はてなキーワード: ライトユーザーとは
はじめに言っておくと私はライトユーザーではなく、かと言って
平均的なゲーム好きだ。
そんな私でも予想がつく未来。
数年後、消滅する。PS5はPSF(inal)になる。
はるかに大きい。
ご存知の通りすでに移行中だ。
コントローラなどどうとでもなる。
メリットは計り知れない。
例えば私はPS4を持っているが
ニンテンドースイッチを買えば?となるが
大して変わらないゲーム機を買うなんて
アホな金の使い方はしたくない。
数万円なんて大した額じゃないが、
Modが入れられることだ。
ニンやソニでは権利関係だか知らんが
たぶんすでにできるんだろう。
ということ。
部屋もスッキリしていいことづくめだ。
PS5で終わる。必ずだ。
その限界集落は、スマホゲージャンルである。大昔にサービス終了の憂き目にあったゲームである。紆余曲折あって、最近プロジェクトにまた動きがあり、少しだけ盛り上がってきている。
前作からゲームをやっている人は、ゲームの再始動に歓喜した。途中で終わってしまったあのストーリーの続きが読めると思っていた。
前作とはキャラクターの設定が大きく変わっているところがある。それは話の構造上仕方ないところもあったが、キャラ崩壊が著しく見るに耐えない。
そしてやけに文語体で書くので違和感がある。文章が音読する用に書けていない。
ストーリーも、10ウン章までやっておいてまだ話を引き延ばすつもりらしい。話の盛り上がりとしてはまだ起承転結の起にしかたどり着いてなくて、なんの解決もしていないのに。
特徴的な言葉の多用もあるし(ファンの間では一時期それを揶揄した言葉も飛び交った)全体的に、読み進めるのが辛いストーリーになってしまった。
お世辞にも褒められない出来だと思う。少なくとも、もうお金は落としたくないと思ってしまった。
だがもっとクソなのは、そのストーリーでも公式を褒め上げていく信者オタク達だった。
気持ちはわかる。一度終わったと思ったプロジェクト、また再開したなら、いつかいいものが読めるだろうと期待してしまう。
続いて欲しいからこそ、クソストーリーでも褒める。続いてくれないと好きなキャラクターのたどり着く終着点がみられない。
でもそれ、ほんとにそこまで褒められるもの?いくらなんでも限度があるでしょう。ほんとにまともにその話、面白いと思ってる?国語の授業やってきた?マジでこのストーリー、クソだよ。
この信者オタク達は押しが強く、人が適当に呟いた考察にも噛み付いてくる。好きなカップリングには秒で反応する。他のジャンルに比べても、閉塞感が異様で気味が悪く、私はTwitterなどでそのゲームの感想を呟くのをやめた。
あんなクソストーリーを生み出したライターと、ゴーサインを出してる制作側が諸悪の根源だが
ゲーム全体は嫌いになりきれないが、しばらく離れていようと思う。ライトユーザーが離れて、またサービス終了になりませんように。
断定的なことを言っているが3年やってメインストーリー第一部以外はほぼ積んでるライトユーザーの戯言である。
2部以降やらイベントストーリーを読んでいないのは、まあ会話劇だけでの展開が個人的に追いづらかったとか純粋にめんどくさいとか色々あるのだが、その理由の一つに表題がある。あの世界観において、教師やら親やらおよそ大人に期待される機能はほとんど動いていない。
設定として教師キャラや親のキャラはいるがあくまで彼らはギャルゲーで言うところのサブヒロインである(女性向けジャンルで何というのか謎)。システム的に好感度上げも可能である。
あんさんぶるスターズはアイドル物の割に体制の崩壊やら精神的な不調や果ては主人公が過労で倒れたりとなかなかヘビーなのだが、そのときにも大人はひたすら影が薄い。空気。
いっそグループを率いる3年生の方がよっぽど「保護者」である。
ラノベ的といえばラノベ的だし、現実の高校生もそこまで大人とベッタリじゃないよと言われればそこまでだが、じゃああえて学生、子どもというアイコンを与えた意味はあるのだろうか。
この記事は、私の備忘録のような意味を込めて書きたいと思いますので細かな用語の説明は省かせて頂き
お読みいただく際にはあらかじめその旨ご了承ください。
この前の土曜日、秋葉原での「ミリシタ2周年イベント」に行ってきました。
行ったとはいっても会場内に入るチケットがあったわけではないので、
数日前にツイッターで告知された、会場であるUDXのビジョンでの生放映を目的に行きました。
開演のおよそ30分前に行ったのですが、既にビジョン前のテラス(秋葉原駅からエスカレーターで上った先)には
たくさんの人が陣取っており、私もその中で何とか場所を見つけて、放映開始を待っていました。
・10分前ぐらいに画面が、いつもの生配信前の待機画面に変わる。
・そのうち、本会場(ビジョン前から100m弱しか離れていない)から歓声が聞こえるようになるが画面は変わらない
・しばらくして、出演者が画面に出て既に開演していることが解るも、画面自体は静止画のように動かない(音声は流れていたか判別できなかった)
・その後、ビジョンに「全画面表示ではなくなったニコ生の画面」と「Windows10の壁紙」が映し出される。
(この時点で、もしやビジョンでの放映というのはニコ生の一般アカでの視聴画面をそのまま流すだけということなのでは? という声があちこちで上がり始める)
・しばらく何かの操作ををしている様子があってからニコ生の画面が消え、
UDXと、その画面での広告を管理しているらしき代理店(NTTレゾナント)の告知画面が交互に表示されるようになる。
・黒背景に白文字で「特別放映は現在諸事情により中止しています」という画面が何度か表示される。
・一瞬、画面がニコ生プレイヤーに戻るも静止画のままで、また公式広告(UDXと代理店)映像に戻るというのを何度か繰り返す
これが、だいたい15~20分ぐらいは続いたと記憶しています。
この間、その場にいたPさん達は流石と言うか、トラブルを楽しんでいました。
