はてなキーワード: 利便性とは
「電子書籍の購入は作家の応援にならない」は本当? 現役編集者に聞いたという記事を見た。まあ、ここのところ何度も繰り返されている話題ではあるが、私も一つ書いてみようかと思う。
以前には、いつまで紙の本に付き合わなくちゃいけないんですか? -電子書籍に完全に切り替えたユーザーの怒りと愚痴をひとまずぶちまけます-という記事があったことを覚えている方もいるだろう。この記事はこの記事でやや偏っているというか、紙書籍ユーザーに喧嘩を売っている部分があって(紙書籍をまずい料理に例えていると読み取れる部分とか)、いらぬ反発を産んでいたように思うけれど。
「電子書籍のステマ」とか「ステルスポジショントーク」とか言われるのは癪なので予め断っておくが、私は電子書籍業界の一員である。といっても、末端のエンジニアに過ぎないので、業界の詳しい動きや、編集者の考え方が分かるわけではない。
電子書籍業界がこの先発展していって欲しいとは思っているので、これは紛うことなきポジショントークである、ということは言っておいた方がいいだろう。
ちなみに、冒頭に挙げた記事に関しては、私はそれほど反感を抱いてはいない。
というより、反感を抱くほど踏み込んだことは書いていないように思う。
冒頭の記事を読んで、「また出版業界の言い訳か」と思った方もいるかもしれないが、「電子書籍の売り上げが続刊に寄与しない」というのは、業界の現状としては正しい。
もちろん、書籍の売り方は一律ではないので、作品ごと、作家ごとに個別の事情がある。冒頭の記事では、業界全体が一律にこうである、という印象を与えかねない。
ただ、傾向として、電子書籍の部数を評価に入れていないシステムや、評価することのできない編集者が多いのは確かだろう。
しかし、出版業界の現状がそうである、としたところで、ユーザーには何の関係もない。 「まずい料理を食え」と言うのはいささか例えとして乱暴であると思うが、人それぞれ好みがあるのに、自分が嫌いな料理を、嫌いとまで行かずとももっと美味しいと思う料理があると思っているのに、買って食えと言われるのはたまったものではない。当然のことだ。
ところで、冒頭の記事には、
電子書籍のヘビーユーザーと思われる方の、「なぜ電子書籍ではいけないのか(なぜ出版社側の都合で紙媒体を買わなくてはいけないのか)?」という意見は、いささか極論と感じましたが、貴重な受け手側からの肌感覚での意見として拝読しました。
という記述があった。この点が気にかかった人は多いのではないだろうか。 私もこの点は同意しかねる。「電子書籍ユーザーに出版業界の都合を押し付ける」ような発言に対して電子書籍ユーザーが反発するのは当然のことで、極論でもなんでもない。
ただ、明言はしていないが、この発言は「いつまで紙の本に~」の記事に対する反応であると思われる。こちらの記事は内容が過激であったため、この編集者A氏とやらも、やや感情的な答えを出してしまったのではないか。
あるいは、「極論」と言うのが当該記事の全体的な語調に対する感想であるなら、頷けないこともない。
つまるところ、この発言に関しては多分に感情的なものであって、参考になるものではないが、殊更にこの点を取り上げて叩くほどのものでもないのではないか、と私は考えている。
電子書籍の話になると、「紙には手に触れることの良さが」「電子書籍はプラットフォーム依存が」「電子書籍なら持ち歩きやすい」「紙はかさばる」などといった、紙媒体優位論、電子書籍優位論が現れる。
はっきり言わせてくれ、今問題にしているのはそこじゃないんだ。少なくとも私は、紙媒体・電子媒体の利点や欠点は理解しているつもりだ。どちらにも利点があって、どちらにも欠点があるので、一概にどちらが優位であると言えるものでもないだろう。
だから私は、紙媒体ユーザーに向かって電子書籍を買えとは言わない。そしてまた、電子書籍ユーザーに向かって紙媒体を買えとも言うべきでない。これが私の問題としたい部分であり、恐らく多くの人が感じていることであろうと思っている。
