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はてなキーワード: 部活とは

2020-12-13

私立中高一貫動物園の実情

私立中動物園飼育員です。

結論

私立と比べて公立は〜という文脈引用されがちだが、私立にも動物園はあるしそれなりの需要もある。

自身ペットを通わせる際にはペット特性や飼い主の思想、どういうペットとどんな進路を選ばせたいのか、といったこから十分に吟味しましょう。

学校選びの基準

どの動物園を選ぶのがいいか参考になれば幸いです。人類の通う立派な学校は取り上げません。

偏差値

進研模試基準での主観です。

35:下位6%くらいのレアさ。リスニング日本語版みたいな教材があるのだが、解かせるとわりと50点とかを取ることも珍しくない。一般的教員は満点にしかならない難易度です。

30:下位2%くらいのレアさ。作文が支離滅裂になったり、悩みとかを聞いたときに原因も結果もこちらの理解が難しくなることがある。

25:下位0.6%くらいのレアさ。「分からいか反省もできない」と言われる層。物の貸し借りをしてはいけません、制服には校章をつけましょう、というルールがあるとして友達の校章を盗んでなくなった友達が困っているのを見て別の他人の財布から金を盗って購買で買うよう親切に勧めるケースがありました。(フェイクあり)

校風

自由校風動物園ではあまりないと思います普通の厳しさから少年院レベルまで。

普通なところ

厳しすぎないのでペットも飼い主もストレスをためにくいです。その代わり進学や就職も実力相応。

少年院クラス

時間から時間目まで授業、部活禁止髪型はかなり厳密なルールあり、身なりの靴下までチェックあり。といったところがあります

ペット飼育員も大変でストレスを抱えがちですが、下位30%レベルペットでもうまくハマれば地方国立GMARCHに到達することがあります

さいごに

親の教育学校教育は大切ですが、人間でなく動物が生まれときは生まれます

その動物をどう育てるかは将来をどこまで許容できるか、育てている間にどの程度のストレスを許容できるかは大きいと思います

私に子どもはいませんが、もし動物が生まれ場合は私の価値観では特別支援に該当しそうなら確実に診断を受け、しない程度なら受験少年院かなという価値観です。

実際に生まれたら変わるかもしれないけどね。

2020-12-12

anond:20201212134741

暴力セックス窃盗暴走も、ほったらかしにされたサルが始める自発的行動なんてろくなものがない

金がない若い奴らにできる面白いことなんて限られている

おとなしくゲームでもやっててくれたら御の字だ

部活ゲームもそれなりに金がかかるけど、サルを野放しにしておいても誰も得をしない

anond:20201212132552

部活廃止したら力のあり余ったサルどもが街に出て悪さをするようになって治安コストが嵩む

部活は、自発的勉強する気のない連中を縛りつけておく有効治安対策

一般教員負担になるのであれば、部活専門の体育教師非常勤で雇えばいい

[]2020年12月11日金曜日増田

時間記事文字数文字数平均文字数中央値
0012431657255.361.5
011581315583.335
02598862150.243
03314121132.941
04293409117.643
0522192287.453.5
06212560121.958
07474749101.043
0811817320146.845
0910212202119.645
1011612045103.837
111951689486.650
122291826579.836
131961859994.940
141531481296.850
151591119370.438
1612313112106.653
1718020839115.848
1822726419116.435
191491316088.340
201321036578.539
2119319852102.946
22102979596.044.5
238810146115.352.5
1日2953315453106.843

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ETJdpw(8), 画塾(3), 浅野真澄(3), スイートルーム(8), 負の所得税(5), 校内暴力(4), ブロンクス(3), 権利拡大(3), ナイジェリア(9), ウェッブ(3), 40年前(3), 動物園(105), 公立(95), 反差別(40), 私立(49), 低学歴(24), ヤンキー(27), GOTO(15), 荒れ(24), 学力(16), 中学校(18), 中学(44), 生徒(21), 主義者(12), 💩(27), 差別(157), 学歴(30), 出身(24), 動物(28), 教師(18), リベラル(36), いじめ(35), 通っ(28)

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2020-12-11

anond:20201211131114

もともとは雑用だけでなく部活予算管理や対外交渉までこなす主務」の英訳としてマネージャーという呼称が使われていて主に男子が務めていたんだけど高度経済成長期に女子進学率が向上するにしたがって女子マネージャーが増加していきまた「監督」の権限が強まって予算管理や対外交渉が任されるようになったことで女子マネージャーには雑用しか残らないようになったらしいよ。

動物園問題

みんな生徒の素行ばかり論点になってるけど、治安を維持するのは結局教員なので治安の悪い学校教員マジで使えねーとかそういう話にはならないの不思議。「荒れる→凄腕生徒指導赴任→落ち着く→生徒指導離任→荒れる」みたいなのは結構ある。

治安維持に関して私立学歴フィルタよりも退学という切り札があるので保っているところはある。反対に公立はごく普通の子から金持ちボンボン優等生に不良ヤンキー発達障害不登校コミュ障窃盗癖色恋沙汰万引きネグレクト生活保護家庭満遍なく一緒に指導しなくてはいけないので教員の力がマジで試される。

から例えば私立中高一貫お嬢様学校からちょっといい教育学部を出て公立教員になって「こんなはずでは」みたいなケースも極端ではあるが想定できてしまう。知識はあっても肌感覚理解していないから悪気なく虐待家庭の生徒に「お母さんはあなたを愛してると思うよ」なんて声をかけて絶望させたり、素行の変化を何らかのSOSと受け取れず見逃していたり、それまでの経験が全く役に立たずに自身が病んでしまったり、いろいろある。「子供が好きなので教員になりました!」という人がモンペに疲れて辞めたりするのは保育士なんかでも聞く話。

はてなでは頭髪検査蛇蝎のごとく嫌われているけど、髪型を奇抜にしてくる生徒が何らかのSOSを出していることはよくある話。親が離婚前提で別居しているとか、勉強が全くわからないとか何らかのコンプレックスを拗らせているとかよくあるからね。そこを指導に結びつけるかアホみたいに怒鳴りつけるかは教員の腕次第というのは問題だと思う。地毛を黒染めさせるのは意味わからんけど。

教員だけの話にすると私学の教員公立教員や生徒をマジで見下しているらしいとか公立教員はクビにならないのをいいことにマジでやりたい放題やってる奴がいるとか、その辺の話をすると動物園問題から離れるからしないけど「公立環境が悪いか私立しかいけない問題公立環境を良くするよう働きかけるしかない」がベストアンサー。そのためには教員長時間労働是正部活の規模縮小や地域との連携学校福祉必要性(ネグレクト家庭の支援)、オンライン授業の充実(不登校対策)、教員民間採用(外部から視点を持つ)など思いつくけどその辺の話していこうぜ。

