はてなキーワード: 芸術とは
消費ばかりのオタ活全般がそうではあるんだが、ここまで醜いのはラーメンオタク・鉄道オタク・アイドルオタクぐらいのものだと思うわ。
何を生み出すでもなくただただ消費するだけの癖に、一家言あるかのように驕り、自分が優先されるべきだと思い込み、我が事のように騒ぎ立てることを正義であるかのように振る舞う。
実に気味が悪いよ。
食ってるだけの癖に偉そうなラーメンオタクや、写真を撮ってるだけなのに他人を押しのける鉄道オタク、それに増してアイドルオタクが醜いのはその感情を生身の人間に向けている所だ。
他者の一挙手一投足に対していちいち感情を揺さぶられてみせる態度というのは、メンヘラの恋人と大差がない。
結局のところ主張したいのは「朕の思い通りに振る舞い給え」でしかない癖に、見かけ上だけは相手を上に置いているのが実に卑怯だ。
自分の思い通りに振る舞って欲しいという欲望をただ向けているだけ、そこに真っ当な対人関係はない。
そもそもアイドルというものが売っているのはそういった関係だということが、水商売の一種であるということが薄まっているのが実に厄介だ。
金という対価を払って初めて成立する関係を構築していながら、それをさも真っ当に芸術活動を支えているかのように装う業界の構造自体が嫌らしい。
ラオタ鉄オタはつまるところはノイジーマイノリティであり、それ故に一部異常者以外はまあまあに大人しい。
だがドルオタは他所の界隈では異常である行為こそがスタンダードとなっているため、茹でガエル式に頭がおかしくなるスピードが尋常でなく、結果として肥大化した自意識に飲まれた異常者が大量発生する。
目を覚まして欲しい。
ライブ会場でタイガーサイバー騒いで一本千円のUOを両手に三本ずつ挟んで振り回した所で、お前は何も立派な存在になっていないということを。
ステージ上のアイドルが輝いていればそれでいいと主張しおきながらその実、「こんなに必死に推し活してる自分カッケエ」というちんけな承認欲求に溺れている自分に気づいて欲しい。
君は何も偉くない。
君は何も偉くない。
だから、何かが発表されるたび、すぐに喚き散らして反対を叫ぶのだ。
CDを破壊した画像をインターネットにアップロードしたり、怪文書をSNSに投稿してみせるのだ。
人間として対等の関係だと思っていないから、相手の選択を尊重できないのだ。
君は何も偉くないからね。
もうまともに反論してやる気にもなれないから、代わりに君みたいなのもまともに相手してくれてるブコメ貼っとくわ…
よく読んどけ
「批評という表現」全般を規制したくてたまらない人たち。ゲーム雑誌が業界ヨイショの広告メディアから始まったため、『オタクとは評論を好まないものだ』というビジネス規範を内面化した末に、表現の幅を狭める
フェミニズム批評についてなにかまともな本なり読んだ事絶対無いだろこいつ(笑)トラバでは女向けコンテンツは規制対象にならないとか放言してるが、BL規制(有害図書指定)はどう整合するんだ?(しない)
「〜文学批評の中でも特にカスみたいな評論の分野」萌え絵とかいうイラストの中でも特にカスみたいな分野。こういうイラストがまかり通ってしまうと〜という話に聞く価値があると思う?
まあどうせ批評とはなにかという事も分からないバカがイキってるだけで内容無いんだろと思ったらホントにその通りでワロタ/↓尤もらしい事言ってもこの手の奴に内在批評する能力なんて欠片も無いんだよな
事務処理支援系の生成AIは昨今の株高からの設備投資再開の流れで急速に日本含む世界の大企業に浸透し
さらに研究の本丸はすでに研究や経営など高度に知的だとされてきた分野に来ている
ここまで来てしまったらもはや生成AI全体への強力な規制は絵空事だ
こういうとき米国はIT関連の種々の先例でそうだったように、国際競争のためなら多少原則をゆがめても規制を緩くして他国に勝とうとするから
もちろん、イラストやら文学作品やら、芸術作品なら国家レベルでは割とどうでもいいので特例で規制できる可能性はそれなりに高い
とくにEUあたりはその手のガス抜きを主導して道徳的優位性で他国を殴る戦略が好きだし芸術関係の業界団体もいまだ強い
・自分たちが特別にお目こぼししてもらえるロジックの正当性を作る
という
コミュ力にも団結力にも知性にも国際性にも欠ける日本の業界団体には全く期待できないところだ
木っ端クリエイターどころか普通に食っていけているレベルの業界人からも出てきてしまっている
逆に生成AI業界はロビー活動の権化のような人々が市場にもアカデミアにもあふれており
他国に先駆けて著作権法の改正にまで着手するなど政治中枢への取り入り速度が非常に速い
この状況からクリエイター業界をまっとうな反生成AIの政治運動に動員して規制をつくり、必要なだけの権益を守るためにはどういう戦略がありうるだろうか?
ここ1年ほど考えているが答えが出ないまま時だけが過ぎている
膝の手術を3回受けた70代祖母が同行者の孫に無断でイタリア縦断超弾丸ツアーに申し込んだ話。
一章 〜杖買うって言ったじゃん!!〜
二章 「歩くのが早すぎるのよあのオバサン!」
三章 こんなとこに住む人の気がしれませんよね
四章 40万()のアクセサリー
五章 ナポリと靴
七章 ローマの夕食
・激重スーツケース
・自慢話と夏の空
・ボッティチェリに敬意を示して。
・嵐ってすげぇや!
孫が中学三年になるのに合わせて祖母が海外旅行に行きたいと言い出した。
昔は海外によく行っており孫と一緒に行くのが夢だったんだそう。
そこで白羽の矢が立ったのが、2番目の孫で初の女の子のわたし。
おばあちゃんは息子しかいないから初めての女の子をかわいがって、よく自分の好みの服やらを買って着せられた。娘がいたらしたかったことを私にしてる感じ。
あとまぁ「孫と一緒に旅行!」ってのが老人にとってはステータスなんだね。「孫と海外旅行をするくらい仲が良くて金銭的にも裕福な家庭」みたいなさ。
「あらお孫さんと旅行?いいわね〜羨ましいわ〜」って言われたいのもあったと思う。そりゃあ孫連れて旅行してる人がいたらそういう反応しかないでしょ。
当時は何も知らんかったから旅行行くのに全然賛成で二つ返事でOKしたし海外行けんの楽しみにしてた。
祖母は膝が悪く何度か手術の経験もあるため、最初は膝のこともあるしバンクーバーあたりのひとつの都市に留まってゆっくりしようねって話してた。
それが5月のある日
って。ねぇ、あんた。
パンフレット見せてもらったらまぁイタリアを北から南まで大移動する8日間の超弾丸ツアー。母が「大丈夫なんですか?」と心配そうに聞いても「大丈夫よ〜!」で聞きゃしない。
身体に爆弾抱えてる人がどうしてそこまで自信満々になれるのか。謎です。
テンションの上がった人間は突拍子もないことを言い出すの典型を目の前で見た。
1章 〜杖買うって言ったじゃん!!〜
そして迎えた当日、前泊する為に祖母の家に行った私が「杖あります?」って聞いたら、自信満々に「無いわ!でも多分大丈夫だと思うから!☺️」
まって??
