はてなキーワード: 自動販売機とは
年賀状、新型コロナウイルス(COVID-19)の接触感染のリスクはどうなんだろ?
と思ったら。
コロナ禍の年賀状、注意いる? 専門家「私は書きます」 [新型コロナウイルス]:朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASNCM4STSNCDPLBJ008.html
News Up 元気にしていますか? ~コロナ禍の年賀状事情~ | NHKニュース
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201201/k10012740971000.html
どうやらリスクは低いらしい。
と思ったら。
局員の感染でポスト利用の一時停止したってことは、接触感染のリスクは無視できないと。
じゃあ、どうすれば?
指は無意識に口や目など顔を触りがち。
それを踏まえ、フィストバンプや肘タッチなど指を触れない新しいコミュニケーションマナーが提唱されている。
MASUDAで日記を書こうと思ったけど、スパムが並び過ぎてて書けなかった。
KKOと御気持ちフェミも臭くて居心地悪いし、PCをやめてスマホから書こうと思ったけど、アプリのユーザビリティがカスで入力を途中で諦めた。
夜に書こうと思ったけど、再度スパムがこない保証もないし、こういうスパムが多くいるとはてなからしても相当な損失になるから勿体ないよな。
何故セルフ削除人を導入するなり、中の人を増やしたりしないんだろ?
書き込みに至るまでに障害が多ければ多いほど、日記は書かれなくなる。
自動販売機も遠くにあったり、ボタン押す以外の作業があったりすれば売れなくなるのは当然。(←ここどうでもいいんで改変やめたわ)
タイトルの通り
医療職でもなんでもないが、たまたま歩いてたら倒れてるおじいさんがいてよく見たら血だらけの状態だった
周りに歩いている人もいるが、立ち止まって声をかける人はいなかったので思わず声をかけた
血だらけの頭をかろうじて押さえていた老人は意識もあり会話もできた。
自転車で段差にはまって転んで頭を強くぶつけたらしい。
いつのまにか年配の女性がきて「救急車呼びます」って言ってくれたのでお願いした。
冷静になり、まず持ってたタオルハンカチを渡して止血、それから回復体位をとってもらい救急車がくるまでの間「大丈夫、もうすぐ助けが来ますからね!頑張って!!」と励ました。
素人にできることなんてこれくらいしかないのだ。じいさん死ぬなよ!と思いながら声をかけ続けた。
いつのまにか近所の工事のガードマンがひとりこちらに来てくれて、交通整理をしてくれてほかの通行人に支障がないようにしてくれていた。
ありがたい。
みなさんとてもテキパキしていたし、状況の確認も早く「プロが助けてくれる!安心だ!」とここでようやく少し安心した。
そしたらそのあとガードマンの人が「あっちにも倒れてる人がいるんだけどどうしたらいいですかね?」って聞いてきてくれたので、見に行った。
今度はおばあさんが座り込んでいた。
家族かな?と思ったけど違った。
老人が転んだ瞬間を目撃して、血を垂らして倒れているのをみて具合が悪くなってしまったらしい。
声をかけたけど、顔色が青白く、手は冷え切っていた。
「急に、倒れちゃって、血が、血が出てて、、怖かったの...足の力が抜けちゃって、痺れちゃって...」
と言ってた。
「事故の瞬間を見てたんだから怖いよね、おばあちゃんびっくりしたね。
でももう救急車来たから大丈夫。転んだおじいさんは助かりますよ。
おばあちゃん、おうちに帰れそう?ひとりで平気?私、おばあちゃんをお家まで送って行きたいけど、今はちょっと難しいので タクシー呼びますか?」
とお話ししたけど
と言ってた。
ガードマンの方が「少し一緒にいますよ」と言ってくれたので、その場をお願いして私は立ち去った。(どうしても外せない用事があったので...)
今になって思えばもっと良いやり方があったかもとか、応急処置もう少し知識つけておくべきだったなとか、近くの病院の看護師さん呼んできてもらった方がよかったかなとか、座り込んでたおばあちゃんにもう少し寄り添ってあげればよかったかなとか反省すべきところはたくさんあるけど
少なくとも救急車で運ばれた血だらけのおじいさんのこと助けてあげることできたよね...?と思ってここに書いた。
おじいさんが助かっていますように、あとおばあさんがちゃんとお家に帰れていますようにという祈りをこめてここに置いていきます。
あのさ、
怖い話ししていい?
こないだ部屋を片付けていろいろ整理していたの。
怖い怖い怖い!ってなったんだけど
使ってないSIMが出てくるとか怖くない?
それが生きているのか死んでいるのか確かめたら、
請求も無かったんだけど、
もうすっかり忘れていたから
あともう一つ怖い話ししていい?
限度額を超えていますって言われるのよ。
怖い怖い怖い!ってなって、
カード限度額私行ってないんだけど!って思って、
自動販売機で使えるiDは1日に使える限度が決まってるのかな?って説。
おかしな話しだけど、
カードが限度額です!って言われると焦るわよね。
ほんと怖かったわーって話し2本立てでした。
あともう1つおまけで怖い話ししていい?
