はてなキーワード: ありがちなとは
好意的には捉えないよね。
「女性は男に好かれる為に生きているんじゃない!!」みたいな反応が来るとは思うけど。
このCMにPart3が作られるか分からないけど、この先に待っている展開って
少しずつおしゃれで華やかな雰囲気をまとい綺麗になっていく地味子さん
↓
↓
「私のおしゃれはあなたの為じゃないんで」とかばっさり切り捨てる(元)地味子さん
↓
↓
なんだかんだ歴史好き君といい感じになる(元)地味子さん
んでそこにあるのは
「自分のことを色々いう人もいる。いろんな人がいる。いろんなきっかけがある。
それでもルミネは、自分を輝かせたいと思う女性をファッションで応援したい」
というメッセージだと思うんだけど。
不買運動だなんだ言ってる人たちってこういうありがちなストーリーに接したこと無いのかな、って思ってしまう。
ヒステリックに騒いでて、うわーなにこの人たち全体を見ないでわーわー言ってんの恥ずかしい・・・
何というか、その後に待っているまだ語られないストーリーとかを無視して現在表面に描かれている事しか評価(批判しか)しないのは、
時期尚早ではないでしょうかと、思います。
男女が半々。
会社の行事……歓送迎会かなにかのあとか、軽くアルコールが入っている様子。
「○○さんちで飲み直そうよ!」
「わたし、つられてこっちの方面に乗ったけど、帰れるのかな」
時計は22時。
降りてもう一軒というには少し遅いし、かといってこのまま帰るのはもったいない時刻。
私は7人がけの真ん中に座っており、左の3人がその同期の集まり。
3人を取り囲むかたちで、残りは立って、会話が交わされていた。
メガネの男性の話に大きく相槌を打ちながら、肩や二の腕をボディタッチ。
「いいなー、今度連れて行ってくださいよ!」
なにかと話題の中心となり、周囲のつっこみに全身でリアクション。
仲間から話しかけられるときちんと返事をするが、基本はスマホをフリック。
降りて飲み直す話がまとまったのか、次のターミナル駅でみなが降りていく。
座席の女性と、隣のクールな男性だけが、理由をつけて、残った。
女性も、みんなに大きく手をふる。
2人だけ残った。
不意に身を寄せた女性。
左手を、男性の左ふとももに乗せた。そのまま、男性の耳元にささやきかける。
さっきとは違う。
聞き取れない声で。
見向きもしない男性。
言葉だけは返す。
その薬指には、指輪があった。
そのまま15分ほど過ぎただろうか。
ある停車駅で減速すると、男性が何の前触れもなく立ち上がった。
男性はそのままドアへ歩いていく。
「おい、降りるぞ?」
あわてて荷物をつかみ、走り出る女性。
好きな絵のマンガを見つけたので語らせて。
女の子がかわいい。表情にバリエーションがあって、それぞれ考えられておりスベってない。ありがちな定型表現で「こう描けばこの人の気持ちはわかるっしょ」に逃げておらず、踏み込んだ表現ができている印象。
人体は自然な厚みがあり、服も自然なサイズ感と立体的な襟まわりで描かれている。服のしわの入り方も好きな感じ。女の子は体全体でかわいい。スレンダーに描くタイプではないようで、足や腰回りがわりとボリューミーでそのバランスがリアル。「こういう子、いそうだね」と思わせるバランス。大人の女性はまた違った感じで描かれているけど、そちらも良い感じ。
背景は淡泊なほうだけど、それがマイナスといった印象はないかな。
亜人 X 女子高生の日常というありがちなプロットだけど、重すぎずユルすぎず、良いバランスで新鮮味もある。亜人が出てくるものの、ほとんど一般的な社会を舞台にしている印象。亜人じゃなくても成立しそうな。とはいえ亜人は重要な要素ではあるけど。
笑いも取れており、個人的にはスベってる感じはしなかった。
押しつけがましくないまじめさに安心感があり、この手のジャンルでこうした表現を狙っているのはよく見かけるが、この作品は非常に成功していると思う。
絵が好きと言っておいてなんだけど、絵柄はわりと古い気もした。おれがそう感じただけで、一周回って今はこれが新しいのかもだけど。
引っ込み気味で離れた大きい目と、張り出した大きいおでこ。ふっくらしたほほ。以前よく見た絵柄な気がして、最初そこそこ知られた作家の別名デビューかなにかかと思った。実際には新人作家らしいけど。
女の子のうまさに対して男がデタラメな感じが。。まあ個人的にそれはどうでもいいけどww
-------
っていう雰囲気、マジで形成されててどうすればいいんでしょう。
数ヶ月の努力が実ってさ、なんとか誰もが知ってるあの企業への就職が決まったわけですよ。4月から晴れて社会人なわけ。
かわいい女の子とも結構喋ったのよ。その子とLINEとかも交換すんじゃん。楽しいよね。そういうの。なんかドキドキすんじゃん。
そこでさ、ふと気になったのよ。
こいつら、もしかして、みんなFacebookとかやってんのかなって。
たまにFacebookのウォールがどうしたこうしたって、飲み会の席で話題に上がってたしさ。(そういう時俺はボケーッとしたまま受け流してるだけなんだけど)
で、ちょっと調べてみた。登録時に電話番号が必須じゃなかった頃に取った捨て垢を、今更復活させて、LINEに登録した友人の名前とか検索してみた。
結果。
みんなやってる。
やってない人、いない。いやマジで。
ちょっと調べたら、研究会の仲間もみーんなやってた、Facebook。
衝撃だったよね。
別にね、俺だってちょっとの登録の手間を惜しむほど、面倒くさがり屋じゃないですよ。別にかけたっていいよ、それくらいの手間。
でもさ、あれさ、友達の数、表示されるじゃないですか。アカウントのトップページに。デカデカと。
どんだけ少なくても、大抵50人はいんのね。
とてもじゃないけど、友達の数晒せねーよ。
今友達申請してオーケーしてくれそうなやつの顔思い浮かべたけど、5人も浮かばなかった。中学の部活仲間しかいない。高校と大学はボッチ中のボッチだったから、ほとんど友人いない。唯一出来た一番仲の良い友人はFacebookやってない。
なんか惨めさがすごい。
みんな、俺が部屋でひたすらうだうだしてた間に、サークル活動とか、バイトとか、そういう場所でネットワークを広げてたんだよな。そりゃそうだよ。当たり前の話だ。
これから「Facebookやってない」って言うたびに、「うわ、こいつ悲しいやつだ」って思われたりすんのかな。つらい。
人と関わるのを避けてきたことがこんなところで響いてくるとは思わんかった。
あ、「わしゃーおっさんでフェースブックとかツイッターとかわからんでのぅ」とか「友人1人いるだけでもありがたいと思えよ」とか、そういうはてなにありがちな意見はは求めてないんで結構です。
【追記】
UIが死にすぎてやいませんか?
