はてなキーワード: バーターとは
今回はガンガンオンライン
おいおい、主人公こんなにポンコツだったけ。
もちろん、自分が面白いと思ってようがウケないこともあるし、その逆なんてことも往々にしてあるのかもしれない。
けれども実際のところがどうであれ、言い訳として「興味がない」なんてダメに決まってる。
『どんなことも最初は無理やりにでも面白がって 無理やりにでも興味を持つんだよ』
『作った人間が面白いと思わないものを どうして視聴者が面白いと思うんだよ!』
この考えが現実問題としてどうかはともかく、この考えから降りた人間を作品作りの根幹に携わらせたいかっていえば、よほど実力や実績でもない限りは嫌だろう。
例えば、「これを作った私はこの作品のテーマに興味がないし、面白いとも思わないけれども、まあ作り手と受け手の価値観は別なので、とりあえず世に出しました」なんていう作品があるなら、よほどのことがない限りは支持されない(作り手含めて)。
さて、そんな主人公のポンコツっぷりもそこそこに、木村のほうは大きな仕事をもらえてウキウキしていたところに、突然のオシャカ。
理由が、主役の俳優と仲の良かった新人をバーターとして使うっていうのが、また厳しいね。
コネも実力の内だとは思うけれども、それでこういう風に割を食う人が出てくるってのが堪えるなあ。
貧乏神登場。
見た目がチャラ男キャラであることはともかく、人の福を吸い取り、それを金に還元するってのが独特だな。
あと、その還元した金の使い方が荒い、雑なので貧乏っていうのがイマドキっぽい気もする。
陣形崩さないために救出を諦めたり、腕や目をやられたりする描写は悲壮感あるね。
まあ、実質モブといっていいキャラたちだから、あんまり残念さがないが。
とはいえ、知らない人たちだけれども、それでも命を懸けてくれたということで悲しいっていう作中のキャラの独白は、よろしいかと。
もう今から15年も前になるんですね。
当時の私は13歳。中学1年。
母の友人がジャニヲタだった。
経緯は聞いていないがその友人から急遽チケットが余ったから来ないかと誘われて行った。
今考えると吾郎ちゃんが例の謹慎で参加しないことがわかったから急遽余ったのかもしれない。
少し母の話をすると母は元々郷ひろみが好きで、
たぶんその流れでSMAPも好きだったんだと思う。
でも「木村はやっぱかっこいーわー」と現場に行くと言うタイプ。
そんな母の元に生まれた私は
気がついたら慎吾ちゃんが好きだった、俗に言うジャニヲタ英才教育タイプだと思う…
相当早くから茶の間ファン(他ジャンルでいうと在宅ヲタというやつ?)はしていたから
当時まだ150センチほどしか身長がなかった私は必死で人の間から見たのを覚えている。
周りのお姉さん方、開演前に厚底ブーツに履き替えてたのよく見かけてた。笑
初めていったし、今みたいにSNSが発達していたわけでもなく
アルバムを事前に予習して現場に行く、なんて当たり前の現場前ライフハックも当然知らない私。
しかも「ウラスマツアー」は「ウラスマ」というカップリング曲のベストアルバムツアーだったため、
本来のツアーよりもおそらくメジャータイトル曲は少なかったはずなのである。
それでも私は今でも当時のブロンズみたいな髪色でロン毛の慎吾ちゃんがかっこよくて、
とにかくかっこよくて、手を伸ばしても届かないのにすぐそこにあった眩しいステージに引き込まれて魂ごと持っていかれる経験をしてしまった。
色々拗らせて、それなりに色んなグループを見た今とは違う、
まっすぐにエンターテイメントに心動かされた初めての経験がSMAPだったのは本当に贅沢だけど本当に良かった。
15年立ってもかすかに映像として記憶に残ってるんだから、たぶん死ぬまで忘れないと思う。
そのあと超名盤だと今でも思っているDrink SMAPツアー、慎吾ちゃんがTarzan企画でダイエットして
Drink Smapツアーでやっと5人揃ったSMAPを見られたし、仲間って強い、SMAP強い!と
ただ、実を言うとこの後デビュー当時からSMAPと平行して茶の間ファンをやってた嵐に降りてしまい、SMAPからは少し遠ざかった。
さらにその次もチケットが取れず現場に実質4年ぐらいいけなくなったこととそもそも長く続いた世界に一つだけの花ブームでうんざりしてしまったことが原因)
それでも一線で活躍している彼らの活躍はテレビで、CDで定期的には見続けていた。
そんな彼らの新たな一面を見られて、また魅力を感じたのはKis-My-Ft2(以下キスマイ)のデビューが大きかった。
デビューする少し前からキスマイを応援し始めた私だったが、(ちなみにキスマイデビュー後に前述の嵐からキスマイに降りています)
賛否両論あったし相当露骨なバーターだったので私自身も首をかしげることもあったが、
SMAPが先輩として後輩を可愛がる姿というのは新鮮だった。
あの頃よりおじさんになっていても、やっぱり圧倒的オーラはそのままで、やっぱり格好よかった。
露骨なバーターのおかげか、歌番組の観覧にキスマイ目当てで応募し、SMAPも一緒に見るという(世間的価値は逆なのでしょうが私の価値としてはこの感覚なのです。笑)
一石二鳥の経験をしていくうちに、やっぱりもう一度SMAPのコンサートに行きたいかも・・・と思うようになった。
そして私は2012年にGift of SMAPの東京公演に足を運んだ。
圧倒されるばかりだった。あの頃もすごかったけど、やっぱり今もすごかった。
むしろ今の方が、すごかった。痺れた。震えた。
あの頃と違ったのは周りの観客におばあちゃん達が増えていたことぐらいか。笑
脳天から突き抜けて舞台上の眩しい光の中に魂ごともっていかれそうになるあの時の感覚。
