はてなキーワード: 合格発表とは
続き
えー、医大に明るくないのでわからんのですが、MD-PhDコースは学部4-院3~4-学部2年で学士と修士両方とるルートデス。だから医大に6年居て学部は卒業してなくて院生2年生。かな。
「布施は、MD-PhDコース選択で5年次に大学院入りしたため国家試験は2年後」(80話)
「後期研修が3年 宮崎先輩は2年目なう 来年は病理専門医認定試験」(80話)
布施初登場から2年以内、宮崎登場から2年半以内になるはずだけど、ここまで2年半以上過ぎてる計算をしてしまってる。
日本病理学会総会12~14日(55話)を現実とあわせて4月に仮定してるけどここが変かなぁ。
9月スタート→(4月迎える)→25話 5月→(9月迎える 宮崎病理専攻医丸1年)→33~4話 4月と春が話題→(4月迎える)→(9月迎える 宮崎病理専攻医丸2年)→74話 夏前。
34話から74話の計40話が3、4ヶ月とするとかなりハードスケジュールだから厳しいとみて、もう一回4月を迎えてるとすると宮崎は4年間壮望会に居るはずで
日本病理学会総会とアミノ総会の時期が憶測が多くて混乱の原因。わからんかい。
「壮望会は研修のカリキュラムが自由」(80話)これって9月に専攻変えしても4月から継続して計算してるってこと?でも神経内科1年、病理2年なら後期研修明けてる…
「神経内科の専攻医になって1年で病理に転科したんだ」(80話)
朝加着任(80話) 天羽編
円の謝罪 5/21日。リンチ編の時間軸かな?80話以降?連載と続きモノなら天羽編途中が5月21日前か。
稲垣、緩和ソロ活動判明「緩和をひとりで回してるんだ」(86話)
稲垣、40オーバー「40歳超えてもガキのままだ」(87話)これは16年勤務でわかっていたこと(63話)なので改めて。
VOD治療開始からだいたい「1ヵ月後」(87話)天羽、快方へ
天羽編終了 長い移植前後だけど具体的な日数は数日単位や昼夜表現が多かった。明確に1ヶ月飛んで直後が9月確定なので、都合2、3ヶ月で天羽で夏を過ごした感じか。
病理専門医試験が現実と同じならやや昔が7,8月、近年が(コロナの影響で)9月中旬開催が多い。
宮崎は9/26ぐらいに転科&受験資格が経験3年以上なので9月以降で確定。
「僕の頃は4年のトレーニングが必要だったけど今は3年なんだよ」(88話)
(連載が8年近く経っている。2014開始からここまで2022年(連載時は21年か)。なので最初は4年と言われていた(2話))
とはいえ連載開始時は7-8月開催が多かったので9月に病理に移った宮崎は4年後の9月からさらにほぼ1年待たないと受験できない感じだったのでは…?
https://pathology.or.jp/senmoni/testReport.html
また、宮崎は最短9月25,6日とかに病理転向(1話)なので試験もかなり後ろに倒していることになるか。ここで実は日程調整で一年飛んでましたとなると「後期研修が3年 宮崎先輩は2年目なう 来年は病理専門医認定試験」(80話)がおかしくなる。
宮崎、剖検32、迅速65(88話)
「病理専門医試験願書」に「5月15日」(89話)これは願書を事前に郵送した日付…だよね?あとリアルの申請期限はだいたい4月末っぽい。宮崎の転科事情に合わせて10月試験にずらした関係で願書期限も5月末にずらしたのかな?
試験報告は例年、会報の10月号に掲載しています。 https://pathology.or.jp/senmoni/testReport.html
もし作中の試験を後ろにずらしたなら合格発表もすこしずれるかも。
JS1編。10話から80話かけ3年近く第Ⅱ相試験が続いてることに。
「治療期間は約1年です」(94話)「計18回を2週間間隔で投与します」=36週?
「1ヶ月後にCTを取りましょう」(94話)
「28日後」「4クール終了時点」(95話)「17クール完走をめざします」
約一年360日を17クール等間隔でするなら4クールは96話の80日に近くて95話の28日はおかしいことにならない?
