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はてなキーワード: 区切りとは

2018-12-09

[] プエルト・リコのような

言葉の意外な区切り

お菓子メーカーフリトレー、2つに分けるなら「フリ」と「トレー」かと思ってたら、

正しくは「Frito-Lay」なのね。

今日トルティーヤチップ赤いきつね味 を食べながらパッケージ見てたら初めて気付いたわ。

ググッたら、フリト社(The Frito Company)とH.W.レー社(H.W. Lay & Company)が合併してフリトレー社(Frito-Lay, Inc.)と。

タイトル言葉を話す全角スペース区切り増田

お前だよお前、低能

気持ち悪いんだよ低能

2018-12-08

全員正社員にしよ

正社員とか派遣社員とか区切りがない方がいい。

コンビニスーパーもみーんな正社員

バイトかい概念撤廃しよう。

その中で労働時間選べるようにしよ。

週5・8時間以上働かないと正社員無理って条件、ハードモードすぎるんだよなぁ。

2018-12-07

人間に巨大感情を抱いた話

信頼している人がいた。

尊敬もしていた。

才能も当然あっただろうけれど、それ以上に努力家を絵に描いたような人だった。

自分に厳しい人で、その分だけ他人に向ける期待も大きかった。到底応えららないと思った。

認められたかったと思う。そのための努力もしたと思う。ただ、終ぞそれは叶うことはなかった。

ある区切りがついて環境から解放された。終わった瞬間はたまらなく嬉しかった。笑ってしまうほど、嬉しかった。その人は、私の笑顔を達成感の類によるものだと思ったらしいが、そんな高尚なものじゃなかった。寧ろ真逆だ。何も成し遂げられていない。安地への逃避が嬉しくて、堪らなかった。

ぽっきりと心が折れたまま1年以上過ごしていた。

詳細は伏せるが、達成感とはかくあるか、というもの最近になって味わった。他でもないその人と共有をして。終わった瞬間に目があって、初めてこれでよかったのだと思った。

このために今までのことはあった、だとか。これで私はこれまでを許すことができる、だとか。それから、これで許される、とも思った。

それがあった後、その人と話す機会があった。

私は多分感謝を伝えたくて、同じくらい謝りたくて、前後文脈もなにもあったもんじゃなかったが話をした。

感情馬鹿になって泣けてきてしょうがなかったが、向こうもすこしは泣いてくれていた、ように思う。

「お互い思うところはあるだろうけれど」

そう言っていた。

時間を置いてからはその言葉ばかりを反芻している。

思うところがあるのは自分だけじゃなかった。当たり前だろう。最後はともあれ、至らない状態のまま過ごした時間があったことは変わらない。腹が立ったり苛立ったりもしていたかもしれない。

もっとちゃんと謝りたかった。

しばらく忘れていたが、その人のことを尊敬しているし信頼しているし端的に言って人としてとても好きだったのだ。そういえば。

感情というものは面倒くさく、認識すると途端に膨れ上がるらしい。

普通でいるには少しだけ大きすぎた。目を背けていたが、直視するとプラスの面も、マイナスの面も馬鹿みたいにでかい

どのくらい大きいかというと部屋で1人で「これが巨大感情か」などと呟いてしまうほどである。このままいるとひっくり返ってとんだ事故を起こしてしまいかねないな、とも思った。

そんな訳でこんなところに投稿してみた。

問題解決しないけれど、少し落ち着いた気もする。

anond:20181207040600

ありがとう

やはり、寒かったり、一年区切りが来たりするからなのかね。

2018-12-03

anond:20181203115449

ほいそのまま再掲

「6年勤めたNTT退職しました」http://kumagi.hatenablog.com/entry/exit-from-ntt

10年勤めたNTT退職しました(無能編) 」https://anond.hatelabo.jp/20181126192228 に寄せて。

大きな会社なので、皆さんいろんな理由退職しているかとは思うのですが、女性エントリーが無かったのでワーママ編書かせてください。

自分12豊洲会社で開発・PMなどをしていました。その間、産休・育休・復帰を経た後に3年ほど前に転職しました。

少し前の事情になるかとは思いますが、女性立場から見たNTTについて書いてみます

若手は割と男女平等

子供が出来るまでは、女性でもかなりしっかり仕事をさせて貰っていたと思います

女の子から」と手加減されることは少なく、女性でも必要であればガンガン出張などもあります

また、一般職/総合職という区切りが無く、全員総合職男性と同じように採用されているのも良かったです。

男性側も、「女性あくまアシスタントだよね」という意識はあまりない方の会社だと思います

ワークライフバランス取りやす

産休育休復帰は当然。時短も取っている方多いですし、とても子育てをしやす環境かと思います。周りにワーママ結構いるのも良いですね。

ワーママ残業を断るのを辛く当たる風潮も少ない方かと思います。なので、子育て理由に離職する人は本当に少ないです。

というのも、希望すれば残業無し時短責任の軽い仕事を選べ、福利厚生もそこそこ給与も安定の中、離職する理由があまりないのだと思います

しかし女は上がれない

しかしながら、女は上には上がれません。NTT役員ページを見てみましょう。お飾りで女を入れておくとかすらなく、全員が一人残らず日本人のおじさんです。

そう、ここは、日本人のおじさんに全てが最適化された日本人のおじさんパラダイスなのです。

ちなみに、女性でも未婚・子なし等の場合名誉男性的にある程度まで上がることはありますが、子供を産めばそこで容赦なくマミトラックにぶち込まれます

また、昇進の問題を横に置いておいても、このような背景があるために子供を産むと難易度の高い仕事が回ってくることは非常に稀になります。(例え本人が希望していても、です)

からなおさら仕事っぷりを見せて昇進する機会も無い。悪循環ですね。

上がらないと昇給しない

給与が高くない」というのは前述のエントリの方々も上げているとおりですが、子供を産みマミトラックに入ると、昇進しなくなるので昇給も止まります

そのため、20代給与殆ど上がらず余生をマミトラックで過ごすことを強いられます

研究所の方が院卒7年目653万円と書いていましたが、上記マミトラックは500万円台前半です。

子供がいるなら十分だろ。諦めろ」という意見もあるかとは思いますが、「それを言うから少子化が進むんだぞ☆」と思ったりはします。

残業しないと基本給が安い

加えて、元々ある程度残業をすることを前提に給与制度設計してあり、基本給を抑えてあるので(日本会社はどこもそうと聞きますが)、保育園のお迎えなどで残業が出来なくなった場合、例えフルタイム(時短を取得していない)であっても給与は激減します。ちなみに、産前と産後年収ベースで150万くらいは下がります

