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2021-05-06

念仏宗無量寿寺の実態:保存版】 

社会的地位を利用し、断りがたい立場の人に狙いを絞り、お金は38万必要

 が とてもいい話が聞ける。この様に誘われることすら、得がたいことであ

 り、行けば必ず納得してくれるだろうと、教団名、宗教であることを隠して

 勧誘する。

京都へ行けば、2日間にわたり念仏宗無量寿信者としての(かなり洗

 脳作用を伴う)教育および儀式強制的に受けさせられる。

 このとき念仏宗の秘儀というものも教わるが、(太陽裸眼で見る方法

 化仏、化菩薩を見る方法等で、この秘儀を伝えられたことにより、極楽往生

 が決定し菩薩の仲間になったと教え込まれる。) これは普通生活では経

 験していないことを教えるだけで、同じようにすれば、誰でも見える。また

 徹底した秘密 主義を誓わせ、たとえ家族のものであれ念仏宗無量寿寺で聞

 いたことを他人に話すと、無間地獄に落ちると脅される。

釈尊本来仏教というよりも 浄土系、密教系の複合したもので 開祖、久

 世太郎本名 福井真尚、別称 戸倉貞和)教と呼ぶべきものである。ちな

 みに開祖の前歴は占い師詐欺による訴訟神戸地方裁判所にて起こされた

 こともある。

念仏宗 無量寿寺の会員(同行という)になると、3人を済度信者勧誘

 すること)するノルマを与えられる。

学術的文献によれば一般に 「隠し念仏」と呼ばれている。浄土真宗側から

 異端仏教として排斥されているものである

 仏教歴史学によれば、秘事法門と呼ばれ、 布団被り、御蔵法門、御杓子講

 空也派、天王寺派等、が存在するようだ。念仏宗が、どの派に近いのか、ま

 た、混交したものであるのかは不明である。 いづれにしても 善智識と呼

 ばれるものを立て、自宗の奥儀として儀式を秘匿し、門外に他言すれば地獄

 におちると 信者に言い含めるのが特徴としてみられる。

⑥2チャンネルの「念仏宗無量寿寺」掲示板や、「知りたい。。。」掲示板

 元信者、現信者家族書き込みに寄れば 無量寿寺への入信が原因で、離婚

 や、家庭不和鬱病に悩まされているという報告が数多く寄せられている。

 また、念仏宗幹部、であり、回向相伝を授けられた土屋 悟 氏が(2001

 年)に自殺した。という事実もある。

念仏宗 無量寿寺 信者にかかる費用任意も含む)

 護持費(会費)1口 2000円・・毎月支払い、口数は各信者自由意志

 その他、地方会費(各地区別院、檀信徒会館、等施設維持のため)として

 信者1人当たり1000円 ~5000円/毎月)の支払いがあるようだ。 

 回向 (先祖供養等) 一体1口 10000円 (1年に先祖1人につき6回必要

 集中回向 一体 100000円

 布施 ボーナス月 7月12月に 各10000円 

 法名 100万円

 仏像 一体 100万円

 葬儀に届く花代 100万円

 御文書 200万円

 本堂の柱 寄進 1本 1000万円

 他、林間学校、等への布施

 

念仏宗無量寿寺は昭和54年宗教法人としての認可を監督官庁から受けた。

 平成4年に 日本仏教 第14宗として監督官庁に認可されたと、無量寿

 の月刊誌に書いてあるそうだが、監督官庁が認可した事実は無い。

開祖久世太郎は 真言宗第195代 琳真大僧正の6番目の末弟というふれこ

 みだが、真言宗確認してみると そのような事実は無いとの返答であった。

念仏宗無量寿寺 信者として、六大祭事初詣、大涅槃会観音祭、降誕

 祭、地蔵盆、成道会)への参加が、義務づけられている。

⑪これまでに5回 世界仏教サミットを開催しているが、これは念仏宗のお手

 盛り、宣伝的なイベントであり、 日本仏教からは 全く無視されてい

 る。

 日本仏教会は、全日本仏教会という組織日本仏教会の9割以上が参加)

 があり、これまでに20回以上も 世界仏教会議というものに参加している

 

念仏宗無量寿寺の相伝(階位免許?みたいなもの

 を受けるに当たっては 五具足相伝に300万円、回向相伝には1000万の冥加

 金を支払わねばならない。

⑬「白装束数珠蝋燭

 念佛宗では信者儀式の際に使用した上記のものを死後8時間以内にこれら

 を身に付けさせ、蝋燭を燈さなければ輪廻の輪から解脱出来ず、極楽浄土

 向かう事が出来無いとしている。

⑭不退相伝儀式

 妊娠中に受けるとよいと勧められる儀式で 30万円

 胎内にいる間に、仏との縁を結び、無事にこの世に生まれさせていただくと

 いう儀式 いわゆる、安産祈願、不退は産まれてくる子が 真実の道、浄土

 へ向かう道から外れないという意味を含むようだ。この儀式を受けたあかち

 ゃんは臍のおが白いと云われるが、元、念仏宗信者の言によれば、他のあか

 ちゃんの臍のおと 変わらないとのことである

現在念仏宗無量寿寺を直接運営している幹部

 開祖久世氏をはじめとして、法主宮川氏、善智識:郡氏、清水氏の4名

 かと思われる。清水氏は企業セミナー講師もしているとの情報あり。

念仏宗無量寿寺 同行となったものは 精進しなければならない。(具体

 的には、本山、 別院、檀信徒会館、王堂 関連の 維持、管理、世話等の

 仕事が順番に回ってくるらしい。)

 以上のことを、施主と称する役職名称で義務付けされる。

2021-04-30

anond:20210430002939

敷地面積とか建物の立派さだけでみるとそう思っちゃうよな

浄土真宗だって本山東本願寺よりも築地本願寺のほうがよっぽどデカいし

2021-04-06

anond:20210406154303

/*追記

朝起きたらブクマがいっぱい付いててびっくりした。これは、素人増田素人論考です。増田本人は無宗教消極的無神論で、円滑なコミュニケーションのために宗教行事に喜んで参加します。身近には浄土真宗浄土宗日本プロテスタント福音派ゆるふわユダヤ人などがいます

末尾に追記しました。

追記*/

無神論無宗教(≒特定宗教に強くコミットしていない)は違います

無神論は、神はいないという"積極的な"主張であり、ひねくれた言い方をすれば「無神論教」と言えます

ちなみに、「カトリック自由な感じではなく、プロテスタント自由な感じ」というのも偏見のように思います

(おそらく、自分自身カトリック教会に行ったことがなく、周囲のプロテスタントからそう聞かされているだけでは?)

