はてなキーワード: ヘルメットとは
他の雑魚敵が歩いたり泳いでるだけの中、ハンマーブロスからはマリオを確実に殺そうという意思を感じる。
ヘルメットで防御しハンマーを装備してそれを無限に投げまくる。さらにマリオに迫るようにゆっくり歩いたり、マリオ並のジャンプ力まで持っている。そして二人一組で行動しゴリ押しの突破を難しくしている。
はっきり言ってこいつだけ強すぎるし賢すぎる。スーパーマリオブラザーズの中で浮いている。間違いなくクッパ軍団のエースなんだろう。数が少ない、後半にしか出ないのも精鋭ゆえか。
次点で空から一方的に攻撃してくるジュゲムも強いが、こいつは走り続ければ無視できる。やはりハンマーブロスは強い。
そんなハンマーブロスだが、強さに対して人気は低い。ノコノコやクリボーが操作キャラに格上げされたり固体名が付いて仲間になったりとキャラクターとして人気を上げていったのに対し、ハンマーブロスはここ10年でようやく注目されるようになったとかなりの遅咲き。
仲間になると強すぎるからだろうか?それともクッパ軍団エースとしてのプライドゆえにマリオの軍門に下ることを拒否していたのか?
思うに敵の時に強すぎたのが原因でプレイヤーに良い印象が無いせいではないか。それに見た目も正直悪い。テレサやボム兵を見習え。
JIS規格とJIS認証(JISマーク)の違いについて説明したいと思います。
ISOやJISの「9000番台」を知っている人は読まなくていいです。いつもの通り年度末に一緒にゲロ吐きましょう。
さて、今回問題になっているJIS規格、それは「JIS T8133 乗車用ヘルメット」です。
まずはJIS規格原文を読んでください。JISC公式webから検索すると読むことができます。
https://www.jisc.go.jp/index.html
読みましたか?読まなくていいです。
Chromeでは読めないうえ独自ビューアのUI/UXがクソなので業務で必要でない限りアクセスする必要はありません。
さて、重要なのは「JIS T8133 乗車用ヘルメット」において記載されているのは、
例の会社がやらかした「品質保証」については何も規定されていない、ということです。
それは「規格」と「認証」が違うからです?違うとはなにか?今から説明します。
それは「JISに定められた試験を全てパスした」ということのみを表します。
つまりどういうことか?
「試作スペシャル特注品がJIS規格を通った」というケースと、
「量産品の中の特にデキの悪いヤツでもJIS規格を通った」というケースの差が表せないということです。
「たまたまよくできたヤツを抜き取り、試験に出して審査を通す」というものがあります。
アカデミックな世界ではチャンピオンデータとも言ったりしますね。
そういうものを「JIS規格通りました!データあります!」と、宣伝&販売され、
実際はダメダメな製品が世の中に出回ってしまったらJISの信用は地に落ちてしまいます。
だから「JIS認証」、つまり品質管理体制の基準、審査をする必要があったんですね。
とはいえ、星の数ほどあるJIS規格の認証業務すべてをJIS協会が面倒見ていられないので、
実際はJIS協会から厳格な審査を受けた「認証機関」が代理で各企業の審査をすることになります。
今回、経産省のプレスリリースで出てきた「一般財団法人日本車両検査協会」がそれです。
①ヘルメットのような各種JIS規格への適合確認審査 と、②品質管理体制の基準審査、
この2つをクリアして初めて「JIS認証」を取得し、JISマークを製品に張り付けることができます。
①は規格ごとに高度な専門性が必要であり、これが各種認証機関へ認証業務を委託するモチベーションでもあります。
実をいうと、JIS協会は基本的に取りまとめ役で、実際にJIS規格を作るのは規格を使う側の企業や大学の先生です。
だって世の中で一番詳しい人たちが相談して使いやすい規格作ってもらったほうが良くないですか?これは世界中どこの工業規格も同じです。
話がそれましたね。
②これは製造工程と品質保証のプロセスを企業自身に申告させ、認証機関が激ツメするというプロセスです。
具体的には、製品のチェック、チェックの記録、チェックする機械設備の点検校正精度の検証工程、チェックする人間への教育、それを監査する人間のウッこれくらいでいいですか
①はJIS認証受けるうえであたりまえとして、②のほうがシンドイです。
なぜなら②は製造を続けるかぎりずっと維持管理、改善していく必要があるからです。
一度、①をパスする製品を作ってしまえばあとは「品質を維持するだけ」のはずですよね?
