はてなキーワード: 所謂とは
所謂アセクシャル、性的欲求を持たないという人の話(恋愛感情の有無は問わず)は近年よく聞くようになったが自分は恋愛感情は持たないが性的欲求はある、表題にしたアロマンティックセクシャルという性指向なんだなと最近自覚した
ちなみに恋愛感情はあるが性的欲求がない人はロマンティックアセクシャルになる(両方ある人とない人については敢えて言わなくても前2つから導き出せると思うので省略)
ただ、女性は比較的恋愛感情が強く性的欲求が弱め、男性は恋愛感情が弱いと言うと違う気がするが恋愛感情を持たなくても性的欲求を抱きやすい(女性にはこの傾向はあまり強くないイメージ)という傾向はあるような気がする あくまで自分の主観でもちろんそうじゃない人もいっぱいいるだろうけど
で、自分の場合だが性的欲求は確かにある(むしろ強い方な気がする)が、個人的には性行為というものに対してロマンティック(恋愛的)な概念を孕んだものという感覚があるので人間と性行為をしたいかと言うと否である、じゃあどうするのが一番理想なんだろうと考えた結果「人間の形をして人間のように動くが意思は持たない無機物のようなものと性行為をする」くらいが一番近いかな……と考えてなんかこれだとどっちかって言うと特殊性癖拗らせた人って感じだな……となんとも言えない気持ちになった(これが言いたかっただけ)
25年生きてきて初めて痴漢に遭った。
厳密に言うと「もしかしてこれは痴漢かも?」みたいな経験はある。早朝中学に向かっていたら自慰行為をする男性に遭遇したこともある。
でも所謂「満員電車で背後から遭う痴漢被害」は初めてだった(本来はそれが当然であるべきなのだけれど)
今まで痴漢に遭ったことはなかったけど、ずっと痴漢は絶対に許せないと思っていたし、もし自分が被害にあったり被害を目撃したら痴漢を突き出してやると思っていた。
実際被害にあってみてわかったことは、思った以上に難しいこと。まず普通にとにかく怖い。
今回の加害者は男性だった。ただでさえ自分より力が強い男性を、まして性加害真っ最中の男性をひっ捕まえるとか正直無理だった。ちなみに言っておくと被害は臀部を触られただけじゃなくて、男性器を押しつけられたりしたので加害者は男性だと思った。
条件も悪かった。満員電車は終電で、私は途中下車したら家に帰れない状況だった。痴漢はそういうこともわかってたんだろうな、すごく卑怯だと思う。
とても悔しい。次にあったら絶対に許さない。でも次被害にあったとしても、正直声をあげられる自信はない。
いつもツイッターで性差別や性犯罪の話題に対して憤っていた。でも実際に自分が性被害にあえば何もできなかった。すごく悲しい。
今か、それか明日か、それともいつか。またあの男性は痴漢行為を行うかもしれない。その被害に遭うかもしれない人たちのことを考えると本当に悔しい。そして情けない。
勇気が出なくてごめんなさい。帰りのタクシー代なんて知らないと言える経済力もなくてごめんなさい。黙って耐えることが正解じゃなかったのはわかるけど、私はどうすればよかったのかわからない。
Fラン大から新卒で入社したSierで運用・保守現場に4年派遣されていたが、今は精神を病んで休職中。
身についたスキル(?)といえば、やたら長いSQLをこね繰回してデータ抜くくらい。
転職したいけど若さでゴリ押しできる歳でもないし、歳相応のスキルもない。
吉幾三も腰を抜かすほど何もない。
これ所謂恋愛工学で言う「フレンドシップ戦略で下心出したら逃げられた」って奴だよな
女だと「下ネタも言える気軽な友達から入ろうとしたら彼女は無理だと言われた」みたいな
最初からガッツリ下心出して、手を繋いだりして断りにくい雰囲気にすれば良かったのに
部屋に上げた女も、肝心なところで遠慮せずに最後までやれば良かったのに
ぺこぱという、相方のボケに突っ込みそうで、それをポジティブに肯定する二段ボケで笑いを取る芸人が居る
所謂何でもポジティブにとる笑いで、それのバランスを、突っ込み役が無駄に個性的な事で中和するなど、かなり技巧派なギャグになっている。
単純に笑いとしても面白いし、お笑いに厳しい人も技巧派として楽しめるし、鬼滅の刃が兎に角「売れ線」の嵐で、経済学者に喜ばれるように、
「社会を反映し、またそれ自体が構造的なテキストである」という構造主義大好きマンの文系学者に好まれるような形になっている。
若林は「最近は多様性が重視されて、ツッコミが出来ない社会なので、ぺこぱを見て泣いた」と言っていた。
ジョーカーの監督も「コメディー映画を作っていたが、今の時代、コメディーを作ると世間から批判されるので、作らない。だからジョーカーを作った。」と言っていた。
お笑いとは、「既存の常識レールからズレたモノを、常識レールに当てはまることで『非常識』を際立たせ、そのギャップを笑って受け入れる」という性質を持っている。
例えば若林と春日だと「兎に角マイペースで堂々と突っ走る春日」というズレた存在を「常識人で普通の若林」が春日の変な部分を指摘するというように。