仏教について

仏教は、立場にもよるが、本来的には神のような超越存在はいないと考えていると思います哲学に近い。

神道について

ご存じ八百万の神なので、多神教そもそも1人(1柱?)ではないし、「私"だけ"を信仰しない者、異教の神を信じる者は滅びる」という嫉妬深い神はいません(or少ない)。そもそも日本語の「カミ」というものは、本居宣長古事記伝第3巻によれば「すぐれたるとは、尊きこと善きこと、功(いさを)しきことなどの優れたるのみを云ふに非(あら)ず、悪しきもの奇(あや)しきものなども、よにすぐれて可畏きをば、神とは云ふなり」となっていて、今っぽく要約すると「SUGEE存在全般」という意味でしょうか。アブラハム系の神とは大きく違います

一神教多神教の違い

特定の一宗教コミットすることを求める一神教に対して、上記の通り仏教は厳密・本来的には教義無神論であり、神道八百万である点が大きく異なると思います神社に行って賽銭を投げても、仏教葬式に参列しても、そこにいる超越存在"のみ"にコミットすることにはならないのだと思います

プロテスタントとのことですが、どういった宗派ですかね。

いわゆるリベラルとされるグループでは都合良く「ゆるふわ」で通るかもしれませんが、福音派とかであればそうもいかなそう、と思うのは私の偏見、、でしょうか。

以下、追記

watchcat

無宗教特定宗教に強くコミットしていないは定義おかしい。神道仏教宗教なのだからコミットの強さは問われない。

まったくその通りですね。「強くコミット」っていうのが違うのかな。特定宗教信仰している意識があるかどうか?多神教&掛け持ちOK宗教だと話がややこしい。

cameraojisan

無宗教特定宗教に強くコミットしていない、って広く共有されてる感覚なの?元増田は「それゼロじゃないじゃん」という主張だと思ってた

ごめんなさい、適当レスポンスしただけです。こんなへぼテキストに反応が集まってしま申し訳ない。

ak248

多神教的考えや習慣を一神教の人は理解できないってことかな。あとカトリックの方がプロテスタントより厳しいルールが多く、信者以外は行事に参加できないと思ってたのですが違います?教えて詳しい人

カトリックの方が伝統や慣習を重視していると言う点で、厳しいルールが多く見えると言うことかも?プロテスタントにその種のルールはないが、ゴリゴリ福音派だと聖書に従って生きるという(別の種類の)厳しいルールがあると感じる。

2021-03-29

トップ世襲浄土真宗

先日、浄土真宗僧侶が「寺族(寺生まれ僧侶になった)と在家出身(寺以外の家庭から僧侶になった)で差別がある。地域の同じ宗派の寺の集まりでも、『あの人は在家出身から』と差別的な言われ方をする」と言っていた

浄土真宗トップ門主門首など呼び方宗派により違う)がどこも大谷家(親鸞の子孫)の世襲なんだから、寺族・在家の差をなくそうとすると究極はトップの選び方を変えなきゃならなくなる

2021-02-02

[]2021年1月はてブあとで読むトップ30リスト

はてブホットエントリ(総合)で月内に数多く[あとで読む]タグを集めたエントリ

303あとで/2884users 財テク (住宅購入編) – shunirr | Scrapbox

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241あとで/3401users 浄土真宗僧侶です。初めて書き込みます。 不慣れなため、先ほど書いた.. | anond.hatelabo.jp

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231あとで/1677users 読書のやり方を変えてみたら知識の吸収速度・引き出し速度が上がった話 - $shibayu36->blog;

225あとで/1549users 【必見】2020年話題になったイケてるWebサービスアプリまとめ | creive

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179あとで/1014users DevOps の能力  |  Google Cloud

165あとで/1094users CG制作演習 - 床井浩平氏初心者向けにBlenderの使い方をまとめた PDF (1,419ページ・288MB)を無料公開! | 3D人 -3dnchu-

164あとで/938users プロダクトマネジメント入門 | product-development.io

147あとで/1063users 一家に一冊、『批評理論入門―『フランケンシュタイン』解剖講義』廣野由美子 (中公新書) - ゴールデンレトリバー撫でたい

146あとで/978users 私のセキュリティ情報収集法を整理してみた(2021年版) - Fox on Security

134あとで/979users 元SMAPの3人めぐって…公正取引委員会ジャニーズ事務所を「注意」した真意とは | 文春オンライン

130あとで/1179users #前澤ファンド審査を経て、前澤さんの前でピッチした「生の事業計画書」 93ページを、PDF無償公開します。|鶴田 浩之 (Hiroyuki Tsuruta)|note

128あとで/988users 『理科系の作文技術』を久しぶりに読み返し、とにかく「6 はっきり言い切る姿勢」「7 事実意見」だけは絶対にみんな読んだ方がよい、と思った - Magnolia Tech

126あとで/1305users 2020年に泊まった温泉宿で「部屋」「風呂」「食事」が良かったおすすめ宿ランキングを発表する - 温泉ブログ 山と温泉のきろく

124あとで/1683users 「コロナ、お前すげーわ」現場医師が見た5つの ”新型コロナ、ここがすごい”(國松淳和) - 個人 - Yahoo!ニュース

122あとで/946users NHK英語学習の知見がたった500円に濃縮されたNHKラジオ英会話を使わないのはもったいなさすぎる - Togetter

120あとで/804users Googleエンジニアが「ウェブサイト画像読み込み」を最適化する方法解説 - GIGAZINE

113あとで/703users Prime Videoの映画ドラマアニメで楽しく語学学習できるGoogle Chrome拡張機能「Subtitles for LL」 - 窓の杜

113あとで/630users プログラミング言語の未来はどうなるか | κeenのHappy Hacκing Blog

バブっているのか数ヶ月に1度は財テク記事が大量にブクマを集める。今回の1位は8月にも大量にあとで読むを付けられていた人。

4か月前からこのランキングを賑わし、サービス開始から何ヶ月も経たないのにもう買収されたzenn.devだが、1月は1本もランクインしなかった。

2021-01-31

anond:20210131190538

仏教学科はどの大学ドン引きするほど偏差値低いけどそれはそれとして、

佛教大学浄土宗龍谷大学浄土真宗本願寺派大谷大学浄土真宗大谷派高野山大学真言宗と、

実家の寺がどの宗派かによって僧侶資格を得られる大学限定されるのよ。

龍谷大学のほうが良さそうと思っても実家臨済宗妙心寺派なら花園大学行くしかない。

先生はわざわざ青森から花園大学へ進学してるあたりからしてまあそういうことなんだろう。

重ねていうけどさる先生が実際だれなのかは知らないからね。

2021-01-30

救済宗教としての大乗仏教

鈴木大拙大乗を情の仏教上座部を理の仏教だみたいに書いてたけどまさにそれ。

でも上座部立場から言わせれば、情でどうするんだと。

なんとなく寄り添って、肩入れして、励まして、あとはお経を唱えるだけで阿弥陀様が救ってくれるからねとかいって、それで解決するのかと。

ちゃん仏法を説いて、理屈説明して、実践手段を与えて、やらせて、指導して、時に「だらしねえぞ」としばいて、頑張らせる、当人が頑張るのが仏教でしょうと。

時代が違うから、救済宗教としての大乗仏教需要がなくなっているのは仕方がない。

もともとの仏教は、個人出家して修行したり知識を得たり戒律を守ったりすることで救われるという宗教だった。そういう自助によって救われるというのは現代の目から見ると納得感があるけど、古代中世時代にはそうとも言えない。

古代中世では庶民は生きるだけで精一杯。戒律を守っている余裕なんかないし、そもそも識字率が低い時代だと仏教教義を知ること自体が困難。

そうすると、救われるのは高位聖職者と金持ちだけになってしまう。そうした人間けが天国に行ける宗教って何よ!?という問題意識からまれたのが大乗仏教。「○○するだけで救われる」というのは、現代から見れば安易に見えるけど、古代中世において庶民を救うには必要なことだった。

から現代視点から大乗仏教宗教堕落みたいに言うのは間違ってる。

ちなみに、律法を守ることを重視するユダヤ教ファリサイ派に反発して、「人が救われるのは律法を守ることによってではなく、神を信じることによってだ」と主張したのがイエス・キリスト。だからキリスト教聖典には、極端に○○せよ~などの決め事がない。

