はてなキーワード: ラッキーとは
ゆ~きよ、いわ~よ、われらーが宿り
ふふふん、ふふふん、ふふふふふふふん~
祝日ね。
損した気分じゃないかしら?
うふふ。
や~まはしろがーねー、かぜきるはや~さ~
ふんふんふん。
山の歌って雪山な感じが多いわよ、
夏の感じに涼しいかしら
と言って今日は山とか登らないけど。
そうそう、
ウイスキーがお好きでしょ、
って歌あるじゃない、
あの歌を浸っていい感じに歌い上げてる女は
飲ませてくれるわよ!
やっぱり心なしか茶葉が多い感じがするので、
うーん、このくらい少なくても大丈夫かしら?って心細い感じの量でも
やってみるときは、
出だしを見てから調整してみてね。
お口の中がスッキリ爽快よ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
チャオ!アミーゴ!
娘は0歳2カ月。
最近よく笑うようになり、歌を歌うとアーやウーと言って楽しそうに手や足をバタバタさせるようになってきた。
時にはおっぱいと欲しがって泣いたり、せっかく寝たのにすぐに目覚めて、眠れないと暴れたり。
でもそんな顔も可愛い。必死な娘には悪いが、本当に笑ってしまうくらい可愛い。。
こんなかわいい娘をずっと育てたい。
ずっとそばにいて、守ってあげたい。
保育園なんかに入れたくない。
でも、今の保育制度では、保育園に入るためには0歳4月入学以外の選択はない。。
本当に嫌だ。
これまでずっと働いていた分、貯金もある。すぐに職場復帰が必要なほどお金に困っているわけではない。
むしろ、せめて育休できる期間フルで休んで傍にいてあげたい…。
でも1歳4月は激戦。
加点がないと厳しい。
加点のためには、無認可の保育園に預けるしかないが、無認可の保育園ですら年度途中での入学枠は空いていない。。
結局0歳4月で預けておかなければ、相当ラッキーでない限り、保育園に入れない…。
保育園なんかに入れたくない。
でも保活しなければならない。
ずっと一緒にいたいよ。
悲しいよ。。
貧乏でクズな親から生まれたけど金持ちの善人になりましたなんて話が持て囃されるのは結局、それがシンデレラは王子様と結婚しましたレベルの夢物語だからなんだよな。
雷に何度もあたったとか、宝くじに連続であたったとかそういうスーパーラッキーギネス記録として素晴らしいんであってそれを「この世界の摂理」って事にしてちゃおかしくなるんだ。
だけど世の中にはなんだか頭のおかしい人間が多いらしく、「そういう事」を「普通に起こせる事」だと認識して、親を言い訳にするなとか生まれが何だとか平気で言っておいて自分は生まれの呪縛から出てこないままでいる奴らがウジャウジャいる。
そうしてそういう頭のおかしい奴らの言動を利用して自己責任社会を作り上げた連中が、下層階級生まれの人間を「そうか、俺が自分の可能性を引き出せないのが全部悪いのだ」と納得させようと躍起になっている。
嫌な世の中だ。
自分の人生の限界を認識するだけで逃れられる苦しみ、自己嫌悪、そういった物に苦しんでいる人間が大勢いる。
中にはそういった気持ちから逃げ出すために自分より少し下の人間を必死にけなして気を紛らわせている奴らまでいる。大勢いる。
だったら、昔の日本人男性はそんなに他人の子どもを育てたのか?
子ども=働き手が増えるわけで、奥さんが他人の子をはらんだらむしろラッキーだったんだろうな
どのみち遺産は長子が継承するわけで、最初の子は自分の子である確証はほしかっただろうが、
それ以降の子どもはソルジャー扱いで誰の子でも良かったんだろう
随分と嬰児殺し&育児放棄も問題になっていたらしい。水子供養って実はそれ関係なんでしょ。
フリーセックスの結果、子どもが次々と生まれた瞬間に殺され/捨てられていたとすると、
近代化以降の禁欲化は、西洋(キリスト教)の影響だけじゃなくて、
産まれたからには殺すな → 殺すくらいなら産むな、的な流れね。
ただ、大正時代ですら産婦人科付きの子殺し業者が捕まっているので
(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%B0%E3%81%84%E5%AD%90%E6%AE%BA%E4%BA%BA)
実のところ明治大正になってもフリーセックスの慣習は残っていたのかも
ベンチャー就職、スタートアップやってから大企業に転職したものだが、迷わず行けるレベルで最大の大企業に行くことをオススメする。
自分は就職したベンチャーが「ラッキーな事に」成長したので結果オーライだったが、99%のベンチャー、スタートアップ就職ではそんな事は起こりえない。
結果として何が起こるか。
就職や転職は基本的にカスケードなので、大企業から中小に転職することは出来ても逆はまずないのよ。(よっぽど無いという意味で)
大企業でやっぱり合わんかった、ベンチャーやスタートアップでも何も遅くないし、いつでも行使できるオプション。
第一希望の1歳児クラスに入園でき、会社も時短勤務を受け入れてくれて、かなり恵まれているだろう。
当初は発熱が続き、頻繁に早退したが、今は問題なく、平日はほぼ毎日通っている。
人に任せられない自分の性格と、生活リズム、食の好みが全く異なるため、不可能だとわかった。
朝4時半~5時半の間に起床、朝食・夕食を含めた食事作り、身支度、洗濯機を回す、(余裕があれば)PCで仕事orネット
6時20分~40分、子どもを起こす(ごくまれに自発的に起きる)
6時30分~45分、洗濯物干し
6時45分~7時20分、子どもと一緒に食事(自分の食事はゴミをまとめた後)
7時25分~7時40分、自宅出発、保育園へ
7時50分~8時5分、電車に乗り、東京の会社に向かう(デットライン8時5分発)
スマホ(ネット・動画視聴・データ整理)、読書、睡眠にあてている。
最近、Surfaceを購入したので、通勤中に仕事もできるようになった。
行きはほぼ100%着席できるが、帰宅時はずっと立ちっぱなしの日もある。
