の出を見たい他の人間たちによって侵略されるだろう。
勝者の特権として略奪行為、「俺たちの席なんて元からなかった」という歴史修正が施される。
大袈裟な話じゃあない。
俺は以前に市街パレードがあった際、バイトで場所取り代行をしたことがあるが、あの時は戦慄した。
確保する簡易席は3つ。
自分が座っておけば残り2席を見張っておけばいいだけの、チョロい仕事だ。
最初はそう思っていたが、その“最初”は十数分で終わりを告げた。
通りがかった同級生が話しかけてきて、そっちに目を向けて返事をしたときだ。
その後、すぐに視線を戻したけれど手遅れだった。
「ちょっと目を離した隙に」とはよく言うが、この時の“ちょっと”は数秒の出来事。
にも拘らず、俺の両隣には見知らぬ人間が二人座っていたんだ。
何食わぬ顔で携帯端末をイジり、位置情報ゲームを嗜んでいた様子は強烈だった。
まあ、結局は簡易席の前に人だかりができて、座った状態ではロクに見れないという状態になってしまったけれど。
“より良いものを見たい”という目的のために、人は容易く理性を放棄できる生き物だと俺は痛感したのさ。
というわけで、買出しに行く人数は絞らなければならない。
「こんな暗がりに一人で待機とか嫌っすよ」
「じゃあ、待機組は二人、残りが買出しって感じかな」
「それじゃあ、ここで待機したいのは?」
「……」
そもそも、ここにいるのが退屈だからこういう話が出ているわけだから愚問である。
「じゃあ、ジャンケンで」
弟は、おもむろに俺のバッグから麻雀セットを取り出し、周りの賛成意見を募るまでもなく牌を並べ始めた。
「まあ、暇つぶしにもなるし、これでいっか」
弟は心の中で「しめしめ」と思っていることだろう。
それは俺も同じだった。
物心ついた時から周りより頭ひとつ分以上背が高く、小学6年生で170センチを超えていた。
小さな頃は年相応にセーラームーンやキティちゃんなど可愛いものが好きで、よく身につけていた。
だが、自分が可愛いものが似合わないのではないか、と気づき始めたのは幼稚園の時。
発表会で笠地蔵をやることになったのだが、その中に狐の役があった。
黄色いふりふりの衣装がとても可愛らしく見え、私はその役に立候補した。
だが、他にも複数候補者がおり、1人狐役を諦めなければいけない。
本来ならジャンケンなどで決めるのだが、そのとき私にはそれすら選択にはなかった。
なぜなら当時の担任直々に「狐役は諦めて欲しい」と言われたからだ。
衣装のサイズの問題や、おばあさん役の方がぴったりだからと言われた。
そのとき、ふと目の端に見えた狐役の子たちは皆平均身長でとても可愛らしく見えた。
そのとき私は「背が高いと可愛いものは選べないんだな」と思うようになった。
幼稚園児が考えることなのであまりにも極端だと今は思うが、己の顔立ちやそもそもの体型なども、幼いながら人より劣っていると気づいていたのだと思う。
それから少しずつ可愛いものに興味を示さなくなった。だって、似合わないものを身につけてもダサいだけだし、と。
気付いたら女らしさ皆無な子供に育っていた。
うぜぇ、だまれ、カスなど口走るなんとも可愛げのないクソでかい女の子が誕生していた。
また、中学でスポーツ系の部活に入ったことにより、髪の毛もベリーショートに切り、服のサイズもメンズ物しかなかったため、見た目はどこからどう見ても男にしか見えなくなった。
デパートなどの女子トイレに入ればすれ違うひとに驚かれトイレマークを確認されることは毎回のことなので慣れた。
最初は気のせいだと思っても、それは気のせいではなかった。
友達から「今あの人あなたなのとみてたよ、すごくびっくりしてた」と毎回報告されていたからだ。
(中途半端な田舎だからっていうのも1つの理由だったのかなと思う)
恋愛対象で見られることは皆無だったが友人としては仲良くやれていたので特に気にはしなかった。
少女漫画も少年漫画と同じくらい読んでいたし、こっそりと片思いもしていた。
けど、振り向かれることはないとわかっていたので告白も何もしなかったけれど。
そんなこんなで大学生になったある日。
見た目さえわからなければみんな私を1人の女の子として接してくれることにとても感動した。
それからは毎晩寝る前にいろんな人と話をした。
みんな優しくしてくれたし、声を少し高めに話すと可愛いと褒めてくれた。
