はてなキーワード: オフとは
すっかりおっさんになってしまい、映画の出来・不出来を語り合う友人も周りにいないので、ネットに書いてみることにした。
ネタばれ多数。未見の人、傑作だと思っている人は読まない方がいい
結論を簡単にまとめると、映画的に正当な続編になっていても、あの時代設定のSF的な延長になっていないと思った。「メッセージ」は傑作だと思ったんだけどなー。
自分がブレードランナーを見たのは、初回公開時の16歳のころ。名古屋で「燃えよドラゴン」と2本立てだった。
ひとつは、地続きの未来がバラ色じゃないというビジョンを、明確に具体化したこと。
それまでの地続きの未来のイメージは、2001年宇宙の旅(1968年公開)とか2300年未来への旅(1976年公開)とかに描かれた、ピカピカのスゴイ科学の世界だった。
2300年未来への旅はディストピア映画だけれど、誰も見たことがない輝かしい世界を描くとき、ピカピカに描くのが当時は当たり前だった。
それに対して、文明が衰退した未来を描く映画やSF小説は、あくまで核戦争でという分断された未来に位置付けられていた(地球が燃え尽きる日:1976年公開、マッドマックス2:1981年公開)。
スターウォーズ(1977)やエイリアン(1979)で描かれ始めたように、スゴイ世界なのに汚い・ポンコツな世界が地続きで存在しているという、(当時にしては)画期的なビジョンがブレードランナーで完成した。
ブレードランナーの未来が暗い理由は、原作小説とは違い環境破壊のせいだった。いつも酸性雨が降っているという地球温暖化を先取りしたような設定。
そのために、人類の多くが宇宙に移住して、それでも残っている人々は人口過密の大都会で生き延びている。
自然破壊が進んで本物の動物がほとんど死に絶えていて、映画で登場する動物はほとんど全てレプリカントという世界だったんだよ。
もうひとつインパクトが強かったのは、レプリカント(ネクサス6型)の設定。人間よりも肉体的にも頭脳的にも優れているけれど、感情移入能力が著しく低いというあたり。
コミュニケーション能力に問題を持ち、常日頃から疎外感を感じている世界中のオタクの琴線を捉えたんだと思う。
ただし、ディガードがレプリカントではないか、なんてネタはディレクターズカットあたりが公開されるまで考えてもみなかった。
ビジュアル的には、現代の当たり前をひっくり返しているところがまるでなく、前作のインパクトに及ばない。
そして前作では、人間であるかないかに関係なく、自分の生命にジタバタすること自体が生きること、だったはずなのに。
今作では、誰かのため、大義のために生きて死んでのが人間という話になっていて・・・それって、非人間的な重労働を強いられるレプリカントの存在そのものじゃん。
つい最近、ボート・アンド・トートバッグ・ジップトップ・ミディアムと、ショルダー・ストラップ・トート・スモールを買ったよ。
カラーはすべてネイビー。
2つともモノグラム入れた。
モノグラム代高いっす…。
品質のわりに高すぎる印象があったんで、セールをひたすら待って、トート全品20%オフセールのときに、ブーツモービル来店記念特別クーポン20%オフを重ねて、さらにL.L.Beanカード初回特典500ポイントも使用して爆安で買った。
ミディアムトートはA4サイズの書類が入るサイズで、荷物もたっぷり入るし、生地が堅いためトートが自立するので重宝しているが、ショルダーのほうはほとんど使ってない。
見た目はいいんだけど、硬いショルダーストラップが肩に当たって、しばらく歩いてると尋常じゃないくらい痛くなってくる。
字書きの同人女なんだけど、自カプのロム専がとにかく字を読まない。
最初は私がへたくそだからか?と思ったけど同カプ字書きと話してみたら、やっぱり小説は弱いカップリングらしい。
それはまぁいい。小説を読まない層は一定数いるし、漫画の方が花があるもんね。
例外もあるかもしれないけれど、小説より漫画が求められるのは多くのジャンルでそうだと思う。
そうだとは思うんだけど、最近はやっぱりきっかけは欲しいなぁとは思う。
一つ前のジャンルも漫画の方が強かったんだけど、そこでは字を読む絵描きがわりと多くてオフで会った時とかに「誰さんの小説オススメ」とか「誰さんの新刊よかった」とかが結構あった。
交流する人とかだと小説にイメージイラストつけさせてもらいました、とかってツイッターでやり取りがあったりして「絵描きさんが呟いてたから読みました」とかで宣伝になったりしてたみたい。
まぁ大体はその絵描きにお近づきになるためだったりしただろうけど、それでもツイッターで呟かれて【きっかけ】を作ってもらうことで今まで読んだことのない層が知ってくれたりするっていう効果もあったらしい。