仕事に支障が出ないよう、朝は最低10分は熟睡できるように心がけている。
18時半頃に保育園に到着(1時間の延長保育を契約しているためデットラインは18時50分着)
子どもを引き取り、自宅に向かう。
18時50分~19時に自宅に到着、洗濯物を取り込み、
子どもが一人で食事を食べている間に(気に入らないと皿を投げて散らかる……)、
洗濯物をしまい、入浴準備、翌日の保育園の準備、(まれに)夕食の準備などを次々と進める。
食事終了後、食器を洗い、時間に余裕があれば、掃除機がけやシンク清掃などを行う。
20時過ぎ、夫の帰宅が早かった日は、夫が子どもと一緒に入浴し、
間に合わない場合は、一緒に入浴する。
20時50分~21時10分、入浴後の水分補給として子どもに牛乳を飲ます。
その後、ストンと眠った日はラッキー、通常はなかなか寝付かない。
結局、就寝時刻は21時20分~22時。
ただ、よくないと思いつつ、
寝かしつけ中、スマホで仕事のメールをチェックしたり、無料コミックを見たりしているので、
週2、3回は、デザートを食べながら録画していた大河ドラマ、アニメを見る。
23時、疲れ果てて何もする気が起きない時は、保育園用のオムツに名前を書く。
どうしても買いたいものがあれば、Amazonや楽天などを見る。
通勤中や待ち時間にスマホで済ますようになった。とにかく時間がない。
後から入浴した時の浴槽清掃と、気が向いた時の夕食作りだけ。
夕食は、たいてい、子どもを寝かしつけている間に食べている。
逆に、その間、ずっとお酒を飲んだり、ネットをしたりしていることも多く、
そのマイペースぶりに怒っているとわかっていない。
食事終了時刻が遅いと、食器洗いの時間が遅くなり、ビデオを見る余裕がなくなってしまうからだ。
今の夢は、大河ドラマ「真田丸」をリアルタイムで見ること。無理だけど。
寝かしつけ中に、ついTwitterで先に感想を見てしまう自分の弱さが悔しい。
大卒正社員にも関わらず、夫も自分も30台後半の平均年収を下回ってる。
しかも、夫と自分の手取りの差は、今年度は住民税ゼロのため、2万円ほど、自分のほうが多い。
年収比で育児・家事を分担するなら、半々になる。今はどう考えても9割だ。
それでも女性は文句を言いつつできるのだよ。なぜなら、自分のペースで進めたほうが精神的にラクだから。
スマホで増田しようと思って1時間くらい書いていたら操作を間違えて消えてしまった。悲しい。うんこ漏らしそう
そんな話はさておき、ここ最近の増田諸氏ホッテントリを見ると、少し安心してしまう自分がいる。
多かれ少なかれ、他人同士が一緒に暮らす訳だから、色々と問題はある。我が家も例外ではない。
そんな中でも比較的一般的なキーワードとしてセックスレスが挙げられると思う。
実は自分は元々最低な夫で、付き合っていた頃から浮気を繰り返し、子供ができて、結婚して、まだお腹の中にいる時にも外で女とイチャコラしてた。
その頃の自分はバカだったので、性欲からくるセックスと、充足感、自己肯定感、軽い依存による多幸感など、諸々ないまぜにした結果の愛しあう行為としてのセックスを履き違えていた。
だからこそその当時はセックスレスとか良いパパやってバレないように外で女作るか風俗とか行けば余裕wwwとか草を生やしていた。
本当にバカだった。その当時離婚しないでついてきてくれた嫁には感謝している。
そのための贖罪、いやほんとに言い訳として、それまでプラプラしていた自分を改め、非正規派遣とは言え大手の会社に入り、先々を見据えて頑張ろうと誓った。
元々自宅で引きこもっていた時にプログラミングやインフラ周りをやっていたこともあり、一般人よりは出来ると思っていたが、ここの会社の某超有名なエンジニアのブログを見ていると外の世界はこんな技術じゃボコボコにされる、マジコエーとも思っていた。
で、外に出てみたら意外とそんな事なくて、むしろ適当に仕事してる人より出来る事がわかった。あ、いやでもまだまだ読者諸氏には全然敵わないのでこれからも勉強させていただきます。どうぞよろしくお願いします。
あとは引きこもっていたせいで世の中知らなさすぎて、大手の仕事の本質は基本的には調整業務が主で、だからこそ新卒至上主義なのかなーとか、未だに考えは巡らせることはあるけど、それでも上から下まで見てこれたのは割りとラッキーなのだと最近は思っている。
主題からそれすぎて何の話か読者諸君はそろそろ忘れている頃かと思うが、すまない、自分も忘れていた。
まぁようはキャリアの転換期で、そういう時には家庭の問題が色濃く反映される訳だ。
嫁とは不定期にセックスレスになる時があり、長いと半年以上していない時もあった。
増田しているあたり今日もそうだったのだが、唐突に気づいた事があった。
先に書いたとおり、元は仕事していない浮気するとクズの代表格なような自分だったが、そういった行為に走っていたのは結局のところ、求めていたのは嫁のように愛してくれる存在だったのだ。
数年前からその事に気づいていたはいたものの、うまく言語化できていなかったので、昔遊んでいた知人などに誘われてもうまく断れずにいた。
確かに外で女を作るなり、風俗に行けば性欲は満たされる。だが心が埋まるわけではないので、余計に身体と心が乖離してしまい、また同じ事を繰り返す。バカの典型だ。
だけど、気づけた。気づけたからこそ、主題のセックスレスの問題が出てきた。
愛してくれる嫁と、そのために頑張っている自分に酔っている、まぁ依存なんだろうか、まだ掘り下げて考えられていないが、その嫁とセックスすることで、性欲以上の何かをいつも勝ち得ていた。
セックスレス期間中は童貞に戻ったかのようにオナニーをしまくっていたが、ここ最近はそれも疲れてしまった。断れる度に傷つく心を騙すための自己満足の行為とその自己満足の行為に走った自分に。
元々性欲は強い方で、10代は本当に俺=猿というようなもので、今は落ち着いたとは言え、それでも毎日したいくらいだ。
