はてなキーワード: 私たちとは
下方婚のエントリをみて、我が家は上手くやっている方だなと思ったので書いていく。
上手くいく理由は以下の通り。
(夫は「俺は貯蓄がないから慰謝料300万円が払えない。結婚したら君だけが不利で可哀想だから」とのこと)
・めちゃめちゃいい家電を買い揃える(ドラム式洗濯機、ホットクックなど)
・子供を産む気がない
私は年収が高い≒偉いなんてことがなく、ただ運が良くいい企業に入れただけだと思っている。私の仕事は完全なブルシットジョブだし、PC一台で終わるし、偉いもクソもない。夫のことをリスペクトしている。
下方婚について書いている女増田は、なんか相手のことを見下しているような気がしている。それが相手にも伝わったから不倫されたんじゃ?
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コメントで指摘されて気づきましたが、確かに具体的な情報を書いていませんでした。お詫びいたします。
ワイ:早慶上理のどこか。外資系IT企業営業。昨年度の年収が980くらい(1000万円は盛りました。すみません)。有給は秒で取れるし、ホリデーも長め。
夫:早慶上理のどこか。週2でコールセンターバイト(今年から扶養制度変わるみたいだからどうするか悩んでる)。顔かっこいい。ホモソーシャルが苦手だから色々あって兼業主夫になった。
結婚生活についての私の考え方が、一般的な価値観とズレていることに気付きました。子供を含めた結婚が一般的だということは理解していますが、我が家のような形も存在するということを伝えたかったのです。(ちなみに、ゼクシィなどのカップル特集に応募しましたが、一度も通ったことがありません。私たちのケースが参考にならないからでしょう……)
私が最も伝えたかったのは、結婚生活において重要なのは「愛」と「リスペクト」であり、年収や役割分担が全てではないということです。年収300-500万円の人々は現場に近く、ストレスが溜まりやすい階級です。そこに家事を求めるのは無理があるし、パートナーに対する愛とリスペクトの気持ちがないと結婚生活は破綻するのではないでしょうか。伝え方が下手で申し訳ありませんでした。
「夫婦二人なら家事は大したことない」というコメントがありましたが、そんなことはありません。子供がいる場合がさらに大変なのは承知していますが、二人暮らしでも家事は手間がかかります。家電にアウトソーシングできるなら投資した方が、夫婦でゆっくり過ごす時間が増えると思います。
最後に、こんなエントリにコメントをしてくださった方たちに感謝いたします!結婚の形は人それぞれであり、幸せの形も様々です。お互いに愛とリスペクトを持って生活していけるよう、これからも努力していきましょう〜。
「この方を私たち女性が(知事として)生まずして何が女性でしょうか。生まれてくる未来の静岡県を考えると、手を緩めてはいけない」
と述べ、支持を訴えた。
https://www.yomiuri.co.jp/politics/20240518-OYT1T50142/
白人=剣士に比べて黒人=斧使いの活躍の場が少ないから増やそう!みたいな話だったんだな
世の中には美容を頑張ってる、筋トレがんばってる、子育てがんばってる、仕事頑張ってるみたいな気合いいれてる女子の動画もたくさんあるけれども
ずっとがんばってる、努力している人ばかり見ていると私のメンタルが疲れちゃうので
エミリンのダイエット本を出した後にリバウンドしているゆるい感じはなんとも心地いいのである
岡田斗司夫だってダイエット本出した後リバウンドしてるけど楽しそうに笑って生きている
みんなYouTuberに厳しいなと思う
エミリンを叩いている人は体型が細くて化粧がうまくて、自炊をがんばって、仕事もこなしているのか??
お前たちは完璧なのか??そんなに完璧な人間が見たいなら違う女YouTuberの動画を見ればいいのになんでアンチするためにわざわざ嫌いなYouTuberの動画を見てるんだと突っ込みたい
女だけど、下方婚した。
私自身は下方婚したことに不満はないんだけど、ぶっちゃけこれは私だから大丈夫だったんだなという固有の要素が多いので、1つの事例として参考になればいいと思い今これを書いている。
35歳。
年収1200万〜1500万くらい。
30歳
年収600万くらい。
外食費
まず、第一に私たち夫婦が子供を望んでいないことが上手くいっている一番の理由なんだと思った。
何をどうやっても子供を産むとなると、出産前後は女は働くことができなくなる。さらに、友人の話を聞いていると産後に体の調子が元通りになるとは限らない上に、そもそも妊娠中もつわりなどでロクに働けない場合もあるとのこと。私のように完全に大黒柱として機能している場合、そんなリスクはとることはできないなと思った。生活水準を下げればなんとかなる世帯年収なんだろうが、そういうことをするときっと夫婦喧嘩の種になると思う。ちなみに、こういうことを言うと「病気や怪我で働けなくなった場合は?」と言われるが、病気や怪我の場合は医療保険も効くし、あまり現状の社会保障の中では子を産むことと並列で語るべきではないと思うのでいったん割愛する。
そして私が在宅リモートできる仕事であるというのも大きい。正直、夫は「部屋が汚くても気にしない!」なタイプなので、彼を家事担当のメインにすることは非常に現実的ではない。明らかに私の負荷が大きくなろうとも、私は部屋の清潔を保ちたいのだ。そう考えた時に、仕事の合間に掃除や洗濯をできる今の仕事はとてもありがたい。仕事仲間も理解があるので、結果さえ出しており連絡にすぐ応えられるようにしていれば仕事以外のことをしていても文句は言われないし、みんなそうしている。
