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2021-05-16

大企業インターンに行ったらメンタルバキバキに折られた話

工学部修士課程の1年生は、夏に長期のインターンに参加するものらしい。

と周りの学生が言ってたので私もインターンに行くことにした。


世界シェア2位とかの大企業にいくつか出して、最初合格電話をくれたところに決めた。

1割も女子がいないのに3人採るなら1人は女子とか言いたがる感じなので、どこも倍率は死ぬほど低い。


30人のインターン生のうち10人が女子学生だった。

私を筆頭に機電系の女はブスで、化学系の女は可愛かった。集合写真見たら誰が化学系かわかるくらい如実に顔面格差があった。

顔で選べるほど女がいない機電系顔採用したい企業限界を見た。

20人の男子学生の全員が180cm以上で、169cmの先輩が学校推薦だったのにその企業に落ちたと言っていたのを思い出した。

かに社員デカい男ばっかりだった。


業務はこれといって目新しいこともなく、実験して解析して発表、みたいな研究室と変わらない感じだった。授業が無い代わりに時々会議がある。オフィスも広い研究室みたいだった。

社食学食より3割高く、学食ぐらい不味かった。

社員寮は洗濯機キッチン共用の監獄みたいな施設で、多分4畳半とかしかなかった。東向きの大きな窓に3級遮光のカーテン休日からと遅く起きることさえ許されない眩しさである。数週間でも辛いのに、ここに何年も住んでる人の気が知れない。


社員はとっても親切だった。

当然である学生お客様なんだから。いい評判を学校に持って帰って貰わねばならない。

私を押しつけられた部署の皆さんは、私が来たことで明らかに業務滞っているようだった。ざまあ。

食事もいっぱい奢ってもらった。私が可愛いからではない。技術インターンとはそういうものだ。


インターン生同士も仲が良い、というポーズを過剰に取る傾向にあった。

なぜなら評価基準になるからだ。

大人数の飲み会や遊びを企画した人間には加点が入り、誘われなかった人間は減点される。

まり気持ち悪さにドン引きしながら私も予定を埋めた。


社員からセクハラ、みたいなのもまあ当然のように存在していた。セクハラは良くないと意識して改善に努めた上で、無意識でそれセクハラやぞってことを平気でやっちゃう別に研究室でもそういう感じなので、この業界は当分はこの男子校のノリのような下品さと旧態依然とした男社会を維持し続けるんだろうなと思う。

ただ、親のコネインターンに来た学部3年の女子学生だけはそういうのにドン引きしてた。

すり減ってる彼女を見て可哀想になった。あー、私も研究室に配属されたばっかのときは摩耗してたな、って思いながら、彼女愚痴に頷き続けた。


非正規雇用差別みたいなの酷かった。

派遣契約社員の人は一段下に見られるし、工場作業員や社内の清掃員に関しては挨拶さえ返してもらえない。

非正規雇用には「正社員挨拶すること」を義務付けておき、正社員は一切その挨拶無視する。ヤバすぎる。

私はピュアガールなので社員に「なんで今無視したんですか?」って聞いたけど、社員が「なんでだろう…考えたこともなかった。」って言ったのでドン引きした。

インターン仲間にそれ愚痴ったけど誰にも共感してもらえなくて泣いた。


そういうことする人達なんだって目で社員を見始めた途端、彼らが飲食店店員などを人間扱いしてないことに気付いた。

総合職の同僚女性や私のことは人間扱いしてくれるけど、なんていうか契約社員やお給仕のお姉さんとかは女扱いっていうかメス扱いっていうか、とにかく人権のある存在じゃなくてそういう生き物としてしか見てない。