これは昨今のスマホ対応サイトによくありがちなのでここだけの問題ではないですけど。
みんながみんなどでかいケータイもってるわけじゃないんですけど。
最初左上だったのに左下になったので誤爆多くなったし見たいときにでてなくてひどい
広告含めて通知されるなぞの仕様。しかも通知かなんなのかすら不明。最初へんな柄だなとか思ったぞ。
赤丸ってなんだよ。幕の内弁当かよ
新着とか人気とかどうでもよくてお気に入りを見せたいんじゃないのか…
特に謎の通知に関しては直してほしいというかみんなどう思ってるんだ。。。
それは下手すると逆名誉棄損で不利になる可能性がある。
少なくとも、訴状を送りたいので住所を教えろと何度もメールしたのに教えてくれない、ぐらいの
実績を作っておけばおけーだとおもうけど。
しかしアレだね、とっとと3者(メメ、otune、久谷女子)会談して、3者全員がごめんなさいして、
ログ削除、ホテル代返す、本は発売停止、可能なら回収もしくは訂正記事掲載)ぐらいにしときゃ、謝罪文掲載なんてしなくてもよかっただろうにね。
金曜の夜にFBで謝罪文出してたから、ああありがちなタイミングよなーいちいち姑息だわwwwなんて思ってたけど、週明けもまだ鎮火しそうにないな。
リー・ミンウェイがずっと気になっているので書く。
リー・ミンウェイは、昨年末から今年初めにかけて森美術館で開催されていた「リー・ミンウェイとその関係展」(http://www.mori.art.museum/contents/lee_mingwei/)で初めて見た。ミンウェイが美術館に来た観客と食事をする作品(その映像が展示されていた)や、会場で花を配りその花を会場から帰る途中に知らない人にプレゼントしてもらう、という作品などがあった。一般的にはリレーショナルアートに含まれる作品を作る作家として知られる。
展示を観終わった後に、同行した人が言っていた。リー・ミンウェイは本当に素直な人だよね、と。それに、彼のようなバックグラウンドがなければこうはなれなかった、と。(以下はその人が言ったことを言い換えたり補ったりしているだけのような気もする。)
リー・ミンウェイがやっていたのは、何の恐れも気負いもなく他人に何かを「贈る」ことだったのだ。
もう一度彼が贈ってきたものを考えてみてほしい。それは一緒に食事をしながらお喋りをすることである。思い出の詰まった布を持ってきてもらい、ボランティアの人に会場の壁から垂らした糸で縫い付けてもらうことである。隣り合ったベッドで寝ることである。一緒に凧を揚げることである。
ここでいうところの「贈る」とは、それによって誰かの上に立とうとしたり恩を売ろうとしたりする行為でもない。相手に無関心なまま何かを仕掛けて反応を見るような行為でもない。自分を貶めつつ他者というものをたてまつろうとする行為でもない。さらに、その行為それ自体から自分が楽しもうとする行為のようにも見えない。ただ何かにとっていいだろうと思える何かをしてみる、という行為のように見える。何らかの形で人同士が繋がるというのはいいことだから、それをしてみる。そこには自分とかいう云々かんぬんはなく、そもそも自分とかいう云々がないとうことすらそもそも考えられていない。
それが、彼に恐れも気負いがないように見えるということに繋がっている。普通は上に挙げたいずれかの動機があるし、その場合、失敗することの恐れや他人を使うことのやましさ、義務感からくる気負い、何かが得られるかについての不安みたいなものを背負わざるを得ない。たぶん、そういうものがないリー・ミンウェイは、完全に力が抜けきっている。ただいいことだからやってみている。
(蛇足だけど、純粋贈与ってこんなもののような気がする。誰が何と言おうと。)
彼においてはあまりに素直に無邪気に何かを贈るということが行われている。その素直さと無邪気さは、ありがちな譬えとして出される「子どもの素直さや無邪気さ」よりもはるかに深い。子供のそれらが自分という中心をなしで済ますことは意外と難しいことだろうから。リー・ミンウェイのそれは、何らかの形で洗練に洗練が重なった類の素直さ無邪気さである。
その洗練というのは、台湾にルーツを持つカリフォルニアの裕福な家庭で育った、という育ちに依っているのかもしれない。
祖父母の代の誰かが日本に留学に来ていた台湾人であり、それは恐らく当時としては相当なエリートであったはずだ。父母はどちらかが医者で恐らく同じように裕福であり、台湾で生まれたリー・ミンウェイは家族でカリフォルニアに移住している。
一般的なこととしては、裕福な家庭で育つことによって無邪気さがはぐくまれただろうと想像がつく。しかし(以下は特に印象論です)、裕福な家庭の中でも、台湾の裕福な家庭で育てられたというのがかなり影響を持っていたような気がする。社会に対するあるいは宗教的なものに対する義務意識や、立身出世的な欲望から、離れて育つことができるような。更に、戦後の台湾にずっと留まり続けずアメリカ西海岸にいられたというのも効いているような。
それから、(彼の)作品が身体的なことや身体に密着したものを用いていることは、彼の素直さと相互に影響を与え合っている気がする。身体に根差したものはそういう素直さを引き起こさざるを得ないし、素直さは身体的なものの大切さを感じさせざるを得ないから。
リー・ミンウェイのことを考えると、上で書いたようなことが一気に思い浮かび、肩の力が抜けて、思わず深い呼吸をして、世界に対して優しくなり、元気になる。たぶん、頭の中のリー・ミンウェイに、ゆっくりとした口調でぽつりぽつりと、「まあ、いいから、とりあえずあんまり考えないで、ちょっとやってごらんよ」と言われているのだと思う。
付録:
http://www.1101.com/lee_mingwei/2014-11-13.html
ほぼ日のインタビュー。書き終わった後で発見。あくまで僕の中でのリー・ミンウェイのイメージが大事なので、そんなにこのインタビューは大事だと思わないけど、でも多かれ少なかれ合致した王を描けたのではなかろうか。
大塚家具の騒動が他人事ながら面白い。ワンマンあるある話が頻発。
現社長は元フロンティアマネジメントという事で、開示されている中期経営計画も非常に分かり易い構成である。簡単な財務分析と今後の展望をお気楽に整理してみる。(関係者ではありませんし、間違ってても知りません)
まずPLから。2008/12期からの売上の推移は下記の通り。
(unit:Myen) | 08/12期 | 09/12期 | 10/12期 | 11/12期 | 12/12期 | 13/12期 | 14/12期 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
売上 | 66,804 | 57,925 | 56,912 | 54,367 | 54,520 | 56,231 | 55,502 |
成長率 | ▲ 13.3% | ▲ 1.7% | ▲ 4.5% | 0.3% | 3.1% | ▲ 1.3% |
