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はてなキーワード: 逆転現象とは

2015-09-04

うんこ我慢道

さなから胃腸が弱く、良く腹が下っていた。

もちろん今でも良く腹を壊す。深夜に泥酔してラーメンを食した翌朝など酷いものである。どのぐらい酷いかと言えば、ここに書けないほど酷い。

小学生の時分は、なぜか「大の方のトイレに入ると自動的コミュニティ晒し者にされる」という厳格なしきたりがあり、大きな方をぶりぶりっと出していると、トイレの壁をよじ上って誰かしらが覗いて来たり、偉大なるウンコマン誕生、登場を大勢で迎える。というのが流行していた。

もちろん、俺もその偉大なるウンコマンとして降臨したこともあれば、尊大なるウンコマンを迎えたこともある。

やがて中学生になり、異性への興味が花開く年頃になると、さすがに男子ウンコマンへ対する興味、情熱も薄れていくのだが、今度は授業中に腹が痛くなってしまった場合、好きな異性の目の前で「ちょっとトイレに……」と手を挙げて行くのが恥ずかしいという、なんだか今の日本人が忘れてしまった、恥じらいにも似た初々しい事態に直面するのであった。

そう言えば、中学教師に「ウンコに行きたい」というと「あと10分で終わるから待てないのか」と言われた記憶があるが、そもそもウンコを我慢出来ないからわざわざ手を挙げているわけで、終業まで待てる奴が「ウンコしまーす!」と手を挙げるわけが無いのである。思い出したら腹が痛くなって来た。

そうした甘酸っぱい春色の青春も終わりを迎え、受験の後、俺は男子校入学するわけであるが、男子校と言えばもともと肥溜めみたいな場所であるので、つまりウンコみたいなものである

休み時間、授業中に関わらず、勝ってくるぞと勇ましく、大手を振りながらウンコをできる環境に「これが大人ってやつか」としみじみ感じ入ったものである

そんな糞まみれのうんこ時代を過ごした高校生であるが、友達も居たし、彼女も居たし、いつでも気兼ねなく脱糞出来る余裕からか、胃腸の様子も少しは良かったように思える。

そして高校を無事にノー漏れ卒業し、死にたいくらいに憧れた華の都大東京上京することとなる。

3年ぶりに女性と同じ屋根の下で学ぶことになった専門学校であるが、もはや18年毎日行われた胃腸との対峙、対決の結果により向かうところ敵なしとなっていた俺に死角は無かった。

ただ、死角は無かったと言っても、腹は痛くなるので、この頃より将来の夢は「家で出来る仕事」となる。

また、このぐらいの年になると、車に乗って何処かへ行ったりと、遠出をすることが多くなるが、その時は、さすがの玄人である俺もかなり困った。電車のようにその駅ごとにトイレがあるわけでは無い。

冷静に自分の腹具合と相談しなければ、腹腹時計が爆発し、車中脱糞という壮大な悲劇と、ちょっとした喜劇が待ち構えている。

そんな時には、気管支炎喘息の症状を活かして多目にもらっておいた、リン酸コデインが役に立った。

この鎮咳剤は、基本的には咳を鎮めるためのものであるが、もうひとつ作用として、下痢止めがある。医者に処方される際に「便秘になる作用もあります」と言って処方されることの多いこのリン酸コデインであるが、正露丸も効かないロシア以上の胃腸を所持する俺に効く唯一の下痢止めと言っても過言ではない。

正確には、万年下痢なので、コデインを飲むと、その便秘作用と相まってなぜか丁度良い状態になる。という素晴らしい効果なのであるウィリアムバロウズ小説に出てくることもポイントが高い。

閑話休題

そうこうするうちに、あっという間に30歳を過ぎた。

ということは、もうこの胃腸との付き合いは30年を超えるわけであり、30年も毎日己の胃腸と向き合っていれば、それはもう健康問題どうこうというよりはもう「道」すなわち「タオである

脂っこいものを食せば下痢になる。これはもう宇宙自然普遍的法則、そして根源的実在であり、衆目の前で漏らして迷惑をかけないというのは、道徳的規範はもとより、美や真実の根源なのである

30を過ぎた頃から「屁だと思ったら実だった」というちょっとした逆転現象が起きることが多くなって来たように思える。

ベテランだと思っていたウンコ我慢道も、まだまだ知らないことばかりである

頑張って生きていこうと思う。

2015-06-15

10

帰省して棚を整理してたら中学生の頃の通信簿とかテストの成績とかが出てきて、

閉鎖的な学校相対評価制の内申点(通信簿)に苦しめられた中学思い出がよみがえったので書く。



通ってた中学校は既に過疎化による統廃合で廃校になったけど、

当時は1学年30人ちょっと田舎公立中学校で、俺のような途中加入のよそ者以外は基本的に全員が保育所中学までずっと一緒、

田舎では起こりがちなことだけど、後にサラっと東大京大に行くような子からちょっと学習障害のある子まで全部いっしょくたな感じの教室だった。

俺の学年はたまたま勉強が得意な人と苦手な人ではっきりと二極化していて、人数分布が平均点を挟んで上と下にきれいに山が二つできているような状態だった。

学年全体の平均点は55点ぐらいだけど、30人のうち上位15人に絞ると平均点は88点!みたいなこともあった。

そんな状況だったけど、最初に書いた通り当時その地域は内申点の付け方が相対評価制だったので、

10段階評価で、1学年内で10が付くのは1人だけ、9も1人だけ、8が2人、5位以下は問答無用で7以下がつくというシビアさだった。

同じ学区のもう少し大きい中学校で同じテストの点なら、間違いなく9か10、みたいな生徒にも頻繁に7や8がつけられていた。

その結果クラス内には、テストの結果だけ見ると志望する高校どころかさらにワンランク上の高校でも余裕で合格圏内なのに、

内申点が志望校基準とされる点にはだいぶ足りず、学校側は前例に則って内申点を基準にして進路を指導するので、志望校ランクを実力から大幅に落とさせられる人が続出していた。

(三者面談教師がOKを出さないと受験が許可されない風習があった。)

ちょうど自分達の2学年下から制度が変わって内申点が絶対評価制になっていたのもあって、余計に制度に対する恨みの声が強く渦巻いていた。

これに関しては何人もの同級生が、将来的な進路を割と歪められたんじゃないかと今でも思っている。



そして、これもまたありがちなことに、教科担当教師の覚えがめでたいかどうかで内申点が上下する傾向もかなりあった。

前述の通りテストの点数が拮抗していたので、「授業態度」「積極性」みたいな部分に対する先生のさじ加減で簡単に順位が入れ替わる感じだ。

ひどい教師は「この子は親が教師から」みたいな理由日常的に謎の加点をしているフシすらあった。

俺はというと、1年生の時点で

入学してきた中に一人だけ知らない顔がいる、見慣れない転校生め、チビのくせに生意気だ」と複数の上級生に一方的に目を付けられてしつこく絡まれていた。

けれどその内容が

・聞こえるように俺の趣味馬鹿にする

・掲示されている俺の写真を傷つける

・持ち物をちょっとだけ移動させて隠す

・睨んだ、ガンを飛ばしたと因縁をつけて胸倉を掴んで威嚇する

といった程度の幼稚かつしょうもない嫌がらせばかりで、大して実害がなかったので全て無視して放っておいたにも関わらず、

俺が黙っていても目撃した同級生がまた素朴で素直で心根の優しい子たちばかりで、

何かあるとすぐに先生に報告していたので、しょっちゅう事情聴取の為に職員室に呼び出されていた。



そういうことが続いていたので他に問題らしい問題がない平和学校内では目立っていて、入学早々に職員室内で問題児認定されていたらしく、

「校内唯一のいじめターゲットになるからには被害者にも相応の原因があるのではないか?」(転校生で物珍しかっただけだと思う)