しかし現代は「ズレている」という事を認めなければならない。若林と春日の芸も、人によっては「発達障碍者を馬鹿にしてる」だとか言われるかもしれない。
そこで「尖った笑い」を目指して渡米したウーマン村本は、「多様性最高の左派西欧のブルジョワ価値観」を常識に設定し「日本の奴ら」を非常識に設定することでそれを達成しようとした。
しかし「多様性・欧米・左派は最高」という矛盾をはらんだは構造に気付く事が出来ず、日本に来ると結局「出羽守というボケ」のピン芸人になり自滅した。ぺこぱを見て彼は悔しがってるのではないだろうか。
「女で精神的に健やかで健全で黒人」という常識レールに「男で精神障碍者で白人」という笑えない非常識を置いて、コメディではなくサスペンスを作った。構造的にはコメディーで、笑わせない事で
逆に常識レールというものの不自然さと都合のよさ、不満を描いて、観客はウケた。
若林は
とにかく常識レールを学び、価値観スレスレを行くことで対処した。
ぺこぱはどうだろうか。正直これを「多様性の尊重」と称賛する人は多いが、皆はこれを見て何を笑ってるのだろうか。
「変な事をしている人間(多様性)」という常識レールに、「多様性を受け入れる変な人間」という非常識を置いて、それを笑っている。
皆受け入れてはいるが、尊重はしてないのだ。多様性を受け入れる社会、つまりポリコレを笑ってるのだ。ギャップを顕在化させてる突っ込み役は観客である。突っ込む責任は観客も分担する。
ただ「笑い」と「納得」の境界を曖昧にしてるので、受け入れられない部分は笑って、受け入れる部分は頷く。
そこにあるのは左派でも右派でもなく、全てである。全てであるが故に、今度は「ぺこぱ笑う人間」を叩く未来が確実に来るだろう。そして「そういう意図でコメディにした」ぺこぱも叩かれる。
「晴れたほうがいい、一人が犠牲になっても、みんなが笑顔でいればそれでいい」という常識レールに対して「天気なんて晴れなくてもいい、女の子一人救えればそれでいい」という非常識を置いた。
結局ジョーカーも天気の子も、結論は同じだった。「何が正しいか、何を選ぶかは全て自分自身にかかっている」これが近年のテーマである気がしてならない。
ぺこぱの芸にも同じことがいえる。結局、「何が面白いと思うかは、自分で選べばいい」というアイディアが元だ。しかし選んだ責任を背負えるだけの力が僕たちにあるのだろうか。
「大丈夫」と言ってくれる人は居るのか。
ぺこぱは「いじめにならない」という人は多いが、違う。ツッコミ役は割と理不尽な目に会う。
首に雑巾巻かたり、叩かれたり。「雑巾が綺麗なのは部屋がきれいにしてるって事」「痛いというのは生きている事」みたいな事を「言わされる」いじめは容易に想像できる。
「何が正しいか、何を選ぶかは全て自分自身」の価値観も、結局「選ばさせられる」という事は容易に想像できる。暴力もまた多様性の一つだ。
僕たちはそれを見て笑うのだ。そしていつか「多様性を強いられてる人」が常識レールになり「常識を語る人」がボケになる。いつか「人はいつか死ぬ」だとかで笑う世界が来る。
そして統一された「笑い」という概念は無くなってしまうかもしれない。
目の前の選択が、本当に正しいのか、それは自分自身の選択、レールなのか。これはこれからのテーマだろう。
常識レールが無くなり、異常者が居なくなり、何にも笑えなくなる世界がすぐそこまで来ていることを感じる。
「全ての存在は滅びるようにデザインされている」とはニーアオートマタの言葉だ。それが滅びというか、完成というかはわからないが
そこへの道を一歩一歩進んでいるような、世界の終末に向けて歩いているようなそんな気がする。ひょっとすると素晴らしい世界かもしれない。
タイトルの通りなんだけど、このままエスカレートして所謂「インセル」にならないか心配。
街コンとかアプリで頑張って出会いを探しているけどうまくいかないみたいで、SNSで失敗談(LINEブロックされたとかマッチするのが30代後半ばかりとか)を愚痴ってるんだけど、そのあとに「これまで散々イケメンと遊んできたくせに30過ぎてから安定求めてこちらに来るのむかつく」「そっちが学歴とか年収を求めてくるならこっちも年齢とか容姿を求めるよね」「上から目線でアドバイスしてくる女性の知り合いいるけど、結局君らは僕を選ばなかったよねと思う」等々、女性への呪詛をまき散らしてる。
博士号取って就職もきちんとしてるという同年代の中ではこの上なく優秀な人でも「好みの女性が手に入らない」ということだけで女性蔑視をこじらせてるのを見ると、幸せって何なんだろうな、と思う。友人の目からすれば見た目も悪くはないと思うんだけど。
個人的に思うことをいくつか書き出してみる。
街コンは話せる時間が短いから外見がいい方が有利、かつサクラも多い。
アプリは見た目で足切りされるからそもそもチャンスが減ってしまう。
中身で勝負するなら、知り合いでいい人を探すか合コンの方がいいと思う。
変わり種だと、バスコンとかもある(1日拘束されるから必然的に話す時間が多くなる)
年齢とか容姿を求めてパートナー探しをしているようなんだけど、そういう人には需要が集中するわけで。
群がる男性の中で勝ち残る自信があるのか…?
