はてなキーワード: 劇場とは
舞台を見に行ったら、出演者やスタッフや観客の新型コロナウイルス感染が次々と報道され、「クラスター」という言葉こそ公式には使われていないものの、今日はついに主催から「保健所から当社に対して(略)全ご観覧者様が濃厚接触者に指定されたとの連絡がございました」とホームページ上で告知があった。
めずらしい経験をしているので、「このご時世にイケメンめあてで新宿へ行ったバカ」と言われる私が、何を考えていたかをまとまった文章にしようと思う。
といったことは書いていません。
まず、私には推しがいる。てか推しがいなきゃ「『THE★JINRO』イケメン人狼アイドルは誰だ!!」なんてタイトルの興行に行くわけがない。
推しが今回(6~7月)の公演に出ると決まって、「うわひどいタイトル」と「うれしいうれしいうれしい推しが生で見られる」を同時に思った。
エンタメ業界は2月から既に公演を自粛していて、この公演も1度延期をしていた。推しが出るはずだった他の公演も、演劇だろうとライブだろうと接触イベントだろうと、次々に中止・延期になった。だから久々に推しを見られることがうれしかった。
時勢を鑑みて観劇するかどうか熟慮する、ことはなかった。
推しの出演作に行かなかったことはないから、今回も当然行く一択だった。
友人の結婚式を欠席して推しに会いに行ったときや、社員旅行を蹴って推しに会いに行ったときに比べれば、どうってことなかった。
タイトルがひどいことも、シリーズ作のYoutubeで見られるアーカイブがいまいちだと感じたことも、別によかった。私には、この公演がおもしろいかどうかより、この公演で推しが何分舞台に立っているかのほうが重要だった。
けれども私には恐いことがあった。
私は東京都内在住ではない。ものすごい山奥に住んでいるわけでもないけど、まあ普通に田舎である。
少し前に、東京滞在から帰って来て陽性が確認された人がいた。そのときの炎上っぷりといったらなかった。
氏名、住所、出身校、職場、家族の職場、恋人の職場、すべてが筒抜けだった。私の周りでも「見せしめ」という言葉が「プライバシーの侵害」」よりはるかに多く飛び交った。
あまりの人権侵害に知事が会見で注意を促したら、「犯罪者をかばうな」と電話が鳴りやまなかったらしい。犯罪?刑法何条?
あの人が今どうしているか知らないけど、自分がああなったら社会の一員を続けられる自信がない。家族、親戚に申し訳ない。結婚、友人、近所付き合いといった人間関係を構築・維持できない。
あと、新型コロナウイルスのことがなくても「『THE★JINRO』イケメン人狼アイドルは誰だ!!」なんてタイトルの公演に行ったと、他人に言えるわけがない。
なので、「『THE★JINRO』イケメン人狼アイドルは誰だ!!」のために東京へ行く前に、もしも感染した場合のシュミレーションをした。現在の状況を考えたら違和感ないかもしれないけど、まだ何も起きてないときにそれを考えていたなんて、ちょっとおかしい。
私は持病がない。体力もある。感染しても重症化しない気がした。また、私の体調に逐一気を配っているような人がいない。少し具合が悪くなっても、家にこもっていれば誰にも気づかれず、そして誰にもうつさず過ごせると思った。私の意思に反して保健所に連絡を取られてしまう可能性は低い。「推しを見る」と「感染してもバレない」を両立できると思った。
シュミレーションというより夢想だが、もし軽症で済まなかった場合も家にこもって力尽きるしかないなあ、死亡者の検査はしないって聞いた気がするし、その場合もバレないだろう、と考えはした。
人様、世間様の迷惑を考えていないじゃないか、と自分でも思う。感染拡大させないことだけを念頭に行動すべきじゃないかと。けれど、全知全能でない私は、毎日様々なことに優先順位をつける。優先順位は、順位である。下になったものが私にとってどうでもよかったわけではない。大切なものどうしにも順位をつけなきゃならない。ごめんなさい。
新型コロナウイルス感染が広まってから「命は何より大事」という言葉をたくさん聞いた。
私には命より大事なものがある。というか、命は生きるための装置であってそれ以上ではないと思う。
私にとって生きるとは、推しを見て、解釈して、覚えることである。
何をしているときが一番幸せですか?という質問に、食べるとき、寝るとき、と答える人が日本には多いらしい。私は推しのことを見ているときが幸せ。それが生きるということだし、つまりここ4、5か月は生きていなかった。
ちなみに、今回の公演が上演と同時にネット配信をしていたら、私は劇場に行かなかっただろうか。
考えてみたけど、それでも行ったと思う。ただそれは、現在の配信技術の解像度の問題だ。つまり、推しのことがどこまで細かく見えるかということと、他の人はいいから推しばっかり見られるかということ。そこが要求を満たしていればネット配信でもよかったが、実現するのは何年後だろう。
公演は予想に反しておもしろかった。
推しは素敵だった。素敵でも今回のようなことがあれば決まってた仕事も流れる。
「イケメン人狼アイドル」とは、必ずしも出演者が普段アイドル活動をしているので付けられたタイトルではなく、役柄が「晴れの舞台前にメンバーに裏切り者(人狼)が混ざっていることが判明したアイドルグループ」だからである。このアイドルグループの持ち歌が公演で披露されたが、耳なじみがよく良い曲だと思った。オタクの耳ではあるが。
公演後は普通の疲労感があったが、発熱はなく、咳も味覚・嗅覚異常もなかった。ちょうど用事がなかったので一週間ほど引きこもっていた。その後も体調不良はなく、不要不急の外出を控え、新しい生活様式を守りながら一市民として生活している。今日は主催から、冒頭の「全員濃厚接触者」の告知があった。
※この話は一応現実のものとして書いてありますが一部えっそれガチで言ってるの?と思われそうな箇所が多々あります。
※長いですし文章も下手なので読みにくいと思います。記憶もおぼろげな部分もあります。ご了承ください。
※いじめやストーカーなど胸糞悪い話ばかりで救いがあまりないですがそれでも大丈夫という方はどうぞ
登場人物紹介
私:かれこれ十数年以上オタクやってる同人女。二次元から三次元までいろいろ手を出してる。BLでもなんでも好き。かわいくはない。
友人S子:高校の友人そのいち。かわいい。鹿の間ちゃんに似てる。
友人Y?:M美の友人。一応友人(?)