以下の浄土真宗コピペも、以上の理屈を知っていればよくわかる。

比叡山修行した法然

浄土宗

ぶっちゃけ悟って仏になるの、俺ごときでは無理(←このへんが日本人謙遜)働いてる一般人なんかもっと無理。今の仏教は金と暇のある金持ちしか役立つ可能性がない。

でも安心しる。阿弥陀様って偉いお方が、自分が十分にレベルうpしたらおまいらも引っ張り上げてやんよ、ていってる。これはそこに張るしかないっしょ。

はらたいらさんどころじゃないよ。「あみださまに、全部」 さあ何度でもいいつづけよう

親鸞浄土真宗

法然さまはおおむね正しいけど、阿弥陀様なめすぎ。念仏言った回数で差別するような方じゃねえはずだよ(←このへんが日本人的舶来びいき)心に思うだけで、修行とか、戒律とか自分をどうにかする必要もないよ。だから俺なんか結婚だってちゃうもんね。ただ阿弥陀様に乗ればいいのさ

一遍時宗

おまーも阿弥陀様なめすぎ。あの方は信者だろうと何だろうと、一切区別しないの。つまり俺たちは阿弥陀様のおかげで勝ち組。もう決まってんの。(←日本人暴走)だから感謝の踊りを踊ろうぜ、let’s dance!

https://anond.hatelabo.jp/20210130183106

2021-01-25

浄土真宗僧侶増田さんちょっと聞いて

十数年前に父方の祖母が亡くなったのね、99歳の大往生

祖母は夫を早くに亡くして戦後空襲の焼け跡に縄張ってバラック建てて子供を5人育てたような人。

私の母にはクソ姑だったらしいけどそれはご愛嬌

それはそれは信心深くて、離れて暮らしてる私達が訪ねて行っても法話会だ報恩講だって出かけてしまってたり。

やっぱり娑婆人間からすると身内の使ったお金は気になるもんで、御布施結構してたんじゃないかな。バラック跡に建てた小さい小さい家で何の贅沢もせず、シワシワのくちゃくちゃになって最後病院で看取られて亡くなった。

でね、私は新幹線距離にいたんだけど祖母葬式って事で駆け付けたのよ。やっぱりかそろそろだと思ってたってのと、もう一回くらいは会えるつもりでいたのになってのと半々。

どうしても気持ちが収まらなくて、通夜の夜に写経をしたのね。般若心経初音ミクとかでブームになる前だったかな、でもこっちはそれなりにハマってたのよ。封筒に入れて、葬儀の前に導師の方と喪主の父が話す時に同席して、棺に添えて入れていいかって聞いたらさ。ダメだって

なんかねーやるせなかった、祖母の影響も多少あって私なりに仏道とか色々と考えた上での般若心経であり、ひとつの見送るけじめだったんだけど。

結局封筒葬儀会館のゴミ箱に捨てた。

黙って入れて宗教的に何かダメだったら祖母信仰にミソがついたみたいで嫌だからさ。

でも遺族としての私の気持ちと、宗派排他性と、導師の方の事務的な問答と、信心深かった祖母預金は残り十数万円だったことと。

どうしたらよかったんだろう?

そろそろ祖母の供養も節目の年になるけど、モヤモヤしちゃってお寺さんにご挨拶に伺うのもしんどい

2021-01-21

anond:20210118132127

帰依しないものを罰しないのはもはや宗教ではないですよ。

個で孤立することを自由と言って認めるかのように選択させることは宗教のそれと大きく外れます

教えを乞い救いを求めてなにかしらの集まりに加わらないことは罪です。

罪とはもちろん宗教定義する摂理に基づいてそれから逸脱したものの事です。

無宗教からすると宗教に属せずとも得られるもののことを権利と読んだり自然から受ける偏差的な不利益を罰としたりするかもしれませんが、善行や徳を定義するからこそ罪や悪が存在します。

自由という名で罪や悪を打ち消せば自然と善も徳も消滅します。それくらいは当然知っていることでしょう。光無ければ影がないのは言葉にするまでもありません。

罪が生きていけないほどの罰を与えるのか、罪だとしてこちらの領域に参加することを諭すのかといった定義宗教宗派のそれぞれです。

破戒僧が人の自由を良いものとして宗教破壊するのにあたって宗派を名乗るのは、問題がありませんか?

浄土真宗がそれを自由と呼び良いものとしているとするならばよいのでしょう。

人が一人になっていくことがいかに弱く脆く救いがたい事か教え広め、集まり助け合うことが宗教のあるべきとしない事はもはや宗教のいう所の悪です。

野生の動物孤立したものから襲い、襲われていきます組織から分断された部位から人の体も壊死していきます

色々なところからそれぞれの情報自由に得てしまうと体の部位でさえ抑えることままなりません。

自身の成されていることが実際に言葉にしているそれならば、今一度改めてもらいたいものです。

罪や教えへの背きをあえて攻撃的に責める必要はありません。

ただ自説にそれを許容することは、自説を崩壊させています。その砕けた言葉の徒然に人を迷いへ落とし込むその姿はどの宗教からみても悪でしかありません。

2021-01-20

anond:20210120160046

浄土真宗僧侶増田です。こんばんは。

この問いを投げ掛けられた背景には、仏教寺院に対する嫌悪感や不信感をお持ちであるということ、私が一人の僧侶として試されているのだということはよくよく伝わっておりました。

私も“お坊さん”は嫌いです。あなた経験してきたようなことを、私も一通り味わってきたからです。

分かるような分からないようなことを喋って適当に煙に巻いた後、檀家と一緒になって飲めや歌えや大騒ぎ。女は台所で忙しくしていろ、お膳立てとお酌は当たり前、女人はどうしようもない生き物だから仏に救われにゃならんのだ、……。

醜悪人間宗教を好き放題に扱わせると、こういう地獄が生まれます田舎ではよく見受けられる地獄です。私も犠牲者の一人です。

あなた様も、あのおぞましい空気の中で耐え忍んでこられたのですね。心中お察し申し上げます


私も講師に対してあえて意地悪な質問したことがあります。私の場合はそれがとんでもない反応として返ってきました。その時の絶望感と言葉に表せない惨めさは、今でもありありと思い出せます

私はもう、そういう思いを抱えている方を生み出したくないのです。「こんなに素晴らしい教えなのに、誤解ばかりが増えていく現実をどうしたらいいのだろうか」……。悩まなかった日は一度としてありません。


もし、少しでもあなた様のわだかまりをほどくお手伝いができたのだとすれば、もったいないことであります。私に問い掛けてくださり、このような機会をお与えくださり、ありがとうございました。

宗教は悩める人のためにあります。その宗教のために悩んでしまっては本末転倒です。

あなた様がご夫君と穏やかな日々を歩まれるよう深くお念じ申し上げます

そして、もし何かつまずいてしまうような未来が来てしまった時は、苦を抜き去る手立てをいくつも教えてくれる私どものみ教えのことを、ふと思い出していただけたのなら、私もお同行も、大いに喜びます

合掌

anond:20210116173104

浄土真宗僧侶増田です。こんばんは。

こちらの記事拝読しておりました。なかなかお一人お一人の思いにすべて反応できず、余計なご心労をお掛けしてしまたこと、お詫びいたします。


あなたがお怒りになるだけの経緯はよくよく伝わってきました。自分の思い・はからいによって得ようとした結果が、期待していたものとはまったく違ったことを嘆かれている訳ですね。裏切られたような怒り、蔑ろにされたような悲しみが、少なからず私にも感じ取れました。


あなたの仰った通り、その寺院が以前は対応していたはずのところを取り止めた、ということであるならば、御朱印を求めて参拝した方に対する態度・応対というものは、もっと丁寧で親身であるべきだろうと私も考えます。むしろ私ならそうします。どのような形であれ、寺院に足を運ばれた方との貴重な仏縁なのですから。たとえ自宗の教義信仰方針と違ったとしても、お相手の労苦をねぎらいつつ、また同時に、自身立場をはっきりと分かりやすくお伝えする義務があると思います

