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はてなキーワード: クラスメイトとは

2021-03-22

スクールカースト後遺症と、エヴァンゲリオン

エヴァを初めて見たのは中学校2年生のころだった。

端的に言って、2度と当時には戻りたくないと思う。

穏やかな小学校生活が終わって、中学校に上がった。中学校は周囲のいくつかの小学校から生徒が合流し、顔ぶれは半分ぐらい変わった。

新しい同級生、新しい先輩、見知らぬ古い校舎、荒れた空気で余裕のない先生同級生はみんな、自分の居場所リセットされて、それを確保するのに必死だったと思う。

一部の同級生が、先輩らの影響で短ランやボンタンのような制服を着て、髪の色が明るくなり、言動が激しくなった。

それに伴って、学校は腕っぷしの強さや声の大きさ、容姿の美醜、スポーツの出来不出来、笑いが取れるかどうか、を軸とした上下関係階層構造が強まった。

勉強のできる学校地域ではなかったから、勉強の出来不出来や知識豊富さはそこまで階層への影響はなかった。むしろ、真面目に勉強をしていることはダサいという空気感すらあった

当時の僕は、身長は高い方だが、容姿は下、スポーツは並、笑いは全く取れない、勉強はそれなりにできるが、トータルでは平凡な男の子だった。

ただ、良好な人間関係の作り方や上下関係のやり過ごし方などの処世術に鈍く、学校に上手く馴染めないまま過ごしていた。

プライドが高かったのだと思う。

階層トップの不良グループクラスの場を支配していたけれど、僕は、支配されたフリをして上手く立ち回るのはイヤだった。

イジられても笑いで返せず、キレ返した。物がなくなっているなどの軽いいじめに、張本人を殴ったり同じことを仕返しした。

お前、小学校の頃は休み時間に一緒にサッカーしてたよな?僕のお父さんの車で一緒に釣りに行ったよな?何でこうなっちゃったんだよ!とずっと思っていた。だからこそ、負けたくなかった、譲れなかった。

昔は仲が良かったみんなも、自分のいる階層を保つ or 上昇させるために、グループ所属して、その勢いに流され、僕や立場の弱いグループを、気まぐれに攻撃することが、中学校のなかで当たり前になった。

そして、いつも反抗的な態度の僕は、特に標的にされ、孤立した。

カバンや筆箱が無くなっていたり、お金が盗まれていたり、パンツを脱がされたり、通りがかりに殴られたり、いろいろ。当時はよくがんばって学校に行っていたなと思う。えらい。だけど今思えば、がんばり過ぎないで欲しいなと思う。

こんな感じで、安心できる場所学校には一切なかった毎日心も体もかなり緊張していて、ビクビクしながら過ごしていた。

その時の身体の強張りはクセになってしまい、他人がいると男子トイレの小便器おしっこすることが出来なくなった。おしっこをしている時はイタズラされることから逃げられないから、他に人がいると落ち着かず、どんなに頭でおしっこをしようと思っても、出てこない。

学校の中でも奥の奥にある、ほとんど誰も使わないトイレに、休み時間になると駆け込んだ。たまに先に人がいると、その周りを歩いて出てくるのを待った。

小学校からやっていた陸上部を、中学校に入っても続けていた。

年間のなかで最も大きい大会に、中体連の県大会、といったものがあった。

うちの中学校では、この県大会大会出場のときには、様々な部活から各種陸上競技に出演するメンバーが選ばれた。

僕はどの競技選抜からも落ちたが、大会までの練習や当日の飲用水の用意など、陸上部としてサポート役のため駆り出された。

小学校から続けてきたが、なかなか結果は出なかった。そして、陸上部ではないみんなとの競争に勝てなかった。

知らないメンバーのために、部活からサポートをすることは、楽しいことではなかった。大事大会で走れない陸上部、ということが情けなくて、恥ずかしくて、自信が持てなくなった。

陸上のもの楽しいから続けている、という内的動機も弱くなったこともあって、部活という居場所自分から閉じてしまった。

部活を辞めてからは、授業が終わり次第すぐ帰り、毎日自宅のPCインターネットを利用した。

Yahoo!チャットでは、立場や背景も関係ない、見知らぬ人とフラットに会話できることがとても楽しかった。私は当時南の島に住んでいたが、その島には映画館が無いと本気で思っている人がいるなど、この嫌な地元とは切り離された人と、遠く距離を超えて繋がれることにワクワクした。

オンラインゲームでは、徐々に強くなっていくキャラと、連帯感のあるギルド所属するチーム)でゲーム内に居場所ができた。

ただ、Yahoo! チャットでは人とのごく短い付き合いしかできなかったし、親はオンラインゲームお金をかけることは許さなかったから、オープンβテストの期間が終わったら、ゲームはそれ以上続けられなかった。

それでも、毎日急いで家に帰って、ここではないどこかに場所を求めた。

ここまでがだいたい中学1年生。

2年生になりクラスが変わってからも、同じような軽いいじめ、イジリがある構造は変わっていなかった。そんな中、ある事をきっかけに階層に反抗する心は折れることとなった。

小学6年生の時から好きだった女の子と、同じクラスになった(初恋だったんだと思う)。

修学旅行のはずみもあって、就寝前、端っこあたりで寝そべっていた僕にも、みんなで好きな子暴露する順番が回された。そこで、迂闊にもその子が好きであることを話してしまった。

僕は次の日の朝、ある場所に連れ出された。女子から男子からも人気のあったイケてるグループメンバーが、勝手にその子を呼び出していた。

事前に、僕が彼女のことを好きだということは伝えられていたようで、女の子は戸惑った、迷惑そうな顔をしていた。

そして、ちゃん好意を伝えることもできないまま、一方的に、僕のことを好きではないことを伝えられた。

好きではないという事実以上に、あの迷惑そうな顔に、かなり心が傷ついた。あれは、階層の中で下位グループと同じ括りにされることを嫌がる拒否反応のような、そんな表情とリアクションだった。

ひどく鼓動が早くなった。気持ちが塞がってしまい、僕の修学旅行はそこで終わった。

この女の子とも、小学生のときは、同じクラスの隣の席でよくお喋りをした。いつも落ち着いていて、知性があるような雰囲気で、スピッツが好きだった。

小学6年生の遠足の時、移動までのバスカセットテープを流すことができた。僕は遠足の前日、スピッツの「recycle」をカセットテープに録音して、当日のバスで流した。

歌うことが大好きだったし、上手だと思っていたから、その子の近くの席でこれ見よがしに、特に好きだった「渚」か「楓」を歌っていたと思う。

小学生らしく、好きだからといって何ら関係を変えるためのアクションは取らなかったが、日々その子と話ができることが嬉しかった。

中学校に上がってからは、僕は廊下などで見かける度に意識していたけれど、クラスが違うこともあり疎遠だった。

そして、2年生に上がり同じクラスになってからも、思春期特有自意識過剰から、まともに話すことができなかった。

そしてそのまま、拒否された。

一方的彼女好意を伝え、呼び出した複数人男子グループは、彼女が嫌がるそぶりを見せたとき、「うわ、かわいそ〜」と他人事のように、少し面白がっているように話していた。

個人としてどういう人だ、と言う前に、どの階層に属するかによって、こういう風に軽んじられる存在があることを強く認識したし、軽く扱われる自分自身のことも好きじゃなくなっていった。