父が動物園飼育員だった

話題動物園問題。うちの父は25年程前、動物園飼育員をやっていた。市内に5つある動物園の内、一番動物園らしいと評判の動物園だった。毎日消耗しており、俺の事はあまり構ってくれなかった。家に帰ってきても動物問題を起こしたと呼び出しの電話。家も動物達にバレているので、車のタイヤパンクさせられるなどのイタズラを受けた事もあった。年に一度の地域祭り(3日間開催される)では、動物達が野に解き放たれるため、見回りに駆り出されていた。父は祭りを嫌っていた。俺はばあちゃんの温情で祭りに行くことができていたが、父は良く思っていなかった。夜の部への参加は許されず、友達に別れを告げて帰宅していた。学区的に私は父の勤める動物園に進学する事になっていた。父は私学受験したらどうか?と勧めて来たが、友人達と別れる事、勉強しなくてはいけない事を考えると面倒くさすぎたので断った。中学受験する人は学年で2-3人程度だった。父は私が動物園に行くという事で異動した。もう一人同級生父親動物園飼育員をしていたんだけど、その飼育員は同級生と1年くらい被っていた記憶がある。私が動物園に通い始めた頃には、動物園もすっかり落ち着いていたんだけど、3年の先輩は私の父を知っており「お前○○の息子なんだってな」といきなり絡んでくる輩もいた。部活ヤンキーの先輩(かわいい)も父の事を知っていたが、優しくしてくれた。先輩かっこかわいいかったな…… 話が逸れてしまったが、父は動物園飼育員だった。全部そのせいとは言わないが私も多少なりとも迷惑被ったという話。

繋がりたいタグを使って見えた地獄

から絵を描くのが好きなオタクだった。

同人誌を描いたこともあった。

それがここ数年、何かに熱を上げることがなくなった。ハマるものがなくなり目的を失った気がした。

じゃあTwitterに絵をあげて交流する事を目的にしようとアカウントを取ったのがはじまりだった。

しかし何かにハマっていれば同志を探せばいいが、何もないとフォローする人がいなくて他人と繋がるきっかけがない。そこで何度か目にはしていた「〇〇さんと繋がりたい」タグを使うことにした。

誰かと繋がりたいと思ってる同志を探そうと思った。


からタイトルだ。

エンジョイ初期

絵を数枚描いて「〇〇好きさんと繋がりたい」タグつけて投稿した。

この〇〇は流行りのジャンルで、そこまでハマってはいないがそこそこ楽しめているものだった。

反応があった人ほぼ全員を脳死フォローした。(全員じゃない理由は後述する)

逆に直近で同じタグを使っている人にこっちから反応もした。

とりあえず繋がってみよう、の精神だった。

なかに中高生の人もいて、部活テストだと騒いでる様子を見るのはなんだか懐かしい気持ちになった。

普通にTwitterしていたら中高生アカウントフォローすることがまずないからだ。

そんな感じで、初期は今までフォローした事ないタイプツイートを見るのを楽しんでいた。

が、最初だけだった。

オンステージしている人

「〇時に作品あげます!お待たせしてすみません!」

「待ってくれてるみなさんのために頑張ります!」

と呼びかけるようなツイートが多かった。

そのうちやたら自撮りをあげるようになった。

お前は有名人か。

しかも絵は下手だった。

何にそんなに自信があったのか。

ツイートだらけの人

繋がった当初は〇〇の話ばかりだったが、ある日からツイートばかりするようになった。

自分は絵に魅力がないから」

マイナーばっかり好きになるから

「もうアカウント消そうかな」(消さない)

とにかく鬱陶しかった。

なんでそれツイートした?

交流全部ダダ漏れな人

この人はどうやら自分と同じ時期からTwitterを始めたらしく、タグ経由である人と仲良くなったみたいだった。

そしてその人(仮にAさん)の話題やもらったリプをRTしまくるようになった。

「Aさんほんとやばいww」

「Aさんは最初〜だと思ってたけど〜」

本人に言ったれよ

Aさん知らねえよ

二人でやれ以外の感想が見つかんねえよ

リプしたら死ぬ

自分の絵を褒めてくれる人がいた。

ただし絶対にリプはしない。全部RTのちエアリプ

しかけられたくないのかと思い、ありがたくスクショだけ撮っておいた。

でもいい事言ってくれてるんだからリプでよくないか

リプするのはめんどくさいのはとても分かる。でもそこでエアリプするのは全くわからない。

じゃあいいねRTだけでいいのに。

露骨フォロワー稼ぎの人

フォロワーが多くて絵も可愛いから繋がりたいタグに反応がきた。内心嬉しかったが、その人からフォローが返ってくることは無かった。

なるほど!これがフォロワー稼ぎか!と思ってブロックした。

番外編:古の萌え系巨漢

タグに反応してくれた人はみんなフォローしていたが、この人だけは返さなかった。

というか返す勇気がなかった。

「ほえ〜」「はわわ」「うにゃ?」と昔の懐かしい萌えキャラっぽいツイートで、その時点で「うわキツ」と思っていた。

しかも「おやつだにゃ☆」と深夜にアップしていた写真ハンバーガー二つにバカかいコーラだった。

手が写り込んだ写真もあり、どう見てもデブの男だった。

そんな言葉使うのはおっさんなのは分かってる。

隠してくれ。せめて隠してくれ。

どうしてデブおっさんを隠さずにそのツイートができんだよ。

TLに下手な絵が流れてくる

みんな絵が下手だった。中高生は仕方ないにしても、え?あなた小学生ではない?という社会人も多かった。

「好きな絵を描きたいから、絵はあえて仕事にしなかったんです」とどこ向けなのか分からない予防線張っている人もいた。

何度も何度もRTして、それでも反応0の人もいた。



上記ツイートと下手な絵が流れてくるTLを見て、ここは地獄だなと思った。

今までは絵が上手い人か仲がいい人しかフォローしていなかったから、知らない世界だった。

アカウントを消した。

〇〇関連で話ができた人もいたし、いい人そうな人もいた。

毎回かかさず自分の絵にいいねRTしてくれる人がいた。

エアリプの人も褒めてくれた。

でもそれを上回る疲労の蓄積が大きかった。

このTLを見ていたら病むと思った。

そこから好きな人だけフォローするアカウントを作り直して今に至る。

フォローしている人は絵が上手い人ばかりで、自分なんかではフォローは返ってこない。フォロワーROM専か下手な人しかいないので誰も返していない。

まり相互が一人もいない状態だ。

SNSという特性を完全に無視しているが、かなり快適だ。

自分には繋がることが向いていなかったのだと思う。

2020-12-10

anond:20201210090707

女子校だったけど部活に熱心な学校だったか物理的に泥でドロドロしてた。ジャージに土とか平気でついてる生徒がたくさんいた

anond:20201209202741

LGBTQへの理解とか多様性とかは建前ってやつで、子供処遇本音が出たというだけでは?