ですから寺院の応対の不誠実さという点については、おこがましいこととは承知の上ですが、私が当宗門代表してお詫び申し上げます。せっかく遠いところから時間と体力を割いて足をお運びになったにもかかわらず、ご期待に添えることができなかったばかりか、宗門のものに対する疑念と憤りを抱かせてしまたことを、大変残念に思います





そして、御朱印の記帳を浄土真宗が行わない理由についてですが、私どもの立場をはっきりと申し上げますと、

御朱印を集めても、それが救いにはならない

と信じているためです。



真宗門徒は、お念仏ひとつでお浄土に往生する道を“聞き”ひらく教えです。つまりそこには、お念仏のみ教えを“聞く”という過程が求められます。“聴く”ではなく“聞く”ですから受け身です。「(俺が私が)聴いてやる」とか、「それなら聴いてもいい」とか、そういう思いでは成り立ちません。仏から相手から、聞こえてくる、聞かせていただく。このような心をまずお育てにならなければ始まりません。




かつて、浄土真宗のご門徒に、布教師講師の話を一生懸命ノートに書き写す方がいました。その方はいつでも聞法ノートを携え、全国各地の法話講義に赴いていました。その熱心さには誰もが驚くほどで、どれだけ遠かろうと時間がかかろうと、その方はとにかく聞法を続けていました。

ある時、宗門では有名な講師講義をした際、その方は講師の元に駆け寄り、ご自分ノート講師に見せました。「私はこれだけのことを学んできました、そんな私のノートに、何か一言お願いします」とその方は講師に頼みました。

なるほどとうなずいた講師が、ペンを取り書いた言葉は、

味占めて 地獄行き

という強烈な一言でした。

はいつの間にか、教えを“聴く”心になっていたのです。いただいた教えよりも、「これだけ教えを“聴”いてきた自分がえらい」と勘違いしていたのです。努力している自分・熱心な自分という姿に陶酔し、肝心要のことがまるで人生と心に響いていなかった。そういう態度を戒められるための一言でした。




御朱印を集めることによろこびや達成感を抱かれる方が多いのは私どももよく理解しています。それが思わぬ形で仏縁をもたらすことがあるのもよく理解しています

からこそ、かつて御朱印を取り入れた過去があるのも、そうした世俗の方々との接点を得ようとした苦肉の策だったのだろうと推察します。そして、そうした在り方が、自分自分たちの教義信仰を貶め歪めさせるのだという過ちに気が付いて、取り止めたのでしょう。

私自身はこの件について、これまでもこれからもあってはならないことだと考えております。どれだけ世間から非難を浴びても、一貫した姿勢を貫くべきだと思います。ですからあなたの訴えには宗門全体が耳を傾けるべき意味があると感じております



そして、あなたの怒りや疑念を受けてもなお、私(と浄土真宗)は御朱印がもたらす作用にうなずくことはできません。

それが何故なのかは、私があれこれと何でも押し付けるよりも、あなた自身の胸に問い掛けていただくことが、何よりも近道だと思われます



あなたにとって御朱印を集めるということは、どういう意味を持ちますか?

あなた御朱印を集めると、あなた人生はどう変わりますか?

あなた御朱印を与えてくれなかった寺院宗派に対して怒りと憎しみを抱いたことで、あなたの心は晴れましたか

あなたが生きる現在、そしていのち尽きてゆく未来に、御朱印はどう影響しますか?




今後ご返信いただく必要はありませんので、私の言葉をご自分の中で“聞”いていただきたく思いますあなたのお声を確かに受け止めたことに免じて、あなたもまた、私の声を受け止めていただければ、私はとてもうれしいです。




最後になりましたが、一つご紹介します。

私たち開祖親鸞さまは、「念仏以外に救われる方法があるのではないか」ということを問いただそうとして遠方から駆け付けた方々に、こう仰せになりました。

おのおの十余か国のさかいをこえて、身命をかえりみずして、たずねきたらしめたまう御こころざし、ひとえに往生極楽のみちをといきかんがためなり。しかるに念仏よりほかに往生のみちをも存知し、また法文等をもしりたるらんと、こころにくくおぼしめしておわしまてはんべらんは、おおきなるあやまりなり。




合掌

俺は司法試験にも合格できないしオスマン帝国にも行けないしナンパ界隈にも入れないし浄土真宗僧侶にもなれないしこどおじにもなれないしソプラノ歌手にもYOASOBIにもなれないまじでしょーもない人生

anond:20210120144550

浄土真宗僧侶増田です。

こんにちは。ご質問ありがとうございます

私がネット記事を読んだ時には

「非恋愛、非SEX非婚、非出産

の4要素を訴える運動のことと書いてありましたが、そこに非宗教を唱える方も現れてきている、ということなのでしょうか。

いずれにしても、これらはすべて、個人尊厳を取り戻すために、これまで社会の(暗黙的ないし強制的)要請によって様々な形で抑圧され虐げられてきた方々の悲痛な叫びとして表れた動きだと受け止めています

古今東西、あらゆる宗教女性差別思想の醸成に一役買ってきた歴史があることは私も理解しています

日本においては、神社神道現代でも女性差別的な側面は変わっていませんし、伝統仏教の各宗派も長きにわたって女性差別を繰り返してきました。各所各山で自浄・改善の動きが少しずつ見受けられるようになったとは言え、理想にはまだまだ程遠いのが現実です。大変に嘆かわしいことです。



お尋ねの件についてですが、信仰自由は守られて然るべきですから、私は彼女たちの願いそれ自体は悲しみと共にうなずきます。やはりそこには、宗教否定・拒絶するだけの動機があるのです。おそらく宗教によって何らかの理不尽や痛苦を味わわされた経験根底にはあるはずです。

しかし、何事も行き過ぎるとかえってよくない結果をもたらします。極端な行動で解決するということは、往々にしてないのです。お釈迦さまが右でも左でもなく中道を歩めと仰せになったのも、こうした話にも通じると思います

彼女たちが「宗教に属さない」、「自分のことは自分で決める」、と決意することは素晴らしいことです。自分尊厳を守るための大切な選択だと思います。ただし、その思いが行き過ぎた場合彼女たちが次に取る行動は、

宗教信仰する人たちを責め立て始める

ということです。自分たちの在り方が正しいと信じれば、そうではない人間が正しくないと信じるのが私たちです(これは僧侶にも言える難しい問題です)。そうすれば、差別され苦しめられてきた側の人間が、また別の人間の新たな苦しみを生み出すことにもなりかねません。それだけは互いに避けねばならないでしょう。

あの人は信じてる、自分は信じない、でも仲良し。そういう、違いを乗り越えて出会える道を、女性男性性的マイノリティ関係なく共に探ってゆかなければ、そこにはただの断絶と分断、怒りと憎しみしか待ち受けていません。そもそも彼女たちがこうした運動を起こさざるを得なくなるような社会通念を生み出した不特定多数を変えない限り、問題はそうそう容易くは解決しないと思います

このことは誰もが、ゆめゆめ肝に銘じなければならないでしょう。





現代の人々にとって、「宗教」という言葉の持つ意味合いがあまりに変容してしまたことを第一に考えねばならないのではないかと、日頃から感じております

私がこうした事象について何よりも訴えたいのは、

宗教女性差別をしてきたのではなく、女性差別をする人間社会宗教隠れ蓑にしてきた

ということです。これを断じて忘れてはならない、と思います

すべての宗教は、その時その時の時代背景・社会構造の中でたびたび利用されてきました。そのために大切な教えまで歪められることさえありました。日本においてもイスラムにおいても、家父長制とうまく融合させて、男性優位の支配構造を作ってきたのです。これは宗教が求める人間の姿ではありません。宗教という、ある種神秘領域を振りかざすことで、精神の内外から強烈な規範となって人々(特に女性)を抑え付けてきたのです。それを行ってきたのは“人間”(特に男性)です。