職場の女M:年上そのに。
高校の友達二人S子Mと地元の遊園地で行われる合コンに行ったことだ。
その日は何故か深夜までカラオケで遊び、後日また会うことになった。
このときイケメンに舞い上がっていた私はあろうことかそのイケメンにアプローチ(?)をかけようとする。が、拒絶される。(当たり前)
拒絶された理由はS子だ。S子はいつの間にかイケメンと付き合う流れになっていたのだ。何故言ってくれなかったのか。そう思った私は思い立ってS子含め五人全員をLINEブロックすることにした。
(余談だが五人をブロックする直前、私は職場でパワハラにあっており、そのパワハラ同僚の特徴が自己愛性人格障害とピッタリ合った。それで五人のグループLINEで自己愛みたいな人に気を付けるんだよと最後にLINEし、そのあとすぐブロックをした。これがあとになってヤバいことになる原因とはいざ知らず……)
ブロックをした次の日、めまいが酷く立ち上がれなかった私はその後メニエール病と診断されることとなる。(余談)
めまいが30秒から1分おきにやってくる症状のせいでまっすぐに歩けなくなった私はそれでも外出し、本屋に通ったりしていた。
その頃だろうか。周りで変な輩が出没するようになったのは。
ある日映画をレンタルしようと本屋をうろついていると、前の方からにやにやしながら私の歩き方を真似してくる男がいた。すぐに不審者がいるなあと思った私は無視をした。男はいつの間にかいなくなっていた。
その後、勢いでブロックしたことを反省した私は(友人も少なかったこともあり)再び五人と連絡を取り合うことにした。まずはと友人Yに連絡をし、映画を見に行くことなった。映画を見終わった後、私のインスタのアカウントが何故かS子とMにフォローされており(二人のアカウントは非公開になっていた)何だか気味が悪かった私は友人Yにそのことを言うと友人Yはそう?と笑って流すだけだった。(周りでは右のテーブルも左ものテーブルも私たちの話題を出しており、少し怖くなった。が、偶然聞いていただけだろうと流した)そのあと、連絡をもう一度取り合いたいという話をした。
その頃、新しく入った職場にYという男がいた。Yは何故か私に謎のアプローチをしてきており、それをなんとなく気づかないふりをしていた。
新しい職場に慣れたおかげかどういうわけかめまいから復活していた私はあちこち出かけていた。その一つにリサイクルショップがある。そこへらんま1/2がないか探しにきたついでにBL本もちらっと見たときだ。男二人組がにやにやしながら私が見ていた本棚を見て何か喋っているのを見かけたときは。そのときは珍しいけど腐男子かな?とスルーしたのだけれど、その後移動した私はその二人組がついて来ていることに気付いた。気のせいだろうと何度か立ち止まったりあちこち移動したがまだついて来ている。気味悪く思った私はとりあえずお目当ての商品も見つからなかったことだしと帰ることにした。そのあとすぐに友人MにそのことをLINEすると気のせいじゃない?(笑)と返ってきた。
と、ここまでは気のせい程度に感じなかった出来事がここからだんだんとえ?おかしくない?どゆこと?になってしまう。
ある日私はS子と県外へ遊びに来ていた。昼食時、喋っていると「かわいい」と連呼する女の子二人組がいた。ちらっと見るとこっちを見ていたので多分S子を見て言ったのだろうと思いスルーした。
その頃私は合コンに一人で行こうと急に思い立ち、何度か通っていた。仕事にいらだっていた私は眼鏡の男に酷く当たってしまう。男と行った公園で道行く人に何故か、「かわいい」と連呼される。そしてもう彼女だと勘違いしていた男をフッて、そして最後に行った合コンで私はやっぱり何かがおかしいなと強く感じるようになっていた。急に知らない男にお疲れ様ですと言われる。このときに何回言われたかわからないくらい言われ、なんだこいつらとビビる。その日の帰り、駐車場の近くを歩いていると、にやけた顔の男二人に「あ、あいつじゃね?」と言われ何故か頭をペコリと下げられた。まあどうでもいいかとこちらも頭を下げて流していたが段々と流し切れなくなっていた。
あと映画見に行ったら途中で泣いてたのを見られ(真っ暗の中をポロっと泣いただけ)女二人組にあいつ泣いてたよ(笑)と罵られた。映画中人の顔見てたのか?と帰ってからちょっと怖くなる。
職場の話に戻る。職場の同僚Yが謎のアプローチをかけてきていたという話だったが、ついにその話に乗ってしまう(?)LINEで話を聞いてみたのだ。よくわからんけどどこか行こうか?的な話を持ち掛けたのだと思う。そうすると彼は何故か私を突っぱねて何それ?お前なんか知るか。確かそんな感じで話は終わってしまう。何故か?頭がはてなになった私は次の日ちょっと不機嫌気味に彼に接した。すると彼はその日から逆アプローチをしてくることになった。私のミスをいちいち指摘したり電話を何度もかけてきては出ないということを繰り返したのだ。いままでの態度と打って変わった彼を私はこいつは自己愛性人格障害と決めつけ、職場の一人の女性Yにこいつは自己愛性人格障害だから~とLINEで言いふらした。彼女は何それ(笑)と軽く流した。その頃、疲れた私は友人Mと映画に行き、焼き肉店で職場のYとMがヤバいという話を冗談交じりで話した。そのあとじゃあね、と友人Mに意味深に笑われた。その次の日から何故かMからのいじめもはじまった。職場の男Yが私が通うジムに同じく通いはじめたらしく、もうストーカーだよと職場の女Yが言っていた。Yも何故かどんどんおかしくなり、職場で妙な笑い声を出したり、Mと一緒に私でない他の人の悪口まで言い出していた。Mは真冬に冷房をつけてくしゃみをしていた。その後もMやYによる私の荒探しは続き、ついに仕事終わりのジムで私の仕事のミス(に見せかけてそうでもない話)の話の最後にもうやめれば?と書いてあるのを見た私はなんだかめんどくさくなり仕事を辞めることにした。
辞めたすぐあとに映画へ行こうと車のエンジンをつけたらすぐ近くの高架下でエンジン音が鳴り響いて真っ暗な中からライトつけた車が後ろに来てビビり散らしながらいつもとは別の道で映画館のレイトショーに行くと、男二人と謎の臭い男がいた。(謎の臭い男はYと後に判明する)男たちはあいつ喪女なんだよ~的なことを言ってこっちをちらっと見て無視かよと言い、いつもの祈るポーズ(よくやっちゃう)をしてたらあいつ祈ってるの?と笑われた。帰り際「県中に噂ばら撒いてやる~ぶっ殺す?」的なことをサラッと言われる。
その後、東京で行われる好きなアーティストのライブに行きたかった私は短期派遣に行くことにした。それが地獄を見ることになる原因になるのも知らずに……。
その日短期派遣の職場に行った私は、そこで会う人が会う人が最後の合コンで会った人が多いなと思っていた。もちろんそれ以外にもいるのだけれど結構大きな職場だったのでまあそういうこともあるかと流していた。
初日から私の椅子の近くであれがだめだこれがだめだと私の悪口を喋り続けていた。それが前の職場Y、Mの小言そっくりなのだ。真夏に暖房つけるところもそっくりで知り合いでもいるのかと疑った。
その後いじめはエスカレートしていき、ついに私のロッカー(その頃気が狂いだしていた私はロッカーの鍵を何故か二回回していた)の中のスマホの中身を見られたのだ。スマホは不幸にも鍵がかかっておらず、LINEやR指定の三次元小説などを全部見たらしい。「全部見たよ~あははは~~」みたいなことを言っていた。そのあとも精神のバランスは崩れ、めまいが再発していたのだがそれでも意地で通い続けようとした。あとはいろいろあったので箇条書きにしておく。
・辞める電話をかけようとエントランス近くをうろついてたらどこいったあいつ?あっいたー!と大声で叫ばれた。猿かお前は。
・猿女が携帯持ち込み禁止の職場に携帯を持ち込んで犬の音声を流し、コタロウコタロウ、と犬の名前を?連呼していた。何事かと思ったがその次の日に親戚の可愛がっていた犬(名前はコタロウ)が謎の失踪を遂げた。
・椅子を汚いのに交換される。
・マウスを触ったら汚いと言われ無言で同僚にマウス交換される。
・映画のタイトル名を出され、よっぽど好きなんだねと言われる。(劇場内は三人しかいなかったがそういえば一人こっちを見て笑う変な女がいた)
・辞めようとしてジムに行くと猿女が自慢げにこの人を職場でいじめてるんだ!みたいなことを言っていた。
・ホームセンターへ行くとまた職場の人が偶然通りかかってお疲れ様です(笑)と言いながら去っていった
・ペットショップに行ったら男女二人組が犬の前でずっとわざとらしい笑い声をあげていて通りかかるとこっちを真顔で見てきてまた笑い声を出してた
・休む連絡を入れるときに事務職の人から謝った方がいいよと諭される。
ついでにまともだと思ってた二人から電話越しに笑い声を上げられお疲れ様です(笑)みたいな感じで電話を切られる。
・食堂からどんどん人がいなくなる(いじめる奴か面白がってる人?しか残らなくなる)
・あまりにも辛いのでつい気が狂って音楽聞きながらご飯食べてたら何聞いてるのって後ろでうろうろ何往復も歩かれた。
・トイレの放尿音を録音される。(まともな人が電話越しに報告?してくれた)
・同じ仕事をしている同僚の一人には仕事を早くする方法を教え私には教えなかった。
などなど色々あったが仕事は辞めることにし、病院に行くことにした。
・病院一個目に行ったら近所のおばさんらしき人が私を見てにやにやしながら何事かを言ってた(何も悪くないのに病院に来てたらしく看護師さんに追い返されてた)
・病院二個目で問診票を書いている間、周りにいた人に音読され、一緒に来ていた姉と母に問診票を見えないように隠された。
・めちゃくちゃ睨んでくる作業着の男の人がいた。無視してたらフンって風に去っていった。
・ベビーカーを引いた女の人がおばさまと待合室で喋りだしたが受付に行く気配がなかった
・同時期に短期派遣に入ったまともな人がこの惨状を見てエレベーターのボタンを連打して逃げて行った。そのあと姿を一回も見てない
・猿女がポテトヘッド(笑)と馬鹿にしてきた(私の部屋にはポテトヘッドがいる)
・しなくていい残業をさせ、一回でも仕事の確認を忘れようものなら終わった…と言いいちいち監視をしてくる(?)