私も字書き、絵描き、ロム専問わず、何度かピクシブのURLと一緒にツイッターで呟いてもらった事がある。
その時は「ありがとう!」ぐらいのライトな気持ちだったんだけど、イベントで「最初は○○さんが呟いてたから読んだんですけど、小説すごく面白くてそこからずっと追いかけてます」と声をかけてくださった方がいた。
呟いてもらったからって必ず読んでもらえるわけじゃないし、私自身の技量とか、読み手との相性とかそういうのもあるから毎回上記みたいなありがたい結果にならないのは重々承知してる。してるんだけど、本当に小説が弱い自カプ。
すごいんだ、すごく素敵な小説がごろごろしてるんだよ。少なくとも私にとってはたくさんあるんだ。
なのに自カプの規模に対して閲覧数が少ないんだ。他のジャンルより、他のカップリングより圧倒的に閲覧数が少ないのがなんかもうつらい。
私の書いたものじゃなくていい。
私のじゃなくて全然いいから自カプの皆様は素敵だなって思ったもの共有してくれ……
ツイッターで呟かなくてもいいよ……支部で公開ブックマークつけてくれればフィードにでるから……もうそれだけでもいいから……
そういうなかから、行動化を防衛機制の一つとする見方も出てきています。
本来の防衛というのは、そういう「不適応行動」をしないための手段であって、その主たる目的は「自分の内面を平穏にする」「自分の中で葛藤が起こらないようにする」「自分の内面に葛藤を抑えてもっていられる」ということなのです。
もっていられる能力は人によってかなり違いますけれども、もっていられないものをなんとか始末してしまう方法というのが防衛機制であるわけです。
(中略)
つまり、行動で発散してしまうので自分の中で葛藤を溜め込んでもっていないで済む。
防衛的な観点から言えば、そのやり方によって自分の内面の葛藤状態を予防している、または解消しているといえるわけで、
現代において、精神医学もしくは臨床心理学の対象が「葛藤を抱えていられない」になりつつあることは諸家が指摘する通りだと思う
社会的に「自由」というものが認められず、人々が単一の規律や常識などに従わなければ生きられなかった時代においては
治療者の対象は「自分を抑えてしまう」ことが成因になるような病理が対象であった
利便性と選択肢の増加は、欲求や葛藤の解消をインスタントなものへと変化させた
「辛くなればやめても良い」「苦労しなくても退屈は紛れる」「ネット越しなら誰かを批判しても、見なければ反論は来ないし直接的な被害はない」「自分の歪んだ欲望も受け入れ、肯定し、賛同・共感してくれる場所がすぐにみつかる」
しかしその一方で、いざ職場に行けば規律を守ることを要求され、規定時間以上の労働に駆り立てられ、下手をすれば休日も返上して出勤する
私生活における幼児的万能感の世界と一転して、社会生活で要求される自己への規制は非常に強いものとなっている
このアンバランスさは、時として人を分裂させる
「私生活としての私」と「社会に生きる者としての私」は、かつてないほどに乖離し始める
もはや、「社会人としての私」は「本来の自分」から離れ、自我親和的とはいえない
48時間チャレンジの記事を見て、「これ、ボーダーの子の試し行為じゃん」と思った人もいるだろうか
素直に甘えを表現することへの葛藤も処理できず、かといって甘えたい欲求を別の形で処理することも出来ず
明らかに不適応な形で自らの親密・依存欲求を満たす行為のように見える
自立と依存の葛藤を維持し、家族ではなく他者に親密さと依存の対象を広げていく過程にある青年期において
家族へ依存欲求を失踪という試し行為の形で達成するのは、どこか歪んでいるようにみえる
満員電車というのは、名前も勤め先も知らない人々が密着した状態で、強制的に一定の時間を過ごします。辛いから何も感じないように、大抵は自分の感情のスイッチをオフにした無の状態になる。そんな異常な空間の中で、ふいに女性に触れてしまうと、それが予想もしないくらいの衝撃的な体験になってしまう。
私はこれまで200人以上の痴漢常習者をヒアリングしてきましたが、彼らの多くはその最初の感覚を『身体に電撃が走った』と言います。本人が意図せずに触ってしまって、そこから『あ、こんな柔らかい感触があるんだ』と衝撃を覚えてしまう。少し言葉は悪いですが、痴漢の始まり方はこの“ビギナーズラック”のパターンが一番多いんです
公私での混同を許さなくなった社会では、時として人格の解離が状態化する
「辛いから何も感じないように、大抵は自分の感情のスイッチをオフにした“無”の状態になる」という一文は示唆に富む
私では過剰に発散し、公ではひたすらに抑圧し何も感じないようにする