いつも賑やかなだけに。
でもここぞとばかりにやってみたいと思っていたやつ。
怖い怖い怖い!っていきなりサウナにもいないと思ってただけに、
人が出てきたときは怖かったわ、
って私がやったからって真似しちゃだめだけど、
あれ床のタイル滑りやすいから助走付けてジャンプする際絶対足滑らしてやらかしそうになる問題も勃発なので、
でね、
話し戻るけど、
あいにくそのSIM死んでいたから出来なくて申し訳ないんだけど、
お便り募集していた際、
何かをSMS認証で突破しようとしてコードがバンバン届いていたから怖かったし、
幸い通話が出来ないSIMだったんだけど、今思ったらその番号に無理矢理着信して電話かけてこようとした人も恐らくいて
怖い怖い怖い!ってなったんだけど、
頂いたお便りを元にネタにしようかと思ったけど、
頂いたお便りで話し膨らませられないわ!って痛感したのよ!
だからさ
よくラジオパーソナリティーの人が、
フリーテーマのお便りで長尺でしゃべって話し膨らませてるのって腕が凄いんだなぁー思った次第なのよ。
無謀にもそんなことをした私も今思えば怖かったけど、
怖い怖い怖い!って感じじゃない?
きっとその時も私は話し膨らませられないかも知れないけど、
その時はごめんねごめんねーってU字工事さんばりに謝るから許してちょうだいって感じよ。
一瞬好きだったフィッシュフライサンドとタマゴのミックスのサンドが好きだったのに
さえないサンドイッチが無いときのチョイスとしてのハムタマゴサンドってことかしら。
柿好き?柿好きって言うとなんか年寄りくさい感じもしないでも無いけど
柿ウォーラー!
ちょっと高かったけど柿買ってそれにしてみました。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
お母さんがいなくなった事実がじわじわ精神のバランスおかしくしている。
今日も元気にじゃがいもを5個揚げてフライドポテトにして一気に食べて少し時間をおいてわざと吐いた。
お母さんの葬式の前日の夜にケンタッキーを6ピース買って全部食べて一気に吐いたことを思い出した。
お母さんが死んですぐはいつも通りの日常を過ごそうと思って、洗濯も料理も掃除も力を入れて頑張った。
でもここ最近風呂にも入らず自動販売機とコンビニしか行ってない。
毎日料理してスーパーで野菜を買って、作り置きをしたり魚を食べたりご飯の量をはかったり健康的だったのに最近食べるのは揚げ物とか出来合いばっかり。
昨日も今日と似たような食事内容で、キットカット一袋と出来合いのカツ丼、チーズに衣をつけて揚げたジャンキーなチーズフライ、じゃがいも4個分のフライドポテトと大量のマヨネーズとケチャップ、三ツ矢サイダー・・・
あとほかにも色々食べたけど忘れちゃった。
夜中の12時過ぎにどうしても我慢できなくて自動販売機のお菓子を買いに行った。それもキットカット。どんだけキットカット好きなんだよって感じだけど今年に入って初めて食べた。昨日。
全部吐けてる気が全くしないけど、一気にたくさん吐けると気持ちよくてそれが癖になっちゃってやめられなくなってきた。
どうしたらいいのかわからない。
極端なやせ型ではないどころかむしろ太ってるから、拒食症でも過食ってほど量も食べてないから病院に行ってもしかたない
というか今かかってる心療内科の医者は全く信用できないから言う気はないでも言ったほうがいいのかな。
お母さんに会いたくても会えないし、誰もトイレで吐いてるの心配してくれないし私個人のことを本気で考えてくれる人はこの世に一人もいない。
お母さんは私のことを本気で心配してたように見えたけど最後には自分のことで精いっぱいだったように見えたから本当に一人もいなくなっちゃった。
自分が生まれてこなければお母さんの人生はもうちょっと穏やかだったと思うし、悲しい思いもさせずに済んだし、地震がくるたびに極度におびえて、新しい仕事に行くたびに泣きわめくのを面倒見たりしなくて済んだ。
でも私のことをかわいいって常日頃言ってくれてたしありがとうって感謝の思いでいっぱいだけど、なんで私のことおいてったのという疑問ばっかりでありがとうって言いたい気分にならない。
いつもいろんなところに出かけて、近所だけど。なんでそれなのにお母さんと私は珍しく何週間もあってないなんて不思議で仕方ないし、お母さんは骨になっちゃった。
今からまた食べて吐くけど、お母さんのせいじゃないと思う。
トイレににおいがついたかもしれなくて、対処方法がわからない。
体調大丈夫って急に聞かれたからにおいで吐いてるのばれたかもしれない。
でもそれ以上何も聞いてきてくれないから、聞いてくれるように今日も吐いてみる。
吐いたりしちゃだめだよって言ってきてくれないと気が済まない。隠れてこそこそ吐くの疲れた。