から彼女らに聞こえる場所容姿ジャッジの話ができる。

それを私には一切してこないってその線引きもキモかった。


嫌なことはされなかった。

気持ち悪いことはたくさんあった。

辛いことはなかった。

でも毎日電車飛び込みたい気持ちで出社していた。


何がそんなに嫌だったのかわからないが、とにかくそインターンを機に私の精神バキバキにへし折られた。

製造業全般への忌避感が半端なくて学校に行けなくなり結構長い間ベッドの上で天井を見るだけの生活をしてた。

今はまあ立って外を歩くに支障はないくらいになりはしたので就活してるけど、メーカー採用ページを見るだけで吐き気がする。


しかし吐きそうなテンション面接を受けても通るのが理系である

それぐらい製造業技術職は女子学生に飢えている。

逆に他の業種も受けたけど、死ぬ寸前みたいなヤバメンタル人間を雇ってくれる企業って全然ない。

結局製造業技術職やるしかなさそうで、本当に無理だけど、福利厚生だけは良いので鬱になってもちゃんと手当がでるのだけが希望だなと思う。

2021-05-15

発達障害者幸せになる方法を本気で考えるスレ

元増田について

ASD/ADHD診断済み 精神障害者保健福祉手帳2級 年金受給者

22歳。男。

2021年底辺理系大学 情報学科卒業

院進学を予定していたため就活なんて一切してない。

研究室老害教授ネトウヨ発達障害理解なく、パワハラ三昧だったため進学を断念。

現在フリーター

一度ハロワに出てる障害者求人に応募しても発達障害者は書類で落とされることが常。

だって普通に稼いで普通に出世たかったなぁ...

2021-05-14

https://anond.hatelabo.jp/20210512142829

女性ポスドクです。差別だと思います

女性が増えなかった研究環境制度改善をすべきなのに、比率だけ上げて取り繕っているような気がして気分のいいものではありません。

産休・育休等のブランク以外はフェアに判断されるべきです。

少し前までは海外に行く女性研究者が多かった傾向にあるような気がします。欧米では家事育児との両立がしやすい、復帰しやすいなどの制度が整っており、

プライベートで休んでよいという雰囲気があります。(子ども研究室につれてきてる人とかもいました)

日本は、長時間労働雑務能力も重視されており、なかなか休めないような雰囲気があります

会議夕方に開催されたり、飲み会の場で研究予算の確保のつながりができたりと難しいのではないでしょうか。

鶏と卵みたいな問題にもなるのかもしれませんが、比率を上げる云々より、研究環境改善を先にした方がよいと思います

たとえば最近だと、女性研究者が育休を取ってその分の授業を男性研究者がしないといけない、負担のしかかっているという問題があります

あとで職場復帰したとき男性研究から嫌味を言われたという話も聞いたことがありますギリギリで人を雇っていることがまず問題です。

負担男性にのしかかるという意味で、男性研究者にとっても大きな影響があることなので男女参画の会議とか、もっと男性も出席して意見した方が

いいと個人的には思います

単に業績、長時間労働だと、産休・育休を挟んだ女性は負けてしまますプラス飲み会夜の会議を評価されると生き残れません。

私は、結構研究室の男性研究者とそういう話をしますよ。男性同士でもそういう会話してもいいと思います

私も業績が少ないとあとでいろいろ嫌味を言われると思うので、研究がんばりたいと思います

2021-05-13

こちら弱小大学理工学部やんわり工学

コロナ講義リモートになった。ここぞとばかりに昨年の動画を流用。

会議リモートになった。カメラオフにして内職。

論文を書いた。視界の中で数式やアルファベットが溶けてきた。

会議は増える、仕事は増える、ヒトは減る。

ゆるふわ地元企業と共同研究しろ学長のお達し。勘弁して、研究室は商品開発のアウトソーシング先じゃないの。

お金研究資金)をくれるなら、身体も魂も(研究時間も)売るけど、タダで大学教員を使おうというのはどういうことじゃい。

俺たちは無料PCインストラクターじゃない、都合のいいスタッフでもない。どうしてそういう都合のいい無償労働者みたいに扱うの。

なんか授業では学生にそっぽ向かれ、研究室では学生に疎まれて、誰でもできる仕事ココロをすり減らしていたら自尊心減っていくよ。

ふとおもう。自分はどうしたいんだろ。

そっとしておいてほしいんだよ。ほっといてくれよ。

専門家として尊重されたい。ただそれだけなんだよね。

2021-05-12

anond:20210510224030

別に教えてもいいけど、この中から有用チャンネルを掘り出すのは結構シンドいと思うよ

本当ならジャンル別に整理したいところだけど、面倒すぎる

更新止まってるチャンネルとかも応援意味登録してる

はてな的には、徳丸浩のウェブセキュリティ講座 を実は知らない人も多いか

あと どうぶつ奇想天外 と さまーず は自力検索してて発見したので、このあたりも知らない人多いと思う

2021-05-11

風邪研究室を休んだ

発熱があって、人にうつしたくないので休んだ。教授に味覚はあるし県外に行ってないのでコロナじゃないと思いますが休ませてくれ~ってメールして

ゆっくり休んで火曜学校行ったら発表会の日程一週間ずらしといたって言われるという!!!!!