自信をなくして、自分のことを好きじゃなくなっていくのと並行して、上の階層である不良グループ嫌がらせをされても、ヘラヘラと笑ってその場をやり過ごせるようになった。そしてもっと自分のことが嫌になった。

体育の授業で複数人グループを組んだ時に、兄の影響でアニメに詳しいクラスメイトがエヴァンゲリオンの話をしているのを聞いた。

ガンダムの仲間かな、というぐらいにしか知らなかったけれど、家族ゲオに来たついでに、何気なくレンタルをしてみた。

結果、見事にハマった。

戦闘シーンやメカニクス描写などに強い興味はなかったが、同じく14歳シンジや他のキャラ内面描写に、自分を重ね合わせて見ていた。

中でも人類補完計画セカンドインパクトは、思春期想像力と合わさって、朝起きたら本当に起きているのではないかと、期待しながら眠ることもあった。

意地悪をする同級生は、個人それぞれは悪いやつでないことは知っていた。グループ階層といった構造になると、途端に他人攻撃できることを体験的に知った。また、僕自身にも、階層の中で下のグループを軽んじてしま意識があることを知った。

何で人間はこんな生き物何だろう、と思った。それぞれ個人としては思いやれる人も、集団となると流されてしまう仕組みが、欠陥だと思った。

他人もそうだし、自分の暗い部分も怖いから、誰かと近づくのをやめようと思った。関係を深めることをやめようと思った。だけど、誰かと認め合いたいという矛盾した気持ちがあった。

人類補完計画のように、人々の壁がなくなってひとつになったら、人間の欠陥もなくなって、みんなが幸せになれると思っていた。本当に早く来てほしかった。

でも、当たり前だが、そんなものは来ないことも分かっていた。だから何度も何度も見直して、頭の中だけでもエヴァ世界から抜け出さないようにした。

繰り返し見る中で、分からない部分も多くあった。なぜシンジ人間ひとつになる世界をやめたのか、なぜアスカ気持ち悪いと言ったのか、結局それぞれのキャラは救われていくのか?

これらのモヤモヤと、いつまでも起きない人類補完計画への期待感は、中学3年生になって受験勉強に忙しくなったのもあって、少しずつ心の片隅に追いやられていった。心に残る形は歪なままだけれど、そのままフタをした。

その後、県内では進学校だった高校入学し、校内の暴力的上下関係などはなくなって、落ち着いた学校生活を送れるようになった。

大学第一志望には落ちたけれど、都内学校に進学でき、希望していた地元から脱出は叶った。

だけど、その都度、人間関係の構築は必要だった。苦手意識や恐れを感じて、中学生の頃のような緊張が蘇ってきて、上手くいかないことも多かった。言葉が上手く出てこない、出てきても変なことを言ってしまう、怖くて誘えない、など。

人がいる男子トイレでのおしっこも、出ないままだった。

大学1年生の終わり頃に、良い友人との出会いがあった。何かと心の距離を取りたがる僕を、何度も何度も誘ってくれて、しつこく自宅に招いてくれた。そして、人に近づく怖さがだんだんと薄れていった。

また、その友人を起点に人間関係が広がっていった。みんな優しく受け入れてくれて、少しずつ人付き合いの自信がついていった。

いつまでもどこか漠然とした孤独感や居場所のない不安はあり、心のクセになっていてなかなか取れなかった。同時に、エヴァのこともよく思い出した。

それでも、その後の学生生活はこれまでにないほど充実して終えることができた。

この時に身に付けた自信から就職先での人間関係も何とかやり過ごすことができるようになっていた。

今は、30歳になった。それなりに忙しく働いていて、家族もある。

誰かの心の痛みがよく分かる優しい人と一緒になった。

できることが増えて、自分人生俯瞰で見られるようになり、生活をうまくやる自信もつけている。

日常の中で中学生当時のことと、エヴァのことを思い出すことはほとんどなくなっていた。

そして、今回の新劇場が話題になっているのを見た。これで最後ということで、とても気になった。

なぜ今さら気になるのか考えてみると、過去集団の中で屈してしまった悔しさ、自信喪失ちゃんと受け止めて解釈して、成長することができているということを、大人になった今エヴァ対峙することで、確認たかったのだと思う。

今日映画館に見に行くことができた。

僕はとても救われた気持ちになった。

今回の物語では、シンジミサトさんを始め、みんなが過去の様々な間違いや未熟さを認めながら、前を向くことができた。

第3村のトウジとヒカリレイ田植えなどの描写は、日常に地に足をつけて生きていることに対して、背中を押してくれたように思う。

劇中のみんなが自分なりの希望を見つけていくのと同じように、今僕自身が生きている人生に対しても「それでいいんだ」と、認めることができたように思う。

本当に良かった。ああ、これでいいんだね。

ありがとうさようならエヴァンゲリオン。

2021-03-21

anond:20210321094643

あれって「キモイ男の隣になるのが嫌だから泣く」のではなくて、「キモイと言うことになってる男の隣になったことを平然と受け入れる姿をクラスメイトに見せるのが嫌」だから、「『キモイ男の隣になるのが泣くほど嫌』な女子を演じる」という仕草なんじゃないの?

2021-03-19

なろう小説で探している…

前に読んだ小説をもう一度読み直そうとしたらお気に入りにもいれておらず、検索するにも昔よりも膨大になったデータから探すのも…!となっている。

VRMMOもの。だが、デスゲームではない

主人公男の子やれやれ系…でもないけど、該当ゲームをやりこんでいてできるプレイヤー

中学高校生くらい

・一人しかいないクランにずっと入っている(クランメンバーログインを待っている?)

オフラインオンライン描写がある(主人公のやっているゲームを、クラスメイトがやっているみたいな描写がある)

ストーリーの後半に猫がキーワードになり、VRにの待ち人の残骸があった、みたいな感じ。

2016年2019年位に読んだからそれより前に書かれている。

・完結済。

キーワードは覚えてるのにストーリー全然覚えていないし、羅列すると結構よくある設定しかないのでほんまみつからん…。

追記

ちょっと反応をいただいた!ありがとうありがとう

ブラウザ

定期的に消してるんだ…なかったよ…

・もうちょっと情報

それよね。システムあんまり覚えてないんだよなあああ。

クランと青いクランがなんか対立して戦ってた気がするんだけどすごくよくあるよね…。あとはランク戦。

スキルもしれない…主人公がいやに革をスキル生産職してたよーな。

追記2

あったよ!履歴じゃなくてちゃんお気に入りにいれてたよ!ちゃんと掘ったらでました。お気に入り大切。

Zwei Rondo

https://ncode.syosetu.com/n0634bk/

VRゲーム現実バランスもよく、その中に少しだけファンタジーというかSFすこしふしぎ)の合わさった作品で、少年青年に成長していく雰囲気が良かったような気がする。読み返しますけど!

