はてなキーワード: ビーチバレーとは
悪魔城ドラキュラ、デビルマン、B、AICOとネトフリアニメを見た。
いずれも視聴者に媚びてなくて、クリエイターが作りたいものを作った感じがして大変良かった。
その回をすっ飛ばしても全体の話に全く影響がない話が嫌いだ。
世界観を無視してビーチバレー始めたり、突然温泉が湧いたり、こじつけで脱ぎだしたり、しかもそれを円盤の売上のためとか言い訳したりするのが大嫌いだ。
そのせいで後半説明不足になったりするともう最悪。なんであの回入れたのか!?と恨みしか募らない。
水着では無いがウテナにちょこちょこ入ってくる七実回は本当に嫌だった。七実は好きだけど、一連のあれ必要だったか?と今でも思う。
今のところネトフリアニメはそれが無い。
萌え美少女や腐向け美少年で「釣って」るようなアニメもなくて良い。
タイトルのとおりなんだけど
彼女は黒木華に似ているのでここでは華ちゃんって呼ぶことにする。
華ちゃんはうんちがいっぱい出るらしい
大きい方は2回に分けるらしい
何回か見せてもらったんだけど、60cmくらいのソレが
気になってしまった。そしてノリでお願いしてみたわけ
なんでそんなにでるんだよw今度目の前でだして見せてよって
最初はやだよ恥かしいって言われたけど
ことあるたんびにマジな感じでお願いしてたら、ついに折れたみたいで
細目の華ちゃんが目をまんまるにして「本当に見たいの?」
なんて聞いてくるから僕は二つ返事で頷いた。
大人しそうな顔とは裏腹に身長170、お尻が100センチ近く?の寸胴で安産型。
その大きな体を動かすためか僕の二倍くらい、いや下手したら三倍くらい。朝からご飯三杯とかほんとうによく食べる。
それに加えて、一般の人より腸が長いとかなんとか(医者にすこし驚かれたらしい)。まさに快便の申し子?
食費にすごく持っていかれるけど、ご飯を食べてる時の華ちゃんは
僕は華ちゃんにうんちを見せてもらう代わりに焼肉をたらふく奢ることにした。
華ちゃんが遠征でハワイに行って帰ってきてからなかなか時間も取れなくて
何かしてあげることもなかったのでいいタイミングだったかもしれない。
せっかくなので、華ちゃんには申し訳ないけど大食いの効果を見たくて
一日大きい方を我慢してもらった。(消化には24時間かかるらしいので)
土曜の朝に起きた頃になると嘘のようにすっかり引っ込んでいた。
噛み砕かれてすり潰されて胃で溶かされたあと、腸でこねくりまわされて
栄養を吸い尽くされるなんて、まあいつものことなのかもしれなけど
考えれば考えるほど何とも言えない気持ちになる。
毎食後に当たり前のように催す華ちゃん。朝食後が一番きついらしい。
なぞの負けん気で夜まで我慢したけど、30分おきにおならをしてて
夜になるにつれ悪臭だけのすかしっぺをぷしゅ..ぷしゅっと。よく頑張った華ちゃん。
そして日曜の朝、華ちゃんのお腹はうっすら腹筋が見えるほど、そんなには出てないけど
苦しいみたいけど起きたほんの直後は催してないみたい。
朝食を手につけ何分かすると華ちゃんの手が止まった。
それと同時にぎゅううううううというすごい音が華ちゃんのお腹から響く。
「ああああやばいやばいやばい出そうだわ」なんてそわそわして言う。
僕は苦しそうな華ちゃんの下腹部に手を当てると、腸がうねうねと蠕動してるのが手に伝わった。
留まることを知らない華ちゃんのおなか。
納豆の強烈な匂いに刺激されて、胃腸が全力で動き出した様だった
今まさに朝食を消化を始めようという時に下半身では一晩置かれたうんちが邪魔している状態だろう
僕はリビングの壁際に昨晩敷いておいた新聞紙とその上のペットシートに
自宅のトイレは絶対詰まるし狭い。華ちゃんには思いっきり出してほしいし僕はそれを見たかった。
その間に華ちゃんにはおしっこだけ出してもらった。(飛び散りそうだったのでw)
華ちゃんは上はブラだけ下半身すっぽんぽんのままトイレから出てくると椅子に片足づつ乗せてしゃがみ込む。
朝の日差しがまだ眩しいなか、完璧なうんこ座り、ウンチングスタイルの華ちゃん。