社長交代したのは09年3月。08年6月にリーマンブラザーズが破綻してから9カ月後だ。
家具は嗜好品だから、景気の変動影響を受けやすい。その為、リーマン前を契機に減収の一途である。
12/12期から前年トントンになり、13/12期に前年越え。14/12期は前年比マイナスであるが、上期は堅調だったと思われる。この二年間は消費税増税の駆込み、反動があるはず。
コストを見てみる。
(unit:Myen) | 08/12期 | 09/12期 | 10/12期 | 11/12期 | 12/12期 | 13/12期 | 14/12期 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
売上原価 | 31,574 | 27,319 | 25,847 | 23,815 | 23,671 | 25,161 | 24,903 |
売上総利益率 | 52.7% | 52.8% | 54.6% | 56.2% | 56.6% | 55.3% | 55.1% |
販管費 | 33,961 | 32,058 | 31,197 | 29,401 | 29,665 | 30,226 | 31,001 |
うち人件費 | 10,641 | 10,514 | 10,243 | 10,150 | 10,403 | 10,686 | 10,909 |
うち賃料 | 12,229 | 11,968 | 11,743 | 10,735 | 10,492 | 10,175 | |
うち販促費 | 5,021 | 3,890 | 3,524 | 3,036 | 3,138 | 3,417 | 3,834 |
うち運送料 | 1,846 | 1,616 | 1,636 | 1,537 | 1,478 | 1,521 | 1,550 |
その他 | 4,224 | 4,070 | 4,051 | 3,943 | 4,154 | 4,427 |
売上総利益率は09/12期を境に改善に向かう。減収しているのに増益しているので工場部門に関して相応の合理化を実施したものと思われる。また、為替の上昇に伴い、輸入品価格が上昇しているものと思われ、13/12期より売上総利益率が減少している。
販管費も順調にコスト削減が進んでいる。11/12期より賃料が低減するのは不採算店舗の閉鎖の為。その一方で人件費は下がっておらず、店舗閉鎖→整理解雇という流れにはなっていない模様。この前の開示にもあった通り、14/12期下期の社長交代により、販促費が増加の傾向にある。去年と同水準の販促費投入すると仮定すると、半期で増加額は4億円。月にすると約70百万円となる。全国ネットのCMだと2~3本、チラシだと700~800万枚相当である。
非常にありがちなのであるが、増税後の反動影響を受けて販促費を増やしてしまったが、砂漠に水を撒くがごとく反応が芳しくないというところであろう。
(unit:Myen) | 08/12期 | 09/12期 | 10/12期 | 11/12期 | 12/12期 | 13/12期 | 14/12期 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
営業利益 | 1,270 | ▲ 1,452 | ▲ 133 | 1,151 | 1,184 | 844 | ▲ 402 |
営業利益率 | 1.9% | ▲ 2.5% | ▲ 0.2% | 2.1% | 2.2% | 1.5% | ▲ 0.7% |
経常利益 | 1,457 | ▲ 1,337 | 39 | 1,304 | 1,318 | 1,004 | ▲ 242 |
経常利益率 | 2.2% | ▲ 2.3% | 0.1% | 2.4% | 2.4% | 1.8% | ▲ 0.4% |
特別利益 | 173 | 14 | 59 | 9 | 17 | 517 | 2,150 |
特別損失 | 968 | 933 | 266 | 915 | 100 | 49 | 955 |
当期利益 | ▲ 530 | ▲ 1,491 | ▲ 256 | 204 | 640 | 856 | 473 |
当期利益率 | ▲ 0.8% | ▲ 2.6% | ▲ 0.4% | 0.4% | 1.2% | 1.5% | 0.9% |
国内で生産しているはずなので、為替差損益も特段無く、最終利益と営業利益がほぼ連動している。
・09/12期は腐った商品の低下法4億(輸入品の導入と関連か)、店の備品1億、投資有価証券評価損が3億
・11/12期は東日本大震災による災害損失3億、資産除去債務の計上による影響が4億
なお、14/12期は21億の株式の売却を実施しているが、これがなかった場合の赤字額は考えるだけでも恐ろしい。増税後の反動影響が非常に大きかったものと思われる。
次にBS。
(unit:Myen) | 08/12期 | 09/12期 | 10/12期 | 11/12期 | 12/12期 | 13/12期 | 14/12期 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
流動資産 | 28,765 | 25,355 | 23,867 | 25,393 | 25,335 | 26,595 | 30,312 |
現預金 | 9,357 | 7,113 | 6,271 | 7,124 | 7,321 | 7,431 | 11,520 |
売掛金 | 2,332 | 2,257 | 2,840 | 3,511 | 2,956 | 3,242 | 2,486 |
対売上高回転月数 | 0.42 | 0.47 | 0.60 | 0.77 | 0.65 | 0.69 | 0.54 |
棚卸資産 | 15,447 | 14,673 | 13,253 | 13,045 | 13,571 | 14,802 | 15,010 |
対売上高回転月数 | 2.77 | 3.04 | 2.79 | 2.88 | 2.99 | 3.16 | 3.25 |
固定資産 | 17,860 | 18,353 | 18,847 | 16,358 | 16,390 | 21,062 | 16,398 |
うち投資有価証券 | 6,003 | 6,193 | 6,749 | 5,530 | 7,039 | 11,767 | 7,153 |
総資産 | 46,625 | 43,708 | 42,714 | 41,752 | 41,725 | 47,657 | 46,711 |
流動負債 | 9,218 | 8,286 | 7,983 | 8,069 | 7,849 | 8,434 | 9,518 |
うち買掛金 | 4,649 | 4,140 | 3,796 | 3,744 | 3,518 | 3,588 | 3,923 |