いやもう、「なんで??」の一言に尽きる。
だって言ったもん、「買う」って言ってたやんけ。母さんがおばあちゃんの膝を考慮して折りたたみ式の勧めたり口酸っぱくして杖を持っていけって言ってたから。そりゃあ買ってると思ってたし若くないんだから過信しないでくれ、たのむから。
ここで私が間違ったのは不安に思いながらもすぐそばのショッピングモールに走って杖を買いに行かなかったこと。これが後に解決できない大問題となる。
今なら過去の私をぶん殴ってでも杖買ってこっそり自分のスーツケースに突っ込む。もし声だけでも伝えられるなら夜とか関係なしに「杖を探しに走れ〜!!!!!」って叫ぶ。絶対に。
「何かあったら現地で買うわ!」って言ってたから大丈夫かと思ってた。
予想してたとおり毎日足が痛くなるくらい歩く超弾丸ツアー。15歳の私でそうなんだから70代の祖母はさぞ辛かったと思う。
でもね?普通に考えて膝にボルト埋まってて普段杖ついてんのに、どう見ても歩くツアーに杖の1本も持ってかないなんて、そんなことある?
現地について2日目くらいに高級店が並ぶ通りで杖を見つけた。べっ甲の持ち手のついたツヤツヤの杖だったからこれならおばあちゃんも満足だろうと思って「杖ありましたよ!」って声かけた。のに。
「でもね〜、ここ(現地)の人に合わせてあるからおっきいのよ」
現地で買うって?言ってませんでした????
ちょっとマジでよく分からないんだけどそんなん最初からお前わかってたの?つまり絶対買う気ないのに買うって言ってたんか?って。
既にツアーの列から遅れて添乗員さんに迷惑かけてんのに何言ってんの?って。
オシャレでプライドの高い祖母にとって杖を着いて歩くのは格好悪いと、ただそれだけだったのだ。
イタリアに着いて初日、夕方に到着したのでそこからバスに乗る。着く少し前に機内食が出たから夕飯は無し、この日はホテルに直行して寝るだけ、明日から観光が始まる。
10時間以上のフライトで腰は痛いしケツはもじょもじょするしで、10時間前に一瞬顔を合わせた人たちと一緒のバスに乗ってホテルへ向かう。
ホテルの部屋へ入り、荷物の整理をして、今すぐシャワーを浴びて寝たいところだが事は起こった。
シャワーが出ないのだ。
普通、コックを上下に動かせば水が出るし、それをひねれば温度調節ができる。少なくとも日本ではそうだ。
このシャワーはどうだろう。コックを上にあげると蛇口から水が出る。コックをひねって温度調節も可能だ。それでも蛇口から繋がるシャワーはうんともすんとも言わなかった。
困った。いちおう先進国なのに世界共通で必須のものの使い方がわからないなんてことある?私はある
長旅直後に知らない土地で使い方がわからなくてゆっくり風呂にも入れないなんて哀れだね。
しばらく考えて、海外経験の豊富なおばあちゃんなら知ってるかなと思って聞いてみたら、祖母はすぐに「フロントに連絡するわ!」と。
あんたも知らないんかーい
いやいいんだけど、知らないのは別に良いのだけどね、ここでフロントに連絡してもイタリア語なんてさっぱりだし、なんなら英語も怪しい祖母と孫で外人のスタッフとコミュニケーションが取れるなんて到底思えない。
それだけは勘弁してくれの一心で私はひたすらスマホで使い方を探した。
その間も祖母は3分に1回「やっぱりフロントに聞いた方が良いんじゃないかしら」と言ってきた。祖母なりに心配だったのだと思う。その自信はどこから来るのかだけ聞かせて欲しい。
型番を検索しても外国語のページが出るばかりで、祖母によるホテルスタッフ襲来の圧を受けながら色々いじくっていたら、ふとした拍子にシャワーから水は出た。
蛇口から水を出した状態で蛇口の先の部分を引っ張るとシャワーが出る仕組みだったらしい。初見殺しか?
なんでこんなとこで1人謎解きやってるのかさっぱり分からないが、ホテルスタッフを呼ばれる前に解決できたのはファインプレーだったと今も思っている。
二章 「歩くのが早すぎるのよあのオバサン!」
歩く!歩く!歩く!
超弾丸ツアーはひたすら歩く。海外旅行に行く層なんて暇と金のある金持ちのじいさんばあさんが主なのに、旅行会社のツアーは「夢の🎶イタリア一周」だとか、「スペイン♡世界遺産ツアー」だとかの移動にかなり無理があるツアーばかりを組んでくる。
例に出したのは私が実際に祖母(父方 母方)と参加したツアーだ。そしてどちらも参加者の平均年齢が60を越していた。
老人、己の体力を過信するな。
もしかしたらゆったりしたツアーもあったかもしれないけど、私が知る前に祖母は申し込んでいたから知る由もない。そゆとこの報連相大事だと思うんだ!