目の前でむき出しになった100センチ近いお尻は日焼けで見事な白と褐色のツートンカラーになっていた。
まるで皮を剥きかけた巨大な桃だった。
その大きな桃と身長を支える鍛え上げられた足腰はサーブを打つのでもレシーブを受けるのでもなく
僕のためにうんちを排泄しようとしている。
華ちゃんと一週間近く致してなかった僕はその身体を見ただけであたまがいっぱいいっぱいになってきた、
おそるおそる桃の下部中心を覗きこむと肛門様のお出まし。、華ちゃんのお尻の穴をまじめにちゃんと
見たことがなかった僕は大きいお尻の奥にこんな窄まりがある事自体意識してなかった。
奥の茂みとは対象的にほぼ産毛に囲まれた感じの色素沈着した薄ピンクのそれはエロ漫画とかネットで見た画像で見たより
遥かに皺の数が多く、分厚い気がした。遺伝なのか快便に鍛えられたのかはわからないけど。僕が華ちゃんのお尻に見とれているのもつかの間、
「そんなにじろじろ見ないでよ、出すよ」という声が聞こえてきて僕はお尻に返事をしてしまった。
華ちゃんがいよいよ力み始めると奥ゆかしく窄まってた肛門がレンズの絞りを開放するかのごとく
皺が伸びていくと逆さに隆起した富士山のようになると、華ちゃんの息に合わせてまた窄まったりを繰り返す。
何度か繰り返すたうちにおちょぼ口のようになった直腸の赤みの中心をググーッと押し広げるように茶色い塊が現れる。
紛れもなくそれはうんちだった。
華ちゃんの息む声とふるえるでっかいお尻、そして肛門。僕は童心に帰ったような感覚で見ていた。
緊張してなかなか出ないのか、華ちゃんは力がさらに入るように一度しゃがみなおして、
少しつま先立ちながらまえのめりに壁に手を付くと、再びいきみ出した。
するとついにお尻からうんちの頭がにょきにょき出てきた。うんちの先端は我慢してたこともあって
水分を失ってチョコクランチのようになっていた。お尻ばかり見ているとケツだけ星人じゃないが
別の生き物のようにも見えてくる。缶コーヒーより一回り小さいくらい開いた肛門からフリスクケースの長辺
くらい硬い部分が出ると、そこから色が変わり健康的なうんちがゆっくりとズルズルと聞こえるように出始めた。
華ちゃんの大きなお尻から尻尾のように垂れ下がり始めた立派なうんちは、表面がつるつるしていて不思議と汚さより気品があった。
苦しそうだった華ちゃんの表情も和らぎ始め、本当に気持ちよさそうだ。
しかし力いっぱい引っ張られた弓のように張り詰めた腹筋と震えるお尻は
うんちを押し出すために物凄いエネルギーを使ってるんだという感じだった。
華ちゃんのいきむ声が強くなるとお腹が少し凹み、お尻の張りが増すように全身で呼吸してるような感じ。
椅子の高さが50センチ以上あるのに華ちゃんのお尻からでた繊維が手綱のようになった
うんちはついにペットシートに着地してもなお出続け、60センチほどの大蛇を産み落としたあと
ズサッという音とともについに切れ落ちた。
華ちゃんの肛門はぱっくり口を開けたままゆっくり窄まりにもどっていく。
と思いきやけたたましい爆音がギャグ漫画さながらブウウウッ!!と響き渡る。
栓をされ溜まっていたおならが一気に放出されのと同時にうんちにほぐされた腸が震えているようだった。華ちゃんは顔真っ赤。
いっぱいでたね、すっきりした?と聞くと華ちゃんは「まだ残ってるみたい・・・」と表情を曇らせる
僕は華ちゃんのお腹を円を描くようにマッサージしてあげると返事をするかのようにくぐもったお腹の音と申し訳なそうなすかしっぺがでた
相変わらず顔は赤いけど華ちゃんは嬉しそうだった。何分かしてると華ちゃん「おーきたきたきた、出そう」と言って再びしゃがみ直すと、
また力みだす。華ちゃんのお腹を擦ってる僕の手がぐぐっと収縮する腹筋を感じた。
みたび、いや何度目かのずっと見ていたくなるような肛門の収縮。今度はスムーズだった。
さっき出した一本目のうんちは繊維がぎっしりで重みのあるまさにうんち、一本糞wといった感じで
二本目は太さは同じくらいだったけど柔らかめで黄土色がかってた上、臭いが強烈。(やわいから?)