対売上原価回転月数 | 1.77 | 1.82 | 1.76 | 1.89 | 1.78 | 1.71 | 1.89 |
うち前受金 | 1,935 | 1,632 | 1,573 | 1,801 | 1,792 | 2,223 | 2,168 |
固定負債 | 812 | 766 | 711 | 1,016 | 1,077 | 2,973 | 2,527 |
負債合計 | 10,030 | 9,052 | 8,694 | 9,085 | 8,926 | 11,407 | 12,046 |
純資産 | 36,595 | 34,656 | 34,020 | 32,667 | 32,799 | 36,250 | 34,665 |
負債・純資産計 | 46,625 | 43,708 | 42,714 | 41,752 | 41,725 | 47,657 | 46,711 |
驚くのは、売上500億を超える会社でありながら借入ゼロ。自己資本比率も高く、BSは非常に綺麗である。
保有株式の売却もあって、現預金は足許で100億を超えている。気になるのが、09/12期の輸入品導入のタイミングで増加した棚卸資産回転月数を超えて、足許の在庫水準が増加基調にあるということ。どういう内容の在庫なのかわからないが、買掛金も増加基調にあることから、勝負を掛けに来ているなという印象。
資産サイドでは、投資有価証券の占める比率に驚く。14/12期に売却した株式がどういった銘柄なのかわからないが、足許の株価水準は高すぎだろうと考えているので、個人的には売却に賛成。13/12期に大幅増加しているのは取得などしたわけではなく評価替だろう。
ここで唐突に自分の話。財務的にダメな会社ばかり働いてきたのだが、共通しているのは下記の点。
・意思決定できない(又は、意思決定が誤った情報に基づき即決される)
まず、これまでの会社で共通していたのは、女性社員のことを「事務員」と呼ぶ輩があまりにも多かった。当然、「事務員」以外の工場ワーカーや営業もいるはずなのだが、「事務員」呼ばわり。しかもそれが年を食ったおっさんだけではなく、若手の男もそういう呼び方になる。 逆に、女性差別だけでなく男性差別というパターンもある。
また、意思決定できない(又は、意思決定が誤った情報に基づき即決される)のも共通項としてあった。経験と勘に基づき判断がなされ、合理的な決定がなされない。
創業社長のリーダーシップにおいてここまで成長してきたのは素晴らしい。BSは今のところ超健全である。但し、この先に従来と同じスタイルでの経営において、損益確保するのはやや難しいのではないかと考える。
(外部環境)
(体制面)
家具の購入は1.転居、2.結婚がトリガーになると思われるが、日本においては双方ともに減少傾向にあり今後も回復の見立てが無い。また、円安はいつまで継続するか分からない。旧弊にまみれた経営陣。これを踏まえてどう対応するかであるが、このままだと売上がシュリンクする一方になる為、個人的には「外国人の社員比率を徐々に増やしながら、豊富な余剰資金を活用して順次国内の生産設備を増強し、輸出販売を行う」ことが外部から数値だけ見ている限りのベスト策ではないかと思う。転居も結婚も、これから伸びる国においてはたっぷり発生するだろうから。
留意点としては家具はローカル色受けやすいと考えられる為、販売先における市場調査による文化理解を十分に行うことと、日本における優良素材を確保することだろうか。
売先の宛てもないのに安易に販促費を増やすのははっきり言って愚策である(営業会社ではよくあることだが)。思い込みを排除し、冷静な頭で判断できるようにならなければ早晩先が見えてしまうだろう。
自分は、6畳1ルーム借りても、家に机おかなきゃできない仕事抱えてたからベッドおいたら窮屈すぎて苦痛だった。
寝るだけだろって思ってても、案外せまいし、雨の日は洗濯物干せないし、なんだかんだであるける面積減ってしまった。
多忙な日々で疲れて帰ってきても、ゆっくりくつろげる場所じゃなかった。
スーツもコートもハンガーつかいまくったけど、自炊して荷物の多い人は基本6畳は難しい。
あるとき、あまりに忙しくて、片付けにくくなったまま放置してて、足元に置いた配線コードや(工夫しても延長コードがうまくまとまらなかった)荷物でつまづいて転んで、額を切って大怪我してしまった。
3針も縫う羽目になってさ、打ちどころ悪かったらと思ってぞっとしたよ。
結局今は2Kで広めの部屋に引っ越して落ち着いてる。
狭い部屋はとにかく怪我に注意したほうがいい
さらにこの遭遇の多段階化は、それが単なる素朴な設定の開示であっても十分な効果をもたらしうる。『小説の秘密をめぐる十二章』において河野は谷崎の「少年」を例にあげ、少年が穏健な家庭の子であることがほのめかされることによってこそ、のちの異常性愛への没入のインパクトが強化されるのだ、と指摘しているが、ラノベはこれをより極端かつわかりやすく行っていると言ってもいいだろう。
例えば『マリみて』における第一の遭遇が「印象的な絵面」であるとは述べた通りだが、そこで一度教室の場面を挟んで理想の素敵な女性像として有名なヒロインの評判が語られ、お礼を言いに行ったところで第二の遭遇が生じる。そこで描き出されるヒロインは、自分の嫌なことから逃げ出すためになりふり構わず主人公を利用し、スールになるよう強要するというものであり、主人公(ならびに読者)のヒロインに対する見方は大きく変わることになる。設定だけを見ればこれは新規性のあるヒロイン設定とは言い難い。が、筆者はこの遭遇から十分な意外性を受けており、それは河野が指摘した例と同じ効果によるものと考えている。
同じく例えば『イリヤの空、UFOの夏(以下イリヤ)』の深夜の学校のプールにおける第一の遭遇は単純なものであるが、ヒロインの手首に埋まったものに気づいたところで物理的異質さが、そして「なめてみる?」「電気の味がするよ?」において精神的異質さが明かされる。なぜそれがインパクトをもたらすかと言えば、それはヒロインの設定の奇抜さではなく、それまでの描写は彼女の異質さを感じさせるものではなかった、という一点に尽きると筆者は理解している。
溺れて必死で主人公にしがみつき、ビート板を使って恐る恐る水泳を教わり、やっと少し泳げるようになる、という一連の「普通の女の子」であることの描写こそがこの急転直下を強力無比なものにしているのであり、だからこそ「なめてみる?」の異様さが際立つのである。もしここで気まずそうに手首を隠してヒロインがうつむき押し黙るといった、つまり「普通の女の子」がしそうな行動がなされていたとすると、全くつまらない遭遇と化すことはすぐにわかることと思う。
多段階化していつつも見方が変わらない遭遇だとどうなるかの例としては『IS』が挙げられる。教室でのヒロインとの再会という第一の遭遇ののち、寮が相部屋であることが発覚するという二度目の遭遇が発生するが、出会う前後で主人公ならびに読者によるヒロインへの見方に全く変化がない。『マリみて』や『イリヤ』と比較して意外性が無く、筆者にとってはひどく印象の薄い遭遇である。