数日で全部を回ろうなんてツアーでは大体の日程がメチャクチャ歩いてるか数時間バスに乗るかの2択になるが、直射日光を浴びて歩いたジジババばかりのバスなんて小学生の遠足帰りのバスより爆睡率が高い。
寝息の聞こえる静まり返ったバス内は幼稚園のお昼寝の時間と同じ空間だった。
日に当ててから涼しいとこでゆっくりさせるのはね、寝かしつけの方法なんよ。
私はイタリアに行ってまでソシャゲのガチャを引いて、推しが出ては「ありがとうイタリア…😭🙏」とTwitterにつぶやくだけになった。景色は飽きる
大体このガイドはやたら大声でハキハキと話す細身な40代くらいの女性が多い。あとなんかダサい旗持ってるよね、キティちゃんとか。
そんで、そのハキハキしたおばさんガイドはめちゃめちゃ歩くのが早かった。大股でズンドコ行くので必死で追いかけるが、配布のトランシーバーで早口で観光地の説明をするから忙しい。
実績解除のための観光だ。この現地ガイドにより観光はRTA(リアルタイムアタック)に様変わりした。
参加者も置いていかれないよう頑張って着いていくが、ここで忘れちゃいけないのが祖母だ。
観光は現地ガイドが先頭に立ち先導しつつ、はぐれる人がいないよう1番後ろを常勤のガイドで挟む姿勢を取る。
私が息切れしながら振り返ると、横にいたはずのおばあちゃんがいなかった。
前に言った通り祖母は膝が悪く、普段杖をついているくらいだから当然歩くのが遅い。それに杖無しというデバフ+でこぼこの石畳+傾斜が拍車をかけた。
「歩くのが早すぎるのよあのオバサン!」
うん、まあ、なんだろう。同情できない。
列の1番後ろでガイドさんに付き添ってもらって悪態をつくって、どう???
ガイドさん、ごめんな。
杖があればどんなに楽だっただろうと今更ながら後悔したし、この旅行中頭の10%くらいでは常に杖のことを考えていた。ちなみに今でも百均で杖を見ると「この!クソ!!これがあれば!!」と思う。500円しないで買えるんだぜ?
閑話 クソ重スーツケース
表題の通りである。おばあちゃんのスーツケースがバカクソ重いって話。
おばあちゃんのスーツケースが重量制限心配になるくらいマジでバカ重かったんだけど、
「何も入ってないのよ〜このスーツケース古いから〜」って言ってたし、古いスーツケースの重さなんて知らんからそんなもんかなって思ってた。ハードケースだったし。
重量制限は23キロまでで、おばあちゃんのは20キロくらいだったはず。行きの時点でこれって土産のも買うはずだけど大丈夫????となったがホテルで開けて驚いた。
ナニモ…入って…ない…❓
スーツケースが古いとかそんな問題じゃねーよ。ギチギチに布詰めて「何も入ってない」なんて言える姿勢は逆にすげーよ。
ちょっと冷静になったけどこの後のお土産タイムで早速おばあちゃんが買ったワインは旅行中ずっと私のスーツケースに入れて運ばれた。たまにスーツケースから瓶が擦れて酒屋の音がした。
旅行の回数が多いだけの自称旅慣れてると本当の旅に慣れてる人というのは別物だ。
閑話3つ目である。ちなみに書いてあること全部まだ2日くらいで起こったことで、たかだか1週間程度の旅行でよくここまでネタがあるなとしみじみ思う。
一応海外旅行に行くからには大体のツアーには現地の有名料理が組み込まれている。Tボーンステーキもそれのうちの1回。2日目の夕飯だったかな。
ガイドさんがメニューを読み上げてなんかよくわからんサラダとか食べて、例のメインは来た。
ミスター味っ子で存在だけは知ってる料理だけあって私は若干テンションが上がっていた。
漫画の微かな記憶では左がヒレで右がサーロイン、さっぱりしたヒレを先に食べ脂の乗ったサーロインを味わうのが鉄板だと味っ子の顔のうるさい審査員が言っていた。
記憶のTボーンの比率は約1:2、出てきた肉の比率は1:5くらい。申し訳程度のヒレ肉に思わず笑ってしまった。これ、わざわざTボーンにする必要ある?
まぁそれは例によって外国なのでサーブされた人によって大きさも全然違っていた。海外に行ってまで日本のような画一化を求めるのが間違っているとも言える。日本が細かいのか、海外が雑なのか。
肉質にも差があって、同じテーブルのおじいさんは「固すぎて食べられない」と言っていた
私のは食べられないって程じゃなかったけど、先に言ったようにツアーの参加者は老人の方が大体だ。その人たちにこれは重いんじゃないかと思う。
そっかーとか思いつつ1人で黙々と食べてたら祖母が
「そうかしら?私のすっごく柔らかいのよ!ほら!」
と、見せつけるように肉を切っていた。肉が固いと言っていた人の目の前で。
何故。
嫌がらせか?と思ったが、別に祖母はそんなこと考えておらず、ただ思ったことを言っただけだ。それがナチュラルにマウントになる人なのだ。純粋培養のヤバ人(やばんちゅ)である。悪意は一切ない。
そしてその素直な性格がこの旅行を悲惨にした一番の原因である。
ただただ、いたたまれなかった。ここで私が「そういう意図はないんです!」なんてことは到底言えないし、言ったところで祖母は理解するような人じゃないし、わたしにできることと言ったら押し黙って肉を食うだけだった。
言われた同じテーブルの人たちは「人によって差があるのね〜」とかで流してくれた。大人だ。
3章 「こんなとこに住む人の気がしれませんよね」
イタリアといえばベネチア、水の都。今回のツアーももちろんベネチア観光が含まれていた。
こんなにネタがある時点ででお察しだとは思うが、祖母はかなり癖が強い。私と年代が違うから、というだけでなく単に人間としての癖が強すぎる。だから付き合うにはかなりコツなり話し方なりに工夫が必要だ。特殊食材?
祖母の特徴を端的に並べると
・謎の自信を持つ。
・反面、少々過剰に心配性な面もある。
・介護の息抜きに海外旅行へ行っていた。特にヨーロッパを中心に巡っていてイタリアにはもう何回も来たからもう飽きちゃったくらい!が旅の口癖だった。
謎の自信、杖の件はこれが遺憾なく発揮された結果だ。このエピソードで祖母の人間性が伝わったかと思う。決して悪い人ではないから逆にタチが悪いのだ。悪意じゃないから私もそんな強く言えないし、そもそも強く言えるような間柄でもないのがさらに状況の悪化に拍車をかけた。私は押しに弱い典型的な日本人であったから余計に。あの場にいたのがアメリカ人かもしくは私たちの母だったら「ダメよ!杖を持たないと出発しないから!」と断固拒否の姿勢を見せただろう。私も1人ストライキを決行すればよかった。
ここで問題なのが「イタリアにはもう何回も来て飽きちゃった!」の口癖だ。
わざわざ12時間飛行機に乗ってケツを酷使して見知らぬ土地に降り立って言うことがそれなの、普通にやばい。現地ディスしたい行動力の鬼なの?