博士号は確かにすごいけど、一般女性からすれば「高学歴」でひとくくりにされて、魅力的には早慶学士号とそんなに変わらないのが現実。
少なくとも、博士号持ちだから女性からアプローチが絶えない、なんてことにはならない。
となると最低限の見だしなみを整えた後は内面勝負になるわけで、気が合う綺麗で若い女性に出会えて、さらに上手くいく可能性はなくはないけど、確率としては低いよね…
彼の場合、身だしなみに気を付けたり出会いの場に足を運んだり、「努力」はしているようなんだけど、それが結果に結びつかないことでストレスをためている様子。
でも、そもそも出会いの場の選択が間違ってる可能性もあるし、身だしなみに気を付けるのは最低限のスタートラインでしかないわけで、それが報われるとは限らない。
東大生はもともと勉強が得意な人が多いと思うけど、恋愛市場で好みのパートナーを手に入れやすいのはもともと恋愛が得意な人(容姿がよかったり、コミュニケーション能力に長けてる人)なんだよね。
地頭がよくない人が非効率な勉強の仕方して「こんなに勉強してるのに東大受からないのはおかしい」って言ってたら変だと思わない?
勉強の仕方変えたり、妥協して志望校下げたり、東大以外の学校の魅力を探してみたりした方が有意義だよね。
「自分は報われるべきなのにおかしい」って思想でストレスためるのは害でしかないと思う。
結果的に報われてないってことは、自分は報われるべきとは限らないって考えるのが自然じゃないかな。
街コンとアプリじゃないところで出会いを探して、容姿とか年齢へのこだわりをハードル1段下げて、相手の内面を見るようにすれば上向くと思うんだよね。
読み直してないから誤字とかあるかも
今から10年前、香川県でゲームは1日1時間とする条例が施行された、香川県から始まったこの条例が10年間でゲーム全体にどう影響したかを残しておこうと思う。
最初は猛反発していた香川県民も施工されたらしぶしぶ従うしかなかった。
1日1時間しか遊べないので自然とRPGなどの長編ものは遊ばれなくなってきた、ジャンル別の売上統計を取ると香川県だけミニゲーム系のジャンルの売り上げが上がり、RPG、シミュレーションなどの長く遊ぶ必要があるジャンルの売り上げが落ちた、当然の結果だ。
ただし、まったく遊ばれていないわけではなかった、香川県民でもRPGやシミュレーションを遊ぶ人達はいた、中には禁断の技ゲームマンオーバーアタックを決めるものもいた、ゲームマンオーバーアタックが出来る人間は羨望の的であった。
説明しよう!
23時から翌日の1時までの間に連続して2時間のゲームプレイをする大技である。
2日分のゲームプレイを一気に消費してしまうためその日に帰宅してもゲームがプレイ出来なくなってしまうのである!
また、眠気に打ち勝ちこの技を決めれる子供は夜に強いとしてクラス中から尊敬された。
ゲーム側から香川県民に対応する動きが出てきた、中でも特徴的なのがKAGAWA MODEの登場だろう。
このモードは所謂EASY MODEよりもさらに優しいモードで、例えばアクションゲームなら体力がEASYよりさらに増える、落下死をしない、RPGなら敵の経験値がめちゃくちゃ増える、ダメージをほぼ受けない、などのゲームプレイを長引かせてしまわないような対策を取られた。
このモードが標準装備されたが香川県民には不評であった、優しすぎてつまらないとの声が多く、KAGAWA MODEでしかクリア出来ない奴という烙印を押される始末であった。
香川のある大学が画期的な装置を開発した、その装置は人体の残留うどんを計測する装置なのだが、うどんを常食している香川県民を判別するのに極めて有用であった、PS6以降のゲーム機にはこの装置が標準装備され、香川県民は脱法的にゲームをする事が事実上不可能となってしまった。
このゲーム、KAGAWA MODEではクラウドの最強武器アルテマウェポンが入手出来ない、一度でもKAGAWA MODEにせずにいるとエアリスを復活させる事が出来る、などの噂が広まり、香川県民は何とかしてKAGAWA MODE以外でプレイしようと必死になっていた。
中にはなんとか残留うどんを抜こうと断うどんを試みようとする香川民がいたがとても苦戦しているようだ。
最終的に断うどんに成功したものだけがゲームプレイを楽しむ事が出来ていた、香川県から逃亡を図ったものも多くいたがうどんを欲する香川の血からは逃れられなかった。
というキャッチコピー。これね。やめるべき。
もしくは
「家族みたいにみんな仲良しですよ!」
というのを謳いたいと思うんだが、それでいいのかと。
