はてなキーワード: 一言とは
たしかにとても興味深い。
一言で言えば、拗ねているのかなと思う。
毒親やら学校やら職場やら、とにかく今まで生きてきた中で散々バカにされ惨めな思いを味わってきて、鬱屈した思いを抱えて生きているんだろう。
誰も助けてくれなかった、優しい言葉をかけてくれなかった、理解されなかった、寄り添ってくれなかった。死にたい消えたいと思うときもありつつ、なんとか生きてきた。人それぞれ濃淡はあるだろうけど。
そこにきて、苦しいあなたを助けます、って言われると「うるせー!」って反発してしまう。ずっと根底に抱えている「誰も自分を助けてくれなかった」という怒りや悲しみが湧き出すから。これは、自分のことを直接知る生身の人間とのプライベートな付き合いの中で癒していくしかない。直接一対一の関係を結ぶわけではない政見放送や街頭演説では癒されないし、期待する気になれない。
自分がもう諦めたこと(助け合ったり、寄り添われたりすること)なのに、それを蒸し返されているから辛いし、そういうことをまだ求めていられる人たちが能天気に見えて余計に腹が立つんだろう。
(左派の助けますアピールが、そういう人々に届かない程度のものであるとも言えるだろう)
そういう人々の深い懊悩にまったく寄り添う気の無い安倍自民党みたいなのは、だからこそそんな反発は呼び起こさない。皮肉なことに。
安倍的なものが、これまで自分をバカにしつつ食い物にしてきたやつらの権化みたいなものだと思うんだけどね。
いやべつに、会社から言われなくても、後輩がそだってくれれば、結果自分の手柄に成る
おしえるな、といわれたって、こっそり教えているのが現場。
①業界のいいとこわるいとこ
いいとこ
・働いてて楽。作れば売れた時代、その時稼いだ金があるから他の業界だと通用しない仕事っぷりで全然まかり通る
・とにかく金が動くから経済の活性化には貢献している。業界従事者もみなさんが思っているより多いと思います。
・やることない人間(サポリーマンとか老人とか)の暇つぶしには一役買っているし、適度に遊べばコスパが最高に良い遊び。
わるいとこ
・仕事で得た技術や知識が他業界で一切役に立たない。営業も企画も開発も。
・ギャンブル依存症を生んでしまう。(こればっかりはパチンコでギャンブル依存症になるというより、そもそもギャンブル依存症になりやすい性質の人がパチンコをきっかけにギャンブル依存症になるだけかので、パチンコがなくてもたぶん変わりません。)
②業界がだめってどゆこと
・そもそも時代に合ってない。インターネットやスマホの普及によって、余暇の過ごし方が多様化したのにパチンコ店は昔のまま。そりゃ客減る。
・そこに様々な追い打ち。健康増進法でタバコが吸えなくなり、規則改正で今ある台の撤去が迫ったり、同じく規則改正で「ギャンブル的に考えておもしろい台」がほぼ作れなくなったり、そこにとどめのコロナ。
・業界は確実に痩せ細っていく。完全に息の根が止まることはないだろうが、大手(マルハンダイナム そのレベル)だけ残ってあとはほとんど潰れると思う。これがこの先2年以内の出来事。
・それに伴い、取引先が減って売り上げの目処が立たなくなった機械メーカーもどんどん業界から撤退していく。この先5年以内の出来事。
・最終的に、大きな店と大きなメーカーだけ生き残って、大衆娯楽のひとつとして機能して終わり。
③みなさんに知ってほしいこと
こんな感じで、もうすでに弱りきっている業界なので、あんまり不用意に叩かないであげてください。
たしかに経営者や創業者に某国出身は多いですが、某国に送金したりはしていません。
たしかに感染リスクがないわけではありませんが、換気はしっかりと為されているしクラスターも発生していません。
たしかに景品交換(いわゆる換金)はグレーに見えるかもしれませんが、風営法上セーフですし、なによりこの行為はヤクザの資金源にならないようにするために作られたものです。(たばこなどの一般景品にしか変えられなくなると、それを安価で買い取り売りつけるという商売が生まれ、裏社会の資金源となってしまいます)
真っ白ではありませんが、みなさんが思っているよりは白いと思います。もう充分苦しいので、これ以上苦しめないでいただけると助かります。
ここで言う二次創作活動とは描いた絵をどこかしらで公表する行為を指す。
二次創作をやめた話ではない。
私が二次創作を始めたのは7年前、とあるアニメにハマったのがきっかけだった。
それまで絵を描くのは好きだったが描くのはオリジナルのみで、二次創作は見る専門だった。
1クールのアニメを見終え、喪失感から二次創作を始めた。爆発しそうな好きの感情を吐き出す手段だった。
やめた理由は要約すると、私が老害オタクになってしまったからだ。
今の同人界隈(今回は二次に限定する)についていけなくなったからだ。
現在二次創作活動を、同人活動を楽しめている人が読んでも腹が立つだけだと思うのでオススメしない。
以下に理由を挙げる。
そのキャラクターを生み出してくれた公式への感謝があるからだ。
しかしツイッターで見かける二次創作はとてもキャラクターが好きとは思えなかった。
天真爛漫なキャラは腹黒にされ、既婚者キャラは不倫野郎にされた。
とても着そうにない女性物の過激な下着を着せられ挑発的なポーズをとっている推し(男)を見た時は衝撃だった。
本当に同じキャラが好きなのか。そもそも好きなのか?とさえ思った。
二次創作は自由だ。当然だ。公式で見られないものを埋めるため、何を描いたっていい。
しかし最低限その自由にはキャラクターへの敬意があると思っていた。
自分の趣味嗜好をキャラクターに押し付けるものではないと思っていた。
ただただ推しがおもちゃにされている二次創作に耐えられなくなってきた。
人のキャラクターをおもちゃにしているにも関わらず、それがさも良いことのように振る舞う人が増えた。
たしかに昔より活動が活発化し、目立つようになったのにも関わらず公式は黙認してくれている。結果として利益に繋がっているからだ。
これを利益に繋がってるんだから認めろと言わんばかりの人がいる。
ガイドラインを出さない、立場としてガイドラインを出せない公式に対してわざわざ問い合わせを行いOKを出させようとする。
禁止にすれば公式だけが利益を独占するな、それを禁止にするのは差別だと暴れる。
利益のため(金銭に限らずフォロワー数や反応を稼ぐ目的など)に好きでもないジャンルを描く。
何様だお前はと思った。感謝こそあれ盗人猛々しい振る舞いはなんだ。
公式が世に出してくれた作品を好きになり、ファン活動の一環として描かせてもらえているのだ。
己の利益のために描く人間があまりにも多い。二次創作が楽しめるなら公式を履修してなくたっていい。
③承認欲求との付き合い方の差
私は絵をTwitterにアップしている。
見てもらえると嬉しいし、反応があればモチベーションアップに繋がるからだ。
けれど反応がないからといって凹んだりすることもなかった。描いた時点で熱は昇華される。わざわざアップするのは上記の付加価値のためだった。評価が目的ではなかった。
今でこそそれなりに反応や感想をもらえるようになったが、アカウントを作って最初の4年くらいは全く反応はなかった。
それでも全く気にならなかったし楽しくかけた。だって好きで描いてるから。
7年間大好きで大好きで同じキャラを描き続けている。
描いた絵に対して爆死したとか反応しないフォロワーに対して文句を言うのを見かけた。
反応をもらうために描いているの?
