はてなキーワード: がっかりとは
みたいな主張をまあまあ見るんだけど……
そりゃ、「恋愛だ!」って確定させる描写ではないことは理解できるんだが
「恋愛じゃない」ってことも確定してるとは思えない場合が結構有ってな……
そういう一言で言えない空気感だからこそ作品描写によって表現してるとも言えるわけだし
そもそも「恋愛」というものだって人対人の関係なわけだから、組み合わせによって在り方なんて千差万別であって、
本人たちの意識下で「恋愛かどうか」が判断基準になるべきだと思うんだよな
例えば肉体関係が有ったって、本人たちの定義と外れていれば恋愛ではないし、
当人たちがアセクシャルで有った場合(アセクシャルにも色々あるけど)は、ヘテロセクシャルから見て「恋愛しているような記号的表現」が無い場合でもしっかり恋愛していることってあると思う
その「本人たちの意識下」、というこちらの主観では測れない物を作品の中の描写から少しずつ拾い上げてやっと、「恋愛なのかそうじゃないのか」が判断できるのに、
「恋愛じゃない!」という発言をしている人の主張って大体「自分の考えている(今まで見てきた)恋愛に当てはまらない」というものばかりで何だかモヤモヤしてしまう
まあそうじゃない人もいるのかもしれないけど、繰り返しがっかりさせられてきてしまったんだよね
恋愛が主題の作品でなくても、登場人物たちには出来事や対峙する相手への感情ってのは当然にあるわけで。
その感情が当人の基準で、ストーリーの流れの上で恋愛に当てはまることだってあるんじゃないのか?
だって、ストーリーの盛り上がりには、強い感情が付き物だろう。
その強い感情が恋愛感情とは限らない。友情である場合も、友とは別の仲間意識である場合も、敵にしか抱けない信頼であることもある。それと同量の可能性として、恋愛感情だって存在するわけで。
そうすると、「恋愛感情だけ」を必死に可能性として排除しようとしている方が、過敏すぎる気がしてくるんだよな。
「恋愛じゃない!」の主張で枕詞的に使われてる「安易な恋愛表現」ていう文字列も、必要以上の侮蔑を感じてなんだか戸惑う。
安易ってなんなんだ……。そんなに恋愛感情を簡単でシンプルで解しやすいものだと思っているということか?
恋愛観だって友情の形だって人それぞれで、その人同士の組み合わせになったら、他のどの関係とも同じように「その関係でしか成り立たない形」になるのに……?
深いわー、とか、神作品!みたいに旧作を見た当時は思ってたけど、
結局シンジに自己投影して、自分がバブみある世界に浸りなかっただけじゃんって思っちゃった。
ミサトさんみたいな包容力ある大人の女性に、アスカみたいな同い年の女の子に(しかも自分の1番嫌なところを見ても好きでいてくれる仕様)、無垢な美少女でありママ本体のレイにひたすら好かれて、注目される。バブみの極み。
バブみ足りちゃったから今作では女性陣全員他に相手見つけたり自分の家族を作ったり幻として消えたりして卒業。シンジも卒業。なんじゃそりゃ〜
モヨコさんと結婚してバブみ足りて幸せだけど、次はオモチャに没頭してた(アニメ制作の仕事に没頭してた)自分がいなくなって葛藤。
勝手にエヴァ最高!ってなってた自分のせいだけど、あんなに深みあると思ってた作品の本体が、
増田ではもう多分おなじみで飽きられてる例の話題における「女性の表象」について。
今週いろいろ考えていたことを書いておきたい。
多分この文章は文脈的にも時期的にもアンチフェミだとみなされると思うんだけど、自分j心にはそんなつもりはない。そもそもあの変な議連をフェミだとも思ってないし。
むしろ自分としてはクリエイターとしての違和感と普段の気持ちのメモとして残したい。
文章畑とはいえ自分はクリエイターでいわゆるオタク界隈でくらしていて商業化もコミカライズもしたっていう立場だけど、多分立場そのものとはあんまり関係ない。
はじめに感じたのは「なんか雑だな」という気持ちだった。
「女性の表象」というざっくりした単語の選択と、そこに込められた視線についてだ。
昨今のオタク界隈クリエイターとして女性キャラはいっぱい作ったし書いてきた。ヒロインとしてサブキャラとしてモブとして。それぞれに主入れを持って作り込んできた。それって「女性の表象」なのか? 自分は「女性の表象」を描いてきたか?
その答えは一般的にはYesではあるけれど、自分自身の中ではNoだ。
一般的なボリュームのラノベをささっと書くのに、自分は調子が良ければ大体三週間くらいかかると思う(念の為にこれは完成に要する時間ではない)。もちろん作中ではいろんな事が起きるし、ヒロインやヒロインとの関係は重要ではあるけれどパーツの全てではないので、この時間はそのままヒロインを描くのに使った時間ではないけれど、ひとつの参考としてそれくらいかかる。
そして読むのは早ければ二時間弱とかじゃなかろうか?
