はてなキーワード: 吉崎観音とは
滅茶滅茶嵌ったアニメがあった。適当にテレビつけてやってた、やっすいCGのアニメの二話、特に何があるって言うわけじゃないのに、なんか面白くて見終わる頃には連ドラ予約を入れてた。3話4話と続けて見るうちに、とんどん世界観に引き込まれていって5話からはリアタイ視聴。アイスとポテチを用意して、テレビの前で毎週毎週待機するのほど好きなテレビ番組なんて出来たの初めてだった。そのうち、アニメだけじゃ飽き足らずネットでも情報を収集するようになった。こんなアニメの情報あんまりないだろ、と諦めつつ調べたのに、物凄い量の二次創作が出てきてたまげた。何年も見ていなかった2chにも張り付くようになって、ピクシブ、ツイッター、ふたば、ニコ動も週七チェックした。みんなでワイワイコメントし合いながら、大好きなキャラを愛でるのは楽しくて、アニメ本編と同じぐらいファンアートも好きになった。クライマックス11話を見終わった後は放心状態。ナルトのキャラが死んで自殺、なんてニュースを信じられないと思っていた自分が、仕事も手につかないほどそのアニメに引き込まれていた。ついに12話放送の日、最終話は気になるのに、アニメが終わってしまうと思うと見たくなかった。そんなしんどい気持ちで12話を見始めて、終わる頃には涙目。見てよかった。ラストも最高によかった。続きが気になる終わり方。すぐにスマホで「〇〇 2期 いつ」とか検索して。待ちきれないから、友人と1期周回したり、ニコニコの放送でコメ欄眺めてニヤニヤしたり、アニメとコラボしていた商品を買いまくったり。終わったと思っていた1期に監督がおまけ続編を投下してくれたりして、待つのも楽しい初デートみたいなノリに乗った状態だった。
が、まあわかると思うが、2期を楽しみにしていた俺達にきたヒホーは「監督降板」。監督が脚本やってたし、監督の功績が大きかったから、降板はただただ残念だった。俺の好きなキャラも、版権の問題で2期には出ないらしいと言われたし、まさかのおまけで熱狂した12.1話も「監督が暴走して版権無視して作った作品」という扱いになってしまって、好きなものにケチがついて悲しかった。それでも、そのアニメには他にも好きなキャラが沢山いたから、2期はやっぱり心の隅で楽しみにしていた。
んでさあ、アレだった。大好きだったのんびりほんわか時々シュールなアニメは、2期ではなんかギスギスしてた。まあ5話ぐらいまではそれでもよくある子供向けアニメかなって感じだった。6話は本当に酷かった。1期の作中で、主人公達がかなり時間をかけて乗れなくなっていたバスを修理するんだよ。んでそのバスで旅をするのね。最初から最後までずっと乗ってた旅のお供。いろんな思い出の詰まったバス。それが6話では、敵になって襲ってくるの。それを主人公のうち1人がパンチで粉々に砕く。見てて、えっえっ?えっ?あっ…って。あんなに頑張って完成させたバスが一撃で。みんなで完成を喜んでわーいわーいするシーンが俺の中でも1、2を争うほど好きなシーンだったから6話は心底がっかりした。がっかり以上に、心臓がキュッとするぐらい精神的ダメージが大きかった。それでも、一応好きなアニメ「だった」から最後まで見た。見なきゃよかった。どこもいいところがなかった。途中で出てきたちょっと気になるキャラも、健気に主人公を守ろうとしてボロッボロに傷ついてたのに、主人公にガン無視されて放置。2番ちゃんはまだ立ち直れてないので割愛するけど、脚本はなんであんな仕打ちをしたのか。12話で1期のOPが流れた時は急いでチャンネルを変えた。見てられなぐらいストレスだった。本当に訳がわからない酷いアニメだった。
それまで、落ち込むから出来るだけネットは見ないようにしていたが、モヤモヤに耐えきれず、ニコ動を見た。呪詛が作った呪詛動画、2期製作陣が淫夢にクソコラしてある動画、2期主人公が爆発する動画、初めは無感情で見ていたが、ある時から笑えるようになった。例のカエルも嫌悪の対象になっていたが動画で馬鹿にされてると笑えた。2期はダンテ神曲のメタファーだ!主人公はロシアのスパイだ!という動画もゲラゲラ笑いながら見た。カ〇カワには以前から理由があって悪印象を抱いていたので、あの一件で炎上してザマアミロと思った。初めは吉崎観音が炎上に巻き込まれて可哀想だと思っていたが、いつのまにか自分の中で戦犯扱いするようになっていた。嫉妬説の真偽は知らないけど、もうただの嫌悪の対象でしかなくなっていた。
せめて、なぜ監督が降板したのか説明が欲しかった。結局監督降板のちゃんとした理由は明かされなかったし、Twitterでは製作陣の裏垢が暴れてたし、総監督はダンマリだし、訳のわからないまま、前作主人公は消されてバスは破壊されて、焼け野原だけが残った。
一緒にスレやコメントを盛り上げた1期ファンも、クソリプマンになって、信者と呼ばれるようになって、煙たがられたりして、何も望んだ通りにならなかった。
1期が楽しかったのは本当なのに、もうあのアニメの話をしても、炎上のことがついて回るようになった。ファンによる自給自足版や、ケムリクサは確かに大好きだけど、1期も同じくらい好きだった。胸がキュッとなるぐらい好きだったアニメは、今観ると心臓が締め付けられて気持ち悪い。どうしてこんなことになったんだろう。
娯楽作品についての評価は「面白い」か「つまらない」の2つのベクトルの中にあると思う。
しかし、けものフレンズはそのどっちにも当てはまらない、最低の作品だった。(2がという意味ではなく、無印も含めてである)
