はてなキーワード: テキヤとは
日本はデフレでも緊縮財政、消費税を上げて、貯め込まれる法人税減税、累進所得税減税、金融所得減税など資金循環に反した減税で設備研究投資を殺し、
緊縮財政と近視眼的な費用対効果で政府の基礎応用研究投資を殺す新自由主義が故に産業が衰退したのだろうが。
その一方で起業だイノベーションだと空虚な叫び声を叫ぶだけは盛ん。歩みだしたやつは餌や生贄としてしか考えてない、悪趣味な人形遊びが故に誰も歩まなくなった。歩んだところで餌や生贄にされるだけだから歩まないのが正解だろうがな。
国の借金について、MMTで自国通貨建て国債では財政破綻せず、外貨借金で財政破綻すると峻別されて緊縮財政の根拠はまるで消え去ったがな。
外貨借金についても、海外に売れるものを売って輸出を増やして輸入を減らすのが第一なのに、今の海外インフレで、設備研究投資を殺す金融収縮や金利上げを叫ぶ有様。確実にスタグフレーションに叩き込むぞ。
フリードマンの新自由主義であればせめて金融ぐらいはまともにするべきだが金融音痴とは最悪だな。
それからアメリカや中国に人が集まるのは、長期的な費用対効果の立場に立って、基礎研究投資、応用研究投資に金を出しているからだぞ。
期間も基礎研究で5年10年で、人を雇えるぐらいの金が出るのが当たり前。日本なんざすぐ確実に当たるネタはこれだ!とかほざく研究者でもないテキヤ芸人の目に叶う極小数のテーマしか出ないのに。金も出さんのに人は来てくれなんて通らん。
むしろ日本の研究者がアメリカや中国に逃げてる有様じゃないの。研究者は英語できるから国境渡れるからな。
MMT攻撃する前に、いかに新自由主義が大失敗か反省しろ。さらにせっかくの海外インフレで日本復活のチャンスを潰す政策を叫ぶのはやめろ。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/66492
伊東乾はメンタリストDaiGoを批判し、例えば「科学的に完全に間違ったことを『科学』を標榜して垂れ流してしまう。こうしたタレントの放言を真に受けて、後遺症を背負い込んでも、誰も補償してくれません」と書く。この「垂れ流し」とか「タレントの放言」などの修辞には、敵意を込めた罵倒だという以外には、情報量がなにもない。つまり「これこれの主張は科学的に間違っている」と書けば済む話なわけだ。これは単に一例であって、伊東乾の文章は全編がいつもこの調子。
で、メンタリストDaiGoの、どの発言が、科学的に間違っているのだろうか。驚いたことに、何度読んでもそれがわからない。自分なりに伊東乾のお気持ちに好意的に寄り添って推理する限りでは、「新型コロナウイルス感染症の脅威を死亡率で計るのは科学的に間違い。重要なのは後遺症」と言いたいのかも知れない。しかし「死亡率と後遺症のどっちが脅威か」なんてことは、経済やインフラや個人の価値観やが絡む高度に複雑な問題であって、科学で一意に結論が出る話とは思えないんだけど。
伊東乾の文章から「素人の垂れ流し」「テキヤ」「ペテン師」「おかしなコンテンツ」「生ぬるい若者のどうでもよいお喋り」「中途半端に上ずった若者のご託」「陳腐なクリシェ」「うわごとのような早口でまくしたてる」「メディアを濫用するマインドコントロール商法」などの無内容な雰囲気レッテル貼りと、執拗な学歴マウンティング(発言を批判するなら人格ではなく発言内容を批判してくれ。発言者が中卒のお笑い芸人だろうが学位取得者だろうがそんなことはどうでもいいんだよ)をすべて削ると、びっくりするほどに内容薄い。自分の理解では
・「新型コロナで怖いのは死亡率以上に後遺症」
・「メンタリストDaiGoのやりかたは麻原彰晃に似ている」
・「発想はナチスと一緒」
ちなみに「執拗な学歴マウンティング」の「執拗な」は、無内容な雰囲気レッテル貼りではないですよ。9ページの論考の中で、p1「私もかつて教えたことのある大学の理工系で卒業、大学院修士課程を中退しているようでした」、p2「学卒/大学院中退はサイエンスでは『素人』」「大学・大学院で物理を学び、ここ四半世紀は地味なサイエンスと地味な芸術音楽を両輪に、研究大学でコンテンツのラボラトリーを主催する一教官として言えるのは」p3「修士を取れないというのは、能力的な問題というより『やらなかった』怠惰を意味する場合が多い」「学卒レベルのアマチュア了見で」p5「サイエンスを標榜して無学位という時点で『科学は偽物』と見ます」などと書いてることを、「執拗」と表現しています。
