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はてなキーワード: 芸術作品とは

2020-07-14

創作オタク承認欲求ってそんなに駄目か?

はじめに

創作界隈(一次二次限らず)において、創作者の承認欲求を何か不純なものとして扱ったり、それを持つ創作者を下位のものとして扱う雰囲気があるがそれが附に落ちない。

色々なテーマを混ぜこぜにして、「創作者は創作欲のみを持つべきで、承認欲求を持たないべき(小さい方が好ましい)」になってしまっている気がするので、何故こうなっているのかを考えたい:

1.そもそもここでいう承認欲求とは

言葉定義

wiki先生曰く、

承認欲求(しょうにんよっきゅう)とは、「他者から認められたい、自分価値ある存在として認めたい」という欲求であり、「尊敬自尊欲求」とも呼ばれる。」

詳しくはWikipediaを読んでもらえればわかるが(投げ)、確かに承認欲求があまりに大きいとお金地位ばかりを追いかけて幸せになれないが、そもそも承認欲求自体マズロー基本的欲求でも出てくる、人間として当たり前の欲求である

また一般的認知度の高い欲求である一方、その厳密な分類は多岐に渡る。(詳しくはwikiへ)


オタク文脈承認欲求

ここで、オタク文脈で語られる"承認欲求"とは、大体以下に挙げられるものだと思われる:


これらがどのような承認欲求に当たるかというと、

にあたると考えられる。


よって本ログで以降"承認欲求"と記載した場合は、主に他者承認、対等・上位承認を示すと思ってほしい。


2.創作自身創作欲と承認欲求

創作欲の定義

創作欲について、weblio辞書では以下のように定義されている:

文芸作品絵画などの芸術作品などを創作しようという意欲や情熱意味する表現


まり、なんの利害も考えず、ただ何となく創作者が自分の想いや想像を形にしてみたいと思う、その最初シンプル欲求意味するのだろう。

今回のオタク言説(アンチ承認欲求)でよく出てくる、"純粋創作欲"とは概ねこれを意味するのだろうと思う。


創作欲と承認欲求

人が絵や小説、またその他の創作物を作り始める時は、最初はこの欲に突き動かされて作るのかもしれない。

しかし、その作品を何らかの形(SNSへの投稿など)で発表しポジティブフィードバックが返ってくると、またそれを報酬(目的)とした創作欲求がでてくることは、人間として至極当たり前なことではないだろうか。

これは"純粋創作欲"からは外れて承認欲求の域に入ってしまうわけだが、創作者にとって何の問題もないし、健全欲求として創作を推進させると思う。


承認欲求問題か?

これが問題になってくるとすればこの承認欲求肥大化し、創作者の活動や心身に害を及ぼし始めた時だろう。

実際、色んな創作者(男性向け・女性向け問わず)の増田承認欲求により破滅した旨のログを書いているし、それらを目にしたこともある。


ただそれはあくま承認欲求(やその他の欲求感情)がいきすぎてしまった一部の例であって、これらの例を掲げて「創作者に不純な承認欲求不要」とまで言ってしまうと、それは本質から"ズレた"言説だなあと感じる。


3.外部から求められる"創作者"像

ここで、創作者にとって承認欲求のものが害かどうかという問題に加えて、「外部から求められる"創作者"の像の問題」が絡んできてもっとめちゃくちゃになる。

まり読み手書き手承認欲求の所持を認めたがらないという問題である


こうなる原因はいくつかあると思っていて、例えば以下が挙げられる:


これらの要素が混ざり合って、「(読み手にとって)創作者は承認欲求を持ってない方が好ましいナァ」という気持ち言葉が生まれるのだろう。

それらの読み手側の気持ち否定しない(支持もしない)が、問題は、創作者の承認欲求にまつわるお気持ち問題では、承認欲求とはそもそも何か、そしてそれが誰の為に好ましくないのかという部分が曖昧なまま、なんとなく承認欲求は良くないし汚い、といった雰囲気が醸成されているところにあるのではないだろうか。


まとめ

なんとなく"承認欲求"というワード自体が含蓄する否定的なニュアンスを分解しないまま、なんとなく創作者にとって承認欲求はない方が良い的な雰囲気になっているのが嫌で解体してみた。


結論としては

というありきたりなものに落ち着いたが、「創作者の承認欲求にまつわるお気持ち問題解体」という目的は達成できたので、ここまでにする。

2020-07-13

ポリコレ」と「政治的な正しさ」と「正義」を分けて使った方が良い時期に来ていると思う

おおむね、ポリコレ的にアウトとかポリコレ的にセーフみたいな話をするときには、その定義範囲を正確に捉えた方が良いと思う。

元増田が例示しているムスリムの例は大変示唆に富んでいて、「宗教的正しさ」を理由にした運動だったら、たぶんもう少し考える人が増えると思う。

ここでは「BLポリコレ的にアウトなのは事実」というのが、明らかでは無いと説明してみる。

BLポリコレ的にアウト」は事実か?

宗教的な正しさ」とすると、アウトかセーフかは宗教ごとの教義によるだろう。

自民党的な正しさ」とすると、(自民党の言う)日本の伝統的な家族観からはアウトかもしれない。

民主主義政治的な正しさ」とすると、多様性観点からはむしろセーフとして守られるべき対象かもしれない。

「(いまTwitter話題になっている)ポリコレ」とすると、自分はアウトだと思うが、全員が同意するかは疑問だ。

何言ってんだ?と思うかもしれないが、いま「ポリコレ」とは「ある差別存在したとして、それを追認もしくは強化、一方的見方助長するときには、積極的に止めるべきだ」という運動だと定義できるからだ。これがポリコレ棒などと揶揄される運動だ。

(いまの「ポリコレ」は、政治的に正しい言葉を、公文書作成する際に使うべきだ、政治家発言する際には利用すべきだ、という運動では無い)

ポリコレは、人類普遍の乗り越えるべき課題だろうか?

民主主義の正しさが世界を覆いつくすのが、本当に正しいのかは、大いに疑問が残る。

例えばこれが「ある宗教にとっての正しさ」を広げる運動であれば、かなりの人が眉に唾を付けて、そのうえで取捨選択するはずだ。

いまの「ポリコレ」は「ある文化圏にとっての正しさ」を立ち止まることなく広げ続けているように見える。これは大変怖いことだ。

はてブ受けする人物で言うならアラン・チューリングは、当時彼が所属する法治国家違法とされている行為逮捕されている。

そう、同性愛だ。少なくとも1952年のイギリスでは、同性愛違法だった。

違法なのだから、それは(当時のイギリスの)政治的には正しくない行為だ。

いや、例えば今まさに黒人迫害され、白人と同じことをしているだけで突然射殺されるのは間違っているだろう!と思うかもしれない。

自分もそう思う。

もちろん軽重は違うだろうが、日本技能実習生問題だと思うし、サウジアラビア同性愛違法とされている現状も個人的には痛ましいと思う。

ただ、それらはやはり違う問題なのだ

人種や肌の色によって差別することを許容しない」とするなら、

同じように「BLを正しくない表現方法」とすべきだ、とするのは、とても乱暴で、あいまい境界をもとに表現規制を行っていると思う。

表現規制はどこまで許容されるのか?

