はてなキーワード: 駆動とは
表現規制に関してオタクは山田太郎以前の自分たちと山田が出てきた意義を忘れている。
また、オタクがわざわざ表現規制派の議員に惹かれ、彼/女らを支持するという問題がある。この構造を説明する。
山田太郎以前、二次元表現規制問題でオタクは強い党派性に駆動された言動をして人を遠ざけてばかりいた。
具体的には自民党の中でも二次元表現規制に前のめりな議員を支持して反表現規制で実績のある野党議員を攻撃する、内紛、と云うより粛清を繰り広げてしまっていた。
オタクの中にもこれらに異を唱えて社会性と利益の客観視を訴える人は居たが忽ちにパージされ、またその粛清の動機や行動が幼稚なので周りの人らは呆れて散逸してしまう。これをずっと繰り返して反二次元表現規制活動は何も成果を残さなかった。
元々社会性が比較的低い界隈で、「反オタクは反日」のようにアイデンティティと社会観が至近距離で両者間に経験が無い、特に社会性が無くて幼稚な人が支持を集めやすく攻撃性が高い。自我が傷つけられそうになると防御モードに入ってアイデンティティ発世界観の固持に入ってしまう。
製作で喰っている人間も「そんな政治家支持すると食っていけなくなりますよ」と説得されても「自分より日本の方が大事だ」とかの話になってしまう。それは自分と国家を直結視させる、社会性の低い人を釣る活動をしているからで、カルトの合宿セミナーに参加したみたいな状態だ。
こんな状態の所に現れたのが山田太郎で、「表現規制の世俗化」を行った。内側から理路整然と表現規制の各種問題を説いたのだ。特に優れていたのが熱心なフォロワー達で憲法上の権利と法益、などの自己と社会との回路を示して回っていた。実は法学の教養的な意味は法文の暗記ではなくこういうリーガルマインドにある。世俗化とは神を殺す事であり自分と世界は違う事、その疎外を意識する事だ。
山田の登場で何も生まなかった反二次元表現規制界隈は目を見張るほどの変化を遂げ、リーガルマインドに基づく表現規制問題が論議される土壌が出来つつあった。少なくともアイデンティティドリブンな人によるパージが横行するのは抑えられていた。
オタクが自民党の中でも表現規制派の議員を支持してしまうのは「憲法、教育、表現規制三点セット問題」による。
90年代までの自民党は世襲と族議員の世界でそれ以外の外様が入り込んで活躍する余地はない。一方自民党は神道関係でニッチな右派老人固定票を持っており、そこにアピールするのに使われたのが憲法教育表現規制三点セットだった。これらの特徴は前提知識が不必要である事で、経済問題や業法、国際問題となると知識と経験が必要で、そのアピール先の有権者もそれらを持っている。
憲法問題は今では左派は憲法論の前提知識で自民案に反対しているが90年代はそうではなく「憲法はリベラルで良いことが書いてある本」という扱いで、憲法の名宛人が国家という事すらあまり認識されていなかった。故に憲法は法学の中でも微妙な扱いがされていたのである。
三点セット議員の言う事はこの「良い事」の羅列を保守的な羅列に変えただけで、それでニッチな票田にアピールしていた。これは最初は「敢えて」だった。
三点セットの結果を見てみると:
・憲法:改憲派の先鋒だった小林節をパージ。2012年に「良い事」だと思うことを羅列した三点セット憲法案。論点を「憲法に国民の義務が無い」事に設定。
PKO派兵等で9条の限界に至った時に改正をする運びで20年以上活動してきたのに東スーダン問題で国民に改正や議論を訴えずに政局の為に隠蔽を指示。しかも自衛隊に後ろから刺される。
・教育:道徳を教科化して学習時間を削る。日本の大学の地位が地滑り。
・表現規制:法益ではなくアイデンティティに基づいたニッチな有権者の扇動と議員立法
と碌な結果は無い。
議員立法の評価を下げているのも三点セット議員の特徴で、閣法に比べて議員立法が廃案に成り易い原因を作っている。
皮肉だが、それによって二次元表現規制法案が取らないという効果も発している。彼らの無能な働き者っぷりが表現規制法案をブロックしているのだ。
オタクはその社会性の弱さから三点セット議員の票田となっているのである。その循環を止めるには社会性を上げるしかない。
リーガルマインドの啓蒙によって表現規制問題に限り疑似社会性、自分と社会の疎外とそこから発生する知恵を撒いたのが山田とフォロワー達だった。
山田が自民党から立候補した時に支持者の間で蝶ネクタイマーク(機種依存で入力不可)を入れるのが流行っていたが、これは結構危ういというのが判るだろう。支持表明からアイデンティティへの傾斜が大きくなると山田以前に逆戻りだ。
現在、自民党総裁選で二次元表現規制派の高市早苗が立候補していて「オタクはどうするの」という問題提起がされている。高市は三点セット議員のオリジンだ。