でも80日以上かかって関係改善できない師長やそれだけ無視しつつ復職できる雅がヤバくなっちゃう…
(そういえば指導医っていつまでですかね。専門医試験やった時点で後期研修は修了してるはずでもう資格や上下関係の意味での指導医になってるかな)
宮崎と岸の弁護士編中での18巻末のニアミス振り返り「カレー~また脱いで捨てるんです?」(99話)黒歴史にはならなかったか
24巻完
改めると細木先生出番すくねぇ~。南波も1話の阿吽の呼吸からもっと出番があると思ったら気付いたらそのポジに稲垣先生が居た。
それにわかってはいたけれど改めて医師の道は長いなと。6年通って研修が2+3年。いっぱしの医者になるころには30手前ですよ。アラサー宮崎が新人としてきゃぴきゃぴしてるのは普段未成年の漫画ばかり読んでいるとね。なんかね。ギャップすごいよね。アラサーで悩む教師とか目じゃないぜ。研修医たって並の新卒社会人以上に年上で学を積んでるのに大変だなあと。政治家はさらに年食っても新人ですが。
お話面でもERや外科でもなければ何週間・何ヶ月も治療スパンがあるからわりと時間が飛んじゃうよね。大変だ。それでいて宮崎の研修明けという一種の制限時間はあったし。(90,91話の最終回雰囲気よ)
でもこうやって挙げてみるとなんとかサザエさん時空にはならないように作ってるっぽい?かっちり決めて連載開始したわけじゃないし思ったより頑張ってるなって感じました。
アフタヌーンで大人気連載中の医療漫画「フラジャイル」。そろそろ連載10年が見えてきて、物語も新人宮崎がついに専門医になるなど節目を迎えてきた感があります。作中およそ3年を総決算したような21巻はまさにここで終わってもいい。第一部完。といった面持ちでしたが現在、新薬JS1編へと続いてくれています。
そこで今回、改めて読み直したと共に自分の中での整理のために作中の時間がわかるようなヒントを探してみた。
時間は明確な過去編とされてなければ話数が進むごとに線形に時が進むと増田が決めたんだ。
フラジャイルは今のような長期連載を予定されていなかった。
「5巻の回想シーンで岸先生が壮望会に来たのは7年前」「(18巻では)時効などの関係で3年前設定」
「初期は連載がこんなに長く続くとは思っておらず医事紛争編は構想されていなかったゆえ」
「5巻のことは忘れちゃっていたんですか?」「作家も編集もすっかり忘れて楽しくやってました」
長期連載にありがちな後から立て付けていく設定に深くつっこんでもしかたないね。個人的に岸と森井とのやりとりは時間軸を移してもなんとかなるけれど岸と高柴との関係は長い時間が必要と感じるので医事紛争は(個人的)正史からはずしたいと思いまする。
連載だけ読んでると混乱した部分なので時系列を書いてみる動機だよ。
まとめたようでまとまらない情報を羅列しているだけになってしまった。
特に困ったところが「日本病理学会総会~アミノ株式総会」。かなりぐちゃった。
それに加えいつかは不明だがリアルの専門医の受験資格が経験4年から3年に変わった影響もあるかも
たぶん2017年から3年に。フラジャイル1巻が2014年で、8巻から2017年発刊。
宮崎の試験はハッキリしてるかと思ったけれどそこもなんか怪しいし
あとは
・ 壮望会の悪評と建て直し
もなかなか謎い。あと高柴×岸のエピソードが初遭遇ぐらいしかなくて思ってたより掘り下げてなかった。
岸
森井
火箱
南波
細木
中熊
手嶌
比日野
壮望会
慶桜
岸入る前の壮望会、評判悪し(5話)
稲垣、医者に。「終末期の患者さんと~16年間そう働くのが僕の仕事」(63話)恐らく壮望会以外(27話)。
岸、研修医2年目?「去年、研修医ローテで2週間」前期研修か。
25歳前後?
将棋友道8「今月号」
恐らくすくなくとも9月以内に比日野死亡「治療開始より5日後死亡」
原因はSFTSで作中2011年以前。「当時はわかりませんでした」「SFTSが中国で特定されたのは2011年 それまでは日本でも原因不明」(90話)
稲垣、内科時代。慶桜ケア科に「よそのケア科に2年お世話」「研修先のケア科は慶桜」(85話)
(伴、無菌病棟立ち上げ「昔 伴君が責任者になって立ち上げ」(86話)時期不明「病棟を立ち上げて何年だ …何年もだ」(87話))
およそ13年前で火箱12歳
森井、21歳?大学三年の夏に退学。壮望会の専門学校に入学。(3話)
壮望会病院に入り、6年間は辞められない(3話)
岸、壮望会に転院。高柴と初対面。「7年前」「新しく来た病理の先生ですよね?」(18話)
物語開始前、岸が手嶌と最後に会う。「会うの何年ぶりだったんです?」「…5?6?」(作中1年以上経過)(34話)
岸の性格から正確さは怪しい。岸と手嶌が慶桜以外で会っているなら変ではない(岸の性格から怪しい)。
火箱、アミノ入社?22歳?スタート1年半以上のときに26歳(11巻巻末)。4年生大学から新卒ではいればこの辺り?
新人火箱、十王寺と会う「三ヶ月目」「入社一年目」薬事部所属(67話)
宮崎、医大卒業?。出身大学の病院で初期研修開始(80話)「初期研修は出身大学の病院」
手嶌が慶桜を出る。「岸先生は慶桜を出てね」「僕はしばらく残ったけど~アメリカに留学して~研究職に転向した」(33話)
本郷、最後の彼女(病理医)と別れる「4年と3ヶ月33日彼女いない本郷」至極どうでもいい(55話)
宮崎、壮望会に。後期研修開始(80話)第一志望にフラれる。「どうして後期研修は壮望会を」
一年間は神経内科?「神経内科の専攻医になって1年で病理に転科したんだ」(80話)
この1年って1年目(4月に入り半年後の9月)に転科したのか1年半後の9月に転科したのか…。半年なら半年って言うよねぇ。でも2話の宮崎の発言と矛盾する気がするんすよぉおおおおおお
9月23日-24日開始。院内描写は24日スタート。終了は25日。
24日に騒動、「ゆうべの手術」~「昨日はお世話になりました」で25日
宮崎、専攻研修開始から半年確定?「一応 卒後2年目のドクターなので」(2話)80話の南波の話がわからなくなる。
てかこの流れの"ドクター"とは"博士課程です"って意味でいいの?医者の意味でいい気がするけど。"博士とって2年目"だとまたいろいろ変わってくる…
岸、森井に転職の話をする。
6年間は辞められない条件を知っているなら森井卒業6年後?
森井30歳?
森井慰労会(4話直後?)