今時はリベラル仮面かぶらないとそれなりの役職には就けないだろうけれど、子供には多様性なんて求めてないという。

まあ、多様な人が通う学校に通っていたとしても、仲良くする人は自分と似たような人というのはありがちだと思うけれど。

公立校で成績1位と最下位がともにいるような部活にいたけれど、とどのつまりどっちも似たり寄ったりだったのかなと思う。

2020-12-09

anond:20201209200844

これか

TOEICスコアは、「どれだけ自分英語ができないか」を晒すものである

TOEICは950点を取ってから英検は1級を取ってからが本番」

とよく言われる。これはどういうことだろうか。

英検1級とTOEIC950点は、英語を使って食べていく人たちの出発点である

なぜなら、それぞれ上限に達しているために、

それ以上の指標を測るすべはないかである

英語プロフェッショナルTOEICどころじゃない

英語で食べている人たちは、TOEICでいえば5000点とか1万点とかのレベルである

そんな点数はないので、計測できないレベルに達しているという比喩である

まりTOEIC800点とかを履歴書に書いてしまうのは、

スコアで測れるレベル英語しかもっていません」という発表であり、

いか自分英語ができないか」を説明していることになるのである

なおTOEIC950より990点のほうが良いにきまっているが、

その40点差はテクニックや慣れに包摂されるので無視してよい。

大学受験でもおなじ

これは大学受験にもいえる。早稲田慶応出身者なのであれば、

「私の上限はここまででした」という発表なのである

文系東大文1、理系東大理3、という肩書をもって初めて、

学歴では測れないなんらかの天才性を秘めている」と自己主張しても、

誰にも責められることはないのである

なぜならスコアという枠組みを超えている実績があるからである

スコア範囲から「外れた」人たち

また、逆の意味での天才性があるのは、中卒・高卒中退の人である

大学をハナから考慮していない、あるいは、人生スコア

測ることに意味がないと気づいていて、最初からその道を選ぶ人がいる。

ジョブス・ゲイツデル日本ではホリエモンなどが大学中退である

彼らは資格試験のようにサクッと大学を受けて、受かったらサクッと辞める。

スコア意味がないことを知っていたかである

また、東証一部上場企業のたたき上げ社長に、中卒高卒ゴロゴロいる。

彼らもまた、スコアに縛られていないといってよい。

スコアから外れよう

仮にあなたTOEICスコアで800点を目指しているとしよう。

そして会社から1万円の奨励金をもらったとする。

それまでに費やした時間が100時間だったら、時給100円の投資である

しかも得られるのは、「英語ができません」という証明書である

しかあなたが例えばユーチューバーになるためのコンテンツ作りだとか、

分かりやすトークスキルに100時間を費やしたとしよう。

もしそれで将来年収1億円になったとしたら、

時給で測れない投資をしたということになるのだ。

あなたの中にある強みに投資しろ

ユーチューバーというのはただの例であるが、特技は人によって違う。

仮に、もしあなたが絵が得意だけれども、

会社から要請されてTOEIC勉強をしているようだったら、

それは愚かだということである

いらすとや」などはその大量生産力で一気に有名になったが、

それも「わかりやすイラストを大量に書く」という一点に

スキルポイントを全振りしたかである

もしいらすとやTOEIC勉強をしていたら、現在地位収入もなかったろう。

プロ野球選手はみんなが塾に通っている間に素振りをし、

人気歌手はみんなが部活に通っている間に歌やピアノ練習した。

そういうことである

anond:20201208155032

公立小中高、しか高校総合選抜というカオスから現役合格旧帝大行ったけど、そういう自分に酔ってるところはあるな、正直。高校とき部活関係で付き合いあった同じ市内の進学校私立のやつが大学受験失敗して一浪の末にMARCH行ったの見て、密かに爆笑したし、逆に、大学の同期の中高一貫から来たやつには、お前の中学時代同級生テキヤになったやつはいないだろう、所詮温室育ちが、と軽んじてるし。

学歴社会をうまく生き抜いたことが、自分に謎の自信を与えている。まあ、それにはいい面も悪い面もあるけどな。

anond:20201208155032

中学受験して良かったと思ってるけど性格クソなやつがいそいつの標的になったし、いじめゼロではないし、中1で高2の先輩と部活が一緒なのはなかなか怖かったので部活は辞めた。

ただみんな真面目でお金持ちで自主的勉強する人達だったか環境は良かったのは確か

anond:20201209172722

あったね、部活全員加入

結果、公立を見下して憎む人間生産しただけだったと

anond:20201209170018

全盛期の日教組先生子供を塾も行かさないようにしてたからな

学校の授業と自習で充分です!」って

親に相談されてもその受け答え

部活全員加入にして物理的にも行かさないようにとかもしてたわ

anond:20201208155032

うん、いじめなかったな

とんでもない金持ちクラスに1~2人程度で誇示することもなく

どんな地味な子でもオタクでも気の合う相手がかならずいて楽しく過ごしていて平和だった

いじめをやりそうなカースト上位系の人(ダンス部入ってて男子校合コンが盛んなギャルとか)ほど息苦しいといって高校あがるときに8割消えてったよ

バイトも表向きは禁止予備校にいくのも届け出必須部活があっても5時過ぎに追い出される(7時まで残ってたら異常事態

週番かなんかで学年主任クラスサンシャイン通りセンター街に立って見張りして、たまに捕まったなあ(今もやってるかは知らないけど)

一番遠くて群馬、柏や所沢からみんなが二時間くらいかけて通ってくるような渋谷中高一貫女子校です

大学生です。大学オンライン授業(どうしても対面じゃないと成立しづらい実験とか実習は対面だけど)やっているのに、部活とかでめっちゃくちゃに大声出すのは許容されているのが正直意味わからん

テニスとかは対戦してても物理的に距離が離れるからまだしも、柔道とかラグビーみたいなコンタクトが激しめのスポーツ部活大学が許容するのはマジでわからん。万が一部活クラスター起きたら対面でやってる授業にも影響あるし、普通大学部活より授業を優先させるものなんじゃないですかね。

2020-12-08

麻布高校

麻布高校に6年いた経験を踏まえ良い面と悪い面を書く。これから書くことはおそらく他の上位の中高一貫男子校共通しているだろうと思う。

良い面は友人が(途中で落ちぶれる生徒もいるが)優秀で、自分の知り得なかったことが会得出来ることや、無意味制限がなかったことだ。また全員ではないが教養がある面白い教師も多かった。カリキュラムとしては教養主義的なところがあり、受験不要な教科を嫌がる者もいたが、為になったと思っている。内申点に気を遣い部活をやめられないというようなこともなくよかった。

悪い面もいろいろある。まず男子校からと言って今の時代見逃すべきではないことである教室の汚さ、ホモソーシャル環境友達同士で連むと社会迷惑になる行動に走る割に、仲間内で閉鎖的になりやすいこと、女性蔑視などである。どうやら麻布入学すると、歪んだ特権意識と抑圧された小学校時代反動からか、行動範囲が広がった高校生蛮行に走りやすいらしい。文化祭運動会不祥事や、飲食店での横暴な振る舞いなど、自由範囲から逸脱して単なる愚かな振る舞いをしてしまうのだ。またどの生徒の親も基本的には裕福なので、よく変人が多いとメディアで取り挙げられるが、実際はこれ以上ないほど均質な生徒の集まりである。そのため多様性というものはどこにも存在していないと思う。その点、地元小学校に通っていた頃は、びっくりするほど漢字が読めなかったり、物を知らない生徒がいるなどある程度の多様性が確保されており、これも必要経験だったと今になって思う。