今まで体験できなかったことが沢山体験でき、自尊心が満たされた。
今まで相手には身長のことすら言えなかったのにその人には話せた。
それでも引かれることはなく、魅力の1つと言ってくれた。
大学生になっても、私の服装は相変わらずでダボっとしたパンツにTシャツやパーカーばかり着ていた。
そのことを話すと、彼は
「なんで女に生まれたのに女を捨ててるの?」
と質問してきた。
「好きでその格好ならいいけど、女らしい服装をしたって良いんだよ」
「似合う似合わないじゃなくて、似合わせようとするんだよ」
と。
あ、と思った。
本当にあ、と。
可愛い格好してもいいんだ。
面長で重たい一重。
鼻も高くない。
その身長があるならモデルになりなよとみんな言うけど、頭身もないし腕も足も短い。
だから、女の子らしいは似合わないから、みんな変に思うから、楽なメンズ服に逃げていた。
そうなんだ、別にいいんだ。
それから少しずつ女らしさを取り戻していった。
といっても、完全に女として生きていけるようになったのは社会人になってからなんだけど。
田舎町から都会へ引っ越して、人の視線を感じることが少なくなったのも1つの要因だった。
ヒールの靴も痛いからあまり履かないけど、6センチのヒールを履いて出掛けたこともある。
少しずつ、少しずつ。
気付いたら前よりも女の子扱いされることが多くなった。
性の対象にすらみられてなかったのにそういう目で見られるようになる。
可愛いと言ってくれる。
髪の毛長い方が似合うよと言ってくれる。
もちろん、モテているわけではなくて基本的には友人としてしかみられないこともあるし、この身長にドン引きされることも多々ある。
けれども私は女になった。
ずっと女になりたかった。
ここまで拗らせるには他にもいろんな要因があって、自分に自信をなくして、自分を男に見立てることに逃げていたけど、もうそんな自分にはならないだろう。
さて、会場には駅メモのキャラクターである「でんこ」のコスプレをした人が、結構な人数いる。同人イベントはコスプレの発表の場でもあるのだ。
「え?駅メモキャラのコスプレって、女の子のキャラでしょ?なのに男がコスプレしてるの?え??」
と戸惑ってしまうかもしれない。ましてや、そのマコのコスプレをしている男性はそれなりの歳月を歩んでこられている、というか、まあ直接的に表現させてもらうと、それはもう完膚なきまでにおっさんである。疑う隙が存在しない、完全無欠のおっさんだ。
わかりやすく伝えるためにあえて直接的な表現をさせてもらったが、僕は決して完全無欠のおっさんが女装コスプレをしていることを馬鹿にしていたり不快に思っていたり否定しているわけではない。
実際僕は、おっさんがコスプレをしているキャラクター「マコ」が駅メモのキャラクターの中で割と好きなキャラである。しかし、その衣装をきたおっさんがいたところで不快な気分にはならない。むしろ、自分の好きなキャラが、衣装を再現して身にまとってしまうほど他の人にも好かれていることに喜びを感じるほどだ。
これはどうしても本当にオタク文化に触れてきていない人には理解しがたいものだと思う。だけど、そういうものなのである、としか言いようがない。
もちろんオタクの中にも女装コスプレやクオリティの低いコスプレを嫌悪するような過激派もいる。しかし色んなレイヤーさんが存在するのがオタク文化であり同人イベントだ。それすら楽しんでしまう度量がオタクには必要なのである。
(過度な露出やムダ毛のケアをしていない女装などは、規約違反になる場合もありますのでご注意ください)
そんなおっさんマコが本を買いに来てくれた。せっかくなのでおっさんマコに話しかけてみた。
おっさんマコ(以下、マ)「はい、そうです。マコ好きなので…」
僕「すごいですね!自作なんですよね?」
マ「ええ、半月前に思い立って、何とか間に合いましたよー」
僕「へーすごいなあ。僕もマコが好きなんですよ。見た目から入ったんですけど、性格も可愛くってどんどん好きになっちゃいました」
マ「そうなんですね!」
とまあ、なんとも心温まる駅メモer同士の交流を繰り広げたんですが、会話している最中、おっさんマコの「え、でも出してるのうららの本じゃん…」って視線が少し痛かったです。