わりと富士見ファンタジアぽさもあるよーな気がする。

2021-03-18

大学時代童貞捨てた人が多いかアニメラノベ舞台になりにくい

高校の時に彼女作ってセックスたかったな~

初めて射精したのは中学クラスメイト女子水着姿でシコった時だったな~

そういう青春の未練や青い性の目覚めの追体験を満たしてくれるのがアニメラノベなんだと思う。

大学でのセックス現実高校以下でのセックスファンタジー

から僕は老人になっても死ぬまでJCJK放課後教室や校舎の屋上セックスする妄想オカズにして抜く自信がある。

大学舞台アニメ

https://anond.hatelabo.jp/20210318075905

リンピッグの何がまずいかからないバカブクマカ多すぎ

これ基本的いじめなのよ、完全に見た目のね

んで渡辺直美は太ってるし芸人からいいんだよって開き直ってる加害者思考ども

これが渡辺直美だけで完結する訳じゃないってわかってる?

影響されやす小学校中学校で太ってるやつにオリンピッグでいじるやつ絶対に出てくんのよ

下手したら高校でもあるかもね

かに太ってるやつが悪いのかもしれないよ?

でもな、世界的な催しでもあるのにそれでいじめきっかけを与えるのはおかしいんだわ

おかしいと思えない?お前いじめっ子だもんね

太ってるクラスメイトにオリンピッグやれよ豚の鼻つけろよ〜なんて調子づいてるアホだけじゃなく

それにつられて笑ってるアホども、これもきついわけ

でもね、オリンピッグはまずいよ、これから時代良くないよって動きが世間に取り沙汰されてきたらさ

しかしたらオリンピッグいじめっ子に、釣られて笑わずに、お前おかしいよって言えるクラスメイトの子も出てくるかもしれない

それによって救われる命もあると思うよ、絶対

見た目でいじるのやめようぜまじで

2021-03-17

ユンとソアは公園にいる。

公園にはアイスクリームを売りに来たソジュンと息子のハジュンも車で来ていた。

もう20年も前のことだ。

ユンはソアはクラスメイトで、ドユンはソアが密かに好きだった。ドユンはソアを公園デートに誘うために、何度もソアの家に電話した。

ソアには母親がいない。父親のウヌは自営業のためいつも家にいた。

ウヌは娘に言い寄る男に厳しかったため、ウヌではなくソア自身電話に出てくれるまで、日を改めて何度もかける必要があったのだ。

やっとの思いでソアを公園デートに誘うことに成功し、その日は初めてのデートだった。

ソアとハジュンは家が近く、幼馴染で、仲がよさそうだった。せっかくのデート邪魔が入ったとドユンがっかりしていた。

ソアはアイスクリームを買いたかったが、ソアもドユンお金を持ってきていなかった。

ソアがハジュンに相談すると、ソジュンなら午後も同じ公園にいるというので、ソアはお金を取りに戻った。

ソアと家が近いハジュンが、ソアを家まで送ろうとしないよう、ドユンはハジュンを鉄棒遊びに誘った。本当は一緒に遊びたくなかった。

しばらくしてソジュンに髪の長い女性が声をかけた。ドユンはハジュンに「お母さん?」と聞いたが、違った。

女性名前はジウというらしく、ソジュンとジウはとても親密なように見えた。

子供を連れているわけでもなく、よく一人で公園に来てソジュンからアイスを買ったり、ただ話だけして帰ることもあるらしい。

二人がしばらく話した後、

ソジュンは教会に行くとハジュンに伝えるのをドユンは横で聞いていた。ジウはソジュンの車に乗り込み公園を去っていった。

ソジュンは公園から去る途中、家に戻る途中のソアに追いつき「今日は急用でアイスを売ってあげられなくなったけど、また来てね」と言った。

ユンはハジュンと歩いてソアの家へ向かった。しかしソアは留守のようだった。

ユンはソアを追いかけて行った。

ユンはソジュンがどこに行ったと思っているか

2021-03-14

anond:20210314073427

見た目が清潔感なく、幼少の頃からクラスメイト家族から仲間外れに遭う→常に人の目を気にして萎縮し挙動不審になる→結果、学業仕事パフォーマンスが落ちる→社会に出て使えない人間化する

これってまさにフェミニストの方々の言う「ガラス天井」と同じで、

本来は男女に差がない(かもしれない)のに、社会環境のせいで、女性は進学しない、家に入るのが当たり前、という風潮のせいで女性社会進出しにくい、って話と同じで、

本来は差がない(かもしれない)のに社会環境のせいで、KKOの行動が変わってしまった影響もあるんだけど、そういう話はまずされないよな。

anond:20210314073427

見た目が清潔感なく、幼少の頃からクラスメイト家族から仲間外れに遭う→常に人の目を気にして萎縮し挙動不審になる→結果、学業仕事パフォーマンスが落ちる→社会に出て使えない人間化する

まるで見てきたように語るけど、学生時代の俺にまんま当てはまる

特に「常に人の目を気にして萎縮し挙動不審になる」ってそういう事例が沢山あるのかな

空気が読めない・読む能力がないのに人に嫌われたくなくておどおどしてたし成績も悪い馬鹿だったわ

anond:20210313234128

まぁ、見た目がキモイ男女って発達障害ムーブする率高いからな。

見た目が清潔感なく、幼少の頃からクラスメイト家族から仲間外れに遭う→常に人の目を気にして萎縮し挙動不審になる→結果、学業仕事パフォーマンスが落ちる→社会に出て使えない人間化する

この流れで使えない人間化してしまってる人は可哀想だけど、仕事できない事がきっかけで外見ごと差別され続けると思う

ただ、元増田は期限までの書類提出してと真面目に呼び掛けてる辺り、仕事はしっかりやってるタイプKKOかもしれないが。

それだったら職場変えれば良いと思う

2021-03-09

手紙を書くのに没頭する5歳児

5歳になる娘はここ1か月、手紙を書くことに没頭している。食事youtubeを見る以外はすべて手紙をしたためることに時間を費やしている。

手紙の送り先は幼稚園クラスメイト先生、同じマンション友達習い事友達先生祖父母祖父母の飼っている猫、最近は炭次郎やねずこにも書いている。

最初折り紙の裏に書いていたが、それがA4コピー紙になり、今は100均で見つけたお気に入り便箋に書いている。

幼稚園運動会でもらった鉛筆を使って今日の出来事空想世界相手への思いなどを幼い文体でつづっている。

字や内容は年相応のものだが彼女文字というコミュニケーションツールを使って自分の考えや気持ち表現するのが大好きなんだろう。

彼女言葉をしゃべるのが人より遅かったし、今でも苦手だ。口頭で私と話すとき彼女の姿は英語会議をしているときの私を連想させる。

その彼女が見つけた気持ちのいいコミュニケーションツール手紙だ。自分の想いや考えを自分のペースで考え表現する。

手紙というツールを使うまでは彼女はヒトに自分気持ちを伝え、共感してもらえることの喜びを十分に感じられなかったのかもしれない。本当に親として申し訳ない。

だが彼女は得たのだ。自分なりの表現方法を。親としてはこの技能を伸ばして将来は、なんて考えていない。別に将来のことなんてどうだっていい。

いまこの瞬間彼女が考えていることを書きたいことを書いてほしい。そう思いながら私は彼女が書き損じた紙をきれいに伸ばして日付を入れスキャンする。

彼女が書き物にぼっとするように私も彼女成果物を保存していく。彼女と比べなんと非生産的か。しかしこれが楽しいのだ。

彼女の成長していく姿を実感することが私の一番の楽しみなのだ

2021-03-08

anond:20210308154131

まあしかし、俺みたいにど田舎で育って、「勉強嫌い!」「ガリ勉ださい!」みたいなノリのクラスメイトに囲まれるよりは間違いなく得るものがあるかあ

正直大学とかでもランクで何が違うって学ぶ内容なんかよりもこれが一番デカいわ。

最終的には教わらなくても自分勉強できる奴が一番強いんだけどそういう人間がやる気を削がれずに済む環境があるって大事

結局朱に交われば赤くなるとか腐ったミカンとか世の中それぐらいのシンプル理屈で回ってるんだわ。

SAPIXみたいなのって本質的に役に立ってんの?