ライブに行く前に、急に京都へ祖父の納骨を私父祖母の三人で行くことになった。
偶然繁忙期なのに一人ずつ部屋が空いているホテルがあり、そこへ泊ることになった。
久しぶりに旅行が出来ると浮かれていた私は後にテンションがだだ下がりすることとなる。
つづく。
「血界戦線」という作品がある。内藤泰弘先生の描くSF伝奇アクション漫画だ。
2008年にパイロット版が「ジャンプスクエア」に掲載され、翌2009年の短期集中連載を経た更に翌年にはジャンプスクエアの姉妹誌「ジャンプSQ.19」で連載が始まった。2015年にはアニメ化され、人気を博した事は記憶に新しい。
古から生き続ける吸血鬼「血界の種族(ブラッドブリード)」と吸血鬼を追いかけるハンターの組織「牙狩り」の戦いを「何も考えないで見て楽しめる」というコンセプトで描かれた内藤先生曰く「技名を叫んでから殴る漫画」だ。
2008年頃、僕はOVA作品もリリースされていた吸血鬼アクション漫画「ヘルシング」の影響で吸血鬼物に目が無く、この血界戦線にもいっぺんに惚れてしまった。しかも内藤先生といえばあのヘルシングも連載している雑誌「ヤングキングアワーズ」で名作と名高いガンアクション漫画「トライガン」を描かれた人でもあるじゃないか!僕は血界戦線を初めて読んだ時トライガンにまだ触れた事が無かったので、即刻読み始めた。おお…こちらも面白い!内容はとても重い!
やはり読者からの人気も高かったらしく、翌年に短期集中連載としてまたSQにやってきた!この予告イラストのキャラはどっちも読み切りには居なかったが誰だ!?浅黒い男の方は如何にも悪役っぽいな!と非常にワクワクしていた。
読み切り版は「クラウス・ラインヘルツ」という強面の紳士が主人公だったが、短期連載版では平凡そうな少年「レオナルド・ウォッチ」を主人公に、異界と現世が交わる街「ヘルサレムズ・ロット」を舞台に物語は進行する。
今回は吸血鬼も直接登場せず、どちらかというと異界と現世が交わる都市で世界の均衡を保つため暗躍する秘密結社「ライブラ」の戦いと、ライブラの戦いに巻き込まれたレオ君の成長物語がメインな感じだったかな。吸血鬼と目される人物は居たしクラウスさんも登場したので読み切り版から世界観は繋がっているんだろうけど…ところでこの日記を書くためにパイロット版を読み返したら、設定的に本編とはパラレルの関係らしい事に12年経って初めて気付いた…。
その後、翌年新たに創刊されたSQの姉妹誌で定期連載が開始され、キッチリと年2冊のペースで単行本も刊行された。僕は掲載誌を購読するほど熱心では無かったが、単行本は新刊が出ればすぐ買うくらいには好きな作品だった。
僕は血界戦線を「吸血鬼と吸血鬼ハンターの戦いが中心の作品」だと読み切りから思っていたので、連載版だと敵役の吸血鬼が2冊に1話くらいの頻度でしか出て来ないのは正直物足りないとも思っていたけど、ヘルサレムズ・ロットで繰り広げられる世界の命運を賭けた戦いや日常話は吸血鬼が絡まなくても大変面白い物だったので「これはこれで全然有り!」と楽しんでいた。定期的に出て来ては牙狩りと死闘を繰り広げるからタイトル詐欺じゃない!多分…。
そんな訳でこの作品と6年ほど付き合った頃、アニメ化決定の報が耳に入った。SQ作品は連載1~2年でアニメ化が決定する事も多かったので、やっとか~という思いが強かった。ようやくアニメ化の機会が回ってきた!と嬉しくもあった。そして2015年、とうとうアニメが放送された。事前に発表されていたキャスティングもアニメに疎い僕でも聞いた事のある豪華な声優さんばかりで、これは本気で作っていそうだぞ!と伝わってきた。何と宮本充さんがレギュラーですよ!
このアニメ化は大成功で、血界戦線は大人気作品になった。「技名を叫んでから殴る漫画」のアニメ化としては本当にこれ以上無い出来だったと思う。あの技の名前がドォン!と出てくる演出は非常にカッコいい!このOPバンプっぽいな…と思ったら本当にバンプだったり、キャラクター達が「シュガーソングとビターステップ」に合わせて賑やかに踊るあのEDは大量のパロディを生んだ。「アニメは見た事が無いけどEDは知っている」という人も沢山居るんじゃないかなと思う。
一説によるとアニメ化で原作の売上は10倍以上に跳ね上がったと耳にした事があるし、そうだとしても全く驚かないくらいあのアニメ化は良かった。アニメオリジナルのキャラクターにブラックとホワイトという双子の兄妹が居るのだけど、アニメから血界戦線を好きになった人がその二人が原作には居ない事を知るとほぼ間違いなく驚くそうな。それほど違和感なく「血界戦線」の世界観に馴染んだアニメオリジナルキャラであり、「血界戦線」への理解度の高いアニメ化だった。
アニメ血界戦線が終了してから2年後、今度は二期が放送された。こちらも一期と同じく評判が良く、原作の最終回までアニメ化された。原作は現在セカンドシーズンにあたる「血界戦線 Back 2 Back」が連載中で、ファンはこちらがアニメ化される事も待ち望んでいる。また、血界戦線はアニメの一期と二期に合わせて小説版も発売された。作者は何とあの「魔術士オーフェンはぐれ旅」の秋田禎信先生!「トライガン」の内藤泰弘先生と、「オーフェン」の秋田禎信先生のコラボレーションという一体どこに接点があったのか分からないけどとにかく名前を聞いただけで凄いと分かる作品だ!こちらの作品もキャラクターへの理解度が非常に深く、原作ファンからは高い評価を得ているそうな。読みたいな。
そういう訳でアニメ化以降「血界戦線」は人気が爆発し、作品にとってもファンにとっても嬉しい事が続いた。アニメ終了後に発売された公式ファンブックにはパイロット版も収録され、以前から読みたかった原作ファンにも有り難かった。
恵みの雨ならぬ恵みのアニメと呼ぶに相応しい喜ばしい出来事だったけど…ここからが本題で、僕はこのアニメ化以降どうも自分の中の「血界戦線」への熱が冷めたような気がしている。嫌いになった、という訳では無くて…熱が冷めた。
実を言うと僕はアニメ化前まで血界戦線について誰かと意見を交換出来た事がなく、自分以外に好きな人を見かけた事もあまり無かった。積極的に探そうとしていた訳では無かったし、間違いなく人気は高かったので偶然だとも思う。
自分一人だけの解釈を作品を楽しんでいて、他の人がどう思っているのかはさっぱり知らなかった。僕は今でも漫画やアニメの感想を他の人と交換する事はあまり無いし、意見が合わないとつらくなるのでそれでも良いかな…と思ってる。
2015年にアニメ化された時、沢山の人が血界戦線について語っていた。アニメから見始めたという人も沢山居たし、僕がこれまであまり目にする事も無かった原作が好きな人達も沢山見かけた。トライガンは好きだけど内藤先生が新作が連載していた事を知らずに驚いていた人達も居た。いつの間にか新作が連載されていて自分はそれを知らない事って本当に良くありますね…ジャンプSQ.19って影が薄めな季刊誌だったもんなあ…SQが濃いかは置いといて…。
様々な意見があった。「面白い」「原作をよく纏めた」という声があれば「改変が駄目だ」「カットしすぎだ」という声もあった。僕は「原作3話分の話をよく1話に纏めたね!必殺技の演出も最高にカッコ良かった!でもかなりカットされてたね…あのアニオリ必要だったかな?」とどっち付かずな感じだった。まだ1話だしそれで良いと思っていたけど、良いか悪いか白黒を付けたい人は結構居るみたいだった。原作を好きな人同士が解釈で喧嘩しているのを見るのはつらかった。
2話も3話も同じように賛否両論で原作ファンは喧嘩していた。僕も1話と同じように「ここは好きだな」と思う所もあれば「ここは合わないな」と思う所もあった。そう思った所が賛側とも否側とも違ったので、両方に怒られた気がする。