まとめ

中高一貫にも長所短所はあり、私は入学したことを後悔していないが、もう一度入学したいとは思わない。開成筑駒は少し違ったところがあるのかもしれないが、少なくとも麻布に関しては、判断力と知性の欠如が余りにも目に余ったかである。また唯一避けた方が良いと思うのは小学校から私立に通って、上位の中学または高校に進学することだ。それは多様性経験しないまま社会に出てしまうからだ。

友達が欲しい

昨年、社会人になって今までいた友人の多くと離れ上京した。

私は関西出身だが、関西人間関西に残りがちなのでこっちに来てくれた知り合いはあまりいなかった。

最初一年間は物珍しさで東京都内のあちこちに遊びに行った。学生時代の友人とは地元から離れた解放感で、街の子みたいな遊びだと思うようなことを色々とした。

会社の同期とも、仕事での付き合いではあるが、仲良くなり就業後に飲みに行くようになった。

初めての一人ぐらしは自由が利き、ある程度の会社入社したのもあり、金に困ることはなく、食べたいものを食べ、遊びたいところに行き充実していた。

今年に入り、コロナ流行った。

そのせいで外出する機会がグッとへった。まるまる2か月誰とも会わなかった。

家にずっといて、お昼の時間になると近くのスーパーに行って一食分の食材を買って適当に作ったご飯を食べる生活

"ニューノーマル"で浮き彫りになったのは、私には今友達がいないということだ。

徐々に緩和される中で、一年目の様に外に遊びに行けなくなっている自分がいた。

誰をどうやって遊びに誘えばいいのかわからないのだ。

会社の同期はあくまでも仕事の仲間でこのご時世に仕事終わり飲みに行くことはなくなった。

コロナの状況下で人を誘っても空気が読めない奴だと思われてしまうような気もする。断られたらどうしようが先行してしまう。

そもそも私に友達など昔からいなかったのかもしれないとも思う。

高校までは部活動に明け暮れていた。ちょっとした強豪校だったので休みもなく練習をする毎日

休みの日だって部活仲間と一緒にどっかに行くようなタイプで、みんなが行くから行くとかで自分主体となって遊びに行くタイプではなかった。

大学に入ってからは、高校時代と同じスポーツサークルに入った。

新しいスポーツを始めようかと入学当初は考えたが、結局やめた。高校までの貯金スポーツを楽しめればいいからだ。今思えば誰かと仲良くしたいのではなく活動のものだけに注力していた。

サークルの中では単純に技術があるので人目は置かれていたが、誰かと一緒に遊ぶとか特別している訳ではなかった。参加はするし、呼ばれたら同席するだけだった。

自分で誰かと何かをするということをしてこなかったツケが回ってきている。

そもそも友人と二人でというのも難しい。人と話すことは好きだけど誰かと一緒に遊ぼと言えるほどの勇気もなく悲しい。

ひさしぶりに会った所でなんでこいつに誘われたのとか思われて、何にも盛り上がらない所が見えてしまうのが嫌だ。同性と二人で遊ぼうとするのはよっぽど仲が良くないと逆に難しくないですか。

でも複数人もっとハードルが高い。人一人誘えない奴が複数呼べるほど友達はいないのだ。誰か遊びに誘って下さい。一回誘ってくれればこっちから一回誘ってもいい気がするので。

こういった時に彼女がいるといいんだなと思う。寂しくなった時に無条件で自分の誰かに向けたい、思いやりとか、寂しさとかを"愛"に変換できるのでしょう。

休みの日は毎日家にいる。日常的に外国人がいるわけでも、仕事で使うわけでもないのにTOEICの点数が900点になってしまった。やることがないので本をたくさん読んで、頭に蓄積させてもぶつける所もない。

2020-12-07

anond:20201207101333

どこが分からないんだ?解説するぞ。あと加筆もしたが修正箇所はない。

唐突に出てきた秋元康やダテコーというのは人物名で、それぞれ22/7やてさ部のプロデューサーなので挙げている。

てさ部というのは「てさぐれ部活もの」という2013年製作声優3Dアバター漫才させたVtuber技術のはしりとも言えるアニメ略称だ。

あとIPというのはインテレクチュアルプロパティ知的財産のことで平たく言うと「版権」のことだ、ここでは「22/7というIP(≒企画コンテンツ)は」くらいの意味で使っている。

民度がいい」と言う人の正体

わりと自分を慰めるために書いてます

自分が好きなコンテンツにのめり込むあまり集団所属した気分になっている人がよく使ってる印象。

これを言う人は本当にどこにでもいるので「民度がいい」「あいつら民度がいいとか言ってるけど嘘」という言説で気を病む必要は全くない。

そもそも作品を好きであることが部活のように扱われてることが本当に気に食わない。自ジャンルって言葉が本当に気持ち悪い。集団に属したいだけで作品尊敬の念がないからそういう言葉が出てくるんだろうな。

2020-12-05

萌え絵アニメーションに向いてないという勘違い


巷で話題萌えアニメオタク害悪だと主張する記事を読んだ感想である


私は萌えアニメからいわゆる硬派と呼ばれるアニメまで広く嗜む、アニメ視聴歴20年くらいのしがないアラサー男だ。

ジャンプサンデーと言ったお馴染みの週刊誌で人気の原作アニメが、テレ東ゴールデンタイム毎日のように放送されていた頃に、箸で摘んだ夕食のコロッケテーブルの上に落としブラウン管にかじりつく少年期を過ごし、最近新刊が発売された『涼宮ハルヒの憂鬱』をきっかけにいわゆる深夜アニメ世界に足を踏み入れて、今日に至ると言った経歴(他に言葉が思いつかなかった)を持っている。

視聴作品数は、履歴書に書けば人間性理由採用確率が30%減になるくらいあっただろうか。と言っても熱中度でいえば大したモノではなく、どんなに気に入った作品でも円盤を買ったり、グッズ等を買う程度だった。興奮が抑えられず感想ブログに載せたり、二次創作に勤しんだりするくらいならニコニコ動画で他の作品の視聴課金をし始めるくらいには職人気質は持ち合わせておらず、人によってはカステラ茶色の表皮だけをすくって人工甘味料(無いかも)の鋭く刺すような舌触りだけで満足するような、奇怪な楽しみかたをダラダラ続けていただけに見えるかもしれない。

そんな人間がひさしぶりに取れた休日の暇潰しに書いた文章だ。

簡潔に何が言いたいのか知りたい方は、途中全く大したこと書いてないので、最後だけを読んでほしい。

以降は今の俺以上に暇だと宣言できる、大変人間強度に優れた人だけが読み進めて欲しい。


主に作品ごとのアニメーションが持つ性質役割の違いについて横道に外れながら綴っていきたいと思う。

過去に色々な作品を目にしてきている者ならばご理解いただけると思うが、「好きなアニメは? どういうところが好きなの?」と質問を受けたとき、瞬時に心動かされた場面(シーン)が頭の中を駆け巡り、「さてどれから話せばよいものか……」と、全身が幾分高揚している自分がいることに気づくだろう。

