2021-09-14

高校テスト最下位連発してた頃の思い出

塾講バイト死ぬほど味わった「絶対勉強が伸びない子供」、勉強に対して喜びも悔しさも感じない「頑張れない層」の話

https://togetter.com/li/1774289

この記事コメント見ててなんかすごく懐かしい感覚を思い出したのだけれど、あんまり普遍的感覚でもないのかなとふと心配になったので記録がてら自分語りする。

高校時代マジで勉強が手につかなくてずっと最下位周辺の順位を取りまくっていた。

("周辺"なのは割と最下位の層が厚いからだ。"我々"しか知らない世界、なんだか誇らしい)

最下位ともなるとほぼ全教赤点なので先生からの再指導が入り、各教科5回目くらいの再試でほぼ自分専用みたいな糞雑魚テストにしてくれるお情けを経て、基準ギリギリ単位を掠め取っていた。

もちろん放課後遅くまで指導してくれる先生への申し訳なさもあったし、自分自身結構な情けなさもある。

勉強しなきゃいけない」という謎の理由部活をやめたせいで基本ぼっちだし、テスト期間も特に話す内容がないため周りの人間にも絡めず、

何よりまったく意味不明文字列を眺めているだけのテスト時間はキツい。

でも勉強はできなかった。しなかった。自分文章力ではこの「どうにも勉強ができない」感覚は正確に記せないのだが、

一言でいえば「先が見えない」感覚に近いかもしれない。

かに頭では、目の前の一歩目としてやるべきことは分かっている。1年4月の単元からやり直す、それでも無理なら中学校小学校学習へ。

ただ当時の自分にとって、その一歩から現在に追いつくまでの道のりはあまりに長く、遠いものだった。

そしてその遠さは1年、2年と一切勉強できなかった自分という存在によって更に確固たるものとなり、圧倒的な「不可能」として目の前に立ちはだかることで自分の手を止めさせた。

そこからツイートに書かれた通りだ。

どうもこうもない。「不可能」なので喜びも悔しさもあるわけがない。

自分でも2点だとわかってるほぼ白紙テスト用紙を提出した時も、課題放棄し続け先生に諦められた時も、6回目の再テストで回答番号だけ思い出して40点取らせてもらった時も

虚しさしかなかった。

とか書くとどうにも大げさで気恥ずかしくなってくるが、中高の頃の感情なんて実際そのくらいクソデカか。

その後のことは大して面白くない。3年間溜めた無気力の勢いそのままにニート街道へ、薬自慢スレを見ていたら興味が湧いたとかいう最悪の理由心療内科で薬をもらって(tips:鬱でなくても抗うつ薬はもらえる)こんなもんかとがっかりし(鬱じゃないので当たり前)、

薬もやめ流石にヤバいかと思い立って親に土下座して監獄タイプ予備校へ。現国だけはできたので、まだ拒否感の少なかった英語その他の教科を無理くりどうにかしてもらって国立大に滑り込んだ。

もちろん学費は親持ち。今流行りの親ガチャが胸にしみわたる。俺の親はSSRだ。

後遺症はなくはない。高校時代記憶一般的学生生活の代わりに5ch(2ch)のゴミみたいな板での雑談に塗りつぶされているし(でも相手してくれてありがとう)、今でもそこ以外のネットコミュニケーションは苦手だ。

なまじ周りが努力家や秀才かつ良いやつばかりで、ほぼ学校生活放棄してる自分に負い目を感じて孤立の道を突っ走ったせいもあり、高校時代の友人はほぼ皆無。

なぜか就職はできたけど仕事以外の場面で同僚と話すと自分空っぽさに引く瞬間も多い。

虐められたわけでもなく毒親でもなく、完全な自滅。今思うと貴重な経験だったような気がしなくもないが、でも、あの時つらかったと言っても怒られはしないんじゃないか

から絶対勉強が伸びない』『何故「悔しい」と思えない奴が軒並み駄目なのか』とか、そういう無闇に強い言葉あんまりつかわんといてや、という呟きでした。

というかネット承認もらってシコるなら他人殴ってる自覚ぐらい持てやカス

特にオチはありません。私は元気です。

  • この文章が書けて学年最下位周辺はないだろと思ったら しっかり現国だけはできたと記載する辺りこの増田はできる増田

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