初めて足を運んだ2001年からはもう10年以上経っていたのに、まだその感覚味あわせてもらえるんですかと驚いた。
興奮しながら母に連絡したのを覚えている。
母は嵐にはてんで興味を持ってくれなかったが、SMAPと一緒にいるキスマイには少し興味をもってくれるようになり
上京して離れて住むようになった私と連絡することが増えていた。
その後のMr.Sツアーはチケットが取れず、足を運べなかった。
でも、次は母と入りたいし、2年後は25周年だし、こりゃあ次は楽しそうだな~と呑気に考えていた。
そしたらこうなった。
どれが本当の話でどれが嘘なのか陰謀なのか陰謀なんてそもそもあったのか、本当のことは知りえない。
母は例のマネージャーさんの話も副社長とその娘の話も通じるので
あーでもないこーでもないと話していたが
諦めではなく「もう痛々しくて見ていられない」という意味でそう言っていた。
どんな形でも残ってさえくれればと願うファンがいる一方で
私も母と似たような感覚でいる。
元をたどればメンバー内の確執なんかではないことくらいわかってる。
それでも結果こうなった。
一緒にい続けるって労力がいる。
仲良しこよしの飲み仲間ではなく、一緒に戦うパートナーだからこそ
妥協した関係じゃないからこそ、我々の想像を超えた関係だからこその結果なのかもしれない。
復活を期待する声もある、本当の原因ってやつを探している人もいる、
だけどそんな周りの状況を含めて、「もういいよ無理しないで。」と思う人もいるんです
楽しかったあの日の思い出を傷つけられたくないだけかもしれないですけどね。
何もまとまっていないけどとにかくつらつら吐き出したかったのでここで。
追記:こちらにコメントへの回答など書いた。 http://anond.hatelabo.jp/20160801132452
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取材に3万円のギャラを要求した吉田沙保里選手の記事に対するブコメが見るに堪えないので、マスコミと呼ばれる業界の隅っこにいる者として、みなさんの説得を試みたいと思う。
http://b.hatena.ne.jp/entry/news.livedoor.com/article/detail/11825985/
残念ながら、マスコミが取材対象に謝礼を払うという習慣はこの業界にない。そういう予算の枠もない。せいぜい喫茶店のコーヒー代とか、遠方から来てもらった場合に交通費を渡すくらいだろう。
理由は簡単。取材対象とメディアは常に対等な関係にあるからだ。記事を書くにあたって、取材対象にお金を払うことはないし、逆にお金を受け取ることもない。件の記事にある「記者倫理」というのは、このことを指している。
じゃあメディアがちょくちょくステマに手を出し、バレて叩かれてるのは何なのよと思うかもしれない。なぜステマは叩かれるのか? それは「メディアの記事を金で買うことはできない」という前提があるからだ。金で買われた記事はそう分かるように、「PR」や「広告」などと表示しなければならない。
もちろんプロに業務として仕事をしてもらった場合には、相応の対価が発生する。たとえばプロスポーツ選手で無理矢理たとえるなら、よその試合で事故かなにかが起きて、その道のプロであるスポーツ選手に解説を求めた場合、謝礼というか、ちゃんとしたギャラを払うことになるだろう。実際、評論家の先生からコメントを取った場合にはギャラを払っている。評論家はコメントするのが仕事だからだ。
別の観点では、マスコミは商売に使うネタを仕入れるのに、相手に謝礼を払わないのはおかしい、と怒る人がいるかもしれない。それはもう、そういうビジネスモデルだからとしか言い様がない。マスコミはそういう商売なのだ。そうやって金儲けをすることで、絶対に採算が取れないけど社会正義のために必要な取材(紛争地の取材とか)のコストをまかなっている。うん、そうなんだ。嘘くさいけどマスコミって社会正義を実現することが使命のひとつなんだよね。
話を下世話なほうに振ると、芸能人の密会写真なんかを週刊誌に持ち込めば、謝礼をもらえるかもしれない。でもそれは買い取りだ。プロスポーツ選手の話を買い取ることができるとは思えない。「そのエピソードはうちが買ったので、他のメディアでは二度としないでくれ」などという契約は現実的じゃないだろう。
では取材を受ける側は、取材で拘束された時間分だけ丸損なのか? もちろんそうではない。まず、取材を断ること自体はまったく構わない。特定のメディアや記者を選んで取材に応じるのでもいいし、とにかくメリットがありそうだなと思ったときだけ応じればいい。「取材に応じる代わりに自著のタイトルと表紙画像を必ず入れてくれ」といったバーターも交渉の余地がある。
とはいえ、取材を断りたいという目的で謝礼を要求するというのは、あまりにも常識外れで業界のことを分かってない素人的な対応といえる。3万円という金額も生々しい。馬鹿にされたと感じて怒り出す記者がいてもおかしくない。それをエンタメにして下品に取り上げたのが件の記事だろう。
みなさんのご指摘の通りマスコミの中にはおかしな特権意識を持っている者も多く(特にテレビ)、取材現場で他のメディアを恫喝したりするのは日常茶飯事だ(特にテレビ)。だから「マスコミは何様のつもりなのか」と反感をもたれるのもよく分かる(テレビ屋は何様のつもりなのか)。
ただ、取材対象とマスコミの間には、ビジネスとか金銭のやりとりを抜きにした対等な関係が前提としてあって、ほとんどの真っ当な取材記事はそうした関係性の中から日々作られているのだということは覚えておいてほしい。