かに残業は出来なくなりましたが、隣でわざとゆっくり仕事をして生活残業をしているおじさんより成果は上げていました。が、そんなこたぁここでは全く関係ありません。

残業 is moneyです。

下記のような人には向いていると思います

上記の条件から

自分は昇進などガツガツした世界からは一歩退いて、子育てに無理が無い範囲で働きたい」というワーママ

「40くらいまで頑張って昇進して課長になって、そこそこの給与まったり余生を過ごしたい」というおじさん

特に転職するほどの自信は無いが、のんびり残業して残業代を稼ぎたい」というのんびりやさん

おすすめできると思います

自分は、「子育てもあるので残業は出来ない。でも、やりがいのある仕事をし、そこで結果を出したら、産前と同じかそれ以上の給与は欲しい」という「時間で稼げないから成果で稼ぎたい」という注文の多いワーママだったので、フィットしませんでした。

ワーママ転職する人は少ないですが、仕事に割ける時間が少ないので効率的仕事をして成果を出さねばならないワーママは、年俸制のところへ行った方がお得だと思います。(外資ではマミトラックの倍を狙うことも可能です)

意外と転職も出来るものなので、両立で既に大変かとは思いますが、チャレンジ気持ちも捨てないで貰えたら良いな、と思います

子供が小さいのも少しの間で、あっという間に小学生くらいにはなるものです。(まあ小学校小学校なりの大変さがあると最近感じてはいますが…)

ちなみに。。

このマミトラックのワーママたちの賃金20代基本給のまま張り付けで働かせるの、「子供を産んだ罰金」でしかないし(産まなければ男性と同じに上がったかもしれないわけです)もう少し問題視されてもいいものだと思っています

まあそもそも残業代ありきで給与設計されているというのがおかしいのでしょうが、もう少し成果や市場価値で値付けする仕組みが浸透し、ワーママが買いたたかれない世界を望んでいます

12年勤めたNTT退職しました(ワーママ編)

https://anond.hatelabo.jp/20181127235600 が消え、魚拓も「個人情報が載っているため」という理由で削除されているので、個人特定できる情報を削除して手元のコピーを再掲しておく。

「6年勤めたNTT退職しました」http://kumagi.hatenablog.com/entry/exit-from-ntt

10年勤めたNTT退職しました(無能編) 」https://anond.hatelabo.jp/20181126192228 に寄せて。

大きな会社なので、皆さんいろんな理由退職しているかとは思うのですが、女性エントリーが無かったのでワーママ編書かせてください。

自分は(再掲者削除、年数および勤務地)会社で開発・PMなどをしていました。その間、産休・育休・復帰を経た後に(再掲者削除、転職時期)転職しました。

少し前の事情になるかとは思いますが、女性立場から見たNTTについて書いてみます

若手は割と男女平等

子供が出来るまでは、女性でもかなりしっかり仕事をさせて貰っていたと思います

女の子から」と手加減されることは少なく、女性でも必要であればガンガン出張などもあります

また、一般職/総合職という区切りが無く、全員総合職男性と同じように採用されているのも良かったです。

男性側も、「女性あくまアシスタントだよね」という意識はあまりない方の会社だと思います

ワークライフバランス取りやす

産休育休復帰は当然。時短も取っている方多いですし、とても子育てをしやす環境かと思います。周りにワーママ結構いるのも良いですね。

ワーママ残業を断るのを辛く当たる風潮も少ない方かと思います。なので、子育て理由に離職する人は本当に少ないです。

というのも、希望すれば残業無し時短責任の軽い仕事を選べ、福利厚生もそこそこ給与も安定の中、離職する理由があまりないのだと思います

しかし女は上がれない

しかしながら、女は上には上がれません。NTT役員ページを見てみましょう。お飾りで女を入れておくとかすらなく、全員が一人残らず日本人のおじさんです。

そう、ここは、日本人のおじさんに全てが最適化された日本人のおじさんパラダイスなのです。

ちなみに、女性でも未婚・子なし等の場合名誉男性的にある程度まで上がることはありますが、子供を産めばそこで容赦なくマミトラックにぶち込まれます

また、昇進の問題を横に置いておいても、このような背景があるために子供を産むと難易度の高い仕事が回ってくることは非常に稀になります。(例え本人が希望していても、です)

からなおさら仕事っぷりを見せて昇進する機会も無い。悪循環ですね。

上がらないと昇給しない

給与が高くない」というのは前述のエントリの方々も上げているとおりですが、子供を産みマミトラックに入ると、昇進しなくなるので昇給も止まります

そのため、20代給与殆ど上がらず余生をマミトラックで過ごすことを強いられます

研究所の方が院卒7年目653万円と書いていましたが、上記マミトラックは500万円台前半です。

子供がいるなら十分だろ。諦めろ」という意見もあるかとは思いますが、「それを言うから少子化が進むんだぞ☆」と思ったりはします。

残業しないと基本給が安い

加えて、元々ある程度残業をすることを前提に給与制度設計してあり、基本給を抑えてあるので(日本会社はどこもそうと聞きますが)、保育園のお迎えなどで残業が出来なくなった場合、例えフルタイム時短を取得していない)であっても給与は激減します。ちなみに、産前と産後年収ベースで150万くらいは下がります

かに残業は出来なくなりましたが、隣でわざとゆっくり仕事をして生活残業をしているおじさんより成果は上げていました。が、そんなこたぁここでは全く関係ありません。

残業 is moneyです。

下記のような人には向いていると思います

上記の条件から

おすすめできると思います

自分は、「子育てもあるので残業は出来ない。でも、やりがいのある仕事をし、そこで結果を出したら、産前と同じかそれ以上の給与は欲しい」という「時間で稼げないから成果で稼ぎたい」という注文の多いワーママだったので、フィットしませんでした。

ワーママ転職する人は少ないですが、仕事に割ける時間が少ないので効率的仕事をして成果を出さねばならないワーママは、年俸制のところへ行った方がお得だと思います。(外資ではマミトラックの倍を狙うことも可能です)

意外と転職も出来るものなので、両立で既に大変かとは思いますが、チャレンジ気持ちも捨てないで貰えたら良いな、と思います

子供が小さいのも少しの間で、あっという間に小学生くらいにはなるものです。(まあ小学校小学校なりの大変さがあると最近感じてはいますが…)

ちなみに。。

このマミトラックのワーママたちの賃金20代基本給のまま張り付けで働かせるの、「子供を産んだ罰金」でしかないし(産まなければ男性と同じに上がったかもしれないわけです)もう少し問題視されてもいいものだと思っています

まあそもそも残業代ありきで給与設計されているというのがおかしいのでしょうが、もう少し成果や市場価値で値付けする仕組みが浸透し、ワーママが買いたたかれない世界を望んでいます

2018-11-30

anond:20181130220552

まあ今回は区切り良かったからもうこのまま完結でいいだろ

2018-11-28

anond:20181128194111

最近教えてgooでこのような質問がありました。役に立ちますか?