画面が変わる度に歓声を上げ、ままならない画面を応援する声もあちこちから飛んでいました。(これは掛け値なしに素晴らしい姿勢だと思います)
そのうち、ビジョンを観ることを諦めて、本会場(アキバスクエア)の方へ向かう人も出始めました。
私も、見切りをつけて会場へと向かってはみたのですが、当然、会場前のテラスは後ろの木製デッキ部分までいっぱいになっており、
そんな中でも何とか一番後ろに立てたのですが、見えるのはステージ上の大型モニターだけ、出演者の声などはほとんど聞こえず、といった有様でした。
しばらく、見聞きする努力はしてみたのですがどうにもならず、途中で帰りました。
ビジョンの方は途中から復活したようなのですが、私はそちらを通らなかったので、どれくらいの画質や遅延だったのかは分かりません。
結果的に、家でYouTubeなりニコ生なりを観ていた方がずっとマシでした。
ただ、このエントリの主題はこの配信トラブルそのものではありません。
まず、ニコ生に普段から触れている人にとって「人気の生放送なんて一般アカウントではまともに観れたもんじゃない(特に放送開始直後は)」というのは
ですが、イベントの運営がやろうとしたことは、ツイッターで告知をして人を集めておいて、
一般アカでのニコ生視聴画面をそのまま流したのです。それがどんな事態を招くかはごく簡単に予想できたはずです。
そして、イベント終了後のツイッター・ブログ等でも、その話に触れたものはまったくありませんでした。
私は、その日の夜にミリシタ内の、ご意見お問い合わせフォームへ書いて送りました。
無料イベントとはいえ、事前告知をして人を集めた上で、あのクオリティで放映を行うつもりだったのか。
イベントや2周年記念プレゼントの内容が大好評だったから、全部終わりよければ良しで済ませていいという姿勢なのか、おおむねそんな内容です。
(その意見を書いた中では厳しい言葉は使いましたが、暴言や中傷の類は一切行っていないと誓います)
ご意見問い合わせフォームから送信されたものは個別に回答しないと明記してあるので私個人に返事が来ないことは当然なのですが、
ツイッター、ブログ、その他ミリシタ内のお知らせ等、日曜日以来何度か更新されていますが、この件についてリリースされたものは、
このエントリを書いている現時点、火曜日夜の時点で何一つありませんでした。
つまりは「いい話だけ表に流して、悪い話・失敗したことは無かったことにする」(ユーザー側に実害が発生した事柄であっても)というのが運営の姿勢だということです。
表向き、あのビジョンの前ではみんな、不具合を楽しんでいました。その後のツイッターもある程度検索を掛けましたが
批判の声はまったく見かけませんでした。
ですが、あの場にいたおそらく数百人の中で、私のように憤りを抱えたまま途中で帰った人も中にはいたのではないかと思います。
悪かった点は無かったことにしよう、ユーザーは優しいから何でも許してくれる、
ソシャゲに限らず、組織を運営するにあたってそういう考えは絶対に持ってはいけないものだと私は思います。
ユーザーの側も、そういう姿勢をやすやすと許してはいけない、とも思います。ダメな点はきちんとダメだと言わないといけない。
それを見逃すのは寛容とは違う、と私は思います。
以上が、私がこのエントリのタイトルの通りに予想した理由です。
予想、というよりはそういう方に賭けた、と言った方が心境としては適切かもしれません。
こういうことを続けていて、すべてが上手く行っているうちは良いが、ひとたび躓いたり綻びが出たら。
私は、元々はデレマスの方のPで、ミリシタの世界には1年ほど前からお邪魔していて(プレイ頻度はそこそこ程度ですが)、
今年のLIVEツアーもLVではありますが合わせて6日間すべて観させて頂きました。
声優さんの歌、ダンス、そして演出、どれも本当に素晴らしくて、とても良い時間を過ごさせて頂き、デレマスには無いものをミリオンにはたくさん感じたりもしました。
だからこそ、上記のような運営の姿勢は本当に残念ですし、私には許容できるものではありませんでした。
ミリシタを今すぐやめる、ということはないですが、今でも充分ライトユーザーな立場から、更にもう一歩引いた位置からミリシタを見ていきたいと思います。
見事に運営に嵌められたクソチョロデレステユーザーは、まんまと新アイドルに落ちた。
私はデレステからアイマスを知った新規ユーザーだ。アニメも見たことなく、モバマスも他のゲームも一切やったことがない。デレステを始めたきっかけも、音ゲーがやりたかったというだけだ。そうしてなんとなく始めたデレステだったが、プレイしているうちに曲やキャラをどんどん好きになっていき、かれこれ3年が経った。
思えばその3年間で、推しのアイドルもいたけれど、私はプロデューサーにはなれなかったように思う。音ゲーの画面構成もあり、舞台袖から見守るプロデューサーというよりは、ライブを見ているファンという感覚が強かった。しかも、デレステのアイドル達は、私が知るよりも前からアイドルとして活躍している子達だ。最初から、アイドル達はステージの上で歌って踊っていたのだ。個人コミュは一応プロデューサーとの出会いから始まるが、他のコンテンツでのエピソードや設定もある程度引き継がれ、あったこととして語られる。私と出会ったアイドル達は、既にアイドルとして経験を積んでいた。私は、みんながアイドルになる最初の1歩から一緒にいたプロデューサーではない。私はずっと無意識にだったが、「シンデレラストーリーを歩んできたアイドル」を応援するファンとしてデレステのアイドルを見ていた。