好きだから描いてるんじゃなかったの?
描かれた推しが不憫だった。描き手の承認欲求を満たすために描かれ、反応がなければゴミのように扱われる。
「最近あの人反応してくれないから私も反応しない」と、他者の作品のキャラを借りているのに、優先されているのは自分の承認欲求。
私はそれに耐えられなくなった。
Twitterで交流しない自分が少数派で場違いなのはわかっている。
これについては⑥で語る。
歴史上の物や者がイケメンになったり美少女になったり、それは別にいい。
欲しいのは設定を考えなくてもいい状態と、見た目が好みのキャラクターデザインだけ。
実在してなくても声や顔で釣れるものは多いだろう。カタログから好みのお人形を選ぶだけ。
さらにそれを①で書いたように自分の趣味嗜好を押し付けて楽しむ。
これが今の二次創作。
二次創作が大切なのだ。公式でも、元ネタでもなく、好みのビジュアルのキャラでお人形遊びをするため。
日常アニメに生きてるキャラを血塗れの欠損にしてもいいし、欠損しているキャラに脚をはやしてもいい。淑女を痴女にしたっていい。カプのためなら不倫だっていい。犯罪行為に巻き込んだっていい。
二次創作だけを読んで二次創作をしたっていい。これは最早三次創作なのだがそれでも作品が好きだ沼だと言って騒げれば関係がない。
キャラクター性、アイデンティティなどいらないのだ。自分好みに改変できればいいのだ。
私はそれが嫌でしょうがない。
Twitterは気軽にやりとりができるのが利点だ。
だが、気軽にリプが送れることと気軽なリプを送ることはイコールじゃない。
バズっているつぶやきに必ずと言っていいほど連なっている失礼な言葉。
失礼なことが当然すぎて送られている本人も特に気にしてはいないだろう。
タメ口、画像リプ、最近だと誹謗中傷も話題になった。友達でもないのによくそんな礼儀を欠いたことができるなと思った。
けれど気軽なリプを送ることが今の楽しみ方なのだ。
Twitterで丁寧な方がキモイと思う人も少なくないだろう。
この距離感が私には合わなかった。
③で述べたがTwitterで交流しない自分が少数派で場違いなのだろう。
けれどpixivではいくらマイナス検索を入れても住み分けされてないため地雷にぶちあたる。
ジャンル名男女カプのタグであらゆる腐要素をマイナス検索に入れてもBLにぶちあたるのだ。
Twitterはまだブロックミュート機能があり、信用できる人だけフォローしTLのみ見ていれば平和なのでこちらを利用している。
これは腐女子に対するヘイトではなくマナーを守らない人に対するものだ。腐女子の存在は特に嫌っていないし、住み分けをきちんとしてくれていればそもそも目に入らない。
私は男女カプを好んでいるが、男女者の中にも公式に平気で捏造カプを送りつけたり捏造カプを公式だと声高に主張する人もいる。
少しズレたが、とにかく学級会が多いのだ。
同人なので自分が楽しむことが正しいが、それはここまで書いたようにキャラクターへの敬意や公式への敬意が前提だと思っていた。
ここで言う「自分が楽しむ」は自分の趣味嗜好のためにキャラをカタログとして扱うことを指す。
自分が楽しめるなら公式に迷惑をかけてもいいし、トレパクしたっていいし、ガイドラインを無視したっていいし、地雷嗜好の人間へ嫌がらせしたっていい。
何か変えようと主張する人がいても、一言「お気持ち表明」と言えば真面目に取り合う必要がなくなる。
嫌ならスルーしろブロックしろと、誰でもネットに触れる環境になった令和にも関わらず配慮する気などない。
カプ表記を絵文字にされればミュートもできない。配慮は自分たちの界隈のみの存在。
検索に引っ掛からないようにしたいなら最初から鍵をかければいいのだ。でもしない。
配慮はあくまで善意であって強制するものではない。それは分かっている。分かっているがここまでくると無法地帯だ。
黒に近い活動であるからこそ善意での配慮を大切にしてここまで続いたのだと思っていたが、自分が楽しめなくなる配慮はもうする気がないのだ。
常に誰かが怒っている。その怒りはトレンドに入ったり検索のサジェストに出る。
もう疲れてしまった。
以上だ。
今の同人は~みたいな書き方をしたが、昔だってあっただろう。むしろ昔の方が色々と緩かった分酷い状態だっただろう。
ただその時期に私は見る専門であり、イベントに参加する財力もなく、二次を漁るときもサイトの「はじめに」を読み、合う人にのみ触れていたから気が付かなかっただけだ。
若い人を指しているわけでもない。私はもう30も間近だが上の世代でも楽しんで二次創作活動をしてる人はたくさんいる。
ブロックもミュートも使うし、検索はなるべくせずTLだけを見る。
トレンドだって外国に設定して話題が目に触れないようにしている。
スルーし続けて、し続けて、それでもきりがないのだ。
それでようやく、自分が今の同人界隈に着いていけてないことに気付いた。
自分は少数派だった。
私が老害オタクムーブをTwitterで晒して、ジャンルやキャラが嫌われるのは嫌だ。
だってそれが好きで好きでどうしようもない熱を発散させる私の唯一の手段だからだ。
でもそれを公表するのも、二次創作活動をする人に感想を送るのももうしない。
3人に注文聞くだけで10分待ったぞ
そのあと唐揚げ2個もらうために15分待った
アホかと、馬鹿かと
店も全然混んでないのに
昭和なら許されるのかもしれないけど