部活動でも上級生との間にトラブルを起こしている」(絡んでくる上級生のうち数人が部活の先輩だった)

「校内トラブルについて指導すると、反論したり納得のいっていない様子であることが多い」(俺の趣味レゴブロックであることを教師にとやかく言われる筋合いなんかねーよ)

いじめられても泣きも怯えもしない、校内で自分けがいじめられているのに萎縮・反省している様子がまったく見られない」

増田くんと話していると、感情の欠落した異常なモンスターと話しているような気持ちになる、なにか精神的に異常があるのでは?」

「上級生とトラブルを起こす頻度が他と比べて突出して高い、すなわち問題行動の多い生徒であり、他の子に悪い影響があるのではないかと危惧している」

と、クソ担任からハッキリと上記のようなことを最初面談で言われて、ブチ切れた母親反論したことで、

学校教師反論したり反抗的な態度を取る、問題のある家庭」

として親子ともども学校から致命的なまでに嫌われてしまった俺の内申点は、上級生がいなくなっていじめがなくなった3年生になってもそりゃもう見るも無残な様子だった。



特にひどかったのが、生徒指導担当部活顧問もしていた教師担当していた理科で、

日ごろから妙にキツく当たられたり、「授業」で忘れ物をするとなぜか「部活」を辞めるかどうするか選べ!とか怒鳴られたりして、

別にやりたくもないのに人数が少ないので強制的に何かの運動部に入らされていただけだったので、

「え、辞めていいなら辞めたいんですけど、いいんですか?」って返事したらどつき倒されたりするっていう調子で目を付けられていた。

当然テストが割と良くても7以上の成績はまったくつく気配がなくて、3年2学期、内申点として提出する最後の学期に、

定期テスト中間で96点(2位)、期末で98点(1位)を取って、今回はさすがに9か10が付くと思っていたら、通信簿を見ると「6」がついていた。

ちなみに、中間90点(4位)、期末89点(7位)だった親友のD君は、その時「8」がついていた。

さすがにこのときはあまりにも納得がいかない、と教師確認しに行ったが、

「ほら見ろコレ、増田宿題2回も忘れてる!Dは1回だけ!そういうことや!以上!」と追い出されたので、

宿題1回分+授業態度でこの逆転現象が起こったのだと判明した。どう考えても普通じゃない……と思う。

その後、他の子とも成績を見せ合っていたら、テストの点に対して不自然にその教科でいい成績をもらっている子がいて、

要するに、低めの内申点でいける高校受験する生徒の内申は適当理由を付けてガクッと下げておいて、

少し背伸びして受験すると三者面談で(親が)ゴネた(親が教師の子は、進路相談時に多少無理がきいたそうだ)生徒の内申を、

その学校必要ラインとされるあたりまで上げるための順位操作的な工作が行われたのだろう、ということが容易に想像がついた。

まりにも露骨に手心を加えているとしか思えない成績に嫌気がさして、見返してやりたくなったので、

もう内申点としての意味はない最後三学期過去に例がないほど熱心に勉強して、提出物を全て出した上でテストで98点(1位)と100点(1位)のスコアを出して、

「今回は宿題全部出してますよね?」と事前に念押ししてみたら、最後最後理科で初めて「10」が通信簿に並んだ。

という思い出深い「10」のハンコを見て色々と思いだしたので書いてみた次第。

こういうの、今は知らないけど一昔前は結構よくあったことなんじゃないかなあ。

ちなみに「お宅の子精神異常者じゃないんですか?」とか親に言いたれやがったクソ担任は今もどこかで教師をしているらしいし、

理科教師に至っては生徒指導の実績が評価されて出世し、母校が廃校になって統合された後の中学校教頭をやっているらしい。

噂に聞く限りでは、現場にいない分直接的な害は当時より少ないみたいだけど、

相変わらずいろんな不幸をまき散らしているらしく、ほんの少し都会寄りで「先生の言うことは絶対」なんて思ってない地域父兄や生徒からの評判はすこぶる悪いようだ。

2014-12-29

年収1,200万層と年収1,500万円層の、子弟学力逆転現象

東洋経済の3か月前の教育特集に載ってた記事だが、「年収1,200~1,500万円の子供」の学力の方が、「年収1,500万円以上の子供」の学力より高かったのが興味深い。

 露骨に書くと、「東大クラスは1,200万円クラス部長が多く、慶応クラスが2,000万円の経営者クラスが多い?」ので、それが子に遺伝した?

★単に収入面だけだと、白い巨塔大学医学部教授って、そんなに「儲からない」。せいぜい年収1,000万円でしょ?

 ※しかし、製薬担当者からバックマージンが巨額・・・おや、誰か来たようだ

東大理科3類な人々って、生涯年収が3億円に達したら、それ以上の上積みはあまり望んでないような気がする。

 それより権威と名声を望む、的な。

 藤沢数希的には「頭がいい人間こそ、10億でも100億でも目指せ」と嘆くところだろうが、第一使いきれない

東大理科3類出身者平均より、文科2類出身者平均の方が、生涯年収は多いんじゃないか、と思う。

 文科2類>文科1類>理科3類>=理科1類>理科2類>文科3類、な感じだろうか。

2014-12-15

一話で一年すすむ2クールアニメを見てみたい

主人公女の子最初の0話で生まれ(0歳)、最終話の25話(25歳)で結婚するような話(以下、ややこしいので話数は0話始まり、つまり話数が主人公の年齢と同じ数字とかんがえる)。

今まで、同じアニメ内で海に行く話やクリスマスの話など、季節系のネタをやるというのはよくあったけれども、もし一話で一年進むアニメがあるとすると、同じアニメの同じキャラクターによる小中高の入学式修学旅行卒業式、はたまた七五三成人式などの年齢にとらわれる時期ネタというのができる。

さらに、主人公が成長していくという成長アニメはよくあるけれども、もし一話で一年進むアニメがあるとすると主人公内面だけでなく、外見まで成長していくアニメということになる。そんなアニメはなかなかないと思うし、主人公の成長を父性的・母性的な感覚で見守るように見れるアニメになれるのではないかと思う。