だからこそ誘えるかどうか、顔色伺う機会も多くなるのだが、嫁は家事に育児、その他家の雑多なことを全てやってもらっているので、基本的には我慢していた。
我慢していたが、それももう本当に限界だ。
喧嘩のトリガーとなるのはいつも自分からなのだが、普段頑張ってもらってる分、不満を言わないようにしている。
のだが、セックスを断られる事で不満が爆発してしまい、言われ慣れてない嫁はいつも泣いてしまう。
泣いている嫁は見たくないからまた我慢して、セックスを断れる事でまたトリガーとなってしまい・・・と悪循環なのだ。
普段から言えていれば良いのだろうが、付き合っていた期間から考えると10年以上、未だに嫁が本当に言われたくないことを泣かせずに言える方法がわからずにいる。
嫁が求めているのがお金を稼いで優しい良いパパでいてくれる事なら、もう離婚すべきと考えてしまう。
確かにそれが理想なのはわかるが、スタートラインが底辺な自分にとってはもっと上を目指したいし、世の中の役に立ちたいと思ってる。
結局のところ、自分は自分のことが可愛くて大好きで、だからこそこういうことを思ってしまうんだと、それは良くないことだと自分を戒めてきた。
だけどここ最近の仕事の状況もあり、人間追いつめられると理屈ではなく、子供の頃の夢とか、理想とか、自分のことになってしまうのだと気づけた。
うまく折り合いを付ければ良いのだろうが、生まれ育った土地を離れたくない嫁とは着地点が見えてこない。
単身赴任はあくまで仲の良い夫婦だから出来ることであって(そうでないケースもあるかもしれないが)、我が家の場合はイコール別居、離婚となるのが見えているから嫁が反対しているのだと思う。
なんだか冷静になっているようで文章を見返すと支離滅裂で結構ダメダメだなぁという感じで非常に申し訳ないが、聞きたい事は下記のとおりである。
離婚したら喪失感や孤独感でそれこそ鬱になりそうなものなのだが、幸い自分には仕事があるので、一時気を紛らわせるという打算はある。
かたや、ここまで尽くしてくれた嫁に対する仕打ちなのか、禊はどうしたと己の良心に問いかけるものがないわけではない。
だが、ここ最近はその良心に付け込まれているだけなんじゃないかと猜疑心しか出てこないのだ。
子供のことを考えると離婚すべきではないと思う。今までの子供との接し方を見る限り、色々な選択肢を奪われてしまう結果になると予想される。
そういう意味では親権を取りたいが、現実的には難しい事だと理解している。確かに自分から見たら色々ありえないが、ネグレクトまでではない。
自分はコンプレックスが強いから、子供への期待や、接し方などおそらく厳しいものだろうから、そういった意味ではバランスが取れているのかもしれない。
が、嫁の育ってきた環境などを考えると、シングルマザーになったら一番の被害者は子供になる。それは避けたい。
そう思ってここ何年かはやり過ごしてきたが、それも限界だ。
ぶっちゃけ自分も家庭環境は相当酷かったけど、結局のところ本人の気持ち次第でどうにも変えられると思ってる。
すまない、今日も断られて頭の中がグチャグチャで、読者諸氏は支離滅裂な文章をお見せして申し訳ないと思っている。
だがここまで読んでくれた寛大な読者諸氏、どうか感じたこと、考えたこと、テメーもっと嫁と話し合えよとマサカリを投げること、なんでも良いのでコメントを頂けないだろうか。
副題として離婚があるが、あくまで主題をセックスレスにおいたのはそれが一番のきっかけだと感じているからだ。
だとすると、気心の知れた友人、知人には話しづらい内容でもある。
SEALDsが馬鹿な理由は、短絡的で頭が悪いことに起因する。
つまり、誘導されやすいのだ。頭が悪い人を誘導するのは簡単だ。
頭の良い一部の層がその全てを考え、馬鹿を誘導してあたかも自分の考えだと思わせて行動させる。
小学4年生になりすまして世論を誘導しようとした慶應義塾大学の青木大和や「保育園落ちた日本死ね」で自演して失敗した山尾志桜里議員等のおかげで色々な誘導が世の中にあることが分かったと思うが、世の中にあるほとんどの誘導は先の例のように失敗せず、我々は気付かない。あの2人は少しおつむが足りないか経験不足だっただけ国民の皆様は誘導されずラッキーだった。
冷静に考えれば分かるだろう。
東大京大一橋大大阪大のような大学の学生はSEALDsにはほとんどいないことからも想像に容易いと思うが、SEALDsメンバーはほぼ全員が低学歴である。俺が通っているケンブリッジ大学にも政治活動をする人はいるが、SEALDsのような短絡的議論をせず、まずは政治を勉強している。
日本のこの状況は異常だ。
低学歴ばかり政治活動。つまり、低学歴の低能を行動させたい人がどこかにいて、彼らがSEALDsを裏で誘導している人がいるということだ。
頭がいい人は矢面に立たない。叩かれることが分かっているから。
頭が良い人程、馬鹿で自己顕示欲や承認欲求が強い人に動いてもらい、何かあったときのリスクを全部馬鹿に負ってもらう。
まあ長くなりそうなので、ここで本旨に戻るぞ。
ここからはいかにSEALDsの議論が短絡的で頭が悪いかを説明しようと思う。
これを読んで、民主党やSEALDsの議論に誘導されていたと気付く人が出ることを祈る。
(もちろん、熟慮した結果民主党やSEALDsの意見に賛成の人がいるのはおかしいことではないと思う)
SEALDsや民主党は、安倍首相を戦争肯定の人間にしたいようだ。
しかしながら、自民党も安倍さんも民主党もSEALDsも皆「戦争反対」ということでは一致している。手段が違うだけ。
実は戦争を起こさないための手段はいくつもあって、AとBとCのどの案がいいですか〜という中で安倍さんはAという手段で戦争を回避しようとし、SEALDsはBという手段で戦争を回避しようとし、共産党はCという手段で戦争を回避しようとしている。
単純化するとこういう構造なのだが、ではなぜ安倍だけが戦争肯定派と言われるのだろう?
