はてなキーワード: ドルチェとは
「14歳の時に聴いていた音楽がその後の人生の音楽の好みを決定づける」、とかなんとかどこかの誰かが言っていたけれど、おれは今日で27歳になるわけだけれど、いまだに中学2年生のときに聴いていた厨二病ソングを聴いて感情が動いているんだが。
年相応の音楽ってなんだろうな。
なんか、いつまで思春期のあれやこれ・この腐敗した世界に生まれ落ちて死にたい 本当に腐敗しているのはわたし みたいな歌詞に共感してほどほどに精神を削られなければいけないのだろう。いや、そもそも「年相応」の「音楽」ってなんだよとも思うけれど、なんかこのまま生きていたら半世紀以上生きても今聴いているような厨二病ソングを聴いているような気がして漠然とこわい。
ドルチェアンドガッバーナのせいとか言われても ふ〜ん、で? という感想しかないし、気まぐれに洋楽トップ50みたいなの聴いてみても格好いいけれど、格好いい以上でも以下でもない。クラシックやジャズを聴くのは好きだが、音楽的素養が皆無なので、BGMとしてしか機能していない。
たまにYouTubeとかSpotifyとかでいろいろな曲を聴いてみるが、新しい曲を一曲聴き通すのって結構気力が必要だよね。スキップスキップしちゃう。別に、その数分数秒の時間を削ってまでほかにすることもないのにな。学生の頃はアルバム一曲目からわくわくして歌詞カード見ながらプレイヤーの前でじっとして聴いていたころが思い出補正もかかって楽しかったような気がする。
前半
https://anond.hatelabo.jp/20210104090522
グループ自体はジブラの娘がラップしてることしか知らなかった。流行ってるらしい。
驚くほど歌詞が単純なんだよな。「聴き手を笑顔にしたい」ってことしか言ってない。でもその直球の励ましが却って洗練された仕事に感じる。あどけない女子が直向きに踊って歌って「元気出して」って言ってる、アイドルって結局それで十分なんじゃないか。
こういう応援ソングが受けるのも不安な世相を反映しているのかなとも思ったり。
なんか全体的に見てNizi Projectってラブライブ!ぽい。ラブライブもそんなちゃんと見たことないから大それたこと言えないけど。パフォーマンスのバックストーリーとして青春群像ストーリーを展開してるとことか、わりとパフォーマンスの方向性がべたな「カワイイ系」の日本のアイドル像ぽかったりとかなんとなく雰囲気が似てる。単純に9人組だからそう錯覚すんのかな。
出で立ちとかパフォーマンスは日本人好みにチューニングされてる感じだけど、曲自体はJ-popであまり見られない作りだったのがヒットした一要因かもしれない。あんな一定のリズムやテンションでサビまで流れ込む曲は「サビで爆発する」J-popにはなかなかなくて、それを幼さが残る可愛らしいアイドルが歌う新鮮さがあった。
まあなんだかんだいってもNiziUが売れた最大の要因はJ.Y.パークのマネジメントセオリーが注目されたことだと思ってる。
ドルチェアンドガッバーナはNHK的にセーフか否かで一部盛り上がりましたね。
オーソドックスなフォークソングのスタイルを下地に、R&Bとかレゲエのエッセンスをなんの疑問もなく混ぜ込む、このバランス感覚は今どきの若者だからこそだろうなと思う。どこまで意図したかはわからないけど結果として長渕とか井上陽水を聴いて青春を過ごした中高年から、SpotifyやTikTokに浸る今の学生世代にもしっかり刺さる名曲ができてしまった。
「香水」みたいな同じリフを繰り返すタイプのアコギの弾き語りってエドシーランとかがやってるのと同じアプローチで、エドシーランはヒップホップとかとのミクスチャーのつもりで意図的にやってるんだよね。
ヒップホップ感覚で聴けるポップスがヒットしたことに時代の変化を感じる。
「ヒップホップは歌えない」って曲も出してるけど意外と瑛人はフリースタイルとか出来ちゃいそう。
当たり障りないけど誰にも一度は経験ありそうな普遍的なシチュエーションにLINEやドルガバなどの固有名詞を放り込む詩世界も素敵だ。
Perfumeもとうとうメドレーを求められるような境地に入ったのか。来年も紅白で見たい。
せっかくの別スタジオだからライゾマティクスに期待しすぎてしまった。
Perfumeに続けてベビメタが出るのは紅白出演者の世代交代のつもりだったりとか…じゃないよな流石に。
テレビ出演してないとまだまだ認知度も比較的低いのかともに見ていた母は認知していなかった。母はあまりにも情報量が多すぎてぽかんとしていたが曲タイトルだけは「そのまんまじゃんw」と笑っていた。
今回の紅白は無観客だったり別撮りだったりでカメラワークの制限が少ないから寄りのショットやボーカルでないメンバーを抜いたショットが多いかもしれない。
サポートメンバーは博多華丸の娘さんらしい。個人的には鞘師里保に出てほしかったけど、かっこよかったね。
筒美京平追悼メドレー。
なんかちょっと背中が丸まってて流石に郷ひろみも歳とったなーなんて思ったり。ベテランはそれが味だよな。
ヘアスタイリングはあれでよかったのか?スネ夫みたいになってた。
冒頭の司会とのやりとりからして癖が強い。立ち姿からして唯一無二。こんな奴見たことない。
こんな声が裏返ってたっけ?
