はてなキーワード: パートナーシップとは
ホットエントリに入っている増田を読んで、自分の事のように胸が痛くなったので、増田に意見を書く。なぜ君は素直な感情を吐露しただけなのにクソ味噌にマウントをとられるのか。私も若い頃に散々悩んだが、答えはシンプルで、恋愛が「Easy game」だからだ。
パートナーに暴力を振るう人の痛みがわからない人、職場にいる刺激臭のする不潔なおじさん、約束の時間に毎回遅れてくる良い加減な男、ギャンブル狂いで金銭感覚麻痺してるヤツ。第三者が見れば君より外見、内面共に「下等な」タイプの人でさえ、なぜかパートナーがいたり、結婚していたりする。
そんな「Easy game」だから、世間の人はパートナーを見つけられない人のことを、分数がわからなかったり、自転車に乗れない人と同レベルの下等生物と見なしてしまう。君に対してつまらない奴だとか、性欲ギラついていてキモいとかあらんかぎりの罵声を安全地帯から投げるのはそんな見下しからだろう。だけど悲観しなくていい。君の人間性はパートナーがいる人たちに決して劣るものじゃないと私は思う。たった一つの人間心理、「誰か孤独を埋められる存在になれるか」というポイント、もっと言えば、「相手の孤独の定義は何か」ということさえ注意深く観察できればすぐにでもパートナーができると思うのだ。
少し寄り道的な話をしよう。私は技術者として生計を立てており好奇心旺盛な性格だったので、文系の人やお年寄りの「メカやハイテクが怖い」という感情を理解することができなかった。両親に外国人の友人が多く、子供の頃から海外に行ったことがあったので、「外国人が怖い」という感情も理解できない。そう言う世間からの感覚のズレが多々あり、ずいぶんと変人扱いされて苦労した。
人付き合いの距離感でもマジョリティと異なっていた。一人っ子として生まれ、進学で親元を離れ就職後も転勤続きで1人暮らしに慣れていたためか、「孤独でさみしい」という感情がどうやらずれていたのだ。長期休みにに1人で地球の裏側までバックパック1つで旅しても「孤独」とは感じなかったが、大勢の飲み会でパチンコや風俗と言った男性的なゲスい話題で盛り上がっているのに、全然共感できない時の方が「孤独」を感じたのだ。
そんな世間ずれした私に偶然にもパートナーができたのは「孤独」という感情をお互いにピタリと埋めあえる相手が見つかったからだが、「孤独」と一口に言っても捉え方は本当に人それぞれらしい。例えば飲み会のゲスい話題にはイマイチ乗れないけれど、露骨に距離を置いてハブられるのはもっと嫌だという人は、私と価値観が似ているようで全然違う。暴力を振るうパートナーと食事をすることさえ、1人で家で過ごすよりマシだという女性も山ほどいる。そんな些細な違いだが、日常生活を共にする上では居心地の良さに大きく響いてくるものだ。恋愛においてはなおさら「孤独」の捉え方のウェイトが重くなるだろうし、この感覚がマジョリティに近ければ近いほどパートナーは見つかりやすいのだと思う。
個人的な体感だが、「孤独」をどう埋めるかは外見や内面、年収なんかすっ飛ばすくらいの強いファクターだと思ってる。なんていうかゲームのバグ技級の強いファクター。君は大学生になって初めて一人暮らしをするような真面目な女の子、それも「ワキ毛」くらいの単語を聞くだけで顔を赤らめるような子が、留年を繰り返し、半分社会からドロップアウトしてるような遊び人にコロっとやられて、あっと言う間に同棲を初めて気がつけば喜んで男性器を加えこむようになるという、まるでAVかエロゲかというような衝撃的な場面を見聞きしたことは無いだろうか。私はある。
「孤独」への共感はそんな悪夢を現実にしてしまう強力なバグ技なのだ。確信は無いけども、ナンパ師や恋愛工学の技術が非難の声を浴びながらも、時として効果を発揮してしまうのは、意図的に「孤独」を埋めにいっているからだろうし、ろくでなしでもパートナーを見つけられているのは、「孤独」の感覚がマジョリティ側なので、努力せずとも共感出来る相手の母数が多いからなのだろう。多くの人がMサイズのTシャツを着るのに努力を要しないのと同じように。
さて、いろいろ話が脱線して長くなってしまったが、私が言いたいことは2つ。
あなたは決して外見、内面共に劣る存在ではない。そして、あなたは努力が出来る人だと思うので、パートナーにしたい女性の「孤独」を埋めるにはどうすれば良いかをよく観察して、自分の無理のない範囲で合わせられれば問題なくパートナーができるはず。必要以上に悩まなくても良いと思う。(最後に余談だが無理のない範囲で合わせるというのは本当に重要。これを無視するとパートナーシップは長続きしない。)
タイトルでわかると思うが、男性キャラ同士のカップリングとそこにおけるボトム側にあたるキャラの女体化についての話をするので、苦手な人は気を付けてほしい。
私はリバ大好き腐女子だ。
受け攻めはジャンケンで毎日決めればいいと思うし、なんならジャンケンで決めたのもだんだん盛り上がって関係なくなって両方が両方に入れたり入れられたりしてると大変興奮する、そういうタイプの腐女子だ。
「そんなに左右に頓着しないなら、地雷も少なくてさぞ生きやすいだろう」と思われる人が居るだろう。実際私もそう思っていたし、地雷が多い人は大変だなあとのんべんだらりとTLや支部からありがたくご飯をいただいていた。
が、最近どうにも食べられなくなっているものがあることに気づいた。最初は性癖も寄る年波には勝てないのかと(全く関係ないが、最近油物がきつい。全く消化できないのだ)笑っていたのだが、どうもそうではない。これが所謂地雷らしいと気づいたのは、直近でハマったカップリングで「受けの女体化」を見た時である。
嫌いな人もいるだろうが、私は好きだ。女体化には色々タイプがあると思うが、元のキャラらしさを残しつつ美しく、可愛く、かっこいい女性になっているのを見ると、「わかる〜めっちゃそうなりそう〜」とあかべこのごとく首を振り、デザインセンスに脱帽する。そもそも美女や美少女が大好きなので、女体化自体は嫌いではない。逆も然りで、美少女や美女の男体化も好きだ。顔がいい人間は性別どっちでもいい。
