はてなキーワード: 遠心力とは
ヤンキーVIP車のハの字のタイヤ(鬼キャン)のエントリがバズっていたので尻馬に乗って軽く書いてみる。
多くの人は車のタイヤは全部直立してると思ってるだろうが違うのだ。
そもそもなんでキャンバーが必要かという事が判らないと、ハの字にするのがカッコ良いとう文脈が出来たって事が判らない。ヤンキー文化というのは大抵、カッコいいの特徴を極端にし過ぎて独自文脈に至っているというのが多い。
『「タイヤがハの字」のクルマ、たまに見かけるけど何のため?→専門家の解説が的確すぎた!』
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/diamond.jp/articles/-/349720
まず、多くの人が抱いている直立タイヤを模式化する為にペンと小皿を用意して欲しい。ペンを直立に立てて小皿をペンにくっ付けて立たせる。ここの小皿がタイヤでペンがハンドルを切った時にタイヤが向きを変える軸だ。
ペンを動かさずに小皿を動かしてみると、小皿はその場で向きを変えるんじゃなくてペンの周りをグルっと回るような動きをする事が判る。
これが自動車だとこの小皿=タイヤには車重が掛かっているのだ。数百キロの重さが掛かっているタイヤ2本をこうやって位置を動かす、しかも腕の力で、というのははっきり言ってチャックノリス以外は無理である。だからこの構造だと停止状態でハンドルを切るという事が出来ない。更にブレーキを踏んでいたらタイヤの動きがロックされるので物理的に無理となる。
初期の自動車もこの問題に直面した。その為、18世紀フランスで造られた蒸気自動車google:image:Cugnot Fardierも19世紀のベンツ初の車、モトルヴァーゲンgoogle:image:Benz Patent-Motorwagenも前1輪の三輪車だった。
でも3輪だと安定性と積載性に難がある。そこで4輪、つまり前の舵輪が2輪で運転に難が出ない仕組みが試行錯誤され、こういう風になった。
1.タイヤの向きを変える為の軸(キングピンという)をハの字に傾斜させる
こうすると、キングピンの旋回軸を延長して地面にぶつかるところとタイヤが設置する場所を一致させることが出来る。つまり、ハンドルを回してもタイヤは接地面を移動させずに向きを変えるだけなので、停止状態でもハンドルが切れるのだ。
剥き身になってる車では見やすいのでこれを見て欲しい。https://youtu.be/13WS1UpG38I?si=46LZ8ChZ6ftGXrZ9&t=180
3:00の辺りから前輪の内側が見えるが、スポークホイールの内側にブレーキドラムがあってその内側にキングピンが見えるが、キングピンは傾いている。またタイヤも逆ハの字に少し傾いていて、キングピンの軸の延長をタイヤの接地面が一致しているのが判るだろうか?
しかしこれだと問題も発生する。例えば右に傾いた円盤を転がすとどうなるだろうか?右にどんどん曲がっていくよね。だから逆ハの字に傾いたタイヤは走り出すとずっと右のタイヤは右に曲がろうとし、左のタイヤは左にっ…て状態になってて、無理にねじ伏せて走る事になる。タイヤのゴムはずっと「消しゴム掛けてる」状態になってるから直ぐに減ってしまうし燃費だって悪くなる。
そこでこうする。
右のタイヤは右に行こうとするので左向きにする。すると右に行くのと左に行くのが釣り合って直進するのである。
左タイヤはその逆に。
なんだが無茶苦茶で無理させてるように見えるが、実際にはちゃんと安定する。そしてこのタイヤの整列状態が戦前から1970年頃までの標準となった。
この為に逆のハの字が標準状態なので逆ハの字がポジティブキャンバーと言われる。上から見て前側を狭めるのはトゥインという。トゥはつま先で、つま先をすぼめた内股で立ってるイメージだ。ポジキャン+トゥインが70年頃までの標準ね。
だが逆ハの字の車というのは今は見ないだろう。それは駆逐されてしまったからなのだ。
まずレースなどのスポーツ走行。カーブでは外側のタイヤが踏ん張るのだが、車体が遠心力で外側に傾く(ロール)。するとタイヤも一緒に傾くので、逆ハの字が強くなってしまう。この状態だと踏ん張りがきかないというのは判ると思う。
だったらレースカーは駐車場の据切りとか考えなくていいのだから、最初からハの字(ネガディブキャンバー)にしておけばロールした時に直立状態になるからカーブを速く走れる。
という事でレースカー=ハの字となり、つまりはネガキャンは速さの象徴となったのであった。
特に1970年代まで多く使われていたタイヤは今のものと構造が違う。今使われているタイヤはラジアルタイヤといって、空気を入れる前も入れた後もタイヤの形が同じになるように構造がしっかりしている。更に接地面は平らになる様に鉄のワイヤを編んだベルトが入っていて、空気圧の多寡で形が変わらないようになっている。
だが70年代までのタイヤはバイアスタイヤといって、形が変化するように柔軟な構造になっていた。自転車のタイヤと同じである。空気を入れるとトレッド面(地面に当たる外周部分)も丸っこく変形する。だが接地面は車の重みで凹むので、これが接地面積になるという構造だった。
こういうヤワな構造のタイヤではタイヤが突っかい棒の方向に向いていれば踏ん張れるが、逆向きだとヨレてしまって全然踏ん張れない。
更にポジキャンが車界から駆逐されてしまったもう一つの理由がFF化だ。
FFは前輪を駆動する方式の事だが、初期のFF車には重大な欠陥があるものも多かった。
歩くほどの一定速度でアクセルを踏まずにハンドルを切ってぐるぐる回ると、前輪の向きと前輪が通るルートは一致している。だが速度を上げていくとタイヤはゴムなので外側にジリジリと滑りながら曲がるようになる。
ここでタイヤが大幅にスリップせずに路面とハンドルに追従するのは接地面のグリップ力によっている。このグリップ力を超えると滑りが大きくなってスピンや外側の壁にぶつかってしまうわけだ。
前輪駆動では駆動力が前輪にかかるが、グリップ力はカーブで踏ん張る力と駆動力で折半しているのだ。
これがどういう事かというと、首都高の急カーブでハンドルを切っているのにちゃんと曲がらず、外側に膨らんでしまうという時、グリップ力の限界付近になっている。
ここで慌ててアクセルを戻すと、駆動力分に割り振られていたグリップ力が全部カーブ踏ん張り力にやってくる。するとハンドルが効きすぎて急旋回し内側の壁に突っ込んでしまう。曲がらないからとハンドルの切り増ししていたら最悪だ。
だから首都高カーブでの事故というのは、外側の壁にぶつかるよりも内側にぶつかる方が圧倒的に多い。
逆ハの字のポジキャンではこの挙動が起きやすくなってしまう。因みに初期FF車でこの特性が強く出て問題視された車にはgoogle:image:ホンダ1300セダンなどがある。ホンダ1300は後から2ドアクーペが出るのだが、クーペの方が穏やかでセダンの方がじゃじゃ馬という不思議な車だ。