火箱登場、宮崎とは初対面。
宮崎、病理診断開始(2-3話間と5話時間経過を加味しても早くなあい?)
4月に入った新人かと思ったが作中4-5月ではない?初期研修のローテーションか?
根拠は9話で半年ほど飛ぶのは不自然。8話で中熊登場して9話冒頭で中熊ポスター。8話で火箱・中熊面識。9話で「先日はどうも」
実際何ヶ月生存したかはわからない?余命どおりならだいたい1年目終了。
火箱、アミノ退社(14話)
(間瀬、アミノ退社)
「あれから数ヶ月」
火箱、ビフィズス入社
(14話終了)
「この前」コンサル窪田参加(15話)
高柴65歳?、定年半年前(15話)
高柴クリニック開院。高柴編終了(20話)
慶桜、中熊により遺伝子検査ラボ設立。円が25歳で技師長に「2年前~25歳にしてラボの技師長に抜擢」(58話)
(手嶌、円と共に新薬開発)「手嶌くん~円も協力してる新薬開発の仲間だね」(時期不明)(61話)遺伝子ラボとは無関係か。ソフト開発し新薬の配列設計を発見。
5月時点で布施がまだ医大5年なので病理の学校は4月以降(25話)
布施「君何年生?」「5年生です」(25話)
人物紹介 年齢
岸不明
森井31歳?
手嶌登場「4月から京都の細胞研究所」~「なられる」へ「やっと慶桜から卒業か」(33話)
流石に何ヶ月も前に挨拶回りは変だと思うので4月前かなと思うけれど、後から見るとかなり早く挨拶してる?
ハル編(35話~)
野球回。(44話)
入局先宣言の話。「5年も~お世話になって」。後期研修終了タイミングの入局(4月)なら意思表示は入局前年の夏までが一般的らしいからここが夏で実際の入局は来年という話か。4月の線は薄い?
火箱が野球をテレビ中継で見ている「今期つれぇ~」(44話)プロ野球は3月末開幕なのでオープン戦でなければ4月以降で「今期」「つらい」とわかるのはやはり前シーズン夏前ぐらいか。
火箱26歳。ビフィズス在籍状態時。
こまごまとした話。3日謹慎や新聞掲載などがあるが明確で大きな時間移動はなし?
布施、院1年目(医大5年生?(80話))。「院の1年目であれくらい深く考えられる人」(55話)(MD-PhDコース)
現実と同じなら4月だが、布施の院1年目=医大5年生なら「布施は、MD-PhDコース選択で5年次に大学院入りした」(80話)だから初登場(8ヶ月経過、5月ごろ)から4月をまたいでないはず…
「神経内科から病理に転向して1年目のザッキー」(55話)1年以上経ってるから2年目だと思うんですが…?
しかし第10X回総会とあって現実的には4月の総会…(55話)実際の総会は4~6月開催と幅はあるけど3月とか年度前にはならない? https://pathology.or.jp/jigyou/meeting-spring.html
4月越えなら
森井32歳?
宮崎29歳?
火箱27歳?
作山、リンチ編
円、27歳?「2年前~25歳にしてラボの技師長に抜擢」(58話)
稲垣、オプジーボ同意後、慶桜の「遺伝子センターラボに1週間もお世話に」(60話)
稲垣、医師16年目?「終末期の患者さんと~16年間そう働くのが僕の仕事」(63話)42歳オーバーか。
ビフィズス、新薬とともにアミノへ(企業買収って数ヶ月はかかるとみていいよね?)(64話)
ビフィズス買収後、火箱、総務部、間瀬、MR(営業)へ「2週間前」(66話)
(株主総6月(69話)→慰安旅行6月末(70話)ならここは5月か)
新人関根先生(65話)また4月ではない?次が総会の話なのでここは4月に入ったガチ新人かも。
「来月末 壮望会病理部のスケジュール抑えてほしいんだけど」(65話)
アミノ編(65話)アミノの株主総会の話だが総会が多い6月になるのかは不明。
数日後?、火箱、アミノの未来を憂う会に。「我々は来月の株主総会で」(66話)
(*2年8ヶ月経過 5/15 宮崎、試験願書提出?(89話))
総会一ヶ月前の買収が5月としたら4月の日本病理学会総会から1ヶ月半(病理総会が4月12~14日)。作山関係で2週間近く使うとしたら買収"完了"が一ヶ月でしてることに。
そもそもオプジーボの同意を取れてから家族への報告に1週間。投与開始から検証&18人の遺伝子検査にいくらか。NDA違反に数日(60話)と2週間でもカツカツ。5月中に関根編こなす必要もあるし。
総会間近、火箱懲戒解雇(68話)
十王寺、株主総会前に退職?「この前の火箱さんの公演が記事になりました」(69話)
株主総会(69話)「後日~十王寺さんの解雇撤回」(「明日から無職」は形式的な話か)
間瀬、開発本部長に。火箱、開発本部 臨床開発3部 JSプロジェクト推進グループグループ長に。春田、火箱部下に。
慰安旅行(70話)「来月末 壮望会病理部のスケジュール抑えてほしいんだけど」(65話)
弁護士編は過去が矛盾してる編なのでここでまとめる。基点がここから3年前なのがネック。(ここまでの予測があっていれば宮崎が転科する数ヶ月前の話になってしまうし、後からみてもすぐに宮崎の実務3年を迎える)
前述のとおり時系列からは切り離すが、過去の各イベントはあったんじゃないかな。
また、過去以外の話の時間は正史として前の編から地続きと考えておく。
森井、「事件があった3年前は俺も壮望会で働き始めたばかりでした」(72話)
後の話では森井のほうが壮望会に先に入ったっぽいのでここでもここに
(6年辞められない縛りがあるのに転職話が出るのが変)
岸、壮望会に。(73話)
(これまでの話でも壮望会での高柴との出会いは7年以上前で矛盾)
患者、菊池通院後2ヶ月。「外来での通院が2ヶ月を過ぎたころ僕に~依頼があった 三年前だ 僕が壮望会に来てまだ数ヶ月にもならないころだった」(73話)
菊池、状態悪化後、「緩和ケア科に移って2週間後に亡くなった」(73話)
森井、彼女に振られる(18巻末)
宮崎、壮望会に居てニアミス(18巻末)宮崎は後期研修から壮望会に入ったので4~9月の間の話(神経内科専攻)とすると、3年前とはあまり矛盾しない。
壮望会、不評から立ち直る「壮望会を立て直した~医師の功績ですよ岸先生とか稲垣先生とか」(74話)
久坂部、米嶋の診療所訪問「2ヶ月前米嶋が働く診療所に~弁護士」(74話)
「今月の予定組むんで」(71話)
森井、「事件があった3年前は俺も壮望会で働き始めたばかりでした」(72話)
「夏も近い」(74話)これジョーク?