最後に見方は変わるものの一拍置いていない(つまり段階化されていない)例について触れておきたい。冒頭で触れた『俺ガイル』は最初の遭遇から間髪入れずにその「意外性のある性格」が開示されるものであり、多段階化されていない。なるほど『俺ガイル』におけるヒロインの毒舌はそれだけで魅力のあるものであり、それは単独で読者の興味を引くことができるものだとは言えるだろう(筆者も決して嫌いではない)。しかしそれは「レイアウトの仕方」ではなく「描写の仕方」による効果であり、ヒロインの毒舌がそれ単独で魅力を得られるほどのものではなかった場合、実に陳腐でつまらないものだと筆者は考える(逆に言えば描写力が優れていればなんとかなる、ということの証左でもあるだろうが)。
念のため補足しておくと、陳腐な遭遇しか用意できない作品は全て駄作である、と述べたいわけではない。例えば『狼と香辛料』は荷台にもぐりこんだ裸の美少女が狼の化身だと明かすという意外性に乏しい遭遇であるが、ではこの作品が駄作かといえば筆者はそれほど悪くない作品だと思っている。ただし、その遭遇にインパクトを受け、興味を抱くことは無かったことも確かである。ここで張った伏線をクライマックスで回収しているため最後まで読んでみればなるほどと思えるが、もし立ち読みで眺めたのであればその場で本を置いていたと思う。
「ボーイミーツガール」の関係構築では、主人公とヒロインの恋愛感情が醸成されることは必須ではない(例えば『トリニティ・ブラッド』では恋愛感情は仄めかしすら無い)。一方で両者間の信頼関係の構築は必須と言っていいと筆者は考える。また信頼と似た効果を持つものとして敬意も有効に機能する。
さて、関係構築とは主人公とヒロインの一方が他方に何かをすることによって培われるものと言っていいだろう。その内容は小説それぞれによって様々であるが、一段階抽象化してみると次のような行為に類型化が可能であると思われる。下記で全ての行為が類型化されているわけではないが、いくつかまとめた上で、それらをどう組み合わせることが効果的な演出になりうるのかを述べたい。
遭遇の類型として「秘密の漏洩」を上げたが、あれが当人の意に沿わざるものであるのに対し、「秘密の共有」は意図的に自らの秘密を相手に共有するものを指す。
「秘密の共有」は信頼の表明がなされたという暗黙の読者の認識が得られる点で効果的であり、そして「秘密」は多くの場合、プライバシーと同義である。軽度な秘密から徐々に重大な秘密の吐露へと段階を踏まえて内容は変化する。軽度な秘密の典型例は電話番号を教える、住所を教える、そこから一歩進んで自室に入れる、といったものが挙げられるが、最も多用される「秘密」は「過去」であり、昔の笑い話といった軽いものから過去のトラウマまで「過去」は幅広く使える便利な「秘密」であり、重さを任意にコントロールできるという点で優れている。
こうした秘密の共有は信頼の表明であると述べた通り、一定の信頼があった上でなされることで読者に違和感なく受け入れられるものと考える。十分な信頼がなされたと読者に理解がされていない状態でいきなり重い過去の吐露を始めるヒロインなどは、自己陶酔中のメンヘラ設定を明らかにしたいのでもない限り慎むべきだろう。
『涼宮ハルヒの憂鬱』における曜日と髪型の関連の指摘や、『俺ガイル』における主人公がヒロインに友達がいないだろうという指摘など、観察によりヒロインのなにかに主人公が「気づく」ことを指している(ヒロインが主人公のなにかに気づくことも含む)。これはヒロインが主人公の評価を改め敬意を抱くきっかけとして、また主人公がヒロインに対する評価を改め、敬意を抱くきっかけとしても効果的に機能する。
余談ながら観察力のある主人公であることを印象づけることは、特にバトルものにおいても有効に機能するように思われる。例えば『禁書』や『バカとテストと召喚獣』、『エスケヱプ・スピヰド』はいずれも勝利をつかむきっかけとして敵に対する観察と気付きを用意しており、そこから作戦を練っている。最終的に単なる力比べになり、最強能力者である主人公が必然的に勝利するという陳腐さは、しかしそうした観察と気付き、そこからの作戦の演出が事前になされていることで読者に対する一定の納得感を与えるように思われる。もちろんそうしたものがなくとも最強主人公が敵を圧倒する物語に興奮できる読者がいることは事実だが、それにウンザリする読者も相当数いることも事実である。より幅広い読者を意識するのであれば、そうした演出一つを入れておく価値は十分にあると考える。
秘密の漏洩、共有や観察による発見など、なんらかの情報が得られる行為類型の結果として、共通点、すなわち似た者同士であることが発覚することは相手に対する親近感を惹起する。これは読者にとっての共通点でも同様であり、感情移入や共感を誘う要素と言っていいだろう。
素朴な行為であるがゆえに、信頼と好意を「少しだけ」喚起する点で高い効果を持つ。例えば大きな好意が得られる「救助」は大仰なものであり、特に好意や信頼を寄せてもいない赤の他人に対してそうした行為をする人物は、十分な理由づけが無い限り胡散臭いヤツという認識を与えるだけだろう。
これに対して「親切」はそれが当人にとって大した手間でない場合に実行されるものであり、人間関係が破綻していない限りは合理的な行動として読者に受け入れられ、その結果ほんの少し信頼と好意が得られることが自然に読者に認識されることになる。『シャナ』において主人公がヒロインにコーヒーを持って行ったこと、『とらドラ!』において主人公が朝食をヒロインにも分けてやったことなどはこの好例と言えるだろう。
相手を名字で呼ぶのか、名前で呼ぶのか、といった呼称の変化は古典的ながら現在も極めて強力にその認識の変化を読者に理解させる。『僕は友達が少ない(以下はがない)』におけるあだ名であったり、また『デート・ア・ライブ』のようなヒロインの名前を付ける、という行為も同じ効果を持つと言えるだろう。
なお、呼称の変化は一度しか使えないものではない。ある呼称を用いたのち、それを使わなくなる、という演出はその呼称を用いるようになること以上にその変化を強調する。遭遇時においてではあるが、こうした「呼ばなくなる」ことを用いた好例としては『星界の紋章』があげられよう。
一方から他方へなんらかの依頼(命令を含む)がされ、受け入れられることを指す。このとき、その依頼は明示的なものであるとは限らない。「ボーイミーツガール」における両者間のほとんどはこれに該当するが、物語を先に進める意味合いが強く、関係構築に向けて目立った効果をもたらすものではない。
一方でこの行為類型が「期待に応える」を伴って実行された場合はまた異なった効果をもたらす。最初からヒロインが主人公に対して好意を表明していたり、信頼を寄せていることが暗黙に前提となっているような「ボーイミーツガール」は珍しいものではなく(『イリヤ』『ベン・トー サバの味噌煮290円(以下ベン・トー)』など)、また物語の途中でヒロインが全幅の信頼を主人公に対して寄せるようになるものも多い(『SAO』『ココロコネクト ヒトランダム(以下ココロコネクト)』など)。
