はてなキーワード: ラッキーとは
デートで食事代払ったのにホテルに行けなかったから、割り勘代5000円返してくれといって口論になった話。
(ちなみに5000円は返してもらえている)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14165312519
収支を短期的に見すぎているために起こるミス、および怒りです。
1セックスごとの収支を必ず黒にしたいのであれば、今回は交渉ミスでしょう。5000円もらえたのはラッキーでした。
逆に言えば、セックスもできない女と食べたくもない5000円の飯を食べたわけですから、飯代5000円は回収できたとしても時間的には赤です。
次回からは事前に「セックスさせてくれるなら食事代をおごるけどそれでいいか?」という合意をとりましょう。できれば食事に誘う段階で合意することができれば、時間的な損失も回避できます。
事前に合意が取れないというのであれば、そもそも毎回収支を黒にすることは不可能です。その場合は、収支を見る範囲(期間や人数)を広げましょう。
そうすれば、
①5000円程度撒き餌として必要経費に参入できるため、最悪お金を回収できなくても納得がいく
②相手に対して期待値を計算し、経費の幅を設定できるため節約が可能
あなたには後者の考え方があっていると思います。この考え方であれば、撒き餌の経費を最小限にするために5000円を後から請求するにも合理性があります。また、この方法を使用するメリット(特に貴方に対して)が大きく2つありますので心に止めておいて下さい。
①ちゃんと期間をおき、出費を経費として考えられれば、その場で口論するのが得策かの判断(次回へ持ち越し)もできるため、より交渉の幅が広がります。
②この考え方は、成功率を挙げるために事前に合意を「とらなかった」ので、食い逃げだとイライラする必要はありません。選択的に食い逃げを許容しているのです。
食事代、交通費、ホテル代、時間的損失をちゃんと予算立てれていません。ホテルに誘う目的、なぜ素人を相手にするかをきちんと考え、予算を立てて下さい。貴方が食事代5000円とホテル代12000円をかけてしたセックスは、本当にその額でなければできなかったのでしょうか?
セックスは合意の元で行われるため、いくら費用をかけたかは本質的ではありません。全て割り勘のセックスもあります。すべて割り勘にしてもいいような貴方の魅力を考えて下さい。
補足
①常套手段として、「今回は割り勘だけど、今後もっといいことがありそう」と思わせるという手段があります。これは高等手段ですが、演技力さえあれば可能です。
②打数は打率×打席ですが、一口に打率と言っても相手によって違います。打数は打率×打席だよと言うアドバイザーには注意して下さい。まやかしです。打率が大きく変動するポイントを見つけ、改善することが真のアドバイスです。
ここ最近つらい。
人間関係がまるでだめ。どうしてこうも上手く行かないんだろう、悲しい思いばかりするんだろうとずっと考えている。
なんだかぼろぼろになってきて、認知療法の本まで買ってしまった。心療内科に通うほど追いつめられてはないが、疲れている。
あの時よりはまし、なんて誤魔化しながら生きてる。
失敗するといつもこの状態にぶちあたる。
今回のきっかけは失恋だった。いや、いつもきっかけは失恋だった。つまらないな。
なんで自分はこうも自信がなくて、人と話すのが苦手で、頑張っていても自分の魅力を伝えられなくて、
誰かに笑われるのが怖くて、恥ずかしくて、苦しくて、一人で閉じこもってしまうんだろう。
多分自分を好きにならない人を選んでいる。
私の事なんてみる隙が無い人にわずかな希望を持っていて、たとえそれが上手く行ったとしても
薬物中毒の人だから、離婚暦があるとか、日中デートしてくれないとか、幸せになれない理由をあげて悩むんだろう。
だめなんだよ、違う人を選んでいるんだよ、相手のせいじゃなくて、自分のみる目が腐っているせいなのに。
自分は何で誰にも選ばれなくて幸せになれないんだろうってそればかり考えてしまう。
理由、理由、理由、夜眠らないで考えてたんだ。ほとんどが検索だけど
恋愛出来ないのは親のせいじゃないよ。
自信が無い人は愛されないって検索したんだ。
そうしたらアダルトチルドレンのコラムが出てきてチェック項目もあった。
人のせいにする訳じゃなくて、アダルトチルドレンの状態にぴったり当てはまってしまったから、そこから抜け出してまずは自信を持ちたい。母を恨むんじゃなくて、アダルトチルドレンの状態に向き合いたい。もしかしたら根拠の無い自信の無さから抜け出せるかも知れないだろう?