そもそも多分、高級取りの職業の方が職場環境がホワイトである可能性が高く、自由が効きやすいんだと思う。だから、高級取り同士での下方婚であれば子供を産んでもうまくいきやすいんじゃないかなと思った。逆に、私の夫くらいの年収以下くらいの年収レンジの会社は自由が効かない場合が多く、下方婚では子供を持つことは厳しいのではないかとも思った。さらに会社も周囲も本人自身も「男はこうあるべき」みたいな意識を強く持っている場合が何故か多く、男がメインで家事育児をやりづらい状況があるというのもあるかもしれない。(高級取りの会社の方が受けている教育の違いなのか、リベラルな考え方が多い気がする。)
わびとは、新鮮で素朴なもの。
シンプルさと静けさを表し、素朴な美しさも取り入れている。
自然によって作られたものと人間によって作られたものの両方が含まれる。
また陶磁器に流れる釉薬によって作られる模様のように、全体に優雅さと独自性を与える偶然の要素 (あるいは小さな傷さえも) を意味することもある。
経年変化のことを指し、使い込むことで変化していく概念が、物をより美しく、より価値あるものにしてくれるかもしれない。
これには、人生のサイクルを正しく理解することと、損傷を注意深く巧みに修復することも含まれる。
「わびとは、素朴でありながら洗練された孤独な美の性質です。さびとは、青銅の緑色の腐食であれ、木や石の苔や地衣類の模様であれ、風化と経年変化によって生じるその特質です。」- 精神の反映:アメリカの日本庭園、マギー・オスター
「もともと、日本語のわびとさびはまったく異なる意味を持っていました。さびはもともと「寒い」「痩せた」「枯れた」という意味でした。さびは本来、社会から離れて自然の中で孤独に生きる悲惨さを意味していました...14世紀頃両方の言葉の意味は、よりポジティブな美的価値観の方向に進化し始めました...その後何世紀にもわたって、わびとさびの意味は大きく交差し、今日ではそれらを分ける境界線は実際に非常に曖昧になっています。」- 「アーティスト、デザイナー、詩人、哲学者のためのわびさび」、レナード・コーレン
「わびという言葉は、翻訳には向きません。孤独、寂寞、素朴な素朴さ、静かな風情、骨董品に対する優しい愛情、気取らない、そしてむしろ憂鬱な洗練など、さまざまな意味を持ちます。」- 「日本建築の古典的伝統:現代版」数寄屋の流儀』 伊藤貞二、二川幸雄
「...小堀遠州、桂離宮の設計者として広く知られている男。建築や庭園に適用された遠州の様式は、宮廷の伝統の優雅さと優雅さと、千利休が好んだ厳格な素朴さを統合したものでした。この組み合わせは、思っているほど突飛なものではなかった。なぜなら、利休のさび(人里離れ、静けさ、牧歌的な簡素さ、自然への近さを暗示する美的理想)は、長い間伝統的な日本人の顕著な特徴であったある種の現実逃避的な要素に似ていたからである。」- 「桂 王子の隠れ家」内藤彰、西川丈志
「わびさびとは、不完全、無常、不完全なものの美しさです。控えめで謙虚なものの美しさです。型にはまらないものの美しさです。...わびさびに最も近い英語はおそらく「rustic」でしょう。 ……わびさびなものは、研究されておらず、気取らないものである……彼らの職人技は、見分けるのが不可能かもしれない。- 「アーティスト、デザイナー、詩人、哲学者のためのわびさび」、レナード・コーレン
「侘び寂びは、謙虚さ、抑制、単純さ、自然主義、奥深さ、不完全さ、非対称性を特徴とし、シンプルで飾り気のない物体や建築空間を[強調]し、時間と手入れが素材に与える穏やかな美しさを[称賛]します。」-「はじめに:茶の湯」、裏千家シアトルホームページ
「荒々しさに対するある種の愛が関係しており、その背後には隠された美しさが潜んでいて、私たちはそれを独特の形容詞で渋い、侘び、寂びと呼んでいます。...この内に秘められた美しさを渋いと呼んでいます。創造者によって鑑賞者の前に提示される美。鑑賞者が自分自身で美を引き出すことができる作品。 世界には、それぞれの性質や環境に応じて、美のさまざまな側面が溢れています。しかし、その味わいがさらに洗練されていくと、必然的に渋い美しさにたどり着くのです。」- 「知られざる職人:美への日本の洞察」、柳宗悦、バーナード・リーチ
「日本滞在中、渋いという言葉を頻繁に聞いたことがあるはずです。この言葉を英語に正確に翻訳することは不可能です。「厳格」、「抑制された」、「抑制された」、「陰気」、これらの言葉は許容される代替品に最も近いものです。語源的には「渋い」という意味で、奥深く、控えめで、静かな感覚を表すのに使われます...この単純な形容詞が最高の美しさの最終基準です。」- 「日本の民芸」柳宗悦
共同親権で結婚・出産・育児に対する女のリスクを高めて忌避感情を煽ったところに、選挙を出産に例える言葉選びはさすが自民党の閣僚だなって思いました。煽り能力が高すぎる。さすが「こんな人たちに、私たちは負けるわけにはいかないんです」政党だよ。せいぜい山上られないよう気をつけろよ、売国カルト。
近年、アニメのタイアップ曲に作品への解像度の高い楽曲が提供されることが増えてきた。タイトルに挙げたYOASOBIや米津玄師はそんな解釈一致アーティストとも言えるような、作品をちゃんと解釈して曲を作ってきてくれているアーティストの代表者だと思う。
しかし私は決して彼らに解釈を丸投げしない。私達にはイメソンという文化がある。古来より私達は往年のラブソングや悲哀の歌に推しを重ねてきた。解釈の歴史で言えばこちらも負けていない。人斬り浪人のアニメに甘い恋の歌が当てられようと、それが作品鑑賞に当たって大きなマイナスになることはなかったのだ。
だから私は解釈を丸投げしない。もちろんアニメに合った曲を作っていただけるのはありがたいが、私は私のイメソンを追求させていただく。悪く思わないでほしい。私は、あるいは私たちは解釈の鬼なのだ。
まずさぁ
「鼻で笑う」の使い方が間違っている。この慣用句はバカにするニュアンスであり「怒り」とも「呆れ」とも異なる。