同じ東大卒でも、SAPIX卒(?)の人間にはあって非SAPIX人間にはない何かがあったりすんの?SAPIX限定の話ではないな 幼少期の英才教育共通する話かも

ガキンチョの頃からバンバン勉強させることで長期的に得られる能力ってなんかあんのかな

受験に強くなる」っていう歪な能力しか実は得られてないんじゃないのか?って気がちょっとする

まり、(ありえないけど)全員がせーのでSAPIXやめて、「大学に向けた受験勉強をし始めるのは高3から」っていうのを徹底したら、日本社会は何かを失うのかって話だ

競争社会でとにかく競争に勝つためだけに存在してるものなのか、そういうの関係なく人間としての能力を何か得られる場なのか

どうなんですか?

まあしかし、俺みたいにど田舎で育って、「勉強嫌い!」「ガリ勉ださい!」みたいなノリのクラスメイトに囲まれるよりは間違いなく得るものがあるかあ

はー………

2021-03-06

anond:20210304185755

いや、元々クソみたいに出来の悪い漫画じゃん。

演出っていうかエピソードの語り方が致命的に下手。漫画死ぬほど下手。

作者は「冨樫っぽい絵」を書くだけで説得力が出るとでも思ってんのか知らないけど、キャラや展開についての最低限のエピソード作りすらしない。

適当冨樫っぽい絵を入れて満足してるだけの、めちゃくちゃレベル低い作品だったろうよ。

お前はいったい何を読んできたんだ?

逆に、昔から呪術ファンは何で世間で売れたのか正直わかんないんじゃないの?

出来の悪さが酷ければ酷いほど癖になる、ゲテモノ感覚みたいなとこあったでしょ。

なんでメジャー人気獲得してんだよ嘘だろって驚いてるよ。

この漫画基本的演出すら出来てないじゃん。

なに、あの何の魅力もない先生唐突に「クラピカごっこ」する奴。

恥ずかしすぎて笑い死ぬかと思ったわ。

バトル漫画のくせに、事前にキャラクターの強さを「漫画的に」見せたり匂わせることすらしないんだよなこの作者。

(冨樫っぽいアップ絵でキャラが凄む・ヘラヘラすることが実力の表現だと思っているらしい。天才)

から「秘められた能力を遂に発揮した先生」という場面ではなく、「いい大人が急に20年前の漫画ごっこをしてるだけ」の糞寒い絵になる。

ていうか、何の工夫もなく「20年前の漫画の印象的なコマだけ」をそのままなぞればいい漫画になるはず、って創作者としてどんな脳みそしてるんだ?

前フリとか起承転結かいものを本当に理解できてないんじゃないかと疑いたくなる。

そんなんだから主人公が死んでショックに打ちひしがれる」はずのクラスメイトが、唐突上級生とキャラ紹介バトルを繰り広げたりするんだろうな。

(当然、冨樫的に決着はつかない。それっぽい台詞はやたら言う)

のしょうもない流れ、状況と展開が噛み合ってなさすぎて怖くて泣いちゃった。

嘘、冨樫っぽいことしたいのは分かるけどあまりに下手すぎて笑っちゃった。

しかもあそこで出てくる「予想外の先輩キャラパンダ」て。

パンダ!!!!!

乱馬は30年前だぞと突っ込むのも忘れて震えました。天才にも程がある。

これ以外の展開も、バトル漫画としてはありがちな物ばかりなのに「唐突」で「どうでもいい」としか感じないのが逆にすごい。

唐突なだけで決して「衝撃の展開」にはならないのも流石っす。

「衝撃」というのは事前に読者への誘導があってこそその後の予想外の展開に驚くのであって、「前フリ」すらできてない漫画ではそりゃ衝撃の展開にはなりようが無いのだが。

という感じで、この漫画はとにかくめちゃくちゃ出来が悪いです。

よくわからずに人気っぽいし「まともなジャンプ漫画」なんだろうなと勘違いしてる人は騙されてます全然違います

ブリーチがまともにしか見えない」、というか「比べたらブリーチに失礼」なレベル

最近ネットじゃウマ娘の人気は捏造だとか騒がれてますが、こっちの方がよほど胡散臭いですわ。

ウマ娘プレイしたら普通に面白いのがわかるけど、こっちは読んだら普通に出来損ないなのがわかる。

それだけ覚えて帰って下さい。

2021-03-03

1997

みんな体育館に座って、全校集会が始まるのを待っていた。小声でコソコソおしゃべりをしながら。

一番寒い時期を超え、体育館用の大きな送風機付きヒーターが動いているとはいえ、床はとても冷たく、自分が座っている場所けが徐々に居心地が良くなっていった。

隣に座っていた、あまり普段交流のないクラスメイトが突然、JUDY AND MARYくじら12号を口ずさんだ。

クラッカーチーズワインでフル回転のスクリューはグゥ」…知っているよ、なんて歌詞なんだろうね、でもいい曲だよね。自分も好きだよ。

こちらは声に出して言わなかった。ほんの少し、勝手クラスメイトとの距離感は縮まった。

2021-03-02

anond:20210302091853

「全員が仲良くして、信頼関係のない人間ともクラスメイトになれ」っていうのは都市国家現代人が上手くやっていくために課されている標準的な訓練だ。

いじめの発生は、訓練の失敗例であるからクラスを作ることがいじめの原因だってお前の考えはそれほど的外れじゃないよ。  

ただ、クラスメイトを作ったことのない人間が、いきなり大企業はいったら、そこで初めて同じ部署の仲間とチーム組んだりするんだからな。

それじゃだめだろ。

実際、訓練してなおアホな大人部署イジメ行動すること普通にあるからな。学校クラス体験がなかったらどうなっていることやら。

 

 