オタクが昔と同じアイデンティティドリブンの行動やパージを繰り広げたら、山田とフォロワー達が耕した黒い土壌は実を結ばなかったという事になる。
いる。
自分にとって、小中高と学校のテストは高得点を叩き出すゲームのような感覚であった。
それに加えて、アスペルガー気味の過集中と数字に対する執着がマッチして、常にトップクラスのスピードを有していた。
スピードというのは例えば、夏休みの宿題のドリルを初日の数時間で全部片付けたり、制限時間50分のテストを10分で解いてしまう、といった具合であった。
そういう意味では、詰め込み型の学習においては他人よりは優れた素質を有していたと思う。
放任+過保護のミックスであり、ものだけを与えて何も教えてもらうことはなかった。
家事の手伝いも全くしていなかった。そもそも、するように教えられておらず、掃除や洗濯、洗い物などを手伝うという概念が頭の中になかった。
後になって思い返してみると、教育というよりは養育であったように思える。
父から教えてもらったことは「風呂に早く入れ」ということくらいであり、歯磨きの方法も教わらなかった。性教育も一切なかった。
歯は虫歯だらけであり、社会人になって歯医者に通い詰めてようやく定期検診のみで済むようになった。
歯並びも激烈に悪かったので、こちらも社会人になって全て自腹で歯列矯正した。
歯だけでも200万円くらい投資している。両親は甲斐性なしなので金を出せとは言わないが、歯のケアくらいは教えて欲しかったと思う。
家庭が万事そのような調子であったので、テストの点は取れるが全くもって世間知らずの人間ができ上がった。
高校入学頃から人間関係に失敗(自滅)し、大学でも空気のような存在であったように思う。
結局社会に出て必要なことはほぼ全て就職してから学んだ。就職してすぐはすぐは報連相さえろくにできなかった。
途中転勤があり実家から離れて暮らすことになったが、家事が全くできなかったため、部屋が散らかり放題となり、誰も家に呼ぶことができなかった。
数年がかりで色々体得して、なんとか部屋の綺麗さを維持することができるようになった。
高校〜大学〜社会人の数年の間、主観的には苦しみ続けたのだが、それは両親の教育能力のなさによるものだと考えている。
もう少しでも社会に出ても困らないような何かを学ぶことができれば、その間の苦しみも軽減できたかもしれないし、
就職してからのスタートダッシュもできたのかもしれない、と思う。
https://anond.hatelabo.jp/20210204104014
フェミニズムの愛すべき要素の一つに、共感や連帯を大切にするという価値観がある。誰かが泣いている時、証拠や事実検証は、大抵役に立たない。いの一番に、「私もあなたのために怒りたい」と表明し、それを実行しなければ社会は変わらないのだと、痛い目に遭いながら学んできた。これはフェミニズム界隈を通底するルールだ。誰かが被害を表明すれば、ただちに飛んでいって守り合う。客観的なデータに基づく結論は、提示するのに時間がかかるし決まって歯切れが悪い。だからスピードと攻撃力が高い「お前は差別主義者だ。私は傷ついた」と言い切る思い切りが習慣になる。
多分、Twitterがなければもうちょいまともだったんじゃないかね。
収入、学歴、容姿。共感で駆動するフェミニズムは、これら男性のステータスに対してどこまでもプリミティブな接し方をする界隈だ。フェミニズムが世間を席巻し、プレイヤーの絶対数が増えるにつれ状況は悪くなっている。
これも、結局「フェミニストの中で力を持った(フォロワー数が多い人間)」が、実は従来通りの男社会のコードに合わせるタイプの人間だったから、だよね。
お前ら深く考えずに回ってきた発言をRTしまくるからダメなんだよ。
古い世代の連中より高潔でありたいと、いつも願っていた。けれど蓋を開けてみれば、力不足ゆえに無害なだけだった。体に染み付いた被害者意識は、私たちがいじめ行為に至る際の非道な言い訳と成り果てた。
別にそこまで言わんでもいいじゃん。
今の過剰な力を放棄すればいいだけよ。
河村たかし名古屋市長のメダルかじり事件、正直ここまでおおごとになるとは思ってなかったので「ええ……」って火の勢いに引いてる。
大前提としてあの行為はクソダサい。アスリートがしばしば表彰台や記者会見の場でメダルをかじるのは、それが自分で勝ち取ったメダルだからで、自分が競技に出たわけでもないのにかじってみせた河村市長の行為は有り体に言ってダメダメ。てゆーかそれ勝手にかじったの? アホか、せめて一言「かじっていい?」って聞くくらいしろや。こいつほんとアホだな。ツイートの日本語が支離滅裂だったこともあったしボケが始まってるんじゃねーの?