少し話題が逸れるが、個人的には「表現規制されるべきだ」という認識を持っている。

表現規制があった方が良い」と「表現規制は無い方が良い」という話のときにスッポリ抜け落ちがちな視点として、表現普通に規制されているという点がある。

例えば、マッツ・ミケルセンの出ていたドラマハンニバルといえば良いだろうか。アート観点から、美しい肉体を持つ人間を殺して紐で括り付けて芸術作品に仕上げる、というのは一般的には許容されないし、日本で発覚すれば普通に犯罪だろう。そういった表現方法規制されている。

きっと美しいだろうからと金閣寺に火を放っても捕まるだろうし、神々しいまでに美しいと言ったところで男子小学生ヌード撮影すれば犯罪だろう。既にしてある種の表現規制されている。

当たり前だろうと思うなかれ、同性愛普通に犯罪だった国は多いし、現在進行形違法の国もまだある。

自分の息子の上半身裸の写真撮影規制されるべきかどうか、日本において自明ではないだろう)

から思想自由だとしても、それを表に出す、現実世界に影響を及ぼす際の表現方法規制されて当然だ。

ただし、どこまで何を根拠規制されるかは、その時々の社会情勢によって影響を受ける。

(だから規制して欲しい派がロビー活動を行うのも正しいし、規制して欲しくない派がロビー活動を行うのも正しいだろう)

ポリコレ政治的な正しさと、自分の信じる正義

義を見てせざるは勇無きなり。

から自分の信じる正義のために活動することは、(その当人にとっては)正しいことだ。

自分の信じる正義が、たまたまTwitter上のポリコレ運動と一致しているなら、それをもとに活動することもまた、(その当人にとって)正しい。

ただ、その「Twitter上のポリコレ」が人類普遍の正しさかどうかは、一度立ち止まる必要があると思う。

ポリコレ」としか呼びようのない運動について共感したとしても

政治的に正しい」振る舞いが、どの国のどの政治なのかは意識すべき時期が来ていると思う。

無自覚に「これは正しいことだ!」とすると、まったく同じ理路で突然自分否定されることもまたあり得る。

別に矛盾のない聖人君主けが住まう国でもないので、あちらとこちらで一貫性がなくてもまた人間的だとは思うが、どこかで折り合いはつけるべきだとは思う)

そして同じように、みそもくそも大雑把にくくったうえで、「だからコレはクソだ」として無視するのもまた、誤っていると思う。

じゃあどうしろってんだよ!

純粋善意で、自分規範を教えなくては!という熱意を持った人はわりと自分の周囲にも多い。

そういう時、(相手が話を聞いてくれるときには)「その”正しさ”を、”正義”に置き換えても、まだ薦められる?」と聞くことにしている。

ポリコレ的にアウト」ではなく、「自分の信じる正義に則ってアウト」と言えるかどうかが、たぶんアクションに起こせることだ。

もしくはもっと広く「日本国民が信じるだろう正義に則ってアウト」でも「民主主義正義に則ってアウト」でも良い。

から元増田はひねくれているとは個人的には思うけれども、「自分の信じる正義としてBLはセーフ」「Twitterで言われるポリコレ的にアウトというのは、自分の信じる正義とは違う」と言い切って良いと思う。

私は「自分の信じる正義に則ってアウト」という言葉を「ポリコレ的にアウト」と言い換える途中にゴッソリと抜け落ちた部分が怖い。

「(自分の信じる正義であり、世界不変の正義でもある)ポリコレ的にアウト」と考えているとすると、とても怖い。

その世界には、自分のようなマイノリティの席はお情けで確保されているにすぎないと思っているからだ。

ぜひ、自分の信じる正義が、どの世界やどの政治体制の正義と同じだと思っているか、自問して欲しい。

そして、もし違う正義を信じる者がいたとして、彼ら彼女らにどう接するべきか、自問して欲しい。

自分と同じ正義を信じていないことが間違っている」と思うのであれば、私はとても怖い。

https://anond.hatelabo.jp/20200712223432

2020-07-08

anond:20200708142942

               芸術作品です

anond:20200708142942

               芸術作品です

2020-06-30

anond:20200630155020

ゾーニングすべき。

年齢みたいな雑なゾーニングじゃなくて、モラルに反する芸術作品なんかと同じように

「このコンテンツは、現在主流の人権意識歴史観から外れた内容、さまざまな立場から激しく議論されているテーマについての内容を含みます。ご自身信条等によっては著しく不快と感じることもあることをご了承ください」

といった注意書きを表示して了承しなければ見ることができないようにする。

そこまで対応すれば表現自体はどんな極論でもデマデタラメでも他人迷惑をかけるような変態性癖でも自由

コンテンツ作成過程においての人権侵害や犯罪行為は別問題

2020-06-28

anond:20200627121521

そういう話じゃないよ。水彩画油絵彫刻は誰が見ても芸術作品と分かる。

モダンアート意味不明物体が置かれてて、注意書きを読まないと何が何だか分からんのよ。これが問題

2020-06-23

スペイン素人修復家が芸術作品台無しにしている件が

今まで世界中メディアで取り上げられてきた

もしかしてこれってアメリカ銅像破壊と同じ運動だったりする?

わざと素人に修復させて宗教画聖人の像をゆるふわ破壊世間の笑い物にするという手法

まあ今思いついた陰謀論なんですけど

2020-06-20

問題 個人情報保護上 匿名化しているから 収集してよいか

ちんこ写真 ただし個人特定できないものとする

理由: 芸術作品として 文化貢献のため石膏像を作りたい

  

個人特定できないようにしているに対して、だから何を言いたいの?という質問

私達のアプリが、簡単収集できる情報でもサーバに送らない理由

 

そのへんのおっさんの ちんこ写真なら 芸術のためだから 撮影していいですよね?