区切りながらゆっくり話されると聞きやすいですか、それとも聞きにくいですか。

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10836120.html

2018-11-26

和暦デメリット多いけどメリットが無いわけではない

不便だ非効率だとばかり言うお前らのその自己中心的な主張、俺は全面的に支持する

いやどう考えても現代じゃ実用性において西暦の方が便利だマジで

ただ西暦よりも和暦が便利な部分もあって、特に時代区切りに関しては西暦よりも便利であることは明白だったりする

西暦をメインで使っている文化圏場合時代認識というのは10年、50年、100年で考えることが通例

友人のアメリカ人日本和暦存在価値理解出来ないと言うし俺もそれには同意しかないわけだが、アメリカ人和暦がなぜ存在するのか?という疑問へはいつもこう答える

アメリカはなぜ地域ブロック管理してるのに道路名前管理してるんだ?交差点基準ブロック管理したほうが効率的だろ」

そういうとたいてい返ってくる言葉はこうだ

建物を聞かれてもストリート名を教えればストリートのどこかに必ずある」

そう返してくるアメリカ人はその瞬間に気付いてくれる

「なるほど日本の歴史の物事和暦区切りのどこかにあるのか」

「まぁ俺も西暦の方が便利だと思ってるけどね」

日本日記・帳簿文化だと言われている

貴族から僧侶市井の民までもが記録をするのが好きで、それが同時多発的に起きていたため社会空気感や天候、天変地異などの情報が非常に確度高くわかると

特に檀家制度の始まった江戸時代以降は当時の世界水準として驚くほど正確で、都市部だけでなく小さな村落の出来事人口まで把握仕切っているのは驚嘆に値することらしい

国会図書館デジタルコレクションの各国(地方の意)の暦(記録の意)を読んでると、よく過去を振り返り、例えば「天明では〜」などと過去時代を参考にしたり反省したり貶めたり誇ったりしている

和暦はこういった記録好きの国民性に上手く合致しているのではないかと思う

当然ながら中央の治世的な思惑もあるのだろうけど、そんな上から抑えつける強制だけだったらどう考えても商人を中心とした民草の日記帳・帳簿は別の紀年法へ移行しているはずなので、何だかんだで気に入っていたんだろうなと思わなくはない

とまぁそんなわけでお前らもあんまり和暦を叩かないでさ、固定した連続カウント紀年法が良いと訴えて、いつか皇紀正式化しようぜ!

2018-11-16

anond:20181116133233

全国メジャーアイドルローカル佐賀アイドルの明確な区切りがあるから、そのへんとは争いにならないかと。

ちゃんリアルイベント佐賀でやってくれよとは思う。

2018-11-14

転職したいが……

色々あって長いこと非正規で働き、色々あって職を転々としてきた。

わかったのは、上流だったり裁量のある頭脳労働では高評価だということ。

逆に下流仕事や、作業的な仕事肉体労働系は評価が低かった。

 

さて、それがわかったので、ここ2年は非正規ながらも自分にあう職場を探し、高評価をもらっていた。

人にも恵まれ、ありがたいことに「もっと上流の仕事をしてほしい」と正社員の打診をいただいたりもした。

残念ながら、私の方の事情お断りをさせていただいたが。

 

そんな中、ちょうど春に区切り的なものがあって自分就活をしてみた。

自分に合うだろう職場を選び、無事に正社員として入社することができた。

 

だが、この就活は失敗だった。

 

結局、今やってる仕事裁量が少なく作業的な仕事だ。

仕事評価こそ悪くないものの、非常につまらない。実績にもならなそうだ。

少なくとも、この先半年仕事内容が大きく変わることはないようで、自分から手を上げて仕事を作り出すのも社風的に難しい。

同じ部署の人たちとの関係もうまくいっておらず、ストレスフルな日々だ。

(違う部署の方とは比較的うまくいっている)

 

面接ではしっかりすり合わせを行ったつもりだったのだが……。

以前、正社員化の打診をしていただいた方とは今も付き合いがあるので、そちらにうつろうと思えばうつれるが、年齢的にも職歴的にもすぐに転職するのは控えたい。

 

もう少し、耐えてみるしかないな。

頑張ろう

2018-11-06

[]11月6日

○朝食:なし

○昼食:助六寿司

○夕食:豆腐白菜と鳥の挽肉を煮た物(肉どうふのつもりだけど、肉どうふは鶏肉で作らないか)、温野菜サラダ納豆

○間食:柿の種

調子

はややー。

お仕事一生懸命頑張った。

スケジュールを三日ぐらい前倒し出来ているので、余裕がある感じ。

とはいえ、来週健康診断で午前中が潰れるとかあるし、横入りの仕事もちょくちょくあるので、前倒しできるだけ前倒ししておきたい。

自分が振られている仕事を前倒しで進められているだけでなく、横入りの関係ない仕事ちゃんと捌くの、マルチタスク必要でとても疲れる。

先月の出張ぐらいから、このマルチタスクが多くて、仕事が終わるとフラフラなっちゃうし、

なにより四六時中喋ってないといけないから、喉が枯れる。

からすぐ風邪引くので、のど飴舐めたり暖かいの食べたりしてる。

iOS

グラブル

天司武器SSR化を進めている。

風、土、火は完成。

水はガブリエルアニマがあと5個。

ただこのあとスキルレベル上げもあるんだよね。

それと、リヴァ短剣ドロップしたので、水のマグナ三凸も終わった。

これで四属性マグナ三凸は一区切りかな。(火はアーカルム武器で二本水増ししてるので、四凸にすぐ移行できないけど、コロ杖四本も五本も四凸しないんじゃないかなあ、四凸候補が三本もあれば十分でしょ)

キリよく天司武器SSR化とそのスキルレベル上げまで終わったら、ほったらかしにしている光と闇にも手をつけ始めよう。

と思ってる気持ちと同じぐらい「もうマグナ巡るの飽きた」という気持ちもあるので、悩ましい。

anond:20181105192806

無理やりジェンダー論に持ち込む必要はなく、いい年こいて独身人間は男女問わず、幼稚だったり能力の低い人間が多い。

障害者差別をしないため、健常者と同じ土俵障害者を乗せて論じる。

最も心が幼く、所得獲得能力が低く、子を育てる能力にも欠け、そして未婚率が高い社会的集団は中程度以上の知的障害者である

といっても障害者かどうかは白黒つくものではなく、スペクトラム連続体)である

多かれ少なかれ、そして男女問わず高齢未婚者は弱者性を帯びるということだ。


一方の子持ち既婚者については、明確な結婚出産という区切りがあり(未婚の母などの少数例を除く)、高齢未婚者とは連続的な存在ではない。

しかも平均的な所得水準も自他のマネジメントスキルにも優れており、社会的にも生物的にも勝っている傾向にある。

そのような子を持つ世帯への公的資金による支援は明らかに過剰であり、知的障害者スペクトラムから吸い取った税を実力者・能力者にばら撒くといった逆進課税性質を持っている。