つまり作るのにめちゃくちゃ時間がかかってさっくり消費できる。これは文章畑に限らずコンテンツは何でもそうだと思う。むしろ文章畑なんてすごく素早く手軽に作れるジャンルで、映像やゲームは桁違いに時間がかかるだろう。
実際そういう現場に協力することもあるけれど、気が遠くなるくらいの人手と時間と、つまりはリソースが消費される。
それだけの時間を投下して、「女性の表象」をつくって、満足できるかといえば、自分はできない。
嫌われるかもしれない言葉をつかうけれど、正直に言う。
現実の女性の方々に訪ねたいけれど、たとえば大好きな人ができて、そのひとと来週デートするとする。初めてのデートだとする。
胸がはちきれそうなほど嬉しいとともに、膝が震えるほど怖い。なんだか冴えない一日になってしまうのが怖い。がっかりされるのが怖い。思ったよりうまくしゃべれないと思うと怖い。相手の期待ほど可愛くない自分だったらと思うと怖い。
そんなときはないだろうか? そんな時何らかの努力をしないだろうか?
自分の知る限りの知己もいままでめぐりあいのあった女性も、すごい何かをしていた。正直男性である自分からは理解しがたいほどのエネルギーをそこに注ぎ込んでいた。
その日その瞬間を「いい感じ」にするために、髪型や服を整えて、時には体型やら自分の好みまで変えて、とっておきを提供しようとしていた。そういうのを見ると恐れ多いような頭が下がる様な気持ちになったのを覚えている。
デートの時にやってくる「一番好的な彼女」というのは上記のような女性の努力の、つまりはクリエイトの結果だと自分は思っている。
ディズニーのいうありのままの自分がなんだかよくわからないけれど、彼女たちは、確かに自分自身を超えた自分を顕現させようとして、いっときそれに成功する。
自分はそれを偉大だと思う。女性だからとかそういう理由ではなくて、クリエイターとして尊敬する。言語化出来ているかどうかは定かではないけれど、彼女らはなりたい自分をクリエイトして作ったからだ。
創作物には、描きたいものがある。その描きたいものが例えば出会いとか、別れとか、嬉しいとか悲しいとか楽しいとか懐かしいとか、恋とか、そういうものがあって、その過程で必要となってヒロインがいる。
卑俗なところで言えば、可愛いとかもっと見ていたいとか、エッチなことをしたいとかでも良い。とにかくそういうエモーショナルな何かを伝えたくて創作物を作る。
女性のキャラは、例の言葉を借りれば女性の表象は、そのための道具に過ぎない。大事だし思い入れもあるけれど、過程に過ぎない。読者に伝えたいもののために必要であれば何かを盛るし、邪魔であれば削る。
それは現実の女性には不可能だ。だって現実の女性は主人公のために、あるいは読者や視聴者のためにだけは生きられないでしょう? 現実の自分の生活があって、趣味もやるべきこともたくさんあって、理想の魅力的な自分だけでは生きられないでしょう?
世の中で言われている萌キャラなんてものは、愛されるために生まれてきたものだと自分は思う。自分が関わった仕事は、全てそのつもりで仕事をしてきた。現実の女性と違って、彼女らはそれに全力投球だ。なぜなら、それが彼女らの存在意義で、全てだからだ。そのために生まれたからだ。
それ以外の私生活なんてものはない。あるように見えたとしたら、それは覗き見される前提で作られた、いわば公開用の私生活だ。飾り気のない普段の姿、という形態の作り込まれた物語にすぎない。
つまり、創作物のキャラは、現実の女性がデートの瞬間ほんの一瞬だけできる「すごい自分」でいるのをフルタイムで続けられる存在だし、それが存在価値だ。何ヶ月も、場合によっては何年もかかって産み出されて、一瞬で消費される。その巨大なコストを代償にして、現実を超えるために産み出されるのが創作物のキャラクターだ。
自分は、「現実を超える」使命を持った創作物が、そのために悩んでカロリーを叩きつけた創作物が、「女性の表象」だなんて、そんなふうに単純化されるのを我慢できない。
たとえば、あるヒロインの不安と絶望を表現するのに、創作者は雨を降らせることができる。人気のないコンビニの駐車場の暗がりを作ることも出来る。つながらないSNSを登場させることも出来る。それらは舞台背景であって舞台背景ではなくて、彼女の内面を表す暗喩だし、読者に感情移入してもらうための動線だ。
そのキャラクターが気高くて必死で尊敬に値すると伝えるために銃弾の降り注ぐ戦場も用意できるし、水晶の花咲く庭園でのダンスシーンも描ける。
彼女の魅力を伝えるためなら、そこまでやる。女性としての魅力を伝えるためにもし必要だと判断するならば、女性の体さえ抹消する。耳やら尻尾やら砲塔やらを生やす程度なら序の口で、人面蛇身にすることもあるし、なんだったらAI宇宙船の金属筒に収められた脳髄だけの少女なんて世界観にすることも出来る。