# なお、プラットフォーム依存性の問題に関しては、電子書籍業界人としては真面目に課題として受け取る必要があると思うが、そこはそれである。
そもそも、ちゃぶ台を返すようだが、こんな議論に意味はないのだ。ぶっちゃけてしまえば、たかだか一編集者がTwitter上で「紙媒体を買え」と言って、たとえそれが多少バズったところで、そうそう影響はない。
電子書籍ユーザーは電子書籍にメリットを見出しているから電子書籍を買うのであって、出版社が制御できるものではない。
作品の売上は出版社の広告の打ち方や作者の宣伝などで変わることもあるだろう。しかし、紙媒体でも電子でも、文章の質に差はないのだ。であれば、ユーザーは自分が便利だと思うものを使う。
そうは言っても、電書の売上が続刊の目安にならないのなら、作者のために紙媒体を買うべきではないのか、という意見もあるだろう。
まあ、あなたが誰かのファンで、どうしても打ち切られたくない作品があるのなら、その意見を真に受けてもいいとは思う。本当に極僅かな可能性で、あなたの一冊が続刊のボーダーラインを越える一冊にならないとは言い切れない。
だが、たった一人が購買運動したところで、全体に与える影響は微々たるものだ。もちろん、大勢で同じことをすれば影響は出るのだけれど、そんな社会運動じみたことをしなければ支えられないのだとしたら、それは既に構造がおかしくなっている。
もちろん、紙を愛する人は従来通り紙媒体を買えば良い。紙書籍と電子書籍の市場がこれからどう変化するかは私には予測できないが、なくなることはないだろう。
私が一番思うことは、電子書籍を買う人に、それを引け目に感じて欲しくはないということだ。
電子書籍を買う人も、紙媒体を買う人も、それぞれ一人の客で、そこに優劣は存在しない。
むしろ、電子書籍ユーザーにとっては、市場が大きくなった方がより便利になるだろう。これは希望的観測だが、頭の固い編集者でも無視できない規模に市場が成長すれば、当然電子書籍の売上が続刊基準にもなってくると思う。
だから、今現在電子書籍を利用しているユーザーは、この先も気兼ねなく電子書籍を利用してもらいたい。これは私のポジショントークでもあるが、電子書籍市場の拡大がユーザーの利便性につながるという理論は間違っていないと思うので、ユーザーにとってもメリットのある提言のはずだ。
もちろん、一人のユーザーの動向が市場に大きな影響を与える訳ではないのは既に述べた通りで、だからこそ、電子書籍を積極的に利用すればより便利になりますよ、と言い切ってしまうことはできないけれど。
という訳で、結論を言えば、電子書籍ユーザーは今まで通り電子書籍を買えば良いし、紙媒体ユーザーは今まで通り紙媒体を買えば良い。
こんなことは、別に私が言う必要はないのだ。言わなくてもみんなそうするだろう。
ただ、これだけは言っておきたい。
電子書籍ユーザーに向かって「紙媒体を買え」と言う業界人は、恥を知って欲しい。
後はまあ、私自身も業界の一員として、少しでもより良い方向に向かえるように努力していきたいと思う。
こちらからは以上です。
こんばんは、埼玉のおっさんです。
京浜東北線沿線に分譲マンション所有してるんで資産価値高めキープするために埼玉アピールしとくわ。
http://anond.hatelabo.jp/20170201120618
1000万というのは何もしないには十分すぎる収入だけど、何もかもするには足りない収入。
そう、何をして何をしないか、よく吟味する必要がある収入ってこと。
老後貯蓄?
それをへらすなんてとんでもない!
教育費?
普通に何も考えずに暮らしていると周りに流されていつの間にか中学受験をする羽目になるぞ。
親がそのつもりじゃなくても子供が「塾に通いたい」と言い出すからな。
それも勉強に目覚めたとかじゃなくて「友達が行ってるから」だからな。
もちろんそんなスタートでも親子で協力して合格に向けて頑張るのも悪くはない。
ただし金はめちゃくちゃかかるがな!(塾代年間数十万、ラスト1年は受験料など込みで100万超)
余談だが奇しくも今まさに中学受験真っ只中だな。最後まで諦めずに頑張れよ。
話がそれたがじゃあなにを減らすか?
住居費でしょ!