セットに囲まれて360度カメラがぐるっと回り込むのは無観客ならではで感心した。
この人高橋真梨子みたいにこれからちょくちょく出演するんだろうな〜
山崎育三郎は安倍なつみの前でもあんなキザな顔をしているのだろうか。
視聴者がこの件で一番期待していたのはおそらくGreeeenの顔出しじゃなくて"岩城さん"が歌う「イヨマンテの夜」だった。
3曲メドレーそしてうち1曲はフル尺という破格の待遇だが、国内トップクラスの人気を持つグループなのは間違いないし、歴代の紅白司会者かつ東京オリンピックテーマソングを歌う歌手という功労者であることは拭い去りようがないので、これもまあ妥当な扱いだろう。
昨年と同じく新国立競技場からの中継。「カイト」の合唱は広いグラウンドの真ん中で5人だけで歌っていた昨年からここまで歌が世間に浸透したんだという感慨があってよかった。でもバック映像がちょっとくどかったかなー。テロップでポエム流すのとかちょっと寒かった。
Cメロ部分をまるまる口上にしていた。普段はこういうのファン以外は喜ばないからやってほしくないと思う達だけど、今回はこの瞬間だからこそわざわざいう必要があったしいい演出だったと思う。
こういういかにもアイドルっぽい曲調の応援歌を投入してくるところにサービス精神を感じる。
NiziUでもそうだけど今ニーズがあるポップスってやっぱ応援歌なのかもな。
オリンピック関係で求められる「カイト」、自分たちが世間へのエールとして歌いたい「君のうた」、自分たちの代表曲の一つで大衆に求められている「Happiness」で、3曲披露する意義をそれなりに示してた。
さまざまな記録を提げ鳴り物入りで登場。
舞台セットが累との戦いのイメージだったり背景映像が日頃見かける紹介VTRでは見ない映像だったり。スタッフがちゃんとリサーチして作ってるのか、そこまで「鬼滅の刃」が世の中に浸透しているということなのか。なんかわからないけどディテールが凝った演出。
去年もそうだったけど紅白だとすごく歌いづらそう。PAに嫌われてんのか?