こんな大事になるんだったら頑張って学校行ったらよかったって思ってしまった。もともと病原菌ばらまきながら「具合悪くても学校に来る真面目な私/俺」感出してくる人が大嫌いなのもあり小中高普通に学校休んできたのに、学生給料もらってないから体調管理義務なんて学校に負ってないのに!

ご時世のせいで休んだ人への対応丁重になって、ますます休みずらい世の中になったな、、、、

夢日記

2011/1/16

こんな夢をみた.友人と車でお祭りへ向かう途中,交通事故あい幽体離脱.「あー死んじゃったかー」とか思ってグチャグチャになった車を俯瞰していると,僕の体は車から這いでて警察を呼び,友人と一緒に立ち去ってしまった.僕は取り残された.

2011/12/6

こんな夢をみた。僕は中学校にいて、何人ものクラスメートと顔をあわせた。それも男女問わず卒業から会わなくなった人達ばかり。最後に、初恋の人と食堂てんぷら定食を食べた。そこで僕は、彼女玉子が嫌いだったことを思い出した。あの中学校食堂なんてなかったことも。目は覚めた。

2012/1/21

こんな夢を見た.携帯が鳴り,研究室ソファから起き上がる.時刻は3時過ぎ.伸び上がって靴を履き,立ち上がる.と同時にソファで「目が覚める夢」から 目が覚めた.時刻は4時過ぎ.立ち上がる.と同時にまたソファで目覚める.時刻は5時過ぎ.6時,7時,8時.昼には諦めた.目は覚めていた.

2013/1/6

こんな夢を見た。温泉から上がり部屋で一息つくと、脱衣所での忘れ物に気がついた。取りにかえるも、その温泉に戻れない。あるのはロビーと地下への階段。 迷わず下る。1/3ほど照明の点いたバーで、3人が飲んでいた。女性は言う。「私が代わりに探してあげる」。忘れ物はついに思い出せなかった。

2014/9/15

こんな夢を見た。私は知らない農家の宴席で、その男の話を聞いていた。男は次第に興奮し、暴れ、自らの腹をナイフで抉った。私は取り押さえられた男の腹から一筋の血が流れる様子を眺めていた。「俺はあの牛なんだ」そう言い残した男は車で連れていかれた。

私は外へ出た。庭には一匹の黒毛牛がいて、気が違っていた。腰のベルトを外して叩きつけると、牛は逃げていった。それを横目で追いながら、川を越え、古いバス停腰掛けたところで、読んでいた小説を閉じた。タイトルは「牛の首」だった。私は街へ下りることにした。

大きな駅の向こう側へ行きたくなって、地下連絡通路を目指した。下って歩いて上った先で、一人のセールスマンが待っていた。私は家を探していたことを思い出した。マンションの一室へ向かう。「紹介するのはここと同じ造りのお部屋です

お客さんは運が良い。ここのご主人は昨日自殺したので、誰もいません。見るなら今日です」フローリングは酷く黒ずんでいた。部屋を検分していると、喪服の女が階段の上に現れた。木製で高さのある螺旋階段は、このマンションには不釣り合いに思えた。

女は言う。「見よ、あの牛を。涎を垂らし、目を泳がせる、あの醜い黒毛の牛を」それは「牛の首」の一節だった。「ご主人はどちらですか。あの男ですか。あの牛ですか」「牛よ」そう答えた喪服の女は声を上げて笑った。私は部屋を出た。目は覚めた。

2015/4/10

こんな夢を見た。高速道路トンネルに入ると何十もの真赤なランプが光っていて、渋滞のようだった。車が完全に停止するまでブレーキ踏み込み、サイドを引くと同時に、警官に声をかけられた。「車を降りてください。指示に従ってください。」私は他の運転手と同様に非常口へ向かった。