埼玉なら3000万円台〜3LDKのお手頃な物件を取り揃えている。
駅近でも中古なら3000万円台(すぐ売れるがな)。
頭金1000万用意して埼玉に来なさい。
つか今の金利ならそんないらんか。
頭金ゼロでとりあえず埼玉で物件買って気分次第で1000万パワーで繰り上げ返済しまくって欲しい。
さて以降の文章は「安いのはわかったがでも埼玉なぁ」などと思ってしまった奴に向けて書く。
都心がじつは近い。
川口、浦和、大宮など南部の主要都市から東京、新宿、池袋、渋谷など都心主要駅まではおおむね25分〜45分で行ける。
乗り換えもゼロか1回だ。
このようなアクセスの良さは千葉にはない。神奈川だと東京並に地価が高い。
俺などは「通勤何分かかるんですか?」「え?ドアツードアで45分だけど?」「へぇ〜(あらまぁ見栄張っちゃって)」みたいな会話にもう慣れたが、そのくらい埼玉の利便性は埼玉県民以外には知られていない。
都心でちょっと背伸びする庶民(そう年収1000万のお前らだよ)にとって辛いのはショッピング。
埼玉はふんだんにイオンモールやなんとかモールを取り揃えている。
しかも田舎とちがってイオンモール以外だってシャッター商店街などどこ吹く風で活気に溢れている(南部の都市限定だがな)。
東京はもちろん神奈川、千葉などとも違って中学受験はまだまだ少数派だ。
最近増えてきたようだが駅近学区でも5〜10%程度、浦和の山の手でも20%いるかどうか。
それでいて中学受験したくなったらなったで「塾銀座」の南浦和があるから即対応可能だし
あの開成中は埼玉からのほうがアクセスがいいので実質埼玉の学校という説がある。
私立ナンバー1の開成と公立ナンバー1の呼び声高かりし浦高を抱えているのが我が埼玉県なのだ。俺はそう考えている。
都心にも近く駅近マンションが安い、駅前の商店街が機能していて大規模ショッピングモールも近い。
はてなブックマーカーのみんなが大嫌いな車はここ埼玉(の駅近)では完全に不要だ。アブソルートリィアネッセサリィ。
もうここまで読めばわかると思うが節約しようと思えば住居費以外も節約し放題なのが埼玉だ。
最重要の住居費だけでも圧倒的節約が可能だというのに他の部分までこんなに節約できちゃうなんて・・・
東京より優位なのはもちろんのこと、地方都市と比べても負けていない。
地方都市なら収入は基本下がるうえに車必須しかも一人一台、家は売りたいときに売れず不良債権化待ったなし、賃貸に住もうにも小奇麗な物件がそもそも少ない。つまり埼玉県民とくらべて支出が増えて収入が減る、おまけに資産が減る。
日本広しといえども、高収入と低コストを両立できるのは埼玉だけ。
はっきり言って年収1000万パワーを持つお前らならば「節約」という若干貧乏くさい印象をまったく抱くことなく自然体で生活しているだけで自然とお金が貯まっていく異次元感覚をここ埼玉でなら味わえることだろう。
よろしくお願いします。
車が好きなんだけど、いまのマンションを利便性で選んだので車の必要性がない。
嫁にも「買ってどうするの?」と言われてます。でも欲しい。
幸いにして小銭貯まってるので、500万位までならローンなしで。
まあ、実際にはそこそこ楽しそうな車体、例えばルノーメガーヌスポールの中古車300万位かな。
新車じゃなくても良いし、なによりもイエローカラーのメガーヌ最高。
いや、その前に購入自体をやめるべきなのか。
配布物をPDFにした記事にしたり顔で「りてらしー低い」だの「その程度」「愕然とした」とかぶコメ付けてるヤツらってすごいアホそうで仕事できなそう。
ITに順応して利便性にありついてると思いこんでるんだろうが、そこに至るまでにすごく面倒な手続きをすべて踏んで成り立ってるのに気付いてないアホ。
家賃払って回線が引いてある家に住むか携帯電話の契約して、何らかのネット回線契約して毎月の利用料取られながら端末を用意して、電気料金払って電源を確保して、端末のブラウザ立ち上げてアドレス入力してダウンロードしてビュアーで開いてやっと見れる。
めんどくさいことはやらないってのも賢い方法なんだよ。「めんどくせーから紙でよこせ」って言い切っちゃうのが一番労力も少なくて早いし賢い。
仕事できないやつって、「これを使えば簡単にできます!」とかいって半日かけてやっと環境整えてドヤ顔してたりするけど、紙に書けば一瞬で終わるような事だったりする。
「そんなのめんどくせーからちゃんとした形式で持って来い」って言うのも能力のうちだよね。プロトコルってそういうものだ。
“順応してる俺”にうっとりしてもっと近道があるのを見落としまくりな無能ども。
IT屋が言う“素晴らしい利便性”にまんまと乗せられてるカモ。
