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はてなキーワード: ブラウン管とは

2016-02-08

テレビサイズ

家電量販店で展示してあるテレビを見ると、40型くらいが「普通」で50以上くらいで「でかい」と感じて、32型だと「ちいさい」と感じて、20台のサイズだと居間に置くメインのテレビとしてはありえない感じになってるな。

ブラウン管時代だと、22型でもでかく感じてたのに。

じっさい一人で運べないくらいの大きさだったけど。

2016-01-24

テレビの値段がゴリ安い

仕事が忙しく、テレビを買いもたずに15年ほど経ってしまった。

家にテレビ…というか、昔の19インチブラウン管のあれが誇りをかぶって、捨てる暇もなくどこかに埋もれている記憶がある程度にゴミ屋敷だ。

で、先日ようやく人生に転機が訪れ、落ち着きを取り戻したので…、これはと思いお店に訪れたのだが…。

な、なんじゃぁこりゃぁーーーーーー。

映画館やんけーーーーー。

しかもこんなに安いのーーーーーー。

ほびょーーーーーん。

興奮して選びきれずに帰ってきてしまった。

2015-11-29

録画機器買えって。

たまにさ、youtubeなんかの動画サイトで、番組テレビビデオカメラを向けて撮ってアップしている奴いるよね。

何がしたいの?バカなの?貧乏なの?youtuber気取りなの?

頼むからライン入力できる録画機器買えって。

クオリティが低すぎだろ。

ヘタするとブラウン管の曲面で歪んでる動画とかあるし。

音ぜんぜん録れてないとか。

アップするんなら、もっと頑張れ。

まあその前にコンテンツ違反ではあるけれど…。

もういろいろ滑稽で、かわいそうになってくる…。

2015-11-28

幼女ブラウン管越しに涙を拭いてもらいだけの人生だった

2015-11-07

最近若い人に通じないらしい表現

気を付けよう。

「傷ついたレコードのように繰り返す」

「伸びたテープのような声」

牛乳瓶の底のようなメガネ

水戸黄門の印籠」

ブラウン管の向こう側」

あいつは蛍光灯だ。反応が鈍い」

テレビの画面が砂嵐になる時間帯に・・・

夜行列車故郷を後にした」

「10円玉を握りしめ、公衆電話へと・・・

ポジネガ関係

ダイヤル回して、手を止めた」

2015-10-27

インターネット革命技術

何週目の議論かっつう話だけれど、改めて思う。インターネット革命技術だ。

90年代半ば、大学の電算室で初めてインターネットを知ったときの衝撃は今もはっきりと思い出せる。あの日あの時あの場所で、自分は将来この道に進むのだ、と、夢でも希望でもない、漠然とした確信があったのを覚えている。デジタルと言えばゲームだけ、キーボードなんて触ったこともなかったのに。この時、さして大きくもないただのブラウン管に表示された文字に、興奮で背筋が震えた。文字通り背筋が震える経験をしたのはこの時が最後じゃないか。

その原体験があって、かれこれ 15 年以上ずっと Web世界仕事を続けている。インターネットが本格的に普及していく真っ盛り、その中に身を置けたことは幸せだった。きっと爺さんになって、歴史の語り部的な感じで色々しゃべりたくなるんじゃないかな。

産業革命当時、技術者としてまさにその中で技術を牽引していた人達の中は、きっと同じような高揚感をもった人もいたんじゃないか、と、ふと歴史にも思いを寄せる。

2015-10-03

抱きまくらの本質

毛糸マフラーを巻いて道を歩いていると、まるで恋人がうしろから抱きついてくる感覚で、首がくすぐったい。「ふふ、あたたかいでしょ」「うん、あたたかいね」と脳内妄想で甘いデートに興じ、ふと笑みがこぼれてしまう。私は人目をはばからず、ニヤリニヤリと歩いていた。通行人たちがギョッとした顔を向けてくる。私のような冴えない男が、行き交う人々から注目を集めてしまうのはいささか恥ずかしく、彼女化したマフラーが「ね、家に帰ろ? ふたりきりで、ね?」と急かしてくる。

よし、家に帰るか。しかし私は玄関口でマフラーを投げ捨てて、ベッドにジャンピング土下座して《抱きまくら》に強くハグするのだった。マフラーが悲しそうに悲鳴を上げて廊下にへたり込む。私もつくづく罪な男だと思った。モテる男は辛いのだ。

スーツも脱がず、私は灼眼のシャナの抱きまくらを抱きしめた。シャナは照れるように「くぎゅう」と鳴いた。カバーAmazonで 22,000円で買った。シャナ小説も全巻読んだし、アニメDVDフルコンプした。(アニメ版まさか完結まで見れるとは思わず、5年待ったかいがあった。人生長生きするものである)でもコミックは持っていない。

ところで、私は子供の頃から、あのモサモサして食べにくいメロンパンが大嫌いだったのだが、シャナ出会ってから人生が変わった。今では毎朝メロンパンカリカリとモフモフを食す、至福のひとときメロンパンを頬張るとき、私はいつもシャナ笑顔を思い浮かべている。それが仕事の活力になるのだった。はてなブログで「人生を変えた一冊は?」みたいなお題があったが、私にとっては間違いなく灼眼のシャナである。おかげで私は今この時を死なずに生きている。(しか今週のお題は何だ? 「結婚を決めた理由?」 おのれはてな絶対に許さない)

シャナに「今日可愛いよ」と語りかけると「うるさいうるさいうるさい」と怒られた。いやよく考えれば抱きまくらはシャナではないし、抱きまくらはしゃべらない。ここは無何有鏡の向こうにある偽りの世界なのだ。本物のシャナは、今頃坂井悠二とイチャラブしているのだろう。心の底を冷たい風が吹き抜けて、私はますます枕を強く抱いた。ずっとこうしていると、私が抱いているのか、私が抱かれているのか、わからなくなる。でもそれは、私が子供の頃からずっと夢見ていた、幸せひとつの形なのだった。

そろそろ本題に入るとすると、私は「抱きまくら」の本質はどこに所在するのだろうかと考えていた。カバーではなく、中身の綿でもないとすると、私が今この瞬間に愛しているシャナは、いったいどこにいるのだろうかと。

自分の頭のなかだろうか? 否、それでは妄想でよく、抱きまくらである必然性がない。

私が抱きまくらを愛する理由、それは「あたたかさ」なのである

無い胸に顔をうずめると、ほんのりとあたたかい。そのぬくもり。確実に、彼女は生きていると思わせる現実の「感覚」たとえ彼女非実在で、手の届かない次元にいる少女だとしても、このあたたかさだけは、真実なのである