「30分アニメで1年を描くということは、2分~2分半で1ヶ月分を描くということか? そんなの無理だ!」と思われそうだけど、そういうわけではなく、1年の中でメインとなる話を2,3抽出してその話を主に描くというイメージ。例えば7話(7歳)なら、小学校入学ネタ七五三ネタの2つをメインにもってきて、他の時期の話は短い時間で簡単に描くという感じ。サザエさんだって30分の間に3話分やってるし、現在放送中のアニメ、『デンキ街の本屋さん』の10話ではバレンタインホワイトデーを両方描き、さらにその前の9話のCパートではクリスマスの話をやっていたので、これだけで30分で数カ月分描けるということが分かる。

それでも、「その話は1話で数ヶ月じゃないか! 1話で1年なんて無理だ!」と思う人もいそうだけど、『琴浦さん』というアニメの1話では最初10分で15年を描いたので、30分で1年ならもっと余裕をもって描けるだろう。他に思いつくのは、映画だけど『おおかみこどもの雨と雪』は2時間で13年間を描いていた。

そもそも、自分がこういうアニメを見てみたいと思ったきっかけは、30秒で60年ほどの年月を描いたディズニーリゾートのCMを見たからであって、30秒で60年が描けるなら30分で1年も十分にできると思う。

さらにいうと、1話で1年進むというのは自分アニメぐらいでしかできないのではないかと思っている。実写ドラマでは無理だ。数年後みたいにいきなり話がとぶのではなく、前回の話の終わりと次回の話の始まりの間隔は数ヶ月しか差がないので、いきなり年齢にあわせて役者を変えるとなると非常に違和感があるだろう。やるとするなら、26年間の撮影必要になり、非現実的だ(ハリウッド映画の『ボーイフッド』という作品は、12年かけて撮影してたというから、もちろんありえなくはないが)。

では、漫画だとどうだろう? 漫画でもできなくはないが、場面転換が少し多くなるので難しいのではないかと思う。4コマ漫画ならできなくはないかもしれないが、個人的シリアスな話も入れて欲しいので4コマ漫画はあわないのではないかと思う(『琴浦さん』を例にあげといてそれはないだろ! とセルフツッコミ)。小説はできるかもしれないが、内面だけではなく外見の成長が大事作品となるのでやっぱりあっていない。

シミュレーションゲームアドベンチャーゲームならできるかもしれないが、操作が面倒だ。

もちろん、だからといってアニメだったら簡単にできるというわけではない。他のアニメ作品と比べると、主人公を演じる声優は0歳から25歳までを演じ分ける必要があり、非常に難しい役どころとなる。主人公女の子と考えたのも、男だと声変わりがあるので無理だと思ったからだ(こんなこと言うと、野沢雅子ならできる! とか、緒方恵美ならできる! 山寺宏一なら! 石田彰なら! とか言われそうだけど)。キャラクターデザインも同じく0歳から25歳で描き分けなければいけないので大変だろう(女の子なので身長だけでなく、胸の大きさも重要になってくる)。作画原画担当としても、主人公が描き慣れるということもないため、他のアニメと比べて難しいだろうと思う。だけど、それでもやっぱりアニメしかできない話だと思うので、やる価値は十分あるだろうと思う。

話の構成としては、0話で誕生し、3話か4話で幼稚園入園はじめてのおつかい、6話で卒園、7話で小学校入学七五三12話で修学旅行小学校卒業、13話で中学校入学、15話で卒業高校受験、16話で高校入学、18話で卒業大学受験、19話で大学入学自動車免許取得、20話で成人式、21話インターンシップ就活、22話で卒論23話で就職、25話で結婚という感じ。

上記で書いてない話は、他のアニメでもよくある水着回温泉回、はたまた季節系イベントクリスマスバレンタイン回をつければいいし、最終話結婚の話なら結婚相手との出会い告白の話も必要になってくるだろう。

シリアスな話を描くなら、ちょっと遠出してみたら迷子になる話、仲の良い友だちの転校、交通事故失恋就職難、それと25年も生きていれば身近な人の誰かは亡くなると思うので、葬式の話をやるのもいいと思う。

後、女の子の成長を描くうえで個人的にかかせないと思うのが初経の話。初経の話といえば、ないしょのつぼみだと思うのだけど、あれが小学校5年生の話なので、11話ぐらいになるだろうと思う。ただ、1クール目の最後の話は12話になるので、12話のほうがいいかもしれない。ただ、そうなると修学旅行卒業の話と12話にいろいろな話を詰め込む必要があるので難しいか。いや、修学旅行の話は前半でさっさと終わらせて、後半で初経と卒業ネタを織り交ぜた話にすれば・・・。少なくとも、2クールではなく、1クールになるようであればそうすべきだろう。

なんてことをよく妄想しているのだけれども、自分には2クールアニメを作れるような金も人脈も能力もないし、将来それらが身につく未来も全くもってイメージできないので、その事実にふと気づくと落胆する。なんとかして実現できる方法はないかなと思って、調べてみると、アイデアをだせばそのアイデアを実現することができるかもしれないクラウドファンディング Dmet idea というサイトを見つけたのだけれども、なんだかこのサイトで求められているアイデアと違う気がしてだしてない。一番可能性がありそうなのが、小説として書いて人気になってアニメ化するという展開になることだけど、先ほども書いたように小説向けではないと思うし、文才もない。何より、自分場合、確実に最後まで書けない。

本当、仕事中にふと、(13話はこういう展開にすると面白いではないか。それと、結婚相手は子どもの時に出会ってたという話にしたら面白い。だから9話はこういう話にして・・・)なんてことが頭に浮かんで困っている。

最後に、自分はそんなにアニメに詳しいわけではないのでもしかしたら知らないだけですでにあるかもしれないので、もしそういうアニメがあるのなら教えてください。

2014/12/16 8:25追記

うそう、一つ書き忘れたことがあった。キャラが歳を取らないサザエさんなんかでは、「いつの間にかカツオより年上になってた」なんて言われることがよくあるが、一話一年アニメとなると、「こないだまで自分より年下だったのに、いつの間にか自分より年上になってた」という逆転現象が起こる。こんなアニメはそうそうないんじゃないかと思う(とはいっても、自分子どもの時は、ドラゴンボール孫悟空がいつの間にか自分より年上になっていたが、それはちょっと違う)。というわけで、例えば『渡る世間は鬼ばかり』は自分の思うイメージと違う。

後、いくつかトラックバックブコメを頂いたのでちょっと返信する

・「主人公の成長を父性的・母性的な感覚で見守るように」と言いながら

女の子なので胸の大きさも重要」だの「水着回温泉回」だのと言ったエロ目線も当たり前のように加わっていて

「父親になったつもりで疑似娘と近親相姦したい」と言う願望丸出しできめえ

確かに、「水着回温泉回」という例をだしたのは少し浅はかだった。個人的にはそういう展開は他のアニメでも求めてないが、ニコニコ動画2ちゃんねるコメントを見てるとよく求められてる印象があったので、例にだした。