おばちゃんたちが「こういうの苦手」っていうのは、能力が低いんじゃなくて、“そんなめんどくせーこと自分はやらない、私でもできるようにして持って来い”っていう、抜群に賢い処世術だ。
90年代~00年代の個人主義は、それこそスタンドアロンコンプレックスと言いたくなるような、個人の自意識が、幸福も成果も責任もすべて引き受けられるとするものだった。でも、人間は物理的にも心理的にも一人では生き続けられない。ここまで利便性が高くなっても、だ。だからそれは間違っていた。
https://twitter.com/twit_shirokuma/status/814453926615339008?lang=ja
個人で完結しようとする個人は、老後までその個人として完結できる可能性は、ある。だが、このイデオロギーは子子孫孫を増やして繁殖するには適さないイデオロギーだから、世代を経るごとに減っていく。繁殖するのは、そのようなイデオロギーを強くは信奉していない者達とその子孫と思われる。
https://twitter.com/twit_shirokuma/status/814455896403156993?lang=ja
私が地方出身の未文明人であるせいか、それとも無自覚に内面化してしまっているせいか、個人主義が何なのかよくわからない。それは具体的に誰が言い出したことでどのような思想なのか。小此木-土居-和田みたいな精神科医の一派が西洋的な個人主義とか言っているらしいが、アメリカはタウンシップの国だったし、ヨーロッパもカトリックは集団宗教であり共産主義は共同主義だ。ロマラブ幻想を輸出しまくったのも西洋である。スタンドアロンな個人主義「者」というのもよくわからないが、ニューヨークとかで知的でクールで容姿端麗でばりばり稼いでる感じの人たちのことだろうか。
私が子供時代に一番多く過ごした町はヤンキー街のさらに奥、そもそも無人だった山を削り原っぱを焼き払ったような土地で、寺も神社も無い祭りもない、元々共同体が存在したことがないような町だったが、「友人・恋人・家庭は何よりも大事。それなくして幸福無し」というイデオロギーが支配していた。金も宗教も共同体も無いからそれしか頼れることがないからかもしれないとも思えるが、間違いなくTVを中心にその他のメディアもそういうイデオロギーをまき散らしていたとも記憶している。スタンドアロンな個人主義なんて「個性」なんかと同じで、バブルに沸く東京で一瞬だけ流行ったものを評論家や精神科医が拡大視しただけのものじゃないだろうか。もしスタンドアロンな個人主義が支配的だったなら、非モテだのコミュ障だのに悩む人間などいなかったし、わざわざスタンドアロンでも満足しようという思想を捻出する必要もなかった。温かい共同体を夢想する孤独なネトウヨが増殖することも無かっただろう。
これからどういう遺伝子・イデオロギーが淘汰されていくのか見立ても曖昧にみえる。具体的にどういう層が繁殖すると想定しているのだろう。わが町(市)は少子化が進んでいるがヤンキーが多い。ヤンキーが多い(かつては早婚が多かった)にも関わらず少子化なのか、ヤンキーが多い(低所得)がゆえに少子化なのか、考えても仕方なさそうである。少子化は全国的なものだからだ。わが町特有の問題でもヤンキー特有の問題でも無さそうに見える。オタクやサブカルの問題でも無いだろう。この草食時代、オタクが恋愛しない理由を分析したところで特有の自己愛形式なんて出てきはしない。
fromdusktildawnさんの2026年試験管内の、精子と卵子の繁殖行動と淘汰
この記事が書かれたのが2006年であり今は2016年の終わり、2026年との中間である。スタンドアロンな個人主義者にはどのような淘汰圧がかかっているのだろうか。
元記事のid:fromdusktildawn氏の説とid:p_shirokuma氏による他の淘汰に関する記事と合わせて考えると「性淘汰を経た、容姿とコミュニケーション能力に優れた男性」且つ「グローバル資本主義を勝ち抜いた抜群の頭脳を持った稼げる少数の男性」が事実上の一夫多妻を形成することで少子化傾向が改善され“新しくて賢い人間”へとevolutionしていくという主張のようだ。おや、“新しくて賢い人間”、私が想定する「スタンドアロンな個人主義者」(ニューヨークとかで知的でクールで容姿端麗でばりばり稼いでる感じの人たち)そのものではないか。
アマゾンの配送を請け負って、最初に悲鳴をあげたのは佐川だった。
こんな配送料ではとてもやっていけないから、配送料の値上げを交渉したら、あっさり、佐川は切られた。
結果、アマゾンの配送を主に請け負うようになったのがクロネコヤマト。
いずれ、クロネコヤマトの配送網も疲弊しきって、配送料の値上げ交渉にはいり、クロネコヤマトも切られる可能性がある。