他者から愛されれば自信が持てるかもしれないと思い、もしかしたら無理に人を好きになってのかも。でも何故いつも叶わない人を?と疑問だが、それも自信の無さの現われのように感じる。自分を認めなくないんだ。
認められたいのに認めたくないんだ。認められないようにしてるんだ。考え方に矛盾があって現実的じゃないんだ。
ちゃんと自信を持つように訓練して、自分も他者も認められるようにならないと人間関係は構築できないのではないかと一晩中考えた。
だからとっても気分が悪い。
端的に言って、思いのほか面白かったです。
監督の過去の作品から憶測して「どうせまた雰囲気だけの恋愛映画だろう」と思い、
あまり乗り気ではなかったのですが、
実際にはそうではなく、非常にエンターテイメント性に富んでいて、
過去作とは段違いの人気があるのも素直にうなずけましたし、見に行って本当に良かったと思います。
その上で、気になったことが主に二つありました。
それは、恋愛作品としての欠点と、恋愛以外のストーリー上の欠点です。
前半のコミカルな入れ替わり劇から、後半のシリアスな展開へといっきに変える重要な部分であるだけに、
こまかいことではありますが、違和感のようなものが最後まで残ってしまいました。
今が何年かというのは、嫌でも目や耳にする機会はたくさんあるはずですし、
もし何月何日という日付が同じで気づきにくかったとしても、曜日がちがうはずです。
テレビで彗星のことを見て、それを思い出せなかったのはすごく不自然に思えます。
ただし、このことについては、設定上の説明はいちおうされていると思われるので、
「入れ替わってるあいだは、まるで夢の中にいるように、意識や記憶があいまいになる。」
というような説明が何度かあったので、
おそらく、日付のちがいに気づけなかったり、彗星や糸守の惨事のことを思い出せないような、
ただし、この入れ替わりの能力自体が、糸守を惨事から救うためにあるとしたら、
記憶があいまいになるように働く力は、その目的に反したものになってしまうので、
その矛盾を解くために、さらなる説明が必要になる気はしますが・・・。
そういえば、入れ替わった瀧が、朝、制服を着て学校に行こうとして
四葉に「なんで制服着てるの?」と言われるシーンがありましたが、
もしかしたらあれが、「曜日がちがっているけど気づけない」ということを
表現したシーンだったのでしょうか。
さじ加減の難しい部分ではあると思います。
そして、恋愛作品として、はっきり欠点と言えるのがこの部分です。
入れ替わる前までの二人は、せいぜい胸を揉んだり、都会の生活を楽しんでいただけで、
入れ替われなくなり、シリアスな展開になったとたん、
「お前が世界のどこにいても、必ず会いに行く!」などと言い出してしまうほど、
たしかに、急にもう会えないと知って、もういちど会いたいという気持ちが盛り上がるのは、
瀧は三葉のことを好きになっていることを先輩から指摘されていますし、
ということは、入れ替われなくなり、会えなくなる前から、
すでに二人は好き合っていたということになるのですが、
そうなった理由もわからないですし、それらしい描写も何もなかったように思います。
自分一人では行き詰ってしまっていた問題を、入れ替わってる間に相手が献身的に解決してくれたなら、
そうやってお互いの心の深いところまで知るうちに、
相手を大切に思う気持ちが芽生え、それが徐々に好きという気持ちに変わっていって、
ラストシーンでようやくそれが最高潮を迎える、というような展開であったならば、
おそらくもっと納得できたでしょうし、感動できたのではないかと思います。
でも実際には、瀧は自分の感情から机を蹴って意地悪な同級生たちを威嚇してみせただけですし、
三葉は、興味本位から先輩との仲を取り持って余計なお節介を焼いただけでした。
これだけではとても、お互いの心の深いところまで踏み込んだことにはならないと思います。
にもかかわらず、ストーリーの中盤ですでに、二人の恋愛テンションはマックスになってしまう。
これでは、観客は置いてけぼりにされた上にどん引きされてもしかたありません。
