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はてなキーワード: 繊維筋痛症とは

2024-04-04

増田はたぶん食品アレルギー性の繊維筋痛症筋膜肩こりがある

→ただ、繊維筋痛症食品アレルギーとの関連は日本語研究ほとんどない

 →むしろ線維筋痛症は「自己免疫の異常や炎症はみられ」ないと言われたりしている

  →しか食品アレルギーで生成される体内物質による自己免疫異常で筋膜炎の可能性がある

   理由自己免疫疾患で強皮症はありうる ※ 「欧米には好酸球筋膜炎は限局性強皮症の一種であるという考え方も存在」 

    →医療業界はたぶん、食品アレルギーなんて研究しねーだろ? 経団連忖度業界は、恐ろしい紅麹疾患も長いあいだ黙っていた

トリガーポイント注射は高いし通院しなければならない

 →繊維筋痛症の診断もおおかた出ないだろう(筋膜が厚紙状態になっていることはニードルなら分かるが、鋭利注射針を使う医者には分からない)

  →在宅ドライニードルで頑張ろう

2019-12-24

繊維筋痛症

繊維筋痛症って、ストレスとか鬱とか所謂精神的な理由発症するからキツイよね

痛くてストレスが溜まる→ストレスが原因→痛くて(以下ループ)の永久機関

レディー・ガガ八木アナみたいに仕事ストップして治療に専念しつつ社会から少し離れるのは一番いい方法だよね

キツイのは大多数の一般人明日から仕事辞めて四国辺りで毎日ゴロ寝生活とか無理だから薬がぶ飲みで騙しながら、心と体すり減らしながら生きるしか無い

その分、一般人は数億円をいきなり貰えたら、その瞬間に繊維筋痛症治ると思うよ。それが出来ない有名人はそれはそれで辛いね

2017-09-13

レディーガガ繊維筋痛症らしいが

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6253908

途端に繊維筋痛症や関連する慢性疲労症候群患者調子乗ってきて草生えた

米国から金払ってちゃんと診察しての結果だろうし、ガガが頑張って治して欲しいけどさ、この病気って九分九厘ストレスが原因なんだよね

そりゃ難病認定できませんわ。何がガガもなったんだから難病認定されるだろうだ。鬱は甘えとは言わないけど、環境変えれば治るわ。もしくは一生困らない金さえあれば

復活とか諦めて一生遊んで暮らす事決めればガガくらいならすぐ治りそう。治らないのは繊維筋痛症のせいで不幸なんだって原因にしている奴だけ。理由なくなったら困るもんね

そういう意味じゃ、ガガはもう歌いたくないんじゃね?