そんなこんなでイベント時間は過ぎていき、ソロ参加となった僕はそれまで短時間、トイレに駆け足で行くことはあっても、他の方のスペースを見て回ることはできないで状況だった。
貴重品を持って、スペースも離席中とわかるようにしていけば問題ないだろうけど、ひょっとすると買いに来てくれた方が「何だいないのかー」で帰ってしまうかもしれない、という不安があったからだ。
でもまあ、イベントも後半に差し掛かり、そろそろちょっとくらい席を外してもいいだろう、と思いたって近所のスペースだけでも見て回ることにした。
先に挨拶を済ませていたフォロワーさんのスペースでキーホルダー買ったり、僕は人の駅メモ旅の記録を見るのが好きなので、そういった本や漫画をいくつか、足早に購入した。
もしも次また機会があれば、もう少しゆっくりと見て回ってみたいものだ。
さあ、いよいよイベントも佳境。ツイッターには撤退報告が散見されるようになり、近所のサークルさんにも店じまいを始めている方たちがいる。
即売会終了時刻は15時半だが、僕も15時15分くらいから片づけを始めた。
なんでもそうだが、お祭り騒ぎのあとは、いつもどこか寂しい。喪失感というか虚無感というか、「終わっちゃったな」って感覚が達成感とともに襲ってくる。
特に同人イベントは、即売会後すぐに撤収作業が始まり、あんなに人がいっぱいいたスペースがどんどん片付けられていってしまう。
本も、ポップも、ポスターも、タペストリーも、そして机も椅子も。そこにはもう、島中とか誕生日席だとか、壁サークルだとか流刑地だとかは、跡形もなくなってしまう。
僕は、少し感傷的過ぎると思いつつも、そういう状況がいくつになっても苦手だ。でも多分それは僕だけじゃなくて、誰でも少しは感じていることなんだと思う。
両替目的丸出しで入ったゲーセン、エナジードリンクにかすりもしないゲーム、会場までの道が不安なとき頼もしかったキャリーケースを引く人、ボカロ・スプラトゥーンの参加者と比べて年齢層は高くリア充感は低かった駅メモエリアのみんな、段ボールを見事にボールペンで開封するテクニック、本になってちょっとだけ上手に見えた自分の絵、センスのないサークルスペース設営、悲壮感のあるヤマト運輸の受付のような壁サークル、イベント開始前に「絶対買いたかった」と言ってくれたフォロワーさん、開場のときに沸き起こった拍手、「今は大手タイム…」のつぶやきに距離を開けられた両隣のサークルさん、見本誌を見ないで即買いしてくれる人、うららなら全部買うやべー奴、本なら全部買うやべー奴、とにかく全部買うやべー奴、見本誌をみてフッと笑顔になってくれた人、見本誌を見てもらっている間僕はどうしてればいいんだろう問題、ストラップの売り切れを悔しがってくれた人、中学の野球部のようなピュアな力強さを持ったうらら推しの人、おっさんマコの「この大ウソつき野郎!!」という視線、ゲットした戦利品。
その時はとても印象的で楽しかったことばかりだ。でも祭りの後にそれらを思い返すとき、どうしても感傷的な気分になってしまう。だけどそれはきっと、仕方のないことなのだ。そして、だからこそ、お祭りは楽しい。終わらない祭りはない。終わらない祭りなんてあったところで、それはただの日常でしかなくなってしまう。それでは、きっと、あの楽しさを、興奮を、ワクワクドキドキを、感じることなんてできなかったんだ。
そして、またそんな楽しさや興奮やワクワクドキドキに出会いたいから、そうじゃない日常を頑張っていかなきゃいけないんだよな。
僕は、すっかり片づけが進んでしまってガランとし始めた会場で行われている、アフターイベントのジャンケン大会を見ていた。イベント主催者と、景品を狙う参加者たちが一斉にジャンケンをして勝った人だけ残っていき、最後は参加者同士でジャンケンをして勝てば景品をゲットできる、まあ普通のジャンケン大会だ。
勝った、負けた、主催者がジャンケン強すぎて誰も残らなかった、そんな感じで大いに盛り上がって、みんな笑っている。その笑顔にも少し寂しさを感じてしまうのは、流石に僕が感傷的過ぎるんだろう。
ジャンケン大会が終わり、色紙抽選の結果発表で、僕の描いた色紙が無事誰かの手に渡ったのを見て、開場を出た。
ほんの気まぐれで、何年かぶりに本を作ったけど、これからまた、漫画でも描いてみようかな、と思えた。
おわり。
東京都に住むようになって15年近く経とうとしているし、何度も来たことのある街だ。