結局、この問題は、監督自身の恋愛に対する価値観から生まれているのだと思います。
ささいな出来事でも惹かれ合い、出会ってしまえば恋に落ちるのは当然、ということでしょう。
宮水の神様から与えられ、三葉のご先祖様たちから受け継がれた、
「時を超えた入れ替わり」の能力のことなのだと、いちおうは理解できます。
本人たちの意志とは関係なく無理やり結び付けられた二人というのは、
もし、瀧と三葉がその「運命」によって惹かれ合っていただけなのであれば、
糸守の人々を救うことができた時点で、その必要はもう無くなってしまうことになり、
五年後に再会した時に、お互いを「運命の人」とすぐに認識できた理由が説明できなくなってしまいます。
このように、「運命の人」という言葉自体は、この上なくロマンチックな響きのようではありますが、
実は本来のロマンスとは異なるものだというジレンマを併せ持っています。
だからこそ、その「運命」によって惹かれ合った二人が本当の恋に落ちるための理由、
いわば「運命の人のジレンマ」を埋めるためのプロセスが、本来であれば必要なのです。
また、運命の人かどうかはともかく、
誰かを好きになるために、第三者が納得できるような客観的な理由というのは、
じつはほとんど無いのだろうと思いますし、必要も無いでしょう。
たんなる直感や一目惚れといった、本人だけにしかわからない理由であったとしても、
本人さえ納得していれば、何の問題もありません。
そう考えると、瀧と三葉が恋に落ちた理由も、べつに無くても良いのではないか
と、思えてしまうかもしれません。
ですが、ことフィクション作品においては、それではダメなのです。
監督や脚本家という第三者によって、観客という別の第三者が見るためにつくり出された
ですから、その第三者が納得できるだけの理由が、絶対に必要になります。
もし本当にリアルな、つまり理由の無い恋愛を描いた作品にしたいのであれば、
監督や脚本家がつくり出したものでもなく、観客が見るためのものでもない、
実際に恋愛をしている二人のありのままを撮ったドキュメンタリー作品をつくるべきです。
そうではなく、あくまでフィクション作品をつくりたいのであれば、
たとえ恋をしたことが無い人でもそれが「リアル」だと感じられるような「リアリティ」、
わかりやすく言えば、たとえ「ウソ」でも「リアルっぽい」と思わせる説得力であり、
もしそうでなければ、リアルにおいて「理由の無い恋愛」をしたことのある人にしか、
これは恋愛だけでなく、たとえば、殺人や戦争などの表現に置き換えてみると、
たとえどんなにリアルでも、
実際に殺人や戦争を体験した人でなければ、理解も共感もできないような表現を、
フィクション作品に用いることは悪手なのです。
そもそも、今作のようにオカルトやSFなど、リアルではない世界観を扱っている作品で、
それは一つの作品の中で各要素における「リアリティのレベル」が合っていないことになるでしょう。
恋愛体験の異なる人たちのあいだで論争になっているようですが、
そのこと自体がすでに、恋愛をテーマにしたフィクション作品として、
この作品が大きな欠点を有していることの顕れである、と言えると思います。
恋愛作品としての欠点が、監督自身の恋愛観に因るものであるとすると、
今後の作品において何度でも繰り返されることになってしまうのでしょうか。
今回は、監督のその間違った恋愛観を表現するための設定や伏線の副産物として、
エンターテイメント性の高いストーリーがたまたま生まれてしまっただけだとすると、
今作のヒットは、ただのラッキーパンチだったということになってしまうでしょう。
できれば、そうならないことを願いたいと思います。
元増田程の良い生活は出来てないけど、それなりに良い給料を貰って良い生活が出来ている同じ世代の独り語り。
自分は勉強出来なくて底辺高校出身の高卒だけど、同じくラッキーだったりが続いて転職の結果、
年収ランキングに入る一部上場IT企業に中途で入り、今の生活に至る。
インターネットが誕生して発展していく時代に生まれたから、ゲームオタク・パソコンオタクであることが武器になって、
(プログラム弄ってたり、適当なミドルウェアを入れて環境を構築したりが遊びになる)