俺(二十代後半)は空想平和主義が好ましいと思ってるので自衛隊も放棄すればいいし、それで日本が攻め込まれたなら誇り高く死んでいけばいいと思ってるけど、まあたぶんこれに同意する人は少ないだろうから、
今こそリベラルや左派は、現在の憲法のうち9条のみを改正し、「戦争放棄」を「侵略放棄」に変えた上で、明確に国防軍の保持を認め、その上で9条以外の現憲法の人権を尊重する良い所は断固守る、という態度を示すべきだ。
というのは確かにいいことだと思う。
でも、多分分かって書いてるだろうけど、実質、入れるかどうか迷うタイプの人が考えるのは実質自民党に入れるかどうかだ。おおさか維新や日本こころは泡沫政党とほぼ同じで、公明党は宗教票が入るだけ。
で、自民党に入れるのは改憲に賛成なわけではなく、他の部分に賛成だからだろう。
いや、もっと正確に言えば、リベラル政党に入れられないから自民党に入れるしかない。
いやいや、というか、リベラル政党がリベラルだから駄目なのではない。保守もリベラルもお題目としてはまあそれなりに魅力あるけど、現実の運営手腕などがちゃんとしてそうなリベラル政党がないから仕方なく自民に入れてるだけだ。
是非改憲したい層が自民に入れてると言うより、改憲はまあやってもいいかなだとか、改憲はできればしてほしくないけど自民以外はクソオブクソだし、ほどほどのクソである自民を選ぶのとバーターでついてくるならまあ許容せざるを得ない、くらいの感覚ではないか。
動画の整理をしていて久しぶりにD-motionのPVを観た。
断片的にあの会社のことを長い事見てて……あそこ商売下手でしょ?!
今のEXILE族の台頭を見れれば、このままいじらず成長させていたらこんなことにはならなかった可能性もあったのではって思うしな〜。
自社の掲げるテンプレに、もう時代があってなかった。5年前の段階でもうあってなかった。
そうはいってもファンは古来から脈々と続くテンプレ的アイドルを望んでると思ったのかもしれないけど、それは若い子に任せればよかったんだよ。
20代後半にさしかかろうとしてる男性たちにキラキラかわいい振りしたテンプレさせるなんて不自然極まりないし、それこそ一般的な感覚から言ったら「キモい」でしょ。
かっこいいの、かわいいの、わるっぽいの、真面目っぽいの…同世代にいくつかグループがあったのに、方向性分けを明確にしないで全員大きなテンプレに押し込めて、年齢的には同世代の後輩はデビューさせてもらえず飼い殺し。そら同じのがもっと増えても意味ないもんね。
グループから一人主役でドラマやらせて主題歌やらせて。もうそういうのじゃ釣れないでしょ。
しかも指名で来てもいい話はもっと人気のあるグループ(タレント)にもってかれて。からのバーター。いやバーターなんて珍しくもないけど露骨さハンパないでしょ。一作主役やったら必ずバーター。
もうそういう時代じゃないんだって。いや、かなり前からそういうものがうけない時代になってるのに、人気のある先輩グループが成功したパターンから逸脱しないことばかり。
消費者(ファン)のこと…大事にしようとかそういう感情とかではなく、ニーズをわかってないもんね。殿様商売すぎて本気で買わせる気あるのかな?って思うし。
音楽の面でもっと柔軟性を持たせて、各自のやりたいことをもっと自由にやらせてあげてたらこういうことにはならなかったんじゃないかなと思うとホントにあそこはクソ。
男性だって遅くとも30代も過ぎたら結婚して当然。私生活まで管理するってどういうことだろう。逆に制限されて生きて行けるのか?って思うし。
アイドルはそういうもんだって流れを作った事自体クソ。自分の好き嫌いは別にして、女性に処女性を求めるのは古来からある思想ではあるので女性アイドルに関してはよくわかんないけど、世の中に未婚なのに誰かに恋することを制限される職業なんて他にどれだけあるんだろう。皇族の方くらいしか思い浮かばない。あ、職業じゃなくてこの場合は血筋とか立場か。
なんか話が凄くそれた。
アルバムを聴いて、当然クソみたいなアイドルソングもあるけど、それにしたって12o'clockとかHELL,NOとか変なテンプレ、枠をブレイクするーした作品はたくさんあったし、普段アイドルなんんて見向きもしない人だって「おっ」と思ってくださることだってあっただけに本当に惜しいと思う。今の時代のテレビ的音楽性を鑑みても。
好きな音楽をさせて、好きな服を着させ、好きなダンスをさせていたら絶対に違う世界を見れていたと今改めて思う。本当に、惜しい。
http://anond.hatelabo.jp/20160403231721
良い指摘だと思う。財源についても指摘したい。
育児サービスをインフラにして誰でも使えるようにするのなら、恐らく兆単位の財源が必要になる。
現状の試算では数千億だが、誰でも使えるようになれば利用者が増える。
事実、保育所は増えているが待機児童は減らないんだ。整備されても使いたい人がドンドン増えているからね。
0歳から5歳まで使えば一人年200万は税金がかかるから、1000万。
1歳から預けようとか、3歳位まで自分で育てようとかする人も居るだろうが、兆単位の財源が必要なのは間違いない。
これは1年だけではなく恒久的に出し続ける必要があるので、赤字国債は使えない。
追記 投資だから赤字国債でOKという人がかなり多くて驚きました。
投資と赤字国債ですが「投資はやった本人が責任を取る」「赤字国債はやった本人が責任を取らない」という特性が有ります。
作った赤字国債は、子供たちが返す事になります。我々は先の世代が残した赤字国債に苦しめられていますが、少なくとも保育では赤字国債を残されていません。
後の世代に「俺達の親、祖父祖母は保育すら俺達にツケを回した」と言われるとは考えませんか?