ただ、そもそも、『エロ目線』といわれるなら、『初経の話』のほうだと思ったのだけど、そちらのほうに触れられていなくてちょっと驚いている。

結婚女の子人生のゴールみたいな言説は嫌いだよ

こういうこと言われることは考えたけど、ある程度キリよく考えたらそこを最終話にするのがいいと思った(自分だって結婚がゴールと考えてるわけではない)。人生のすべてを描くために80話ぐらいやったら確実に後半マンネリ化するだろうしね。

浦島太郎とか

いや、それは違う。最終話で「数年後」となる話とあまり変わらない。

アニメではないけれど、「ハリーポッターシリーズも1作で1年だった。映画も2年に一度くらいのペースだったので、ハリー役の役者が成長していて時間を感じることができてたなあ。

なるほど。ハリーポッターは確かに近いかもしれない。読んだことないけど。

商業作品ではありませんがコミティアクロニクル第一集に掲載されてるおーみや先生の「余命100コマオススメですよ。

ありがとう。探してみる。

2014/12/17 0:40追記

帰ってきたら100ブクマ超えてた。こういう作品を見てみたい人が多いんだろうな。と思っていいのだろか。ブコメ見てると似たような作品の紹介コメントが多そうだけど。

以下、気になったブコメの返信。

・リチャードリンクレイターの「6歳のボクが大人になるまで」と同じコンセプトですな。

映画だけど、6才のボクが、大人になるまで。面白いんじゃないかな

これは、本文でも言及した、『ボーイフッド』のことですね。見てませんが自分ちょっと気になってます

小学校入学から1クール」ならまだしも、乳幼児期の1話2話を親馬鹿動画じゃなく鑑賞に耐えられる展開にするの

自分イメージでは、最初のうちは、母親がほぼ主役的立場という感じでいいと思ってる。特に0話は特別な数値だし、母親が主役だから『0話』としたといろいろいいわけがつく。

・2クールも要らないよ。5歳から1クールで充分ですよ。

・それだったら小学生以下を無視して13歳~25歳で1クールのほうがよくないか、とも思う。キャラクターデザインも中、高、大、社の4種類以下で済むし。

キャラデザ予算など課題はあるけどアリだと思う。でも小学校入学から高卒までで1クールにした方がいい。赤ちゃん園児時代は回想で充分だし。

1クールだと誕生小学校卒業までだと思ってたけど、そうじゃない案が多いのか。意外。

これなんなんだろ、と思ったら「手軽に「娘の結婚式に出るのお父さん」の気分になりたい」なのか。なるほど。

確かに、そういう感じかもしれない。ブコメの中では一番的を得ているコメントだと思った。

アニメ業界流行り廃りとかテクノロジー進歩歴史になりそうだ。

いや、個人的にはテクノロジー進化は描かなくていいと思ってる。ガラスの仮面名探偵コナンみたいに、作中の時間ではさほど時間がたっていないのに、最初の話では携帯電話なくて、最近の話では携帯電話があるという話があるけど、その逆。近年の0歳~25歳を描くイメージ(できるだけ普遍性はもたしたほうがいいとは思うが)。

一話一年って縛りだからつのイベント最大20分で決着付けなきゃいけないじゃん。尺とれば面白くできるような話もぶつ切りみたいになって絶対まらないと思う。

そうかな? ドラえもんちびまる子ちゃんだって30分の中で2話やってるけど、面白い話も多いよ。もちろん、自分が考えてるストーリー構成案もある程度話題になるとは思うけど、多くの人に面白いと思ってもらえるかどうかは自信ないけど。

一話ごとに「大の仲良しの○○ちゃん」が入れ替わったりする話に、果たして視聴者がついてこれるのか。

いや、一年で大の仲良しの友だちがそうころころ入れ替わるとも思わないし、入れ替わらない話にすればいいだけだと思う。

今回、いろいろブコメでいろんな作品が紹介されていて、でてくるかな? と思ったけどでてこなかった作品で、小学3年生から小学6年生までを描いた50話で1年進む『おジャ魔女どれみ』という作品が昔あったけど、あれだって友だちは入れ替わるわけじゃなかったし(増えはしたけど)。話それるけど、おジャ魔女どれみの続編(高校生編)のライトノベルは気になってるけどまだ読んでない。

2015/04/05 0:07追記

誰も見てないと思いますが、小説家になろう小説として書き始めることにしました。

一話一年物語

2015/04/11 23:28追記

から気になっていたアニメ制作舞台小説の『ハケンアニメ!』を読んでいると、一話で一年進むというアニメがでてきました。

ハケンアニメ!

