はてなキーワード: ハニカミ王子とは
美人すぎる海女も、美人すぎる市議も確かに顔だけで見られてるけれど、
客寄せパンダ的なポジションであることを理解して、うまく町おこし的なことを
やろうとしてるんじゃないかなと妄想してるオレ。
海女に八戸市議だぜ?どうやったら注目集められるんだよ?って。
あんまりスポーツに詳しくないけどさ、
ビーチバレーの浅尾っているじゃない。
確かに浅尾のおかげで女子ビーチバレーはスポーツニュースで取り扱われたり、
スポンサーが付いたりしてるのだろうけれど、
コンビ解消した途端に、元相方の西堀に実績で突き放されちゃうとかさ。
浅尾の葛藤ってどんなんだろか気になるよね。
石川遼なんかは、最初はハニカミ王子なんて言われてさ、元祖ハンカチ王子の二番煎じ的ポジションで、
スコアでギネス記録だぜ?一時騒がれたフィギュアの最高点のように採点競技じゃないんだぜ?
しかも、同世代が「石川を負かす!」みたいな雰囲気だったりして、
顔から今度はゴルフ競技そのものに注目が集まってると思うんだよ。
実績なんて、長い目で見ないとわからねえよ。
美人すぎる○○、いいじゃねぇか。長い目で温かく見守ってやろうよ。
イケメンすぎる○○、いいじゃねぇか。長い目で温かく見守ってやろうよ。
ただ、見守るほうの意識が大事ってだけだよ。
のっちショックからは回復したけど
いまだに、「有名人をフィルター越しに見る」癖が抜けない。抜けないというか……それ以外実際どうすればいいのか、分からん。
のっちに対しても、「トークになるとちょっと冴えなくなるけどカッコよくてあ~ちゃん好きなのっち」なんていう一部のファンの幻想みたいなものを、まあ、自分も持っていて、で、うすうす「でも違うんだろうなぁ、実際のとこはさ」なんて思っていて実際違ったわけだけど……
勿論そういう「勝手なイメージ」からはずれたからといって当人に怒るのは筋違いも筋違いだとは思う。
でもそれでショックを受けるのも許されないのだろか。というか許さない!といわれても、受けるときは受けてしまうので、どうしようもないのではあるが。
そもそもそういう「勝手なイメージ」を持つなって話なのだろうが、
でもそれも突き詰めていくと可能なのか。と思うのである。
イメージをもたずに、有名人を「見る」というのは、一体どういうことなのか。というかまぁ弁解がましいけど、正直芸能人の場合は、相手がわざわざそういうイメージを作って売ってるところも、あるわけで……本人というより、その周辺の人たち、ってパターンが多いんだろうけど。
それでも「確かにキャラ設定はありました。でもあんたら一部のファンが勝手に思ってるような設定は少なくとも出していませんよ」ってこともあるし、キャラと生身のあいだがそもそも、はっきり分離不可能なこともあるだろうし(いや、というより、多分、全ての場合において完全には分離不可能なんだと思うけど。濃さの違いがあるだけで)そのへんの細かい事も色々あるだろうけどそこはとりあえずおいておいて
芸能人はまだ自分からそう売り出しているからまだしも、スポーツ選手などの、素人と芸能人の間にいるようなタイプの有名人てのは、別に「そういうふうに」売り出しているわけじゃないのに、勝手にマスコミによって「美人〇〇」「イケメン〇〇」なんて呼ばれて文脈作られちゃったりするわけで。ハニカミ王子なんかも、完全に「好青年」的イメージがついちゃっている。たとえば普通の少年の喫煙には「フーン」でもハニカミ王子が喫煙、とか言われたら多くの人が「え、あの子が?!」みたいな感じで驚くんではなかろうか。そしてそれは、マスコミ(でもなんでもいいけどとりあえず)によって「好青年」イメージが、好青年キャラが、彼を見るときの前提としてはいってしまっているからじゃなかろうか。そしてそれはあんまり好ましくない事態に思える。まさに「勝手にキャラ化して驚いてる」んだから。よくないなと思うが自分でもそういう反応をしそうだと言う自覚がある……。
しかしだったらばどうすればいいのか。
別に喫煙がなくとも、新聞でハニカミ王子の特集がやってて、好きになったので、応援しはじめた、色々調べた……そしたら、なんかインタビューとかみたら、どうも最初のイメージと違う。ガーン。てな、こともありうるわけで。
怒りを対象に向けるのはアウトだが、そこでショックすらも「勝手にキャラを想定して、勝手に外れたなんておもっている。生身の人間を無視している」ということで、アウトだとすると、一体どう好きになればいいのか、分からない。
