はてなキーワード: ビーチバレーとは
正しいかどうかはともかく、納得できる話。
そのとおりだ。不快な思いをするかどうかが問題。マスコミだって相手を不快にさせたら訴えられることもある。だけどマスコミ(報道目的)の場合、社会的な説得力をもった撮影であるということが安心感を抱かせる。
ヘンタイの場合、それが悪意を持って利用されることへの不快感が強いのだ。オナニーや流出・売買といった目的が見え隠れしているどころか「モロ出し」である。
某ビーチバレー選手にまつわる出来事は、マスコミというフィルターがいかに強力な説得力を持っているかを教えてくれる。
肉眼で鑑賞するのはオッケーで録画するのはダメ、というのは、なんというか本人の人格が介在するかどうかの問題というか、「カラダだけを見ている」度の違いだと思う。
これも納得。カメラのファインダーを通すという行為=風景のトリミングであることは言うまでもない。もっと言うなれば、撮影者が個人であるということで、被写体と一対一のコミュニケーションが成立してしまうという。しかも相手は得体が知れず、悪質な可能性が高い。
対してマスコミは、社会性、組織性というコンテクストが特定の被写体とのコミュニケーションを成立させにくい。集団は集団を撮るのである。
某ビーチバレー選手にまつわる出来事は、マスコミという社会的な集団組織が特定の選手を狙ったために民衆の不快感をあおったのである。