えー、医大に明るくないのでわからんのですが、MD-PhDコースは学部4-院3~4-学部2年で学士と修士両方とるルートデス。だから医大に6年居て学部は卒業してなくて院生2年生。かな。
「布施は、MD-PhDコース選択で5年次に大学院入りしたため国家試験は2年後」(80話)
「後期研修が3年 宮崎先輩は2年目なう 来年は病理専門医認定試験」(80話)
布施初登場から2年以内、宮崎登場から2年半以内になるはずだけど、ここまで2年半以上過ぎてる計算をしてしまってる。
日本病理学会総会12~14日(55話)を現実とあわせて4月に仮定してるけどここが変かなぁ。
9月スタート→(4月迎える)→25話 5月→(9月迎える 宮崎病理専攻医丸1年)→33~4話 4月と春が話題→(4月迎える)→(9月迎える 宮崎病理専攻医丸2年)→74話 夏前。
34話から74話の計40話が3、4ヶ月とするとかなりハードスケジュールだから厳しいとみて、もう一回4月を迎えてるとすると宮崎は4年間壮望会に居るはずで
https://anond.hatelabo.jp/20230210135512
というのが結婚して良かったこととして挙げられていて、更にコメントでも結構共感を集めているのが面白いと思った。というか驚いた。
現代は自由恋愛の時代だと思っている私は、したくないならしなければいいだけと素朴に思ってしまうんだが、こういった人達が恋愛をどのように捉えているのか気になる。
以下、ぱっと思いついた仮説。
つまり、恋愛は人が生きる上で必須な成分で、結婚というある種の拘束力によって一定程度それを自動的に獲得ができるという考え方。だから酸素でも水でも食事でも例えるなら何でもいいわけだが。
原始的な住環境においては、如何に狩猟採集や農耕が苦手な人でも、飢えて死ねば元も子もないので何とかして食料を得なければならない。
それが近現代的なインフラのおかげで、生存のために常に気を張る生活から安定的な供給のある生活に移行できたと考えれば、恋愛に疎い私にもその安心感は想像しやすい。
無論例外はあるだろうけど、ネガティブに語られがちな離婚率1/3というのが本当ならむしろ相当良好な関係が多いだと思う。
別に勉強や面接そのものが好きなわけではないが、入りたい会社や会社の選考に受かるためには多かれ少なかれ不本意な努力を要する事はあるだろう。
私も旧センター試験で興味のない科目の対策をするのが本当に苦痛だったし、合格発表後の開放感は最高だったし、それ以降二度と古文漢文には触れていない。勿論勉強そのものが嫌いという人もいるだろう。
これは私のことだけど、多分一番近いのがワンピースだと思う。
私はワンピースを読んだことがない。しかしそれが世界的に人気で、海賊が登場する、100巻以上続いている長編漫画であることは知っている。
読めば面白いのかもしれないが、今から100巻以上読むのも大変だし、ぱっと見の印象だと絵柄は苦手だし、多分10年後にも「良いんだろうなというのは分かります」くらいの印象を抱き続けているのだと思う。
38歳で結婚し、排卵チェッカーを使って3か月ほど自然妊娠の機会を取ったが妊娠しなかったためすぐ婦人科に通う。
タイミング法で半年治療したが至らず、2度の転院を経て体外受精を行った。
体外受精もなかなかうまくいかなかったが、開始から一年半後、6回目の施術で妊娠に成功。今年無事出産に至った。
転院するたびに毎回行った。血中のホルモン量やら調べる。特に問題なし。
超音波の器具を膣内に挿入して子宮内の様子を見る。これは継続して診察のたびにやる。初めての時はめちゃくちゃ抵抗があったけど今や聴診器と同レベル。
自然妊娠に一番近い方法。卵子をたくさん作るホルモン剤を飲んだり注射したりして受精しやすい環境にし、体温や卵巣の具合をエコーで確認して性交の日にちをお医者さんから指示される。
3回試したがダメだった。
タイミング法がダメだったので卵管に異常がないか調べるために実施。子宮内に何らかの液体を注入しレントゲンを撮る。これが激痛。生理痛の親分。
子宮が破裂すると思った。痛みで泣いた。
検査の結果、片側の卵管が狭くこのままでは妊娠しにくいと診断され、体外受精に移行した。
体外受精の前に子宮内にカメラを入れ、内部の様子を確認する。これも激痛。泣きすぎて看護師さんに赤ちゃん扱いされた(えらいえらい!頑張ったねぇ~ヨシヨシ✋)。
子宮内にポリープが見つかった。採卵の際に合わせて切り取ることに。
まずは採卵、つまり卵子を取り出す。排卵に合わせてホルモン剤を飲んだり注射して卵子をいっぱい作って取り出す。いろんな手法があるが私はショート法といわれるもので行った。
卵子はたくさん取れて20個以上取り出せた。採卵の当日持参した精子(専用容器をくれるので当日朝に射精しそれに封入。アルミで覆って冷めないように持参した。)と合わせ、受精卵にする。
採卵の数日後に受精卵を子宮に戻すのが一般的だが、私はポリープの除去も行っていたので翌月子宮内に受精卵を移植した。