先述したが、私はあるカップリングにハマった。仮にこれをA×Bとする。
この二人は親友同士だ。
Aは美形の男性である。中性的な顔立ちで、色が白く、髪の毛も長い。天才だが、天才キャラに多い少し生活能力がないタイプだ。あまり男らしいキャラではないが、Bよりは高身長だ。
Bはいわゆる兄貴系のキャラだ。A以外にも色々なキャラの世話を焼いている。みんな困ったら一度は彼を頼りにするようなキャラで、健康的な肌色で、顔の作りも整ってはいるが、Aと比べると男らしくあまり華やかさのある顔立ちではない。
私はまずABを検索するが、その直後に同じ回数BAも検索していた。私には二人の関係性が大事で、左右はどちらでも構わないからだ。ABを主に好んでいるのは、グッとくる作品がそちらに多かっただけの事である(思えば、この辺りで既に答えが出ていた)。
ある日、BAを摂取しようとツイッターで検索をしたところ、よくBAについての妄想ツイートをしているらしい人が現れた。検索画面の最新ツイートは、ほとんどその人のツイートで埋まっている。
私は作品を見るのも好きだが人の妄想を見るのも同じくらい好きなので、嬉々としてそのツイートを読んでみた。
……………最初は楽しく読んでいた。だが女体化の話が15個以上並んだ辺りから、違和感を感じた。読んでいくうちに、A♀のビジュアルが彼女の中でハッキリしていることはわかっていたが、そのビジュアルが私の思うものとかけ離れているからであった。
彼女の思うA♀は、巨乳で背が小さく華奢な女性で、身なりに頓着しないからよく際どいことになっている……そういう少年誌のラブコメでよく見るような感じであるらしい。
実はこのタイプのA♀のビジュアルデザインは、支部でも割と見る事が多いタイプだ。そもそも女体化の数が多くないので多いといっても微々たる差であるが、スレンダー美人系よりは数が多いように感じた。そうしてそういう巨乳のA♀は、多くの場合BAの人の手によるものであった。
私はラブコメでよく見るタイプの巨乳キャラは好きだ。メリハリボディ、大変素晴らしいと思う。だがそれがA♀かと問われると、首を傾げたくなった。
身長を巨乳に換算するのはCOC探索者のSIZでもあることだ、理解はできる。だがAは薬物中毒の経験がある(そしておそらく今も服薬している)不健康なキャラである。仮に巨乳であっても、そんなきゃるんとしたような行動をするか?健康的なラッキースケベ展開があるだろうか?
たまにならいいだろう、そういうところも見てみたい。わかる、そういう妄想は私もする。
だが四六時中そんな状態になるか?それはもう、A以外の何かではないか?
……そう思うほど、限界をとどめていないような扱いをされていた。そしてその扱いは、BAにおけるAの扱いとして多いものだった。
BA界隈で声の大きい人々のAは、様々な要素をモリモリに盛られていて、私には転生成り代わり夢小説に見えた。
BAのAがAとして見えるものは私には少なく、徐々に検索する回数が減っていった。
(誤解のないように言っておくが、私は腐女子と夢女子を兼任しており、転生成り代わり夢小説とかも大好きである。決して夢小説を否定する意図はない。)
花京院典明が空条承太郎とカップリングを組まされ、受けになるときによく見受けられる現象である。
絵柄の問題もあるが、過度に華奢に、あるいは可愛らしく、いわゆる「守りたい女の子」のようになっているものだ。
地雷はほぼ無いと言っていた時でも、これだけは受け入れることができなかった。それぐらい苦手である。
これまではキャラ崩壊故に苦手なのだと思っていたが、「受けの女体化」が苦手な原因は、このpixiv院を苦手な理由と合致していることに気付いた。
この「女性」というのは、可愛らしく、小顔で、色白で、華奢で、重いものが持てなくて、甘いものが好きで、髪の毛が長くてふわふわな、2000年代より前の少女漫画では必ず見たようなタイプである。
突然だが、ジェンダーの話をしよう。
私はXジェンダーだ。腐女子だと言ったが、肉体が女性として生まれたからそう呼称しているだけであり、神の作品を読んでいる時などは完全に男性の気持ちであったりするし、普段の生活においても己を男性/女性と固定して考えたことはない。常に男性と女性を行き来するような、或いは己に性別が無いような心持ちで暮らしている。好きになる相手は男性女性あるいはトランスジェンダー関係なく、好きになった相手を好きになる。
なので、実生活でも「女なんだから」と言われると、眉をしかめずにはいられない。痴漢などに遭うと、己を「女性」として固定化された上に性的に搾取されている不快感は耐え難く、殴りかかったら過剰防衛扱いされるような現状に怒りのあまり涙が出る。
「受けの女体化」は、そういうテンプレートな「女性」にされる事が多いのだ。
ABよりもBAで受けの女体化を多く見るのは、おそらくAが「長髪」で「端正な顔立ち」で「色白」だからだろう。
「長髪」で「端正な顔立ち」で「色白」だけが女性の条件ではないというのに!
そうして女体化すると、男性の時よりも力が極端に落ちたり極端に身長が縮んだりするのである。
最悪としか言いようがない。
受けの女体化といっても、バラライカやインテグラや哀川潤や禍燐のようになるのであれば巨乳でも構わなかった。あるいはパリコレのショーモデルのようなスレンダーで性別をあまり感じさせないような、はたまたボディビルダーのような作り込まれた肉体などでもよかっただろう。あるいは食べるのが大好きでふっくらしている子でもよかった。そういうバリエーションに富んだ女体化は大好きなのだ。
だがキャラ全員を女体化するのでなく受けだけを女体化すると、多くの場合判を押したように軒並み「守りたい女の子」になる事が多いのは何故なのか?