先には窓のない畳部屋があって、黒い長机と弁当が並んでいた。奥から二番目の空席に腰を下ろす。右隣の男性貧乏揺すりが続く。弁当はやけコントラストが低い。向かい女性は口を開けて呆けている。どこかでパキという音。戻ろう、戻ろう、私はつぶやきながら独り部屋を出た。

トンネル警官の姿は無く、ナトリウム灯がまばゆいばかり。私は車を捨てて歩いた。出口に辿り着いたが、無機質な車列は途切ず、青空の下とても静かだった。脇にはトンネル名が刻まれた石碑があって、それをなぞる。五文字目で指先に鋭い痛みが走った。目は覚めた。

2015/4/21

こんな夢を見た。夜祭の喧騒を抜けると、人のまばらな屋外ステージ中央で、男が何やら呟いていた。それらは全て、この地の死者が今際の際に発した言葉だという。石段に腰を下ろし聴き入る。殆どが呻き声でよく聞き取れないが、どれもこれも懐かしい。それらは確か、私の最期だった。

2016/11/10

こんな夢を見た。私は窓の無い病院に何年も入院していて、その日は定期検診だった。入院患者の列に混ざって待っていると、前の一人が脇の通路を指差した。「そこから外に出られるかもしれない」

患者達は一斉に走り出した。初めは様子を伺っていた私も、後に続くことにした。無機質な通路を抜け、いくつもの自動扉をくぐると、急に冷たい空気が鼻に触れた。外は夜だった。私は、電灯に照らされた公園と人工の川に患者達が散る様子を眺めていた。

胸許の携帯が鳴った。「早く戻りなさい。外は身体に悪い」それは心の底から私を案じる声だった。「しかし、みんな喜んでいます。こんなにも空気が美味しいのです。こんなにも自由なのです。」話し終えると同時に、別の電話が入った。「ボートを見つけた」

それは汚いスワンボートだったが、迷わず乗り込んだ。ボートは勢いを増す。川底の石を蹴り、橋を越え、カモメを追い抜いた。ついには岩に乗り上げてしまったが、川岸からボートを押していると、その人数は少しずつ増え、豪快な波しぶきとともにボートは川に戻った。歓声が上がった。

ボートに再び乗り込んだそのとき、朝の光が目に飛び込んできた。「もう戻らなければならない」そう思った瞬間、電話で使った『自由』という言葉に重さを感じた。その言葉意味に初めて気が付いた。目は覚めた。

2020/1/2

こんな夢を見た。私は講座「反境学」のガイダンスを受けるため、大教室の扉を開けた。百名以上が座っていたが、私だけ後ろ向きの席に案内された。私の背中女性講師が言う。「反境学について質問はありますか。」前を向いた学生の一人が手を挙げた。

環境学とは違うのですか」「環境学も反境学に含まれます」「社会科学ですか」「あらゆる概念が当然含まれます境界を無くす学問なのか、そう考えた途端、周囲の学生は消え、私は前を向いていた。講師と目が合った。「違います。」目は覚めた。

2021/5/11

こんな夢を見た。私は想い出の場所に向かうため、登山をしていた。久々の単独行。ペースは上がり、森林限界を抜け、雪渓差し掛かった。酷く咳が出る。雪渓は雪と砂が細かく混ざっていて、古い雪崩跡だと思った。視界の端に何かが映る。黒ずんで、痩せた人間の手が転がっていた。

足を止めた。酷く咳が出る。後ろから声がかかる。「ありがとう。○○さんは手伝ってくれるんだね。」初老女性だった。「なぜ、私の名前を知っているのですか」「あなたに会ったことがあるからです」やはり酷く咳が出る。足元の誰かを、背後の誰かと掘り起こすことにした。

女性は言う。「ごめんなさい。もう、そのシャツ臭いはとれないねしか腐臭は感じない。いよいよ咳は酷い。掘り起こした誰かは、結局腕しかなかった。それもぐずぐずに崩れてしまった。私は手を合わせ、先に進むことにした。咳は血を吐かんばかり。痰が喉でゴロゴロと騒がしい。