精神的に安定してる人と結婚したつもりで、後から「その人はまだ人生で不安定になる辛いことがなかっただけ」とわかり、人生初の苦境で発狂する相手を前に途方に暮れる結末はよくあります。— トイアンナ (@10anj10) June 15, 2020
トイアンナ氏のこの発言を読んで、癌で死んだ母のことを思い出した。
母はめちゃくちゃ精神が安定していた。どんなことがあっても落ち着きはらっていた。
死に至る病を宣告された日の日記は、「わたしはがんだそうだ。いやだなあ」この一言で終わり。
中卒で本といえば料理と裁縫くらいしか読まない母の語彙力では書き表せない思いもあったのだろうが、
しかし私の記憶の中にある母は笑顔でいるかそうでなければ私を叱っていて、
彼女の死ぬ直前の時期の記憶もあるのだが、まったく普段通りだった。
死ぬ前日も三食母の手料理を食べて、翌朝は母が医者に行くということで父方の祖母に預けられ、その日の夜に母は亡くなった。
死ぬ前に父に家事を仕込み、緊急時の私の預け先を決め、その後の生活のめどを立てて私の小学校の転入手続きまでして、立つ鳥跡をきれいに掃除していった母だった。まじスゴ過ぎ。
父と結婚して専業主婦におさまるまでの母はたいへんな人生を歩んでいた。
ギャンブラーだった祖父は母が小学生のころに死んだ。田舎の地主の娘である祖母はなんと戦前にピアノを習っていたというお嬢様(これはめちゃめちゃスゴいことらしい。父方の祖母が「ピアノを習っていたほどのお嬢様なのに苦労して……」とよく言っていた)で、お嬢様が男っぷりのいいろくでなしに騙されて結婚しちゃうというまあありがちな展開で祖父と結婚し、赤貧を洗いまくっていた。
生活力のないお嬢様の祖母は夫を亡くしてもちろん実家に泣きついたのだが、親類は祖母を見捨てた。民生(地元の高齢者はなぜか生活保護のことをこう呼ぶ。)を受けたりしながら、子どもを連れて他人の家に下宿して(当時は珍しくなかったようだ)祖母は働き、のちには家も手に入れた。
そんな生活の中、母は弟の面倒を見ながら成長し、高校進学をあきらめてデパートに就職。二人の稼ぎで弟は高校も出たのだが学業は伸びず就職もうまくいかなかったようで、土方の仕事をしているときに早く結婚。その奥さんがよろしくなく、母と祖母が暮らす家に転がり込んできて暴力によってその家を奪ってしまって母たちは再びの根無し草に。手塩にかけて育てた弟は奥さんの横暴についていけず失踪してしまったので、祖母と母の家は奥さんと子どもと奥さんの彼氏が住んでいるという謎の状況に。(ちなみにこの辺の後処理は後に私と私の父でやった。大変でした。なお叔父は見つかっておりません。失踪宣告出すと取り下げられるので生きてるのだけはわかっている。)しかも借金も背負わされたそうだ。
再びアパートを借りるなどして暮らしていたところで父と結婚し、借金を父が返し、専業主婦におさまった。父も高卒で決して高給取りではなかったが、節約家の働き者だし子供(私だ)も生まれてなかなか幸せな時間だったのではないだろうか。
しかしそれも数年で死の宣告を受けることになる。つらっ。
母なし子とはいえ何不自由なく育った健康優良児の私には大変な人生に思えるのだが、戦後の時代にはそこまで珍しいレベルの苦労でもなかったのだろう。この辺の苦労を母から聞いたことは一切ないし、父も祖母もたいして話さない。雑談の折節に断片的に出てくるエピソードをつなげたのが上記の話だ。さらっと書けばこんな風にまとまってしまうが、想像を絶する暴力と非論理の世界。
母の不在をふたりの祖母が埋めてくれた私は、昔から老人会に入り浸っていて高齢者の話を聞くのが好きなのだが、昔の世界ってものすごく非論理的だったんだなと思う。財産を奪われる、暴力を振るわれる、異性に騙される、病気は治らない、宗教に騙される、親類に奴隷扱いされる……「え、なんでそんな矛盾した行動が許されるの?」よりも、「なんでそんな矛盾した行動を受け入れてしまったの?」という疑問が湧いてくることが多い。警察に行かないの?弁護士を立てないの?それってただのレイプだよ?それってただの詐欺だよ?そんな出来事が、「あんなこともあったわね~」「若かったんだな~」で済まされる。
自分の境遇に逆らわずに受け入れるこうした態度も、トイアンナ氏が冒頭のツイートのフォローとしていう「自分の機嫌の取り方を自分で知っている人」の強烈な一形態だと思う。
不遇と戦うことよりも、受け入れることのほうが心は波立たない。詐欺を訴えることよりも、被害を受け入れて、こつこつ働いてもう一度お金を貯めるほうがわかりやすくて楽だ。
母が落ち着き払っていられたのは、お年寄りたちが落ち着き払っていられるのは、苦境を経験して、人生に期待していないからなのだと思う。失ってもなんとも思わない。最初からないのだから。
母が死んだとき、父は火葬される母を待つときに少しだけ泣いて、後は何も言わなかった。
今になってときどき、母の思い出をぽつぽつ話したりする。
思ったことを書いただけなので、何がいいとか悪いとかの意見は特にないのですが、
ただ、花柄のデザインの古びた母の日記と、母の丸っこい字で漢字の少ない文章を思い出して、
生きるって大変で正解がないなあ~~~。と思った。という、日記です。
買いすぎて冷蔵庫に入らなくなる問題が如何にパーシャルかってわけよ。
ついつい調子に乗っちゃって買いすぎると、
買い物かごに入れ過ぎちゃうし、
私最近レジ待ち時間にいろいろスマホが出来るようにカートを使うようにしてるの。
そしたら、
腕にかけてる買い物かごも重たくないでしょ?