挙げ句の果てには「女体化したら結婚して一緒にいられる」?「子供が産める」?
結婚しないと一緒にいられないのか?
同性は結婚出来ないのか?
確かに日本では法としては整備されていないが、近頃はパートナーシップ制を導入している自治体も多いのに?
入籍せずとも、幸せな暮らしをしている事実婚のカップルも世の中にはいるのに?
あなたのその理論は、女体化して結婚しなければ一緒にはいられないという事だ。女性は結婚したら必ず子供を産むという偏見だ。AとBは男性同士では一緒に居られないということだ。長年親友として連れ立ってきたAとBを、まるっきり否定する理論だ。
彼らは男同士では、幸せになれないという事だ。
そこまで深く考えてのツイートではない、といえばそこまでである。だがそういうツイートほど、無意識の考えが透けるものだと思う。
「受けの女体化」やpixiv院化が嫌いなのは、テンプレートのような女性像と、結局のところ男女カプとしてしか男性キャラ同士のカップリングを見ていないように感じるからだ。
例としてBAでの女体化をあげたが、ABでも同様の女体化がこれから出てくる可能性は大いにある。そうなった場合、おそらく地雷の中から好みの女体化を探す手間と、女体化そのものを弾くことを天秤にかけるだろう。
その時、どちらかを選択することになるのだろう。だが、今はまだ私は「受けの女体化」が嫌いで済んでいる。
ここまで長々と読んでくれた上で、少しでも何か感じる事があったならば、是非女体化にはバリエーションを持たせてほしい。
「イイ女」は一人きりではないのだから。
てゆうかどうせやるなら両方にょたにするか攻めをにょたにしてペニバンでケツ掘られてる受けを見せてくれよ!私は膣に入れられる様じゃなく腸に入れられる様を見に成人指定作品を探したんだよ!!粘膜違いです!!
書き忘れていたが私は生産するタイプのオタクなので、今やっている原稿が終われば何かしらのカウンターをしかけようとは思っている。思っているがしかし逆カプの為に労力を割くのか?という気持ちがあるんだよな
それと誤解のないように言っておくが、私は何もテンプレートな女体化をやめろと言っている訳ではない。バリエーションを増やせと言っているのだ。そこは間違えないでほしい。
女体化の解釈違いの話をしてるのに違う話してきたりAもBも異性愛者って言ってないのに勝手に異性愛者だと思い込んでカップリングにしてる時点でキャラ崩壊では?みたいなのは今求めてないです、文章中にないことが含まれてる選択肢は不正解だって国語で習わなかったんですかね?
社会制度への恨みつらみなんて欠片もないので行間に何かを読み間違えられましたかね?
単純にどんなに長年付き合っても結局破局止まりなだけなのめ痛みもないよねって話でしかないです
一応指摘しておきますが、同性婚を受け付けている市区町村はありません
パートナーシップ制度を誤解されているのかなと思いますが、同性婚とは全く異なります
あと、養子縁組の話を同性愛者に持ちかけるのはタブーとなりえる場合があるのでご注意ください
今後同性婚が万が一に認められた時に解消できないので今は選ばなくなっている人も多数いますね
制度的な話はどうあっても揉めますし、最初にお話した通り制度を憎んだりしていないのでこれくらいにさせてください
頭も良くない、顔も良くない、体格だって平均以下で、性格も良くなければ愛嬌もない。
なんとなくで生きてきて、なんとか仕事はしているけど、子供の頃に手に入ると思っていたものは何一つ得られなかった。最低限の人間関係だったり、職場での信頼だったり、異性とのパートナーシップだったり、世間一般から見れば何一つ現実離れした望みではないはずなのにね。
自分が持ってないものを多くの他人が持ってる一方で、他人が望むものを何一つ自分は持ってない。その非対称性がますます辛い。
頭がいいとか芸術肌とか、そんな一芸を持ってたらまだ救われたのかな。でもどちらにしろ、望むものにありつけない辛さからは逃げられなさそう。
幸せになりたいなー。
日本を代表するクリエイター6人と新たなオリジナル企画制作におけるパートナーシップを発表したというニュース。
残念ながら全くぴんと来ない。
安定感で選んだなという印象。「実績はある」が、現在において熱狂的な人気を誇る人かと言われると、どちらかと言えば大御所。
というか、なんというか。正直な話、「金がなくて才能にあふれてて、チャンスを待ってる」という人たちではない。
ほっといても大丈夫かつ、これから先、これから爆発しそうな人ではない。
どちらかというと、安定しているが、わくわくしそうな人ではない。
金がなくて、才能があって、世間を驚かせるタイプの人とかに出資してほしいなと思う。
選ばれた人間の、個人の才能には疑う余地はない。しかし、「アニメで強力な才能があるのか」と言われると、うーん。
日本のアニメに期待されてるものというのは、もっと別なものだと思う。
ネットフリックスのオリジナルアニメが微妙に面白くないのは、もっとどうしようもない駄作を作る勇気や、どうしようもない萌えアニメを作る衝動がなく、安定しすぎてることだと思う。
(内容)
・自分は2020のドバイ万博のプロデューサー?ディレクター?をやっている
・私には4000万米ドル(実際はもっと細かい数字)を得る権利を持っている。これは様々な企業から「お礼」としてもらったものだ
・しかし私はこの大金を自分の口座に入れることが出来ない。これはイスラム社会において私が女であることなどによる社会的地位の低さが原因だ
・そこで、コンサルと話し合った結果このお金は様々な口座に分担していれることになった
・詳細はあなたの信用などを見た上で議論したい(discussって単語使われてたけど議論以外のニュアンスあるのかな)
・あなたと私のパートナーシップに責任を負う覚悟ができてないのなら申し込まないで
・それでは連絡待ってます!