修学旅行の同じ班に到着直後から「もう来すぎて飽きちゃった!」なんて言う奴がいたら、そいつ絶対回る友達いないでしょ。もし現地の京都人に聞かれて初手からぶぶ漬けを出されても文句は言えない。花輪くんでもそんなマウントは取らん。
しかし一番直近でも10年以上前、イタリアだって発展し続けるのだ。祖母は旅の間中も思い出のイタリア(思い出補正マシマシ)に浸り続けている。
ベネチアは陸から少し離れた場所にあり小さな船に乗って向かう。
海の水は綺麗ではないが、所狭しとゴンドラが並び、ヨーロッパの建築様式で作られたカラフルな屋根や壁に白い柱、窓の一つ一つまで細かな意匠が凝らされた建物がずらりと並び、それらが海の上に浮かぶ光景は圧巻だった。色んな作品の題材になるわけだ。これは日本では見れない、世界は綺麗なものがいっぱいあるなぁ、連れてきてもらってありがたいなと素直に感謝した。
水に浮かぶふかふかした地面の繋ぎ目を歩き、現地ガイドさんの説明を聞きツアーの皆さんもワクワクした目で街を見渡しているその時
「こんなとこに住む人の気がしれませんよね〜」
見れば祖母が隣の人になかなかの声量で話しかけていた。あえての悪意とかではなく井戸端会議で「や〜ね」とでも言うような表情で。
やめろや。思うのはまだ良いとして、百歩譲って話しかけるなや。瞬時に吹っ飛ぶ感謝。もっとありがたがらせてくれ。
隣の人はどんな反応をしたっけ。曖昧に相槌を打っていたっけ。でもこの場で言うべき言葉ではないことだけはわかる。
KY発言選手権があればこの発言はかなり上位に食い込む確信があるし、さらに現地で言ったことで芸術点も加算、相当な高得点を取れるはずだ。エピソードとして聞く分には良いのだけども。
これによって私は生涯ベネチアを思い出す際にはこの時の祖母の発言とあのいたたまれない気持ちを思い出すのだ。なんの呪いだよ。
以上、ベネチアでの思い出でした。
まぁこの後も絆創膏を探してドラッグストアの店員(イタリア人)に「Where is バンドエイド?」と英語で聞いたり(結局買えなくて私が持っていたのを渡した)自由時間で迷子になったり私が素敵な羽根ペン買ったら「お金あるわね〜」と本人にその気はなくても嫌味と取れる事を言われたりがありましたがエピソードとしては”弱”なので口頭で説明すれば良いかと思います。
四章 40万()のアクセサリー
「無いわね〜」
「何かなくしたんですか?」
「アクセサリーが入った袋がないのよ」
昨日はあったはずのアクセサリー類がまとめて見つからないのだという。身なりにこだわる祖母だ。アクセサリーもこの服にこれを!というものをあのギチギチのスーツケースに詰め込んできたらしい。
「あら、どうしようかしら〜……40万くらいするんだけど……」
パタパタと探してる最中の爆弾発言に思わず固まった。なんだって?
「あれ全部で40
膝の手術を3回受けた70代祖母が同行者の孫に無断でイタリア縦断超弾丸ツアーに申し込んだ話。
一章 〜杖買うって言ったじゃん!!〜
二章 「歩くのが早すぎるのよあのオバサン!」
三章 こんなとこに住む人の気がしれませんよね
四章 40万()のアクセサリー
五章 ナポリと靴
七章 ローマの夕食
・激重スーツケース
・自慢話と夏の空
・ボッティチェリに敬意を示して。
・嵐ってすげぇや!
孫が中学三年になるのに合わせて祖母が海外旅行に行きたいと言い出した。
昔は海外によく行っており孫と一緒に行くのが夢だったんだそう。
そこで白羽の矢が立ったのが、2番目の孫で初の女の子のわたし。
おばあちゃんは息子しかいないから初めての女の子をかわいがって、よく自分の好みの服やらを買って着せられた。娘がいたらしたかったことを私にしてる感じ。
あとまぁ「孫と一緒に旅行!」ってのが老人にとってはステータスなんだね。「孫と海外旅行をするくらい仲が良くて金銭的にも裕福な家庭」みたいなさ。
「あらお孫さんと旅行?いいわね〜羨ましいわ〜」って言われたいのもあったと思う。そりゃあ孫連れて旅行してる人がいたらそういう反応しかないでしょ。
当時は何も知らんかったから旅行行くのに全然賛成で二つ返事でOKしたし海外行けんの楽しみにしてた。
祖母は膝が悪く何度か手術の経験もあるため、最初は膝のこともあるしバンクーバーあたりのひとつの都市に留まってゆっくりしようねって話してた。
それが5月のある日
って。ねぇ、あんた。
パンフレット見せてもらったらまぁイタリアを北から南まで大移動する8日間の超弾丸ツアー。母が「大丈夫なんですか?」と心配そうに聞いても「大丈夫よ〜!」で聞きゃしない。
身体に爆弾抱えてる人がどうしてそこまで自信満々になれるのか。謎です。
テンションの上がった人間は突拍子もないことを言い出すの典型を目の前で見た。
1章 〜杖買うって言ったじゃん!!〜
そして迎えた当日、前泊する為に祖母の家に行った私が「杖あります?」って聞いたら、自信満々に「無いわ!でも多分大丈夫だと思うから!☺️」
まって??
いやもう、「なんで??」の一言に尽きる。
だって言ったもん、「買う」って言ってたやんけ。母さんがおばあちゃんの膝を考慮して折りたたみ式の勧めたり口酸っぱくして杖を持っていけって言ってたから。そりゃあ買ってると思ってたし若くないんだから過信しないでくれ、たのむから。
ここで私が間違ったのは不安に思いながらもすぐそばのショッピングモールに走って杖を買いに行かなかったこと。これが後に解決できない大問題となる。
今なら過去の私をぶん殴ってでも杖買ってこっそり自分のスーツケースに突っ込む。もし声だけでも伝えられるなら夜とか関係なしに「杖を探しに走れ〜!!!!!」って叫ぶ。絶対に。
「何かあったら現地で買うわ!」って言ってたから大丈夫かと思ってた。
予想してたとおり毎日足が痛くなるくらい歩く超弾丸ツアー。15歳の私でそうなんだから70代の祖母はさぞ辛かったと思う。
でもね?普通に考えて膝にボルト埋まってて普段杖ついてんのに、どう見ても歩くツアーに杖の1本も持ってかないなんて、そんなことある?