多分できたてホヤホヤのさっき固まったうんちという感じだった。
柔らかくスピードのあるその新人はぎゅううぅというすかしっぺと相まって、ゆっくり姿を現す気迫のある一本目とは裏腹に、
そこはかとなく下品な破裂音で直腸を滑り降りては、さっき出したうんちに積み重なっていく。
最初の羞恥心なんて屁と一緒に飛んでいったのか恍惚の表情で色っぽい声で息む華ちゃん。
しかし二本目だと言うのに相変わらずの大量だ。でる途中で何度か切れたが少なくとも60センチ近くあったように
思える。
キレがいいのかほとんど拭く必要もないお尻を何度かティッシュで拭いた華ちゃんは
出し切った達成感か、ご満悦の様子。すごい、ほんとうにすごかった。
山盛りになった華ちゃんのうんちは新聞紙ごと丸めて家庭ごみに捨てた。
その後ファブリーズを死ぬほど使ってにおいを消したけど。さっきまで華ちゃんのお腹にあったものだと考えると
なんか不思議な感じ。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6270941
体調不良や強姦への対策としてピルを利用することはもちろん推奨できることだ。またレクリエーションとしてスポーツを楽しむことも尊重されるべきではある。
しかし無理やり身体を鍛え上げた結果の生理不順に対して相談する相手がどうだの,世間の関心がどうだのと主語を大きくして問題提起した気になって問題は解決するのかと問いたい。
どう頑張っても男性ホルモンにはかなわないし,メダルを取れるのも先天的ホルモン異常な男女だけなんだよ。
それを節制して鍛え上げて,生理不順になったからさあピルだってスポーツの意義からかけ離れすぎてるし,いってみればドーピングと何が違うの?って話になる。
勝てるとしたら結局のところビーチバレーや新体操みたいな「エロチック」か,カーリングみたいな筋力も糞もない「ボードゲーム」しかない。
結局さあ,「プロスポーツに女性は向いてない」って当たり前の結論から目をそらすから堂々巡りの話しかできてないのが問題なんじゃないの?
「生理が来たのでスポーツに打ち込むのは辞めて女性らしく生きる」て選択肢があるのにどうして世間はそれを歓迎してあげられないの?
「世間の関心がない」
個人問題を大衆問題にすり替えないでほしい。それで関心持って質問すれば「セクハラされました #Me Too」とかたまったもんじゃない
「胸が出てくるのも嫌
女性が女性を否定し続けていればポジティブに行き着かないのも道理というもの
その恥じらいは持っていて然るべき。「美しさ」という建前の大衆(もっと言えば性欲溢れた男ども)の玩具に成り下がることに,なぜアスリートは疑問を抱けないのか
最近の新体操やフィギュアスケート、肌色と同色の部分が多くて、
裸に装飾だけ付けてるように見えるレオタードが多いけど、どうなの?
というか身体のラインぴったりなレオタードはそもそも大丈夫なの?
ジャージじゃだめなの?
陸上やビーチバレーは、あそこまで布部分少なくしなくてもよくない?
ロードレース(自転車)なんで男性用よりレーパンの丈が短いの?わざわざ短くする必要なくない?
膝上くらいの長さにしたら?
そういうところにフェミニストが言及しないのなんでかなと思った。
女性らしさを武器にするような格好や職業や絵を無くしていきたいんでしょう?
女性がやりたくてやってることが結果的に男性を喜ばせることになるのも
許せないんでしょう?
時代にそぐわないんでしょう?