まだ格安の中小の配送業者がいるが、彼らではすべてのアマゾンの荷物を捌ききれないのは明白。
アマゾンは渋々、佐川とヤマトに配送依頼するもかなり高値の送料を請求される。
お急ぎ便はプライム会員でも有料化されて、プライム会員の会員数は激減。
…みたいになる。
アフィリエイトで生計を立てて既に10年以上になるのでベテランに分類されると思っている。
しかし正直なところ人に自慢できるようなそれほど大したサイトを作っていない。
自分のサイトがgoogle先生から嫌われようが、サイト自体が無くなってしまおうが誰も全く困らないだろう。
広告主をヨイショしているコンテンツばかり作っていたのでむしろ無くなった方が良いのかもしれない。
誰も喜ばない訳ではない、広告主が喜んでくれる。人によっては良い買い物したと喜んでくれているかもしれない。
そう自分に言い聞かせながら、いつ収入が無くなるかビクビクしつつ、
(もう業界的には「炎上していた。」の過去形なのかもしれない。)
外注のライター様に記事を書いて頂いている自分も他人事ではない。
自分が運営しているのはちっぽけなブログだが問題は規模の大小、個人法人ではない。
某クラウドソーシングで見つけたライター様の中であからさまにコピペの記事を書いてくる方もちらほらいた。
しかもそのサービスの記事チェックが行われたにも関わらずである。
今公開中のサイトのコンテンツも自分が見つけ切れていないだけで
もしかしたら他人の記事をリライトしただけのものがあるのかもしれない。
そう思うと不安になるし、さらに自分の仕事は悪い事なのかもしれないという自己嫌悪に陥る。
そんな中、とあるアフィリエイト会社の担当者様とささやかな忘年会を開いた。
久しぶりにお会いする担当者の方とはお互いの近況を話すところから始まった。
その時に
「いやぁ、welqの問題で記事広告が消されて○○○○万円の売り上げが無くなって参りましたよ!www」
と大変そうに言うというよりも、芸能人と会った事を得意げに話すような、そんな印象だった。
その事が悪いとは言わないがどこか他人事でなんだか釈然としなかった。
(その方は「サジェスト汚染」ではなくきれいな横文字を使っていたが。)
さっとノートパソコンでいくつか事例を見せてくれた。
このキーワードで○○○万の売り上げですよ!こちらのキーワードでは○○○万ですよ!
悪びれるどころかドヤ顔だった。
汚染されたサジェストを見たことある人も多いと思うが自分のような人間ですら嫌悪感を覚えた。
(驚いたのは紹介しようとしてくれたその業者というのは
そこそこ有名なクラウドソーシングの会社だった。これで手法は想像できると思う。)
(※法律に詳しくないがそう信じている。)
これを提案してくれたその方はそこまで考えていないだろうし、
真剣に売り上げUPを考えてくれたのかもしれない。
その場は苦笑いで済ませ、細かい話はしなかったが、もし自分がその提案を
真に受けてサジェスト汚染を実行してGoogle先生が本気出して怒ったり、炎上騒ぎとかになると、
「いやぁ、サジェスト汚染の問題で記事広告が消されて○○○○万円の売り上げが無くなって参りましたよ!www」
と誰かに得意げに話すのだろうと思うと虚しいというかひどく落ち込んだ。(自分はメンタルが弱い。)
その方だけでなく、アフィリエイト会社の担当者の方はみんな似たような感じだ。
個人アフィリエイターが自分のことを棚にあげてこんな事いうのも気が引けるが。
誰もコンテンツにしないようなマニアックなコンテンツを作ると競合がいないのですぐに上位表示される。
人が集って広告を掲載するとすぐに売り上げに繋がる。しかし1年後には似たようなサイトが乱立して市場は食い合いで
売り上げはガタ落ちする。そしてまた誰もいない市場を探す。これを何度も繰り返してきた。
原因は解っている。
なぜならいろんな担当者の方がキーワードやサイトの情報をたくさん教えてくれるからだ。
誰々がこんなサイトを運営している。売り上げはこれくらい。キーワードは○○。あなたもやりなさい。
(情報の報酬に売り上げの一部をよこせという担当者も「よく」いた。)
真似できるような事で金儲けをする方が悪いと思ってきた。
しかし個人情報にあたるようなところまで担当者から流出ているのはどうかと思う。
自分の事もあちこちで言われていると思うとあまりいい気はしない。
(個人情報を気にするほど大した人間ではないので気にはしてない。)
本人達は悪い事とは思っていない訳ではなくて、
Twitterで不謹慎な動画を公開して自慢している中学生のようなノリではないだろうか。
「儲かればなんでもあり」+「悪そうな奴はだいたい友達」の合成みたいな印象を受ける。