無機質な紙のページを捲っているのではない、ブラウン管電気信号を眺めているのでもない、私は今この瞬間に「あたたかさ」を抱きしめているのである最近ネット世界殺伐としてきた。人が人を愛するという感覚を、私は忘れずにいたい。

2015-09-10

世界いちばん遠回りな世界一周

もう誰も覚えていないと思うけど、3年ほど前、ここに、"Hello world!"というタイトルエントリ投稿した。あの話の続きをしようと思う。

※このお話はたぶんフィクションです。実在の人物や団体とはあんまり関係ありません。

※前回のあらすじ:高校中退工場派遣プログラマホームレス自立支援施設プログラマ海外放浪職業訓練世界一周アプリを作る


あれから3年、いろんなことがあった。またプログラマとして働いたり、またホームレスになったり、福島除染作業員をしたり、本当にいろいろあったけど、 今回の主題にはあんまり関係ないのでざっくりはしょる。今回の主題世界一周についてである

はいつか世界を巡る旅をする。10年くらいかけて。わりと本気で。その計画を立てるためのアプリケーションも作った。でもそのアプリ正式リリース以降、開発が頓挫している。開発を進めるにあたって、致命的な問題があることがわかったからだ。それは、開発者である自身が、この世界について何も知らないに等しい、という問題だ。

開発者は、システム化する対象に関して、誰よりも精通していなければならない。業務用アプリケーションの開発なら、 その会社の業務フローについて、社内の誰よりも詳しくなくてはいけない。システム開発とはそういうものだ。そして今度の対象世界だ。すべての国だ。それを僕自身が知らなくてはならないのだ。

しかし世界は巨大で、そして複雑だ。

国連加盟国は現時点で193か国。それぞれの国の下に州や省や県があり、その下に市区町村があり、そういった階層的な行政単位以外にも、歴史的背景から自治区になっているところや特別行政区連邦直轄領もあり……。

そういや連邦ってなんだろう。なんとなく知っているようでいて、詳しくはわからない。王国共和国ってどう違うんだろう。国の形ってなんでこんなにいろいろあるんだろう。いやそもそも国ってなんなんだ。どうすれば「国」になるんだ。

国連に加盟していればいいのか。いや国連非加盟の国もあるじゃないか。国家の三要素(領域人民主権)を満たしていればいいのか。しかしそれを満たしていることを誰が認定するんだ。他国から承認があればいいのか。その他国は誰が国だと承認したんだ。政治的問題から国なのか国じゃないのかはっきりしない地域だってたくさんある。国とか国じゃないとか最初に言い出したのは誰なのかしら。

それは世界一周アプリの開発中に国データをちまちま作っていたときにも思ったことだ。もしかして「国」というのは、僕が思っていたほど絶対的で、はっきりしたものではなく、相対的で、曖昧ものなんだろうか。

からない。わからないことだらけだ。こんなもの本当にシステム化できるのか。複雑ってレベルじゃねーぞ。これが仕事だったら「うんこー☆」とかいいながら全力で投げ出しているところだ。しかしこれは仕事ではない。これは仕事ではないので、真剣に取り組まなければならないし、投げ出すわけにはいかないのである

だけど、 どうしたらいいんだろう。世界はあまりに巨大で、複雑で、茫洋としている。何かとっかかりが必要だと思った。基点が必要だと思った。人でも物でも事柄でもいい。それをとっかかりにして、基点にして、少しずつ裾野を広げていけばいいのではないか。そう思って、自分記憶を探ってみる。僕の基点、時間軸と空間軸の原点、それは子供のころ、ブラウン管の向こうに見た、落書きだらけの大きな壁だった。


1989年11月ベルリンの壁崩壊した。僕が9歳のときだった。ニュースは連日連夜、この話題で持ちきりだった。興奮気味に壁を壊す人たち、全身で喜びを表現する人たち、泣きながら抱き合う人たちもいた。世界中が大騒ぎになっているようだった。僕はその映像を、意味もわからずただぼんやりと見ていた。

それからしばらくして、社会科教科書世界地図が大きく書き換わった。ソ連という国がなくなり、新しい国がたくさんできたのだという。国がなくなる? 国が新しくできる? その意味もまたよくわからなかった。

時間軸は一気に飛び、ベルリンの壁崩壊から20年以上たったころ、僕は生まれて初めて日本を出た。半年かけて海外放浪した。特に目的もない旅だった。だからその場所に行ったのも、ほんの気まぐれだった。

ベトナムホーチミン市にある戦争証跡博物館ベトナム戦争記憶を後世に伝える博物館だ。旅の途中にふらりと立ち寄ったそこで見たものを、僕はいまでもフラッシュバックのようにありありと思い出せる。

銃器、対戦車地雷、その他さまざまな武器弾薬が「こうやって使われていたんだ」といわんばかりに、実際に使用している場面の写真と並べて展示されている。銃を突きつけられて悲壮な顔をしている男性、道ばたで血まみれになって死んでいる子供、虫の死骸のように雑多に並べられた人の死骸、そんな凄惨な写真がこれでもかと並ぶ。

何か、自分の中で価値観が急速に書き換わっていくのを感じた。頭の中がぐちゃぐちゃになって、いろんな言葉が浮かんでは消えていく。

資本主義

共産主義

イデオロギーとは何だ?」

そのとき同時に頭の中に浮かびあがってきたのが、子供のころに見たベルリンの壁崩壊ニュース映像だった。あれから20年以上たってようやく僕は、あの人たちがどうしてあんなに泣いたり喜んだりしていたのか、少しだけ理解できたのだ。


あの博物館で僕がもっとも強く感じたのは、「戦争悲惨だ」という事実ではなく、「どうしてここまでのことになったのか?」という疑問だった。人が人を虫けらのように殺す、その理由が知りたい。そこには絶対にそれなりの経緯があるはずである。東西冷戦とは何だったのか、僕はまずそれを知らなければならない。

しかしこうなるともう最初から世界史をやり直したほうが早いんじゃないかと思った。よし、時間軸を一気に人類歴史の始まりまで巻き戻そう。

まずは大河流域で文明がおこる。チグリス・ユーフラテス川ナイル川インダス川黄河。うわー、すげー懐かしい。そして農耕が発達する。食料を安定して収穫・保存できるようになると権力が生まれる。そこから世界各地で似たような権力闘争が延々と繰り返される。