また車の駆動力は内側から伸びるドライブシャフトで伝達されるわけだが、この時、力を受ける軸の方に曲がろうとする特性がある。つまり両輪とも上から見て内側に向こうとしてる訳で、これはトゥインと同じ状態だ。これをこのままにしていると加速の度にタイヤが減ってしまうしハンドルも安定しない。
だったらFFではトゥアウトにしておけばいい。トゥインと逆にガニ股につま先を開いた状態だ。
トゥアウトにしたら加速していない時に備えて、キャンバーをハの字にして辻褄を合せなきゃならない。
という事で、FF車や4WDが殆どとなった現在、逆ハの字のポジティブキャンバーは見なくなってしまった。一番最後のポジキャン車は恐らく1990年終売のシトロエン2CVかと思われる。google:image::Citroen 2CV
市販車でネガキャンが可能になったもう一つの理由はホイール形状の変化だ。
昔はスポークホイールだったが、今は鉄のプレスホイールやアルミ鋳造のホイールが多い。ホイールのディスク面を外側にずらす事(オフセット)で内側に空間が生まれる。更にタイヤもホイールも太いものが主流になっている。
するとステアリングの旋回軸の先をホイール内に入れてしまう事が可能だ。するとこの旋回軸の延長にタイヤ接地面を持ってきて更に緩いハの字にする事が出来るようになった。
ところで、この10年ほどで省略される事が多くなったが、その前は黄色く細いスペアタイヤ(テンパータイヤ)を積んでいるのが一般的だった。
そもそも細いので接地面の位置が合わなくてチグハグな状態になる。その上で、上記のバイアスタイヤが抱える問題を抱えていて、FFのフロントに付けた場合は上記の危険な特性を呼び出してしまう可能性があるのだ。
なので、FFでフロントがパンクしたからとそのまま黄色いスペアを前に付けると危ないのだ。更にそれで高速に乗っちゃったりというのはもう自殺行為でしかない。だから黄色いスぺアには「FF車の前輪には絶対につけるな」と書いてある。
まず、道路を走行する車の規制法は二つあって、役所も二つある事を踏まえよう。
規制法は、車両法と道交法、規制役所は警察と国交省(運輸局)だ。
で、警察は道交法と車両法を扱い、国交省運輸局は車両法だけを扱う。
車両法の政令は「道路運送車両の保安基準」、略称保安基準と言って、具体的にどの部品はどういう風でなきゃいけないかという事が書かれている。改造する場合や荷台などを付ける場合はこれを参考して判断する。
保安基準ではタイヤは車体からはみ出して露出してはいけない。これは元は水はねを予防するための基準だった。
だがこれは違う意味で大事な規制になっている。それは歩行者との接触時にタイヤ周りの回転物を接触させない為だ。ボディに接触したのとタイヤやホイールのナットなどに接触したのでは受傷程度が全然違うのだ。タイヤへの接触では巻き込んで踏んでしまう可能性が高くなるし、ホイルナットなどに接触すると抉るような力が人体に掛かって重篤な傷害を負わせてしまう。
ネガキャン強めくらいだと上の方はタイヤハウスに収まっているし、張り出した下側もボディ外寸内に収まる。故に警察に検挙されるという事もない。
しかし鬼キャンともなると、明らかに下側が出過ぎているし、ボディ外寸を超える。だから警察に検挙されうる。
では車検は?というとこれは多分ネガキャン強めでも鬼キャンでも通らないはずだ。
というのも、車検では「サイドスリップテスト」というのがある。上記で説明した、タイヤに無理な力が掛かっていないか、トゥインとキャンバーの組み合わせが釣り合っているかのテストだ。
具体的には横にスライドする鉄板の上をゆっくり通過する。釣り合っていなければ鉄板が横に動くので「サイドスリップ ×」と電光掲示板に表示されて車検落ちだ。
キャンバーいじってあるとここで落ちてしまうので車検は通らないという事になる。
このサイドスリップは改造車じゃなくても駐車場で縁石にぶつけた、サスペンションのゴムブッシュが経年でヘタっている、とかでもタイヤの整列が狂って落ちてしまう事が多い。
だが警察はこのサイドスリップテスターを持っていないのだ。そこまで厳密な検査で車両法違反を摘発するという運用になっていない。だからサイドスリップでは車検には通らないが、警察には検挙されないという状態である。
というわけで、ハの字のネガキャンはレースなどの速さの象徴が過剰化し実用の範囲を飛び出して、速く走れなくなったというヤンキー文化にありがちな代物である。
だが昔は逆ハの字のポジキャンが車の当たり前であって、その中でハの字のネガキャンにするというのはレーサー標榜の不良であった。
しかしエンジンの高出力化、車重の増加により太いタイヤが主流となってネガキャンの方が都合が良くなった上に、FFの主流化によってトウアウトにする必要からネガキャン必須となった。
故に今は嘗ての不良の象徴だったネガキャンしか世に無くなった。そうなると不良性を売り物やファッションのアイデンティティとする者にとっては、実用性ブッパする程の鬼キャンにするしかアピールする方法が無くなったとも言えるのである。
だから「なんであんな異常なキャンバー角付けるの?」と問われたら「”世間側”の全てが不良側に寄って行ったからその先に逃げるしかなかった」というのが一つの答えになるのだ。
巴御前(「一人当千の兵なり」とまで伝えられるつよつよ女武将)
立花誾千代 (立花城城主。薙刀と鉄砲の名手。「女子組」という部隊を率いて敵軍と戦ってたらしい)
天皇家もそうだけど、日本はわりと女に家督を継がせるパターンはあるんだよね
戦国時代まではわりと歴史上活躍してる女はいたし、政治力や財力を発揮してた。
薙刀って武器は遠心力を使って下から薙ぎ払う性格上、非力でも扱いやすいし、小柄なほうが有利だったりする。
いざというときに戦うのは女の勤めでもあったわけよ
日本だけではなくヨーロッパ中世の遺跡からでてきた騎士団の遺骨に女騎士の骨も含まれていたとか言うし、洋の東西を問わずまれに戦闘力高い女っていて、それなりに活躍してたっぽい
20世紀になってからは普通に女性にも徴兵制度が採用されてる国も多いから、女軍人ってくくりだと普通にいるよね。
インパラ・・・ウシ科に分類される偶蹄類。本種のみでインパラ属を構成する。
インパラ・・・ゼネラルモーターズ (GM) がシボレーブランドで販売している大型乗用車
インペラ・・・液体・気体用の遠心力ポンプや発電機等に使用される羽根車
インペラトル・・・ローマにおける軍指揮者、凱旋将軍・大将軍、元首・皇帝
オンプレ・・・オンプレミス(自社サーバーでシステムを運用する形態)
(追記)
現代分類学の秘孔を突く新機軸エントリに思いのほかトラバブクマ集まったな。みんなサンキュー。
みんな知ってるか?インパラってめちゃ育てるのが難しくてどうもたぶんおそらくだけど日本の動物園にはいないっぽいぞ!?