そもそも私はけものフレンズは絵柄(3Dモデル)が好みでなく、放送当時は見ていなかった。しかし、最近になって友人に強く勧められて無印を見始めた。
見てみるとなるほど確かにSNSで盛り上がるのが分かるほど面白い。
最終話のタイトルが出てくる演出で鳥肌が立つほどのめり込むほど楽しんで見ていた。
私はアニメなどを全話見終わると2次創作を探し始める癖を持っている。喪失感によるものだろうか。
けものフレンズ2を見ようとする前にそうしたのは幸運だったのかもしれない。
しかし、多くのコメントの中に「たつき降板」といったコメントが多く見られた。
監督が誰なのか気にしながらアニメを見るたちではないのでたつきとは誰なのか知らなかったが、なぜたかが監督が降ろされただけでこんな騒ぎになるのか気になった。
調べてみるとけものフレンズ2について何か騒ぎがあるらしいとのことなので、まずはけものフレンズ2を見ることにした。
無印ほど面白いわけでは無かったので残念ではあったが、続き物で2が面白かった作品なんて数えるくらいしか無い。
けものフレンズもその「続き物の法則」の中の作品だったなぁと思いながらも騒動の詳細を調べた。
簡潔に述べよう。
監督などが続編で降板とかはよくある話だ。才能の有無に関わらず。
公式が出した発表もなんら普通のものだった。作品を作るチームとして、意見が合わないのならお互いに譲り合うか、チームを解散するか。いたってごく普通の降板、契約打ち切りの理由だった。
しかし、公式の発表を待たずしてたつき監督が降ろされた旨をツイートしていた。
バイトの面接や就職試験に落ちて会社名を出して愚痴っている学生と同列のバカだと思った。
仕事の話をSNS上でする時点でどうかと思う。相手先の許可を取ってないなら尚更。
ケロロ軍曹がとても好きだったので、「吉崎観音さんはなぜ黙っていられなかったのだろう」「あんな面白い作品の作品がバカだったとは」と悲しくもなった。
2の監督や関係者は敗戦処理だけをしていればよかったのかもしれない。調べると2に関わるのは汚れ仕事だったようだから。
しかしこの人たちもSNSで黙っていられないバカだったようだ。たつき監督と同レベルの。
ケムリクサも良い作品であったのに、彼らのせいで安っぽいマウント取りの道具になってしまった。
けものフレンズ。作品としてとても面白く、制作陣に拍手を送りたいが、裏側がとてもお粗末で、最低な作品。
舞台裏から喧嘩の怒鳴り声が聞こえてくる芝居が良いものでないのと同じである。
楽しく見ていた人すらも、場外乱闘に巻き込もうとするその雰囲気は過去最低のアニメであるとすら言えるだろう。作品自体が面白いのなら尚更最低である。
私も匿名ではありますがこんな日記を書いてバカの仲間入りをしてしまうのだろうか。
しかし、バカのせいで素晴らしい作品がゴミクズにされてしまうのはとても悲しく、バカになってもいいからその想いをなんとかして安眠したかったのである。
例えば最近あまりにも闇すぎてブラックホールすぎたけものフレンズのアレコレだが、
2の制作陣と吉崎観音がアレな事が判明する前は「こんな時期に被害者気取りかよ」「信者ファンネル使うのお上手ですねたつきさん」「むしろこうやってネットに書くとかそれこそ人としてどうなんですか」とかたつき叩いているの居たよね
で、今はそんな事言ってたやつの半分ほどは「たつきがすごかったわ」「ケムリクサおもしろい」「頑張れたつき」なんて言ってるワケですよ、そしてそれに清廉潔白さが取り柄のフレンズが「お前過去にたつき叩いただろうが!」とかキレてる様も見れる
でもさ、それなんか悪いことなの?
間違ってる事が判明しても「俺が正しいと信じてるから正しい!お前らは間違ってるんだ!俺が啓蒙してやる!」とか「うるせえ!俺が正義だ殺すぞ!!」なんて言ってる奴のほうがおかしくない?
間違ってるならとっとと手のひら回すよ、今まで叩いたことを清算するために逆にそれ以上に褒めることが良いことなんじゃないの?逆もしかりで
え?まず謝れと?やだよ、お前ら謝ったら殺しにくるもん
けものフレンズ2のプロデューサーや関係者が自演してて炎上してるみたいだが
自演垢や裏垢(というほど名前隠してもない)でたつき監督への恨み節を吐いてるのは何故なんだろう。
いざこざがあったのはたつき監督に言わせれば角川との間なわけで、角川の連中が恨むならまだしも、テレ東のPとかアニメの制作会社のスタッフがたつき監督を恨む理由はないような。
特にテレ東は騒動の当初はたつき監督側と再度検討するような姿勢を見せていた。ふりだけかもしれないが。
また、不自然なのは騒動や疑惑に関する様々な仕切りや交渉、工作などをやっている可能性が最も高いと推測できるのは福原Pであるはずなのに、けもフレ2の無能のアホ連中が語ってる恨み節はたつき監督向けな点。
もしかしたら、たつき監督はツイッターでいつもとぼけたふりして呟いててあくまでクリエイター気質みたいな体を装っているが、悪質な本性を持つ人物なのだろうか。
いきなり角川の達しで2期外されたといち早く内情を呟いたあたりや、十分売れたのは事実とはいえ未だ推測値とは開きが大きくランキング工作疑惑は晴れていないAmazonランキングを逐一チェックしてスクショして貼るあたりなど、分かってて動いている狡猾な人物である可能性も高い。
しかし、けもフレ2側のスタッフ連中の幼稚な自演や工作の手口を見れば、なんとなく対立構造にあるのはたつき監督だからたつき監督を叩いてるという幼稚な理由からの単なる八つ当たりの可能性も十分に高い。