ここにSEALDsや民主党の短絡性がある。意図が垣間見えるよね。
SEALDsは安倍や自民党に対して「憲法改正して自衛隊の権力を強めるな!(集団的自衛権を付与するな!)戦争反対!安倍は消えろ!」と叫んでいるわけだ。
集団的自衛権をwikiで見てみれば、それが戦争回避のための一手段だと分かるのだが、なぜかSEALDsの低学歴やその意見を真に受ける人はそれすらしないらしい。
SEALDsの皆さん、じゃあ仮にさ、共産党が意見Cを採用し「憲法を改正して自衛隊を廃止しろ!自衛隊は軍隊も同じだ!
SEALDsは集団的自衛権は反対で個別的自衛権は賛成だが、個別的自衛権もおかしい!
戦争も同じだ!だからSEALDsは戦争に賛成している!戦争反対!」って叫んだらどう思う?
それは違うよね。SEALDsの意見も戦争反対のための一手段だって反論するよね。
②「現在の政権与党を今回勝たせたら、日本が立憲民主主義の国でなくなる、独裁だ」的な議論パターン
自民党が議席の2/3を取ったら、自民党がなんでも決められますよ〜
みんなで話あって決める民主主義が無くなる!おかしい!って騒いでるけど、馬鹿なの?本当に。
どの政治家を勝たせるかを決めるのが選挙。その結果自民党に2/3以上の議席があるなら、それが民主主義の結果なわけです。
2/3以上の国民が自民党の意見に賛成してるから投票してるんです。
なんで「国民はみんな反対してる!」「安倍は裸の王様だ!」って低能過ぎる。
色々な意見があり、それを若い世代が積極的に発信することはいいことだ。
ただ、頭が悪い馬鹿が政治に携わるとろくなことにならないのも事実。
行動する前に、まずは勉強して欲しい。
■…俺
△…おばさん
○や×…他の人
○○|○■○|△×
朝の通勤電車。俺は7人掛けの席の真ん中に座っていた。
満員電車で座れたのはラッキーだったと思いながらニュースなどを見ていた。
△にいたおばさんは目の前にいる友達と一緒にアメをなめながら喧しく何かを話している。
しばらくすると新宿についた。
俺は新宿で降りるので立つ準備をしていた。
さっき言ったとおりで満員電車だ。なかなか降り始めることができない。誰の目の前にも誰かがいる。
俺の前にも誰かいたし、△のおばさんの前にはおばさんの友達がいるし、×の前には50代くらいのおっさんが立っていた。
ようやく俺が立ち上がれたころ、×にいた男の人も折り始めた。
するとその前にいたおっさんは当然のように座ろうとしたが、△にいたおばさんが自分の持っていた荷物をその席に置いて目の前の友達に声をかけた。
「ほら、○○さん。席空いたよ。」
その席へ人を押しのけて座っていくおばさんの友人のおばさん。
おっさんは網棚から取り出したバッグをもう一度網棚に戻すと大きな舌打ちをした。
そこから先、彼らに言い争いなどがあったのかは俺は降りてしまったのでわからない。
しかし、見事な技だと思った。
やっている本人は友達の為に席を譲っているのだ。席を奪っていることさえ意識していないかも知れない。
そこに座る友人も友人に席を譲ってもらったとしか意識していないだろう。
そこにおっさんが無理やりにでも座ろうものなら席を奪われたとまで思うかもしれない。
この巧みな技に何か名前はないだろうか?
もちろん比喩ではない。
私は最寄の駅にあるコンビニで、40度のウイスキー二本と梅酒と炭酸ジュースを買って家に帰った。
そして「次に死にたくなったときのために」ととっておいた向精神薬(よく覚えてないが、ストラテラやジプレキサ、トリプタノールなど10種類くらいあったと思う)を酒で煽るように飲み込んだ。
私は夫が自室に入ったのを見計らい、薬・酒・財布・電話だけを持って逃げるように家の近くの公園に走り込んだ。
そこにあったベンチに座り、なにも考えず、とにかく飲み続けた。
私が覚えているのはそこまでで、気がついたら家の布団にいた。
私は驚愕した。酒を飲んでいたのは金曜日の話で、土曜日がなくなっていたからだ。
夫によると、公園で倒れていた私を誰かが通報したらしく、警官が私を家まで連れてきてくれたそうだ。それからずっと眠り込んでいたと。
もちろん、そんなことは一切覚えていない。
夫は泣きそうな目をして、君が生きて帰ってきて本当によかったと言った。一言も私を責めることなく、泥まみれになった私を洗い、トイレに連れて行き、ずっと私のそばにいてくれたようだ。
私は今、正規の社員として勤め、そこそこの収入があり、優しい夫がいる。
それでも私は、会社で同僚に言われた一言に激しく傷ついた時、「これがきっかけで、やっと死ねるのではないか」と一種待ち遠しい気持ちになったのだ。
私が初めて死にたい気持ちになったのは小学生の時だった。当時見た「シックスセンス」の中で、母親が食事に洗剤を混ぜて子供を殺害したシーンをみて、「これだ!」と天啓を受けた気持ちになった。
私は観賞した数日後に、台所にあった味噌汁の中に洗剤を混ぜて飲み込んだ。何かに混ぜなければ、原液ではとても飲み込めなかったからだ。
だが、私の身体には何の変化も訪れなかった。
その後も、友達とふざけたふりをして体育館のギャラリーから飛び降りたり、完全自殺マニュアルを買って首吊りを試みたりした。
電気の延長コードがカバンの中に入っているのを見た友人は不思議そうな顔をしていたが、まさか何時でも首を吊れるように持ち歩いていたなど知る由もないだろう。
自殺を試みていることを人に言ったことはない。 身体に跡が残るようなこともあまりしない(リストカットなどは考えたこともない。あれ、死ねないらしいから)。
自己啓示欲でも本当に迫れているわけでもないなら、私は何でこんなに死にたいのだろうか。
私が発達障害者だからだろうか(でもそれならこの世に発達障害者はいなくなってしまう)精神科にはずっと通っているが、はっきりしない。