この“人間”をどうにかしない限り、私たち未来永劫救われることはないという教えを私は信順しています。見渡せば、その通りとしか思えない世界が広がっているからです。



いささか乱雑な論述になってしまいましたが、これが私の思うところです。


合掌

anond:20210119234225

浄土真宗僧侶です。増田さんの投稿私自身感ずるところがあったので、少しお話させてください。


私の敬愛する大正時代求道者が、このような詩を書かれています

世の中が便利になって
一番困っているのが
実は人間なんです

一見すると取るに足らない、なんとも味気ない散文のような詩ですが、今の増田さんならば、この詩が言わんとすることが響くのではないでしょうか。




私たち人間はみな、快適さや便利さを求めて世代を重ねてきました。快適さや便利さのその先に、幸福が待っていると信じてきたからです。逆に考えれば、不快と不便は不幸である、と信じてきたとも言えるでしょう。

そしてその結果、先人の努力によって築かれてきたテクノロジーシステムがもたらす恩恵の中で、得体のしれない窮屈さ、居心地の悪さを感じる人が現れ始めています。ちょうど増田さんがそうであるように。

これは一体どういうことなのでしょうか。


ここで例を挙げて考えてみましょう。

お腹が空くのはつらいからいつでもどこでもご飯が食べられるようになりたい、暑さや寒さはつらいからいつでもどこでも涼しく暖かく過ごせるようになりたい、誰かと離れてしまうのはつらいからいつでもどこでも顔が見れたり声が聞けるようになりたい、分からないことだらけなのはつらいからいつでもどこでも自分の求める情報を得られるようになりたい、……。

人間としてのシンプル欲求をいくつかざっと書いてみました。これらの欲求がことごとく叶い、望んだ通りの社会が出来上がっていることは、誰でも理解できますね。

では、そうして一体、どれだけの人が幸せになったでしょうか。社会ほとんどの人がこのような環境に恵まれた今、どれだけの人が自分人生自分所在をよろこべているでしょうか。




増田さんはきっと、ご自分所在をよろこべずにいるのですよね。情報社会に溢れかえる、無数の「正しさ」と「間違い」の中で、振り回されてしま自分生活を考えた時、途方に暮れてしまうのですよね。

それは人として正常な反応です。あなた自分の「ほんとう」を求めているからこそ、今迷っているのです。戸惑っているのです。




我々の教えにはこのような言葉が伝わっています

八万の法蔵を知るといふとも、後世(ごせ)を知らざる人を愚者とす

これは、「たとえ八万冊にも及ぶ膨大なお経(真実の教え)を情報知識として学んだところで、その教えに全身でうなずき、心から満たされて生きて死んでゆけないのならば、その人は救われない」といった意味言葉です(大意)。

事実として、TwitterだのYahooコメントだの、ここはてなにも、こうした人がたくさんおられますね。出どころのわからない正しさや間違いを頼りに、「自分こそが正しい」と言わんばかりに、ああでもないこうでもないと罵り合う方々が。そうした振る舞いをする必要が彼らにあるということは、知識(ないし価値観)の是非を巡って他者と争い合うのが、よりよい人生を送り、よりよい最期を迎えられるための手段なのでしょうか。だとすれば、彼らはそれが自分幸福を手繰り寄せるための必然的行動だと信じているということになります

そしてその中の、どれだけの人が、本当に満ち足りて生きているというのでしょうか。




その気になれば増田さんも、ありとあらゆる宗教自己啓発ライフハックにたどり着くことは可能です。可能社会私たち自身が望んだからです。その中には、ご自分にふさわしいと感じる教えや“手立て”が見つかることもあるでしょう。そうして増田さんが憂いや窮屈さから解放されて生きてゆけるのなら、素敵なことだと思います

ですが、人生の苦悩は、人生の悲哀は、自分でも思ってもみないようなところからふいに沸き起こってきます。中でも代表的な苦しみが、“後悔”です。この苦しみには、過去幾千年と人類ほとんどがのたうち回ってきました。私も、増田さんも、これを読む方も、私たちの知らない誰かも、みな、一度や二度ならず後悔の責め苦にあえいでいます

この後悔を消すためには、どうしたらいいのか。検索してみたとして、本当に答えは得られるのだろうか。一度は「そうかも知れない」とうなずいた後で、実は違っていたなんてことにはならないだろうか。自分とは相容れない、訳の分からない理屈で生きている人のためだけの“正解”を見せつけられるだけで、結局は打ちひしがれる未来が待っているのではないだろうか……。様々な疑念やおそれが次から次へと頭に浮かんで、調べるという一歩さえも、踏みとどまってはしまいませんか。



もしもその通りなら、ここで視点を一つ変えてみませんか。あなたの感じてきた窮屈さ・居心地の悪さ・疑念や戸惑い、そして後悔。

これらがあなた自身に「何を訴えているのか」を見つめるのです。

すべてはその対義語を求めているからこそ、生まれ感情なのです。増田さんは後悔のない人生情報に振り回されず自分らしくのびのびと生きてゆける社会人生を求めているからこそ、この悩みが生まれたのです。それは他でもない、あなた自身の内に眠っていた大切な願いです。あなたあなたをよりよく生きるために必要なこととして、あなた毎日に満を持して現れた“問い”なのです。

あなたにとって今目障りでしかない、早く消えてほしいとさえ思うであろうその悩みは、あなたにとって本当に要らないものでしょうか。どうしようもなく邪魔で煩わしいものでしょうか。私は、そうは思いません。



最後に一つ、私が心から尊んでいる、親鸞さまのお言葉を紹介したいと思います

罪障功徳(ざいしょう くどく)の体(たい)となる
こおりとみずのごとくにて
こおりおおきにみずおおし
さわりおおきに徳おおし





「後悔のない人生」を生きようとするのではなく、「後悔すらもよろこべる人生」を生きることがもしもできるのなら、私はそういう人生の方が素晴らしいのではないだろうか、と思って毎日をいただいています

増田さんを悩ませ苦しめていることが、いつかあなたのよろこびと変わる日が来ますように。




合掌

2021-01-18

anond:20210116103545

浄土真宗僧侶増田です。


あなた宗教を嘘だと思うのなら、あなたにとっては正しいのでしょう。揺るぎのない事実なのでしょう。その疑いがあなたの中から湧いてきただけの理由が、あなた人生にはあったのでしょうから

そしてその原因を作ったのが、他でもない宗教者たちだということもあるはずです。もしかしたら私自身も、今回の投稿によって、誰かにより疑いを深めさせる結果を招いてしまたかも知れない、とも考えております


あなた宗教を嘘だと思うことで、あなた安心し、宗教に頼らず生きてゆけるのなら、それも一つの生き方です。あなたの正解です。個人思想信条自由憲法でも保障されていますし、宗教の名のもとに世間を騒がせ他者の弱みに漬け込む人間に比べれば、特段誰かに迷惑を掛けるものではないでしょう。


私はかつて、浄土真宗の教えなどなくても生きてゆける、宗教なんてろくなもんじゃない、宗教者たちなど仏の仮面を被った鬼の集まり……そのように考えて生きて参りました。皮肉なことに、誰よりも宗教否定してきた私が、宗教によって救われていったのです。

案外に些細なことで、人の心はいかようにも変わっていくのだということを私は知りました。憎しみや侮蔑対象が詫びと感謝対象に変わるよろこびとかたじけなさを知りました。

そしてそれは、ひょっとすると他の方々もそうなのではないか、とも思いました。


ですから、無理に「宗教は嘘だ」と思い込む必要もありませんし、無理に「宗教こそ人生を救う最良の手立てだ」と思い込む必要もありません。縁がなければ自分には所詮その程度のもの、縁があれば自分にも意味なすもの……それぐらいの気構えでいいのです。肩肘張って頑なな心で世界に臨んでも、かえって息が詰まり、苦しくなるだけです。