この受精卵がたくさんできれば、採卵の工程を経ずに受精卵の数だけ体外受精の施術(移植)ができる。あまりできない(2~3個)と再度採卵から行わないといけない。
ちなみに全治療の中で採卵が一番大変だった。卵を増やすホルモンを2日に一回注射したり薬飲んだりそのせいで体が常にだるかった。
子宮の内膜をこすり取り細胞を調べることで、いつ受精卵を移植したら最適かが分かるらしい。
あ、ちなみに自然妊娠と同じく体外受精でも月に一回しか妊娠する機会はない。着床するタイミングはあくまでも体まかせというか、手術や薬で調整できるものではない。
また着床の最適なタイミングも個人差があるので、それを調べるための検査です。こちらも激痛。瞬間の痛みは一位。
検査結果が出るのに2か月かかった。焦る。どんどん年齢が迫ってくる。
この検査結果をもとに受精卵の移植手術を行ったが、その後何度も妊娠せず。
6回目でようやく妊娠した。
大きいところだけ抜粋します。ここにないのは数千円から数万円。保険適応前の話なので今はこれよりかなり安いはず。
ざっくり総額350万以上400万未満くらい。
約200万円
約20万(×6回やった)
約20万円
5回目の体外受精に失敗したとき、もう40歳が目前だったのであきらめるか妊娠に全振りするかの二択になった。
体外受精の成功率は約30%で、回数を重ねるごとに成功率は上がってくる。1回目で成功する人は30%、2回目で成功する人は50%、3回目では70%の人が妊娠している。
しかし回数が5回を超えたあたりから成功率は横ばいで、10回目でも100%にはならない。
5回やっても妊娠しない人はその後も妊娠しない、する確率が伸びないと思われた。
何度目かの血液検査で亜鉛がやや不足しているといわれ(亜鉛不足の人は着床しにくい)、調べるとお酒をよく飲む人は不足しがちになるらしい。
酒はめちゃくちゃ飲むほうなので、思い当たりすぎた。きっぱり止めた。
中国の方は妊娠する予定があると半年くらいかけて体を作っていくという話を聞いた。体を冷やさないようにしたり栄養取ったりするらしい。
常温以下のものの飲食はせず、夏だったが温かい食べ物を食べ、しょうがを積極的に取り、薬用養命酒を飲んだ。
仕事をしながらの不妊治療はきつかった。明後日排卵なので来てくださいと言われれば仕事があろうが行くしかなかった。
突然早退や遅刻をするので、迷惑かけた分別の日は過剰に残業したりして、体調管理どころか余計負担をかけていた。
子供ができたら経済的にしんどいからやめたく無いが、辞めなくて子供ができなかったら本末転倒、あーあ人生はままならないものだと諦めた。
保険が効けばだいぶ違うと思います。補助金も貰ったけど焼石でしたので。
なかでも膣座薬という、膣に自分で朝晩突っ込む座薬がきつかった。肛門みたく締まってないので薬成分が股から常にだらだら流れて気持ち悪い。
あと膣座薬を突っ込む姿勢、ご想像いただければわかるがかなり恥ずかしい。
受精卵の移植後、着床・妊娠したかどうかの判定に10日ほどかかる。この期間が本当に辛い。
何度聞いても先生の「着床してませんね」は慣れない。聞いたあとは毎回病院を出てから泣いた。
とにかく時間との闘い。たとえ20代でもなかなか妊娠しないなと思ったら一度婦人科に相談したほうがいい。
早退とか言いやすいし、相談していれば私も今回仕事を辞めなくても済んだかもしれない。
でもできないよね~できない。「私子供ができなくて」とはなかなか言えなかった。
まじでない。かえってそれがしんどいと思われる。覚悟してもらおう。
お金もかかったし仕事もやめたし家計は火の車だけど、子供が生まれて本当によかった。
利口なはてなのみなさんには笑われそうだが、失わないと手に入れられなかったので仕方ないのだ、人生はままならないのだ。
ママだけどね。
同じ年齢の時に旧司法試験に合格して役人やってる単身赴任中の父親からは電話でおめでとうも言われずに「次は国総だな。気抜くなよ」とだけ言われた。
もうなんか生きる気力がない。共学行きたかったのに中高と男子校生かされて、親父と同じ大学に受かって、合格発表の次の日から予備校入って、朝からコムシーの自習室か総合図書館でシコシコ論点の写経して、合コンでお茶女におだてられながら一気飲みしてホテル行く。まじで何のために生きてるか分からん。
まあ俺の人生がつまらないのは親とか環境のせいじゃない。主体性が無くて、自分でやりたいことも考えず、少しでも反発するとすぐ大泣きする過保護な母親と「愚図が!」が口癖の父親に従ってきた自分自身のせいだ。まさにアイヒマン状態。
自殺する勇気はないけど、安楽死が法制化されたらすぐに利用したい。いや、安楽死法制化のための活動化になろうかな。でも変なことすると親父に「愚図。間抜け。役立たず」って言われるから嫌だなー。
最近中高の同級生の全然仲良くない、妙に甲高い声が特徴の工学部の奴がお茶女にいる俺の妹と一発よろしくしたらしく、「お前の妹とヤったわw」とか言われて余計嫌な気分になってるのもあるかも知れない。
主にDXとかノーコード(ローコード)周りについてコンサル目線で書いておく
表でこんなことを書こうものなら会社クビになる可能性あるのでここに書いておく