ただ、そうなれたことの一端に
>でもそれも、そんなカードも、両親が必死になって繋いで手渡してくれた大切なカードだった。
これが大きいんだと思う。
親が好きに生きさせてくれたことで今があるんだなぁと言うこと。
思い返せば、小さい頃から勉強ができなくてテレビゲームばっかりやってたけど、親がそれを怒ることは無かった。
怒られることが無いから、勉強は別にしなくて良いものと思っていた。授業中は「なんでこんなことしてるんだろ。学校の先生ってのはうるさい人だ」位に思っていたと思う。
勿論勉強しなくちゃいけない時期にテレビゲームばっかりやってたから、wikipediaに底辺高校と書かれるような高校に入って
名も無き零細ITにしか就職できなかったけど、それも自分の行動の結果だから人のせいにしたり後悔するようなことは無かった。
どちらかと言うと大学に行けなかったことで、人より4年早く就職できたことのほうが大きかったと思う。
当時の現場が良かったのもあるけど、単調なコーディングやテスト手順書ばかりではなく、いろんなことをやらせてもらえた。
2000年問題の前はまだ中小規模の会社でも元請けが結構あって、今みたいに頭数揃えて人海戦術ばかりな業界じゃなかったしね。
エンタープライズなIT業界が労働集約型産業になっていく中、インターネットが発展したくさんの技術が生まれたことで、
結果として、少なくとも現時点では学歴が無くても良い生活が送れている。
ガルパンおじさんの聖地大洗町が財政難のために救急車が買えないらしい。
http://mainichi.jp/articles/20160929/k00/00e/040/146000c
ネットでは今こそガルパンおじさんの出番!なんて記事が乱立している。
私もひとりのガルパンおじさんとして、また大洗町へ訪れる観光客として
この状況には胸が痛い。なんとか力になれないかと思う。
※参照先リンクを見ると、町長さんは寄付をしてほしいとは言っていない。
また、ネット上でのガルパンおじさんの出番!はネタ的に言われていることも承知している。ただガルパンおじさん兼地方民として感じたことを書かせて頂く。
寄付でたまたま救急車が買えたとして、今後もう一度同じことができるか、難しいと思う。
その時どうするのか。また、新調できたとして、維持費用はどうするのか。
税収が少ない地方自治体が資金を調達する方法として自主的に寄付を選んだのなら、それはそれでひとつの方法だと思う。
ただ、棚ぼた的なラッキーを期待するのは間違っている。
ひとのうちのことに頼まれてもいないクソリプを飛ばして申し訳ないどう思う。
しかしせっかく寄付をするなら、そういった問題に町はどう対応するんだい?ってことを知りたいと思う。
もし寄付が始まったら早速入金しにいくよ。
9/27修正:学校特定経緯を一部加筆。本名および番地単位の住所に関してはまだ疑わしい要素が残るため保留。
彼が一躍有名となった動画「今日は特別に住所を公開するよ!」だが、
本動画内で語られた学校名「あさら(?)学校」、住所「千葉県あさら町23118」は日本中どこにも存在しない。
もう一つ出回っている彼の本来の住所とされる「千葉県船橋市○○○○△-△△-△」だが、
この住所らしきものが書き込まれた経緯を大雑把に言えば「バレバレな偽住所を公開してキレた一視聴者が本当の住所を特定した」となるのだが、
どうもこの特定に至った根拠が曖昧な憶測に基づくもので、非常に疑わしい。
以下、動画コメント欄より特定経緯引用(URLから見れば容易に分かることだが、念のため個人情報は伏せる)(*1)
ユーザーA 2 週間前
ユーザーB 2 週間前
あさだ学校って調べてみたけど出てきませんでしたよ
ユーザーC 2 週間前
ユーザーC 2 週間前
速報
電話:×××-×××-××××
本当かすら知れない「あさら町」の情報を基に登校範囲を推定しているロジックは分からなくもないが、
柏市旭町6丁目から件の船橋市の所在地への道のりはなんと"25km"であり、到底登校範囲とは言えない。何故ここに至ったかは謎である。