これは作品の良し悪しじゃなくて僕の好みの関係だけど、原作の血界戦線はレオ君が主人公の話とクラウスさんが主人公の話が交互にある印象だったけど、アニメではレオ君が主人公として再構成されていた記憶がある。これは尺の都合でどうしてもクラウスさんが主役の話を何話かカットせざるを得なくて、それならレオ君を主役として描いた方が綺麗に纏まるし話も見やすいだろうという考えがあったのかもしれない。実際アニメはレオ君主役の話として見やすかった。
アニオリキャラクターのブラック・ホワイト兄妹がレオ君と絡みがあったのも理由の一つで、特に妹のホワイトちゃんはレオ君ととても親しくなり友達以上の関係として描かれていた。レオ君は原作だと女性キャラとの絡みも比較的少なく、ライブラで働く同僚の「チェイン・皇さん」と「K・Kさん」という二人のお姉さんを除くと、他は父親と一緒に飲食店を経営する「ビビアンさん」くらいしか異性と接点が無くもし脈があるとすればこの人かなあ…と勝手に思っていた。特に恋愛描写は無いけど。そういう訳でアニメでホワイトちゃんとレオ君の仲が急速に縮まっていくのを見て「ああ~…そっちかあ~…」と何とも言えない気持ちになっていた。そっちも何も原作だとレオ君は特に誰かと恋愛する描写は無いというのに。
ちなみにこのビビアンさんというキャラクターをトライガンの登場人物で例えると、トライガン・マキシマムの1・2話に登場したリィズという女の子くらいの立ち位置じゃないかな?と僕は思っている。うん、影薄いな!でも何か似てる気がする!
血界戦線はアニメ化されて以降どのキャラクター同士がくっ付くとお似合いか?という話題もよく目にするようになった。女性のレギュラーキャラが2名で男性キャラクターが多めな作品なので、男性キャラクターが好きな人達にも受けた。
まあ今なら何故そういう話題が受けたかも分かるけどね!ライブラ男性陣の声優さんが阪口さん、小山さん、中井さん、宮本さん、緑川さんで皆良い男だもんね!当時はよく分からなかったけど人気が出たのも理解は出来るよ!
作品自体に好きな所と合わない所がある、毎回放送される度に作品についてファン同士が喧嘩している、よく分からないネタで盛り上がっている人達も居る、と幾つか要因が重なってその時僕は疲れていた。これならもう他人の意見は見なくても良いかな…とも思っていたけど、アニメ血界戦線は原作ファンは賛否で揉めながらも、前述した通り良い作品だったのでとても人気が高く盛り上がっていた。なので無理に避けようと意識しなければ目の入る状況だったと思う。
そこで「11話は原作にない完全アニメオリジナルエピソード」と「最終話の放送延期」という二つの出来事があった。とても人気が高く盛り上がっていただけに、そういう事もあったからか一時アニメ血界戦線の話題はとても荒れてしまった。
それと関係あるかは分からないけど、僕はアニメ放送開始と数日違いで発売された原作の最終巻を読んで「とても綺麗に終わったな…」と思っていた。7年付き合った作品の最終話がこれで良かった!と思える素晴らしい出来だった。
僕はアニメを11話まで見て「これは原作とは少し違うけどこれはこれで一つの作品になっている」と思っていたし、しばらく経ってから放送された最終回もアニメがオリジナルで描いてきたストーリーを締めるに相応しい纏まった内容だった。
その時から僕の中では「血界戦線は綺麗に完結した作品」という認識になったのか、あまり作品への強い熱量を感じなくなっていた。半年の間に漫画とアニメでそれぞれ別の良い最終回を見たのでまあそうなるかな…と今では思える。
2017年に放送された二期も全話見たしクラウスさんに仕える執事「ギルベルトさん」が車で大暴れする回などアニメで是非見て見たかったし、実際にアニメで大暴れした回は「スッゲー!内藤泰弘作品のアクションってここまで原作再現してアニメ化出来るんだ!スッゲーー!!」と滅茶苦茶感動してしまった!本当にあの回を見られただけで天にも昇る気持ちだったし、二期で原作の最終巻まで原作エピソードをやりきってくれたお陰でとてもスッキリした気分になれた。
こうやって自分の思った事や感じた事を纏めて文章にすると、僕は「他の人の感想に慣れなくて驚いてしまった」のが理由ではなく、「作品の完結」を二度経験した事で一旦作品に関して満足したのが熱が冷めた原因だと思えてくる。
何度も言うようにアニメは良い作品なのでアニメのお陰で原作の面白さはとても広まったし、アニメを見て「血界戦線って面白い!」と思った人はそのまま原作を読んでもきっと違和感なく楽しめる。あんなに良いアニメ化も珍しいと思う。
今後何かの切っ掛けがあれば自分の中の作品への熱が再燃しそうな気がするし、その時は続編のB2Bや秋田先生の小説版も読めそうな気がする。それにしても…12年って、過ぎてみると結構あっと言う間だという感じもしますね。
【追記】
ちなみに血界戦線ファンの間では今でも「アニメの一期はどうだったか」という話題が時々挙がる事はある
僕の中では「原作とは少し違うけどアニメはアニメ単品でも良い作品だったし、漫画原作のアニメ化作品としてもとても出来がいい作品」だったという事で一旦落ち着いている。
なので、他の人がアニメと原作のどっちの方が良いとか話をしていると「もうそういう話は一切目に入れたくないな…」と強く感じる。作品を取り巻く空気の影響で好きな作品から離れてしまうってこういう事なんだろうか、と思った。
【追記2】
僕は内藤泰弘先生とその作品に関しては新規のファンだと自覚している
けれど血界戦線に関してだけは自分は最初から応援していたとそこは堂々と言える
アニメ化以降何か熱が冷めたのは大人気作品になって爆発的にファンが増えた事で「自分はこの作品のファンなんだ」と言いづらくなった事もあるのかもしれない。自分は大勢の内の一人である事に気付いたというか
同じ事は「機動戦士ガンダム閃光のハサウェイ」が劇場公開された後にも起こりそうな気がする…自分は作品の無数のファンの一人なんだとアニメ化するとどうしても強く意識しちゃうのかな…今の僕には理解出来るよ。
【追記3】
こんなにも書きたい事があるなんて自分でも驚いてしまった。やっぱり僕はこの作品が好きなんだろうな。
アニメ版血界戦線は原作と少し男性キャラの描かれ方が違うような気がしていた。原作だと情けない姿も見せるキャラのカッコいい所を強調して映しているような。尺の関係もあるので、それは仕方ないと思う。ただ、主人公でもあるレオナルド君が僕とアニメでは大分解釈が違った。彼はアニメのEDで最後に目を見開きながら笑うのだが、僕の中ではレオ君はそういう事をしないような印象があった。彼の目は妹の視力と引き換えに得た物なので、レオ君はその事をずっと引き摺っていた。原作でも目を開けながら笑うシーンはあまり無かった…と思う。そんな事を言っても作品を否定する側の人間だと肯定する側の人間に思われるだろうから言えなかったし、僕は賛否両論のどっちつかずで居たかった。
作品が綺麗に終わったのが間違いなく大きいけど、やっぱりファン同士の論争があまりに激しくて疲れていた…というのが僕が血界戦線という作品から離れた大きな要因だったのかもしれない…と結論なのかも。
新型コロナウイルスの感染拡大・第二波到来が連日叫ばれる中、私は友人と2名で旅行の計画を立てた。
大体の人がこの一文を読んだら、「とりあえず新型コロナ以外で、入院しない程度の病気か怪我で動けなくなってくれ」と思うだろうし、私も旅行を提案した友人に対して、最初は同じことを思った。
しかし、しばらくして、考えが変わった。
劇場の興行が再開され、都会ではアートを盗むイベントに人混みができているのに、私が移動をしていけない理由はなんだ。
都会では毎日満員電車が動いているのに、関東の片田舎で車通勤をして事務所の奥でパソコンを触り続けて誰とも接触しないような私が引きこもらなくてはならない理由はなんだ。
引きこもるべきは、毎日不特定多数と接触をする都会の人間じゃないのか?