すれ違った何人かの怪訝な目に、染み付いた腐臭を初めて認識した。視界が狭まり、白黒する。歩く。歩く。そうして日が沈む直前に、山小屋に辿り着いた。咳をすることでしか呼吸ができない。硬い床に雑魚寝する。眠れない。だからきっと白昼夢だったのだろう。こんな夢を見た。

私はベッドに横たわっていた。寝返りうつと、そのきしむ音と合わせて時計が目に入った。時刻は午前二時五十分。外に錆びた自転車が見える。跳ね起きて質素な窓枠に足をかけると、不意に声がかかった。「子供はどうする」ようやっと、家族3人で寝ていたことを想い出した。目は覚めた。

2021-05-09

博士課程に行きたい話

理論計算機科学研究室修士で出てエンジニアとして働いていてるけど、やっぱり研究好きだったんだなあって。数学プログラムとして実装してそれが実際に動くのが楽しかったんだよね。アカデミアに戻ったほうがいいのかな、日本企業でそういう仕事ってなかなかないんだよね。

2021-05-05

Vine Linuxが開発終了ってまじか

Vine Linux リリース版の開発終了宣言

https://togetter.com/li/1709455

10年以上前大学研究室PCでお世話になってた。

その後の開発状況とか全然フォローしてなかったけど、開発終了なのか・・・

つの時代が終わったんだなと。

2021-04-30

anond:20210430172458

書籍だと、教授サバイブするための活動、という見方も出来るから研究室の数がどうなっているか、に興味あるかな。まー、でも少し追っかけてみる。

anond:20210429223739

話題がずれるけど、知り合いの大学院生医学部生)もワクチン打てるみたい。医学部とはいえ医師看護師志望ではなく、公衆衛生を学んでいる人。授業や研究室活動も基本ZOOMでやってるし、そもそもぜんぜん医療従事者なんかじゃないのに。ずるい。

2021-04-27

愛される為には正しく愛さなければいけなくないですか!?

ヤバいといわれる研究室学生から見た教授について

客観的なヤバさ

・毎年学生が耐えきれず数人移動している

・他の研究室教授からもめちゃくちゃ嫌われている

尊敬しているところ)

・賢さ。論理矛盾に一瞬で気づくし、人に伝えるときもわかりやす

・面倒見がいい

(嫌なところ)

威圧的

ゼミなどで自分指導しない生徒の発表を聞く態度が悪い(動作音立てたり、何度も退出したり入ってきたり)

基本的他責

・だれもやらない実験の後始末をやっていたのに、効率が悪いと口を出してくる(10年以上前からぼう大な量が放置されていた為、気が向いたときに少しずつ片付けていた。使ったもの自分責任持って片付けるよう指導するべきでは…?少なくともそれを片付けてる私に効率が悪いっていうのは論外すぎでは…?)

これまで自分なりに研究室雰囲気を良くしようと頑張ったり、良いところを広めたり、放置されて埃を被った実験器具を片付けたりしてきた。

でも昨日、最初ゼミで、今までしてきたことが無駄だったと感じる仕打ちをされて心が折れている。本人は自分が何をしたかも気づいていない。おそらくこれまでの先輩もそれが積み重なって辞めたんだろうな…

私はどうしようか

他の研究室に行けば私のしてきたことはおそらく今のようにひどい仕打ちでは返ってこない

もしくはあと3年、全てを諦めてここで耐えようか…

活気のある研究室にしたいみたいだけど、研究室雰囲気も評判も現在いる生徒にかかってるんだよ…

人に愛されたいなら正しく人を愛さないといけないな…と教授を見て自分にも深く刻んでいる

2021-04-24

anond:20210424130400

すこしボカしますが、研究室の先輩はいなくて、担当教授相談にはのってくれますが直接職を探してくれるような人ではないです。

やりたいことのアピールはかなりしています。新設部署に行けるかは完全に運ですが、参考にしておきます。ただ会社の傾向として保守的雰囲気がかなり漂っているのでそこまでうまくいくかは微妙な気がします。