それらはキャラクタたちと共にストーリーを辿ることで得られた感覚につけられた名前のようなものだと私は考える。そしてそれらは言葉では表せないが、私たちに中で一種の『共通言語』的な役割を担い、機能しているのだ。


例えば以下のシーンを目を瞑って思い浮かべてもらいたい。


『氷属性もつ冷徹残忍な魔女が、手に持った杖を振るった。その瞬間空間四方から無数の鋭利な菱形をした氷の刃が出現し、彼女の透明感のある艶やかな唇で結ばれる「さようなら」の言葉を合図に一斉に襲いかかってきた』


数々の映像作品を見たことがある人なら、無の空間からパキパキと音を立てながら蒼白い形作られ、魔女の妖艶な笑顔が映った次の瞬間に鋭い氷の塊が視界の中心に集まってくる2、3カットくらいの映像が容易に頭の中に流れたことだろう。

これは性格によるのかもしれないが、私は基本的には物語の進行上は「それ」でOKと考えるのだ。

「それ」とは、視聴者の頭の中で出来上がった薄ぼんやりとした2、3カットのことであり、重要なのは「それ」を我々視聴者に想起させ、作品を補完させることだと考えている。

例えば先のシーンで「魔女がどんな容姿でどんな服装服をまとい、どんな体勢なのか」とか、「魔女と言うくらいなら箒に乗っているのか」とか、「どんな服を身に纏っていたのか」とか、「どれくらい勢いで杖を振ったのか、杖の先はどこを向いているのか」とか、「氷の軌道は直線的なのか最初に外側に弧を描くなどトリッキーな動きをしているのか、時間差のある多段階攻撃なのか」などの質問されたら、スラスラと答えられるだろうか。(……私だけができないのなら怖い。ショックのあまり寝込む)

おそらくだが「いやそんな細かいところまでは……」のレベルの話だと思っている。多分これができる人はきっと絵が上手いはずだ。私は私を含め絵がど下手くその人がこの世にいることを知っている。

ぶちゃけた話、そこの解像度が高くなくても我々には多分『伝わってる』のである

しろ、それでどれくらい負傷するのかとか、実力差はどれくらいなのか、どうやって勝つのか負けるのかなどの次の展開に興味が移っていないだろうか。さらに言えば、この魔女性格はどんな感じなのか? 冷徹なのだから口調は厳しいのかとか、魔女主人公のこと気に入ったりするのか、追々仲間になる展開なのか、と言った、キャラクタの心情の移り変わる様子すら、この段階で期待してそれを軸に妄想を膨らませる人もいるだろう。

さらにここに、


『氷の魔女と呼ばれる彼女は、実は地球に住む人間の種を手に入れようと狙ってやってきた宇宙人であった。侵略活動やすいよう周りの空気自分たちの住む星の大気温度まで下げるため、彼女腰掛けているステンレス製の巨大三角から温度を奪う冷気的な何かを放出していて、空気中の水蒸気が氷結してできた塊を利用し相手冷凍保存しようとしている』


と言ったストーリーの上欠かせない設定が加わった瞬間、魔女攻撃の一連の動きがどれくらい迫力があるのかよりも、物語の展開的な動きの方が気になってこないだろうか。アニメーション上の緻密な動作よりも、ギャグ調を出すためにSDキャラデザや画面効果といった要素の方が卓越してきそうなモノである


要はその作品がどんなジャンルでどんなテーマなのか、その中でアニメーションをどう位置付けているかで、表現千差万別の答えを持っていると考えている。立体的な動きとか力の伝わり方を見て取れるようなリアリティを重視するよりも、もっと感情移入して欲しいかキャラクタの魅力を全面に出す方針があるのであれば、背景のモブと呼ばれる方々まで生き生きと動いていればその画面の映え様に感動するけど、そこに力入れるなら止め絵でも良いかキャラ造形やカラーグラデーションに力が入ってて欲しいよねって意見も当然あると思う。

この時萌え絵かどうかはあんまり本質的問題ではなくて、視聴者各々の共通言語とどれほどマッチしていて違和感あるかないかの話に過ぎないと考える。

これより先は趣味指向トレンドしか言えない領域突入してしまう気がしてならない。そこは表現の自由が担保されている以上、善悪判断軸が及ばない空間である

もしそれに対して「過去多くの作品萌え絵が使われていて、時間をかけて大衆になじんでしまたことで不当にも市民権的なモノを得てしまたからだ!」などと主張してしまっては、もはや時代(トレンド)に対する憎悪しかなく、いつまでも見えない相手との戦いを余儀なくされることになるだろう。

キャラ造形に対する文句ほど不毛なことはない。


ひと昔前にギャルゲー原作としたアニメが多く生み出される時期があった。のちにラノベ原作アニメが多く輩出される時代が訪れることになるのだが、当時としてはニコニコ動画を始めとした他メディアで取り沙汰され、言わば萌えアニメの本流とも言える地位を築いていたと思う。

ではそのどれもが、彼がいうところの『強度』なるものを有してたかというと、……なんとも言えないところはあるかも知れない。

当然のことだが何千枚という数の原画に対して、その全て原作独特の繊細な塗りを再現するのは時間的にも経済的にも叶わず立ち絵差分とスチルと効果のみで表現されていた絵に対して、話の展開にマッチするようにかつゼロから動きを盛り込むのはやはり至難の技のようで、結果的作品の持つ強みを生かしきれないまま終わってしまったものが多くあった印象がある。

その原因は、アニメ萌え絵が向いていないというよりは、テキスト……特にキャラクタの心情面に比重が大きい作品は、初めからアニメーションを十二分に活かせるだけの舞台比較的狭いように思える。キャラクタ同士のウィットに富んだ掛け合いを楽しむだけなら、それこそゲームのように会話と場面移動、要所要所で叙情性の窺える背景描写カットの繰り返しで事足りてしまい、ともすれば動作は間を持たせるためのツールになってしま可能性すらあるのだ。身もふたもない話だが。

まりなんとも言えない感じになるのは萌え絵のせいではなく、作品のコンセプトにいかアニメーションを上手絡めることができるかによるのだ。そしてそれは当然、作品ジャンルアクション主体なのかコメディ主体なのかリアル恋愛主体となるのかでアニメーションの寄与度の上限が決まってくるので、表現手法の一つである「動き」単体で評価した時、ジャンルによる偏りがどうしても出てしまうモノなのだ。画面映えする動きがなくても『十二人の怒れる男』(実写映画だけど)のような名作は生まれる。

実際のギャルゲー原作作品には、画面映えを飽きさせないようなさまざまなアイデアが盛り込まれていたけど、いよいよ話の筋から外れてしまうから割愛したい。


画面を縦横無尽に駆け巡るアニメーションは、突き詰めればただの動きであり、結局は表現手法の一つでしかなく、ストーリーとの直接的な関係がなければ、ストーリーへの直接的に干渉することはできない別レイヤー存在にすぎないとも言える。

絵コンテ等の段階でスクリーン上の動きに込めた意図に気づける目の肥えた人にとっては、「動かし屋さん」の実力が垣間見れる瞬間であり、味の決め手のような作品価値を決定づける重要ポイントなのかも知れない。