 

2020-06-11

anond:20200611195116

天皇日本の象徴、とくにその世代日本人をきりとった象徴である

から天皇写真を燃やす芸術作品が成り立つとしたら

天皇という役割をおしつけられた個人(当代ならノリヒト)への中傷というより、

日本人全体への差別批判や抗議、

さらにはそういう行為をやめさせようとする表現圧力への抗議、といった意味あいが強いだろう。

個人中傷はいうまでもなく個人根拠のない悪口を述べて人格を傷つけようとする行為だ。

そのへんを感覚的にしたままではどちらも加担するに足りないか勉強してからにしたらいいとおもうよ

2020-06-03

Black Lives Matter と All Lives Matter

昨今の米国でのプロテスト世界刮目する中、"Black Lives Matter" というフレーズをご存知の方も増えてきたことと思う。

文字通り訳せば、"黒人の命は大切である"ということなのだが、これに対し"黒人だけじゃなくて、白人も、アジア人も、みんなの命が大切なのでは?"と純粋に思われる方もいるだろう。

その通りである

米国では、"Black Lives Matter"に対し"All Lives Matter" (="みんなの命は大切である") という発言を様々な場所で読む、又は耳にする機会が多数存在する。

日本でも、この運動やその根底にある人種差別問題への関心が少しずつ高まっている中で、"All Lives Matter"という、(恐らく多くの日本人にとって)一見自明で無害のように見える一文の意味するところを、とあるRedditでの投稿引用する形で紹介しようと思う。



以下引用及び拙訳 (r/explainlikeimfive/comments/3du1qm/eli5_why_is_it_so_controversial_when_someone_says/ より)

Imagine that you're sitting down to dinner with your family, and while everyone else gets a serving of the meal, you don't get any. So you say "I should get my fair share." And as a direct response to this, your dad corrects you, saying, "everyone should get their fair share." Now, that's a wonderful sentiment -- indeed, everyone should, and that was kinda your point in the first place: that you should be a part of everyone, and you should get your fair share also. However, dad's smart-ass comment just dismissed you and didn't solve the problem that you still haven't gotten any!

以下のような状況を想像してみてください。あなたは今、家族とディナーの席にいますあなた以外には食事が配膳されていく中、あなたの前には何もありません。そこであなたは、”フェアな分量の食事が私に配膳されるべきだ”、と父親に伝えたところ、彼は以下のように応えました。”家族みんながそれぞれのフェアな分量を配膳されるべきだね”、と。確かに、彼の発言のものは、当然のことであり、素晴らしいですが、この返答には齟齬があります。というのも、ディナーを取り囲んでいる家族メンバー各自が、(彼の言う様に)フェアな分量を配膳されるべきだからこそ、その一員であるあなた自分の分量を主張しているのです。従って、彼の返事はあなたの前に食事がないという現実問題に対して無関心であり、何の解決策も提示していません。そして何より、依然としてあなたの前には食事がありません。

The problem is that the statement "I should get my fair share" had an implicit "too" at the end: "I should get my fair share, too, just like everyone else." But your dad's response treated your statement as though you meant "only I should get my fair share", which clearly was not your intention. As a result, his statement that "everyone should get their fair share," while true, only served to ignore the problem you were trying to point out.

ここでの問題は、あなたの”フェアな分量の食事が私に配膳されるべきだ”という発言真意が、"(他のみんなと同じように、私にも)フェアな分量の食事が配膳されるべきだ"という括弧内の部分を前提に含んでいるにもかかわらず、”フェアな分量の食事が私(だけに)配膳されるべきだ”とあなた発言たかのように、父親が(あなた意図に反して)受け取った、という点にあります。従って、彼の発言のもの真実であることに変わりはないものの、あなたには食事がないという問題は看過されてしまっているのです。

That's the situation of the "black lives matter" movement. Culture, laws, the arts, religion, and everyone else repeatedly suggest that all lives should matter. Clearly, that message already abounds in our society.

これこそが、"Black Lives Matter" 運動対峙している状況なのです。文化法律芸術作品宗教、その他全てが繰り返し、みんなの命が大切であるべきだ、と主張しています米国社会においては、このメッセージは至る所で目にすることでしょう。

The problem is that, in practice, the world doesn't work the way. You see the film Nightcrawler? You know the part where Renee Russo tells Jake Gyllenhal that she doesn't want footage of a black or latino person dying, she wants news stories about affluent white people being killed? That's not made up out of whole cloth -- there is a news bias toward stories that the majority of the audience (who are white) can identify with. So when a young black man gets killed (prior to the recent police shootings), it's generally not considered "news", while a middle-aged white woman being killed is treated as news. And to a large degree, that is accurate -- young black men are killed in significantly disproportionate numbers, which is why we don't treat it as anything new. But the result is that, societally, we don't pay as much attention to certain people's deaths as we do to others. So, currently, we don't treat all lives as though they matter equally.

しかしながら、現実社会においては決してその通りではなく、命の重みは平等ではありません。あなたは、Nightcrawlerという映画を見ましたか?その映画の中で、Renee RussoがJake Gyllenhalに対して、黒人もしくはラテン系アメリカ人が命を落とすような映像ではなく、裕福な白人殺害されたといったようなニュースが欲しい、と伝えるシーンがあります。実はこのシーンは、ニュースの大部分の受け手である白人層が共感できるような報道を重視するというような、現実に即したメディアバイアス如実に反映しています現実として、若い黒人男性殺害されることはニュースにならない一方で、中年女性殺害事件はニュースとして世間に扱われますさらに言えば、統計有意に多数の若い黒人男性が日々命を落としてしまっているという現状において、そういった死のニュース性が少ないということは単なるバイアスとして存在するわけではなく、ほとんどの場合事実なのです。その結果、一部のグループの人々の死に対しては他のグループの人々の死ほどに、私たち社会全体として注目しません。人の命は本来全て平等であるにも関わらず、現実として私たちはそれらを平等に扱っていないのです。

Just like asking dad for your fair share, the phrase "black lives matter" also has an implicit "too" at the end: it's saying that black lives should also matter. But responding to this by saying "all lives matter" is willfully going back to ignoring the problem. It's a way of dismissing the statement by falsely suggesting that it means "only black lives matter," when that is obviously not the case. And so saying "all lives matter" as a direct response to "black lives matter" is essentially saying that we should just go back to ignoring the problem.