2012-01-25

職場でのディスコミュニケーション病気になった話

胃が痛い。今また、あの頃のことを思い出すような状況で胃が痛い



新卒正社員として就職した会社中小だったけど、ひょんなことから経営陣との距離がとても近い部署に配属された。

お偉い上司と二人きり、ほぼマンツーマンのような状態で仕事を行なう。まさにバディ状態。

新入社員が突然お偉方を相手にする訳だから縮み上がった。やっていけるのか自信もなかった。不安で一杯だった。

でもマンツーマンからこそなのか、上司の人柄か仕事への姿勢の所為か、

何をするにしても報・連・相、それに確認からかい指示に至るまで、

あれやれこれやれと口頭でギャーギャー言われる。それに答える形で自然とこちらの口数も多くなる。

気付けば上司とは密にコミュニケーションするようになっていた。

時にはどうでもいい世間話無駄口も。

上司とはお互いそれなりに心を開けていたのではないか、と思う。

そのうち偉い立場からこそ苦労している上司の素顔も知った。懐の深い人だった。



そんな日々も長くは続かず、会社が業績不振に陥った。

上司は何とか改善しようと思いつきで新しい要求を押し付けてくる。

誰も使い方のわからない、機能しない新しい提出書類の種類だけが増えていく。

そんなその場凌ぎの思いつきに応えられるほどこちらの余裕もスキルもなく、

また忙しい為にゆっくり話し合う時間も減っていった。

軽口のつもりかもしれないが、上司自分の同期のことを悪く言うのも許せなかった。

今にして思えば、この時一度きちんと話し合うか、他の部署の上司にでもいいか相談するべきだった。



結局堪忍袋の緒(とはちょっと違うけれど)が音を立てて切れ、

誰にも相談せずに一人会社を離れる決心をして、飛び出すようにして転職した。

でも後悔先に立たず。この会社での仕事の仕方は自分に合っていたのか、染み付いているのか

結局この会社、この上司自分にとって一番だったのだと後々思うことになった。



転職先は大きな会社の子会社だったが、前の会社に比べるとかなり堅い会社だった。

制服有り、5分前着席。始業時と終業時、休憩時にチャイムがなる。

インターネットも閲覧規制がされていた。トイレ休憩すら気軽に行き辛い雰囲気だった。

学校みたいだな」という感想を持った。

そして自分はかつて学校が苦手な、いつも学校から浮いているような生徒だった。

派遣社員が多かったこともあり、正社員ということも大きな足枷となった。

○○さんは正社員なんだから頑張ってもらわないと、この仕事もやってもらわないと、

ということが結構ストレスになった。

引き継ぎは直に辞める派遣社員からだったが、その人から教えてもらった仕事の細かいノウハウ

「貴方は派遣ではなく正社員なのだから」ということで通じないことが多かった。



配属された班はあまり口数が少なく、そもそもこの子会社そのもの親会社に引け目を感じて

小さく小さくなって仕事をしている感じだった。

無論、社内(社内は親会社と繋がっている)での自分立場も小さくなって過ごさなければならなかった。

上司や周囲からの指示はポストイットでの伝言や、メールで行なわれることも多く

無駄口や世間話一つするのも妙にこそこそとしてしまい、周りの目が気になった。

総じて会話が少ない職場だった。生のコミュニケーションの不足を感じた。



年末を控えたある日、一つのミスを犯した。

取引先に配布するカレンダーを巻く向きが表裏逆になっていたのだった。

そもそもカレンダーを巻いて取引先に配布すること自体、自分には初めての経験だったので

何度も周りの人にやり方を確認して注意を払ったつもりだった。

でも、何故か表裏の向きを間違えたまま自分一人で山のようなカレンダーを次々に白い筒状に巻いて行った。

「やっと全部巻き終えた!」一仕事終えた次の日、机にメモが載っていた。

隣りの席の営業から、「カレンダーの向きが違うから全部巻き直してほしい」との伝言が書かれていた。

隣りの席の営業とは、それなりに親しくしているつもりだった。

カレンダーの配布も既に始まっていた。

ならば何故、もっと早くに、直接口頭で言ってくれないのだろう。

そう思うと何とか堪えようとしても、どうしても涙が止まらなかった。

途方に暮れながらも、半分泣きながらも、全部のカレンダーを正しい向きに巻き直して行った。

心の中にぽっかり穴が空いたような気がした。



それから

会社にいても、始終極度の緊張状態にいた。

緊張し過ぎておしっこが近かった。行ってもまたすぐ行きたくなる。

誰かに監視されているような気がして、常に気が抜けなかった。

常に息苦しく、ゼエゼエハアハアと呼吸をしていた。

全身がコチコチに緊張して、胃痛がひどかった。

毎日なんとか耐えて、8時間座りっぱなしの時間をやり過ごした。



そのうち胃にポリープが出来て、身体は極度の緊張状態が毎日続くものから

背中筋肉肉離れを起こしたり、座骨神経痛で夕方まで座っているのが難しくなった。

筋肉疲労性のぎっくり腰まで度々起こす状態になった。

腰が痛くて、ただベッドから動けず横になっていることしか出来なかった。

繊維筋痛症という病名が付き、今も通院・治療を続けている。



もうこの会社にいても自分が出来ることは何もないだろうと思い、結局会社を辞めた。



今。フルタイムでの勤務はもう自分には体力的に出来ないだろうと思い、

ある会社アルバイトをしている。



けれど、この会社ポストイットメールでの指示や伝言が多い。

伝言で「○○、間違ってます」とだけ書かれたメモを見ると、

それはそう教わったのだけれど、とかそもそも違う人が作業した部分なのだけれど、と心の中で思う。

そして、何故目の前の席にいるのに面と向かって話をすることが出来ないのだろうか、と思う。

別に友達にまでならなくてもいい。

小さなことでも声を掛け合い、コミュニケーションの積み重ねで互いをより理解し、円滑な作業に生かす。

それはそんなに難しいことなんだろうか。嫌がる人の方が多いのだろうか。

いつも賑やかで活気のある職場は夢やフィクション世界だけなんだろうか。



今は頑張り所なんだろうか、それとも早めに見切りをつけるべきなんだろうか。

 
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