普段から正しい日本語で生きてる読者であれば、まずこの時点で「こいつの日本語能力大丈夫か?」という懐疑的視点がインストールされる
さらに、「怒り」と「呆れ」の感情はそれほど近くない。女はズルいと怒っている人は同時に呆れたりしない。
当然、だから「鼻で笑」いもしない。恵まれた女に接した時の感情は「憤り」「むかつく」「顔を真っ赤にしてマジレス」とかじゃないか?俺ならそうなるが。
一文が長い!(パァン)
大学に行っても目立つタイプ、拗らせミソジニーを発動する拗らせエリートの同級生男子が、いつの間にかそのまっすぐな人柄にやられて好意を抱いたりする程度にはモテる。
「大学に行っても目立つタイプ、」が誰に掛かっている形容詞なのかわかりづらいため、すらすらと読めずウッと詰まってしまう。
おそらく「同級生男子」を形容したいのだろうが、そこまで同級生男子にフォーカスしたいならまず紹介に1段落使え。
寅子の家には、父が面倒を見ている司法試験合格を目指す書生がいて(アッパークラスのご家庭ならでは)この書生とも「私たち同じ道を進む仲間よね」という異性友達ムーブをぶちかましているが、書生は寅子に片思いである。
突然出てきた書生の紹介がまた長い・・・
と思ったらまた拗らせエリートに話題が移る。そもそも三人称を揺らすな。読者はまだ「同級生=エリート」っていう代名詞の変遷も消化できてねえから。
ナナメ読みしたら、「エリート」と「同級生」と「書生」っていうキャラが3人いるのか、エリートで同級生で書生なのかも不明なわけ。さらに登場人物に次々フォーカス移されたんじゃ目が滑ってわかんねえんだわ
書生の紹介したならしばらく書生にまつわる話だけしろ。
何がそりゃそうだなのかもわかんねぇしよ。
それお前の中でのそりゃそうだだろ。そのお前の価値観べつに普遍的じゃないから。
は~わかりにくい
繰り返すが、これで「文章構成がうますぎる」とか「説明が上手」とか、正気か?
あのさ、読み手の頭ン中を想定してなくて自分視点すぎなんだよね。お前女だろ?これわりと女特有なんだよな。
お前の頭の中では最高面白トレンディドラマがリプレイされてんのかもしれないけどさ、こっちにはリプレイするための録画がないの。まずそれ理解してくれ。
話が時系列すぎだから。頭の中でストーリーを追いながらそれを乱雑に出力してるだけにしか見えん。
だったらあらすじを書けばいいのに、あらすじとしては重要であろう情報を中途半端に省略するからもはや何が言いたいかわからん。
「魅力的である。」どん! じゃねーよ
お前がごくごく個人的に魅力的に感じてるだけだろ
その下の1段落読んでも全然魅力的に感じなかったよ俺は。魅力的であるって言いたいんだったら魅力を書けよ
「恵まれた家庭に生まれて能力もあるスーパーウーマンです。舞台が戦争なので時勢に巻き込まれて色々苦労します。実はモデルとなった女性が実在します。」
はあそうですか、としかならねーのよ。
そのキャラのパーソナリティや、そのドラマの各回のストーリーはもちろんのこと、あるキャラに魅力を感じるための価値観からして根本的にお前と共有してないのよ
お前がどんな人物を魅力的に感じるかをこっちに前提として押し付けてくんの辞めろ
ここで初出の情報
そうですか
ん?来週・・・?あっ、これって「今やってるドラマの紹介」なのかよ!過去作じゃなくて!
で、よく見ると上の方に
とか書いてあんのな
その段落登場人物の情報じゃねーのかよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
段落に質の異なる情報を混ぜるな!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
これまでずっと恵まれていたはずのものをどんどん奪われ不満が溜まっている人たち、「女は狡い」、「現代の女は特権階級だ」と思っている人
いま現在恵まれてない男ってのは、別に産まれてこの方恵まれていた時代なんかねえんだよな
「これまでずっと恵まれていた」って、まあそれはあったのかもしれんけど、時代とか世紀レベルの話でしょそれ。マクロな話じゃん
ミクロな男個人の視点では「昔は享受してた特権をいつのまにか奪われた」みたいな認知はしてないの
「俺の知らない上の世代が勝手に好き放題やったせいで、生まれつき色々なものを剥奪された状態から人生がスタートし、それが今も継続中」なの
だから最初からそうなんだけど、この後もお前の価値観にちょいちょい引っかかるんだよね
まずそれを知ってほしい
無理かな・・・男憎いもんね
フェミニズムドラマくっさーと思った時点で、ドラマとしてよくできてるかとかどうでもよくなるんだよね。拒絶。拒否。無理!Not for me
で、逆にドラマとしてよくできてるかどうかを気にする人なら、フェミニズムドラマくっさーとは思わないでしょ
無価値
節々で感じるんだけど、お前はいったい誰を想定して文章を書いてるんだろうな
ぶっちゃけ「自分と価値観を共にして、別に自分が紹介なんかしなくても魅力を感じてくれるであろう内輪の友達」だろ?
だってお前の紹介を見れば見るほどキモすぎてみる気うせてくるもん
お前の目的が
であれば大失敗してると思う
これはお前がオナニーを公開してるだけ
お前が、自分が気持ち良くなる方法をひたすら熱弁してるだけなんだよ
と本気で思ってるんであれば、まずやるべきはこのオナニーみたいな文章を公開することじゃなくて
「フェミニズム大嫌いな人」がどのような人生や経験を経て大嫌いになったのか考察することなんだよね
妄想で捉えてる
認知が歪んでる
まあ本気では思ってないんだろうな
別にフェミニズム大嫌いな人と仲良くしたい理由とかなさそうだし
kura-2 フェミ好きでもキライでもないけど、これ見て見たいと一ミリも思えないな。まったくもって興味がわかない。アンテナ折れてるのかなー
2024/05/18 リンク yellowyellow
折れてない!折れてないよ!お前のアンテナビンビンだよ!