ただ、普通に見たら単なる嫉妬、八つ当たりと処理してもいい話なのだろうが、たつき監督や福原Pというのは過去にも喧嘩別れみたいなことをしている。
たつき監督と福原慶匡は過去に石ダテコー太郎とかいう監督とタッグを組んでたが、喧嘩別れしている。
福原慶匡の経歴や人となりは結構怪しく、吉崎観音叩き記事を友人のライターに書かせた可能性がある。
吉崎観音によればけもフレ1期の脚本はたつき監督と吉崎の他、当初、シリーズ構成・脚本としてクレジットされていた田辺茂範氏の貢献の大きさが語られているものの、たつき・ヤオヨロズ側は脚本はたつき監督がやってるということにしてクレジット変更をさせるという、不自然な動きがあった。
田辺氏がその後トクサツガガガの脚本で高評価を得ていることを踏まえても、田辺氏は名前だけの役立たずで、たつき監督だけが脚本にメインで関わっていた唯一の有能な立役者というのは都合が良すぎる主張・解釈に思われる。
インタビューにはあまり出てこなかったけど、脚本構成の田辺さんにもとても助けられています。ぼくとたつき監督だけだととっちらかって収集つかなくなるなーといつも思いますw そのくらいたつき監督とぼくは似てるなーと思います。— 吉崎 観音 (@yosRRX) 2017年3月4日
一昨年からの一連の騒動に関する動き方は圧倒的にたつき監督、福原Pらヤオヨロズ側の方が上手いのは確か。まあ元々黙っていれば不戦勝できる有利な立場だから黙ってるだけで上手い立ち回りになるが。
そうとはいえ、ヤオヨロズ側にも怪しさは十分にあることから、この騒動はどちらかが絶対正義でどちらかが絶対悪という話でもない可能性がある。
でもそうやってパクリパクリと騒いでも何も変わらなかった。(オレンジレンジがテレビに出なくはなったが急遽活動中止や謝罪がなかったと意味)
それ以降、炎上を見ると「結局なにもかわんねーよ」って思ってた。だから、もう「騒動」だとか「祭り」だとかで何も変わらないなと思って、そういう事にクビを突っ込んで、自分が望む結果が得られないのは十分わかった。
俺はけものフレンズ1は見たが、2は最初みて「あ、違うな。これは見てて自分が嫌な気持ちになるやつだ。」って思って見るのをやめて、それ以降けものフレンズ2についてなにか言うことをやめて、存在を消した。つまり「艦これアニメ」のような「なかった」扱いだ。今までそうだったし、これからもそうでいい。
それがけものフレンズ2の炎上が大きくなって見ないようにしている俺にもエッセンス程度に見えるようになった。
俺に視聴を決定させる「榊遊矢に勝てるかもしれない」を見た。
アークV自体は自分は楽しく見ていた。主人公は確かになにかあるたびスマイルワールドに縋るし、他人を小馬鹿にすることも多かったが、「遊戯王的演出」をみるのならまだ全然楽しかった。
そのアークVが平成最後のクソアニメじゃなくなる可能性がある…。俺はニコニコ生放送で1~11話放送を見た。
でも、なんか、正直、嫌な気持ちじゃなかった。怒りなんてのも湧いてこない。ただただ楽しかった。コメントの空気感が。
OPの電話音をクレーム電話として表現した顔文字弾幕、コメントの一体感を眺めてるのが楽しかった。イエイヌのお家にお帰りは確かにひどいと思った。
オレンジレンジパクリ騒動のときに感じた熱いもの…そう、これが一体感ってやつなんだろう。
けものフレンズ1期と2期の楽しみ方、自分は変わってなかった。けものフレンズ1期の「たつきを信じろ」とかジャパリパークへようこその弾幕とか、そういうのを楽しんでいたんだ。
12話をニコ生でみた。みんなの一体感が素晴らしかった。だから俺は「1」を押した。アークVにはなかった、一体感を感じて。
たつきにどうしてほしいとか、吉崎観音にどうしてほしいなんて一切ない。
みんなが同じ方向を向ける作品を作ってくれて本当に良かったな、というのが自分の感想。
だから、けものフレンズ2制作スタッフに絡んでいってる奴らはちょっとおかしいとはおもうけど、みんながいってる炎上ってそっちなのね。
一般的な作劇として、不愉快なイベントは、単体だと「単に不愉快なだけ」で終わるので、作品のテーマ性として発展させ、そこに意味を持たせるわけです。...
あまり関心を持ったことのないポイントなので、勉強になります。僭越ながら、グロテスクさが感じられうる示唆的なシーンが、人物の行動の結果などに繋がって作品としてのテーマになるまで昇華されていなかったとしても、芸術的な意味はありうるのでは、と考えています。例示していただいたアイデアのように正面からこれをテーマに据えてしまうと、作品自体の目的が”説教”になってしまうので避けたが、示唆したいことは確かにあった、という可能性です。別の方の増田を引用します。
動物園から人と動物の関係についてあくまで人は管理者であって友達ではないという指摘があった。人の都合で檻に閉じ込めている現実から目を背けるべきではないとのこと。学習や研究、人の活動によって個体数が減らされてしまった種の保存など、人が人のために他の種を管理しているのだから、あまり、動物と人が対等に取り扱うことは教育上望ましくない。2期では是非そういった視点も踏まえ、動物同士がフレンズでありヒトは違うという体でお願いしたい。
動物園から制作陣への要求… もちろん、そのような体で書かれた冗談でしょうが、こういう視点は制作側にあったのかもしれません。