「あーインパラねハイハイ見たことあるある」みたいに思ってるあなたのそのインパラっぽいイメージのやつ!、それ、「オリックス」ですから!!「アラビアオリックス」ですから!!「シロオリックス」ですから!!!「エランド」ですから!!!!
どうせ想像の中では雑魚モンス扱いなんだろ?ライオンチーターゴリラゴリラゴリラに見劣りするからな。でもな、敢えて言う実物を見てみろ!もも肉の感じとかサア!マジで生命感ハンパないぞ!見たことないが。
小池百合子知事が麻布十番駅を核シェルターにするとぶち上げて話題になっているが、
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/20979db65c4b2665d53884ea0247aa2eac51db19
実は都営地下鉄大江戸線の麻布十番駅は防災拠点として整備されていて、地下に巨大空間があるのだ。
地下鉄の線路は地下6階にあるのだが、駅コンコースは地下4階となっている。その上の空間が備蓄倉庫となっている。
更に鳥居坂のシンガポール大使館下に地下駐車場の入口があるのだが、
https://maps.app.goo.gl/T7BFm9ohKUEZT68J7
この下と道路の下が駐車場で、その下がまるまる防災倉庫+コンコースとして伽藍と開いているのだ。
大江戸線は2000年に開通したが、90年代の麻布十番は延々と工事中で、しかも巨大な縦穴を掘っているのが見て取れた。それは地下鉄だけじゃなくて備蓄倉庫の躯体も作っていたからなのだね。
土木に興味がある人なら、都市トンネルの作り方には上から掘り下げる開削工法と、地下を横に掘り進むシールド工法があるというのは知っている事と思う。
シールドというのは盾の事で、丸盾型の隔壁を全面に置いて開口部から工夫がショベルやツルハシで土を掘ってトロッコで後ろに残土(ズリ)を送る。シールドが前進すると同時に丸いトンネル形状を支える支保工を建てて、そこにコンクリートを流して丸いトンネルにする。トンネル掘削面を切羽というが、都市の地下だと切羽が崩れてくるのを防ぐ為にこういう風にした。150年前のロンドン地下鉄から使われている枯れた技術だ。
このシールド工法、今ではもっと進化して、シールドマシンという機械が自動で掘り進むようになっている。掘ったそばから円形トンネルの外壁を分割したセグメントを組み立てて行く。
http://www.yesemk.com/eng/business/tbm_small.html
が展示されていて、いかにもごつそうなドリルが付いているが、そういうのは山岳用である。
沖積平野地下で威力を発揮するのは実は泥水なのだ。泥水を吹き付けて土を崩し、そろばんみたいなカッターでグリグリやって出てきた残土は泥として後方に送る。
それには泥と水の分離機が必要になる。地下鉄工事や下水管(雨水管)工事の現場でこういうデカいタンクが置かれているのを見た事が無いだろうか?