まあ、こういうアイデア結構な人が思いつくのかもしれませんね。どこかのアニメ会社が作らないもんだろうか。

2014-10-09

「読解力」の終焉と新時代の幕開け

近頃盛んに聞くのが「読解力」という言葉である。いわく、今の時代読解力は大事だよと。

翻ってネットでは相手の読解力を非難する声が多く聞かれる。これに不自然さを感じる向きも多いであろう。

そもそも以前から「読解力VS文章力」とも言うべき対立は存在した。「お前の文章下手すぎ。日本語でおk

「いやお前の読解力がなさすぎ。日本人か?」などという実にくだらない争いがちょっと油断すると勃発するのが近年のネット社会である

しかし、私に言わせればそんな対立など時代遅れも甚だしい。時代に取り残された過去遺物である

私見では読解力という言葉は近年ますます意味をなさなくなっているのではないかと思うのである

それは読解力を測定しようとすると文章力問題が切っても切り離せないからというのもあるが、そもそも読解できるのは

文章の前提知識の有無に大きく依存する。しかるに、万人にフェアな読解力の測定など土台困難というものだ。

そうなのだ所詮は、読解力などというもの通俗的な用語にすぎないのだ。そもそも、読解力よりも一般化した概念

である「頭の良さ」というのも甚だ曖昧概念であることが、昨今の知能研究で具体的に明らかになりつつある。

世間でいわれる頭の良さとは、常識的シチュエーション常識的な反応を返せるか、そのことを言っているに過ぎない。

数学の難しい問題を解く」といった常識外のシチュエーションなど関係ない。数学のできる奴なんかよりは、

算数暗算ができる奴のほうが余程「すごーい」と女の子から賞賛される。それが悲しい現実なのだ

所詮はそういう常識的観点から頭の良さが判定されているにすぎない。これを「ファッション知性」という。

読解力も同じことで、「ファッション読解力」が世間では試されているにすぎない。いや世間だけではない。

学問世界での読解力も、また学問世界での常識というものがあり、それを満たしているか判断される。

決して学問という高尚な世界から、読解力も高尚に測定されるというわけではない。これを常識相対性ということができる。

しかし、幸いなことに、文化相対主義なんて古めかしい理論を引っ張ってくるまでもなく、

常識相対的だというのは我々の新たな常識となりつつある。これも時代の流れというものだろうか。

LINEを始めとする新時代コミュニケーションツールは、我々の情報環境に新たな複雑さを付け加えた。

結果、若い世代人間ほど複雑に入り組んだ人間関係の中で、うまく常識を使い分けてやっていく術を

身につけている、という奇妙な逆転現象が生じ始めている。新世界において読解力は所詮それぞれの

コミュニティに応じた空気を読めるかという能力に過ぎないことが理解されるようになった。

新世界では、自分所属しているコミュニティ空気を一通り理解できるだけでなく、所属コミュニティ

がどんどん流動していくので、その都度新たに加入したコミュニティ空気を読めることが求められる。

流動性のない「棲み分けから流動性ある「棲み分け」へ。我々日本人生活環境は、

いよいよ多民族国家アメリカにおける多文化共生に近づきつつある。

2014-10-06

腕時計を値段で買うことについて

ぼちぼち来春の就業を控えている学生さん達が、社会人装備を揃える時期に近づいているし、

クリスマスだの年末年始実家だのでもプレゼントで貰ったりするかもしれないので、

リア充爆発しろ。じゃなかった、装備品でも特に高めの腕時計についてちょっと言っとこう。

高いから良いものではないし、その装備品オプションだよ、という点についてね。

まあ、例の時計屋関連のコメントの件な。

腕時計は、高ければ高いほど価値がある」は嘘

まず、「これは高かった」という話が下品だっていう感覚は、持っておこう。

次に「高いから良いものだ」という発想は、骨董品でダマされる爺さんと同じだと言うのも基礎になる。

tpro business

腕時計はもはや実用品ではない。宝飾品は値札に価値があるのであって、安くしたらダメ

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機械式腕時計なんてもんはもはや高いから意味があるもんであって、安くなったからといって需要が増えるとは思えんねえ。

http://b.hatena.ne.jp/entry/ascii.jp/elem/000/000/939/939920/

この手の「宝飾品は値札に価値がある」という価値観は、セールストークであって「売る側の都合」というのは抑えておこう。

宝飾品には3つの方向性があるので、少しその話をする。

投資対象

例えば、ダイヤモンド

3.0カラットカラーがHで、VS2クラリティとなると、おおよそ200万程度の価値がある。

これが、4.0カラットになると、400万ぐらいだ。

(VS2は、一般人がお目にかかれる最高レベル程度。I3なんかだと4.0ctでも150万くらいだったりする)

つまるところ、金の延べ棒なんかと同じでインフレデフレ無関係な、一定価値を持つ資産としての意味合いだ。

突如政変が起こりました中央銀行の都合でインフレします、みたいなのに影響を受けないための、防衛的な意味合い資産

一般人にはあまり関係がないが、客観的価値は知っておいても良いかもしれない。

魔除けや権威の誇示

有名なところで言えば、シータが身に付けていた飛行石のペンダントだろう。

魔除けであり、王家の証としても意味を持っている。(劇中ではもっと他の価値があるけど)

例えば軍人は略章・略綬として、「勲章を持っている」事を示す小さなリボンをつける習慣がある。

大抵の軍隊では左胸に付けているが、これには金銭的な価値は無いしファッションでもない。

アメリカにおけるパープルハート章の様に、その授与歴は名誉を示すものだ。

まあ、十字架ネックレスミサンガ等なら、馴染みもあるだろう。

この権威の一手段として、希少な宝石を用いる事があった。

ファッションアイテム

簪や櫛、カフリンクスからネクタイピン、メガネマフラーベルトに手袋と、

ファッションアイテムとして身に付けるものは数多い。

そのカテゴリーとして宝飾品がある。

これは権威を示すのでも魔除けでもなく、センスを示したり何かを表現する為に身につける。

ファッションアイテム権威の間で

腕時計がもはや実用品ではない、というのは一定説得力がある。

まあ、メッカの方角を示すクォーツ時計なんていうヒットした実用品もあるし、

スポーツウォッチなんかの実用品として使われている分野もあるけど、

腕時計というのは、宝飾品として位置づけられていると言って良い。

では、先の3分類のうち、どれだろうか?

現代一般的日本人は、ファッションアイテムか、権威の誇示のどちらかだろう。

(私は魔除けとして水晶腕時計を身に付けている!と言う人は少数派だろう)