ワクチンができるまで?いつだよ。
死ぬかもしれないんだよ?私が死ぬなら別にいいよ。マスクしっかりつけて、エチケット気をつけてうつさないようにするね。
そう思ったら、私は友人に「行く!」と、返事をした。
・絶対にSNSに写真を載せない。旅行を匂わせる書き込みもしない。
2人で、それだけは約束した。
そして2人でGo to キャンペーンの対象になるようなツアーや宿泊プランを探した。
目的の日程は、既に予約で埋まっていた。
いやアイマスMR ((横浜DMM VR THEATERで開催されていた 「THE IDOLM@STER MR ST@GE!! MUSIC GROOVE」のこと)) 自体は1stの真回見てたんですよ。
チケット余ってるな~765AS大丈夫か(笑)と思ってたら初回見たP達の口コミが凄くて、なんかヤバい気配を感じて片道5時間運転して行って、
正味1時間見てすぐそのままトンボ返りしたけど高いチケ代に見合う価値は十分にあった、むしろもう一度真に会いたい…と思うぐらいにはMRに感情を揺さぶられていたので、
アイマスMRの凄さは十分に分かっているつもりだったんですね。
ただMRってあのクッソ狭いDMM THEATER((DMM THEATER 狭い狭い言ってるけどすごく良い箱でした))に純度高いPが密集しているからこそ成り立つ空間だとも思ってたんですよ。
星野源がアイマスを『皆で嘘を作っていくうちに嘘が嘘じゃなくなっていく感じがすごい好き』って表現してくれてたけどもまさにそれで、
アイマスは宗教と良く言われるが本当にその代名詞に見合うだけの揺さぶりと多幸感をくれるわけですよアイマス教は。
MR STAGEについて言えば、その場にいる全ての人間が765プロのアイドルは実在する/実在させたいと心から100%願ってその空間に向き合うからこそ、その場にアイドルを顕現させられるワケで。
こう書くと本当に神を降ろす宗教儀式めいて見えるが実際その通りなので仕方ない。知らない人間から見ればアイマスPは全員狂人なのだ。
だからSHOWROOMで美希の配信やるっていった時、コロナ禍でMR中止になって美希だけがMRの舞台に立てなかったのが悲しく本当に落胆してたので心底喜んだんだけど、
それと同じくらい不安だったのよね。DMM THEATERのようにクローズドな空間じゃないから万一失敗した時取り返しがつかないし、
なまじ全世界配信だからMRの時のように100%善意のPじゃないお客様(蔑称)も当然来るだろうし、MRの時みたいにあの狭い劇場の臨場感で脳がバグる地形バフも効かないだろうし、
しかもMRじゃない生配信って形態も初めてだし、MRの時でさえ試行錯誤してたのに本当に大丈夫だろうか…?と不安大で観ておりましたが、
いやーーー完全に杞憂でしたね。星井美希トレンド入りですよ。今2020年だぜ?これは過去?それとも未来??一体ここはどんな世界線??
生配信って体で進行してたけど、めっっっっちゃ美希がカメラ近いのな!!!あの距離感ヤバい。MRの時の同じ空間にいるっていう臨場感とはまた別物っていうか…。
画面越しなのに実在性を感じるのって何なんですかね…?大体画面越しっていうんだったらステラやミリシタの中にいて普通に動いてるんだけどさ…
いやそれが普通のキャラクターの在り方だってのは分かってるんだけど…。やっぱり違うんだよな。
ゲームの中で予め動きが決められている動き喋りをするあの子達を眺めるのと、今目の前でどう動くか何を話すかって身構えながら望むのと…。
こないだのMRとか今回のSR配信特有の、あの「生で」、今の同じ時間を「本当に」一緒に生きてるって感じ…。なんて言えば伝わるんだろう…。
アーカイブ配信するみたいだけどアーカイブでこの感じちゃんと伝わるのかな…?アーカイブ組の感想気になるな…。
アイマスに限らないけど、ディズニーでもジブリでもガンダムでもラブライブでも○○(あなたの好きなIPを入れて下さい)でもなんでもいいんだけど、
我々はこの世知辛い現実を生き抜くために、色んなフィクションのキャラクターに元気を貰ったりしてるじゃないですか。大仰な言い方をすれば『生きる力』みたいなものをさあ。
なんかそういうのを送り手側も分かってくれてるのが分かるような本気具合でそこが堪らなく嬉しいのよね。
普通だったらさ、当然我々もそれらのフィクションのキャラクターだって分かってるから、あくまで架空の話だと踏まえた上でキャラに対して愛したり思い入れたりするんだよね普通は。
でも今回のSHOWROOM配信を覗いてた人達って(自分も含めてだけど)765プロのアイドル達にガチで実在して欲しいって思っている人達ばっかりなんだろうなって思った。
これってかなり頭ヤバいんじゃなかろうか。例えばディズニーのミッキー、現実にいるって思う人いないじゃない?