雨やコンビニや水晶の庭園が女性の表象かといわれれば誰もがNoと言うだろうと思う。でも創作者の中でそれは渾然一体で不可分だ。その時それが必要ならつくるまで。舞台だけじゃなくて、演出も、エピソードも、言葉選びも、同じ語句をひらがなで書くか漢字にするのかさえ、伝えたいものを伝えるための道具であって、ヒロインと等価で同じものだ。
読者や視聴者の人に、紙面やモニターの向こうで、恋をしてもらえるなら、涙してもらえるなら、どれだけカロリーがかかってもそれら全部はやるべきことだ。
つまりやっていることは「女性の表象を作ること」なんかじゃないのだ。青椒肉絲定食を作ってるのに対して「ピーマン切るのは許可されるか」「いやピーマンは不許可だろ」みたいな議論をされてる置いてけぼり感。
こちらはピーマン千切り業者をやってるつもりはないし、ピーマン千切りを提供したつもりもない。もっといっちゃえばお前らがいじくり回してるその皿には、パプリカは入っててもピーマンは入ってないよまである。あるいはししとう叩いて大喜びだな、なんてのも。
以上で率直な感想は終わりだ。フェミがどうこうとか性的搾取とかは、自分にはよくわからない。
でもこっちは現実の女性を周回遅れにする純度のために何かを描いてるので、現実の女性の投影であるとか、模造であるとか、そういう雑な用語選びは好きになれない。という話だと思う。
私はお笑い芸人のOさんがとても好きだ。
どこが好きかというと、面白いのもあるが、とても可愛いからだ。見た目は全然可愛くないが、何か、生態がかわいい。
なぜ可愛いと感じるのだろう?と考えてみた。
まず、とても素直だ。ほめられると、わーい!と素直に喜ぶが、容赦なく攻撃されると、ひどいよー!と素直に落ち込む。
大好きな人には、素直に好き好き!と伝え、大嫌いな人にはコノヤロー!と暴言を吐きまくる。
私は、それぞれのシチュエーションのOさんが、なんともかわいらしくていじらしくて、好きだ。
Oさんは、学生時代にいじめにあっていたと話していたが、なんとなく、分かる。
いじめている側が、いじめているつもりはなかったという証言や、ストーカーやセクハラをする側が、嫌がっているなんて気付かなかったという証言をよく聞く。
それは、容赦なく攻撃してがっかりさせたり、大嫌いな存在を隣に置いてみたりして、対象のかわいくていじらしい姿を見たい・感じたい一心で、相手の気持ちを慮ることがふっとんでしまうからではないか。
喜ばせることが好きだった人間も、意地悪な一面を引き出されてしまいそう。
でも、好きなのだ。
あんな面もこんな面も見たい。
芸能人ってそういう人が多いのかもしれない。
「繊細さんが生きやすい本」みたいなのネットで試し読みしたけど「繊細なのは生まれ持った気質」と書いてあってがっかりした
自分も繊細、と言うかそんな良いものではなく豆腐メンタルとかそっちのがしっくりくるがとにかくメンタルが弱い。ちょっとしたことでも落ち込むしすぐに疲れる。そしてそれは何か悲しき過去がきっかけでそうなってしまった……と言うものはなく生まれつきというものがはっきり言える。普通の生活を送ってきた小学2年生くらいから誰かから怒られるのを異様に怖がっていい子を頑張ってきた記憶があるからだ。
大人になればメンタルがちっとは丈夫になると思ったが実際なってみると何も変わらない。
考え方を変えるとか色々やってみたが、不意の一言でいちいち傷ついたりするのは結局変えられなかった。
逆に姉はとても鈍感で図々しい性格なのだが(本人も認めている)それも自分の小さな頃から大人になるまで全く変わっていない。
人に迷惑をかけても罪悪感など全く感じておらず(というか迷惑をかけているとも認識してない)非難されてもむしろ非難した方が悪いと主張する見習いたくはないがある種幸せそうな性格をしている。
言い方が刺々しいのは自分が長年迷惑を被ってる側だからである。
つまり、鈍感に生まれたものが罪悪感など感じることなく幸せに暮らせるのだ。羨ましい。
メンタルが弱い気質で生まれてしまったものは一生このままなのである。三つ子の魂百まで。手放すには転生でもするしかないのである。
繊細だか豆腐メンタルだか分からないがそれでいいことなんて今まで殆どなかった。
漫画や映画や音楽の創作物に感動出来るのだけは良かったが、本当にそれだけで、結局仕事に出来るほどの才能も無く、それなら鈍感でいられた方がよっぽど良かった。
あのさ、何の反論もないよね?論破されてしまったの?ゴールライン動かすなって言ってるのわからないの?所得税一年免除だとよ。誰が困るの?これ
まず立憲は国民が求める政策を打ち出しましたすみませんと謝罪しろよ。立憲の方針にがっかりしたとか言う増田にいいねしてたやつら。実現可能性の議論の前に謝罪しろ。イメージで叩いて印象操作してすみませんでした、は?ん?
