帰省して棚を整理してたら中学生の頃の通信簿とかテストの成績とかが出てきて、
閉鎖的な学校と相対評価制の内申点(通信簿)に苦しめられた中学思い出がよみがえったので書く。
当時は1学年30人ちょっとの田舎の公立中学校で、俺のような途中加入のよそ者以外は基本的に全員が保育所~中学までずっと一緒、
田舎では起こりがちなことだけど、後にサラっと東大・京大に行くような子から、ちょっと学習障害のある子まで全部いっしょくたな感じの教室だった。
俺の学年はたまたま勉強が得意な人と苦手な人ではっきりと二極化していて、人数分布が平均点を挟んで上と下にきれいに山が二つできているような状態だった。
学年全体の平均点は55点ぐらいだけど、30人のうち上位15人に絞ると平均点は88点!みたいなこともあった。
そんな状況だったけど、最初に書いた通り当時その地域は内申点の付け方が相対評価制だったので、
10段階評価で、1学年内で10が付くのは1人だけ、9も1人だけ、8が2人、5位以下は問答無用で7以下がつくというシビアさだった。
同じ学区のもう少し大きい中学校で同じテストの点なら、間違いなく9か10、みたいな生徒にも頻繁に7や8がつけられていた。
その結果クラス内には、テストの結果だけ見ると志望する高校どころかさらにワンランク上の高校でも余裕で合格圏内なのに、
内申点が志望校の基準とされる点にはだいぶ足りず、学校側は前例に則って内申点を基準にして進路を指導するので、志望校のランクを実力から大幅に落とさせられる人が続出していた。
(三者面談で教師がOKを出さないと受験が許可されない風習があった。)
ちょうど自分達の2学年下からは制度が変わって内申点が絶対評価制になっていたのもあって、余計に制度に対する恨みの声が強く渦巻いていた。
これに関しては何人もの同級生が、将来的な進路を割と歪められたんじゃないかと今でも思っている。
そして、これもまたありがちなことに、教科担当教師の覚えがめでたいかどうかで内申点が上下する傾向もかなりあった。
前述の通りテストの点数が拮抗していたので、「授業態度」「積極性」みたいな部分に対する先生のさじ加減で簡単に順位が入れ替わる感じだ。
ひどい教師は「この子は親が教師だから」みたいな理由で日常的に謎の加点をしているフシすらあった。
俺はというと、1年生の時点で
「入学してきた中に一人だけ知らない顔がいる、見慣れない転校生め、チビのくせに生意気だ」と複数の上級生に一方的に目を付けられてしつこく絡まれていた。
けれどその内容が
・掲示されている俺の写真を傷つける
・持ち物をちょっとだけ移動させて隠す
といった程度の幼稚かつしょうもない嫌がらせばかりで、大して実害がなかったので全て無視して放っておいたにも関わらず、
俺が黙っていても目撃した同級生がまた素朴で素直で心根の優しい子たちばかりで、
何かあるとすぐに先生に報告していたので、しょっちゅう事情聴取の為に職員室に呼び出されていた。
そういうことが続いていたので他に問題らしい問題がない平和な学校内では目立っていて、入学早々に職員室内で問題児認定されていたらしく、
「校内唯一のいじめのターゲットになるからには被害者にも相応の原因があるのではないか?」(転校生で物珍しかっただけだと思う)
「部活動でも上級生との間にトラブルを起こしている」(絡んでくる上級生のうち数人が部活の先輩だった)
「校内トラブルについて指導すると、反論したり納得のいっていない様子であることが多い」(俺の趣味がレゴブロックであることを教師にとやかく言われる筋合いなんかねーよ)
「いじめられても泣きも怯えもしない、校内で自分だけがいじめられているのに萎縮・反省している様子がまったく見られない」
「増田くんと話していると、感情の欠落した異常なモンスターと話しているような気持ちになる、なにか精神的に異常があるのでは?」
「上級生とトラブルを起こす頻度が他と比べて突出して高い、すなわち問題行動の多い生徒であり、他の子に悪い影響があるのではないかと危惧している」
と、クソ担任からハッキリと上記のようなことを最初の面談で言われて、ブチ切れた母親が反論したことで、
「学校や教師に反論したり反抗的な態度を取る、問題のある家庭」
として親子ともども学校側から致命的なまでに嫌われてしまった俺の内申点は、上級生がいなくなっていじめがなくなった3年生になってもそりゃもう見るも無残な様子だった。
特にひどかったのが、生徒指導担当で部活の顧問もしていた教師が担当していた理科で、
日ごろから妙にキツく当たられたり、「授業」で忘れ物をするとなぜか「部活」を辞めるかどうするか選べ!とか怒鳴られたりして、
別にやりたくもないのに人数が少ないので強制的に何かの運動部に入らされていただけだったので、
「え、辞めていいなら辞めたいんですけど、いいんですか?」って返事したらどつき倒されたりするっていう調子で目を付けられていた。
当然テストが割と良くても7以上の成績はまったくつく気配がなくて、3年2学期、内申点として提出する最後の学期に、
定期テストは中間で96点(2位)、期末で98点(1位)を取って、今回はさすがに9か10が付くと思っていたら、通信簿を見ると「6」がついていた。
ちなみに、中間90点(4位)、期末89点(7位)だった親友のD君は、その時「8」がついていた。
さすがにこのときはあまりにも納得がいかない、と教師に確認しに行ったが、
「ほら見ろコレ、増田は宿題2回も忘れてる!Dは1回だけ!そういうことや!以上!」と追い出されたので、
宿題1回分+授業態度でこの逆転現象が起こったのだと判明した。どう考えても普通じゃない……と思う。
その後、他の子とも成績を見せ合っていたら、テストの点に対して不自然にその教科でいい成績をもらっている子がいて、
要するに、低めの内申点でいける高校を受験する生徒の内申は適当に理由を付けてガクッと下げておいて、
少し背伸びして受験すると三者面談で(親が)ゴネた(親が教師の子は、進路相談時に多少無理がきいたそうだ)生徒の内申を、
その学校の必要ラインとされるあたりまで上げるための順位操作的な工作が行われたのだろう、ということが容易に想像がついた。
あまりにも露骨に手心を加えているとしか思えない成績に嫌気がさして、見返してやりたくなったので、
もう内申点としての意味はない最後の三学期、過去に例がないほど熱心に勉強して、提出物を全て出した上でテストで98点(1位)と100点(1位)のスコアを出して、
「今回は宿題全部出してますよね?」と事前に念押ししてみたら、最後の最後に理科で初めて「10」が通信簿に並んだ。
という思い出深い「10」のハンコを見て色々と思いだしたので書いてみた次第。
こういうの、今は知らないけど一昔前は結構よくあったことなんじゃないかなあ。
ちなみに「お宅の子は精神異常者じゃないんですか?」とか親に言いたれやがったクソ担任は今もどこかで教師をしているらしいし、
理科の教師に至っては生徒指導の実績が評価されて出世し、母校が廃校になって統合された後の中学校の教頭をやっているらしい。
噂に聞く限りでは、現場にいない分直接的な害は当時より少ないみたいだけど、
相変わらずいろんな不幸をまき散らしているらしく、ほんの少し都会寄りで「先生の言うことは絶対」なんて思ってない地域の父兄や生徒からの評判はすこぶる悪いようだ。
内申が相対評価なの大阪だけだったんじゃね