…いや実際のディズニーファンはいるって信じてるんだろうか…?例えが悪かったかな…。
他の例えで言うなら大人になったのに未だにサンタクロース((グリーンランドの公式サンタクロースでは無いプレゼントを配る存在としてのサンタのこと))が実在すると思い込むのと同じくらいのヤバさ。
配信終了後の感想観たけどみんななんかの熱にアテられたみたいで感想がなんかフワフワしてるんだよな。星井美希は実在したみたいな、当たり前のことをさあ。
…当たり前じゃなくてフィクションだろって?いやでも美希居たしな…。さっきまでSHOWROOMで生配信してたし…。
ここまで書いて思ったけど、こんなにもリアルの実在性に拘泥するIPってなかなか無いよなーって。
冷静に考えればですよ、声優の人がキャラクターに声を吹き込むってのは分かってるわけでしょう。
例えば悟空の声だったら野沢雅子さん。美希の声だったら長谷川明子さんが声を当ててるってのは分かってるわけで。
大体、普段ラジオとかライブとかだとあくまで星井美希役の長谷川明子さんに感謝の手紙とかメールとか送ってるわけじゃん。
にも関わらず、今日は誰もアッキーのことに触れずに星井美希星井美希としか言ってない。なんかこういう時ばっかり都合の良いところに目を瞑る調子の良さあるよなwww
アイマスPのそういう頭キマってる所が私は好きですが、今回すごいと思ったのはそんなに熱心に見えないかつてのPとかアイマス離れた人もみんな一斉に星井美希星井美希って言ってんの何なんだろうな。
みんなで頭MADになってるとしか思えない。いやでもすごいことですよこれは。みんな自然と嘘を本当にしようとしてるんだもの。
なんかTwitter上でVTuberとの違い云々って流れてたけど、…VTuber詳しくないので断言できないけど、そもそも別の性質のものだし競合するものでは無いと思うんだよな。
VTuberの方々はもうそこに”実在”しているわけじゃん?VTuberとして。外側は可愛かったりイケメンだったり二次元のガワ被ってるけど、中身は個人としてあるわけでしょう。
モデルが粗かろうが流麗だろうが、そこに実在していることは変わらない訳で、実在証明する必要が無い。だっているんだもの。
アイマスのアイドルは架空なのよ。元々がゲームのキャラクターだから。あくまでフィクションなの。
だけどゲーム自体のすごく滑らかに動く3Dモデルとか、演者が身体張ってライブでキャラ降ろしたりとか、そもそもユーザーに勘違いさせるプロデューサーというロールプレイを強制したりとか、
本気で色々プロデューサーごっこしているうちに現実と虚構の区別が付かなくなってきた。
だからその実在性を証明するためにタートルトークだったりモーションキャプチャーだったり生アテレコだったりと、彼女たちを実在させるために出来ることは何でもする。
そのために色んな技術が注ぎ込まれてるけどあくまで架空のアイドルを実在させる目的のための手段であって。
どちらも同じ3Dモデルで声当てて動かすって同じ手段使ってるけど、それぞれの目的が違うよね。
VTuberはどんな活動をするかがコンテンツ。アイマスは実在することがコンテンツ。
だからアイマスの技術はVTuberには必須ではないし、VTuberのコンテンツ内でなんでもできる感はアイマスと相性が悪いだろうし。
似てるけど非なるものだし、バンナムが殴り込みみたいな書き方はちょっと違うんじゃないかなと思うんだけど…。
今回VTuberの方々が美希に言及しまくって言葉を無くしていたのは大変ありがたい…嬉しい…という思いでした。
中の人のことにも触れとくか。
なんか観てる最中はうわー美希が実際に動いてるって認識してるんだけど、ふとした瞬間にアッキーの気配を感じる時があってさ。
おにぎりの話してた時もみんな好きだよ~って当たり障りなく言ってたりして、美希だと結構ドキッとするような遠慮ない返ししそうな気がするんだけど、
アッキーの人柄の良さっていうか配慮ある控えめな感じが受け答えに出てたような気がしてさw
普段は演者が上がってるライブを観て、ステージ上にいるのは演者の人だって分かった上でその奥にキャラの気配を感じ取るわけじゃん。アイマスライブ知らない人には知らんと言われるだろうけどそうなのよ。
いつもとは主と従が逆になってるのがさ…。いつもはステージにいる実存の長谷川明子さんを通して星井美希を見てるのが、今回の配信だと画面の星井美希を見ててアッキーの気配を感じられるんですよ。
…ということは、やっぱり画面に映っていた星井美希は実在していた…?(頭が狂ってきた)
これはもう完全にアイマスオタクとしての感想だけどさ、最初はキャラ好きになって入って声優なんか知らんっていうスタンスでいるつもりでも、
段々とそのキャラに寄り添って大事に演じ続けてくれていることの感謝の念が演者の人達にも芽生えてくるのよ。
段々中の人への思い入れもキャラに追い付いてくるというかさ。もう中の人も大好きなワケですよ。
というか15年もキャラと一緒にいるって凄いことよな…。美希15歳なんだからキャラの実年齢と同じ時間が経ってるわけでしょ…恐ろしいな…。
これ今回配信があったのを受けて、他のアイマスアイドルも同じように見たい!っていう声がもう上がってて、そういう要望が出るのは分かるんだけど、
これって多分そんなに簡単にホイホイできる企画じゃないからな!!
いや普通の動画とか配信とかでも一般人が考えてる100倍くらいの労力が掛かってるのがあまり知られてないって言われてるけど、
多分これ普通の動画とか配信の労力のさらに100倍くらいのエネルギー注がれてるだろうなって…。
何というか、今回に限らずMRでもなんだけど、『頼む……!この幸せな時間が何事もなく無事に終わってくれ……!!』って思ってしまうのよね。
見ている側もハラハラしてしまって気が気じゃないんだよ。たった30分で作り手も受け手も消耗しまくる超ハイカロリー配信。何これ?
あの30分の配信のためにどれだけの技術的苦労と精神的負担が関係者に掛かってるかと思うと恐ろしいよね。
15年分の受け手の期待とかそういうの全部背負ってるわけじゃん。自分だけのものじゃないわけでさ。そういうものに正面から向き合って現実化するっていうのものすごいわけだよ…。
アイマス門外漢の人にも結構驚かれている感じがあるけど、そういう背景を何となく察知した上でこれ凄いなって評してる人が結構いるのが印象的だった。そうだよな…。
「Pじゃない自分がこれだけ凄いと思ってるんだから根っからのPの人達は死ぬんじゃないか」ってほんそれだから。実際ふわふわしてやることが手についてません。今日休みで良かったな。
ニコニコMAD見てた時の自分に『15年後に美希が配信するんだぞお前』って言っても『へーすごいね』って言われて終わりだろうなと思う。
そもそも当時10年もアイマス続くと思ってないしな。あの時はニコ生すら無かったし。
2007年頃に初めて無印(XBOX版の家庭用アイマス)のポリゴンモデルを見たとき本当にビックリしたし『この子達はマジで生きてる…』って思ったものだけど、
2020年に『美希が実在してる…』って同じようなこと考えされられるとは思わなかったわ。
いや同じようなこと言ってるんだけど13年前のそれとは意味合いが違うんだよ!?
つーか技術はめちゃくちゃ進歩してるっていうのに自分の語彙は全然進歩しねーな!!
なんか2月からのコロナ禍自粛と私生活のイベントが重なって色んなものに興味が持てなくなってたんだけど、
コロナ禍で中止になったイベントの代替的な配信でコロナ禍に立ち向かう元気を貰えた感じがして、もう本当美希ありがとうって感じ。
俺も実生活がんばるわ。
最近「異世界転生物」というジャンルがとても流行っているらしい
現実の世界で何らかの事故に巻き込まれて死んだ人間が、その時の知識を持ったまま異世界で生まれ変わり別人としての人生を送るお話、の事をそう言うんだと思っている
小説家になろうという小説投稿サイトでも非常に人気があるらしく、そこから書籍化や漫画化もされた「ナイツ&マジック」と「転生したらスライムだった件」という作品のアニメを僕は見た事があるし最後まで楽しませてもらった
「異世界転移物」というジャンルもあってこちらは別人として異世界で生まれ変わるのではなく現代人が異世界に召喚されるタイプの作品の事を指すのかな?