思えば初めて経験したアルバイトでの初めてのお給料を全て落として、電車代もないから家に帰ることもできず途方にくれたのもこの池袋だった。
5回くらいだけ通って嫌になって辞めたボーカルレッスンの教室があったのも池袋だった。
人生で初めて浮気をした相手とラブホテルに入ったのも池袋だった。
きちんと思いだそうとすれば、きっとまだまだあると思う。
今回はお金を落として途方に暮れているわけでもなく、身になっている気がしないボーカルレッスンに来たのでもなく、浮気をしに来たのでもない。そもそも僕にはしばらく恋人がいない。なぜだ。
ともかく、今日はいわゆる「位置ゲー」であるスマホアプリ「駅メモ!」の同人誌即売会、「フットバーしま~す!!9」(以下、フットバ9)に、サークル参加するためにこの池袋にやってきたのだ。
なお、ここから先の内容については、僕個人を特定されないために所々にフェイクが…というかもうほとんど創作の域に達するレベルでフェイクが織り込まれております。レポートとは思わないでいただきたい。フットバ9に参加してないくせに参加した体で書かれた妄想日記と思っていただきたい。やばい奴である。
フェイクのための設定が、偶然当日参加していた方にマッチングしてしまった場合はご容赦ください。できるだけそうはならないようにしてはいますが、リアルな雰囲気も欲しいため、当日会場で耳にした・目にしたことや、ツイッターで見かけたことなどを参考にして構成しております。
さらにそれを結構失礼な感じでいじっていたりするので、不快な気持ちになりたくない方はご覧にならないほう賢明です。
また、「駅メモ」や同人イベントはをご存じでない方にもできるだけわかりやすく書こうとは思いますが、キャラクターの名前などいちいち説明しているといくらなんでも大変なので、その辺はご容赦ください。
もちろん、フェイクがあるのは「ここから先の内容については」なので、僕にしばらく恋人がいないことは紛れもなく事実である。なぜだ。
朝家を出る前に、お釣りを用意するのを忘れていることに気が付いていた僕は、本来はダメなことではあるのだが、池袋駅から会場となるサンシャインシティの展示ホールまでの道中にあるゲームセンターで、両替をさせてもらおうと考えていた。どうもすみません。
立ち寄ったゲームセンターは開店直後ということもあってか、お客さんの数はごく僅かで、否が応でもキャリーケースを引きながら入店した僕は少し目立ってしまう。
同人イベントがよく開催されている池袋において、この時間帯にキャリーケースを引いて入店してくる人間は釣銭用の両替目的ですと自己アピールしているようなものだ。
僕は必死に取り繕おうと、UFOキャッチャーの景品のリラックマに顔をほころばせたり、エナジードリンクが景品になっているゲームの前で小銭入れを取り出して100円玉が入っていないことに気づいた振りをした。完璧な演技である。
もっとも、5000円札を入れ100円玉20枚と1000円札3枚に両替したのを誰かに目撃されていたら、
「エナジードリンクを手に入れるために2000円の投入を想定している男」
と思われてしまったかもしれない。同様の人を見かけた場合は、そっと優しくコンビニに行けば200円ちょっとで買えることを教えてあげて欲しい。
ともあれ両替を済ませ、退店する。本当にすみませんでした、ア〇〇ーズサ〇シャ〇〇店さん。
でも、一応何もせずに店を出るのは悪いと思い、エナジードリンクを狙ってみるかと2回ほどプレイしたのですが、1ミリたりとも惜しいと思える瞬間がありませんでした。この恨みは死ぬまで忘れませんよ、アドアーズサンシャイン店さん。
ゲームセンターを出て少し歩くと、サンシャインシティの入り口が見える。会場となるホールへはここからもう少し歩くので、初めて会場に向かう僕は迷わないか少し不安だった。が、僕の横を迷いのない様子で颯爽と通り過ぎて行ったキャリーケースを引く女性を見て、彼女についていけば安心だと確信した。オタク系のイベントに限らず、目的地までの道順に不安がある場合は明らかに同じ目的であろう人達についていけばいいだけなのである。同人イベントの場合、サークル参加者は高確率でキャリーケースを引いているのでなおさらわかりやすい。あと気持ち早足。
10時40分頃には無事に会場に到着。サークル入場証を2枚もらった。