あなた父親自分の分の食事を求めた時のように、"Black Lives Matter"というフレーズにも"too"、すなわち黒人の命”も”大切であるという前提があります。他の人種の人々の命と同様、黒人の命も大切に扱われるべきだ、というメッセージがそこにはあるのです。これに対して"All Lives Matter"と応えることは、その根底にある(黒人の命が他の命と同様に大切に扱われていないという)問題恣意的無視していることになるのです。そのような問題共通認識が前提として明らかに存在しているにも関わらず、さも"黒人の命だけが大切だ"という主張である曲解することで、"Black Lives Matter"という本来の主張を退けてしまっています。"Black Lives Matter"というメッセージに対して、"All Lives Matter"と応えることは、黒人の日々対峙するそのような問題無視し、そのままの現状を維持しよう、と主張する事と本質的に変わりはないのです。

2020-05-25

anond:20200524070952

それを代償行為追体験と断ずるような矮小な捉え方をし続ける限り、その消費者生産者も見下しつづける害意に歪んだ怪物になる道から逃れられない。

自分の捉え方こそが「本質」だという傲慢によって自分怪物になっていることを誤魔化していないか

リアリティショーやAVが俗っぽい部類の娯楽であることは事実であるけれども、その考え方だとオペラ歌舞伎といった伝統芸能、あるいは映画小説のような芸術作品が描く人間模様もすべて自分人生と向き合わないアホが消費する気持ち悪い娯楽と捉えることになるのではないか

そうでないと言うのなら、その境界はどこにあるのか?

2020-05-15

ruka98 トップ※じゃあ逆にゲイ同士の恋愛は描かれず商業ものらずとなる方が良いのだろうか。それともジェンダーを取り扱った道徳的な内容や芸術作品ならOKなのだろうか。エンタメゲイ恋愛物語はあって欲しく無いのか


はあ?どんな脅しだよ?死んでしまえ。

じゃあ逆にってなんだよ。

そもそも腐女子って名乗ってんだからBL的に消費されるってことを危惧してることに決まってんだろうが。

チョコレートドーナッツ腐女子BL的に消費することを想定して作ってんのかよ?ちげーだろ、バー―――――――カ。

いや例えばお前が『クッキンアイドル アイ!マイ!まいん!』でシコシコしてるとするじゃん?それは別に構わないわけ、

でもさ、それを増田で「『クッキンアイドル アイ!マイ!まいん!』でシコシコしてるんだけど他にいい作品いかな?」って書いたらさ、

そりゃ怒るブコメだって出てくるだろうよ。

そこでお前は、”じゃあ逆に”子供は描かないほうがいいのだろうか?ってなるわけ?

なんねーだろバー――――カ

ボルビックのペットボトルアナルに突っ込んで死ね

2020-04-16

なんてアーティストなんかの為に俺の血税が使われんの?

毎日遊んで暮らしていいもん食って贅沢して、たまにちょこっと芸術作品作って。そんな連中の為になんで俺たちブルーカラー血税が使われないといけないんだ?

金持ちアーティストの為に税金使って、そのアーティストが作ったアート作品金持ちが楽しんでる。それがなんで許されるんだ?

アート税金を投じるのが当然のこと。当時ないのは恥ずかしい国だって言うけど、これ騙しに来てるだろ。普通に考えて弱者保護に金を使うべきだろ。毎年何万人が経済的理由で死んでると思ってるんだよ。なんで金持ち趣味のために俺の血税使ってんだ。ふざけんなよ。

2020-04-14

anond:20200414040554

他人への名誉棄損に悪用されるコラボは悪だろ

そんなことはわざわざいわなくても普通人間はわかっている、

たとえばはてな利用規約はてな匿名ダイアリーガイドラインtwitter利用規約などに他人への攻撃的な言辞のものが「やるな」と規定されている

どんなにまわりからみて醜悪作品でも作って楽しむまではいい、それをわざわざ他人を傷つけるためだけに公開するなという理屈星野源のいうとおりだ

不法行為をもとにした権利に関する請求(「アノ素材はフリーライセンスであり自分には二次著作物としての著作権があったはず、消されてしまって著作権シンガイダー」)は裁判になったとしてもよほど芸術作品として秀でたものでないとみとめられないよ