……くらいの温度感だったのだが、国民の怒りが沸騰しトヨタが激おこ声明文を出し、みたいな火の燃え広がり方になって、めちゃめちゃ困惑してる。
そうするとどうも、これは世間では、政治家が五輪選手というそれなりに公的な立場にいる人を勝手に人気取りに利用しようとしてスベった、という話ではなく、おっさんが人の持ち物に勝手に体液をつける行為キモいし不衛生、という文脈で怒り沸騰になっているっぽく、なるほどそういう見方もあるのか~と感心してしまった。
いや、これがネックレスを舐めたとかならその怒りもよくわかるんだけど、五輪選手のメダルって、それはもちろん選手の私物だけど同時にそれなりに公的なものでもあり(五輪にいくら公費投入してどれだけ放映時間割いてると思ってんだ)、かつ持ち主本人がそれをかじるというパフォーマンスも定型として確立されているんだから、ネックレスを舐めたとかとは同列に論じられないでしょ。だから許せとか勝手にかじってもよいとか言いたいわけじゃなく、批判のポイントがなんかずれてない? って話。
政治家が下手くそな人気取りをやろうとして失敗した、という話が体液だの何だのの話題になるの、ちょっとあまりにも生理的不快感ドリヴンすぎるのではと思うし、この程度のことでそんなに怒るならなんでリコール署名偽造事件が発覚したときにもっと強く怒らなかったんだよ、メダル勝手にかじるより署名を偽造する方がよっぽど問題だろボケ、というお気持ちもあるんだけど、まあでも政治に興味ない人からすれば民主主義の根幹を揺るがす問題よりも生理的不快感の方がよっぽど重いってことなのかしらん。生理的不快感で駆動される民主主義というのはこうぞわぞわした何ともいえない嫌な感じがあるんだけど、所詮これも一種の生理的不快感でしかないしな。
コロナがどうのオリンピックがどうのと陰鬱になる時事しか無いから面白おかしくガジェットの話でもしようや。
テーマは俺が勝手に決める「音系ガジェット」な。
なんでも世界の一部の音楽シーンじゃ日本の1980年代シティポップが再注目されているらしく時代は巡るというか何というか何故今更そんなもんを思ってしまうわけだけど、この時代の音系ガジェットと言えば「Roland TR-808」は外せないでしょ。というかコイツが代表って言って良いレベルだ。
TR-808はいわゆるリズムマシンやドラムマシンとか言われるドラムやパーカッション、サウンドエフェクトを設定した順番と間隔通りに鳴らす音系ガジェットで、発売はまさに1980年代のスタートである1980年。
それまでのリズムマシンはプリセットパターン通りにしかドラムやパーカッション、サウンドエフェクトを鳴らせなかったのに、TR-808はユーザがパターンをエディットすることが出来た革新的な機能を有していた。
なんて語ってるとシンセサイザーオタクの語りかって怒られちゃうので、ここで話を面白くするために「TR-808をお前らは既に知っている」と言葉を投げかけよう。
なにせTR-808は「ラムのラブソング / 松谷祐子」で利用されているのだ!
誰でもわかるのはハンドクラップ(拍手)の音で2回目の「あんまりソワソワしないで(1分9秒あたり)」の部分の裏で鳴ってる「チャッチャ・チャッチャ」がTR-808。
なんなら結構前に一斉を風靡した「PPAP / ピコ太郎」でもTR-808は使われているんだけど、PPAPのリズムである「ズチャズチャ(コーン)ズチャズチャ(コーン)」のコーンがTR-808だ。
もしかしたらお前らの中に「いや似たような音いっぱいアッチコッチで聴いたことあるんだが。みんなそこまで同じ機器使う?」と疑問持ったヤツが居るならお前はすごく耳が良い。
本当にアッチコッチで使われていて、TR-808使用楽曲をリストアップするのは事実上不可能と言って良いほど普及しているのだ。
1980年代以降の音楽シーンは石を投げればTR-808に当たる、マジでそういうレベル(現在ではソフトウェアシンセサイザー化されているので実機を持ってなくとも利用可能)。
わかるわかる。
「ピアノとかシンセキーボードとか弾けたらカッコイイなって思うけど、そんなサッと普通は弾けないじゃん?」と。
「ピアノ教室通うったって月謝はかかるし時間はないし」と、その気持ちはスゲーわかる。
俺がちょっと聴いてみたいのはさ、音楽コンクールとか出たいの?
クラシック楽曲をチャラララァンみたいにやりたいの?いやそういう人も居るかも知れんけど大半はそうじゃなくね?
遊びで、息抜きで、暇なときに軽く弾いてみようみたいなもんじゃない?
そんな人向けに今は良いのがあるんですわ!その名も「Synthesia」だ!