キットカットとかのごみを片付けたいのにごみ袋がもうなくなっちゃって買いに行かないといけないのにどこに売ってるか知らなくて困ってる。
今日は何食べようかな~って思うんだけどむなしい
コンサートもなにもなくなって明日いいことはおこんないんだろうなーって思いながら寝るのがつらい。
睡眠のリズムは今のところ元気だから多分元気なんだろうけどなかなか元気になりきれない。
抗不安薬の頓服もらいに行けってキレられてもらったけど結局飲んでない。
昨日もおとといも薬飲み忘れた。今日もまだ飲んでない。
お母さんに会いたいって思うと涙が出てくる
一生お母さんに会えないで生きていかないといけないなんて信じられない。
お母さんに何にも教わらないでいて何してたんだろう
お母さんにいろいろ聞きたいことあるのにどこで聞けばいいんだろう
あの世に行って、あの世でお母さんは私に会ってくれるかわからないし、あの世にいくには私は若すぎるからあの世でまたお母さんに悲しい顔させるの確定しちゃうからまだいけない気がする。
お母さんがどこからかフラっと帰ってきてくれるような気ばっかりしちゃって毎日毎日だらだらしてたら呆れてくれてしっかりしてたら褒めてくれるような気がする。
お母さんに会いたくてももう会えないのがつらい。
お母さんに会いたい。
お母さんの代わりになってくれる人はいないしお母さん以上に大好きな人なんてこの世にいない。お母さんの声が聴きたい。
もう会えないのが受け入れられない。
この前派遣の仕事の最終日でもらったお菓子の中に火葬場で食べたお菓子が入ってて嫌だったんだよ。
筋トレも何日もさぼってるんだよ。
なにも通常通りじゃないよ助けてお母さん
お母さんが戻ってくれば全部解決することばっかりだから戻ってくるなら今しかないよ。
四十九日っていうのがまだだから、みんな今戻ってきてくれたら喜ぶよ。お願いだから戻ってきて
また一緒に買い物にいってうどん食べて、コメダに行って家電屋さんに行っていつも頑張ってるからって言ってなんか買ってほしいんだけどいつ帰ってきてくれるの?
お母さんまた会いたい一緒にかき氷とすいか食べよう、回転寿司行っていろいろ食べよう
お母さんに聞かないと何にもしたくない
お母さんに電話したいお母さんにプレゼントがしたいお母さんに会いたい
これから先お母さんがいないなんて考えたくないお母さんがいないのがさみしい
小6の時に痴漢に遭った。
静かな住宅街で人通りはない。
蝉の声に混じって、背後からバイクのドッドッドッという音が聞こえてくる。
私の歩く速度と同じぐらいの速度のバイク。
近くでバイクを停めようとしているのかな?と思っていたが、視界の左端にバイクが入りこんできた。
さすがに違和感を覚えて隣を見たら、バイクに乗った20代と思しき男性が私の左胸をもみゅっと揉んだ。
驚きのあまり声も出ず、バイクが前方のY字路の右の方に走り去っていくのを呆然と眺める。
とにかく学校に行かなくては、と歩き始めてしばらくすると、今度はY字路の左の方から痴漢がこちらへ向かってくるのが見えた。
走って逃げても追いつかれるしどうしようどうすればと考えているうちに、痴漢は私の真正面にバイクを停め、私の胸にまたしても手を伸ばしてきた。
私はその手を払う。痴漢はまた手を伸ばしてくる。また払う、払う、払う、払う、払う…それを何度繰り返したかわからない。
鋼の錬金術師で、真理の扉から這い出てくる無数の手に”持っていかれる”シーンがあるけれど、この時の痴漢の手はまさにそんな感じだった。
どうしてそんなに胸が揉みたいのか、訳が分からなかった。
執着心が怖かった。
手が汗ばんでいる。
日差しがきつい。
木陰の葉っぱの模様が手の甲に浮かぶ。
蝉の声がうるさい。
震えながらも「やめろ!」と大きな声で叫んだら、痴漢はY字路の下の方へと逃げ去っていった。
机の上に置いてあった筆箱をわざと落とされたり、貸した消しゴムを全部使っちゃったと言って返してくれなかったり、通りすがりに肩をぶつけてきたり。
半年が過ぎたあたりで席替えがあり、彼の隣の席になってしまった。
他の子と席をトレードしているところを見かけたから、偶然ではない。
授業中もしつこく絡まれて最悪だったが、近くの席の女子が彼の発言に本気で怒ってくれて、その後彼は担任の先生にも叱られていた。
それからは関わることがほぼなくなったが、また別の男子による好きな子いじめに遭った。
ひとつひとつは些細なことだったが、さすがに半年以上続くと心がじわじわやられていく。
これが好きという感情によるものなら、一生誰にも好きになってほしくないと心の底から思った。
学年が変わる頃には、男性に性的感情はおろか恋愛感情を抱かれることすら嫌になってしまっていた。
学校の近くによく出没した、携帯電話を耳に当てながら自分の性器をいじっていたお兄さん。
電車で隣に座って寝たふりをしながら、膝上の鞄の下から手を伸ばして私の太腿を触ったおじさん。