こうした例においてヒロインから主人公へ強い信頼に基いて依頼がなされている場合、依頼の達成に失敗することが強力な効果を持つ。ヒロインから主人公へ依頼した仕事の達成に主人公が失敗し、しかしヒロインがもう一度仕事を依頼することは主人公に対する深い信頼の表明として機能する上、主人公が次こそヒロインの信頼に応えようと努力する様は概ね読者の共感と応援を得られると考えられる。
例えば『ソードアート・オンライン(以下SAO)』ではヒロインが主人公に仕事を依頼し、主人公は成功し続け、それをもってヒロインが主人公に惚れこむという構造を取る。一方で『とらドラ!』においてはヒロインが主人公に対して依頼した仕事は失敗し続けるが、ヒロインが主人公に失望することは一度としてなく、最後にヒロインから主人公に同じ仕事を改めて依頼するという構造を取る(定義を読んでいれば誤解は無いと思うが、本稿ではいずれも1巻の内容のみを対象としており、シリーズを通してどうかは検討の範囲外である)。両者を比較してみると、筆者は『とらドラ!』の方がよく出来ているという認識を持つ。
『AURA 〜魔竜院光牙最後の闘い〜(以下AURA)』で繰り返されるような単なる拒否は効果を持たないが、相手に対する尊重を以て拒否することは(一時的にはともかく)相手の不快を買うものではなく、むしろ信頼と敬意を勝ち得る効果を持つ。『マリみて』において主人公がヒロインからのスールの依頼を拒否したことは典型例と言ってよく、『のうりん』におけるデビークの手助けを(これまで助力を惜しまなかった)主人公がしない、ということもこの一形態と言っていいだろう。
この時、主人公にとってはその依頼を受けた方がメリットがあることが望ましく、そうした自分の利益を捨て、相手に嫌われる覚悟の上で拒否することはヒロインのみならず読者からの信頼も勝ち得る効果があると思われる。
単純な愛の告白のような直接的な好意の表明に限らず、嬉しそうに何かをする、微笑むといった行動によっても十分に好意の表明として読者に認識される。物語最後の場面においてヒロインないし主人公がこの行為類型を取ることが多く、ハッピーエンドとしての印象を読者に意識づけることで効果的と言えるだろう(『イリヤ』や『ALL YOU NEED IS KILL』がハッピーエンドか否かは意見の分かれるところであろうが)。
相手に伝わる形で行われるそれと、相手に伝わらない形で行われるものがあり、特に本人のいないところで信頼や好意を表明することは読者の理解と共感が得られやすいように思われる。好意の表明は繰り返し使うとむしろ好意の薄っぺらさを強調することになりかねないが、『ココロコネクト』のように相手に伝わらないところでそれがなされる段階を踏まえてから、相手に伝わる形でこれを行うことは効果を増すと思われる。
窮地に陥ったヒロインを主人公が助け出す、という行為類型は『禁書』『AURA』など非常に古典的ながら多くで用いられるものである。救助された側から救助した側に対する好意を含む感謝が読者に理解されやすい点で効果的だが、あまりにもわかりやすく、またありがちなものであるがゆえに陳腐な展開という印象を読者に与える危険性がある。
例えば『僕は友達が少ない(以下はがない)』におけるプールで絡まれたヒロイン2を主人公が助け、それによってヒロイン2が主人公に好意を抱く、という展開は筆者にとってひどく陳腐なものであった。
他方で『俺の彼女と幼なじみが修羅場過ぎる』におけるチンピラに侮辱されたヒロイン2を主人公が助ける展開や、『さくら荘のペットな彼女』におけるラブホに連れ込まれかけるヒロインを主人公が助ける展開はそれほど嫌いではない。
その違いはなにかといえば、おそらく単純にその救助行為が主人公にとってリスクの低いものか高いものか、という点と、救助の際に主人公が負傷している、すなわち自己犠牲を伴う点にあるように思われる。救助は主人公にとってリスクのあるもので、かつ、怪我を追ってまで勝ち得たものであるとき、救助された女性から主人公に対して寄せられた好意の大きさは「それだけの価値のあるもの」として裏付けられると考えられる。
その意味で、無傷でほとんどリスク無く救助したことで得られた好意はほとんど無いに等しいはずであり、にも関わらずヒロインが大きな好意を寄せる状態となり、そこにちぐはぐさと薄っぺらさを感じるように筆者には思われる。
『禁書』では記憶を喪失し、『AURA』では中二病を世間に露出し、『俺妹』では自分は変態だと言って父親へ立ち向かい、『タイムリープ』では自分の過去(未来)が変わろうが知ったことかと手紙を書く。自己犠牲は主人公がこれまで大事にしてきた何かを失ってでもヒロインを守ろうとする意思の明示としても機能し、ゆえにその対価として大きな好意と信頼が得られることに読者は納得がいくものであろう。
俺のような意志が弱い、それでも事ある毎に「変わらなくちゃ!」とか思うけど行動しないデブにダイエットの方法を教えよう
用意するもの
・腹筋ローラー
まず、意志の弱いデブにありがちなこととして、何かを始めようとして計画を立てるけど、
毎日実行できないような無理なものにしてしまってすぐに飽きてしまうというのがある
腹筋ローラーってのは、やったことがある人はわかると思うが非常にキツイ
キツイのでとりあえず気が済むまでやったらプロテインを飲んで風呂に入ろう
次の日は筋肉痛で辛いかもしれないが、無理してでも腹筋ローラーやってプロテイン飲んで風呂だ
それを数日繰り返して腹筋の筋肉痛が取れると、それ以降はどれだけやっても筋肉痛にはならない
正確に言うと筋肉痛にはなるんだけど、日常生活で感じるような筋肉痛にはならない
くしゃみをすると腹筋の奥が痛くなったりするけど、その程度
この程度の負荷でプロテインを飲んだら太ると思うデブもいると思うけど、案外プロテイン一回分のカロリーはそこまで高くない
せいぜいご飯四分の一杯くらい、多分
ご飯前にプロテインを飲むと、仕事終わりの空腹が少し紛れるから、晩御飯の量を少し減らすのも楽になる
何よりせっかく筋トレをしたのにご飯をガッツリ食べるのは勿体ないような気がしてくる
腹筋ローラーをしばらく繰り返すと、段々と伸ばせる距離が伸びていく
それが楽しくて回数を増やしたり、複数セットやったりしたくなる
後は自分の中でルーティンを組んで生活習慣に組み込めば痩せたも同然
その場で腹筋ローラーと、ついでに腕立てを好きなだけやったらすぐにホット牛乳プロテインを飲んで風呂に入る
それからご飯を食べて、気が向いた時だけ寝る前にもう一セットやったりもする
その生活を繰り返して、二ヶ月で183cm 83kg/24.0%→75kg/17.0%になった
頑張って!デブすごく頑張って!