元々興味ない奴がこれで興味を持つことは絶対にあり得ません。むしろ無理度が増すし、「なんかキモいな・・・」ってちょっと引くくらいが適切
なぜなら主人公は「ひたすら恵まれている」ハイポジションリベラル女子」だから。日頃から女はズルいと怒り呆れがちな人たちが真っ先に鼻で笑うタイプの恵まれた女だから。
ドラマの主人公の寅子は、投資銀行に勤める父と良妻賢母の母という大正~昭和初期のアッパークラスの、それもリベラル色の強い理解あるご家庭に生まれて、その潤沢な社会資本を余すことなく享受して弁護士の道を自由に邁進している。そして勉強大好きで周囲が態度を変えるほど頭が良く生まれついてもいる。そして子供のころから正義感がある。家柄が良くまっすぐ育った明るい優等生。
大学に行っても目立つタイプ、拗らせミソジニーを発動する拗らせエリートの同級生男子が、いつの間にかそのまっすぐな人柄にやられて好意を抱いたりする程度にはモテる。
寅子の家には、父が面倒を見ている司法試験合格を目指す書生がいて(アッパークラスのご家庭ならでは)この書生とも「私たち同じ道を進む仲間よね」という異性友達ムーブをぶちかましているが、書生は寅子に片思いである。そしてこの書生よりも寅子の方が圧倒的学力がある。要するに立場的にも、恋愛的にも経済的にも非対称性が生じている年上の男性を寅子は「異性の友人」として遇している。中々のタマである。
寅子は、前述した好意を抱かれていた拗らせエリートに「彼女に結婚してくれとはいえない、彼女の夢を奪うことになるから」と思われて振られてしまうのだが、それまでどっちつかずの態度だったくせにいざ振られるとショックを受けたりするし、せっかく弁護士になったのに依頼が来ないのは私が結婚していない(社会的信用がない)からだ、と思いつき慌てて縁談を探してもらうがうまく行かない。そりゃそうだ。
ところが助け舟で、寅子に片思いしていた家の書生から結婚をしたいと言われる。渡りに船と逃げ恥のような「条件偽結婚」だと思い込みスピード結婚を承諾するが、前述のとおり書生は寅子に片思いしていたわけで、初夜にぬいペニ状態となる。かわいそうな仲野太賀…。
と、寅子の痛さを中心に4月にドラマが始まって今日までの1カ月半を振り返った。フェミニスト嫌いの諸氏や、女はずるいと常々思っている諸氏が叩き放題の「豊かさという下駄を履いて産まれた恵まれた女様」それが寅子である。伊藤沙莉が演じていなかったら大変なことになっていたと思う。
「虎と翼」は、現代の問題を昭和初期の物語に練り込んでいる疑似歴史感が臭うドラマだが、一方でモデルになっている三淵嘉子は実在の人で、ドラマにおける寅子のキャリアや背景はモデルのそれをなぞっている。恵まれたリベラルな家に生まれて弁護士になり、戦争の時代に突入し、色々あって戦後は日本初の裁判官になるスーパーウーマンである。
ドラマの寅子も恵まれた家に生まれ、厳然とした性差別がある世界を、明るく、元気に、強気に突き進んでいく。そして突き進む中で彼女は、自分が周囲と比べ恵まれていること、「自由に選択ができるという」下駄を履いて生まれてきたことを徐々に自覚していく。
寅子が持って生まれた豊かな資源は、裏返せば、女に人権がなかった時代には、ここまで特権的に恵まれてなければ法曹界で働く道を切り拓くことができなかった、ということの証左だ。そしてこれを現在に照らせば、形式上は男女平等になった現在の女は寅子に比べれば矜持や頑張りが足りない、という振り返りもできるし、現在でもまだまだ形式的にしか男女の機会平等は達成されていないよなと振り返ることもできる(医大の入試における性差別不正はつい最近の出来事だが、あの時は差別だと批判する意見と、女はズルいから消耗が強い診療科を選ばないため合理的配慮だという意見に二分されていた)。
これは、女性に人権がなかった頃を引き摺って今も残る男性優位の古い価値観を、改めてマーカーでなぞっていく作業であり、同時に現代の女が抱える特権性の問題も照らし出す作業でもある。
そしてドラマの中では、現代にもしっかり残っている、個人の幸福を削るような価値観を改めて再発見することになる。
「結婚しなければ社会的信用が得られない」、「エリート男が生きていくには従順に従う女が必要」、「女の弁護士なんて信用できない」、「自分より優秀な女は生意気で目障りだ」、「適齢期を過ぎると縁談がない」、「人は生まれた国や家や身分に縛られる」、「平等を求める声は不平等の利益を享受する側には届かない」、「上品な批判は下品な妬みには勝てない」、「お金がないと社会的意義の高い仕事につけない」などなど。昨日どこかのSNSでだれかがぼやいていそうな内容である。
これらは女だけではなく、男も同様に削られる呪いの価値観である。学友たちはこの呪いの価値観によって法曹界で働くという夢を立たれていき、寅子は弱い立場に置かれた人を助けたいという正義の実践に加えて、諦めなくてはならなかった仲間への思いを「使命」として背負う人生を選ぶことになる。