その順序を踏まずに実現可能性がーとか言うやつは唾棄するしアホと認定してよい。まず立憲民主党は国民が求める政策を打ち出せてないと決めつけた罪を認めて謝罪しろよ。そこから始めて議論の席に着けるってわけだから。アホは去れw
あ、いっとくけど実現可能性にも穴はないからwここで言わないけどw謝罪があれば解説してやるよw気になるんなら自分で調べればあ?w
二次創作つながりでフォローされてフォロバした人をミュートした。二年くらい繋がってたのかな。最初は普通にやり取りしてたけど、最近は嫌になって、相手がリプライしてこなければこっちも何も言わないことにしていた。
そのフォロワーはずっと夫の家庭内暴力に悩んでいるというツイートを夜中に連投していた。凄まじい暴力の証拠写真が添えてあることもあった。当然ながら見た人は心配する。だが大丈夫ですと彼女は言う。
だけでなく、心配されることが負担のようなことも言う。誰かが建設的な提案をすると(こんな相談電話があるよとか)、試してみるらしいのだが、その電話窓口が猛烈やる気なかったことにがっかりして、まあ相談してみては?と提案した人こそが余計なお世話をしてとか無責任だとかで悪かったように言う。
要は典型的なメンヘラなのだが、メンヘラだと思われたくないらしく、自分が助けてもらえないのは自分がつまらないことでDVをされたと騒ぐヘタレだからで、自分は強くならなければならないと、しおらしいことをいう。
自分が鬱陶しいツイートばかり繰り返しているという自覚はあるようで、「リムーブ・ミュート推奨」とプロフに書いている。が、誰かにブロックされたりリムられたするとネチネチ恨み言を連投する。一言でいえば、やっぱりメンヘラ。
しかし、彼女をミュートしたおかげで、心削がれる恨み言を目にすることがなくなった。正直趣味と全然合わないなと思っていた前衛的なアートもRTで回って来なくなってせいせいする。
舞台は、海街ダイアリーのすずが鎌倉にやってくる前に住んでた、田舎の温泉街。
すずの弟と温泉街の人々の話。
・・・なんだけど。
なぜなら、すずが飛び出してきた田舎の閉塞感がそのままマンガになってる感じで、カタルシスがほぼないから
ひたすら暗いし、人間関係や設定もやたら複雑で、お話に関係ないことまでむやみやたらと文字で説明されるから、読んでて疲れる
まあそういう込み入った関係や読者をうんざりさせるのすら作者のねらいってんならそれは大当たりだけど
海街ダイアリーの続編として読むとがっかりした、少なくとも自分は
外に飛び出したすずと対比して、外に飛び出せなかったコミュニティの内側を描くってのはわからんでもないけど・・・
マンガってよりかは設定を読まされてる感じでおもんなかった
前に下の日記を書いた。
https://anond.hatelabo.jp/20210604171234
今回、約2ヶ月かかって、一つの社内向けプログラムを完成させることが出来た。
(社内dbにアクセスし、SQLでデータを引っ張り、それを整形するプログラム)
プログラム自体は、何も考えずただ動くことを目標に書いていたため、
行数が1600行にもなり、自分以外誰も読めない可読性(最後の段階で必死に適宜コメントを入れた)を持つプログラムとなった。
現在、1部署でテスト稼働しており、問題なければ県内の各拠点で使用されることになる。
同機能のソフトを外部に見積もったときは50万円とのことだったので、そこまではいかなくとも
いくらかの価値?と言っていいものかわからないが、30分かけていた作業が5秒で終わるものを作ることができた。
何が言いたいかというと、世の中のプログラマーの人達はほんと凄いなと思う、ということだ。
見渡せば身の回りのものほとんどが電子機器であり、テレビや扇風機、信号機、いろんなものが誰かの手によって
構築され、知らぬ間に恩恵に預かっている。本当にありがたいことだ。
今回、テスト稼働をするときに、納品とまではいかないが、それに近いドキドキやちゃんと動くかどうかの不安を味わって、
プログラムの知識がない人からしたら、ちゃんと動くことが当たり前で感謝もされない、
技術に対する理解をこちらから押し付けるわけにもいかず、粛々と対応するしかない歯痒さをなんとなく味わった。
日常をなんとなく過ごせるのも、WEBで面白い体験ができるのも、ゲームで嫌なことをわすれられるのも
プログラムに触れれば触れるほど、ああ、先人は凄いと思うばかりです。
表記の件について意見募集が開始された (https://www.digital.go.jp/posts/ckWVVAya) というので仕様(https://cio.go.jp/sites/default/files/uploads/documents/digital/20210917_spec_01.pdf)を見たら、なんか国のお墨付きの個人情報の名簿登録補助ツールみたいな上に、証明書としては全然機能不足にしか見えず、がっかりした。