https://www.futamoto.com/product/ftu-d/
これは泥と水の分離機で、丸い形状の場合もある。セットルタンクともいう。上に機械が載っている事も多いが、それは脱水機で、振動、或いは遠心力で泥から水を分離して、それをダンプに載せて残土として捨てに行く。
建築現場でも見る事が多い。これは杭基礎工事で潤滑剤として水を使い、杭打機の中の土の掻き出しにやはり泥水吸引を使うので、その泥を水と土に分離して捨てる為だ。
一方、シールド工事ではその残土、排水分離の他に泥を作るという役割があるってわけ。
水じゃなくて泥水である理由は、まずは比重の重さによる破壊力の増加。鉄砲水では橋や堤防は壊れなくても、土石流だと破壊されてしまう。これは泥水の方が比重が重いからだ。
また流動性が水より低い。この為に余計な場所に流れて行ったりしにくい。
また比重の高さにより、切羽が安定する。水だと掘ったそばから土は崩壊しようとするが、泥だと高圧状態が保てるので崩れにくい。
そして泥と別に水も送り、出てきた残土の泥を薄めて流動性を上げて後方の分離機に送るのである。
この為に残土のトロッコやベルコンベアも必要なくてホース数本だけでいい。人員も減るし労災も起こりにくい。
しかもこういう仕組みだとシールドマシンが小型化出来る。人が入れないような径のトンネルを掘る事も出来る。何しろホースと泥水分離機だけでいいのだから。
そういう訳で異常気象で多発してきた排水氾濫に対して雨水幹線を整備するのにも大活躍だ。下水管なら各戸の管を接続する為に露天掘りしか出来ないが、雨水管なら必要ないので小型シールドマシンが使えるのだ。
ってことで、シールドマシン下発進拠点であり工事の要である泥水分離機を稼働させ、残土を搬出する場所が必要なので大きな縦穴を掘る必要がある。この縦穴は最後にただ埋めてしまうと勿体ない。なので駅になる場所がシールド基地となる事が多い。
因みに雨水管シールド工事での基地の役割にはもう一つあって、それは「シールドマシンを押す事」だ。シールドマシンには推進力が無いので基地から油圧で押してやるのである。
で、トンネルが出来たらその上に駅コンコースの躯体を鉄筋コンクリートで作る。それが終わったら土で埋め戻して完成だ。
この辺の構造はみなとみらい線の元町中華街駅とかが判り易いかも。露天掘りで出来た駅コンコースからエスカレータを降りると、丸いトンネルの天辺に出る。この二つは別構造で作り方も別だったのだ。
都営麻布十番駅は地下6階で、コンコースは地下4階、その上はただ埋め戻しすると無駄だ。なので有効活用する為に備蓄倉庫とされる事になった。更にホーム自体は交差点からエネオスのガソスタのあたりまでなのだが鳥居坂の方まで延長されて地下駐車場と備蓄倉庫などになった。確か鳥居坂の方は地下鉄が開通しても工事が続いていた覚えがある。
また、石原都知事は地下鉄開業後に自衛隊部隊を市谷から大江戸線乗車で麻布十番に移動させる訓練を行った。自衛隊を指揮したい、六本木から市谷へ防衛省が移転したのでデモンストレーションしたいという動機もあったろうが、都営の防災倉庫落成のデモの意味もあったのだ。
このように元々防災備蓄倉庫として整備されていたものを核シェルター化するというのが今回の肝なのだが、どうもその辺の背景知識が参照されていないように思える。
更に小池知事はワンフレーズ政治家なもんで、ちゃんと継続して計画策定するのかっていうのが疑問なのだ。山手線2階建はどうなった?
就任当初に小池知事は廃校となった都立市ヶ谷商業高等学校跡地を韓国人学校に転用する取決めを反故にした。これは韓国人学校化を約した舛添前都知事の独断の疑いがある事の他に、当時議席もない右翼政治ゴロのような人物を秘書としていて音喜多ら都民ファ議員をパシリにしていて、その影響もあると思われる。
だがその言い訳がヤバかった。保育園にすると言ったのだ。当時「保育園落ちたの私だ」などで保育園待機児童問題が炎上しており、それに乗っかったのだが、こういう時は実地を見てみないとポジショントークになってしまう。
市ヶ谷商業高は新宿区矢来町にあり牛込柳町駅が最寄り駅だ。しかも結構な狭隘路の中にある。学校としての敷地はかなり小さい。だが保育園としては過大な建物だ。
車での送迎は狭隘路の為に不可能だ。また保育園というのは電車で通うものではない。電車で送迎した場合、坂の下にある柳町駅から急坂を登らねばならない。
都市計画法と建築基準法に用途地域というのがあり、地区ごとに建てられる建物の種類が決まっている。例えば商業地域には木造家屋は建てられず、住宅地に工場は建てられない。また工業地域には学校を建ててはならない。これは住環境や教育を保護するための規制だ。
だが保育園にはなんの規制も無いのだ。これは環境がどうこうよりも、保育園は働く人の為の施設でありオフィス労働者、工場労働者が居たら自動的に必須となるのである。
こういう属性を持つので、保育園は遠方に通うものではない。住居か職場に近い場所に開設されるものだ。
矢来町は大きなオフィス街ではない。だから大きな保育園が必要な場所ではない。
ならば住居の方はどうか?この周辺は人口空洞化が進む地域だ。因みに増田の母校はここから徒歩30分くらいの場所にあったが生徒数現象で廃校されてしまった。
故にここに保育園というのはナンセンスなのだ。だがこの時は「場所的にナンセンス」と強く否定されなかった。
その後市ヶ谷商跡地はずっと遊休施設になり、最近に老人施設に一部転用という形になっている。保育園転用の可能性は検討さえされていない。
こういう感じの人なんで、核シェルター化は本気で継続する事業なのか?というのが非常に疑問なのだ。
更に現知事の問題はその問題性を感じさせない天賦のポピュリスト性にあって、市ヶ谷商高保育園転用の時もマスコミに半畳を入れられなかったし、今回も同様だ。なんか、テキトウ言っても通ってしまうという言論空間にいる。長期停電したら水没しますが、ガスタービン発電とその燃料備蓄はどのくらい?と言った具体性に繋がらないで、北朝鮮の核があるから、で通ってしまい、何も事業が進んでないまま皆忘れるというパターンに入ってるような気がしてならない。
コロナ初期のように「三密」「移動制限」みたいに全体の流れを言葉で決定付けるのは非常に高パフォーマンスを出すのだが、その後が続かない。ママチャリにクラリオンの高額なアンプ、スピーカー積んで街宣みたいな感じになるのがいつものパターンというか。
大江戸線清澄白河駅も麻布十番と同じくコンコース上の空間が防災倉庫になっている。だから清澄白河駅でも同じ核シェルター化が可能だ。ここの場合はホームが地下2階、コンコースが地下1階と深さが無いが、その代わりに隣接する清澄庭園にはみ出す形で地下構造物が築造されている(はず。見てない)。
あと、東京都の防災倉庫に指定されていないが、新宿中央公園地下も広い空間が広がっていてシェルター化出来そうである。中央公園の新宿方広場は昔階段や噴水が組み合わされた広場だったが、地下鉄大江戸線工事で巨大工事基地となっていた。
