信頼している人がいた。
尊敬もしていた。
才能も当然あっただろうけれど、それ以上に努力家を絵に描いたような人だった。
自分に厳しい人で、その分だけ他人に向ける期待も大きかった。到底応えららないと思った。
認められたかったと思う。そのための努力もしたと思う。ただ、終ぞそれは叶うことはなかった。
ある区切りがついて環境から解放された。終わった瞬間はたまらなく嬉しかった。笑ってしまうほど、嬉しかった。その人は、私の笑顔を達成感の類によるものだと思ったらしいが、そんな高尚なものじゃなかった。寧ろ真逆だ。何も成し遂げられていない。安地への逃避が嬉しくて、堪らなかった。
ぽっきりと心が折れたまま1年以上過ごしていた。
詳細は伏せるが、達成感とはかくあるか、というものを最近になって味わった。他でもないその人と共有をして。終わった瞬間に目があって、初めてこれでよかったのだと思った。
このために今までのことはあった、だとか。これで私はこれまでを許すことができる、だとか。それから、これで許される、とも思った。
それがあった後、その人と話す機会があった。
私は多分感謝を伝えたくて、同じくらい謝りたくて、前後の文脈もなにもあったもんじゃなかったが話をした。
感情が馬鹿になって泣けてきてしょうがなかったが、向こうもすこしは泣いてくれていた、ように思う。
「お互い思うところはあるだろうけれど」
そう言っていた。
思うところがあるのは自分だけじゃなかった。当たり前だろう。最後はともあれ、至らない状態のまま過ごした時間があったことは変わらない。腹が立ったり苛立ったりもしていたかもしれない。
しばらく忘れていたが、その人のことを尊敬しているし信頼しているし端的に言って人としてとても好きだったのだ。そういえば。
感情というものは面倒くさく、認識すると途端に膨れ上がるらしい。
普通でいるには少しだけ大きすぎた。目を背けていたが、直視するとプラスの面も、マイナスの面も馬鹿みたいにでかい。
どのくらい大きいかというと部屋で1人で「これが巨大感情か」などと呟いてしまうほどである。このままいるとひっくり返ってとんだ事故を起こしてしまいかねないな、とも思った。
そんな訳でこんなところに投稿してみた。