がんばろうフェミニスト。
グリッドガールのように、これらもみんな滅ぼそう
○朝食
○昼飯
なし
○夕飯
○調子
すこぶる悪い。
理由は親ともめたから。
ただくよくよしてもしょうがないので、楽しく生きよう。
○Doritos Crash Course2
1はローカライズされてないし、実績が難しいので2をじっくりやることにした。
(期間限定らしいし)
キネクトゲーは難しいのが多いなあ。
「心の光が影を作る」なんて魅力的なキャッチコピーなんだろう。
イート村でのサーリアとのエピソードは凄く感動的で、またもやうるうるしてしまった。
このリアルというのは、ネネからの借り物の力ではなく本物のリアルの自分という意味なんだろうなあ、深い! 面白い! 楽しい!
醜い姿になりながらも忠誠心だけは忘れないザボ、しかしそれも結局次の復活という目の前の自分の利益にはかえられないムジュン。
どれも感動的で、ゲーム的にも怒濤のボスラッシュも楽しかった。
「悪いな、これは俺の光だ!」はかなり格好いい台詞!
これはさすがに何も想定していなかった。
(実は一回全力で殺したのは内緒)
(とはいえ、これは、ゾラもリアルを使えたことから裏切りの裏切りは予想できてたんだよなあ)
エンディングのジブラル王の「自分たちの心の光、どう使うかは自分次第か」というのが、
ネネが使う魔法も、シュウ達が使う魔法も同じだけど自分次第っていうのが、良い価値観だよなあ
そしてオーラスのスタッフロール、勇敢な曲がまたこのブルードラゴンの終わりにふさわしい良い曲なんだよなあ。
悲しい感じも楽しい感じも似合わない、勇敢に前に進んでいくのが、ブルードラゴン、というかシュウらしくてかなり好みの曲です、サントラ買おうかなあ。
サブイベントなどやってないシナリオがたくさんありそうなので、二週目するかどうか早くも悩み中。
とはいえ、少し寝かしてから二週目かなあ、いやあ本当良いRPGだった!
FF13以来に普通のコマンド式RPGをしたけど、FFやDQで育った世代としては、やっぱりこれぞゲームって感じがしてとてもとても楽しかった。
橋下氏の慰安婦発言が泥沼化している。
言えば言うほど深みにはまって行く様は、政治家としてというよりも、人間として根本的な所が間違っている証明のようにも見えるが、私はこう思う。
1
それがどのような形態であれ、慰安婦の存在自体は容認されてはならない。
現在は。
2
慰安婦というシステムではなかったとしても、現地の女性を活用して性的サービスを受けた例は他の国にもあった。
アメリカ軍にもあった。
当時は、世界中で、そうだった。
3
日本(現地)の
4
私は米軍司令官にそれを進言した。
マスコミが悪意を持って自分の発言を歪めたと言う、インターネット中毒患者に良く見られる被害妄想を景気よくふるまっている橋下氏であるが
彼の発言が正しく英訳されていたとしても、この破綻した思考と錯乱した行動と、それに気づかない精神状態では批判は避けられなかっただろう。
むしろ全てが英訳されずに、一部が伝わった(彼の認識では、だが)からこそ、この程度で済んでいるのかもしれない。
しかし、本気で自分の考えを説明したいのであれば、せっかくのツイッターで「可哀想な私」をまき散らしていないで
自分の気に入る英訳をしてくれる翻訳者に翻訳を依頼し(まさか仕事を頼むだけの金がないという事はないだろう)、気の済むまで発信すればいい。