(なんでこんな世の中になっちまったんだよw)
DXって別にIT化するだけの意味じゃないんだけど、それすらできてないからIT化って意味で以下注意点かいておく
というより、DXやりたいって言ってる人のほとんどがDXができる状態じゃない
床が見えないほど散らかってる部屋でルンバが使えないように、前提となる条件をクリアできてない
それがもう絶望的にできてない
体感としては8割以上できてない
多分自分たちのやってる仕事が良くわからないし、行き詰ってるからDXという魔法の言葉に救いを求めてるんじゃないかな
まず自分たちがやってる仕事に対して、「どんな仕事をしていますか?」「その仕事をやる理由は何ですか?」という質問に答えられるようにする
人が増えて、長くやってる会社は目的がわからないルール、意味のない仕事が増えていく
これを整理できないと何も前に進められないです
収入印紙を貼る理由なんて良くわからない人がばかりなのにルールだからと貼っている
程度問題ではあるけれども、なんでこの仕事やる必要あるんだ?この会議に出る意味はなんだ?
先にそっちなんとかしてください
次に問題になるのは誰がやるかってこと
「IT部門の若手にやってもらう!」とか気軽に言う人が多いんだけど
これできる人って
ウルトラスーパー超絶優秀な人です
いやマジで
1000人にひとり見つかれば良い方
この業界に20年以上いるけどこれちゃんと出来る人、今まで一人しか会ったことない(その人はさっさと起業してしまいました)
ある程度大きな会社だと一人じゃできないから、仕様策定、運用、試験だったりを分割して誰かに任せる必要があるんだけど
責任感を持ってやってくれて、業務をよく理解している人を選定して説得する必要があります
これすごい難しいです
対人スキルが全方位カンストしてるような人じゃないと務まらないです
IT界隈だとプログラミング能力に秀でた人が優秀な人とイメージされやすいですが、この手の仕事ができる人も同じくらい評価されても良いと思うんすけどね
間接部門だからと出世コースに乗れない閑職扱いになってませんか?
もしそういう認識ならはっきり言って無理です
現場で活躍できなくてもITで活躍出来る可能性もゼロではないかと思いますが、
現場でNG出された方は要領だったり対人スキルに難がある場合が多く、その人がITツールを導入しても混乱を生んで余計な費用がかかるだけです
業務整理が出来て、IT化に着手する場合(まあ実際は役員のメンツとかそういう理由で、業務把握もままならないまま突き進むんでしょうけど)
「やらなくても良い作業を止める」、「SaaSで出来ないか検討する」、「ノーコード開発で頑張る」の順で検討してください
当たり前ですが、やらなくても良い仕事を止めるのが開発もなく、運用費もかからない即効性があって一番良いです
無駄な会議や書類、これらを探して削るところから始めてください
どこもやってる勤怠管理や会計処理等は既存のサービスで充足するはずです
SaaSで実現できなくて、ノーコードで開発する必要がある場合(ほとんどないと思いますが)
ノーコード開発をやってみるとわかるんですが、結構細かいところは出来ない場合が多く100%カバーするようなシステムを作る場合は
すげー大変になることがあります
結局の所ノーコードとは言っても形を変えたプログラミングなので複雑にすればバグも多く発生します
テストしにくい分コードを書くよりも悪くなるケースもあると思います
なので70~80%くらいカバーできれば良い
エッジケースだったり発生頻度の低いオペレーションはバッサリ切る
そんな感じでシンプルになるように努めてください
ノーコードの想定するユースケースを無理やり捻じ曲げてプラグインだらけの独自システムは地獄です
(そうは言っても、こだわりが強いのか、冷蔵庫をエアコンとしても使えるようにしたいみたいな人が多いんだよなぁ・・・・)
ここまで言うと、ノーコードって微妙なの?流行らない?って思うかもしれないですけどノーコードは流行ります
プログラミング言語もセキュリティも覚えることが多すぎて、みんなノリでやってます
セキュリティ対策なんて意味わからんチェックシートを大して理解してない人がYES/NOつけてるだけで実装はボロボロ
たくさんのライブラリは毎日のようにアップデートされ、膨大な工数をかけてアップデートしてます
誰も触れなくなります
というわけでフルスクラッチ開発で内製化とか現実的じゃなさすぎます(金が有り余ってるならやってもいいですが)
ノーコードでも属人化して、ブラックボックス化するのは一緒ですが
セキュリティアップデートとか、セキュリティ対策は幾分楽になるので、まだマシです
ちなみに今SIerにシステム開発頼むのは悪手なので止めときましょう
プログラマーの腕に激しく依存していて、プロダクトの品質が同じ会社でも全然違うみたいな状況はいずれ改善されていくと思います
カンナとノコギリを使って家建てる大工が少なくなって、プレカットの建材を運んで組み立てる家ばかりになったように