というのは、言葉で、表し辛いのだけど、例えば新聞なりテレビなりでその対象を知り、対象を好きになる時点で……キャラ化はしてしまっているのではないかと思うのだ。「彼・彼女のこんなところが好き」と思っている、漠然とでも、「彼彼女の空気が好き」であってもなんであれ好きの対象が決まったそのとき、既にキャラ化は多かれ少なかれ完了してしまっているのでは?今現在気になる、芸能人以外の、スポーツ選手なり、音楽家なりの芸能人と素人の中間の有名人が多々いるのだが、「好きになった。彼・彼女らの情報を追いかけよう」という気になれないのは、「多分、今自分は彼・彼女らを、勝手にキャラ化して好きになっている部分が大きいのだろう。ということは情報を追いかけていけばいずれ、「なんか違った」という壁にぶつかるだろな」→だからやめとこ……というチキンさゆえである。
そもそもキャラ化せずに好きになれというと、どういうことか、彼彼女のありのままをうけとめることか。でも「ありのまま」ってのはなんなのか、そもそも、どうすれば受け止められる。そもそもどうすれば彼彼女の他の事を知れるのか。perfumeでいえば、のっちをキャラ化して見たのがよくないといわれても、のっちの他の部分などどう知ればいいのか。のっちの本質的な部分などどう知ればいいのか。のっちのありのままなどそもそも誰が知っているのか。のっち自身も知らない可能性もある。
芸能人は意識的にキャラを売っている部分があり、そこまでいかずとも有名な人、という人の場合は周辺の人がキャラ化して売り出している部分がある。しからばいわゆるフツーの人はどうかといえば、結局、この場合もかわりないのではないか。
フツーの人だって常に「ありのまま」を出しているわけじゃないし、ある程度相手によって自分を作っているし、それを見るほうも、大体「あいつはこうで、こういうやつ」と、キャラ化とはいわずともおおざっぱにそのようなことはしているのではないか。話がちょっとズレそうだけど、普段大人しく真面目だという生徒が何か犯罪を行い、それで近くの住民が「そんな子じゃなかったので意外」みたいなことをいったりするが、これも結局はキャラ化してるってことじゃないんだろうか。
インドア派で、外に出るのは嫌だと言ってる友達が、実はサーフィン大好きなんていわれたら「お前が?」と思うわけで……
そういうとき「ソレもありうると思ってたよ。お前は生身の人間だからね」となにがきても動じないのが正しい態度なのか。
あるいは、驚くまでは許すとしても、「驚いたけど、でも分かった。それもお前だよね」と順次認めていくのが正しい態度なのか。
それでも、いったいそれはどこまで続ければいいのか。「まさかあいつが」な事を、相手がどれだけやっても、相手を一度好きだといったならば、認めていかなくてはならないのか。というよりその覚悟がないなら、相手を好きだなんていってはいけない、ファンになっても、友達になってもいけないのだ、ということなのか。ソレは結局極限までいけば、「あいつの肉体」がしていれば、何をしようと自分は認める。ということにならないだろうか……「生身の人間だもん、いろいろあるよ」を認めていくと、結局肉体という殻の中身がどんな色になろうと、認めざるを得なくなる、それは結局、皮肉にも相手の人格を認めてないのではないか…?
またまた大袈裟な。どこかで適当に線引きをすればいいんだ。……というかもしれない。でも「適当に」ってどこにさ?その人にとっては適当な線引きでも結局ソレが他者にとって適当でないと感じれば「勝手にキャラ化し、理想を見、相手が生身の人間だということを忘れた愚行」ってことにならないか。でも「相手がどんなんでも、認めるよ」というのは極限までいけば、「お前がお前の肉体であれば認める」ということになる。実際、家族レベル(特に母と子)だと、そこまでいくような場合もあるだろうけど(なにせ、もともと肉体、血でつながれているから)、逆に言えば、家族以外にそんなマネをいちいちできやしない。
そもそもそれに加えて肉体まで微妙に変化してしまった場合、どうする。体の一部分がなくなってしまったら?そして尚且つ精神も違ってしまったら?そもそも常に爪だ髪だなんだとなくなったりはえたりしている、それどころか体の細胞は日々更新されているわけで、どれを「相手だ」と認識するのか?一部分なくなっただけならいいよ、なんていってもじゃあどこで線引きする?
我々は相手を、多かれ少なかれキャラ化しないと、相手そのものすら認識できないのでは?