場合によったら世界中のネット以外で活躍されている論客との議論が白熱し、ネットとテレビ番組で醸成されたセカイから抜け出し、一躍、世界的な政治リーダーとなれるかもしれない。
いや、むしろ、そのように成長してくれる事を望む。
もちろん、迂闊な発言は余計な火種の元であり、迂闊な人間性であればなおさらで
それゆえに政治家は失言に注意するのだが、彼の場合、もはや今更だ。
彼の風俗観にはエロゲーのやり過ぎやハーレム系ライトノベルの読み過ぎを疑いたくなるのだが
彼によれば、日本には色々な風俗があって法的にOKだから大丈夫、との事である。
「軍人に風俗をあてがう」という考え方自体が、上にあげたように自分自身の論理からの破綻を含んでいるのはもちろんであり
戦後日本が進駐軍の軍人のために、募集した素人日本人女性を提供した慰安所「RAA」は、まさにそういう発想で作られたものであるが
(テリー伊藤が間違った発言をしていたようだが、この「RAA」は日本政府が自発的に作ったものである。
わずかな期間でGHQによって廃止された。前時代的だと批判されたのはそういう事である
それ自体は、まぁ、置いておくとしよう。
全ての風俗嬢が「喜んで」セックスワーカーや接客業をしていると思い込んでいるのだろう
というのは、風俗好きな私の憶測だが、それも、置いておくとしよう。
置いておく項目が増えすぎて収拾がつかなくなるので、まとめて置いておくが
要するに、いろいろと奇怪で話を聞けば聞くほど、考えが気持ち悪い。
OK、とりあえずは好意的に考えて、橋下氏は「本番がなければ性的サービスにあたらない」と考えているのだとしよう。
そう考えると、いろいろとおかしな論理的矛盾の幾らかは、なんとなくは消化できるし
ワルぶっていて性的な要求を女性にいろいろさせる事に不自由しなかった人間であれば、そう考える傾向があっても不思議ではない。
(そこが警戒される理由ではないかと言うのは、置いておくリストの中に放り込もう)
私は彼に問いたい。
「一体、どこまでならOKなのか?」
どこまで、というのはもちろん、ゴール地点を挿入に設定した時の「どこまで」である。
分かり易いよう、ひとつ具体的なコースを提示してみるので、答えてみて欲しい。
【スタート】
↓
↓
↓
↓
【ゴール】
彼は元弁護士らしく、「国内法の定める範囲内」と答えるかもしれない。
要するに風俗営業許可を得ている店ならなんでもいい、と。
内気で非モテでプロムの相手もいなかったようなアメリカ軍人であれば夢のような話だ。
だが、それはビーチバレー程度で性欲は解消できないという自らの認識との矛盾をはらんでいる。
男性として言わせてもらえば
最も、アメリカまで出向いて優秀な日本の風俗を売り込んでくるというのなら、話は別だ。
せっかくアメリカに行くのだから例の報道官にも、司令官にするものと同じ進言をすればいいのだ。
直接会って話をすれば、「誤解」も解けるかもしれないし、彼の主張も聞き入られるかもしれない。
成功したらクールジャパンの品目に風俗を加えれば、一石二鳥である。
彼が自分を支持したと主張する「アラブメディア」というものが実はAFPだったり、別に支持してはいなかったりした事は、もう見て見ぬフリをしてあげよう。
煽動や問題のすり替えを頻繁に行うが、これもネットばっかりやってる人間にはよくある事である。
あるいはゲーム脳?
世代の特徴でもある、万能感とアメリカへのコンプレックスに蝕まれているのは確かだろう。
中二病?