実際は原材料の変化、メーカーの廃業や工場の移転、さらに現場の人間の入れ替わりがあっても品質を維持し、
設備の老朽化や設計の変更にも対応しつつコストダウンもしなければなりません。
これのために製造業のサラリーマンは日夜、魂をすり減らしています。
特に不良品が許されない特定業種の現場は魂のすり減り具合が激しいともっぱらの噂です。知らんけど。
そしてこの品質保証、品質管理は、毎月部内監査や半期の社内監査や、数年ごとに外部機関による審査や、今回のように抜き打ち検査で定期的に激ツメされ ウ゛゛ッ
心の傷が開いてきたのでここらへんでいいですか?終わりたいです。
21世紀の「まともな」製造業なら、製品の品質保証(と品質管理)がキモであるということを当然知っており、
また、こういった品質への取り組みが、Made in Japanブランドを作った日本のお家芸(であった)ということも知っています。
だから自動車業界や素材メーカの品質不正問題が連日ニュースで報道されていたわけです。
さて、だいたい言いたいことがわかってきましたね?
JIS認証を剥奪されるということは、JISを満たす品質を維持する能力が無いということ。
昔は知らんが、これからの未来、どういう品質の製品を出すか、JIS協会(と認証機関)は責任持てませんよ。ということです。
胃が痛くなってきたのでストロングゼロを飲んで寝ます。以上です。
ついでに言うと、例の会社はISO9001:2015取得しているみたいですね。品質マネジメントをえらい頑張りはっとる会社さんどすなぁ。
胸が性的かどうかを思春期以降に知って欲しいっていう性教育をしたいと思う自由も欲しいよー。
自由ってなんだ??
割と本質的な問いだと思うので真面目に答えると、アイザイア・バーリンという哲学者が「消極的自由」と「積極的自由」という概念を提唱している。
詳しくはWikipediaでも読んでほしいけど、要するに
の違いね(cf. anond:20191017201230)。
現代の自由主義では、色々と議論はあるけれど、おおむね消極的自由の方がより重要な自由とされている。
これは増田もそうだろう。「俺が六本木ヒルズに住む自由を実現するために家賃を補助しろ」と言われたら、おかしい、と思うよね。でも、「金持ちの俺が六本木ヒルズに住んで何が悪いんだ? 俺の自由だろ」って言われたら、当然、って思うんじゃないかな。
というのは積極的自由に属する。
その環境を増田が個人の努力あるいは財力に頼って実現する(例:ひきこもる、ゲーテッドコミュニティを作る)のはもちろん自由だ。でも、それをもって他者の消極的自由を制約しようというのなら別の話になる。
積極的自由と消極的自由ならば、基本的に後者の方が重い。よほどの理由がない限り、前者を理由に後者を制約すべきではない。そして、増田が子供にどんな教育をしたいかという話は、「よほどの理由」ではない。
(「よほどの理由」が認められるかどうか争いになっている事例として、たとえば、「感染症にかからず健康に生きていきたい」という積極的自由と、「どんなワクチンを打つか政府に強制されたくない」という消極的自由が対立する局面を考えてみよう)
ところで、
思うだけなら自由ですよ? それは人を殺したいと思おうが誰々くんとセックスしたいと思おうが日本は天皇中心の神の国だと思おうが自由なのと一緒。そこの自由を制約している人はどこにもいないよね。どうぞご自由に思っていてください。
その思いを他者への要求として口に出す(増田に書く)から他人の自由に口を出すなと言われるわけで。
なので、
思春期前の子供に見せたく無い自由は?献血ルームにあるのは別に良いんだけど、公共の場にあるのを見たくない人の多様性はどう思う?
「見せたくない自由」というのも、ご家庭の中でお色気漫画は読ませないラッキースケベアニメは見せないとかそういう話ならどうぞご自由に、お子さんの教育に関しては親御さんに自由裁量があります、という話だけど、他人が自分の敷地に(あるいは借りたスペースに)設置したポスターを取り外させようとするなら、それは他者の消極的自由を侵害してよい理由にはならない、という話になる。
何度も書いているように、積極的自由より消極的自由の方が重いので。
「多様性を見たくない人も多様性に勘定すべきか」というのは難しい議論だけど(「戦う民主主義」を調べてみよう。民主主義を破壊しようと主張する政党を民主的選挙に参加させるべきか?)、そういう多様性も認められるべきだとは思う。他者の消極的自由を損なわないという前提のもとで。
なので、そういう多様性の持ち主がゲーテッドコミュニティ作って暮らす分には、そこにわざわざポスター貼りに行こうとは思いません。ご自由にどうぞ。そういうコミュニティが存在するのも多様性の一貫だとは思うので。アーミッシュのコミュニティとかと同じで。
ところで、私たちが暮らすこの日本はゲーテッドコミュニティではありません。
人を殺す自由はない。人を殺せば刑務所行きになる。他人を誹謗中傷する自由もない。誹謗中傷すれば民事裁判で敗訴し賠償金を科せられる。
既に自由は整えられているのでは……? 現状の日本が無法地帯じゃないのは、ある程度自由が制約されて整えられているからだよね?