ここに不幸な逆転があって、特に日本男性社会人にとって、権威価格に求めることがある。

高いから偉い、という不幸な逆転現象だ。

少しだけ寄り道。芸術品として

腕時計には宝飾品としてではなく、芸術作品としての側面もある。

美しい機構があり、それを組み立てる職人が居て、その作品性を買う、というパトロンがいる。

これは、布に塗料を塗りたくった「絵画」に価値を見出す人間がいるのと同じだ。

投資対象に似ているが、若干方向性が異なる。

これから大事になすって下さい

みんな大好き『なんでも鑑定団』の中島誠之助さんは、値段が低かった壷や皿に対しても、大事にしてねと言う事がある。

粗悪なコピー露骨な偽物には嫌な顔をするが、数が多い人気がない市場で売れないものに対しては愛を持って接する。

これは、「良いもの」と「市場価値があるもの」とに差があることが解っているからだ。

同じように、本来「良い腕時計」と「高価な腕時計」とは、独立概念のハズなのだ

ファッションアイテムとして、スーツに似合うベルトや盤面を選び、他の装身具(カフリンクスネクタイピン)との調和が大切であって、

品質が良く手入れが頼みやすく、好みの形があるからという理由で「結果的に」高価であることがある、というだけのハズなのだ

機械式腕時計とは「嗜好品である

湿度が高く夏暑いからベルトでなくメタルにしようと考えた時点で、それは実用なのだ

同じように「社会人なら10万円以上の腕時計は付けないと」みたいなバブルを引きずる親父の意見無視して良い。

さっき、ファッションアイテムとして選ぶと結果的に高くなるという話をしたが、実はファッションは外見なので、クォーツで良い。

なぜ「機械式」なのかという理由は、それが「嗜好品」だからだ。

チチチと着実に動き、秒針がスムーズに流れ、週に数分ズレたとしても、その歯車の塊を腕につけることが楽しい

冠婚葬祭接待の時に、古い知り合いからもらった昔のオメガを付けることがあるが、やはり場にすんなりと馴染む。

油を挿そうが調整しようが日に3分はズレる時計だし、中古でも大した値段じゃないが、自己満足できる。

その意味で、実用的な品質で、つけていて楽しくなるような機械式腕時計が手頃な価格で手に入るのであれば、それは喜ばしいことだ。

まとめ

機械式腕時計は、実用品ではなく嗜好品である

嗜好品を値段でしか語れないのは、下品な上にセンスが無い。

値段や希少性を無視した上で好き嫌い判断できる事が、大人の階段一歩目だと、オッサンは思う。

キッコーマンの卓上醤油瓶は、量産品な上に低価格だが、低級で低品質だとは思わない。あれは良いものだ。

2014-07-04

http://anond.hatelabo.jp/20140704162706

俺の入った大学OB系の奨学金企業系の奨学金が充実してたからな

100種類以上あったので選ぶのと試験受けるだけでも超大変だったが

地方で探したらそりゃ無いだろ、大学で探すもんだ

その上で、多少の学力悲惨なほど困窮してる家庭の出であればイッパツだよ

片親+生活保護役満だった俺は緊急扶助系すらとれた

これは不思議逆転現象で「中途半端貧乏人」が一番辛いんだよな、学費系は

ついでに言えば、一種の奨学金学力もそうだがどっちかと言えば世帯収入要件が強い

貧乏人なら最悪、1種2種併用で月12~15万は確保出来る。国立ならこれで十分だろ

政策金融公庫の教育ローンは更なるザル融資

金利2%と奨学金系よりは高いが、まとめて確保して流動性を得られるのは強い

奨学金全般に言えるが、学生ってだけでこんだけ低利のカネが確保出来るんだから

カネがあろうが無かろうが、融資枠目一杯まで確保しとくべきだ

奨学金起業もそうだが、カネ引ける場所は一杯あるのに皆何故気づかないのか

意味がわからねぇ。

借金なんて最悪バンザイしちまえばなんとでもなるもんだし、

教育を受ける機会を遺失することに比べたらリスクでもなんでもないだろ。

運と学力収入要件がある給付系は除いて考えるにしても

奨学金1種+政策金融公庫の学費ローンで、入学前に350万+月々10万以上が

0~2%の利率で引けるんだから、使わなきゃ損だろ。返せなかったらその時考えればいい。

2014-03-28

http://anond.hatelabo.jp/20140328103206

べつに売りスレ住人じゃないけど

好きなアニメが売れたら「おーそうか嬉しいな、おもしろかったもんなー」ってなるよ。

二期がどうとか以前に、単純に、自分の好きなもの世間に認められたらうれしい。

結局大元は「自分感受性の追認」を求めてんだと思う。

自分面白いと思ったものが、他者にも価値があると認められる」ていう一番わかりやすい確認方法が売上だ。

これが進行すると、今度はアニメ自体よりも、「価値があると認められる」快感の方が中心になって

「売れたアニメが好きなアニメ」っていう逆転現象が起こったり、売りスレ住人になって終わらない戦いをしてたりする。

売上で追認を得られない人だと、売上以外のところに「追認」を求めて

硬派厨になったり(萌えアニメを一段下に置くことで自分感受性を追認する)、

高尚厨になったり(自分の好きなアニメ価値があることを理屈で説明づける)、

サブカル厨になったり(むしろ売れることは価値が低く、マイナーであることが価値であるとする)、

売りスレ住人を見下したりする。

2014-02-16

http://anond.hatelabo.jp/20140216232817

今の日本って、景気が悪くなるほど応募者の学歴も下がっていく逆転現象が起きるのよ

景気が悪くなればなるほど、高学歴な人ほど安定を求めて大企業殺到してしまって、しかもあぶれた人は中小企業なかなか降りてこない

このご時世では高学歴な人は実家が裕福な場合が多く、就職浪人になったり留年して卒業を延期したり院に進んだりする選択肢があるから

逆に景気が良くなって初めて高学歴者は中小企業就職しても大丈夫そうだと思い始める

なので、景気が上向いて教科書通りに応募者の質が上がるのは一握りの大企業くらいなわけ

2014-02-12

http://anond.hatelabo.jp/20140212005633

音楽音楽として聴くのがもっとも正統的な聴き方だと思う。

「耳の聞こえない人の作る音楽を聴いてみたい」の気持ちはわかるけど、

オレは「耳が聞こえない」自体に興味がないので、当然ながらその人が作る音楽にも興味がない。

どの名義で作られた音楽も聴いてみたけど、いずれにせよ興味を惹かれない音楽だった

クラシカル音楽としての価値自分にとってはない)ので、彼らの名前記憶から消去する予定。

作品に属人性を認めはじめるとどんどん狂ってくる。

「この道で有名な○○さんが作った音楽から」とか、

アイドルの○○さんの描いた絵だから」とかそんなことをやりはじめると

作品自体の質はどうでもよくなっていく。

いわば腐敗が始まってしまう。

作品自体で評価されないとなると全体の質は低下する。

権威のある人の作品が素晴らしい」みたいな逆転現象に簡単に陥る。

2014-01-14

無為ターニングポイント

なぜランナーズハイが起きるのか、考えてみたことはあるかいマラソン選手が「無心」に走るとき、いやマラソン選手じゃなくてもいいけど、人が走るとき、その人の脳内で何が起きているのか、それを考えてもみてくれ。

「無心」という言葉がある。また、「無為」という言葉がある。それらは何を意味する言葉なのか、ちょっと考えてみようか。

例えば、「美味しそうな桃があるなあ」と思って、桃をつかむ。これは「有心」なわけですよ。やろうと思う→動こうと思う→動く→反応がえられる。必ず、こういう順序になっているわけ。これはね、人生の最も普遍的構造の1つなんだ。あらゆる所で、今言った順序のプロセスがついてまわる。

ところがだよ、「美味しそうな桃があるなあ」と思ってつかんだら、前の席の女の子のお尻だった。これはどう考えるべき?

「無心」に近いのだよ、これは。たしかに「やろうと思った」。桃をつかもうとした。でも、痴漢行為という違うことをやっちゃったわけ。つまり、桃に関しては「有心」かもしれないが、痴漢に関しては紛れもなく「無心」。やろうと思わないで、動こうと思わなかった動きをやった。そしてビンタされるという反応をもらった。簡単なことだろう。

これは、先ほどの矢印で表すなら、 動く→反応 というシンプル構造をしておる。これが無心の構造だ。

有心と無心の構造の違い、それが何をもたらすのか?ここが重要なところであるぞ。有心だと、「やろうと思う」「動こうと思う」という意志が行動に先行していた。すると何が起きるかというと、動きがよく意識される。当たり前だ罠。やろうと思って動こうと思って動いたんだから、その動きはよく自覚される。当然である

ところがどっこい、無心の場合は動きが「特別視」されない。ここがポイントね。特別視されないから、動きと反応が渾然一体となって、心に「どぴゅっ」と入ってくる。射精音を「どぴゅっ」と最初表現した人は天才だと思う。話がそれた。渾然一体となって行動とその反応が入ってくるから区別がつかない。これが「主客未分」とか「無我」なわけです。

おそろしく単純だけどそれを厳密にやるのは難しい。だから「無我」はむずかしい。からまりの糸をほぐさないと外れない、でも外れたフリは簡単にできる、そんな知恵の輪がそこにある。

無為」も似たようなものだ。だから説明は略す。

以上から、「無為」のヒントが分かったろう。「やろうと思う」「動こうと思う」といった「意志想念」を無くせばよい。もちろん難しい、難しいけど無くせればもうそこには「無為」がある。

さらに、「無為」と「どぴゅっ」の関連性も理解できたはずだ。

ランナーズハイのえもいえぬ快楽はまさにこの「どぴゅっ」であろう。ランナーは走り去る景色を見ながら走る。過ぎ去る路面を見ながら走る。やがて走ろうという意志が消えて走行が自動化すると、何ということでしょう、過ぎ去る景色が「どぴゅっ」「どぴゅっ」と飛び込んでくる。エンドレス射精が気持ち良くないなんて人はこの世にいるだろうか?いや居ない。射精だに気持ち良いのに、いわんや連続射精においてをや。世間では「ちんぽには勝てなかったよ」という名言があるそうだが、それは自身のちんぽとて例外ではないということだ。話がそれた。

私はジョギング以外にスキーもやるのだが、スキーにも似た感覚がある。過ぎ去る景色がやがて「どばばばば」という射精感で飛び込んで全身の喜びとして一体化される。バイクはやらないんだがバイクなんかもそうなのだろうか?