ゆえに、勝者をますます富ませる優生主義政策である子育て支援は行う必要がなく、障害者連続的な存在である高齢未婚者こそを支援すべき、と考える次第である

男が結婚しなくて済む方法を考えた

そんなの彼女作らず、彼女ができたとしても婚姻届に印押さなきゃいいだけなんだけど、ここでは「結婚しなくていいの?」とか気軽に聞いてくる奴(以下、エネミーと呼ぶ)を周りから減らすことができる方法を考える。

 

去勢する

一番取り返しがつかず、一番きっかけが必要しかしそれ故に強さとしてエネミーにバツの悪さを味わせることが可能で無敵。

難病去勢せざるを得ないみたいなエピソードがあれば完璧

 

婚約者結婚前に亡くなった事にする

これもエネミーをデリケートな部分にズカズカ入り込むKY化させる事が可能なので無敵。

毎週必ず故人の墓参りにいっているエピソードがあれば義理堅くて愛情深い人になれる。

ただし、KKOには無理なのと、条件が複雑すぎ。しかも、本当に婚約者がいた人なら上記のようなゲスの考え方はせんだろうしありえない存在となる。難しい。

まり、お寺の住職や墓の管理人が有料サービスとして架空彼女の墓を作ればいい。そして、その彼女の墓はブッキングしないように、立ち入り可能時間10~30分区切りで決め、思い出のアリバイづくりをどこかの写真スタジオが請け負い、何枚か思い出写真を作りスマホにいれれば完成する。

 

LGBT、もしくは特殊性癖性癖が無いことにする

これが一番手軽。しかし、これの悪いのはエネミー撃退能力が皆無な事。

なんで物理的になにか失くなっていないとエネミーはデリケート問題にしたがらないかという問題は置いたとしても差別はなくなる方向に向かってはいるが一定の人からは奇怪な目で見られるのが痛い。

あと、結婚が緩和されると、間違いなく同じ目に合うので対症療法的な解決策にしかならない。

 

宗教でっち上げてその宗教結婚を禁じられていることにする

そういう宗教存在してくれればでっち上げ必要はないんだけど、まぁ、間違いなく存在してもカルト的なのでおかしな人扱いされる。

まぁ、ネットで出来た新興宗教とか言っておけばエネミーも触れないでおこうとなるだろう。

そして結婚する事になっても「彼女のおかげで洗脳が解けた」とか言って簡単に抜けることが可能なので手軽ではある。

2018-11-03

上井草に通ったド!のファンの話

はじめましてドリフェス!ファンです。

このタイミングで少し思いをまとめたいと思い、匿名ダイアリーを書いてみようと思いました。

長文乱文なのでヒマなときに見てもらえたら嬉しいです。

※この文を読んで、書いた本人のTwitterアカウントを推測できたとしても、本人に尋ねることは控えていただきますようお願いします。もし聞きたいのでしたら「Twitterで繋がっている人」として直接会うときにこっそり聞いてください。

私は昨年3月からドリフェス!ゲームアプリを始め、アニメを観て、ズブズブとハマっていきました。

二次元から入りましたが、YouTubeにある公式がアップした動画ドリフェス!研究室を観て三次元キャストにもハマりました。

キャラキャストも皆さん大好きですが、最推しは慎様と溝口さんです。(どちらも青だからというわけではなく単純に二次元三次元の好みで落ちたのがこの2人でした。)

ハマってから今年の3月5日(プロジェクト区切りの発表)までは毎日楽しくて、カラオケに行ったときドリフェス!の曲を入れまくり自然ドリフェス!縛りになってました笑

3月5日以降しばらくはパニック鬱状態で、私のリアルな状況と相まってとてもつらかったです。

3月5日以降はプロジェクト区切りを疑うような数のコラボが発表され、行けるコラボは行きました。ナンジャ・アニカフェ上井草でのコラボが印象的でした。

ハマってからリアルに開催されたイベントに行ってみたかったのですがなかなか行けず、イベントがあるごとにTwitterのTLが感想で埋まり、行けなかったイベントときはレポにありがたがると同時に羨ましさと悔しさで胸いっぱいになりました。

現時点では昨年12月DMM VRシアターで行われたライブと先日の武道館ライブ20日・21日)に行きました。

キャスト出演のライブにめちゃくちゃ行きたかったので、ようやく行けて嬉しかったです。

だいたい私のドリフェス!ファンとしてのプロフィールはこんな感じです。

話が若干戻りますが、私の一番印象に残っているコラボ上井草でのコラボです。

昨年12月からてっぺんさんで始まり、生まれて初めてラーメン屋さんに行きました。そこで食べたらーめんはそれまで食べた中で一番美味しく、私の中で革命が起きました。チャーシューの柔らかさに驚き、その次に行ったときチャーシューめんを頼むほどでした。

展示されていた原画を見に行くため、美味しいらーめんを食べるために何度もてっぺんさんに行きました。コラボが一旦終わったときも行きました。(4月6月てっぺんさんでらーめんを食べてから原宿に某番組の観覧に行ってました)

初回は友人(非ド民)と行きましたがその後はTwitter相互さん、母と一緒に行き、最終的には一人で行けるようになりました。まさかラーメン屋さんに一人で行ける日が来るとはドリフェス!にハマったばかりの頃は思いもしませんでした笑

上井草といえばもうひとつ。アオヤギさんでもコラボがありました。

原画の展示だけでなく、脚本絵コンテ自由に読める、ドリフェス!ファンにとって至れり尽くせりなコラボでした。(オタク心理としては原画展示だけでもお金取って大丈夫なんですよ……?と思えるほどのボリュームでした)

どちらのお店もコラボ専門チェーン店ではなく、個人店で、地元の方に愛されているお店です。なのでオタクが何人も来て大変そうなのに毎回とても温かい雰囲気で迎えてくださいました。