その後広場に何も置かない、噴水も置かないというのは何かの躯体が埋まっていると考えられるのだ。
だからこの二つでも核シェルター化は可能な筈だが、何分にも知事が何処まで本気なのか放言なのか判らないので…
江戸時代の古川改修工事で工区を区切り、○○N番、と書かれて居たのが由来。麻布は十番だったので麻布十番と。これは有名だね。因みに昭和初めまで森本町、山本町、永坂町という感じで麻布十番という地名は無かった。町の合併地名整理で古い呼び方を復活させたのだ。
エネオスのスタンドの斜向かいにマンシーズトウキョウというレストランがあるが、実はここがバブルなディスコのマハラジャ東京の跡地。因みに増田も行った事がある。んでその近くのファミマの隣のPCデポの隣がマハラジャWESTでここも増田は行ったこt
一の橋の交差点の五反田寄りに団地があってその裏の古川べりに広尾公園があるのだ。
これは、江戸時代の古川の改修工事の後にできた、川べりの土地を開墾して田んぼにして、そこを全部広尾と名付けたためだ。つまり、一の橋からずーっと遡り、広尾の天現寺橋までの両岸が広尾。また天現寺橋から北の方に今の外苑西通りに沿って笄川(こうがいがわ)というのが流れてて、その両岸も広尾だった。地名として無茶なのだが、どうもこれは広尾の人らが開拓に駆り出されたかららしい。
後にややこしいので川沿い広尾は近傍の地名に合体させられたのだが、一の橋付近だけはその地名変更前に公園名が付けられて残ったというわけ。
六本木交差点のアマンド横に坂道があり麻布十番まで繋がっているが、元はこの道は都電の線路だった。廃止されて道路になったもの。
で、ここを都電が走っていたので、その代替都バスもここを走る事になった。なので右折禁止の六本木交差点の真ん中で都バスが右折待ちしているのが見られた。路線は新宿駅東口~東京タワー。
で、都バスは昭和40年(1965年)に車掌乗務から、ワンマン均一料金に転換したんだが、車掌については本人の希望にした。それで殆どの車掌は退職するか配置転換されたのだが、十数人くらいは継続勤務を希望した。因みに狭隘路線などでは今でも補助的に車掌が乗務する路線はある。
この人達が最後まで残っていたのが新宿~東京タワー系統で、1990年近くまで居たそうである。
因みにこの路線は整理されて今では残っていない。
鳥居坂は急坂の下の方を大通りが通り、そこだけ水平なのでサンフランシスコのような光景になっている。なので勢いがありすぎるとジャンプする。というかした。バイクで急いで通ろうとしたらジャンプして転倒しそうになった。減速を心がけたい。
元麻布に登る坂の下にパティオ十番という広場があり、多分これは南部イタリアの街を模して作ったものだろうが、よくフリマが開かれている。麻布十番という下町+オサレな地域に相応しい出品が多くて雰囲気も良いし面白い。
都電廃止後に陸の孤島と化していた麻布十番に南北線と大江戸線が相次いで開通することが決定すると、沿道には「悲願達成!麻布十番に鉄道開通!」という横断幕が方々に掲げられ、まるで冬は雪に閉ざされ交通途絶される雪国のようで苦笑した事がある。
先ほどの飛地みたいな広尾公園から古川を渡ると、三田一丁目というかなり強烈な下町がある。この辺の人も麻布十番居住と言っているはずだから、麻布十番に一番安く住むには三田一丁目に住むのが一番と思われる。風呂が無い家も多いが、実は麻布十番には銭湯が残っているのである。しかもここは温泉が出ている。泉質は南関東ガス田の上なので黒湯である。
六本木のロアビルから曲がり鳥居坂に向かうと、周囲は東洋英和や古い教会などが立ち並ぶ雰囲気の良い地帯である。
ところがこの広大な一帯には再開発が掛かっている。なのでロアビルも廃業して廃墟となっている。ロアビルから鳥居坂まで全てである。
実はこの一帯はロアビルも含めて川崎財閥という財閥の所有地であった。GHQの財閥解体で解散させられたが六本木の不動産はそのまま所有し学校などへ売却されたり共同運営(ロアビル)されるなど管理されていたがその全部を再開発する事になった。デペロッパは当然森ビルである。港区にいる限り森ビルのブルドーザーから逃れられる者は居ないのである。核シェルターもいずれ森ビルのブルドーザーが…。
縦型洗濯機の自動乾燥機能ってのは一般的には化繊2KGくらいまで対応してる風乾燥機能のことを指していることが多い(説明書などで※表記されてる)
洗濯容量が10KGで乾燥容量上限が5KGだったりするのもあるけど洗濯容量が減るに連れて乾燥容量はより大きく減じる傾向にある
ついでにいうと縦型乾燥機って衣類のシワに敏感な人には絶対にオススメできない
さらに言えば洗濯容量10KGで乾燥容量が5KGだった場合、当然洗濯から乾燥までコースでやるなら洗濯容量も5KGに揃えないといけない
これを怠ると衣類がほぐれない 生乾きで仕上がるなどパフォーマンスが下がる
この点実はドラム洗濯機はドラムの回転と持ち上げた衣類にはたらく重力のお陰で多少多めに入れてしまってもなんとかなってしまう場合もある
が、縦型洗濯機は下のパルセーターと槽の回転による遠心力、送風の力しか働く力がないので基本的にはほぐれにくい
縦型で乾燥機能がほしい人には丁寧にヒアリングして必ず誤解を解かないと「こういうものだと思わなかった」「説明がなかった」というトラブルのもとになる
長々と書いたけど乾燥機能が強いのは多少ドラムが勝るけど大抵のご家庭は洗濯容量と乾燥容量の区別をあまりつけないので不満を持つところが多い
上の説明で乾燥機能で多少はドラムに利があることは分かったと思うけど、ドラム式もめいいっぱい入れて乾燥はできないので次善の策として考えるべき
いちばんマシなのは天日干し、次に浴室乾燥、可能であればガス乾燥機、その次にドラム式、その次にヒーター乾燥付縦型洗濯機、最後に風乾燥
洗濯機の本分は衣類を洗うこと
むしろ、通常の議論で無視すると言ってるのは、標高による誤差ではなく、自転によるメインの遠心力の方であって、でもそれは無視するかしないかじゃなくてそもそも慣性力としては現れないんじゃないのって話。
地表の座標系の加速度、に対して
エレベーターの加速度:地表の座標系の加速度+(標高分の誤差+エレベーターが上昇する加速度)
でも、運動方程式に現れるのは(標高分の誤差+エレベーターが上昇する加速度)だけじゃないの?ってこと。標高分の誤差はむしろ無視できない。
地上でエレベーターが静止している場合、エレベーターが存在する地表(に固定した座標)と、エレベーターに固定した座標は、理論的には全く同じ加速度でこの宇宙内を運動しているはずですよね。
ここやな
でもその差は無視していいよねという話
非慣性系の座標系同士が慣性系に対してそれぞれ同じ加速度を持っている場合は、一方の慣性系の運動方程式を立てるときに他方の慣性系の加速度は項として現れないと考えて合っていますか?
