人間の性格ってほとんどは精神的な利益のために最適化されて決まってるよな。
精神的な利益ってのは楽しいとか、いやな思いをしないとか、辛くないとか楽とかってあいまいな定義だけど。
具体的にどう最適化されるかは個人で全く異なるけど、その基礎は子供の時に作られたと思う。
顔が悪いとか頭が悪いとかの欠点に対する攻撃から自分を守るために最適化された奴
出来ることを必ず認めてくれる人が必ずいて、褒められた結果、うれしい・楽しいを最大化するためにトライ&エラーや挑戦をすることに最適化された奴
強者的な立ち位置にいて、弱者を踏み台に力を行使して、ひたすら楽しむことに最適化された奴
でも、大人になってから、金銭、地位、愛情、名誉とかを自分が獲得する上で最適な振る舞いってのを知っても、性格に反して完璧にこなすのはなかなか難しい。
つまり、よっぽどの体験(痛い目かおいしい目に合う)がないと大人になってから性格は変わらなさそう。
精神的な利益に囚われて、瞬時に自明な現実や予測に基づいた最適な振る舞いの実行、性格の変容を行えないってのは歯がゆいものだけど、それが個性ってのを形作ってるのかな?
逆に、精神的な利益に囚われないで振る舞いを瞬時に変えて実行できるのが普通だという性格もあるかもしれないけどそれは凄い才能だと思う。
とりあえず言いたかったのは、私のような取るに足らない精神的な利益の最適化による性格を変えるには、痛い目にあってフィードバックから少しずつ性格を変えていくしかないのかなぁというぼやきです。
精神科医とカウンセラークラスタの人達が言ってたけど性格って確固としたものじゃなくて状態だって。生まれつきダメな性格とかなくてそういう状態なだけらしいから変わるんじゃな...