きっとまた、私は死にたくなるのだろう。
ブコメで「嫌なことから逃げ出したいけど確実に死ぬのも恐いから不覚時な方法をとって死ねたらラッキーくらいの気持ちなんだろう」とつきそうだし私もちょっとそう思う。
1周回って最近は「やっぱり人間ルックスが全てじゃないすか」って考えに回帰しつつある。
なんか良い年した男が「恋愛」って言葉を使うの、ちょっと気が引けるな。「交際」とかかな。やや堅いな。
閑話休題、男女の交際で大事なのって、絶対ルックスじゃないすか。
ぼくはそこまで女性を見た目で判断しない方(自称)だけれど、それでもやっぱり「可愛い子」と「普通な子」では同じ内容の事を言われても感じ方が全然違うし、
何かが起きる訳でも無いのに、レジの店員さんに愛嬌があったり、同じ車両に魅力的な女子高生が居たり、そういった些細な事で日々のラッキーポイントは貯まっていく。
第一印象は外れない、という話を聞いたことがある。ぼくもそう思う。
「交際」以前の「人付き合い」の時点でさえ、その人に抱く、というか正確には今後抱いていくであろう好意や距離感は会って数セクションのうちにある程度決まっているのだろう。
ここでいう第一印象こそがぼくの思う「ルックス」に他ならなくて、
それは必ずしも「顔」というワケではなくて、「身長」だったり、「体つき」だったり、もっと言えば「声質」「髪質」「立ち振舞い」だったり、そういったあまり努力でどうこうし難いものを纏めて「ルックス」とするならば、
でもぼくがこういうことを書くと、「そういうことを言ってるからダメ」とか、「XXXみたいな例もあるし」とか、「いや人間金だよ」とか、色々な角度からアプローチがあったりもするのだけれど、
いや、別にその意見を否定するつもりは全くなくて、何事にも例外はあるだろうし、ルックスが雑魚でもカッコ良い人間も居ないとは言わないよ。
でも、明らかに、明らかに、ルックスで変わるものがあって、それが結構な頻度であって、そして結果に大きな違いがあって、
そういう世界に生きているハズなのに、「ルックスが全てじゃん」って最初に言ったヤツが負けみたいな、負け犬みたいな、ソイアンペルデドルみたいな、
それだったらじゃあぼくが言い出してやるぜ、切り込んでやるぜ、オレは三都主アレサンドロだ、みたいな。
そしてこの作文は別にルックスが優れている人に宛てたヒガミの手紙ではなくて、
(むしろ良いものを生まれ持ったならガンガン使っていって欲しいし、少しでも優れたルックスを手に入れる・保つために相応の努力をしている人は素晴らしいと思う。勿論ぼくだってその端くれだ。)
ルックスが良いって、交際でも、人間関係でも、とにかく有利じゃん!
っていう当たり前の価値観を当たり前に認めようとしない今のこの世の世界観が気持ち悪いなって、
人間ルックスが全てなんだから、自分のルックスが少しでもマシになるようにやっていったらいいじゃないすか、
結局その先にあるのもルックスの差なんだけどさ、みたいな。
そういうことを書きたかったのではないでしょうか。
実はラッキーが重なって3億円くらい持っている。そしてまだ30代で子供もいない。
同じ境遇になったら、会社を辞めて何か面白い事始めたり、完全に気を抜いてだらだら旅をしたり、そういう生活にチャレンジする人もたくさんいるんだろうし、客観的に見て恵まれた状況だとは思う。でも、そういう事をする気はない。なぜならそれが面白そうだと感じないから。
仕事が好きなわけじゃない。単なるサラリーマンだし。成り上がる!とか自己成長!とかそういう熱意を持ってるわけじゃない。社会人1年目とかは持ってたかもしれないけど忘れた。でもとりあえず仕事を辞める気はない。辞めたいかどうかで言ったら辞めてダラダラ家でニートしてたい。けど今まで通り働く。
なぜなら、それをやったら頭が停止して人間が腐って死んだも同然になってしまう気がするから。
貴重な30代の時間が少しずつ減っていくのはなんとなくイヤだし、仕事にばかり時間をかけてプライベートな楽しさを見出してないのは、年を取ってから後悔しそうな気はする。資金も、若さも、健康もあったのに、なぜあの時にこれをやっておかなかった?人生は一度きりだとわかってるのか?と。
とりあえず今の仕事は勤務時間が長い。休日も少ない。子供はまだいないけど、子育てするには向いていない会社だと思う。子供が出来たらもっと勤務時間が短いところに転職するかもしれない。そのころは早くても30後半だけど。
金はあるんだからもっと適当な働き方ができるところに今すぐ転職する手ももちろんあるけど、それをしない。
なぜなら面倒くさいからだ。今の会社で10年くらいで作ったポジションを放棄してまたゼロから作り直すのが面倒くさい。だったら今のまま、それなりにやる気を出して、わりと成果を上げて、会社業績を上げるゲームをしていたほうがなんぼか人生が面白い気がする。
仕事が好きなわけではない。やりたいことがないので、消去法で仕事してる感じ。もっとリア充的な趣味がたくさんあったら、仕事を辞めて旅行だスポーツだと充実した時間を過ごせたのかもしれない。旅行もスポーツも特段好きではない。通勤中にkindleで漫画読んで、帰宅したら犬と遊んで料理して晩酌して、休日はゲームに出かけたり、近所にうまいものでも食いに行ったり、たまに特に行きたくはないところに連れ出されて半強制的に見分を広めさせられたりするくらいで、まあ十分だ。仕事辞めたら毎日酒飲んでゲームして寝るだけの社会のゴミみたいな生活を数十年送る事になる。自分の性格ならそうなると確信する。でもそんな何もなしてない人生、年を取ってからの後悔はより深そうな気がする。