あと主題部分は、何をしたかいじめだとか、何々は普通からいじめじゃないとか、そういう話じゃないです。

健全社会コミュニティ形成できるかの話です。

嫌いな奴はいてもいいが、そいつ無視したり殴ったりしなくても上手くやる方法を身につけよ、ということ。

2021-03-01

変人の心にしみたスーパー戦隊

本日、「魔進戦隊キラメイジャー」が最終回を迎えた。変人にとっては大変心にしみた内容だった。

この戦隊、見た目やノリは昭和っぽいのだが、中身はしっかりと令和していた。

「中身は令和」とはどういうものかというと、“価値観多様性を認め、大事にする”というスピリッツが全編通して貫かれていたように思う。

そもそも、いつもリーダーでチームの中心的・熱血な性格に描かれがちな赤が、キラメイジャーでは「絵描き」で基本なよなよしており、

それに変わるチームの司令塔である黄色eスポーツゲーマーというのも非常に今風だと感じる。

名シーンやうなるような展開を上げると枚挙に暇がない。いくつか個人的に印象的だったところをざっくりと挙げてみたい。

(以下はネタバレとなるので、見る予定の人は引き返してほしい)



・「周りの目は気にせずに」「好きなことを信じる」というOPテーマ歌詞

・青をストーカーしていた地雷女最後ピンク百合堕ちする。

ピコ太郎ゴールドに変身すると思ったら「やっぱ俺は後方支援が似合う」と言って変身しない。

・絵が得意でないという子どもに対し、画用紙を引き裂いてちぎり絵をさせる赤。

優等生ぶっているクラスメイトJKに対し、「そのままでいい。むしろかっこいい」と言う赤。

・5つの性格に分離してしまった緑の、マイナス思考性格に対し、時にはそういう面も大事と優しく包み込むピンク

・終盤、クリエイター同士ということで、敵幹部の一人と赤が意気投合し仲良くなる。

などなど。



残念ながら、コロナ流行した時期に撮影放送がぶつかってしまい、数話飛んでしまったが、日曜の朝からテンポよくやけに明るくハイテンションに進行していき、

そして「好きなこと」をエネルギー源とするテーマが、多くの視聴者を元気にし、勇気づけていたのではないかと思っている。

好きなことがあれば、辛い時期も耐え抜ける。コロナ禍の戦隊キラメイジャーで、本当に良かった。


もし、この戦隊学生時代に見ることができたら、どんなに支えになったのだろう。

主題歌歌詞のように、クラスメイト視線なんか関係ない。好きなことを貫こう。そう思えたのではないだろうか。

変人の自負があるオタクの皆さんには、この「キラメイジャー」お勧めしたい。

ます有料配信へ、とは言わないけど、Amazonプライムとかで見放題となった暁には是非。

2021-02-28

今年、大嫌いな女に勝った(と思いたいだけだけど)

今年のバレンタインに、大嫌いな女より早く結婚した。嫌いな女とは小学校中学校が同じだった。眼鏡をかけた頭のいい女で、いつも先生に褒められていた。でも、同級生から嫌われるタイプではなかった。

その女のロッカーはいつも数冊本が入っていて、朝読書時間、読むものがない同級生に本を貸してくれた。彼女が勧める本にはハズレがなかった。私も彼女から何度か本を借りたことがある。これはどう?と言って貸してくれたさくらももこエッセイ自分でも買って、今でも読み返すことがある。

当時クラスはいくつかのグループがあったが、彼女はいつもあぶれていた。でも、何かのイベントがあると、彼女は色んなグループから声をかけられた。彼女がいると、イベントごとがスムーズに進むし、諍いがなくなって楽だったからかもしれない。

勉強ができて、先生から可愛がられていて、地味で、それなのに彼女を嫌う人はほとんどいなかった。優等生だけど、頼めば宿題を見せてくれたし、勉強を教えてくれることもあった。まだ彼女のことを嫌いでなかった頃、宿題を写されるのは嫌じゃないのと尋ねたら、みんなに嫌われないようにしてるだけだよと流された。

彼女のことを嫌いになったのは、中学3年生の冬だ。彼女は1組、私は2組だった。私は1年以上片想いしていたバスケ部男子と、やっと付き合うことができて、3ヶ月経った頃だった。まだお互いの家に行ったことはなかった。

そんなとき友達からあんたの彼氏からMさんの夢を見たって相談を受けたけど、別れたの?」と聞かれた。喧嘩すらしたことがなかったし、3ヶ月記念日を祝う手紙を贈ったばかりだったから、間違いだろうと思った。それに、彼女と私の彼氏とはあまりにも釣り合わないように思えた。確かにクラスは同じだった。でも、勉強なんか全くしないでバカなことばかりしている彼氏は、彼女と仲良くなるようなタイプではなかった。それに、彼女には生徒会長と付き合っているという噂もあった。

少し経った後、別の男子から私の彼氏が「彼女の家に遊びに行ったらしい」という話を聞いた。付き合っていることはごく一部の友達しか言っていなかったから、興味を持ってるふりをして詳しく聞くと「勉強を教えてもらうって口実で日曜に押しかけたらしいよ、勇気あるよな」と教えられた。授業中、彼に手紙を書いた。あの女の家に行ったって本当?と書きたかったけど、放課後聞きたいことがある、というような文言にした。

休み手紙を渡すと、彼氏はあー、いいよ、と珍しく険しい顔で言った。私はああ、たぶん本当なんだな、と思った。噂について尋ねると、彼は「彼女のことが好きと言い切ることはできないが、私のことを好きということもできない。別れるというならそうする」と言った。私は無責任だ、あの女が告白してきたのか、と言ったけど、「彼女は何も言ってないし、誘ってもきていない。俺が勝手に家に押しかけただけ」と言われて、耐えきれずに待っていてもらった友達のところに逃げ帰った。同じ部活女友達ほとんどみんな私の味方をしてくれたけど、最初に夢の話を教えてくれたひとりだけは「ムカつくのはわかるけど、あの子も悪くなくない?」と言っていた。

受験間際だったし、クラスの違う彼女と会うことはほとんどない。でも、先生休みとかなんとかで、1組と合同の体育の授業があった。彼女がひとりでネットの片付けをしていた。私は手伝うふりをしながら「◯◯のこと好きって本当?」と聞いた。彼女は「なんで?ただのクラスメイトだよ〜」とことも無げに答えた。彼女の手がちょっとだけ強張ったように見えたけど、ほとんど「シロ」っぽいふるまいだった。

彼氏とは、別れなかった。1年以上好きだったし、彼はあの女を好きとは言わなかったし、彼女も彼を好きじゃないという以上、私が正しい彼女だと思っていた。

卒業式の後、地元公立高校合格発表があった。私はすでに決まっていたけど、違う高校に行く彼氏の発表を一緒に見に行く約束をしていた。合格の番号を見つけた後、彼は写真を撮って、誰かにメールしていた。こっそり横目でのぞくと、相手はあの女だった。「勉強教えてくれてありがとうちゃんとお礼させてください。」という文章と、番号の写真を送っていた。私はサッと血の気が引くのを感じて、「結局あの子が好きなんでしょ」と言った。彼は一瞬うろたえて、「でも、付き合っているのは君だから」と言った。結局、別れたくないと思っているのは私だけだってことだった。

しばらくその話を巡って喧嘩したり、冷却期間を置いたりしたけれど、やっぱり彼の気持ちは戻らなかった。最後は私がキレて、「もう好きにしろよ」と怒鳴って終わった。

彼女は頼むとなんでもしてくれたけど、テストの点数や好きな人志望校とかのプライベートなことを誰かに教えることはなかった。でも、頭がいいのはわかりきってるし、県内トップ校に行くんだと思ってた。でも、彼女東京高校を受けて、さっさと地元を出て行った。