特に印象深いのが「カノッサの屈辱」だ。十代のころ、学校でこれを習ったとき意味がわからなかった。この人たちは何をそんなに必死になっているんだろうと思っていた。いまならわかる。目的は、権力そのものなのだ。人の頭を踏みつけること、人を思い通りに動かすこと、それ自体が目的であって、権力によって得られる富や名声は二の次なのだ。それは自分の経験を振り返ってみてもわかる。ヤンキー世界でもエリート世界でも、どんな場所でもどんな階層でも、人間が集まれば、始まるのはいつも頭の踏みつけあいである。それが直接的か間接的か、下品上品かという違いはあれど、やっていることは同じだった。だから世界史に記されたこのくだらない争いの数々も、いまは実感を持って理解できる。

そして絶対的権力者である神によって凍結されていた歴史が、ルネサンス以降、急速に動き始める。宗教改革名誉革命フランス革命。それまで聖職者王侯貴族が持っていた権力が少しずつ引き剥がされていく。そしてフランス王国フランス共和国に。ああそうか、王国共和国の違いって「王様」がいるかいないかなのか。さらに現代の「国」という概念国民国家というのも、このころに生まれてきたもののようだ。人類歴史から俯瞰すれば、ここ200年くらいの「流行」にすぎないのだ。

しかしフランス革命って華々しいイメージだったけど、こうして改めて調べてみると、革命政権恐怖政治によって何万もの人間が処刑されていたり、何度も王政に戻っていたり、混沌としすぎていて、華々しいなんてとてもいえない血まみれの革命だったのだと気づかされる。

そんな混沌の中、産業革命を経て、歴史さらに加速する。権力のあり方も変わる。聖職者王侯貴族に変わって資本家が台頭してくる。資本主義が加速する。貧富の差が拡大していく。賃金労働者悲惨労働環境で搾取され続ける。暗澹とした空気の中、社会主義共産主義という思想が台頭し始める。ロシア革命が起こる。世界初社会主義国ソビエト連邦誕生する。

いままで社会主義ってあまりいいイメージはなかったけど、こうして順序立てて成立の経緯を追っていくと、歴史の中での必然性がわかる。みんな、もう誰も頭を踏みつけあわずにすむ世界が欲しかったのだ。だから既存の権力や富や労働のあり方を強制的に変える。そしてそれが国の形を変える。そうか、国の形ってこういうふうに決まるのか。

しかし計画経済ってなんだろう。どうしてそんなもの必要になったんだろう。と思って、初心者向けの経済学の本を何冊か読んでみた。めちゃくちゃおもしろかった。経済ってこういうものなのかと思った。市場経済では必ず景気は好況と不況を繰り返し、いつかどこかで恐慌を引き起こす。そんな繰り返しをさせないために、計画経済では政府の計画にしたがって商品を生産する。そうか、そんな経済の形もあるのかと思った。ずっと現代日本で生きてきた僕にとっては、市場経済があたりまえすぎて、市場自由がどうの規制がどうのといわれても、これまでピンとこなかった。「あたりまえ」のことは、対比されるものがないと、それを知覚することさえできないものなのだと知った。

その市場経済へのアンチテーゼとしての計画経済は、しかし破綻する。いつ、どこで、誰が、何を、どのくらい欲するか、なんてことを計算し尽くすには、リソースが足りなさすぎたのだ。結果が出ているいまだからいえることなのかもしれないけど、少数の頭のいい集団演算能力よりも、多数の平凡な人間無意識的な分散コンピューティング見えざる手)のほうが演算能力は遥かに高いのである

そして社会主義自体も破綻する。ソ連型の社会主義では一党独裁必要とする。しかし絶対的な権力は絶対的に腐敗する。それは歴史証明している。独裁政権必然的暴走していく。これも僕は経験として知っている。「いじり」がいつも「いじめ」に発展するのと同じだ。他人おもちゃにできる、自分の思い通りにできる、これは権力である。そして「いじり」は場の空気によって正当化されるので抑制がない。抑制のない絶対的な権力は暴走する。だから 「いじり」はいつも「いじめ」に発展する。企業内のハラスメント家庭内虐待も同様だ。人間は好き勝手にできる状況に立たされたとき、好き勝手振る舞うものなのだ。そうか、チェックアンドバランスってそのために必要なのか。絶対的な権力は絶対に生み出してはならない。権力は絶対的に抑制されなければならないのだ。三権分立を唱えたモンテスキューさんマジパネェすわ。

こうして自由主義資本主義矛盾への疑問から生まれた社会主義共産主義は、自身内包していた矛盾によって自壊していく。そして時間軸と空間軸はまた原点に戻る。冷戦象徴であり、永遠に世界を二分し続けるかのように思われていたベルリンの壁が、ささいな行き違いからあっけなく崩壊する。ほどなくしてソビエト連邦から次々に構成国が離脱し(国が新しくできる)、連邦は解体される(国がなくなる)。

天秤の片方から社会主義共産主義が脱落したことにより、その後、世界はまた自由主義資本主義へと大きく傾いていく。混合経済社会主義的な部分が次々と取り払われていく。その結果が、派遣法改正だったり、リーマンショックだったりするのだ。そしてそれらは僕の人生にも多大な影響を与えている。そうだ、これはひとごとではない。遠い昔にあった「歴史」でもない。僕がいま生きている「現代」の話なのだ

そうか、世界ってこういうふうに動いていたのか。少しずついろんなことがわかってきた。国とは何か。イデオロギーとは何か。なぜ法の支配必要なのか。なぜ憲法必要なのか。しかしそれよりも何よりも、ひとつ重大な事実を確信した。それは、世界のすべてを知ることは絶対にできない、ということだ。

ミクロ領域――個人の感情や行動、これはわかる。マクロ領域――世界市場や情勢、これもわかる。しかし両者がどのように関連しているのか、個人の感情や行動が、どのように影響しあい、どのような力学が働いて、世界市場や情勢を動かすのか、逆に、世界市場や情勢が、個人の感情や行動にどのような影響を与えるのか、それを計算し尽くすことは、誰にもできない。それは人間演算能力の限界を遥かに超えているからだ。

「俺は世の中の仕組みをわかってる」「裏の論理まで知ってる」と嘯く人にはたまに出会うけど、そういう人が本当に世界の仕組みを知っていたことは一度もない。本当にただの一度もなかった。陰謀論マクロミクロの間にある巨大で複雑な回路をショートさせただけの反知性主義にすぎない。僕はそんなチートに興味はない。僕は真正から正攻法で、その回路を解析したいのだ。そうでなければ意味がない。

ああ、そうか、経済学とは、それを解き明かそうとする学問なのだマクロミクロの間にある巨大で複雑な回路。それを解析するのが、経済学や、その他の社会科学なのだ。僕はそれを、もっと深く学ばなければならない。