自転車に乗って、下半身を露出させながら話しかけてきたお兄さん。
久々に会った時に急に胸を触ってきて、「小さいな」と言った親戚のおじさん。
男性だけが死ぬウイルスや毒が発明されないかなとか、男性全員の性器を刈り取って回りたいとか、とにかくこの世の男性全員死ねと思っていた。
男性に好かれないための弛まぬ努力を続け、私の中学・高校生活は終わった。
当時の私は人間がこの世をどう解釈してきたのかに興味があり、哲学や宗教、その他ジャンル問わずいろんな本を読みあさっていた。
男友達ができた要因はいくつかあるが、仏教思想に触れて精神的に落ち着いたことが大きい。
私に痴漢してきた男が、実際にその報いを受けるかどうかは重要ではない。
そう信じることで、自分以外の何かに託すことで、憎しみを手元に置いておかなくても済むのだ。
自分で裁かなくてもいいと気付いてからは、男性を攻撃する気持ちが薄れていった。
そして男友達のおかげで、私は男性に対する偏見や固定観念を少しずつ捨てることができた。
彼と将来の夢を語り合ったことを今でも覚えている。
それでも、駄目だった。
季節が一巡して、彼が私に恋愛感情を抱いていると知ってからの、拒絶反応はすさまじかった。
彼と姿かたちが似ている人を見かけるだけで、怖くて気持ち悪くて息が止まる。
これは男嫌いじゃなくて男性恐怖症なんだ、とその時になってやっと気付いた。
彼と直接話をすることはとてもできなかったので、手紙をしたためた。
昔痴漢に遭ったこと、男性に恋愛対象として見られることが怖いこと、これは私の問題で彼は何も悪くないこと、彼の幸せを願っていること、これから私は1人で生きていくだろうこと。
そうしたら手紙でお返事が来た。
私を責める言葉はひとつもなく、最初から最後まで優しさにあふれていた。
私の過去と現在を受け止めて、真っ暗な未来に蝋燭を灯してくれるような。
『これから先、笑って、泣いて、怒って、楽しんで、可能性は誰にでも平等だと思う。現実はこんなだけど、先は分からないよ。』
本当に誰よりも、私自身よりも信頼できる人だった。
だからこそ、それでも駄目だった、という事実が重くのしかかった。
大学を卒業してからは、夢だった職に就いて仕事に没頭している。
今では性別に囚われずに、人と関われるようになったと思う。
初対面の男性に対しては目が泳ぐこともあるけれど。
恋愛感情を抱かれても告白されても、もう男性に対して気持ち悪いとは感じない。
同じ気持ちになれなくてただ申し訳ないと思う、自分の変化に驚いた。
今でも、背後からバイクのドッドッドッという音が聞こえてくると、呼吸が乱れる。
自動販売機やポスト、誰かの家の前を通りがかる時などに、極稀にそういう場面に遭遇する。
その度に鞄を胸に抱えてやり過ごしては、私はまだ大丈夫ではないと思い知るのだ。
痴漢に遭うよりも前、好きな男の子とポケモン交換をして笑っていた私は、どこに行ってしまったのだろう。
私の中にあるはずの恋愛感情は、眠っているのか壊れてしまったのか、分からない。
それを自然なことだと信じて疑わない人たちは、さも不思議そうな顔で「結婚する気はないの?」と聞いてくる。
それ以前の段階で躓いてしまった私には、その選択肢すら頭に浮かぶことはない。
胸ぐらい揉ましてあげればいいじゃないか。
男女問わずそう言う人をこの目で見てきた。
それが生きる知恵だとでも言いたいのだろうか?
ただただ痴漢にとって都合がいいだけで、私やあなたを救いもしないのに。
これは胸とか尻とか、体の部位の問題ではない。
許可なく体を触ってもいい、自分の好きにしてもいい存在と見なされることが、どうしようもなく耐えがたいだけだ。
その手が今、偶然にも私に伸ばされていないだけだ。
自分で選んだ覚えもない人間という種に生まれて、人間扱いをされたりされなかったりする。
こんな馬鹿げた話があるか。
私も人間だ。
それだけのことがどうして難しい。
いっそ心ない畜生ならよかった。
命すらなくてもよかった。
私が痴漢に遭ったことも、私が生まれたことも、この世に溢れるたくさんの嘘のひとつなら、どんなにかよかっただろうに。
---
この文章は性犯罪の被害者へのセカンドレイプが、今ほど問題視されていない頃(とはいっても数年前)に書きました。
当時投稿しなかった理由は、エイプリルフールに投稿しようと思っていたのに、エイプリルフールまでに書き終わらなかったからです。
次の年にはすっかり忘れていて、最近蝉の声を聞いて存在を思い出しました。
読み直していたら涙が出てきたので、もうこのまま当時の文章のまま、えいやっと投稿します。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
---
結局この人はどうしたいんだろう?どうなりたいんだろう?