となると増税だろうか?
例えば保育の為に消費税1%上げても良いのか?と自分に問うて欲しい。
又は所得税を上げる?富裕層に重税をかける程度ではどうにもならないので、震災復興税のような形で全員にかける必要が有るけどね。
議員や無駄を削れと言う人がはてなに多いけど、そんな事で出てくる財源は知れている。企業に重税をかければ国外に本社や所得を移されるだけ。
追記
防衛費を削れという人も居るみたいですね。では具体的に防衛費のどの項目を削れば良いのかご指摘下さい。
5兆円有るから削れるだろ?という発想なら、民主党(現在の民進党)が一般会計特別会計合わせて200兆有るから数兆は出ると言って出なかった件を振り返って下さい。
または社会保障を削るべきだろうか?
高齢者は国に払った税金の数倍も恩恵を受けている。そこを削れば良いのか?
ただし、社会保障を削ると老人が死ぬ。削る規模にもよるが、兆単位で削れば万の老人が死ぬかもしれない。
兆単位の財源が必要なら、国民全員への増税か、社会保障を削り老人を殺すか、どちらかをやるしかない。
魔法の杖を一振りすれば、どこかからお金が出て来て全て解決なんて事は無い。
民主主義は国民全てが政治家としての考えを求められる。さて、この問題をどう解決しますか?
ブコメに対する返答です。
「0歳から5歳まで使えば一人年200万は税金がかかるから、1000万。」せめて試算やり直してくれんかね。三歳以上は自己負担抜きでもその三分の一程度だ。
まず意図的に0~2歳を除外しておられるご様子ですが、例えば認可保育園に通う0歳児は月40~50万、年間500万程度の税金がかかります。
認可保育園に通う1歳児も300万程度の税金がかかりますので、0歳から5歳までで1000万というのは控えめな試算です。
保育園の3歳以上には年間70万くらいしかかからないとのご主張ですが、確かに認可外も含めて頭数で割ればその通りかもしれません。
けれども、全てを認可保育で賄おうとすれば3歳以降も100~200万くらいかかります。
認可外でもかまわない。運動場無しで無資格の保育士が見ても良いというなら、3歳児以降はあなたの仰る通りですよ。
認可保育園を前提にしすぎ。このあたり、医療サービスを下敷きにしてるのかなぁ。認可外が質の低いサービスである、とは言い切れないけど、大抵良いものは高い。
保育園については、認可保育園が安くてサービスも良いです。つぎ込まれている税金のケタが違うので。
認可保育園を上回る質の保育をしている認可外は有りますが、毎月数十万の支払いが必要ですよ。経営者や資本家が入れるような所ですね。
無資格の保育士に狭い部屋で大人数を見させても良いというなら、かかる費用は随分下がるのは確かです。で、我が子をそんな環境に入れたがる親がどれだけ居るのですか?
「例えば保育の為に消費税1%上げても良いのか?と自分に問うて欲しい」<<全く問題ないよ//ところで、何故「防衛費を削る」とか「法人税を上げる(=企業内保育所を設ければ減免etc.のバーター可)」って案は出ないの?
消費税8%から10%に上げるのに大騒ぎして中止になりそうな訳ですよ。そこに保育のため更に1%上げるという話を通せると思えるのは凄いですね。
もし増税して更なる不況が来た場合「保育不況」と呼ばれるのではないでしょうか?