それを仰るなら、けもフレ1の黒いセルリアンとの戦闘でも多くのフレンズは野生解放していないです。ところで「野生解放を言わない」ということには、けもフレ2制作陣の明確な狙いがあると思います。けもフレ2では他にも「ちほー」や「フレンズ」といったタームがほとんど言われません。推測ですが、これは一般受けを狙うために途中から入ったりぼーっと観てる視聴者やキッズが引っかからないように配慮したものだと思われます。逆に明確に説明するようになったものもあります。キャラクターの性格です。「私、体が丈夫なだけじゃなくて記憶力もいいので」「私は用心深いから」… などなど、けもフレ2ではキャラクターが自分の性格を自己申告します。作劇技術的な難度という点ではこのような表現はおそらくレベルが低く、エレガントでもないのでしょう。しかしそれが直ちに作品として悪い、ということにはならないでしょう。解りやすいというメリットは確実にあります。あざといくらいハッキリ言うので、おそらくここを起点に自分でも動物の性質を調べてほしい、という願いも込められているのかもしれません。
ケムリクサに置いて、内面と世界がシンクロする際は、ケムリクサというギミックを使っており、SFとしての筋は通っていると考えています。ここでいうリアリティラインは高めです。
そうでしょうか。最終話の赤い木との戦いで、りんの本体の葉から水がなくなって戻ろうというときに、ミドリの核の枝と桃ちゃんを継承しました。枝を肘につけてパワーアップして復帰しますが、しかしミドリの枝にケムリクサを修復する機能があったのでしょうか。ミドリの葉は状態を治す・保つ事ができます。わかばの腹に空いた穴や、りんの欠けた手足を補ったことはありますが、ケムリクサそのものを治したことはないです。もしケムリクサをも治せるなら、赤い木に指して倒せるのと矛盾してしまうと思います。かといって桃ちゃんで自分を分裂させたという可能性もありません。桃ちゃんは、(姉妹では)りなだけが使える葉だからです。また同じく最終戦で、りんは、りりの最後の記憶を取り戻しますが、あのとき記憶のケムリクサが突然発動したのはなぜでしょう。直前に二回わかばが開いていますが、二度ともロック解除が必要でそれは、りくにさえできない、わかばだけが可能な手続きだったはずです。りんは最終戦終了後キャッチした、わかばとともに船のそこに落ちますが、そこで突然ミドリの光の柱が伸びて二人の怪我を修復します。でもミドリは葉も枝も戦闘で使い切ったのでは。リアリティラインが低い… 内面の高まりがなし崩しに外面に出てしまう。お話を頂いて頭に浮かんだのはむしろこのシーンでした。ケムリクサを万能の舞台装置、あらゆる話の粗を吸収するスポンジと捉えるなら、けもフレ2のセルリウム&サンドスターをスポンジにすれば全て解決では。
悪意のあるキャラがいない、という点では「優しい世界」を継承しているでしょう。りんがわかばを警戒するのは自然なことですし、それ以外は全員が素直で、また世界破壊の原因も優しさに起因し、わかりやすい「悪役」はいない
「優しい世界」の解釈が俺らふたりの間で異なっているように思います。けもフレ1で、カバは新参のかばんちゃんに「パークの掟」を諭しつつも、去りゆく二人に何度も声をかけて心配しているさまを示す。ツチノコは地下迷路で口の悪い闖入者を疎んじつつも、(諦めた体で)二人に協力して出口を探すわけです。最後には絶滅していなかったヒトへの安心の気持ちを口にする。サーバルはかばんちゃんを、「かばんちゃんは…したかったんだよね?」のように道中何度もフォローを入れる。このような誰かを深いレベルで思いやる描写があちこちにあり、一方で人物間の衝突はあっても形骸化した、表面的なものでしかなかった。全面的に留保の余地なく安心できる世界観がけもフレ1の「優しい世界」としてみんなに愛された、そう考えています。しかしケムリクサではもう最初から、わかばは異物扱い、いつでも落とせる、落としてやろうのような脅迫的な発言が毎回あるわけです。もちろんおっしゃる通りそこには合理性があるんですが、しかし、りくさん、あなたは最後散り際にまで「こんなやつのどこがいいんだ」的なdisりをくれる必要はあったのか、あれ実はあなたも好きだったんで吹っ切るために強がったんですよね、などと視聴者の俺は解釈していますが、しかし「優しい世界」では全然ないでしょうということは主張しておきます(でもりつ姉はオアシス)。
設定や伏線において、けもフレ2に不備があるように思えるのは錯覚で、実態は作品の狙いと得意な表現の範囲の違い「へーきへーきフレンズで得意なこと違うから」、で済むレベルなのではと考えているのです。むしろ楽しむことを妨げる、エゴイズムという意味での悪意は、視聴者の俺らの側にあるのではないでしょうか。拝読した記事には総論としては同意で、いわゆる「ハンロンの剃刀」は強力なのですが、作品を論評するときに必要な環境、安心して自分の意見を言える状況、とは現状はかなり食い違っているように思います。この空気の中での分析は、かなり注意深く精査しなければ容易に流されて最悪のケースでは誰かの筆を折らせる結果になりかねない、そう思って眉に唾をつけ考察しています。
例えば一期のメインキャラが、十数人として、それが全員、根が素直で優しいとするなら、「根が素直で優しいキャラを十数体、キャラを立てて描き分ける」ことになるわけで、えらいことです。もちろん、素直なやつばっかりじゃないですが、それにしても想像すると怖くなりませんか。
ううむ、言われると、けもフレ1のサーバル・コツメカワウソ・プレーリードッグはみんな似てはいるものの、ごくごく微妙にキャラが違っており、おそらくセリフに落としても区別がついてしまうでしょうね。制作陣の構成についても明るくないですが、この功績は吉崎観音さんの成果?