ユーザーCは「住所特定されました助けてください」のコメント欄にて「説明欄に書かれた住所を調べただけ」と明言している。(*2)
ユーザーC 2 週間前
コイツの場合自分から住所言い出したからいつもの10倍速く特定出来たwww
「瞬殺のコルバルト本人が『そのコメント消してくださいお願いします』」と発言しているため、この住所は本物」という見解もある。
実際に彼はそのようなコメントを残しているので、その説の可能性は否定できない。(*3)
ユーザーC 2 週間前
瞬殺のコルバルト kolubaluto 2 週間前
一方で、「住所特定されたのでいま実家にきています、軽く雑談します」動画内では、他動画とは違って妙に大人びた様子が見える。
さらに、ある程度ニコニコ動画・YouTubeの文化を把握しており、インターネットに精通しているような様子も見られる。
(「意図的にキチガイキャラを演じていた」「(有名YouTuber)はオワコン」発言など)
動画リンク: http://www.nicovideo.jp/watch/sm29700855 (ニコニコ動画へ転載されたもの)
ある程度の理性を備えている辺りから「偽住所にわざと反応して特定された風を装う」という発想は十分に考えられ、依然として疑わしい要素は残る。
これは「瞬殺のコルバルト」がバズる前から一定のアンチ層が存在した事に依る。
彼は以前「TVチャンネル」の名で活動していたのだが、その際に無差別に他人の動画へ「僕の動画見てください」コメントを書き残す宣伝行為を行っていた。
それが一部ユーザーの逆鱗に触れ、被ウォッチ対象となったようである。
(ちなみに一部ユーザーは単なる小中学生YouTube利用者集団であり、炎上に定評がある某弁護士界隈等とは一切関係がない。)
ユーザーE 3 週間前
瞬殺のコルバルト kolubaluto3 週間前
ユーザーF 2 週間前
地獄みたいなYouTubeのコメント欄を「もっと見る」を押しまくって投稿直後まで遡るの、本当にしんどいのでもう少し改善してください……。
「瞬殺のコルバルト」は釣りであると以前結論付けた。しかしながら僅か1日で事態は急変した模様。
彼の住所について、少なくとも通っている小学校は信憑性の高い特定が行われてしまった。特定に至った経緯を以下に示す。
その付近の小学校のFacebookを精査した所、似た小学生が「TVチャンネル」時代の動画と同じ服で写った写真が掲載されていた。
これにより通う小学校が確定した。
さらに、この住所を書き込んだコメントが投稿者によって削除されたという報告も上がった。
釣りの段階ではコメント削除を実行しなかったことを鑑みると、この行動は却って信憑性を高めるように思える。
そしてトドメに「瞬殺のコルバルト」チャンネルの動画が全て投稿者によって削除されてしまった。この特定を半ば裏付けてしまったか。
「『瞬殺のコルバルト』は多分そこまでバカじゃない」などと過信してしまったが、彼の目論見はどうやら片手落ちだったようである。
(*1)引用元:https://www.youtube.com/watch?v=IF-LMNMq1FQ&lc=z12cgzdakynfudl5p04cf5ohbo2pdrkpzhs
(*2)引用元:https://www.youtube.com/watch?v=OhCixgMjDm0&lc=z12cu5z50u3fshasa22zjbaxfzeqzddkw.1473551794119763
(*3)引用元:https://www.youtube.com/watch?v=IF-LMNMq1FQ&lc=z12je5mi1ki0dd0ww04cfxwwvpjxevx5a3k.1473412385305039
(*4)引用元:https://www.youtube.com/watch?v=Znw1O6FiAu4&lc=z12pdra4pkfiebdut23ifx1ymrrxfpaj004.1472629041975604