私は宇崎ちゃんの胸は揉みたい感じの魅力的なおっぱいに見えるのでやっぱり子供に見せないように気をつけて歩きます!!!自由!!!
はい、それもあなたの自由ですね。宇崎ちゃんのポスターなり看板なりを見かけたら子供の目をふさぐとか、子供に声をかけて注意をそらすとか、見て見て~と逆方向を指差してそちらを見せないようにするとか、そういう自由をどうぞ行使なさってください。誰もそれを邪魔したりなんてしないから。
これはそのとおりで、要望する自由はあるし件のポスターを批判する自由もある。要望を無視したり批判に反論したりする自由もあるというだけの話なので、気にくわないなら文句をつけてりゃいい。今回の増田は「自由」について混乱しているようだったから雑な説明になっちゃって、そこは申し訳ない。ご指摘ありがとう。
消極的自由をより重視するのはどちらかというと英米系で、大陸系だと「政治参加の自由」とか「健康で文化的な生活を追求する自由」とかの積極的自由も重点おいてるんでわ。
いや、積極的自由を重視する人たちも、積極的自由より消極的自由の方が重要という点では一致しているでしょう。意見が分かれるのは、積極的自由はどこまで保障されるべきか、とか、ある行為が消極的自由か積極的自由か、とか、そういう点では。積極的自由の保護自体には私も異論ないですよ。特に社会権は国家がケツを持って下支えしないと自由が掘り崩される。そういう意味で夜警国家やリバタリアニズムは支持できない。
ポスター非難派の言い分はとどのつまり「他者の消極的自由よりも私の積極的自由のほうが優先されるべき(少なくとも対等)」なので、なぜ前者が後者に優越するか、そこにどういった議論があるのか説明しないと無意味
上で色々例を挙げたけど、わかりにくいかな。
じゃあ「山間部の過疎地に政府が十分なインフラを整備していない」と「政府が過疎地の住民を強制移住させる」だったらどうよ。
前者ももちろん問題だけど、どっちがより重い問題? って聞かれたら後者の方がより重大な問題だと答えるのが普通だよね。
言わずもがなのことだけど、前者が積極的自由の侵害で後者が消極的自由の侵害です。消極的自由が積極的自由よりも重要な自由であるのは当然ですね?
(前者は軽んじてよい、と言っているわけではないことに注意。19世紀的な自由主義が消極的自由ばかり重視し積極的自由を軽んじていたことに疑問を呈して積極的自由「も」重視すべきだと主張しているのが現代自由主義です。前者は気にしなくていいよって言ってるのがリバタリアニズム。でもどちらの立場にせよ、消極的自由の方が重いことは否定してないと思うよ)
わかりやすくて納得した。と同時にシートベルトを着用せずに自動車運転して事故即死亡する消極的自由が認められていないのはおかしい、、、のだろうか?とも思った。
レーガン大統領はカリフォルニア州知事時代にそういう理由でバイクのヘルメット義務化法案に拒否権行使してますね。
個人的には、子供には自己の生命・安全を危険にさらす方向での自己決定権を十全に認めるべきではないと思うので、チャイルドシート義務化には賛成。でも大人がシートベルトやヘルメットをつけるもつけないも個人の自由で(だって、究極的にはそれで損をするのは自分じゃん?)、法律で取り締まるのはおかしいと思う。自動車メーカがシートベルトしてないと警報が鳴る車を設計して売りに出すのは商売の自由。
概ね同意だけど、最後のシートベルト義務化の話、日本では車対車の事故で死亡事故だと相手の運転手は過失が多少でもあれば重い罪に問われるので、シートベルトをしない自由を制限する合理的理由があると俺は思うね
相手がシートベルトをつけておらず、それによって生死が左右された場合は情状酌量で減刑すればよいのでは……。
シートベルト義務化については社会的損失を低減する観点から合理性があると思うけどね。『それで損をするのは自分』だけじゃないわけで、治療費、障害、家族の貧困化など・・・結局は社会的負担になるからね。
ここでは合理性の話ではなくて、自由と自己決定権の話をしているので……。
そのへんを表す自由主義の言葉に、「善に対する正義の優越」というのがある。