(つーか実際もう、ID管理とかメール送信は外部サービス使うのが主流になってきていて、どんどんコード書かない方向にシフトしてる気はしてる)
前述の内容と少し被りますけど、半分くらい作ったらさっさとユーザーに使ってもらったほうが良いです
負荷テストとか、UIとか拘るのは良いんですけど、方針レベルで間違ってた場合は全部やりなおしになるので、
早い段階で使ってもらうようにしてください
多少バグがあっても良いので早めにイメージを擦り合わせたほうが結果的に早く終わります
バグってるものをユーザーに使わせたら怒られるとかいう人いるんですけど、
使う人と作る人が気兼ねなく話せるような関係じゃないと開発はうまく行かないので撤退しましょう
席を隣にして談笑できるくらいには仲良くしてください
いきなりbubble, outsystemsみたいなガチなやつから入らないほうが良いです
kintoneとかairtableみたいなやつから使ってみるのをオススメします
あと選ぶ際に、営業にいろいろ聞く前にまず自分で使ってみること
最初から営業に聞いちゃうと、「頑張ればできます」みたいな回答しか返ってこない
実際に使ってからセミナー行くとか、営業と話して聞いてみるの方が良いと思います
システム作ったあとに、効果があったのかきちんと検証してください
大学受験して合格発表を確認しないようなことあるのか?と思われるかもしれないですが、
ということなのか単にめんどくさいのか分からないですが、ちゃんとやりましょう
いい加減な検証もやめてください
コンコルド効果で捨てられなくなって負の存在として生き続けます
そうならないように作る前から、効果検証の方法と撤退ラインを決めておくと良いと思います
保守なんて誰もできないです
10年もすれば、担当者も業務も変わってドキュメントは不整合だらけ
20年に一度作り直す式年遷宮は技術継承の意味合いが強いと聞いたことがありますが、それと同じでシステムを10年以内に作り直す気持ちでいた方が良いです
最低限のドキュメント更新とかアップデートは必要ですが、維持に多大な工数がかかるとか、修正に時間がかかるようになったら作り直してください
色々書きましたけど、業務把握が一番大変でそれができれば割となんとかなります
自分たちの仕事を管理できないから、システムを作って解決しようとするからおかしいんです
それって業務整理とシステム開発という2つの大仕事を並行してやることになるので、そりゃ混乱もします
あと業務整理を自分たちで出来ないからコンサルにお願いしてやってもらうっていう事言う人いますけど止めたほうが良いです
コンサルからしてみれば他人事ですし、あなたの会社について世界で一番詳しいのはその会社に属している人です
その人たちがお手上げだと、外部の人間だって十中八九うまくできないです
仕様さえ明確に作ることが出来るなら、ツールの違いやら、プラットフォームの違いなんかは些細なことなんですよ
まあそれはそれで、大変ですけど仕様さえ決まってるなら何とかなります
というわけで各位頑張っていただければ
中期日程の試験に向かう電車はトンネル続きで、当時の二つ折り携帯では合格発表のウェブサイトがなかなか見られなかった、アクセスも集中していたし、なにより通信環境が悪かった。
まあそうだよね、とも思った。
センター試験は散々な出来で、第一志望はほとんど記念受験だった。
中後期は行きたいかどうかではなくて、絶対に現役で受かるかどうかで決めざるを得なかった、
どこも引っ掛からなければ死のうと思っていた。
ひと月前の記録的な大雪がまだ残っていた、
山に囲まれ、曇り空がどんよりとした小さな街で、本当になにも無いな、と思った、
入学してからしばらくして、ちょうど5月の連休の前ころに、あなたは厳正なる審査の結果、入寮選考に落選しましたという通知が第一志望の大学から来た。なんとも言えない気持ちになった。
昔、天才たけしの元気が出るテレビというバラエティー番組に「東大へ入ろうね会」という素人の東大受験を応援する人気企画があった。
彼は必死の努力で偏差値も十分に合格圏だったが残念ながら不合格。
東大の中で肩を震わせて「応援ありがとうございました」と健気に答える広瀬くんに、あの高田純次が涙したのも有名だ。
合格発表の放送回で広瀬くんがスタジオにやってきた時にたけしさんが広瀬くんにかけた言葉が本当に素敵で今でも覚えている。
上を見たらキリがないというのは挑戦した事のない奴の言葉で、大学を受験をするからには最高学府の頂点を目指してそのために色々準備をしっかりやった事に意味がある。
本番の結果は運もあるからどうなるかは分からないけど、大学に入りさえすればどこの大学に行っても学ぶ事は同じ。
一度頂点を目指したのだから、これからも同じように高い目標を持って頑張らないといけない。
会津大大学院の入試について情報がほとんどなかったので、第2回試験を受けたメモをいくつか残しておく
大学院進学フェアでも話題には上がるので、記事に残しても問題はない認識
具体的な数字は分からないけど、毎年1,2人は落ちているっぽいので、98% ぐらい?