本当であれば売り子をお願いしていた友人と一緒に来る予定だったのだが、友人の勤め先で集団食中毒が発生し、多くの社員が急な休みを取ったらしい。原因はどうも某社員の家で開催された飲み会が原因だったようなのだが、飲み会に誘われなかったため食中毒を回避した友人は、急遽フォローのために出勤することになってしまったのだ。飲み会には誘われないわ休日出勤することにはなるわで、可哀そうな友人である。
というわけでサークル入場証は1枚でよかったのだが、事前に引き換え用紙に必要数2枚と書いてしまっていたので、コミュ障な僕は何も言わず2枚受け取ってしまった。受付の人に「何コイツ。貰えるもんは貰っとくタイプの人?あさましい!」と思われてしまったかもしれない。
会場は思っていた以上に広かった。
同時開催であったボーカロイドのオンリーイベントとスプラトゥーンのオンリーイベントは、比較的サークル参加者も一般参加者も多い人気イベントの様で、3つのイベントの中で駅メモのイベントスペースは一番小規模だった。
しかし僕が入った時間はすでにサークル入場時間から1時間近く経っていたわけで、既に多くのサークルさんが到着しており、賑わいはボカロにもスプラトゥーンにも負けていませんでした。
(´-`).。o0(ボカロとスプラトゥーンと比べると年齢層が高くリア充度が低く見えるな)
おっと、すみませんなんでもないです忘れてください。
自分のサークルスペースに到着。俗に言う「島中」である。両隣のサークルさんはすでに到着していて設営もほぼ完了していた。
今日はよろしくお願いします、と軽く挨拶を済ませ、早速テーブルの下に届いていた段ボール箱に手をかける。今回僕が作った本が、印刷会社から会場に直接届いているのだ。
カッターを持って来ていないことに気づいた。段ボールを開封したり、不要となった段ボールを解体するためにも必要なアイテムだろう。今後機会があったら参考にしよう。
ひとまず、某倉庫でアルバイトしていた時に培ったボールペンで段ボールを開封するテクニックを駆使して開封。我ながら見事である。多分、今後機会があってもカッターは必要ない。
本はとてもきれいに印刷されていた。自分で描いた絵なのだから嫌になるほど眺めたはずなのに、きちんと本になっているとなぜだかちょっとだけ割増しでいい感じに見えた。
設営作業に入る。俗に言うサークル布を敷き、本を並べる。見本誌も用意する。そして、こちらも頒布するために用意した、駅メモのキャラクターをモチーフにしたバッジやストラップ、キーホルダーやシールを、ワイヤーネットを使って陳列する。ちなみにこれら、全部僕のハンドメイド品である。可愛い小物を夜な夜な生産するおっさん。絵的にはかなりきついものがあると思う。
いかんせんこういったレイアウトを考えるセンスがないので、自分でもだっさいなあと思いながらも、なんとか設営を完了した。
時刻は11時15分頃。ようやく少しだけ余裕ができたので、改めて会場を見回してみる。やはり、思っていたよりも広い。もう何年も前に某アニメのオンリーイベントに参加したことがあったが、その時の会場よりも全然広いような気がする。
サークルのスペースには、俗にいう「島中」「誕生日席」「壁」という種類がある。詳しい説明は省略するが、「島中」<「誕生日席」<「壁」の順で、サークルの人気度や知名度などがある程度現れている。
もちろんこれは絶対ではない。僕の主観も入っているし、あくまでも「そういう傾向がある場合がある」程度に思っていただきたい。
その中で「壁」に配置されるサークルを「壁サークル」と言ったりする。人気度や知名度が高いサークルで、そうなると当然作品のクオリティも高い場合が多い。
この「壁サークル」は、「島中」に配置されたサークルと違って、背後にある壁にポスターなんかを掲示することができたりするというメリットがあったりするし、「壁」に配置されることは大変名誉なことなのである。
が、しかし。
フットバ9の壁サークルのエリアは、島中や誕生日席が集まるエリアから若干離れているのだ。さらに、壁サークルの半分くらいはそこからさらに離れた場所に存在していた。
一般参加者がまだ来場していない時間、いくら知名度や実力のあるサークルとはいえ、サークルスペースの前に人が集まることはない。閑散としている。壁に貼ったポスターすらどこか悲壮感が漂っている。なんだったらヤマト運輸の受付と勘違いされかねない。