現地について2日目くらいに高級店が並ぶ通りで杖を見つけた。べっ甲の持ち手のついたツヤツヤの杖だったからこれならおばあちゃんも満足だろうと思って「杖ありましたよ!」って声かけた。のに。
「でもね〜、ここ(現地)の人に合わせてあるからおっきいのよ」
現地で買うって?言ってませんでした????
ちょっとマジでよく分からないんだけどそんなん最初からお前わかってたの?つまり絶対買う気ないのに買うって言ってたんか?って。
既にツアーの列から遅れて添乗員さんに迷惑かけてんのに何言ってんの?って。
オシャレでプライドの高い祖母にとって杖を着いて歩くのは格好悪いと、ただそれだけだったのだ。
イタリアに着いて初日、夕方に到着したのでそこからバスに乗る。着く少し前に機内食が出たから夕飯は無し、この日はホテルに直行して寝るだけ、明日から観光が始まる。
10時間以上のフライトで腰は痛いしケツはもじょもじょするしで、10時間前に一瞬顔を合わせた人たちと一緒のバスに乗ってホテルへ向かう。
ホテルの部屋へ入り、荷物の整理をして、今すぐシャワーを浴びて寝たいところだが事は起こった。
シャワーが出ないのだ。
普通、コックを上下に動かせば水が出るし、それをひねれば温度調節ができる。少なくとも日本ではそうだ。
このシャワーはどうだろう。コックを上にあげると蛇口から水が出る。コックをひねって温度調節も可能だ。それでも蛇口から繋がるシャワーはうんともすんとも言わなかった。
困った。いちおう先進国なのに世界共通で必須のものの使い方がわからないなんてことある?私はある
長旅直後に知らない土地で使い方がわからなくてゆっくり風呂にも入れないなんて哀れだね。
しばらく考えて、海外経験の豊富なおばあちゃんなら知ってるかなと思って聞いてみたら、祖母はすぐに「フロントに連絡するわ!」と。
あんたも知らないんかーい
いやいいんだけど、知らないのは別に良いのだけどね、ここでフロントに連絡してもイタリア語なんてさっぱりだし、なんなら英語も怪しい祖母と孫で外人のスタッフとコミュニケーションが取れるなんて到底思えない。
それだけは勘弁してくれの一心で私はひたすらスマホで使い方を探した。
その間も祖母は3分に1回「やっぱりフロントに聞いた方が良いんじゃないかしら」と言ってきた。祖母なりに心配だったのだと思う。その自信はどこから来るのかだけ聞かせて欲しい。
型番を検索しても外国語のページが出るばかりで、祖母によるホテルスタッフ襲来の圧を受けながら色々いじくっていたら、ふとした拍子にシャワーから水は出た。
蛇口から水を出した状態で蛇口の先の部分を引っ張るとシャワーが出る仕組みだったらしい。初見殺しか?
なんでこんなとこで1人謎解きやってるのかさっぱり分からないが、ホテルスタッフを呼ばれる前に解決できたのはファインプレーだったと今も思っている。
二章 「歩くのが早すぎるのよあのオバサン!」
歩く!歩く!歩く!
超弾丸ツアーはひたすら歩く。海外旅行に行く層なんて暇と金のある金持ちのじいさんばあさんが主なのに、旅行会社のツアーは「夢の🎶イタリア一周」だとか、「スペイン♡世界遺産ツアー」だとかの移動にかなり無理があるツアーばかりを組んでくる。
例に出したのは私が実際に祖母(父方 母方)と参加したツアーだ。そしてどちらも参加者の平均年齢が60を越していた。
老人、己の体力を過信するな。
もしかしたらゆったりしたツアーもあったかもしれないけど、私が知る前に祖母は申し込んでいたから知る由もない。そゆとこの報連相大事だと思うんだ!
数日で全部を回ろうなんてツアーでは大体の日程がメチャクチャ歩いてるか数時間バスに乗るかの2択になるが、直射日光を浴びて歩いたジジババばかりのバスなんて小学生の遠足帰りのバスより爆睡率が高い。
寝息の聞こえる静まり返ったバス内は幼稚園のお昼寝の時間と同じ空間だった。
日に当ててから涼しいとこでゆっくりさせるのはね、寝かしつけの方法なんよ。
私はイタリアに行ってまでソシャゲのガチャを引いて、推しが出ては「ありがとうイタリア…😭🙏」とTwitterにつぶやくだけになった。景色は飽きる
大体このガイドはやたら大声でハキハキと話す細身な40代くらいの女性が多い。あとなんかダサい旗持ってるよね、キティちゃんとか。
そんで、そのハキハキしたおばさんガイドはめちゃめちゃ歩くのが早かった。大股でズンドコ行くので必死で追いかけるが、配布のトランシーバーで早口で観光地の説明をするから忙しい。
実績解除のための観光だ。この現地ガイドにより観光はRTA(リアルタイムアタック)に様変わりした。
参加者も置いていかれないよう頑張って着いていくが、ここで忘れちゃいけないのが祖母だ。
観光は現地ガイドが先頭に立ち先導しつつ、はぐれる人がいないよう1番後ろを常勤のガイドで挟む姿勢を取る。
私が息切れしながら振り返ると、横にいたはずのおばあちゃんがいなかった。
前に言った通り祖母は膝が悪く、普段杖をついているくらいだから当然歩くのが遅い。それに杖無しというデバフ+でこぼこの石畳+傾斜が拍車をかけた。
「歩くのが早すぎるのよあのオバサン!」
うん、まあ、なんだろう。同情できない。
列の1番後ろでガイドさんに付き添ってもらって悪態をつくって、どう???
ガイドさん、ごめんな。
杖があればどんなに楽だっただろうと今更ながら後悔したし、この旅行中頭の10%くらいでは常に杖のことを考えていた。ちなみに今でも百均で杖を見ると「この!クソ!!これがあれば!!」と思う。500円しないで買えるんだぜ?