不平等と戦うに十分な恵まれた武器を持って生まれて、更に先駆者の使命を背負った寅子は、おそらく来週からの戦争ターンではどんどん「恵まれていたもの」を奪われていくことになるのだと思う。世紀の愚戦・負け戦の太平洋戦争ってそういうものだったから。男は戦争に行くし残った老人や女子供は空爆にさらされる。男も女も人がたくさん死に経済活動は退潮する。
その時でも寅子は「正義」と「使命」をもって生きていくのだろうと思う。モデルの三淵さんは生き残ったし、何しろドラマの主人公なので正義や使命は捨てないだろう笑。
たくさんのものを奪われてなお「正義」と「使命」を失わない女がどんな生き方をするのかのドラマを私はとても楽しみにしている。
そして、形式上の機会が平等になった世界で、これまでずっと恵まれていたはずのものをどんどん奪われ不満が溜まっている人たち、「女は狡い」、「現代の女は特権階級だ」と思っている人こそ、奪われても正義と使命を捨てなかった人のドラマを見てほしいと思う。
フェミニズムドラマくっさー、と思う人も多かろうが、お勧めしたいのには、単純にドラマとして良くできているのもある。
寅子は「戦う女戦士」みたいな感じではまったくなく、前述通りそこそこの空気読めないわがままな、脇の甘い生き方をしていて、いちいちナレーションに突っ込まれている。ナレーションは尾野真千子で、芝居がかったナレーションだがコメディの良い味付けになっている。
寅子の両親や兄夫婦は明治の家族観(男が働き女は家を守る)できわめて円満な夫婦関係に描かれている。一方で嫁姑のちょっとしたストレスも描かれたり。父は帝人事件(疑獄事件)の当事者になり、リベラルなエリートの父親が会社での立場に縛られる姿をシリアスに描いてもいる。
また、法曹界への女性の進出を後押しする立場であるリベラル派の教授や弁護士がしっかりと性差別をしていてフェミニズムにおける父権の問題を提示していたりもして、本当に痒い所にまで手に届く配慮がされている。セリフやシーンの伏線もとても豊かでドラマとして見ていて普通に面白い。出演者はみな手練れの俳優だらけで演技へのストレスはほぼない。
フェミニズムドラマとしての側面については、あまりブコメが集まっていなかったがこの記事の分析がとても分かり易かったhttps://bunshun.jp/articles/-/70764 これ読むと「女のためだけのドラマ」じゃないことがよくわかると思う。
ところで最後に全然話は変わるのだが、昭和初期というのは実はWWIIをジャンプして戦後と地続きになっていたかなり民主的かつ退廃的な時代だったらしい。「富国強兵」を叫んで強国を目指していた大日本帝国から現代にいたるGDPの推計推移をみると「戦争が無かったらこのグラフの線が素直に上がっていたのではないだろうか」と感じさせるラインが描かれる(https://www.nippon.com/ja/in-depth/a04003/ 中ほどのグラフ)。まあ実際は戦争しないと色々糞づまっていたわけで後付けの皮算用でしかないが。
ともかく、人が自由を求めそして退廃を享受できる程度の十分な豊かさが生まれていたのが大正末期から昭和初期の時代。ちょうど朝ドラで描かれているこの時代は、結構現代に近い時代だったりもする。
しかし、このニッポンドットコムは笹川財団由来のかなり右寄りの情報サイトなのだが、それでも「高度成長期のストックは90年代で尽きてその後の策がねえぞ」という分析になっているのが、ちょっとだけ面白いですね。
私が自分で死を選ぶ日が来るとしたら、いまのところ、それはお母さん、あなたのせいです。
家族の中で、嘆き悲しむ権利があるのは自分だけだと勘違いしている、あなたのせいです。
私を叩いたあなたのせいです。
私を靴ベラで打ったあなたのせいです。
あなたのせいで、頑張れなくなりました。
十代の頃、私が頑張れたのは、あなたに叩かれたくなかったからです。
そしてそれ以上に、あなたの私をなじる声を聴きたくなかったからです。
あなたの声は怖かった。大人になった今も怖い。裏返って、甲高くなったあなたの声が怖い。
しつこいあなたの声が怖い。何度も同じことを叫ぶあなたの声が怖い。
家族の誰かがあなたに異を唱えたとき、さッと表情が変わるあの瞬間が怖い。
あなたのせいです。
家をピカピカにしてくれてありがとう。
撫でてくれてありがとう。
でもあなたのせいです。全部。
寄り添わなかったくせに、寄り添うことを求めたあなたのせいです。
私を試し続けたあなたのせいです。
そしてそのすべてを、「あの人」のせいにするあなたのせいです。
産まれるべきではない子供はいないけれど、子を産むべきではない人間はいます。
あなたのことです。
あなたは自分の行いをいつも、「あの人」のせいにしていました。それを認めます。
全部あなたのせいです。お母さん。
自分はアラフォーだが、社会に出たときからずっと「人手不足」を不景気の原因とかにしてきたよね
流石におかしいと思うわ
つまり、原因が特定できない、もしくは原因がないにもかかわらず、でっち上げの原因を作って、そのせいにして終わる
大体、優秀な技術者を求めているのか、無償で働く奴隷を求めているのか、人手不足を言い訳にする人たちによって求める人材は違うよね
それをごっちゃにして語るのもおかしいし、大抵は奴隷が足りないなんだろうけど、奴隷を確保するために努力してきたか?