イエイヌの顛末は悲劇的で、罪悪感を…キュルルちゃんは抱かなかったけど、視聴者は感じることになったと思います。いかがですか。
イエイヌのエピソードは、悲劇として描かれてますが、あれは「別れた大切な人を待ち続ける」ことの悲劇であって、「人間に歪められたイエイヌという生き物」の悲劇については、制作者は描いてないと思うのですね。
そこに自覚的であるならば、同じく人間に歪められた生き物である、イルカ、アシカについても、悲劇性を描くはずですが、そういう描写は特にないので。
リアリティラインについて、個人的にはけもフレ1,2ともに同じ程度のレベルだと感じています。短納期のプレッシャーや3D制作に慣れてなかったなど、脚本・演出の連携不足、未熟としがらみで説明できる範囲ではないでしょうか。
確かに、けもフレ1にも、曖昧なところはありますね、そこは贔屓が入ってたかもしれません。
その上で、ここでのリアリティランは、内面と世界の繋がりに関する部分です。
たとえば、けもフレ1のラストは、大雑把に要約すれば「友情パワーでセルリアンに勝つ」なわけですが、具体的にどう勝つかは、サーバルが、かばんちゃんから学んだ紙飛行機の技を使う、等、現実としての筋、理屈があるわけです。
一方、けもフレ2のラストは、同じく「友情パワー」なんですが、サーバル・カラカルが友情に目覚めると、急に強くなって、苦戦してたセルリアンをあっさり倒したりしています。内面の世界が、そのまま現実に反映している。
フウチョウコンビは、キュルルの深層意識の声を代弁するキャラとして描かれていますが、彼らが、なぜキュルルの行く先々に現れるのか、キュルルに説教するのか、といった部分はなく、ここでも、内面と現実の距離が近くなっています。
内面と現実の距離が近い、という意味で、けもフレ2は、つまり、童話・ファンタジー的な世界観であると考えられます。それをここではリアリティラインが低いと表現しました(用語の使い方がまずかったかもです)。
追記・首肯したと書いておいてツッコミばかりですが💦 アプリ版のコンセプトに戻したのはどのような動機に基づくとお考えですか。現時点で悪意があったと考えてしまっている視聴者は「ワザワザ戻した意図」を邪推してしまうと思うんです。
現場の状況がわからない以上、動機については推測しかできません。悪意がなくても説明はつくというだけで、悪意がないという証明は難しいのです。
まず視点を変えて見ると、アプリ版のキャラを変更したのは、たつき監督達なわけで、たつき監督がいないなら元に戻す、というのは、普通に、そういう判断もあるでしょう。
次に、たつき監督の作劇は、たつき監督の技術によって成り立ってるので、監督が抜けると再現が難しくなる、というのが考えられます。
よく言われる、たつき監督の「優しい世界」ですが、これは脚本技術的に高度なものです。ドラマを作る時に、普通の作劇では対立構造や誤解などを利用します。逆に言うと、たつき的な、悪意がなく素直なキャラだけで、面白いドラマを作るのは、高い作劇技術が必要になります。他にもそういう点はあるでしょう。
1期のシナリオは、たつき監督と、吉崎観音さんが、話し合って作ったものであると考えられます。たつき監督が抜けたことで、たつき監督らしさが抜けたり、再現が難しくなったりして、結果、吉崎観音色が大きく出た=アプリ版に近付いた、という線が考えられます。
俺はけものフレンズだとかケムリクサだとか、たつきだとか、吉崎観音だとか、そういうの本当にどうでもいいんだ、と思った。
目に飛び込んでくるけものフレンズに関するニュース、どれもがけものフレンズを肯定するニュースだったのが気持ちよくて、ラリってたんだ。
ラリラリになって盛り上がってる所にいきなり、たつき監督がけもフレアニメから離れるというバッドニュースが流れてきたら、おもちゃを取り上げられた子供のように泣き喚き、たつきについていけばまた熱狂できると思っているだけだった。
ケムリクサ。はっきりと面白いし、入ってくるニュースもだいたいは肯定だ。
SEKIROというゲームが発売された。
自分はアクションゲームが苦手だけど、パターン作りでだいたい突破できたので、今は二週目の序盤の敵のパターン作りに四苦八苦している。
クリアした時の感想としては、「アドリブが効かない(ので答えにたどり着いてしまえば簡単)」「フロムにしては考察とプレイヤーの立ち回り方に自由度がない」という、Amazonだと☆2、クリア後のテンションのままなら3をつける感じだ。
はっきり言ってブラッドボーン(DLC込まなくても)に遠く及ばない。
けど、多くのフロム信者は多分こういう意見に対して「おまえはわかっていない」「お前の意見はおかしい」「アドリブが効かないとかエアプか?」という。てか、最後のは匿名掲示板で言われた。
「あ、きっと彼らは好評以外の意見はエアプで、好評意見だけが真のレビューなんだろう。
彼らの頭の中の感情こそが全てで、周りもそうではなければならないのだろう。」
と、憐れんだ。
たつきが何をしてきた人なのかもわからない。脚本がすごいと思っても脚本の知識がないので具体的なすごいを言い表せない、そもそもアニメ業界に詳しくない。
それは、きっと自分が信じているものが肯定されると、頭が幸せになってラリるんだ、と。そして、否定されると頭が醒めるんだと。(頭は醒めるが酔は醒めないのがミソ)
( 2019年冬アニメ1話ほぼ全部観たから感想書く その2 からの続き )
ハイファンタジー世界の学校生活。Cygamesお抱えの新規アニメスタジオ、CygamesPicturesによる初制作アニメ。Cygamesアプリ「神撃のバハムート」のアニメ化企画を立ち上げた頃から自社制作を構想し始め、神撃のバハムート内イベント「マナリアフレンズ」をアニメ化することに。ところが諸事情で放送が延期され、ついでにスタッフも刷新(制作:スタジオ雲雀→CygamesPicturesに)という紆余曲折を経て、今期ショートアニメとして放送開始。d'アニメストア等配信サイトでは2分程度のショートアニメが追加されたロングバージョンが配信されている。ショートアニメの内容は、主人公のお姫様に仕えるパラディン君が主人公の物語。
本作の監督は、百合姫Sの漫画原作アニメ「このはな綺譚」で監督を務めた岡本英樹。お察しの通り百合アニメ。非常に丁寧な作画、演出によって主人公の心情を非言語的に描くハイクオリティ作品。魔法学校が舞台なので魔法使うシーンもあるけど、そういう特殊効果なんかも綺麗。埃がキラキラしてるの良いよね。
主人公の心情を描くシーンで一番好きなのが、図書館での騒動が終わったあとの会話。「あの、他になにか手伝えることがあれば…」という主人公のセリフに「大丈夫」という優しい拒絶からの、突っ立ってる主人公に目配せもせず黙々と業務に戻る司書さん。トボトボ帰る主人公のロングのバックショットは、彼女の心情が痛いほど伝わるシーン。ピアノが中心の優しい音楽が心に響く(音楽:渡邊崇)。
今期のアニメの中でも特に背景がすごい(背景:草薙)。基本的に学校の校舎くらいしか映らないけど「さよならの朝に約束の花をかざろう」みたいなハイファンタジー世界みを強く感じる。いかにつくり手が(神撃のバハムートの)世界観を大事にしているかがわかる。もうね、騒動収束後、主人公が帰ってきた食堂の静寂感が最高に美しい。
2018年冬アニメ「刀使ノ巫女」大ヒット御礼につきショートアニメ化。登場人物のうち半分はゲームアプリからなので、ストーリーを追うならまずはアプリをDLしてみてね!