かい雰囲気・美味しい料理に感動し、いつの間にか両店のファンになっていました。

コラボ終了後、ある夏の日、何気なくTwitterを眺めていたところ、アオヤギさんのスタッフ募集ツイートを見ました。

ちょうどその頃、アルバイトをしたくて何箇所か応募し面接しては落とされ…という状況でした。

上井草は通える距離だったので、採用してもらえたらコラボしてくださったご恩をお返しできるのでは?とも思い、ダメ元で応募してみました。

結果

採用されました。

単純にようやく採用されて嬉しかったですし、しかもそれがアオヤギさんにだなんて、私はなんて幸運なんだと思いました。

それから私の上井草通いが本格的に始まりました。

バイトを始めてしばらく経った頃、ドリフェス!とのコラボを再びやってほしい・したいという話が出ていることを知りました。

これはファンとお店の間でのお話であって、公式でまだ再コラボをするというアナウンスをする前の話です。

私はこれを聞いて確かにまたコラボしてほしいけど既にけっこうコラボ決まって発表されているからなぁ…けっこうギリギリなんじゃないのか?と思ってました。が

結局実際に再コラボすることが決まりました。

本格的に再コラボが決まり公式が発表する前に教えてもらったのですが、もう嬉しくて嬉しくて。言いふらしたいのを頑張ってこらえていました。(こういうコンテンツに関わる方って色々ファン内緒にしているの大変なんだろうな…と思える貴重な経験でした笑)

私は上井草コラボドリフェス!コラボの中で一番好きで一番印象に残っています

コラボ間中ファンの方がたくさんいらっしゃいます。同じもの好きな人たちが集まっていることにまず感動しますし、お店の方や他のファン交流が生まれパレード生まれる。めちゃくちゃほわハピな空間です。

そんなコラボをまたやってくれる。しかも今度はスタッフ側で関われる。

いつか自分が好きな作品コラボに関われたらいいなと漠然と思ってましたが、まさか夢が叶うとは思ってませんでした。

コラボが始まって初めて出勤したとき、私はお店中に飾ってある原画に感動しました。本当にコラボしてるんだ…ドリフェス!のお客さんがたくさん来てくれたらいいなぁ…と思いました。

コラボメニューを作れることにも感動しました。自分が作ったメニューをお客さまにお出しして、それを見たお客さまが「わぁ…!」と明るくなる。あの瞬間が大好きで、実際にスタッフ側で体験できたのはとても嬉しかったです。

暇を見つけたらドリフェス!ファンのお客さまに話しかけてみました。

これがお店的にどうなのかわかりませんが、おそらくご自分で作られたであろう服をぬいに着せていたり、ネイルドリフェス!仕様にしていたり、ブロマイドや他のグッズを机上に出しているのを見て、とても嬉しくなり、声をかけざるを得ませんでした。

「〇〇推しなんですか?」「私は慎様と溝口さん推しなんです〜!」というやりとりを何回もしました。

感動オリーブオイルを気にしている方にはオリーブオイル説明も「デザート系にはオレンジノッチラーラがおすすめですよ〜」というように話しかけました。(オリーブオイルについて質問されることが何度かあったので実際にコラボメニューにかけて食べて確かめました。感動しました。)

こんなやりとりに付き合ってくださった方ありがとうございました。

コラボ中、忙しくててんやわんやでしたが、そんな中の癒しのひとときでした。

10月31日上井草コラボ最終日。

私はコラボが終わるのが寂しくて、バイト先へ向かう足がちょっと重かったです。

最終日は平日にも関わらず、たくさんのドリフェス!ファンの方にご来店いただきました。何組か外に並ぶお客さまが出るほどでした。

原画シートが切れていたのに、ドリンクの星が色切れで全部オレンジ色なのに、たくさんの方に来ていただきました。

それだけファンの方に愛されているんだなぁと思いました。

ただのファンでは感じられなかったファンの熱や勢いを感じました。

本当にありがとうございました

31日は少しでも長くドリフェス!を感じたくて、バイト終わりにてっぺんさんに行きました。

遅い時間でしたが少し並びました。

私が入ってしばらくして、隣にお姉さんが座りました。

お姉さんも襲来記念らーめんを注文していたのでファンだと確信し、話しかけてみました。

話すうちにバイト中にお話ししたお客さまだったことがわかり、とても驚きました。

らーめんを食べながらたくさんお話ししてくださってありがとうございました。

実際スタッフ側になってみて、ドリフェス!ってすごいなぁと改めて感じる1ヶ月でした。

ファンの方も素晴らしくて、ファンファンになるのもわかると思いました。

ドリフェス!サイコー超えてる!!

2018-11-02

眠りたい

なんとなーく毎日死ぬほど眠りこけたい衝動を抑えて起き上がって、なんとなーく身支度を整えて、なんとなーく好きな曲だけヘビロテして出勤して、日々がなんとなーく過ぎていく。

いやほんと何なんだろうな。

毎日楽しい!生きてて楽しい!!人生サイコー!!人間に生まれてよかった!!この街に生まれてよかった!!明日もきっといい日だよねハム太郎!!みたいに思ったことなんか物心ついて一度もないけど、少なくとも義務教育の間はもっとしかった気がする。

上級生ばかりの環境にビクビクするでもなく進路に悩むでもない中学校二年生の、あーこのまま友達と駄弁ってる日常がずっと続いて、時間が同じところをぐるぐる回ればいいのにって思った日の教室の窓は今でも覚えてる。

毎日楽しいわけでもなかったけど、毎日同じだって思ったことはなかった。

年をとるごとに、生きることが作業になってる気がする。

どこを見ても知ってることばかりで、知らないことを知ろうとしたらそれこそキリがなくて。あれだけ嫌だったテストだってある意味日常区切りをつけてくれてたわけで、今じゃ毎週同じ周期を繰り返すだけ。

あれ、生きることってこんな単調だっけかなあって時々思う。

なんかその中学生だった当時は、今の年ぐらいになればもっと自由もっと色々なものが見えて、もっと大人なんだって思ってた。

結局何も変わらないままだったなあって。かたちばかり大人になってしまう。それぐらいならいっそずっと眠ったままで幼いままでいたい。

あの頃書いていた創作メモは、どれも恥ずかしいものばかりだけど、似たようなのはなかった。今じゃ同じパターンしか書けなくなって、書くこともつらい。

来年、一つ年を取ったら色々なものが許される年になる。

昔はあんなに憧れて早く大人になりたいって思ってたのに、いざその年になると、こんな私がそんなに許されていいのかって不安になる。

寝てる時が幸せから一生寝てたい。まあそれは永眠だけど。

2018-10-23

anond:20181019091903

B)主人公和装太鼓結びをしたのをみてエツコ(仲居)「咲子さまも忙しい時には良く手伝って下さって」

原作でも、休み連休の繁忙期には手伝ってる。関家は今でこそ東京ぐらしだが夫妻共に花の湯温泉出身(小3から同じクラスだった)のため、もともと春の屋出身だったおっこ母はもとより、それをみていたおっこ父もそれなりに忙しい時期の忙しさは把握していた模様。