彼女最後にあったのは成人式の日だ。成人式二次会で、女子はみんなちょっとよそ行きのワンピースとかセットアップを着ている中、彼女は高そうな赤いドレスで現れた。昼間の着物の時とは違う髪形だった。私の元彼が、彼女の手を引いていた。みんながあんたら付き合ってんの!?優等生ちゃんめっちゃ綺麗になったじゃん!と騒ぐ中、元彼は「付き合ってないよ、親友っすわw」と言っていたから、結局付き合ってはいないようだった。ひどい別れ方をしてるし、当然というべきか、彼は私のところになんか一度も来なかった。東京の有名な大学に進学して、綺麗になった彼女を自慢する元彼の姿はバカップルよりひどいと思った。そして、イオンで買った黒いワンピースを着て、着物の時と同じ髪形で、彼が私のことを惜しいと思うんじゃないかなんて思ってた自分が惨めだった。

私は働き始めてから付き合った人から去年の誕生日プロポーズされて、今年のバレンタインデーに結婚式を挙げた。コロナのこともあったけど、田舎から式ができた。でも、ひとりだけ彼女の味方をして、夢の話を教えてくれた友達は、結婚式に呼ばなかった。

繋がっていないFacebookと、繋がっていないInstagram情報から察するに、彼女独身らしい。彼氏がいるとも書いていない。だから、私は少なくとも愛されてプロポーズされたという点においては、彼女に勝ったんだ。馬鹿みたいだけど、私はそれだけで、少しは自分に自信が持てる。大嫌いな女より早く結婚した。子供の頃のことを引きずって、自分に酔っているだけなんだと思う。相手にされてすらないかもしれないし、こんなの無駄だとわかってるけど、こうして書いて忘れたかった。ああ、本当に勝てたらいいのに。

anond:20210227042214

クラスメイトとこれからもどかかで出会ったりかかわったりするの?

女性って男性の処に嫁ぐ可能性のほうが高いので遠くだったらそれこそぜんぜん関わりなくなるし

地元に残ってるのはたいがい公務員とかけっこういい職についてる独身とか親が太いプー

あるいは地元恋愛した人か親の言う人とみあい結婚した人くらいじゃん。

恐れるに足りず。

2021-02-27

anond:20210227042214

残念なお知らせかもしれんが、クラスメイトお前にびたいち興味がない。

いじめたこともさっぱり忘れてるし、仮に思いだしても「なんでわたしあの頃あんなことが楽しかったのかな?」ぐらいに思ってる。

罪悪感はないが、またやりたい気持ちもない。

お前のことなど思い出しすらしてない。結婚報告聞いても名前と顔が一致しない。

 

いじめなんてそんなものだ。

そんなものからいじめることができる。

2021-02-25

anond:20210225233525

リクルート登録して就活するのはそりゃ0円だよ

 

でも随所で奪われてるわけさ

塾に通わなくたって、クラスメイトが塾に通ってりゃ受験産業から奪われてるんだ

人間は哀れなもの

進んで奴隷になる必要なんかないってのに

anond:20210225061752

論点を洗いたいかシンプルにしてるだけだよ。

問題悪化させる可能性があるなら何もしない方がマシ

と言うのは、「いじめ被害者の為に何をすべきか」という問いの答えだが

いじめ被害者八方美人と詰められる恐れがあるから関わらない方がマシ

と言うのは、「第三者はいじめ被害者を助けることより自己利益を優先すべき」という価値観に基づいている

 

まりいじめというクラスで起きた問題に対してクラスメイトは被害者を助けるために出来ることをすべきだが、それよりも自己利益のほうが優先順位が高いとまとめられる。

「複雑な問題に対しては社会制度自体構造改革すべき」というのは構造主義的だと思う。

2021-02-24

anond:20210224154916

追記で取り上げられてた知恵袋の回答に、いじめられてた人が「先生に言ったら仕返しされそうであえて言いませんでした」と書いている。それはクラスメイトも同じだと思うのだが。それを恐れて行動できなかったことを責めることはできないし、それを加害者って言われるのはちょっと…。クラスメイトだって自分以外誰が敵で誰が味方なのかわからない。ちょっとかに庇うようなことを言ったら主犯格にチクられるかもしれない。いじめられている人が一人でどうしようもないように、クラスメイトも一人で空気を作ったりするのは簡単ではないので、責めるのはやめてあげてという感じ。

2021-02-23

anond:20210223084346

なんでこんなつまらものをかけるのかわからない

マスク義務化で誰もクラスメイトの口元を見たことない世界になって、たまたま手洗い場で口をすすいでいる異性のあらわになった口元に目を惹き付けられて見られたほうも赤面してるマンガティーザー広告みたときと同じ

もったいないんだよ。。。

2021-02-22

元増田より、古典を義務教育で扱う理由について

元増田です。はてなでは定期的に出る話題であり、この仕事をしていれば生徒に必ず聞かれることでもありますね。すでに質問増田氏への反応でかなりの部分が議論されていると思います国語先生ごとに考えが多少異なるとは思いますが、現場にいる者として、同じことを生徒に聞かれたと思って、自分なりに誠実にお答えしたいと思います

以下、常体で失礼。


・まず、この疑問への論点はたくさん含まれていると思う。自分なりに整理してみると

日本という国家義務教育で(貴重な時間を割いて、他の教育されない分野を差し置いて)古典を扱う理由教育制度論)

上記の上で、古典選択科目ではない(または高校教育現場で「選択させられている」)理由

学校における古典学習時間は適切な長さであるのか?

学校における古典学習内容は適切なものであるのか?

古典を学ぶことは何かの役に立つのか?(個人レベルでのメリットはあるのか?)

……などなど。


しかし、増田氏の質問古典は、なぜ義務教育の科目なの?」に対して、学習指導要領等を引き合いに出しながら上記のぜんぶに答えても増田氏は納得しないように思う。なぜかと言うと、それ以前の「義務教育(および後期中等教育)とはそもそも何か?」「義務教育に求められているもの本来どのようなものか?」という重要命題増田氏は考えていない(もしくは適切な答えを持っていない)と思えるからだ。


質問増田氏に足りていない視点は「教育とは多様性を前提にしている」ということだ。学校にはあらゆる子供が来る。子供たちは、あらゆる適性・資質長所性質個性能力を持って、学校へやってくる。その多様な子供たちに国から一律のシステムとして授けられるのが義務教育である

子供たちの多様性、というのは学校に勤務していると本当に感じるところであるが、それでなくても、皆さん小中学校にいたクラスメイト、同じ学校にいた児童生徒の「多様性」というものに思いをはせていただければある程度イメージできると思う。

この多様な子供たちに、一律に与える教育が「義務教育普通教育)」というものだ。これは「全国民共通の、一般的・基礎的な、職業的・専門的でない教育」を指す。この時点で、小中学校とは原理的に「個人個人資質能力に合わせた教育を行う」場ではないということが(その是非はともかく)わかると思う。程度の差はあれ、後期中等教育高校教育)も同じようなものである