新海誠氏の「君の名は。」は、菊田一夫氏の「君の名は」との関連性や権利関係のことがほとんど語られていないけど、万障お繰り合わせて周到に準備した上で、あえて同じタイトルを使ったんだよね。リスペクトであるならば、その旨を語ったインタビュー記事とかないのかな。それとも商標登録してないじゃん!ラッキーみたいなことなのか。
すっきりしない。
1. 理想:好きを仕事にして収入も高額アンド安定。こんな人は希少。実践できたとすれば、貴方は凄い人(凄い努力の持ち主?才能の持ち主?)か、ラッキーな人。
2. 現実:好きを仕事にすると収入激減するか不安定。ストレスフルで嫌いな仕事にすると実は儲かる&実は安定してる。普通の人。
3. がんばりましょう:嫌いな仕事なのに儲からないあるいは不安定。こっちはちょっと頭使って抜け出すべき。
3.から2.へシフトするのは、ちょっと頑張ればできる。でも、2.から1.へシフトするのはとっても大変。なのに、2.から1.へ「簡単になれるよ!」とか案内する情報が氾濫するのは何故なのか...きっと実現性を判定する脳みそが、ここらあたりでバグるように出来ているのかな...
中学のとき父がリストラされて、今でいう貧困家庭になりました。生活保護まで受けてはいなかったけど。
衣食住は大丈夫だったし、ひもじい思いはしなかったです。親に感謝。
ただ、お金がないことによる制約や、格差社会に対する不満を同年代に比べ募らせたのは確かです。
それと正直、お金の問題よりも生活が困窮したことで追い詰められた父からの精神的暴力がきつかった。
大学は社会学を学べる学部を選びました。はじめは中高年のリストラ問題に興味があったから。父の問題ですねー。
ですがだんだん、現代の貧困、格差社会、児童虐待とかに関心が向いていきました。
今それができる場にいて、楽しいです。しかし、これは思いっきり中学の時の体験が影響してるわけで、それを私に味わわせてしまったと考えている親、特に父の代わりに働いてきてくれた母にとってはあまりこの経緯にいい思いは抱けないのかなあと思ったり。ごめんねー親不孝で。
でも契機が何であれ、今自分のやりたい勉強ができるのは嬉しいです。
彼らは「弁護士の仕事として当たり前のことをしている」と言っているが、これは批判者が無知であることにして上に立つことに酔っているだけであり、賛同する人間も同じだろう。
そもそも批判者は「犯罪者を擁護するとは何ごとだ」と怒っているわけではなく、その擁護の論理がむちゃくちゃ且つセカンドレイプ的だから怒っているのである。それが読み取れない時点で読解力がない。
こんなセカンドレイプ的なコメントが「弁護士は犯罪者を守るのが職務だから」で許されるのなら、PC○ポの悪質な営業も「営業目標を達成するのが彼の職務だから」で許されてしまうし、パワハラを働くブラック上司の行動も「利益を出すという職務のための行動だから」で許されてしまう。職務を全うするためなら、セカンドレイプをしても人権を踏みにじってもいい、なんてわけがない。
無実なのだったら裁判で争えばいいし、そもそも起訴が困難な案件だったのなら、示談にする必要がない。示談は金で解決する手段であって、無実を勝ち取る手段ではない。あの論理は詭弁でしかなく、しかもそれは裁判に無知な人間を錯誤させるためのものであり、底意地が悪いと言うほかない。
セカンドレイプ且つ「このコメントで騙される人間がいたらラッキー」あるいは「一般人は無知だからこれで騙される」という狙いが根底に流れているコメントであり、胸くそが悪いのである。以上。
もののけ姫の「生きてりゃ何とかなる!」という台詞のようにポジティブな意味で使われることが多いけど、
(はてブ)逃げればいいとか簡単に言う大人が信じられなかったので募集したら逃げた人はほんとうにめちゃくちゃいた - Togetterまとめ
http://b.hatena.ne.jp/entry/togetter.com/li/1018934
↑これみたいな感じで、既に経験してきた人生に対して「何とかなった」と言われるとどうもネガティブな印象しかない。
奥歯に物が挟まった言い方というか。本当に逃げて良かったと思えるならその言葉は出て来ないんじゃないか。
何とかなったの「何とか」部分を列挙してみたら、実は元の環境で耐えた方が明らかにマシだったということはない?