わざわざみなくてもわかるよ、他人政治システムでもない個人)を笑いものにするためだけにつくられた作品なんて

それはそれは醜悪だっただろうね 政治システムへの批判であればパロディで済んだかもしれないもの

ムネオハウス以来ネット民度は低いままだ

著作権法が民法刑法、ひいては憲法の上になりたつ特別法であることを学ぶまで権利ばかり主張するその口を閉じてろ

2020-03-03

「マツコの知らない写真アプリ世界」で気づいた最新のクリエティ

時間は有限である

連休中に「マツコの知らない世界」の「写真アプリ世界」を見たのだが、

その内容が色々とクリエイティブというものについて考えさせられるものだった。

プレゼンテーターとして登場したのは現役女子高校生の二人だ。

二人の喋っている言葉を聞くと、どこの方言かと思うくらい我々の世代言語とまるで違う。

自分が直接会話したところを想像してみてもスムーズ意思疎通ができるとは思えない。

その言葉意味を汲み取って会話を成立させるマツコはやはりタダものではないと感じた。

世間にはJKとお近づきになりたいおっさんたちが一定数いるようだが、

こういったジェネレーションギャップちゃん理解した上で言っているのかと理解に苦しむ。

しろJK世代の娘がいるお父さんたちは夕餉の会話はさぞかし大変だろう。エモすぎ。

閑話休題

私自身はスマートフォンでの写真撮影はよくする方だと思う。

私も妻も外食旅行が好きなのであちこち行っては記念に写真を撮る。

自分容姿に興味がないので顔をいじろうとは思わないが、

光源や色味にはうるさく、彩度明度など各色調パラメータをいじっては唸る。

iPhoneの標準アプリで納得できないときPhotoShopなどを持ち出しては調整する。

もちろん専用のアプリを導入すれば手軽にキレイものが作れるのは知っているつもりだ。

ただアプリでできあがる結果はいひとつ足りないとか、やりすぎになってしまうことが多い。

からもし撮った写真を綺麗にするぞとなった場合は細かいパラメータたちと戦うのだ。

しか番組を見ている途中でふと気がついた。

このワンクリックで作ったまぁまぁのクオリティ写真と、

かいパラメータで何時間もかけて調整した写真とで、

写真美術にさほど興味がない人にはその差がわかるだろうか。

もちろん写真家の作品との比較であれば大きな差がつくのは当たり前だが、

インスタのいいね獲得数トップレベルの人たちの作品はどれもプロ写真家の作品というわけではないが、

そのまぁまぁのクオリティ機能たちをフル活用し、多くの人達評価を得ているからこそ、

の子たちはインスタユーザー代表としてしゃべっているのではないのだろうか。

エンドユーザーからすれば番組プレゼンターとして登場している小娘二人のような、

今インスタをフル活用している世代が使っているアプリの方が圧倒的に強い。

だって無料だし簡単だし、なんといってもスマホ一つで事足りる。

しかも以前Adobeドヤ顔プレゼンしていた背景から余計なものを消す機能も、

今では無料アプリを使って指をなぞるだけで綺麗に消し去ってくれるというから驚きだ。

こうなってしまってはパラメータをいじっているうちに完成像がブレてきて、

あーでもないこーでもないと悩んで調整するよりも、

すぐに結果を確認することができるワンクリックアプリのほうが、

センスをよりストレート作品に反映できるのではないかとすら思えている。

たくさん作品を完成させるほどセンスが育つのは、どのクリエイティブにとっても言えることだ。

特にインスタグラム日常に組み込まれている彼女たちは日々センスが鍛えられているだろうし、

インプットアウトプットのサイクルも驚くほど早いのだろう。

彼女たちも最初キラキラした自分演出することに躍起になっていたのだろうが、

その結果として新しい芸術作品が生まれているということなである

総合的に高いクオリティのものを生み出すには視野の狭いクオリティアップに時間をかけるよりも、

近道できる手段があるのであれば積極的に取り入れるべきであるのだろう。

これはプロクリエイティブにもまったく同じことが言えるのではないだろうか。

効率化を意識し、空いた時間勉強して未来投資するなり、家族と過ごすなりした方がいいと思う。

ずっと作業部屋に籠もって連日残業だの徹夜だのするのはあまり幸せ人生と言えないように思える。

そう。時間は有限なのである

2020-01-19

ダヴィデ像は好感持てる

芸術作品をこんな風に見ていると低俗だと言われると思うが、ダヴィデ像を見て2割くらいの人はち〇ちんに注目すると思う。

包茎だ。

包茎ち〇ちん。

日本では包茎馬鹿にされるけど海外ではそんな事ないらしい。

らしいというか、ダヴィデ像が何よりの証明である

包茎だろうと優れたものであればあれだけ評価される。

包茎にもめげずに頑張っている世の男性にとって、ダヴィデ像は希望である

2019-12-23

anond:20191223174829

https://www.metacritic.com/game/wii-u/earthbound-beginnings/user-reviews

2週間前にこのゲームを手に入れました。誤解しないでください。このゲームは誰もが手に入れるべきだと思います地球最初プレイ!!!! 確かに地球に縛られる前編ですが、実際にはゲームプレイの仕組みがほぼ同じである2つの独立したフランチャイズのようなものを損なうことはありません。 前に言ったように、このゲームは本当にハードのようにハードであり、マザー体験台無しにするかもしれないと信じていますが、それをプレイしてください。

誤解しないでください。このゲームは非常に創造的で、2つの伝説的な続編を生み出しました。 たとえば、Famicomのファイナルファンタジー3のようにグラインディングは面倒です。また、戦闘開始時に体力が十分にある場合でも、ゲーム開始時の最も弱い敵でもあなたを殺すことができますしかし、プラス面では、フランチャイズが有名な風変わりなユーモアはそのまま残っています。 私のように死ぬほど熱心なマザーファンにのお勧めします。 開始する場合は、まずEarthbound / Mother 2またはMother 3をプレイします。

北米人がついにEarthbound Beginningsを体験できるのは素晴らしいことです。 このゲームは、ほぼすべてのNES RPGが苦しんでいるものに苦しんでいます。これはいくつかのペーシングの問題であり、ゲームは完全にハードですが、そうでなければ、マザーゲームの癖と魅力がすべてあります。 素晴らしい旅。

ノスタルジックで美しく、長続きする、古典的戦闘システム、完全にオープン世界、その時代はるかに先取りし、当時の最高のサウンドトラックの1つを備えています

私はマザーシリーズが大好きです! 最後に、アメリカマザー1を獲得しました! このゲームが好きです。 ただし、ランダムに遭遇します。 それはまさにその冒険感覚と魅力を持ち、スタークラフトスプラトゥーンのような他のゲームでは実現できないものです。 それはゲームではなく、芸術作品であり傑作です。

Earthbound Beginningsは、コンテキストで最もよく考えられるゲームです。ドラゴンクエストSFパロディです。 NES RPGメカニックに忍耐力があれば、ゲームは非常に楽しいです。音楽は素晴らしく、文章はしゃれと愚かな参照でぎっしり詰まっていますとはいえ、Earthbound for SNESは単にすべての指標で優れたゲームであり、これをスキップしても何も見逃すことはありません。

2019-11-03

anond:20191103224257

それは知らんけどやりそうなのは村上か?

雑なデカアニメフィギュア芸術作品としてお出ししてアホみたいな値段ついたのも村上だよな

anond:20191103224029

芸術といえば陳湖から液体が出てるフィギアだよ

芸術作品で数億で売れたあれってマジでなんあん

2019-10-28

anond:20191028123430

どうしたらそんな頭悪いこと言えるのかわからないw

その理屈だとオタクには非オタとかけはなれた感覚しかいから、オタクによる主張は非オタに軽視される危険性があると思うんだけど。

に対しての

オタクフェミ一般人だぞ

日本語理解できてないし、日本語理解できてない自己フォロー

それ分かった上で「お前の想定する一般人なんて存在しない」って話だゾ

はもはや芸術作品

2019-10-27

続:献血の話

(元がまとめサイト用にライト文体で書いてたのもあるが、そうでなくとも適当に書きすぎたので雑文になってしまった。その内に推敲して書き直したい)

相変わらず紛糾してるようだが、しかあん無駄脂肪の塊に何を言ってるのだろうかね……あんなもん相撲取りと変わらんと言うのに。

そういう風に誰もが思うよう、身体的な要素を大衆化し、氾濫させる事で性的な要素を減ずるのが本来的なフェミニズムの在り方ではなかったのだろうか。

別に人間自分意思で太ったり背が伸びる訳でもなし、身体的要素の表現自体規制できないだろう。

聖書アダムとイブは知恵の実を食べたが故に、体を隠すようになった……エロティシズムの本質とは隠匿や恥じらいといった禁断的表現である

それを自ら恥じず隠さず表現するのは性的表現の反極地であると言えないだろうか?

そもそもbloomerもミニスカート女性/自己解放運動一種で発生した、言わばフェミニスト自主表現である

それを自己規制しても自己解放しても文句を言うようでは本末転倒であろう。男性が描くのはアウトで女性が描くのはセーフなのか?女性芸術作品性的表現をしてるのには何も言わないのだろうか?

男女の有無が問題なら、作者の性別表記義務化するのだろうか。そうなるとLGBTはどうなるのか?