だがストーリーの展開に目が向いてしまう人々にとっては「面白い動きだな、他作品ではあんまり見ないカットを入れてるな」くらいに止まっていて、やっぱりキャラ同士の会話やその時に垣間見れる感情自分リーチできるかどうかに関心が向いてしまものだ。

昨日NHKの某番組で紹介されていたが、殆ど人間は1秒間に4,5枚の絵しか見れないらしい。一枚絵のカットの切り替え表現の繰り返しは、程度にもよるのだろうが、予算工程など諸々の事情を鑑みた時、大変妥当表現だと個人的には思う。

昨今のは様々な形が出てきたとはいえ、まだまだ異世界生モノアニメブームが続いているように見える。

少ないリソースで最大効果を期待する戦略としては非常に合理的だと思っている。

ストーリー上の役割が小さい場面では「異世界生モノあるある」やその根底にある「子供の頃に慣れ親しんだRPGの思い出」という共通言語を利用して絞り、作品オリジナルの強みにピボットを置き部分的に「動き」のリソースを割くことで相対的な画面と展開のギャップを生み出し、差別化と人気を獲得するにあたり大変都合が良いのかなと思っている。

この潮流について個人的にどうと言うつもりはない。むしろ当然の流れだと思う。個人的には長らく続いてきた「高校生部活青春ドラマ」がようやく落ち着いてきて、代わりに台頭してきたくらいの感覚だ。時代とともに変遷する価値観や需要を端的に示していると思ってる。


ところで『リトルウィッチアカデミア』というアニメ作品をご存知だろうか。

2017年に株式会社トリガーから出されたオリジナル作品で、ヒロイン少女アッコが憧れの魔女シャイニィシャリオにのようになろうと魔法学校入学し、仲間達と共に成長を遂げていくというお話である。当時OP映像を見てその作り込まれ世界観引き込まれ、全話リアルタイムで追っていた。

ご存知の通りトリガーといえば他にも『キルラキル』や『SSSS.GRIDMAN』を始めとする数々の名作アニメを世に生み出した有名なアニメ製作会社だ。

社名に違わず弾丸が飛び交うような激しいアクションシーンが特徴的で、およそ10年にわたり多くのアニメファンを魅了し続けてきた。

何の因果か、つい先日株式会社トリガーが手がけるのアニメオリジナル放送前となる『リトルウィッチアカデミア』の短編映画原画制作する新人アニメーターたちの様子を追ったドキュメンタリー動画を、失礼ながらもしゃちく☆まっしぐらしていたリアタイ当時の自分の状況と重ねながら観ていた。

今回この拙文を書こうと思ったのも、その動画を触れたあとの余韻がそうさせたのだと思う。

動画の内容が気になった方は各人で確認してもらいたい。

端的に言うと、彼らが手がける他作品と一線を画す豪快な「動き」に込められた感動を生み出すもののの正体はアニメーターたちの寿命のものだ。

そこまで心血注がなくたって、既に共通言語を獲得している我々にはその半分以下の動きであったとしてもおそらく『伝わっている』のである。だが彼らはそんな事眼中にはなさそうだ。彼ら自身が観たいものを描いているだけなのだろう。シャイニィシャリオクルクルと回りながら杖を振り動物たちの花火魔法を出すまでのたった数秒の「動き」に、何週間も終わりの見えない苦悩を重ね続けるなんて、それこそ描くこと動かすことが大大大好きでもなければやれるはずがない。私のような観ているだけの人間には理解できない世界がそこにはあった。

間違いなく時代トレンド関係なく後世に伝わってほしい作品の一つだし、アニメ好きの私は一つでも多くそう言った作品が世に出てくることを願ってやまないものの一人ではある。

だがそれがアニメの全てだとかあるべき姿だとかそういう指向性に囚われるような話でもないと思う。

だが、予算制作期間と人員の消耗等のあらゆるのリスクを考えるのであれば、それらアニメーターの生命と血が滴る作品を世に出すことは、何十人何百人の人生をかけた大勝負であり、そんなものを定期的に見せておくれよなんて烏滸がましいことを言えるほど私は偉い人間ではない。

製作陣の戦いの姿の一端を見ただけで、シャリオが振う杖の軌跡一つとっても、数年に一度しか拝めない奇跡の奇蹟と言われても納得できるし、胸の内から熱く込み上げてくるものを心地よく感じることができる。


コロナの影響ですっかり荒廃しきった今の時代、人との関わりがすっかり乏しくなってしまった(俺だけかもしれないけど)独身を生きる俺に、自然と「頑張って作ってくれてありがとう」の気持ちと、明日を頑張れる活力を授けてくれた魔法だった。

もっと色々な魔法を、『傑作』を見てみたい! その想いの強さが故にアニメ業界の現状に、文句の声の一つくらい出してみたい気持ちもわかる。

けれど、

あの世界は、我々視聴者同士が視聴者層の絵の嗜好がどうとかで文句を言い合っているレベルで語れるのものではないのだと私は思う。

私が円盤や関連グッズを購入すると言った金銭的な応援以外にできることは、アニメーターの方々が1秒でも長くアニメを大大大好きでいていただきたいと願うだけである


気づきの通り最後の2文が言いたかっただけだ。

最後まで読んでいただいた方は、こんな拙文にお時間取らせてしま申し訳ない。

良いアニメライフを。

萌え絵アニメーションに向いてないという勘違い

巷で話題萌えアニメオタク害悪だと主張する記事を読んだ感想である

私は萌えアニメからいわゆる硬派と呼ばれるアニメまで広く嗜む、アニメ視聴歴20年くらいのしがないアラサー男だ。

ジャンプサンデーと言ったお馴染みの週刊誌で人気の原作アニメが、テレ東ゴールデンタイム毎日のように放送されていた頃に、箸で摘んだ夕食のコロッケテーブルの上に落としブラウン管にかじりつく少年期を過ごし、最近新刊が発売された『涼宮ハルヒの憂鬱』をきっかけにいわゆる深夜アニメ世界に足を踏み入れて、今日に至ると言った経歴(他に言葉が思いつかなかった)を持っている。

視聴作品数は、履歴書に書けば人間性理由採用確率が30%減になるくらいあっただろうか。と言っても熱中度でいえば大したモノではなく、どんなに気に入った作品でも円盤を買ったり、グッズ等を買う程度だった。興奮が抑えられず感想ブログに載せたり、二次創作に勤しんだりするくらいならニコニコ動画で他の作品の視聴課金をし始めるくらいには職人気質は持ち合わせておらず、人によってはカステラ茶色の表皮だけをすくって人工甘味料(無いかも)の鋭く刺すような舌触りだけで満足するような、奇怪な楽しみかたをダラダラ続けていただけに見えるかもしれない。