案の定ツイッターでこのエリアに配置されたサークルさんがもの申しててそりゃそうだよなって思った。
さて、いよいよ一般参加者の入場時間5分前、つまりイベント開始5分前だ。
この時、一人の男性が僕のスペース前にやってきた。
この方も僕と同じく一人でサークル参加されているようで、いざイベントが始まるとなかなかスペースから離れられないので開場前に購入しても良いか、と聞かれた。実際のマナー的なものはどうなのかわからないが、僕はとりあえず本が売れる喜びでOKした。ついでにキーホルダーも買ってくれた。
「宣伝見て、絶対買おうって思ってたんで開場前に来ちゃいました」
そしてすぐに一般開場。イベント開始のアナウンスがあり、サークル参加者たちが一斉に拍手する。僕もドキドキしながら拍手する。
やはりボカロ・スプラトゥーンエリアが目的の人たちが多いようではあるが、駅メモエリアにも早速人が押し寄せる。人気サークルの新刊や新作は、開始早々売切れる可能性もあるのだ。一般参加者はあらかじめカタログやイベントの公式サイトで目当てのものを探しておいて、開場後一番にそのサークルスペースに向かう。「走らないでください!」とアナウンスもあるほど、この開幕時の争いはそれなりに熾烈なのである。
僕がその昔、初めてとあるオンリーイベントに一般参加したときは、カタログをチェックするとかそういうことすら知らずに、ただなんとなく好きなアニメの同人誌が売ってる、くらいの感じで来場してしまった。そのため、開幕後のダッシュを目の当たりにして何が何だかわからず「とりあえずみんな急いでるんだからついていかないと!」って思ってついて言ったら全然興味ない作品のサークルに行きついた苦い経験がある。爆笑間違いなし。抱腹絶倒のエピソードである。今これを読んでいる方たちもスマホやPCの向こうで腹を抱えて笑っているに違いない。
さて、開幕して駅メモエリアにも一般参加者が流れてきているが、僕はというと過去のことを思わず思い返してしまうほど、ただ静かに座っていた。
開場して10分、15分が経過するが、僕のスペースには未だ誰も訪れない。
しかし、僕も過去にオンリーイベントではないが同人誌即売会自体には何度かサークル参加したことがあるから、さほど焦ってはいなかった。
開始直後に人が訪れるのは、大手サークルや人気サークル、もしくは同ジャンルのイベントに何度も参加していて、参加者同士で交流が多い人たちである。
今回駅メモのオンリーイベントに特に何の繋がりも盛ってない状態で参加した僕のサークルには、大手サークルで目的の買い物をあらかた終えた人が「さて、ブラブラと見て回りましょうかね」となるのを待たなければいけないのだ。
「今は大手タイム…今は大手タイム…」と心の中で繰り返していたが、少し口に出てしまっていたようで、心なしか両隣のサークルの方との距離が開いた気がした。
しばらくすると、予想通りチラホラと僕のサークルにも訪れてくれる人が現れ始めた。本やグッズがちょこちょこと売れていく。ものすごく嬉しい。
本を買っていってくれる人は2つのタイプに別れる。やってきてすぐ、見本誌も特に手に取ることなく「新刊1部ください」などと言って購入してくれる人と、見本誌を見た上で買ってくれる人だ。
前者はさらに4パターンに分けられるように思えた。以下の通りだ。
カタログや宣伝などを目にしていて、最初から買うつもりでいてくれた可能性はある。
まず売切れたりする可能性のある大手や人気サークルを回った後に、僕のサークルにきてくれた、というわけだ。
うららが好きだから、とりあえずうららが描かれているから買う、というのは大いにあり得る話だ。内容はどうだっていい。そこにうららがいるから買うんだ。
(´-`).。o0(ちょっとやべー奴じゃん)
おっと失礼、なんでもありません。
③ もうとりあえず本なら買うって人
会場では色んなサークルが様々な駅メモに関するものを頒布している。
漫画や小説、イラストなどの本や、キーホルダーや缶バッジや色紙、タオルなんかも売ってたりする。
そんな中でもうとりあえず本ならすべて買ってるっぽい人がいた。もちろん稀なタイプではあるが、一人ではないと思う。
おっとこりゃまた失敬、なんでもありません。