伝統的に「夫婦」と呼ばれてきている関係性について、事実婚や同性婚、ステップファミリーからポリアモリーに至るまで、あらゆる多様性を社会的に是認すべきとの意識が──おそらくは電博の広告代理店がらみであろう──逆に「多様性を認めなければならない同調圧力」とも受け取れる風潮にまで高まるにつれ、最近では夫を「旦那(さん)」「(ご)主人」「亭主」、妻を「奥さま」「家内」などと呼ぶことも憚られると聞く。なんでも、知り合いの知り合いのアメリカ帰りのフェミニストによれば、それらには主従関係が含意されているから、代替として日本でも「パートナー」と呼ぶべき、と提唱しているらしい。
確かに、男尊女卑は良くないし、近代の女性解放運動や婦人参政権運動には敬意を抱きつつも、だかしかし現実の我が国の日常会話で唐突に「ところでお宅のおパートナーさん最近お見かけしないわねえ」などと切り出そうものなら、日米パートナーシップ協定のことなのか夫婦関係のことなのか混同されるリスクも相まって、こちらの気が触れたのではないかと勘繰られても文句は言えまい。
どうせ横文字を使うならdarlingとhoneyぐらいが洒落っ気もあって妥当な線だと思うが、何でもアメリカにならえではどうも釈然としない。第一、文化的多元度が高く、発した単語が一人歩きしがちなアメリカと違って、ここはハイコンテクストな日本社会なのだ、仮に字面に「主」が現れていようと、特定の宗教に語源があろうと、そこに女性を蔑む意図のない文脈であればどんな呼称を用いようが受容できる社会こそダイバーシティだろうに、とは個人的な偏見だろうか。
とはいえ、今後「ご主人」「旦那さん」「奥さま」などと呼ばれることに拒否反応を示す人が増えることも見込まれる。試みに類語辞典で検索をかけてみると、男性には「宿六」がヒットしたが、女性側に主従関係から独立したフラットな呼称は見当たらなかった。もっとも、男女の区別をしている時点でまだまだ私もフェミニストの標的になりかねないので、以後、男女問わず「宿六」の呼称を用いて行くべきかとも思う。
https://twitter.com/shiso_ume/status/1226865261652762624
双極凝固鑷子 on Twitter: "「1910年、韓国の皇帝のお願いによって日本は韓国を併合しました」これが日本青年会議所HPにあった「みんなで考える日本の歴史授業」プログラムに書いてあるウソ。Twitter Japanは今後も歴史修正に邁進していきますという宣言だな。通報案件だな。… https://t.co/lrRsjqQPJq"
公式に守られた匿名の姿で野に放つのだから、読み手はこの文をどうしてくれても構わない。
ただ、このタイトルや冒頭だけでも読んで、自分は同性婚についてどう思うか? という意見を明確にするために、頭の片隅にでも考えて欲しい。
国民全員が同性と結婚しろなどという馬鹿げた事態にはならない。
今のところ日本人には、異性と結婚する、もしくは結婚しない、という2つの選択肢が提示されている。
この法案はその中に、同性と結婚する、という選択肢を加えるのだ。
繰り返すがこの法案は同性との婚姻を強制するものではない。そして、そもそも誰とも結ばれたくない人間には結婚を強要するものでもないはずだ。
(今の世間は結婚しないことを許してくれないじゃないか、という意見がありそうだが、それは論点がズレるので横に置いておく)
この話をすると、「同性愛者優遇じゃないのか?」という意見が出がちになる。
ふだん普通に暮らしている人間が、同性愛者という魔法の肩書き1つでさまざまな権利を得ると思うのだろう。
しかしよく考えて欲しい。同性と結婚したい人間には、現在婚姻の自由、またパートナーとの仲を法的に保証されること、病院での身内としての付き添いなど、異性と結婚した人間には可能なことができない(病院は原則、手術や急病による入院などの場合、法的な家族関係を持つ人間しか付き添えない)。
パートナーシップを認める自治体は増えているが、それはやはりあくまでも「自治体の条例」であり、住む場所を変えても引き継がれるような全国的普遍的な効力は持たない。
養子縁組という手もあるが、家庭の事情等で組めない場合もあるだろう。
同性婚が認められることによって、このマイナスが異性婚者と同じラインまで引き上げられる。
ただそれだけだ。
個人的には同性婚したいカップルやパートナーシップ・養子縁組がいいというカップルで、どれについても尊重出来たら良いと思う。
どうしても人間としての権利をマイナスのままにしておきたい方々には…もう私は何も言うまい。
選択肢が増えるということは、異性愛者や同性愛者という垣根をあいまいにするだろう(そもそも両者はグラデーションで、明確に分けられるものではないんだけど)。
異性しか愛せないと思っていた人の中にも、もしかしたら同性を好きになり、共に生きたいと思う人が出るかもしれない。その逆も然り。
そんな時、選べる人生の形が多いことはとても心強いことだと思う。
こうもはっきり言うのは、私がそうだからだ。「ソースは俺」理論とでも言うか。
基本私は異性を好きになるが、一度だけ同性の友人を、自分でも驚くほど好きになったことがあった。
後にも先にも同性を好きになったのはその一度だけで、自分をどの立場に置くか正直揺らいでいる。