……とまあ、公開も隠匿も自由じゃないと意味が無いという結論になるだろう。

そうなる故に、何を主張したいのか意味不明だ。男性だって別に全員が性的表現が好きなわけじゃない。我々にも見ない自由、書かない自由が有る。

要するに、表現だけじゃ意図文脈も分からない以上、それを単純禁止とかしても意味が無いという訳だ。

問題とされた例の作品も、主人公というかヒロイン自分身体に自信が無いのに強調してる服になってるとかだったら批判するのも分かる、

しかし、そうではない。自分意思で着た服を否定するようでは、それは女性自身による女性抑圧運動しかない。

世の女性を抑圧し支配してるのが女性自身になっちゃ本末転倒だろう。何を考えて批判してるのか考えた方が良い。

ただ単に性的表現それ自体を抑圧したいなら、それは本来的なフェミ文脈じゃない。それが目的なら性別を問わず性的表現全体を規制するべきだ。

子供の目に触れる所に性的表現を持ち込ませたくないなら、それは今回のポスターには関係ない。献血性的な事を考える輩は極少数派だし、文句を言うのは献血ポスターでなくて少年誌向けで良いとゾーンニングした小学館に言うべき問題だ。

多様化する価値観の中で何を主張したいか決めずに騒いでるなら、外から杜撰理解をされても仕方ないと思うべきだ。

こう書くと下手すれば炎上するだろうが、この騒動を悪意的な見方をすれば「アレで騒ぐような人間フェミじゃなくて、若い子に嫉妬する性欲魔人しか見えない」……こういう誤解を受けても仕方ないと私は思う。そして、そういう軽率人間文脈も見ずに「」内を批判する。

Twitterみたいな短文ツールでは意図が伝わらないのは有ると思うが、少なくとも真に女性蔑視を避けるなら、女性自身が同胞軽率言動を諭さなければ何も始まらないだろう。

支配に対して支配で対抗するような女性は、名誉男性である。そういう合言葉を使っていくのが、今後のフェミニストのあるべき形ではないだろうか?

まあ……既に正当な女性を抑圧するのに、その言葉は使われてるかもしれないがね。それでも、最後まで諦めず言論を尽くして理解を求めるべきだと私は思う。

2019-10-19

宇崎ちゃんは遊びたい!ポスターJOKERとの遠くて近い深い溝

最初に明確にしておくと、肩書発言思想信条は別のものだ。

例えば、ものすごく良い人で会えば皆良く言うのに発言がアレな人なんてのは多い。

そして、とても明晰で仕事も確実で信頼性の高い取引先が、飲みに行くとアレな話をすることも多い。

そして、人はみなスティーブン・キング程には表現が上手ではないので、

「うわヤだな」と思ったことに後から理屈をつけて話す事が多い。少なくとも自分はそうだ。

最初に「宇崎ちゃんは遊びたい!献血ポスター論点を明確にしよう。

まずAからだ。性的ポスターか否かである

端的に言えばその社会集団規範によって異なる。

そのため、時代にも場所にも、宗教観にも左右されうる。

DCコミックスワンダーウーマンは、その物語がある程度北米で共有されているため、特に男性から消費される性の対象として描かれているとはみなされない。

しかし、イスラム圏のポスターワンダーウーマンを描けば非難対象になるだろう。

から、「あのイラストエロいかどうか」は、時と場合による。

つぎにB、宇崎ちゃんを好ましく見る人に届けば良い、そうでない対象外の人は見なければ良い、とする意見である

嫌なら見るな、であり、この論点では難しい筋論が必要になる。

公共ポスターであり、ゾーニングされているわけではないからだ。Bは対象外の人も見えてしまうとする方が自然だろう。

つぎにCだ。知り合いの医療従事者もこの立場だったが「血が足りないのだから手段を問うている場合ではない」。

医療、という場面は特殊なので、十分に争いの余地がある。

外科医はその職責において傷害罪に問われないという点から考えても、一考の余地がある。

待ったなしの局面において、明確に違法でなければ何をしても良いと考える医療従事者は、割といる。

半裸の男性カレンダーが、売上が慈善に繋がる場合かなり好意的に受け止められている。

まり公共性の高さ、公共の福祉というのは、他よりも優先度を上げるという考え方は、社会によっては有り得る。

つぎはDだ。表現自由は、公共ポスターにも適用されうるか

表現不自由展は、「芸術作品表現が、制限される」という点で問題視されていた。

宇崎ちゃんは遊びたい!が、例え半裸のポスターであっても、適切に販売されるなら検閲すべきではない。

問題はそれが、どこまで自由で良いのか、だ。

クリムトウィーン大学向けに描いた作品が論争を引き起こして納品されることが無かったのは有名な話だ。

ポイントは、「作品」ではなく「掲示する場所」だ。争いの余地がある。

つぎにEだ。公共ポスターは、環境セクハラに該当するか。

職場ヌードポスターを貼るのは、環境セクハラに該当する、とされる。

Aの論点において「性的ポスター」であり、Bの論点において「嫌なら見るな」は否、ならば環境セクハラに該当するだろう。

まり性的か否か、対象外の人に見えるか否かが、Eの結論に影響する。

性的ポスターでなければ、該当しない。

性的ポスターであっても、該当の人にだけ見えれば良いという論陣なら、やはり該当しない。

最後にFだ。環境女性に好ましくない状況である中で、それを維持強化して良いかである

これは、「その環境にある、ない」か「強化するか否か明確でない」か「強化はする、強化しない」の論点がある。

強化しない、強化する、いずれも明確に証拠提示するのは、とても困難な作業になる。

女性男性よりも性的に消費されやすいとする証拠もまた、提示が難しい。

よってこれは、「その可能性がある」とする立場で考えるのが一番自然だ。

その場合であるときに、他の論点がどう変化するかが、論点となる。

さて、こうすると、例えば自分立ち位置は、以下となり今回の件はOKという立場だ。

A「性的ポスターである

B「ゾーニングはできていない」

C「医療は許容度が高い」

D「表現自由尊重される」

E「環境セクハラに該当する」

F「女性に不当な性規範が強化される可能性はある」

これは端的に言えば「環境セクハラ女性の不当な扱いを強化する可能性があるが、表現自由に加えて公共の福祉(医療)の方が優先度が高い」とする立場だ。

自分は、全く同じ図案のポスターが「読書感想文全国コンクールポスター」であればNGとする立場だ。

環境セクハラに該当する図案の場合表現自由よりも子供教育環境は優先されるべきと考える。

まり、同じポスターも時と場合によって許容度が違うと考えている。



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さて、長い前フリを読んでくれてありがとう

JOKERは、アーサーという中年男性が、コメディアンになる夢を追いかけ、他人から利用されるだけであることをやめ、自分悲劇喜劇であることに自覚的になる、悲しい物語だ。