結局、それなりの充実感を得るために新しい事・不向きな事を開拓してまでってのが面倒だから現状維持を選んで仕事続けてるだけで、なんでお金あるのに働いてんの?の回答は無趣味で面倒くさがりだからですってことなんだよね。でもそれならせっかくだから、仕事もう少しちゃんと力入れて成果出したほうが充実感を得るって目的に適ってるのかな。さて、明日も仕事すっかな。
母と父は10歳差の年の差婚で、父は6年前に他界した。その母の遺族年金は約15万円。厳密には、本人の厚生年金(勤務期間は結婚前10年弱)+国民年金+遺族年金の合計だが、面倒なので遺族年金と記す。国民健康保険税(以前は国民保険料だった気がする。いつから変わった?)は、年金からの天引き、個別納付、どちらなのか知らない。天引きの場合は、遺族年金の額は、天引き後の金額かもしれない。母は、一人っ子の娘に何も渡さず、父の遺産を全額相続したため、多額の貯金があり、自宅の住宅ローンも完済済み。にも関わらず、「年金だけでは足りない」という。
夫は、30代後半、理系4年制大学を卒業したフルタイム勤務の正社員。年収は320万~370万円程度、手取りは18万~23万円程度。残業代が出るため、月によって変動する。去年までの最高年収は29歳、リーマン・ショックの前。年々、残業が規制され、年収は、増えるどころか減っている。ただ、扶養家族がいると、家族手当が加算されるため、子どもが生まれ、自分が育児休業中だった去年は、年末調整時に大幅に加算され、年収は過去最高を更新した。幸運にも、4月に第一希望の保育園の1歳時クラスに入園でき、夫婦共稼ぎに戻った今年は、以前の水準に戻るだろう。
重要だから再度書く。残業ほぼゼロまたは僅少時の手取りは、フルタイム勤務にも関わらず、18万円台。残業ゼロだと、18万円を切る。結婚以来、ずっと無職で、傍目にはヒマを持て余しているように見える母との収入差はわずか3万円だ。このことを母本人に訴えると、年金にはボーナスがなく、働いていればボーナスがあるのだから、トータルでは全然違うというが、30代にとって、ボーナスは「出たらラッキー」という位置づけであり、実際にリーマン・ショック直後はゼロだった。それ以降も、大手企業の平均賞与支給額には程遠く、むしろ、住宅ローン減税の恩恵に感謝している。住宅購入以来、年末調整を行うと、夫の所得税はゼロ。住民税もかなり安い。さまざまなリスクはあるものの、現状の制度と低金利が続く限り、適正な金額を借りて、10年に一度、家を買い替えたほうが貯金を増やせる。
自分は、夫と同い年で、4年制総合大学の文系学部を卒業し、20代前半で東京都内の会社に転職した。同時に年収が大幅にアップ。最高年収は、やはり29歳の時で、業界の動向、給与体系の見直しなどの影響で、今後、何年働き続けても、その金額を超えることはないだろう。出産前の年収は370万~430万円程度。給与計算の関係で、今月支給された6月分の給与で、やっと仕事復帰後の手取り額がわかった。保育園に子どもを迎えに行くため、毎日、17時で退社した場合、手取りは、以前より少ない22万円前後。翌年以降は、住民税を支払わなければならないため、さらに1万5000円程度下がるだろう。保育料は、通常+延長保育料+教材費で約5万円。同じく翌年以降は上がると思われるが、それでも収支はプラスだ。勤務時間が減ったにも関わらず、裁量労働制のため、大幅な減給にならず、会社には感謝している。けれど、この水準でも、母の遺族年金との差は少ない。
夫婦2人で比べると、自分のほうが年収が高く、お金がらみの話をすると、夫はムッとする。今の9対1の家事負担を、せめて収入に応じて半々にして欲しいと訴えても意に介さず、子どもが生まれる前と変わらず、マイペースで過ごしている。互いに年収が多かった20代後半に貯金していたため、どちらかが専業主婦・主夫になっても、しばらくは生活できるが、毎月の収支は赤字になり、やがて貯金は底をつく。
30代前半ではなく、もう30代後半。2人とも昇給の見込みはなく、子どもが一人でごはんを作って食べられるようになるまでは、労働時間は最低限に抑えたい。個人年収400万以下の片稼ぎでは、子どもは一人が限界。共稼ぎなら、経済面ではそこまで厳しくないが、夫を含めた家族や友人、職場の同僚など、周囲の理解・協力がなければ難しい。夫の実家は遠く、実母は金にうるさい毒親、リアルな友人はゼロ、という状況で、第2子を望むことは、始めたばかりの無理ゲー「子育て」の難易度をさらに高めるだけだ。少子化に歯止めをかけるため、国の政策として、結婚するカップルを増やし、出生数を増やしたいなら、今の民間中小企業の給与水準に比べ、高額の厚生年金・遺族年金を減額し、その分、児童手当や保育・教育関連の予算を増やして欲しい。
これでも、恵まれているほうだと自覚している。だからこそ、言いたい。無職の高齢者と、毎日、懸命に働く労働者が自由にできる金額がほとんど変わらない現状は、歪んでいる。一刻も早く是正して、羨ましくてムカつくけれど、今の20代以下の人には、多くの子どもを産んで欲しい。高校卒業後の進路、勤務先・職種選びに失敗すると、お金に悩み続ける人生になる。
全く知らないおじさんに話しかけて、遊んでもらっていた。
一緒に乗ってたのはお母さんと妹。お母さんは妹をきつく抱いて、私が遊び呆けているのを黙って見ていた。
しばらく乗って、薄暗い駅に降り立った。おじさんが迎えにきて、私たちを車に乗せた。途中、おじさんがタコの吸盤の話をし始め、その話があまりにも怖くて大人になるまでタコが食べれなかった。
お母さんはほどなくして、パートを始めた。スーパーのフードコートでのアイスクリーム売りが彼女のお仕事だった。