その気持ちよさを味わってみると、ああ人間ってのはなんて自分の動きにやたらと注意を払う生き物なのかと叫ばずにいられない。そのようにhumanbeingを特徴づけても差し支えないくらいに、自分の動きを意識しすぎている。それは挙動不審とか自意識過剰とよばれる。自然から有心な生き物だけ集めると、すまないがホモサピエンス以外は帰ってくれないかってことになる。

要するに、「○○しよう」って意志人間人間たらしめ我らが誇る文明を築き上げてきたのであると同時にだな、人間を大きく縛り付ける枷(かせ)ともなっている、と言いたいのだ。

その枷から逃れる術は実はあるのだがここでは詳しく立ち入らない。簡単に触れると、動きの意志から離脱が動きを無為へと解放したように、「意志意志」というか「意志へのこだわり」を捨てればよい。さすれば、己が意志すらも「どぴゅっ」と飛び込んでくる。イメージとしては川の上流が滞りなければ、中流も下流もさらさら流れやすいだろ?そういうこと。感覚としては小学生でも分かる簡単なことだ。また、部分的実行もさほど難しくない。だが完璧な実行は、言うは易く行うは難しである

それはそれとして。とにかく、意志諸刃の剣だってこったい。

から意志は最小化(minimize)したい。そう思うのも当然だね?それをシンプルに「没頭したい」「熱中したい」と言い換えることも可能だ。人々は意志の中身を問題にするが、意志の量はあまり問題にされない。意志の量を問題視しよう。

アメリカ政治家ナサニエル・シモンズはいみじくも「習慣は最高の召使か、最悪の主人のいずれかである。」と言い放った。

しかし、こと意志の最小化に関しては、習慣化は善である。すなわち、習慣化すれば意志は減る。換言すると、動きを自動化すれば、動きに関して気にすること(daily hassles)が減る。当然だよね(キュウべえ口調)。

習慣化なんてやだよーと枕に顔をうずめて手足じたばたさせているそこの貴方朗報。習慣化しなくても意志は減らせますキーワードは「リズム」。リズムに乗れば確実に無駄意志は減りますジョギングってリズム運動じゃないすか~?だから効くんすよ~。

リズムというと「リズムに乗る」という言い方をするだろう。「リズムに身を任せる」ともいう。意識せずとも身体が動く。無為。これはもう完全に、意志で「動こうとする」のとは正反対のことですわい。

ジョギングでも音楽演奏でもなんでもいいんだけど、リズム運動するとき最初リズムに「乗ろうとする」。けど、やがて「リズムに乗る」。すると、意識の上でも逆転現象が起きる。こういう順番なわけ。

逆転現象ってのは、世界自分を対立させて自意識過剰にキョドってうまく動こううまく動こうとするモードから世界に乗って世界のあやつり人形となったお任せモードへと変わる。あやつり人形なんておそろしい言葉・・・しかし、これはあくまで行動の細部が自動化されることを感覚的に表現しただけで、実際に大筋を決めるのはモニタの前に座ってるそこの貴方だ。びしっ。

是非ともこの逆転ということを幾度となく経験してどんなものか掴んでほしい。「無為ってなあに?無為ってなあに?」と彷徨っていると夜のとばりが突然降りたかのようにガラッと変わるから

自分の動き、自分の身体が景色の一部に取り込まれて、景色全体が一挙にドドドドドドと押し寄せてくる、飛び込んでくる感覚

そして、そのとき漏れなく付いてくるのが「どぴゅっ」である。それも連続。つまり、「ドドドドドトド、どぴゅどぴゅどぴゅどぴゅ」なのである

2013-12-12

増税対策 JRに乗るなら券売機で買え

同じ電車に乗っているのに支払い方で料金がふたつあるのはおかしいと思うが

料金を選べるなら一円でも安い料金で乗りたいもの

 

カード切符、二重運賃に 消費増税JR東日本

来年4月の消費税率8%への引き上げに伴い、JR旅客6社は12日、運賃改定の方針をそれぞれ発表した。JR東日本けがカード型IC乗車券に1円刻みで正確に増税分を反映させ、駅の券売機価格が異なる「二重運賃」になる。他5社はカード普及率が低く、1円刻みを見送った。

JR東日本によると、券売機で購入する切符は10円単位価格設定で、増税分は原則として四捨五入するが、一部で切り上げる。

東京周辺の乗客の多い「電車特定区間」ではICカード切符より安く、他の地区では切符が安くなる“逆転現象”が起きる。

http://www.47news.jp/CN/201312/CN2013121201001525.html

 

カードを使うと安くなる特定区間は ここで確認できる

 

運賃計算の特例 東京付近の特定区間を通過する場合の特例

http://www.jreast.co.jp/kippu/1102.html

 

ところで、このニュースで一番大事情報

他5社はカード普及率が低く、1円刻みを見送った」という部分だったりする

早い話、カード普及率が低い弱小JR5社は

増税分の一部を転嫁しきれず会社で吸収するということだ

 

強者増税転嫁

弱者増税転嫁できない

消費税矛盾と不平等

増税によってさらに大きくなる

 

2013-10-30

30歳超えてのヌードに何の価値があるのか?

いつも、毎年のように発表し発売される芸能人ヌードには一体どれだけの価値があるのだろう。

正直な所、旬を過ぎて当たって砕けろというには、いささか遅すぎるのではないかと感じる。

まして、若く綺麗で瑞々しい裸体なんてのは、プレイボーイなどのアダルト誌でも充分に味わえるんじゃないか

それに印刷物の価格が年々減少しているし、また発行部数も前年比から見ても全体的に衰退気味だ。

にも拘らず、毎年のように元清純派とかアイドルだった人がヌードに挑戦し、高額のギャラを貰えている状況も異常であるし、

ただでさえ衰退気味の書籍で、それも強気で発売する意義にも疑問を感じる。

一体、30歳超えてヌードに挑戦する女性タレントの皆さんは、自分にまだ需要があるのだと何故自信を持ってしまうのだろうか。

からない。

そもそもそのような需要は若かりし頃に存分に発揮されるものなんじゃないか

そして若かりし頃に我が物顔で猛威を振るってきた彼女らが、旬を過ぎて肉体的にも劣化してきた段階ですらも拒否していたのに

30歳を過ぎると我を忘れたかのように、突然ヌードを発表するのである

30歳がどのような意図を示しているのか分からないが、少なくとも自分で理解出来る程の劣化具合を顧みて、実は綺麗なままの自分を今の内に「カタチ」にしておきたいといった