疑問でしかない
みんなが挫けるとこで挫けないで
みんなが立ち止まる時に走り続けて
やっと目標が結果になって夢が実現して
尚且つ唯一無二の存在になると思ってる
「人手不足」とか言うやつらは、今日から上記のポエムを教訓に、寝ないで「人手不足」解消に尽力してください
夢を実現しましょう
世界に一つだけの花になりましょう
置かれた場所で咲きましょう
山梨県が進めている構想は、「来訪者数のコントロール・五合目の景観と環境整備・環境に優しい交通システム」を掲げ、1,400億円もの莫大な費用をかけ登山鉄道を建設するという、まるで富士スバルラインを建設した昭和の時代に逆戻りしたかのような計画です。
私たちは、そんな旧態依然の巨額の経費をかける大規模工事をするまでもなく、富士スバルラインを一般の自動車全面通行止めにして、来訪者の車両はすべてふもとの駐車場に停め、電気バスのみを富士山五合目まで走らせることにより、富士山にこれ以上手を入れることなく、富士山を守ることができると考えています。
2018年や2020年ごろは「空飛ぶクルマを望んでいたのに、私たちが手にしたのは140文字だ」なーんて閉塞感を感じる言説が幅を聞かせていたのに今やAIブームで人々はシンギュラリティを今か今かと待ち望んでいる
新進気鋭の新聞記者時代の晴生が、安徳の息子の竜輝がやる気とならないので、間違えて新聞記事の言語を間違ったように組み直していたところ竜輝が怒り狂って
その言語を必死で新しいものに組み替えるという夢を見た。その際に、竜輝と、久美子の娘が、 だって私たち・・・うんこなんだもの・・・といったメッセージで出来ないというような夢。
2,3時間前は、よし子が生きていた時代に延岡を動き回っていたバスの中に、パチンコのスロット台があってその周辺に100円玉が30枚くらい落ちているので俺が必死で拾っている夢。
しかし、それにより3000円がたまったと思っていたら、そのバスが詐欺の長距離バスで、次の停車駅が遠方でそこまでの料金が16000円くらいになるからなんだよといった感情を想起させる夢。
もう3、4年前になるが、がちのよし子とか晴生とか安徳、久美子が集まっていた桜小路333-6の家は、もう腐敗臭がしていて全盛期、最盛期の時代は終わっているといった夢で、そこにもう
40代だろといったような年齢の感情の要素を執拗に強制してくる。
赤羽交番の大地と、晴生を重ね合わせて、その横に、郁子がキリギリスの踊りをして、郁子が、自分はもうバッタかキリギリスのような身体状態だから先がないということを必死で主張する夢
ときわ台メリーガーデンの左から6階に住んでいる男が、 最盛期のグレイを挙げて、美的輝彦であるといった強烈な夢 それ以外は、 ラーイフラーイフといった非常に弱い夢
実際に最新のAIを体験してみて、そのポテンシャルに驚かされました。このAI技術がどのように私たちの日常を変えていくのかについて、少しシェアしたいと思います。
まず、家庭での使い方ですが、スマートホームデバイスと連携することで、まるで映画のような生活が実現しています。例えば、音声アシスタントが朝のルーチンを完全にサポートしてくれるんです。目覚ましのセットからカーテンの開閉、さらにはその日の天気やニュースの読み上げまで、まさにパーソナルアシスタントそのもの。
また、仕事においても生産性が飛躍的に向上しました。ドキュメントの整理やメールの自動返信、さらには会議の議事録作成まで、このAIが驚くほど正確かつ迅速にこなしてくれます。特に、会議中の発言をリアルタイムで文字起こししてくれる機能には感動しました。
そして、エンターテイメントの分野でも大活躍。AIが個々の趣味や好みに合わせて映画や音楽を推薦してくれるので、もう選ぶ手間が省けます。さらに、AIが生成するコンテンツ(アートや音楽)も、クリエイティブな刺激を受けることができます。
このように、最新のAI技術は私たちの生活のあらゆる側面に革命をもたらしています。皆さんは最近、どのようなテクノロジーに驚かされましたか?ぜひ教えてください!
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ムリです。
学生運動は暴力やデモを楽しむバカを動員することでなんとかあの勢いになりました。
そういう即効性の”楽しみ”がなくて勢いが出るかな?
現状認識については同感ですが
その根本的な改革の骨子ぐらいは決めておかないと著しく参加率は落ちるでしょうね
ふわふわしてきた
敵の設定が下手っすねえ
どういう政治家がカスでどういう政治家を推すべきなのかぐらいはあんたがまず言わないと
具体性がないっすねえ
明確に老人へのいきすぎた福祉を敵視して
あなたは改革改革と言いながら自分の具体的方向性はなんかないんですか。
もう20代後半なのに、未だに毎日のように親のこと考えてしまう。もはや何が許せないのかもよく覚えていないのに、いちいち許せなくて、いちいち許せない自分のことが一番許せない、何が許せないか覚えてないのに!!(笑)
父親は私が中学生の途中頃から精神疾患を患ったらしく、そこからほとんど無職だったように思う。それまでは仕事しかしていなくてほぼ家にいなかった人だったので、知らん人が突然家にずっといる感覚(今も)。
父親は毎晩アルコールを飲み、基本的に毎晩記憶をなくしていた。夜に私たちが何を言っても覚えてなくて、「そんなこときいてない!なんで大事なこと言わないんだ!」と怒ることもあれば、もちろんどんなひどいことを私たちに言っても覚えていないので、まさに無敵。とりあえず機嫌で食卓を支配するようなタイプ。父親と母親も仲が悪いので、私はおうちではとにかく「子はかすがい」労働。二人がリビングにいる間は険悪にならないように、父が機嫌を損ねないようにニコニコと楽しく会話を回して、できるだけ2人を2人きりにしないようにして、母親とふたりの時は父親の愚痴をいっぱいきいてあげていた。えらい!
家はずっと不安な場所だったけど、特に自分が寝た(ということになっている)後の時間が恐怖だった。親が共謀して(?日本語おかしいのはわかってるけど一番しっくりくる単語を使う)私を嫌っているという確信をもっていたので、私が寝た後に父親と母親がリビングで話していると、悪口を言われていないか確認しなければならなかった。あとはいつか母親が私を捨てて出ていってしまうかもしれない、それが発生するなら深夜だろう、と思っていたので、とにかく夜の物音を超警戒する必要があった。あとは、よく分からないことがいっぱいあって不安だったから(父親の病気の詳細とか、ちらっと耳にしたギャンブルか投資かで負けて作った大き目の借金?のこととか、なんにも教えてもらえなかった)、大人たちの秘密をなんとしてでも盗み聞きしなければいけなかった。そんないろんな動機があって、寝たことになっている時間のあとは、心臓をバクバクさせながら息を押し殺して階段の途中に座ったり、床に耳押し付けたりして、必死に親の会話をきいていた。一番不安な時間だったけど、今日は悪口言ってなさそう、母親もでていかなそう、と安心を得られる時間でもあった。
父親と上手くいかないことがある度、母親には「まああの人は病気だからしょうがないんだ」と言われたし、父親にも「俺は病気だからむにゃむにゃ」と言われ暮らしてきたが、「じゃあ父親の「本当の性格」部分はどこなの、、、?」とずっと疑問である。前述したとおり、私は「病気」になってからの父親しか知らないので、どこからが病気の仕業で、どこまでが「性格」なのかわからない。そこで「病気なんだからしょうがない」と言われると、もう私には心の中で怒ることさえ許されていなくて絶望。病気の父親の症状を受け入れない私は病気に理解がなく、心が狭い悪人なのである。まあそもそもこんなことを考えていると、じゃあ「本当の性格」部分が悪だった場合は親を恨んでもいいと思っているってコト!?それってそもそもいいんデスカ!?とも思って結局私の思考が悪いし、まあとにもとにかく相手は病気だからこんなことを思っている時点で私が悪いのはずっと知っている。すみませんでした。本当はそんなことないよとずっと誰かに言ってもらいたいのかもしれない私はマジで極悪。(本当にそんなことなくないのは知っているので本当にそういうことは言わないでいいです。)病気の父親にイライラする時点で私の許されなさは確定している。心の狭い悪人であることが人生の早めの段階で確定してしまっている。アーメン。と、自分に対しては本当に事実悪人だと思うけど、これを口に出してしまうと、同じ境遇で同じ気持ちの人まで否定してしまうことになってしまうなと思うので、そんなことないよ、と言ってあげたい。きっとそんなことないよ~!