自我自体は脆弱なままなのに、その空間に他者の柔らかい感触が侵入してくる
そうすると、脆弱な自我はもはや「触りたいけど触ってはいけない」という葛藤を維持できず、行動化に移る
現代においては、そうした前エディプス的な段階での病理が多いように思える
物質的に富、自由と自立が個人の裁量で賄われるこの時代においては
社会的な規律によって自我機能が助けられていた時代より、葛藤処理が個人の自助努力にのみ任ぜられるために、かえってバランスを欠いた人間性が生じやすいのかもしれない
ここのところSteamパブリッシャーSakuraGameに関する問題が次々と浮上してきている。
ついにはゲーム開発者の合意なしにストアページを公開したということさえ明らかになったが、近い知り合いも同じことをされていたので日常的にこういうことをやっているのだろう。
ここの問題は、まだまだ根が深いので、こちらでつかんでいる情報をもとにいろいろ掘り下げてみようと思う。
SakuraGameの問題は(細かい誤りはあるものの)この記事にうまくまとめられている。:
https://maruhoi.com/game/chinese-publisher-sakura-game/
Sakuraの英文翻訳の質は非常に低く、ゲーム内の画像の改変も相まって中国以外での海外の評判は記事の中にある以上に散々である。
https://i.gyazo.com/aa574362f00b7ec5905a67809375fc5e.jpg
イケメン「オーケー、この地位のためならオレはすぐに妊娠してやるぜ」
(一体何のギャグか…)
Steamのシステムは、プロモーションから販売までほぼ全てSteam内で完結するよう閉じた形に設計されている。
それだけにデベロッパーやパブリッシャーの信用や評価が非常に重要となる。
通常はクオリティの低いゲームを乱発するより質の高いものを安定したペースで販売したほうが長い目で見ると多くの収益をあげるチャンスがあるのだ。
この画像はSteamSpyのSakuraGameの販売本数(の予想)を発売日順に並べたものだ。:
https://i.gyazo.com/d618a72102165431d2641cbb3f462c0d.png
8月以降にリリースされたゲームは一つを除いて10万本を越えるものはなく、少ないもので数千本。
SteamSpyの販売数には返品されたものも含まれているし、ゲームが一番売れるのは40%や50%オフのとき、更に各国のVAT(消費税)も差し引かれるので実際の売上額は先にリンクしたブログが予想するよりずっと少ない。
「数百万円でライセンスを買い上げた」という景気のいい話もあるが、実際会社として300万円の元を取るとなると5.5-6.5万本あたりが損益分岐点だろう。
Steamでは新しいジャンルのゲームをリリースすると大きな売上を上げることがある。
しかし、たとえ一本目よりできが良くても二本目、三本目となるにつれ、その売上は大きく下がってゆく。
画像の販売数の推移をみると、Sakuraのゲームも同じ道を辿っているのがよくわかる。
これから時間が経つにつれ、ある程度売上は伸びるだろうが、現状売上が数千本というものもあるから、これではやっていけない。
現に彼らも今後同じ収益を上げ続けることが難しいのことを自覚しているらしい。
私が話を聞いたデベロッパーにはロイヤリティ(歩合)制(しかも機械翻訳にしてはかなり向こうの取り分が多い)でオファーが来たそうだ。
彼らが強引なまでにゲームのリリースを焦るもう一つの理由は中国政府によるSteamアクセスのブロックを見越していることだろう。
中国では近年ネット検閲を強化しており、ついこないだ突然pixivが中国からのアクセスがブロックされたことも記憶に新しい。
既に中国ではSteam対抗サービスも始まっており、中国のゲーマーの間でもSteamブロックはいつになるかは分からないが時間の問題であると捉えられている。
彼らにとってもう一つの問題は、彼らが中国ではご禁制のポルノメディアを取り扱っており、いつ官憲によって潰されてもおかしくないということだ。
これは中国のSakuraGameについての記事だが、この中でもパクリとエロの問題が取り上げられている。:
http://www.chuapp.com/article/283291.html
Sakuraは現在デベロッパーなどにコンタクトを取る際など、公には香港の会社を名乗っている。
https://gyazo.com/f135d7da6b5a5d0c52a2a753c1a3af14
(以前の場所は「四川(Sichuan)」であったが、最近活発に活動するにつれ「香港」に改められた)