エレベーター内の物体の動きというようなものをを考えるとき、地表面を慣性系と考えていいのは、遠心力やコリオリ力が小さいから「無視できる」というふうに聞きました。
でもこれって「無視できる」んじゃなくて「無視するまでもなく存在しない」と表現するのが妥当な気がしたんです。
地球は自転も公転もするのでその地表面は非慣性系であるのと同時に、エレベーターや電車の中での動きみたいな地上で行われる日常的な物体に対する物理的考察は、基本的に地表面を基準として行われていると思います。
地上でエレベーターが静止している場合、エレベーターが存在する地表(に固定した座標)と、エレベーターに固定した座標は、理論的には全く同じ加速度でこの宇宙内を運動しているはずですよね。
そしてエレベーターが上昇すると、エレベーターに固定した座標の加速度には、地表と同じ加速度に上昇運動分がプラスされているだけという形になると思います。
このとき、エレベーターの中の物体に対して運動方程式を立てるとき、慣性力として現れるのは、「無視できる」からとかじゃなくて、理論的に物体の質量にエレベーターの上昇運動分の加速度のみをかけたものになると考えて合っているでしょうか?
参考書で慣性力を考えるとき最初は(慣性系から見た物体の位置ベクトル)=(慣性系に対する非慣性系の原点の位置ベクトル)+(非慣性系からみた物体の位置ベクトル)という式を立てて、これを二階微分して出る加速度の関係式を運動方程式に代入するというやり方でした。
ようは、慣性力は、二つの座標系の関係性のなかで論じられているのだと思います。
そうするとこれが、地表と地表に対して動く物体内の物体という、非慣性系が二つ出てくる場合には、非慣性系の座標系同士の関係性のなかで同じように論じられる。そして上記のやり方だと、慣性系そのものの位置ベクトルないし速度加速度を考えなかったのと同じように、一方の慣性系の加速度、地表を基準とするなら地表の加速度は考える必要なく、運動方程式にも地表の加速度に由来する慣性力は現れようがないのかなと直観的に思いました。
ただ、慣性系一つに、非慣性系二つという三つの座標系を仮定して式を導くというのが、自分の計算力不足で煩雑になりすぎてお手上げだったので、本当にそうなるのか自力では導けませんでした。
実際はどうなのか回答していただけるとありがたいです。
でもそもそも慣性系っってどこにあるんですかね??太陽系も銀河系に対して公転してるらしいし、銀河系も公転してて、というか時空間自体静止せず膨張してるというのであれば慣性系ってそもそも存在するの?ってなるんですけど。
クロップサイエンスやqqqみたいなのは荒らしと呼べますかね?
知恵袋運営は信ぴょう性を保証してないと謳っていますが、だからってデマを自由に書いていいということにはならないと思うので、それをあえてやってるのって荒らしってことになるんでしょうかね?
より楽しんでいただくためにYahoo!知恵袋をお使いのみなさまへを参考にしてください。
不適切ってなんだよ(哲学)。こっちはむしろ不適切な情報(デマ)ばらまいてるやつの牽制にもなると思って書いたのに不適切とか…
CO2が赤外線を吸収することを発見したため、温室効果があることがわかりました。
さらにCO2濃度を2倍にする実験をしてみたところ、赤外線の吸収は増えませんでした。
このことは、当時のCO2濃度(330ppm位か)でも吸収可能な赤外線を吸収し尽くしていて、それ以上に濃度を上昇させても、赤外線の吸収は増えず、温暖化しないことを意味しています。
最新の機器を使用した場合でも、CO2は吸収可能な波長15μm付近の地球放射を100%吸収済であることがわかっています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Atmospheric_Transmission_JA.png
波長15μm付近の地球放射の遠赤外線の宇宙への透過率はゼロです。このことも、CO2濃度が上昇したとしても、さらに吸収可能な波長15μmの遠赤外線は存在しないことを意味しています。
よって、CO2濃度の上昇による温暖化は物理的にありえません。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B0%97%E3%81%AE%E7%AA%93
大気の窓
図3・5では破線が地球放射で、地表から宇宙に向けて上向きに出る遠赤外線です。実線は大気放射で、大気から地表に向けて下向きに出る遠赤外線です。
CO2が吸収可能な波長15μmを見ると、両者の線が一致しています。
これはCO2が地球放射を全部吸収し、全部再放射し、その全部が地表に戻っていることを意味しています。従って、その波長では放射冷却は起きていません。CO2濃度が上昇しても放射冷却を減らせないことから、濃度上昇による温暖化はあり得ません。
http://www.asahi-net.or.jp/~rk7j-kndu/kenkyu/ke03.html
図3・5 大気放射
「地球放射を吸収したCO2は周囲の空気を暖め、再放射しない」という主張は地表に再放射による大気放射が地球放射と同じ大きさで届いていることから、間違っていることが明らかです。観測で否定される理論はゴミにすぎません。
CO2、水蒸気、メタンといった温室効果ガスが吸収できない波長8~13μmの大気の窓領域の地球放射が宇宙へ出ることにより、放射冷却が起きています。
濃度が上昇すると温暖化するのは、この波長域に赤外線吸収波長域があるフロン類と対流圏オゾンだけです。どちらも厳しく規制されていて、極めて低濃度ですから、温暖化への影響は無視できます。
↓qqq
重力の根源は空間の引きつけとか,重力子とか言われていますが,どうも原因に自信が無いというのが今日の考え方です。
それで私は全く別に,誰も考えていない重力を考えています。本当は力の作用する働きから見て,誰でもこう考えられるのではと思う考え方ですが,
何故か誰も言っていないという事の方が不思議です。
即ち,光など外に飛び出せば直進しますよね,それが物質の内に篭もっていると,出ないとして頑張っているという事の想定です。