進むベき方向性は見えてきた。しかしここからどうするか。独学ではもうこのへんが限界のような気がする。つぎはぎだらけの学習じゃなく、もっと体系的に学びたい。でもどうやって学べばいいのかがわからない。僕はまず、学び方を学ぶ必要があるのだ。それには、どうしたらいいのか。

頭の中に浮かんだのは、「大学に行く」という選択肢だった。


大学に行く。どうしてそんな選択肢が浮かんできたんだろう。これまで僕の中にそんな選択肢は存在していなかった。そのはずだった。これまでずっと金も時間もなく、ただ日々の生活に追われるばかりで、そんなことを考える余裕は一切なかった。そんなことを考えるくらいなら明日の飯の心配をしたほうがいい。ずっとそう思って生きてきた。

何より僕には自信がなかった。自分みたいな中卒の人間高等教育を受けたところで何の意味もないと思っていた。そんなの僕にはまったく関わりのない知識階級人間世界だと、大学なんて僕にはまったく何の関係もない、別の世界に存在するものだと思っていた。

でも思い返してみれば、その認識は少しずつ変化していた。いろんな仕事をしたり、あとさき考えず旅に出たり、プログラムを組んだり、文章を書いたり、そしてそれを不特定多数の人の目に晒したり、ずっと何かに追われるようにそんなことを繰り返してきたけど、その過程で、僕は何か大切なものを拾い集めてきた気がする。それはたぶん、自尊心と呼ばれるものだ。幼いころに失い、ずっと欠けたままだったそれを、僕はこの歳になって、ようやく取り戻すことができたのだ。

からいまは自分高等教育を受けることに意味がないだなんて思わない。大学が別の世界に存在するものだなんて思わない。ああそうか、だからいま、このタイミングで、「大学に行く」という選択肢が、僕の前にあらわれたのか。

あとはこの選択肢を選び取るかどうかだ。

いまの時代大学に行くなんてそんなにたいしたことじゃないのかもしれない。だけど少なくとも僕にとってそれは、とてつもなく勇気エネルギー必要なことだ。ホームレスになることよりも、右も左もわからないまま海外に飛び出すことよりも。

現実的問題もたくさんある。資金、学力人生の残り時間。いろいろと考え始めると、解決しなければならない問題が多すぎて、わけがからなくなってくる。もうどうでもいいじゃないかと投げ出したくなってくる。でも僕の中の何かが、そうさせてくれない。僕の中の何かが、そうじゃないだろうと責め立てる。

これには覚えがある。この熱には覚えがある。これは、あの旅の途中、自分の中に発見した、マグマのような熱量だ。感情になる前の感情。行動になる前の行動。名前なんてつけようもないほどプリミティブな衝動。僕はいままさに、それに直面している。そしてその熱量からは、どうあがいても逃げられない。それだけは確信できる。

だったらもう、覚悟を決めるしかない。本当にもう、そうするほかどうしようもない。

僕は大学へ行く。

そうやって覚悟を決めてみると、ものすごく気が楽になった。気分が軽くなった。

ああどうしていままでこんな簡単なことに気づかなかったんだろう。その想いはずっと自分の中にあったのに。

僕は、「大学へ行きたかった」のだ。

続き→http://anond.hatelabo.jp/20150910220232

2015-08-16

新しいテレビを買った。前のブラウン管亡き後、ずっと液晶モニタ+torneの組み合わせでテレビ観ていたので、ちゃんとしたテレビを買うのは10年以上ぶりだ。

最近テレビはご多分に漏れインターネット接続でき、Youtubeやらニコニコなどが観れるのだけど、そんなのいらないし無駄機能だと思っていた。

しかし、大間違いだったことに使ってみて気づいた。DMMアプリもあって、何とは言わんが、DMMで購入した動画が大画面で観れるのであった。便利すぎる。アプリ機能がまだ貧弱で、早送りや巻き戻し、チャプターのジャンプなど使いづらい点は多々あるが、そこらへんは今後のアップデートでなにか出来るはずだ。今後に期待したいところ。

2015-08-15

高齢出産という非人間的行為の是非について

世の中の負け組フェミババアがやたらと持ち上げる非人間的かつ非論理的行為の1つが高齢出産である

高齢出産とは腐りきった羊水から各種の障害を抱えた呪われた子供を産み落とし、彼ら彼女らに地獄形容するにふさわしい人生を歩ませるあの高齢出産だ。

メディアの手により勝ち組負け組を真っ二つに分ける白黒思考根付いた現代社会において子供を産まない女は負け組であり子供を産みさえすれば人生の勝者である洗脳された負け組フェミババァはこの行為をやたらと持ち上げたがる。

自分たちはまだ負け組ではないと信じたい気持ちと、生まれついてのブサイクゆえにいい年こいて未だ満たされぬ性欲とを一度に満足させてくれる素晴らしい信仰それが高齢出産である