・そして、ここで注意すべきポイントは「教育経済的効率という尺度はなじまない」ということである

これについて(はてなでは評判悪いが)内田樹がわかりやす説明しているので一部引用してみる。


教育アウトカム単位時間を区切って計ること(つまり効率」を論じること)には何の意味もない。教育を受けたその直後にきわだった成果を示す人もいるし、同じ教育を受けたのだが、その成果が現れたのが卒後50年してからという人もいる。死の床において来し方を振り返ってはじめて「私の人生がこのように豊かなものであったのは、小学校ときに受けた教育のおかげだ」ということに不意に気づくということだってある。 

(中略)

これほどに学びの機会が多様であるのは、「自分が何を学んだか」についての決定権が最終的には個人に属しているかである。同じ教師に同じ教科を同じ教室で学んでも、それによって震えるような感動を覚える生徒もいるし、何も感じない生徒もいる。そのときは何も感じなかったが、何年も経ってから電撃的にそのとき教師言葉意味がわかるということがある。人間はそのつどの成長レベルに従って、自分経験の全体を「私をこのようなものにならしめた要素の必然的連続」として再編集する。必ずそうする。過去出来事意味現在自分状態に基づいて、そのつど改訂されるのである

(中略)

自分が何を学んだかを決定するのは私自である。そして、「誰も同じその人から私と同じことを学ばなかった」という事実こそが私たちひとりひとりの代替不能性、唯一無二性、この世界に私が生まれなければならなかった当の理由形成している。

http://blog.tatsuru.com/2012/03/10_1013.html


そもそも、これだけ多様な生徒に対して同一の教育を与えるのならば、それは最大公約数的なものにならざるを得ない。けれど一方で、そういった最大公約数的なものをどれだけ集めても、一部の児童生徒にとって「役に立たないもの」は、多様性に対して共通教育提供する限り必然的に発生してしまう。そして、「~の勉強は役に立った」「~の勉強は役に立たなかった」という『後付けの、結果論的な』評価もまた、その生徒児童によって異なってくる。例えば元増田にとって数学は役だっても、国語教員の私の役にはあまり立っていない。逆も然りで、古典を学んで僕は役立っているが、元増田の役には立たなかったのかもしれない(けれど、今後の人生で役に立つ機会が訪れる可能性もゼロではないよね?)。「役に立った/立たなかった」という言葉は、それぞれの人生の差、多様性が生み出した、結果論的な、後付けの評価しかない。


・まとめると、その教育が役に立ったかどうかは、後付けでしか評価できないが、多様な生徒全員に「役立つ」教育はごく一部の基本的ものに限られる。よって、多様性を前提にした普通教育は「役に立つかどうか」を基準とすべきではない、という前提が、義務教育を考える際には必要である


・では上記を踏まえ、改めて、義務教育とは何か考えてみたい。おそらくたくさんの学者先生議論されていることだと思うけれど、自分なりの表現をさせていただければ「児童生徒たち(と国全体)への、将来のための、大規模な投資であると思う。(もちろん、これは上記の前提を踏まえた、ある種の比喩表現であることに注意していただきたい)


・前述の通り、ある生徒にとって何が「役に立つ」かは分からないし、卒業後であってもそれぞれの人生様相が変わればその評価も変わりうる。どの教科がいつどのような形でリターンとなるのか(または全くならないのか)わからない、ということだ。

言い換えれば、義務教育の内容選定にはあらかじめ「(ある生徒には)役に立たないかもしれないが、それでもやるべきなので、やる」という前提が入っているし、その前提があるために「全員の直接の役には立たなくても、間接的には多くの生徒の役に立つようになるといいな」という思想が入ってくる。また、「それを扱わないということは、全員に機会損失リスクを与える」という側面もある。

から、リターンがどれだけあるかわからないにせよ、限られたリソースの中で、できるだけ多くのリターンが生徒に(ひいては国全体に)返ってくるような投資を考える、という設計思想になってゆく。


・このような条件を満たす科目としては様々に考えられるが、特に古典思考根本たる母国語に密接に関わっているという点は大きいと思う。そして質問増田氏含め多くの増田議論で指摘してくれていたように、古典は以下のような理由上記の条件を多く満たしている。


・「自国の古の言葉から国民として学ぶべき」「愛国心の育成」(国家というアイデンティティ形成

・「文化の発展」のため(「春はあげぽよ」で笑いを一つ作るのも文化の発展の一つの形)

歌舞伎などの歴史ある文化和歌集などは誇れる文化である

人文学研究の基礎体力として(研究者は国家必要で、大学等で研究を進める際に古典ゼロからだと困る。)(たとえ研究しなくとも、国民知的レベルを上げられる。ちょっとググりたいとき学校で学んだ知識があると有用なことも多いし、知らないことは検索もできない)

学習すべき内容が時代によって大きく変わらない(日進月歩学習内容の変遷が激しい分野は義務教育には不適)

現代日本語に繋がる、語学学習として。(現代語をより豊かに用いるため)

・「故きを温ねて新しきを知る」、長年読み継がれてきたものを読む(教育において、精神論の何がいけないんだろう?)

古典籍という膨大な一次情報に各個人アクセスできる(源氏物語などに顕著だが、現代語訳がすべてのニュアンスを残せているわけではない。また、現代語訳のないマイナー古典籍が例えば古い災害の記録になっていることもある)

・「論理的な推測」を学べる(「~の気持ちを答えよ」問題はよく槍玉にあがるが、大抵は本文に論理的な推測の範囲で心情が書いてあるので、読解問題であるそもそも言語を扱うという行為じたい「論理的な推測」を行う行為なので、よほどひどいものでない限り、最近のものは全文をきちんと読めば適切な出題だと思う)

教養(あるいは常識)を学べる



・あとは、自分にとって古典がどのように「役に立つ」のか(あるいは現時点で役に立っていないのか)、各個人評価をそれぞれにすればいい。そして今度は、より大きな視点に立ったうえで、改めて教育の中の古典位置づけやあり方、内容を考え直すということを考えてしかるべき、そんな時代であると思う。もちろん、法律情報処理の勉強大事なのは言うまでもない(ただし、プログラミング教育導入される方向でどんどん進んでいるし、現行の公民分野にも法律はそれなりに入っているはず)。他にも様々なことが教育には要求されていると思うし、その中での取捨選択優先順位の付け方は、きっと社会全体でなされるべきなんだろう。けれど、それは「役に立つ」という価値観に縛られるべきではないということは強調しておきたい。

あえてここでポジショントークをするならば、古典学校で扱うべき理由は、先ほどの条件を満たしていることに加えて、「千年単位で変わらない本質的事柄」とは何かを生徒に示唆してくれ、時間的なスケール感の大きさに思いを馳せる時間を持てるという点だと思っている。(そう思って前の共通テスト古典分析を書いていました。授業でもよく言うんだけど、千年前に妻を亡くした人間が、現代人とおんなじようなこと考えてるって、結構安心しないですか?)