そうするとその場所は,自然出づらい方の位置にいようとする,こういう幼稚と言えば幼稚な考えです。
こういう事で過去に私はこれに関して,丁度地球の話題で回答していますので見て頂ければと思うのです。これによって考えると,
私は地球の中心が一番重力が集まって居るんじゃないかと思います。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1212896857
即ち厚い方に重力が多いので,中心が一番回りから見ても物質が集まっていると見えます。逆に中心から見ると,回りの方へ物質が薄くなって行っていますから。
今日の考え方で,中心が無重力でないのかというのは,一寸考え辛い疑問が残るように思うのですが。
すなわち,例えば地上から離れて天上はるか上にスペースシャトル,そこでは無重力ですよね。人が中で浮いていますから。しかしここでも,
現実にはスペースシャトル自身は地球に引かれて落ちる位置なのですが,地球の回りを回っている為に,遠心力も働き外に出ようともしています。
これはそれで,単に出るか,下に落ちようかとのバランスの位置で起こる無重力です。そういう事で本当の無重力はもっと地球を離れた
それでこれを,無重力という地球の中心に当てはめて考えますと,地上からの無重力の位置は天空はるか上でしたので,地球の中でも同じように
これに匹敵する空間が必要に成る筈です。すぐ近くに物質が有ると,それに引かれるからです。それで球上に回りが空間ですが,回りから
全て引かれるという姿の場合未だ無重力ではありません。先にスペースシャトルのようにバランスの元での事と同じように考えられるからです。
それで地球内部では,地上からの空間に匹敵する空洞が地球内部に存在しなしと,中心が無重力と言えないと思うのです。
綱引きの場合両方から引きますよね。もし綱を半分に切って,そこに人が居て,両方から引くのを両手で支えますと,両方からの力を受ける訳で,
真ん中に掛かる力は支えようとして非常な力が必要です。
地球の物質も内部の物質は,外に物質がこぼれないように引っ張っている形にも取れるので,内部に行くほど重力は強くなければならないと思うのです。
2人前で1500円くらいする冷凍もつ鍋が、ドラッグストアコスモスで売られている。これ誰が買うんだよと思ってたんだけど、ネットで調べたら評判が良かったので、エイヤと買ってみて、彼女とやった。
IHコンロをわざわざリビングの机に移して、加熱しながらの鍋をやった。
美味しかった。美味しかったし、楽だった。材料を順次投入するだけで、かなり本格的なもつ鍋ができた。でも途中で(うまいけど)モツ食うのキツい!ってなって、キャベツや豆腐を狙って食い、「ほら、モツだよ…食べな……」と、親切めかしてモツを食わせあう一幕があった。
食品センターなる謎の店があって、海鮮が充実してるとのことだったので2人で行ってみた。
うっすら床が湿っていて、やや薄暗く、陳列はなんとなく乱雑な印象だったが、それでいて客は多かったので逆にいい店なのだろうと感じられた。
刺身の盛り合わせと唐揚げを買った。季節は冬で、歩くのがあまり苦ではなかったから、少し歩いて近くの海まで行った。
防波堤の先まで行って、適当に腰掛けて、食べやすそうな唐揚げを食べた。うっすら暖かくて、なかなかいい味だった。陸の方を振り返ると、犬の散歩をしているおじさんなんかがいた。
初デートで近所の山に登ったあと、同じく近所の川に行った。
かなり川幅が広くて、河川敷も整備されているタイプの、都市的な川だった。
川に詳しくないので、目的はよく分からないんだけど、飛び石みたいなコンクリートブロックが川幅ぶん×5列くらい敷いてあって、渡ろうと思えば渡れそうだったし、特に渡るなとも書いてなかったから、2人で渡った。
児童公園なんかの、本当に子供が渡ることを想定した飛び石とは違って、そこそこ距離もあるし、落ちたら浅いとはいえマジの川だったので、俺はけっこうビビって、おっかなびっくり、ゆっくり渡っていた。その間に彼女はピョンピョン跳んでいって、けっこう先から俺の方を振り返った。そのときの笑顔がすげえ可愛いくて、俺はこの人と付き合ってよかったなあと思った。
公園とかにある回転遊具の小規模版という感じで、筒につかまって地面を蹴るとガンガン回れて、その間に足を突き出したりして、回転速度の変化を楽しんでください、という趣旨だった。
最初は土日に行ったので子供がずっと遊んでいて、彼女は「あれやりたいなー…」と言っていたが、空きそうな気配がないので諦めて帰った。
平日にリベンジして、子供どころかほかの客自体がまばらな状態で、彼女は存分に回っていた。よかったねえ…と思った。
ノーパンで浴衣を着て外を歩くフェーズがあって結構ドキドキしたりしつつ、本題の砂風呂にたどり着いた。
砂をかけられ、おお重い重い、これが砂風呂かあ!などと思い始めたところで、後ろから声が聞こえてきた。
「お前さあ、ホント動かないよね。人に動かせるなよ。いい加減にしろよ、本当」
「はい…」
「さっきも全然砂かけてなかったじゃん」
はじめ、社員旅行とか部活の合宿か何かで来た客同士がやり合ってんのかと思い、こんなアクティビティ中に説教すんなや!と思ったが、やってるのは砂風呂の従業員だった。
気まず!全部聞こえてんぞ!と思った。首だけ動かして隣の彼女に目をやったら、まっすぐな目で虚空を見つめていた。
電車で行きにくい場所にある植物園に行った。バス停から1キロ前後の距離があったんだけど、その道がほとんど直線で、広い道路で、中央分離帯兼植栽みたいなものも充実しており、歩き甲斐のある道だった。
植物園自体は1980年代とか90年代とかそのあたりの、なにか大きな国際イベントを期に整備されたものらしく、大きくて古びていた。
遠目に目立つ塔状の構造物があったので、入園してから近くに寄ってみたら、かつては展望台だったけど今はやってません、と言う旨の張り紙がしてあった。停止した自動ドアのガラスの向こうには人気のない薄暗い受付がうっすら見えていて、それと同時に自分たちの姿もガラスに反射していた。その情景をなぜかよく覚えているんだけど、なぜかはよく分からない。