だがそんな物はまやかしだ。

子供を産んだから素晴らしい人生だと誰も保証をしていないし、他人子供がいないからと言ってメディアに合わせて見下す必要もない。

ただ、自分価値観形成することに失敗して借り物の物差しブラウン管から受信しているだけの腐れ脳みそに過ぎないということになぜ気づかないのか本当にフェミババア馬鹿だ。


先ほど述べたように高齢出産には障害のリスクがつきまとう。

リスクがつきまとうというよりも、99%大なり小なり障害を持った子供が生まれると言っていい。

そんな馬鹿なと思うだろうが事実である

君たちは障害を重度のダウン症だけだと思っているのかも知れないがそうではない。

軽い自閉傾向、生まれつきの運動能力の低さ、不細工、あらゆるもの遺伝子劣化によってもたらされる障害である

個性という言葉でこれを封じ込めようとする者もいるが騙されてはいけない。

さて、これらの業を何も知らされずに背負わされた子供はどのような人生を歩むだろうか。

そう、世界を憎みながら生きていくことになる。

世に放たれる犯罪者の大多数は世界を憎んでいる。

まり高齢出産をするということは未来犯罪者を産み落としていることにほかならないのだ。

満足するのはババアまんこ自尊心だけで、子供も、犯罪に巻き込まれ一般人も、障害児の面倒を見る夫すらも不幸になるのだ。

こんな人道に背いた行為が許されていいのだろうか。

防ごう、高齢出産

守ろう、未来の子供達の笑顔

倒そう、鬼畜負け組高齢出産性欲爆発フェミニストマンカスババア。

未来をつくるのはババアではもなければガイジでもない。

我々良識ある市民である

2015-07-25

この40年で社会はどれだけ豊かで便利になったか

47歳で70年代小学生時代を過ごした。

俺が子供のころに比べてどれだけ社会が変わったか思いつくままに列挙しようと思う。

ウォークマン(カセットテープ)が発売されたのが中学ときだったからまだ携帯音楽機はなかった→スマホ

黒電話電話は一家に一台→スマホで一人一台

テレビは一家に一台→一人一台。スマホで外でも見れる

テレビブラウン管液晶で超大型化

テレビリモコンはなかった。金持ち友達の家にはあった。赤外線でなくて超音波(?)だった→リモコン無しなんてありえない

腕時計子供のあこがれ→100円ショップで買える

カメラ子供には無理→スマホトイカメラ

ビデオゲーム任天堂からブロック崩しがでていた→なんかいろいろある

携帯ゲーム機ゲームウォッチ(モノクロ液晶で単純なゲームが一種類だけ)だった→スマホとなんかいろいろある

ウォシュレットクラスで一番金持ちの家にだけあって、クラスで「あいつの家にある」と話題になってた→あって当たり前

・買い物袋が現役。レジ袋は紙製→レジ袋はビニール。買い物袋はエコバッグとして復活しつつある?

スーパーは19時ごろには閉まってた→21時や22時は当たり前。24時間もある。コンビニもある。

自動車の車体→大型化。軽でも当時の普通車並みの広さ。未来デザイン。昔はライトは汎用部品の丸いやつだった

自動車燃費子供の頃は燃費なんて考えたこともなかったから知らない。でもこの10年でもびっくりするくらいよくなってる。

自動車エアコンは家の車にはなかった→エアコンのないクルマはありえない

自動車の窓は家の車は手動→業務用の車とか軽トラ以外はまず自動

都市部では銭湯がまだまだ使われていた→風呂なしはアパートでもありえない

銭湯通いの家庭は毎日風呂に入らない→毎日風呂に入らないなんてありえない

・洗髪→中学ころに「毎日髪を洗うのは常識です」と中森明菜シャンプーCM攻勢で毎日洗うのが常識になったけどそれ以前は毎日ではなかった

・朝シャンなんてない。俺の家にはシャワーがなかった→朝シャンも楽勝で、シャワーはあって当たり前

風呂桶が半畳くらいの立方体棺桶みたいに横長になって足を伸ばして浸かれる

・天日でお湯を沸かすやつ。粗悪品が横行して衰退→太陽電池

エアコンは贅沢品→あって当たり前。無しでは夜は眠れない

正月三日は店は休み→やってる

・近所のスーパー駐車場がなくて客は違法駐車違法駐車におおらか→駐車場はぜったいある

小学生のころはPCはない。中学の時に友達が買ってもらってた。高価だったはず→3万で買える

道路牛糞が落ちてる→犬の糞を捨てることも許されない

海外旅行は多分俺の周囲では行ったことのある奴はいなかった→格安海外旅行とかある

アナログレコードCDをとおりこして電子化

・本→電子化

時計時間合わせ 117やテレビの時報→電波時計でいつでも正確な時間

ビデオはなし→レンタルビデオを通り越してネットオンデマンドに。映画だけでなくてテレビ番組も見れる

・小物でも高価→品質を考えなかったら100円ショップがある

・猫や犬のエサは残飯キャットフードドッグフードが当たり前

・猫の外飼い(事故などで帰ってこなくなったり病気うつされたり)→室内飼いの普及

・猫の砂は本物の砂で汚れたら手洗い→使い捨て

・缶飲料100円→130円(値上がりしているが物価の上昇から考えたらかなり安くなってる)

飲料は缶かビン→ペットボトルが普及

・缶は250cc→200mlや350ml、500mlなどチョイスできる

飲料コーラファンタコーヒーだけ→日本茶ブラックコーヒーなどなどがチョイスできる。とういうか全体的に種類が増えてた

2015-06-28

もの

物の寿命よりも、人の寿命の方がよっぽど短いのだなあと最近思う。

例えば、今は押入れの中に入っているブラウン管の古い小さなテレビ、彼は20年以上生きていながら昔と変わらない姿を保ち続けている。このまま放置をしても恐らく風化や大きな衝撃などが無い限り今のままの姿を保ち続けるだろう。

こないだ動作確認をしたら、バラエティ番組ニュースは映らないものの、無事起動し少し目に悪いような青い画面が映った。

もしも、仮に彼が動作しなくても彼は「物」として生き続けていた。

そして、本来役割を失いながらも「物」として生きている存在を殺すのが人間だ。

もの

物の寿命よりも、人の寿命の方がよっぽど短いのだなあと最近思う。

例えば、今は押入れの中に入っているブラウン管の古い小さなテレビ、彼は20年以上生きていながら昔と変わらない姿を保ち続けている。このまま放置をしても恐らく風化や大きな衝撃などが無い限り今のままの姿を保ち続けるだろう。

こないだ動作確認をしたら、バラエティ番組ニュースは映らないものの、無事起動し少し目に悪いような青い画面が映った。

もしも、仮に彼が動作しなくても彼は「物」として生き続けていた。

そして、本来役割を失いながらも「物」として生きている存在を殺すのが人間だ。

2015-04-15

http://anond.hatelabo.jp/20150415211505

初代ファミコンブラウン管テレビ買ってこいや

配線はテレビの後ろに回ってネジ締めて接続すんだぞ

ちょっとした振動でもバグるからセーブはこまめに、猫厳禁な

セーブっつってもパスワードから慎重にメモれよ

ゲームは一日一時間

終わったらちゃんと宿題すんだぞ

2015-03-21

ルミネ炎上で炙り出された「広告代理店が作る『日本職場リアル

ルミネ炎上で語られる女性論については、もう語るべきことが無いのだが、広告代理店テレビ局が作る「日本職場リアル」が、現実と余りにも食い違いすぎて、そこに苛立ちを覚える私のような人間も多いかも知れない。

今回もTwitterで印象を語る前に「いやセクハラなんだけど・・」と「需要発言違和感を感じる人が多いように見受けられた。

なぜ広告代理店テレビ局は、こうしたドラマにおいて、わざわざ昭和零細企業職場のような非現実な平行世界を再現するのか?