JOKERはそのスタッフクレジットも、全体として「喜劇」のフォーマットで作られている。軽やかな曲とともに始まり、明るく楽しげな音楽で終わる。

アーサーは、自分悲劇であることを十分に自覚している。

そしてその悲劇が、喜劇的なエンターテインメントであることを理解している。

アーサーは人を笑わせるコメディアンになりたいのであって、人から笑われるピエロであることは望んでいない。

アーサーは人からはわかりにくい障害を持っている。緊張性の発作のように、自分意志無関係に笑ってしまうのだ。

劇中には小人症の人物も出てくる。その特性障害)はわかりやすい。それでもソレは笑いのネタにされる。

現代では、小人症の人物揶揄するのは不謹慎だとされるだろう。

同様に、アーサーの症例精神病として一般認知されていれば、当然それについて差別したり揶揄するのは、社会的に許容されない。

社会的に許容されないというのは、そんな現実がない、ということとは明確に異なる。

たぶん、アーサーは、現代でも差別され生きにくさを感じると思う。

もちろん表立ってではないし、合法的になんの問題もない理屈の上で、差別されると思う。

アーサーがJOKERになったゴッサムティと、宇崎ちゃんは遊びたい!献血ポスター掲示される現代は、とても遠くて、実はすごく近い。

そして、予算公共の福祉は、簡単個人の感想を押し潰す。

医療のための緊急避難だと考えている人が多ければ、たぶん遠く、

この程度で文句をつけてくるなよと考える人が多ければ、たぶん近い。

https://anond.hatelabo.jp/20191018190306

2019-10-16

anond:20191016102025

見たくないと思っている人の事を否定しないでほしい。

別に見たくないというのはそのひとの勝手だし否定してないけど、公共空間掲示することが見たくない人のことを否定したことになるのなら(はい条件法ですよ)、公共空間から撤去することは見たい人のことを否定したことになるじゃん。

なんで見たい人の権利と見たくない人の権利を比べてデフォルト後者の方が優先されないといけないということになるの?

色んなものがあるのが公共空間でしょ。雑然としていて多様性があって、それぞれの人がそれぞれの不快感を抱えながら過ごすのが公共空間でしょ。

あと、愛知トリエンナーレの事は否定肯定もできない。

あの場合は「意見を出し合うのを目的とした芸術作品お金を払って見に行く」

という事かなと…うーんこの件とは別件だと思う。

手ひどい裏切りだよね。

私はあいトリの会場にある芸術作品について別に不愉快だと思ったことはないけど、不愉快だと思う「表現の自由戦士」も大勢いたと思うんだよね。

でも彼らは「あいトリの表現の自由は守られるべきだ。たとえ不愉快表現であっても」という論陣を張った。

それなのに「それはそれ、これはこれ」でこちらの自由を制約しようと試みるんだ?

本当に手ひどい裏切りだと思う。そりゃないよ。

でも優しくて快適な世界が良い。

あい画像公共空間に堂々と掲示される世界が俺にとって優しくて快適な世界です。

俺の優しくて快適な世界文句をつけるあんはいったい何様?

何を優しいと感じるか、何を快適と感じるか、それは人それぞれで、だから表現の自由っていうものがあるわけなんだけど、無条件に「見たくない人の権利」を上位に置くあなたはいったい何様なの? というね。

2019-10-12

アートに関するよくある勘違い

表現不自由騒動きっかけなのか、最近アート」に関する勘違いを頻繁に耳にする。

とりあえずポリティカルなことや特定展覧会人物の動向は抜きに、アートに対して人々が抱いている勘違い淡々と正してみる。

文章が読めない人向けに繰り返すが、別に表現不自由展」など特定展覧会作品の是非について語っているわけではなく、人々が抱く「アート芸術」に対する先入観について語っている。


自費でやれ?

基本的に、人間芸術で食っていけないという前提がある。

前史時代から現代に至るまで、金銭作品発表場所など、なんらかの「補助」なしで歴史に刻まれ芸術作品芸術はいない。

「補助」は大まかに分ければパトロン系、政府系に大別されると思う。

パトロン

バッハミケランジェロボッティチェリレオナルド・ダ・ヴィンチ…今も知られる芸術家のほとんどは貴族王族庇護のもとにあった。特に有名なのはメディチ家。かなりの数の美術作品メディチ家庇護のもと、もしくは依頼で作られている。

モーツァルトのようにフリー音楽家に転身した例もあるにはあるが、彼ですら転身後、晩年は困窮していた。それどころか、主な収入源はやはり貴族などに委嘱されて作った楽曲によるものだそうだ。

現代だと、欧米では自らの作品を売り込んでファンドを得る、ほとんどビジネスマンみたいなアーティストが多い。ビシッとしたスーツに身を包み、自らの作品に新たな価値付けをして売り込む姿は、ベンチャー起業家のそれと変わらない。

政府

こちらは王政封建制より後の政治体制下の芸術に対する補助。大まかに分けると、プロパガンダ芸術と、政治思想のない(あるいは薄い)経済的補助がある。

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政治思想とは一定距離を置いた経済的補助で、一番大規模かつ有名なのはアメリカが1930〜40年代に行った「連邦美術計画」だ。ニューディール政策の一環として、政府が数千人から1万人単位アーティストを雇い、パブリックアート制作などをさせるというぶっ飛んだ規模の政策である

因みに「連邦美術計画」の効果は凄まじいもので、その後巨匠と呼ばれることになるようなアーティストを多数輩出し(ポロックベン・シャーンなど)、抽象表現主義などのアメリカ発の芸術運動バンバン興った。

それまでヨーロッパ中心だったアートシーンは、この時代前後を境にアメリカに移ることになった。さらに因むと、未だにアートシーンの中心はアメリカである。その市場規模は、世界アート市場の5割弱を占め、日本円にするとおよそ3~4兆円。しかも年々拡大し続けている(参考までに、日本美術市場は2,000億円強 / 中国は1.5兆円弱)。

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一方、プロパガンダ芸術で有名なのはソ連ナチスなど。政府意向政治思想に沿った作品を、政府が補助して制作させるというもの。作られた作品政府思想を広める宣伝ツールとして使われることが多い。

上述した政治思想とは一定距離を置いた経済的補助とは違い、題材やテーマなどは厳密に決められており、メディチ家などのパトロンの元での芸術活動に少し近いかもしれない。

ただ、これらの政府体制下で作られたプロパガンダ芸術は、今のところ芸術としてはあまり評価はされていない。

あくま個人的見解だが、プロパガンダ芸術はその性質大衆向けにならざるを得なく、どうしても前時代的なものになってしまうのが要因かと思われる。 ※ グラフィックデザインなど、一部評価されている分野もある。

なお、これらの国では、現代アート前衛芸術は「退廃芸術」として弾圧対象となっていたことも言及しておく。弾圧されたアーティストアメリカ渡り祖国に残ったアーティストを横目に名声を得たという例はかなり多い。


政治色をもつ作品芸術ではない ?