批判だけでもなんなので、自分ならこういうの作るという意見書出しといた。
などの理由から、有益とは思えないし、電子証明書としての信憑性も非常に疑わしいシステムしかできないように思われる。
この仕組みを活用したい立場としては、「接種者の個人情報」ではなく、「二次元コードを提示した人が接種済みであること」が確認できればよいので、
2. 申請した個人(ないし端末)毎に、APIサーバでユニークなIDを発行する
3. システムの接種確認用APIに2.のIDを付けたURLをQRコードで表示する(IDを種として、ワンタイム識別子をアプリとサーバで計算するなどの設計も考えられる)
4. APIにアクセスすると、接種証明情報として、最終接種回数と接種日のみを返す
2. QRコードのURLが偽サイトではないことを検証する(HTTPSのSSL証明書確認ぐらいでも十分で、政府が発行する公式アプリとすることで信憑性を担保する)
もっと踏み込むと、国として、接種証明として表示した国民の個人情報が、民間企業において確度の非常に高い顧客名簿になりかねない、という点については、どのように考えているのかはなはだ不安を感じさせる仕様と言わざるを得ない。
(ここまで)
いま読み返していて単純に「IDを種」にするだけではダメなことに気づいた。申請時にワンタイムトークン計算用の秘密の種を共有しておいて、個人(端末)の識別用IDとワンタイムトークンをAPIに渡すようにする、とかが必要だった。
国民の個人情報を、わざわざマイナンバーカード使って本人性を保証した上で自動読み取り可能な形でスマホの画面に表示するだけのアプリって、どこぞのeKYCの対極ネタとしては面白い(面白くない)。
考えすぎてもはや自分の容姿が客観的にどうなのかよく分からないけど、素は結構なブスでばっちりメイクして着飾れば普通かちょいブスくらいだと思う。
そんな容姿で数十年生きていれば普通はブスなりの諦めとか処世術とか身についてくるんだろうけど、私は未だに自分のブスさに悩み、絶望し続けている。
私は幼稚園の頃から眼鏡をかけていた。小学校も半ばになるととんでもない癖毛が発現した。当時はナル〇ヤ系ブランドが流行っていて、『もどき』のちょっと派手な服をたまたま一着買い与えられた。これはちょっと似合わないような気がする。でも鏡を見ない限り服だけが目に入る。可愛い、テンション上がる!
と引かれた。「お母さんが勝手に買ってきたんだよ」と強がった。
おしゃれをすることと、可愛らしい格好をすることが怖くなった。ぐりぐりの癖っ毛をショートカットにし、お下がりでボロボロのパーカーとジーンズを着た。眼鏡はなぜか無難な横長のレンズじゃなくてまんまるなやつをかけさせられていた。おまけに度が強いのでめちゃくちゃ目が小さく見える。
それでも私は密かに希望を抱いていた。なぜなら、それらは言わば足枷だからだ。
眼鏡を外した自分の顔を鏡で見ると、なかなか可愛かった。鼻はちょっと大きいけど、見慣れれば平気なレベル。目はぱっちり二重だし悪くないんじゃない? コンタクトにして縮毛矯正をかけられる時が来たら……見てろよ!
似たような経験のある人にはお分かりだと思うが、これはかなり危険な勘違いだ。鏡の前では誰しも『良い顔』を作ってしまう。しかも私の場合は裸眼だと鏡にかなり顔を近づけなければよく見えなかったので、至近距離からパーツごとに凝視していたことになる。全体のバランスが全く見えていなかった。
中学に上がったらもっとあからさまにブス扱いされ始めた。クラスのヤンキー達から陰で変なあだ名をつけられてクスクス笑われていたらしい(何ヶ月も続いた後にようやく知らされた)。あと、ブスハブりというか、差別。いじめと言うほど積極的ではないにしろ、クラスの可愛い子達、運動ができる子達、コミュ力の高い子達からスッと避けられる。あとに残った、(私の脳内では私より)極端に根暗な子達と仲良くするしかない。友達を選ぶ権利もない。いじめではないからどうにもできないが、私にとってはこれが一番堪えた。
それでも希望はある。高校に入ったらコンタクトにして縮毛矯正も許可するって親が言ってくれた。卒業まで耐えれば大逆転待ったなし!!
そして待ちに待った高校に入学した。私は美少女に生まれ変わった。いや、これが本来の姿だったのだ。さあ、今後毎日お弁当を食べるグループが決まる瞬間。隣の席の可愛い子、その前の席の可愛い子、後ろのいかにも運動部な子よ、仲間になろっ!