どんな人にも、あの時こうしていたら、あの時ああしていなければ、などの過去のたらればがある(あった)と思います。
私の場合、最も頭の中で繰り返したたらればが、小6の時に痴漢に遭わなければ、だったのです。
でも時間は不可逆で、その願いが叶うことはないのだから、どこかで現実を受け入れる必要があります。
そのための行為が文章に一切合切吐き出すというもので、内容は自分が思っていた以上にどろどろしたものでした。
こんなの毒状態で生きてきたようなものじゃないか?と半ば呆れました。
増田に投稿したのは、客観的な意見を聞いてみたかったからです。
この文章は私にとっては私の半生ですが、結局主観でしかありません。
結果としていろんなコメントをいただけて、自分を見つめ直す良い機会になりました。
私は穏やかに暮らしていきたいです。そう言葉にした時に、今の暮らしはまさに穏やかじゃないか?と思いました。
今日は観葉植物の植え替えをして、ちょっと掃除機をかけて、ごはんを食べながら姫様拷問の時間です(ギャグ漫画です)の最新話を読んで、昼寝をして、仕事関係の勉強をして、この追記を書いています。
今は自粛中なので、時機を見てカウンセリングに行ってみようかなと思います。
学生の頃はお金がなくて、その選択肢が浮かんでは消えていました。
2人目も女の子だったから、増田ちゃんが生まれた時お父さんはパチンコに行っていた、と母から何回か恨み言を聞かされていました。
二次性徴が始まった頃、自分が父の望んだ男の子ではなく女の子であるという現実を突きつけられ、自分の性別をうまく受け入れられませんでした。
そんな折に痴漢に遭ったので、余計にショックが大きかったのでしょう。
余談ですが、私が高校生の頃、姉からブスというあだ名で呼ばれていました。おい、ブス!みたいな感じです。
母からお見合いの打診を受けたことをきっかけに家を出ましたが、まず家に問題があったなと今改めて思います。
因果応報でググってみましたが、確かに自分の都合のいいように独自解釈して歪めていますね。
少なくとも自己責任と同じように、他人に対して向ける言葉ではないと思いました。
ご指摘ありがとうございました!
私に痴漢した男性も、誰かにやられたダメージを私に返したのでしょうね。
男友達が私を許してくれた時に、私も私に痴漢した男性のことを許そうと思えました。
でも本当に許せているのか、今も自信はありません。
誰か一人くらいやってないかなと思いつつ、特に誰からもバトンは回ってこなかったので、自分で始めることにした。
とりあえず1日目(何日続くことやら)。
(こちらによれば連載は1982〜83とのこと)
http://blog.livedoor.jp/chohoukei_l/archives/51028795.html
駅前の書店の雑誌の自動販売機で売られていて、一目見て欲しくなったが、当時は中学生か高校生の頃で、日中に堂々と買うわけにもいかなかった。
真夜中に家を抜け出し(それも下で寝ている両親に気づかれないように、2階の窓から屋根づたいに外に出て)、自転車を漕いで、自販機まで行って購入した。
昼間は目立たない自販機が、夜の闇に煌々と輝いていて、みなに見られるんじゃないかと、買う決心がなかなかつかなかった。意を決して購入をしたとき、本が出てくる音のあまりの大きさにまたビビリ、あたりを見回しながら、急いで引っ張りだし、家へと戻ったことを覚えている。
とある学園の美術教師が、狙いを定めた教え子を、自分のものにしようと画策するが、そこに絡んでくる女性教師の思惑や嫉妬や、少女自身の「成長」によって、二人の関係は変化し、やがてそれは破局へと向かっていく‥というお話。
「エレガントな構文ガー、生産性ガー、人月ガー、銀の弾丸ガー、巨人の肩ガー」
「それでプログラマの言うことを聞くとどうなる?」
「プログラムされた指示書を読んで派遣社員が人力で作業します」
ヤレヤレ、それはプログラムの力じゃなくて「指示書に従わなければならない」という暗示や思い込みの力だよ。
Amazonのようなアメリカ企業がすごいのは例えばハイテク倉庫や電子書籍端末、クソデカサーバールームのように抽象化されたものを現実化する部分なんだ。
そうとも最後に物を言うのはプログラムの力なんかじゃなく物質的な力なんだ。
そこを思い違えて「ソフトウェア軽視」などと言っているようではお話にならない。
だから日本のプログラマはたとい腕前が優れていても年収バトルしかできないんだ。
そうね、だいたいこんな感じだろうか。
最後に、元の増田や多くのトラバブクマで不動産屋は信用ならないという意見が多くて、まぁそういう業界ではあるのは確か。特に賃貸仲介は余り質の良い人材は流れてこない。