おっこも小さいときから旅館に連れられて遊びにきているから、エツコさん康さんとは映画の「蜘蛛が落ちてくるところ」が初対面ではない。ただし旅館食事は「新メニューの試作」くらいでしか食べさせてもらえなかった(それでもとても美味しかった)模様。

A)東名高速のぼり車線内会話 咲子(主人公の母)「おかあさまにごあいさつできなかったわね」運転中の父「観光シーズンで忙しいかしかたないよ」

そのうえで「遅くなると帰りが渋滞となる」とのおっこの言葉から神楽を見ていたのは連休最終日のような、休みがひと区切りつく日のことだったことがわかる。おっこ父母はおそらく手伝いはせいぜい最終日朝までだったのだろう。その日チェックアウトする客関連の手伝いまではしないで、最後神楽を見ていた。帰りに挨拶しようと春の屋に寄ったら、レイトチェックアウトのお客さんがいて、特に言葉での挨拶はしないで帰ってきた、といったところか。

原作でも客が少ないとき(1巻につき1回くらいはある)とか、ピークを越えたあたりでおっこも開放されてるので、翌晩の予約が少ないなどで急ぎの用事が発生しない場合は手伝わずとも旅館仕事は回っている模様。

原作ではエツコさんにはリカコさんという大学生の娘がいて、おっこのプライベートと繁忙期が重なったとき(クリスマスとか、秋の連休でのTAIWAN旅行とか)にはバイトしてもらえるので、実はおっこは春の屋旅館の若おかみと言われつつ"おみそ"状態だったりする。風呂掃除などの仕事夏休み終わり段階の時期で皆から"荒い"(あとから来た居候男子小学生の方が仕事が丁寧と褒められている)と言われていて、あまり戦力として期待されていない。ここを踏まえないと「児童労働がー」みたいな話になる。

この話にはあんまり関係ないが、エツコさん康さんはどちらも住み込みではない。深夜仕事が発生したときに泊まれる部屋は用意してあるが、基本的には夜は家に帰っている。家が近所にあるかは不明エツコさんは車で国道沿いのショッピングセンターにひとっ走りして、おもてなし用の食器を買ってくるくらいには車に乗り慣れてる。

さらに余談だが、春の屋旅館でも秋好旅館でもないリアル温泉旅館御曹司が先輩にいて、格安で泊めてもらったことがあったのだが、旅館仕事で一番人手がかかるのは「布団の上げ下ろし」だったそうだ。これを省けると(もちろん他のいろいろも省いているのだと思うが)、1泊ウン万円の宿が数千円でも赤字にならないとのこと。以上の話を踏まえると、おっこはマスコット要員としての要素を除くとおそらく布団の上げ下ろし要員として期待されてる。

2018-10-22

ビデオゲーム業界 どうしてその用語になったのか不思議言葉(追有

ビデオゲームの進行で区切りとなる単位。登場している敵をすべて倒すなどすると次の面へ進む。

(以下追記ブコメから

参考リンク

ヒットポイント

キャラクターが持つ指標。体力のアナロジーになっており、ゼロになると死んだり行動不能になったりする(プレイヤーキャラクター場合残りが1つ減ったりゲームオーバーになったりする)

TRPGではすでに「HP」の呼称が使われていたとの指摘あり。

ゲームオーバー

ゲームの進行が終了すること。アーケードゲームにおいては1クレジットで遊べる状態が終了し、さらに遊ぶにはクレジットを追加する必要がある。

(これに関しては、「なぜ『GAME IS OVER』ではないのか」という考察ウェブ上に複数あると思う…と検索せずに書く)

1up

プレイヤーキャラクターの残りが1つ増えること。「増えること」を「up」と表現した最初ビデオゲームはなんだろうね?

説明適当です

(参考:https://anond.hatelabo.jp/20181022115008

2018-10-14

anond:20181014203109

ひらめいた!

パック寿司の蓋に醤油用の小さな区切りをつけておけばいいんだ!

好きな漫画の最新巻が発売されるといつも1巻から読み直してたんだけど、30巻越えだしてからキツくなってきた

妥協して区切りの良い巻から読み直す方式に変えてたんだけど悔しいからやっぱ1巻から読み直そう

2018-10-12

ごくごく個人的な、キズナアイが巻き込まれ騒動のまとめ

キズナアイの件、だんだん疲れてきたので自分見解をまとめることにする。

文章化しておかないと区切りがつかなくて永遠に頭の中グルグルしそうなので。


論点は二つあった。

  1. キズナアイの格好はNHKに出せないくら性的かどうか
  2. ジェンダーロールの再生産になっていないか



1. キズナアイの格好はNHKに出せないくら性的かどうか

1. は個人的には問題ない。というか、フェミニストから批判してはいけない部分だと思ってる。




2. ジェンダーロールの再生産になっていないか

2. が今回の主戦場

年代階級普段二次元表現VR界隈に触れているかによって感覚が違っているようだとは感じた。

批判側の意見としては、男性講師役・女性が生徒役という枠組みが旧来のジェンダーロールを再現しており、女性を萎縮させるとのこと。

世の中が完全に男女平等になっていれば、たった一つの例に目くじら立てないが現実はそうなっていないという意見を見た。


なんとなく納得できそうなところと、でもなーというところとあり、未だに整理できていない。

このくらいのことで、本当に女性は萎縮してしまうのか?と思ってしまうが、それは自分があまり抑圧を受けずに育ってきたからかもしれないし。

公的性格が強い媒体ではポリコレに則って多様性配慮した表現をするべきだ、という理屈はある程度納得できなくはないんだけど、

などなど疑問点や不安な点がいっぱいある。

そもそもそういう表現公的場所から狩ろうとすることは、長い目で見るとポリコレに反する表現絶滅させることに繋がるんじゃないか?という懸念が拭えないわけで。

ポリコレに反するから隠す。存在自体が許せないのではない、悪ではないが場所をわきまえてやれ」

これが、容易に

「隠されるものは悪いもの。悪いものは細々と裏で楽しむべき→悪いものはなくなるべき」

に変わっていくんではないか?大多数の人は「存在自体が悪い訳ではない」と思ってくれるのか?

多様性配慮した表現も大好きだけど、多様性クソ食らえ!な表現も大好きなんだよ。

男性向けも女性向けも、エロも非エロも。

でも、社会の大多数に認められにくいのって後者じゃん?