管楽のサポートメンバーイントロしか出番ないじゃんと思ってたら合いの手とかハンドクラップもやってた。
ギターも出番少ないなこの曲。
去年までは音像とか音色とかの上物は洋楽に寄せてその代わり大枠はJ-popのセオリーに従った構成で大衆性も獲得するヒゲダンとかKing Gnuみたいなのが売れるタイプだったけど、
それとは真逆で、音やフレーズは従来からあるJ-popやフォークなのに、曲のアプローチそのものは現代的な洋楽のそれに肉薄してる「夜に駆ける」や「香水」が大ヒットしたのはパラダイムシフトかもしれないな。
真ん中のアリーナステージも上手いこと使ってたね。
歌い終わりにけん玉リレーが追いついてないの一番残念なパターンかもな。
CDを出さない。ネットでは普通に露出してるしバラエティ番組にも頻繁に出るけど音楽番組は避ける。曲もそうだけど活動自体に斬新さがまだまだあると思う。
この曲って一聴するとaccessとかfripSideとかの昔からあるザJ-popって感じのシンセポップぽいんだけど、基本的にベース部分はA♭→Gm→Cmの繰り返しで、そこにB♭やE♭のコードを場繋ぎとして差し込んだり細かい細工をして展開を作ってるんだよね。それでドラムパターンも一定でクラブとかで流しても違和感なく踊れるような作りになってる。
最後のサビで半音さがるっていう転調を行ってるんだけど、コード進行がシンプルなおかげでそこがすごく目立つ。やっぱ転調は肝心なときしかやっちゃいけない技だよ。
やっぱメインボーカル2人ともいなくなるのは痛い。
いろんな曲のフレーズが散りばめられていたけど世代的になんとなくわかっちゃう。伊達に16年前からやってるバンドじゃねえわな。
この時期に阿波踊りしてるの見せられてもなんとも変に思わない歌手は椎名林檎だけだな。
最後のウィスパーボイスセクシーだな。「母親か」ってすげえツッコミだなおい。
ゆずの曲をフルオーケストラで聴く機会なんてないからこれは面白いものを見た。
篠笛の人が妙に目立ってた。刺客みたいになってた。
おじさんのあいみょん好きは本当に謎。いやいい曲だけど。
吉沢亮が出ててあいみょんが主題歌の映画なんてあったっけ?と思って調べたら、吉沢亮って「空の青さを知る人よ」の生霊の役やってたんだ!観てたのに全然気が付かなかった。流石だわ。
「マリーゴールド」のイントロのギターのフィードバック音とか「裸の心」のぽんぽん鳴ってる音とか、これよく聞くと歌が始まってもずっとループで鳴り続けてる。普通のポップスって顔しながらこういうブレイクビーツぽいのを密かに延々と鳴らし続けてるのラナデルレイみたいでかっこいい。
We Are The World的なドリームチームをさくっと作っちゃったYOSHIKIのパフォーマンス。
ロサンゼルスと中継だとタイムラグがあるだろうによくオケに合わせてピアノ弾けたな。
凄いスケール感だったけどやっぱりこの曲はまだ歌われる時期ではないような気がする。
バロック調でのオーケストラアレンジは何回も聴いた「愛をこめて花束を」に新しい解釈ができて楽しかった。
普段のでっかい花束を抱えてくる様なパワフルなパフォーマンスもいいけど、ボッティチェッリのプリマヴェーラの様な軽やかを携えたこのバージョンも好き。
自分が歌いたいマイナーな歌を歌って見ている側にも響くものがあるのが凄いな。ミスチルというブランド力だな。
モノトーンで無機質なんだけどどこか暖かみがあるセットがちょっと丹下紘希ぽい。「IT'S A WONDERFUL WORLD」から「I ❤️U」の頃が僕にとってミスチルが一番身近だったのでなんだか懐かしい気持ちになった。
ギターはアンプ直刺しでドラムセットも簡素。サポートメンバーもストリングスとピアノにかぎっていて(コーラスは被せ?)、機材がなるたけシンプルなのが潔い感じでかっこいい。
1番の終わりのコードがマイナー調で暗いのが大サビの後で暖かい響きのものに変わってるのがベタだけど良いな。
いつもの「天城越え」だけど冒頭のピアノのアルペジオが繊細な印象。
当然のように上手い。
思うことは色々あるけど、「期せずしてYOSHIKIの「Endless Rain」へのアンサーになった。」ということだけに留めたい。書ききれない気がする。
メイク濃くなってから観月ありさと見分けがつかなくなってきてる。
「どうなっちゃうんでしょうね」
この曲カバーしてる人何人かいるけどかわいくみせてやろうって衒いがあるんだよね。本人は流石にすっきりしてる。
合唱やる人多すぎてここにきてなんか見飽きだしてたから、冒頭の演出で「またか」とはやとちりした、すまん。
「守ってあげたい」は名曲。カバーだと鬼束ちひろバージョンが好き。
20分くらいまえから時たま怒号が聞こえてた気がするけど、玉置浩二のスタンバイでなんかトラブルあったのかな?