例えば育児も落ち着いて、空いた時間に仕事をしたい主婦の方とか
でも普通に正社員のガッツリ求人で即戦力の人材を欲してるような会社が
仲が良かったり社員同士の結束が強いのをアピールしたいのであれば、
「チームワークが非常に優秀な職場です!」って書けばいい。
何が言いたいかと言うと、上に書いたような
「アットホーム」という言葉に逃げずにきちんとその内容を書くべき。
って思うように感じてしまう。
「残業や徹夜は正直あります!でも他の会社では絶対にできない経験ができます!」とか
「修羅場は経験してもらいます。でもその後のあなたの成長は保証します」
みたいな、「物は言いようやな」感はあるものの、こっちの方がまだ好感度はあがる。
あとね、もう一つ言いたいのは
社会への貢献を本当に考えたら、絶対に面接落とした理由を正直に伝えてあげるほうが良いと思う。
まあコストはかかりますけどね。落とされた方はそこを反省して次に生かせるはず。
失業率の改善にも微々たるものながら影響与えられるんじゃないかな。
他にも言い出したらキリがないけど、
どうなんですか人事の人
昔、浜松の聖隷クリストファー大学に勤めていた。
所謂ブラック企業で、私も次長に呼ばれて、労基署に怒られるからこれ以上残業代はつけれないと言われた。
それでは、定時で帰っていいですかと言うと、自覚が足りない、時給で働いているのではない、みんなから白い目で見られるぞ等々と非難される。
結局辞めて別の大学で働くことにした。
残業一切してないのに、当時の残業代含んだの年収より遥かに多くもらえてるし、めんどくさい業務はほぼ自動化or外注で、
楽しんで仕事をしている。
そんなに頼られるなら辞めて別会社に言ったほうがいいぞ。
40代後半。
化粧なんてしたことのない高校時代(なんとか平成)からコスメが好きだったが、情報といえばTV、雑誌。
雑誌に新製品の発売日情報が載ればデパートや専門店に見に行った(まだドラッグストアはない)。
カルトQの化粧品の回に、今で言うインフルエンサーとして雑誌で顔を売り始めていた植村朗子さんが優勝した時も、
「今の問題は全部わかった!わたしが出ていたら優勝していたのに!高校生だから出られなかった」
とは言え、雑誌に掲載された情報を読み込み、製品の特徴を完璧に覚えていたから
テレビの前でクイズに正解したのは本当である。若くて記憶力が良かったのだ。
最新のファッション誌のメイク情報を読み、プロ向けの季刊誌やムック本を大切に大切に読んだ。全部覚える勢いで読んだ。
そしてカウンターへ赴き、テスターを触らせてもらってBAさんに話を聞いたり、やり方を教わったり。
大人に近づくにつれ、自由になるお金が増え憧れのフランス製ブランド化粧品を買えるようになると香りだけで製品のラインを当て、リップやネイルの色を見れば番号がわかるほどに熱中した。
予備校の向かいにあるバイト先に、プロを目指すメイクアップアーティスト養成学校生がいた。ある時、彼女に「メイクモデルになって欲しい。バイト代と交通費は出すから」と依頼される。
あれだ。
プロになる人だから、どんな顔でも美しく粧えなければならない。顔は正直関係ない。
若くて、肌が綺麗だったから誘われたのだ。そして勉強してなさそうだったからであろう。
二つ返事で承諾し、青山まで。
有名アーティストの名を冠したメイクアップスクールで、プロを目指す授業を見学し、実際に教室に入って実技のモデルになる。
その日のテーマに沿って受講生が施したメイクを講師が直す。毎回毎回、講師がいいと思うメイクに正してくれる。鏡張りの教室で、その技をじっと観察することもできる。
何より、メイクを落とす前に作品であるところの自分の顔をいくらでも研究する事ができた。
これは得難い経験であった。
その技は今でも活きている。
化粧品そのものの質が向上し、技術が古くなるかと思いきや、今でも通用する。
何なら今の若い子が初めて知って「大発見」であるかのように発信し、万単位でバズってしまうような内容である。
時代と共に古くなるメイクはあるが、技法は変わらないものもあるのだ。
ところで本題。
眉毛の話。
去年辺り、イガリシノブ氏のアイブロウブラシが絶賛されていた。
ご覧になった事があるだろうか?ぽってりと太め、大きめで毛足の短いブラシである。
これが若者に大流行、大絶賛であった。挙って欲しがり欠品が続いた。
わたしはその様を、頭の中を【?】でいっぱいにしながら眺めていた。
なんで?
確かに今の流行はぼんやり薄く真っ直ぐな眉毛。ぼかしやすいのかも知れない。
しかし、そのブラシを手に入れることは憚られた。
なんで?
それにしたって描きづらいでしょう?
なんで??