防衛費についてはどこを削るのかご指摘下さい。削る余地は私が見る限り皆無なので。
企業内保育に関しては、例えば丸の内に作ろうとすれば1人あたり月100万以上の経費がかかりますよ。バーターで減税すれば、認可保育園を増設するより不経済です。
お金も場所も、魔法の杖を一振りすれば出てくる訳では無いのです。
いずれも共産党がよく使う方便ですが、彼らは資本主義を理解していません。ブコメ書いている人も恐らく理解していないのでしょうね。
30年前ならともかく、現在は累進課税強化や法人税増税を行えば、所得を海外に逃がすだけです。
もちろん海外に逃がすのにもコストはかかるのですが、一昔前の累進課税80%など復活させようものなら、凄まじい額の海外流出がおこるでしょうね。
法人は個人よりも海外に収入を逃がす事が容易です。ここを増税すると法人税と共に雇用も失われてダブルパンチです。
困ったら誰かから税金取れって、中世の領主の考え方です。その考え方、数百年遅れていますよ。
ボーダレスなグローバル経済下で、国家の出来る事などたかが知れているのです。
最後に
だいたい皆さんの意見がわかりました。やはり政府頼りの方が多数派を構成していますね。
赤字国債発行しろの人は、子供に借金を残しながら「未来へ投資した」と仰る森元総理のご同類で失笑を禁じえません。
増税を安易に言う人は「俺より稼いでる奴から取れ」の感覚丸出しで清々しいです。
実際は年収400万程度から所得税増税、消費税15~20%まで既定路線なのですが、実現するまで夢を見ているのは自由です。又は年収400万も無い人達なのかもしれませんが。
SMAPはジャニーズじゃないから。って栄光ある孤立気取ってたスマオタ達がここぞとばかりに楽しく他Gや向こう側のマネを叩いてるの腹が立つ。スマオタに嵐を異常に嫌う層が一定数いたのは知っていたけどそれどころか他G全員敵みたいな考えのクソモンペ多すぎ。
セクゾ、キスマイ担でスマオタかわいそう…協力します😭って言ってる子達考え直したほうがいいよ。飯島のせいで後列に下げられてステージ上から消されたのはもちろん知ってるだろうけども、共演するたびスマオタ達はあなたの自担にゴミ邪魔目障り。スマと共演できる実力あるわけじゃないから大人しくしてて。ってひどい言葉たくさん言ってたの知ってる?飯島お得意のバーター手法なのにね。
向こう側を下げるのは悪を倒したつもりになって、自分たちの気持ちもスカッとして楽しいだろうけど、実際はタレントは誰も悪くないしそれをするたび他G担に傷ついてくヒトが増えてくよ。これからジャニーズ事務所所属としてまた新しく頑張っていくしかなくなったのに、わざわざそこを荒らす意味ってどこにあるの?SMAPをいづらくしようとしてるとしか思えないんだけど。
ジャニーズ自体が嫌いだったり理解不能な正義感から事務所を悪にしたい人たちのヘイトに乗っかって、タレントが活躍しにくい状態にするのはジャニオタ全体の損失になると思う。
この感覚的な話が通るならわりと話が早い。
子供は?望んでその機能を捨てたわけではないのに、使えないの?
というのと、単純に夫婦別姓は、何かとのバーターではなくアイデンティファイできる機能をもつ呼称が失われるだけなのだから、
失わなくて済むのならそのほうがいいでしょ。という話に戻る。
「統一的な名前がつけられた家族」が無いとその下の個人が認識しづらくて困るんじゃないか、という意見にはかなり飛躍を感じてしまうのだ。
個人?個人の話はしてないぞ?
個人は夫婦別姓だろうが同姓だろうが単一の戸籍名があるんだから、どうあれ認識できるに決まってる。
なんか主客が伝わってない感じがする。
簡単にまとめると
「日本人は、(自分自身を含め)人を特定の集団の中の立場として認識する傾向があるため、家族という集団においても統一的な名称があったほうが都合がいい」
「夫婦別姓には、系譜を示すタイプのものでない限り特段の機能はないので、同一姓の機能の価値をどう評価するかは主観に依るが、少なくとも無いよりはある方がいい、という単純な理屈で、夫婦別姓よりも同姓のほうが有効である」
ということなんだが。
そのバーターとして、孫や子への貯蓄ではなく消費前提の
生前贈与をより緩くする辺りなんだろう
というか、そういう流れには一応なってるし
そこは煽って行ったほうが経済は回るし
だから、この、教育に使うなら相続税を軽減するよ、っていうのが最も不公平を生む、最悪の政策だと思ってる。
これによって、クズな金持ちの子供が屑な教育で屑な人間ができていく。
その先、世の中を良くするでもなく、クズのクズによるクズのための世界を作っていく。
そんな屑だが、それ以外の金を持って無く、学歴を取れないと上にいけないシステムをどんどん作って行くことで
だから子供の教育に使うなら減税する、なんてのは最悪の政策であってはならない。
新しい案ではなく、ゼロベースの見直しだったけど、毎日新聞と切込隊長が事後的に私と同じように安保法案との関連を言っているので、まあ当たったということにしよう。
安倍晋三首相が17日、総工費膨張で世論の猛反発を浴びた新国立競技場建設計画の「ゼロベースでの見直し」に踏み切った。秘密保持を徹底し、入念に選んだ「決断」のタイミングは、世論調査で内閣支持率を押し下げている安全保障関連法案の衆院通過翌日。不支持が支持を上回り、採決強行でさらなる支持率低下も見込まれる中、反転を狙い局面打開を図ったようだ。
http://mainichi.jp/shimen/news/20150718ddm003050023000c.html
安倍政権がついに新国立競技場の計画見直しを発表しました。安保法案の問題とバーターにしているあたり、時期を待っていた節はあります
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yamamotoichiro/20150717-00047605/
確かに、社会のレールから外れた時の疎外感、ってなら女性より男性の方がキツいかもしれない。
でもそれも、元々敷かれた社会のレールが女性の方がより過酷なものだった
(「家事育児介護仕事全部やって稼ぎは夫に渡す」か、良くて「専業主婦として家事育児介護を全て行い夫に絶対服従」だった)からこそ
大量の女性がそこから離脱したがった&離脱する女性の心情が世に広く受け入れられたことの結果なわけで。
男性向けのレールはそこまで過酷ではない分、離脱したがる男性が少ないし離脱した男性への目が厳しい(「あの程度すらできねーのかよpgr」的に)わけだ。
それとのバーターだよね。
そういや大元のhttp://togetter.com/li/824984のブコメで、kyslogという人のコメントが絶賛されてるから読んでみたら
典型的「子を持つ事=権利としか思っていない男性」で頭痛くなった。
男性の「身体的負担皆無で子を持てる」「子に対する責任回避が容易」と言う圧倒的な優位性は無視なのな。
それと「自分の意思のみで子を持つ事が出来ない」ってのはバーターだろうに。
そりゃまあこれは人工子宮でも開発されない限りどうしようもないんだけどさ。
そもそもこの話でも一番割を食ってるのは弱者男性じゃなくて不妊女性だろう。
「義務」とされている事を自分の意思とは関係なく果たす事が出来ないのに「義務」故に男性よりも非難されるし
子を産む前提で給与や社会的地位を低く抑えられているのに「独身税」は取られるわけだから。
定番の「男が専業主婦と結婚する=専業主婦を養ってやっている」と言う勘違いも加わっている、典型的「勘違い自称弱者男性」だろこの人。
男が専業主婦の生活費を払うのは主婦業をやらせる為の対価を払っているだけであって、一方的に施してやってる訳じゃない。
それとも家政婦雇って給料渡すのも「養ってやっている」とでもいうのか?