それが逆効果で、
自分の腕に買い物かごをかけていると、
重いからそろそろこのぐらいにしてレジ行かなくちゃってなるんだけど、
かごに入れたい放題なのよ!
あと空腹のと気に入ってはダメというのは定説すぎて忘れちゃうけど、
だいたいは買物に行くときって、
虎が獲物を探すようにどこまでも遠くに歩いて行く感じで彷徨うわけ。
いまここでフードファイトしたら負けなし!って思うけど、
実際やったらラーメン1杯でお腹いっぱいになるって分かっているの。
お店で見ているとスケールが小さく見えるけど、
あれお家のキッチンで封を開いて、
いざ焼くとなると意外とデカイのよね。
もう計画的に、
これとこれとこれを買う!ってだけ決めて行かないと
とんでもないことになるしね。
鶏モモ肉なんてキロ単位で買っても人類にはまだ早くて持て余してしまうぐらいよ。
お野菜も火を通せば、
カサが減って結構食べられるじゃない。
あのこれお肉のメニュー火は通してあるんですよね?って
すみません味付けはともかく火だけは通してくれませんかって言ったぐらいよ。
食材に火が入る!って言う言い方をすると
かなり本格的な料理の要素が全部は言ったことを言ってるように相手は感じるので、
その一言さえあれば味なんてどうでも良いのよ。
大概の人は、
本当よ。
だから料理において全てのパワーワードとして私が言いたいのは「火入れ」
ふふふ。
あ!そっか!ってこれまた説得力を、
貧しいじっさまとばっさまの沢庵だけのおかずでも
あの山盛り一杯のご飯は平らげることが出来るのよ。
そのぐらい、
全てが「火入れ」なの覚えといてね!
うふふ。
目玉焼き入りベーコンレタストマトサンドが売り切れだったのでガッカリしたところを
だけど私はどう頑張ったって1月に20個ぐらいしか買えないけど、
結構貢献してると思うわよ。
ピンクグレープフルートとホワイトグレープフルーツのミックス炭酸割りウォーラーはお手軽。
搾った果汁に炭酸を気が抜けないように、
斜めにグラスをして入れるの。
輪切りにしなくても良いから、
面倒くさいときは
ユー搾っちゃいなよ!って言ってあげるわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
元々、オタクだった。
ガラケーの時代は個人サイトを巡り、日々サイト主様に感謝をする毎日を送っていた。
言葉を綴ることも、語彙もない。ましてや一オタクの感想など……と卑屈に思っていたこともあり、感想は送れないけれど、拍手を送る日々だった。
元々他者と関わることが苦手、コミュ障であることからROM専でいることは心地良かった。
そんな毎日の中でとても大好きなサイト主様がある日突然消えてしまった。その頃はまだ成人していなかった自分には、社会人であるサイト主様の私生活が忙しくなってしまったのだ、と勝手に解釈をすることにした。
寂しい、という気持ちとどうして感想を一度でも送らなかったのだろうと後悔をしたのは恐らくその時が初めてだったと思う。
だが、新しいジャンルに出逢い、そして場所もTwitterへと移り変わり、考え方や生み出す作品が好きな人が出来てその気持ちは少しずつ薄れていった。その方が生み出す作品にファボを飛ばすのに精一杯であったものの、それでも楽しく日々を過ごさせてもらっていた。
そんなある日、また転機が訪れる。
そのツイ主様が心を痛めて、所謂病みツイートをされたのを見かけ、辛抱堪らず初リプを送ってみた。言葉は拙く、けれど誤解を与えないような言い回しを必死に調べて、たった数行を何度も読み直し、何十分も掛けた後に送った。
返って来た返事は要約すると『ありがとうございます』と言うものではあったが、心は何処か晴々としていた。それが自己満足、とはわかっていても返事が来たのが嬉しかった。
だがそのお方もやがて消えてしまい、途方に暮れる日々が始まってしまったのだが其処は割愛させていただく。
月日は流れて、私も社会人となりストレスばかりの社会の波に揉まれる中で何故か声優さんにハマった。楽しそうに仲間と話す声や日常の話、好きな食べ物や嫌いな物の話、どれでも聞いたり、見ているだけで楽しく、
『凄いな』『自分も頑張ろう』
など、元気を貰い、なんとか仕事も頑張れていた。
その頃からイベントにも足を運ぶようになり、稼いだ給料を元に其処でストレスを発散する術を覚えた。
そんな時だった。
行ったライブイベントで、初めて触れるジャンルに落ちたのは。元々そのコンテンツ自体は好きな声優さんも出演されていたので、知っていたがいまいち足を踏み入れられずにいた。
しかも、目的とする声優さんがいるユニットではない別のユニットに落ちてしまった。
それからと言うもの、そのジャンルを漁り、Twitterのアカウントも取得し直し、元気にROM専になっていた。
だが、そのジャンルに対する熱は熱く、誰かと話したくて仕方がなかった。しかし、創作をしない人間が絵師さんや文字書きさんに話しかけるなど敷居が高い、かつ恐れ多いと思っていたため、何を思ったのか私は自分で創作を初めてしまった。
初めてフォロワーになってくれた方々は、
と、言ってくれたが少しでも報いたいなどと思ってしまった私は創作活動に精を出した。
反応を貰えるのが楽しく、日々増えるフォロワーさんの数に嬉しくなる日々を送っていた私にちょっとした事件が襲い掛かる。
卑怯にも無関係を装いたかったが、そうはいかず。矢面には立たなくともちょっとその揉め事に名前を出されたりしたが、何とかやり過ごした。
私は初めてフォロワーになってくれた人側にいたのだが、その前後からそのフォロワー(Aとする)と何やら摩擦が生じるようになったきた。
地方住みであり、イベントには来れないがそのジャンルも声優さんも好きであり、話すのは楽しかった。
だが、事あるごとに、
『25過ぎてイベントに行くのは痛い』
『年齢を考えた方が良い』