俺のような意志が弱い、それでも事ある毎に「変わらなくちゃ!」とか思うけど行動しないデブにダイエットの方法を教えよう
用意するもの
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毎日実行できないような無理なものにしてしまってすぐに飽きてしまうというのがある
腹筋ローラーってのは、やったことがある人はわかると思うが非常にキツイ
キツイのでとりあえず気が済むまでやったらプロテインを飲んで風呂に入ろう
次の日は筋肉痛で辛いかもしれないが、無理してでも腹筋ローラーやってプロテイン飲んで風呂だ
それを数日繰り返して腹筋の筋肉痛が取れると、それ以降はどれだけやっても筋肉痛にはならない
正確に言うと筋肉痛にはなるんだけど、日常生活で感じるような筋肉痛にはならない
くしゃみをすると腹筋の奥が痛くなったりするけど、その程度
この程度の負荷でプロテインを飲んだら太ると思うデブもいると思うけど、案外プロテイン一回分のカロリーはそこまで高くない
せいぜいご飯四分の一杯くらい、多分
ご飯前にプロテインを飲むと、仕事終わりの空腹が少し紛れるから、晩御飯の量を少し減らすのも楽になる
何よりせっかく筋トレをしたのにご飯をガッツリ食べるのは勿体ないような気がしてくる
腹筋ローラーをしばらく繰り返すと、段々と伸ばせる距離が伸びていく
それが楽しくて回数を増やしたり、複数セットやったりしたくなる
後は自分の中でルーティンを組んで生活習慣に組み込めば痩せたも同然
その場で腹筋ローラーと、ついでに腕立てを好きなだけやったらすぐにホット牛乳プロテインを飲んで風呂に入る
それからご飯を食べて、気が向いた時だけ寝る前にもう一セットやったりもする
その生活を繰り返して、二ヶ月で183cm 83kg/24.0%→75kg/17.0%になった
頑張って!デブすごく頑張って!
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何よりせっかく筋トレをしたのにご飯をガッツリ食べるのは勿体ないような気がしてくる
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頑張って!デブすごく頑張って!
祝…と言いつつ不安も満載なのだけれども。少年チャンピオン連載の「実は私は…」が、アニメ化するとの話で、大変嬉しい。週刊少年チャンピオンからのアニメ化と言えば、近年では「みつどもえ」「イカ娘」「弱虫ペダル」に続く作品となる(んだっけ?)が、単発ギャグ的な枠でなく、コメディ・ストーリー系の作品でアニメ化されるというのは、こうして見ると、なかなか高いハードルだったのではないか。
「実は私は…」は、あまりアップトゥデイトな作品とは言えない。ギャグにスピード感やキレがあるとは言い難いし、非日常バトル・ゲーム的な話がやたらと増えた昨今、展開は非常にユルく、かつ日常的だ。かといって、そういう方向で多産されているありがちなエロ萌え系(言い換えれば、インターネット環境が日常でなかった頃の青少年向け代替エロ漫画の方法論を用いた類型)でもない。多様なキャラクター(宇宙人とか吸血鬼とか未来人とか痴女とか)を登場させるが、非日常的な性格異常者や極端な悪人・アンチヒーローなどもいない。あくまで日常的な、人間臭い、そしてもどかしいほどに進行の遅い恋愛コメディが延々と展開される学園もの…要は、'80年代高橋留美子的な、古典的手法のドタバタギャグコメディだ。
この作品の美点は、一言で言って丁寧さだ。その特長は、4大誌の他社(講談社、集英社、小学館)ではなかなか実現しにくい資質であるように思われる。たとえば、恋愛感情への気付きとか、直面したときのとまどいなどを、キャラクターごとに丁寧に描き分けて、かつ無理がない。また、キャラクターの掘り下げ方一つとっても、たとえば第68話で、タダのバカエピソードと思われる回に、食べ放題の回のエピソードを伏線として、さりげなく岡田・みかんのサイドストーリーを2ページ差し込み、ぐっとキャラクターに深みを増してきたのには、感心させられた。脇役キャラクターが使い捨てでなく、とても丁寧に扱われている。
また、個人的に、ヒロイン白神葉子の関西弁が非常に自然(ネイティブから見て)であることも、ポイント高い。印象的な口癖である「ちゃうねん」などは、その使い所・表情などをひっくるめて総合的に非常に納得のいく丁寧な使い方がされている。確かに、作者は神戸出身なのだから「自然な関西弁」自体への理解は当然高いのだろうが、それを作品の中に効果的に落とし込むのは、また別問題だ。関西出身のクリエイターでも、作品に関西弁を上手に使える人というのは限られる。
そして、最後にストーリー構成の丁寧さも重要なポイントだ。時間の経過とともに少しずつ進行し変化していく感情や人間関係、それに伴う呼び方の変化、成長していく人間像、などが、コメディに見せかけた中にもしっかりと描かれている。短編作家か長編作家かの分類で言えば、作者の資質は間違いなく長編作家のそれに属していて、長いストーリーをしっかり構成する意識があり、安定感がある。
正直、そういったこの作品のよさが、アニメ化でどうなるのかいくらか不安が残るところではあるが、自分の好きな作品が評価されるのはやはり嬉しいので、経緯を見守りたい。
エロ漫画にも最近飽きが見られるのでBLを嗜んでみた。あんまホモォは興味ないけど、嫌悪感も特にないし、そもそもエロ漫画のありきたりな展開に年老いた心が刺激されない。
ちなみにエロ漫画で好きなのは岡田コウとかD.L.Actionの黒猫とか絵に癖がなくて割とちゃんとしようとした感があるやつ。むりやりがわりと好きだが、男向けでレイプつったらすぐに大人数になるうえに萎える判子セリフばっかなのがいや。あとフェラ・顔射が嫌い。
で、BL読んで思ったのは「エロ以外多っ」「流れるようなセックス」「バリエーション豊かすぎっ!?」の三つ。