そして今日も全国のアフィリエイターやメディアに違法まがいの行為を煽っているのだろう。
長々と思うままに書いてしまったので、愚痴も多く脱線が多かったが
言いたいことはwelqのようなインターネットの利便性を逆手に取った問題はきっとまた起こる。
なぜならインターネット業界にはそれを煽っているモラルの無い広告主(代理店)が存在しているからだ。
本丸はNAVERではない。そのビジネスモデルに乗っかっている広告代理店だと思っている。
ちょうど去年の今頃だったろうか
ツッコミどころは多数あったけれど
「誰もやってこなかったことをやる」という気概を買って
温かく見守ろうと思っていた。
ページのデザインが明らかに崩れていてコンテンツが見えなかったり
素人目で見ても何かあったのかと感じるような異変が継続的に起きている。
公式Twitterはおろか
サイトに情報を掲載しているサークルに対しても何の発表もしていない。
iPadのSafariやノートパソコンのGoogle Chromeなのだが。
このサイトはGoogleで「大学名 サークル」と検索した際に
6番目に表示されるのだが
トップ10に入るサイトでここまでのバグが起こっているサイトは他にない。
説明が行われることを期待している。
まず「どこの病院を土日営業にするのか」という問題が起こる。皆「私の近くの病院にしてよ」と思うからだ。
そこはまあ国が無理やり割り振れば、と思ったが、現実的には立地住民の不公平感を拭いきれず解決できないか多くのしこりを残すことになると思う。
土日開店の病院がある町には子育て家庭が引っ越しを検討するくらいのメリットがあるだろうし、逆もまたある。
次に、働く側。医師・コメディカルは「土日は学会」という理由がわりと大きいかもしれないが、看護師、事務員は「友人が休んでる土日に私も休みたい」が大きいのではないか。
であれば土日が休日の病院に人気が集中しそうである。休日出勤があるので今ですら友人と予定が合わないことは多々あり、ぼっち感に苛まれている人は少なくないはず……。
今、周りを見渡すと、町医者は以前より随分診療時間に融通を利かすようになっている。夜9時10時まで診療しているところが増えた。
受診する側としてはとてもありがたいが、煌々と明かりが点いているのを見ると大丈夫か?と心配になる。
閉店が遅い分、開店も遅いならまだいいが10時~13時まで開けて、一度閉め16時~21時というパターンもある。しかし皆も分かるだろうけど、間に休憩挟んだってそれほど休まらないよね、特に精神的に。
歯科医院・整骨院は過当競争が第一原因だとは思うけど「土日しか休めない会社員の都合」を汲み取った結果でもある。
便利さを求めると他の誰かに自分が得た便利さ以上の不便さを強いる結果になるのではないだろうか。
そりゃあ病気でしんどいのに一つも病院が開いてないってんじゃ困るが、今でも市町村内の病院で持ち回りで休日診療をやっているし、専用の休日診療所がすでにあると思う。救急車を呼ぶような場合では、24時間救急の病院を探して送ってくれる。
今だって医師とか看護師、コメディカル、事務員、みんな土日出勤あるし、年間休日数は普通の会社員よりずっと少ないと思う。(緊急呼び出しにはさすがに代休がある。がそれすら消費できずに捨ててる人が多い。規定によっては割り増し賃金だけの場合も)
(一方で以前複数あった休日診療所がいつの間にか「2市合同で一つ」になってたり、小児科・産婦人科が縮小されてクローズする病院があったり、公立病院の間口が狭くなってる感はある。人と予算が足りないんでしょう。)
それほどの急を要さないのであれば、土日二日なんとか我慢するという方針もありなのではないか。アレルギー性鼻炎の苦しみを知らないが、その苦しみを知ってもらう努力を病院の代わりに会社に向けるとか。有給・傷病休暇を取ろう。
医師に「なかなか休み取れないんですよ」といえば通常の2週間分でなく1か月分薬を出してもらえることもある。
とまあ、確かに「土日だろうと急病はやってくる」という観点から病院の休日分散はできるならやった方が市民の健康には良いと思う。
しかし一番の問題「どこの病院にどう休日を割り振るか」が解決しそうにない。
落としどころとしては「急を要する場合は休日診療所へ行くか、救急車を呼ぶ」「急を要さないなら土日は我慢。都市部なら#7119救急相談センター#8000小児救急電話相談」という現状維持が一番ましだと思う。
「みんな平日は会社を休めないんだよ」という根本原因を放置したまま「病院側でなんとかしましょう」という場当たり的な対応で進めると医師・看護師・職員の成り手がさらに減って悪循環が加速する。
追記。