そんな中、新しく現れた7人のアイドル。私にとっては初めての、まだシンデレラじゃないアイドル達だ。あかり・あきら・りあむの3人が発表された。どんなアイドルになるんだろう、どんな経験を積んでどう成長するんだろうとわくわくした。デレステへの実装が楽しみになった。黒白と双子が声付きでデレステに登場した。これによって起きた諸々にはあまり触れない方がいいだろうが、ライトユーザーの私としては、多少の疑問は感じたもののあまり嫌悪感は感じなかった。むしろ、事前情報がほぼ無いアイドルの正真正銘の初エピソード、という状態は新鮮で、どっちのイベントもうきうきしながらイベコミュを読んだ。あかり、あきら、りあむの3人も同じく、デレステに実装されたその日にコミュを開けた。育成しているSSR・SRでしか回していなかった音ゲーで、私は新アイドルのノーマルのカードを編成した。7人全員をローテで何度も踊らせた。親愛度がマックスになってもしばらくそれを続けていた。思えばこの時から、新アイドルの7人は私にとって特別だったように思う。ただその時私は、ただ新アイドル達がたまたま自分の好みにぶっ刺さっただけだと思っていた。
そして第8回シンデレラガール総選挙。私は推しを1人に絞りきれないので、総選挙はそのとき気になっているアイドルに均等に投票するようにしている。新アイドルの中で特に好きなアイドルにも投票した(総合3位の子ではないと言っておく)。総選挙の結果が発表され、そのアイドルは圏外だった。普通に悔しかった。他に投票したアイドルで、圏外の子もいた。属性3位をギリギリ逃した子もいた。でも私は、新アイドルのその子が圏外だったことが悔しかった。もっと投票すればよかったと思った。そこで初めて、自分がそのアイドルの担当Pだということを自覚した。
そのあと、とりあえずモバマスをインストールした。まだよく勝手が分からないが、フリトレでその子のカードは手に入れた。ポチポチゲーはあまり好きではないが、担当が育成でき、他の好きなアイドルのエピソードも知ることが出来るので楽しめている。
私はもう、既存のアイドルのプロデューサーにはなれないと思う。ファンとして好きになってしまったし、それを後悔もしていない。これからも、好きであり続けると思う。ただ、プロデューサーとして担当ができた、それだけだ。好きの種類が1つ増えたのだ。推す形がひとつ増えたのだ。こんなに喜ばしいことは無い。担当の成長を1から一緒に見ていくことができる。総選挙を一緒に戦っていくことができる。今はそれが楽しみで仕方がない。
アイドルマスターシンデレラガールズで年に一度行われる総選挙の投票期間中に生まれた、アイドルの1人である松本沙理奈を扱ったネタで、セクシーを売りにしている松本沙理奈があらゆる所に現れ、セクシーを振りまいていくものである。
詳しくはセクシーデリバリー松本でググってその目で見て欲しい。
さて、本題。
なのに何故、ここまでセクシーデリバリー松本を話題にしてきたかというと、今回の総選挙で、個人的に1番上手いと思った選挙広報がセクシーデリバリー松本だったからだ。
セクシーデリバリー松本ネタが話題になることで、松本沙理奈は最終的に総合20位と、中間発表の順位よりも大幅に上げてきた。
松本沙理奈Pには申し訳ないが、セクシーデリバリー松本ネタ無しに、彼女の順位がここまで上がることは無かったのでは無いかと思っている。
セクシーデリバリー松本は、松本沙理奈の元々の魅力であったセクシーを基にして、そのセクシーを色んなアイドルに振りまく(デリバリー)のを描いた″漫画″から生まれた。
まずここ。
Twitterで、担当アイドルに投票お願いします!!と文字や既存の公式イラストやデレステのスクショを加工して載せただけのものを見て興味を持って投票してくれる人間はまずいない。
ならば、漫画ならどうだ。
ただ加工しただけの画像や、気合いの入った1枚絵よりも、漫画のほうが見られやすい。(と個人的に思っている。実際には分からない)
ある程度の画力、彼女の魅力を分かりやすく描いた内容、そして『セクシーデリバリー』というインパクトのあるワード。
そこで人々を引きつけたのが、大きい。
そしてセクシーデリバリーという言葉に興味を持ったのは、アイマスPやその周りのオタクだけではない。
同じくセクシーを売りにしている(?)Sexy Zone界隈にまで、セクシーデリバリー松本は波及した。
そこでSexy Zoneのファンと松本沙理奈Pの交流が生まれ、松本沙理奈PはSexy Zoneのアルバムを買い、逆にセクガル(とSexy Zoneのファンのことを呼ぶらしい)は松本沙理奈に票を入れた。
本来総選挙に参加するはずの無かった層を取り込み、投票へ導いた。
恐らくだが、シンデレラガールズのコンテンツをしていても、担当がいなかったり、総選挙にあまり興味のないライトユーザーの1部の浮動票も『セクシーデリバリー』効果で得られたのであろう。
ここで少々話題は逸れるが、上記に挙げたライトユーザーの持つ浮動票を1番得たのは誰だろうか。
聞くまでもない。
夢見りあむだろう。
新アイドルでありながら、3位という好成績を残し、ボイス実装が決定した夢見りあむ。
ここまで触れてこなかったが、私の担当には声が付いていない。
声無しPと声付きPのあれこれに関しては言及するとキリがないので割愛するが、
同じく声無しで、更には発表時あまり評判の良くなかった新アイドルでありながら、りあむに浮動票が流れ、高順位になったのは何故か。
見事に評価は分かれて、それぞれがそれぞれの主張をした分、話題になった。
シンデレラガールズを知らない層にも、夢見りあむという、一風変わったキャラクターが認知され、面白がられた結果が、これなのだと思う。
そして、りあむが叩き付けた現実でもある。
万人に面白がられれば、どんな盛り上がりかたであろうと話題になれば、高順位になれるという現実。
話題になればいい。
それを叩き付けた。
それをまざまざと見せつけたことに関しては、ある意味評価をしている。
だが、私は夢見りあむの大躍進よりも、松本沙理奈の躍進のほうを評価している。
それがタイトルでもある、セクシーデリバリー松本は誰も傷つけていないことに由来する。
夢見りあむは、私から言わせて貰えば、りあむを盾にしてイキがりたいオタクのオモチャにされてしまったアイドルだと思う。
もちろん中には純粋にりあむに惹かれたプロデューサーもいるので、りあむに票を投じたのが全てイキりオタクだとひとまとめにするつもりは無い。