「ホームレスなんて死ねばいい」というメンタリストDaiGoの主張と、それを批判する伊東乾の主張を比べれば、自分は圧倒的に後者を支持します。しかしながら、まあそれはそれとして、「(ホームレスなんて)邪魔だしさ、プラスにならないしさ、臭いしさ、治安悪くなるしさ」と「素人の垂れ流しだしさ、テキヤやペテン師みたいだしさ、生ぬるい若者のどうでもよいお喋りだしさ、中途半端に上ずった若者のご託で陳腐なクリシェだしさ」を見比べると、伊東乾ってメンタリストDaiGo以上に雰囲気話法だなー、と、どうしても思ってしまう。
テキヤで飲み食いしてたら肉染みがついたのだった
ワイ30 ウケ
入れ墨入ってないから普通にホテル入れるんだけど「暴力団禁止のホテル使って逮捕とか普通にあるから駄目」って言われるのが面倒。ソレ以外は普通。
そろそろヤクザやめてくれる段取りついてきたらしい。今までそうそう辞めさせてくれなかったんだと。やめたら営業するんだと。よかったよかった。
人生で初めてかつ今まで唯一喋ったヤクザだったんだけど普通に優しかった。
テキヤなんで薬とか違法行為はしてない・・・らしい。テキヤなんでたまに祭り見に行くけどやっぱイケメン。
この世からヤクザなくなってくれればいいのになーって思う。でも半グレが増えるから警察もヤクザに頼ってるんだって。むずいね。
「全裸監督」に「カバン屋」と呼ばれているオッサンが登場する。「ビニ本」のサンプルを詰め込んだボストンバッグからブツを無造作に取り出して商談する、あの印象的なオッサンだ。
そもそも「カバン屋」とは裏社会の業界用語であり、最も有名な用例は恐らく「ハチンコの不正客・ゴト師向けの裏モノ機器を販売する人」の事を指す場合だろう。
怪しいブツで金になるものだったら何でも売る、黒のボストンバッグと身一つでいつでもどこでも商売する怪しいオッサン、みたいな意味で使用されていると思っていれば大体合ってると思う。
で、「カバン屋」って久々に聞いたな懐かしいな、前に見たのはいつだったっけ、と思って思い出したのが、これだった。
ゲームソフトはナマモノ。相場があるもの。何本製造したかがわかれば、それが適正数で相場が安定するか、過剰生産で値崩れするかがわかる。高値の正価で仕入れず、過剰在庫だけを狙って現金仕入れをする「カバン屋」と呼ばれる人たちもいた。彼らは情報を早く手に入れるため盗聴もした。
そうして仕入れたソフトはテキヤに売られた。だから、当時は祭りにいくとファミコンソフトを売っている夜店が必ずあった。夜店どころではない。渋谷の路上、109の横、東急本店通りでは常時、安売りソフトが売られておいた。
こうした裏流通で儲けた若者たちは、みんなベンツに乗った。業界の人からは、揶揄と蔑視の意味を込めて彼らの乗るクルマを「ファミコン・ベンツ」と呼んだ。ファミコン愛好者にも、メルセデス愛好者にも好かれそうにない名前だ。「ファミコン・ベンツ」。
ここで「あ!」と思わずにはおれなかった。【「ファミコン・ベンツ」揶揄と蔑視の意味を込めた、いわゆる「蔑称」】。
私は思い出したのだ。確か昔「ビニ本裏本で儲けてベンツ乗り回してる奴の車」の事を「ビニ本ベンツ」「裏本ベンツ」と呼んでいたのだ。
自分が、というよりかは自分の交友関係を辿ってそこそこ怪しい方面のオッサン連中から酒宴の席での放言の中で、といったところで、だ。
つまりは、その、アレだ。「ファミコンブームの狂乱」も元を辿れば、「カバン屋」「○○ベンツ」という「蔑称」すらも含めて
「ポルノブーム(ビニ本→裏本→アダルトビデオ)の狂乱」の相似形というか劣化コピーというか、裏の商売は業界違えどもそんなに大差無いというべきか。
いや違う。
これはつまり、「”『新規事業』で設けている若者”を揶揄と蔑視していた人種が同一」(どちらもその筋の人)だから起きた事なんじゃないのか?
時期的には「ポルノ」の後に「ファミコン」だと思うが殆ど重なってる感じもする。