ただ一方で市場構造を理解せずに市場に流通してる情報の質は測れないというのもある。元増田はその辺がいまいちぼんやりしていると思う。株式投資などではアルゴリズム投資も可能だが、残念ながら不動産は現物投資なのだ。条件を全て網羅しても、取引成立までに地震が起きてひびが入ったらどうだというのが現物投資である。更に言えば不動産は一点ものでその対象不動産に対する取引回数が株式などと比べて圧倒的に低い。一つの不動産が「取引の場」に晒される回数は多くても2、3回がほとんどだろうと思うし、全国規模でいえば一度も市場で取引されたことが無い不動産も多いと思われるので、アルゴリズム投資向きではない。条件をどれだけ並べてもむなしいというのはそういうことが理由であると言える。
また、例えばお買い得や掘り出しものの不動産も実際にはあるわけだが、何千万円もする値段の「掘り出し物」が知識もなく全く縁もゆかりもない自分に転がり込んでくるわけがないだろうとも言いたい。あれだけの条件を並べないと市場における良し悪しが分からない人が一点ものの掘り出し物を見つけるのは実際無理だろう。掘り出し物はみんなが欲しいからだ。当たり付きの自動販売機で当たることを期待して缶コーヒーを買う人はまずいないだろうと思うが、なぜ不動産買うときだけそういうラッキーを当然のように期待するのだとも思う。
知人の不動産デベロッパーは昔、耐震偽装問題があった時に「一番いいのは、問題が起きた時に賠償能力がある超大手のデベロッパーのマンションの新築を買うことだよね」と身もふたもないことを言っていた。マンション開発だけしかやってない会社は資金余力は小さいので注意が必要。ただし瑕疵担保責任とかアフター補償には適用期限とかあった記憶。リフォームも当然同じと考えていいと思う。逆に最近は仲介業者が1年ぐらいの補償を付けてたりもする。この辺は増田は仲介や販売実務をぜんぜんやったことが無いので分かりませんので各自調べてください。
ほな。
不動産や建築関係の事業者は本当に玉石混交。不動産屋だから全て信用できないわけじゃなくまともな会社もあるわけでAll不動産会社is悪と言うのは職業差別する馬鹿である。一方で、身もふたもない話だが、お金を持っている人ほど「まともな業者」にあたる可能性は格段に高くなる。ダメな業者かまともな業者か見分ける一番分かりやすい方法は「手数料無料」である。無料をうたってる業者は、まともに対応してほしいなら絶対避ける。一般的には売買仲介で手数料は不要、というケースはまずないが、賃貸仲介・売買仲介を両方扱っていて賃貸の方は「手数料無料です」と謳ってるならその業者は避けるぐらいでもいい。ちなみに、売買仲介で手数料不要ですというケースで代表的なのは、その業者が売却客と直接つながっていて売却客から仲介手数料(法定上限3%)を満額でもらえる話になっていて、かつ調査などの費用や負担がほとんどない場合、などに限定されるんじゃないかと思う。仲介手数料は上限が法律で決まっているが下限は決まっていないのだ。
仲介業者は仲介手数料が収益になるし建築業者は建築費の何パーセントかを利益として取る。基本はすべて一点ものなので「生産するほど儲かる」という概念はない。ブローカーなので当然労働集約産業である。したがって、扱っている不動産の金額が大きいほど彼らの取り分は大きくなり、その代わり取引におけるリスクも大きくなるから、ちゃんと躾けられて知識が確かな社員が多くなる傾向がある。そして扱っている不動産の種類や顧客の種類が多い会社の従業員ほど現物である不動産の状態確認の精度は上がる。会社としてのバックデータが豊富にあるからだ。
ちなみに仲介業者はどんな仕事をしているかというと、「お好みの物件を見つけてきました!」は彼らの仕事のうちの本当に少ない部分でしかなく、「対象の不動産についての状況確認」が不動産仲介業者の主な仕事の一つである。元増田のように全部自分で調べなきゃ気が済まないのんびりした人も居ようが、適切な金を払い、専門知識がある信頼できる人に外注すれば話は早い。なぜなら前項にも記したが不動産は一点ものであり、かつ所有者がいる「私物」である。その一点ものの過去の取引経緯は少ないのが一般的で私物なので調査は勝手にできない。そこでブローカーが間に入って必要な情報を調べるのだ。こういう作業をしているから手数料がかかる。スペックを比較するのはデータで机上でも可能(だしそういう取り組みをしてる不動産テック系の会社は山ほどある)なのだが、それによって分かる情報は実は不動産取引においては実は些末な情報でしかなかったりする(例外はあって、例えば、そこそこ築年数が経過した人気が高い大規模マンションだと、同じマンションの建物の同等スペックの取引例が多くあるので、市場価格やリスクがが類推しやすかったりする,、初心者向けにお勧めなのだが当然割高ではある)