ポリコレ絶対を突き詰めていく先に、多様性クソ食らえ表現が狩られる未来しか見えないんだよな。

そこまで社会の理性を信じることができない。だから怖い。

本当は楽観的でありたいんだけれども。


規制しろとは言ってない、ゾーニングだ、という人がいる。

でも、ゾーニング規制だし、ゾーニングのやり方によっては容易に表現の場が失われてしまうこともある。

からゾーニングって簡単にすることができない。


個人的理想としては、ある表現をなくして目立たなくするのではなく、自分がいいと思う表現をどんどん作ったり推したりしてそれらの存在感を上げていく方向が建設的でいいと思う。

子どもができたら「これは良くないから見るな!」って言うより、「こっちにはこういうのもあるよ」って接したい。

その上で、親が眉を顰めるようなものに触れてしまうのも当然だしそれは成長の一部だと思う。

親が全部管理なんてできやしねぇしするべきでもないし。

全部ひっくるめて子ども当人人生で、自分自分がよいと思うものを選び取れるようになってほしい。

結局は私も根拠のないお気持ちでこう主張するわけですがね。


そして今回、一番衝撃だったこと。アカデミックフェミニズム側がジェンダーロールの再生産を非常に問題視しているという点。今更なんですが。

今回、1.の論点重要視してるかどうかでフェミニズム側は分かれていたように思う。前述したようにこれをフェミニスト自称する人が問題視するのはどうかと思うので、ここでだいぶフェミニスト側を分類できた。しかし、性的だとはしない/もしくは問題視しない人々でも共通していたのは、あれが旧来のジェンダーロールの再生産であり若い女性を萎縮させる、ということだった。個人的に、アカデミックフェミニストの中で信頼がおけると思っていた人も、ここは強く問題視しているようでかなり衝撃を受けた。

かつて自分が被ってきた女性差別を生々しく思い出して重ねてしまう傾向が一定年代以上の人や女性差別が酷かった業界の人には多いということなのかもしれないが、それ以上にフェミニズムの中で長らく重要視された観点っぽい。そこまで確固たる共通見解となっていたというのが驚きというか。それを各種表現にここまで簡単に当てはめることに躊躇がないんだな、と。

個人的にはうなずける部分もあるが、女性差別のみを特に重要視して男性に対するジェンダー的な抑圧を無視する傾向がある気がするし、私が育ってきた中では幸運にもひどい女性差別を受けては来なかったこと、そして自分ジェンダーロールの再生産になりそうな作品もそうでない作品も両方楽しんで育ってきたことなどから、そこまで切迫感を持つことができない。私とそういう人たちとの間に断絶がある。

女性差別って私が想像する以上に酷いものがまだまだあると思うし解消に向けて動くべきだし動きたいんだけど、私は上記理由からこの方向の活動にはどうしても同意できないな…。この方向で頑張ることによって、そういう酷い女性差別改善していくとは思えない。


おまけ1 VR界隈について

ちなみにVtuberVR界隈に対しては、既存ジェンダー観でははかれない技術革新がもたらした今までとは違うジェンダー観が存在すると思っている。キズナアイも見た目は女性だがAIという設定で性別はない。ガワと中の人性別が違うなんてざらにあるし、自分が望めばなりたい性別セクシュアリティになれる・それを当たり前のように受け入れてもらえるという土壌がすごくいいと思っている。

まりVtuber界隈詳しくなくて今回初めていろいろ調べてみた程度なのであまり語れないんだけど。バ美肉とかは、すごい革新的すぎて興味持っている。みんなもっとチャレンジしてジェンダーの壁を軽率に越えるべき。

参考:おじさんを美少女化したテクノロジー 先端心理学が語る「VR世界

https://withnews.jp/article/f0180401000qq000000000000000W00g10701qq000017020A



おまけ2 社会学等の研究成果評価システムについて

1~2の派生で、千田氏の炎上から社会学などの研究成果評価システムにまで話が発展したのは大変興味深かった。

というあたりか。それぞれの分野に合ったシステムがあって、外野から簡単に口出せるものではないと思うが、若手の方々がより良い方向を目指して試行錯誤されているらしい、ということは分かった感じ。

参考:社会学では査読論文より著書を重視する文化でそれで学術クオリティが保たれるシステムもあるらしい?という話。

https://togetter.com/li/1274988

2018-10-11

日本臨床心理学における査読論文価値

anond:20181009215657

心理学について書こうと思ったら、お一人書いてくださった方がいたので、そこで「特殊」とされていた臨床心理学について書きます

臨床心理学系の大学院博士号を取って、現在大学で臨床と研究をしています

論文事情を書こうと思ったら、背景にある臨床心理学事情になりました…。そして「日本の」と書いたのは、日本の固有の事情もあるためです。

はじめに

臨床心理学における研究は、おおよそ以下の3つに分けられます

 1:ブコメであったような、症例報告から始まってランダム対照試験まで行くという医学疫学的な研究

 2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究

 3:その他の調査研究ちょっと大雑把ですがゆるしてください、そして私のメインはここです)

少々雑な括りで、中間位置する方や例外もままいることを踏まえ、あくまでも概要を述べているということを踏まえたうえでお付き合いください。

論文事情

https://anond.hatelabo.jp/20181009215657 では心理学論文事情として以下の順序を挙げていらっしゃいました、

 査読付き英語論文>>>>査読日本論文>>査読なし日本論文(いわゆる紀要査読有り紀要も含む)

これは、1と3を自分研究領域にしている臨床心理学者にもほぼそのまま当てはまりますし、海外でも同様です。

そのため、競争が激しい業界院生さんだと、Predatory Journalに投稿しているケースも残念ながら見ます

特殊なのは、「2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究」を中心としている人たちです。

この方々の多く(全員ではありません)は、場合によっては「論文」というものを軽視すらしていますし、査読論文の数も非常に少ないです(大学に勤めている以上、建前で「論文書かないとね」と言ったりはしますが)。

これは分野外の人からはよく見えないため(もちろん業績調べればわかります)、中々ややこしい問題です。

私の観測範囲ですが、下手にこういう人たちが多い大学就職しようとしたり、あるいは就職してしまったりすると、論文業績が多い人はかえって冷めた目で見られたりすることすらあります

このような信じられない断絶が臨床心理学の中にあるので、業界からはわかりにくいのです。

ちなみに「2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究」の人たちの業績に対する意識は人文系に近く、私も完全にはよくわかりません。ただ少なくとも、英語査読論文を無条件でありがたがったりはしません。

しろ”深みのある”事例研究理論検討が尊ばれ、そうしたものに特化した特定学術雑誌論文や、あるいは書籍などを重視する印象です。

業界事情(長いです)