そんな人間がひさしぶりに取れた休日の暇潰しに書いた文章だ。

簡潔に何が言いたいのか知りたい方は、途中全く大したこと書いてないので、最後だけを読んでほしい。

以降は今の俺以上に暇だと宣言できる、大変人間強度に優れた人だけが読み進めて欲しい。

主に作品ごとのアニメーションが持つ性質役割の違いについて横道に外れながら綴っていきたいと思う。

過去に色々な作品を目にしてきている者ならばご理解いただけると思うが、「好きなアニメは? どういうところが好きなの?」と質問を受けたとき、瞬時に心動かされた場面(シーン)が頭の中を駆け巡り、「さてどれから話せばよいものか……」と、全身が幾分高揚している自分がいることに気づくだろう。

それらはキャラクタたちと共にストーリーを辿ることで得られた感覚につけられた名前のようなものだと私は考える。そしてそれらは言葉では表せないが、私たちに中で一種の『共通言語』的な役割を担い、機能しているのだ。

アニメーション、画面上の動きの一つに、こうした共通言語や構図の時間的変化から読み取れる言語で感じて欲しい叙情性に補完を入れたいのか。

例えば以下のシーンを目を瞑って思い浮かべてもらいたい。

『氷属性もつ冷徹残忍な魔女が、手に持った杖を振るった。その瞬間空間四方から無数の鋭利な菱形をした氷の刃が出現し、彼女の透明感のある艶やかな唇で結ばれる「さようなら」の言葉を合図に一斉に襲いかかってきた』

数々の映像作品を見たことがある人なら、無の空間からパキパキと音を立てながら蒼白い形作られ、魔女の妖艶な笑顔が映った次の瞬間に鋭い氷の塊が視界の中心に集まってくる2、3カットくらいの映像が容易に頭の中に流れたことだろう。

これは性格によるのかもしれないが、私は基本的には物語の進行上は「それ」でOKと考えるのだ。

「それ」とは、視聴者の頭の中で出来上がった薄ぼんやりとした2、3カットのことであり、重要なのは「それ」を我々視聴者に想起させ、作品を補完させることだと考えている。

例えば先のシーンで「魔女がどんな容姿でどんな服装服をまとい、どんな体勢なのか」とか、「魔女と言うくらいなら箒に乗っているのか」とか、「どんな服を身に纏っていたのか」とか、「どれくらい勢いで杖を振ったのか、杖の先はどこを向いているのか」とか、「氷の軌道は直線的なのか最初に外側に弧を描くなどトリッキーな動きをしているのか、時間差のある多段階攻撃なのか」などの質問されたら、スラスラと答えられるだろうか。(……私だけができないのなら怖い。ショックのあまり寝込む)

おそらくだが「いやそんな細かいところまでは……」のレベルの話だと思っている。多分これができる人はきっと絵が上手いはずだ。私は私を含め絵がど下手くその人がこの世にいることを知っている。

ぶちゃけた話、そこの解像度が高くなくても我々には多分『伝わってる』のである

しろ、それでどれくらい負傷するのかとか、実力差はどれくらいなのか、どうやって勝つのか負けるのかなどの次の展開に興味が移っていないだろうか。さらに言えば、この魔女性格はどんな感じなのか? 冷徹なのだから口調は厳しいのかとか、魔女主人公のこと気に入ったりするのか、追々仲間になる展開なのか、と言った、キャラクタの心情の移り変わる様子すら、この段階で期待してそれを軸に妄想を膨らませる人もいるだろう。

さらにここに、

『氷の魔女と呼ばれる彼女は、実は地球に住む人間の種を手に入れようと狙ってやってきた宇宙人であった。侵略活動やすいよう周りの空気自分たちの住む星の大気温度まで下げるため、彼女腰掛けているステンレス製の巨大三角から温度を奪う冷気的な何かを放出していて、空気中の水蒸気が氷結してできた塊を利用し相手冷凍保存しようとしている』

と言ったストーリーの上欠かせない設定が加わった瞬間、魔女攻撃の一連の動きがどれくらい迫力があるのかよりも、物語の展開的な動きの方が気になってこないだろうか。アニメーション上の緻密な動作よりも、ギャグ調を出すためにSDキャラデザや画面効果といった要素の方が卓越してきそうなモノである

要はその作品がどんなジャンルでどんなテーマなのか、その中でアニメーションをどう位置付けているかで、表現千差万別の答えを持っていると考えている。立体的な動きとか力の伝わり方を見て取れるようなリアリティを重視するよりも、もっと感情移入して欲しいかキャラクタの魅力を全面に出す方針があるのであれば、背景のモブと呼ばれる方々まで生き生きと動いていればその画面の映え様に感動するけど、そこに力入れるなら止め絵でも良いかキャラ造形やカラーグラデーションに力が入ってて欲しいよねって意見も当然あると思う。

この時萌え絵かどうかはあんまり本質的問題ではなくて、視聴者各々の共通言語とどれほどマッチしていて違和感あるかないかの話に過ぎないと考える。

これより先は趣味指向トレンドしか言えない領域突入してしまう気がしてならない。そこは表現の自由が担保されている以上、善悪判断軸が及ばない空間である

もしそれに対して「過去多くの作品萌え絵が使われていて、時間をかけて大衆になじんでしまたことで不当にも市民権的なモノを得てしまたからだ!」などと主張してしまっては、もはや時代(トレンド)に対する憎悪しかなく、いつまでも見えない相手との戦いを余儀なくされることになるだろう。

キャラ造形に対する文句ほど不毛なことはない。

ひと昔前にギャルゲー原作としたアニメが多く生み出される時期があった。のちにラノベ原作アニメが多く輩出される時代が訪れることになるのだが、当時としてはニコニコ動画を始めとした他メディアで取り沙汰され、言わば萌えアニメの本流とも言える地位を築いていたと思う。

ではそのどれもが、彼がいうところの『強度』なるものを有してたかというと、……なんとも言えないところはあるかも知れない。

当然のことだが何千枚という数の原画に対して、その全て原作独特の繊細な塗りを再現するのは時間的にも経済的にも叶わず立ち絵差分とスチルと効果のみで表現されていた絵に対して、話の展開にマッチするようにかつゼロから動きを盛り込むのはやはり至難の技のようで、結果的作品の持つ強みを生かしきれないまま終わってしまったものが多くあった印象がある。

その原因は、アニメ萌え絵が向いていないというよりは、テキスト……特にキャラクタの心情面に比重が大きい作品は、初めからアニメーションを十二分に活かせるだけの舞台比較的狭いように思える。キャラクタ同士のウィットに富んだ掛け合いを楽しむだけなら、それこそゲームのように会話と場面移動、要所要所で叙情性の窺える背景描写カットの繰り返しで事足りてしまい、ともすれば動作は間を持たせるためのツールになってしま可能性すらあるのだ。身もふたもない話だが。

まりなんとも言えない感じになるのは萌え絵のせいではなく、作品のコンセプトにいかアニメーションを上手絡めることができるかによるのだ。そしてそれは当然、作品ジャンルアクション主体なのかコメディ主体なのかリアル恋愛主体となるのかでアニメーションの寄与度の上限が決まってくるので、表現手法の一つである「動き」単体で評価した時、ジャンルによる偏りがどうしても出てしまうモノなのだ。画面映えする動きがなくても『十二人の怒れる男』(実写映画だけど)のような名作は生まれる。