「田園」だからベートーベンの「田園」をモチーフにしてるのか。Superflyのときも思ったけどオーケストラアレンジもいつになく拘ってたよな。
良くも悪くも星野源と対照的なパフォーマンス。星野源が月なら福山雅治は太陽みたいな人。僕みたいな日影者はなんか感覚が合わないな。嫌いじゃないけど。
まだ13回しか出てないのなんか意外だわ。
今剛は一瞬しか映らなくてもすぐわかるな。今剛とJマスシスぐらいだろそんなの。
MISIAは鼻腔共鳴が半端なさすぎてたまに何言ってるのかわからないときがある。でもそんなこと気にならないほど歌が上手いからなんとかなってる、圧巻。
サブちゃんの「今の若者は世界を歌ってる」っつうのは的確なコメントだったと思う。ただコメント全体的に長かった。
ジャニーズ多かった。2枠をJO1とDISH//に譲るべきだ。
優勝旗ってどこに保管されてるんだろうね。
作品を受け取るとき、どのような経緯でその作品に出会うかは作品の中身より大事だと思います。
例えば、本屋が選んだベスト1の本と、親しい友人からおすすめされた本。
僕なら後者です。
しかし、できるだけ人から勧められて読むのではなく、自分が新しい畑を開拓したい。
何をするにしても人から勧められて始めるのではなく、自分が第一人者になり、人にすすめる側になりたい。
自分が読んで人に勧めた結果面白かったと言われたら自分まで肯定されている気がする。
たぶん僕がこじられて性格が曲がっているだけなのですが、自分が知らないうちに流行って自分がまるで取り残されているように感じてから聞いた曲はいくら聞いても好きになれません。
なんでこれが?って斜めから見てしまうのは自分が変な生き方をしているからだと思います。
例を上げていいものかわかりませんが、ドルチェ&ガッバーナの香水の曲も、自分が知らない間にみるみる流行してどこのどいつかもよく知りません。
ちゃんと聞いてみましたが、良さがわかりません。万人受けするから流行っているはずなのに自分には刺さりません。
対して、Official髭男dismはついこの間まで全く興味をそそられませんでした。流行っっているのは知っていたので手を出さないようにしてました。
しかし、コンフィデンスマンJPを見てから180°変わりました。やたら好きになったのです。
流行っているから聞く。みたいな曖昧な理由は自分の中ではNGが出ているのです。
コンフィデンスマンJPが面白いから、その主題歌だからという理由では自分の中でOKが出ます。
コンフィデンスマンJPを見た後に聞くOfficial髭男dismはコンフィデンスマンJPを見たことがないのに「ヒゲダンサイコー」とのたまっているミーハーどもを下に見ることができる気がします。
そもそもミーハーなやつが嫌いなのかもしれません。いや、ミーハーになるのが怖くて流行りものを避けているのかもしれません。
コンフィデンスマンJPを見るきっかけはミーハーの友人から勧められたのがありますが、結果的にとても良かったです。
いや、違うな。勧められてもしばらく見なかったのですが、テレビでやっているのを知り、映画版を録画していたのがきっかけでした。
そもそも好きな映画や音楽、漫画や本を人にすすめるという行為は自己開示だと思っています。
自分はこういう作品が好きだと人に伝えることは自分はこういう人間だと言っていることと同義なのではないでしょうか。
その作品を受け取り、摂取するとその人の感性が伺えます。少なくとも作品を受け取る前、後はおすすめしてくれた友人の顔が浮かびます。
好きな人が聞いていた音楽を久しぶりに聞くとその人を思い出すように。
対して、自分が新しく開拓した作品ならば自分のものになります。
人に勧められた作品をこれは自分も好きなどど言えるだろうか。果たして本当に自分が好きな作品なのだろうか。人に勧められたからその作品を見たのであって、内容が良いから好きなのだろうか。
一番ダメだと思っているのが世間的に「一番」流行っている曲、映画を自己紹介で書く行為は自分をあえて殺しているのだと思っています。
今、「一番」流行っているとされている物を自分が一番好きなものと言った時点で自分はそこにいないのです。
流行りものが好きな自分。つまり大勢の中に紛れてしまうただの人に成り下がる。
お笑いで言うなら、「EXIT」など第7世代と言われている芸人や「ミルクボーイ」がそれに当たると思います。
音楽で言うなら「米津玄師」「瑛人」「RADWIMPS」などがそう。
よく売れてない頃は好きで売れたら好きじゃなくなる心理がありますが、あれはまんまこのことだと思っていて、ボカロPの「ハチ」は好きだけど「米津玄師」はそうでもないがこれにあたります。
米津玄師も「MADHEADLOVE」あたりまでは好きでした。
アニソン総選挙があったみたいですが、LiSAが紅蓮華で2位だそうです。