2015年現代職場では、人事部セクハラ禁止についてしつこい位に啓蒙をしているため、社員は異性に寧ろ腫れ物に触る位の対応が求められており、同僚や部下にあのようなもの言いをする日本人男性など見たことがない。

「よくある風景」なんかじゃない、あのレベルセクハラなんて社会生活でかなり致命的な行為だ。

あり得ないレベルの言動が、あるある風に自然に劇中に発生すると、虚構と知るドラマであっても、違和感半端ないし、無理やりなイベントしか見えず一気に現実感が損なわれる。

例えば、広瀬すず神木隆之介が出演する2015年ドラマで、ブラウン管モニタMixiメールする演出が突然でてきたら、誰だって困惑するだろう。その位、違和感を覚える。

日本では、男女雇用均等法第11条でセクハラ行為が具体的に定義されており、職場におけるセクハラ内容・方針明確化労働者に周知・啓発することを会社義務付けている。

新卒でも転職でも人事部から必ずこの手の指導は受けるし、そんな事件当事者になったら在籍も危うい。

脚本家テレビ局広告代理店から観た、私たち一般人日常は、一体どんな平行世界なのだろうか?

2015-02-05

今、アマチュア無線界隈が無法地帯すぎている。

アマチュア無線といっているが、実際はトランシーバーでCQCQ言ってる程度の輩だ。

若い人はそれを本当のハムと勘違いしている。なので、勘違いアマチュア無線家の話として聞いてほしい。

いわゆるラグチューといわれている分類だが最近は外見がよくて、ポータブル機をもっていればチヤホヤされて有名になれる。

実際にうまい下手かはおいておいて、ハムを語っている高校生ポータブル入門機でCQし、カッコいいと思ったらRTハッシュタグをつけ

山のようにフォロワーを稼いでいる。気に入らないハムがいればOM呼ばわりやブロックお願いしますと一声かければ多くのハムは凍結され、

ワッチされただけでも気持ち悪いといわれれば。あのカメラマンに頼んで凍結させてもらおうと頼めばいいのだ。

火のないところに煙は立たないが、火をおこす前に燃やすものの存在を消すのがtwitter流。

YLは基本的名前 2ch などでそのハムの評価を気にするので2chに嘘の噂を書き込むハムも多い

また、安藤きをくや柳内良仁はフォロワー購入サービスを利用し、あたかも有名であるかをよそおっている人も少なくない。

実際はわからないので定かではないが目撃件数が半端ではない。

一年ちょっと蜷川実花の半分の11フォロワー越えはいきなり現れた無線家でも異例中の異例。

しかフォロワーが多いからすごいに違いないと低品質写真が絶賛されている姿を喜んでいない人もいる。

実際に1万をこえるハムにフォローされたらリフォローしてしまうのであっという間に購入したフォロワーなんてものは煙に巻けるのだ。

最近ではHIKARU ONODERAというひともフォローアンフォローを繰り返し、一時期のひるたかめらの行動を蘇らせられてる人も多い。

HIKARU ONODERAのすごいところは自分写真しかRTしないアカウントを大量に作りそのアカウントでもフォローリムーブを繰り返しているのだからさらにたちが悪いが前者のフォロワーを買うよりかは至って健全そうに見えるのが不思議でならない。

QSLを集めているハムは一人で活動できないので顔バレは不可避である

今度大阪芸大へ進学する。通称柏木おっちゃん」事件では、暴行飲酒未成年ホテル連れ込みなどが問題視されている。

くわしくは、柏木おっちゃん 2ch で検索

今、若手の写真を撮る人はメンヘラ承認欲求と性欲にあふれているのだ。オオノヒロサンはYLがいたらまずセックスしてから公言している。

ブラウン管から麻酔針〔NEE〕 はかなり悪質でパクリ画像フォロワーを稼ぎあいあいまに自分写真アカウントブラウン管にはイルカの夢〔NEE〕に誘導している。

ブラウン管から麻酔針のパクリ具合は1000favbotぐらいの悪質なものだ。しかもあたか自分が撮ったかのように偽装したものもある。

誰もがリグを持つ今、抜きに出て活躍するためにはもう手段を選んでいられない。

参考:http://anond.hatelabo.jp/20150204204954

2014-12-24

男の子って意気地なし」

「”みんなして、高嶺で咲かせてあげよう”という気持ちにさせる花である

(阿久悠『36歳・青年 時にはざんげの値打ちもある』)