例えば離婚することになり子供の養育関連や財産分割の取り決めなどをきちんとしようとなったら、弁護士を挟んで協議書類を作る方が、子供にとってより安全な養育環境を作ることが容易になる。夫婦だけで協議書を作るのが簡単ではない理由は、離婚する夫婦は利害が対立しているから、というのと、多くの一般の人にとって民法に沿って家族全員が納得できて子供のより安全な養育環境を確保する取り決めを作ることはそれほど簡単ではないからだ。離婚に関する法律は民法を理解しておけば何とかなるが、不動産に関する法律はもう少し多い。民法は大前提として、都市計画法、建築基準法、その他環境関連法や地元自治体が定めている建築や不動産に関する規制条例も複数ありこれらは不動産の価値に大きく影響する(その土地の用途≒利用価値を制限する法律だから)。関連法規が多い一点ものの取引をする専門の資格として宅地建物取引士という資格があるわけで、昔は猫でも取れるが鶏では取れない(暗記が多いから)などとも言われたらしいが、一応国家資格である。
実際には、日本はかなりの比率で法治国家なので、問題がある不動産はあまり多くない、特に住宅に関しては。だから仲介業者はアホでも出来る、不動産業者は客を騙そうとしてると決めつける人は割といる。だがそれは仲介業者が問題をスクリーニングした後のものを紹介されてるとか、市場で適正化されてる(怪しい物件は不当に安かったり)中から選んでいるから一般の人がババを引かずに済むわけで、そのリソース自分で賄える?とは思う。お金がある人ほどまともな不動産業者と出会えるというのは、こういう理屈である。
増田は宅建一応持っているが使ったことがなく、不動産仲介の人たちは頼りになるビジネスパートナーなので悪徳とかバカ扱いされてるのを見ると悲しくなる。また例えるが弁護士業界。昨今の過払い系弁護士なども割とアレだったり、人権派弁護士が逆方向にアレだったりするが「All弁護士is悪徳」と言う人はあまり多くはないわけで、職業(に限らず)差別するやつって浅い思考だなと感じ入る。話は逸れるが、不動産会社がゴキブリのように嫌われる理由の一つに「地上げ的なアレ」「立ち退き的なアレ」を脳内に思い浮かべる人も多いかもしれないが、立ち退き交渉業務は所有者または弁護士しか行えないと法律で決まっている。立ち退き交渉を行う弁護士は業務費用と成功報酬を割とがっつり取っていく。
元増田はまぁ、まず買わない方が良いタイプだと感じる。最近はお金を出せば賃貸でも十分ハイスペックな家を探せるしね。当増田については、築30年の分譲マンションを競売で落としてフルリフォームした。超快適。仕事で知り合った専門家たち(仲介さん、建築士さん、施工業者さん)にお世話になった。対価は当然支払ったわよ。
先日、服屋に行った。どこに行ったかは伏せるが自宅から電車で40分はかかるところだった。
もともと服を見るつもりはなかった。服ではなく、映画を見るためにその駅を降りたからだ。30分前に着けばいいと思っていたのが用意が早く終わって家を出ると、なんと予定の3本前の電車に間に合ってしまったのだ。結果、1時間半もの時間を私は持て余すことになった。ので、近くにある大きなビルを下から雑貨屋、服屋、化粧品、服屋と見ていくことにした。1店目の服屋は特に何もなかった。服の素材を右から左に触るだけの女だった。そこの店員がなかなかにアグレッシブで何かを手に取るたびに話しかけてきたから、逃げるように化粧品コーナーに逃げた。
そうしてビルの最上階にある服屋に入った私はさっきと同じように服を眺めていた。このあと映画を控えていたからもとより買う気は一切なかった。荷物を増やしたくなかったのだ。冷房の効いた室内でだらだらとしていても時間は1時間弱ほど余っていた。久々の外出ということもあって足も限界、最初から適当なカフェに入っておけばと自分を呪いながらマキシ丈のスカートを手に取ったその時、推しが横にいた。正確には推しではない。なぜなら私の推しは韓国アイドルでありこんなコロナのご時世に日本にいるはずがないのだ。そもそも日本ツアーが中止になった時点で逆立ちしても日本にいるわけがないに決まっている。こんなことは初めてだった。これまでの人生野中で日本一の男性アイドル事務所であるジャニーズのメンバーを追ったことはなかったが、ジャニーズファンの友達が「推しに似た人見た...」とうわ言のように呟くのを何回か見てきたことはあった。でも自分がそっちに回るとは思ってなかった。それでも隣に立って服を決まった場所に返している店員さんはどうしようもなく推しに見えた。とにかく目が似ていた。コロナ対策のマスクで目しか見えないからそれしか言えないが、目が似ていた。むしろマスクで見えないという事実が、もしかすると全体的に推しに似ているんじゃないかという妄想に拍車をかけた。そう考えているうちに店員さんは服を全部かけ終わって別のところに移動したがそれを見てまた思った。顔だけじゃない、体格も似てるんかい!!!!!!! 推しは足が長かった。実際の身長は180オーバーなため店員さんとは違うとわかっていたが悲しいかな私は未だ推しのサイズが実感できるような距離で推しを拝んだことはなかった。180越えの成人男性が米粒に見えるようなドームの端でしか見たことのない推し。唯一近距離で目視できる接近イベはせっかくの当選も虚しくコロナ禍で儚く消えた。