何が「良いこと」かは人によって違う。倫理観や道徳観(=善)には多様性があって、政府が「お前たちはこの道徳に従え!」なんていうのは押し付けだ。
大切なのは、色々な道徳の持ち主が公平に処遇されること(=正義)だ。他人の自由を侵害しないかぎり、自分の道徳を追求する自由と権利がある。異なる道徳同士のコンフリクトは、公平な制度によって調整される。
だから私は一貫して、最初の増田がどんな性教育を子供に施すのか、については干渉していない。ある人がどんな倫理観を持っていて、それをどんなふうに子供に教えるのかは、虐待とかの形で子供の権利を侵害しない限りにおいて自由なので。
でも、それを口実にして他者の自由を制約しようとするなら反対する。それが自由主義者としての私の一貫した立論。
そういう意味で、自由主義って社会全体にモラルの共有を求める考え方とは水と油なんだよね。大政翼賛会にもスターリニズムにも反対だし、天皇の写真を焼いた! けしからん! も、巨乳を強調したイラストだ! けしからん! も、どっちの表現規制にもNOと言う(正確には、「けしからん!」と思ってもいいし「けしからん!」と批判してもいいけど、それを理由に作品を撤去させたりしてはいけない。右翼やフェミニストが雑誌やブログに「この表現がいかに許しがたいか」みたいな文章を掲載する分にはどうぞご自由に)。
オタクって自由主義者が多いと自分基準で勝手に思ってたんだけど、意外とそうでもないのかな? というのが最近わかってきて、ちょっと驚いてる。周囲のオタク仲間が社会問題でそのへんのおっさんみたいな保守的な認識を示したり、自分に興味がないイシュー(博打とか刺青とかね)だと平気で規制だとか口に出したり(ちなみに、わいせつ物頒布罪と同様に単純賭博罪は廃止すべきだと思ってる。賭博開帳図利罪も「無許可or無届けで賭博の胴元をした罪」とかに変更して民営賭博を合法化するべき)、BL好きの人たちが美少女のイラストをお気持ちで殴ったりしてるのを見てると、オタク界隈でも自由主義の理念は強固なものじゃないんだね……って感じになるので、リベラル派として自由主義はいいぞというのを地道に伝えていきたいですね。
しかし例えばリアルな死体や糞尿の画像をレストラン街の入り口に貼ったら、消極的自由だでは通らないだろう。これはゾーニングの問題で、線引きは色々。そう簡単ではないのでは?
私はヴィーガンじゃないけど、ヴィーガンの人たちが肉フェスの前で動物の屠殺写真を展示するのは表現の自由だと思うよ。
肉フェスのときにこれは不法だ取り締まれって言ってた人たち大勢いたけど、私はそれに与しない。その写真の前で肉料理食べながら自撮りしてヴィーガンを煽るのは対抗言論なので表現の自由。なんでみんな、気に食わない表現に対して表現で対抗するんじゃなくて取り下げさせようとしたがるんだろう。
当たり前でしょう。刺青を入れるのは自由だし刺青を入れて公共空間を歩き回るのも自由。なぜならそこは公共空間なので。刺青を入れた人には公共空間を自由に歩き回る権利があるので。刺青を入れた人が公衆浴場に入れないのはおかしい。自由主義の理念に反している。
刺青を見たくない人は自宅風呂に入る自由とかお庭でビニールプールで遊ぶ自由とかを行使してください。
なんで「他人の自由な行動を見たくない自由」が「他人の行動の自由」を抑圧してまで叶えられるべきだと思っているんだろう。本当に謎。
自由を「権利」に置き換えてもいいよ。「刺青を見ることなく公衆浴場に入る権利」よりも「刺青を理由に入浴を妨げられない権利」の方が重要でしょ。少なくとも前者の人は、公衆浴場に入る権利は奪われてないよね。公衆浴場の光景が自分が望んでいるものではないってだけの話で。でも公共空間に自分が望まないものがあるのなんて当然なんだから、望んでいる光景を見る権利よりも誰かに望まれてないって理由で入浴を拒否されない権利の方が遥かに重要。
刺青も少女像も巨乳ポスターも、「(ある種の人にとっては)見ていて不愉快」程度の害しかない(ナイフで刺すみたいな具体的な加害ではない。ちなみに、私はどれもまったく不愉快とは思わない)。見たくないなら目を背けるなりすればいい。どうしてそんなに自由を制限しようとしたがるんですか?
