2019-10-12

台風が来る度に仕事を辞めたくなる


自分は、台風こそが仕事といった職種に就いている。

台風が発生し、接近してきた段階で、「風の威力を指し示す映像」や「過去に起きた台風被害映像」を、各研究機関から借りる又は購入し、被害については、何年もの前の映像でさえ使用する。ひどい画、強い画であればあるほど良いからだ。それらを駆使してとにかく煽る。ひたすら煽る。今回だったら「風速70m」がキーワードだ。とにかく連呼する。そして、台風時にはお馴染みの「京都大学防災研究所」の実験映像を何度も何度も各局が使用する。朝から何度見ただろうか?もう見飽きた。

そして、いよいよ台風が接近。雨は降っていない、風も吹いていない状況であるが、何度も何度も「雨や風はありません」と中継する。なんの意味があるのか。室内にいても窓さえ開けたら分かることだ。

台風が最接近。情報番組報道番組をつくる部署は大張り切りだ。打ちつける雨が降り、吹き飛ばされそうな中、中継を行う。時にはさらわれそうな堤防付近や川の近くで中継を行う。一応ヘルメットはつけているが、波にさらわれたらヘルメットなんて…自分はまだ死にたくない。スタジオではキャスターが何度も何度も「どんどんどんどん水位が上がっています」と煽っている。それをロケ車でひたすら見ながら、情報更新した原稿を書く。そしてまた順番が回って来たら、外に出て、雨が打ちつける中中継を行う。

台風が去ってからが一番嫌いだった。台風被害の総集編を作る。家が倒壊した人や浸水した人、涙ながらに話す人を無心で取材する。正直この時は無心だ。とにかく撮れ高必要から。とにかく早くこの映像インタビュー放送しなければならないから。ちなみにインタビューは泣いてくれれば泣いてくれるほどいい。必ず放送されますたかだか30秒の尺であれ、取材にはとにかく時間がかかる。そんな取材対応してる余裕もないだろう人々に、とにかく無心で直当たりする。そして、それを放送する。放送する、といった言葉なんかより晒すというイメージだ。

一通り取材が終了し、放送が済んだ段階で、自分相手への申し訳なさに襲われるのと同時に、自分自身が嫌になる。自分は、人の悲しみで飯を食ってるわけだから

4年目になったが、自分は未だにこの「人」として、「人」を思う気持ちは捨てきれない。家屋の1階部分が水に浸かり、アルバムや思い出の品が流されてしまったおじいちゃんの涙で飯を食ってるわけだから。それでお金を貰ってるわけだから。この業界は「人」としての気持ちを捨て切れる人だけが上に上がっていくのだろう。

辞める決心がついた。

  • おーファクトフルネス

  • こうやって嘘を並び立てられる奴はもしかしたら出世できるかもな 実際には局になんて就職出来ないザコなんだろうが

  • そうやって宣伝するマスコミがいるから同情が集まってボランティアも来てくれるんだよ お涙頂戴のいつものテンプレ報道もなくなってしまえば誰も知らない

  • 転職して新聞記者にでもなれば良いのに。

記事への反応(ブックマークコメント)

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