Windows、Mac、iOS、Android(Chrome OS)に対応のリズムゲーム風鍵盤楽器練習アプリで、MIDI規格に対応した鍵盤ガジェットを使ってピアノの練習が出来ちまうもんなんだよ。
MIDI音源を読み込むことで自動的に譜面を作成し、右手だけ・左手だけ・両手練習、各パートの自動繰り返し、降ってくるノーツオブジェクトのスピードなどの調整も可能。
QWERTYキーボードをバーチャル鍵盤としても扱えてMIDI規格対応の鍵盤ガジェットを所持して無くたって良い。
ゲーム感覚でスキマ時間にピアノ練習しようぜ!タッチの表現とかフレーズがどうのとかが重要なコンクールに出るつもり無いならSynthesiaで必要十分。
MIDIファイルはネット上に転がってる。例えば二次創作に関してゆるい東方プロジェクトとか簡単に入手可能で、版権が厳しい曲も「ヤマハミュージックデータショップ」で合法的に買えるぞ。
ただもちろん鍵盤ガジェットでプレイしたほうが演奏しやすいのは確実で、これから俺もピアノ始めるんだぜ!って思うのならば鍵盤ガジェットを買うと良い。
ちなみに鍵盤数が49鍵以上のモデルが推奨で、25鍵盤とか32鍵とか37鍵盤を買ってしまうと鍵盤数が足りなくて残念な気持ちになるぞ。鍵盤数よくわからんならデカイのを無視して88鍵か61鍵モデルを買おう。
何も考えず書いてたら話の流れでSynthesiaの話になっちゃったので、エントリタイトルどおりにガジェットへ引き戻すぞ。
とは言ってもまるっきり変えるのも何だし関連する鍵盤ガジェットにしよう。
まず最初に挙げるとしたらコレだろというKORG microKEY Air-49。
鍵盤数は型番通りの49鍵。鍵盤サイズがミニ鍵盤という少々小さめの鍵盤を採用していてコンパクトなのが特徴。
そして更にUSB有線接続(バスパワー駆動)の他にBluetooth無線接続(電池駆動)が可能でケーブルの煩わしさがない。
シンセ向けのホイールやペダル用の接続端子もある。実売価格は13,000円前後。
続いてKORG microKEY Air-49と比較されがちなM-AUDIO Keystation 49 MK3。
鍵盤数はこちらも49鍵で、KORG microKEY Air-49との違いが鍵盤サイズがフルサイズ鍵盤で実際のピアノと幅が同じで、シンセキーボードではありがちなセミウェイトと呼ばれる重さになっている。ただしその分デカイ。
KORG microKEY Air-49とは違ってBluetooth無線接続は出来ないがUSB有線接続ではもちろんバスパワー駆動する。ホイールもペダル端子もあり実売価格は10,000円前後でKORGよりちょっと安いのが悩ましい。
MIDIキーボードの弾き心地という話題では必ず出てくるRoland A500PRO-R 49。
先に実売価格を言っちゃうと 20,000円前後で上記2モデルよりも高いが、確かに弾き心地は上記2モデルを上回っていて、しかも高機能だ。ここまで来るとオモチャじゃなくて音楽制作者向けになってくる。
鍵盤数は49鍵のセミウェイト・フルサイズ鍵盤。上記2モデルと比較してシンセ向けのホイールがジョイスティックとなっているほかにシンセの様々なパラメータを操作できるスイッチや回転ノブやスライダーを豊富に備えている。しかも、ドラム・パーカッション向けのパッドボタンまで備えていて何でもアリだ。もちろんペダル端子もある。
唯一ないのはBluetooth無線接続機能のみって感じでUSB有線接続ではバスパワー駆動もする。シンセで音鳴らして遊ぶことや、何なら音楽制作を視野に入れている、どうなるか分からんから最初から全部入りが欲しい人向けかな。
「ホイールとかノブとかスライダーとかマジで煩わしい!俺はピアノを弾くんだ!」って人向けの電子ピアノの入門モデル。
シンセ向け機能がほぼ無い代わりに鍵盤のタッチと内蔵音源の良さに振っているのが電子ピアノ系の鍵盤ガジェット。
電子ピアノは基本的に鍵盤数が88鍵のピアノ(リアル)ウェイト・フルサイズ鍵盤を採用しており上記のMIDIキーボードよりはピアノに近いタッチ感を得られる。USB有線接続は可能だがバスパワー駆動しない。もちろんBluetooth無線接続もしない。
価格はちょっと躊躇し始める40,000円前後。その分筐体の作りは良いし所有感も優れる。
価格は50,000円前後だが電子ピアノ系ではコスパ高すぎと言われる 人気機種。ネット上の相談で電子ピアノ選びに悩んでいたらコレ買っとけとか言われちゃうやつ。何ならよく売り切れる。
鍵盤数が電子ピアノでは定番の88鍵のピアノ(リアル)ウェイト・フルサイズ鍵盤で、KORG B2と比較するならば独立したLINE OUTを備えているのがエライ。KORG B2はヘッドフォン端子と共有なのでサウンドミキサーを別途購入しないとヘッドフォンで聴きながらピアノサウンドを録音とかできない。
USB有線接続可能だがバスパワー駆動はしない。Bluetooth無線接続もしない。子供の頃にピアノ習ってたが復帰するみたいな人だと満足感高いんじゃなかろうか。
「違ぇ!そういうんじゃない!俺が求めてるのはもっとロックでファンクでヒップホップな電子ピアノだ!」って人向けの電子ピアノ。コイツを選出しているだけでピアノ経験者が怒り出しかねないくらいにホットだ!(CASIOはリアルピアノを作ってないとかピアノ経験者が怒ってしまう色んな理由がある)
鍵盤数が88鍵のピアノ(リアル)ウェイト・フルサイズ鍵盤だが奥行きが同価格帯モデルよりも少なくコンパクトなのが特徴。更に同価格帯モデルと比較すると収録されている音色数が700音色以上という他メーカーよりも10倍以上も収録されてる。端子類もメチャクチャ豊富でLINE OUTがSTEREOとMONOが独立していたりヘッドフォン端子を2基備えていたり、USB有線接続用のUSB-BのほかにUSBメモリ用のUSB-A端子が独立してあったりする。
USB有線接続ではバスパワー駆動はしないもののBluetooth無線も接続可能で、USB有線接続しなくてもSynthesiaで遊べちゃう上に、シンセ向けのホイールまで備えているので真面目なお堅い楽器メーカーとはひと味もふた味も違うぜCASIOは!