おそらくはそれら全てに罹患しており、そういう物に蝕まれてボロボロになっている人たちの象徴が橋下徹という人間なのだ。
彼の世代に浸透していた、コンプレックスを基底とした日本のサブカルチャー的な価値観、受験勉強としての教育への反感、インターネットという居場所、そういう欺瞞によって作り出された「可哀想な人間」なのである。
どうやら自分は「他人の動きを模倣して覚える」という行為が一切できない人間らしい。
思えば不思議だった。
学校の体育の授業でやる諸々のスポーツ、皆習っていないのになんであんなに出来るのかと。
子供ながらに友だちに訊いて「えー他の人の見てたら普通にできるじゃん」と言われた記憶がある。
そこから見よう見まねでできた!という経験は今の今まで皆無だった。
何故見て覚えられないか。
多分なんだけど、全体を俯瞰しつつ、同時並行的に人の各部の動きに注意することができない上、どうでもいい所に注意が行ってしまっているのだと思われる。
それに全身を使わないとこなせない理由もわからない。
例えばボール投げだったら投げる方向に対して体を利き手側に向ける、足を開く、利き手を後ろに引く、利き手の反対側の足を踏み込んで体重移動するetc.ということを把握できない。それどころかボールばっかり見ている。更にはそれで「女の子投げ」より遥かに遠くボールを飛ばせる理由が分からない。
ちなみに具体的な投げ方だけは後述のテニスの知識と、つべにあったボールの投げ方の動画からヒントを得て「ユーレカ!」となった。でもテニスやってなかったら動画見てもチンプンカンプンだったと思う。
でも全ての運動ができないわけではなく、弓道については段位を持つ程度にはなったし、テニスは少し通ったカルチャースクールでダブルスのゲームもどきができるくらいにはなった。あと水泳もスイミングスクール行ってたからクロールくらいなら普通にできるし、スキーも高校の宿泊学習で(ry
つまり教本読むなりマニュアル読むなり指導者につきっきりで教えてもらうなりしてやり込めば、無難にこなせるくらいにはなるのだ。
そういう経験もあって、体育の授業や休み時間に遊ぶ程度のスポーツなど、部活やそれ以上に本格的に取り組むのに比べたら「素人のお遊び」でしかないことは分かる。
しかし素人レベルですらこなせないとなると、スポーツを通じた他人との交流は全く望めないわけで。
フットサルとかビーチバレーとかソフトボールとかバスケとか、どれも全くできない(体育の授業を平均点でクリアした人ならその延長で問題なくできそうなのに)。
それも超初歩の、ボールの蹴り方・投げ方・バットの振り方・アンダーサーブの打ち方・シュートの打ち方から分からない。
まあ今のところ、周囲とのコミュニケーションにスポーツが必要な機会は皆無だからいいけど、周りができることが全くできないままなのはちょっと嫌だ。
といってもどうやって身につけるか見当もつかないし。
見て覚えられないなら本買うか、具体的にダメ出しする系の指導者に頭下げて教えてもらうしかない。
君の考えにケチ付ける前に前提の共有をしておきたい。
何が「吹奏楽絡み」なのか意味が分からないし、意味が分からないから疑問にも思いようがない。もう少し詳細に。
まず気に入らない点は色物なのに本物ぶってる点
この本物ぶるというのもやはり意味が分からない。どういう現象を「色物が本物ぶる」のか詳細が欲しい。
そもそも音楽ジャンルをスポーツに比喩することは適切だろうか?
たとえばその比喩が適切であるならば、「フルートオーケストラ」や「弦楽四重奏のための協奏曲(ただし弦抜きオケ)」や「クラリネット四重奏」と「クラリネット五重奏」の違いなどが明確に他のスポーツなどに対応されなければならないはずだ。
簡略化、という主張をするならば、当然弦楽四重奏はオーケストラから簡略化されたものと見做されねばならないし、ピアノとサックスによるソナタもそれに準じなければならないだろう。まさかクラリネット四重奏が四管編成オーケストラの簡略化だ、なんてアホなことは言わないだろうが。
「オーケストラより手軽に曲を完成させる(未経験者可)」「部活(教育の場)の思想にマッチさせる」
っていう辺りの思惑と言っていい。
教育的配慮はあろうが、前者は意味がやはり不明。そんな思惑は聞いたことも体験したこともないが。具体的に誰が明言したの?
簡略化した挙句にジャズとかポップス等、多方面からもつまみ食いした結果((中高生のハートをキャッチするためでしょう。おそらく))
19世紀後半からのオーケストラのジャズつまみ食いはそれこそ作曲家から演奏家まで当たり前のようにしてたわけだけど、そういう事情は無視?
でもそこが日本の中心って全体の底が知れると思わない?
そこまで書いてWASBEとかは無視するんだもんね。
「個性<集団」に相当偏ってる。
私は地区~県レベルの中学と県~支部レベルの高校の吹奏楽部に在籍していた人間だけども、そんな基準は聞いたことないなあ。
普門館に上がるとそういうのが加味されるわけ?
地区大会とか県大会の団体は感動が魅せられていないわけでもないでしょ?