どうぶつタワーバトルを彼女に勧めたら、ゲームをやらない彼女にしては珍しくハマってくれた。
最初は経験の差で俺が勝ちまくっていて、なんなら少し手を抜いたりもしていたんだど、最近では全くの互角か、彼女のほうが強いくらいだ。センスがあるんだと思う。
俺は気象予報士試験は一般は通って専門は15問中一問分ボーダーに届かなくて落ちた経験がある人間だが、そんな人間が気象大学校の学生が教材として使ってる気象庁ホームページで公開されてるテキストの理解を試みてみたところ、さっぱり分からないという始末になった。
https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/expert/pdf/textbook_meso_v2.1.pdf
これの14ページ(資料下に印字されてるページ番号としては8ページ) なのだが
dVc/dt=αVsという式が成り立ってて、この式は気圧傾度力が考慮されてるとも書いてあるが、まず一体どういう力の作用の構図を想定してるのかが分からない。
左辺はただの時間変化を微分として表現したもので、右辺もまた中層風と下層風の単なる速度差だから、これが気圧傾度力が考慮されてる式だとしたら、αの一文字が気圧傾度力を表してるって自動的に解釈されるというか、それ以外に解釈の余地が見当たらない。
一方、傾度風や地衡風について立式するとき速度(ベクトル)にコリオリパラメータを掛けそれに気圧傾度力(と遠心力)を足し引きしたような方程式になるわけで、そうなる理由も予報士試験の参考書に力の作用関係の図示付きで書いてあったし理解してるつもりなのだが、だからこそなぜベクトルに「掛けてる」のが気圧傾度力でそれが速度の時間変化に等しくなるのか全くぴんと来ない。
そもそも左辺が速度の微分なのに右辺も速度の定数倍になってるのも理解が追いつかない。なぜ加速度でないのか?
Vc=aVl+bVmについて大気の密度が小さくなると速度が大きくなるのでa+b>1となるとも書いてるが速度が大きくなることからどうその不等式が成立することが導かれるのかもわからない。もっといえばなぜ密度が小さくなると速度が大きくなるのか…ときりがない。
おそらくこちらにとっては天下り式で説明が足りてないように見えるテキストも、気象大学校に入れる学生から見ればあれだけの情報から私が分からないと言った理由も十分読み取れるのだろう。
それはなんというか、少なくとも高校までの履修内容の理解の完成度が全く質的に違うことがこのような差をもたらしてるんだと思う。
たとえば逆に俺でも先に成立する理由が分からないと言った微分方程式が正しいことを前提としてなら、その下に書かれているのがそれを解いた式であることは納得できる。俺でも高校のうちに初歩的な変数分離法は身に付けてるからだが、人によっては同じ理系でも化学系の学部に入る人とかで大学入試を終えた直後の段階で大学レベルの教養数学を学んだ経験が皆無な状態だとただの変数分離で解かれた式にすらぴんと来ないってことはあるかもしれない。
そして気象大学校に入る人たちはこんなのよりもさらに奥深くまで見通しよく高校までの内容を理解してるのだろう。うまいたとえかわからないが、数学の白黄チャートしかやってこなかった人間が赤チャートを見たら同じ単元でも全く別物の内容を学んでいるんじゃないかってぐらいのものに感じるような感じだろうか。気象大学校の入学者も高校段階の知識でもはや私とは全く異なるような理解を持っているのだと思う。彼らから見れば私が分からないと言ってることは変数分離が分からないことが不思議になるぐらい当たり前のことなのだろう。
ただ5chの気象予報士試験対策スレで質問しても、独学で合格したけどここで聞くより予備校で聞いた方がいいぐらいさっぱり分からないと言われた。
気象予報士だって合格したら割と誇れる資格なのにそういう人でもさっぱり分からないって、もう気象大学校の学生は私や予報士とは住む世界が違うような頭の良さを持ってるんだと思う。
そういう人たちでやっと気象災害の対策に責任持てる仕事をする資格が持てるんだなーとある種納得と途方のない挫折感。
地震が起こると毎度同程度の地震が数週間起こる可能性があるとか同じようなこと言ってるなあろか馬鹿のしてる場合じゃなかった。
「ぶつかりおじさんってのは女性側の予測能力がうんたら〜」みたいなことを言って自転車の右折を例に出してたポストに無理があると思ったので書く
https://x.com/transjyokyu/status/1695267379604025713?s=61&t=ARqfm4MiJ4p0S6vIEvVLIg
(アーカイブ) http://archive.today/HTndT
ようは「ぶつかりオジサンは女性の幻想!予測能力がなくてぶつかってしまうだけ!」とあまり論拠のない「女性側の責任」を説いてる(と読んだ)
自転車が自分の側に右折してくるときに「自転車は遠心力で外に膨らみつつ曲がる、という予測ができない女性が避けようと思って結局自転車の前に出てしまう」どどこから持ってきたか分からん例を出してる
この例の想定している「自転車が右折時遠心力で外に膨らむコースを通る」がそもそも無い。
どうしても抗えないほどの遠心力は、生活道路で走る自転車だとそうそう発生しない。そんなに高速じゃないから
というか遠心力の有無に関わらず、自転車の車道左側通行の原則を考えればそもそもインコースは通らない(通ってはいけない)。イン切ったら対向の車両とぶつかるので。
なので「ぶつかりおじさんはまやかし」という言説に、あの図と説明文は使えない。
ご存じのとおり生活道路では自転車の車道左側通行を守ってるシティサイクル(ママチャリ)は半々ほどで、インコース右折そのまま右側路側帯直進の3人乗り自転車なんてものに遭遇するのだって珍しくない。
何が言いたいかというと「この図の女性は、自転車を視界に捉えた瞬間によく向きも観察せずに『自分と同じようにインコースを曲がってくるな、危ないから避けよ』と思って横に動いてしまう」と「道交法に対する無知もしくは遵法意識のなさ」と「観察能力の低さ」を説けるというわけです。