ネタバレをする自由は当然あるので好きな作品はネタバレ踏まないように注意する派です。基本的にはネタバレ踏むのは自己責任だよね。ネタバレ踏んでチクショウって思ったこと何度もあるけどそれは踏む私が未熟なだけでネタバレ感想書く人のせいじゃない。
もちろんあなたのフォロワーにはネタバレを理由にあなたをリムる自由がある。
100字じゃ説明できないよね。ありがとう増田。原理原則から考えないと、金属バットや愛トレ、今回の胸などで手首がねじ切れちゃう。
ほんとにね。あいちトリエンナーレ問題で一緒に表現の自由のために戦ったはずの人たちからさんざん弾が飛んでくるの、裏切られた感がすごくて絶望的になるよ(公的な施設は抑制的であらねばならない、とか、お前それ愛知芸術文化センターでも同じこと言えんの? っていうね。TPOとかくっそ笑う。じゃあビジネスシーンではカカトの高い靴を履くのがマナーとか言われても文句言うなよと。まあ私はスーツの強制もヒールの強制も間違ってるそんなTPOはクソくらえって主張するけど)。左右の表現規制派からあいトリの天皇アートも日赤の宇崎ちゃんポスターも守り抜いていこうと改めて決意。とりあえず来週にでも久々に献血してくるわ。
台風が発生し、接近してきた段階で、「風の威力を指し示す映像」や「過去に起きた台風被害の映像」を、各研究機関から借りる又は購入し、被害については、何年もの前の映像でさえ使用する。ひどい画、強い画であればあるほど良いからだ。それらを駆使してとにかく煽る。ひたすら煽る。今回だったら「風速70m」がキーワードだ。とにかく連呼する。そして、台風時にはお馴染みの「京都大学防災研究所」の実験映像を何度も何度も各局が使用する。朝から何度見ただろうか?もう見飽きた。
そして、いよいよ台風が接近。雨は降っていない、風も吹いていない状況であるが、何度も何度も「雨や風はありません」と中継する。なんの意味があるのか。室内にいても窓さえ開けたら分かることだ。
台風が最接近。情報番組、報道番組をつくる部署は大張り切りだ。打ちつける雨が降り、吹き飛ばされそうな中、中継を行う。時にはさらわれそうな堤防付近や川の近くで中継を行う。一応ヘルメットはつけているが、波にさらわれたらヘルメットなんて…自分はまだ死にたくない。スタジオではキャスターが何度も何度も「どんどんどんどん水位が上がっています」と煽っている。それをロケ車でひたすら見ながら、情報を更新した原稿を書く。そしてまた順番が回って来たら、外に出て、雨が打ちつける中中継を行う。
台風が去ってからが一番嫌いだった。台風被害の総集編を作る。家が倒壊した人や浸水した人、涙ながらに話す人を無心で取材する。正直この時は無心だ。とにかく撮れ高が必要だから。とにかく早くこの映像やインタビューを放送しなければならないから。ちなみにインタビューは泣いてくれれば泣いてくれるほどいい。必ず放送されます。たかだか30秒の尺であれ、取材にはとにかく時間がかかる。そんな取材に対応してる余裕もないだろう人々に、とにかく無心で直当たりする。そして、それを放送する。放送する、といった言葉なんかより晒すというイメージだ。
一通り取材が終了し、放送が済んだ段階で、自分は相手への申し訳なさに襲われるのと同時に、自分自身が嫌になる。自分は、人の悲しみで飯を食ってるわけだから。
4年目になったが、自分は未だにこの「人」として、「人」を思う気持ちは捨てきれない。家屋の1階部分が水に浸かり、アルバムや思い出の品が流されてしまったおじいちゃんの涙で飯を食ってるわけだから。それでお金を貰ってるわけだから。この業界は「人」としての気持ちを捨て切れる人だけが上に上がっていくのだろう。
辞める決心がついた。
場所と日時は伏せておく。
おやじ、おかんと妹と俺の4人で、車でおやじの実家に帰省したときのこと。
俺は全く主義は違うんだが、うちの父親と母親が学生時代から熱心な活動家で、いまも仕事の合間に、日本共産党の○○とかの役職で活動している。
ふたりとも75歳を超える年齢だ。
その日は強烈な猛暑日で、サービスエリアに寄ったときに、それは起こった。
5~6人の深緑の制服にヘルメットを着込んでいた比較的若い連中が、自販機まえにたむろってた。
たむろっていたといっても、順番に飲み物を買っていて、全員が買い終わるまで待っている、というような感じだった。
トイレにいくときには、喫煙所に、2~3人の自衛隊員がタバコを吸っていたのも見えた。
とくに、俺は、何も思わなかった。
先に車の間に戻った俺は、トイレにいったおやじが車に戻ってくるのを見ていた。
するとおやじは急に方向を変えて、自衛隊員のほうに向かっていく。
そして、休憩している自衛隊員の人たちの前で、普段から声を荒らげないおやじが、怒鳴り始めた。
「税金で人殺しの訓練している連中が、のうのうとジュースなんか飲みやがって!!」
どこかで聞いたフレーズだ。
まさか、まさか、ウチのおやじの口からその言葉が出てくるとは思わなかった。
本当にそんなふうに思ってるんだ。というか、今思えば、それは日本共産党員にとっての当たり前の考え方だったのかもしれない。
おやじは、頭の血管が切れるんじゃないかってくらい怒鳴ってて、当然というか、自衛隊のひとたちはポカンだった。
あんまりにも怒鳴ってるから、みんな無言で移動を始める。そそくさと、おやじから離れていった。
複雑な思いでその光景をみていた。
おいおいおいおい。休憩くらいするだろし、水分くらいとらせてやれよ。
俺は、昔から主義主張に生きる両親に少し冷めた目でみていて、できるだけ政治に対する態度ははっきりさせてこなかった。
「二度と、日本共産党には票を入れない!」「人間として最低だな共産主義者は!!」と、車に戻ってきたおやじに怒鳴った。
おやじは、突然の俺の怒号に、身動きが取れないようだった。たぶん、そんなふうに怒る俺を見たことがなかったから。
おかんがおろおろと困っていたが仕方がない。
俺も怒りが止まらなかった。
さらに、自動販売機でジュースを人数分買って、走って持っていった。
「これよかったら飲んでください! 親父は根っからの日本共産党員なんですみません」
最初は断ってきたのだけど、本当に気持ちですからと強引に渡すと、
受け取った一人が、できるだけ笑顔にならないように気をつけているようにしていたのだと思うけど、複雑な表情で、受け取ってくれた。
糞みたいな本当のはなし。
ボトムズはヘルメットの上からゴーグルつけとったな。当然搭乗者の顔は見えない。
頭を動かすとカメラが移動するという仕組みだ。
360度スクリーン搭載はZガンダムの世代で、1年戦争は前方と左右のモニタ。あとガンダムはスコープを引き出して除いてた。
そんな時は、ヘルメットですよ!!
