はてなキーワード: 法門とは
①社会的地位を利用し、断りがたい立場の人に狙いを絞り、お金は38万必要だ
が とてもいい話が聞ける。この様に誘われることすら、得がたいことであ
り、行けば必ず納得してくれるだろうと、教団名、宗教であることを隠して
勧誘する。
②京都へ行けば、2日間にわたり、念仏宗・無量寿寺信者としての(かなり洗
このとき、念仏宗の秘儀というものも教わるが、(太陽を裸眼で見る方法、
化仏、化菩薩を見る方法等で、この秘儀を伝えられたことにより、極楽往生
が決定し菩薩の仲間になったと教え込まれる。) これは普通の生活では経
験していないことを教えるだけで、同じようにすれば、誰でも見える。また
徹底した秘密 主義を誓わせ、たとえ家族のものであれ念仏宗無量寿寺で聞
③釈尊本来の仏教というよりも 浄土系、密教系の複合したもので 開祖、久
世太郎(本名 福井真尚、別称 戸倉貞和)教と呼ぶべきものである。ちな
みに開祖の前歴は占い師で詐欺による訴訟を神戸地方裁判所にて起こされた
こともある。
④念仏宗 無量寿寺の会員(同行という)になると、3人を済度(信者を勧誘
すること)するノルマを与えられる。
⑤学術的文献によれば一般に 「隠し念仏」と呼ばれている。浄土真宗側から
仏教歴史学によれば、秘事法門と呼ばれ、 布団被り、御蔵法門、御杓子講
空也派、天王寺派等、が存在するようだ。念仏宗が、どの派に近いのか、ま
た、混交したものであるのかは不明である。 いづれにしても 善智識と呼
ばれるものを立て、自宗の奥儀として儀式を秘匿し、門外に他言すれば地獄
におちると 信者に言い含めるのが特徴としてみられる。
⑥2チャンネルの「念仏宗無量寿寺」掲示板や、「知りたい。。。」掲示板の
元信者、現信者家族の書き込みに寄れば 無量寿寺への入信が原因で、離婚
や、家庭不和、鬱病に悩まされているという報告が数多く寄せられている。
また、念仏宗の幹部、であり、回向相伝を授けられた土屋 悟 氏が(2001
護持費(会費)1口 2000円・・毎月支払い、口数は各信者の自由意志
その他、地方会費(各地区の別院、檀信徒会館、等施設維持のため)として
信者1人当たり1000円 ~5000円/毎月)の支払いがあるようだ。
回向 (先祖供養等) 一体1口 10000円 (1年に先祖1人につき6回必要)
集中回向 一体 100000円
法名 100万円
仏像 一体 100万円
本堂の柱 寄進 1本 1000万円
⑧念仏宗無量寿寺は昭和54年に宗教法人としての認可を監督官庁から受けた。
平成4年に 日本の仏教 第14宗として監督官庁に認可されたと、無量寿寺
の月刊誌に書いてあるそうだが、監督官庁が認可した事実は無い。
⑨開祖の久世太郎は 真言宗第195代 琳真大僧正の6番目の末弟というふれこ
みだが、真言宗に確認してみると そのような事実は無いとの返答であった。
⑩念仏宗・無量寿寺 信者として、六大祭事(初詣、大涅槃会、観音祭、降誕
⑪これまでに5回 世界仏教サミットを開催しているが、これは念仏宗のお手
盛り、宣伝的なイベントであり、 日本の仏教会からは 全く無視されてい
る。
日本の仏教会は、全日本仏教会という組織(日本仏教会の9割以上が参加)
があり、これまでに20回以上も 世界仏教徒会議というものに参加している
を受けるに当たっては 五具足相伝に300万円、回向相伝には1000万の冥加
金を支払わねばならない。
念佛宗では信者が儀式の際に使用した上記のものを死後8時間以内にこれら
を身に付けさせ、蝋燭を燈さなければ輪廻の輪から解脱出来ず、極楽浄土へ
向かう事が出来無いとしている。
胎内にいる間に、仏との縁を結び、無事にこの世に生まれさせていただくと
いう儀式 いわゆる、安産祈願、不退は産まれてくる子が 真実の道、浄土
へ向かう道から外れないという意味を含むようだ。この儀式を受けたあかち
ゃんは臍のおが白いと云われるが、元、念仏宗信者の言によれば、他のあか
開祖の久世氏をはじめとして、法主:宮川氏、善智識:郡氏、清水氏の4名
かと思われる。清水氏は企業セミナーの講師もしているとの情報あり。
⑯念仏宗・無量寿寺 同行となったものは 精進しなければならない。(具体
的には、本山、 別院、檀信徒会館、王堂 関連の 維持、管理、世話等の
仕事が順番に回ってくるらしい。)
日蓮宗では、本迹一致を立てている。この本迹一致論は、
天台大師が『法華玄義』に説いた「本迹異なりと雖も不思議一なり」との解釈によるもので、
大聖人様の御教示ではないのです。
迹門という小さな川も、本門の大海に収まれば同じ海水となるという、
決して身延のような本迹二門を対等に見た上での「一致」を説くものではないのです。
大聖人様は『治病大小権実違目』に、
「本迹の相違は水火・天地の違目なり」と、
本門は事の即身成仏なり」と法華経の本迹の相違を明確に御教示されています。
法華経本迹二門は、
その説かれる法体においても勝劣があり、
しかし日蓮宗では、「実相一体」や「本迹未分」という勝手な解釈を加え、
「本迹一致」の邪義を主張していますが、
宗祖の正意に背く謗法の論となることは明らかです。
それを要約すれば、
二、釈迦一体仏
三、大曼荼羅
四、一尊四士
五、二尊四士があり、
このうち一、と三、を法本尊、
二、四、五、を仏本尊とし、
その中心は三、の大曼荼羅と、
四、の一尊四士であるが、
祖書の教示等に照らし、
『此等の仏をば正像に造り画けども未だ寿量の仏有(ましま)さず。
末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか』との御文を挙げ、
「仏像出現」の語句によって本尊は仏像が正意であるとしています。
末法の仏像に対する「出現」という表現を対比してみなければなりません。
後の「此の時地涌千界出現して」の御文と同じく、
あくまで現実に現れるということを示されたと拝すのが正しいでしょう。
「此の時地涌千界出現して、
「本門の釈尊を脇士と為す」を「本門の釈尊を脇士と為る」と誤読し、
一尊四士が正意であるとしている。
しかし、宗祖が御在世中に一尊四士の仏像を自ら造立された事実はなく、
との御教示ではありません。
法本尊について御教示された御書に照らして見ればいっそう明らかです。
「一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり(草木成仏口決)」
「妙法蓮華経の御本尊供養候ひぬ。此の曼荼羅は文字は五字七字にて候へども、
三世諸仏の御師(中略)此の曼荼羅は仏滅後二千二百二十余年の間、
十方の諸仏は法華経より出生し給えり。故に全く能生を以て本尊とするなり(本尊文答抄)」
日蓮大聖人様の御真意は一尊四士などの仏像本尊にあるのではなく、
【補足】
(二、)釈迦一体仏