そういう人間は思っているよりずっと多いと思う。
そして、どんな形に落ち着いても法的に好きな人との関係が保証されるなら、こんなに嬉しいことはないだろうとも感じたのだ。
そういえば某議員が「生産性がない」、と言ったのなんだので話題になったが、まあそれはああそうですかという感じである。
子作りを生産性という言葉で片付けるのか? などという話は抜きに、実際同性カップル間で子どもが作れないのは事実だ。これは変えようがない。
だが、代理出産や里親など、子育てをしたいカップルにも子を持ち育てる手段は存在する。それは健やかに愛されて育つ子どもを1人でも増やす、『生産性のある』ことではないのか。
また、同性愛者に生産性がないなら、無理やりに望まない相手と結婚をして子を作るのが正義なのだろうか。子のない異性婚家庭についてはどう説明するのだろうか。
この辺、純粋に議員さんに問うてみたいことではある。曲解されたり横槍が入ったりしやすいネットや文面上ではなく、対面で。そんな機会はないが。
閑話休題。
2013年にニュージーランドで同性婚法案が成立した時、これに関する議員のスピーチが話題になった。
私も感銘を受けたことは受けたし、かなり拡散もされていたのだが、同性婚に否定的な日本人に向けてこれを勝ち誇ったように掲げるのも、なんだかな、と思う。
海外に右ならえしなきゃという感じもあって、そこは好かなかった。日本人ならいくらかは自国の言葉で語れなければいけないのでは、と。
なので、このスピーチからちょっと気になったところを少し参考にしつつ考えてみた。
気になったのは下記の部分。
「法案が通ったその日から、ゲイによる総攻撃が始まるだろう。」
議員は、ゲイによる総攻撃って何なのか? と思ったと言うし、私もそう思ったが、これはかなりの問題でもある。
異性愛者にとって同性婚法案が成立するということは、自分が好まない同性から性的アプローチを受ける可能性が生まれる、ということにも等しい。
「ゲイだって普通に相手は選ぶ」「節操なしじゃない」「自意識過剰だ」という反論はまあそうなのだが、それでも不安は残る。
社会がそんな法案を法的レベルで許したら、同性愛者が大手を振って街を歩くはずだ。
好きでもない相手にアプローチをかけられる可能性が、多少なりとも上昇する。
そのアプローチが同性からなんて想定のうちに入っていない。もしかしたら同性に尊厳を奪われるかもしれない。
――それはまさに、同性愛者が「総攻撃」を仕掛けてくるような恐ろしさだろう。
オープンリーゲイの人々が極めて奔放なように見えてしまうことはあるだろうし、第一に性的体験談の掲示板などを覗けば、真偽問わずいわゆるノンケ(異性愛者)となだれ込むように関係を持つことに成功したと書かれているものがある。
恐れを抱かれても仕方なかろう。
しかし、大抵の同性愛者は同じ性的指向の者同士でコミュニティを持っている。
それは異性愛者と何ら変わらないことであり、異性間のコミュニティにまでこれがはみ出すことは基本ほぼないと言ってもいいのだ。
それでも、ノンケというかまったく同性に興味無さそうな相手を好きになる者はいる。
挙句の果てに、そこから望まぬ交渉が発生することも万が一あるかもしれない。
その時にはもう法やら周囲やらに頼るほかない。相手がどんなクズか、どんな非道かを訴えねばならない。
非力な異性愛者が異性に望まぬ交渉を強いられた時と同じように。
それらは同じことだ。
世間体が気になってしまってなかなか言い出せないであろうことも、きっと共通している。
どうかやられたら存分にやり返してほしい。泣き寝入りをしてはいけない。同性愛者に負のレッテルを貼り付けるようなクズを、同じ性的指向だからと言って守る者は恐らくいない。万が一いたらそいつも同じクズである。存分に叩け。
それで安心しほとは言わないが、少なくとも望まぬ交渉を強いる時点で異性同性等しく下道である。
議員は述べた。
「この法案に反対する人に私は約束しましょう。水も漏らさぬ約束です。
明日も太陽は昇るでしょうし、あなたのティーンエイジャーの娘はすべてを知ったような顔で反抗してくるでしょう。
明日、住宅ローンが増えることはありませんし、皮膚病になったり、湿疹ができたりもしません。
布団の中からカエルが現れたりもしません。明日も世界はいつものように回り続けます。
だから、大騒ぎするのはやめましょう。
この法案は関係がある人には素晴らしいものですが、関係ない人にはただ、今までどおりの人生が続くだけです。」
「恐れることなかれ」
と。
異性と結婚するか、そもそも結婚しないか。それだけの選択肢を前にして生き続ける。
私はできればそのかたわらで、同性と結婚したい人々という「全然関係ない」人たちが「全然関係ないところで幸せに暮らし」、「全然関係なくそれぞれの道を歩んでいける」社会になれば良いと思う。
不安を抱いて反対する人々に、大丈夫! と堂々とは言えない。なんせ同性婚賛成派にも色々な人間がいるもんだから。
でも同性婚に賛成する人々は、反対派を叩き潰し殺してやるとまでは思っちゃいない。
ただ、話し合いの場に来て欲しいのだ。
「キモイ」「好きじゃない」「自分はしないから他人もするべきじゃない」ではなく、
人々にとって何がメリットになるか?