2021-04-23

相模原キャンパス相模原市中央区)で、・・・16年4月から研究室に籍を置いたが、その直後からいじめが始まった。

相模原でやまゆり事件があったのも2016年

2021-04-19

anond:20210419145036

まあオンライン学校で受けること自体は、先生は家に居たり別キャンパス研究室にいることもあるから無意味ではないとは思うけど

兎に角前後の「対面授業」のためだけに登校させられるのが理不尽なんよ。

学部生のころ、研究室配属されたときに先輩から聞いた話。大昔に任期なし雇用された助教で、ボスの退官後もずっと教員として存在していた人がいたらしい。今も居るかは知らないが。彼には小部屋が与えられていて、論文等の業績が無くても定年まで在職できたそうだ。教員会議みたいなやつにはちゃんと出席していたらしく、そこで割り振られた雑用をやっていたらしい。彼は学生の配属先の選択肢に挙げられておらず、授業も受け持っていなかった。(オムニバス形式の授業で出てきたかもしれないがよく覚えてない)

現在アカデミアのポスト任期あり雇用だらけになった理由ひとつに、そのような教員無駄として排除たかたからというのがあるらしい。それって合理的か? あるいは本当にそうするしかなかったのか? だとしたらそれはなぜ?

職員は割り振られた仕事をこなし続ける限り減給されない」みたいなルールが(暗黙的にでも)あったと仮定して、件の「大昔からいる無駄助教」は彼の全盛期のとき給料を今も貰い続けていると仮定する。それが問題なのならばシンプルな代案として、「定年まで在職する権利保証するが、給料は業績とかに応じて最低賃金レベルまで下がることがある」みたいな契約に切り替られれば、任期あり雇用だらけにせずにすんだのではないだろうか? (彼の雇用契約反故にするのではなく、これから教員になる人の契約をそうするという意味

(1)仮定が間違っている(件の彼の給料がすごく安くても、周りは排除したがる?)

(2)そういう契約ができない何らかの理由がある(だとしたら何?)

(3)手取りを最低限まで落としても、社会保険料とかがあるので大学からみたコストはあまり下がらない(もしそうなら社会保険が薄い国では様子が違っている?)

それとは別に給料メチャクチャ上下しうる契約だと子どもを育てるのに不便だろうと思う。もし今日の若手世代上記のような契約提示されて受けたとしたら、選択肢としてそのポスト返上して民間転職する、ないしは兼務するなどを常に考慮し続けるはずだし、その際に好待遇を得られるような能力とかを維持し続けようとするはずだと思う。

2021-04-17

FIRE(経済的自立,早期退職)前にホワイトベンチャーに行く流れ

ホワイトベンチャー就職した

前職はブラック

そのようなところから抜け出して、今はホワイトベンチャーに勤めている。

  

ブラックからホワイトへの転職不安

ブラックだと、考えたりする暇がなかった。

資産は3000万円あったが、貯金は1000万円もなく、無職は怖いなあと感じていた。

一方で、ブラックで働き続けると、体が壊れる可能性もあり、そうなるとFIREどころか死んでしまうとも思っていた。

そう考えているうちに、ブラックから転職がうまく行き、年収は少し下がったが、ホワイト企業就職できた。

  

ホワイト基準

100億円単位くらいの企業価値ベンチャーかつIPO前というのがポイントです。

多分、企業まもないベンチャーだとすごく忙しいと思います

一方で、メガベンチャーとかで、数百人とか人がいるところも職種が細分化されて仕事が固定されてて自由はないと思います

100人いないくらいで、企業価値が高い、利率が高い企業に行きましょう。

  

ホワイトベンチャーの中身

どのくらいホワイトかというと、フレックスなので、朝は10時とかでもいい。

在宅は自由。出勤も自由

仕事書類プレゼンで、コンサルに近い。

大学研究室に近い。学会資格試験など行き放題。今まで取れなかった資格なども会社のかねで受けて、ホワイト自由時間勉強している。

そのくらいなホワイトだが、上場前のベンチャーなので、コンプライアンス厳し目なので、無茶苦茶緩く働いても許される。

  