だが、りあむを盾に、他のアイドルとその担当Pを馬鹿にしていた層が一定数いたのも事実。
そして「りあむは炎上がウリだからw」と言い訳をしながら、りあむ自身をも蔑む人間も少なくない。
夢見りあむというアイドルを持ち上げるために、その他のアイドルとその担当P、そしてりあむ自身も傷つけられた。
松本沙理奈はどうだろう。
これが、松本沙理奈とはかけ離れたネタであれば、ここまで浸透しなかったのでは無いだろうか。
松本沙理奈というアイドルのキャラクターを損なわず、松本沙理奈の担当Pにも受け入れられ、
それだけに留まらず他の浮動票をもつ層や、シンデレラガールズに縁のなかったセクガルまでもを巻き込んだ。
セクシーデリバリー松本ネタの漫画には他のアイドルだって出てきていたが、それを蔑ろにするような描写は無かった。
セクシーデリバリー松本は、大きなインパクトを残しながらも、誰も傷つけない、プラスな方向での話題性を持っていた。
夢見りあむの話題性は爆発的ながらも、どう甘く見積もっても、マイナスな方向性であった。
結果としては、夢見りあむの話題性のほうが勝り、様々な現実を我々に叩き付けたわけだが、そこはもうどうでもいい。
私たちは嫌という程分かったはずだ。
私の担当は50位内には入ったが、何か話題になる大きなブーストがあったわけでもない。
声無しアイドルの中では、声付きに近いからというだけで得た同情票があったのだと思う。
だが、来年もその同情票が貰えるとは限らない。
りあむも言うようにオタクはちょろい。
じゃあ、話題性を作ろう!と、既に動き出している人々もいる。
話題になったもん勝ちではある。
だからと言って、他の誰かを蔑ろにしたものや、アイドル自身の魅力とは関係のないもので興味を引くのはちょっと待って欲しい。
話題性重視で、周りに敵を作ったり、アイドルと関係のないもので盛り上げたのに、もし望む順位になれなかったらどうする?
瞬間的に集って、飽きて去っていった人間を再度呼び戻すことは容易ではない。
もし、望む順位を得られなかった場合、その翌年にはそんなリスクを背負った状態で戦うことになる。
セクシーデリバリー松本は、そんなリスクを負わない、絶妙なバランスで成り立っていたと思う。
今年よりも多少話題性は落ちるかもしれないが、上手く扱えば、松本沙理奈Pは来年もセクシーデリバリー松本で戦うことができる。
来年に向けて、話題性勝負に臨む前に、どのアイドル担当のプロデューサーも、
神出鬼没の藪からセクシー、セクシーデリバリー松本を忘れないで欲しい。
私の文章力が無いのか、読み手に読解力が無いのかわからないが、
【夢見りあむ】が誰かを傷つけたとは言っていない。
【りあむを取り囲む環境】のことを言っている。
本題についても、【松本沙理奈】が誰も傷つけないのではなく【セクシーデリバリー松本】が誰も傷つけていないことを言っている。
追記などするつもりはなかったが、そこだけ強調させていただく。
カメラの動画需要の話の中でニコンを推すあたり物凄く悪意のある増田か、単純にニコン信者の増田
ニコンが真面目に動画需要へ応えない限り旧世代で価格が落ちているニコン製品とは言え、動画需要が無視できない昨今の流れを考慮するとニコン資産は将来性がなく無駄にしかならない
ニコンはより広い範囲の顧客のために動画を真面目にやらないと駄目だし、動画を真面目にやってないニコンをライトユーザーに勧めるのは悪意でしかない
残念ながら今のニコンはどう見てもカメラ市場で苦戦している斜陽メーカーだ
元増田が唯一挙げたニコンコンデジ機COOLPIX A1000なんて実際のところ不人気機種だし元増田がなぜ載せたのか疑問しかない
このまま行けばライトなユーザーも高画質な「写真で思い出を記録する」へ回帰するかも知れないが、12年前と比較すると驚くべきことに「今の時代は動画で思い出を記録する」時代なのだ。
これを決定付けたのはやはりSNSで「記録時間に制限はあれど数としては無制限に動画を保存できる」という点が新しいユーザー需要へマッチしたのだろうと予測できる。
更に「Googleフォトの(解像度・ビットレート変換はあるが)動画のクラウドバックアップ無制限」は現代へ非常にマッチしていると考えられ、SNSに現れない動画での思い出シェアは膨大な数にのぼると考えられる。
Panasonicがそこへ素早く反応したのは高く評価すべきであり、そして動画撮影に(現代基準で)難のある10年以上前のデジタル一眼の性能不足感は否めない。
そして、増田の意見はほぼ間違いなくカメラメーカー自身も「時代は動画機能」と思いつつも「デジタル一眼は写真機である」と常に心のどこかで持っている考えだ。
それが現れているのがプロユース・セミプロユースのフラグシップ・ハイエンド製品群だ。
現在のフラグシップ・ハイエンド製品群は高機能な4K動画に対応しつつも、自撮り可能な、いわゆるバリアングル液晶ではない可動式液晶であることが多い。
プロやセミプロは自撮りしないという考えのあらわれであると考えられるが、少なくともその選択は撮影ポジションの幅を狭める選択でしかないのは確かだ。
フォトグラファーがビデオグラファーとしても活動することが珍しくなくなってきた昨今で、撮影ポジションをカメラメーカーがあえて狭めてしまうことが本当に正しいのか?と疑問を持ってしまう(正しいか誤っているかはまだ答えが出ていない)。
ライトユーザーも居る売れ筋の価格帯とはいえ、デジタル一眼の販売数ランキングを見るとバリアングル液晶を備えるデジタル一眼群が昨今は常にトップランクを占めていることを見ると「やはり・・・」という気持ちには傾いてしまう。
・原作知らないオタク男や腐女子が釣れるような内容にもならなそう
・非オタの親子鑑賞狙いにしても今時の子供はDQ知らんし5に限ったらますます知らんし
・つまりDQ5知らない人の動員は望めそうにないが、「DQ5をやった事があって更にそれが好きな大人」に限ったら対象範囲狭すぎじゃね?