あなたはそのままのあなたでいてください。ご自分だけの正解と幸せを追い求めてください。そうしてあなた自分他者も、喜びの中歩んでゆければ、とても素晴らしいことです。


そしてもしも、「それでも駄目だった」、「自分の信じた幸せのためにたくさん頑張ってみたけどやっぱり違っていた」、「もうどうしたらいいかからない」。

そんな苦しみにつまずき、膝から崩れ落ちる日が来てしまった時。


そんな方にも開かれてくる世界、両の手を広げて待ち受ける世界があるのだということを、なんとなくでも構いませんから、覚えていていただければ、私はとてもうれしいです。




あなたの素直な気持ちを私に聞かせてくださって、ありがとうございます宗教を嘘だと思う(、あるいは嘘だと思いたい)あなた幸せをも、私は願っています


合掌

「それは運命から」と言って、他人の不幸に共感を示さな

うちの親は他人の不幸に共感を示さない人だった。

ニュースの中では、事件事故などで誰かが死ぬという不幸な項目もあるが、

それを見て述べる「かわいそうだね」という素朴な私の言葉に対し、

親は「それはその人の運命から」と言って、憐れみを示すことはなかった。

一度だけ、その言葉意味合いを聞いたことがある。

いわく、人間の不幸はその人の運命なのだから、かわいそうなことではない。

その人が受けるべき運命を受けるだけだから他人には仕方のないことなのであって、

それは誰かが助ける対象ではない。その人自身がなんとかすべきである、とのことだそうだ。

どうやら、被害者が何も悪いことをしていなくても、その人が存在している「運命」のものが不幸の原因であるようなのだ

親のこのような発想は、被害者への共感を削ぎ、それこそ新たな不幸の発生源に成りうる

と思うのだが、どうすれば変えることができるのだろう。

誰も悪くなくても、「運命」でなくとも、不幸は発生しうることをどうやって示せば理解してもらえるのだろう。

(そうだ。あの浄土真宗増田にでも質問してみればよかったが、ピークが過ぎたのでトラバしてももう無理だろな。)

ちなみに、「運命」とは言っているが、うちの母親特定宗教観を持つわけではなかったので、

おそらく、自分の不幸が結局救われなかった辛い経験があり、それを宗教的理路とは関係なく、

何者かが定める「運命」認識してしまったのだろうと思う。

私はそれを誤解だと思うが、まあそれも一つの価値観なのだろうと、これまで批判的に聞くことはなかった。

しかし、震災とかコロナとかを考えると、「運命」という考え方はあまりにも薄情だなと思った。

2021-01-16

続・浄土真宗僧侶です

今一度、お付き合いいただければと思います

まずは、今回の私の投稿をお読みいただき、重ね重ねありがとうございました。まさかここまでの反響をいただくとは夢にも思わずブックマークが1000を超えた辺りから身体が震え出し、喉はからから渇き、手の痺れが止まらない体たらくで、よくも悪くも注目を集めることの重圧を初めて味わいました。お恥ずかしい限りの有り様です。

きっかけをくれた(元)増田にもありがとう

「この説法を読んだみんな (元)増田のお祖父さんのリモート葬儀に参列したようなものだ」

「(元)増田さんが勇気を出して書かなければ現れなかったご縁」

コメントしてくださった方がおられましたが、正にその通りだと思います

祖父様の生前のご希望・ご親族わだかまり元増田さんの苦慮と懊悩・私が僧侶として学び感じてきたこと……様々な縁が積み重なって因となり、この果をもたらしました。

一連の記事を読まれた方はみな、会ったことも見たこともない元増田さんのお祖父様の死を受け止め、素性も分からぬ私の法話に心を傾けてくださり、それぞれがご自分の「今」、ご自分の「これまで」と向き合った。そのような瞬間に立ち会えたこともそうですが、私がそのささやかなお手伝いができたのだとするならば、返す返すもったいないことであります

たとえ学んだ経験を持たずとも、皆様は真宗の心をよくよくご承知なのだと、喜ばしく思いました。


しかし同時に、私が一方的にご親族非難するような語り口になったことで、一部の方にご不快な思いを抱かせてしまい、本当に申し訳ありません。

元増田さんの痛みが少しでも和らげばと思い、思い悩む側に立ってお伝えしたつもりでしたが、その主張に至る論拠も背景も提示せぬまま、語調への配慮もなく投稿してしまった浅はかさ。ひいては、浄土真宗教義宗旨のものに対する誤った印象を広めかねない軽率さを、深く悔いております

身口意の三業(しんくいのさんごう:苦しみを生み出す元ともなる、身体言葉と心の在り方)を正さなければならないのは私こそだと、改めて皆様からお教えいただきました。


今回の投稿を機に、様々な声をお寄せいただきました。その中からいくつか、私が個人的にお伝えしたい、或いはどうしてもお答えしなければならないと感じた点について、一つ一つ書き綴っていきたいと考えました。

ところが、お答えしたいと感じたコメントも、それに対してお伝えしたいと考えているお話も、あまりに膨大な量になってきてしまったため、今ここでそのすべてを書き記すことはできません。

そこで、ある方からコメントでご希望をいただいたこともあって、note等の他媒体で一つずつ回答を掲載してゆく形を取れないか検討しております。今しばらくお時間とご猶予いただければ幸いです。

また、すでに書き終えた箇所については、以下に記しますので、暇つぶしがてらご一読いただきたく思います


お同行(どうぎょう:人生をよりよく生きたいと願い、共に歩む仲間たち)の皆様に、何か少しでも響けばと願って。

合掌


「本当に坊さんなのか」と仰った方に

釈迦さまがご存命の頃、覚者として名高いお釈迦さまの噂を耳にしていた方が、お釈迦さまの姿を見掛けるなり、突然敬いの態度を取られたそうです。その方に対してお釈迦さまは、

「この腐ってゆくだけの身体を見たからといって何になるでしょうか。“法”を見る者が私の姿を見るのです」

と仰せになりました。

釈迦さまという人間(物質)そのものは何も尊くなく、その姿をただ拝んだところで意味はない。仏を本当に敬う心というのは、仏からもたらされた法 (= 真実悟り・気付きへと至る教え) を深く信ぜられる心があって、初めて沸き起こるのだということです。

100人いれば100通りのもの見方が生まれます。なぜなら私たちはみな一様に、自分の都合のいいように物事ねじ曲げて捉える色眼鏡、「邪見(じゃけん)」の持ち主だからです。

信じる方もいれば、信じない方もおられるでしょう。私自身は信じられなくとも、一向に構いません。後はあなたのお好きなように受け取ってください。

信じてくださった方には、

「すなわち我が親友(しんぬ)ぞ」

とお伝えしたく思います


「彼に一時期話題になったAmazonお坊さん便についてや、オンラインお坊さん、などについても聞いてみたい」と仰った方に

法務が忙しく、自坊で取り入れることは現状難しいですが、私は賛成派です。

どんな形であっても、そこで出遇うのは人と人です。これまで仏縁をいただくはずもなかった方のお宅を訪ね、仏事作法・死生にまつわるお悩みに、私どもの信ずる教えをお伝えできる機会を賜われるとしたら、ありがたいことです。

中国善導大師も、

「もし行を学ばんと欲(おも)わば、必ず有縁(うえん)の法に藉(よ)れ」

という言葉を遺しておられます理想的はいかないまでも、それぞれに合った形で、仏法平等に一切に施されるべきなのです。


「襟を正すとは言わないのね。襟ないし」と仰った方に

これは浄土真宗の三大経典ひとつ、大無量寿経において、お釈迦さまが弟子阿難(あなん)に対して、

「汝、起(た)ちて更に衣服(えぶく)を整え、」

と、身も心も改めるよう告げられた場面に由来しております

我々僧侶は、法務に臨む上で、常にこの阿難に求められた姿勢を貫くことを責務としています


浄土真宗の寛容さは良い。そもそも修行しなくてもだれでも救われるって教えだし、坊さん自体も妻帯OK・肉食OK・髪剃らなくてOKだしな」と仰った方に

浄土真宗好意的に感じてくださって、ありがとうございます

さしたる戒律も持たない浄土真宗を“寛容”と捉えるのか、“険しい道”と捉えるのかが、俗世と求道者の大きな分かれ目となるのでしょう。

たとえば、もしもあなたが、

世間の人たちが当たり前にしてることをあなたもしていいよ、それであなたも仏になれるよ」

と言われたとして、あなたはその言葉をどれほど信じられますか?