しかし、以前ゲームのクラウドファンディングをした際の会社の所在地はなんと「東京」。
https://gyazo.com/1231adf2021567c1e3f46585b228c6a6
https://www.indiegogo.com/projects/love-love-adults-only-18-sex-games#/
https://www.indiegogo.com/projects/dragons-hunter-a-2d-action-rpg-game-ios#/
https://www.indiegogo.com/projects/dragonia-game-games#/
先にリンクした中国語の記事によると、Sakuraは四川省成都でスマホゲームを制作していた会社とされている。
四川のゲーム関係者に聞いたところ、一応ここが拠点であると見て間違いなさそうだ。
しかし、さらに親会社がありそうとのことなので、その実態は謎に包まれている。
機械翻訳だったり、画像に手を加えたりするので作品本来の内容が失われてしまう。
それに対するサポートもしていないので、必然的にユーザーの不満が開発者にも向く。
また、安物のイメージが定着してしまうので、その後海外展開する際にも値段の選択肢が極端に狭まる。
SakuraGameの売上は下がっており、このまま継続して大きな収益を上げ続けるのは難しい。
彼らもそれを意識しており、少々強引な手段に訴えてでも稼げるうちに稼ぎたいと考えている。
その後海外で日の目を見ることはなくなる可能性が高いし、巡り巡ったライセンスがどういった使われ方をするかもわからない。
ライセンスを取り戻すことも作者の意に反する使い方に抗議することも非常に困難になる。
記事を書いた後、SakuraGameに関わった人たちからさらにいくつか確認できたことがあるので追記しておく。
確認できたのは契約金+ロイヤリティ(歩合制)、契約金のみ、ロイヤリティのみという3パターン。
ロイヤリティや契約金の額といった条件はデベロッパーによって大きく異なる。
入金は適切にされており、明細も(データで)送ってくれるとのこと。
つまり、Steamで100円で販売したゲームのロイヤリティが50%の場合
100(販売額)-30(Steam利用料30%)-35(SakuraGameの取り分50%)-7(中国の税負担約20%)=28
(実際には売り上げから各国のVATが源泉徴収されるので実際の受取額はもう少し下がる)
ニコニコ動画にアップされていた某ライブ映像を見て、衝撃と感動を与えられて、DVDを購入した。
ニコニコには全編がアップされているわけではないから、もちろん最初はDVDの映像が新鮮で何度も見まくったが、それから改めてニコニコで見たら、DVD購入前とは違った気持ちでコメントを読むことができて、ますます楽しかった。まずなにより、みんなといっしょに盛り上がることができるのがうれしい。コメントで自分が気付かないような映像の注目ポイントを教えてくれることもある。背景や豆知識が得られたりもする。
ニコニコのコメントが苦手な人もいるのは知ってるけど、わたしのようなコメントフリークも多いはず。いまやテレビも実況コメント付きじゃないと、ずいぶん視聴体験を損ねた気になってしまう。みんなのコメントがどんなに価値を生み出していることか。
わたしにとって、オンラインでなくDVDやBlu-rayでローカルに視聴するメリットは、画質の良さだけ。ディスクの入れ替えは極めて前時代的だと感じるし、モノにはこだわらないので、永久視聴が保証されるならディスクよりもデータで購入したい。なによりローカル視聴はコメントがないのが非常にもったいない。
そこで、最近元気がなくて心配している、愛すべきニコニコに提案したいのが、DVDやBlu-rayへのニコニコ視聴権の付与。映像作品をまるまる全編ニコニコ動画で視聴できるようにして、その視聴用コードをDVDやBlu-rayに添付するのだ。ニコニコにアップされたコメント付きの映像はDVDやBlu-rayの購入のプロモーションとしても優れているので、一部を無料で公開するのもよいと思う。
コメント不要の人にはメリットはないかもしれないが、かといってデメリットもない。むしろコメントオフで視聴すれば、ディスク媒体から脱却できるメリットだけを享受できる。映像業界は、ディスク媒体のリッピングが違法だと主張するなら、視聴者をその誘惑に駆られさせないような仕組みを作らなければならない。