・しかもビアンカルートにするしかないからフローラヲタ大激怒も確定
・5丁目の夕日や3Dドラ的なお涙頂戴ストーリーにするらしいが、DQ5世代は5丁目的な話で喜ぶほど歳食ってないだろうしドラほどの知名度は元々ないし
ってんで爆死するとしか思えない
せめて
・5に限定しない(DQヒーローズのような)キャラ多数出演型にしてDQファン総狙いかつ2Dアニメにしてアニオタ狙い
・DQ風世界観の子供向けの完全オリジナルストーリー(かつ原作ネタを散りばめる)で非オタ親子鑑賞狙い
辺りにしておけば良かったのに
5丁目は素で間違えたすまん(敢えて直さない)
自分はDQ3世代だけど5世代はもっと下で子供はまだ幼児の人が多いはずだし
(ちなみに自分は中学生の時にやってFFの方が面白いわーDQ負けたな、と思った世代。周りも皆そうだった。中学生からしたらFFの方が面白いわな中二っぽいし)
幼児と一緒に見れる内容にはならなそうだが。
ドラえもんなら幼児でも見れるけど(そもそも今の子供にも普通に人気あるし)。
それにパパだけでママにはあんま人気ないだろあれ。女性人気は4の方があると思う。
かつDQって何だかんだでライトユーザーが多くて、「子供の頃好きだったなー懐かしいなー」程度の人は多くても
「映画化?絶対見る!子供が楽しめるかどうかなんてどうでもいい、俺が見たいんだから見るんだ!」なんて熱烈なパパは少なそう。
長文になると思うのでまずはここに簡潔に経緯を書く。
「グランブルーファンタジーにドハマりし全てにおいてゲームを優先するようになった知人との付き合いをやめた」という話。
このモヤモヤを新年まで持ち越したくないので吐き出すことにする。
自分にはAという知人がいた。
Aもその話題で興味を引かれた一人で、やってみようかな?と相談を持ちかけてきた。
少し難しいかもしれないけど楽しいと思うよ、とかそんな返しをしたと思う。
今となってはあの時勧めなければ友人関係を続けられたのかもしれない。
Aはグラブルにハマった。
それは構わないが、約束を守らないようになった。
Aは同人誌を出していたのだが当時参加を予定していたイベントを全て欠席した。
事前に欠席連絡もなかった。
Aは同人誌を描いている様子もなくTLに延々とグラブルの救援依頼を出していたので予想はついていたけれど。
そしてそのイベントの中に、Aと一緒に出店する予定のものがあった。
合同サークルを持ちかけてきたのはAだった。
Aと違って自分はめぼしいものを作れそうになかったがAの為に参加を決めた。
Aがグラブルにハマったのはイベント代を支払いバスやホテルの予約を済ませた後だった。
当然のように欠席連絡もなかった。
原稿を全て落とした。
せめてグッズだけでもと言うもそれも入稿が間に合わなかった。
自分の前では申し訳なさそうにしていたが、後からAがグラブル専用アカウントを作り自分達に隠れてゲームを続けていたことを知った。
イベント中ツイッターを開いて目に飛び込んできたのは、強いボスをソロ討伐できたとスクショをあげるAのツイートだった。
ジャンルの変わり目が縁の切れ目になることはあると思う。
しかしこんなあんまりにもな理由で縁が切れるとは思わなかった。
また向こうで、自分のような誰かに迷惑をかけていないことを祈る。
久々に見たらコメントで全く知らない人の記事と同一人物扱いされていて驚いた。
じゃあ、グラブルとか?
グランブルーファンタジーさんは?