そして高収入女性も専業主夫を養うべき!って、じゃあ専業主夫も専業主婦並みの労働義務を果たしやがれ。
最大の義務である「出産」が出来ないんだから、少なくとも「子供を産む気がない専業主婦」並みの事は出来ないと話にならんわ。
そんな「自称弱者男性」なんぞ見た事ないけどな。どいつもこいつも「専業主婦=三食昼寝付で銀座でランチ、カカア天下で夫を尻に敷いてる」レベルの認識の奴ばかり。
頂いたコメントへのリプライとして、ちょっと補足したほうが良いかなと思ったのでまた書きます。
全ての労組が政治色が強いわけではありません! 特に各職場の労組(単組)レベルでは政治色がほとんどゼロのところも多いのではないでしょうか。
人気ブコメの中に
というコメントがありましたが、私たちの職場の労組は実はかなりこれに近いです。
私たちの労組は政治色は殆どゼロであり、事実上「職場環境の改善のための研究所内互助会」的な組織です。執行委員も各部署内での持ち回り任命(任期もだいたい2〜3年)なので政治色を前面に出す委員も居ないし、もし居たとしても周りの委員におそらくドン引きされるでしょう。
活動としては組合員・非組合員の区別もそれほど強くせず、職場環境の改善にフォーカスすることに徹しています。近年は最重点の課題として「契約職員の処遇改善」を訴え続けており、交渉も続けています。そのことが評価されて、なのかどうかは分かりませんが、研究所系の労組としては珍しく近年も加入者数を増やしています。(大幅アップとまでは言えませんが)
なので、先日の話は「そんなノンポリな労組でやりがいを持って活動してたんだけど、いざメーデーに動員されてみたらいきなり政治色が強くてドン引きした!」という話です。全ての労組が政治色が強い、とかそういう話ではありません。
なので、もし「労組って政治色が強くていやだよね」と思っている方々におかれましては、政治色の強さは各単組によって大きく異なると思われますので、執行委員の経験がある方に「うちの労組はどのくらい政治色が強いですか?」と聞いてみると良いかと思います。
少なくとも私の場合、単組レベルでの活動に全く違和感はありません。違和感があるのは上部組織でのレベルの話しです。
そういうことですよね。
殆どの活動は単組レベルで完結するのですが、研究所間で連携して対処しなければならない案件もあり(具体的に書くと秒速で地域が特定されそうなので書きませんが)、上部組織とも一定の友好的な関係を保つ必要があります。また、各単組の身の丈を超えること(メーデー開催とか)については既存の組織力のある団体に頼らざるをえない部分があるのかと思われます。
そこでそのような「組織力の強い団体」に協力を仰ぐと、バーターとして政治色が不可避的に入れられてしまうようです。「うんざりだけど、しょうがないよね」というご意見もありますが、私の意見は「しょうがないけど、うんざりだよ!」というものです。
「職場環境の改善のための互助会」としての私たちの単組の観点からは、加入者数の増加はその単組の「戦闘力/正統性の増強」に直結するのでとても大事なのですが、あまりに強い政治色を見せつけられると加入者数が減りかねないので本当に止めてくれないかなあと思わざるを得ません。
まあ実は上部組織ってどういう人が牛耳ってるのか実は良く知りません。単組のいち執行員レベルだと上のことはよく分からないのです。
実際のところはどうなのでしょうか。意外と若い人も多かったりするんでしょうか?