と、言う指摘を受けることが増えた。更にAは私が創作したものに対しても好みではない、と言ってみたり、
『別の人は天才だ』
などと言うようになった。
貰えるだけ良い、と初めは割り切っていたが、あまりにもそう言うことが増えた。
なので、心の平穏なためにもAとは距離を置こうと決め、少しずつ離れて行くことにした。
そんな時に舞台にハマった。
まさか、とは思ったが若手俳優に、2.5次元に……?と自分で驚いた。
勿論、それを知ったAからは非難を受けた。ハマった俳優さんに対しても心無いことを言われて、限界だった。
そして私はAをブロ解したのだが、その後も非難轟々。だが、こうでもしないと自分の精神がおかしくなりそうなほどだった。
あれだけ好きだったキャラや声優さん、そしてジャンル自体も嫌いになりそうなほど追い詰められていた。それが自分勝手な理由だとしても、もう耐えられなかった。
それからしばらくは悶々とした日々を過ごしていたが、推し声優さん・推し俳優さんのイベントや舞台に参加するうちに頑張ろう、まだ好きでいたい、と言う気持ちを固めて改めて創作に打ち込んだ。
感想が欲しい、反応が欲しい。
いけない、とは思いながらも欲張りで身の丈に合わない思いを待つようになったのも、恐らくはAに卑下されたことも一因かも知れない。
尽く、
『話の内容が好みではない』
『Bさんは素晴らしい、本物の天才』
『Bさんほど素晴らしい人はいない』
等々、それを個人のメッセージアプリのやりとりで言われていたことを思い返すと気が狂いそうになったりする。
そんなAお気に入りのBさんも私と同時期に舞台にハマったこともあり、仲良く過ごしていた。
Bさん以外にも複数人仲良しと呼べる人がおり、所謂グループみたいなものを形成していた。
来れるイベントや舞台にも限りはあることは百も承知だ。その中でもCは地方住みながら、フットワークが軽く推しのイベント・舞台には必ず参加していた。私は休みが比較的融通の利く職種なため、Cとイベントや舞台に参加することが増えていった。
そんな時だった。
推しがちょっとしたイベントに出る、と言うのを知った時に私とCは参加しよう!と盛り上がっていたところにBさん達からは、
と、言いたげな雰囲気が漂っていたし、現にそれに近しいことは言われた。
なんとなく、そのイベント前からBさん達との温度差を感じるようになって来たが見て見ぬ振りをしていた。
仲良くしたい、このままでいたい。
そう思っていたから。
そして迎えた推しのイベント後、案の定私もCも燃え上がっていた。そして同じように燃え上がっている人を見つけて、盛り上がった。
その時はBさん達も生温い目で見守ってくれていたが、溝が深まったのはその後だった。
其処で埋められないほどの溝が出来上がってしまった。
全4パターンある舞台内容。推しのメイン回公演には仲良しグループが全員参加していた。
だが、私は4パターンもあるなら全部観たいタイプなので全てのパターンを観ることにした。
それはCも同じであり、1〜4パターン全て見た。
そして先のイベントで話すようになったDさんと色々あって、とても仲良くなることが出来た。
そう、其処からだった。
そんな一言に、配慮が足りなかったなと反省したが燃え上がっているものを早々消せず、CやDさんと話す機会がより増えた。
身勝手なもので、燃え上がっているものをわかる人と話すことが楽しくて仕方がなかった。
そしてBさん一味の中の一人に、
『最近、構ってくれないよね』
構ってくれない、とは何だろうか。
コミュ障だと自認している。他者とコミュケーションが円滑に取れないが、流石に社会人になり仕事で他者と話す機会や初対面の人にプレゼンしたり等々するようになってからは“他者と話せる自分”と言う偶像を作り出せるようになった。
雑に言ってしまえば“外面”だと思う。
職場でも“外面が良すぎる”と言われ、現在もクレーム処理やらを行う羽目になっているほど、ある意味“外面”を取り繕うことが出来るようになっていた。なので、昔は出来なかったふぁぼを安易に飛ばす、感想を送る、リプをする、と言ったことが少しは出来るようになっていた私に突きつけられた『最近構ってくれない』と言う言葉。
Twitterの中での友人ではあるが、間近にいる現実で顔を良く突き合わせるような存在でも職場の人でもない、ましてや家族でも恋人でもない人に、『構ってくれない』と言われることに首を傾げたくなった。ましてや、言ってきた人は私より年上。正直何を言っているのだろう、と思ってしまった。少し偉そうではあるが、構って欲しいと言うのなら何らかのアプローチが欲しいし、其方からリプなりなんなりをくれれば良かったのでは?とすら思ってしまった。
そもそも、だ。
拗れる要因となった舞台の待ち時間に、大手のツイ主さんと話す機会があり、初対面でこちらも緊張している時に大人数でその場に押し掛けて、その方を引かせていると言う所業をやらかしている集団に私は少し怒りを覚えていた。
初対面の人に対するマナーとは如何に……?と。
それ以外にも私を足掛かりに大手と顔見知りになろうとする魂胆が透けて見えたり、そのグループから、
『こう言うの書いて』
と、言われて書いたり(書いた後の御礼や感想等はなし)することが増えていて、これまた疲弊していた。
見返りを求めることが間違っているし、感想など貰えるものではない、御礼なんて持っての他。
それに其処のグループには熱心に感想を送ってくれる人がいるから、手離すのが怖かった。
実にずるいと思うし、他者を何だと思っているのだろうと自分でも思うけれど、その方がくれる感想は確かにモチベーションの維持にはなっていた。
だが、それも長くは続かなかった。
チケット争奪戦に敗れた私は取引垢で、チケットを譲っていただいたり、同行のお約束をいただいたりと奔走している時に、
『私達の分は?』
そう言われた時にもうダメだと思った。
本当にそんなことは思ってなかったかもしれない。