ノリは「てーきゅう!」みたいな高速コント。アプリネタもアニメネタも拾ってくれるシナリオ好き。細かい事だけど、アニメでは登場しなかった夏服に衣替えしてて、制作陣の愛を感じた。
「生徒会役員共」横島ナルコ先生の中学生時代。10分位のショートアニメ。きたないシモネタ全開のラブコメ。
中学生どうしのラブコメを描いた作品でいうと「からかい上手の高木さん」を思い出すけど、高木さん(理性的、積極的だけど表面上は慎ましい)と西片(直情的、積極的だけど恥ずかしがり)に対して、上野さん(直情的、理性が限界を迎えている、きたない)と田中(鈍感、打っても響かない)みたいな。特に田中の響かなさが好き。キャラデザ的にもっと感情表現を豊かにできるポテンシャルがあるのに、どんなにちょっかいを出されても表情がほぼ(´・_・`)で笑う。西片の反応が面白すぎてからかいがエスカレートする高木さんに対し、いくら打っても全く反応が返ってこない田中のせいで理性が限界を迎え、どんどんからかいが雑になる上野さん。何故か、からかう側が追い詰められていく。からかい上手の高木さん2期おめでとう。
動画工房による、ロリコン大学生と幼女(小5)のラブコメ。幼女?原作は百合姫コミックス。
動画工房は先の10月クールで幼女が主人公のアニメ「うちのメイドがうざすぎる!」を放送してたけど、本作と幼女の描かれ方がかなり違う。うざメイドは主人公の幼女が成長する姿を、ロリコンと変態が見守るハートウォーミングコメディだったのに対し、本作は原作が百合姫ゆえ、幼女の描き方が完全に恋してる人からの視点。幼女の立ち位置も、うざメイドはロリコンと変態の奇行に対して主人公の幼女が何らかのリアクションを返す形式で進むコメディなのに対し、本作は幼女の愛らしい行動に対して主人公のロリコンが悶絶するという流れ。まさに恋。物語も基本的に主人公の家の中で進み、家の外を描いた背景だけが淡い感じ(背景:スタジオオリーブ)になっているのが、「秘密の園」とか「楽園」とか「家の外は外界」みたいな雰囲気に包まれている。そういえばタイトルで天使って言ってるし。
動画工房作品はコミカルでヌルヌルしたアニメーションが印象的な作品が多いけど、本作は比較的おとなしい。幼女こそ元気ハツラツだけど、主人公があんまり動かない。一方で静かなアニメーションはすごく丁寧で、特に髪の毛の演技は主人公の心が揺れ動く様子が伝わってくる感じが良い。2話の「好きな子が迫ってきて、間近で見た髪の毛があまりに綺麗だったのでつい視線を集中してしまう様子」を描いてるところが好き。
本編とあんま関係ないけど、母ちゃんが電子タバコ持ってるシーンがすごく自然なの良いよね。最近だと「ひそねとまそたん」で小此木さんが喫煙スペースで吸ってたっけ。
ディスガイアの2週目。STUDIO五組(制作)xかおり(監督)xあおしまたかし(脚本)xなもり(キャラ原案)によるオリジナルアニメ。いい最終回だった。
インタビュー記事で監督曰く「前のめりで正座しながら観なきゃいけない……というよりはTVの前でゆったりだらっと、大人の方はお酒を飲みながら観ていただけると嬉しいです(笑)。」とのこと。割と何でもありのファンタジー日常アニメ。ゆるい。このすばよりゆるい。監督繋がりで「ゆゆ式」っぽいノリ。
飯塚晴子のキャラデザ好き。原案こそなもり先生だけど「クジラの子らは砂上に歌う」に近い、柔らかい色味とデザインになっている。ちなみにクジラの子は微塵もゆるくないアニメ。
物語は勇者パーティvs人生2周目の魔王による戦いが中心なのだけれど、魔王の方に感情移入しちゃう作りになっている。魔王マジ不憫。なので、魔王ががんばる→勇者が苦戦する→やったか!?→なんか主人公補正で勇者パーティが勝つ(オチ)という、勇者パーティーの成長物語が一転して「今回もだめだったよ…」というコントになってるのが面白い。ノリが「秘密結社鷹の爪」に似てるかも。デラックスボンバー(オチ)とか。
やっぱ音楽すげー好き。音楽は「となりの吸血鬼さん」に引き続き藤澤慶昌。このすばもだけど、日常パートの音楽と戦闘パートの音楽が両方良い(このすば音楽:甲田雅人)。シリアスパート向けの音楽を日常パートのネタとして使うセンスよ。
EDはメイ役・水瀬いのり個人名義による楽曲。ほんと歌うっまいよね。「僕らが目指した」の部分が意図せず脳内再生される。
AmazonPrimeVideo独占
「ガーリッシュナンバー」の監督が送る、クズの本懐。ディオメディアって、エロい女の子を描くアニメ作りがちだよね。本作は(3話まで)原画をほぼ自前でやってて、かなり気合が入っている模様。背景もスタジオちゅーりっぷだし。
クズの本懐はいろんなクズ同士の物語なので相関図がカオスだったけど、本作はひとつ屋根の下なのでかなりわかりやすい。わかりやすい?1話は関係性の判明までだったけど、恋愛モノのお約束っぽい展開(が若干こじれた感じ)。
主人公と瑠衣が割とリアルな高校生しててかわいい。School Daysの誠くんみたい。青春がテーマではあるけれど、徐々に先生や瑠衣が心を開いていく様子を丁寧に描いていく部分が重要なテーマなのかな。先生が彼氏と話す時、声がワントーン低くなるの凄く良かった。
草。Vtuber文化祭。制作の株式会社リド…株式会社ドワンゴ、株式会社KADOKAWA、株式会社カラー、株式会社インクストゥエンター、アソビシステムホールディングス株式会社が共同で2018/12/14に設立した、Vtuber特化した事業をする会社とのこと。本作は同社のアドバルーンみたいな感じ?