エロ以外多いというかエロ少なめかつセックスが非常におなざりにはいる。まぁガッツリなのもあるんだけれどもエロ漫画にありがちな「なんか適当な前振り(適当すぎて萎える)」→「無茶な理由でフェラ以降一発顔射のちフォーマット通り進んで一緒にフィニッシュからだべとべと」→「よかったね or レイプ目」みたいな流れ作業でない(流れ作業すぎて飽きる)。エロがどこに出てくるかわからないし数こまで終わることがある。そもそも始まらないまま終わることがある。その分ストーリーがはんこじゃないのがいいかもしれない。ただ玉石混交でいいものを見つけようと思うと駄作もいっぱい読まなきゃいけない。絵がきれいなやつは当たることが多いのでエロ漫画に比べれば打率は高いかもしらんが。
無理目のじゃなくても葛藤があったり、物理的に入らんという焦らしがあるので、そこでストーリーに多少揺れ幅が出るのかもしれない。というかそもそも抜くこと主眼なエロ漫画とキャラ萌え主眼なBLじゃセックスの重要度が違うからしかたがないのか。
なお、けつの穴がちゃんとした位置についているので読んでる際中ツッコミを入れる必要がないのが非常によい。やおい穴もちゃんとしたとこについてるのはさすがだな! キスはエロいよりは綺麗なことが多いのと、わりと痛がるシーンが多い。あれなんでなんですかね?まぁ一発目から拡張もせずにひゃんひゃんゆうてるのもあるけどもさ。
しかし、妙にBLに寛容な社会だったり女キャラが恐ろしく出てこなかったり、受け?がどう見ても女の子だったり、ポージングがみんな男っぽくなかったり、癖がないのを見つけるのはやはり難しいようだ。あと受けと攻めはあいかわらずよくわからん。どっちにしろ二次創作ならキャラは変わんないんだしどっちでもよくね?まぁでもそういうこといったら怒られるんだろうなぁ…男キャラがみんな妙に深く考えすぎてたり言えばいいことを言わずにうじうじと悩む辺りもちょっと違うな、感があるがまぁストーリー上の都合ならしょうがないよね!
追記:君ら意外に腐ってるの好きなんだな…
(エロ漫画なら見かける)
(純粋なアイドル路線のもの。NTR系ではたまに見かける程度)
(シリーズで続いてるモノは除く)
(NTR系は除く。例:童貞なのにプロのAV男優並の腕前と煽り台詞)
(但し男性声優は例年通り有名どころが揃ってる。今だと大宙とか鳥海とか杉田とか)
(ユーフォリアはアニメ化してない)。微妙なエロゲが原作のものが多い。
(#1のまま5年経っても発売されない2巻以降)
(酔う)
元記事書いた増田だけど、結局恋愛についての語りっていうのは、その人の個人的な体験に基づく部分が大きいと思う。
鶉さんの記事も個人的な視点(私が救われたい)を普遍化し過ぎた為に叩かれているという部分はあると思う。
元増田への反響は一つ一つ丁寧に読ませて貰ったけど、人によって見えている「景色」がまったく違うのが興味深く感じられた。
リア充っぽいことを書くとそれだけで反感を買うので避けてたけど、もう大分時間がたったので私が見ている「景色」についても書いておきたい。
私は一年前に人生で初めてできた彼女(趣味の同好会で知り合ったのは二年前)と今でも付き合っていて、真面目で社交的な女の子なのだけれど、話を聞いていると、過去の恋愛でそれなりに苦労してきたっていうことが分かる。
特に二年間遠距離恋愛してた元彼が酷くて、ピルを飲ませてコンドーム付けずにセックスして、浮気もし放題みたいな男だった。
私と付き合い始めたばかりの頃の彼女は軽い男性不信に陥っていたと思う。
こういう彼女の話と、ネットとかで読んだ色々な女性の体験談を照らし合わせると、こういう「プチ岡田斗司夫」みたいな男に困らされるっていうのは、女性にとって割とポピュラーなことだってことが分かってくる。
岡田みたいなのに騙されるのは「一部のメンヘラ」だと思っている人々と、ありがちなことだと考えている私とで。
で、私と普通の恋愛をしていることで「救われている部分がある」と彼女は何回も言ってくれていて、ここでまた景色が分岐する。
恋愛で他人に救いを求めるのは傲慢な要求だと考える人々と、普通の恋愛で女性が救われることはあると考えている私と。
私は鶉さんが恋愛に救いを求めるのは過大な要求だとは思わないし、「若い男性たち」が恋愛に消極的な為に、岡田系の男性の市場価値が不当に高まっているという主張にも共感できた。
そして、「若い男性たち」が恋愛に消極的なのにも無理からぬ理由があるということも書きたくて、元増田のような記事になったというわけ。
10代あたりの一部の意識高い系な人にありがちなのか、「自分の年齢を言う」という態度をよく目にする。
これは以前の僕もだったんだけど、本人は「若いこと」に価値が思っているっぽくて、必要なまでに年齢アピールをしていた時期があった。
だけど僕の10代も終わり、今の僕がそういう10代で年齢アピールをしている子たちを見ると、「若いことはそこまで価値があるわけじゃないな」って思うようになった。
「若いこと」にあまり価値を感じなくなった今の僕からすると、「あ、この子”若いこと”を価値だと思って年齢アピールしているな」と感じるのだ。
つまりは、『自分』というものよりも『若いこと』で勝負していることになるわけで、「若いその人自身」に価値があるのではないんだな、と。
これは若い女性にも同じことが言えるのですけど、自分の年齢なり、容姿なり、財産なり、いつまで『自分』じゃない要素で勝負するんだろう?ということなんですね。
つまりは「(自分ではない)外的なもの」に頼って色々アピールしていると、「寄ってくるのは表面的なことしか見えない人たちだよね」と。
類は引き寄せ合うのと同じで、表面的なことばかり見ている学生どうしの恋愛がうまくいかないのも、このためです。
自分の見ている価値が、容姿なり、若さなり、お金なりなんだから、お互いが「自分のことを見てくれている気がしない」と感じて、関係がうまくいかないのと同じです。
ここで僕が感じている問題は、ここで言う意識高い系の10代子供はこれからもすごく表面的なものに振り回されそうだな、ということです。
お金なり、容姿なり、世間の目なり、人脈なり、、、その人の中心が『自分』ではなく『外的なもの』になっているので。
「中心に自分がいない」「自分の中心が”お金”になっている」というのは、結局は虚しいです。
今回は「若いこと」についての話だったんですけど、割りと身近な内容だと思います。「お金がある人=羨ましい=価値がある」みたいな話なので。