……ダメだった。彼女達は私など視界にも入らないかのように三人で机をくっつけてお昼を食べ始めた。私はあれよあれよと言う間に近くの席の変わり者達に取り込まれ、一年間そのグループでごはんを食べた。これでは中学校と同じではないか。一体なぜ。
行事の際に集合写真を撮った。そこに写った自分は美少女ではなく、能面みたいな顔だった。丸顔なんだか面長なんだかよく分からない縦にも横にもデカい顔に『見慣れれば平気』どころじゃない巨大な鼻とそれを際立たせるちんまりとした口。大きくて綺麗だと思い込んでいた目は巨顔に占める比率で言えばむしろ細く、まりもっこりみたいな三白眼でかまぼこ形だった。それらのハーモニーが最高に気色悪かった。
さて、ようやく自分がブスであることを悟った私は希望を失い、それまで以上にブス扱いに傷つくこととなった。
メイクやファッションを学び、失敗を繰り返しながらも徐々にマシにはなった。しかしメイクには限界があり、鏡の前で「お! イケてるんじゃない?」と思っても他人から見れば誤差のレベルで、特に複数人の中で比較されてしまえばほとんど意味はない。大人になれば流石に真っ向から「ブース!」と罵られることはないが、一緒にいる可愛い同僚だけ毎日褒められたり、とある男性社員からブスとデブだけ嫌がらせを受けていることに気づいたりして、その度に深く傷ついた。ブスならそんなのよくあることだし、そもそも毎回褒めそやしてもらえるほどの美人の方が少数派でブスがそれを望むなんてちゃんちゃらおかしいと頭では分かっているのだが、思春期までずっと「私は本当は可愛い」と思い込んでいたせいで余計に受け入れられない。新しいコミュニティに入るたびに、ついつい美人扱いを期待してはがっかりしてしまう。本当に馬鹿げている。
整形すればいいのでは? と思われるかもしれないが、そこまで大掛かりでない整形で何とかなりそうなのが鼻くらいしかない。顔も頭も大きい、目の位置は高い、顎はない、酷い巻き肩が治らないのも悩みだし、手足はかなり短い。肌質も髪質も声質もゴミだ。よくアイドルなんかが「顔の輪郭を髪でごまかしている」と馬鹿にされているがご存知だろうか、輪郭を髪で隠すにも素質が必要なのだ。顔が生え際から大きくせり出しているとほとんど隠せない。
それに鼻って弄るとすぐにバレる。あくまで私自身のことに限定した考え方だが、知人に整形したとバレたら美人もくそもないではないか。年に一回くらいのペースで会う美人の先輩が、会うたびに「また綺麗になったね」と褒めてくれる。私のゴッテゴテの化粧から「美人になりたい!! 綺麗って言って!!」感を読み取って言ってくれているのだろうなと思ってたまらなく恥ずかしくなる。そういうくだらない自意識も捨てられない。美人になりたいブスのくせに。
「人柄が顔に表れる」という言葉がある。本当に? 顔に出るにしたって限界があるだろう。もともと吊り目の人と垂れ目の人が同じくらいニコニコしていたとして、どちらの方が柔和に見えるかなんて分かりきったことじゃないか。『目つき』って何だ、結局目の形や黒目の大きさによるものじゃないか。
「女芸人のあの人は美人じゃなくてもいつもニコニコしているから可愛らしいじゃないか」もよく聞くけれど話にならない。芸能人なんてのは美人じゃなかったとしてもなんだかんだ好印象な顔、『様になる』顔なのだ。私のような不快感を与えるタイプのブスなんて見たことがない。
そう、私は多分なんとも不快なタイプのブスだ。香椎〇宇っていたでしょう。彼女はもちろん美人だったけど、彼女の目つきがきつい感じ、お堅そうな感じだけを持ち合わせたブスがいたとしたら……それが私。どこへ行ってもまず第一印象は良くないし、良くてくそ真面目に見られてしまう。滅多に打ち解けられないし、一つ失敗したらすごく失望されるし、みんなと一緒になってはしゃいだら苦笑いされるかギョッとされる。悲しい。寂しい。性格ブスが進んで雰囲気もますますブスになる。せめて好印象な顔になりたかった。
最後に、なんで都会ってスタイルの良い人がやたら多いの? ただの健康診断の会場ですら私より小さい人が見当たらなくて愕然とした。身長だけで言えば私はごく平均的なはずなのに。何というかみんな頭身が高い。『モーニング』の世界に一人だけ『コロコロコミック』のキャラが迷い込んだみたいで恥ずかしかった。じゃあね。
知念実希人さんの外国人差別炎上騒動。李琴峰さんが被害者なわけですが、そもそものきっかけは 「医者として李琴峰の発言は許せない!」 と義憤にかられたことからなのはみんなわかってるんですかね。知念さんも正直イメージダウンしましたが、そちらばかり叩かれてることに違和感を覚えました。そもそもの発端を見てない人が多いのかなと思ったので、かいつまんでお話をしますね。
ーーー
①李さんのこれまでのTwitterでの発言を知った知念さんが「他人の難病を揶揄する人間は、医師として軽蔑する。」といったツイートをする。
②李さんが 「それはデマです」 と知念さんにDMを送る。(noteに全文出ています)
⑤知念さん 「外国籍の作家が政治活動してる、ヘイト怖い」 とツイート
⑦知念さんヒートアップした後、外国人政治活動ツイートを削除、謝罪。
ーーー
李さんのnoteだと、①(9/8)と⑤(9/5)がひっくり返ってるからいきなり知念さんが「外国人がー」って言い出したように見えるんですよ。先に相手の悪い面を押し出して、自分の非の部分は後に持ってくるんだなあ。しかも「デマだ」って言ってるから李さんはなにも悪くないように感じるんですよね。この時系列の表記、すごいですよね。
で、李さんはどんな発言してたの?って話になりますが、ツイート自体は消されています。Twitterで検索すればスクショが出回っています。たとえばこれとか。
台湾人芥川賞作家・李琴峰先生が慣用句「断腸の思い」を分かり易く解説して下さいました...