渡辺美優紀こそ、テン年代に咲く高嶺の花ではないかと私は考える。

去る2014年9月17日、「AKB48グループじゃんけん大会2014 ~拳で勝ち取れ! 1/300ソロデビュー争奪戦~」は行われた。

奇しくも2日後はみるきー誕生日でもあった。彼女にとってのとても大きなサプライズプレゼント

優勝特典として、ソロシングルデビューおよびソロコンサート開催権利

NHK BSプレミアムAKB48 SHOW!」枠での「MILKY SHOW!」放送権利を獲得した。

そして本日12月24日クリスマスイブ彼女は「やさしくするよりキスをして」をリリースする。

http://youtu.be/rYsDjGcxS-0

松田聖子の「夏の扉」のようなジャケットもさることながら、ミュージックビデオが秀逸である

以下は私なりの勝手解釈であることをご理解いただきたい。

舞台は1970~80年代ごろの神奈川県藤沢市

人気漫画タッチ』に登場する喫茶店南風」を模した「喫茶 みゆき」にて働く少女美優紀(こちらも浅倉南同様実家であると思われる)。

想いを寄せる相手は達也を模した幼馴染の少年。あの”勉強部屋”を意識した二つ並びの学習机が置かれた部屋にて日常を送っているようだ。

明星学園野球部に似せた、黒地に赤字のWのキャップがたびたび登場する。湘南の海で彼の自主練習に付き合う様子も見られる。

また、その海で気の置けない仲間達と遊んでいるシーンも描かれている。

その後、高校卒業した彼女らは、各々の道へ進む。美優紀実家の手伝いを、”彼”は達也のように帝東大学を目指す浪人生、としておこう。

美優紀は年相応の女の子らしくアイドルを夢見ていた。ダメで元々、「第48回国民アイドル ソロデビューオーディション」へ応募する。

オーディション会場にて物怖じせず語り、歌う彼女NMB48オーディション番号、エントリーNo.71であるあたりにクスッとくる。

後日、見事デビュー決定との印が押されたハガキを嬉しそうに見つめる美優紀。だが直後、切なげに右隣の”彼”の学習机一瞥する。

閉店後の喫茶みゆき。帰ろうとする”彼”に美優紀は打ち明ける。

「わたしね、アイドルになるの」

「おん」

「だから東京行くんだ」

わず立ち上がり、ハガキを奪い取る彼。

一瞬の間のあと、「明日おくってね」

夕暮れの湘南フェンダーミラーセダンの横で彼の腕を掴み、「はやくキスして」と言わんばかりに目をそっと閉じる。

シーンは一変し、ブラウン管国民アイドルとしてソロデビューを果たした”渡辺美優紀”の姿が。

喫茶みゆきに集まりブラウン管を食い入るように見つめる旧友らは、すっかり彼女親衛隊になり湧き立っていた。

突然の別れに怒っていたと思われる彼は新聞を読み更けて興味がなさげしかし、テレビには見覚えのある野球部帽子が。

当然私信に気づいた友人たちは、”彼”に急いで呼びかける。「美優紀アイドルになってしまった。もう俺のことなんて覚えてもいないだろう」と思いこんでいた彼は、

美優紀が何も変わっていないことを思い知らされ、喜びを爆発させ飛び跳ねる。

高校生の頃のイチャイチャする様子が描かれたのち、また夕方湘南へ。

涙を一筋落とし、彼女は言う。

「やさしくするよりキスをして」。

2014-11-17

浮世絵をみて1ヶ月くらい興奮が冷めなかったが、ようやく冷静になったので書き綴る

僕はアートというもの理解できない。

音楽に感動したことはない。

ロックバンド音楽のチカラを叫んでも、

音楽のチカラでパレスチナ問題を解決してみろ」と言い返してしまう。

絵も理解できない。

絵の解説を読んで、作品の背景に感動させられるだけで、絵からなにか伝わったかというと、ふーんっていう感じだ。

そんな自分だが、唐突だが浮世絵について語らせてもらう。

あれは凄い。

本当に凄い。

なにか伝わってくるとかそういうのじゃない。視覚イメージからね、殴りかかってくる。

きっかけはというと、摺りたてをみたわけだ。

美術館特別展で展示販売をやってて、本当に偶然だ。

浮世絵というのは、基本水彩で、そもそも水彩の鮮やかさというのはブラウン管液晶では今ひとつ再現できないというのと、そもそも日焼けに弱い染料なので、当時の色と全然違うわけ。

で、とにかく凄いんだけど、一ヶ月くらいなにが凄いのか、自分でも整理できなかった。

ようやく整理できたので、とにかく語りたい。

まず立体感。既に物理空間的に2次元じゃない。

浮世絵で立体感?むしろ平面的な絵だと思うが・・・

と、思ってたよ。僕も。

すごいの。ニンテンドー3DS裸眼立体視浮世絵から開発したんじゃね?ってくらいに。

ていうかね、もう物理的に立体的なの。

いろんな工夫があるんだけど、わかりやすいところから説明すると、そもそも紙が凹凸で立体的なわけ。

たとえば、このトンボの羽、スジスジがボコボコ盛り上がってたりするの。画面じゃぜんぜんわかんないけど。

http://item.rakuten.co.jp/adachi-hanga/hokusai120-f/

これも画面じゃぜんぜんわかんないんだけど、指で首筋を撫でた跡がさ、紙の凹凸で表現しちゃってるわけ。

http://item.rakuten.co.jp/adachi-hanga/utamaro067/

もう艶かしくて艶かしくて。

構図での立体感

生でみないとわからないんだけど、ニンテンドー3DSのアレに近い印象がある。

平面的な絵がレイヤーされていて、レイヤー間に明確な前後関係があるような感じ。

露骨なので言うとこんなやつ

http://item.rakuten.co.jp/adachi-hanga/hiroshige160-f/

それから、こういうの

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige182/

子供の頃、校庭のフェンスの金網越しに風景をみてたら、とつぜん立体視になってビックリしたこととかってないかな?

あれだよあの感じ。

格子をみて、その向こうをみて、それを繰り返すと、うわぁぁぁ!ってなる。

自分がそこにいるような感覚

それから、この構図をわざと切ってるところ。

さっきの梅の絵のほうは、左側に立て札がちょっとだけ入っているけどほとんどフレームアウトしてて、遊女の部屋の絵は襖ちらっと見えてる。

このフレームアウトが、絵じゃなくて、まるでどこかから自分が覗きこんでるような錯覚に陥らせるんだな。

この感覚漫画に親しんでる日本人特有のものなのかもしれない。

漫画だと、こういう演出は暗黙のうちに物陰から覗きこんでるというお約束だろ?

不思議なことに、日頃浮世絵に親しんでいないせいか、生でみるまでこういうお約束がつたわってこなかったんだが、随所に漫画的な表現が伝わってくる。

”力みなぎる感じ"やら、”物陰から覗いている感じ”

物理的には間違っていてもイメージとしては正しい

浮世絵に影はないっていわれるけど、あるのもあるし、ないのもある。

浮世絵で影を使うのは、影があるから影を描いているんじゃなくて、影の効果必要から影が描かれる。

たとえばこんな感じ

http://item.rakuten.co.jp/adachi-hanga/kuniyoshi004/

明るい月夜を表すために、現実ではありえないほどくっきりと影がかかれてる。

http://item.rakuten.co.jp/adachi-hanga/hiroshige308/

同じく月に照らされた人影。月は高く登っているのに、影はのびている。

アニメ表現に似てる。

エヴァンゲリオン飛行機から発進したエヴァが地上についた時に、砂埃が進行方向ではなくて、後方にのびていたシーンがある。

あれと一緒。

物理的には間違っていてもイメージとしては正しい。それが浮世絵表現

写実的に書くなら、写真のように陰影の表現で塊を描くのが正しいけど、あえて輪郭線を使う。

イメージの中では、人物と風景の間には境界があるから輪郭線があるのがイメージとしては正しい。

逆に、意識の外のものについては、明らかに見えるはずであっても輪郭を描かずにシルエットだけにする。

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige024/

ヤバイ構図

絵というのは自分が感じたことだけで語るべきな気がするので

「当時の人は」という視点は間違ってるのかもしれない。

でも、考えてみる。

当時は当然テレビなんかなかった。

自分目線以外の構図って、みたことがなかったはずなんだ。

たとえば構図上から街並みを俯瞰するような構図というのは、見たことがなかったはずなのだ

で、なんでこんな構図がおもいつくのさ。

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai029/

http://hiroshige100.blog91.fc2.com/blog-entry-47.html

ただ道が曲がりくねってるだけでこんなにもストーリー性がでてくるのかと。

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige027/

わずもがな、世界で一番躍動感のある波。

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai040/

浮世絵以前の絵って、西洋東洋もこんなに構図が豊かじゃなかった。

現代写真漫画映画の構図の元ネタが、だいたいがこの時代なんじゃないかっておもえるほど。

色彩感覚ヤバい

これについては、繰り返しになっちゃうけど、ほんと日本人派手好きすぎ。

画面のほとんどが赤と緑のグラデーションって、ヤバいでしょ。

http://item.rakuten.co.jp/adachi-hanga/hiroshige160/

山頂が快晴裾野雷雨ビビッド過ぎ!