その解は思いもよらぬ所から、しかも後頭部に殴りかかってきた。
色々あって人気(割愛)の、CHICCAのブランドクリエイター 吉川康雄氏の語ったという言葉である。
吉川氏はどう見てもおじさんで、我々と同じ時代を生きた先人である。「必ずしも左右対称の眉でなくていい」などと、多くの美に迷う羊たちに救いの手を差し伸べてきたその人が言う。
毛を1本ずつ描くと言われているが、特殊技術なので素人には無理。ペンシルを細く刀で削り、本当に生えているように毛の動きを出すのがプロが行う「1本ずつ描く」ということ。素人はパウダーで軽い影と重い影を作るといい。
なんでだよ!
昔は練習して、技術を身につけてナンボだったじゃないか。出来ない奴は置いていかれるのが当たり前。
まあ、そんな人の為に細さを保てる繰り出し式のアイブロウが発売されたりしたのだけれど。
テクニックが欲しければ、自ら動いて情報を得て、試して、自分のものにする。それができる人が独占するものだったんだ。
その時気付いて愕然とした。
イガリ氏のふとましいブラシは「毛」を描く為のモノではないのだと。
今、情報はそこら中に氾濫し
得ようと思えば誰でも手に入れられる。
お金をかけなくても。
そこへいかなくても。
バズって廻ってきた同じTIPSを誰もが平等に受け取ることが出来る。
自分だけ綺麗になっては「ズルイ」のだ。
なにそれ。
全員で手を繋いでゴールする徒競走か?
ゆとりか?
少なくとも、20世紀のメイク好きコスメ好きが誌面で教えを乞うたアーティスト達は、技術は練習して身につけろ と言っていた筈だ。誌面で解説しているから、と。
それともどこかの時点で諦めたのだろうか。
ーー
それでも納得いかない。
「バンドリ! ガールズバンドパーティ!」内で2018/08/31~開催されたイベント『新しい季節、その前に』で実装された楽曲ガールズコードに関してのお話です。
ガールズコードはPoppin'Party11th Singleとして2018/10/03にリリースされ、イベントストーリーをそのまま書き出した様な歌詞になっています。
この曲の特徴としては今までのPoppin'Partyにはあまり見られない無い「語り口調」の歌詞で曲が進行していきます。
「明日みんな何着ていくの?」
「そんな事を真顔で言わないでよ」
以前私の友人が以前この様に言っていました。
私もこれには全くの同意見であり「語り口調」ではあまり考察の余地が無いと考えており、正直ゲームにて実装されたワンコーラスを一聴した際の感想としてはイベントストーリーと歌詞の照らし合わせ以上の「余白」が無い様に思えました。
初めてフルコーラスを聴き終えた後、私の楽曲に対する印象が一変しました。
「夜を止めて」
そしてこの曲自体が他のPoppin'Party楽曲に見られる、ある言葉の比喩になっていることに気付きました。
『永遠』
これは中村航氏がバンドリを通して描き続けてきたテーマとも言える言葉。
「昨日が今日になって、明日になって、未来になって、永遠になってた」(キラキラだとか夢だとか ~Sing Girls~)
「CiRCLING! 永遠の途中」(CiRCLING)
「夜空をいろどる 刹那の花 永遠を焼き付けて」(夏のドーン!)
この「永遠」は共有した想い、共有した時間、所謂「思い出」や「経験」それら全てを内包する確定した事象であり、永遠に変えることが出来ない「過去」の事だと考えています。
楽しいや苦しい、嬉しいや悲しい共に過ごし感じた全ての事象が「永遠」であり今のPoppin'Partyを構成する物である。
経験した一瞬一瞬を繋ぎ合わせ、永遠という言葉で表現し歌としてアウトプットする。まさにタイムラプスの様です。
その「永遠」という言葉で比喩された彼女たちが過ごした時間を、より多くの方にわかり易く伝える為の楽曲だと気付かされました。
『新しい季節、その前に』のイベストの各話サブタイトルに必ず「時間」という言葉が入っており、作中の彼女たちにも我々と変わらない「時間」が流れている事を意識させる工夫がされてます。
そしてガールズコードの歌詞構成にも曲タイトルの「ガールズコード」以外の言葉が重複しないという工夫がされており、『同じ時間は二度と無い』という事を意識付け、楽曲が進行して行きます。
決して止めることの出来ない時間。
学校が楽しみであり、夏休みが早く終わらないかと言っていた香澄。
それらを理解しながらも作中で「後十分だけ!」曲中で「後五分だけ!」と過ぎた時間に後ろ髪を引かれる香澄。
その思いが歌詞としてアウトプットする際に、作中では決して言葉にしなかった思いが香澄から溢れます。
「夜を止めて」
『永遠』を願った瞬間でした。
「夜を止めて」
曲中で初めて繰り返される言葉により切実な香澄の思いを感じることが出来ます。
多くの方々が一度は「この時間がずっと続けば良い」と考えたことがあると思います。
だからこそ、この歌詞を書いた時の香澄の心境は多くの方が理解できるものであり、彼女たちが歌う「永遠」という言葉に込められた物の輪郭がとてもわかり易く描ける様になれたのではないかと思います。