私はその当時4歳。お母さんはずっと働きに出ていなかったから、おじいちゃんに主に遊んでもらっていた。おじいちゃんは新聞の漢字を私に教えるのが大好きで、そのおかげか6歳になるころには赤川次郎の三毛猫ホームズくらいなら読めるようになっていた。
絵を描くのも大好きで、おじさんが買ってたマガジンの漫画の真似っこをよくしていた。おばあちゃんが鉛筆工事で働いていて、絵を描くのを好きな私に色鉛筆を買ってくれた。毎日毎日飽きもせず、へたくそな絵と漫画を描いていた。
お母さんは、夜も家にいなかった。たまに知らないおじさんを連れて、家に帰ってきた。そのおじさんは私と妹にとても優しくて、おじちゃんおじちゃんと慕っていた。おじちゃんに絵を見せたら、俺のことも描いてくれと言うので描いてあげた。
そういえば、お父さんはどうしてうちにはいないのか、ふと考えることもあった。でもなぜか、聞いちゃいけない気がして私はずっと黙っていた。お母さんを怒らせると怖いから。おじちゃんが優しいし、おじいちゃんもおばあちゃんも、お母さんの弟のおじさんも優しい。だから別にお父さんがいなくても大丈夫だった。ここまでは本当にそうだった。
ある時急におじちゃんが言った。おじちゃんはおじちゃんじゃなくなるよ、増田のパパになるんだよ、と。私は、パパはおじちゃんじゃないよ?と言った。即座にお母さんに叩かれた。妹は言われた通りにすぐパパと呼んでいて、私はそれが今でも悔しかったのを覚えている。パパはおじちゃんじゃないのに、どうしてパパと呼ばなくてはいけないのか、私には理解できなかったのだ。
でも、叩かれたときに悪いことをしたのだと思った。パパと呼ばれなかったおじちゃんは悲しそうな顔をしていた。私は悪人だ、としくしく泣いたけど、誰も慰めてくれなかった。
そして、結婚式。否応がなしに見せ付けられたセレモニーと、いつの間にかお花渡し要因にされた。親の結婚式を見た、ということがおかしいと気付くのはもう少し後なのだけど、どうやら私はこの日を境にパパではない人をパパだと受け入れないといけないことに気づいて、また泣いた。母親には、縁起のいい日に泣かないでと言われた。また私は悪いことをしてしまった。
新居には、優しいおじいちゃんとおばあちゃんがいた。お母さんはパートを続けるからと、私は早速お手伝い要員になった。大方の料理はここで仕込まれ、夕飯の準備はなんでもできるようになった。お母さんは気が向くとパフェを作ってくれて、それが私の密やかな幸せだった。
このころから、「パパ」のスキンシップが激しくなってきた。起こしにいくと、一緒に寝ようと言われ、おとなしくしてると身体を弄られはぁはぁいっている。怖くてお母さんに相談したけれど、子供相手に変な気起こすわけないでしょ、大袈裟だと言われた。本当のことなのに誰も信じてくれないから、起こすのを拒否したら、反抗的な子供で可愛くないと言い捨てられた。また私は悪いことをしてしまったのだ。
私が今でも母親を許せない出来事その1が、小学校2年生の宿題。どこにでもよくある「名前の由来」を聞いてこいと言うものだった。
ゲームをしている母親に、私の名前はなんで○●なの?と聞いた。すると、ため息を一つついた後、母親はこう言った。
「そもそも、お前のことは最初堕ろすつもりだったんだよね。」
そこから始まった彼女の告白は、どうやら私は誰の子かもわからないらしいこと、当時付き合っていた彼氏はいたけど、他の男性とも関係を持っていたらしいこと、実際5ヵ月目くらいに流産してラッキー!と思ったものの、私は流れず残ったこと、当時の彼氏が結婚するからこんなに頑張って残った子は産んでくれと懇願したこと、しぶしぶ了承するも、私を産むときに生死の境をさ迷ったらしいこと、二番目の妹はお腹の中でもおとなしく、安産だったらしいこと、どうやら私をめぐる喧嘩が原因で離婚したらしいこと、ここまでを一気に話した上で、だから私はあなたの由来は詳しく知らないよ、相手が考えてくれたんだもん。と言われた。
そっかぁ、と言って部屋を出た後、私はわりと冷静で、だからうちにはパパがいなかったのか、離婚したから。とか、私は望まれて生まれたわけじゃないから当たりが今まできつかったのか、と納得するしかなかった。作文は、私の名前の漢字を私自身で調べて、それらしい理由を描いた。そして私は、あまり家で遊ばなくなった 友達の家か、学校に残ってずっと漫画を描いていた。絵も話も、同年代の子供たち以上に上手にかけたから、私の漫画は知らない上級生にまで広がり、続きが読みたい!とせがまれる程だった。おじいちゃんの教育のおかげか、学校の勉強も聞いてるだけで問題なく解けたから、学校は楽しかった。
そのころ、母が妊娠し、男の子を産んだ。その途端、おばあちゃんは私のことはどうでもよくなったみたいで、毎日弟にべったりになった。お母さんは私に弟のオムツと飲み物を作ることを要求してた。よく寝てた記憶だ。学校のテストで100点をとっても、小学校で躓いてたら話にならんと誰にも誉めてもらえなかった。お父さんは相変わらず隙があれば触ってくる。私は気持ち悪かった。
私は中学生になるとき、母親に念押しされたことがある。頼むから大きくなってくれるなと。制服代は馬鹿にならない。そして制服を使い回せる某進学校に行ってくれと。私は、家が貧乏なら仕方ないかな、と思った。部活もユニフォーム以外お金のかからない陸上部に入った。その間、家には大型テレビが入り、衛星放送が入り、大きなダブルベッドが母親のために注文されていたが、見てみぬフリをしていた。
母親との嫌な思い出その2。学校で喫煙の害についてのシンポジウムが開かれ、おうちの人に喫煙者がいたら、ぜひ止めるように言ってくださいと言われた。私の母は喫煙者だったので、学校で見てきたことを話した。結論、キレられた。なんで私の稼いだ給料で買ったものをお前に余計な口出しをされるんだ、そもそもお前が産まれなかったらこんな田舎で暮らしてることもないんだからなと。多分世間の狭い田舎での生活に、心身ともに参っていたのだと思うけど、傷ついた。もうそれ以来喫煙についてはふれないでおこうと思った。