そんな居心地の悪い家だからもちろんずっと家を出たかったけど、私が家を出たら親のどちらかがどちらかを殺す殺人事件が起こるかもしれないと割と真剣に思っていたし、あの父親を母親だけに託すなんて、自分だけが幸せになって親を見捨てているみたいで申し訳なくて、大学でも社会人でも実家を出ることが出来なかった。というと責任感あるいい子っぽく聞こえるけど、罪悪感と責任から逃れたかっただけ(というまたまた悪人なところがでてしまっている理由)!実家を出ようと思ったタイミングは何度もあったけど、私が実家をでたことにより発生しうるありとあらゆる可能性(離婚、別居、殺人事件、母親が病む、父親がもっと病む、など)に対して責任を取る覚悟が持てなかった。実家が持ち家であれば適当に遠くに進学/就職して「やむを得ず」実家を出ることでその「責任と罪悪感」を回避するムーブが可能だったと思いますが、実家が東京の身軽な賃貸(どこまでもゾンビのように着いてくる)のわたしにとっては、家を出ることの理由は「私が家を出たいから」しか基本的にありえず、つまり、その決断によりなにかが起きた場合、それは全て私の家を出たいというエゴのせいなのであるから、その決断をするためにはその責任を取り、罪悪感に耐える覚悟を決める必要があった。この覚悟は何年かけても全然決まらなかったし、結局諦めた。諦めて、シンプルに海外に逃げた!海外に行っちゃえば、私は「家を出たいから家を出る」のではなくあくまで、「『海外に住みたいから』『やむを得ず』家を出る」だけであって、別に家族を捨てたことにはならず、罪悪感から逃れつつ家をでれる、唯一の選択肢だ!と思った。他人に対してというより、家族と、なにより自分に対して正当な言い訳がつく。さすがに海外まで着いてこられることはないし!!天才である。
いまは海外に自分で家を借りて住んで、自分の心の安全を自分で守れる環境を手に入れることができた。でもどこか満たされなくて、結局こうやってブツブツ言っている。今の「今」は確かに素晴らしくて、もう追加で傷つくことはないけれど、結局それは過去にもうついた傷まで癒してくれるわけじゃないんだな、と最近気づいた。わたしは別に、うざい父が悲しかったわけではなく、うざい父から守ってくれない母(結局自分と父の方が私より大事、自分>父>私)が悲しかったわけでもなく、ず~っと愛されてないなと感じて暮らしてきたのがすごく悲しかったんだなと気づいてきた。愛しているひとに面と向かって自分の死をちらつかせたりするのかな、愛している人に迷惑をかけていると知ったらお酒せめて一杯くらい減らせないのかな、あんなにしょっちゅう家出するかな、ぜんぶ「しょうがない」のかな、私よりお酒が大事なのは「しょうがない」のかな。愛している人が理不尽にキレられているのをみたときって「かわいそう」だけいうのかな、え「かわいそう」って感想でてくる?私は死ぬときは大好きな友達にケアなんてさせないし、お酒のんで迷惑もかけないし、愛している人が傷ついていたら一緒に怒って、私は君のこと大事に思っているからね~って伝えてあげるんだからね。せめて、わたしはわたしのつらさとがんばりを、誰かに知ってほしかったし、あわよくばちょっとくらい褒めてほしかった。特に、それをいちばんしてほしい人にしてもらえたら、それで良かったんだよ~。
といっても、私は虐待されていたわけでもないし、大学卒業までお金出してもらったし、もっと大変な心身の「ケア」をしていたひとたちみたいな苦労をしているわけでもないし、本当に、これで謎に辛がっているのは私のせいだと、本当に心の奥底からちゃんと知っています。すみません。でも、この辛さが自分の性格の悪さに起因するものだとしても、辛いと感じた/ていること自体は事実であることは自分で認めないと、先に進めないのかなという気もする。うまく言えないけど。
唐突に終わり。こんなポエム、しまっておけばいいんだけど、しまっておくべきなんだけど、結局、だれかに聞いてもらいたい気持ちになってしまった、やっぱりダメ人間!特におちはないのですが、私と同じような悪人がもしいたら、私たちはやっぱり悪人だけど、あなただけが悪人なわけではないんですよと伝わったらうれしいです。というのは嘘で(悪人なので)、これを書くことで私だけが悪人なわけではないことを知れたらいいなと思いました。だから共感した人がもしいたらどうにかしておしえてね。もう2桁年こんなことを考え続けて、はじめて文章にできて結構すっきりしたかも!すごい!気持ちを文章にできるって大きな進歩だ、すこし元気になった、あしたもがんばろ~。
私の両親は放任主義であったので、私は色んな物語の背中を追って成長した。家にある本を対象年齢などお構いなしに片っ端から読んでいたので早いうちからどうやら人間は必ず死ぬらしいということを知った。事故、病、それらに気をつけたところで寿命というので死ぬらしい。幼い私の狭い世界の中では老人といえば父方の祖母と母方の祖父母であった。当時の私は血縁関係など知らず、やたら会う回数が多くて、やたら親しげに話しかけてくる親ではない人間、その程度の認識だったが、それでもこの人たちはもう間もなく死ぬのだと思うと堪らなく悲しくて、祖父母宅に泊まり眠る時の「おやすみ」や、帰宅する際の「さよなら」で別れを強く意識してしまい泣くことがよくあった。