その通りにして生きていったとして、世間の人から口々に

あんたのところの宗派は楽でいいよなあ」

「他の宗派みたいに滝に打たれたりとか山籠りとかそれっぽい修行しないんですか?(笑)

「何なのその髪の毛? ありがたみが足りないね

「お寺の息子ってボンボンだよね。坊主丸儲けって言うし」

「お坊さんも肉食ったりセックスオナニーするんすかwww

と好き放題になじられ続けて、それでも自分は間違いなく仏になれるのだと、あなたは胸を張って言い切れますか?

我々の求道の在り方は、甘えでも寛容さでもなく、「覚悟」です。

世間は常に、自分たちで勝手に作り出した意味もない物差しに、自分たちで勝手に縛り付け合ってああでもないこうでもないと罵り合い、争い合っています。そんな人々の下世話な好奇の目や嘲りにも耐えて、たとえ自力聖道門尊いお坊様のような修行は積めずとも、ごく普通人間と変わらぬ平凡な生活を営みながら、それでも間違いなく仏になれるのだと、己が第一に身をもって証明していく勇気を見せなければならないのが浄土真宗僧侶なのです。

開祖である親鸞さまはそのご覚悟

「僧にあらず俗にあらず」

という言葉で表され、また

人倫(じんりん)の嘲(あざけ)りを恥じず」

と仰せになり、決して退くことのない浄土への道をひたすらに歩まれたお方でした。

であればこそ、親鸞さまに救われた私もまた、親鸞さまと同じ生き方を願い、その道を皆様と共に歩みたいと思うのです。

「徳の高い坊さんだ」、「ありがたい」と仰った方に

ありがとうございますしかし、現実の私はそのような人間ではありません。何しろ私は、この教えに出遇わなければ死を選ぶしかなかったほど、弱く、もろく、そして愚かなためです。

もしもあなたが私の書き込みに何らかの功徳を感じてくださったのだとして、ではその功徳をもたらしてくれたのは誰で、どこからきたものなのでしょうか。命を断つしか選択のなかった、世間人間社会を呪うしかなかった私のこの頭から、口から、心から、仏の教えがこぼれ出てくるという不可思議現象は、なぜ起きたのでしょうか。

今回の場合は、すでに冒頭で述べた通りです。私が言わんとするところはつまり私自身が尊いのではなく、私のような者に教えを語らせた諸々のはたらき、「わたし」と「あなた」の間に結び付きを与えてくださる種々のはたらきが尊いのです。

すべては響き合い作用し合い、そして悲しみやよろこびを生み出しています

私はできるだけ悲しみを減らすお手伝いをし、できるだけよろこびを増やすことを務めとして生きてゆきたい。そう願っています

「小慈小悲もなき身にて 有情利益(うじょうりやく)は思うまじ」

と、開祖である親鸞さまが仰せになったように、煩悩具足(ぼんのうぐそく:煩悩に満ちた状態)の凡夫(ぼんぶ:弱く無力で自力で悟れない愚かな存在)の身には出過ぎた願いではありますが、様々な縁によって助けられ支えられ励まされ慰められ育てられて生きてこられた、その力だけは、私には絶対事実です。私は私以外からもたらされた力を一心に信じさせていただき今日まで生かされております。この歓喜慚愧の念に頭が下がり手が合わさる心を、他力本願といいます

真に功徳に満ちているのは、真にありがたいのは、私たちに「あなたが救われて欲しい」と種々にはたらきかけてくださる、阿弥陀如来さまであります南無阿弥陀仏

「どこまで書いて消えてしまったのかを思うと心が痛むほど丁寧でわかりやす文章」と仰った方に

件の投稿よりももっと長く書き綴っていた文章が、残り数行というところでうっかりページバックボタンに触れてしまい、全消失しました。あまりのショックにじたばたと暴れ、ウワー!と叫びました。

「諸行は無常、こんな記事を書いたところで誰が読むでもなし、諦めて他のことをしよう」

と思って立ち上がった途端、リングコンを握り締めながら涙をこぼしている増田さんの姿が脳裏に浮かび、いやこれでは駄目だ、多少は簡素になってもいいからお伝えしよう、と踏みとどまりました。

結果、この拙文によって一部の方を戸惑わせたり憤らせもしてしまいましたが、多くの喜びの声を受けて、私が信じてきた教え、私に教えを授けてくださった諸仏と数多のご先達が、私に微笑みかけてくださるような感慨に胸が熱くなりました。本当にありがとうございます。至らぬところも多く、本当にごめんなさい。南無阿弥陀仏


(以下、今後回答を予定しているコメントをお載せします)

「今のコロナの状況を浄土真宗的にどうお考えか、また、どう乗り越えていけばいいか
無関係な私まで救われた気がする」、「心が洗われた」
「妻の初めての命日は、2月2日です。その日のまえに、このようなものが読めるとは」
「去年亡くなった母の遺影写真なくて父のガラケーで撮った低画質のをスマホアプリで綺麗にして使ったの。ずっと申し訳なく思ってたけどコレ読んだらそう悪くも無いのかな。父は喜んだし、何より良い笑顔だったんよ」
「(まずは他者よりも、わたし自身が目を開き、耳を傾け、心を開かなければなりません)…刺さる言葉だけどなかなかこれが出来ない。モノサシが異なると心を開く事が譲歩に見られてしまう。それも飲み込むべきなのかな」
葬式の時にこういうありがたい話を聞いて身が引き締まるのだが、翌日にはもうおっぱいのこと考えてしま自分がいる」
「“そういう態度や振る舞いしかできないだけの縁”。興味深い価値観だ。こう言う時に遺言として望むべき振る舞いについて残してあげるのが去りゆくものの置き土産なのかもしれない。身近な人たちに優しくありたいな」
親族に対してどうしてそこまで偉そうに断罪できるのか分からない(大意)」
「死者の本当の想いとやらを都合良く説きすぎ」、「どうして祖父気持ちを代弁できるのか(大意)」
「“縁なき衆生”も救われるのが浄土真宗じゃないのか」、「凡夫の救済である悪人正機みたいのもあるけどどう折り合いつくんだろ」
自分葬式なんてどうでもいい」、「葬式要らない。やるだけ無駄
仏教においては死んで仏弟子となった者の魂は阿弥陀如来浄土へ既に導いたので、葬式というのはただ遺族を慰めるためにやるものなんだよな。だから遺族の気が済めばそれでよい」
檀家がお寺の建て替え費用負担する仏教の教えを教えてください」