実売価格は8万円前後だが、この価格帯では同等の機能性を持った電子ピアノは存在しない。注意点として近々に後継機のCASIO Privia PX-S3100がリリース予定なので検討する場合は後継機の登場を待ったほうが良いだろう。
一部のオーディオマニアは、電源タップやケーブルを「良いもの」に変えると音質が向上すると信じている。
常識で考えて、そんなわけはないのだが、なぜ彼らはそんな荒唐無稽な妄想を抱いてしまうのか。(たとえばケーブルによって変わる電気的な特性は、導線の抵抗値くらいしかないが、それは部屋の温度が数度変わるのと同じ程度の影響しかない)
ここでは、そんな彼らの多くが共通して信じている理論の紹介と、なぜ人はそういうニセ科学を信じてしまうのかについて説明する。
オーディオに関する非科学を信じる人の多くが共通して持っている考えは、電気には「きれいな電気」と「そうでない電気」があるというものだ。これはちょうど、飲料水に「きれいな水」と「そうでない水」があり、きれいな水を飲むと健康に良いと言うようなものだ。電気の場合は当然、「きれいな電気」で駆動したスピーカーからは「良い音」が発せられると彼らは主張する。
彼らによれば、家庭用の電源や大衆向けオーディオ機器に流れる電気は「きれいな電気」ではない。それをオーディオマニア向けの高額製品を使って変換したり、「不純物」の少ないケーブルを通すことで、スピーカーに「きれいな電気」が流れるらしい。
この理論の秀逸なところは、その単純さにある。本来、音質を決定づける要因は無数にあり、それらは複雑に影響しあっている。それらをすべて把握することは容易ではない。しかし、「きれいな電気理論」なら、
「高額オーディオ製品を通す→きれいな電気が流れる→音質がよくなる」
となり、単純明快だ。水質と健康のアナロジーで理解しやすいのもポイントだ。
オーディオオカルトに限らず、多くのニセ科学に共通するのが、問題を過度に単純化して説明を試みる点だ。マイナスイオンは身体に良くてプラスイオンは身体に悪いし、血液型性格判断診断なら人間の性格は4種類に分類できるし、波動測定装置を使えばあらゆる食品が身体にいいかどうかたった1つの指標で判定可能だ。
もちろん、「問題を単純化して説明する」というアプローチ自体は間違っていない。たとえば、力学で摩擦や空気抵抗が非常に小さいならば、それらは無いものとして考える。疑似科学の問題は、その理論を立証する過程で実験者の主観を排除するしくみが備わっていなかったり、そもそも理論中の概念が適切に定義されていなかったりする点だ。オーディオの場合で言えば、音質の評価は聴者の主観や対象製品への先入観に大きく依存するし、そもそも「よい音」とか「きれいな電気」の実態も正確に定義されていない。
だから、この種の「きれいな電気を流せば音質がよくなる論」は疑似科学である。
なぜ、オーディオマニアはこのような疑似科学を信じるのか?結局、人は安易な理屈がつけられるものを信じるということだ。オーディオ機器の内部構造やそれらの音質に与える影響を正確に理解するには、どうしたって大学レベルの物理や工学の知識が要る。一方、オーディオマニアの理論なら
これだけの理解で済む。一部の人達にとっては、小難しい数式を出されるよりも、こちらの方が説得力があるのだろう。
ただ、事実はこの説明の通りにはなっていない。ケーブルや電源タップの変化をブラインドテストで聴き分けられた人は、この世に存在しない。結論としては、音質の向上を期待してそんなところに金をかけるのは、馬鹿げていると言える。
月刊ドラゴンエイジ7月号(2021年)より始まった異世界転生者殺し-チートスレイヤー-(原作・河本ほむら、作画・山口アキ)という作品が炎上している。
有名な小説作品9作品の登場キャラクターをパロディしたと思われるキャラクターを悪役として登場させているからだ。
そしてそのうちの一人のキャラクターに残虐な行いをさせた。
その作品のファンは愚かアンチでさえ「そのキャラはそんなことしねーよ!」とブチギレるほどの雑なパロディであり、炎上するのは至極当然のように思えるし、この作品の大きな問題点と言えるだろう。
面白くない理由は多数あげられるが、読者が主人公の行動に納得できないことが主たる要因であるように見える。
以下にそのあたりについて解説を試みたい。
物語を動かすうえで重要なのが「主人公はなぜそういうことをするのか」という動機の部分だ。三幕構成の本などでは「欲求」と表されることが多い。
例えば「死にたくない」という欲求があるからキャラクターは死なないための行動をとろうとするのだ。
主人公は村を焼かれ幼馴染を転生者に屍姦され、自身も殺されかけるなど復讐を決意する動機は十分に見える。
しかし、主人公は憎いとは思ってはいるものの転生者には勝てるわけがないという理由でその思いを押し殺している。よりいうと諦めてしまっている。
さらによくわからなくさせるのが魔女の転生者なんて所詮陰キャなんだから殺せる、という主張だ。
いくら転生者がチートな強さを持ってても中身は並みの人間なのだからいくらでも付け入るスキはある、という意味合いならまだわからなくもない。