(まずSSRヨダ爺に3000円払って人権を買うといいぞ)、
ゲーム内ヘルプに記載されていない詳しい仕様をもとめてグラブルwikiを何十ページも読みさまよう。
古戦場時期だけでもリアル課金として光ファイバー有線+ゲーミングPCがあれば
だいぶ楽になると知ってそれを渇望してしまうようになる。
そしてだんだんマジ辛くなってくるんだ。
ゲームってなんだ?騎空士としての義務を果たすことか?それにここまでリアルライフを支配されても「ただのグラン」でしかないのに?ってなる。
たぶんレイドバトルがある系のMMO要素のあるソシャゲーをやろうとすると
同じように、生活の中のゲーム負担が激増したと感じてしまうと思うぞ。
他人にペースをあわせなくてすむなら、
パズル系たとえばツムツムみたいなのでもゲーム性高いのはあるわけだし、
真のゲーム性、競技性を追求するとリアルプレイヤーとの競い合い要素が入って来てすっごく面倒だと思う。
メーカーの本音としては、『皆様、タブレットをもっと買い換えて下さい。。。』という事なんだと思う。
タブレットって、パソコンから機能をどんどん削ぎ落として行ったライトユーザー向けの物。だから、基本機能を使い続けられるのであれば、買い換え需要が起きない。でも、メーカーはそれでは喰っていけない。
なので、機能をどんどん追加して買い換え需要を起こす。そしたら、あらあらPCみたいになっちゃった。というのが現在。
これからは、折り畳みディスプレイがどこまで値段が落とせるのか?というのが、各社試行錯誤が続くんじゃないのかなぁ。それによって、方向性がだいぶ変わるだろうし。
ただ単にライトユーザー向けのタブレットPCとヘヴィユーザー向けのPCの住み分けがはっきりしただけだと思う。
動画編集とか重い作業をゴリゴリやる人には従来どおりハイスペックなパソコンが必要だけど、テキストをガンガン打つ系の人はキーボードさえしっかりしていれば旧型パソコンで十分用が足りる。
昔パソコンが何十万もした時代は、「ネットとメールさえできれば良い」みたいなライトユーザーも無駄に高い金を払ってこういうハイスペックPCを買わざるを得なかったが、今は選択肢が広がってライトユーザーなら必要最低限の機能を持った安いタブレット(あるいはスマホ)で用が足りるにようになった。
別にパソコンとタブレットとどっちが偉いじゃなくて、それぞれの用途に応じて性能相応の機械を手に入れることができるようになっただけだ。相対的にハイスペックパソコンはさらに高額になっても良さそうなものだけど、ゴリゴリ使う人にとっては必要経費なんだから仕方ないのではないかと思う。
そしてそんなにお金がなくても安価なタブレットPCが入手可能になったことで、インターネットの恩恵を受けられる層が広がったのは良いことだ。個人的にはハイスペック過ぎる新型iPadなんて何の価値があるのか分からないけど、ゴリゴリのハイスペックパソコンユーザーが外出先でもそれなりの性能のタブレットPCを必要とするならば、そういう用途には向いていると思う。
インターネットで起こりがちな一種類の現象を表す言葉はいくつかあるが、どうも端的ではないと感じる
・知らなかったこと、知ったことに衝撃を受ける(ネットde真実)
・世の中が間違っていると感じる
・行動する
→ 一部過激化する
例えば学生運動では、大学というコミュニティを媒体に似た状態が起こっている
(テレビは難しいところだが、番組、局が階層化されているので案外感化されにくいのではないだろうか)
インターネットにおける感化の特徴は
・インターネット上で感化される
昔のネットユーザーがインターネットに閉じこもるタイプだったのに比べ、今はもう少しオープンなユーザーが増えたためだと考えられる
なので一番端的なのは「インターネット上で感化される」ではないかと思う
インターネット上で感化されやすいのは、偏った情報を扱っているサイトがあるためだ
理由は簡単で、インターネットは個人が情報をまとめやすいスペースだからに違いない
また偏ったコミュニティーへのアクセスも非常にしやすいため、感化がスムーズに進む
他国ではもっとあからさまにフェイクニュースなどが存在するらしいので、感化の度合いは大きいかもしれない
こういったものはまとめて「汚染情報感染者」みたいな用語で呼びたいがまだ妥当な用語が見つかっていない
・民間療法
・宗教
・ニセ科学
・騙されないようにする
等があると思うが
これは近年のインターネットでは昔に比べ解消されつつあると思う
個人サイトは減ってきているし、SNSも完全に偏った一覧にすることは難しい、そもそも今の基本はアプリだ
自分はコンパイル、セガ問わずぷよぷよ・魔導物語シリーズが好きな高校生だ。
しかし、どうしても「ぷよぷよ!!クエスト」を楽しむことができない。
なぜなら、このぷよクエが、本家ぷよぷよシリーズのクオリティが下がったきっかけのように思えてしまうからである。
そして今、ぷよぷよ、というシリーズは堕ちるところまで堕ちてしまったのだろうか、と感じている。
自分は元々、小学生頃にぷよ!15thやぷよ7を遊び、中学生頃に昔の事をネットで見て、シリーズのファンになった人間だ。
ファンになった当初はぷよ!!20thとぷよテトの間の時期だった。
当然ながら、その時の最新作は20th。
すでにプレイしてはいたものの、改めてその作品がいかに凄かったか、という実感がわいた。
この「ぷよぷよ!!20th anniversary」というゲームは、冗談抜きでぷよぷよシリーズとしてはトップのボリュームとクオリティだと思っている。
思い出補正じゃないかと言われるかもしれないが、骨頂抜きにしてもそう思う。
セガぷよの絵柄が今のスタイルになった初めての作品であり、イラストも1番整ってて良い(未だにこの作品のアートワークが公式の随所で使われてたりする。それこそぷよクエの☆3、4など)。
特にストーリーやキャラクター描写に関しては、個人的にこの作品から現在に続く"基準"を作り上げたと感じている。
この作品のシナリオライターは、魔導物語含めた過去作を把握した上でストーリーを書いたらしく、今までの描写を総合し、改めてキャラクター達はこの作品で再構築されたのではないか(もちろん不満点などもあるが、それまでどこかフワフワしていたキャラクター性を一気に濃厚なものにしたという功績はとても大きいのでは)。
とあるところで"最高傑作"と言われていたのを見たことがあるが、それにふさわしいと思う。