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai049/

これ、もはやルノワールじゃね?

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hokusai_sakurafuji/

しかも安い!

よくリトグラフ20万とか50万とかするじゃん。

その点、浮世絵は超安い。

1万3000円とかで買える。

ただ、難点は、アクリル板越しでさえぜんぜん凄さが伝わらない。

生で、そのまま見ないと。

オススメは、額にいれないでそのまま壁に画鋲で刺すこったね。

紫外線ですぐ色褪せるけど。

もったいない

もう一回買えばいいのだ!

2014-07-26

武器テレビ

って言うならやっぱりブラウン管の方が強いよね

2014-07-08

http://anond.hatelabo.jp/20140708210826

箱を残しておいて良かったと思ったことは、

17インチブラウン管モニタを廃棄するときだけかな。

しかに他で箱が無くて困った事象は確かに出会ったことはない。

中身を見ないで捨てる・・・は、先輩に相談したときに言われたなあ。

記憶にもないなら、それは『無い』と同義だ。出てこなくても絶対に困らない」って。

2014-05-19

この20年くらいのことを考えてみた

26歳、都会育ち。ふとこの20年くらいのことを考えてみた。

どの時代にも流行廃れはある。

たまごっちファービー厚底ブーツミニ四駆ベイブレードビーダマンハイパーヨーヨー

そうゆうものを懐かしむのも楽しいんだけど、この20年くらいで圧倒的に変わって普及したものっていくつかある。

パソコンインターネット携帯電話なんてのはもう言い古された話だろうし、

ブラウン管が消えて液晶テレビの普及、ビデオデッキも消えて今やDVDやBlueRayだっけ(あんまり使わないからよく知らない)。

ポケベルなんてあっという間に消えた。白熱灯も消えた、LEDが世の中に爆発的に増えた。信号機が薄くなった。

地面がアスファルトだらけになった。レンガできれいに整えてある歩道なんてのも増えた。

道路白線が増えた。白線がなく、路肩のない道路なんていくらでもあった。うちの地元なんてわざわざ交差点の地面の色がかえてある。

信号機だって増えた。掠れて消えていた横断歩道もくっきりきれいになった。

金属製の風呂桶も消えた。深くて熱くて、あれに入るのが嫌いだった。でも今は

プラスチック風呂桶ばかりだ。温度設定だって簡単。お湯と水で割らずに済むようになった。

プラスチックは全体的に生活の中で増えてきた。100円均一が増えたせいかな。

コンビニもすごく増えた。24時間営業になった。24時間営業って店もすごく増えた。20年前にそんな店、全然なかった。

CDは変わらない、レコードは見かけなくなった、MDは一気に増えて一気に姿を消した。MPプレーヤーみたいなやつばっかりだ。

ボタンってものも減った気がする。キーボードボタンの数は変わらないだろうけど、世の中の全体を見渡して減った気がするんだ。

小学校から高校まで石で出来た流しにいくつも水道が並んでいた。最近学校はどうなのかな、ステンレス製の流しばかりなのかな。

あとタイルが減ったように思う。和式トイレの床は青い丸い鱗みたいなタイルばっかりだったのに見かけなくなった。

台所の白いタイルも、風呂場のピンク色のタイルも見なくなった。どこの家を見たってつるっとしてる。フローリングばかりになった。

ゴム製みたいな床にいっぱいの模様がちりばめられてるなんて床は見なくなった。絨毯ばりの床も見なくなった。フローリングだらけだ。

レジバーコードを通す赤い光の出ているところ、あそこは昔バッテンでガラスが見えてたのに見えなくなった。

電池で動くものが減ったと思ったら増えた。だからエネループなんてものが売れたんだろう。

から吊るされたガソリンスタンドも見なくなった。皆地面に据え置きだ。

時代の過渡期に育ったなんて大それたこと言うつもりはないんだけど、なんか、日本人って頑張ってるんだなって思った。

幼少期、不便を感じたことはなかったし、今とあの頃は全く違ったなんてことは思わない。

あの頃だっていつだって最新のものを使ってた。家の洗濯機の上に乾燥機が乗せられた日だってきらきらしてた。

いつだって新しいものきらきらだ。廃れたってあのきらきらした思いはそのまんまだ。

廃れたものが無くなってしまって悲しいとは思わない。どんどん時間は進んでいく。これからだっていろんなきらきらが待ち受けてるかと思うと楽しみなんだ。

2014-04-17

古いDVDを買ったら驚くほど画質が悪かった

昔買ったけど、売ってしまっていたライブDVD中古屋で安く売られているのを見つけ懐かしくて買ってみたんだけど

当時は、ブラウン管テレビで見てたこともあり、特に画質が悪いという認識を持った記憶はなかったんだけど、今見てみると、かなり酷い

更に、映像自体は、16:9なのに、4:3形式で収録されていて、パソコンなどでフル画面で見ると黒い額縁状態になってしま

だいたい10年くらい前のDVDだが、このライブへ行ったのは、ついこの間のような感じなのに、時が立っていることに気づかされる今日このごろでした

2014-02-16

STAP細胞が既にオワコンな模様

小保方さんが自称佐村河内守さんみたいに各界やマスコミから疑惑の目を向けられ始めてる。

理由は彼女が発表した論文整合性というか、実験内容について、実際に他の研究者検証してみた結果

皆が皆同じ失敗するみたいだ。

すなわち小保方さんの研究捏造されてるんじゃないかってね。

最近ゴーストライター存在が明らかになって現在は問題の渦中にいる佐村河内守さんも一度粗が出るとどんどん

色んな嘘が明らかになってしまってる。

どうしようもない事に、今では開き直ってるきらいもある。

それだけ世間の関心が彼に行っちゃってるんだから凄い。

同じくIPS細胞に代わる20年位先の科学が小保方さんによって明らかにされて、様々な人間彼女に敬意を抱き、また嫉妬している。

その中で、渡りに舟というか、疑惑を出してしまった事はやや残念に思う。

週刊新潮のいう、某国立大学研究者告発というのは某ノーベル賞受賞者なんだろうと思っている。

自分の発表した研究が実は陳腐なんだって発表されてしまったら、それは気が気でなくなるからね。

ブラウン管の最新型を発表した直後にシャープ日立液晶テレビ開発を発表したせいでテレビ事業に乗り遅れたソニーの様な事にならないで欲しいかも。

2013-11-11

しかしなぁ

奥方 が 亡くなってから 奥方 が 結婚たかった あなた に なる オトコ って ブラウン管 に 映る 被写体 なら ますます「はずかしい」「ばか」だよな

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