そう思ってるなら、よほどひねくれた考えなんだなあ、と思わざるをえない。
「徹底的に個を排除」「演出は過剰に」という方向に走る
二行目はわからなくもないけど一行目と三行目は別に問題ないよね。
というか吹奏楽って編成事態が中音が分厚くて低音が薄くて個性の薄れた管楽器集団じゃない。
もちろんこれは構造上の特徴だから、それを活かすも殺すも作曲家次第なんだけどさ。
まあ北朝鮮のマスゲームみたいだから音楽じゃないっていうのも読んでてアホだなーって思うけど、まあそれはいいよ本筋じゃないし。
前のとこは省略したけどさ、吹奏楽部あがりのプロ管楽器奏者ってザラにいるのよ、わかる?
で、ジャンルの問題として君は吹奏楽とオーケストラとジャズの違いも説明できなそうだし(ここでオーケストラとジャズを比べないあたりがとても恣意的だよね)
で、そもそもスポーツとの比喩が適切であるかどうかも不明瞭だからここの引き合いも同じく不明瞭。
「日本でクラシックを本当にやるなら東京藝術大学を目指すんだろう」と「そういう高校生は吹奏楽やってる暇はないらしい。」がどういう理路でつながったのだろう?
あと、君勘違いしてるけど今音楽が熱いのは藝大じゃなくて東音ね。あなたいつの人よ?データ古くない?
杞憂だから不安がらなくていいよ、めんどくさくなって前提無視してケチつけまくったけど
ああ、あとちゃんとトラバ返してね。少なくとも上の指摘に適切に返せないようじゃ話にならない。
なんで大抵部活っていうと吹奏楽絡みばっかなのか疑問に思わないか?
さも高尚ぶってのさばってるのが自分はホントに気に入らない
まず気に入らない点は色物なのに本物ぶってる点
ビーチサッカーやビーチバレー、キックベースやらタッチフットと考えて欲しい
「オーケストラより手軽に曲を完成させる(未経験者可)」「部活(教育の場)の思想にマッチさせる」
っていう辺りの思惑と言っていい。
簡略化した挙句にジャズとかポップス等、多方面からもつまみ食いした結果((中高生のハートをキャッチするためでしょう。おそらく))
完全になんか不思議なジャンルと化している。どの観点から見ても中途半端。
全国的に子供に率先してやらせる音楽ジャンルがこういうものってどう思う?
気に入らない点の二つ目は、教育的思想が大きくなりすぎたままガラパゴス化してる点
まずガラパゴス化の説明。
「全日本吹奏楽連盟」とそれが主催する「全日本吹奏楽コンクール」の存在が大きくて
そのコンクールの課題曲とか審査の傾向が全体のトレンドに大きく影響する
っていうとさも当たり前っぽいけど、全日本吹奏楽連盟はいわば野球でいう高野連
全日本吹奏楽コンクールは夏のインターハイとか高校野球とかそういうの。
そりゃもう命かけて賞取りに行くよ。
でもそこが日本の中心って全体の底が知れると思わない?
連盟って根本的にはプロの演奏家じゃなくて学校の先生の集まりなわけで、
やっぱりそこが一番お偉いさんやってるとちょっとずつおかしくなる
そこで教育的思想が大きくなりすぎるっていう話になるわけだけど
「個性<集団」に相当偏ってる。
要は「中高生が協力し合って作った感動」を魅せると高得点取れる。
そういう審査を付きつけられた中高生なりその顧問はどうするかっていうと
「徹底的に個を排除」「演出は過剰に」という方向に走る
根本的に音楽の発展なんか気にしてないから当たり前なんだけどね
審査の切り口が違う大会がいくつか乱立するような状況だったらバランス取れるだろうけど
教育的バイアスで歪んでるとはいえ日本における歴史は結構長いから
高校卒業しても続けられたり、プロとしてやっていく土壌は出来てしまっていて
視野の狭いままその世界に骨を埋めることも可能になってしまっている
日本でクラシックを本当にやるなら東京藝術大学を目指すんだろうけど
そういう高校生は吹奏楽やってる暇はないらしい。そのくらい別物
他の物に触れずに歪んだジャンルに人材が割かれてると思うと悲しい
美人すぎる海女も、美人すぎる市議も確かに顔だけで見られてるけれど、
客寄せパンダ的なポジションであることを理解して、うまく町おこし的なことを
やろうとしてるんじゃないかなと妄想してるオレ。
海女に八戸市議だぜ?どうやったら注目集められるんだよ?って。
あんまりスポーツに詳しくないけどさ、
ビーチバレーの浅尾っているじゃない。
確かに浅尾のおかげで女子ビーチバレーはスポーツニュースで取り扱われたり、
スポンサーが付いたりしてるのだろうけれど、
コンビ解消した途端に、元相方の西堀に実績で突き放されちゃうとかさ。
浅尾の葛藤ってどんなんだろか気になるよね。
石川遼なんかは、最初はハニカミ王子なんて言われてさ、元祖ハンカチ王子の二番煎じ的ポジションで、
スコアでギネス記録だぜ?一時騒がれたフィギュアの最高点のように採点競技じゃないんだぜ?
