「それをするのがただただ楽しいからやる」
といったことがほとんどなくなった
今俺を駆動させているエネルギーは
「それをすべきだと思ったからやる」という義務感と
「なめられたくないからやる」という臆病な自尊心によるものの割合が大きい
あとは「何となく暇だから手慰みになんかやってみる」くらいだ
あるいは欲望が小さいこと自体は悪いものではないのかもしれない
欲望があるにもかかわらずそれが満たされないのは苦痛だが
欲望が元々小さければ苦痛を感じることも少ない
しかし本当に俺の潜在する欲望が小さいのかというとどうも怪しい部分もある
なぜなら今俺にあるエネルギーで体を駆動できてしまうのは
かつて「あのようでありたかった」という自分を捨てきれていないからだ
このようなことを続けているといつか破綻するだろう
詰みではないが詰めろくらいは掛かっているかもしれない
Permalink | 記事への反応(1) | 05:08
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中国人が欲望まきちらすと世界がほろぶから勘弁してね