各Vtuberはそもそもツールが同じじゃないと共演できないという技術的ネックがあった的な話を聞いたけど、そこらへんを克服したと言う意味で画期的なのかな。「へー、こんなことできるんだー」っていう、知らない人向けのショーケース的側面が強そう。
内容はアドリブでわちゃわちゃするのではなく、(ある程度ベタを踏襲して)作ったショートコント。色んなVtuberが出演するが、全員が全力でやりきってくるところを見ると流石プロフェッショナルのエンターテイナーって感じ。
ニコニコ生放送では各話の放送前後で生配信をしていて、そこにVtuberが直々に参加している。本編上映中もコメント参加してたり非常にアットホームな内輪ノリで楽しい。割とこっちが本編な気がするくらい、作品を通して身内ネタが豊富。Vtuber界隈の空気を描いた作品っていう意味もあるのかな。
Vtuber全く知らない勢の印象として、現時点でVtuberはゲーム生配信が主戦場なので、こういう動画形式は彼らの魅力が一切伝わらないんじゃ?という感じなのだけれど、一方で株式会社リドとしてはそこに頼らない、別の戦場を探しているのかなぁとも思う。簡単に言うとバーチャルアイドルが活躍する場所づくり。Vtuberの歌番組、Vtuberのニュースコメンテーター、Vtuberの写真集、Vtuberのラジオ番組、Vtuberのコント番組(これ)、Vtuberのスポーツ大会とか作られてそう。
空軍版「蒼き鋼のアルペジオ」。マクロスやシンフォギアでお馴染みサテライト制作のオリジナルアニメ…ではなく、電撃文庫のラノベ原作アニメ。
未知の脅威(メカ)と、脅かされる日常、そして突如現れた、謎の戦う少女(メカ)っていうサテライトらしさを感じるシナリオ。ちなみに河森正治デザインのロボは出てこない。監督、脚本はシンフォギアの人。シンフォギアと比べると、主人公は多感なお年頃の少年なのでラブ要素があるっぽいけど、ライブ要素は無いみたい。
サテライト制作だけあって、戦闘シーンはやっぱりすごい。戦闘機が戦うアニメなので敵も味方も見た目は実在の戦闘機だが、コックピットでバターが作れるレベルの超人的なハイスピードバトルを繰り広げている(乗ってる少女は特別な訓練を受けているんだよーっていうくだりは2話以降で)。直線的にカメラの手前→奥に移動からの急旋回で直角に曲がりカメラに向かって飛んでくるミサイルとか、めっちゃサテライトっぽい。
特に2話は(アルペジオのイ401よりもおしゃべりな)戦闘機ちゃんとのデート回だけど、同時に「人間らしさ」「兵器らしさ」の間にある存在としてのアイデンティティを掘り下げていくキッカケになっていて面白かった。
2期。制作はヤオヨロズから別の会社(トマソン)に。OPは引き続きおーいしおにいさん。
1期で「フレンズって?」「ジャパリパークって?」「ヒトって?」「セルリアンって?」等あらかたネタを彫り尽くしたので、そこら辺を知っているテイで話が進む。序盤の展開は1期と同様「見たことのないフレンズ(主人公)がサーバルちゃんに出会い、パーク内を観て回る」っていう感じ。ノリは軽め。1話あたりに登場するフレンズがまだ少ないので、もっとたくさん出てくれないかな。
1期から続投してるのはPPP、アルパカ等。カラカルはアプリのシナリオでお馴染み。彼らがどの世界線のフレンズかは明言されていない(1期はアプリと同じ世界線)が、強いて言えば1期を見てから2期を見ると非常に悲しくなるので注意(ここは1期「ろっじ」においてアニメサーバルとアプリサーバルの関係を描いた、早起きのシーンを踏襲してるのかな)。
1期と同じBGM使ったり(音楽:立山秋航)、同じ構図を使ったり、「すっごーい!」等節回しが健在だったり。1期を通じて「けもフレらしさ」がアップデートされている感じがある。らしさといえば、些細な仕草にも動物だった頃の仕草が反映されている仕様はけもフレらしさを強く感じた。特に2話のジャイアントパンダ、レッサーパンダめっちゃかわいい。あとAとBパートの間にちゃんと本編もあるよ。へー。
吉崎観音が言ってた「けものフレンズは原作:実在の動物で、すべてのけものフレンズプロジェクトは二次創作」を思い出す。プロジェクト自体ずっと続くと良いね。
ぶっちゃけ、芸能事務所ってヤクザみたいな人が仕切ってるのが当たり前の業界で、
そんな世界で育ったヤオヨロズ福原慶匡の振る舞いが一番嫌われたんでしょ。
たつきはともかく、ヤオヨロズとだけは組めない。というのがKFPの結論。
正直、彼がヤオヨロズ(たつき監督)降板に関わってないとする絶対的な根拠が思い浮かばない
特に放送中のインタビュー https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1488452395 やガイドブック6巻のインタビューは引っかかるところが多すぎる
具体的に言えば
・見てほしいのは動物であり、特定人物にスポットが当たるのは不本意
・kadokawa梶井氏と協力して「自分の価値観と理想全て思い通りに作れる場所」としてKFPを立ち上げた
・自身はKFPに対して著作者人格権しか持ってないが、これは損得勘定を度外視して意見を提案できる立場だと明言した
これだけ発言した上で騒動以降は一部インタビュー以外ずっと沈黙を貫いているのだから、疑われるのも至極当然と言えよう
ヤオヨロズのフットワークの軽さや製作体制がKFPの意に沿うものでなかったのが証言から伺える(その判断が正しかったのかは別問題)し、何より幾ら強力な権利を持っていようとたった一人の力で金のなる木(細谷Pの「利益的には続投の方が利益的に良かった」発言に基づく)を伐採できる力が本当にあるのかというのが甚だ疑問だ。たつき監督も「ざっくりカドカワ方面」としか言っていないし、「脚本印税貰ってない」発言からも、問題は単純に吉崎氏が降板を指示しただけでは片づけられないほど深いことがわかる