寝坊や辞退などでそもそも受験しなかった人が落ちている気がする、しらんけど
1ヶ月以上はゆとりを持って依頼をする
具体的に何を書いたのか聞いたほうが良い
(研究計画書や面接試験で話に辻褄が合わないと気持ち悪いので)
まず「大学院で何をするのか(したいのか/させてくれるのか)」を指導教員と議論したほうがいい
研究計画書に書いた内容について、割とガッツリ面接試験で聞かれる(後述)
指定されたフォーマットであれば1ページに収める必要はないらしいので、私は2枚書いた
どれくらい重視されるのかまったく分からん
とりあえず進級できるスコア持っていれば大丈夫なんじゃないかと思ってる
スーツじゃなくてもいいらしい、しらんけど
振り込み金額を指定すると、それに手数料が上乗せされたので、特に気にせず金額指定する
募集要項に書いてあるのでよく読む よ~く読む
朱書を忘れない 念のために宛名も書いた
学生募集係の方が書類の不備をチェックしてくれる 感謝を忘れない
他大は スーツ:私服=9:1 のこともあるらしいけど、会津大は スーツ:私服=6:4 ぐらいだった
持ってきて研究室や待合室で履き替えるのも良いと思う
私は私服で行ったけど、何も言われなかった
試験日の1週間ほど前に学生課から連絡がくるので、受験票をもらう
「専攻する分野と研究計画に関連する専門知識について英語による5分程度の発表」と指定されてる
具体的にどんな発表をするのが正しいか全然わからなかったけど、研究計画書に書いた内容を噛み砕いて説明した
印刷した資料を配ることもできるし、PC をプロジェクタにつなげることもできる
機材トラブルで泣きたくなかったので、私はプレゼン資料を印刷して配布した
面接官は2人なので、自分の分も含めて3部以上は持っていくとよい
私は保険のために10部も印刷した 相手のことを考えてカラーコピーのほうがいい
いきなりプレゼンするのかなと思ったら、まず簡単な自己紹介を要求された
briefly のレベルが分からなかったので、名前と所属と興味分野の話を30秒ぐらいで話した
プレゼンした内容についてガンガン質問される マジでガンガン質問される
「(資料に挿入した画像)についてもっと詳しく説明できるか?」
「なぜこれをやりたいのか?なぜやる必要があるのか?」
「この研究が達成されるとどんな良いことがあるのか?」
いわゆる research purpose、research questions、gaps、contributions あたりの質問がほとんど
卒論をやっていない退学進学組は、ここを突かれるとヤバそうなので気をつける
「なぜ就職ではなく進学を選んだのか」
「大学を1年間短縮するとデメリットもあるが、なぜ短縮するのか」
についても聞かれたけど、これが一番むずかしかった
本来、大学には長く在学していたほうが勉強・研究ができて良いので ...
数学・物理・コンピュータアーキテクチャあたりの話は一切しなかった
でもこれは専攻する分野によるのと、研究計画書に書いた内容が影響すると思う
合格発表まで首を洗って待つ
入試で気になることがあったら、学生募集係に質問するといいらしい。事務的な話以外でも答えてくれることがある。
大学院進学フェアには行ったほうがいい。いろいろ聞ける。躊躇せずにガンガン質問していい。(1年生でも4年生でもOK)
ぶっちゃけ落ちててくれと思ってる
倍率6〜7倍?だし、まあ妥当に落ちるとは思うんだけど万が一を想像すると怖い。
受かったら妻の調子乗りが加速するんだろうな。
ここ受かったら、子育てトークという名のこどもポケモンバトルでかなり有利になるんだろ?
娘は集団に馴染むのに時間がかかるほうで、いま保育園にいる仲良しの友達と離すのがかわいそうでしょうがない。
妻とは何度も話し合ったが結局は聞き入れられなかった。
・いま右も左もわからないうちに入っちゃえば大学受験まではキツい受験戦争に巻き込まれずにすむ→それは確かにそう
二月の勝者の「父親の経済力と母親の狂気」という言葉が頭をよぎる。
でも落ちたら落ちたできっと小学校受験って言い出すんだろうな。怖ぇ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/7bb1b6e8044de870af480fa7f2176ab0de682d7a
・フォーダム大学の卒業生は例年90%が司法試験に合格すると言われていますので、小室さんも問題ないと考えている
・しかし激務の上、使い物にならなければ即クビ。
・司法試験で万が一にも不合格だった場合、弁護士として就職できず、相当苦しい日々を送る生活が待っている可能性があります
・学生時代に電通アメリカでインターンをしていた…という経歴がウソだったのではないかという疑惑だ。
仮に小室さんの就職が決まっていたとしても、もし文春が報じたように「経歴書虚偽」が本当であれば、内定取り消しも否定できない。
発表時間になって掲示板に受験番号を掲示していくのをロープの向こうで待つって感じだったんだけど
俺は目がめちゃくちゃ良かったのでロープの向こうからでも自分の受験番号を確認できてしまった
しかし皆が固唾を飲んでロープが取り払われるのを待ってるそのタイミングで喜ぶのはどう考えてもおかしい奴だったので我慢してた
全部の掲示が終わるのに5,6分かかったので興奮も冷めてきてしまい、一生に一度の喜びを爆発させる機会を失ってしまった
いろいろ書類とか貰ってさあ帰ろうと思って掲示板の前を通る時に一応もう一回番号を確認してたら
間の悪いアメフト部みたいなやつらが飛び出して来て胴上げしてくれたんだけど