しかしその後主人公が転生者にキレて「後悔するぞ陰キャ野郎」と言ったら転生者がフリーズした。
「中身は陰キャなんだから付け入るスキはある」と言われて「陰キャと言えば転生者はフリーズする」とは普通は考えないだろう。
また魔女は転生者たちが陰キャでありゴミであることを強調し「殺せるんだよワクワクしないか」と言っている。
この言葉によって触発され主人公が動いたようにぱっと見では見えるので、村を焼いて皆殺しにして屍姦することよりも、前世が陰キャであることのほうがより許しがたい罪であるかのようにも見えてしまう。
こうして主人公が転生者を殺そうとする動機が、復讐だからなのか転生者が陰キャだからなのかよくわからなくなってしまっているのだ。
こうなると読者は主人公に共感できない。なぜ復讐するのかがよくわからないからだ。
納得できない動機から繰り出される行動を肯定することは、読者にはできないのである。
一話において、転生者の強さというのを感じるシーンがほとんどない。
主人公が正面から挑んでも100%倒される、とは言われてはいる。しかし、言われてるだけで、読者が実感できるようなシーンはない。
なぜなら、転生者がチートスキルを使って戦うシーンもなければ、主人公の強さがわかるシーンもないからだ。
転生者の身体能力の高さを示したのは主人公に瞬間的に近づいて首を絞めたシーンだけ。
これだけで「転生者相手に武力で挑んでも絶対に勝てない」と読者が認識するのはちょっと難しい。
そのため「魔女の助力を借りて復讐する」という行動を選ばなければならない妥当性が読者にはさっぱりわからないのだ。
読者がこの手段は適切なのか?と疑問をいだいたままだとその後の主人公の行動を肯定できなくなってしまう。
手段が正しいかどうかわからないのだから、その手段を用いた行動もまた正しいものとは見れなくなるのだ。
また、転生者には絶対勝てないからと主人公が復讐を諦めてることも、読者からすれば本当に不可能なほど実力差があるのかはわからないので、勝てないと勝手に決めつけて復讐をしようと思わないヘタレにしか見えないのも大きな問題だ。
主人公は魔女と問答しているときも復讐に対して消極的な態度に終始した。
主人公は復讐を積極的にやろうとしない理由を、転生者には勝てないからだとしていた。
つまり、主人公が復讐を決意するためには、このやらない理由を取り除いてやる必要がある。
すなわち、主人公が転生者に勝てるという確信、もしくは勝てるかもしれないと希望をいだけるようななにかがなければならない。
では一連のシークエンスで主人公はどういう経緯で復讐を決意するのか。
主人公は転生者に勝てるはずがないという前提で転生者の前に立ち、殺されそうになり、転生者との問答の結果「(転生者は)俺たちの命や尊厳なんてないと思ってる」と確信して、突然キレるのだ。
この過程をどう読んでも、主人公が転生者に勝てると確信をする、もしくは勝てる希望がほんの少しでも生まれる、と感じられるようなものではない。
これは読んでる方としては相当突飛に映る。
この一連のシークエンスで主人公の変化・成長について読者の納得がいかないと、敵を倒す次のシークエンスが茶番に見えてしまう。
そうなるとどんな手段で敵を倒そうと、読者がそれに盛り上がることはない。
興味のないボクサー同士の対戦を見ても何の興味もわかないし結果に一喜一憂することがないのと同じだ。
以上、三点について解説を試みた。
よく創作指南では「読者が共感するキャラクターにしなさい」と言われることが多い。
これは多くの場合「読者が主人公の行動に納得できるように、その行動をする根拠を提示しなさい」といいかえることができる。
例えば本作の場合、主人公のクラス村が焼かれ、皆殺しにされ、幼馴染が屍姦されることで、主人公に転生者への恨みを持たせようとしている。
転生者はチートがあって勝てないから、魔女という倒せる手段を登場させる。
それでも復讐を渋る主人公に、転生者が鬼畜であることを知らしめて決意させる。
しかし読者の印象として、この主人公はそれで復讐を決意するキャラクターとはなっていない。
村焼き皆殺し幼馴染屍姦レイプですら相手に復讐してやりたいとは主人公は思わなかったし、魔女の「陰キャだから殺せる」も現世でチート持ってることへの具体的な対抗手段ではないし、そのことに主人公が勇気づけられてもいない。
転生者に現地人を尊重するつもりがないというのも、村焼き皆殺し屍姦レイプしてる時点でそんなことは既に分かり切った話であって、改めてそれを主人公に知らせたところでそれは主人公も知ってることなので、復讐を決意させる動機としてはとても弱い。
にもかかわらず復讐を決意した主人公を見た読者側は、主人公の行動に理解ができず主人公への困惑、恐怖、嫌悪感を覚える。
こうなるともう読者は主人公のやることなすことすべてに否定的な見方しかできなくなってしまう。
「この話はつまらない」だ。
「閃光のハサウェイ」は独立性の高い話なので、初代ガンダムやその他のシリーズ作品を観ないと理解できない、ということはないと思う。どうしても予習をしたいなら、直接的なつながりがある「逆襲のシャア」を観ればいいというくらい。ただしガンダムシリーズの根本の設定は理解しておく必要がある。最近のオタクならガンダム自体を観ていなくてもある程度は受動喫煙していそうだが。というわけでこの記事では受動喫煙レベルの説明を目指してみた。