心境変化が透けて見えるようである

しかしながら、あくまで30歳を過ぎての唐突な焦りからヌード発表に至った事は明白であり、だからどうなのだ?と疑問に思う人も多いはずだろう。

それでもなお、ヌードを発表し発売する事に意義なんてあるのだろうか。

しろ異議を唱えられそうではあるまいか

最近は若手の美麗なAV女優が増加したために、一般的テレビドラマなどに出演する若手の美人女優が色褪せてしまっているといった逆転現象も度々見受けられるものの、

あまちゃんで一世を風靡した能年玲奈のような若手の清純派女優がぽつぽつ出てきていることも確かだ。

しかし、ヌードとなると話は変わる。

こういった表で活躍する女優20代後半まで旬が続くため、基本的に旬の間にヌードに挑戦する事は滅多にない。

こうしてみると、30歳を超えてのヌード挑戦は、挑戦者にとっては最後のチャンスなのかもしれない。

なるほど、彼女らは本当はヌードになりたくないけれど、また表で活躍するために与えられたのかもしれないが、買う側はやはり劣化したそれを見る事になるだろうから

なおさら、30歳超えでのヌード違和感を感じるし、その価値観に疑問に思うのも無理はない。

2013-10-27

今の世の中って「ちょっと駄目な人」には厳しいけど

「凄く駄目な人」には優しかったりするのが理不尽だと思う。

ちょっと出来ない人」には強く怒ったり、笑い者にしたりするのに

「凄く出来ない人」には絶対そうしなかったり。

極端な奴は「人間に優劣なんて無い。そう見えるのは全て個性に過ぎない」

みたいな事まで言うし。

で、ちょっと劣っているより凄く劣っている方が生き易いなんて逆転現象まで起こる。

別に弱者を切り捨てるのが正しいなんて言わないけど

弱者弱者としてしか生きられない世の中じゃないと

逆の意味差別的だと俺は思うんだけど。

2013-10-19

http://anond.hatelabo.jp/20131019150127

あれじゃね?

リアルセックスときに女がペニパンはいて男の肛門に挿入すると考えてもみろよ。

この逆転現象に男はどう思うよ?

2013-04-23

先ず改正すべきは最低給与天文学的な引き上げだ




399 ソーゾー君 [] 2013/03/23(土) 19:24:46 ID:Ch8kYDeM Be:


景気の回復なんか簡単だぜ?低所得者を無税にして公務員が「権利からー」と言って受けとる

ポーナス低所得者に支給したら良い。

「え?逆転現象が起きるから嫌だ?」

「じゃー最高所得定めるか?年収500以下は無税で毎年二回ボーナス公務員と同じように支給する。」

「最低給与年功序列で構わんが最低300万(バイトはこれに含まない)」

「え?派遣法を改正して正社員雇用しか認めないようにすべき。」

派遣法を改正して全部正社員と言うのはとんでもい圧力がかかるし

最低給与の引き上げをしなくちゃ意味ねーよ?正社員生保と同等じゃ意味ねーだろ?

先ず改正すべきは最低給与天文学的な引き上げだ。


起業派遣社員を雇う理由は「安いから=経費だから」だろ?

正社員雇うと社会保険払わなきゃならんしな・・

派遣社員給与を上げたら勝手企業正社員を雇うぜ?」

派遣社員=派遣会社に払う金額が正社員雇用より結果的に安いか派遣を雇うんだろ?」

ブラック企業とかサービス残業過労死等々の問題も小泉安倍改革=自民党政策が原因だろ?

ブラック企業の駆逐なんか簡単だろ?最低給与をドカンと引き上げれば駆逐完了だぜ?

サービス残業は最低給与上げと従業員を増やせば事足りる。

人が足らねーから過労死なんだろ?人員を増やせよ?」



「このように簡単に問題は解決します。

ここでそんな事をしたら企業倒産する!と言うような低レベルな反論が来ます

お金の仕組みを理解し十二項目を読めば簡単にできることが解ります。」

労働者生産者し消費する」

↑これを円滑にする為にお金が開発されたのです。



物や技術が無くて困る事は有りますお金が無くて困ると事は有り得ないのです。

「足らないなら創れば良いし富の再分配が上手く行っておらず循環してないなら

税制改革と金融改革で循環させれば良い」

問題はこの二つなんですね・・簡単な仕組みなんです。

「物を作っても売れない?え?欲しいよ?お金が無いから買えないだけだよ?

給与下げたのお前等だろ?何言ってんだ?

俺達がお客様=消費者だぞ?」













































税と社会保障一体改革を考察するスレ

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/movie/10043/1341399267/l50

中央銀行・発行権】黒幕銀行家37【信用創造

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1343051395/

2013-04-02

社会的に分かりやすい被害を受けた人は、保護されやすい。応援されやすい。津波やら放射能やら、病気や身体•精神障害とかね。手帳あれば社会的に認められたことを意味する。

逆をいえば、分かりにくいものとか、社会通念上そんなものは知らんといった被害を受けている人は、保護を受けたいのに受けられない。

例えば珍しい病気にかかっていて保険下りない人とか。ぱっと見には健常にしか見えないタイプの障害とか。性同一性障害とか。LGBTとか。まともな教育を受けられないまま成人した大人とか。病気という自覚がないままなんか変だな性格かなーって暮らしてる人とか。

そういう、通常状態でも被害状態でもない状態の人が一番辛いんじゃないだろうか。

身体障害者にはセックスボランティアであるのに、非モテはずっとDTのままだ。処遇逆転現象が生じている。

社会的に理解されやすい、もしくは助けてくれアピールのプレゼンテーションロビー活動が上手い、ドラマ映画メディアに取り上げられたなどで注目を浴びた、などがあれば救われる。それが無ければ救われないワケだ。

そして、そういった弱者を救うことが出来るのは余裕がある者だけだ。心理的、金銭的、現在時間的、未来展望的、余裕のかたちは様々ある。

石原都知事が言った、余裕があるところがガレキ受け入れてやらなきゃ進まねーだろという意見には賛成だ。

だが、自分人生にとって震災被災者はあまり関係がないと感じている。震災のものへの備えはしなきゃなーとは思う。

人生のつらさは数値化できないから、やたら家族地域に恵まれて津波受けて家を流された人と、家族にも地域にも友達恋人も恵まれず過労で精神的に参って体調もあちこち10年間おかしくてお先真っ暗な人間とを比較したとき、どちらのほうがつらいのかはわからない。

ただ、前者は救いの手が差し伸べられ、後者は何もないという事実は横たわっていて、それに困惑したり怒りを覚えたりする。

自分に課せられたつらさを乗り越えて余裕を作り出して被災者支援するほどの器は自分にはない。自分のことで精一杯だ。

非リアで自然災害に会わない人生と、リア充自然災害に会う人生。どっちが不幸ですか?

ラジオ」を見ながら、そんなことを考えた。

特集ドラマラジオhttp://www.nhk.or.jp/program/onagawa-drama/

2012-10-14

AKB握手会写真見て思ったこと

ああ、あの容姿レベルだと、ちょっとかわいい女の子握手会に来たりすると

ファンの方がかわいいという逆転現象が起きるのかw

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