ニコニコには既にアニメや映画の有料動画はあるが、それらはあくまでニコニコ内で映像作品を見ようとしたときに見つかるもの。ニコニコにとっては、通常のDVDやBlue-rayにニコニコ視聴権コードを添付してもらうことで、新たな層にニコニコの魅力を知ってもらうプロモーションにもなるのではないか。映像作品側としても、映像に新たな価値を追加する手段として手軽で有力だと思う。
少なくともわたしは、ニコニコ視聴権付きなら、今回購入したDVD(5000円弱)で言えばプラス2000円くらいの価値を感じるし、心を打たれた弱みにつけ込まれたとすれば、プラス5000円でも購入するだろう。前時代的なディスクを避けてきたこれまでのわたしの購買行動も、「ニコニコ視聴権にディスクがおまけで付いてくる」と思えば、ずいぶん違ってくる。
幼少から楽器を習っているので、楽器全般に興味津々であり、もちろん楽器に貴賤も優劣もないと思っているのだが…どうしても受け付けない楽器がある。
トロンボーンのことだ。
すなわち、自分は直線的に飛んでくる低音が大変苦手で、必要以上にうるさく聞こえてしまう。
正直耳を塞ぎたくなるくらいやかましい上に、他の楽器の高次倍音が聞こえにくくなって、サウンド全体の魅力が半減するとか、勘弁して欲しい(音の魅力や微妙なニュアンスは高次倍音にあるので)。
一方、トロンボーンと似たような音域の楽器でも、音がダイレクトに耳に来ないチェロ、ファゴット、ユーフォニアムは全然平気どころか、それぞれに魅力的だと思えるのだが。
ちなみにトロンボーンの音と言っても楽曲のジャンルにより様々だが、ブラームスの交響曲第1番のコラールのように綺麗で澄んだ音色で吹いているものは、一応大丈夫である。
しかしご存知の通り、トロンボーンの綺麗で澄んだ音は、この楽器の一側面でしかない。
むしろメインは、時に荒々しい効果も要求される、低くビシバシした音である。これが自分は全く受け付けない。
特にキツいのは、音を遠くに飛ばすことしか考えていないような演奏をする、吹奏楽のトロンボーンである。
申し訳ないが、音楽を奏でているように聞こえないというか、ぶっちゃけ騒音に聞こえることすらある。
楽器ジョークで「トロンボーンのダイナミクスはオン/オフしかない」というのがあるが、これ以上ない皮肉として笑わせてもらった。
また他のジョークに「ホルンでトロンボーンのような音を出すには、ベルから手を出してバタバタ吹く」というのもあるが、ホルンを低い音で荒々しく吹かれるのも苦手だったりする。
もっともホルンのメインは甘く柔らかい音なので、トロンボーンほど気にはならないが(むしろプロであっても常時音程を外すほうが気になる)。
なんかひょんなことから月蝕歌劇団の公演を観てきた。
『怪人二十面相 黒蜥蜴復活篇-ガス人間第二号とフランケンシュタイン-』
『ピーターパン 月蝕版』
自分にとっては初めての月蝕歌劇団。
忘れてしまわないうちに記憶を記録に変えるため、レビューを残しておくことにする。
(月蝕歌劇団を知らない人は目の前の箱でググってほしい)
.
■全体として
これ、過去の演目を見る限り、そう間違ってはいないはず。
自分のボキャブラリでいうと、ボルヘス、池澤夏樹、イタロ・カルヴィーノ、筒井康隆、このあたり(マルケスは積ん読状態なので知らん)。
『怪人二十面相』やら『ピーターパン』やら、もとからマジカルな舞台設定の既存作品をさらに2つも3つもカットアップ、マッシュアップして、"魔法世界の中で、さらに有りえねぇ超現実が起きる"ある意味なんでもありの“ごった煮”的な世界設定を作って、舞台の制約が許すかぎり絢爛豪華なスペクタクルに仕立てる。
で、そこに昭和風俗をまぜ込んで(たとえば突然、山口百恵のワンフレーズが出てきたり、吉本新喜劇的なシークエンスが乱入してきたり)、さらに'60年代新宿のアングラシーンの楽屋オチ、「唐十郎と李麗仙が~」みたいなネタをチクリ、チクリと混ぜ込めば月蝕歌劇団になる。
.
あと、これはどうかな……はずれてるかもしれないけど。
60年安保、70年安保的な新左翼の臭いと、その文化の“祭りの終わり”みたいな寂寥感が通底しているような気がする。
自分が当時のアングラシーンの空気と政治的な空気を混同しているだけかもしれないけど。
でも、“岸信介”とか、“ロシア革命”とか、そういうワードはちらほら出てくる。
2演目とも、終盤クライマックスにマシンガンの乱射をきっかけに急速に話が収束するところも、かならず流血をみるところも、まあ、ほら、いろいろと。
.
ともかく自分にとっての月蝕歌劇団はそんな感じ。
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あと、演目の間に『詩劇ライブ』というのがあって、基本は歌唱ショー。短い芝居と群舞。
キャストの紹介も兼ねている、のかな?
.