一昔前の作品だと「魔法騎士レイアース」なんかがそうだろうし最近だと「ドリフターズ」がそうかな。小説が原作の作品なら「Re:ゼロから始める異世界生活」はOVA作品が劇場で公開される程の大人気作だった。
ゲームをしている最中にそのゲームの設定と似た世界に呼び出されるタイプの作品もあって「オーバーロード」「異世界魔王と召喚少女の奴隷魔術」「デスマーチからはじまる異世界狂想曲」なんかがそうなんだと思う
大人気異世界コメディ「この素晴らしい世界に祝福を!」など主人公が現実で死んだ後に異世界で蘇生されてそのままの姿で暮らす転生と転移の中間のような作風の物もあるそうな
ここ5年ほど毎年のように何らかの異世界物がヒットしてこれから先もその人気は続くと思う。僕は近頃とても流行っているこの「異世界転生物」があまり好きではない。気になる作品は見るから嫌いでもないと思う。
異世界転移物はそこまで気にならないので、どちらかというと転生要素が気になっているのかもしれない。別人として生まれ変わったのに性格や記憶は前世の人生から地続きで、そこが異世界転生物の楽しみ所なんだろうとも思うけど。
異世界転生物の主人公は周囲の人間と比べて非常に高い能力を持っていたり優秀な頭脳があるので活躍する。同年代の人間と比べると子供の頃から非常に魅力的で、頼れる指導者として周囲に集まってきた人々を助ける。
それは良い。主人公だから活躍するのは自然な流れだと思う。ただ、その非常に優れた主人公達と戦う事になる敵役達には同情する。ナイツ&マジックに登場した侵略国家「ジャロウデク王国」は主人公の属する「フレメヴィーラ王国」に哀れなくらい一方的にボコボコにされてしまったし、転移物だけどオーバーロードで主人公アインズ様の率いる「ナザリック地下大墳墓」と敵対した現地の勢力は、一方的に蹂躙されあまりに悲惨な末路を迎える事が多く悲しくなる。
これは正確には異世界物というよりあまりに敵味方の強さに差がある事から生じる蹂躙の要素が僕は苦手なだけだと思う。主人公達の活躍が見たいとはファンなら誰もが思うだろう事だから、そこに突っ込むのは筋違いだとも分かる。
ここまで書いてから言うのも何だけど、僕は異世界物の事は嫌いではない。自分の好みではないので予め見ないようにする、という事が多いだけで「嫌い」だと強烈に思う所までは行かない。何だかんだで興味のある作品は見るし。
「小説家になろう」が原作のアニメや漫画だから、異世界に転生や転移した人が主役だから、という理由でその手の作品を反射的に攻撃する人達も居る。そういう人を見ると一昔に所謂美少女ゲームやライトノベルが「所詮エロゲ」「所詮ラノベ」と叩かれていた事を思い出す。最近めっきり見なくなったけど、そういう人達を僕は好きでなかったし今も好きじゃない。自分が昔こういう事を言っている人達を見て嫌だったから、自分はそういう人達と同じ事を言いたくない。
初めは「好きでない」だった感情が何度もその好みではない物に触れている内にやがて「嫌い」に変わっていくのかもしれない、と思う。僕はこれからも異世界物を嫌いにならないよう、好きでない程度の適切な距離で付き合っていたい。
【追記】
とは言っても、僕にはどうしても積極的に手を取りたくないジャンルの作品はあるし、恐らく偏見や勝手な先入観でよく知りもしないジャンルに悪意を持っているんだろうな…と思う事もある。これじゃ他人に何かを言って良い訳がない。
僕は自分が好きな作品の二次創作はあまり読まないようにしている。自分の考えとその二次創作を書いている人の考え方が違ったら嫌だな…と思うし、その事で相手を嫌いになったり自分が嫌な思いをする事が嫌だから避けている。
BL、憑依、逆行、ヘイト、ざまあ系などのジャンルは一次創作二次創作問わず苦手で深く知れば多分嫌いになってしまうだろうな、と思っているから手に取らないようにしているし、そういう要素があるかもというだけで警戒してしまう。
「今は嫌いという感情を持っていないけど関わると嫌ってしまうだろうから避ける」というのはもうほぼ嫌いの前段階ではないかという気もする。一度何かを嫌ってしまうと猛烈にその嫌いな物について考えてしまう事もあるし、その嫌いな物が視界に入っただけで意識を奪われるくらい夢中になってしまう事もある。だから「自分はきっとこれの事を好きではない」と思った時は本当に嫌ってしまう前にある程度距離を取るのがお互いのため…なんじゃないかなぁ、と僕は思っている。
旧劇場だけ見とけばいいよ
国となあなあの関係になれとは言わないけど、オリンピック中止とか本気で言い出しそう。
個人的にはオリンピック反対で誘致した石原・猪瀬には恨みしかないけど、今から中止も無理ってのはわかる。
山本は周囲との折衝をせずに突き進みそうな印象がある。あくまでも印象よ。
実際、知事になったらコロッと「オリンピック開催」とか言いだすのかもしれないけどね。わからんよ。
コロナ対応も、地方自治体独自で何かやる事はできず、国から色々なGoTo的な圧力がかかっている事は想像できる。
一生懸命コロナの数字改ざん!みたいな話を持ち出してたけど、それをやるなら都じゃなくて国主導だろうなと思ってる。
特に山本は与党批判したくてたまらないだろうという印象がある。あくまでも印象ね。
それが良いっていう人もいるんだろうけど、小池のやり方のほうが上手いと思うね。
小池のこと名声高めたいだけとか言うけど、山本も話題作りのために都知事選出てるよね?集会とか見ても、この人のほうが劇場型だよねって思う。
悪いことだとは思わんよ。政治家は名を売ってなんぼだから、むしろ名声高めたい人がなんで批判されてるのかわからん。小池にしても山本にしても。良い志では?
あと小池は副都知事に宮坂学を引っ張ってきたのが十分功績だと思ってるよ。
宇都宮は年齢的に無理。
小野は都議会のドンと繋がってる報道あったから嫌。落選後に「次は熊本」とか言ってたし、じゃあ最初から熊本県知事やればいいじゃん。
なんでループするんだよこう書けばわかるか?
増田:選挙とは多数決。民主主義についてではなく選挙の手段ついてだけ言及している
ワイ:選挙とは民主主義の根元を成すものであり切り離すことはできない(選挙に立候補するのも投票するのも意思表明)また民主主義とは多数決ではない
ちな増田は政治が大好きみたいだからこのドキュメンタリー映画をオススメするぞ
『立候補』だ
泡沫候補の知られざる衝撃の実態に迫るエンタテインメント・ドキュメンタリー!
負けると分かっていても闘いを挑む― 誰しもが負けると思っていた闘いの為に鍛え続けるロッキー・バルボアのように、本作の登場人物たちは 勝つ見込みのない闘いにも、己と世界のために闘い続けます。選挙とは立候補のもとに成り立つシステムです。それが政党や団体によって支援された受かる見込みのある候補者たちだけのものになりつつあるのが今日の日本ですが、本来選挙とは誰もが声を挙げられるように出来ています。映画『立候補』に登場する泡沫候補たちは、選挙に勝つため、政治家になるために闘うだけではなく、自らの信念を貫く様を人々に 見せようと孤軍奮闘しています。その姿がおかしくもあり感動的でもあるのはなぜでしょうか。それは、行動を起こす人々に対して“ツッコミ”をいれたり、嘲笑したりしがちな現代に生きる私たちへのアンチテーゼに見えるからなのかもしれません。何をしたいかよりも、どう見られるかが勝ってしまう、今の私たちの姿に気付かされるのです。奇異な行動を取る泡沫候補たちを劇場に観に来て、笑いながら、最後にはなぜか感動してしまう力を本作品はもっています。監督は新鋭・藤岡利充。製作を手掛けた木野内哲也との二人三脚で困難な撮影を経て、本作を完成させました。二人はこれまでもコンビで制作を続けており 本作にもその独特なコンビネーションが活かされています。
[8bit news]
『立候補』だ
泡沫候補の知られざる衝撃の実態に迫るエンタテインメント・ドキュメンタリー!