歯医者が夜中まで頑張るのはコンビニより多い過当競争の中、高額な初期投資と複数の歯科医を抱えているので(一人の診察に一時間かかることもざらなため)がんばらざるをえないからだよ。
一方で町医者は供給が足りない。平日朝から列ができている。開院三十分後に入ったら一時間待ちはざら。土日休んだら捌ききれないからどちらかを開けて、変わりに水曜休む、実際にはその日もバイトの先生を雇って開院している所も多い。医師の時給はとても高い。
正直儲けはいらないから休ませてくれと思ってる医院の方が多いと思う。
そんなわけで「医者も歯医者を見習え。経営のために土日を開けろ」という意見はちょっと的外れ。
公立病院だと現状患者さんが来ればくるほど赤字になってる気がする。だから歯科とか薬局とか外部に出しちゃって診療科は減った。入院と違って外来は儲からないから科によっては週三日に減らされた。経営を考えるならスリムな方がいいからね。
とはいえ、いっせーのーでで美容室みたいに全部ずらして土日どちらか開けてみるってのはありかもしらんね。代わりに水か木あたりを閉めて。水曜日休みの俺が困るじゃねーか!という意見には「全体の幸福を考えると…」なんていう言葉で我慢してもらうことになるけど。
休日輪番制はいまでも救急とかでやってて、今以上に充実させるなら人員確保の目途をまずたてにゃならん。
あと連休がないってのはわりと怖いことでね、もとから連休のうちどちらかはなんやかんやで出勤になることも多くて、一日しか休みがないといつの間にか「あれ?前回休んだのいつだ?なんか12連勤とかになってね?」という事態が起こりやすい。
現状月~金を10、土日を2で回しているとしよう。計54だ。
これを職員分散で平均化すると7.7だ。職員数が7.7に減ったら仕事が7.7に減るかといえばそうじゃない。時間当たり仕事量は変わらない。開院してたらしてるだけ患者は来る。
・仕草がでる
ゲイっていっても色々カテゴライズされてる(多分)わけだが、自分の場合は”男として生きたい”タイプ。でも、いわゆるオネエっぽい仕草が出てるらしいんだよね。実際、自分は男っぽく振舞ってるつもりで自覚症状は無いんだけど他人からよく言われる。
あなたは男が好きだっつーだけで、
自分のスタイルとしては擬態でもなんでもなく”男”としての自認と志向があるわけじゃん?
なのになんでオネエが出るの?
体を鍛えててガチムチ短髪でオッスオッスっていうゲイ(それがモテ筋でもあるらしいが)なのに
喋りや仕草にオネエが混入するっていうゲイも(ネットで語ってるのを)見たことある。
脳の一部が女性的ってこと?
今回はコミックウォーカー
私が子供のころ、「コーヒー=大人の飲み物」みたいな認識があって、そういう憧れで飲んだりすることはあったんだよね。
そういうのは子供の世界の小さい枠組み的な考えだと思ったんだけれども、結局コーヒーを選り好みするような大人にはなっていないなあ。
コーヒーひとつあげつらって社会的な優位性を築こうとするのって、すごく前時代的だと思ったが、むしろコーヒーがポピュラーに飲まれている今のほうが、その傾向強いのかもしれないなあ。
正直、コーヒーをそんなに飲まない身からすれば、主人公の「美味しいけど まぁコーヒーだな」という感想は妥当といわざるをえない。
愛飲している人を貶すつもりはないけれども、私みたいなのからすればコーヒーはコーヒーでしかないんだよね。
とりあえず飲めるレベルであれば多少の優劣なんて気にしないし(そもそも普段は飲むことがないんだけれども)。
この戸狩姫咲を、孤高の天才みたいなキャラ付けをしたいのは分かるんだけれども、非常識かつ不愉快な振る舞いをしていて読者からみてウケはよくないだろう。
そういう振る舞いをする相手が悪役だったりするならともかく、そういうわけでもないからねえ。
そのキャラ主体で物語を動かして、カタルシスがないまま1話終わらせるって、勇気あるなあ。
うーん、ノックスの十戒とかを理由に非難するつもりはないけれども、“そういうタイプ”かあ。
ヒロインを連れ去る方法が高い身体能力のみというのもアレだが、その後の手紙の匂いで成分を分析、とうとう超能力使って因果律まで変えるとか。
『魔人探偵脳噛ネウロ』などを筆頭に、「なんちゃって推理モノ」はそれはそれで嫌いではないけれども、大したトリックすらないという点で、こちらはもっと「よく分からない何か」になっているね。
他のコミックウォーカーで読めるもののいくつかもそうだが、こういうプリンと醤油みたいな組み合わせって流行っているのだろうか。
『衛宮さんちの今日のごはん』という作品の存在を知ったときも、「『Fateシリーズ』に『グルメ』とか、節操がない組み合わせだなあ」と思ったので、今更かもしれないけれども。