だけど、噛み合わない会話やテンポ、温度差、考え方、とにかく全てに耐えられなくなってしまった。
もう創作やめよう、其処まで思い詰めた。
そして正直、今でも思い続けながら創作をしている。
苦しい、辛い。
そう思いながらも創作することをやめられずにいる。そんな気持ちで創作をしていても、創作することで気分転換になることもあったからやめずにいる。だが、なんとなく私がBさん達から距離を取ろうとしていた頃からBさん達からの“いいね”が一切無くなった。
ああ、避けられてる。
そう察したが致し方ないと思った。
『Bさん達と何かあったのか、あえて“いいね”を飛ばしてないみたいですよ』
と、言われて現実を突きつけられた。
やっぱりそうか、と思う反面やはりショックだった。楽しかった日々が全て忌々しく思いそうな自分も嫌だし、もうそれが取り戻せない日々になってしまったことが悲しかった。
そして熱心に感想を送ってくれていた人も今は一切何の音沙汰もない。そんなものだったのだろう、と割り切るしかない。
だが、身勝手ではあるがあれほど好きと言ってくれていたのに掌を返したような振る舞いをされるのは軽く人間不信になる。
考え方や熱量の差、温度差や金銭感覚、どれも皆同じではないとわかっていても、それによって此処まで溝を深める事態になるとは思っていなかった。
今の気持ちは強いて言うのなら体育祭に命を賭ける側と賭けない側のような感覚だ。
命を賭けたところで何になる?と言う感じだが、どうせやるなら楽しくやりたい。
そして同じようにやっていたつもりが、実は遠目で見られていただけだった、そんな気分だ。
誰が悪いとかではない、ただ熱量が違うだけだった。それだけだ。
私が多くを求め過ぎて我儘になっていた部分もあるだろうが、相手側からも受け身にならないでぶつかってきてほしかった。
それが出来ない人もいる、と言うのもわかる。
けれど、社会人として生きているのなら最低限の歩み寄りはしようよ、コミュ障って言うけど仕事でどうしてるの?と言うのが率直な気持ちだ。
舞台で推しが出来たことがきっかけなのか、それともいずれはこうなることは決まっていたのか……
大人しく創作せずにROM専でいたらこんな気持ちにはならなかったのか、もうわからない。
ただ感想云々の話を目にして取り止めもなく吐き出したかっただけなので、すみません……
感想を貰えることは嬉しいこと、と言う認識だったけれど、そうではないんだなと実感しましたし、オタクの狭い世界でこうも拗れるのかと痛感しただけの話なんです……
それでも感想をいただけるのは嬉しいですし、モチベーションの維持や向上にもなるからいただけることを密やかに期待してしまうんです……
昔はそんなこと思ってたけど、今は絶対思わない。
感想という名の自分語りだったり、よくわからん斜め上からのアドバイス?批評みたいな?
お前それケンカ売ってんのか?みたいな口調だったり
最悪なんか生理的にこいつの語る言葉のすべてが不快とかもある。
明らかな悪意を持って書かれてるのなら無視するけど、善意だと思ってる、いや、本人に悪気がない。
だから余計にたちが悪い。長文で長々と書かれてるけど1.2行でそっけなく返す。
向こうが飽きるまで、なんとなく嫌いになって離れてくれるまで様子見てる。最近は軽く無視している。めげてくれ。
好かれても嬉しくないなんて、思えば何度かあったけど、ほんと嬉しくないし、何なら歴代のそいつらに似てる気がする。
とにかくなんか受け付けない。お前は悪くないし、正直私も悪いと思わないけどほんと無理だからどっか他の人好きになってくれ。
まず重い。自己投影激しいお前のキャラとなんか恋愛妄想されても困る。ははは、愉快な妄想ですね。お前の頭が。
百歩譲って褒めてくれるのはいいけどそのあとに自分なんて~ぐちぐちぐち。いや、お前の絵上手いけど全く惹かれない。
この前の絵はあんまりですけど、この絵はすごくかっこよくて~~~。一言多い、削れ。
こっちがちょっと呟いたらすぐ捕捉してくんな、なんでいつもTwitterにいるんだ、こわいよ。
補足するのはいいけど文字にない事深読みしてわけわかんないこと言うな。
直接言いたいけど、狭いジャンルだし、もうお前に不信しか持ってないから下手なこと言って別れたら、愚痴満載で他の人巻きこみそうだから言わない。
万が一この愚痴見られても、というか見ることがないと思う。
これ見て私…?なんて思うくらいなら大丈夫。お前じゃない。
つらい
最近TRPG界隈で「作者の意図に反するシナリオの利用」についての文章がちょくちょく回ってくるようになった。
自分は自作のエモシナリオに世界観無視のギャグキャラで来られようがマンチプレイをされようが構わないと思っており、自作シナリオの扱いに関してはだいぶ緩い方の作者だと思っている。
が、そんな自分でも「これだけは許せねえ~~~!!!!」と思うような改変がいくつかあったので、この機会にここにお気持ち文を書いておく。
読んで字の如くそのままである。これはシステムがインセインで、ハンドアウトの内容や説明文がほとんどコピペだったことから「あ、これ自分のシナリオじゃん!」と確信出来たのだが、何故かシナリオタイトルが変更されていた。
例えるなら『料理の鉄人』というタイトルが『美味しいお料理作りましょ!』のようなタイトルに変更されていたのである。
二次配布をしているわけではなさそうだったので結局注意などはしなかったが、シナリオタイトルを別のものに書き換えられてしまうと「このシナリオ面白そう!」と第三者が思った時に元のシナリオが発見できなくなってしまうので本当にやめてほしい。
個人的にはシナリオを遊んだ後に「このシナリオで遊びました!」と報告するのはエゴサをするタイプの作者への感謝の想いを届けることとシナリオの宣伝を兼ねているので、そこを変えてしまうのは作者への裏切りに近いと思う。
そもそもHOの文章などを多少手直しするならともかく、何故シナリオのタイトルそのものを変えようと思ったのだろう。そんなに作者が付けたタイトルがダサくて耐え難かったのだろうか。