・これが生徒に対してなら、上記の話はやや難しく話が長すぎる。自分担任をした生徒(物事意味について考えようとする人物だった)には、例えばこう話したことがある。

「今あなた意味を感じていない世界史を、例えば学ばなかったとしましょう。(あなたにとって何が意味を持つのかは今の時点では分からないので、それもあなた自由ではあります。)そしてそのまま大人になります。その時、あなた世界史の知識を元とした発想やアイデアを失うだけでなく、その発想を失ったことそのものにさえ気づけないことになります。つまり自分可能性が狭まっていることにさえ気づけないでしょう。あなたなら、その怖さってわかるんじゃないですか」

(いちおう、この話をしたこの生徒は、世界史の勉強について、成績は別にしてもこの生徒なりに考えてくれたようではある。後から他の先生にこの言葉意味について話していたらしい。)

これが古典なら、別な増田が言っていたように「矛盾語源を知らない」ことの機会損失について話すことになるだろうか(矛盾故事は中一の教科書に載っている)


・おそらく質問増田氏にとって(多くの生徒と同じように)古典は役に立ちもしなければ面白くもない科目だったのだろうと思います自分はなるべく古典面白さやエッセンシャルな部分を伝えるべく授業で努力をしていますが、もちろんそうでない先生もいます。また、今回は触れなかったけれど「入試対策」という四文字が実際の古典学習に与える影響は計り知れず、本質から外れた苦行的な暗記学習パターン学習が強くなってしまっている現実には自分ジレンマを感じないわけではないです。古典という科目が抱えた問題点や古典嫌いを生むこの構造的な病理は、なかなかに根深ものがあるのもまた事実最初に挙げた①~④の論点あたりにはかなり課題もあるでしょう。

(少し話題はそれますが、前回の共通テストエントリを書いてから他教科の同僚と話していて至った結論は「共通テストはより学問エッセンシャルな部分に近づけられている」というものでした。大学入試が変われば高校進学校勉強も変わるので、これは良い兆しです。共通テストには今回のような学問エッセンスを込めた入試問題を作り続けていただきたいと思います。)


・ただ、今回の質問増田氏のような生徒に対して自分が感じるのは、もっと広い視野物事を見て欲しいという気持ちです。綺麗事かもしれないけれど、自分にとって意味がないものに見えても他人にとって意味があるものもあります。もしかしたら自分にとって後々意味が出てくるかもしれません。けれど、そのように意味をとらえなおすことができなければ、いつまでも古典仮想敵のままでしょう。国語教員である自分がどれだけ古典の魅力をここで語っても、それはやはりポジショントークに過ぎません。意味というのはやはり自分で見つけるものだし、見つからないことだって往々にあるでしょうから、それを受け入れることや合理化することだって大事な「勉強」です。

(今回の話題に関連して、最近読んだ本だと、SF作家森博嗣が出した「勉強価値」(幻冬舎新書)が、ツッコミどころも多いながら興味深かったのでオススメ。)

それに、自分にとって意味が無いと思っていたものがこんなに深く豊かな世界内包していたんだと気づければ、それは素敵なことです。少なくとも、それを認めることが多様性をはぐくむ態度であると思います


P.S.

これを読んでいる生徒の皆さんへ(元生徒さんでもいいです。笑)。


自分にとってイヤだったり不得意だったりしてもいいし、つまらないと感じることもいいです(わからない・つまらないは教育する側の問題なので、どんどん声をあげてください)。けれど、だからといって排除することは、自分可能性が消えるという別な問題を生みます自分がイヤだったものをイヤなまんまで自分の中に置いておくのもしんどいことだろうなと思うので、ちょっとだけ面白ものを紹介しておきます

からでも、古典に関する自分評価を変える機会になればいいなと思います。頼めそうなら、複数の生徒で担当先生もっと面白ものを扱ってもらえるようにお願いしてみるのもいいかも。先生は案外、そういう授業に飢えています


https://kawadeshobo-blog.tumblr.com/post/129340109097/町田康訳奇怪な鬼に瘤を除去される宇治拾遺物語より

↑これを読んで


https://www.koten.net/uji/gen/003/

https://www.koten.net/uji/yaku/003/

↑その後、これと見比べる。これだけでも立派な古典勉強です。

2021-02-21

テストで寝るにも限界がある【ビリだった話】

人生で受けたテストの半分は何も分からなかった。

いや、小学生の頃は大体分かったから、

正確に言うと中高6年間の半分だ。

中学の頃は英語現代文数学だけ。

英語強制がすごかったから分かる。

現代文はまあ日本人だし。

数学普通に好きだったし、音楽聴きながらやれるし、落ちこぼれたら終わりって聞いてたから割と真面目にやってた。

社会理科は、授業さえ聞いていなかった。

寝てるか、遊んでるか、窓の外を眺めているか、まあそんなところだったと思う。

レポート友達のを参考にさせてもらい、

試験は30点程取ってなんとか乗り切っていた。

中2の終わり、私の成績は学年下から何番目で、

中3、私は少し勉強した。けっこうできた。

そのまんま高校に行った。

高校に入ると、友達勉強時間を競った。

から高1は普通の成績でいられた。

高2になると勉強が難しくなった。

5月、私は少し頑張った。

結果は下から数えた方が早かった。

7月勉強したけどよく分からないことが多くなった。

結果は下から数番目とかだった。

夏休み記憶はない。

10月、ビリだった。

そこからずっと、卒業するまでビリだった。

ビリの生活は辛かった。

授業は何も分からない。分からないなりに必死に聞くべきだったのかもしれないが、宇宙語を聞くのは15分が限界である。ただの苦痛時間だった。

課題は出せなかった。分からいから。

友人には聞けるわけもない。誰も私に時間を割きたくないだろうし、私もこれ以上皆の迷惑になりたくなかった。授業を一切理解していない私の様子は側から見ても恐らく浮いていて、しかも多動だから隣の席の子迷惑だったと思う。頑張っているクラスメイト申し訳なかった。

テストは1問も分からないので全部宝くじと考えていた。この頃には英語数学限界に達していたので真剣に解けていたのは現代文だけと言える。

記号はイかウで埋め、記述は1番後ろの回収の生徒が引かない程度に埋めることを意識した。埋めることに目的があるため、内容はあまり考えていなかった。

これを遂行すると大体10分で埋め終わる。

突っ伏して寝たかったが、私の無駄に大きなプライドがそれをさせなかった。私がビリなのは皆分かっていると思うが、これ以上目立ちたくなかった。少しでも周りに解いてると思われたかったので、歌詞を書きおこしていた。

先生にはこのままだと卒業できないと言われた。

クラスメイトとは少しずつ心の距離ができた。

家族もめちゃくちゃになった。

私も自暴自棄になり、

今度は試験に立ち向かうという行為自体億劫になった。

試験開始1分で寝て、試験監督に「大丈夫?」と声をかけられたこともあった。

もう試験に行きたくなかった。

行っても寝るか絵を描くか歌詞を書くか。

ならば行かなくてもいいのでないかと思い、ブッチした。テストで寝るにも限界がある。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

訳の分からない終わり方になってしまったが、私は高校を無事に卒業することが出来たしセンター試験ではかなりの高得点マークした。高校では授業についていけない余りに学ぶことを放棄していたが、その分「私も人並みに学びたい」という思いは強まっていたのである。こんな奴が大学生というのは如何なものかという意見もあるだろうが、今、私は学びたい。

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