良かったかって? うん、良かった。
ただね。
大正末期(1910年代)の冒険小説、明智小五郎シリーズが戦後(1945年~)に伝奇ロマン化したものをアングラ時代(1960年代)の空気感で舞台化しようとして、当時の若手(高取英、1985年)が古豪となって2017年に上演した作品世界に、どの時代の気分で接すればいいのか、混乱するところはあった。
寺山修司とかが登場する楽屋オチに、どの時代の気分で笑えばいいのやら。
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良かったところは……、
舞台は超現実的なんだけどプロット自体は、なんというか、それぞれの人物群が自分たちの課題の解決を目指して動くような、破綻も不条理も無いオーソドックスな作り。
ときどき舞台袖で狐舞が始まったりとか、解釈に困るような隠喩的な演出が入るほかには、ストーリーを楽しむのに支障はない。
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くわえて、これは自分が舞台観劇の初心者だからだろうけど、衣装と舞台と演技と、つまり色々と作りこんだ箱庭を見ているような感覚。
これが新鮮。
そりゃ、どんな超現実もCGでリアルに作ってしまうハリウッド映画はすごいけど、いっぽうで、いろいろと“作りもの感”のある世界を、19世紀の見世物小屋のパノラマのぞき窓みたいに見ている感覚が良い。
(どうしても想像できない人は、映画でいうと
あたりを思い浮かべてください)
同じビジュアルスペクタクルでも、モデリングとレンダリングが古びてしまったら一気に観る価値がなくなってしまうVFXではなくて、どんなに古びても観ていたくなる、吊り操演とミニチュアと火薬の特撮みたいな。
.
で、そこに少女歌劇団(厳密には若手女性主体の歌劇団)の、なんというか、キャッキャウフフ感がのっかってくる。
実際、終演後にはチェキの時間があったりと、アイドル公演的な。
(昨年だか一昨年だかに『アリスインデッドリースクール』を観たときにはチェキと握手会があったけど、そういうのって少女演劇のスタンダードなのか?)
というわけで、全体として
.
1)呪術的なストーリーテリング
2)箱庭的な幻想感
3)若い娘さんたちが頑張ってる感
.
が、それぞれX軸、Y軸、Z軸に広がって立体的にホンワカした気分になってくる。
これで役満。いい気分。
.
.
■岬花音菜
歌、ダンス、芝居、3枚そろって超人。
もともと彼女がアンテナに引っかかったから舞台を観に行ったわけで。
行く前は「ひょっとしたら芝居が弱いかなー」と思ってたけど、そんなことはなかった。
純朴ショタ(少年探偵団の小林少年)からガラッパチ女子高生まで演じ分けていた。
いま確認したら、全体の振り付けもやってる。スゲェよこの人。
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■白永歩美
上に書いた岬花音菜嬢がトップか一枚看板かと思ったら、すごい人がいた。
白永歩美。
OG客演なのか、現役トップなのか、よくわからん。(そもそも一般的な意味でのトップと、月蝕歌劇団の“ヒロイン”とか“トップ”の意味が違うのかもわからんが)
動いて良し、喋って良し、歌って良し。加えて舞台向きの強力な眼と唇、長い手足その他ビジュアル。
ピーターパンになって最後は飛ぶ(榊原郁恵ばりとは行かないけど)。
普段は何やってる人だ? 専属か?
.
■白川沙夜
コメディ、アクション、ストーリーテリング、怪盗紅あざみのパートはほとんど彼女一人で回していた。
アンサンブルも彼女が周囲をブン回している感じ。(いや、周りが抑制しているのか? そこまでの鑑賞眼は俺にはない)
イヤそりゃ紅あさみ役なんだから当然といえば当然なんだけど、そういう長時間の高負荷に耐えられるキャストなんだから、信頼性の高い人なんだろう。
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■新大久保鷹
で、この人。
発声から演技まで、一人レベルが違った。
いや、レベルというのとは違うな。
キャラクターの性格と感情と現在の意図がわかりやすい、演劇らしい演劇をしていた。
キャリアの違いか。
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■河合瑞恵
この人というか、この人を見て思ったことを書く。
河合瑞恵さん、男役として帝国軍人とラスプーチンを好演。なんだけど、それとは別に幕間のライブで『夢は夜ひらく』(藤圭子)を歌っていて、これが実に良かった。
そこで気が付いた。
いや、大人の女性のキャラクターは出てくるのよ。でも、『二十面相』の誘拐少女の母親にしても、『ピーターパン』のアレクサンドラ皇后にしても、設定上の年齢よりは10歳か20歳は若いキャストが演じてる。黒蜥蜴も紅アザミも、おそらく。
少女とショタと男役とサポートの男優だけで構成されていて、大人の女性の存在がすっぽり抜け落ちてる、この劇団。
いつもそうなのか? そういうコンセプトなんだろうな。暗黒タカラヅカだし。
.