このころ辺りから、母親はお菓子を報酬に、子供にマッサージを毎晩要求するようになった。私は高校にあがるまでその要求を呑んでいた。(何せ、親の部屋はアニメチャンネルが見れたから)そのおかげで私はマッサージ技術が拡大に上がった。母親は2時間くらい全身のマッサージをさせた後、100円のポテトチップをくれた。だがこれも、最初はマッサージの対価=お菓子だったのが、お菓子が欲しかったらマッサージをしろというものに変わっていき、私はさすがについていけなくなった。
高校は母の望んだ進学校に進んだ。ここで私は同人を始め、世界が変わるような体験をする。自分の描いた絵は誉められ、漫画も値段をつけたのが売れた。私は家に寄りつかなくなった。帰る時間も極力遅くし、可能なら母親の実家に泊まった。家に帰ると私はイチからごはんを作らなければならなくなったが、母親の実家は料理を用意してくれ、お小遣いもくれた。(実家は一円もくれてなかったので親にも学校にも内緒でバイトもしていた。)学校の成績も上々で、でも頼むから就職してくれと言われていた。進学校なのに。そのころ妹はお金のかかる部活に入れてもらい、練習道具も全部揃えてもらっていた。弟は頭の出来が悪いから、私が家庭教師変わりだった。もちろん、無休。
このころから、休日の昼食は私任せになり、母親は夜ご飯もほとんど作らなくなった。妹や弟は料理ができないので、私が全部作った。
私は就職なんてしようと思ってなかった。何が何でもこんな家は出てってやると思っていた。そんな時、母親は病気になった。ガンだ。
私はそれでも構わず家を出て、自分の夢のためにとにかく稼いだ。悔しかった。ノート一冊買うのですら渋られたのが悔しくて、ずっとずっと収入がある仕事と、自己実現のできる世界で生きた。途中途中で連絡はあっても、すべて無視した。
ただ、母親が死ぬ1ヶ月前だけは毎日のように病院に通った。妹に頼まれたからである。妹は、献身的に母親の看護をし、ずっと実家暮らしで働いてないのに、よっぽど私より評価は高かった。
私はいつかみたいに2時間マッサージをした。どうやら、母親は私のマッサージがお気に入りだったようで、弟や妹じゃぜんぜんダメだから私を呼んだようなことをかすかすの声で言っていた。たぶん、初めて私があの人に求められた瞬間だったのかもしれない、今思うと。
ほどなくして、母親は亡くなった。まだ40代、かわいそうだと思った。私がいなければ、この人の人生は輝かしいものだったはずで、こんな病気にもならずに済んだかもしれない。そんな思いで死に化粧と、お父さんと子供たちのスピーチを全部用意した。何故って、お父さんが、お前くらいしかそんなことできる子いないんだよ、って言うから。
ふと思う。私はここまでされて、なぜ母親が嫌いじゃないんだろう。
人に言うと、よくぐれなかったね?と言われるけれど、ぐれたところで何も変わるわけなかった。だって、興味を持ってくれなかったんだもん。私という人間に。
自分の性格も関係してると思うけど、じゃあここまで話して、私の人生とあなたの人生取り替えっこしてみようか?と言って首を縦に振った人間は一人もいません。
それが全てです。
この増田に対して「何とかなる」とか「内定取っても激務で体調崩す人だっている」とか言ってる人があまりに多いけどこれが現実だよな
「何とかなる」って「(ラッキーが起きたり物凄く苦労したりしたりして最終的に)何とかなる」という意味だから安定しない人生おめでとうと言ってるようなものだし
内定取った人のもしもの話なんかしても意味ないし、第一増田がこの先内定を取った時盛大なブーメランとなって突き刺さる
要するにそういうごまかしの慰めしか出来ないんだよな、就活に失敗した人に対しては。
そもそも本当に就活がうまくいかないことが悪いことじゃないなら「就活失敗」という表現自体おかしいのだけど、ブコメでもあんまりそこ突っ込んでる人いないよね
就活には成功と失敗があり、就活がうまくいかないのは悪いことであり失敗であるということが無意識のうちに前提として共有されている
だから「何とかなる」なんて奥歯に物が挟まったような言い方する人が出て来るし(大丈夫なら大丈夫だと断言すりゃいいのにさ)、
わかりすぎてこわい。
三十路女ですが。
メル友とかルーズソックスとか流行った時代の女子高生でしたが。
ほんと、なんなんだろうね。
劣等感というのかな。
あのキラキラした部類の人たちに対する敷居の高さといったら。
がんばっててえらいなと思います。
気にするなと言っても、
あの人種のキラキラが一体どこからわいて出てるのかと考えたら、
とにかく自信がわいて出てるんだと思います。
こわいものなしですね。
時々自分の悪いとこが気になったりして、
なんか色々考えすぎちゃったりもして、
そんなにこわいものなしにはなれないというか…
それも過去の話にして図々しく生きてきた、
社会に出ればそれこそいろんな人がいて、
自信たっぷりの人もいるし、
自信なくしちゃった自分もいる。
なんとなく周りには気を使っちゃうけど、
現状維持で、がんばってほしいですね。
自信なんてものは、
たまたま失敗知らずとか、失敗が気にならないとか、
自信なくしちゃってるなら、
思いきって学校の外とかでも、
いろんなことにチャレンジして、
なんて思います。
おやすみなさい。
よかったね。
任期ありか無しかは知らんが、高齢ポスドクで拾ってもらえるなんてラッキー。
その分野を愛していないの?
これから、その大規模な実験でわかることを考えれば、わくわくしない?
できることをやるしかないんだよ。
同じ研究者より。