負けると分かっていても闘いを挑む― 誰しもが負けると思っていた闘いの為に鍛え続けるロッキー・バルボアのように、本作の登場人物たちは 勝つ見込みのない闘いにも、己と世界のために闘い続けます。選挙とは立候補のもとに成り立つシステムです。それが政党や団体によって支援された受かる見込みのある候補者たちだけのものになりつつあるのが今日の日本ですが、本来選挙とは誰もが声を挙げられるように出来ています。映画『立候補』に登場する泡沫候補たちは、選挙に勝つため、政治家になるために闘うだけではなく、自らの信念を貫く様を人々に 見せようと孤軍奮闘しています。その姿がおかしくもあり感動的でもあるのはなぜでしょうか。それは、行動を起こす人々に対して“ツッコミ”をいれたり、嘲笑したりしがちな現代に生きる私たちへのアンチテーゼに見えるからなのかもしれません。何をしたいかよりも、どう見られるかが勝ってしまう、今の私たちの姿に気付かされるのです。奇異な行動を取る泡沫候補たちを劇場に観に来て、笑いながら、最後にはなぜか感動してしまう力を本作品はもっています。監督は新鋭・藤岡利充。製作を手掛けた木野内哲也との二人三脚で困難な撮影を経て、本作を完成させました。二人はこれまでもコンビで制作を続けており 本作にもその独特なコンビネーションが活かされています。
[8bit news]
天気が悪くて寒い日だった。
並んでいるのは男性ばかり、彼らはみな今日引退する、あるストリップ嬢の写真を撮るために長蛇の列を作っているのだ。
私もその1人だった。
彼女は変わった踊り子で、一度見たら忘れられないインパクトを残す。
それをいいと言う人もいれば悪いと言う人もいた。
列に並びながら、考えていることが一つあった。
簡単に言うと、ストリップ劇場は踊り子1人につき1日4回出番がある。
4回と書いたが、今日はこの長蛇の列の為に3回回しになるだろう。
写真を撮り終わった顔見知りの客が通りかかった。
「まだここなんだ」と笑われた。
彼に「次何出すか知ってる?」と聞くと、彼はそうそう!と指をさし、
「湾岸830らしいよ」といった。
耳を疑った。
"830番"の1日を描いた切ない演目だった。
湾岸警察署に勾留され、出所のちすぐこの作品を作るも、踊ったのはほんの数回らしい。
なぜ最終日、満員の観客の前で……
そうこうしている内に撮影は終わり、開幕ブザーがなった。彼女の出番だ。アナウンスが入り、灯りが照らされる。
けたたましい「6:00、起床!!」の音が響き、布団からマル湾とかかれたグレーのスウェットを着た彼女が現れた。
本当に"湾岸830"だ。
風呂も入れずあっという間に夜。
布団を被ると、束の間の夢を見た。
ステージを見ながら思い出す。
ほんとに夢みたいだ。
そんな思いでこの最後の日に"陰陽師"と"湾岸830"を選んだのだろうか?
湾岸830のラストは「6:00、起床!」という音ともに暗転する。
私は得意の客じゃない。
ミリシタ3周年企画としてライブ一挙放送して今月はとんでもないミリオンライブ月間になっていますが、
ライブ映像を見すぎて逆に精神が辛くなってきた限界オタクは居ますでしょうか?
ここに一人居ます。なのでとりあえず一度全部ここに吐き出しておきますね。
とにかく、楽しみだった7thが無くなったことがこんなにも辛いなんてという感じですね。
まぁこの辛さは実際に企画していた側はこんなもんじゃないんだろうなと
準備をして動いていた側の…JUNGOの気持ちを察しても、筆舌に尽くしがたいものがあるだろうと…。
で、なんというか、まぁ自分が目にしてる範囲レベルなんですが、
1st~3rdの方がセトリは良かったなぁという感じの感想が多いというか、どうなんだよお前ら本当にっていう感じなのです。
ついでにグリマス時代の人たちのぼやきも出てくる始末で、本当にもうどうなんだよっていう感じなのです。
他人の考えなんてどうでもいいはずが、お前ら今更何を言い出してるんだよという感じなのです。
私は6thSSAのセトリで怒りのお便りを送ったけど、お前らはどうだったんだよという感じなのです。
この気持ちをすべて吹き飛ばせる可能性のあった7thは本当にどこいっちゃったんだよという感じなのです。
しまいにはGoogleからミリシタについてクソみたいな記事もオススメされる始末で、同意してる奴もいるしどうなんだよという感じなのです。
内輪向けとか本当にどの口から出ているんだよという話なのです。
シャニマスがやりたければシャニマスをやって居てくれという感じなのです。
ユニット追加されてVも手を出し始めたシャニマス、今が一番面白いんだからシャニマスを遊んでくれればいいと思うのです。
本当お前ら全員張った押すぞ!という感じなのです。
単純にお前が飽きたならそれでいいだろという感じなのです。
まぁでもミリシタで3年、グリーからで7年もやってれば飽きるのは当然で、仕方ないかなと思うので何かテコ入れは欲しいけど。
とにかくもう7thで最高のミリオンライブ!を見て、今のミリオンライブ!が最高なんだよ!って殴り倒したいのです。
でも、それができないのが、SSAで終わっちまってるのが、本当に辛いし悲しいし悔しいしこんなんで全く終われないし未来を見せてくれっていう感じなのです。
っていうか私みたいな人居ないんですかね?居ないみたいですね。異常ですね。みんなもっと気が狂っていてほしいです。
私は正気だ!
グリマス時代とミリシタ時代という時代の分かれ目があるミリオンライブ!
では、ミリシタでは?
39プロジェクトは一体どこへ行くのか?
そもそもそういった目的があること自体が珍しい気がしますが、やっぱり無いのは辛い。
いつの間にやら3年目。
確かに少しずつ劇場の関係が変わっていっているのは読み取れるが、目指している位置がわからない。
イベントで毎月曲が増えるのは嬉しいし、コミュの表現がどんどん良くなってきてるが、
目的が無いのは辛い。
でもチュパカブラはかなり良かった。glow mapは周年で聴きこみたいのでまだ全然聴いてない。超楽しみ。
セトリはクソ!と言いたいところだった6thだがそれはそれとして見たいものは完全に見れた。
自分はグリマス時代は3rd終わった後ぐらいから入ってるので、
正直グリマス時代のほうがよかったとは口が裂けても言えないんですが。
人もミリシタになって下手すると10倍ぐらいにはアクティブ増えているわけですし。
1st~4thの流れをもう一度改めて見てる中でグリマス時代にとらわれている人も多く、
いっそ全員成仏してくれという感じなのですが、
ここら辺の線引きがもはや曖昧でよくわからないという感じなのです。
それにしてもミリシタが来てから毎年本当に楽しみだった3周年の秋葉コラボもなくなってしまい、残念…。
ただ、手作りの39配信はやってくれて本当に本当に嬉しかった。よくわからんぐらい泣いた。
3周年、どうなるのかな。何かあると嬉しいな。
この気持ちを吹っ飛ばせる日は来るのかな。ライブはいつできるようになるのかな…。
ここまで書いてもうなんもかんもコロナが悪い。
本当に許せねぇよ。
といっても一人ぐらい演者亡くなってしまうんじゃないかぐらいの
危機感あったので今のところ全員生きているのでとりあえずは本当に良かったなと思います。
まだ全然過ぎ去ってないけど。
この世はクソ!