誰か詳しい人がいたら教えて下さい。
「今どきいくらなんでもメーデーでこんなこと言わないだろ」「全労連系だったら今はもう安保粉砕って言うはずないよね」などのコメントが実は一番ほくほくいたしました。一連のブコメを「良識派の市民の声」としてプリントアウトして上部組織の会合で回覧させていただけるよう動いてみたいと思います。あの現場を共有していた幹部の方々が何とおっしゃるのか楽しみです。
「これ書いてるのぜったいあの人だな」と思ってもそっとしておいてください。もしこの話題がでても知らん顔しますのであらかじめご容赦ください。
http://anond.hatelabo.jp/20141229205000
http://anond.hatelabo.jp/20141230221445
井岡戦
KOシーンは素晴らしかった。武器であるノーモーションの左ジャブの完成度が高くなっていた。
でも元々井岡の強みは距離感を保ってディフェンシブで技巧的なボクシングができるところだった。
今日の試合はややオフェンシブに戦っていて、被弾率が高かったように感じる。
他に気になったところは、王座陥落したアムナット戦で効果的に効かされていたアッパーに対する対応が未だにできていなかった。
覗き見ガードの欠点といえばそれまでだけど、距離感を保つなりボディーワークを使うなりしてアッパーに対応したいところ。
天笠戦
実力から見れば良く戦っていたと思う。
ダウンを取った7ラウンドまでは一方的なボクシングレッスンという感じで圧倒的に不利だった。
特に横の動きには全くついていけていなかった。
リゴンドーの慢心、隙にうまくつけ込めたのは良かったし、千載一遇のチャンスが7ラウンドだった。
リゴンドーはゴングに救われた感があったが、次の8ラウンドで手が出なくなったところでこの試合は終わっていたように思う。
リゴンドーの回復後はギアを上げたリゴンドーのワンサイドゲームだった。天笠のドクターストップは仕方ないとしても、ダウンを取られたのは今後のキャリアを考えると痛手。
もしダウンが無ければ天笠次第ではもう一度大きい試合につながる試合だった。反対にリゴンドーは最後仕留められて商品価値の暴落を逃れられた。
高山戦
まだ見てないので後で書きます。
TBSはラウンドの時計をカウントアップじゃなくてカウントダウンにした方がいい。解説が酷い。特に鬼塚。録画容量が増えるんでスポーツバラエティとバーターにしないで欲しい。
今の日本人の流れとしては、複数階級制覇が一つの目標とされているけども、ベストな階級でより強い相手と戦い、高いパフォーマンスを示す方が長い目で見ればいいように思う。
ロイ・ジョーンズとバーナード・ホプキンスのキャリアが大きく別れたように、複数階級制覇でパフォーマンスを下げるのは長い目で見ればマイナスだと思う。
僕は数年来のにわかボクシングファンだけど、年末ボクシング商戦とTBSの現状について語ろうと思う。
まず、確認しておきたいのが日本ボクシングの歴史において、現在は非常に盛り上がっている時期だといえる。
理由としては、日本の総合格闘技の凋落と日本人ボクサーの世界における相対的なレベルの向上が挙げられる。
00年台の日本格闘技といえば、総合格闘技全盛だった。立ち技系のK-1と寝技ありのPRIDEという2大団体だ。
かつてはこの2大団体が興業としても、選手のレベルも世界でトップクラスだった。そのため、年末の格闘技放送は総合格闘技+泡沫色物プロレスがメインだった。
しかし、ヤクザ問題やUFC等海外団体の台頭など色々あった結果、K-1もPRIDEも消滅した。後発団体ももはやかつてのそれほどの求心力は持ち合わせていなかった。
そして、時期を同じくして日本人ボクサーのレベルは急上昇した。
かつてはファイティング原田や浜田剛史、具志堅用高など日本人ボクサーのレベルは世界の中でもレベルが高かったが、日本人ボクサー冬の時代が訪れていた。
世界的にはボクシングチャンピオンというと、各階級ごとに4つの団体があって、その一つを保有することで世界チャンピオンになれる。
WBA、WBC、WBO、IBFの四団体で、さらに暫定王座やスーパー王者などがあり、世界チャンピオンは階級に一人ではないのだ。
冬の時代のボクサーはこのうち最も弱いチャンピオン(俗に穴王者と呼ばれる)を狙って世界戦をしていた。
それでも勝ち切ることができなかった。勝ったとしても、防衛戦が待っている。そこでも弱い相手を迎えるのだけれど、負けてしまうことが多かった。
日本人チャンピオンの数は冬の時代に比べて格段に多くなり、さらに防衛戦でも勝ち続けているのだ。
それだけにとどまらず、世界戦で強い相手と試合をすることがとても多くなった。
軽量級世界最強と呼ばれるローマン・ゴンサレスとマッチメイクをした八重樫東の世界戦は記憶にあたらしい。
それは、今の世界ボクシングの風潮がビッグマッチ思考といって、世界王者であるということよりも、実力者に勝つことが重視されることもあるだろうし、アジア人のマニー・パッキャオが世界トップクラスのボクサーとして評価を受けていることもあるだろう。
日本人の西岡利晃がメキシコでジョニー・ゴンサレスを、ラスベガスでラファエル・マルケスを破ったこともあるだろう。
なにはともあれ、日本におけるボクシングの注目度は今世紀最高であるといっても過言ではない。
さて、こうしたわけで年末の格闘技には当然ボクシングが放送されるわけだが、テレ東、フジ、TBSの3局がボクシングを放送する。
TBSが育てたチャンピオンとして最も有名なのが亀田兄弟である。
放送権をTBSが囲い込み、対戦相手は徹底的に弱い相手を選ぶ。後はキャラクターと試合前の煽りVTRで視聴率を取る。
試合は日本で行われ、判定に持ち込めば地元判定と謎の疑惑判定で有利に戦う。これぞボクシングの黒い部分だ。
しかし、亀田兄弟はやり過ぎた。日本ボクシング協会の逆鱗に触れ、日本追放された。
手持ちのボクサーが失われたTBSは新たな手駒として井岡一翔を中心とした井岡ジムの囲い込みに出た。