https://togetter.com/li/1747173
↑ここに弁明がまとめてあります。アンチ意見も集約してありフラットな記事ではないですが。この弁明どう思いますか?私は馬鹿にされてるようにしか感じないのですが。
より詳しいお話はnoteに書いてあるのですが、客観的に見て言い訳にしか見えません。
https://note.com/li_kotomi/n/n9e5771570c83
そして個人的に 「いやいやいやそれは屁理屈だろ」 と思った発言があるんですが、それがこれ。
https://twitter.com/Li_Kotomi/status/1435573330552123400
ーーー以下引用ですーーー
①私は「授賞式で『美しい国、日本』を「嫌いな言葉」としてあげ」ていません。
③知らないことを知らないと認めた上で、これでも自民党(ほぼ安倍)政権を8年体験した身として、自分の発言は全く問題ないと考えます。
デマの流布に抗議する。 https://twitter.com/MIKITO_777/status/1435509867913965568
ーーー引用ここまでーーー
この①、すごいですよ。
✕授賞式 〇記者会見
これを総合して 私は「授賞式で『美しい国、日本』を「嫌いな言葉」としてあげ」ていません。 とするの、なかなかうまい言い回しじゃないですか。そうですよ。授賞式で・美しい国、日本を・嫌いな言葉として、挙げてはいないんですよ。意味的には近くても、すべてが少しずつ違う。知念さんも記憶でツイートしちゃったんでしょう。そこを突いてきた。
違和感覚えませんか? 「知念さんが言ってるのとはまったく意味が違うんだよ、誤解なんだよ」 って弁明をしたかったんじゃないの?それでこんな揚げ足取りのトリックじみた訂正、普通しないでしょ。明らかにミスリード狙いですよ。
↓ちなみにこの会見はYouTubeで見られます。30:47からです。
第165回芥川賞に石沢麻依さんと李琴峰さん、直木賞は佐藤究さんと澤田瞳子さん(2021年7月14日)
https://www.youtube.com/watch?v=mcsWmsjoSWI&t=1847s
②の病気揶揄の話は病気だと知らなかったとnoteでおっしゃってるのでそうなんでしょうね。これは時期的にしょうがないのかも。安倍さんが一回首相辞めたの結構前のことだし。
③はアウトですよ。本当に 「自分の発言は全く問題ない」 んですか?
「安倍晋三さんには元気でいてほしいな。体調が原因で刑務所に入れないってことになると困る。」
「安倍晋三さんには元気でいてほしいな。体調が原因で自分の犯した罪が償えないと残念だから。」
安倍さんが完璧に白な人間かと言えば疑わしい部分はあるけれど、真偽のわからない段階で 「刑務所に入れ、罪を償え」 ってすごいこと言いますよね。冤罪の人に 「刑務所入れ―!っ」 て言ってるかもしれない段階ですよ。可能性は五分五分なのに、そういう可能性考えられないんですかね。それとも安倍さんが罪人であるという事実をご存じなんでしょうか。それくらいの確信持って発言されてますか?仕事で使っているTwitterアカウントで 「安倍晋三が言い間違えてるwwwwww」 なんて揚げ足取りして、恥ずかしくないんですか?これ李さんの発言から何の脚色もしてませんからね。
この記事やコメント見ててなんかすごく懐かしい感覚を思い出したのだけれど、あんまり普遍的な感覚でもないのかなとふと心配になったので記録がてら自分語りする。
高校時代、マジで勉強が手につかなくてずっと最下位周辺の順位を取りまくっていた。
("周辺"なのは割と最下位の層が厚いからだ。"我々"しか知らない世界、なんだか誇らしい)
最下位ともなるとほぼ全教科赤点なので先生からの再指導が入り、各教科5回目くらいの再試でほぼ自分専用みたいな糞雑魚テストにしてくれるお情けを経て、基準点ギリギリで単位を掠め取っていた。
もちろん放課後遅くまで指導してくれる先生への申し訳なさもあったし、自分自身結構な情けなさもある。
「勉強しなきゃいけない」という謎の理由で部活をやめたせいで基本ぼっちだし、テスト期間も特に話す内容がないため周りの人間にも絡めず、
何よりまったく意味不明な文字列を眺めているだけのテスト時間はキツい。
でも勉強はできなかった。しなかった。自分の文章力ではこの「どうにも勉強ができない」感覚は正確に記せないのだが、
確かに頭では、目の前の一歩目としてやるべきことは分かっている。1年4月の単元からやり直す、それでも無理なら中学校、小学校の学習へ。
ただ当時の自分にとって、その一歩から現在に追いつくまでの道のりはあまりに長く、遠いものだった。
そしてその遠さは1年、2年と一切勉強できなかった自分という存在によって更に確固たるものとなり、圧倒的な「不可能」として目の前に立ちはだかることで自分の手を止めさせた。
どうもこうもない。「不可能」なので喜びも悔しさもあるわけがない。
自分でも2点だとわかってるほぼ白紙のテスト用紙を提出した時も、課題を放棄し続け先生に諦められた時も、6回目の再テストで回答番号だけ思い出して40点取らせてもらった時も
虚しさしかなかった。