ホワイトベンチャーFIREを目指す

資産はそこそこだが、やはり現金が厳しい。

ストッオプションも少しもらってるが、やはり現金は積み上げたい。

ホワイトベンチャー業務でも新しいことを覚えるので、ある程度の実績を積みつつ、この企業の売りの技術を学んで行くと、多分2〜3年くらいかかる。

特に立場など欲しくない。

実家個人事業なので、親の地盤を継いだら、いよいよFIREとなる。

新しいことを覚える最後時間だと思う。

体をゆっくり休めつつ、FIREまでの時間を楽しみたい。

2021-04-14

それなりに恵まれているはずなのに、不幸を感じる

28歳男

地方政令指定都市在住

地方大卒(工学修士)

日系メーカー勤務

年収550万

金融資産800万円(投資でこれまで250万プラス)

車持ち

奨学金なし

残業時間は年300時間程度

週の半分程度が在宅勤務

身長182cm

経験人間50人くらい(主にマッチングアプリ)

軽めのADHD(自称)

過保護母親のもとで育った(今は疎遠)

小中高は田舎公立学校に進学

小中と運動神経が悪いくせに無駄に成績だけはよく尊大な態度で生意気だったためいじめに遭っていた

中学身長が伸びて見た目が垢抜けると同時にいじめはなくなった

中高は運動部

大学での成績は普通

大学ではぼっちではなく文化系サークルにも加入していたが今でも連絡をとる友達はいない(結婚式年末年始に会う人がいる程度)

現在一年近く付き合っている彼女がいるが職業性格などを重視して見た目を妥協してしまった

セフレがいる

初対面の人とは上手く話せるが、だんだんと人と接するのが怖くなる傾向にある

あがり症プレゼンなどで人前で話すのが非常に苦手だが、原稿を準備してそれ通りに話すのは問題なくできる

今の仕事を続けていいのか漠然とした不安

そんなに不幸じゃないはずなのに不幸を感じている

漠然死にたいと思っている

漠然死ぬべきだと思っている

大学学部研究室が毎年一人は中退するような場所で私も一時期研究室に来れなくなった

どうにか卒業し、修士では研究室を変えたものの、精神が脆くなったようで少し嫌な事があると今でもたまに鬱病のような気分になる

たぶん今の死にたそうな気分も明日にはどうにかなっているはずだが、こんなものを書いて私は一体何がしたいのだろうか

からない

研究室サバ缶は糞仕事学生研究室サーバ管理を任せるな

在学期間的にろくに引き継がれねぇ情報

サポート切れのIPAPHPApacheうごubuntu 12.04のオンボロサーバ,構築方法がよくわからん古代遺物

クソ見てえなシステムリプレースしたいが金も入らねぇし,時間も食いたくねぇ.研究時間を使わせろ.

サバ缶の俺は今日サービスが止まったらsudo rebootsudo service restartしかしねぇ.

WindowsLAMP環境ソフトを作ってこれサーバで動かせない?とか言ってくる同期,良いけどいっしょにDockerVM導入しよ!

時間があれば研究室のサーバは全部SaaSとかメンテナンスが楽なやつに任せたい.

anond:20210414003045

たとえば―150度で保管しないといけない、室温に解凍したら3時間以内に使ってしまわないといけない、とかよくあるじゃん

一部だけくすねてかくして―150度とかで保管できないよ。大学研究室とかならともかく。

2021-04-13

他人心配されるのがつらい

私は現在、ある国立大学大学院生をしている。

M2就活中、ちなみに内定はまだない

まあ内定はいつかどこかからはもらえるだろう。

それはいいのだが、私は障害者である

吃音症やADHD、またそこから鬱病発症した

これらのことは周囲に隠していた

就活にも影響は出るし、吃音症なんか人によっては私のモノマネをし、馬鹿にしてくる

こういうことを経験してきたので、私が持ってる障害病気は周囲には絶対に言ってこなかった

しかし、最近、更なる障害としててんかん発症してしまったらしい

研究室で2回、アルバイトで1回、意識消失して救急車病院に運ばれた

目の前で意識消失されると、周囲の人はびっくりするのか、ひどく私を心配してくる

その他人から心配を私は心から受け入れることができない

今まで自分障害馬鹿にされてきたからだ

この優しさに対して何か裏があるんだと思ってしま

どうしよう

鬱も悪化してきました

2021-04-12

研究室いきたくない

先輩も助教も同期もいい人だけど月~金で朝から身なりを整えて行動しなきゃいけないの無理すぎる

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