…と、ベタ褒めをしてしまったが、それぐらいこの作品は自分の中で素晴らしいものなのである。
そしてこの20thの系列にあたるドラマCDも発売されていた。
今までそう言うたぐいのものは買ったことがなかったのだが、自分はこのぷよぷよというシリーズにキャラクターやストーリーの魅力をより感じていたことから、正直財布には厳しかったが購入することにした。
自分は所謂魔導キャラ…アルル達コンパイル時代からのキャラが好きだったので、彼女らがメインのvol.1を買った。
20thと同じライターによって、それもゲームに比べると少し高めの年齢(おそらく中高生以上)を対象に書かれたというその物語は、正直ゲームより聞きやすかった(セリフを読むスピードもゆっくりでなくなっているからだろうか)。
また、当時自分は特定のカップリングに興味を持っていたので、供給にもなり得るシーンもあった(しかしあくまでもフワッと匂わせる程度で、基本的なキャラクターの関係が変わる事は無い)事もあり、さらに満足度が高かった。
そんな事もあって、次回作は記念作ではないだろうからボリューム等は落ちるかもしれないが、とても期待できると思っていたのだ。
ところで、少し時系列が前に戻るが、ぷよぷよシリーズにハマりたての頃、ドラマCDを買う前に「ぷよぷよ!!クエスト」が発表され、リリースされた。
発表された当初、自分は大いに喜んでいた。
特にパズル"RPG"という単語は、魔導物語を知った自分にはとても魅力的だった。
たとえパズルと書いていようとも、RPGとなればキャラクターが戦い、ストーリーがある!パズルというある種平等(実際には性能差はあるが)な性能でなく、各キャラクターに個性のある性能がつけられる!…そう思っていたのだ。
今思えば、それは空回りする期待である事がわかるのだが。
ただ結果として、そのような事は決してなかった事、そしてゲームシステムが運の要素が強い上に"ぷよぷよ"の技術があまり反映されないゲーム性は自分にとって"期待はずれ"だった。
さらに、自分はこのぷよクエという"スマホアプリ"に大いに期待を抱いていた。
ぷよぷよというジャンルは、マイナーではないが、メジャーでもない、という微妙な立ち位置である。
それはセガ…特に15th以降の"子供向け路線"も原因しているだろうか、とも思えるが。
ただパズドラがすでにヒットしていた時代、スマホアプリという"これから時代が来る"であろう舞台にぷよぷよが出てきた事が嬉しかった。
記憶では、スマホに参入したゲームシリーズはまだ少なかったはずだ。
そして、これでぷよぷよシリーズの知名度が上がり、人気作品になるんじゃないか、と。
しかし、この期待も見事にはずれてしまう事はまた後で言及する。
ただ、このように不満な点はあったものの、まだこの頃はパプリスや妖精達はいたもののオリキャラに溢れていた、というほどではなかったし、アルル達はいないものの、他の魔導キャラが復活してきたり…という事もあって、好意的に見る事ができてはいた。
あのテトリスとのコラボなら、さらにプレイしてくれる人が増えるんじゃないか、
あまり評判が良くなかった7の後の20thはクオリティに反して数字を残せなかったらしいが、あの20thの後の作品なら、今度は…とまた期待した。
さらに、シナリオライターは20th、ドラマCDを手がけた人が続投するとも知って、安心感も覚えた。
実際に発売されると、1番気になったのは"ゲームとしての遊びやすさ"が失われていた事である。
このぷよテト、起動してメニュー画面を出したのだが、それが20thまでと大きく変わっている。
具体的に説明するとなると長くなる上、適切に表現できるかわからないので、結論から言うが、無駄な動きが多くて使いづらい。
ひとりで、みんなで、Wi-Fi…など文字の書いてあるアイコンが並んでいて、ポンポン進むのだが、ぷよテトのメニューは無駄な画面効果やスライドがあって、なんとなくモタモタする。
その他にも、
3DSではCOMとの4人対戦ができない。
VSの次にメインであろうルール、スワップが余裕で処理落ちする。
前作は実質30キャラいたのに減っている。
…などなど、20thの時にはなかった不満点がいくつか出てきた。
ただ、メニューの動きのモッサリ感以外はぷよぷよとテトリスという違うパズルゲームを2つ搭載しているせいもあるのかな、と個人的には思っていた。
ストーリーも、全員がストーリーを持っていた20th、つまりお祭り作品と違い、1本道なので出番の偏りはしょうがないのかな、と思っていたし、
自分としてはりんごメインだった事も、おかしいとは思わなかった。
なぜなら一応3人とも出ているとはいえ、本来ならばアルル→アミティ→りんご、と主人公がバトンタッチされているイメージだったからである。
"ぷよぷよの"お祭り作品でもないし、一応最新の主人公であるりんごがメインである事に、違和感は感じなかった。
ただ、確か当時の購入特典がぷよクエにおけるアルルのカードだった事は本編と違うのでは?と疑問に思った。
これで本編もアルルが中心なら納得いくのだが、いくらアルルが人気であろうと、ここはりんごを出すべきじゃないか、と。
ライターさんが設定を考えたというテトリス側のキャラは、これで終わらせるのはもったいないとも思った。
よって安定したキャラクターで、ドラマCDに近いストーリーを楽しめるシリーズになっていった。
また、ゲーム本編でサタンとエコロという厄介者の相手をするアルルやりんごに対し、少しストーリー上で目立ちにくくなってきていたアミティを主人公に捉えたのも、バランスとしていいと思った(また、その2人を見る語り手としても適しているようにも思える)。
第1弾こそフィーバーのキャラばかりだったが、その後いろいろなキャラが登場した。
…しかし、メインがどうしても3A…アルル、アミティ、りんごなので、普段からこの3人は"いつも"一緒にいる事になっている。
個人的には"急に"そうなった感じがしたので、小説版だから、と思っていたかった。
このぷよテトからぷよクロへの間は、小説やドラマCDがボソボソと出ていたものの、公式のメインはもっぱらぷよクエだった。
この頃になると、ぷよクエはもはや「誰だお前」の巣窟と化していた。
イベントキャラだと言われて堂々登場する知らないキャラ達。に対して、どんどん影の薄くなっていくぷよぷよのキャラ達。