とか書くとどうにも大げさで気恥ずかしくなってくるが、中高の頃の感情なんて実際そのくらいクソデカか。
その後のことは大して面白くない。3年間溜めた無気力の勢いそのままにニート街道へ、薬自慢スレを見ていたら興味が湧いたとかいう最悪の理由で心療内科で薬をもらって(tips:鬱でなくても抗うつ薬はもらえる)こんなもんかとがっかりし(鬱じゃないので当たり前)、
薬もやめ流石にヤバいかと思い立って親に土下座して監獄タイプの予備校へ。現国だけはできたので、まだ拒否感の少なかった英語その他の教科を無理くりどうにかしてもらって国立大に滑り込んだ。
もちろん学費は親持ち。今流行りの親ガチャが胸にしみわたる。俺の親はSSRだ。
後遺症はなくはない。高校時代の記憶が一般的な学生生活の代わりに5ch(2ch)のゴミみたいな板での雑談に塗りつぶされているし(でも相手してくれてありがとう)、今でもそこ以外のネットのコミュニケーションは苦手だ。
なまじ周りが努力家や秀才かつ良いやつばかりで、ほぼ学校生活を放棄してる自分に負い目を感じて孤立の道を突っ走ったせいもあり、高校時代の友人はほぼ皆無。
なぜか就職はできたけど仕事以外の場面で同僚と話すと自分の空っぽさに引く瞬間も多い。
虐められたわけでもなく毒親でもなく、完全な自滅。今思うと貴重な経験だったような気がしなくもないが、でも、あの時つらかったと言っても怒られはしないんじゃないか。
だから『絶対に勉強が伸びない』『何故「悔しい」と思えない奴が軒並み駄目なのか』とか、そういう無闇に強い言葉はあんまりつかわんといてや、という呟きでした。
https://twitter.com/CPAKO999/status/1435811177175478273?s=20
なんかこれ見てがっかりしちゃった
http://www.jsrm.or.jp/public/funinsho_qa22.html
女性は、30歳以降妊娠率が低下します。35歳前後からは、妊娠率の低下と流産率の増加が起こり、たとえ体外受精や顕微授精などの生殖補助医療を行って受精を起こさせることができても、妊娠率・生産率は低下します(図2)。
若い頃から治療頑張ってる人はともかく、30歳以上なってから思い立って不妊治療する夫婦に助成金とか本当にやめてほしい
18~28くらいから不妊治療を始めてる、十分妊娠しやすい時期に産む気もあるが収入はあんまり…って人に回してくれないかなー
普通にコストとして1人分の受精に150万?とか異常な金額だし、適齢年齢さんざん自分の好きなことして先送りにしたツケを税金で補填しないでくれない?
妊娠しやすいけれど経済力はなかった若い子が0円で産んじゃって孤児化してる子引き取れよと思う。
あくまで自分たちの遺伝子わけた子供がいいってそれ単なるわがままじゃん。
喫煙により国民全体の医療費が1兆3,000億円余分にかかっている(金額は盛ってるらしいが)みたいなのと似たこと起きてる気がするんだけど。
はーーー働く気なくすわ。朝から最悪な気分。
子供産む気がない女より
ツイッターでたまたま見かけて、納めた所得税がダメ元の妊娠成功率に吸われるんだと思ったらうんざりしたけど、子持ちの友達と繋がってるアカウントじゃとても書けなかっただけです
釣り臭さあげるだけかもしれないけど自分はビアンだからこの国では養子も絶望的なんだよね
「向いてないひとがあがくための金って浪費感やば」ってそんなにおかしいかな お金なかったらあきらめてました!←諦めてよ ってかんじ
それより大学と就職犠牲にしても若くしておろさなかった人に金という余裕のご褒美あげて。
政治的主張の内容自体は個人的にごもっとも、という感じで異論は無いんだけども(一応被災者です)
それをよりによって擬人化(?)した図書館に喋らせるのは違和感がある
どんな意見の人もどんな境遇の人もいられるのが図書館なんじゃないの
その図書館は私設みたいだし、被災地に立ち上げられた「図書館」が被災者の視点から見た意見を言っているのだから問題ないのだろうけど
そういう主張するなら図書館名乗らないでほしい、というお気持ちでした。
一昨日の水曜日に眼鏡を購入したのだけど、しばらく着けてて何だか違和感があるなぁ。慣れてないだけかなぁ。なんて思っていたけど、まつ毛がレンズに当たっているだけだった。
そのせいで、レンズは汚れるし、まばたきするたびに違和感があるしで嫌になったので、購入した眼鏡屋に行って相談してみた。
結論としては、購入したのが一体型の眼鏡だったために調整することができず、あきらめるしかないらしい。
他のフレームに交換することもできないかとダメもとで聞いてみたけど、別のフレームとの交換は保証対象外だそう。分かってたことではあるけど、ちょっとがっかり。
眼鏡なんて1万円以上もして、メルカリで売れるものでもないしショックだ。1万円損した気分。
とりあえず、さっきアマゾンでセルシールUという、少し厚みのある鼻あてにつけるシールを購入した。これでマシになるといいのだけど。
それはともかく、相談した時に眼鏡を渡すと、素手でレンズを触られた。
返してもらった時に見てみると予想通り指紋がついているという。
店員も眼鏡かけてたけど、他人にレンズ触られて嫌じゃないのだろうか?
せめて、返すときに拭いてくれよと思った。