閑話 クソ重スーツケース
表題の通りである。おばあちゃんのスーツケースがバカクソ重いって話。
おばあちゃんのスーツケースが重量制限心配になるくらいマジでバカ重かったんだけど、
「何も入ってないのよ〜このスーツケース古いから〜」って言ってたし、古いスーツケースの重さなんて知らんからそんなもんかなって思ってた。ハードケースだったし。
重量制限は23キロまでで、おばあちゃんのは20キロくらいだったはず。行きの時点でこれって土産のも買うはずだけど大丈夫????となったがホテルで開けて驚いた。
ナニモ…入って…ない…❓
スーツケースが古いとかそんな問題じゃねーよ。ギチギチに布詰めて「何も入ってない」なんて言える姿勢は逆にすげーよ。
ちょっと冷静になったけどこの後のお土産タイムで早速おばあちゃんが買ったワインは旅行中ずっと私のスーツケースに入れて運ばれた。たまにスーツケースから瓶が擦れて酒屋の音がした。
旅行の回数が多いだけの自称旅慣れてると本当の旅に慣れてる人というのは別物だ。
閑話3つ目である。ちなみに書いてあること全部まだ2日くらいで起こったことで、たかだか1週間程度の旅行でよくここまでネタがあるなとしみじみ思う。
一応海外旅行に行くからには大体のツアーには現地の有名料理が組み込まれている。Tボーンステーキもそれのうちの1回。2日目の夕飯だったかな。
ガイドさんがメニューを読み上げてなんかよくわからんサラダとか食べて、例のメインは来た。
ミスター味っ子で存在だけは知ってる料理だけあって私は若干テンションが上がっていた。
漫画の微かな記憶では左がヒレで右がサーロイン、さっぱりしたヒレを先に食べ脂の乗ったサーロインを味わうのが鉄板だと味っ子の顔のうるさい審査員が言っていた。
記憶のTボーンの比率は約1:2、出てきた肉の比率は1:5くらい。申し訳程度のヒレ肉に思わず笑ってしまった。これ、わざわざTボーンにする必要ある?
まぁそれは例によって外国なのでサーブされた人によって大きさも全然違っていた。海外に行ってまで日本のような画一化を求めるのが間違っているとも言える。日本が細かいのか、海外が雑なのか。
肉質にも差があって、同じテーブルのおじいさんは「固すぎて食べられない」と言っていた
私のは食べられないって程じゃなかったけど、先に言ったようにツアーの参加者は老人の方が大体だ。その人たちにこれは重いんじゃないかと思う。
そっかーとか思いつつ1人で黙々と食べてたら祖母が
「そうかしら?私のすっごく柔らかいのよ!ほら!」
と、見せつけるように肉を切っていた。肉が固いと言っていた人の目の前で。
何故。
嫌がらせか?と思ったが、別に祖母はそんなこと考えておらず、ただ思ったことを言っただけだ。それがナチュラルにマウントになる人なのだ。純粋培養のヤバ人(やばんちゅ)である。悪意は一切ない。
そしてその素直な性格がこの旅行を悲惨にした一番の原因である。
ただただ、いたたまれなかった。ここで私が「そういう意図はないんです!」なんてことは到底言えないし、言ったところで祖母は理解するような人じゃないし、わたしにできることと言ったら押し黙って肉を食うだけだった。
言われた同じテーブルの人たちは「人によって差があるのね〜」とかで流してくれた。大人だ。
3章 「こんなとこに住む人の気がしれませんよね」
イタリアといえばベネチア、水の都。今回のツアーももちろんベネチア観光が含まれていた。
こんなにネタがある時点ででお察しだとは思うが、祖母はかなり癖が強い。私と年代が違うから、というだけでなく単に人間としての癖が強すぎる。だから付き合うにはかなりコツなり話し方なりに工夫が必要だ。特殊食材?
祖母の特徴を端的に並べると
・謎の自信を持つ。
・反面、少々過剰に心配性な面もある。
・介護の息抜きに海外旅行へ行っていた。特にヨーロッパを中心に巡っていてイタリアにはもう何回も来たからもう飽きちゃったくらい!が旅の口癖だった。
謎の自信、杖の件はこれが遺憾なく発揮された結果だ。このエピソードで祖母の人間性が伝わったかと思う。決して悪い人ではないから逆にタチが悪いのだ。悪意じゃないから私もそんな強く言えないし、そもそも強く言えるような間柄でもないのがさらに状況の悪化に拍車をかけた。私は押しに弱い典型的な日本人であったから余計に。あの場にいたのがアメリカ人かもしくは私たちの母だったら「ダメよ!杖を持たないと出発しないから!」と断固拒否の姿勢を見せただろう。私も1人ストライキを決行すればよかった。
ここで問題なのが「イタリアにはもう何回も来て飽きちゃった!」の口癖だ。
わざわざ12時間飛行機に乗ってケツを酷使して見知らぬ土地に降り立って言うことがそれなの、普通にやばい。現地ディスしたい行動力の鬼なの?
修学旅行の同じ班に到着直後から「もう来すぎて飽きちゃった!」なんて言う奴がいたら、そいつ絶対回る友達いないでしょ。もし現地の京都人に聞かれて初手からぶぶ漬けを出されても文句は言えない。花輪くんでもそんなマウントは取らん。
しかし一番直近でも10年以上前、イタリアだって発展し続けるのだ。祖母は旅の間中も思い出のイタリア(思い出補正マシマシ)に浸り続けている。
ベネチアは陸から少し離れた場所にあり小さな船に乗って向かう。
海の水は綺麗ではないが、所狭しとゴンドラが並び、ヨーロッパの建築様式で作られたカラフルな屋根や壁に白い柱、窓の一つ一つまで細かな意匠が凝らされた建物がずらりと並び、それらが海の上に浮かぶ光景は圧巻だった。色んな作品の題材になるわけだ。これは日本では見れない、世界は綺麗なものがいっぱいあるなぁ、連れてきてもらってありがたいなと素直に感謝した。
水に浮かぶふかふかした地面の繋ぎ目を歩き、現地ガイドさんの説明を聞きツアーの皆さんもワクワクした目で街を見渡しているその時
「こんなとこに住む人の気がしれませんよね〜」
見れば祖母が隣の人になかなかの声量で話しかけていた。あえての悪意とかではなく井戸端会議で「や〜ね」とでも言うような表情で。
やめろや。思うのはまだ良いとして、百歩譲って話しかけるなや。瞬時に吹っ飛ぶ感謝。もっとありがたがらせてくれ。
隣の人はどんな反応をしたっけ。曖昧に相槌を打っていたっけ。でもこの場で言うべき言葉ではないことだけはわかる。
KY発言選手権があればこの発言はかなり上位に食い込む確信があるし、さらに現地で言ったことで芸術点も加算、相当な高得点を取れるはずだ。エピソードとして聞く分には良いのだけども。
これによって私は生涯ベネチアを思い出す際にはこの時の祖母の発言とあのいたたまれない気持ちを思い出すのだ。なんの呪いだよ。
以上、ベネチアでの思い出でした。
まぁこの後も絆創膏を探してドラッグストアの店員(イタリア人)に「Where is バンドエイド?」と英語で聞いたり(結局買えなくて私が持っていたのを渡した)自由時間で迷子になったり私が素敵な羽根ペン買ったら「お金あるわね〜」と本人にその気はなくても嫌味と取れる事を言われたりがありましたがエピソードとしては”弱”なので口頭で説明すれば良いかと思います。
四章 40万()のアクセサリー
「無いわね〜」
「何かなくしたんですか?」
「アクセサリーが入った袋がないのよ」
昨日はあったはずのアクセサリー類がまとめて見つからないのだという。身なりにこだわる祖母だ。アクセサリーもこの服にこれを!というものをあのギチギチのスーツケースに詰め込んできたらしい。
「あら、どうしようかしら〜……40万くらいするんだけど……」
パタパタと探してる最中の爆弾発言に思わず固まった。なんだって?