これについては作者によって「ここまでなら許せる!」という線引きがまったく異なると思う。なので、これはあくまで自分の場合であることをご留意願いたい。
以下はエゴサによって卓動画がアップされているのを見付けた自分が愕然としたレベルで改変されていた内容である。
・重要NPCとのバディものソロシナリオでもあるにも関わらず、複数人で来た上に重要NPCが出ない(人数に関しての改変は構わないと思っているが、最後は重要NPCと別れるところが見所のシナリオだった)
・極めて善良な人外NPCが登場するのだが、全員元人間であるという設定を勝手に付与された上にPCたちを襲う役回りにさせられていた
・シナリオ内に出てくる文献などは一切出ない
・本来敵として出てくるNPCの出番はなし。上記の善良なNPCたちが狂暴化しているため、彼らを倒してシナリオエンド
・シナリオタイトル名はそのまま使用しているが、元シナリオへの言及もなければ改変をしたという言及もなくただ「オリジナルのTRPG卓です」とだけコメントが書かれていた。
この動画に出会って以降、「改変はご自由にどうぞ!」と書いていた説明書きを「元のシナリオの大筋が変わらない程度に改変は自由です」と書き換えることとなった。
以上が自分が出会った中で「これだけは許せねえ~~~!!!!」となった許せない改変である。
ぐだぐだと書いてしまったが、これでも作者は楽しくTRPGを出来るのが一番だと思っている。自分のシナリオで楽しく遊んでもらえるなら、それだけで幸せなのだ。
ただ一言だけ言いたい。
おわり。
そんなに大きくないけど私自身が捨て子だったから同じ体験をする人が少しでも自立できるようなNPOを大学生の頃に設立した。
運営は10年くらいだけど、最近ちょっとした一言が全く異なるように解釈されたり、発言に傷ついたから謝罪しろ案件がめちゃくちゃ増えた。
たとえば会報に「ニュースで話題となった○○の事件は大変悲しいものでした」的なことを書いたとします。
すると、あなたが事件の被害者だったんですね的なメールが届いて、いえいえそうではありませんよと返信を出すと「騙して楽しいですか?」的な返信がくる。
あとは当事者でもないのに悲しいわけがない、事件を思い出して辛いから削除してくれというメッセージだらけになった。
味方の声よりも、お前のやってることは偽善だ、補助金詐欺だとかの声が増えてきた。
正直挫けそうになって味方だと思っている人に相談したら「そんな程度の気持ちならやめろ、迷惑だ」と言われる始末。
データで示しても、それは古いのではとか、こういう解釈もあるとか
しつこいので会議後に、
「この企画に反対ということでしょうか」
と聞くと、「そんなことは一言も言っていない」
と立場をはぐらかす。すごいつかれる。
企画をつぶすのを生きがいにしている人がいるのは
いやだなぁ
尻ポケットに携帯を逆さまに入れてマクドナルドのカウンターにいた客の黒人(ややヒスパニック系)に
「携帯はタテにしとけよ電気漏れて感電すんぞ」とか出まかせを言っていた
不安げになった様子を見てあとであいつバカだとかニヤニヤすんのかね
思うにBLMの相手方は(強気に弱く弱きに強い)オッサン性癖である
もう多分数年前ぐらいになる。自分はその時あるVtuberオーディションを覗いていた。
それはオーディションといっても公開形式で、具体的なライブの来場者数やギフトの数でかなり可視的に順位を競うものだった。
オーディションを見て回っていた自分は、ある配信者のもとで足を止める。それが後の推しだった。
まず声の発生の仕方が他と違っていた。プロの声優か?というぐらい他の素人臭いボイスとレベルが異なっていて、歌も際立ってうまかった。
使用している機材の良さも音質から伝わってくるし、配信の構成もあまりグダグダとせず纏まっていた。
強いて言えば内容というか企画感はちょっと薄くて、「彼女の可愛い声をみんなで聞く」みたいな色合いが強かった。
それでも、自分はすっかり夢中になってしまった。いつしか彼女は自分の名前を憶えてくれるようになって、ますます夢中になった。
そんな自分が「ファン辞めます」になってしまったのは、彼女が起こしたとある出来事により幻滅してしまった事が原因だった。
有名人だったら炎上していたと思うが、幸い「見習い状態のVtuberのちょっとしたおいた」程度でそれほど延焼しなかった。
しかし魔法が解けるのって結構簡単で、そんな事で自分は幻滅してしまい、あれだけ夢中になったのにぴったり追うのを辞めた。フォローを切った。
でも彼女は本当にハイクオリティだった。だから自分一人が応援を辞めても、きっと大きく成長するだろうと思った。
あれだけハイクオリティだった彼女の事だ、今頃大人気Vtuberにでもなっているんじゃないかと……。
うん、でも全然伸びてなかった。同じオーディションでドンパチやってた子の方が数倍伸びてた。
こういう時、どんな顔をしたらいいのか分からない。
「ファン辞めたVtuber、結局伸びてなかったわw」みたいな正統化もしたくなるし、純粋にもっと伸びてると思ったから胸にぽっかり穴が開いたような気持にもなっている。
もしうんち増田に見つかって、ドラゴンうんちとか褒めてもらえたらとても嬉しい
交流の少ない神だけど、たまたまジャンル初期から絵や同人誌情報をネットに投下していた私に神は御声掛けくださり、一緒にご飯を食べたり遊びに行ってくださる…感謝の土下座😭
不遜極まりないけどもうこれはほぼ恋…私は既婚だし私も神も腐女子だが、神となら一線を超えてもいいと悩んだことすらある(ただしそういう関係ではない)
人間というのはあんまり一方的に持ち上げられたり、対等に仲良くしたい相手から神扱いされると微妙な気持ちになるものだと思う
まあ神扱いされたい奴も中にはいるのかもしれんが
私は正直不快だった!