SixTONESが横浜アリーナのライブで「初動ミリオン目指してる。俺らも買い足すんでお願いします」的なことを言った。
その情報をTwitterで見た増田は全形態の予約のキャンセルをした。
実質2行でいけた。
ようはそういうことです。その話をつらつら書きます。ジャニオタの文は長いしだるいと思ってる人は上のことだけであと読まんでいい。ただ吐き出したいけどTwitterで言って炎上するのもやなのでここに吐いておくだけ。
私は応援しているグループは伏せさせていただくが所謂デビュー担というやつで、そこそこ歴は長めのジャニオタだ。基本的にCD、アルバム、DVDなどは自グループのものしか買わない。だがデビューシングルは別だ。他グループのファンクラブにも入ってないし、だからライブも行かないが、デビューシングルだけはご祝儀だと思い、自分でお金が自由に使えるようになったあたりのKAT-TUNからは全グループ買うようにしている。今月22日にデビューするSixTONES、SnowManも例に漏れず全形態予約をした。あとはいつも通りCD発売を待つだけ、だったのだが昨日Twitterで私の目にある情報が飛び込んできた。
今日のライブのMCでSixTONESは「予約数を見て初動ミリオンいきたい、俺たちも買うからお願いします(ニュアンス)」と言った。
別に私はアンチではないし、無理に決まってんじゃんプークスと言いたいわけではない。ただ私が気になってしまったのが「ミリオンを達成したい」と「ライブのMC」で「ファンにお願いした」という点だ。
SixTONESのライブはデビュー前ながら落選祭りなのはタイムラインで見ていた。昨日の平日の横浜アリーナでも満員だっただろう。そこにいる16,000人は彼らが好きで、もちろんCDだって予約しているし、もちろん発売週には買いに行くだろう。その子たちにお願いするということは「さらに複数枚買ってね」と言ってるということだ。ただでさえ形態違いで複数枚買うであろう子たちにさらに枚数を頼むってずるすぎん??だって大好きなアイドルに頼まれたらファンは買うだろう何枚だって。CDの売り方としてそれでいいわけ?俺らも買うから、じゃねえよ。さらに枚数を伸ばしたいなら「ファン以外の人にも買ってもらえる要素」を自分たちで見つけるのが筋ではないのだろうか。ジャニーズのデビューシングルでミリオンと言ったら「硝子の少年」とか「RealFace」とか「青春アミーゴ」とかオタク以外も買ってて知ってる曲だ。あのシンデレラガールだって70万枚なわけで、それほど国民的な曲でないと取れないミリオンという数字を自分のオタクの金搾り取って達成しようとしているのはあまりにずるいし考えが甘い。
この発言の結果当然今Twitterではファンが♯SixTONESミリオン取るってよというタグをつけて売り上げを伸ばそうと、さらに買い増すことで団結しようと躍起になっている。だけど当たり前だけどこのタグはSixTONESのオタクの間でしか回らんし、それを見て予約してない他担が買うかといえばNOだろう。それでも頼まれたのに達成できなかったらファンの子たちはどう思うかなんて想像できる。
「もっと私が買っていれば」
「SixTONESにお願いされたのに達成できなかったのは私たちの力不足だ」
ジャニオタだって皆デビューシングル買ってくれるわけじゃないんだからせめてカウコンで言ったら他グループのオタクが買う可能性もあったのに。自分たちのライブでファンに責任を押しつけた彼らは自分たちに甘いし、ずるすぎる。
先に言ったがこの発言一つでSixTONESが嫌いになったわけではない。私はアンチではない。ただ今回の発言で私は「このグループの売り上げに貢献したくない」と思った。そう思ったら予約してたのをすべてキャンセルしていた。私一人の売り上げが減っても痛手はないと思うけど自分自身への意思表示として。
もしこれでSixTONESvsSnowManがミリオン達成したらファンの子たちの頑張りに感動して拍手するよ。
まぁあとは勝手に売れてくれ。私はもう知らん。
戸建てなら月額約5000円する。年間6万円なのだからあまり使っていなければ無駄と判断されるのもわかる。(使っていても高いと感じるが)
代替手段としてWiMAXなどの無線通信でそれなりの通信量が使えるものに移行するのであれば理解できる。
しかし最近自分の周りに増えているのはスマートフォンだけで満足している人たちである。
そういう人たちはパソコンを使わない。(使わなくなる)
最近、日本以外でパソコンの普及率が再度上昇してきたという記事を読んだ。
それどころかインターネット固定回線を解約する人も(自分の周りでは)増えている。
昔と違って、今はインターネット回線がなければパソコンはタダの箱である。
回線がなければパソコンを使おうとは思わないし処分するだろう。これではいつまでたっても日本でパソコンの普及率は上がらない。
もう一つ問題があって、固定回線がない場合は自宅でスマートフォンを使う場合もモバイル回線で通信しているということ。