アムロ・レイ…初代ガンダムの主人公。地球連邦のエースパイロット。シャアの反乱において「地球に落下しようとする小惑星をモビルスーツで弾き返す」という奇跡を顕現させて、そのまま行方不明になった。
シャア・アズナブル…アムロのライバル。ジオンのエースパイロット。マザコンとロリコンをこじらせた挙げ句に「地球を破壊して人が住めなくしようぜ」とか言い出したやべーやつ。アムロと一緒に行方不明になった。
ブライト・ノア…アムロの上司にして盟友。糸目のモブ顔で「修正してやる」と言ってアムロを殴るやつ。そして「閃光のハサウェイ」の主人公・ハサウェイの父親。
ハサウェイ・ノア…ブライトの息子として登場する。その関係からアムロとはもともと親しい。シャアの反乱においては13歳で、ブライトが乗る戦艦に密航し、クェスを追って無断で出撃する。
クェス・パラヤ…魔性のクソガキ。ハサウェイの初恋の相手。連邦高官の娘だったが、突如としてシャアに寝返り、巨大兵器に乗って大暴れした挙げ句、ハサウェイの目前で死んでトラウマを残した。
チェーン・アギ…アムロの恋人。戦場でクェスを殺したが、それによって逆上したハサウェイに殺され、このこともハサウェイのトラウマとなっている。
これについては漫画版「閃光のハサウェイ」の第一話が非常にわかりやすい。
https://comic-walker.com/viewer/?tw=2&dlcl=ja&cid=KDCW_KS03202238010001_68
ハサウェイの乗機として登場する「Ξガンダム」(クスィーガンダム、ハサウェイは「クスィージー」と呼ぶ)と、そのライバル機となるレーン・エイム搭乗の「ペーネロペー」は、「ミノフスキークラフト」という装置を史上初めて搭載したモビルスーツである。実はガンダム世界のモビルスーツは「重力下で空を自由に飛ぶ」ことができなかった。これまでに出来たのは背中のバーニアを使って「大きくジャンプする」「落下の速度を緩める」くらいのものだったのだ。ミノフスキークラフトはまさに「重力下で空を自由に飛ぶ」ための装置なのだが、これまでは戦艦のような大きなものにしか搭載できなかった。それをモビルスーツに搭載してのけたことで、この時代ではΞガンダムとペーネロペーだけが、空において自由を手に入れたのである。劇中でペーネロペーが登場したときの異質な動き、異様な駆動音に、ぜひ注目してもらいたい。
また、Ξガンダムとペーネロペーが搭載している「ミサイル」も、劇中では何気なく発射されているが、実は特殊な技術が用いられている。ガンダムシリーズでは「ミノフスキー粒子」という架空の粒子によってレーダーが無効化されており、ミサイルのたぐいも使えなくなっていた。そこで「レーダーがなくても超能力的な感覚で戦場を把握できる人間」がクローズアップされて「ニュータイプ」と名付けられた。ニュータイプの超能力によって兵器を遠隔操作するシステムを「サイコミュ」と呼び、サイコミュによって動作するミサイルを「ファンネル・ミサイル」と呼ぶ。Ξガンダムとペーネロペーのミサイルこそ、この「ファンネル・ミサイル」なのである。
「F1マシンはトンネルの天井を走れる」という話を聞いたことがあります。
F1マシンには強力な空力パーツ(前後についてる羽根みたいなのとか)が装着されていて、この空力パーツは自重よりも大きいダウンフォース(車体を地面に押し付ける下向きの力)を発生させることができるらしいです。
もちろん、飛行機がじゅうぶんに加速しないと宙に浮かばないのと同様に、F1マシンの羽根も(飛行機とは正反対の働きだけど)じゅうぶんな速度で風を受けないと自重以上のダウンフォースを発生させることはできません。が、それはともかく、理屈の上ではF1は天井に張り付いて走ることができる。
そこでふと疑問に思ったんですが、空力的に天井に張り付くことが可能だとして、エンジンを始めとした自動車の様々な機構は、上下逆さまになったままでも動くんでしょうか? 重力に依存した仕組みがあった場合、逆さまにしたら正しく動かないのでは、と思うのです。
車体を逆さまに保つ方法や天井にくっつける方法は置いといて、自動車は逆さまでも動くのか考えてみたいと思います。
木下サーカスには、巨大な球形のケージの中を数台のバイクが縦横無尽に走り回るエキサイティングな演目がありますね。オートバイにできるなら自動車も同じことができるかな? と思ったのですが、よく考えたら、サーカスのオートバイはF1の天井走りとは条件がいささか異なることに気づきました。
サーカスのオートバイが球体の中を自由に走り回れるのは、遠心力を利用しているからです。高速で円運動をすることでオートバイを球体の内壁に押し付ける方向の遠心力が働きます。じゅうぶんな角速度を得て遠心力が1Gを超えたとき、オートバイは逆さまになることができます。
サーカスのオートバイにとって遠心力は常に「主観的に下向き」の力で、それはライダーにも車体にも、ねじの一本に至るまですべてに働きます。