こういうことを考えてしまって、三次元の人間とはついつい関わる距離を置いてしまう。「勝手に、理想化してしまうかもしれない。そして、『なんだ、思ってるのと違った』と、思うかもしれない」という自分への疑念が頭から消えないからだ。といって、理想化からは根本的には、とうてい逃れられないのでは、とも感じていて、結局どうすればいいのかわからず、もとからキャラだけで出来た二次元へ飛んでしまう。どう三次元の人間とつきあっていけばいいのか、わからない。
asahi.com(朝日新聞社):ナマ足「もうださい」 女子高生はロンスカブーム 奈良 - 社会
http://www.asahi.com/national/update/0621/OSK200906200188.html
上の記事についての2chの反応やブコメを見るに、あまりにも勘違いしているヤツが多いので言及してみる。
記事の画像は、どう見てもスケバンのような不良路線ではなく、上品・清楚なお嬢様路線だ。
というか、現代の女子高生から見たって、スケバンはダサいだろ…
というわけで、これは30年前のスケバンの再来ではなく、もっと時代を遡った、戦前の女学生の再来だ↓
ttp://tadanorih.hp.infoseek.co.jp/images/toppic/toppic0703.jpg
昨今の流行としては、大正ロマン・昭和モダニズムブームに加え、○○の品格、茶髪→黒髪、ホストクラブ→執事喫茶、肉食系→草食系などなど、上品で落ち着いた雰囲気のものが流行る傾向にある。
だから、ここらで制服のスカート丈が長くなるのは、自然な流れだと思う。
次に、大根足を隠すために丈を長くしているんだろという勘違い。
過去、女子高生の大根足を隠すために編み出されたものといえば…そうだね、ルーズソックスだね。
そしてルーズソックスには、ミニスカートでないと様にならない。
つまり、一昔前のミニスカ+ルーズソックスという組み合わせのほうが、大根足でも何とか「見れる」ようにする組み合わせだった。
逆に、膝が隠れるくらいの長さのスカートを穿く場合は、キュッと締まった足首でないと様にならない。
その為、ロング丈の場合の靴下は、膨張職の白ではなく、引き締め効果のある黒か紺が良いということになる。
ルーズソックスが廃れて黒か紺のハイソックスが主流になったということは、次の段階では必然、その靴下が似合うロンスカが流行するということになる。
これまた自然な流れだな。
あと、奈良というところに引っかかっている人が多いようだが、このロンスカ流行の発祥地は神戸だ。
まあ、この記事だけ見ると、「奈良という田舎の一部地域での流行」と勘違いしてしまいがちだが、神戸→大阪→奈良の順で広まりを見せているということだな。
あと、奈良の北西部は大阪や京都の衛星都市になっているから、奈良自体は田舎でも、そこに住む人間の多くは、大阪で働いて遊んで奈良に寝に帰るという、割と都会的な生活を送っている。
加えて、奈良という地域の特性が、このロンスカの流行を受け入れる土壌になっていると思う。
上でも言った通り、奈良は大阪・京都の衛星都市なので、奈良に「郊外の一戸建て」を購入する金持ちが多い。
特に、元記事に出ている近鉄大和西大寺駅から西側は高級住宅街で、関西の大企業幹部が邸宅を構えていたりする。
実際、奈良県民の貯蓄高は全国的に見ても高く、そのせいか奈良は教育に金を掛ける傾向があり、高校偏差値も全国トップクラスで、東大・京大合格者の数も多い。
奈良にももちろんDQN校はあるが、全国的に見るとお育ちの良い子が多く、清楚・上品志向になる子が多いのも頷ける。
まあ何が言いたいのかというと、ロンスカ最高!ってことだな。
露出度さえ高ければ良いってヤツはわかってない。
いくら綺麗な足でも、いつも見えてたら、そのうち見慣れて飽きてくるのが人間ってもんですよ。
普段は一見隠しているようで、動いたときに偶然チラッと見えるってのが至上。
着物だってそう。普通にしていれば素足が見えないようになっているけど、階段上るときに、裾と足袋の間から素足が覗く。
それが本当の色気ってもんだよ。
本村さんの回答は立派だけど引き出したとは言わないよ。たまたまそうなっただけ。
朝日の記者が無思慮な質問をすることで立派な本村さんを引き出そうとしたとは思えない。
もっと適切な質問があるはずだ。死刑の是非にしたって本村さんに聞くことではない。
「無思慮で聞く相手を間違っている」と容易に思い至ることを何故してしまうか。
つまらない質問の返答に価値があるっていうのはわからない。
馬鹿な質問するのは時間の無駄だしそれに対する返答は有意義なものには思えない。
タイガー・ウッズに聞くべきことはハニカミ王子のことじゃないし
ウッズがどんな回答をしようと有意義なものにはならないでしょう。「頑張って」くらいしか言えない。
「価値ある返答を得るためにつまらない質問をしてる」とは思えないなあ。