しかも、同世代が「石川を負かす!」みたいな雰囲気だったりして、
顔から今度はゴルフ競技そのものに注目が集まってると思うんだよ。
実績なんて、長い目で見ないとわからねえよ。
美人すぎる○○、いいじゃねぇか。長い目で温かく見守ってやろうよ。
イケメンすぎる○○、いいじゃねぇか。長い目で温かく見守ってやろうよ。
ただ、見守るほうの意識が大事ってだけだよ。
まあ増田に書くくらいだから吐き出したい気持ちがたくさんあるんだろうしそれは増田である限り自由だ。
しかしよく考えてほしい。
増田が奥さんに感じた「気持ち悪い」という感情。
それは世界中で増田だけが感じているんだろうか?そんなことはない。
増田のご両親だって結婚してから今まで相思相愛のバカップルだった訳ではあるまい?
結婚当初は気づかなかった違和感は高まりつつ今までどうにかこうにかやって来れただけだ。
夫婦というのがビーチバレーのチームみたいなものならまた相手を探すまでだが結婚相手ならそうも行くまい。
今の増田はその「気持ち悪い」の正体が何なのか決して向き合おうとせずあわよくばやり過ごそうとしているようにしか見えない。
それは可能性が高い賭けとはとても思えないんだが。
誰かこういうことをはなせる客観的な第3者がいるといいんだが。
ちと論旨からそれるような書き込みでスマンが、
肖像権を管理している側も相当無茶をやってるところってあるじゃん。
ビーチバレーの試合を撮影禁止にするとか、
バイオリニストの高嶋ちさ子さんのストリート演奏でも事務所の人達が
「撮影は禁止です。撮影しないでください」と大声を張り上げて、カメラを構えている人達に
物理的な妨害をしてるのを見たことがあります。
現行民法では、写真や画像データの使われ方について規制をすることは書いていても、
開かれた場所で行われているものを人力で妨害するのは、肖像権の趣旨から外れている行為じゃないかなぁと思うのですよ。
こっちのことは長く問題視されないんですよねー。
正しいかどうかはともかく、納得できる話。
そのとおりだ。不快な思いをするかどうかが問題。マスコミだって相手を不快にさせたら訴えられることもある。だけどマスコミ(報道目的)の場合、社会的な説得力をもった撮影であるということが安心感を抱かせる。
ヘンタイの場合、それが悪意を持って利用されることへの不快感が強いのだ。オナニーや流出・売買といった目的が見え隠れしているどころか「モロ出し」である。
某ビーチバレー選手にまつわる出来事は、マスコミというフィルターがいかに強力な説得力を持っているかを教えてくれる。
肉眼で鑑賞するのはオッケーで録画するのはダメ、というのは、なんというか本人の人格が介在するかどうかの問題というか、「カラダだけを見ている」度の違いだと思う。
これも納得。カメラのファインダーを通すという行為=風景のトリミングであることは言うまでもない。もっと言うなれば、撮影者が個人であるということで、被写体と一対一のコミュニケーションが成立してしまうという。しかも相手は得体が知れず、悪質な可能性が高い。
対してマスコミは、社会性、組織性というコンテクストが特定の被写体とのコミュニケーションを成立させにくい。集団は集団を撮るのである。
某ビーチバレー選手にまつわる出来事は、マスコミという社会的な集団組織が特定の選手を狙ったために民衆の不快感をあおったのである。