「あれ全部で40
元増田(anond:20240218123104)はバズり師として金稼いでるわけじゃないので、本気で書いてるかどうかが気になっているやで
本気で書いてるならアスペよなぁ
でも元増田に限らず、本気で言う人もゼロじゃないから、そろそろ、女性アピールは性表現、つまり性的であると明確にすべきなんでしょうね
女性が女性であると性表現して何が悪い?って言ったら、別に何も悪くはないんですけど、アスペや衝動の制御が困難な人に対しては配慮のないあり方だよね
ガチアスペには『イケメンや女友達に私の性的魅力を見せてんだよ!ブ男や友達でもなんでもねーヤツは見るな!ぶっ殺すぞ』が理解出来ないからね
あと、いつでもどこでも性表現をするのはやめましょう、性の役割ロールに縛られるのはやめましょうと、社会全体がジェンダーレス・ノンバイナリーに寄っていってるしね
とりあえず、H&M の広告が不適切であったかどうかについては社会合意が得られていないけど、
(ジェンダーレス・ノンバイナリーで行きましょうで完全に社会合意が取れた認識はまだない)
H&Mの広告は、自身の性的魅力を気にする主体として女児を描く、子どもを性的対象とする広範な文化にNO!!!!って感じで燃えてるやで
女児であろうと女性アピール(思わせぶりなポーズとか露出)は性表現なんだね
もし元増田にとってこれがわかりにくければ、三重交通の女性キャラとかわかりやすいんじゃないですかね
別にいつもの痴女やロリでもない、パンツルックのノーマルな女性キャラが、お約束の記号ポージングとっただけで燃えた
(まぁあれはアスペや表自がマイナス事例を積み上げた結果、アニメ絵自体に拒否反応が出た事例とも言えなくはないが)
男児の水着も変わって上半身露出しなくなったし、ジェンダーレス・ノンバイナリー前提で物事を考えるといいんじゃないでしょうか?
あと、モデルは芸術だからセーフとかしないで、モデルの女性的ポージングも段階的に無くしていくか、性表現をしていると明示すべきですね
色んな特性を持った人のために
当時がきだったのもあるけどあらすじイミフでみなかったんだよな
あらすじみたららじゅてまんまやんけ!と今更びっくりした
んで感想
正直期待しすぎたのもあっていまいちだった
まったくなんの前知識もなく見て、1回みて は?ってなってゆっくりそしゃくしてあーそーゆーことね!みたいな
自分にとってはね
つじつまあわせってのはシュタゲもおもいだしたなー
くりすがしんだののつじつまあわせるためにあーだこーだやるみたいな
かなり古いから当時は画期的だったし影響あったんだろうなtって思うけど
フォロワーだらけどころかもうこすられまくっていろんなパターンやら洗練されたのをみたあとだと、
やっぱりきびしいね
これだったんだてきな歴史的ないみがあるってだけで
まあヨーロッパのむかしの映画自体がえんためってよりかは芸術性たかいのがおおいイメージでまさにそれに近いかんじもあったな
ナレでくわしいことを全部説明して絵は最小限っての
特定されないようにぼかすけど推しがある創作活動を始めてしまった。
肩書きがついてその分野での大御所との対談なんかもあって喜ぶ推しを見ているとこちらも嬉しい。
めちゃめちゃ不出来というわけではないけど面白いかと言われると微妙……。
高いものじゃないしグッズの一種と思ってお金を出すのは全然ありなんだけど部屋の棚には置いておきたくない感じ。
私は推しの歌や踊りや人間性を推していたのであって推しが作る物までは推せない。
正直同じ思いの人は少なくないんじゃないかと思う。
でも界隈には「褒めなきゃ!」みたいな空気を感じてつらみがある。
私の心が狭すぎるのだろうか……。
例えば俳優業から興味が出て監督をしてみる人とか絵画や造形で芸術活動を始める人とか。
そういうのならまだ良かった。
監督業なら集団作業だし周りから手厚くサポートしてもらえるだろう。
アートも文脈次第みたいな世界だから推しが作ったと思えば良く見えるんじゃないだろうか。
展示会でオフ会するの楽しそうだし。
なのに……よりによって創作活動。
そりゃ歌や踊りだって一流ではなかったかもしれないけどそれでもプロの技術でうまく私たちに夢を見せてくれてた。
創作はその人の能力がもろに出てしまうし実力に対して不相応に持ち上げられているのも感じてしまう。
推しでこんなことを考えなくちゃいけないのがつらい。
kohakuirono 始まってもいないのにと言うけど公式サイトで「エンタメ大好き」「イケてる人は吉原にいた」とか書いて極めて軽いノリでキラキラ吉原にしてるのはちょっとなあ。そりゃ怒る人も出るだろうて。
https://b.hatena.ne.jp/entry/4749010497224107936/comment/kohakuirono
porquetevas ほんとにイケてる等のコピーがあったのか疑ってる人がいるけど、あったよ。公式サイトの「みどころ」ページに書かれていた。今はページごとそっくり消えてる
https://b.hatena.ne.jp/entry/4749020844342773120/comment/porquetevas
ということなのでwayback machineから発掘してきた。2/6時点のキャッシュ
元は「見どころ」というページ。トップにはリンク用の文字は残っているがリンクは外されている( https://daiyoshiwara2024.jp/ )。元URLにアクセスしてもNOT FOUNDになる( https://daiyoshiwara2024.jp/highlight.html )。
見どころ
幕府公認の遊廓、江戸の吉原。本展では、他の遊廓とは違い吉原だけに備わっていた公界としての格式と伝統に注目しています。武士であっても刀を預けるしきたりを持ち、洗練された教養や鍛え抜かれた芸事で客をもてなし、夜桜や俄など季節ごとに町をあげて催事を行いました。
約250年続いた江戸吉原は、常に文化発信の中心でもあったのです。3月にだけ桜を植えるなど贅沢に非日常が演出され仕掛けられた虚構の世界だったからこそ、多くの江戸庶民に親しまれ、地方から江戸見物に来た人たちが吉原を訪れました。そうした吉原への期待と驚きは多くの浮世絵師たちによって描かれ、蔦屋重三郎らの出版人、文化人たちが吉原を舞台に活躍しました。
江戸の吉原遊廓は現代では存在せず、今後も出現することはありません。本展では、今や失われた吉原遊廓における江戸の文化と芸術について、ワズワース・アテネウム美術館や大英博物館からの里帰り作品を含む、菱川師宣、英一蝶、喜多川歌麿、鳥文斎栄之、酒井抱一、高橋由一などの、国内外の名品の数々で、歴史的に検証し、その全貌に迫ります。
エンタメ大好き!