そんな私には店員さんが推しに見えた。自動販売機の横に立っては照れていたがそっくりな顔が付いている分こっちの方が100倍照れた。顔、滅茶苦茶小さかった。私の頭蓋骨をどれだけ削れば推しの小顔さに並べるのだろうかと思っていたが多分これはドリルなんかでどうこうするものじゃない。天性のものなんだろうな。現地で彼らを出待ちするファンってこんな気持ちだったのかな。推しの身長を体感できるの羨ましいな。Tシャツにジーンズだけでこんなにスタイルがよく見えるのって推しだけだと思ってた。裾を大きめに折り返すのも、そこから見える白ソックスもスニーカーも推しがしてたのを見たことがあった。髪型なんて私が推しにハマったきっかけのライブの髪型と同じだ。そのまま私は買いもしない服屋の店内をうろつきながら、たまに同じ列に服を返しに来る店員さんを視界の端に納めては馬鹿らしくドキドキしていた。しかも帰ってから気づいたことだが、推しに日本語は通じない。でも推しにそっくりな店員さんは日本語が通じるのだ。なんなら日本語が母国語なのだ。店にいた時も今も店員さんに話しかけるつもりは一切なかったが、声をかければ返ってきたのだ。寒いねと言えば寒いねと、暑いねと言えば暑いねと、普段私が行なっていたコールアンドレスポンスさながらの会話のキャッチコピーが推しとそっくりな人間とできる可能性が、日本人にはあるのだ。コロナで大変な世の中だけど、案外希望というのは残っているらしい。私にはないが。
マスターはブックカフェをより繁盛させるため、更なるアイデアを投入した。
「多くのシールが貼られた栞は、このように目立つ場所に配置して、ささやかながら表彰しようと思うんです」
「何でそんなことするんだ?」
「このサービスを利用している方々は、他人の栞にも興味があるわけです。けれども、お客が増えていくにつれ栞も増えていきます。それらに全て目を通すのは大変でしょう」
「だから店側で、人気のある栞は選別しておこうと?」
「その通りでございます」
嬉々として説明するマスターに対し、タケモトさんとセンセイは難色を示した。
「一人で複数シールを貼ったり、自分の栞に貼るような人もいるんじゃないですか?」
「どれだけ貼っても同じ人なら1ポイントとして数えます。見分けがつくよう客ごとに印もつけるので大丈夫ですよ」
「誰がどの程度シールを貼ったかなんて、ほとんどの奴はちゃんと見ないと思うぞ」
二人は今まで、思うところはありつつも直接的な意見はしなかった。
しかし、この時ばかりは強く反対したという。
「そういう支持システム自体が危ないんだよ。一般社会と異なる環境で、烏合の衆に名声をチラつかせても持て余すだけだ。どれだけシールを貼られようが、そんな物に大した意味はない」
「そうです。有象無象の意思決定は、不必要な自信と愚かな決断にも繋がる。彼らの曖昧な“発露欲”に不必要な価値をつけ、イタズラに煽るべきじゃない」
「各々が思うまま栞に感想を書く。そんな単純な行為を権威付けたら角が立つ」
「そもそも本来のサービス意図から離れてる。栞は読書のための補助グッズであって、ちっぽけな自尊心を満たすための落書き帳じゃないはずです」
二人は説得に言葉を尽くしたが、マスターは「もう決めたことだ」と取り合わなかった。
「お二人の言っていることも分からなくはないですよ。ですがウチだって慈善事業じゃないんです。需要があれば供給します」
「それがワガママな客をつけあがらせるとしてもか?」
「店をやっていくなら、時にそういうことも必要なんですよ。鉄道だってそうでしょう。移動目的だけでいいならば電車に座席も空調もいりません。ホームに自動販売機や立ち食い蕎麦だっていらない」
半ば道楽で経営していたマスターにしては、随分とビジネスライクな考え方だった。
こうして栞サービスにランキング制が導入されたが、二人の予想どおり事態は殺伐となった。
これを受け入れる者も多くいたが、それは悲喜こもごも表裏一体なもの。
上位になれば裏でほくそ笑み、納得がいかなければ暗い情念を宿す。
その渇きがなくなることはない。
栞に「シールを貼ってください」なんていう恥も外聞もない人間もいるほどだ。
納得がいかなくて他の栞に文句を書き連ねたり、レスポンスが極めて悪い媒体なのに議論を試みる者までいた。
中には、一人で同じ本に何枚も栞を貼り付けて、血で血を洗う戦いに身を投じる者もいるらしい。
なるほど、あの本が百足のようになっていたのも、それが原因か。