井岡一翔は若手の中でも実力者で、ファンの中でも評価は非常に高かった。かつては。
しかし、井岡一翔もTBSボクサーに成り果ててしまった。マッチメイクは段々とレベルが落ち、弱い相手としか戦わなくなった。
その上、弱いと思った相手が想定外の奮闘をした結果、一方的な内容で負けてしまった。なぜか判定は僅差の判定だったが。
そのTBSが、ボクシングを愚弄しているとまで言われたTBSが、年末にギレルモ・リゴンドーの試合を放送する。
これはかつて東京でマイク・タイソンが世界戦をした以来であると言っても過言ではない。スター性は別だが、傑出度とクオリティという意味では間違いないだろう。
ここでギレルモ・リゴンドーの紹介をすると、アマチュア時代にあらゆる大会で勝ちまくり、キューバから亡命して鳴り物入りでプロデビューした。スター候補としてだ。
その目論見は半分はあたった。リゴンドーはプロのリングでも無類の強さを見せ、かつて日本人ファンの期待を一身に背負った西岡利晃を寄せ付けなかったノニト・ドネアを完封した。
この一試合でリゴンドーの名は軽量級最高峰として轟いた。かに見えたがリゴンドーはスターにはなれなかった。
その試合内容があまりに堅実で、テクニカルで、盛り上がりに欠けたからである。
打たれずに打つというボクシングの本質を体現したリゴンドーの試合はその完成度と裏腹にエキサイトできないものであった。
結果的にリゴンドーはアメリカのスター戦線、ドル箱スター街道から干されてしまった。ショービジネスの悲しい側面である。
あのリゴンドーが地上波で見られるというのは恐ろしいことである。
あろうことかこの放送をスポーツバラエティ番組とバーターにしてしまう所がTBSのTBSたる所以なのだ。
井岡は名も無きロートルとノンタイトルマッチを組み、リゴンドーは名前も出ない。もう一試合にはノーコメント。
せめて井岡だけでももっとエキサイトできるカードを組めば、年末ボクシング商戦で頭一つ抜けられるところだろう。
ボクシングなんて野蛮なものは見ないというはてなユーザーに年末の注目カードを伝えておく。気が向いたら見て欲しい。
日本人最速世界王者に加え、マッチメイクが素晴らしい。強い相手としか戦わないという宣言通り、強い相手と戦い続けている。今回のナルバエスも王座11度防衛の強敵だ。
そして八重樫東。軽量級最高峰との呼び声高いローマン・ゴンサレスと戦い散るも、その勇姿はファンの心を踊らせた。回転の早い連打に注目が集まるが、フットワークを使ったアウトボクシングが光るスピード溢れる選手だ。
ホルヘ・リナレス(これ放送するのか?)は日本人に馴染みが浅いが、幼い頃から日本のジムで練習を積んでいる。ハンドスピードが早く、スタイリッシュなボクシングを展開し国内では敵なし。海外でも有力選手を退け、スター街道を歩むかに思えたが、打たれ弱いのが玉にキズ。イケメン。
そしてリゴンドーだ。天笠選手はここでいい結果を出せば一気に世界に名が広まる晴れ舞台だ。
さて、年末が楽しみですね!
ブログで書いて色が付いたりステマと思われるのもアレなのでここに書く。増田って便利。
衆院選の投票先を真剣に検討した結果、幸福実現党に入れることにした。
最近はてな界隈で書かれてる、自民以外の投票先がないという流れの中での自分としての帰結だ。
散々言われたように、リフレ理解してる人間にとっては、実際問題として自民以外の選択肢はほぼない。
だが自民と言っても、安倍一派以外はハッキリ言って経済音痴ぶりは民主党と全く変わらない。
もし党内政争で安倍一派の実権が失われれば、その途端に民主の地獄の三年と大差ない状況になるだろう。
その安倍一派さえ、実際にはマクロ経済の理解は非常に表層的だ。
多少なりとも本質的な理解してたら、あのタイミングの消費増税なんてあり得ないし、ましてや景気条項削除なんてバーターとしても呑めるわけがない。
安倍政権が続いたとしても、他と比べればデフレが悪化しないというだけで、脱却はかなり危ういと個人的には思っている。
だから、経済政策に妥協しないとすると、本当に実効のある選択肢が全くない。
仕方がないので、今回は意思表示のための投票をすることにして、泡沫含め各党の政策を見ていくと、幸福実現党はいいブレーンに金使っているのか、なんかきちんとマクロ経済的な裏付けのある経済政策を打ち出してるんだよね。
社民や共産のようなガチ左翼的な減税の主張ではなくて、リフレの意味わかってる。財政政策が再分配でなく公共投資と未来産業投資なんだけど、そこは中長期の話で成長戦略を絡めてもいることなんで、当面のデフレ対策としては妥協できる範囲と思う。
もともとの得票数が0.5%以下と正真正銘の泡沫なので、自分の一票が伸び率に寄与する割合もでかい気がするし、仮にこの党が現得票数がちょっと伸びたところで議席を獲得するに及ばないと思われる。
わかるよ。同人誌における金銭のやりとりって、はてなスターくらいのモチベーションになるよね。
もしかすると、イベント会場で購入できて再換金できない仮想通貨を作り、それでやりとりするとかでも満たされる欲求かもしれない。
それなら無料配布と同等にみなされるかな?
それはさておき。
こうやって二次創作が問題になるのも、それを楽しむ人が増えて規模が大きくなってきたから、そしてネットなどでそれが可視化されてきたからだと思う。
何でも規模が大きくなると、小さく楽しんでいた時のようにはいかなくなる。
でも大きくなって良かった事もあるはずだ。昭和の頃よりも今は同志を見つけるのがずっと簡単だし、他の人の二次創作にもずっと簡単に触れられる。
新しいジャンルも日々生まれて、公式のグッズなんかも充実している。
200部制限みたいなシステムは、そういう良い事とバーターなんだろうと思う。
特に制限を設けない代わりに昔のように流通も出会いも限られるようになるとしたら、私はやっぱり制限があっても今の方がいいな。
きっとこれから、新しいシステムにあわせて皆が試行錯誤するだろう。
その過程でより良い解が出てくることを期待してる。