夏の野外フェス?!「俄」
wayback machineのURLは↓だけど重いので注意。画像などもキャッシュされている。
https://web.archive.org/web/20240206095007/https://daiyoshiwara2024.jp/highlight.html
鳥山明はドラゴンボールでそもそも少年悟空の冒険アドベンチャーを描きたかったのが人気が出なかったので
編集が「悟空と亀仙人以外全員捨てて仕切り直せ」つってアドベンチャー路線を捨てさせてバトル路線に舵を切った。
鳥山がアドベンチャー路線が好きなのはドラゴボ以降の作品群見てりゃ誰でもわかるわな。
ちなみに等身の高い大人キャラクター描くのもそんな好きじゃない。
その後、バトル路線に飽き飽きした鳥山がピッコロ大魔王編でまたちょっとアドベンチャー路線に戻して
ピッコロ倒して終わりにするはずが人気がありすぎて編集から続けろ、次は大人編だと言われ継続。
その後は本人も「エピローグのつもりで書いてた」「アニメ版をZにしたはもう終わりにするため」と語っていたように
本宮ひろしの男一匹ガキ大将なんかも有名な作品で、作者は何度も終わらせてくれと編集に直訴したが許されず
とうとうブチ切れた作者が主人公の腹に竹槍をぶっ刺して死にました!終わり!ってして
いざ本誌が届いてみてみたら編集の煽りコメントで「続く」と書いてあってビックリ仰天。
結局、それからダラダラ連載を続ける羽目になった。
他にもハンターハンターの富樫が幽遊白書で連載辞めさせてくれなくて病んで失踪した話は有名。
つーか集英社にこの手の話多いな。
他にもなんか途中からジャンル自体がガラッと変わって何だこれってなった作品もあったよな。
そこまで行かなくても、マガジンで連載されていた我間乱ではコミックスのキャラ紹介で定期的に
「編集が入れろって言うから入れたけど面白くならなかった」的な文句がちょろちょろ出てくる。
連載作品でこの手の「作家の思いとは関係なく作品の流れやキャラクターを改変させられる」話は事欠かない。
もちろん、出版社としては芸術やってんじゃなくて、商売として最善を尽くしてるだけってのは実際そう。
人気作品は引き延ばせるだけ引き延ばして金稼がなきゃいけない。
そのほうが作家にとってもいいはずだと思ってそれをやることは否定しないけど、
でもそれで出来上がってきたものは果たして「作家が本来描きたかったもの」だろうか。
Twitterをぼーっと眺めていたら絵描きさんが "創作する過程を楽しめなくなった絵描きは終わり"だという旨の発言をしているのを見かけた。
別にその人のことは良く知らないし、その人がその発言をすること自体が悪いこととは思わない。思想は自由だし、その人なりにバックボーンやプライドというのがあるだろうから、そういったものは尊重したい。
でも私はこの言葉をひどく何度も反芻している。何度も反芻している。雪が降って鬱になってるだけなのかもしれないが作業中も何度も頭の中をよぎって止まない。
私は7年くらい前からあるプロの絵に一目ぼれしてそんな絵が描けたらいいなと思って絵を描いてきたのだが、同時にその時くらいから絵を描くことがあまり楽しくなくなったように思う。
たまたま精神や思想、ある程度の技量が成熟する時期と被っただけなのかもしれないが、時期的には、その時のはずだ。
これに因果関係があるのかはさておいて、現状も私は絵を描くことがあまり楽しくない。
一時創作と二次創作の違いだとかいった意見が発生しそうなので一応言及するが、私はここ最近一時創作しかしてない。でも絵を描いてるときは楽しくない。キツい。辛い。
設定を考えたり、ストーリーを考えたりしているときは楽しいが、キャラクターデザインをしているときとか、構図を作っているときとか、本当に楽しくない。
こればかりは断定するが、この感覚の原因は私の不勉強と努力不足でしかない。アイデアが湧かないのは観察力を鍛えることを怠ってるからだし、構図が出ないのも人体デッサン頑張ってないからだ。
創作する過程を楽しめなくなった絵描きは終わり。改めて、この言葉を反芻する。
私は終わっているのだろうか。
いいなぁ、キラキラしてて、フォロワー多くて、絵上手くて、いろいろな人から認められて。
私は全然だ、淀んでいるし、フォロワーいないし、全然魅力的な絵が描けない。
でもこれまで描いてきた。他の人より努力するのが下手で質も量も悪いから他の全てを投げ捨てて描いてきた。
楽しくない程度でやめてたまるか。
楽しくない程度でやめるのか?それは、お前、冒涜じゃないか。いったい何人の絵描きが苦しみながら芸術を生み出してると思ってるんだ。
創作的な活動をする人間を美化するから、絵を描く人が減るんじゃないのか?超えちゃいけない倫理を踏み越えるんじゃないのか?
苦しむのも楽しいんだなんて意見があるかもしれないが、それは言葉遊びに過ぎないだろ。
勿論絵を楽しむことは否定しない、好きにやればいい、勝手にして、その素晴らしい表現を続けてほしい。
どうか頼む、私に絵をやめろと言わないでほしい。
あなたよりも能力の低い人が必死に頑張って泣きべそかいてそうやって描いた絵にもきっとその人なりに価値がある。
楽しくないことを頑張ってる人を否定しないでほしい。