こういう人たちはアプリをダウンロードすることはあってもアップデートすることは少ない。
先日固定回線を持っていない人のスマートフォンを見せてもらったところ、約40件のアプリがアップデート保留になっていた。
モバイル回線のみ使っている人は所謂「ギガ」を消費しつくす傾向にあり、アップデートなんてしていられないのだ。
(アップデートを理解していない and デフォルトでモバイル回線のときはアップデートされない。というものあるだろうが)
このまま固定回線を使う人が減ればスマートフォンアプリ業界にも影響が出てくるのではないだろうか。
解決方法は光固定回線を安くするしかない。(もしくは世帯収入を劇的に増やすかだ)
なぜこんな年間6万円もするような回線を野放しにしているのか。
例えば50Mbpsに制限した光回線を月額2000円なら入る人も増えるのではないだろうか。
NTTが10Gbpsの回線の提供を始めるとのニュースを見て、こんなことしている場合じゃないと思った。
既存の回線の価格を下げるか新たに安い回線の提供を始めるべきである。
これは回線業者だけの問題ではないのである。パソコンを使う子供が減れば日本の将来は暗い。
将来的には安くなるかも。などと言っている暇はない。安くするのが1年遅れれば子供が1年パソコン使うのが遅れるかもしれない事態なのだから。
NTTは10Gbpsの回線を戸建てで月額8000円前後で出してくると予想しているが、それ以外に月額2000円程度(従量制を除く)で使える固定回線の提供がされなければ日本はもうお終いだ。
理由:独りが寂しいため
結果:1.5年で結婚
1.合コンに参加した
05年ごろから2chにどっぷり→タチの悪いニコ厨→普通のオタクという経歴。男子校から理系大に進んだので女性への免疫がゼロに近く、所属していた音楽サークルでも男ばかりで固まっていた。男ばかりだったのも原因か。2015年に社会に出て、同期と遊ぶ日々を送っていた。そろそろ彼女が欲しかったので、人数合わせで呼ばれた合コンに参加する。場所は新橋(何故?)のどこかの小洒落た店でご飯が美味しかった。自己紹介の時点でこの空間には向いていないと理解し、程々にやり過ごす。数人と連絡交換するも進展なし。会話に慣れていない人が合コンに行ったら終わってしまうことを理解した。
●学び
オタクは共通の趣味のない相手とのコミュニケーション能力が極めて低い
短期決戦を目標にとりあえず3ヶ月登録した。プロフィールで音楽やサブカルに興味があることを匂わせていれば、多少なりとも共通の話題のある人と出会えるはず。そう思いある程度趣味を前面に出したプロフィールを載せた。1週間で3人とマッチングしたため、最も気が合いそうな人と真剣にメッセージのやり取りをする。半月後に新宿で映画を見るデートをこなす。幸いメーカーの技術職である相手も音楽や映画に造詣が深く、上野やお茶の水(電気街が近いので)、吉祥寺あたりでデートを重ねた。
●学び
3.交際開始
2ヶ月ほど経ち、お試しで交際を始めることになった。時を同じくしてお互い敬語で話していたのをタメ口に変更するよう心がけた(これは結婚した今でも頑張ってる)。あまりにも居心地が良かったため、旅行を提案したところ快諾、ぴったり割り勘で出雲へ行った。夜行列車は思ったより楽しかった。その他いろいろな場所へ行き、昨年末に入籍した。
●学び
4.まとめ
所謂婚活に費やした金額はマッチングアプリの1万円と合コン代くらいか。見た目がそんなに良くないアラサーでも結婚できた。よかった。
四年ほど前に、二回目のお泊りデートの時に恋人が自分とのレズセックスの為だけに買ったローターをそのまま貰って帰った。可愛い兎のぬいぐるみポーチに入れられた、真っ黒で小ぶりなローター。おまけに温感ローションも。
そのデートの時もローターと恋人の手や口でそれはそれはもう腰が抜けるぐらいとんでもなく攻められた。人に玩具攻めをされるのがあんなに気持ちがいいものだとは思わなかった、そのぐらい。セックスが終わったあと「じゃあこの子は君が持って帰って大事にしてね」と、ティッシュや除菌シートでローターを綺麗にしてもらい、兎のポーチに入れて渡された。そして今もベッドのすぐそばにある。
ローターを貰ってから、自慰をする時や通話しながらの自慰(テレホンセックスって言い方は古いか?でもエロイプではないんだな…)は九割ローターを用いてのものだった。多い時で週に四回。稀に一日二回するが大体ローターがお供。
そんな頻度で使うものだから、ボタン部分は塗装が剥げまくりだしコードはリモコン側根元が破れてコード本体が見えている状態にまでなった。しかし電池を入れればまだまだ現役フルパワーなので、買い替えはもう少し先。
何よりエロいことで使う玩具が可愛いポーチの中にあり、しかもそれを恋人に貰って四年間使っているという状況下がもうやばい。その恋人とは今も仲良く付き合っているが、たまに「今でもあのおもちゃ使ってるの?」と聞かれる。もうめちゃくちゃ現役ですよ。
なんならこの記事はローター使った自慰の後に書いてるし、恋人との通話も繋がったままである。(所謂寝落ち通話。マイクは勿論ミュート状態)