ご安全に♥
・・・ヨシ! ∧ /ヽ // ̄ ̄\| ∠_╋__〉 / ①八① ヽ _ 工ニf(_人_)エ二|′)ヽ \ヽヽノノ ノ ヘ | ⊂⌒)_>―――′イ (_) `ー、_ノ/ ̄ヽ | _|| | | ( 人_ノ Λ \ス ̄ ̄レ-Λ \ ( ̄ ) / / \ノ\  ̄ ̄ ( ヽ \_) \ノ
しょうごくんの話
https://note.mu/shogo622/n/n99e40d665438
を読んで、
四半世紀前の学生の頃を思い出したよ。
生まれて初めてパスポートとって、いきなり一人でバックパッカー気取りで
旅行代理店の人に
「インドか、俺も若いころさ、スリランカにフェリーで渡ったことがあるんだよ、懐かしいな。君は初めての海外旅行?気をつけろよ。これからメシでもどう?」
と助言をいただいた。これから初めてインドに旅立つ若者に万感の思いがあったんだろう。
「いえ、これから待ち合わせがあるんで」
「そう・・誰?まあいいや、じゃあ、ま、気を付けてね」
あの時、何の待ち合わせだったかを彼に具体的に話していれば、あんな目には合わなかったな、とあとで後悔することになった。
そのときすでに、当時流行っていたいわゆる「トランプ詐欺」にまんまと引っ掛かってしまっていたからだ。
代理店に行く前、道を歩いていたら日本人だろ?と声を掛けられ、あとでチケット取り終わったら日本に住んでいる妹と電話で話してくれ、とかなんとか、すっかりそそのかされて、
待ち合わせをすることになっていたのだ。
そして、代理店を出て、待ち合わせ場所にいき、そいつの車に乗り込むや、まんまとバンコクの郊外へ連れ去られてしまった。
トランプのゲームをする前から、部屋の外で人の気配を感じるなど、ただならぬ雰囲気を感じ取ったので、ブルネイの石油商人を名乗る怪しげな対戦相手が登場して間もなく、決意して
振り返ると「おい、ちょっと待て」といってバイクのヘルメットをかぶりかけている恐ろしい形相の男がいた。
外は雷が鳴っていて豪雨だったが、死ぬほど走って道端を歩く人をみつけて助けを求め、タクシーを呼んでもらった。
バーツが足りなかったので、その人にお借りした(ま、返せなかったのでこれも詐欺か)。心臓のバクバクがやんだのはタクシーが空港についたとき。
旅の始まりがこんな調子だったので、トランジットのバンコクの空港で一人反省会。
トランプ詐欺がアジア地域で定番中の定番と知ったのは帰国してからのこと。
その後、カルカッタ。
緊張のあまり、リキシャのおつりが1ルピー足りないくらいで血が上った。カネに関して、無駄にナーバスになっていた。
インドをゆっくりと南下するなかで、ヨーロッパやアメリカ人バックパッカーにいろいろと旅行の注意点やテクを教えてもらった。
あるドイツ人の兄ちゃんは、飲み終わったペットボトルを私に見せて、
「いいか、覚えとけ。インドじゃ、飲料水も用心しないといけないんだ。俺は飲み終わったら、いつもこうやって、ナイフで底に穴を空けて再利用させないようにしてるんだ。」
苦笑いした。ま、人それぞれ何かしら痛い目にあって、その人なりの経験でサバイバルしているんだということがわかってきた。
半月くらいすると、ようやく緊張がとれてきた。
知り合った韓国人旅行者とも話をした。トレッキングにいった友人が拉致されたらしく、今も行方不明で心配だ、と話していた。
プリーで沈没中の日本人とも時々話をした。ドラッグ情報交換のサロンのようになっていたのが印象的だ。
その後、あちこち経て、スリランカへ到着。チェックインするなり、宿のおかみが小声で、少年は欲しいか?と聞いてきたので、??と怪訝に思っていたところ、その後
一部欧米人旅行者の、現地の少年少女に対する気持ちの悪い性癖を目の当たりにして、オエっとなったあたりで始めての海外旅行を終えて無事帰国した。
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卒業してからは、仕事柄、世界中飛び回っている。個人の旅行でもね。
欧米はもちろん、アフリカ、アジア、アラブ、中南米もいく。残念ながら中国はまだない。
しょうご君の例を出すまでもなく、本人の備え次第で「危険への暴露」は異なってくる。