ウッ、同一性保持権と翻案権をごっちゃにしていた… 訂正感謝です。
ただそれは俺の「人格権不行使条項は問題ではない」という主張には影響がないと思う。
俺はまだ吉崎観音さんが人格権保持者だという説には納得はできていないけど、いずれにせよ、ばすてきにおいては人格権不行使条項が有効に働くシーンはないでしょう。
ばすてきが問題だとハッキリ言われたわけじゃないのはわかってます。ただ現在黙認されてるからといって、当時の法的問題が全くないといえない。公衆送信権や(吉崎さんが原著者なら)翻案権がなかったのに、ばすてきを公表したことを責められた、というのは十分あり得ると思う。公開停止しないのは、今更しても劣化コピーが流通するだけで意味ない、などと考えたんでしょう。個人的にはプレスにそこまでの違和は感じませんでした。
でも、ばすてき問題視仮説にしても、先に述べたように疑問が残るーーなぜ謝って終わりにしない? その点で増田の説には望みがあるように思えます。
しかし、KFPがヤオヨロズから買い上げたい権利、ヤオヨロズが引き渡したくない権利ってなんです? 3DCGのモデルデータの人格権はヤオヨロズにあるワケだから、KFPがそれを利用したいなら「翻案権買い取り、及び同一性保持権不行使を約束させる」ということになる。でもそもそも二期に当たって自陣にヤオヨロズがいるなら、3DCGの何かが欲しいときは彼らに頼めばいいじゃない。ゴネられたら諦めて「任せます、二期をお願いします」って言えばいい。想像だけど、たつき二期破談の際の減益は相当のものになるはず。それを覚悟してまで欲しい何かが製作委員会にはあるんでしょうか?
俺も素人だし、貰ったPDFや増田の元記事を矯めつ眇めつしてみても、イマイチしっくりこない。状況はかなり錯綜しているようにみえる。ばすてきの著作人格権は誰のものか。
「アニメと3DCGの著作人格権は、ヤオヨロズに属する」という解釈が妥当っぽい。
通常、制作会社が勝手に続編を作るなどという事態が問題にならないのは、製作委員会がおカネを出さないと作れないからだ。しかし、たつき監督はこの点でイレギュラーだった。やってのけてしまった。著作人格権保有者は好きに続編を作れるので、誰も咎めることはできない。
他方、吉崎観音さんを原作としてみるとアニメ本編、3DCGも、ばすてきもみな二次的著作物だ。
それなら過去の判例を参考にする限り、改変をコントロールする権利は吉崎観音さんにあるようにみえる。製作委員会サイドの吉崎観音さんが著作人格権保有者なら、彼の許諾無しで、ばすてきを出すことは許されない。
二次的著作物は... (中略)... 原著作物の創作性に依拠しないものはあり得ないとみることも可能であることから、両者を区別しないで、いずれも原著作物の創作性に依拠しているものとみなすことにしたものと考えるのが合理的である」
どちらの解釈が正しいのか判らない。ただ人格権不行使条項が問題の核ではないと思う。
もしも、ばすてきを作ったのが「制作会社以外だったなら」例えば製作委員会以下の別の組織が作ったなら、事前に著作人格権不行使条項ーーばすてきを作ってもいいよ契約、これを明記させておくことは必要だ。そうしないと人格権保持者の一存で一方的にばすてきを取り下げさせることができてしまう。しかし実際には制作会社自身が作ってしまったので、
となる。どちらでも問題はない。
ナイーブに考えると、製作委員会との契約で、けものフレンズに関わる全コンテンツは委員会の許諾なしでアップすることは出来ないはずだ。だから、たつき監督のばすてきYoutubeアップロードは違法だと解釈できる。
ただ、そこに黙示の合意があったなら話は違ってくる。たつき監督の目がキランと光って吉崎さんが冷や汗、というシーンがあったと思う。これを黙示の合意と取ることも可能かもしれない。
または、増田の説の"財産権バージョン"ーーヤオヨロズに対して「本編アニメは」勝手に公開してはダメだよ、などと限定してしまっていたなら、これは合法ということになる。著作権契約がここまで込み入っている以上、このようなミスが起こってもおかしくないと俺も思う。専門家を雇うカネをケチったということはないと思うけど、そこまで気が回らないほど人員のスケジュールがタイトだった、ってのはありそうだ。
うう〜ん、部外者からではやはり多くは判らないので、やっぱり憶測になっちゃうね。ただ増田や別増田のお陰で俺自身の著作権理解は更新したと思う。それはありがとうと言いたい。一応の解釈を持つことができたので、この件に関してはスッキリした気持ちで二期を待てるようになったのも良かった。
ただ、何故たつき監督が二期に乗らなかったかは元増田のまとめを読んでもやはり釈然としない。増田が言ったように、著作権問題はカネで解決することが可能だ。二期では、ばすてきのようなことはやりません、とか、アップする前に許可取ります、ではどうしてダメだったのか。
このゲームは吉崎観音が関わっているから本物だと嘯く偽物まで現れた今こそハッキリ言わねばならぬ。
今の平和なドイツが好きだと語る人間が「じゃあお前ナチスも好きなのかよ?ヒトラーがいたから今のドイツがあるんだぜ?」と言われれば激昂することは間違いあるまい。
確かに、ヒトラーがいなければ今の世界は無限大のバタフライエフェクトにより全く違った姿をしていただろう。
だが、今のドイツを愛している人間がヒトラーを愛しているかといえばそれは違う。
違うのだ。
積み上げられてきた歴史の上に我々はいるが、だからといって積み上げられてきたその全てを肯定する必要まではないはずだ。