まあ、節操があろうがなかろうが本質的には構わないとは思うんだけれども、そういう部分に引っかかり感じて損をすることがあるんじゃないかなあ。
俺は没入感より利便性重視なプレイスタイルだけれども、多少不便になっても没入感を重視するっていうのも理解できる。
ベクトルは違っても、間違いなくゲームを楽しむ姿勢としてアリなので。
あと、「初見殺しで死ぬべきです」っていうポリシーは面白いね。
もちろんその中で好き嫌いや選り好みはあるけれども、シナリオはもちろんレベルデザインにおいても「作り手に翻弄される楽しさ」ってものはあると思うし。
これは『なんで同性婚が必要なのかわからない http://anond.hatelabo.jp/20161015122530 』で
なんかうまく伝わってないなーって感じの点について説明したものです。
上のエントリは異性婚をコピー&カスタマイズして同性婚制度を作ると
本当に同性愛者やその他のマイノリティに優しい制度になるのか疑問だったので書きました。
そういう意味で「なんで同性婚が必要なのかわからない」というタイトルにして意見を求めたわけです。
自分の立場は同性婚がないのは不公平だから改善されるべきで同性婚が必要なのも分かるけど
公正性から同性婚を肯定するならその他の関係性の人達(師弟関係とか親友関係)にも
ソースは忘れたけど、同性愛者の方が家族じゃないからどんなに好きでも看取るときに一緒に居られない
っていう文章を読んで何とかすべきだろと強く思ったんだけど、同時に結婚していなくても
看取られる人が認めたなら誰だろうと邪魔されずに看取ることが出来るべきだろうと思いました。
そんで、同性愛者の方が実現したいことの中には結婚制度に頼らなくても実現できることや、
結婚制度以外で実現した方が多くの人が幸福になることが含まれているんじゃないかと思うようになりました。
そんなわけで夫婦というロール(役割)に含まれる各種の権限と責任を適切に分割して
夫婦以外でも権限と責任を割り当てられるようになればみんなハッピーじゃね?というアイディアが生まれた訳です。
ただし割り当てられる権限がどんなに自由になっても結婚制度が形がい化されてもどんなに人と人との関係が多様化しても
一般的な異性婚の夫婦や同性婚の夫婦というロールあるいは概念は立法府でも民間でも想定され続けると思います。
そういうロールを想定した方が人間の頭は考えやすいからです。それは差別につながりやすいという面もありますが。
さらに言えば今まで異性婚の夫婦を想定して社会を作ってきたから互換性の上パスポートなどに異性婚・同性婚が残ると思います。
さて、夫婦というロールに最後まで残る権限とは何かを考えたところ
「意識不明や急を要するけど連絡取れないなどで当人に関する事を決められないときに最初に話が回ってきて裁定できる権限」
が残ると思います。これを結ぶ契約をして周囲に宣言すれば夫婦と見なしていいと思います。
現在の結婚制度では特別な取り決めがないときは伴侶(0親等)、親・子供(1親等)と
親族関係で自動的に順位が降られる権限のようです(多分この権限は扶養義務とかと連動していると予想)。
そういう極めて強大な権限を取得しなきゃ看取ることが出来ないっていうのは私はどう考えたっておかしいと思うのです。
①権限はできるだけ多くの人が取得可能であるべきだから、排他的でない資源に関する権限は特に制限を受けない。
②排他的な資源に関する権限や公的優遇措置は義務を果たす者・果たすと期待出来る者のみ。
という感じでいいのではないでしょうか?
上で述べた『最初に話が回ってきて裁定できる権』はやはり扶養の義務とかと切り離せないように思えます。
また、少子化対策や子育て優遇の制度は子供のいない異性夫婦や同性夫婦に権利なしですが、
子供を育てている、子供を育てる可能性が高い夫婦なら異性夫婦・同性夫婦に関係なく受けられるべきでしょう。
そして法的分野だけでなく民間分野での改革も必要になるでしょう。
病院で看取りをする際、病室に5名までしか入れないなら5名しか看取りに同席することが出来ません。
現状では特に取り決めのない場合、伴侶(0親等)、親・子供(1親等)といった親族関係で順位づけてる感じでしょうか?
ただ、患者の事前の希望が分かっていればそれに従うべきです。こういうシーンで使われる認証制度が必要です。
認証内容の選定は国会で話し合うよりフットワークの軽い民間で決めた方が利便性が高いと思います。
通常の結婚はゴットと来賓の前で誓いを立てると夫婦になれますが、
極道はゴッドファザーと来賓の前での前で誓いの杯を交わすことで親子や兄弟になれます。
法制度にとらわれないからこそニーズを満たす風習を作れたんだと思います。
故に伝統を重視する視点からの同性婚拒否の保守派にも言いたいです。