というか、逃げた後にさらに悲惨な未来が待っていたけどそれはそれとして何とかなったというのは、逃げという選択自体は間違ってたってことだからね?
まあそれはあくまで結果論だし、生きているからラッキーだとはっぱ隊も言っている。
でも逃げた結果「何とか」部分を具体的に言えないような苦しみを味わった人が「逃げても何とかなるよ!」と誰かの背中を押すようなこと言うのは、
無責任というか過去の自分に失礼というか、喉元過ぎた熱さを忘れすぎじゃないかと思う。
もちろん逃げ出した相応の大変さを指して「何とかなった」と言っているなら話は別だけどね。
上が新人に仕事を教えられないのは、自分のやってる仕事を明確に体系化出来ない無能だからだよ。
多分先輩はあなたのことが嫌いなんじゃない。自分が何となくやってて何となく回してる仕事をうまく説明できないからなんだ。
あと、説明すればする程自分のやり方が非効率的だったり穴があるのが見えてくるからそういう弱みを若い人に見せたくないって場合もある。
下手に先輩とかが半端に介入してこない分、むしろ独学でやったほうが効率いいんじゃないかな。そういう意味ではラッキーだよ。
すごく希望的観測で物を言うなら、先輩は後輩の接し方が絶望的にわからないだけで、しっかり頭下げて頑張って質問したら答えてくれる人かもしれない。(もうやってるかもしれないけど…)
スキルを身につけること?今の会社で生き抜くこと?クソみたいな会社を糾すこと?私生活を充実させること?
答えは一つじゃないと思うが、もし仮にもっといい会社に転職することが目標だとしたらスキルと経験は必要不可欠よね。
目標をはっきり持っているならそれに向かって歩き続けるしかない。
http://togetter.com/li/1012230
http://anond.hatelabo.jp/20160815184005
http://anond.hatelabo.jp/20160816110752
父親「サポート契約同時加入でPC実質無料キャンペーン?ラッキー!買ったろ」
1年後
息子「何を契約させとんじゃコラ!解約させろや!!」
もう今から15年も前になるんですね。
当時の私は13歳。中学1年。
母の友人がジャニヲタだった。
経緯は聞いていないがその友人から急遽チケットが余ったから来ないかと誘われて行った。
今考えると吾郎ちゃんが例の謹慎で参加しないことがわかったから急遽余ったのかもしれない。
少し母の話をすると母は元々郷ひろみが好きで、
たぶんその流れでSMAPも好きだったんだと思う。
でも「木村はやっぱかっこいーわー」と現場に行くと言うタイプ。
そんな母の元に生まれた私は
気がついたら慎吾ちゃんが好きだった、俗に言うジャニヲタ英才教育タイプだと思う…
相当早くから茶の間ファン(他ジャンルでいうと在宅ヲタというやつ?)はしていたから
当時まだ150センチほどしか身長がなかった私は必死で人の間から見たのを覚えている。
周りのお姉さん方、開演前に厚底ブーツに履き替えてたのよく見かけてた。笑
初めていったし、今みたいにSNSが発達していたわけでもなく
アルバムを事前に予習して現場に行く、なんて当たり前の現場前ライフハックも当然知らない私。
しかも「ウラスマツアー」は「ウラスマ」というカップリング曲のベストアルバムツアーだったため、
本来のツアーよりもおそらくメジャータイトル曲は少なかったはずなのである。
それでも私は今でも当時のブロンズみたいな髪色でロン毛の慎吾ちゃんがかっこよくて、
とにかくかっこよくて、手を伸ばしても届かないのにすぐそこにあった眩しいステージに引き込まれて魂ごと持っていかれる経験をしてしまった。
色々拗らせて、それなりに色んなグループを見た今とは違う、
まっすぐにエンターテイメントに心動かされた初めての経験がSMAPだったのは本当に贅沢だけど本当に良かった。