LiSAは好きですが、流行っている紅蓮華はそうでもない。さらに鬼滅の刃も流行っているからという理由で見ましたが、全く楽しめませんでした。
流行っている流行っていないをさしおこうとして見ましたが、内容だけみても僕の感想は「面白くない」でした。(アニメ11話まで視聴しましたが、つまらなすぎて視聴をやめた)
僕にとってアニソン総選挙などと言うものは心底つまらなくて、アニメ好きが選んだアニソンには興味はないのです。
自分が好きなアニソンが好きなので順位をつけられて初めて知る曲でも自分は好きになれないと思います。
逆に自分が好きな曲がランクインしていないとなんでや!になるのでわざわざランキングしてしまうことは悪いことしか生まないと思ってしまいました。
AppleMusicが選んだウィークリーベストは全く信用していません。
自分の中では、得意分野と言うものがありその分野は譲れないというものがあると思います。僕は比較的映画には疎くて大した映画を見てこない人生でした。
そこでこれ面白いよ、と言われ見てみてもああ、これが面白い映画なのか。と思うだけで映画を得意分野とする人が勧めて自分はこれが面白いということか、と納得するのでWinWinです。
ところが得意分野同士ならどうでしょう。
自分よりもアニソンを聞いてこなかったであろう人からアニソンを勧められても刺さるでしょうか。しかも自分が知っているアニソンを勧められたらどうでしょうか。
自分が知っている好きなアニソンがどっかのランキングで上位に上がっているのをみると抱くこの気持ち、親元を離れる小鳥のようではないでしょうか。
Dアニメストアというオンデマンドサービスを利用しているのですが、そこで今日のアニメのランキングがあります。そこにあるアニメはすべて自分の好きなアニメではなく、不特定多数の一般が好きなアニメなのです。
見てみて面白いな、と思ってもそれは自分が選んだアニメではなく、人気のあるアニメなのです。
数ある中からいかにだれも見てないようなマイナーな中から自分好みなアニメを見つけられるかが自分さがしになるのではないでしょうか。
最近三月のパンタシアというグループの音楽をよく聞いています。
その中でも「街路、ライトの灯りだけ」という今日が異様に気に入りました。そんなこと言っている人は今の所周りにいません。これが良いのです。
検索すれば、同じようにこの曲が好きな人もいるかも知れませんが、それではだめなのです。自分じゃなくなってしまいます。
中学生の頃、好きな食べ物を書く欄に「みたらしだんご」と書いたことがあります。
その後、クラスに同じように「みたらしだんご」を書いた女子がいました。
その時点で僕の負けを感じました。今後「好きな食べ物はみたらしだんご」はそのクラスメイトのものです。
これを好きと公言できるラインが自分の中に知らぬうちに決められています。
ギャルと恐竜は漫画が連載されていた頃から読んでいたので好きと公言できます。アニメが始まった今も好きと堂々と言えます。
流行ってから見たソードアート・オンラインは好きと言えません。実際好きじゃないです。
LiSAはライブに言ったので好きと言えます。幻影ヲ駆ケル太陽を見ていた頃からLiSAが好きだったので好きと言えます。紅蓮華は言えません。
幻影ヲ駆ケル太陽はテレビで録画してみていたので好きです。ダエモル。
流行っているからと言って見たもので内容がよく感じたものはほぼない
最近SEKIROというPS4のゲームをしています。これはゲームオブザイヤーという名誉ある賞をとったすごいゲームだそうです。
ダクソライクというジャンルのゲームらしいのですが、全く触れたことがありませんでした。つまり専門分野外のゲーム。結果めっちゃおもしろい。
ただ、僕がこれおもしろゲームだよと布教するのは違います。僕の好きなゲームじゃないから。発売日に買ってないから。
最近、映画好きの友人からジョン・ウィックがおもしろいよと言われ見ました。面白かったです。洋画は全く専門外なのでおすすめを見ることに抵抗はありませんでした。
結果これが洋画の面白さなのか。と思ったくらいでちゃんと楽しめました。
ゲームでいうとFallGuysが流行っていますが、すでに遅いので出来ません。
PUBGは流行り始めのころやってましたが、Fortnite、荒野行動、APEXあたりはもうダメです。流行りすぎたから。
今度発売される3Dマリオコレクションは全部原作でクリア済みなので堂々と発売日に買おうと思います。
僕の生きにくそうなこだわりわかっていただけたでしょうか。
最後にもう一つ変な考え
流行りのワードを検索するとき、他にもたくさんの人が検索しているであろうからその中のひとりになるのが嫌なので検索を躊躇う。
周りと違うことをしたいことがすでに普通。
以上です。