④ とりあえず全部買う人
(´-`)<間違いなくやべー奴じゃん
しかし、僕のサークルスペースがある島で、おそらく端から端まですべてのサークルでなにかしらを購入していた。両手を本やグッズでいっぱいにしながら。
と、まあふざけてはしまったが、買ってくれる以上僕にとっては大歓迎な、感謝すべき人たちである。
そして、後者の、見本誌を見た上で購入してくれる人。
この場合は、中身を見た上で購入を決断してくれているわけだから、ある程度の評価をもらえたのだと思うと、ノールックで買っていってくれた場合とはまた違う嬉しさがある。
もちろん、最初から買うつもりではいたけれども、一応流れとして見本誌をチェックしている人もいるだろう。中身が漫画なのかイラスト本なのかを確認しただけ、という人もいるだろう。
それでも、中身を見た上で買ってくれるというのは、なんだかちょっと嬉しいものなのである。
また、当然だが中身を見た上で買わずに去っていく人も多い。もちろん買ってくれるのが一番嬉しいが、意外と買ってもらえなくても、見てもらえただけで嬉しかったりもする。手に取って見ようと思える何かがあったのかな、と思う。
今回の本は、イラストを数ページ載せた後に4コマ漫画が数ページ、という構成であった。ペラペラとめくってくれている人の顔をこっそりうかがっていると、イラストのページを終えて4コマ漫画に至った後、少ししてふっ、と笑顔になってくれたりするときがあった。
勘違いの可能性もあるけど、4コマ漫画を読んで顔をほころばせてくれたのだろう。本の内容にリアクションをとってくれる人がいる、その事実が嬉しいのだ。
しかし僕は、見本誌を見てもらうことに、ちょっとした悩みがある。
僕のつたない画力が露呈してしまうということももちろんだが、個人的にはそんなの比べ物にならないくらいに、悩んでいる。
それは、「見本誌を見てもらっている間僕はどうしていればいいんだろう問題」である。
気まずい。とにかく気まずい。そしてやっぱり自分の漫画を目の前で見られていることが少し恥ずかしい。しかもつたない画力だし。
話しかけるコミュ力は持ち合わせていないし、そもそも見本誌をチェックしているのに話しかけられたら邪魔だ。かといって、何事もないようにスマホをいじっていたり何か作業をしているというのも感じが悪いように思えるし、あからさまにリアクションをうかがうようにじろじろ見ているのもなんだかプレッシャーを与えてしまうような気がする。
結果、僕はというと、「スッ…」である。
みんな、あの時間どうやって過ごしているのだろう。今度機会があったら気を付けて見てみようと思う。
そんなこんなで本もちょこちょこと売れていく。
僕程度の本でも買っていってもらえるのは、やはりオンリーイベントの恩恵だなと感じた。
そして、本よりも好調に売れていったのはグッズ類だった。
開始前にフォロワーさんが買ってくれたキーホルダーに続いて、本と一緒に買ってくれたり、グッズを単品で買ってくれたりで、初参加のサークルの割にはまあまあなペースで売れていたと思う。
「ストラップってここにある分だけですか?」と尋ねてきた方がいた。
「そうなんです、手作りで用意したので、数が少なくてすみません」と伝えると、ツイッターで見てリトのストラップが欲しい!って思ってきたんですけど…残念だ!と悔しがって、本だけ買っていってくれた。欲しがってくれたことがなんとも嬉しかった。
その後も、本もグッズも少しずつではあるが売れていった。
当日のイベント時間中もツイッターに写真を上げ宣伝をしていたので、おそらくそれを見て買いに来てくれているのか、まっすぐ僕のサークルスペースにやってきて、ノータイムで「○○ください」みたいな感じで言ってくれる人が多かった。
また、うららのバッジを買ってくれた人は本も一緒に買ってくれたのだけど、スペース前に来てまず「うららメインの本ですか?」と聞いてきた。「はい、うららメインです」と言うと、「じゃあ1部と、あとうららのバッジもください」とのこと。
思わず「うらら推しですか?」と聞くと、力強く「はい!うらら推しです!」と答えてくれた。中学の野球部かよ、と言いたくなるような、ピュアな力強さだった。
さて、会場には駅メモのキャラクターである「でんこ」のコスプレをした人が、 Permalink | 記事への反応(7) | 17:38