何がデメリットになるのか? を踏まえた上で、
賛成なら賛成、中立なら中立、反対なら反対と言って欲しいだけだ。
だからこのエントリーでは、私の思うメリットデメリットというか、なるべく「愛って素晴らしい」というような結論には落ち着かないよう気をつけて打ったつもりである。
そして、恐れてもいいから、恐れている理由を明確にしてほしいな、と思うのだ。
スマホで2時間直打ちしたのでだいぶ読みづらくなっていそうである。
ここまで読んでくださった方ありがとうございました。もちろん少しだけ目を留めてくれた人も。
このエントリの下の方ででも、Twitterででも、あるいは友人との話や自分の頭の中だけででも。
どこでもいいから、「同性婚どうしたい?」ということを考えて貰えたら幸いだ。
https://www.huffingtonpost.jp/2017/11/25/nz-gay-marriage_a_23288119/
人間の傍にいて頼れるパートナー。その資質を見ても歴史を見ても、犬がナンバーワン(しゃれではない)であることは間違いない。
人類と犬の歴史は古く、猫では逆立ちしてもかなわない。そしてもちろん猫は逆立ちをしない。
そんな犬とのコミュニケーションが、猫「よりも」深いかは置いておくとしても、少なくとも相当程度に複雑であることも、これまた否定しない。人間は犬と共同で、野山で、森林で、河川で、海浜で様々な行動をとってきた。生き抜くために必要な、さまざまなミッションを共にこなしてきたのだ。歴史の中で、犬は人間にとって欠かせないパートナーであり、コミュニケーションの相手であった。そのことに全面的に同意する。だが、そのことは、こと今回の話題においては、明白に二、三のディスアドバンテージとならざるを得ない。それについて説明しよう。
(1)「他者」性の弱さ
犬は人間にとっていつも欠かせぬパートナーであったが、それは、犬が群れを作って生きるという性質を利用したものであった。そして、犬は群れの秩序を上下によって保つ。そのため、人間とのパートナーシップにおいても、犬はそれを「上下関係」として捉えるのである。結果、そこに現れるのは、「命令をする/実行する」とか「叱る/従う」のような、「一定のルールにしたがった意味交換」的コミュニケーションである。特に、中型犬以上のサイズになると必須になる「躾」の実施は、この関係性を加速させる。
これに対して、対人間、対猫のような独立性の高い生き物相手のコミュニケーションにおいては、「命令をした/(しかし)/無視された」とか「叱る/(なぜか)/遊ぶ」のような、コミュニケーションの非対称性が露わになる。必然的に、「相手の行動の意図を推測する」といった、より複雑な思考が求められることになるのだ。これは、犬とのコミュニケーションでは身に付けづらい能力である。コミュニケーションの経験値を上げるためには、やはり猫の方が優れている。
(2)犬の本能を満たすために
犬は探知し、索敵し、探索し、追跡して獲物をしとめるハンターである。これは野外生活に適した性格であり、人間が狩猟採集時代から重宝した、犬のパートナーとしての資質である。その本能を満たすために、散歩などの運動が欠かせない。だがこれは、現代の都会生活、そして、他者とのコミュニケーションに課題を抱える人には、残念ながらあまり適した資質とは言えない。犬と適切にコミュニケーションをとるためには、ただ同居するだけでは不十分なのである。
猫にももちろん運動は必要だ。だが、それは室内で対応できるものだ。木の上に潜み、待ち伏せし、忍び寄って相手をしとめるハンターである猫の方が、現代の都会生活におけるパートナーとしては優れている。
そもそもの到達点を思い出そう。「彼女ができなくて辛い」である。では、もし彼女ができたら、犬はどうするのだ? 「かけがえないパートナー」となってしまった犬は?
できれば一日複数回の散歩に同行し、密な信頼関係とコミュニケーションと何より「共に過ごす時間」を求める存在が犬である。これと彼女を共存させるのはなかなか難しい。彼女が大変犬好きであることを前提としても、おそらく中、大型犬となれば、時間配分において、彼女か犬かを迫られることが大変多くなると想像される。想像してみてほしい。一度や二度ならともなく、彼の家に遊びにいったら毎回犬の散歩に付き合わされる状況を! 彼女との関係を壊さずに犬を飼うことができるのは、彼女とのパートナーシップが進行して首尾よく結婚し、田舎に一軒家を買って子供が生まれてすくすく育ち始めて、そのあと、くらいになるだろう。
対して猫だ。猫はいい。猫は犬ほど時間を奪わないため、大きなトラブルがなければ彼女との共存も不可能ではない。それだけでなく、部屋に猫がいるだけで彼女は(猫好きであろう)部屋に来て、そして、こちらが苦手な会話をしなくても、とりあえず猫と遊んで時間をつぶしてくれる。こちらは猫と彼女を眺めてにこやかに写真を撮ったりしていればそれでいい。楽だ。付き合い始めのきまずい時間も、猫がいるだけで大幅に解消できるため、彼女との末永いパートナーシップを良好にしてくれるだろう。猫は自立し、待機する。猫は、犬ほど人間とのパートナーシップが密でない。だからこそ、彼女ができてからも、猫は共にいられるパートナーなのだ。
(4)最期に…
これは完全に偏見の域だが、彼女に犬をひけらかす男は、どうも男性ホルモン多めのオラついた方々が多い気がする。中、大型犬は原則飼い主にしか心を寄せないので、彼女に対しては警戒心を露わにすることが多い。そういう犬を「おとなしいんだよー」とか笑いながら見せつけ、彼女が内心少し恐怖を覚えてひきつった笑顔を見せたりするのを見てニヤついているような印象がある。どうもDV男臭い。一方、猫好きにはそういう男はいない。そもそも猫自体が、飼い主であるとないとに関わらず勝手に他人を評価するところがあるので、犬をひけらかすように猫をひけらかすのは難しいし、そういうことをしたい人はそもそも猫を飼わない。もちろん、犬好きが全てDV男というわけではない。だがDV男は猫を飼わないというのは声を大にして言いたい。世間にはDV男好きの病んだ女性もいるが、そういう人にモテたいのならともかく、健全な精神をもった一般的な女性を安心させたいのなら、無難に猫をおすすめしておきたい理由の一つがこれである。