ありがとうな恋人よ、この子は虫の息になるまで使い倒して使い倒して、役目を終えた時にはお礼とともに伝えるよ……。
余談だけど、ローター使いまくるとクリがバカになるという有名な噂があったが、ただの都市伝説であったということも併せて残しておく。
子どもの世話、家の掃除、夫の夕飯の準備…所謂専業主婦みたいなことをやっている。
私は仕事してる自分が好きだし、人に尽くす事が苦手なので主婦業は向いてないと思ってる。
今だって育休が終わるまでの期限付きだと思ってるから、家の仕事=自分の仕事と考えてバリバリできる訳だが…。
家の仕事を一手に引き受けてくれる人が居ると、家の中がすごく上手くまわるんだよね。
子どもがまだ赤ちゃんというのも、そう思う大きな理由だと思うんだけど。
専業主婦向いてる人もいて、向いてない人も居る。
専業主婦に向いてない人も居ていいんですよ〜な世の中は生きやすいと思っていたが
でも私は向いてないので早く職場に戻りたいです…。
矛盾してる〜。
年明けから配属らしい。この虚無のような生活も年内限りとなる。
ニート生活中もいろいろ資格を取ったり勉強したりは一応ちゃんとしていたが、
常にそれと言うほどモチベーションは上がらず、合間にどうしてもネットサーフィンをしていた。
それまでも増田に書き込む事はあったが、数ヵ月に1回ぐらいだ。
何かどうしても吐き出したいが、SNS等非匿名で喋るのは何か気が引けるような事を書き残して去るという事だけだった。
いつまでもその動向を見守っていたり、トラバやブコメを見返す事もなかった。
所謂SNSの「タイムライン」に当たるような増田のトップページを眺めた事もなかった。
あまりの暇さに、俺は増田のトップページを眺めるようになった。
「横だけど」と個体性を主張する文化も覚え、それを逆手に個体人物関係をわざと偽る奴がいる事を知った。
敢えて自演したり馬鹿を演じて話を盛り上げようとする奴がいる事も分かってきた。
ほんの1ヵ月ぐらいの間だっただろうか。だんだんと増田の事が分かってきた。
非匿名であるSNS、IDつきで実質半匿名ぐらいである5ちゃんの事も知っている。
AさんとBさんが話しているように見えて、実は途中からAさんがCさんに変わっている事がある。
元増田の意見に立てついて支離滅裂に暴れているDさんが、実は元増田本人という可能性がある。
5ちゃんはIDがあり、IDなしや新規IDというものを見ながら個体識別できる。が、増田は完全にできない。
増田は面白い。戦略の組み立て方が自在だ。言っちゃなんだがゲームのようだった。
その上内容はノンジャンルだ。頻出な話題はあるが、基本は何でもよい。
興味深い体験談や、釣りかもしれないが文学的に面白い文章が沢山あった。
来月頭に配属になる。配属先ではこのように、会社から増田をするような事はなくなるだろう。
増田を見る事を辞める訳では無いだろうが、常駐的な事はできない。また以前のように数ヵ月に一回吐き出しに来るだけになるだろう。
メガテンのFC1は小説(今でいうラノベ)が原作の所謂キャラゲーだけど…
FC1は迷宮探検もので外の風景なんか全然ないが(ストーリーも殆どないが)、その後のシリーズはそうでもないし
ポケモン出た時点でデビルサマナーまで出てた(=核戦争ばかりじゃなくなってた)し
あと流石にポケモンにメガテンの影響が全くないってのは無理があり過ぎる
「わかりやすくて率直な曲がかなり売れる傾向にある」母親に『現代人の読解力の低下は音楽の世界にまで及んでいる』と言われた時の話
https://togetter.com/li/1445528
関連:日本語の乱れ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%AE%E4%B9%B1%E3%82%8C
兎(うさぎ)の歌のエピソード、童謡の「兎のダンス」の歌、「ソソラ ソラ ソラ 兎のダンス」、唱歌の「故郷(ふるさと)」の歌、「兎追ひ(い)し かの山」、とは(2012.8.16)
http://kanazawa-sakurada.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/2012816-324a.html
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/29672.html
言葉にしてもそうだけど、音楽も時代によって変化するものだし、逆にシンプルな曲や洗練された曲程後の世の中に残りやすいのだけどね。
三味線や琴、尺八で演奏する和楽器にしても洗練された曲程現代まで残っているものが多いし、現在でこそ童謡や唱歌に分類されるけど、兎のダンスとかに関しては大正当時にはそれに合わせて踊るほどの流行をしていた経緯もあったりする。
だから今の曲で読解力が低下している云々と言う指摘の方が、まさに日本語の乱れと同じ過ちを行っているよねと読んでいて率直に感じた事。
また読んでいて、この手の難解な曲を好む世代の音楽を馬鹿にしているのがサウスパークの例の素晴らしきチンチンものなんだろうね。