15年立ってもかすかに映像として記憶に残ってるんだから、たぶん死ぬまで忘れないと思う。
そのあと超名盤だと今でも思っているDrink SMAPツアー、慎吾ちゃんがTarzan企画でダイエットして
Drink Smapツアーでやっと5人揃ったSMAPを見られたし、仲間って強い、SMAP強い!と
ただ、実を言うとこの後デビュー当時からSMAPと平行して茶の間ファンをやってた嵐に降りてしまい、SMAPからは少し遠ざかった。
さらにその次もチケットが取れず現場に実質4年ぐらいいけなくなったこととそもそも長く続いた世界に一つだけの花ブームでうんざりしてしまったことが原因)
それでも一線で活躍している彼らの活躍はテレビで、CDで定期的には見続けていた。
そんな彼らの新たな一面を見られて、また魅力を感じたのはKis-My-Ft2(以下キスマイ)のデビューが大きかった。
デビューする少し前からキスマイを応援し始めた私だったが、(ちなみにキスマイデビュー後に前述の嵐からキスマイに降りています)
賛否両論あったし相当露骨なバーターだったので私自身も首をかしげることもあったが、
SMAPが先輩として後輩を可愛がる姿というのは新鮮だった。
あの頃よりおじさんになっていても、やっぱり圧倒的オーラはそのままで、やっぱり格好よかった。
露骨なバーターのおかげか、歌番組の観覧にキスマイ目当てで応募し、SMAPも一緒に見るという(世間的価値は逆なのでしょうが私の価値としてはこの感覚なのです。笑)
一石二鳥の経験をしていくうちに、やっぱりもう一度SMAPのコンサートに行きたいかも・・・と思うようになった。
そして私は2012年にGift of SMAPの東京公演に足を運んだ。
圧倒されるばかりだった。あの頃もすごかったけど、やっぱり今もすごかった。
むしろ今の方が、すごかった。痺れた。震えた。
あの頃と違ったのは周りの観客におばあちゃん達が増えていたことぐらいか。笑
脳天から突き抜けて舞台上の眩しい光の中に魂ごともっていかれそうになるあの時の感覚。
初めて足を運んだ2001年からはもう10年以上経っていたのに、まだその感覚味あわせてもらえるんですかと驚いた。
興奮しながら母に連絡したのを覚えている。
母は嵐にはてんで興味を持ってくれなかったが、SMAPと一緒にいるキスマイには少し興味をもってくれるようになり
上京して離れて住むようになった私と連絡することが増えていた。
その後のMr.Sツアーはチケットが取れず、足を運べなかった。
でも、次は母と入りたいし、2年後は25周年だし、こりゃあ次は楽しそうだな~と呑気に考えていた。
そしたらこうなった。
どれが本当の話でどれが嘘なのか陰謀なのか陰謀なんてそもそもあったのか、本当のことは知りえない。
母は例のマネージャーさんの話も副社長とその娘の話も通じるので
あーでもないこーでもないと話していたが
諦めではなく「もう痛々しくて見ていられない」という意味でそう言っていた。
どんな形でも残ってさえくれればと願うファンがいる一方で
私も母と似たような感覚でいる。
元をたどればメンバー内の確執なんかではないことくらいわかってる。
それでも結果こうなった。
一緒にい続けるって労力がいる。
仲良しこよしの飲み仲間ではなく、一緒に戦うパートナーだからこそ
妥協した関係じゃないからこそ、我々の想像を超えた関係だからこその結果なのかもしれない。
復活を期待する声もある、本当の原因ってやつを探している人もいる、
だけどそんな周りの状況を含めて、「もういいよ無理しないで。」と思う人もいるんです
楽しかったあの日の思い出を傷つけられたくないだけかもしれないですけどね。
何もまとまっていないけどとにかくつらつら吐き出したかったのでここで。