いかがだろうか。犬の、人間のパートナーとして「最善」である理由のそれぞれが、今回の場合はむしろディスアドバンテージになってしまうということが、これで犬派のあなたにも理解されたことと思う。彼に勧めるパートナーとしては、やはり猫しかない。猫しかないのだ。
要するに、「煙草を止めるように止めたい」って話なのか? 「止めたけりゃ止められる」ような関わり方で思想に関わっているなら、止めたけりゃ止められるだろうさ。 「自分の意志と関わりなくそう信じてる」ような信仰ならば、止められんだろう。
だから、まあ「止めたけりゃ止められる」という前提で考えると、とりあえず、止められない理由をつらつら並べてるうちは、本人に止める気が無いんだろうとしか判断できないな。「煙草ねえ、やめたいんだけど、街中で目に付くとねえ、あと、暇をどうもてあましていいか分からないしねえ…」みたいな人間の「やめたいんだけど」を、お前はそのまま信用できるか? そういう人間に言う言葉は「バカ?」くらいしかない。
もし本当に、希死念慮みたいに、本人の意志と関わりなく無闇にそういう想念が湧いてきて社会生活(この場合は主に彼女とのパートナーシップだな)に支障が生じる、というなら、それはもう病の領域だ。鬱の一種だよ。だから、生活整えて甘い物制限してお薬飲むとか電気ショック治療でもするしかない。思いつきでそれが治るなんてことはないよ。
「彼氏(彼女)とずっと一緒にいられますように」は普通でも、「友人の○○とずっとry」はあまり聞かないし、
友達と一緒に住むのは嫌だ無理だと言う人が同棲や結婚には抵抗がなかったりする。
でも、パートナーになるなら結局同性同士が一番いいと思う。異性とは分かり合えない。生きてきた世界が違う、なんてよく言うけど、異性とも同性とも関わって思うのが、男女も「生きてきた世界が違う」。
これは男叩きでも女叩きでもなく、分かり合えるわけがないと思う。
夫婦で価値観がすれ違って揉めるのも、友達とは滅多に喧嘩しないのに彼氏彼女とはいい年した大人同士が大喧嘩するのも……合わないからだろう。もちろん、将来家族になる相手に対して期待値が上がるという側面もあるが。
何にせよ、同性パートナーが当たり前の世の中になったら、もっと良いパートナーシップができるのになぁと、少子化問題はひとまず置いておいて(というか将来の日本の人口が減ろうが割とどうでもいい。どのみち減るし、若者の負担が大きくなるのは決定事項だから)、自分はそう思う。
恋愛のときめきも、セックスの快楽も、そんなに大事とは思えない。
現代ビジネスの記事 「負の性欲」はなぜバズったのか? そのヤバすぎる「本当の意味」(御田寺 圭)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/69024
について、読んでいて多少飛躍があるなと思ったところ、疑問が残るところ、検討したいところを引用しコメントをつけています。Twitterでやろうと思ったけど長くてむりだった。
【オスの性欲は「交渉権の行使」であるのに対して、メスの性欲は「拒否権の行使」であるともいえる。
積極的・能動的にパートナーを探し、あわよくば複数のメスとたくさんの子孫を残そうとするオスと、受動的・消極的にパートナーを選ぶことで子孫の生存確率を高めようとするメス──前者の行動を「正」の性欲に基づく行動とするならば、後者の行動はまさしく「負」の性欲に基づく行動といえる。 】
→筆者はこれが負の性欲の定義としている。受動的・消極的が「負」というのはなぜ?
→そもそもパートナー選びは非常に能動的な行動では? メスはオスを選んでいる。「選択権の行使」ではないか?
→これは人から聞いたのだが生態学や進化心理学には「正」「負」という概念はないのだそう。あるのは適応度。優劣を持ち出しているのはスペンサーの社会進化論(適者生存)で批判されている――とのこと(この辺は自分は不勉強)。
【異性に「生理的嫌悪感」を内心で抱くぶんには自由である。しかしそこを踏み越えて「キモい」「消えろ」「ゴキブリ」「ウイルス」などと対象に言明することは侮辱・侮蔑であり、まぎれもなく加害性のともなう行為である。】
→「拒否権の行使」は「キモい」「消えろ」「ゴキブリ」「ウイルス」と言うことを示しているのか?
→「拒否権を行使」することと、「キモい」という言葉をもって相手を拒絶することは、イコールではないのでは? 相手を選ぶ権利は誰にでもあるが、選ぶ際に相手を加害する権利はない、という主張には納得する。
→どれくらい「キモい」って拒絶されているの? その拒絶の仕方は女性特有なの?(これは後段にもあるが、男性が女性を「キモい」「ブス」といって振るケースもたくさんある。ならばこれはオス・メスに分けて考えるべき問題なのか?)
【「異性に対する加害性をもつのは男性だけではない」──とする、いわゆる「反転可能性テスト」のひとつである。】
→ここは同意です。
【性淘汰はホモサピエンスにも働いていることについて】
→そう。ただ、動物よりも淘汰が働くスピードは遅いのでは。また文化が変化しているため、なんの特質が評価されているのかはわからない
→性淘汰=「負の性欲」なのか?(ではなくない?) むしろこの原稿の主題は「負の性欲」から発生する「キモ」言説の加害性ではないか?