重債務貧困国で、水道は泥水みたいな劣悪な環境であっても、観光客がおらず、
そうはいっても、リアル北斗の拳と揶揄されるホンジュラスやエルサルバドルの都市部とかね。ある意味、ヤバい。
地方部のマラスの支配地域のほうが、麻薬ルート上にあって支配が確立しているだけに、まだしも安全だったりする。
首都はレストランでメシを食っていたらいきなり強盗とか、タクシー営業のみかじめ料のいざこざでバーンとかはあるにしても、
例えばナイロビなどに比べると、ものすごく安心する。お金を安心して下せるレベル。
アフリカの一部地域では、銀行を出る瞬間、かなり緊張することが多い。
それと、ブラックアフリカの遺伝子というのか、血の気の多さに圧倒されることも。
現地の駐在員や日本の公的な機関から、乗っている車が交通事故を起こしたときの注意点として、耳を疑うようなアドバイスをもらったことがある。
たとえ事故がこちらの責任であっても、ポリスに連絡などせず速やかに現場を立ち去れ、というのだ。つまりひき逃げしろと。
なんどか交通事故を目撃したことがあったので、直感的にすぐ理由が分かったんだけどね。
事故の直後、野次馬がわらわらと寄ってきて、こいつが悪いのか!と加害者と目された側に対して、タコ殴りの暴行を加えるということが日常茶飯事なのだ。
結局のところ、それぞれの地域で、それぞれのシチュエーションで、異なる社会的な背景のある危険性があり、一概に殺人発生率やテロ、治安の悪さだけでは語れない。
それと自分自身の備えとして、現地の政治経済の概況くらいは把握できるよう情報収集ができないと、どの国にいっても危なっかしい。
言葉もね。スペイン語などローカル言語で最低限、警察に自分の立場、欲求を説明できるくらいの能力がないといざというときマズイ。
また先進国だからと安心していると、フランスのパリでいきなり恐喝されるかもしれないし、
ロスで一杯飲んだ帰りに拉致られるかもしれない。
グレイハウンドのバスのトイレに行こうとしたら、中からナイフを持った無賃乗車の男に「シッ!」と睨まれるかもしれない。
朝食を食べにホテルの部屋を出た隙に、さっきまでメールを書き途中だったパソコンがとられるかもしれない。
あるいは、池袋を歩いていたら暴走車両に、、、なんてこともあるかもしれないしね。
国名は書かないけど、アメリカから敵視されている国のなかには、案外と親日的な国であり、かつ人々も穏やかで
いろいろ書いたけど、
みたいな助言は、おこがましくてできないけれど、
経験っていうのは、その国に行かないと経験できないことでもあるので、
めげずにいろいろ旅すればいいんじゃないと思うね。
いい増田。
8歳の女の子に「ボーっと生きてんじゃねーよ」って言われる気持ちの悪い娯楽がマジで嫌いなんですよね
あれ、「本来は我々に逆らうことの許されない立場であるにもかかわらず、無知ゆえに生意気なことを言ってしまう“女の子”に叱られて、つい従ってしまう寛容な我ら」っていう立ち位置を楽しむ娯楽だろ?何重の差別だよ。
そろそろ定年過ぎた近現代で一番使えない年代が大好きな美談知ってるか?「寛容な社長エピソード」なんだけど。
戦後復興のなか、一代で大企業を築いたメーカーの社長(ホンダだったり日立だったりするが、まあそのへんだ)があるとき現場の視察に来る。スーツに革靴で工場に入ったら、掃除のおばちゃんに「コラあんた!そんな格好で来ちゃだめでしょ!」って叱られる。工場内では安全靴にヘルメット着用が絶対だからだ。
それで社長の取り巻きが「社長に向かってなんてこと」って言いかけたところで、当の社長は「おお、そうだった、すまんすまん」とアッサリおばちゃんの言うことを聞く。それを見た取り巻きが「さすが社長、常人とは器が違う」と感動するっていう美談だ。正直なにが美談なのか分からない。取り巻きが無能すぎるって事しかわかんねえよ。
話を戻すと、チコちゃんは「寛容な社長エピソード」の超劣化版だ。目下の人間に逆らわれるという娯楽を安全なところで楽しむ差別だ。
しかも、オマエは社長ですらない。ただムダに歳をくっただけの人間だ。
あんなのを作った人間が中心になって、吉本興業主導の教育産業に進出するらしい。あのコンテンツの倫理的な問題に気付きもせずに多様な学びだとよ。何だそれ?