■嘴音杏
上手い、凄い、空気も変わる。専業で本業なんだから当然か。
ただ、ほかのキャストが黒を基調にした演出で、おそらく劇団のストック音源をバックにJ・A・シーザーの幻想世界や女心とかを切々と歌ってるところに、パーソナルカラーの赤コルセットと赤ドレスで生バンドの高音質2MIXをバックにブルースをゴリゴリ歌って月蝕歌劇団を3分間だけ痴人倶楽部にしてしまった感じがする。
良いか悪いかは別として。
芝居は。んー、良しあしが言えるようなキャラクターじゃなかった。
政治的に正しくない、だけど、ある意味では由緒正しい戯画化された“インディアン”だったので。
.
明智小五郎+α役。オフの顔を見たら、アラかわいいお嬢さん。ベテラン主体の劇団だったら、小林少年をやっててもおかしくない。
客演らしい。
「美丈夫ですか? やりますよー」といってこなせる彼女みたいな人が、実は隠れた高能力者なのかもしれない。
だってあれよ? 明智小五郎と黒蜥蜴といったら、つまり天地茂と丸山明宏よ? そういうダークで苦みのあるキャラを演じて象徴的にせよベッドシーンまでこなす。役者ってすごい。
そういえば高畑亜美さん。一緒に観劇した元同僚が「あの黒ボンデージの人は役者魂を感じる」と言っていた。
.
■北條華生
緊縛師をエキストラで連れてきたのかと思ったら、そのままシレっと芝居を初めて、V・フランケンシュタイン博士を演じきってしまった。しかもうまい。
調べたら緊縛師ではなくて緊縛もこなす役者さんだった。みんな多芸なのね。
吊るしのとき、役者の影で見えなかったけど、1/2なり1/3なりのプルアップ・システム(滑車みたいに距離2倍、荷重1/2にするロープワーク)をやってるはずで、一瞬、芝居が停滞したように見えたけど、あれでも相当手際が良かったんだなと後から思った。
.
■はるのうらこ
北條さんのロープワークもさることながら、吊るしというのは吊るされる方にも技量がいるわけで、ハーネスをガッチリつかんだまま気絶するという難しいことをやっていた。
男役。
悩める青年将校をきっちり演じきっていたけれど、華奢なのはいかんともしがたい。女性役であらためて見てみたいと思った。
.
■中村ナツ子
な!に!も!の!だ!? こ!の!ひ!と!
Web/エディトリアルデザイナー、ライター、イラストレーター、Photoshopper。
チャラっと調べてみたけれど、原稿(というか体当たりルポ)もロゴデザインも依頼主のテイストに合わせて手堅くこなす。
役者で声優。前説もこなす。となりの知乃さんにも目配りしながら観客席と当意即妙のやり取り。
舞台にも立つ。しかも端役じゃなくてしっかりスポットのあたる役どころ。
これでJavescriptとSQLが書けたらホンマモンの超人や。
こういう人が一番まぶしい、そして怖い。
.
足りぬ足りぬは工夫が足りぬ。いやそうなんだけど、せめて南部十四年式拳銃は用意してほしかった。ポスターにもあるんだし。
ネバーランドの崩落シーン。大道具の意地と苦労がしのばれる。というか、そのための柱だったのね。
周囲の柱といい、中央の小部屋といい、随所に設けられたピットといい、演目に合わせて必要十分な空間の設計がなされていることに、いまさら感心する。
意地と苦労といえば、ピーターパンの飛行シーンも、無くても成立するだけに、「これをいれねば!」とウィンチを仕込んだ意地と心意気がうかがえるよなぁ。
ところで、いま調べたら、中央の小部屋は常設みたい。
なるほど、上手と下手のほかに中手があると、バーン! と登場するシーンとかに便利だよね。
.