どうやらサーカスのオートバイは(技術的にはきわめて高度なことをしているものの)物理的には平らな地面の上を正立して走っているのと同じようですね。私の疑問の参考にはなりません。
自動車の中で重力に依存する機構がないか考えてみます。エンジン関係や駆動系はそのほとんどが回転運動であり、重力はほとんど関係なさそうですが……。
エンジンのピストンは上下運動をしていますが、燃料が爆発する力に比べればピストンの重さはまったく問題にならないくらい小さいし、複数のピストンが対称的に動作しているので、ピストンじたいの質量の影響はどっちみち相殺されてしまいます。
そもそもシリンダーの向きが上下ではないエンジンもたくさんありますね。V型エンジンにはバンク角がありますし、水平対向エンジンはシリンダーが寝ています。そしてなんと(自動車ではありませんが)、飛行機のプロペラエンジンには、クランクシャフトをシリンダーが360度ぐるりと花びらのように取り巻いた星型エンジンがあるくらいです。これはもう上下関係ないですね。
しかし、ウィキペの星型エンジンの項目には興味深い記述がありました。
放射状にシリンダーが配置されるため、時計で言う処の3時と9時(水平)よりも下側に配置されるシリンダーはエンジンオイルが重力で燃焼室に垂れ落ちるオイル下がりが発生しやすくなる。
燃焼室とクランクケースの位置関係から「オイル下がり」と表現しているのでしょうが、クランクケースから燃焼室にオイルが入り込むことは一般に「オイル上がり」と言いますよね。星型エンジンではピストンの番手によって現象の呼び名が変わってしまうのでしょうか。なんだか違和感がありますね。
話がそれましたが、逆さまのエンジンでも星型エンジンの下部ピストンと同じでオイル上がりは起こりやすそうです。
ああ。待て。待てよ。
オイルパンってエンジンの一番下にありますよね。いや、エンジン内の循環はポンプで圧送しているはずなので、まさか重力でオイルパンに集めているわけではないと思いますが、ストレーナはオイルパンの一番底に口が開いていてオイルを吸い取っています。車が逆さまになるとストレーナは空気しか吸い込めなくなりますね。
つまり車が逆さまだとエンジンにオイルが回らなくなる。時々ひっくり返してやらないとエンジンがこげついちゃいますね。ハンバーグか。
ほかにもデフやミッションなどオイルがひたひたに溜まっているところはありますが、こういうところは密封されていて循環せずにいるので、車体がひっくり返っても影響はなさそうな気がします。
燃料にもエンジンオイルとまったく同じことが言えます。燃料ポンプはガソリンタンクの底に口を開けています。車が逆さまになると空気しか吸い込めなくなって、完全にガス欠したのと同じ状態になりますね。潤滑なんかを心配するまでもなく、燃料の供給がなくなってエンジンが止まってしまうほうが先ですね。
と、ここでまたふと疑問が。飛行機の背面飛行は燃料の問題をどう解決しているのでしょう。
調べました。吸入口がタンクの底にあるのは同じなのですが、吸入口を逆止弁のついた小さな小部屋が取り巻いていて、背面飛行したとたんに空気を吸い込むようなことはなく、この小部屋に燃料がある限りは背面飛行できるようです。勉強になった。
タンクの中を小部屋で区切るというアイデアは自動車でも採り入れられているようです。背面走行に耐えるような機構ではないにしても、傾斜路や急カーブで強い横Gがかかっても燃料供給が途切れないような工夫はされているようです。F1なんかは絶えず強烈なGがかかっているので何か特別な工夫がありそうですね(知らない)。
まあ逆さまでは動かないとわかったのでこれ以上考えてもしょうがないのですが、せっかく始めた考察なのでもう少し続けます。
冷却水も、循環にはウォーターポンプを使っているものの、重力に依存した設計が随所にありそうな気がしますね。ラジエーターは、上部のアッパーホースから戻ってきたクーラントがラジエーターコアの中を流れ落ちて行き、底部のロワホースから出ていく、という仕組みの車が多いです。
流れ落ちるのにポンプの負圧だけを使っているのか重力も援用しているのかは私にはわからないのですが、ともあれ、車が逆さまになった途端に冷却経路にエアを噛んでしまいそうです。いただけないですね。
影響なさそうな感じ。
足回りは、F1のように空力だけで天井に張り付くことができるならば通常のサスペンションと同じという気がします。
よく「バネ下荷重は小さいほうがいい」と言われます。背面走行車は小さいを通り越してマイナスという究極のバネ下荷重とも言えますが、足回りの性能に関係してくるのはおそらくバネ下の「慣性質量」だと思うので、やはり正立している車とあまり条件は変わらないですね。
フルードの出入り口がリザーバタンクの底にあるのでエア噛みが心配。
車の構造物は基本的に車体に固定されているので逆さまになってもほとんど問題はないと思います。フロアから吊り下げている排気管は荷重が逆になると何かにガチャガチャ当たりそうな気もしますが。
車内については、一番厄介なのはドライバーですね。通常の三点式シートベルトだと天井に落ちてしまうでしょう。四点式や五点式でもかなりつらいものがあると思います。ジェットコースターのように肩をがっちりホールドする仕組みがないと運転操作ができ文字数