実際のギャルゲー原作作品には、画面映えを飽きさせないようなさまざまなアイデアが盛り込まれていたけど、いよいよ話の筋から外れてしまうから割愛したい。

画面を縦横無尽に駆け巡るアニメーションは、突き詰めればただの動きであり、結局は表現手法の一つでしかなく、ストーリーとの直接的な関係がなければ、ストーリーへの直接的に干渉することはできない別レイヤー存在にすぎないとも言える。

絵コンテ等の段階でスクリーン上の動きに込めた意図に気づける目の肥えた人にとっては、「動かし屋さん」の実力が垣間見れる瞬間であり、味の決め手のような作品価値を決定づける重要ポイントなのかも知れない。

だがストーリーの展開に目が向いてしまう人々にとっては「面白い動きだな、他作品ではあんまり見ないカットを入れてるな」くらいに止まっていて、やっぱりキャラ同士の会話やその時に垣間見れる感情自分リーチできるかどうかに関心が向いてしまものだ。

昨日NHKの某番組で紹介されていたが、殆ど人間は1秒間に4,5枚の絵しか見れないらしい。一枚絵のカットの切り替え表現の繰り返しは、程度にもよるのだろうが、予算工程など諸々の事情を鑑みた時、大変妥当表現だと個人的には思う。

昨今のは様々な形が出てきたとはいえ、まだまだ異世界生モノアニメブームが続いているように見える。

少ないリソースで最大効果を期待する戦略としては非常に合理的だと思っている。

ストーリー上の役割が小さい場面では「異世界生モノあるある」やその根底にある「子供の頃に慣れ親しんだRPGの思い出」という共通言語を利用して絞り、作品オリジナルの強みにピボットを置き部分的に「動き」のリソースを割くことで相対的な画面と展開のギャップを生み出し、差別化と人気を獲得するにあたり大変都合が良いのかなと思っている。

この潮流について個人的にどうと言うつもりはない。むしろ当然の流れだと思う。個人的には長らく続いてきた「高校生部活青春ドラマ」がようやく落ち着いてきて、代わりに台頭してきたくらいの感覚だ。時代とともに変遷する価値観や需要を端的に示していると思ってる。

ところで『リトルウィッチアカデミア』というアニメ作品をご存知だろうか。

2017年に株式会社トリガーから出されたオリジナル作品で、ヒロイン少女アッコが憧れの魔女シャイニィシャリオにのようになろうと魔法学校入学し、仲間達と共に成長を遂げていくというお話である。当時OP映像を見てその作り込まれ世界観引き込まれ、全話リアルタイムで追っていた。

ご存知の通りトリガーといえば他にも『キルラキル』や『SSSS.GRIDMAN』を始めとする数々の名作アニメを世に生み出した有名なアニメ製作会社だ。

社名に違わず弾丸が飛び交うような激しいアクションシーンが特徴的で、およそ10年にわたり多くのアニメファンを魅了し続けてきた。

何の因果か、つい先日株式会社トリガーが手がけるのアニメオリジナル放送前となる『リトルウィッチアカデミア』の短編映画原画制作する新人アニメーターたちの様子を追ったドキュメンタリー動画を、失礼ながらもしゃちく☆まっしぐらしていたリアタイ当時の自分の状況と重ねながら観ていた。

今回この拙文を書こうと思ったのも、その動画を触れたあとの余韻がそうさせたのだと思う。

動画の内容が気になった方は各人で確認してもらいたい。

端的に言うと、彼らが手がける他作品と一線を画す豪快な「動き」に込められた感動を生み出すもののの正体はアニメーターたちの寿命のものだ。

そこまで心血注がなくたって、既に共通言語を獲得している我々にはその半分以下の動きであったとしてもおそらく『伝わっている』のである。だが彼らはそんな事眼中にはなさそうだ。彼ら自身が観たいものを描いているだけなのだろう。シャイニィシャリオクルクルと回りながら杖を振り動物たちの花火魔法を出すまでのたった数秒の「動き」に、何週間も終わりの見えない苦悩を重ね続けるなんて、それこそ描くこと動かすことが大大大好きでもなければやれるはずがない。私のような観ているだけの人間には理解できない世界がそこにはあった。

間違いなく時代トレンド関係なく後世に伝わってほしい作品の一つだし、アニメ好きの私は一つでも多くそう言った作品が世に出てくることを願ってやまないものの一人ではある。

だがそれがアニメの全てだとかあるべき姿だとかそういう指向性に囚われるような話でもないと思う。

だが、予算制作期間と人員の消耗等のあらゆるのリスクを考えるのであれば、それらアニメーターの生命と血が滴る作品を世に出すことは、何十人何百人の人生をかけた大勝負であり、そんなものを定期的に見せておくれよなんて烏滸がましいことを言えるほど私は偉い人間ではない。

製作陣の戦いの姿の一端を見ただけで、シャリオが振う杖の軌跡一つとっても、数年に一度しか拝めない奇跡の奇蹟と言われても納得できるし、胸の内から熱く込み上げてくるものを心地よく感じることができる。

コロナの影響ですっかり荒廃しきった今の時代、人との関わりがすっかり乏しくなってしまった(俺だけかもしれないけど)独身を生きる俺に、自然と「頑張って作ってくれてありがとう」の気持ちと、明日を頑張れる活力を授けてくれた魔法だった。

もっと色々な魔法を、『傑作』を見てみたい! その想いの強さが故にアニメ業界の現状に、文句の声の一つくらい出してみたい気持ちもわかる。

けれど、

あの世界は、我々視聴者同士が視聴者層の絵の嗜好がどうとかで文句を言い合っているレベルで語れるのものではないのだと私は思う。

私が円盤や関連グッズを購入すると言った金銭的な応援以外にできることは、アニメーターの方々が1秒でも長くアニメを大大大好きでいていただきたいと願うだけである

気づきの通り最後の2文が言いたかっただけだ。

最後まで読んでいただいた方は、こんな拙文にお時間取らせてしま申し訳ない。

良いアニメライフを。

2020-12-03

差別なくしたいならまずスポーツ無くせよ

スポーツ部活ってのが差別いじめ暴力の温床や

日本だけじゃなく世界中でそうだろ

鍛えて肉体強くなって勝負事してイキリ散らす集団が産まれるんだから

モヤシガリインキャもesports的な対戦ゲームしたら発狂するやろ?

諸悪の根元やスポーツ

みんなお昼寝とオナニーだけしてたらいじめ差別もなくなる

2020-12-02

学生の時に1年少しだけ石川県にいた

金沢市あたりにいたんだけど、香林坊富山県内から女の子が遊びに来てて同年代女の子存在はたくさん観測できてて、だけど同年代男の子存在全然観測できなかった。

家でゲームしてるのか部活してるのか、何をしてるのか十代の男の子実態全然からなかった。

石川県は遊ぶところがほとんどなくて面白くなかった。兼六園とか十代には興味ないし。

田舎はつまらないと言ってる人の気持ちからなくもない。

石川県けが特別だったのか田舎地方都市はだいたいこんなものなのかそこの区別はできていない。

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