2021-06-14

雰囲気仕事してた

僕は多分、自分の周りの世界を正しく認識できていなかった。そして、それは雰囲気仕事を行うことに繋がっていた。

これは、決して目の前にある物を正しく視認できない、という事でもないし、また他人気持ちを正確に読み取れない、というものでもない。

勿論、僕は他人気持ちを正確に汲み取れてなどいないのだが、とにかくそういう事ではない。

この問題を感じたのは、ずっとずっと前のように思えるが、実際には7年前に社会人になった頃だった。社名や業種は公開しないが、サービス業営業部門企画的な仕事を行う部署に配属された。

そこでは、施作自体は他社の後追いに過ぎないものが過半であったが、淀みなく施作が企画提案・実行というレールに放たれていた。僕はそういう環境に身を置きながら、少しだけ自身とのズレを感じ始めていた。

先輩や上司は一体どのような思考で、施作を考えつき、実行しているのか、全く分からなかったのだ。

僕は少し悩み、飲み会(!コロナ前は普通だったのだ)で相談してみた。すると、まあ当然なのだが、慣れや経験不足を指摘された。

しかし、違和感は、僕の中で、夏の空に浮かぶ入道雲のように膨らみ続けた。成層圏にたどり着いたある日、突然、僕の心を揺さぶ稲妻の如き結論を叩きつけた。

僕は何も考えてなどいなかったのだ。

いや、正確に言うと、僕は所属する組織ビジネスを巡るマクロ環境顧客の動向への知識が浅すぎて、考える事などできなかったのだ。

そう、雰囲気仕事をしていたのである

「何をバカな事を。」、「お前が仕事できないだけだろう。」など読者諸賢に於いてはそうした罵詈雑言を僕に投げかけることだろうが、甘んじて受け入れよう。

僕は、つまるところ、少しはデキる奴だと信じて生きてきたのだが、そんな事はなかったのである

これは、僕が、自分がデキる奴だと思い込んでいた痛い奴というだけの簡単問題ではない。

なぜか。

その答えは単純である

そのままでいても、おそらく問題いからだ。

僕は、違和感を持ち続けてこの自身問題に気付いた。しかし、それは矯正されずに過ごせてしまったということの裏返しでもあるのだ。

もちろん、出世はしにくいのかもしれない。だが、クビにはならないだろう。驚くべきことに、僕の評価過去上位を保ち続けたのである

会社という、何らかの利益を出さねばならない環境においても、雰囲気仕事をすることが許される。これは考えようによっては恐ろしいほどに顧客への冒涜だろう。顧客は我々に、プロとしてのサービスを期待しているのだから

にもかかわらず、僕はあるがまま生きてきてしまった。

しかすると、大半の人はこの問題、つまり世界をきちんと認識して、それを仕事に活かす、ということをしているのだろうか。

それとも、一部の人けが考えており、大半は雰囲気仕事をしているのだろうか。

いずれにしても、僕は冷や汗で気持ち悪くなる。

気付かずに過ごしていたら、僕はどうなっていただろうか。気付いたとして、僕は一体どうしたらいいんだろうか。

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