自分がやりたいのは"ぷよぷよ"のアプリであって、知らないキャラクターだらけのアプリじゃない、と。
ぷよぷよはパズルが全てではなく、キャラクター達にも魅力があり、その両方があるからこそ面白いゲームなんだ、と考えているからだ。
そして"ぷよぷよ"シリーズの生放送でぷよクエの話ばかり、という状況にも疑問が浮かぶ。
いくら本家のぷよぷよがそんなポンポン出せるものじゃなくて、アプリは常に動いているものだとしても、"ぷよぷよシリーズ"としての本家が蔑ろにされているのではないかと思うぐらいにぷよクエだらけだった。
自分含め、本家の"新作はまだか"という声が度々上がっていた。
さらに極端、いやむしろ的外れな「ライト向け」志向がどんどん進められていった。
25周年のアニバーサリーブックは驚きの薄さ。
版権の問題上、コンパイル時代の情報が少なくなってしまったとしてもそれは仕方ないと思うが、それにしても薄い。
自分は様子見をしていたが、情報によると裏話や裏設定などの記載はなく、ただ当たり前の基本設定の事しか書いていない。
それをわざわざいい値段で買う気にはなれなかった。
144ページで3700円ほどでその程度の内容はあまりにも馬鹿馬鹿しい。
(参考程度に、200ページ超えの復刻版魔導大全が定価3700円である)
その内容の薄さで満足できるのは本当にライト…いや、ライトユーザーですら薄く感じるのではないだろうか。
25周年なのに新作は出ないのか出ないのかと思っていると、そこで「ぷよぷよクロニクル」の情報が出てきた。
3D化されていたのは驚いたが、出来が悪いわけでもなく、今まで停止絵を動かしていたのが、滑らかに動くのだと思うと楽しみだった。
一瞬、ぷよクエの移植なんていう、本家を食い潰す策をやってくるんじゃないかと思いましたが、そんな事はなく、本家のぷよぷよでRPGをするという。
コンパイル最後の「ぷよBOX」にも「ぷよぷよクエスト」という、戦闘がぷよぷよ、というモードを思い出したりもした。
マップを走り回ったりと、かなりRPGっぽく、同時にストーリーにも気合が入れられるんじゃないか、とも思って期待した。
それに、20thと同じ、記念作である。
今度こそ…と。
しかし、それは甘かった。
というか、期待なんてするべきじゃなかったのだ。
蓋を開けてみると、ぷよテトの悪かった部分をほぼ受け継ぎ、仮にもDS用に開発された20thから進化した部分がほとんどない、という完全劣化。
RPGモードは大々的に推しておきながらあまりのボリューム不足。
ゲーム性としてはほぼ死んでいたと言っても過言ではない。
いくらパズルの処理をしながらとはいえ、2人対戦なら動くカットインが、4人対戦では停止絵。
そんな感じでも、自分は新作である、新しいストーリーが来た、というモチベーションでRPGモードをクリアした。
それからすぐは、達成感や満足感はあった。
…のだが、それも一時の話。
時間が経ち、冷静になるにつれて、このゲームがいかに問題か、実感するようになった。
上に挙げたシステム面はもちろん、ストーリーにも大いに問題があったのである。
実は、今作のストーリーについて、プレイ前から不安は感じていた。
一応、発売年の始めの小説(第4弾)も書いていたから、もうある程度固定してくれたのか、と思っていた
その一方、ぷよクエ側にも漫才デモ的な会話が導入され、それは明らかに違う人が書いているだろう事、上記の小説と同時期に発売されたドラマCDvol.6は違う人が書いた話があるらしく、その上全体を通すと以前ほど面白くなかった事から不安も感じていた。
その悪い予感は的中してしまった。
念のため、自分の目で確かめたが、このゲームのスタッフロールで、シナリオに20thからの人の名前は無く、違う人の名前があった。
ここまで言うと、その後続の人に失礼かな、とも思うのだが、明らかにシナリオの質が下がってしまっていた。
わかりやすいものでいえば、新キャラアリィを描ききれておらず、薄っぺらいキャラクターになってしまっていた事。
"勇者"として宣伝されたアルルに20th以降アミティとの差別化からか描写されていた勇ましさが全然ない事。
↑に関連して、「いつも通り」ばかりを意識したのか、キャラクターの行動があまりにも単純化していた事。
特にこの件に対しては、ドラコことドラコケンタウロスに驚いた。
「ラスボス突入直前に美少女コンテスト発言」はあまりにもストーリー無視がひどかった。
彼女は別にこれまでの話を何も聞いていなかった、というわけではないのに、だ。
また、作中で登場する"アイウエ状態"に関しても説明は一切無し。
その後の展開からして、
"本来変態ではないのに言い間違いのせいでヘンタイと呼ばれてしまう"シェゾを本物の変態にするための描写にも思えてしまう。
また、アミティが、率直に言うと"いやらしい"想像をするキャラにもされている。
これは一部の例だが、キャラクターが単純化、時には無駄に"おバカ化"し、酷ければ一種のキャラ崩壊を起こしている。
一応、過去の小ネタを拾っていたり、少なくとも20th以降の安定した"雰囲気は"受け継がれていたのは良かったのだが、こうして全体を見ると良かったとはとてもじゃないが言えない。
サタン絡み程度なら別に"アルルが勇者"だということを強調する必要もない。
また、主役はアルルのはずが、またりんご達の出番が多すぎ、という批判を見た。
そもそもりんご達がぷよぷよシリーズにおいていらない、という意見もいくつか見たが、ここまで来るとそのりんご達が可哀想である。
自分はキャラクター自体が悪いのではなく、あまりにも公式がりんご達7キャラの扱いが下手なのが悪い、と感じるからだ。
ストーリーに関しては、ぷよクロ発売から約半年後のアリィが登場する小説が追い打ちをかけた。
この小説は20thからのライターさんが書いたものだが、いくらゲームと小説という違いがあるとはいえ、
アリィというキャラクターもゲームとは設定が違うものの、描かれている。
それもぷよクロは例の子供向け志向が過剰になって、セリフの読み上げも遅くてたまらないが、一応、一応子供以上の人もプレイすることが考えられているのだろう。
小説は児童文庫…一応本当に子供向けに絞ったストーリーの方が納得できるとはどういう事なのだろうか。
また小説版はあくまでもアミティが主役のシリーズなので、勇者はアミティのオリジナルストーリーとなっているが、つまりは"アルルが勇者"であったゲームぷよクロの補足にもならない。