なぜ学問を行う場である筈の大学において、こんな断絶が起こるのでしょうか。

つの要因は単純に「世代」です(繰り返しますが大雑把な区切りです)。

世代によって何が違うかというと「臨床心理学に対する考え方」が違います

もっと具体的には「エビデンスを重視するか否か」の違いです。

エビデンスを重視しないなんてバカ?」と思う方も多いと思います

私も7割同意しますが、これにはこれで事情があります

先ほど書きましたが、2の人たちが重視するのは事例研究です。

https://anond.hatelabo.jp/20181009215657 には、「事例研究には物語以上の価値はないのでは」とありました。

「そう見えるのは仕方ないだろうな」と思う気持ちと「物語価値過小評価しすぎですよ」という両方の気持ちを抱きます

なぜかと言えば、「クライエントの人生」を理解しようとすれば、どうしても「物語」というフレーム必要になるからです。

古典的な臨床家(心理療法をやる人)は、クライエントの人生全体を見ます

クライエントが訴える問題(やる気が出ないとか、落ち込むとか)を全てと考えるのでなく、むしろ人生における氷山の一角と捉えます

そして、クライエントの人生をそのものを見つめ、その人がより良く人生を歩んでいけるよう、どうにかこうにか支援をしていくわけです。

(「大きなお世話」「思いあがるな」と思われる方もいるでしょうし、下手すると実際にクライエントにとっても大きなお世話になります

その人の知能や症状の程度、パーソナリティなどを数値化して客観的に捉えることは心理学の得意技ですが、それでその人の人生全ては捉え切れません。

人生というものを捉えようとした時、どうしても物語必要になります

もちろん、物語ですから完全に同じ事象再現されることはまずありません。そのため、厳密な「エビデンス」はそこから得ることはできません。

ですが、だからといって物語意味がないわけでもありません。

物語から自分は何も学んだ覚えはない」という人がいたら、それは物語意味がないのではなく、恐らくその人に学習能力がないためです。

物語を蓄積していくことで、我々は人間に対する理解をより深いものにしていくことができます

そのため、日本臨床心理学者は「エビデンスなんかいらない」というよりも、「物語を蓄積してくしか、やりようがない」と思っていた部分もあると思います

またもう少しフォローしますと、単に物語を乱立させるのでなく、蓄積された様々な「物語」を体系づける理論の構築自体は脈々と行われてきました。

それが、「2」の後ろ半分「それを踏まえた臨床論的研究」です。

フロイト精神分析なんかは、今でも理論精緻化され続けていて、それはそれで読むと非常に面白いですし、人間理解に大いに役立ちます

というわけで昔の臨床心理学は、多分に人文的というかアート的な学問領域でした。学んでみると非常に面白いのですが学問としての欠点もたくさんあります

最たる点が、多くの方が既に感じていらっしゃる通り、物語性を重視するあまり客観性エビデンスをあまりに軽んじてしまたことです。

 ◆

しか1990年代の後半頃でしょうか、「認知行動療法」と「エビデンス重視」の立場が、アメリカから日本へ本格的にやってきました。

心理療法の一つである認知行動療法エビデンスを非常に重視します。

例えば「うつ病」ならば、患者抑うつの程度を測定し、「認知行動療法を行うと抑うつの程度が有意に下がる!」みたいな研究バンバンやるわけです。

当時の学会の様子は今でも覚えていますエビデンス重視の方々は「それエビデンスあるんですか?」と、どこかの誰かのようなセリフを旧来の臨床心理学者に容赦なく投げつけ、大変気まずい空気を作り出していました。(別に悪いことではないですが)

残念ながら旧来の臨床心理学者はそれに真っ向から反論することができません。なぜなら、実際の所エビデンスは無いからです。

ただし、客観的エビデンスが求められる研究では、「客観的に扱える要素」しか扱うことができません。

そういう「客観性」では捉え切れない人間の心を探求していったのが、これまでの臨床心理学だったはずです。

ですから多くの人にとって、「エビデンス」というものが極めて底の浅いものに見えたという部分もあると思います

実際私もそう感じる部分はありました。確かにエビデンス大事だけど、余りに機械的人間の心を扱いすぎていないか?と。

それって、本当に臨床心理学が目指していたことだっけ?

とはいえ、旧来の臨床心理学者がその文学性に浸りすぎ、客観性過小評価していたのは間違いないと思います

エビデンスに対して「人生の深みをわかっていない」「客観性が全てではない」と言っても、インチキしか聞こえないでしょう。

要するに、物語偏重し、エビデンス全否定する姿勢は間違っていますが、エビデンス偏重し、物語全否定するのも同様におかしいと、私自身は思います

そういう微妙バランスというか面白さが臨床心理学の中にはありますし、どちらも人を支援する上では大事視点だと思います

 ◆


まぁその後は各学会大学内で、明に暗に色々な小競り合いがあって、現在は昔よりもだいぶ両者が折り合いつつある雰囲気です。

一つは、純粋な「2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究」の人たちが減ったという単純な理由です。大御所の多くが高齢化し、以前よりはだいぶ比率が少なくなりました。

逆に、認知行動療法がだいぶ浸透した結果、若い世代では認知行動療法が専門外でも、エビデンス重視の考えは馴染みのあるものになっています

また、認知行動療法の人たちも”表面的な”エビデンスが全てではないという姿勢の人が増えてきました。

また、個人的にすごく大事だと思うのが、実証重視の方々にとっては「物語」の代表に見えるであろう精神分析系の心理療法も、ちゃん効果確認されるようになってきたたことです。

これによって、「エビデンスが全てではない」と意地を張らなくても良くなってきたのだと思います

結局、エビデンス否定するのではなく、自らエビデンスを出すことで (とはいえ研究殆ど海外ですが)、問題は解消されつつあります学問としてこれはとてもよいことだと思います

 ◆

つい最近中室牧子さんとかによって、教育業界エビデンス視点を持ち込む動きがありますが、同じように、日本臨床心理学にもエビデンス視点を持ち込もうという動きが20年程前にあったのです。

エビデンスに対する考え方の違いは、人間理解に対する考え方の違いであり、それが論文業績に対する考え方の違いにもつながっていたという話です。

これを読んでみて、改めて「臨床心理学ってクソだな」と思った人もいるかもしれませんが、こういうゴタゴタも乗り越えつつ、少しずつ学問としてブラッシュアップされていっている臨床心理学が私は大好きです。

長くなってしまいました、すいません。

おまけ

長くなったついでで恐縮です。

https://anond.hatelabo.jp/20181011091532 「再現可能性が4割」の部分に

https://anond.hatelabo.jp/20181011091734 「びっくりするほど信用できない学問だな てか学問かそれ 」というコメントを見かけましたが、これ心理学だけの問題じゃないんですよ。

Natureが少し前にいろんな研究者に調査しましたが、理系領域だって再現性は決して高くありません。

https://www.nature.com/news/1-500-scientists-lift-the-lid-on-reproducibility-1.19970

しろ追試をちゃんとやって、どれが再現できるか否かをふるいにかけ、学問を発展させようとする態度こそが科学的だと私は思います

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