上述のようにプロパガンダ芸術にあまり価値が見出されていない現状を考えると、一見正しい意見に思える。

だが「20世紀代表する作品の一つ」とまで言われる、ピカソの「ゲルニカ」をはじめ、政治的なアティテュードを有する芸術作品は意外と多い。

現代であれば例えばバンクシーは思いっき政治的な作品で知られるが、今やアートシーンにはなくてはならない存在だ。

文学音楽映画だって政治的な意味合いが強い作品はたくさんある。

政治色をもつ作品アートじゃない」という言説は、「ジョン・レノンの"イマジン"は政治的なメッセージがあるから音楽じゃない」と言ってるのに等しいのだ。


大衆に受け入れられないもの芸術ではない?

しろ現在享受されている芸術作品で、大衆向けに作られたものはあまり多くはない。

バッハミケランジェロボッティチェリレオナルド・ダ・ヴィンチなどに代表されるような近代以前の巨匠たちは、先述の通り貴族王族むけに作品を作っていた。そもそも一般大衆向けの芸術ではない。

時代大衆向け芸術だと、例えば音楽では吟遊詩人酒場で歌うリュート曲とかがあるが、現代でも聞かれているかといえばNOである。もちろん、歌舞伎ケルト音楽など、現代まで残っている大衆芸術もあるにはあるが、近代以前の大衆芸術ほとんどは淘汰されている。

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現在大衆に受け入れられるアーティストでいえば、おばちゃんが大好きなモネは発表当時ヘタクソだの何だの批判されまくったし、今や知らない者はいないゴッホはご存知の通り作品が1枚も売れないまま精神を病んで死んだ。ストラヴィンスキージョン・ケージなどは、初演で暴動間際になったこだってある。

これらの例から、むしろ後世に残る作品は、同時代に生きた大衆感覚からはかけ離れていたことが分かる。でも、モネは今や企画展花形だし、ストラヴィンスキーバレエ曲の定番だし、ゴッホの絵を見ては「俺の方がうまい」とか宣うおっさん美術館の風物詩だ。どの分野に関してもそうだが、専門性が高くなればなるほど、大衆感覚はあてにならなくなる。自分感覚と相容れない現代美術作品を「こんなの芸術じゃない」と一蹴することは自由だが、それらの作品は100年後にはもしかしたら現代におけるモネのように広く受け入れられているかもしれないのだ。

かつて相対性理論が発表当時「完全に理解できるのは世界で数人しかいない」と言われていたのに、(専攻科にもよるが)現在では大学で習うのと似ている。これまでの価値観をひっくり返すような価値のあるものは、常人には理解できず、時間をかけて少しずつ受け入れられていくものなのだ

グリーンバーグ論文

この問題については、未だ現代美術に大きな影響を与えているグリーンバーグという美術評論家のおっさんが書いた「アヴァンギャルドキッチュ」っていう論文が分かりやすい。

この論文は、日本語訳もされているし、原文はインターネットでも読めるが、大衆感覚芸術作品価値乖離について論じている。要するに、「大衆迎合し消費される美術」と「前衛的な美術」ならば、後者の方が価値があるっていう内容だ。

80年前の論文なのだが、芸術分野では未だに影響力が大きい教科書の一つ。とても短く、すぐ読み終わるので、興味があればぜひ読んでみてほしい。


不快作品公序良俗に反する作品芸術ではない?

作品の題材として「裸の女性」というのは時代を問わずポピュラーだが、19世紀までは神話聖書出来事以外で裸体を描くことは不道徳とされた。端的にいえば、不快であり、公序良俗に反するとされた。

実際、マネによって描かれた「草上の昼食」や、裸体の売春婦を描いたとされる「オランピア」は発表当時大問題になった。「現実女性の裸を描くなんて、淫猥である不道徳まりない!下品メスゴリラを描きやがって!こんなのはアートではない!」というわけだ。

しかし、どちらの作品も今やマネ代表作。オルセー美術館に収蔵されていて、後の時代芸術からオマージュ対象とされるような絵画として扱われている。

一例を取り上げただけだが、時代を問わず同じような現象枚挙に遑がない。


写真みたいに写実的に描けている作品は素晴らしい?

簡単にいえば、写真実用化された時に「じゃあ写真でいいじゃん」ってなった。「写真絵画は違う」という考えに立脚し、ある時点でそれぞれ全く別の路線を歩むことにしたのだ。

で、モネみたいに空気感を描く作家や、セザンヌピカソみたいに多視点的にものを捉えて一枚の絵に表現する作家が登場した。これらの手法写真では(簡単には)表現できない。要は「写真じゃなくて、絵画からこそできる表現」というものが重視されていくようになった。

そして「じゃあ絵画価値ってどこにあるの?本質って何?」って突き詰めていった結果、「絵の具じゃね?」という話になり登場したのがポロックなどの抽象表現主義。「コンセプトじゃね?」という話になり登場したのがコンセプチュアル・アート特に後者現代美術への影響は色濃い。

もちろん、写真のようにリアル作品価値がないわけじゃなく、スーパーリアリズムのような動きもあった。ただ、20世紀以降のほとんどの芸術家は、「写真みたいにリアルであるかどうかとは別の土俵表現をしていることは知っておいてほしい。アーティストにとって「写真みたいリアルですごい」というのは必ずしも褒め言葉ではないのだ。


終わり

分かりやすさを第一に書いたので、表現が正確ではないところもあるし、時代的に前後したり乖離していたりもするが、だいたいこんな感じ。

文章中でも少し触れたが、アメリカ中国欧州比較すると日本美術市場はかなりちっぽけだ。国内アートがよりよく理解され、シーンが活性化することは、大きなマネーが動く「市場」を生み出すことにも繋がる。先述の「連邦美術計画」などは、政府美術に注ぎ込んだ「補助」に対して、「年間3兆円強のマネーが動く市場」という計り知れないくらい大きい対価をもたらした。アートにはそんな力があるし、前衛を受け入れる懐を自ら作り出したからこそ、現在アメリカ立ち位置がある。兆規模の市場から得られる税収は、控えめに言ってもバカにできないはずだ。

アートの受容と活性化は、普段アートに触れない人にも価値がある。少しでもみんなのアートに対する誤解が解けることを願ってやまない。

[]2019年10月11日金曜日増田

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