【人びとは「新自由主義的」なパートナーシップ市場で「よりよい相手」を巡って際限のないえり好みを続けている。厳選すれば厳選するほどに、よりよい相手と巡り合える可能性が高まるのだ。つまり「負の性欲」の効用が最大化される時代である。】
→これは効用は最大化されない。なぜなら男性は女性を年齢で選ぶ傾向があるため、厳選すれば厳選するほどに(=時間がかかればかかるほど)よりよい男性が遠ざかっていく。そのため女性はどこかで妥協せざるをえない。妥協しない場合、「よりよい相手」すら出会うことはできない。ちなみにこの「新自由主義的な市場における際限ないえり好み」は女性だけの問題ではない。この文章は男性側の方がむしろ当てはまる(なぜなら男性のほうが年齢による減点がゆるやかで年収の上昇のほうが効果的な段階があるため。一定までいくと年齢による大きな減点が発生することがほとんどだが、女性の方がその影響の発生がはやい)。
【「自分に接近し、性的にアプローチしてきた男性を拒否(厳選)する」という枠を超えて、特にSNS上では「自分に向けられているわけでもない、無関係な他人の性欲を発見したさいに、まるで自分のことのように被害者意識を持ち、これを断罪しようとする過剰反応」が頻繁に起きている。それこそが、「負の性欲」が問題化される局面である。】
→「頻繁に起きている」データがない文章。「それこそが」~とあるが、「自分に向けられているわけでもない、無関係な他人の性欲を発見したさいに、まるで自分のことのように被害者意識を持ち、これを断罪しようとする過剰反応」というより、筆者は「キモいと言うことの加害性」一本でいったほうが筋は通っているのでは。
【先日SNSユーザーたちが、ネットの片隅で「10代20代と結婚したい」と望み活動する40代男性に対して、「キモい」「加害者」という非難のニュアンスを多分に含んだコメントスクラムを炸裂させたことは、自他の境界を見失わせる「負の性欲」の暴走を如実に示す実例だったといえるだろう。】
→例えばこれが、18歳の子供をもつ40歳の母の発言だったとしたら筆者は「負の性欲」という表現を使うだろうか?(※でもこれはちょっと家父長制的な考え方だからこの問いかけは危険な部分をはらんでいる)
【現代社会はふたたび「一夫多妻制」への道を歩もうとしているのかもしれない。「キモい」存在は排除してもよいという「先進的な倫理観」に基礎付けられた、新たな一夫多妻制──すなわち、一生のあいだに多数の女性と性的関係をもつ男性たちと、一生生殖の機会が得られない男性たちに分かれる「非同期型一夫多妻制」の実現へと。】
→すごい飛躍であるのでこれ以降は特に読まなくていいかなという感じ。ただ一人の男性が複数回結婚している(再婚)疑似一夫多妻は現在の日本でも存在している(でもこれって近年増えているものなんだっけ? その辺のデータはどっかで見たことがある気もする)。SF的なIFを許容して話を進めると、現代は避妊技術が向上しており、アルファ男性といえども複数人女性とその子供を養うお金は十分ではないので、子どもは「正妻」しか持てないくらいの数に減り、社会は崩壊する。ヤッター!
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68609
これの話
富山に住んでる独身アラサー女だけど、既婚の同級生に「早く結婚したら」とか言われたことがない。そもそも同級生に既婚者が少ない。未婚の同期と将来の話をすると「老後の蓄えってどれくらい要ると思う?」って話題になる。結婚をスルーすると次のイベントが死。
この人が「早く結婚したら」って言われたのは10年も前のことのようだから、10年の間に富山県民の認識もアップデートされたんじゃないか。知らんけど。
ただこれは私が周囲の人間に恵まれているというだけという可能性もあるので「私はそういうこと言われたことが無いから富山は閉鎖的じゃない」と言い切るのはおかしい。同様に「私はこういうこと言われたから富山は閉鎖的」と言うのもおかしい。
森市長の同性パートナーシップに関する発言は確かに問題なんだけど、同性が婚姻関係となることを認めないのが閉鎖的というならば日本そのものが閉鎖的ということになるので(実際そうなんだけど)、富山が特別閉鎖的とする根拠にはならないんじゃないかな。
この人は富山にチェーン店が増えることを嘆いているようだけど、私はそうは思わない。東京まで行かなければ買えなかったものが富山でも買えるようになるのは嬉しい。富山にセブンイレブンができたときもスタバができたときも嬉しかった。チェーン店じゃない地元のお店も行くけど、それしか無いのは嫌だ。様々な事情を考慮した結果都合が良いから富山に住んでいるだけなので、街に個性とかそんなに求めていない。暮らしやすくなってくれるなら没個性でもなんでもいい。
フォルツァ総曲輪は行きたいと思ったことが無かったし実際行ったことが無いんだけど、記事の短い文だけでも自己満足と内輪受けの香りがすごくて、そりゃあ無くなるだろうな…と思いました。この方、「富山」とかいうどうでもいい枠組みからはみ出てるとか出てないとか一々気にしていて、同じはみ出し者気取りと一緒に新しい縄張りを作りたがっているだけに見える。この記事しか読んでないから知らんけど。
あと富山の市街地の再開発は結構富山の個性が出ていると思う。この記事で言われている個性とは違う種類のものだけど。次世代型路面電車システム(LRT)は今まで富山にあった鉄道網を活用してて面白いし、車両がカッコいいから好き。Suicaを使えるようにしてくれたらもっと好き。最近読んで面白かった記事はこれ↓
90年前にMaaSの思想があった! 富山に根付く「どこからでも市街地へ」の精神
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1911/22/news030.html
コンパクトシティ構想は色々問題があったり批判されたりもするけど、あれが真に効果を発揮するのは私が車を運転できない歳になる頃だろうし、それまで富山市には頑張って欲しい。
小さい頃は自分も仕事しながら人並みに結婚して子供を育てて人並みの幸せを手に入れるもんだと思ってた。
まっとうに女の子が好きだった。男子小学生が必ず通る、好きな女の子にちょっかいかけたりなんてのも順調に経験してた。
道を外れたのは中1。ゲイ動画に興奮を覚えた。中2では同じクラスに好きな男子もできた。彼からラインが来るたびに心踊ったし彼が他の人と遊んでると嫉妬した。恋愛感情だと認めざるを得なかった。
その頃からもう女の子は純愛でも性愛でも対象から外れていた。けど自分がゲイだと自覚できたのは高校入ってから。徐々にわかってくる。結婚はできない。子供なんて無理。
もちろんパートナーシップ協定やら海外なら同性婚ができるやら多少は調べたりもした。だけどまあ異性間の結婚とは訳が違うわけで。子供だってまあパートナーができたら養子なんてことも考えられるけど子供が可哀想だし。
小さい頃願ってたことなんて何にも叶わない。生きてて何が楽しいのかわからない。先が見えない。実らない恋愛感情を人知れず抱くのに何の意味がある?
もう疲れた。