日本のコンテンツ産業関係者の実務能力のなさって本当に凄くて、資金調達だけして結局何にも形にできなかった例は枚挙にいとまがないんだけど(暇ならCiP協議会でぐぐってみるといい、コンセプトトークだけで何も形にできない連中のバカみたいな夢の記録が出てくる)、だからクソみたいな倫理観でもコンテンツを形にできればそこで仕事が成り立っちゃうんだろうな。
大規模なデモを見て、とんでもないことになっていると思った。でも今週、
毎日会社に行ってこまごま働き、色々なニュースを見ていたら当初の感情を思い出せなくなってしまった。
関心を持ち続けるということは容易ではない。
デモ隊も警官隊もいない、高い階から写真やビデオをとっている人たちがいた。
自分を含めて、デモ行動をエンターテイメントとして消費してしまっていると思う。
そういう態度が実は醜悪であるという自覚を忘れないようにしたい。
初めは老若男女が順路にそって行進していた。やがて黒いシャツを着てヘルメットとマスクをつけた人々に入れ替わり、
道路を占拠したり、あたりの柵を壊してバリケードを築いたりした。警官隊に投石したりもした。
デモは平和的に行われると思っていた自分にとって、デモ隊の暴力行動は衝撃的だった。非難されるべきだと思った。
しかし、人々の要求を香港政府が無視しつづけているという現状を見ると、
スタートは午後3時30分と言われていた。その日の朝。街に人通りが少ないような気がした。風がやや強い。吉野家の窓ガラスにベニヤ板を固定している人々がいた。営業中なのに一部シャッターを下ろしている店もある。不測の事態を避けるためだろう。台風来襲の前のような雰囲気。
街の中心部は四層になっている。1階(G/F)は道路でデモ隊が通る。2階(1/F)は駐車場で、2/Fはショッピングセンター。3/Fは高層住宅の入り口とちょっとした公園がある。
予定の時間が近づいてくると、2/Fと3/Fに見物の人々が集まってきた。手にケータイを持っている。しばらく待っていると、遠くから声が聞こえてきて、それが大きくなり、やがてなじみの光景の中に無数の人々が流れ込んできた。老若男女。初めて見た。本当に単純に、フィクション、テレビの中の世界のように感じられた。この街でデモが行われるのは30年ぶりらしい。見物の人々も同じ感想を持ったと思う。みな熱心に写真や動画を撮っている。
一時間程度、ぼんやり見ていた。何人いたかは数えられなかったけれど、見ていた間、人は途切れることはなかった。聞き取れたスローガンは「加油」。文字だと「反送中」(犯罪者を送る法案に反対する)とか「下台」(辞職せよ)とかは理解できた。アメリカの旗を振っている人もいた。
違う場所から見物することにした。デモ隊は予定の行路を進んでいたが、時間がたつにつれ途中の交差点に滞留する人も増えてきた。その交差点を左折してあと500mほど進むとゴールになる。大抵の人はゴールに向かっていた。しかし、そうせずに交差点を直進して、予定外のところを行進して群衆の力を見せつけたい人がいる様子だ。その先には警察署があるので、そこを脅かしたかったのかもしれない。
時間を少し早送りする。滞留する200~300人は交差点を占拠することに決めたようだ。先ほど行進していた人々とは違い、若い男女がほとんど。黄色いヘルメットとマスクを装備している人も多い。彼らの一部は近辺の歩道や中央分離帯に取り付けられている鉄の柵を取り外し始めた。金鋸で取り付け部を切断しているのだと思う。
違法行為だという理解はある様子で、実行する人の周りを十数人で取り囲んでいる。そして、みな傘をさしている。誰が破壊工作をしているのか外から全くわからない。時々人と人のすき間から、畳より一回り小さい鉄の柵がするすると出てくる。すると待機していた人がつかんで、どこかに持ち去る。傘の集団は少し横にずれ隣の鉄の柵を外す。全体として巨大な生き物の行動のようだった。
彼らは鉄の柵三枚を結束バンドで固定しはじめた。鉄の柵一枚だけだと自立しない。二枚だと屏風の構造だから、一枚よりはましだけれど、まだ不安定。結局、三枚つかって上から見たときに正三角形になるように固定すると一番安定する。トランプカードで作る橋を想像してほしい。あれを横倒しにしたような構造物を作っている。ついに占拠は完成した。