現時点では、以上のコメントについて、今後時間をかけて回答したく思います

準備ができ次第、こちらの投稿言及する形で戻って参りますゆえ、今しばしお待ちください。


最後になりましたが、皆様とこのような法縁に恵まれきっかけを与えてくださった元増田さんを始め、すべての方のお命とお心に、敬い申し上げます

南無阿弥陀仏

2021-01-15

https://anond.hatelabo.jp/20210114225222

増田はどの宗派 or 宗教

増田は、僧侶増田と同じく真宗宗派(浄土真宗の中でも、さら宗派がいろいろあるよ、という意)なので、僧侶増田の説法には一定の理解をしています

それと同じぐらいの意味で、もし増田真宗宗派じゃないとしたら、違和感を持って当然だと思います

増田の思うところ、増田が指摘することは「だって宗教もの」、そして、「浄土真宗もの」という話に収斂すると考えています

悪人正機説という、真宗宗派ではよく説かれる話にもつながります

ご縁があって、救われると思えば救われます

そのご縁につながらなかったり、またはご縁をないがしろにしては、救われるものも救われません。

それが「浄土真宗もの」と感じるところであり、その説法によって救われたいと願う人を惹きつけるからこそ「だって宗教もの」であり「浄土真宗もの」と、私増田は感じています

anond:20210114171220

何かを重ねて見知ったような物言いですが

・言い換えてみた

価値観は人それぞれ

・事を知れ

とし内容のないものを長々と形容で論ぜられています

発言した委細を言葉として取り合うために話すことではないので文中にあるとかないとかで言った言わないは勘弁してください

まず最初に名乗りをあげている身上ですが、これは何か必要あることでしょうか

教徒のどんな立場であるかを相手に告げて言説になにかの意味を含ませようとするのはその言葉立場によっては意味がない言葉であるということでしょうか

乞食に化けた聖人乞食が行ったこであるので聖人のそれとは関係がないはずだとするならばそれはその価値観をお持ちであることについて理解できます

物乞いに施しをする姿をみて聖人がとされない理由は何でしょうか

次に事例を引用するにあたって出典を前述の教養からとしやすくしただけであれば自ずと宗教関係の事例を挙げてこられると思います

過去の事例からして正しい行いをしたと評価してあげるために何かしら評価にまつわる根拠のない話をいくつかされています意味があるというそ意味が何である宗教を出した上でされているのだから自身範疇でその評価をしてさしあげるのが道理ではないでしょうか

それぞれ個人の何か大切なものを見つけていけるし見つけていってください と突き放すのではそれを支えるべく教えを用意しているはずの宗教の救済の意味がすべて喪失していませんか

当人個人判断自身を救えるのならば初めからそんな長い話を聞かせて要点が何点ありどうすべきで基準のそれを「基準」と呼んでいるそれは何なのかひけらかす必要はないでしょう

相手情報押し付けることについてのみ思考されているため視点が抜けているように見えます

相手選択肢存在を示すのであれば自らの身上を述べ参考にしてもらうだけで充分ではないでしょうか 自分が信じているもの自分を信じてもらえたら出来ること等あるはずです

最後にいろんな方の心の内を勝手に想定してイタコをされていますがどのような宗教でどんな戒律があればそのような事が行えるのでしょうか

生きている人の本音を霊体を呼び寄せて聞くという宗教もあるかもしれませんがそれでしょうか

少なくとも浄土真宗は死者の例を呼び寄せ思考を読み代弁できるという能力存在したという話はないと思いますがこれはもの知らずの浅知恵でしたでしょうか

仏教というものに僅かでも関わり僧侶という立場にあるのだとしたら頭をまるめ結婚をせず肉食を控え私財を蓄えず物を乞うて生きるの意味くらいは深くご理解があるかと思います

そもそもそのための組織といっても過言ではないしその意義によって成り立っている組織ですよね

坊主になるのは個を無くすため ファッションや外見的特徴で教えの元にある者を区別しない 僧侶の格好をしていればみな同じ教えの元に対応ができることを示す

どの坊主が良いとか悪いとか誰のせいだとかどんな格好をしているから偉いとかありません 皆が同じ仏の教えの元に集っているのです

至らぬ者があればほかの同門がそれを補う 個人で新しく独自路線開拓したわけではない 常に仏に帰依する現実的スタンスが外見的特徴の喪失ですよね

髪の毛はやしてますか? ファッションに気を付けてますか? アクセサリーとかつけてますか?

まさかと思いますがそんなことはないですよね

結婚せず肉食をせず肉食を控え私財を蓄えず物を乞う

人の里にあって人の営みをするものと離れて生活します 里の人と同じ世界という規模で共存するにあたってそれらを得るという選択肢を無くしま

もし僧侶と娘が結婚したら 人の里において娘と結婚する人が一人減ります 私財を蓄えるとその取引によって人の里から失われるものがあります

営利目的僧侶をやっていいなら営利団体宗教的なものを発布してもよいはずです 従業員がまるで宗教のような企業労働を強いられていることもあると思います宗教となれば「その労働者の家族も含め」となります

価値があるものとしてその知識を村や人が保有するために支払うコスト必要ならばそれは村や人が金庫にいれたり資産を投じて運用すべきです

そうすると運営元が恣意的に内容や情報を変更する可能性があります 伝承歴史が歪められる可能性があります

できるかぎり中立で正確な情報を残していくため それを得ることができるようにするのには公平で自由に接することができなくてはなりません

だれかの資産運営するわけにはいかないのです だれか一人のトップ僧侶能力で人の判断を歪めてはいけないのです 独立した公平な組織となるためにはその戒律必要なのです

肉食は生物を殺さないという根源的な保証のために行っているものです 実際にはどうのという話ではなくただのタンパク質ならどうなのかという話でもなくだれも殺さない むしろ殺すくらいなら死ぬというものであることの証明のためです

これらをこなしたうえで極楽浄土がある 死後に苦しむことになるので現世での苦しみを耐えよの言葉意味がでてくるわけなので 意味のない言葉を聞きかじったままに伝播するのでなければ当然されているかと思います

自身が常に戒律によって自覚しているあたりまえの日常の最低限の事ではあるでしょうけれども 人に道を示すのにこれだけしておかなければ中立であると言えない 恣意的利己的に利益を求めて助言をしていると言われないようにできないですよね

名乗られている浄土真宗はそんなものではなく営利目的団体で 顧客獲得のためのセールス手段の一つをここでお話させてもらうと良い話なので是非聞いてくださいというのならば納得もしま

あくま浄土真宗の何派かわかりませんが宗教にあって僧侶をされている方の立場名誉について 今一度そんなに金がほしいのか人に知がありと説いて健やかなれと願っているのかお聞かせいただきたい

なぜ一人を救うのに何人も汚名の淵に蹴落とさなければならなかったのか その判断は公平で平等判断したその何かにおいて当然だったのか

anond:20210114171220

親族の誤った葬儀宗教に対する考え方を正すこともなく利用してたのは、それこそ宗教葬儀業界だと思うんだが…

そもそも増田祖父がこのご時世に葬式挙げたいって言いだしたのもそこが原因じゃないのか。

増田を慰めたい気持ちもわかるけど、彼らを糾弾して徒に分断を煽る前に、まず自分たちを顧み反省するところからまずスタートすべきではないのか。

はっきり言って新しいビジネスに対して古臭い信者の考えが邪魔になったから切り捨ててるようにしか見えん。

まぁ最近どこかの界隈でもよく見かけるけどね。ネトウヨ系のYoutuberあたりだけど。あれも宗教臭いよな考えてみたら。

無宗教の人はこれ見てどう思うかってブコメあったけどこんなことを思った。

そして、この人は浄土真宗肩書を持って説法にあたったのだから、おそらく当該宗派では教義の中で分断を煽ることも許容してるんだろうなとも考えた。

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