「神」の一言でこれまでの絵や漫画に対する努力を軽くあしらわれている気がした(単に軽々しく神とかいう言葉を使う奴がそもそも軽率だから、神という言葉が悪いんではなくそういう奴の全てが軽率だからムカつくというだけだが)
そういう気持ちで私は神を神と心の中で崇めながら神と接する際は徹底して対等を装った
神ではなく人間として接することを心がけた
心の中では我は矮小なる民草であり偉大なる神の足元にも及ばぬ超絶上下関係なのだが、、、
どうやらその辺の感覚が合ったようで神は民草とますます仲良くしてくださった😭
超絶崇めているけど崇めているのを超絶隠しているのって関係がうまくいっているとものすごい快感で、か、神ーッってなる
そんな神と仲良くなってそろそろ丸4年経つ
それでもやっぱり神は神
友達みたいに接してくれるし私もそう返すけどいつまでも崇めております
即レスしたかったけど敢えて一呼吸置いて、距離を詰めすぎないように、「神神言う人とか一番信用できないよねー!」とか悪口言い合ってるタイプの人々と私が同じだと思われないように、淡白に見せかけておく
神大好き😭神😭キモいところ隠すからこれからも仲良くしてください😭
こういうこと書くのってさあ〜昔は神と民草のなんとかかんとかとかいうスレが同人板にあったよね?
あのスレがあった頃は私には無関係だと思ってスルーしてたけどこういうこと書きたくなった時にまさかスレが続いていないとは……
嫁「アイフォンが充電出来なくなったんだけど壊れたのかな」
嫁「何回も差し直してみたけど駄目だったよ」
自分「ケーブル変えたら充電出来たね 端子が腐食してるから研磨すれば直るよ」
嫁「でも本体が壊れてるのかもしれないよ」
嫁「なにその言い方 私のことバカにしてるでしょ」
嫁「携帯壊れたって言ってるんだからまず一言目は大変だねとか大丈夫?とか心配するもんじゃないの!」
自分「じゃ俺がわー大変だねーとか言ってたら夜寝てる間に小人さんが勝手に修理してくれるの?ドコモ店員がシュバババって走ってきて直してくれるの?」
嫁「…」
自分「俺が直さなかったらドコモショップいって純正のたっかいたっかいケーブルをまた売りつけられてるんじゃないですか 研磨するだけでまた使えるのに」
自分「直してもらっといてお礼もまともに言えないんですか」
嫁「…」
ほんとうちの嫁はあたまおかしいわ(世間一般の女性の方をバカにしているわけではありません うちの嫁だけをバカにしています)
なんとか女子という言葉を使った企画が炎上してる、というより波紋を呼んでいる。
私も過去に◯◯女子と区分された趣味を持っていたことがあるので、当事者といえば当事者だと思う。
私自身は◯◯女子という呼称はそこまで嫌じゃなかった。ただ、この呼称を嫌がる人がいる理由もすごく分かる。
まず嫌がられる理由から書くと、わざわざ性別で分類される必要性がない、という憤りがあるんだと思う。
どこか下に見てるというか、ミーハーな若い女たちがこぞってやってきたぞ的なニュアンスが滲んでるような気がするのだ。
女というだけで無条件に素人で流行り物が好きでそれに乗ってきたと思われている!と感じる人がいてもおかしくない。
けど、そんな女性たちの声が多い中で次々と◯◯女子という呼称が生まれる理由も分かる。
今まで女性が少なかった分野や場所に突然女性がやってきたら、多分元からそこにいた人はびっくりする。何で?と理由を探すと思う。
その時「最近は◯◯女子って言葉もあるくらい、◯◯に興味のある女性が増えてるんだよ」と言われると、納得できる。
納得というより、女性が急に増えたけどそれは何らおかしいことではなかったのか、と安心できるんだと思う。
正直これは卵が先か鶏が先かという感じで、◯◯女子という言葉と◯◯に興味のある女性のどちらが先に生じたかは多分はっきりしない。
けど、言葉として存在するということが重要なのだと思う。新しい呼称が生まれるほど世間に浸透している、というのが大切なのだ(実際どこまで浸透してるかは割とそこまで重要じゃない)。
これは別に◯◯女子だけでなく、鉄オタという呼び方ができて鉄道趣味が世間一般に広く知れ渡った…という例は多い。知らんけど。
そして、そういうキャッチコピーは実際かなり便利だ。
どうして◯◯が好きなの?女の子で興味持つなんて珍しいね?変わってるね?と言った面倒くさい外野からの視線も「私◯◯女子なんで」と一言言えばすんなり終わる。
「女なのにどうして」という疑問を「女だから」で返せるかなり便利な一言だ。相手の前提を根っこから覆せる。
実際私も◯◯女子という呼称を使いまくって、今時女が◯◯好きなんて常識ですよ的な感じに持っていったことはかなりある。
例えるなら、オッサンのセクハラ発言を笑って受け流すような、根本的なところは何も解決していない気持ち悪さも実際ある。
私も、女だろうが男だろうが誰であっても自由に行き来していいじゃないか…と思うところはある。
わざわざキャッチーな言葉でレッテルを貼らなきゃ理解できないこと自体馬鹿にしている、という考えも分かる。
でも、やっぱり◯◯女子という言葉で女性が動きやすくなってる面もあると思う。
◯◯女子に限らず、◯◯男子だって◯◯ブームだって同じだけど、分かりやすいレッテルを盾にすると世間の好奇心のような疑問がいちいち体に刺さることなくスイスイ動ける。
でも、ただ、けど…と際限なく続いてしまいそうなのでこの辺でやめます。
◯◯女子って言葉自体は良くも悪くもいろんな効果があるんだ、というのが私の主論です。言葉が生まれるってことはそれだけ影響が大きいことだと思う。
すごい余談だけど、観光系の仕事してる人が「女性客に優しいプランを!」と上層部に「今は◯◯女子が流行ってるのでそれに合わせて企画しましょう」とプレゼンしたものの、一部の女性から「◯◯女子と呼ばないで!」と言われてしまいとても困ったという話も聞いたことある。
女性客の利用が見込める最大かつ最も分かりやすい理由が◯◯女子という言葉なのに、本人たちから否定されるとは…と結局企画は消えてしまったそうな。