しかしその三名の間というのは私が思ったよりも用意されており、私が初めに対面した死は保育園の友人のものだった。友人と言っても同い年ではなく、私がそう認識しているだけだった給食調理員の女性で、友人と思っていたために意識していなかったが彼女も今考えれば当時の祖母たちとそう変わらない年齢だったように思う。
礼儀作法を知らないので何度も何度も棺の中を覗きに行っては泣いた。いくら泣いたところで目を閉じた彼女が横たわっているだけで何も変わらなかった。
二度目は小学校の2〜3年生の頃、またもや勝手に友人扱いしていた女性の教頭先生だった。
学校の体育館で行われたお別れの会で大きな額縁に入った彼女の写真を見た。遺体があるわけではないので前のように泣きはしなかった。ただ、急だなと思った。
三度目は飼っていた猫だった。私が生まれるより前から家にいた猫の女の子ししまる。
母が譲り受けて、初めは家の中で放し飼いされていたらしいが兄が生まれた時にケージに入れられるようになり、それからは基本ケージの中がししまるの全てになった。
私は私たちのせいで自由を奪われることになったししまるへの罪悪感からあまり積極的に関わろうとはしなかった。
高校の帰り道、同級生数人の本当に心底どうでもいい話に付き合っている最中に母からメールでししまるの危篤が知らされた。どうしてか、私はどうでも良い話を切り上げず最後まで聞いて家に帰った。ししまるは冷たくなっていた。21〜2歳だったと思う。
なぜすぐに帰るという選択をしなかったのか、あんな会話よりもずっと大切な存在だったのに。
私よりも悲しんでいるに違いない母の前で泣くのは躊躇われて、やり場のない怒りと悲しみを階段に座ってやり過ごした。
数年後、くだらない話をしていた内の一人が飼っている猫がもう亡くなるかもしれないというLINEがきた。たしかに写真や映像でうんざりするほど見せられていたが、私はいつも適当に聞き流していたのでどんな猫だったかはこれっぽっちも覚えていなかった。そんな猫が死ぬかもしれないと聞かされたところで正直どうしたものか反応に困ったが、眼前に迫った愛猫の死に動揺して私という藁にまですがる様子に「本当に大切ならこうなるはずだ、お前はどうだった」と問われているような感じがして口の中が苦くなった。
四度目は父方の祖母が亡くなった。同じ家に住んではいたものの特に交流はなく、幼い頃から苦手な祖母だった。
祖母の部屋はニ階にあり、私の部屋は一階にある。あの日、夜、二階の台所で飲み物を手に入れて自室に帰るという時、祖母の部屋からガタッと物音がして「部屋から出てくるかも」と思い微かに開いた扉を横目に逃げるように階段を降りた。少し経ってから帰宅した兄が「婆ちゃんが倒れている」と家中に知らせて、部屋の中で固まる父、父の代わりに各所へ連絡を取る母、救急車やパトカーの音、集まってくる従姉妹たち、その全てを私は凪いだ目で見ていた。
父方の祖母は以前に一度死にかけたことがあり、救ったのは家の鍵を忘れた中学生の頃の私だった。
私は幼い頃から忘れ物常習犯であり、家の周りに民家がないのをいい事に家の前で欲しいものを大声で伝えて家の中にいる人間に取ってもらうというのをよくやっていた。
その日も帰宅したら玄関には鍵がかかっており、また、私は鍵を持っていなかったため外から「鍵開けて」と何度も繰り返し叫んだ。かなり長い間何も反応がなく、どこかに出かけているのかもしれない、帰ってくるまで玄関先で座って待っていようかと思い始めた頃、ようやく階段を降りる音が聞こえてきた。玄関の扉が開いて真っ先に伝えられたのが「病院に連絡して」だった。
諸々が終わった後で聞くには、どうやら意識を失っており、私の声で戻ってきたとの事だった。
以降、祖母はこの話を何度も繰り返しては私に感謝した。「綺麗な真っ赤な空間にいたらあんたの声が聞こえた、だから私は助かった、ありがとう」と。顔を合わせるたびに話されるので話すのをやめるようお願いしたほどだった。
死にかけた祖母はその後何もなかったように生き続け、恐らくボケて、兄と揉めることが多くなった。兄が言うには包丁を持ち出してくることもあったらしいが、 真偽は分からない。
そんな揉め事が起こるたびに私は「あの日、私の帰りがもっと遅ければ」「私が早々に呼びかけを諦めていたら」などと思ったのだ。
ガタッと物音がした時に私が様子を確かめていたら、祖母はまた帰ってきたのだろうか。祖母はあの日のように真っ赤な空間で私の声を待っていたんじゃないだろうか。あんなに嫌っていた祖母である。「あの時死んでいればこんな問題起きなかったな」とさえ思ったことがある祖母である。
そんな祖母の葬式で私は涙をなかなか止められなかった。悲しむ資格も道理もないのにどうして涙が止まらないのか不思議で自分に腹が立ってしょうがなかった。
祖母が亡くなってから父はよく兄妹たちを家に呼び、兄妹たちも呼びかけに応じて気軽に集まる。父も兄妹たちも祖母が生きていた時はそんなことしなかったのに。
五度目はまだ起きていない。
母方の祖母は癌治療中で、祖父はボケが始まっているがまだまだ元気にやっている。出来る限り健康で長く生きてほしい。
いつか絶対に五度目がくる。
何度経験しても慣れない死を悲しんだり、悲しんだふりをしていることに気づけないでいたりを繰り返しながら自分の番を待つ。
みんな死んでほしくないな、死にたくないな。