『絶対運命黙示録』『私の中の古生代』(←だったっけ?)しか知らなかったんだけど、「ほかにどんな曲があるんだろ」と思ってたところ、つまりはこれこそがシーザー節だった。
主旋律の音域を広く取ってロングトーン多用おまけに変拍子の幻惑的なスタイル。
これがそのまま歌手泣かせの難易度となって跳ね返ってくるわけで。ノリで合わせていたら絶対にロストする、ブレスで死ぬ、超絶覚えゲーみたいな世界。
こりゃ役者さんが大変だろうと思った。
あと音でいえば、既成の歌謡曲のダビングもの、J・A・シーザー氏の打ち込み音源、ボーカル無しで舞台で歌うもの、ボーカルありの既成曲で舞台でも歌うもの、マイクあり、マイク無し、古いローファイ音源と新しいハイファイ音源、とバラバラのチグハグだったのが気になった。
歴史の長い劇団だから地層のように多種多様な音源が混ざってるんだろうと想像するけど、どこかで専門家がDAWで新録して整理しないと、大変なことになると思う。
あとマシンガン銃声のポン出し、キャストにトリガーを渡せるような仕組みはないものか?
.
……んー、こんなところか。
機会があったら、一度は観てみても良いと思います。そこでハマるかハマらないかは、あなた次第。
自分? チャンスがあったら、もう何回か行こうと思ってる。
・・・に近いことを実現できるようになった。
アンドロイドでは確か5.0のロリポップくらいから実現されてたはず、
3Dタッチとかクソなものより、このくらいのこと未だに実装しないのはクソとしか思えないけど、今回iOS11で実現に近づいたのでメモ。
さて、ご想像の通り使う機能はAssistiveTouch これは物理ボタンなどの制御を肩代わりしてくれる機能で、その昔ホームボタンの故障が相次いだ頃に搭載された?一躍注目を浴びた機能だ。以下手順
1、一般>アクセシビリティ→AssistiveTouchをON
2,最上位メニューをカスタマイズ→「画面ロック」1つにする。
4、自分がiPhoneを触る手側(左手だったら一番左など)の<下から4列目あたり>に使うことのないダミーアプリを置いておく(時計アプリとか、フォルダとか)
5、その近くにAssistiveTouchを置く。
6、コントロールセンターにアクセシビリティのショートカットを追加する。
7、一般>アクセシビリティ>AssistiveTouchのチェックを入れる。
設定は以上である。
こうすることによって、AssistiveTouchをタップするだけで、画面をスリープさせることが可能になる。
今までのiOSでも可能だったのだが、こいつの存在感が割りとウザくて、活用するには相当のスルースキルを必要とした。
しかし今回透明度を15%まで落とすことができるようになって一気に実用に耐えるものになった(と私は判断した)
当然運用面での注意点が一つある。「AssistiveTouchの近くを触らないようにする」・・・
なんということだろうか、そんな腫れ物対応的なメンドクサイ運用が必要だなんて。。。と思うことだろう。
けど不思議とアイコン数で下から4列目あたりの左右の端を使うことが必要になることは少ない(オレ調べ)
しかし当然、ゲームや写真・動画などを見るときにあると邪魔ってことがあると思う。そのための回避が設定手順6,7のアクセシビリティのショートカットだ。
この設定をするとトリプルクリックでAssistiveTouchをオフにすることができるが、ぶっちゃけトリプルクリックって難易度高い。多くの人にとって決して慣れることのない機能だ。
なので、コントロールセンターの、アクセシビリティのショートカットから、ON/OFFを切り替える設定を追加しておいた。
コントロールセンターの数をぎりぎりまで削りたい人は、自分の運用上いらないと思ったら消せばよいだろう。
また、デフォルトの設定をAssistiveTouchを1タップすればスリープする仕様でご紹介したが、予期せぬスリープが絶対に許せないとおっしゃる御仁も多くおられることと思う。
そんな方には、2つの回避方法を伝授しよう。勘の良い人は上記の設定の途中で気づいているかもしれない。
方法1、設定>アクセシビリティ>AssistiveTouch>最上位メニューをカスタマイズの「1個のアイコン」を+して何もない「2個のアイコン」にする。
方法2、設定>アクセシビリティ>AssistiveTouch>最上位メニューをカスタマイズ 3D touchのアクション>画面のロックを設定(方法1も同時に行っている必要あり)
この方法2はiPhone6sより前のiPhoneでは使えないかもしれない。
しかしこうすることで方法1ではAssistiveTouchを2回タップで画面が消える仕様にできるし、方法2では3Dタッチにて画面が消える仕様にできる。お好きな方法でといった感じだ。
私の個人的な使い方としては、ケータイ見ながら、寝落ちするか、しないか、、なんか画面眩しいな・・・消したい。みたいなシーンでタップすることを想定しているので、できるだけ考える仕様や、バイブレーションは勘弁願いたいところ。
もちろんバイブを完全OFFにして、方法2で3Dタッチを長押し的な扱いで活用する方法もあるのかもしれないが、、まぁこのへんは好みで調整してほしい。
オフで知り合った知り合いにこういう人いるよ、もう3年以上の付き合いになる